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印綬格

明 · 张楠 · 第7巻 / 24

作盤ガイド: 八字作盤

楠曰:正印偏印格者,如父母生身之義也,蓋日主得其資助。書云:“印綬生月利官運,畏入才鄉,蓋財乃破印之氣也。”此亦書之死路,非通變之道也。然四柱印星太旺,日主有氣,印疊生身,如人元氣本旺,再服補藥,生可存乎?此則幾用見屠以破印也。四財少,必須運上財神為吉。又若日主根輕。印星又弱,最畏財星,謂之貪財損印,宜也。

張楠がいう:謂うところの「正印」「偏印」格は、父母の身を生養するの義を取る、日主はこれによりて資助を得。書に講ず:「印綬は月令に在りて、官運に行くに利あり、財鄕に入るを畏る、財は即ち印を破るの気なればなり。」これもまた書上の死の路数にして、通権達変の道にあらず。四柱の印星が太く旺じ、日主それ自身に気ありて、印星が層層に身を生ずるを設(も)くば、たとえば人の元気がもとより充足して、さらに補薬を拼命に服すれば、かえって受け得るや。この種の情形は恰好に財星を用いて印を破るを要す。原局の財少なき者は、必ず大運上の財神に頼りてこそ吉なり。反対にもし日主の根基が単薄、印星もまた弱ければ、それはこそ最も財星を怕る、「貪財壊印」と謂う、財を忌むは対(たい)なり。

又有真印假印,如丙日生人,生臨亥月,或用亥月甲木作假印地也。十月木氣,根桔葉落,則此衰木,宜行東方木旺之地,以輔助其根氣,則枯苗得雨,勃然而興,畏巳酉丑運,沖剋其木,尤畏行西方申辛本,天干地支俱全,損傷尤甚。若天干得壬癸甲乙丙丁蓋頭,雖禍亦淺,又若丙丁日主,臨寅卯多根之地,謂之真印也。

印にはまた真假の分かちあり。たとえば丙火の日主が亥月に生まれて、亥中に蔵する甲木を取りて印と為せば、これを「假印」と謂う、木は併(あ)せて令にあたらざればなり。十月の木は根枯れ葉落ち、かくのごとき衰弱の木は、東方の木旺の地に走りてその根気を培助するを宜とす、たとえば枯苗の雨を得るがごとく、勃然として興る;最も怕るるは巳酉丑の金運の来りてこれを冲克する、尤も怕るるは西方の申酉と庚辛に走る、天干地支に金気は俱に備わりて、損傷は格外に重し。もし天干に壬癸の水ありて金を化して木を生じ、あるいは甲乙の木ありて身を幇(たす)け、あるいは丙丁の火ありて金を制して上に蓋(おお)わば、たとい禍あるもまた浅し。反対に、丙丁の日主が寅卯のごとき木気に根ある月に生まれれば、それはこそ「真印」と謂う。

若印多不畏財星,日主輕,如只有一二點印,亦畏財也。大抵木不能勝金,謂之印綬被傷。倘若榮華不久,真假印辯,不可不究。財、官、印、殺、食神、傷官,此六乃日干月令。正格外有陽刃格!此係日月相通。出此之外,或虛邀財官,或刑合財官,或暗拱財官,或沖搖財官,亦幾近理。說見小文。

印星が多ければ財星を怕れず;日主が軽くして、柱中にただ一二点の印ある者は、同じく財を怕る。大体木は金に敵(かな)えず、木印が金に克されば、これを「印綬傷せらる」と謂い、かかる人はたとい栄華あるもまた長く久しからず。真印假印の分辨は、細かく究めざるべからず。財・官・印・殺・食神・傷官のこの六種は、日干と月令の関係に就きて立てる正格なり;正格の外にまた「陽刃格」あり、これは日主と月令とが同気相通じて成る。これ以外に、また虚に財官を邀(もと)め、刑して財官を合し、暗に財官を拱(かが)め、冲して財官を動かすの幾類の取法あり、また大致に理に合す、詳しくは後文の各条に見るべし。

《繼善篇》云:官刑不犯,印綬天德,年月日時支同一宮分。固通格解,謂但四柱中俱有,乃同一命宮分,不必一支。如甲寅丙寅丙寅丁酉,是天德在丁,月德在丙,印綬在寅。如庚申庚辰庚子壬午,是天德月德俱在壬,印綬在辰,天德與印綬同一命宮是己尤通。嚴陵命書謂天月二德星,在日上為的,他處見不當作德論。

《継善篇》にいう:一生に刑獄を犯さざる人は、命中に印綬と天徳ありて、しかも年月日時の地支は同一の宮分に帰す。この言の通行の解釈は:ただ四柱中に印綬と天徳と倶に備わり、同じく一個の命宫に属すれば即ち可とし、必ずしも同じ一個の地支に挤(よ)るを要せず。たとえば甲寅・丙寅・丙寅・丁酉のこの一命は、天徳は丁に在り、月徳は丙に在り、印綬は寅に在り。またたとえば庚申・庚辰・庚子・壬午のこの一命は、天徳月徳は俱に壬に在り、印綬は辰に在り、天徳と印綬とは同じく一個の命宫に処す、いよいよ通順なり。《厳陵命書》は則ち天徳・月徳の両星は日柱上に落つるを要してこそ数と為す、別処に落つるは徳神として論ずべからず、と言う。

古歌云:月逢印綬喜官星,運入官鄉福必清。死絕運臨身不利,後行財運百無成。補曰:甲乙在亥子月生,丙丁在寅卯月生,戊己在巳午月生,壬癸在申酉月生,庚辛在辰戌丑未月生,或在巳午月生,皆是月逢印綬也。若四柱中元有官星,乃是官印相生,方為貴人,誠印綬格所最喜者也。若行官鄉運,則發福幾清厚。行死絕運,輕則災疾損傷重則死亡孝服。若行財鄉,貪財壞印,其禍百端。

古歌にいう:「月に印綬に逢えば官星を喜び、運が官鄕に入れば福は必ず清し。死絶の運が臨めば身に利ならず、後に財運を行けば百として成ること無し。」補って説明す:甲乙木は亥子月に生まれ、丙丁火は寅卯月に生まれ、戊己土は巳午月に生まれ、壬癸水は申酉月に生まれ、庚辛金は辰戌丑未月あるいは巳午月に生まるるは、皆月令に印綬に逢うに属す。もし四柱にもとより官星あれば、便ち官が印を生じ印が身を生ずる「官印相生」で、こそ貴人と成る、正にこれ印綬格の最も喜ぶ配置なり。官星の鄕の運を走れば、福気は清厚なり;印星の死絶の運を走れば、軽ければ災病損傷、重ければ死亡あるいは喪服の痛に遭う;財鄕の運を走れば、貪財壊印して、禍端は百出す。

又曰:重重生氣若無官,常作清高技藝看。官殺不來無爵祿,總為技藝也孤寒。補曰:月生日干年時俱有印綬,是謂重重生氣也,有官方作貴推。若無官殺,非技藝之流,則庸常之輩。總為清高之藝,亦不錫免孤若寒微而已。所謂印綬旺而子息稀是已。

また言う:「重々の生気、もし官無ければ、常に清高の技芸と作して看る。官殺の来らざれば爵禄無く、総て技芸としても孤寒なり。」補って説明す:月令が日干を生扶し、年柱時柱にまた俱に印綬あれば、これを「重々の生気」と謂う;必ず官星あらば、こそ貴命に按じて推すべし。もし官殺無ければ、一技の長に頼りて生を営む人ならざれば、即ち庸常の輩なり;たとい操るところは清高の技芸といえども、孤单寒素を免かるべからず。謂うところの「印綬旺じて子息稀なり」とは、正にこの種の命を言う。

又曰:印授干頭重見比,如行運助必傷身。莫言此格無奇妙,運入財鄉福綠真。補曰:印綬生月,干頭重重,一見印綬之比肩,又行印旺之運,必傷身。所謂木賴水生,水盛則木漂,術逢壬癸水漂流,日主無根枉度秋是巳。印旺遇財乃發,須入財鄉運,乃能發福發祿,如水盛木漂,必須行敗運,以土制木,則木植其根為福,所謂歲運若行財旺也,反凶為吉遇王侯是也。《格解》所謂印綬畏入財鄉之句,不可抱泥是也。

また言う:「印綬は干頭に重ねて比を見る、もし運に助を行けば必ず身を傷る。この格に奇妙無しと言うこと莫かれ、運が財鄕に入れば福禄は真なり。」補って説明す:印綬が月令にあたり、天干にまた層層に印を透かせ、さらに印と同類の比肩を見て、また印旺の運を走れば、必ず身を傷る。これが謂う木は水に頼りて生ずといえども、水が一たび多くなれば木はかえって漂えり;命書に言う木は壬癸に遇えて漂流し、日主は根無くして虚しく光陰を度る、これなり。印旺の命は財に遇えばこそ発す、須(すべか)らく財鄕の運に走るを要し、こそ福を発し禄を発する能う。たとえば水盛んにして木漂えるは、必ず水を制する能う運を走るを要し、土を用いて水を堵(ふさ)ぎ去れば、木はこそ根を植えて福を成す。謂うところの歳運がもし財旺を行けば、凶を反して吉と為りて王侯に遇う、これがその理なり。《格解》のあの句「印綬は財鄕に入るを畏る」は、拘泥死守すべからざるなり。

又曰:印綬官星旺氣純,傷官多遇轉精神。如行死絕並財地,無救反為泉下人。補曰:印逢官星,如值所喜,則為旺氣純也。傷官多遇,值如所忌,則不免轉而不精神也。舊文原是如此,而或者改旺氣為運氣,改傷官為偏官,以轉精神為有精神則非也。

また言う:「印綬官星は旺気純なり、傷官多く遇えば転じて精神す。もし死絶ならびに財地に行けば、救い無くしてかえって泉下の人と為る。」補って説明す:印綬が官星に逢うは、正にその喜ぶところに値(あ)う、ゆえに旺気純粋と謂う;傷官に遇うこと多ければ、則ちその忌むところに値う、気機は便ち転じて萎頓振るわず。旧本の原文はもとよりかくのごとし、しかるに或る人は「旺気」を改めて「運気」と為し、「傷官」を改めて「偏官」と為し、「転じて精神す」を講じて「精神あり」と為す、皆錯(あやま)りなり。

又曰:印星偏者是梟神,柱內最喜見財星。身旺遇之方是福,身衰梟旺更無情。補曰:印星偏者,如甲生亥月,乙生子月之類。無食則為偏印,有食則為梟神。柱中見偏財正財則吉,故曰偏印遇財乃發,又曰偏財能益(算)〔壽〕逢年,身旺遇之吉。若身弱逢梟旺,則為禍矣。所謂梟神興,而早年夭折是也。

また言う:「印星の偏なる者はこれ梟神、柱内に最も財星を見るを喜ぶ。身旺してこれに遇えば方(まさ)にこれ福、身衰えて梟旺ければさらに情無し。」補って説明す:謂うところの偏印は、印星と日主と陰陽の同じきを指し、たとえば甲木が亥月に生まれ、乙木が子月に生まるるのたぐい。柱中に食神無き時はそれはただ「偏印」と呼ぶ;一旦食神ありてそれに奪われれば、即ち「梟神」と呼ぶ。柱中に偏財あるいは正財を見れば便ち吉、ゆえにいう偏印は財に遇えばこそ発すと;またいう偏財は能く寿を益し年を延ぶと(底本ここに「算」は「寿」の訛、両字を存す)、身旺して財に遇えば即ち吉なり。もし身弱くして梟神が旺なれば、即ち禍と成る。謂うところの梟神が権を当たりて早年に夭折すとは、まさにこの種の命を指す。

《絡繹賦》云:印臨子位,受子之榮。梟居祖位,破祖之基。補曰:或曰梟居祖位,破祖之基,甚祖之基,甚應驗。觀《六親論》云:“日時殺刃逢梟,半道妻兒離散”可見。《格解》謂梟居祖位破祖之基,再詳。《玉匣賦》云:華蓋與文星共會,尉遲為五伯良臣。補曰:文星謂印綬也。故《通明篇》云:“印綬文華也”,非文昌之文。

《絡繹賦》にいう:印星が時柱の子息の位に落つれば、兒子の栄養を受くる能う;梟神が年柱の祖上の位に落つれば、祖上の基業を敗壊す。補って説明す:或る人は梟神が祖位に居りて祖上の基業を破るのこの一条を極めて応験ありと講ず。《六親論》の謂う「日時にもし七七殺・陽刃ありてさらに梟神に逢えば、中途にして妻兒离散す」を看れば、印証すべし。《格解》の梟が祖位に居りて祖基を破るの一条の解釈は、なおさらに詳考を作るを要す。《玉匣賦》にいう:華蓋星と文星とが一か所に会せば、尉遅恭は因って五覇の世のごとき良臣と為る。補って説明す:ここの「文星」は印綬を指す、ゆえに《通明篇》に講ず「印綬は即ち文華なり」、文昌星のあの文を指すにあらず。

《寸金籤》云:印綬不喜臨官,帝旺逢之亦不歡。八字逢財無所用,行財不利卻無端。補曰:臨官是日干行臨官之地,印逢則病,故曰不喜見臨官帝旺。是干行帝旺之地,印逢則死,故曰逢之亦不歡八字中產見財星,喜見官星,如如行財旺之鄉,則貪財壞印為禍百端。所謂如行死絕財旺地,無救翻為泉下人。

《寸金籖》にいう:「印綬は臨官を喜ばず、帝旺これに逢うもまた歡ならず。八字に財に逢えば用いる所無く、財を行きて利ならずして端無し。」補って説明す:謂うところの臨官は、日干が臨官の地に走るを言い、この時印星は恰好「病」の位に落つ、ゆえに臨官を見るを喜ばずと言う。謂うところの帝旺は、日干が帝旺の地に走るを言い、この時印星は「死」の位に落つ、ゆえにこれに逢うもまた歓喜せずと言う。八字の中に財星を見るを忌み、官星を見るを喜ぶ;もし財旺の郷に走れば、貪財壊印して、禍端は百出す。これすなわち「もし死絶財旺の地に行けば、救い無くしてかえって泉下の人と成る」のあの言の意なり。

《萬金賦》云:第一限逢印綬鄉,運行生旺必榮昌。官鄉會合遷官職,死絕當關是禍殃。《淵源歌》云:有印無財是福媒,喜逢官位怕臨財。主人囊括文章秀,一舉丹墀面帶來。《雲理賦》云:水泛者活木。補曰:此言水泛木浮格也。蓋甲木生於亥,則無咎。乙木死於亥,水泛木浮,恐無聚作。

《萬金賦》にいう:「第一限に印綬鄕に逢えば、運が生旺に行けば必ず栄昌す。官鄕会合すれば官職を遷(うつ)り、死絶が関にあたるはこれ禍殃なり。」《淵源歌》にいう:「印ありて財無きはこれ福の媒、官位に逢うを喜びて財に臨を怕る。主人は文章の秀を囊括(のうかく)して、一挙に丹墀(たんち)に面(おも)を帯びて来る。」意は印ありて財無き命は福を招くの媒介にして、官星を見るを喜びて財星を見るを怕る、かかる人は文章出衆して、一挙に第に登り君に面する。《雲理賦》にいう:水勢は泛濫(はんらん)して木はなお活す。補って説明す:これは「水泛木浮」格を講ず。甲木の長生は亥に在り、亥月に生まれて災咎なし;乙木の死地は亥に在り、一たび水泛木浮に遇えば、恐らくは成就有り難し。

又曰:水盛則漂木無定,若行土運方榮。補曰:上文論陰木,此論陽木。蓋言甲木歸於子,水敗之鄉,柱中水印太盛,失土止者。人命得之,主漂盪無定,風花好酒,無成之造。遇土運止水,發福為榮。又曰:貪食乖疑,命用梟神因有病。補曰:如日坐梟神,或干支梟印重,運逢食神,必主貧乏生病,更帶刑法,作災不測。故《奧旨賦》云:“歲月時中有偏印,吉凶未萌。大運歲君遇壽星,災殃立至。”

また言う:水が太く盛んなれば木は漂蕩して定まらず、土運に走りてこそ栄顕す。補って説明す:上の条は陰木の乙を講ず、この条は陽木の甲を講ず。これは言う、甲木は子の位に帰す、正に水の沐浴敗地にして、柱中に水印が太く盛んにして止(とど)むる土無し。人がかかる命を得れば、一生漂泊して定まらず、風流を好み杯中の物に嗜(たしな)み、終に成就無し。土運に遇いて水を止めば、こそ福を発して栄顕す。また言う:食を貪りて乖違疑忌を生ずるは、命中に梟神を用いて因って病ありと。補って説明す:たとえば日支が梟神に坐し、あるいは天干地支に梟印が重疊し、大運がさらに食神に逢いて奪われれば、必ず貧乏多病を主り、もしさらに刑法の神を帯ば、災禍は測り難し。ゆえに《奥旨賦》にいう:「歳月時の中に偏印あれば、吉凶はいまだ萌(めば)えず。大運歳君が寿星に遇えば、災殃は立ちどころに至る。」

又曰:命用梟神,富家營辦。又曰:天干二丙,地支全寅,更加生印,死見凶臨。又曰:壬癸多金,生氣酉申。土旺則貴,水旺則貧。又曰:癸日申提,卯寅歲時。年殺月劫,林下孤悽。

また言う:命中に梟神を取りて用と為す人は、多く富家において経営弁事の職を為す。また言う:天干に二個の丙火出づ、地支に寅の字斉(ととの)い備わり、さらに印星の来りて生ずるを加えば、一旦死地に行き到れば、凶禍は即ち来臨す。また言う:壬癸の水日主にして柱中に金多きは、生気は申酉の両処に在り;この時土旺なれば即ち貴く、水旺なれば即ち貧し——水はすでに金に生ぜられて、さらに旺なれば泛濫して制無きがゆえ。また言う:癸水の日主が申をもって月令提綱と為し、年時にまた卯寅を見、年上に殺あり月上に劫あるは、かかる命はただ山林に隠居して、孤单凄凉(そうりょう)なり。

己亥、乙亥、乙丑、丁亥。臨川黃良三公富命,水重輕。楠曰:水氣重重在地支,木漂水泛欲何依。最宜土運來克水,財帛金珠樂有餘。

命造:年柱己亥、月柱乙亥、日柱乙丑、時柱丁亥。これは臨川の黄良三公の富命で、水重くして木軽し。張楠が断じて言う:地支に三個の亥、水気は重々し;木は水に漂えられて、依托する所無し;最も宜しきは土運に走りて水を克する;かくすれば財帛金珠、享用は余あり。

乙木生亥,重重水氣以漂之,早行癸酉壬申,木多見水不利,一入辛未庚午己巳戊辰四運,土止水流,財發萬緡,正謂印綬若多,財要見也。

乙木は亥月に生まれて、重々の水気はこれを漂(うか)べ起(た)たしむ。早年に癸酉・壬申に走れば、金水は併せて旺じ、木はすでに水多きにさらに添う、かえって不利なり。一たび辛未・庚午・己巳・戊辰のこの四歩の運に入れば、運支に土重くして、泛濫の水を止め、財を発すること万緡の多し。正に「印綬もし多ければ、必ず財を見るを要す」のこの言に応ず——印は多くして災を成し、須(すべか)らく財を用いてこれを破るべし。

丁亥、辛亥、乙亥、丁亥。盱江劉三三公,水多漂木之格。楠曰:乙生亥月水重重,殺印分明祖業豐。戊己運中雖發福,再行水運壽年終。

命造:年柱丁亥、月柱辛亥、日柱乙亥、時柱丁亥。これは盱江の劉三三公の命で、水多くして木を漂わす格局に属す。張楠が断じて言う:乙木は亥月に生まれて、四支は皆亥にして水気は重々し;月干の辛金は殺、亥水は印、殺印は分明にして、因って祖業は豊厚なり;戊己の土運の中には福を発する能うも;さらに水運を行けば、寿数は便ち尽头に到る。

乙木生亥,水氣重重,但喜純粹,水原未蓋頭。蓋得祖財豐富,己酉戊運,屠名頗振,酉地殺輕得祿也。原殺星見水,多洩去精神,殺弱入酉得祿,生子甚多。一入申運,壬水太旺,水來泛木死矣。

乙木は亥月に生まれて、水気は重々しく、喜ばしきは四柱が純粋にして雑らず、天干上にまた水の蓋頭して圧(おさ)える無し。因って豊厚の祖産を享くるを得。己酉・戊の両運は、名声は頗(すこぶ)る振作す、酉は辛金の禄地にして、原(もと)単薄の七殺はここに禄を得ればなり。原局の殺星辛金は衆水にその精神を泄し去られ、殺は弱くして酉に入りて禄を得、ゆえに子息は甚だ多し。一たび申運に入れば、申中の壬水は長生して、水勢は太く旺じて、木を泛えて根無からしめ、人は便ち歿す。

壬寅、辛亥、丁巳、辛亥。盱江劉瑛千九公富命,衰印畏財格。楠曰:丁火生臨亥月乾,木神類聚喜相連。柱中最怕金為病,運入東方福祿全。

命造:年柱壬寅、月柱辛亥、日柱丁巳、時柱辛亥。これは盱江の劉瑛千九公の富命で、印星が衰弱して財を怕る格局に属す。張楠が断じて言う:丁火は亥月に生まれて、正に乾位水旺の時にあたる;柱中の木神は同類聚集して、彼此相い連なるは喜ぶべし;最も怕るるは金の来りて病を作す;運が東方の木地に入れば、福禄は便ち周全を得。

丁火生於亥月,火神衰弱,喜年干透出壬水,丁壬化木於亥木神類聚,用神無疑矣。蓋得巳宮有庚來損木,則金為病明矣。運行甲寅乙卯丙辰丁運,枯木逢春,又喜火破庚金存木,富享優遊。入巳強寇毀廬,喪子奇禍,蓋嫌巳中金來克木也。午未木死陰壽。

丁火は亥月に生まれて、火気は衰弱す。喜ぶところは年干に壬水を透き出だし、日主の丁火と相合して木に化し、しかも亥はまた木の長生にして、木神は同類相聚す、用神は即ち疑問無し。しかるに日支の巳宮に庚金を蔵して木を損せんと欲す、然れば金は即ち病神、これもまた甚だ明白なり。大運が甲寅・乙卯・丙辰および丁運に走れば、枯木は春に逢う;また喜ぶは火が能く庚金を克破して木を保つ、因って富きて優游を享く。運が巳に入れば、強盗に房舎を焚毀(ふんき)せられ、また子を喪(うしな)い、連ねて奇禍なり、正に巳中の庚金の来りて木を克するを嫌(いや)むなり。午・未に至りては、木は死墓の地に入り、寿数もまた尽くるなり。

乙丑、辛巳、己巳、庚午。豐城孫世佑佈政貴命,旺變為弱用印格。楠曰:己土雖然坐旺鄉,重重金氣損精陽。旺中變弱來親印,殺運應知佐廟廊。

命造:年柱乙丑、月柱辛巳、日柱己巳、時柱庚午。これは豊城の孫世佑の貴命で、官は布政使に至り、旺より転じて弱と為りて印を取りて用と為す格局に属す。張楠が断じて言う:己土は旺地に坐すといえども、重々の金気にその元その元陽を損傷せらる;旺中より転じて弱、ただ印星に親しむのみ;一たび殺運に走れば、便ち朝廷を輔佐する能う。

己土雖生巳月,本為火生之域。夫何金氣重重?己土見金洩其精氣,賴有三重火氣,大抵土好暖而畏寒,則己土親火為印綬。運行己卯戊寅,殺星太旺,故曰印輕者賴官殺以生之,所以位至方伯。

己土は巳月に生まれど、本(もと)は火の土を生ずる地盤なり。奈何せん柱中の金気は重々し:月干は辛、時干は庚、年支の丑はまた金庫。己土は金を見て、精気は泄され、全く巳・巳・午の三重の火気に頼りて支撐す。大体土は温暖を好みて寒湿を怕る、ゆえに己土は火に親しみ、火を取りて印綬と為す。大運が己卯・戊寅に走れば、卯寅の木は旺じて、己土にとっては殺星が太く旺なり;正に「印星の軽きは官殺に頼りてこれを生ず」のこの言に応ず、殺は印を生じ印は身を生ず、ゆえに官位は一方の布政使に到りぬ。

西內運火輕,猶宜補起火來。大運入子見財而破印,財乃妻也,因妻而致禍也。蓋原無水止有火土,則東方水運不美,此則土虛而好火,畏水傷火,子運死也明矣。

西方の一路の運の裡は火気は転じて軽く、なお宜しく火を補い起こすべし。大運が一たび子水に入れば、財を見て印を破る、財は六親上に妻子を代表す、ゆえに彼は妻室の事に因りて禍を招きぬ。原局はもとより水無くしてただ火土あるのみ、然れば北方の水運に走れば便ち美ならず。この命は土虚にして火を好み、最も水の来りて火を傷るを怕る、子運にして命を喪(うしな)うもまた理順成章なり。(原文の「東方水運」はまさに「北方水運」と作るべし。)

壬戌、壬寅、丁卯、戊申。崇仁方武十凌遲死,貪財壞印。楠曰:丁火生寅木氣柔,財來沖印便成憂。再行財運災難免,直待凌遲死便休。

命造:年柱壬戌、月柱壬寅、日柱丁卯、時柱戊申。これは崇仁の方武十の命で、最後に凌遅の刑に処せらる、起因は貪財壊印に在り。張楠が断じて言う:丁火は寅月に生まれて、木気はなお柔嫩なり;財星の来りて印星を冲は便ち憂患と成る;さらに財運を行けば、災禍は免がれ難し;直に凌遅を受けて死するを待ちてこそ了結す。

丁火日干,生於立春後二三日,其火檄寒矣,其木極嫩矣。正為木嫩火衰,不合年月兩點壬水,再來溼火溼木,時上申宮庚金,沖出嫩木。且有戌了透出,年支戊土透出,月上真土,作正火土傷官用印,不合衰印受傷。

丁火の日主は立春の後二三日に生まれて、火気はなお寒微にして、寅中の木もまた極めて幼嫩なり。正に木嫩火衰の際にあたり、偏(あ)に年月の両干は皆壬水にして、火を澆(そそ)ぎ熄(や)め木を泡(つ)け湿(ぬ)らし;時支の申宮の庚金はまたあの一点の嫩木を冲克す。柱中の戌土に丁火の透き出ずるあり、時干の戊土もまた透き出づ、月令の寅中にまた戊土の本気あり、正格の火土傷官にして印をもって用と為すを構成す;巧ならざるはこの衰弱の印星が恰好に傷を受くる。(原文の「年支戊土透き出づ」はまさに「時干戊土透き出づ」と作るべし。)

一入巳運,庚金得生於巳,壞了衰印,因殺死樂安東陳人云壬餘命,武十為首,問凌遲。迥罪而殆。蓋透出傷官,身衰用印,印昨受傷,故犯此極刑。

一たび巳運に入れば、庚金は巳に長生を得て、本(もと)すでに衰弱の印星を徹底的に破壊す。彼は因って楽安東の陳氏一家二十余口を殺し、首犯方武十として凌遅を判せられ、罪に抵(あ)たりて死す。帰結すれば:天干に傷官が透き出でて身を泄し、日主はすでに衰うればただ印を用いる、偏(あ)に印星は傷を受けて救い無し、ゆえにこそかかる罪を犯しかかる極刑を受くるなり。

乙亥、癸未、丁卯、甲辰。撫城過桓九公,木無金之格。楠曰:丁生未月火揚威,見木重生火不知。大喜庚辛來損木,再行木運本非宜。

命造:年柱乙亥、月柱癸未、日柱丁卯、時柱甲辰。これは撫城の過桓九公の命で、木多くして金の制無き格局に属す。張楠が断じて言う:丁火は未月に生まれて、火勢は正に張揚す;さらに木を見て層層に相生せば、火は旺じて節制を知らず;最も喜ぶは庚辛の金の来りて木を損ずる;もしさらに木運を行けば、本(もと)より合適ならず。

丁火生臨未月,火神猶旺,再見木多,返助其炎威也。初行辛巳庚運,木多見金而克之,行財頗逐。但四柱原無一點金氣,財神無根,生財而不克大通。行為妻,行寅卯助起比劫妻。到此闢妻離子,呻吟不利,豈非命該如是乎?

丁火は未月に生まれて、火気はなお旺んなり、さらに木多きを見れば、かえってその炎威を助長す。初め辛巳・庚運を行けば、木多くして金の来りてこれを克するあり、財運を走りて頗(すこぶ)る順遂なり。しかるに四柱にもとより一点の金気無く、財星は根無くして、財を生ずる能うもついに大通する能わず。財は六親上に妻を主り、運が寅卯に行けば、木は旺じて火を生じて比劫を助起して財を奪わしむ、ここにおいて妻は離れ子は散り、処処呻吟して不利なり、あに命はまさにかくのごとくなるべきにあらざらんや。

辛卯、辛卯、戊寅、壬子。與夫子命,去官留殺同印。楠曰:去官留殺理分明,主弱分明用印星。運入南方夫子旺,逢申破印禍來並。

命造:年柱辛卯、月柱辛卯、日柱戊寅、時柱壬子。これは一位の丈夫・兒子と倶に看る女命で、官を去りて殺を留めて兼ねて印を用いる格局に属す。張楠が断じて言う:官星を去りて七殺を留む、理は分明なり;日主はすでに弱く、自ずから印星を用いるを要す;運が南方に入れば、丈夫と兒子とは俱に旺す;一たび申運に逢い印を破れば、禍事は便ち一斉に来る。

年上兩重乙未夫星,天干兩辛去之,獨用寅中甲丙兩字。早行壬癸運,疊疊損兒,蓋為壬癸傷印也。入巳丙火得祿,生子旺夫,南方火旺,財享安福。脫甲患疾而死,壬水破印也。伯母瑛四孺人命。

年・月の両支の卯中の乙木は官にして、夫星と為す;天干の両個の辛金はこれを克去し、ただ日支の寅中の甲木七殺と丙火印星とが用いるに残る。早年に壬癸の水運を走れば、連々(れんれん)として兒女を損傷す、壬癸が丙火を克して印を傷ればなり。運が巳に入れば、丙火は巳に禄を得て、ここにおいて子を生じ夫を旺す;南方の火旺の一路は、安く福分を享く。甲運を脱したる後に疾を患(うれ)えて歿す、なお時干の壬水が印を破るに致るなり。これはわが伯母瑛四孺人の命なり。

乙卯、戊寅、丙戌、乙未。富女命,無夫星入格。楠曰:丙火生寅土透天,無夫入格福連綿。身衰宜入南方運,用印分明豈偶然。

命造:年柱乙卯、月柱戊寅、日柱丙戌、時柱乙未。これは一位の富貴の女子の命で、柱中に夫星無くしても自(おの)ずから格局を成す。張楠が断じて言う:丙火は寅月に生まれて、戊土は天干に透き出ず;命中に夫星無きはかえって格に入りて、福気は連綿(れんめん)たり;日主はすでに衰う、南方の火運に走るを宜とす;印を取りて用と為す、道理は分明にして、断じて偶然にあらず。

丙火生寅,蓋寅中艮土,戊未又有土,月上戊土透出,寅月火虛,土洩精英太過,正作火土傷官用印。蓋傷官衰者用印,原喜柱中不見夫星。原若有夫行南方運,必主孤貧,此則原無夫星,則不論夫也,所以南方運,助夫生子而富。又作火虛有焰,一入申運,見金破木死矣。

丙火は寅月に生まれて、寅中にもとより艮位の土あり、日支の戌・時支の未はまた皆土、月干の戊土はさらに天干に透き出ず。寅月の火はもとより虚弱にして、土はまたその精華を泄すること太く過ぐ、正に火土傷官にして印を取りて用と為す。傷官が気を泄して日主を衰弱ならしめる者は、即ち印を用いるべし;しかしてこの一造はもとより柱中に夫星を見ざるを喜びとす。もし原局に夫星あらば、さらに南方の火運に走りて夫星を克掉せば、必ず孤苦貧寒を主す;いまもとより夫星無ければ、則ち夫を克するも論ずる所無し、ゆえに南方の運はかえって夫を助け子を生じて富を致す。これもまた「火虚にして焰あり」の一種、一たび申運に入れば、申金は年時の両処の乙木印星を克破して、人は便ち歿す。

陽刃格 附:比劫・建禄格

楠曰:陽刃格,六陽日干謂之陽刃理也,六陰日干不謂之刃。但用刃之說,未究其理,則冥然不知也。書云陽刃無沖要可極品。蓋甲日生臨卯月,甲見卯中乙木,如兄見弟,則能分我之祖財,奪我之祖業,再加歲日時中木又有氣,何用乙木之再助我乎?如是則不用刃也,而以刃為病也,則用庚金七殺。

張楠がいう:謂うところの陽刃格は、ただ甲丙戊庚壬の六個の陽日干のみが陽刃と呼ぶ、乙丁己辛癸の六個の陰日干は刃と呼ばず。ただ「いかに刃を用いるか」のこの一層は、もしその理を深く究めざれば、ただ茫然として其の所以を知らざるのみ。書にいう陽刃は冲を受けず、位は人臣を極むべしと。たとえば甲木の日主が卯月に生まれ、甲が卯中の乙木を見れば、兄の弟に会うがごとく、弟は来りて我が祖産を分かち我が家業を奪う能う;況(いわ)んや年日時中の木気はまた足れるをや、いずくんぞ乙木のさらに我を助けんを用いんや。この種の情形は刃を用いるべからず、かえって刃を取りて病神と作し、改めて庚金の七殺を用いてこれを制す。

若去其刃,疊疊財官七殺,則日干雖旺,則變為弱,此則甲刃為用神。若行酉運,沖去刃星,猶如人衰弱無力,全敕弟來扶持,令被酉金殺死我弟也,則主有極凶殺傷蛇虎之禍矣。若如此等,必須要印綬之運,生起我刃星。比肩運,以助起其刃星。

反対に、もし刃を制去したる後、柱中の財・官・七殺が層層疊疊(ちょうじょう)なれば、日主は本(もと)旺なりといえども転じて弱と為る、この時卯中の甲刃は便ち用神と成る。もしさらに酉運に走りて刃星を冲掉せば、たとえば人はすでに衰弱無力にして、全く弟に頼りて扶持せらる、いま酉金がしかしわがこの弟を殺せば、即ち極凶の刀兵・蛇虎の禍あらん。こういう類の命に碰(あ)たれば、必ず印綬の運に走りて我が刃星を生起し、あるいは比肩の運に走りて刃星を助起することを要す。

又日煞無刃不顯,刃無殺不威。蓋日主旺,得車殺以合去其刃星。然殺乃之人,刃乃之器,刃煞停均,多作兵刑顯宦,若日主弱刃為助,見官煞多,制去其刃,多主盜小俟,然陽刃格,與建祿格頗同。但見祿不言刃者,蓋日月令俱同一體純和也。四柱太旺,又露了出丁火貼身,其刃鋒愈熾,則身首官安得不處乎?如夏柱州之命甚驗,說見人命見驗類。

また言う:七殺は陽刃無ければ顕赫(けんかく)ならず、陽刃は七殺無ければ威武ならず。因るに日主が旺の時、正に七殺を用いて刃星を合去すべし。七殺は刑を執るの人にたとえ、陽刃は人を刑するの器にたとう、両者の分量は相當して、多く兵刑の権を掌る顕宦と成る。もし日主がもとより弱くして刃に頼りて身を幇(たす)けんに、柱中に官殺が多すぎて刃を制去すれば、則ち多くは盗賊の小人に淪落す。陽刃格は建禄格と頗(すこぶ)る相近し、ただ禄を見る時は刃と称せず、日主と月令とが同じく一気に属して、純和にして殺伐を帯びざればなり。もし四柱がもとよりすでに太く旺にして、また丁火を透き出だして身に貼して相生せば、刃鋒はさらに熾(さか)んにして、身首は処を異にするの禍をいずくんぞ免がれんや。夏柱州のあの命のごときは即ち極めて応験あり、詳しくは後の人命見験の各類に見るべし。

建祿格者,日主得主祿之地,非官祿也。書云月令建祿,多無祖屋,而不顯言其理,人用財為馬,官為祿,假如甲日生寅月,甲以辛為官,己土為財,財官到寅為死絕地。人則以財祖業,官為福神,祖為福神都元,此格多無祖業者甚驗矣。原甲日生寅,然上乃甲木之舍,財官空倒,又安有祖屋乎!年上若見此祿,亦主祖業飄零。帶此建格,多主刑妻,與陽刃格同。如甲日見寅,寅中有甲木來克妻也。

謂うところの建禄格は、日主が月令において自身の禄地を得るを言う、官を為すの俸禄を指すにあらず。書にいう月令建禄の人は多くは祖屋無しと、しかるに道理を講明せんと肯んぜず。人は財をもって馬と為し官をもって禄と為す:たとえば甲木の日主が寅月に生まれ、甲は辛金をもって官と為し己土をもって財と為す、しかして辛金と己土とは寅地に到りて皆死絶の処なり。財は祖上の産業を代表し、官は福神を代表し、福神と産業の根元とは俱に空絶す、ゆえにこの一格は多くは祖業無くして、験(しるし)を得ること極めて准(じゅん)なり。甲日が寅に生まれ、寅はただ甲木自身の居所にして、財官は俱に空し、いずくんぞさらに祖屋の言わんことあらんや。年柱上にもしこの禄を見れば、また祖業の飄零(ひょうりょう)を主す。建禄格を帯ぶる人は多く妻室を刑克することを主り、陽刃格と相同じ——たとえば甲日が寅を見れば、寅中に甲木の比肩を蔵し、比肩は財を奪い、財は即ち妻なり。

若四柱有氣太旺,慢不建祿格,要官殺剋制其祿,要財星以為身旺之何托。若或歲日昌中,財殺太多,即旺孌為弱也宜印運以生其福神,宜動運以助起祿也。又日一見財官,自然發福。蓋身旺,原廬舍內無財官,則無祖業,若身旺能任其財,豈不白手成家乎?

もし四柱に気ありて日主が太く旺なれば、建禄格の成法に拘守するを要せず、官殺を用いてこの禄を克制し、財星を有して旺盛の日主に寄托せしむる所あらしむべし。もし年月日時の中に財と殺と多すぎれば、日主は旺より転じて弱と為る、則ち印運に走りて福神を生扶し、比劫の運に走りて禄気を幇起するを宜とす。また言う一たび財官を見れば、自ずから福を発す:日主はすでに旺にして、もとより家門の内に財官無く、ゆえに祖業無し;しかるに身旺にして能く財に担(た)えば、あに正好白手にして家を成すにあらざらんや。

補曰:夫陽刃者,在天為紫暗星,專行誅。在地為陽刃殺,祿前一位是也。喜偏殺伏,則陽刃起於邊戌,發富發貴,為將為相者多矣。故《千里馬》曰:「羊刃偏官有制,應職掌於兵權。」故《三車一覽》云:「陽刃倘同生氣,閫內誰權,忌反伏吟。」經支:鈦吟反刃,歲運與玩命相對,卯見卯,酉見酉是也。遇之必凶,即歲運並臨災殃立至也。

補って説明す:陽刃のこの一神は、天においては紫暗星にして、専ら誅戮(ちゅうりく)を司る;地支においては陽刃殺と呼び、位置は日干の禄位の前の一位なり。それは偏官七殺の来りて伏制するあるを喜ぶ、かくすれば陽刃は辺関において功を立てる能う、富を発し貴を発して、将と相とを為る者は多し。ゆえに《千里馬》にいう:「羊刃と偏官と相配して制あれば、まさに兵権を職掌すべし。」《三車一覧》にいう:「陽刃もし生気と同じく来れば、閨閫(けいこん)の内に誰か権を当たらん、最も忌むは反吟・伏吟。」経文の謂う伏吟は、歳運と本命と相同じきを言う:卯見卯・酉見酉これなり、これに遇えば必ず凶、即ち「歳運并び臨み、災殃は立ちどころに至る」の意なり。

何謂扳吟?蓋沖擊之謂也。如酉沖卯刃,卯沖酉刃是也。遇之即處,即羊刃沖合歲君勃禍至之也,忌酉刃三合君,流年見戌,而卯刃三合,流年見己丑,而酉刃三合,如流年見戌,而卯六匐,流年見辰,而酉六合,其人當年禍必速至,即羊刃合歲君,勃然禍至之謂也。

何をか反吟と謂う。即ち冲撃の謂なり。たとえば酉が来りて卯刃を冲し、卯が来りて酉刃を冲すこれなり、これに遇えば即ち事あり、正に「羊刃は太歳を冲合して、禍患は勃然として至る」の説なり。また忌むは刃と太歳とが三合あるいは六合を結ぶ:流年に巳丑を見て卯刃と三合し、流年に巳丑を見て酉刃と三合し、あるいは流年に戌を見て卯と六合し、流年に辰を見て酉と六合せば、かかる人は当年に必ず速やかに禍を招く、即ち羊刃が太歳を合して禍は倉卒に起これり。(底本この段の字句は多く訛脱あり、いま照録して改めず。)

忌魁罡刑害,全無官印,福神相助則為禍,有官印福神相助則為福,化為友貴。何謂羊刃?甲丙戊庚壬五陽有刃,乙丁己辛癸五干無刃,教訓名羊刃,如命中有刃,不可便言凶,大率與煞七相似。凡有刃者,多有富人,最喜身旺坐祿,合殺有制,殺刃兩全,非常之命。

また忌むは魁罡と刑害と并び見る。もし全く官星印星などの福神の来りて相助する無ければ、則ち禍患と成る;官印福神の相助あれば、かえって福と成り、貴ぶべき象に転化す。何をか羊刃と謂う。甲丙戊庚壬の五個の陽干は刃あり、乙丁己辛癸の五個の陰干は刃無し、前人はこの名目を立ててもって教誡と為す。命中に刃あれば、一見して即ち凶と断ずべからず、その性情は大体七殺と相似たり。およそ刃を帯ぶる人は多く富を成す有り、最も喜ぶは身旺にして禄に坐し、また七殺の来りて合し制伏の神ある、殺と刃と両全なれば、則ち非常の命なり。

《三車一覽》云:羊刃有(三)〔二〕。有劫財羊刃,甲見乙是也,不利於財官格。護祿淹刃,甲見卯是也,大利於歸祿格。斯言誠為確論。若乙見丙,謂倒祿羊刃,則非也。蓋己見丙,名為背祿傷官,誠大利於去官留殺路。名為背祿羊刃,甚牽強解。亦謂乙見丙之說,恐不綬,誠是。

《三車一覧》にいう:羊刃は二種に分かつ(底本「三」は「二」の訛、両字を存す)。一は「劫財羊刃」、たとえば甲木が乙木を見るこれなり、これは財官格に利ならず;二は「護禄陽刃」、たとえば甲木が卯を見るこれなり、これは帰禄格に大いに利あり。この言は確かに定論なり。乙木が丙火を見るを「倒禄羊刃」と謂うに至りては、則ち対ならず。己土が丙火を見るは「背禄傷官」と名づく、官を去りて殺を留むるあの路子に対して確かに大いに好处あり;もしこれを「背禄羊刃」と作せば、解釈は相当に牽強なり。同じく乙見丙のあの種の説も、恐らく講じて通ぜず、前人の駁正は対なり。

又曰:劫財諸格,大忌財官尤甚,雖然亦有用時。《喜忌篇》云:日干無氣,時逢羊刃不為凶。《繼善篇》云:君子格中,也犯七殺羊刃。又曰:甲以乙妹妻庚,凶為吉兆。觀此又不可執一而論也。《洪範》支羊刃喜奪資財化鬼。又曰:身弱財豐,喜羊刃史弟為助。

また言う:およそ劫財の一類の格局は、最も財官を見るを忌み、忌むこと何よりも比べて甚だし;言うはここなれど、またそれを用いるに着く時あり。《喜忌篇》にいう:日干に気勢無き時、時柱に羊刃に逢うは併(あ)せて凶と算ぜず。《継善篇》にいう:君子の命格の中にも、また七殺羊刃を犯す有り。また言う:甲木は妹の乙木をもって庚金に嫁がす、乙庚は相合して、凶はかえって吉兆と成る。これを観ればさらに一条を死守して論ずべからず。《洪範》に講ず羊刃は能く人の資財を奪い、また能く鬼殺を化解す。また言う:日主弱くして財が過豊の者は、正に羊刃のこの兄弟の来りて相幇(たす)くるを喜ぶ。

《撮要》支羊刃怕沖宜合。《易監》支羊刃重重必克妻,《寸金賦》劫財傷父京傷妻。《萬金賦》云:劫若重逢人夭壽。《元理賦》云:殺刃又顯均停,位至王候。殺刃重而無制,身為胥吏。又曰:男多羊刃必重婚。又曰:羊刃不喜刑沖。

《撮要》に講ず羊刃は冲を怕りて合を宜とす。《易監》に講ず羊刃は重々なれば必ず妻を克す。《寸金賦》に講ず劫財はすでに父を傷り、また妻を傷る。《萬金賦》にいう:劫財もし重々相い逢えば、人は多く寿短し。《元理賦》にいう:七殺と陽刃と倶に顕露して分量相當せば、位は王侯に至る能う;殺と刃とは重しといえども制伏の神無ければ、ただ衙門の小吏を為すのみ。また言う:男命に羊刃多きは必ず再婚す。また言う:羊刃は刑冲を喜ばず。

《萬尚書賦》官星帶刃,掌萬將之威權,又曰:傷官有刃,將相公侯。又曰:印刃相當,官高極品。又曰:殺刃休囚,祿薄之士,又曰:煞制刃興,主掌滿營之兵卒。若是用神輕淺,決為吏卒卑官。又曰:刃輔傷官,際一日風雲之會。

《萬尚書賦》に講ず:官星が陽刃を帯ぶれば、万軍の威権を掌る能う;また言う傷官が陽刃を配れば、将相公侯を作すべし;また言う印星と刃星と分量相當せば、官は極品に至る可し;また言う殺と刃と倶に休囚の地に処すれば、ただ禄位微薄の人に過ぎず;また言う七殺は制せられて刃星は興起すれば、満営の兵卒を執掌することを主る。もし用いる所の神が軽浅なれば、則ち必ず小吏卑官のみ。また言う陽刃が傷官を輔助せば、ついに一朝の風雲の際会に遇う能う。

古歌云:羊刃七殺怕逢官,刑沖破害禍非常。大怕財旺居三合,截髮斷指主殘偽。又曰:春夏火逢時旺,秋金冬水一般同。不宜羊刃天干透,運至重逢定有凶。又曰:劫財羊刃不堪侵,不帶官星一世貧。甲乙互逢皆仿此,縱多財帛化為塵。

第一の古歌に講ず:命裡にすでに陽刃ありまた七殺あり、さらに上官星を添えば即ち怕るべし、もしさらに刑・冲・破・害に遇えば、禍事は小可ならざるなり;尤も忌むは財星が三合の局を結ぶ、それは割髪・断指の一類の残傷を招来す。第二は講ず:春夏の月は火が時令にあたりて旺なり、秋の金・冬の水も情形は一般に同じ;かかる時は宜しくさらに陽刃をして天干上に透かせしむべからず、大運がさらに一たび刃地に走れば必ず凶を見る。第三は講ず:劫財と陽刃とに侵奪せられて、柱中にまた官星無くしてそれらを制服する無ければ、即ち一世の貧寒なり;甲木が乙を見、乙木が甲を見るは皆この理に照らして推す、たとい財帛多かるも終に塵土と化すのみ。

又曰:傷官不忌劫相逢,七殺偏官理亦同。若是無官不忌劫,身強遇比劫嫌重。又曰:劫財羊刃兩頭居,外面光華內本虛。官殺兩頭俱不出,少年夭折謾嗟吁。又曰:甲子丁卯非為刃,乙酉庚申理亦同。合起人元財馬旺,中年顯達富豪翁。

第一首は講ず:傷官を帯ぶる人は必ずしも劫財に碰上(ほうじょう)するを忌まず、傷官は能く劫財の気を化開するがゆえ;七殺偏官を帯ぶるの道理もまた同じ、殺は能く劫を制住す。ただ柱中に官無くして、日主がまたもとより強健の時のみ、さらに比肩劫財を添えばこそ太く重きを嫌う。第二首は講ず:劫財と陽刃とが年・時の両頭に分踞し、外表は看るに光鮮なるも、内裏は実は空虚なり;もし官殺が一個も透き出でてそれらを制服する無ければ、少年に夭亡してただ空しく嗟嘆するのみ。第三首は講ず:甲子・丁卯のこの両個の日は併せて陽刃に論ぜず、乙酉・庚申も理は同じ;ただ地支の人元の裡の財星を合起してそれを旺盛ならしむる能えば、中年にして顕達して富豪の翁と成る能う。

又曰:日刃歸時身要旺,正財忌運忌遭沖。且如戊日午為刃,子丑財鄉立見凶。財運無沖還不忌,官星制刃得尊榮。月中有印印斯通,運到官鄉貴亦同。柱若財多嫌殺運,無財殺運喜興隆。

また言う:「日刃が時に帰せば身の旺なるを要し、正財は運を忌みまた冲に遭うを忌む。」日刃が時柱に帰すれば、日主は必ず十分に旺なるを要す;正財の運を走る、あるいは原局が冲せらるるは、皆忌なり。たとえば戊土の日主は午をもって刃と為す、子・丑のごとき財鄕に走り到れば、立ちどころに凶を見る。ただし財運はただ冲を帯びざれば、すなわち忌むを必とせず;官星ありて刃を制せば、かえって尊榮を得る能う。月令中にもし印星あれば、印は能く関を通じて殺を化し、運が官鄕に到れば一樣に顕貴す。柱中に財多き者は、即ち殺運を走るを嫌う、財は殺を生じて身を攻めばなり;柱中に財無き者は、殺運を走ればかえって興隆す、殺は正好刃を制すればなり。

《醉醒子氣象篇》云:權刃復行權刃,刃藥亡身。本注云:權殺也,刃兵也。身旺用此二端,乃兵刑首出之人也。殺旺喜行鄉,刃旺吃虧殺地,若原殺旺復行殺旺之鄉,立業建功處,不免死於刀劍之下。刃多再行羊刃之地,進祿得財處,必然終於藥石之間,數使然也。

《醉醒子気象篇》にいう:権と刃とがすでに局を成して、運がさらに権刃の地に走れば、刀兵に死するならざれば即ち薬石に終る。原注に解釈す:「権」は七殺を指し、「刃」は陽刃を指す。日主が旺にしてこの両樣を用いれば、便ち兵刑を執掌し、出人頭地する人物なり。殺旺の者は制殺の鄕に走るを喜び、刃旺の者は殺地において損を喫(きつ)す。もし原局に殺すでに旺にしてさらに殺旺の運に走れば、正に業を立て功を建つるの際に、刀剣の下に死するを免がれ難し;刃すでに多くしてさらに羊刃の地に走れば、正に禄を進め財を得るの時に、必ず湯薬の中に終結す。これ皆命数の然らしむる所なり。

又曰:幫身羊刃,喜合嫌沖。本注曰:刃乃才身這物,大怕身旺逢之,得一重殺與刃相匐,化為權星。若見官與刃沖戰,乃成惡性殺。用者當審其輕重,好惡何如。

また言う:日主を幇扶するに用いる羊刃は、合せらるるを喜びて冲せらるるを嫌う。原注に解釈す:刃はもとより身を助くるの物、最も怕るるは日主が本(もと)すでに強旺してなおそれに遇う;この時もし一重の七殺を得て刃と相合し相制せば、刃は即ち権星に転化す。もし官星の刃と正面に冲戦するを見れば、かえって凶悪の殺に激成す。刃を用いる人はまさにその軽重を審察し、それがこの一局において喜ぶべきか悪(にく)むべきかを看るべし。

又曰:羊刃臨於五鬼,定須重犯徙流。本注:如壬申生人,五鬼在子。癸酉生人,五鬼在丑。丙寅生人,五鬼在午。丁卯生人,五鬼在未。或者三合之次。一行師《命書》云:羊刃重重又見祿,福貴金玉,斯可謂吉。

また言う:羊刃が五鬼の位に臨めば、定めて屡々(しばしば)刑徒流放の罪を犯すを須(もち)いる。原注に例を挙ぐ:壬申年に生まるる人は、五鬼は子に在り;癸酉年に生まるる人は、五鬼は丑に在り;丙寅年に生まるる人は、五鬼は午に在り;丁卯年に生まるる人は、五鬼は未に在り;また三合の次序に按じて推排する有り。一行禅師の《命書》にいう:羊刃は重々しくしてまた禄を見る者は、福気と富貴とは金のごとき玉のごとし、かくこそ吉と算すべし。

《理愚歌》云:倒戈殺,懸〔之〕刃又同行,形體不免填溝。本注曰:倒乃倒戈殺,懸乃懸針殺。凡倒戈殺,只犯戊字,皆曰倒戈。懸針者,干以甲字與辛字,壇以卯字午字與申字,如此者謂之懸針殺也。《其截歌》云:羊刃更兼倒戈,必作刎頸之鬼。經云:運逢羊刃,財物耗散。

《理愚歌》にいう:倒戈殺と懸針刃とが同時に并び行えば、形体は溝壑に屍を抛(ほう)ずるを免がれず。原注に解釈す:「倒」は倒戈殺を指し、「懸」は懸針殺を指す。およそ倒戈殺は、ただ命中に戊の字を犯す者は皆倒戈と曰う。懸針殺は、天干は甲の字と辛の字を看、地支は卯の字・午の字と申の字を看、これらを具備する者は即ち懸針殺と謂う。《其截歌》にいう:羊刃さらに兼ねて倒戈せば、必ず自刎の冤鬼を作す。経上にいう:大運が羊刃に逢えば、財物は耗散す。

論曰刃。舊曰云:日刃有戌午,壬子三日,與陽刃同法,忌刑破害會合,愛七殺,要行官鄉,便是貴命。若四柱中一來會合,必主奇禍。其人主大須強,性剛果毅,無惻隱慈之心,有刻剝不恤之意,三刑魁罡,發跡於疆場。如或無情,或臨財旺,則主其禍。

日刃を論ず。旧説に講ず:日刃はただ戊午・丙午・壬子の三日あり(原文の「戌午」はまさに「戊午」と作るべし)、断法は陽刃と相同じ:刑・破・害と会合とを忌み、七殺の相配するあるを喜び、官星の鄕に走るを要し、便ち貴命なり。もし四柱中に一たび会合の来りて引動する有れば、必ず奇禍を生ず。この種の人は身材は大多強壮にして、性情は剛強果決にして、惻隠慈悲の心を欠き、刻薄にして人を体恤(たいじゅつ)せざるの意を帯ぶ;もしさらに三刑・魁罡を帯ば、多くは疆場上にて発迹する能う。もし配合が情無し、あるいは刃が財旺の地に臨めば、即ち禍を招くを主る。

或有赦神,如刑害俱全,類皆得地,貴不可皆言獨羊刃以時言之,四柱中不要入財鄉,怕沖陽刃。如戊日刃在午,忌行子正財運;壬刃在子,忌行午正財運;庚刃在酉,忌行卯正財運;甲刃在卯,行巳午並辰戌丑未財運不妨,忌酉運;丙日刃在午,行申酉庚辛財運不妨,忌子運。

もし柱中に別に赦神ありて解救せば、たとい刑害が俱全しても、各神はまた皆地を得れば、那(な)の貴気は即ち一句話に言い尽くし得ず。単に羊刃に就きて論ぜば、なお時柱に按じて看るを要す:四柱の中に財鄕に走入るを宜とせず、また冲して陽刃に来るを怕る。たとえば戊土の日主は刃は午に在れば、即ち子運を行くを忌む、子はその正財にしてまた午刃を冲す;壬水の日主は刃は子に在り、午運の正財を行くを忌む;庚金の日主は刃は酉に在り、卯運の正財を行くを忌む;甲木の日主は刃は卯に在り、巳午および辰戌丑未のこれらの財運を行くは妨げず、ただ酉運が卯を冲するを忌む;丙火の日主は刃は午に在り、申酉庚辛の財運を行くは妨げず、ただ子運が午を冲するを忌む。

論比劫。夫比劫者,陽見陽,陰見陰,陰見陰為比。如甲見甲,乙見乙之類害妻害子。五陽見五陰如甲見乙,是兄見弟,為劫財,不克妻。蓋財者心之慾,方令兄見之,多有爭競,如夷齊能幾人。

比肩劫財を論ず。謂うところの比劫は、陽干が陽干を見、陰干が陰干を見るを「比肩」と呼ぶ、たとえば甲見甲・乙見乙のたぐい、この一種は妻子と子女を妨害す。五陽干が五陰干を見る、たとえば甲木が乙木を見るは、兄が弟に会うにたとえ、「劫財」と呼ぶ、それは併(あ)せて妻を克せず。因るに財は人々の心の欲する所、いま兄弟に同じくこれを見しめば、多くは争奪を起こさんと欲す;伯夷叔斉のごとく能く互相いに推譲する者のごときは、天下に能く幾人あらん。

《六親捷要論》云:分祿須傷主饋人,比肓重疊損嚴親。補曰:財多身弱,喜比劫財扶慢為福。故曰男逢羊刃身弱遇之為奇,財輕身強忌奪。則為也。故曰羊刃多而妻宮有損。歌曰:甲乙相見必妨妻,敗財克父定無疑。

《六親捷要論》にいう:人ありて我が禄を分かつは、必ず中饋(ちゅうき)を主る妻子を傷る;比肩は重々疊疊(ちょうじょう)なれば、父親に損及す。補って説明す:財多くして日主弱き者は、正に比肩劫財の来りて幇扶するを喜び、かえって福気と成る、ゆえにいう男命が羊刃に逢い、身弱の時にこれに遇うはかえって奇特なりと;財軽くして日主が本(もと)強きは、即ち比劫の来りて奪うを忌む、則ちいう羊刃多ければ即ち妻宮に損ありと。歌の裡にいう:「甲乙相い見れば必ず妻を妨げ、敗財父を克するは定めて疑い無し。」

《金不換》云:身旺比劫重,損財又傷妻。比劫遇梟食,妻遭產裡危。《六親論》云:月中歸祿無財官,父喪他鄉。又曰:日逢刃時逢劫,妻妄產亡。又曰:日時背馬分財無救助,妻兒離散。《撮要》云:比肩要逢七殺制。

《金不換》にいう:日主はすでに旺にして比劫また重ければ、すでに財を損じまた妻を傷る;比劫さらに梟神の食を奪うに遇えば、妻子は産里の危あり。《六親論》にいう:月令に帰禄して柱中に財官無き者は、父は他郷に客死す;また言う日支が刃に逢い時支が劫に逢う者は、妻妾は産厄に死す;また言う日柱時柱が財星と相い背き、財はまた奪い分かたれて救助無き者は、妻は離れ子は散ず。《撮要》にいう:比肩は必ず七殺の来りて制するを須(もち)いる。

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