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偏官格 附・棄命従殺格

明 · 张楠 · 第4巻 / 24

作盤ガイド: 八字作盤

庚寅 甲申 戊辰 丁巳,克損七夫金有餘財不足之格。楠曰:金神克木不存夫,疊疊刑沖夫不如。行運不宜金再見,不堪重睹鏡鸞孤。戊土用年上寅中甲木為夫,申宮庚金破之,用日上寅木為夫,巳上庚金破之,用月上甲木為夫,年上庚金破之,徒見夫而無春也。一入辛巳庚運,三年而兩嫁有之,五年而三嫁者有之,損七夫矣。

命造:年柱庚寅、月柱甲申、日柱戊辰、時柱丁巳は、「七夫を剋損し、金有余にして木財不足」の格に属す。張楠の詩にいう:「金神剋木不存夫、疊疊刑冲夫不如。行運不宜金再見、不堪重睹鏡鸞孤。」戊土の女命は木をもって夫とする。年支寅中の甲木を取りて夫となせば、月支申中の庚金が来たりてこれを破る。日支に対する寅木を取りて夫となせば、時支巳中の庚金がまた来たりてこれを破る。月干の甲木を取りて夫となせば、年干の庚金がやはり来たりてこれを破る。夫星はところどころに見えるが、存しうる者は一人もなく、名あるのみである。一たび辛巳・庚運に入れば、金気再び来たり、彼女は三年の内に二度改嫁し五年の内に三度改嫁したこともあり、前後して七人の夫を損折した。

辛巳 乙未 乙酉 壬午,逸叟妻命火重而金頗輕。楠曰:乙木生臨伏火炎,金衰頗以火為嫌。丙丁運上多災病,金水重逢樂自然。乙木生臨六月中旬,火氣炎蒸,雖有多金,然金氣自消矣,但喜坐下夫星得祿,雖火旺而不能傷夫也。凡女命坐下見夫星者當美。初行丙丁二字,辛金被制,生子不育,而且多災。戊己庚金之運,助比夫星,生子而身頗安也。

命造:年柱辛巳、月柱乙未、日柱乙酉、時柱壬午は、ある隠逸の老人の妻の命で、火重にして金はやや軽し。張楠の詩にいう:「乙木生臨伏火炎、金衰頗以火為嫌。丙丁運上多災病、金水重逢楽自然。」乙木は六月中旬に生まれ、火気は蒸騰する。柱中に辛金・酉金少なからずといえども、金気は自ら消熔した。喜ぶべきは日主の坐すところの酉金がまさに夫星であって、酉において自身禄を得ていることで、ゆえに火は旺くともこの夫星を傷つけることができない。およそ女命で日支に夫星を坐する者は美格に属す。初め丙・丁の二歩の火運を行き、辛金は制せられ、彼女は子を生んでも養い育てることができず、しかも災病が相次いだ。戊・己と庚金の運に転ずるに及び、土金が来たりて夫星を扶助し、はじめて子を生んで育て、自身もたいへん安泰であった。

乙卯 癸未 辛未 甲午,旺舉夫子命火重水輕格。楠曰:辛金坐未火炎陽,金水三陰入旺鄉。最慨四柱多火氣,喜行金水福榮昌。辛金生未,三陰將進之時,夫子二星,俱巳受氣。但四柱金龍盛,但得火俱伏藏,天干動制之有力。早行丙戌,助夫攻身,屢損子星。運入北方,火炎水制,助子興家,五福俱全,入寅七十五死,兄嫂長三孺人也。

命造:年柱乙卯、月柱癸未、日柱辛未、時柱甲午は、夫・子ともに旺な女命で、「火重水軽格」に属す。張楠の詩にいう:「辛金坐未火炎陽、金水三陰入旺郷。最慨四柱多火気、喜行金水福栄昌。」辛金は未月に生まれ、まさに三陰将に進まんとする時で、夫星の火と子星の水とはともに気を受けている。柱中の金勢はもともと盛んであるが、ただ火はみな地支に伏蔵し、天干の上には癸水が動いて火を制し、制すること力がある。早年に丙戌運を行き、火が来たりて夫を助けるも身を攻め、それゆえ屢々子星を損傷した。運が北方の水地に入れば、炎火は水に制せられ、子星は助を得て家道は興旺し、五福俱全した。寅運に進み、七十五歳で世を去った。この方はすなわちわが兄嫂長三孺人である。

庚午 甲申 戊申 戊午,貧夭命夫太過格。楠曰:戊土生申金氣多,夫星剋制太如何。不宜早入刑沖運,壽夭應知受折磨。戊生申月,金氣重重,不宜月上見有申水。夫星無根,此乃極貧格。夫殘疾無子,蓋為夫星金制太過,庚運死。

命造:年柱庚午、月柱甲申、日柱戊申、時柱戊午は、貧しくかつ夭の女命で、病は「制夫太過」にある。張楠の詩にいう:「戊土生申金気多、夫星克制太如何。不宜早入刑冲運、寿夭応知受折磨。」戊土は申月に生まれ、金気は重ね重ねである。月干の甲木はもともと夫星であるが、あいにく申の上に坐して金に剋され尽くし、月支がまた申であるべからず。夫星にすでに根気なく、これが極貧の格局である。彼女の夫は残疾でかつ子なく、みな夫星が金に制せられすぎたゆえである。庚運に至り金再び来たり、彼女は死んだ。

丙戌 丁酉 乙巳 戊寅。楠曰:乙木逢金夫本榮,不堪太重制失星。北方運美南方否,此量分明豈徇情。乙木生臨酉月,坐下夫星得祿,本為好也。不堪重重見火,傷損夫星,再行南方午未運中,夫逃子竄,身幾不振,蓋為火多制金也。癸巳壬辰兩運,衣食滿給,夫子如故,蓋喜壬癸水破火而存金也。

命造:年柱丙戌、月柱丁酉、日柱乙巳、時柱戊寅。張楠の詩にいう:「乙木逢金夫本栄、不堪太重制失星。北方運美南方否、此量分明豈徇情。」乙木の日主は酉月に生まれ、日支の巳と月令の酉とが金を合し、夫星は酉において禄を得て、もともと好事であった。あいにく柱中に丙・丁の火が重ね重ね見えて、かえって夫星を傷損した。さらに南方の午・未の運を行けば、火勢いよいよ熾んとなり、こうして夫は逃亡し子女は離散し、彼女自身もほとんど振い起こすことができなかった。みな火が多くて金を制しすぎたゆえである。癸巳・壬辰の二運に至り、衣食ははじめて充足し、夫と子もまたもとのごとく恢復した。まさに壬・癸の水が火を破って金を存することを喜んだゆえである。

辛丑 辛丑 乙亥 丙戌,先貧後富金多火少。楠曰:乙木逢金火損傷,時逢丙火制相當。直看老景南方運,夫子興隆大異常。乙木生丑,木氣本枯,再加五殺攻之,身益衰矣。賴有丙火進氣,制殺福神,早行壬且破丙,頗受艱辛,一入南方,丙午丁未克殺之地,五福俱全,入申殺旺方死。

命造:年柱辛丑、月柱辛丑、日柱乙亥、時柱丙戌は、先貧後富・金多火少の命である。張楠の詩にいう:「乙木逢金火損傷、時逢丙火制相当。直看老景南方運、夫子興隆大异常。」乙木は丑月に生まれ、木気はもともと枯竭しており、さらに五重の金「殺」が来たりて攻めれば、日主はいよいよ衰弱する。すべて時干の丙火がまさに進気で、よく殺を制して、この命の福神となったことに頼る。早年に壬運を行き、壬水が丙火を破り、彼女はたいへん辛労を受けた。一たび南方の丙午・丁未の金を剋し殺を制する地に入れば、五福はみな具わった。申運に至り金の殺は再び旺に転じ、彼女はようやく世を去った。

甲戌 辛未 乙丑 乙酉,先貧後富金多火少。楠曰:乙木生臨未月提,木衰金旺理堪知。直須火運將金克,定主興夫並旺兒。乙木生未,雖有甲乙之木三重,夫何木氣輕而不能制金,所以見夫星多而身衰者,返為戕身之賊也。運行己巳戊辰,財又生殺,貧苦剋夫,一入丁卯,火制殺星,再醮助夫,丙寅旺殺得制,安享優遊,子孫並秀。

命造:年柱甲戌、月柱辛未、日柱乙丑、時柱乙酉も、また先貧後富・金多火少の命である。張楠の詩にいう:「乙木生臨未月提、木衰金旺理堪知。直須火運将金剋、定主興夫並旺児。」乙木は未月に生まれ、柱中に甲・乙の木三重あるけれども、木気は結局軽薄で金を制することができない。ゆえに彼女にとって夫星は多いが身は衰え、かえって身を戕う賊となった。己巳・戊辰の運を行き、土の「財」がまた金の「殺」を生じ、彼女は貧苦してかつ夫を剋した。一たび丁卯運に入れば、火が来たりて殺星を制し、彼女は改嫁して夫を助けるを得た。さらに丙寅運に至り、旺殺は制せられて服し、安んじて優遊を享け、子孫もともに俊秀であった。

戊申 甲子 乙丑 乙酉,娼賤命殺多無制格。楠曰:乙木金多制太過,再行金運失中和。娼淫濁亂汙中垢,受制於人楚撻多。乙木生子,木氣無根,水木漂泛,四柱重重金氣,所以金多無夫,豈不為娼妓乎?原金多再行金旺之地,七殺七馬,受制於人,多遭捶楚,入庚破甲,死無根也。

命造:年柱戊申、月柱甲子、日柱乙丑、時柱乙酉は、娼妓下賤の命で、「殺多無制格」に属す。張楠の詩にいう:「乙木金多制太過、再行金運失中和。娼淫濁乱汚中垢、受制於人楚撻多。」乙木は子月に生まれ、木に根気なく、水は泛び木は漂う。四柱にまたあまねく金があり、金多くしてかえって正夫の依るべき者なく、娼妓に淪らずしておかし。原局の金はすでに多すぎるのに、行運がまた金旺の地に至れば、盤一面「七殺」が馳走する。彼女は人に制せられ、屢々鞭笞捶打を受けるのみ。庚運に進み、庚金が月干の甲木を剋破し、彼女は最後の一点の依るべき根も失って、死んだ。

丙子 壬辰 庚子 庚辰,賤婢夫輕制過。楠曰:夫星衰弱制重重,火少那堪水氣沖。再入北方夫氣絕,一生婢妾走西東。不合丙火無根,夫星透出,壬水重重克之,水宜運入北方,水氣益盈,夫氣日益。雖金水輕清,只作伶俐賤婢,理本然也。

命造:年柱丙子、月柱壬辰、日柱庚子、時柱庚辰は、婢女の命で、夫星は軽くして克制あまりに過ぐ。張楠の詩にいう:「夫星衰弱制重重、火少那堪水気冲。再入北方夫気絶、一生婢妾走西東。」惜しいことに年干の丙火という夫星は天干に透くとも根気が全くなく、また壬水と二か所の子・辰の水局とに重ねて剋傷される。行運がさらに北方に進めば、水勢いよいよ充盈し、夫星の気は日々に消尽する。この命は金清水秀にして、人はもとより怜悧であるが、ただ聡明なる婢女となるのみ。理はもともと然りである。

丙子 戊戌 壬午 戊申,尚書夫人水進氣夫透天干格。楠曰:壬水生臨九月秋,水神過氣湧寒流。子午結局源深遠,柴誥榮封兩國憂。壬水生臨五陰之候,水氣盈矣。兩重戊土殺星,各坐生庫之地,其殺各有位矣。更得下通水局,任殺為夫。南方殺旺之地。相夫貴格,更兼旺子,子從夫出故也。

命造:年柱丙子、月柱戊戌、日柱壬午、時柱戊申は、ある尚書夫人の命で、「水まさに進気して夫星天干に透る」の格に属す。張楠の詩にいう:「壬水生臨九月秋、水神過気涌寒流。子午結局源深遠、柴誥栄封両国憂。」壬水は九月に生まれ、すでに五陰の候に交って、水気は充盈する。月干と時干の二重の戊土「七殺」は、一つは申という長生の地に坐し、一つは戌という墓庫の地に坐し、その殺それぞれに位あり。さらに下に申子が水局を会成して相通ずるがあり、日主はこの殺を担ぐに足り、すなわち殺をもって夫とする。南方の殺旺の地に至れば、まさに夫を相する貴格である。加えて子星もまた旺なり。女命において子は夫より出づるゆえである。

癸巳 己未 己亥 己巳,富夭女命制過夫星。楠曰:己生未月木為夫,兩巳來沖木氣無。再入西方金旺地,金多克木壽應殂。己生未月,本用甲乙木為夫也,夫何六月木衰,再加兩巳中庚金克之,其夫蓋衰矣。便八字純粹,生於富家,不宜運入庚申,再加庚金得祿,夫星之氣絕無,未嫁而死宜矣。觀此八字雖好,而行運不及,正謂源清而景也。

命造:年柱癸巳、月柱己未、日柱己亥、時柱己巳は、家富みて早夭の女命で、病は夫星を制しすぎるにある。張楠の詩にいう:「己生未月木為夫、両巳来冲木気無。再入西方金旺地、金多剋木寿応殂。」己土は未月に生まれ、もともと甲・乙の木を取りて夫とすべきところ、六月は木気すでに衰えを如何せん、さらに年・時二つの巳中に蔵する庚金が来たりてこれを剋す。夫星はいよいよ衰弱である。この八字自体はなお純粋として、彼女は富家に生まれた。ただ行運が庚申に入るを宜しとせず、庚金は申において禄を得、夫星の気は蕩然として存せず、嫁がざるうちに死した。これもまた意中の事である。これを見るに八字はよしとも、行運が及ばざれば、まさに源は清きとも景況は済わずという。

辛亥 庚子 戊戌 己未,狀元妻衰夫行夫旺運格。楠曰:戊土臨乾木得生,喜逢水旺木芽明。夫衰最喜夫生運,定作人間婦狀元。戊戌土實自坐財鄉,更得年上甲木夫星得生,而喜木衰,有庚辛天干之金,暗來損木,則為有病,方為貴命也。大運一入壬寅,衰夫得祿,相夫而登遷第一,豈不宜乎。又且生子,百作方伯,蓋貴子亦從貴夫生也。入巳,庚金損破夫而死。

命造:年柱辛亥、月柱庚子、日柱戊戌、時柱己未は、状元夫人の命で、「夫星衰えて夫旺の運を行く」の格に属す。張楠の詩にいう:「戊土臨乾木得生、喜逢水旺木芽明。夫衰最喜夫生運、定作人間婦状元。」戊戌日主は土質厚実にして自ら財郷に坐す。年支の亥は乾位に属し、亥中の甲木という夫星はここにおいて長生を得る。惜しむらくは木がなお衰弱して、天干にまた庚・辛の金があって暗にこれを損傷することで、これが病ある命となる——まさに病あって医すべきがゆえに、その貴命を成す。大運が一たび壬寅に入れば、衰弱した夫星は寅において禄を得、彼女は夫を輔けて状元第一に高中せしめた。豈にこの理に正しく合わずや。後にまた子を生み、官を一方の伯に至らしめた。貴子もまた貴夫より生ずるゆえである。運が巳に入るに及び、庚金は巳において長生を得、甲木の夫星を損破して、彼女もまた世を去った。

時上一位の貴格

楠曰:時上一位格,蓋取時一點殺星。若日干生旺,時上有殺,則用之為時上一位貴。若身旺殺衰,喜殺旺運,富貴多子,蓋殺乃子星也,身旺能任其子也,若日干弱,時上殺旺,怕行殺旺及財運,正謂時逢七殺趕身衰,則主貧賤無子。殺能克身,不能生子,正謂時逢七殺本無兒。若時上有殺,亦要先安置殺星,或制去之,或合去之,方可用月上用神。如不曾剋制此殺,即當把時上殺為用神,月上雖有印星財星,亦不能用。故格格推詳,以殺為重。前人立言,說不分明。

張楠がいう:いわゆる「時上一位貴」格とは、時柱の上のあの一点の「七殺」を取るものである。もし日干が生旺していて、時上にちょうど一位の殺があれば、これを用いて「時上一位貴」を成す。もし身旺にして殺衰えれば、殺旺の運を行くことを喜び、富貴にしてかつ多子を主る。男命において殺はすなわち子星で、身旺にしてこそ自らの子息を担ぐに足るからである。反対に日干が衰弱して時上の殺が偏に旺なら、殺旺の運と財運とを行くを怕れる。これがいわゆる「時逢七殺趕身衰」で、貧賤にして子なしを主る。かかる殺はただ身を剋するのみで、子を生ずることなく、すなわちいわゆる「時逢七殺本无児」である。およそ時上に殺あれば、必ずまずこの位の殺星を安んじ置かねばならない。あるいは食傷をもってこれを制し去るか、あるいは合神をもってこれを合し去るかして、然る後にはじめて月令の上の用神を取るを得る。もしこの殺を克制したことがなければ、すなわちまさに時上の殺を取りて用神とすべく、月令の上に「印」星・「財」星あるとも、一概に用うることあたわず。ゆえにいかなる格局を推し詳むにも、殺をもって最も重きと為す。前人の立説は、この一層を終始明らかに講じ得ていない。

補曰:時上為官,即時上一位貴格也。如陽見陽干,陰見陰干,相剋是也。透出為妙,只許一位,四柱不許再見。若年月日又有,收為辛苦勞碌之命也。要本身自旺如甲寅,自生如甲子之類,又要制伏,有制則為偏官,無制則為七殺。又要制伏得中和,一位七殺,卻有兩三位制伏,是為太過。雖有學問,不榮仕路,乃是貧寒一老儒。故《喜忌篇》云:“偏官時遇,制上伏太過,乃是貧儒。”四柱制伏多,要行七殺旺運,或三合得地,可發。若原無制伏,要行制伏之運,可發。如遇殺旺,無以制之,則禍生矣。則偏官為人性,重剛執不屈,傲自譏,膽氣雄豪。月偏官亦然。

補っていう:時柱の上に官星の現わるるは、すなわち「時上一位貴」格である。いわゆる官とは、陽干が陽干を見、陰干が陰干を見て相克する種類、すなわち「偏官」のことである。それは天干に透出するをもって妙とし、しかもただ一位を許し、四柱の中に再び第二位を見るべからず。もし年・月・日にまたあれば、ただ辛苦労碌の命と算するのみである。さらに日主自身が自ら旺なるを要し、甲寅のごとき自ら禄地に坐するか、あるいは自生、甲子のごとき印に坐する類である。また制伏あるを要す——制あれば「偏官」と謂い、制なければ「七殺」と謂う。制伏はまたちょうどよきを得なければならない。ただ一位の七殺あるのみにして、制す食傷が二三位もあれば、これを制伏太過と謂い、この種の人は学問あるとも、仕途において顕達すること能わず、ただ貧寒なる一老儒生に過ぎない。ゆえに《喜忌篇》にいう:「偏官時遇、制伏太過、乃是貧儒。」四柱の中に制伏の神の多き者は、七殺旺の運を行くか、あるいは三合が局を會して殺に地を得しめるを要し、そうすれば発達しうる。原局にもともと制伏なき者は、制伏の運を行くを要して発達しうる。もし殺旺に遇い、これを制するに由なければ、禍は生ずる。偏官を帯ぶる人は、性情は剛強にして執拗、屈服せず、自負して譏評を好み、胆気は雄豪である。月柱の上の偏官も、性情はこのごとし。

又補曰:食神制殺,化鬼為官,因宜權貴。所謂食居先,殺居後,功名兩全是己。羊刃合殺,變凶為吉,亦能權貴,所謂甲以乙妹妻庚,凶為吉兆中是已。又補曰:食神制殺,不宜逢梟則禍,故日食神制殺逢梟,不貧則夭,羊刃合殺,不宜財多,南多必咎,故曰,財生殺黨,夭折童年。

また補っていう:「食神」をもって「七殺」を制服すれば、凶悪の鬼殺を用うべき官星に転化すること能く、ゆえに権貴を掌るに宜しい。これがいわゆる「食居先、殺居後、功名両全」——食神は前に、殺は後にあって、名と位と両得するものである。「羊刃」をもって殺を合せば、また凶を変じて吉と為して権貴を得るを得、これがいわゆる「甲以乙妹妻庚」——甲木は乙の妹を庚に嫁がせ、乙庚の一合にして、凶神はかえって吉兆となる。また補っていう:食神が殺を制するは、最も再び「梟神」(偏印)に遇うを忌み、遇えばすなわち禍を出す。ゆえにいう、食神が殺を制して梟に逢えば、貧ならずとも夭す。羊刃が殺を合するは、財の多きを忌み、財多ければ必ず咎を生ず。ゆえにいう、「財生殺党、夭折童年。」

又曰:食神固能制殺,而傷官亦能制殺,便傷官不如食神之力。夫羊刃固能合殺,而傷官亦能合殺,但傷官不如羊刃之勢顯。陽日傷官能制殺,而不能合殺,如甲日見丁為傷官,能制庚金之殺,而不能合庚是己。陰日傷官能合殺,而自剋制殺,如乙日見丙為傷官,難合辛金之殺,自能制辛是已。

またいう:「食神」はもとよりよく殺を制す、「傷官」も同様によく殺を制すが、ただ傷官は食神の力に及ばない。「羊刃」はもとよりよく殺を合す、傷官も同様によく殺を合すが、ただ傷官は羊刃の気勢のように顕赫でない。陽日干の傷官はただ殺を制するを得て殺を合する能わず。たとえば甲木日主が丁火を見れば傷官で、丁はよく庚金の殺を克制するが、庚を合すことはできない。陰日干の傷官はすなわちよく殺を合し、また自ら殺を克する。たとえば乙木日主が丙火を見れば傷官で、丙は辛と合を作すれども真に辛金の殺を合すこと難し、しかし丙火自身はよく辛金を克制する。

己曰:殺一也,而馴服為用有二,制與化是也。制殺者,食神也,所謂服之以力也。化殺者,印綬也。所謂服之以德也。與其制之以力,不若化之以德,故《通明賦》云:“制殺不如化殺高。”制化不可並立,有制不必有化,有化不必有制。倘若化神弱,制神強,施恩有不足之怨,化神旺,制神衰,臨事無禁制之能。

またいう:殺は一つであるが、これを馴服して我が用と為す法は二条ある。すなわち「制」と「化」である。殺を制するは「食神」に頼り、これを力をもって服せしむという。殺を化するは「印綬」に頼り、これを徳をもって感化すという。力をもって硬く制するに如かず、徳をもって転化せしむ。ゆえに《通明賦》にいう:「制殺不如化殺高。」制と化とは並び立つべからず。制あれば化あるに及ばず、化あれば制あるに及ばず。もし化神弱くして制神強ければ、恩を施すこと足らずして怨望を招くがごとし。化神旺にして制神衰えれば、事に臨みて禁止約束の能なきがごとし。

古歌云:時上偏官一位強,本身健旺富非常。年月並無官財殺,獨於時位最相當。又曰:時土一位貴,藏在支中是。日主要剛強,利名方有氣。補曰:此言時支偏官,如甲逢申時,乙逢酉時之類,乃藏在支中者也,日主強旺,名利必振,惟忌身弱,百力不能勝也。

古歌にいう:「時上偏官一位強、本身健旺富非常。年月並無官財殺、独於時位最相当。」——時上にただこの一位の偏官あって気勢強く、日主また健旺なれば、大富となる。年月の間に別の官・財・殺の来たりて攪擾するなく、ただ時位のこの一点が最も妥当である。またいう:「時上一位貴、蔵在支中是。日主要剛強、利名方有気。」補っていう:この一首は時支の中に蔵する偏官を講ずるもので、たとえば甲木日主が申時に逢い、乙木日主が酉時に逢う類で、殺は干に透らずして地支の中に伏する。かかる格局は日主の強旺を要して、名利は必ず振発する。ただ身弱を忌むのみで、身弱なれば百般力を用うとも担い勝てない。

又曰:時上偏官喜刃沖,身強制伏祿豐隆。正官若也來相混,身弱財生主困窮。補曰:時上偏官,如甲日見庚干,乙日見辛干之類,不怕沖刑羊刃故也。《繼善篇》去云:“時上官喜刃喜沖,”日主生旺,年月有食制伏,所謂食居先,殺居後,功名兩全,爵祿豐厚,不喜正官來混。有兄不顯其弟,加以身勢衰弱,財生殺黨,必主貧寒困苦,所以不遂。

またいう:「時上偏官喜刃冲、身強制伏禄豊隆。正官若也来相混、身弱財生主困窮。」補っていう:時上偏官とは、甲木日主が庚の干を見、乙木日主が辛の干を見る類で、それは冲をも畏れず刑をも畏れず羊刃をも畏れない。《継善篇》にいう:「時上偏官喜刃喜冲。」ただ日主の生旺し、年月の間にまた食神の来たりて制伏するあれば、すなわちいわゆる「食居先、殺居後」で、功名と爵禄と両全して豊厚である。ただ「正官」のさらに来たりて混雑するを喜ばない。兄あればすなわち弟を顕さず。加うるに身勢の衰弱し、「財」のまた殺党を資するあれば、すなわち必ず貧寒困苦を主り、事事遂げられない。

又曰:時上偏官一位強,日辰自強貴非常。有財有印多財祿,註定天生作棟樑。補曰:時上偏官,只喜一位,四柱中不要再見。日主自旺,如甲寅乙卯,或生於寅卯日之類,則身殺兩強,富貴過人,有財則時殺有根,有印則化殺生身,財馬官祿,自然興旺。

またいう:「時上偏官一位強、日辰自強貴非常。有財有印多財禄、注定天生作棟梁。」補っていう:時上偏官はただ一位あるを宜しく、四柱の中に再び第二位を現ずるを要せず。日主はよく自ら旺なるを要し、たとえば甲寅・乙卯のごとき自ら禄刃に坐するか、あるいは寅・卯の日に生まるる類である。かくすれば身と殺と両辺ともに強く、富貴は常人に過ぎる。命の中に「財」あれば、時上の殺は依るべき根源あり。「印」あれば、殺を化して転じて身を生ずるを得る。財馬と官禄と兼備して、自然に興旺発達する。

又曰:時逢七殺是偏官,有制身強好命看。制過喜逢殺旺運,三方得地發何難。補曰:時逢七殺,乃是時上偏官格。身旺有制,如有一位殺,則有一位制,乃有貴人。文章振發,當作好命看。若有兩三位制人太,則為制伏太過,逢殺旺三合,得地之運,其發達也,勃然不可遇。苟制伏太過,而又不能行殺旺之運,雖文過李杜,終不能顯。

またいう:「時逢七殺是偏官、有制身強好命看。制過喜逢殺旺運、三方得地発何難。」補っていう:時上に七殺に逢えば、すなわち「時上偏官」格である。身旺にして制伏あり——一位の殺あればすなわち一位の制神を配す——すなわち貴人の命で、文章これにより振発し、まさに好命と看るべきである。もし二三位の食傷来たりて制すること太くあれば、すなわち制伏太過となる。この種の命はひとたび殺旺・三合會局して殺に地を得る運に逢えば、発達すること勃然として興り、遇い止むべからず。されど制伏すでに太過にして、またあいにく殺旺の運に行き至ること能わざれば、文才は李・杜に勝るとも、終に顕達すること能わず。

又曰:無理制伏運須見,不怕刑沖多殺攢。若是身衰惟殺旺,定如此命是貧寒。補曰:偏官有有制伏,不宜運再見。若當生原無制伏者,喜行制伏運,月上偏官,怕刑沖多殺之攢。時上偏官,不怕三刑六害羊刃沖破,多殺攢聚,惟喜身強殺淺。若是殺重身輕,終身有損,縱不夭壽,定是貧寒。

また言う:「制伏が無ければ、運に見るを須(すべから)し;刑沖を怕れず多殺が抔(あつ)まっても。もし身衰えてただ殺旺ならば、定(さだ)めてこの命は貧寒と知る。」補って言う:偏官に原局ですでに制伏がある者は、行運でさらに制神に遇うを宜としない。原局にもともと制伏が無い者だけが、制伏の運を行くを喜ぶ。月柱上の偏官は、刑を怕れ・沖を怕れ・衆殺の抔まりを怕れる;時柱上の偏官はそうではなく、三刑六害を怕れず、羊刃の冲破も怕れず、多殺の抔聚さえ怕れず、ただ身が強く殺が浅いことを喜ぶ。もし殺が重く身が軽ければ、一生つねに損があり、たとえ夭寿に至らなくとも、定めて貧寒の命である。

又曰:時逢七殺本無兒,此理人當仔細推。歲月時中知有制,定知有子貴而奇。補曰:時上偏官建祿,主克子。若歲月中有食神制伏,或刃合,不惟有子,而且貴。故曰:時上偏官有制,晚子英奇。《四言獨步》云:時殺無根,殺旺取貴。時殺多根,殺旺不利。補曰:且如庚用丙為殺,生於寅,旺於巳午,庫於戌,乃殺之根也。《格解》以為根,亦是。若時干虛露,既無根氣,又無財生,運動殺旺,富貴可得,如三合得地,既多要根氣,又有財生,再行殺旺之鄉,反不利,而貧苦者多矣。

また言う:「時に七殺に逢えば本(もと)より児無し、この理は人まさに仔細に推すべし。歳月時の中に制あるを知れば、定めて子有りて貴く奇なるを知る。」補って言う:時上の偏官がまた建禄に逢うは、子を克するを主る。もし年・月の中に食神が来てこれを制伏し、あるいは刃がこれと合すれば、子があるのみならず、その子はまた顕貴となる。ゆえに言う:時上の偏官に制あれば、晩年の子は英奇である、と。《四言独歩》に言う:「時殺に根無ければ、殺の旺なるを取(えら)ぶ貴となす。時殺に根多ければ、殺の旺なるは利ならず。」補って言う:たとえば庚金が丙火をもって殺となすとき、丙火は寅に長生し、巳午に旺し、戌に庫る、これが殺の根である。《格解》がこれらを根となすも、また是なり。もし時干の殺がただ虚しく露すのみで、すなわち根気も無く、また財も生じなければ、行運が動かして殺を旺にすれば、富貴を得るべし;反対に三合が地を得て、すなわち根気が多く、また財がこれを生じれば、さらに殺旺の郷に行くはかえって不利で、貧苦の者は多い。

乙丑 乙酉 辛巳 甲午,東鄉徐少初貴命金火相停金重火輕格。楠曰:辛金坐酉旺成行,火練秋金大異常。金旺火輕宜火運,少年早折桂枝香。辛生酉月,喜得酉丑全成金局,喜得時上一點火神得祿,時上一位貴也。明矣。大抵金氣全局,金氣還勝,所以行午運,甲午流年,中鄉試,聯登黃甲。有乙未年生人,少了一點金,午字運不好,所以金宜旺也。

命造:年柱乙丑、月柱乙酉、日柱辛巳、時柱甲午は、東鄕の徐少初の貴命で、「金火相停じて金重く火軽し」の格に属す。張楠の詩にいう:「辛金は酉に坐して旺ぶ行(ぎょう)を成し、火は秋の金を練ること大いに異なり。金旺じ火軽きは火運を宜しくす、少年早く桂枝の香を折る。」辛金が酉月に生まれて、喜ばしいことに年支の丑と月支の酉が会して金局を成し;また喜ばしいことに時支の午の中の一点の丁火が禄を得て、これが「時上一位貴」である。明らかである。おおむね金気はすでに全局を成して、金気がなお優(すぐ)れる。ゆえに午運に行き、また甲午の流年に逢い、郷試に中り、つづいて黄甲に連なった。別に乙未年生まれの人がありて、ただ一点の金が少なく、午字の運はよくなかった——この格では金はやはり旺ぶを宜とする。

丁亥 壬子 辛巳 丁酉,臨舒尚書貴命金白水清水制火過格。楠曰:辛生子月水金清,留殺沖官格局明。金冷水輕重畏水,宜行火運展經輪。去留舒配,用格明矣。年上七殺,壬水去之。日上正官,亥中太壬水去之。惟存時上丁火,作時上一位貴格。但十一月之火,風寒之候,火氣衰弱為病,畏金水之鄉,宜丙丁戊己之運,真貴人也。裝蓋丙丁能助起衰殺也,戊己能制壬癸水也。

命造:年柱丁亥、月柱壬子、日柱辛巳、時柱丁酉は、臨舒尚書の貴命で、「金白水清きにして水が火を制すること過(あまり)多し」の格に属す。張楠の詩にいう:「辛は子月に生まれて水金清し、殺を留めて官を衝く格局明らかなり。金冷たく水軽きは重ねて水を畏れ、宜しく火運を行いて経綸を展ぶべし。」官殺の去留の配(はい)は、この命において最も明らかに見える:年干の丁火は本(もと)「七殺」であるが、月干の壬水に合去された;日支の巳中の丙火は本(もと)「正官」であるが、亥中の壬水に去られた。残るはただ時干の丁火で、ちょうど「時上一位貴」の格を成す。ただ十一月の火は風寒の候にあたり、火気が衰弱するを病とする。ゆえに金水の郷に走るを畏れて、丙・丁・戊・己の運を行くを宜とす——それが真の貴人の運である。丙・丁は能く衰えた殺を助け起こし、戊・己は能く壬・癸の水を制するからである。

附・官殺去留雑格

《喜忌篇》云:類有去官留殺,亦有去殺留官。補曰:此乃五行遇月支偏官節中兩句。《格解》不明,摘附於此,全己論在偏官格下。《三車一筧》論官殺去留之說,亦附於此,有可去官留殺者,即以偏官論。有可去殺留官者,即以正官論。凡看去官留殺,去留官者,要看四西柱中官殺孰輕,天干透出者易去,月支所藏者難云,須得四柱去官殺之物眾而有力,方才支得。去官殺之物,傷官食神是己。

《喜忌篇》にいう:「官を去りて殺を留める有り、また殺を去りて官を留める亦(また)有り。」補って言う:これは《喜忌篇》の「五行、月支の偏官に遇う」節の中の二句である。《格解》の講説が明らかでないので、摘出してここに附す;完全な議論はみな「偏官格」の名の下にある。《三車一覽》の官殺去留を論ずる説も、あわせてここに附す:およそ官を去って殺を留めるべき者は、すなわち「偏官」をもって論ず;殺を去って官を留めるべき者は、すなわち「正官」をもって論ず。おおよそ官を去って殺を留め、あるいは殺を去って官を留めるを看るには、まず四柱の中の官と殺のいずれが軽いかを看るべきである:天干に透した者は去り易く、月支の蔵に在る者は去り難い;必ず四柱の中に官殺を去る物が多くして有力なるを得て、こそ支え得る。官殺を去り得る物とは、「傷官」と「食神」である。

《喜忌篇》云:神殺相絆,輕重較量。《繼善篇》云:歲月時中,大怕官殺混雜。《易鑑》云:天地人元分五音,陰陽妙決審其真。去留舒配須參透,福中間間理自明。《萬金賦》云:官星怕行七殺運,七殺猶畏官星臨。官殺混雜當壽夭,去殺留殺仔細尋。留殺去殺莫逢殺,留殺去官莫逢官。官殺受傷人必夭,場宜財格定前程。

《喜忌篇》にいう:「神と殺相い絆(ほだ)すれば、軽重を較量す。」《継善篇》にいう:「歳月時の中に、大いに怕(おそ)るるは官殺の混雑なり。」《易鑑》にいう:「天元・地元・人元は分かれて五音に属し、陰陽の妙決はその真を審(つまび)らかにするに在り。去留・舒配は須(すべから)く参透すべし、福の中間々の理は自(おの)ずから明らかなり。」《萬金賦》にいう:「官星は七殺の運に行くを怕れ、七殺は猶お官星の臨を畏る。官殺の混雑は寿夭にあたり、殺を去るや殺を留めるや仔細に尋ねよ。殺を留め殺を去るは殺に逢うこと莫く、殺を留め官を去るは官に逢うこと莫かれ。官殺が傷を受けば人必ず夭り、そのとき宜しく財格を取って前程を定むべし。」

《三車》云:合官星不為貴,合七殺不為凶。何與?日經言合官星,柱中閒神合去官星,所以不為凶。又曰:大抵凶神有物合去,則反凶為吉。吉神有物合去,則反吉為凶。凶神:七殺、羊刃、劫財、偏印、梟神、傷官之神是也。吉凶神殺,又看格局,喜何神,忌何神,不可執一而論。

《三車一覽》にいう:「官星に合われるは貴となさず、七殺に合われるは凶となさず。」何の理ぞや。経の言う官星に合うとは、柱中に関わりのない閑神が官星を合い去るを指し、ゆえにその官は貴とならず;同じく七殺が合い去られれば、凶ともならず。またいう:およそ凶神が別の物に合い去られれば、凶を反して吉と為し;吉神が別の物に合い去られれば、吉を反して凶と為す。凶神とは、「七殺」「羊刃」「劫財」「偏印」「梟神」「傷官」の神これである。吉と凶の神殺は、また格局を看て、何の神を喜び、何の神を忌むかによるべく、一に執して論ずべからず。

《集說》云:貪合忘殺,貪合忘官。如六癸日生人,干頭透露己字,乃是癸家七殺。如再甲字,乃是己家合神,則合去己字,不為殺矣,此謂貪合忘殺,陰日以傷官而合也。又如六壬日生人,干頭出己字為官星,如見甲子透出,乃是己家全神,合去己字,不為官星,此謂貪合忘官陽日以食神而合屆。

《集説》に「貪合して殺を忘れ、貪合して官を忘る」と講ず。たとえば六癸日に生まれた人が、干頭に己の字を透かせるとき、己土はまさに癸水の「七殺」である;もし甲の字を見れば、甲は己と合する合神で、己の字を合い去り、それはもはや殺でない——これを貪合して殺を忘るといい、陰日干が「傷官」をもって合する例である。またたとえば六壬日に生まれた人が、天干に己の字が出でて「正官」となるとき;甲子が透ければ、甲は同じく己土の合神で、己の字を合い去り、それはもはや官星でない——これを貪合して官を忘るといい、陽日干が「食神」をもって合する例である。

又云:壬水相逢陽土時,心懷仇怒起爭非。忽然癸水來相救,合住兇頑不見威。補曰:陽水時逢戊土之類,性情如虎,急躁如風,其常懷不平之氣,偏爭好鬥,忽然癸水之妹,全戊土之殺,則殺頑之氣自消,而威暴不施。如無癸妹來合以救之,則剛暴不己,不免為屠兒獄劊之徒,何嘗有惻陷心也哉。

また言う:「壬水は陽土に相逢う時、心に仇怒を懐きて争非を起こす。忽然として癸水の来りて相い救うに、凶頑を合住して威を見ず。」補って言う:陽水の壬日が戊土のたぐいの七殺に逢えば、その人の性情は虎のごとく猛く、風のごとく急躁で、つねに不平の気を懐き、偏(ひとえ)に争闘を好む。忽然として癸水という妹が出でて、戊土の殺と合せば、あの凶頑の気はおのずから消え、威暴も施す能(あた)わざる。もし癸妹が来りて合い救わんことが無ければ、剛暴の性は収まらず、屠児・獄刽の徒に淪(お)ちんことを免れず、かつて恻隠の心あらんや。ここの癸水は、壬水の日主にとってまさに劫財で、戊癸の相合を取って凶頑の殺を合住する——これが前に言う「凶神に物合い去るあれば、即ち凶を反して吉と為す」の活例である。

又曰:壬逢己土欲為官,驀被青陽起訟端。引誘合將真貴去,致令受挫萬千般。此貪合忘官之例也,蓋亦以食神而合官。補曰:青陽謂甲木也,真貴謂己土之官也。蓋言壬水以己土為官貴,怕傷怕合,苟被甲木合官星而傷之,則貪合忘官。將見忠信而為仇爭,而訟獄之端起,真貴去而為下賤,而萬般之辱受矣,所謂合官星不為貴是己。

また言う:「壬は己土に逢いて官たらんと欲す、蓦(たち)ちに青陽に訟端を起こされん。引誘し合い去りて真の貴を失わしめ、致さしめて挫辱万千般を受けしむ。」これは貪合して官を忘るの例で、同じく「食神」をもって官に合するのである。補って言う:青陽は甲木を謂い、真貴は己土のこの官星を謂う。すなわち壬水は本(もと)己土をもって官貴とし、最も傷るを怕れ・合すを怕れる;いったん甲木が官星を合い去ってこれを傷れば、貪合して官を忘るとなる。そこで本(もと)忠信たるべき者がかえって仇争に陥り、訟獄の端がこれに因って起こり;真の貴が合い去られて、人も下賤に淪じ、万般的屈辱が踵(つ)いで至る——これが正に謂う「官星に合うは貴と為らず」である。甲木は壬水にとって「食神」で、甲己の一合にて官星は食神に牽き去られる。同じ一つの合の字でも、合い去るが七殺なれば禍を転じて福と為し、合い去るが官星なれば福を転じて禍と為す——吉凶はみな合い去られた者のいずれかを看る。

又曰:官殺相連只論星,月干有殺,年干殺星,而月干有官,是謂相連,辦以殺論。年上為官,時上為殺,年上為殺,時上為官,是謂各分,乃為混雜。食神重犯,如甲見二丙,三合為傷官,疊見官星,如甲見二辛,地支重見,只以殺論。殺在干,官在支,是謂露殺藏官。乃以殺言,官在干,殺在支,是謂露官藏殺。只以官論,身勢強健,則力能勝此官殺,多為清貴之言,若身弱無氣,官殺重逢,則禍咎之來,是特一端己也。

また言う:官と殺が彼此相い連なる時は、ただ一種の星をもって論ず。年干に殺あって月干に官あり、あるいは月干に殺あって年干に官ある者、両者が紧(しき)りに並ぶを「相連」といい、いっさい殺をもって論ず。もし年上を官とし時上を殺とし、あるいは年上を殺とし時上を官とする者、彼此が両端に分かれるを「各分」といい、それはこそ混杂である。食神が重ねて犯す、たとえば甲木が二つの丙火を見、三合がまた傷官を成す;官星が疊(た)み見る、たとえば甲木が二つの辛金を見、しかも地支にも重ねて見える——これらはみなただ殺をもって論ず。殺が天干に透り、官が地支に蔵るを「露殺蔵官」といい、即ち殺をもって言う;官が天干に透り、殺が地支に蔵るを「露官蔵殺」といい、即ち官をもって論ず。ただ身勢が強健なれば、力よくこの官殺に堪えて、多くは清貴の命となる;もし身弱く気無くして官殺が重々しきに相逢えば、禍咎の来るは、ただ遅速の間の一端なるのみ。

月支正財格 附・棄命従財格

楠曰:正財者,何也?財為吾性命之物,人見之未嘗不欲。若身主有氣,則能任之,若金寶,若田產,皆我之物也。身弱則不能任,如盜偷人財物,事發則為害命之物也。書云:“逢財喜殺而遇殺,十有九貴。”下場雖是甚是,而不顯言。若用財之人,日干旺,比肩兄弟多,則此比劫,又分奪我之財也。則喜官殺以去其比劫,存起其財星。若身弱財多,再見官殺來克身,則自己性命,且不可保,安得享其財乎?

張楠がいう:「正財」とは何か。財は我が性命を繋ぐ物、人これを見て欲せざる者はいない。日主に気あれば、これに任(た)える——金宝も、田産屋宅も、皆我が物である;日主が弱ければ任えず、それは他人の財物を盗むがごときもので、事露(あら)れればかえって命を害する物となる。命書にいう:「財に逢て殺を喜ぶ、殺に遇う者は十に九の貴あり。」この言の下文は正しいが、理を明らかにしていない。およそ財を用とする人で、日干が旺じて比肩・劫財の兄弟が多ければ、あの比劫がまた来りて我の財を分奪する——この時は官殺を喜んで比劫を去らせ、財星を存起する。反対に、身弱くして財が多く、さらに官殺が来りて身を克すれば、我が性命さえ保てず、いずくんぞその財を享けんや。

其財官星多,若身主旺,則喜食神傷官以生起其財神。若身主弱,財星多,則喜兄弟比劫以分之,父母印運以助之。凡用偏財者,多主富貴,用正財者多不及。蓋陰克增愛分明,陽克陽,財神有氣,用時日偏財尤美。此乃試驗之多,故多用偏財者為上格,亦有財神親功,若有比肩間隔,不純和,亦不美,此係五行之正理。

命に財星と官星がともに多い時:もし日主が旺なれば、「食神」「傷官」をもって財神を生起するを喜ぶ;もし日主が弱くして財星が多ければ、兄弟の「比劫」が来りて我に分かつを喜び、父母の「印」運が来りて我を扶助するを喜ぶ。およそ「偏財」を用とする者は多く富貴を主り、「正財」を取る者は往々にして及ばない。陽が陽を克す偏財は、情意が分明で断(き)れよく、財神に気あり;とくに時柱・日柱上の偏財を取るは美なり。これは張楠が繰り返し験(ため)したもので、ゆえに偏財を用とする者を上格とする。財神は親しく力ありといえども、中に比肩が隔れば、気は純和(じゅんわ)せず、また美ならず——これはみな五行の本有の正理である。

棄命從財格,此則不論陰陽日主皆從也。財乃吾妻,身主無力,不能任其財也,只得舍命而從之。如人自己無主,只得入於妻家,就要生起財星,而亦畏身入財,乃印生之地,即同棄命從殺而論,理出於正。《繼善篇》云:一世安然,財命有氣。

さらに「棄命従財」格:この格は日主の陽干・陰干を論ぜず、みな従う。財はわが妻に譬(たと)うべし;日主に力量が無く、この財に任えず、ただ身を捨ててこれに従う。人がみずから門戸を立て得ず、ただ妻家に入りて財星を生起するを一心とす、がごとし;同時に日主がみずからを生扶する印地に入るを怕れ——そうなれば従(したが)い成らず。この格は「棄命従殺」の理と同じく、皆正理に出る。《継善篇》にいう:「一世安然、財命に気あり。」

補曰:此段亦有二說:或日財命氣,是財星身命俱是氣;或日純言財月居生旺有氣之地,經文多是命字連財說,今人亦云,世人好財命是也。後說強。考之《捷玄妙塊》云:“官乃扶身之本,財為養命之源。”則命為身命也,吸矣。況舊注亦分財命為二,但辭不明快,所以啟淺見者之疑。前說發經文之所未發,明順可以從。如財旺有氣,而身弱者,決不能享安樂之況一世乎。故上篇云:“財多身旺,則多稱意。”又古歌云:則財命當為貴,若是身衰禍便臨。”由此觀之,則財命當炎(三)[二]也,益明矣。

補って言う:「財命に気あり」のこの一句にも二説ある。一説は「財命」を財星と身命の両方に気あると解し;一説はただ財が月令に居りて生旺有気の地にあると講ず。経文は多く「命」の字を「財」の字に連ねて言い、今人も「世人は財命を好む」と言う、ゆえに後の説は読み順じ。しかし《捷玄妙訣》を考えれば「官は身を扶ける本、財は命を養う源」と言う、ゆえにこの「命」はまさに身命で、意は甚だ明らかである。しかも旧注も財と命を二事に分かつ、ただ措辞が明快に足らず、浅見の者の疑を啓いた。前の説は経文の言い尽くさざるを発して、明白順暢、依るべし。財が旺じて気ありて身弱き者が、一時の安楽さえ享け得ざらんや、況(いわ)んや一世の安楽をや。ゆえに上篇に言う:「財多く身旺ければ、即ち多く意に称(かな)う。」古歌にもいう:「財命はまさに貴と為るべし、もし身衰えば禍すなわち臨む。」これより観れば、財と命は二事に分かつべき、ますます明らかである(原文ここに「炎」の字、校記により「二」と読むべし)。

《古鴣鷓天》云:正財有氣喜強,陽取陰財陰取陽,身弱財旺番成禍,身強財旺利名長。只愁官鬼怕空亡,印綬相生榮貴昌。休囚少年不如意,老臨旺運好見興。補曰:假令甲生午日,午中己土,為甲木之正財,而丁火生之。乙生巳月,巳中戊土,為甲木之正財,而丙火生之,是謂身強,正財有氣者最喜也。甲生木之正財,而丙火生之,是謂身強,正財有氣者最喜也。甲生午月,丙酉月,戊生子月,庚生卯月,壬生午月,陰支之陽干之正財也。乙生巳月,丁生申月,己生亥辛生寅月,癸生巳月,取陽支為陰干之正財也。

《古鷓鴣天》にいう:「正財に気あれば身強を喜ぶ、陽干は陰の財を取り陰干は陽を取る、身弱くして財旺ければかえって禍と成り、身強くして財旺ければ利名長し。ただ官鬼の来りて気を盗むを愁い、また財の空亡に落るを怕る;もし印綬の相生あれば、栄貴昌んなり。少年は休囚の地に行きて意に如(じょ)せず、老いて旺運に臨みてこそ興発を見る。」補って言う:たとえば甲木が午日に生まれれば、午中の己土は甲木の正財で、丁火がまたこれを生じ;乙木が巳月に生まれれば、巳中の戊土はその正財で、丙火がまたこれを生ず——これを身強くして正財に気あると謂い、最も喜ぶべし。また甲が午月に生まれ、丙が酉月に生まれ、戊が子月に生まれ、庚が卯月に生まれ、壬が午月に生まれ——これらはみな陰支の蔵する財が陽干の正財を配る;乙が巳月に生まれ、丁が申月に生まれ、己が亥月に生まれ、辛が寅月に生まれ、癸が巳月に生まれ——これらは陽支の蔵する財を取りて陰干の正財とする。歌の言う「陽は陰財を取り、陰は陽を取る」とは、この陰陽相配を指す:陽干は陰支中の蔵財を取り、陰干は陽支中の蔵財を取り、両者が情意相通じて、財こそ真にして気あり。挙げたこれらの月は、みな財星が令にあたり地を得る時で、ゆえに「正財に気あり」と謂う。

如身居休囚死敗,天元贏弱,柱中支干重重,三合財多,非徒無益,則反生殺生災,所謂只怕日干元自弱,財多生殺趕身衰是也。如身居臨官地旺,或注中生扶,而財三合太旺,則富貴利名,聲顯者,所謂財多身量,則我黍意是也。愁官鬼,蓋官鬼乃盜財之氣,克我之身,本為可慮,正財多盜氣,本身自柔之謂也。怕空亡,乃六甲空亡,甲子旬中以戌空亡之類。財落空亡,必貧窘不聚財為可畏。空亡為害最悉人,堆金積主也須貧之衰也。

もし日主が休囚死敗の地に居り、天干の本元もまた羸(や)せ弱く、しかも柱中の干支が重々しく、三合が財局を成して財が多すぎれば、ただ益なきのみならず、かえって財によって殺を生じて災を招く——正に謂う「ただ怕るるは日干の元(もと)自ら弱きを、財多くして殺を生じて身衰を趕(お)う」これである。反対に日主が臨官帝旺の地に居り、あるいは柱中に別に生扶ありて、財がまた三合太旺なれば、富貴利名、声顕なり——正に謂う「財多く身量(りょう)あれば、即ち我意に称う」これである。歌に「官鬼を愁う」というは、官鬼が一面には財の気を盗み、一面には我が身を克すれば、本(もと)より慮るべし;正財が多くなれば気を盗むほど甚だしく、日主は自ずからいよいよ柔弱となる。「空亡を怕る」というは、六甲旬中の空亡を指し、たとえば甲子の一旬は戌・亥を空亡とす。財が空亡に落つれば、必ず貧窘して財を聚(あつ)めず、最も畏るべし。空亡の人を害するは最も深く、たとい金を堆(うずたか)くし玉を積んでも、ついに敗落するを免れざるなり。

印綬相生榮貴昌,蓋言財多身弱,或帶官鬼,有印綬相生,自然富貴榮昌,蓋言財多身弱,或帶官鬼,有印綬相生,自然富貴榮昌。《獨步》云:“先財後印,反成其福。”《通明賦》云:“財逢印助,相如乘駟馬之車。”此之謂也。休囚泊年二句,蓋言四柱既然財多身弱,而年輕休囚之地,亦不如意,不惟不發福,亦且禍患百出。或(未)[未]年夏臨父母之鄉,或三合助旺財輕,則喜財官旺運,忌身旺比劫之鄉,宜輕重較量。亦有身弱全克根氣,滿局財殺,棄命從之者,夏行財官旺鄉,大發者有之,不可以身弱財多斷之。

「印綬相生栄貴昌んなり」の一句は、財多く身弱く、あるいは兼ねて官鬼を帯ぶる命で、印綬の相生あれば、自(おの)ずから富貴栄昌せんと言う(底本はこの句を重ねて出す、文義同じ)。《四言独歩》にいう:「財先んじて印後れんば、反ってその福を成す。」《通明賦》にいう:「財、印助に逢えば、相如の駟馬の車に乗るがごとし。」皆この意を講ず。「休囚して少年意に如せず」の二句は、四柱がすでに財多く身弱くて、若い時また休囚の地に行かば、自然意に叶わず、福を発するのみならず、また禍患百出す。もし晩年の運が父母印綬の郷に臨み、あるいは三合がもと偏軽(へんけい)の財を助起すれば、即ち財官の旺運を行くを喜び、身旺比劫の郷に走るを忌む——軽重を仔細に較量すべし。また別に身弱きて根気尽く克され、満盤すべて財殺にして、因って命を棄てて相従う一類あり、こういう命は財官旺郷に至りてかえって大いに発する者あり、いっさい身弱財多をもって断ずべからず。同じ「財多身弱」の四字にしても、救うべき者有り、救うべからざる者有り、また乾(まつ)ちから命を棄てて相従う者有り——全く日主がまだ根気を留め得るか否かを看る:留め得れば身を補い、留め得ざれば勢に順じて財に従う、両路の取運はちょうど相反する。

《四言獨步》云:陰火酉月,棄命就財。北行入格,南走為災。舉此一段,以例十干財者之斷。楠曰:丁火長生於酉,偏財得位,柱中三金,財多略無根氣,則為棄命就格。運行壬癸亥子之方為北行,多富貴為敵,不能從財,反為禍咎。所謂會逢根氣,命招不情是也。觀此行入格一句,則從財忌殺,又不可泥。

《四言独歩》にいう:「陰火、酉月に生ずれば、命を棄てて財に就く。北行すれば格に入り、南走すれば災為(な)り。」この一段を挙げるは、十天干の財を取る断法の例とする。張楠がいう:丁火は酉に長生し、酉中の辛金は丁火の偏財で、偏財はちょうど位を得た;柱中に三重金あれば、財多くして日主ほとんど根気無く、即ち棄命就財の格を成す。運が壬・癸・亥・子の方位に走るを「北行」と謂い、多く富貴を主る;もし日主がかえって勢を得て財に敵(かな)うれば、財に従わず、かえって禍咎を招く。これが謂う「根気に会逢すれば、命は情に招かざるなり」——根気に逢うは、かえって従格の情に合わざるなり。ただ「北行すれば格に入る」の一句を見れば、従財は必ずしも殺を忌まず、また一説に執(と)るべからざるを知るべし。

辛巳 丁酉 丙寅 己丑,吾郡李志富公富命身旺任財。楠曰:丙生本月火神微,財旺如嫌火氣虧。火少金多宜火地,陶朱倚頓富堪期。丙火雖死於酉,得炎祿於巳,丙火得生於寅,又喜丁火陽刃透天干相扶也。但金氣還勝,火氣還輕,喜運行方,以補其火,所財發數千萬緡。有丙子日干者,只作財多身弱,雖行亦貧也,蓋原無寅宮火也。

命造:年柱辛巳、月柱丁酉、日柱丙寅、時柱己丑は、わが同郡の李志富公の富命で、「身旺財に任う」に属す。張楠の詩にいう:「丙は酉月に生まれて火神微なり、財旺なれば火気の虧(か)くるを嫌う。火少なく金多きは火地を宜しくす、陶朱・倚頓の富期すべし。」丙火は酉に死するも、年支の巳に禄を得、また日支の寅中に長生を得、さらに月干の丁火という陽刃が天干に透りて相扶す。ただ金気はなお優れ、火気はなお軽し。ゆえに運の南方に行きて火を補うを喜び、因って財を発すること数千万緡。別に丙子日干の人ありて、ただ財多身弱と作るのみ、たとい同じ運を行くもなお貧し——その原局に寅宮のあの一点の火が無ければなり。

戊寅 乙丑 丙申 庚寅,蓋雲南一省富命身旺用財格。楠曰:丙火生提向二陽,喜臨財庫更身強。丙丁身旺逢財者,號日真金火倍常。雖不是丙火夏生金疊疊,富有千鍾,凡丙丁旺見金者,但可以此理論之,獨有丙丁見金,為天地之真財,日干者,十有九富。此造喜年時人火得生,又有乙木貼身,則為身旺。且二陽進氣,又喜庚金透出,財神明白,豈不富巳午未月,火返嫌弱,喜火旺,子丑亥月旺也。此則正理之外見也。甲乙生寅卯辰,丙丁生巳午未,庚辛生申酉戌,壬癸生亥子丑,俱要身旺。略喜一二點克神,克多者多貧夭,此理外之見,試之屢中。

命造:年柱戊寅、月柱乙丑、日柱丙申、時柱庚寅は、雲南一省を蓋(おお)う富命で、「身旺財を用る格」に属す。張楠の詩にいう:「丙火の生は提(てい)を二陽に向け、財庫に臨みてさらに身強きを喜ぶ。丙丁身の旺ぶ者が財に逢えば、号(な)づけて真金火は倍常と日(い)う。」この造は、丙火が夏月に生まれて金気が疊疊(じょうじょう)ではないけれど、それでもなお千鍾の富ある。およそ丙・丁の火が旺じて金を見る者は、みなこの理をもって論ずべし;ただ丙丁が金を見るのみが、天地間の真の財と為し、かかる日干は十に九が富む。この造の喜ぶは、年支の寅と時支の寅が火に長生を得させ、また月干の乙木が身に貼(てん)して相生する、ゆえに身旺である。さらに丑月は二陽の進気で、また時干の庚金が透けるを喜び、財神は明白なり、いずくんぞ富まざらん。かえって巳・午・未月に生まるる丙丁は、火が太く旺じて財が弱く見え、あれこそ火の旺を喜ぶという;子・丑・亥月に生まるる丙丁は、火気がかえって旺と算す。これは正理の外に別に一層の見識あるなり。推し広めれば:甲乙木は寅卯辰月に生まれ、丙丁火は巳午未月に生まれ、庚辛金は申酉戌月に生まれ、壬癸水は亥子丑月に生まるるは、みな令にあたる時で、いっさい身の旺を論ず;この類の命は、ただ一二点の我を克する神が来りて修理するを宜とし、克神が多ければ、かえって多く貧夭を主る。これも正理の外の見識で、張楠は屡々試して屡々中った。

丙寅 甲午 丁酉 乙巳,新坪吳楚四公富命火長夏天金疊疊格。楠曰:丁生五月火雖炎,火旺金多富自然。金少火多斯有病,運行金水發轟天。丁火祿旺於年,年月比戶火神太旺,所以祖財輕也。蓋得巳酉結成金財局,身旺用財,丙丁火旺見庚辛,乃天地之真財。凡丙丁弱者,返否,屢試屢效。但用庚辛金財星見子運者,多死,蓋因金死於子也。此造大運入酉財輕,喜行財旺之運,一發轟天,一入子運問死刑,富則依然也。

命造:年柱丙寅、月柱甲午、日柱丁酉、時柱乙巳は、新坪の呉楚四公の富命で、「火が夏に長じて金疊疊」の格に属す。張楠の詩にいう:「丁は五月に生まれて火は炎なれど、火旺じ金多ければ富は自ずから。金少なく火多ければこれ病あり、運が金水に行れば轟天に発す。」丁火は年支の寅に生を得、月支の午に禄旺を得、年月の間は比肩劫財が連なり、火神が太く旺じる——ゆえに祖の財が軽い。幸い時支の巳と日支の酉が会して金局を結び財と為し、身旺して財を用る;丙丁の火が旺じて庚辛の金を見るは、まさに天地間の真の財である。およそ丙丁が衰弱する者はかえって否(あし)く、この一条は張楠が屡々試して屡々験あり。ただ庚辛の金をもって財星と用うる者は、一たび子運に遇えば多くは死す、金が子に死するがゆえ。この造は大運が酉に入る時は財がなお軽く、財旺の運に行くを喜んで、一至れば轟々と発した;子運に一入するを待って、彼は死罪を問われたが、家の富厚はなお旧のごとしであった。

甲辰 丙子 己未 戊辰,臨忠所貴命土重木輕格。楠曰:日主幹強七殺輕,財來資殺養精神。殺藏官露真為貴,年少高登虎榜人。己未日干,身坐木庫,再加年時,重重見土,然己土雖生弱月,比多亦能化弱為旺能用財,喜財結局,且成財庫。然戊己土多來損財神為病,又得四柱有甲乙之木,暗來破戊己為藥也。但子月之木枯,喜運東方,旺助衰木之氣,以破己土也,早年科第宜矣。若原木旺,則畏東方矣。此原木輕,而喜旺運也。

命造:年柱甲辰、月柱丙子、日柱己未、時柱戊辰は、臨忠所の貴命で、「土重く木軽き格」に属す。張楠の詩にいう:「日主は干強くして七殺軽し、財来りて殺を資(たす)け精神を養う。殺蔵れ官露るるは真に貴と為り、年少くして高く虎榜に登る人。」己未の日干は未という木庫に坐し、さらに年・時の両柱に重々しく土を見る。己土は水旺の子月に生まれて弱く見えるも、比劫が多ければ能く弱を化して旺と為し、因って財に任える;喜ばしきは月支の子水が財局を結び、辰・未がまた財庫を成す。ただ戊・己の土が多すぎて、来りて財神を損傷するを病と為す;幸い四柱に甲・乙の木ありて暗に戊己を破る、これが薬である。ただ子月の木は枯槁して力無し、ゆえに運の東方に行くを喜び、衰木の気を扶旺して己土を克制せしめ、年少にして科第に登るも、また情理の中にある。もし原局の木が本(もと)より旺ならば、かえって東方を畏る;正に原局の木が軽きがゆえに、木旺の運を喜ぶのである。

丁卯 乙巳 丙寅 丁酉,夫人貴命火長夏天金疊疊格。楠曰:丙火身強財亦強,旺夫更喜入財鄉。財神結局原豐厚,子秀夫榮大異常。丙火身旺逢財者,非特男人富貴,女命逢之,亦主子貴夫榮。蓋得己酉真財結局,原財頗輕,西方補起神,夫為太守,金珠滿局,豈不宜乎?

命造:年柱丁卯、月柱乙巳、日柱丙寅、時柱丁酉は、ある夫人の貴命で、「火が夏に長じて金疊疊」の格に属す。張楠の詩にいう:「丙火は身強く財もまた強し、夫を旺するはさらに財鄕に入るを喜ぶ。財神が局を結ぶはもとより豊厚にして、子秀れ夫栄えて大いに異なり。」丙火の身旺が財に逢うは、特に男命の富貴のみならず、女命がこれに逢えば、また子貴く夫栄ゆるを主る。この造は巳・酉の相合を得て真財の局を成す;ただ原局の財はなお軽しと嫌う、運が西方の金地に行きてはじめて財神を補い起こす。その夫は官して太守に至り、家中に金玉珠寶が満堂——あに当然ならざらんや。

壬辰 戊申 癸卯 丙辰,參政妻財旺生格。楠曰:生申戊土透夫星,財旺生夫格本明。運入南方夫旺地,相夫相子步雲程。癸水合成火局,身主不柔,夫星氣輕,正謂有病方為貴也。行南方財運旺夫,夫子貴顯,豈偶然哉?

命造:年柱壬辰、月柱戊申、日柱癸卯、時柱丙辰は、ある参政の夫人の命で、「財旺夫を生ず格」に属す。張楠の詩にいう:「申に生じて戊土は夫星を透かし、財旺して夫を生ずるは格もとより明らか。運が南方の夫旺の地に入れば、夫を相(たす)け子を相けて雲程を歩む。」癸水は申月に生まれて柱中に火局を会合成し、日主は柔弱ならず;月干の戊土という夫星は気がなお偏(かたよ)り軽し——正に謂う病あってしかる後に能く貴を成すなり。行運が南方に走れば、火は彼女の財、また土の夫を生ず、財旺して夫旺し、ここにおいて夫と子ともに貴顕——あに偶然ならんや。

辛酉 庚子 戊子 癸亥,富女命夫輕行夫旺運格。楠曰:戊臨子日坐財星,最上夫星格局明。最喜運行夫旺地,相興夫子有聲名。戊子日主,財星太多也。若旺弱看,則中甲木,夫星極衰,再加庫辛金損甲,運入東方助夫生子發達。但身主弱,雖一生發財,而身常有疾病也。故財官太旺,日主太弱,父母家極貧,夫家極興,入巳庚克去夫星而死矣。

命造:年柱辛酉、月柱庚子、日柱戊子、時柱癸亥は、富家の女命で、「夫星軽くして夫旺の運を行く格」に属す。張楠の詩にいう:「戊は子日に臨みて財星に坐す、最上の夫星は格局明らかなり。最も喜ぶは運が夫旺の地に行かんことを、夫子を相興して声名あり。」戊子の日主は、坐下と四囲がみな水で、財星は多すぎる。もし旺衰をもって看れば、時支の亥中に蔵する甲木がすなわち夫星であるが、極めて衰弱す;さらに年・月の辛金・庚金が来りて甲木を損傷す、ゆえに必ず運を東方に行きて、こそ夫を助け子を生じて発達する。ただ日主それ自身が弱く、一生財を発するといえども、身はつねに疾病あり。財と官がともに太く旺じて日主が太く弱し、ゆえに彼女の娘家は極めて貧しく夫家は極めて興る;運が巳に進むを待ち、庚金が巳に生を得て夫星を克去せば、彼女はすなわち世を去った。

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