哀公問
子云:“升自客階,受吊於賓位,教民追孝也。未沒喪,不稱君,示民不爭也。故魯春秋記晉喪曰:‘殺其君之子奚齊,及其君卓。’以此坊民,子猶有弒其父者。”
孔子曰く、「客階より升上し、賓位に在りて弔を接受するは、是れ民を敎えて孝を追念せしむ。喪事未だ結束せざるに、君を稱呼せず、是れ民に爭わざるを向かいて顯示す。故に魯《春秋》晉の喪を記して曰く、『其の君の兒子奚齊を殺し、以及其の君卓』と。此を以って民に堤坊を爲るに、兒子還おその父親を弑するあり」と。
子云:“孝以事君,弟以事長,示民不貳也。故君子有君不謀仕,唯卜之日稱二君。喪父三年,喪君三年,示民不疑也。父母在不敢有其身,不敢私其財,示民有上下也。故天子四海之內,無客禮莫敢為主焉。故君適其臣,升自阼階,即位於堂,示民不敢有其室也。父母在,饋獻不及車馬,示民不敢專也。以此坊民,民猶忘其親而貳其君。”
孔子曰く、「孝を以って君に事奉し、悌を以って長者に事奉するは、是れ民に貳心なきを向かいて顯示す。故に君子君あれば則ち仕宦を謀求せず、ただ問卜の日纔かに二君を稱す。父親の爲に喪に服する三年、君の爲に喪に服する三年、是れ民に疑惑せざるを向かいて顯示す。父母在れば敢えて自身を專有せず、敢えて其の財を私有せず、是れ民に上下あるを向かいて顯示す。故に天子四海之內に在りて、客人を爲るの禮なく、人敢えて主人を爲るなし。故に君其の臣の所に到れば、阼階より升上し、堂上に位に就く、是れ民に敢えて其の室を專有せざるを向かいて顯示す。父母在れば、饋獻車馬に到らず、是れ民に敢えて專擅せざるを向かいて顯示す。此を以って民に堤坊を爲るに、民還おその親人を忘記して君に對して貳心あり」と。
子云:“禮之先,幣帛也,欲民之先事而後祿也。先財而後禮則民利,無辭而行情則民爭。故君子於有饋者弗能見,則不視其饋。易曰:‘不耕穫,不菑畬,兇。’以此坊民,民猶貴祿而賤行。”
孔子曰く、「禮は先に在り、幣帛は後に在り、是れ民をして先ず事を爲して而後祿を求めしめんことを要す。先ず財して而後禮すれば則ち民利を貪り、辭令なくして情に任すれば則ち民爭う。故に君子饋贈あるに對して見る能わざれば、則ち其の饋贈を看ず。《周易・無妄》に曰く、『耕種せずして收穫し、新墾せずして熟田すれば、凶』と。此を以って民に堤坊を爲るに、民還お祿を看重して德行を看輕す」と。
子云:“君子不盡利以遺民。詩云:‘彼有遺秉,此有不斂穧,伊寡婦之利。’故君子仕則不稼,田則不漁,食時不力珍,大夫不坐羊,士不坐犬。詩云:‘採葑採菲,無以下體,德音莫違,及爾同死。’以此坊民,民猶忘義而爭利,以亡其身。”
孔子曰く、「君子利を取盡せず、以便民に留給す。《詩經・小雅・大田》に曰く、『彼邊に留下の禾把あり、此邊に没收の禾穗あり、是れ那の寡婦の利なり』と。故に君子官を爲れば則ち耕種せず、打獵すれば則ち捕魚せず、時に按りて飯を食いて珍味を力求せず、大夫無故に羊を殺して坐食せず、士無故に狗を殺して坐食せず。《詩經・邶風・谷風》に曰く、『葑を采り菲を采る、ただ下體を取下せず。美好の名聲違背せず、なんじと一同に死せん』と。此を以って民に堤坊を爲るに、民還お義を忘記して利を爭い、此に因りて自身を滅亡す」と。
子云:“夫禮坊民所淫,章民之別,使民無嫌,以為民紀者也。故男女無媒不交,無幣不相見,恐男女之無別也。以此坊民,民猶有自獻其身。詩云:‘伐柯如之何?匪斧不克,取妻如之何?匪媒不得。蓺麻如之何?橫從其畝。取妻如之何?必告父母。’”
孔子曰く、「禮は是れ民の放濫に堤坊を給し、民の分別を彰明し、民をして嫌疑なからしめ、以って民の紀綱を爲るなり。故に男女媒人なくば交往せず、聘幣なくば相見せず、是れ男女分別なきを怕るるなり。此を以って民に堤坊を爲るに、民還お自ら自身を獻出するあり。《詩經・豳風・伐柯》に曰く、『斧柄を砍るは如何?斧なくば則ち能わず。妻を娶るは如何?媒人なくば則ち能わず。麻を種るは如何?其の田畝を横に順に。妻を娶るは如何?必ず父母に告ぐ』と」と。
子云:“取妻不取同姓,以厚別也。故買妾不知其姓,則卜之。以此坊民,魯春秋猶去夫人之姓曰吳,其死曰孟子卒。”
孔子曰く、「妻を娶るに同姓を娶らず、是れ以って分別を加厚するなり。故に妾を買うに其の姓を知らざれば、則ち問卜す。此を以って民に堤坊を爲るに、魯《春秋》還お夫人の姓を去掉して吳と謂い、彼女死すれば則ち孟子卒と謂う」と。
子云:“禮,非祭,男女不交爵。以此坊民,陽侯猶殺繆侯而竊其夫人。故大饗廢夫人之禮。”
孔子曰く、「禮は、祭にあらざれば、男女爵を交接せず。此を以って民に堤坊を爲るに、陽侯還お繆侯を殺してその夫人を竊取せり。故に大饗夫人の禮を廢棄す」と。
子云:“寡婦之子不有見焉則弗友也,君子以闢遠也。故朋友之交,主人不在,不有大故,則不入其門。以此坊民,民猶以色厚於德。”
孔子曰く、「寡婦の兒子は見識あるにあらざれば則ち彼と朋友を交わらず、君子以って避遠す。故に朋友の交往は、主人在らざれば、大事故なくば、則ち其の門に進まず。此を以って民に堤坊を爲るに、民還お色を德より厚く看す」と。
子云:“好德如好色,諸侯不下漁色,故君子遠色以為民紀。故男女授受不親,御婦人則進左手。姑姊妹女子子已嫁而反,男子不與同席而坐。寡婦不夜哭。婦人疾,問之,不問其疾。以此坊民,民猶淫泆而亂於族。”
孔子曰く、「德を喜好するに色を喜好するがごとくせよ。諸侯下邊に到りて美色を撈取せず、故に君子色を遠離して以って民の紀綱を爲す。故に男女授受親せず、婦人に車を駕るれば則ち左手を進む。姑姊妹女兒已に出嫁して歸り來れば、男子彼女と同席して坐せず。寡婦夜裏に哭せず。婦人病あれば、彼女を問候して、其の病何處に在るを問わず。此を以って民に堤坊を爲るに、民還お淫泆して族に亂る」と。
子云:“昏禮,婿親迎,見於舅姑,舅姑承子以授婿,恐事之違也。以此坊民,婦猶有不至者。”
孔子曰く、「婚禮は、婿親ら迎接し、舅姑に拜見し、舅姑女兒を婿に交付す、是れ事奉違背あるを怕るるなり。此を以って民に堤坊を爲るに、婦還お到らざるあり」と。
中庸
天命之謂性,率性之謂道,修道之謂教。道也者,不可須臾離也,可離非道也。是故君子戒慎乎其所不睹,恐懼乎其所不聞。莫見乎隱,莫顯乎微,故君子慎其獨也。喜怒哀樂之未發謂之中,發而皆中節謂之和。中也者,天下之大本也;和也者,天下之達道也。致中和,天地位焉,萬物育焉。
天の賦與する所を性と謂い、性を遵循するを道と謂い、道を修治するを敎と謂う。道は、片刻離る可からず、離る可きは則ち道にあらず。故に君子其の看見せざる所に在りて警戒謹慎し、其の聽聞せざる所に在りて恐懼す。隱暗暗處より顯現するなく、細微處より顯著するなし、故に君子其の獨り一個の時を謹慎す。喜怒哀樂未だ發作せざるを中と謂い、發作して皆節に合するを和と謂う。中は、是れ天下の大根本。和は、是れ天下の通達の道。中和に達到すれば、天地各々其の位に安んじ、萬物養育を得る。
仲尼曰:“君子中庸,小人反中庸。君子之中庸也,君子而時中;小人之中庸也,小人而無忌憚也。”
仲尼曰く、「君子中庸し、小人中庸に違反す。君子の中庸は、是れ君子して時時中に合す。小人の中庸は、是れ小人して忌憚なし」と。
子曰:“中庸其至矣乎?民鮮能久矣!”
孔子曰く、「中庸おそらく極致ならんか?民少なく能く做到する已に久し!」
子曰:“道之不行也,我知之矣!知者過之,愚者不及也。道之不明也,我知之矣!賢者過之,不肖者不及也。人莫不飲食也,鮮能知味也。”
孔子曰く、「道の實行する能わざるは、われ之を知れり、智の人之を超過し、愚の人及ばず。道の顯明する能わざるは、われ之を知れり、賢の人之を超過し、不肖の人及ばず。人飮食せざるなく、少なく能く滋味を知るなり」と。
子曰:“道其不行矣夫!”
孔子曰く、「道おそらく實行する能わざらんか!」
子曰:“舜其大知也與!舜好問而好察邇言,隱惡而揚善,執其兩端用其中於民。其斯以為舜乎!”
孔子曰く、「舜おそらく大智ならんか!舜問うを喜好して且つ淺近の話を審察するを喜好し、惡を隱藏して善を顯揚し、其の兩端を持ちて其の中を民に用う。おそらく此に因りて舜と爲れるか!」
子曰:“人皆曰予知,驅而納諸罟擭陷阱之中而莫之知闢也。人皆曰予知,擇乎中庸而不能期月守也。”
孔子曰く、「人人皆曰くわれ智ありと、驅趕せられて羅網機關陷阱之中に納入せられて躲避を知らず。人人皆曰くわれ智ありと、中庸を選擇して滿一個月之を守住する能わず」と。
子曰:“回之為人也,擇乎中庸,得一善則拳拳服膺而弗失之矣。”
孔子曰く、「回の人を爲るは、中庸を選擇し、一善を得れば則ち拳拳として膺に服して之を失わず」と。
子曰:“天下國家可均也,爵祿可辭也,白刃可蹈也,中庸不可能也。”
孔子曰く、「天下國家は均平すべく、爵祿は推辭すべく、白刃は踩踏すべく、中庸は卻って可能ならず」と。
子路問強,子曰:“南方之強與?北方之強與?抑而強與?寬柔以教,不報無道,南方之強也。君子居之,衽金革死而不厭,北方之強也,而強者居之。故君子和而不流,強哉矯!中立而不倚,強哉矯!國有道,不變塞焉,強哉矯!國無道,至死不變,強哉矯!”
子路強を問う。孔子曰く、「南方の強か?北方の強か?抑なんじの強か?寬柔を以って敎え、無道に報復せざるは、是れ南方の強、君子居處此に在り。金屬皮革を枕りて、死して厭棄せざるは、是れ北方の強、強の人居處此に在り。故に君子和して流蕩せず、強や剛直!中立して偏倚せず、強や剛直!國道あれば、未だ顯達せざるの時の志願を改變せず、強や剛直!國道なくば、死に至るまで改變せず、強や剛直!」
子曰:“素隱行怪,後世有述焉,吾弗為之矣。君子遵道而行,半塗而廢,吾弗能已矣。君子依乎中庸,遯世不見知而不悔,唯聖者能之。”
孔子曰く、「隱僻を求めて怪誕を行うは、後世稱述するあり、われ此を爲さず。君子道を遵循して行い、半路にして廢す、われ停止する能わず。君子中庸に依りて、世を避けて人に知られずして悔いず、ただ聖者能く此のごとし」と。
君子之道費而隱,夫婦之愚可以與知焉,及其至也,雖聖人亦有所不知焉。夫婦之不肖可以能行焉,及其至也,雖聖人亦有所不能焉。天地之大也,人猶有所憾。故君子語大,天下莫能載焉,語小,天下莫能破焉。詩云:“鳶飛戾天,魚躍於淵。”言其上下察也。君子之道造端乎夫婦,及其至也,察乎天地。
君子の道は廣大にして又隱微なり。夫婦のごとき愚のも亦た以って參與知るべし、其の極致に及びては、たとえ聖人も亦た知らざる所有り。夫婦のごとき不肖のも亦た以って實行すべし、其の極致に及びては、たとえ聖人も亦た能わざる所有り。天地のごとき大に、人還お遺憾する所有り。故に君子大を說くに、天下能く裝載するなし。小を說くに、天下能く剖開するなし。《詩經・大雅・旱麓》に曰く、「鳶天に飛び、魚深淵に躍る」と。是れ其の上下審察するを說くなり。君子の道は夫婦より發端し、其の極致に及びては、天地に審察す。
子曰:“道不遠人,人之為道而遠人,不可以為道。詩云:‘伐柯伐柯,其則不遠。’執柯以伐柯,睨而視之,猶以為遠。故君子以人治人,改而止。忠恕違道不遠,施諸己而不願,亦勿施於人。君子之道四,丘未能一焉:所求乎子以事父,未能也;所求乎臣以事君,未能也;所求乎弟以事兄,未能也;所求乎朋友先施之,未能也。庸德之行,庸言之謹,有所不足,不敢不勉。有餘,不敢盡,言顧行,行顧言,君子胡不慥慥爾。”
孔子曰く、「道人を遠離せず。人道を爲して人を遠離するは、以って道を爲る可からず。《詩經・豳風・伐柯》に曰く、『斧柄を砍る斧柄を砍る、其の準則遠からず』と。斧柄を持ちて以って斧柄を砍る、眼を斜めて之を看るに、還お以って遠しと爲す。故に君子人を以って人を治理し、改めれば則ち停止す。忠恕道を離れず、自己に施加して願わざるは、亦た別人に施加せず。君子の道に四樣あり、丘一樣も能わず、兒子に要求する所を以って父親に事奉するは、能わず。臣に要求する所を以って君に事奉するは、能わず。弟弟に要求する所を以って兄に事奉するは、能わず。朋友に要求する所を自己先ず施行するは、能わず。平常の德を往きて實行し、平常の話を往きて謹慎し、不足する所有れば、敢えて勉力せざらず。有余すれば、敢えて盡く爲さず。話行爲に顧及し、行爲話に顧及す、君子何ぞ篤實ならざらん」と。
君子素其位而行,不願乎其外:素富貴行乎富貴,素貧賤行乎貧賤,素夷狄行乎夷狄,素患難行乎患難,君子無入而不自得焉。在上位不陵下,在下位不援上,正己而不求於人,則無怨。上不怨天,下不尤人,故君子居易以俟命,小人行險以徼倖。子曰:“射有似乎君子:失諸正鵠,反求諸其身。”
君子其の位子に就きて行い、其の外面を羨慕せず。富貴に就きて富貴に行い、貧賤に就きて貧賤に行い、夷狄に就きて夷狄に行い、患難に就きて患難に行う、君子進入する處なくして自得せざるなし。上位に在りて下を欺凌せず、下位に在りて上を攀援せず、自己を端正して人に求めず、則ち怨なし。上天を怨みず、下人を責怪せず。故に君子平易に處りて以って命を等待し、小人險を走りて以って僥幸を求む。孔子曰く、「射君子に似乎あり、正鵠に射中らざれば、反りて自身に求む」と。
君子之道,闢如行遠必自邇,闢如登高必自卑。詩曰:“妻子好合,如鼓瑟琴。兄弟既翕,和樂且耽。宜爾室家,樂爾妻帑。”子曰:“父母其順矣乎!”
君子の道は、譬えば遠に走るは必ず近より開始し、譬えば高に登るは必ず低より開始す。《詩經・小雅・常棣》に曰く、「妻子兒女和好し、瑟琴を彈奏するがごとし。兄弟已に和合し、和樂して且つ深厚す。なんじの室家に適宜し、なんじの妻兒を快樂せしめよ」と。孔子曰く、「父母おそらく順心せらんか!」
子曰:“鬼神之為德其盛矣乎:視之而弗見,聽之而弗聞,體物而不可遺,使天下之人齊明盛服以承祭祀,洋洋乎如在其上,如在其左右。詩曰:‘神之格思,不可度思,矧可射思’。夫微之顯,誠之不可揜如此夫。”
孔子曰く、「鬼神德と作るおそらく盛ならんか、之を看るに看見せず、之を聽くに聽聞せず、物上に體現して遺漏す可からず。天下の人をして齋戒潔淨し・盛服して以って祭祀を承受せしむ、洋洋然として其の上面に在るがごとく、其の左右に在るがごとし。《詩經・大雅・抑》に曰く、『神の到來や、以って測度す可からんや、況んや以って厭倦す可けんや』と。隱微の顯著は、誠の遮掩す可からざるは、是のごときや」と。
子曰:“舜其大孝也與!德為聖人,尊為天子,富有四海之內,宗廟饗之,子孫保之。故大德必得其位,必得其祿,必得其名,必得其壽。故天之生物,必因其材而篤焉。故栽者培之,傾者覆之。詩曰:‘嘉樂君子,憲憲令德。宜民宜人,受祿於天。保佑命之,自天申之。’故大德者必受命。”
孔子曰く、「舜おそらく大孝ならんか!德は聖人、尊は天子、富四海之內を有し、宗廟彼を宴饗し、子孫彼を保有す。故に大德は必ず位子を得、必ず祿を得、必ず名を得、必ず壽を得。故に天萬物を生ずるに、必ず其の材質に因りて加厚す。故に能く栽種するは則ち之を培養し、傾斜するは則ち之を翻覆す。《詩經・大雅・假樂》に曰く、『美樂の君子、顯顯其の美好の德。民に適宜し人に適宜し、天より祿を接受す。保佑して彼を命じ、天より申重す』と。故に大德の人は必ず命を接受す」と。
子曰:“無憂者其惟文王乎!以王季為父,以武王為子,父作之,子述之。武王纘大王、王季、文王之緒,壹戎衣而有天下,身不失天下之顯名,尊為天子,富有四海之內,宗廟饗之,子孫保之。武王末受命,周公成文武之德,追王大王、王季,上祀先公以天子之禮。斯禮也,達乎諸侯大夫及士庶人。父為大夫,子為士,葬以大夫,祭以士。父為士,子為大夫,葬以士,祭以大夫。期之喪,達乎大夫。三年之喪,達乎天子。父母之喪無貴賤,一也。”
孔子曰く、「憂なきはおそらくただ文王ならんか!王季を以って父親と爲し、武王を以って兒子と爲す、父親制作し、兒子記述す。武王太王・王季・文王の緖業を繼承し、一たび戎衣を着して天下を保有し、自身天下の顯名を失わず、尊は天子、富四海之內を有し、宗廟彼を宴饗し、子孫彼を保有す。武王末年命を接受し、周公文王武王の德を成就し、太王・王季を追尊して王と爲し、上に向かいて天子の禮を以って先公を祭祀す。此の禮は、諸侯大夫以及士庶人に通達す。父親は大夫、兒子は士なれば、葬に大夫を用い、祭に士を用いる。父親は士、兒子は大夫なれば、葬に士を用い、祭に大夫を用いる。期年の喪は、大夫に通達す。三年の喪は、天子に通達す。父母の喪に貴賤なく、是れ一樣なり」と。
子曰:“武王、周公其達孝矣乎!夫孝者,善繼人之志,善述人之事者也。春秋修其祖廟,陳其宗器,設其裳衣,薦其時食。宗廟之禮,所以序昭穆也。序爵,所以辨貴賤也。序事,所以辨賢也。旅酬下為上,所以逮賤也。燕毛,所以序齒也。踐其位,行其禮,奏其樂,敬其所尊,愛其所親,事死如事生,事亡如事存,孝之至也。郊社之禮所以事上帝也,宗廟之禮所以祀乎其先也。明乎郊社之禮,禘嘗之義,治國其如示諸掌乎?”
孔子曰く、「武王・周公おそらく通達の孝ならんか!孝は、是れ善く別人の志願を繼續し・善く別人の事を記述するなり。春秋其の祖廟を修治し、其の宗器を陳列し、其の裳衣を設置し、其の時令の食物を進上す。宗廟の禮は、是れ以って昭穆を排列するなり。爵を排列するは、是れ以って貴賤を辨別するなり。職事を排列するは、是れ以って賢を辨別するなり。旅酬の時下面は上面の爲にするは、是れ以って賤に到達するなり。燕飮毛髮顏色に按りては、是れ以って年齒を排列するなり。其の位子を踩み、其の禮を行い、其の樂を奏し、彼の尊ぶ所を敬し、彼の親しむ所を愛し、死者に事奉するに生者に事奉するのごとく、亡者に事奉するに在者に事奉するのごとくすれば、是れ孝の極致なり。郊社の禮は是れ以って上帝に事奉するなり、宗廟の禮は是れ以って其の先祖を祭祀するなり。郊社の禮・禘嘗の義を明白せば、國を治めるおそらく掌心を看るがごとからんか」と。
哀公問政,子曰:“文武之政,布在方策。其人存,則其政舉;其人亡,則其政息。人道敏政,地道敏樹。夫政也者,蒲盧也。故為政在人,取人以身,修身以道,修道以仁。仁者人也,親親為大。義者宜也,尊賢為大。親親之殺,尊賢之等,禮所生也。在下位不獲乎上,民不可得而治矣。故君子不可以不修身,思修身,不可以不事親;思事親,不可以不知人;思知人,不可以不知天。”天下之達道五,所以行之者三。曰君臣也、父子也、夫婦也、昆弟也、朋友之交也,五者天下之達道也。知、仁、勇三者,天下之達德也。所以行之者一也。或生而知之,或學而知之,或困而知之,及其知之一也。或安而行之,或利而行之,或勉強而行之,及其成功一也。子曰:“好學近乎知,力行近乎仁,知恥近乎勇。知斯三者則知所以修身,知所以修身則知所以治人,知所以治人則知所以治天下國家矣。”凡為天下國家有九經,曰修身也,尊賢也,親親也,敬大臣也,體群臣也,子庶民也,來百工也,柔遠人也,懷諸侯也。修身則道立,尊賢則不惑,親親則諸父昆弟不怨,敬大臣則不眩,體群臣則士之報禮重,子庶民則百姓勸,來百工則財用足,柔遠人則四方歸之,懷諸侯則天下畏之。齊明盛服,非禮不動,所以修身也。去讒遠色,賤貨而貴德,所以勸賢也。尊其位,重其祿,同其好惡,所以勸親親也。官盛任使,所以勸大臣也。忠信重祿,所以勸士也。時使薄斂,所以勸百姓也。日省月試,既廩稱事,所以勸百工也。送往迎來,嘉善而矜不能,所以柔遠人也。繼絕世,舉廢國,治亂持危,朝聘以時,厚往而薄來,所以懷諸侯也。凡為天下國家有九經,所以行之者一也。凡事豫則立,不豫則廢。言前定則不跲,事前定則不困,行前定則不疚,道前定則不窮。在下位不獲乎上,民不可得而治矣。
哀公政を問う。孔子曰く、「文王武王の政は、方策上に分布在り。其の人在れば、則ち其の政興起し、其の人亡れば、則ち其の政止息す。人の道は政に敏く、地の道は種植に敏し。政は、蒲盧のごとし。故に政を爲るは人に在り、人を取るは自身に憑り、身を修るは道に憑り、道を修るは仁に憑る。仁は即ち人なり、親人に親愛するを大と爲す。義は即ち適宜なり、賢人を尊重するを大と爲す。親人に親愛するの差等、賢人を尊重するの等級は、是れ禮の生出する所なり。下位に在りて上の信任を得る能わざれば、民治理する能わず。故に君子身を修めざる可からず。身を修めんと要すれば、親人に事奉せざる可からず。親人に事奉せんと要すれば、人を知らざる可からず。人を知らんと要すれば、天を知らざる可からず」と。天下通達の道に五あり、以って之を實行するに三あり。君臣・父子・夫婦・兄弟・朋友の交往と謂う、此の五樣は天下通達の道なり。智・仁・勇此の三樣は、是れ天下通達の德なり。以って之を實行するは是れ一箇なり。或いは生下して知り、或いは學習して知り、或いは困頓して知る、知るに及びては是れ一箇なり。或いは安然實行し、或いは利の爲に實行し、或いは勉强實行す、成功に及びては是れ一箇なり。孔子曰く、「學を喜好するは智に接近し、努力實行するは仁に接近し、恥を知るは勇に接近す。此の三樣を知れば則ち以って身を修るを知り、以って身を修るを知れば則ち以って人を治るを知り、以って人を治るを知れば則ち以って天下國家を治理するを知るなり」と。およそ天下國家を治理するに九條の經常あり、身を修め、賢を尊し、親人に親愛し、大臣を敬し、群臣を體恤し、庶民を以って兒子と作し、百工を招來し、遠人を柔安し、諸侯を安撫すと謂う。身を修めれば則ち道樹立し、賢を尊すれば則ち迷惑せず、親人に親愛すれば則ち諸父兄弟怨みず、大臣を敬すれば則ち眩亂せず、群臣を體恤すれば則ち士の回報する禮重し、庶民を以って兒子と作せば則ち百姓勉力し、百工を招來すれば則ち財用充足し、遠人を柔安すれば則ち四方歸向し、諸侯を安撫すれば則ち天下畏懼す。齋戒潔淨して盛服し、禮に合せざるは行動せざるは、是れ以って身を修るなり。讒言を去掉し女色を遠離し、貨を看輕して德を看重するは、是れ以って賢を勉勵するなり。彼の位子を尊重し、彼の祿を看重し、彼の好惡を同一するは、是れ以って親人に親愛するを勉勵するなり。屬官盛んに多く差使に聽憑せるは、是れ以って大臣を勉勵するなり。忠信重祿は、是れ以って士を勉勵するなり。時を使い斂を薄くするは、是れ以って百姓を勉勵するなり。日日省察し・月月考核して、發給する糧米事に相稱するは、是れ以って百工を勉勵するなり。往くを送り來るを迎え、善を嘉獎して能わざるを憐憫するは、是れ以って遠人を柔安するなり。斷絕の世系を接續し、廢棄の國を興擧し、亂を治理して危を扶持し、朝聘時に按りて、送去は厚く收來は薄くするは、是れ以って諸侯を安撫するなり。およそ天下國家を治理するに九條の經常あり、以って之を實行するは是れ一箇なり。およそ事豫備あれば則ち立住り、豫備なくば則ち廢す。話事先に確定すれば則ち絆跌せず、事事先に確定すれば則ち困窘せず、行事事先に確定すれば則ち愧疚せず、道事先に確定すれば則ち窮盡せず。下位に在りて上の信任を得る能わざれば、民治理する能わず。
獲乎上有道,不信乎朋友,不獲乎上矣。信乎朋友有道,不順乎親,不信乎朋友矣。順乎親有道,反諸身不誠,不順乎親矣。誠身有道,不明乎善,不誠乎身矣。誠者,天之道也;誠之者,人之道也。誠者不勉而中,不思而得,從容中道,聖人也。誠之者,擇善而固執之者也。博學之,審問之,慎思之,明辨之,篤行之。有弗學,學之弗能弗措也;有弗問,問之弗知,弗措也;有弗思,思之弗得弗措也;有弗辨,辨之弗明弗措也;有弗行,行之弗篤弗措也。人一能之,己百之,人十能之,己千之。果能此道矣,雖愚必明,雖柔必強。
上の信任を得るに道あり、朋友に信任せられざれば、則ち上を得る能わず。朋友に信任せらるるに道あり、親人に順從せざれば、則ち朋友に信任せられず。親人に順從するに道あり、自身に反求して誠ならざれば、則ち親人に順從せず。自身を誠にするに道あり、善を明白せざれば、則ち能く自身を誠にせず。誠は、是れ天の道なり。之を誠にするは、是れ人の道なり。誠の人は勉力せずして中し、思索せずして得、從容として道に合す、是れ聖人なり。之を誠にする人は、是れ善を選擇して牢固に持守するなり。廣博に之を學び、審愼に之を問い、謹愼に之を想い、明白に之を辨別し、篤實に之を實行す。學ばざるあり、學びて能わざれば則ち放下せず。問わざるあり、問いて知らざれば則ち放下せず。想わざるあり、想いて得ざれば則ち放下せず。辨別せざるあり、辨別して明白ならざれば則ち放下せず。實行せざるあり、實行して篤實ならざれば則ち放下せず。別人一次能く做到するは、自己一百次を爲す。別人十次能く做到するは、自己一千次を爲す。果して能く此の道せば、たとえ愚なりとも必ず明し、たとえ柔なりとも必ず強し。
自誠明謂之性,自明誠謂之教。誠則明矣,明則誠矣。
誠より明に至るを性と謂い、明より誠に至るを敎と謂う。誠なれば則ち明なり、明なれば則ち誠なり。
唯天下至誠,為能盡其性;能盡其性,則能盡人之性;能盡人之性,則能盡物之性;能盡物之性,則可以贊天地之化育;可以贊天地之化育,則可以與天地參矣。
ただ天下至極の誠のみ、能く他自己の性を盡す。能く自己の性を盡せば、則ち能く人の性を盡す。能く人の性を盡せば、則ち能く物の性を盡す。能く物の性を盡せば、則ち以って天地の化育を贊助すべし。以って天地の化育を贊助すべければ、則ち以って天地と幷列して三と爲るべし。
其次致曲,曲能有誠。誠則形,形則著,著則明,明則動,動則變,變則化。唯天下至誠為能化。
其の次は一端に致力す、一端能く誠あり。誠なれば則ち形を成し、形を成せば則ち顯著し、顯著すれば則ち光明し、光明すれば則ち發動し、發動すれば則ち變化し、變化すれば則ち化育す。ただ天下至極の誠のみ能く化育す。
至誠之道可以前知。國家將興,必有禎祥;國家將亡,必有妖孽。見乎蓍龜,動乎四體。禍福將至,善必先知之,不善必先知之。故至誠如神。
至極の誠の道は以って豫知すべし。國家將に興らんとせば、必ず禎祥あり。國家將に亡びんとせば、必ず妖孽あり。蓍龜上に顯現し、四體上に發動す。禍福將に到來せんとせば、善は必ず先に知り、不善は必ず先に知る。故に至極の誠は神のごとし。
誠者自成也,而道自道也。誠者物之終始,不誠無物。是故君子誠之為貴。誠者,非自成己而已也,所以成物也。成己,仁也;成物,知也。性之德也,合外內之道也。故時措之宜也。
誠は是れ自己成就、而して道は是れ自己引導なり。誠は是れ物の終結と開始、不誠なれば則ち物なし。故に君子誠を以って貴と作す。誠は、自己成就すれば則ち完了にあらず、是れ以って物を成就するなり。自己を成就するは、是れ仁。物を成就するは、是れ智。是れ性の德、是れ外內を會合する道なり。故に時に隨い措置して皆適宜なり。
故至誠無息,不息則久,久則徵,徵則悠遠,悠遠則博厚,博厚則高明。博厚所以載物也,高明所以覆物也,悠久所以成物也。博厚配地,高明配天,悠久無疆。如此者不見而章,不動而變,無為而成。天地之道,可壹言而盡也:其為物不貳,則其生物不測。天地之道,博也,厚也,高也,明也,悠也,久也。今夫天,斯昭昭之多,及其無窮也,日月星辰系焉,萬物覆焉。今夫地,一撮土之多,及其廣厚,載華嶽而不重,振河海而不洩,萬物載焉。今夫山,一卷石之多,及其廣大,草木生之,禽獸居之,寶藏興焉。今夫水,一勺之多,及其不測,黿鼉鮫龍魚鱉生焉,貨財殖焉。詩曰:“惟天之命,於穆不已。”蓋曰天之所以為天也。“於乎不顯,文王之德之純”,蓋曰文王之所以為文也,純亦不已。
故に至極の誠に止息なし。止息せざれば則ち長久し、長久すれば則ち徵驗し、徵驗すれば則ち悠遠し、悠遠すれば則ち博厚し、博厚すれば則ち高明す。博厚は是れ以って物を承載するなり、高明は是れ以って物を覆蓋するなり、悠久は是れ以って物を成就するなり。博厚は地に配合し、高明は天に配合し、悠久は疆界なし。是のごときは、顯現せずして彰明し、發動せずして變化し、作爲する無くして成就す。天地の道は、以って一句話而して說盡すべし、其の物と爲るに貳なければ、則ち其の物を生成するは測度す可からず。天地の道は、博し、厚し、高し、明し、悠し、久し。如今此の天は、是れ此の一点点光明の積累、其の無窮に及びては、日月星辰上に係り、萬物覆蓋せらる。如今此の地は、是れ一撮土の積累、其の廣厚に及びては、華嶽を承載して重しと覺えず、河海を收納して泄漏せず、萬物承載せらる。如今此の山は、是れ一塊卷石の積累、其の廣大に及びては、草木上に生じ、禽獸裏に住し、寶藏此より興起す。如今此の水は、是れ一勺の積累、其の測度す可からざるに及びては、黿鼉鮫龍魚鱉裏に生じ、貨財此に繁殖す。《詩經・周頌・維天之命》に曰く、「ただ天の命、美好して停息せず」と。おそらく說くは天の天と爲る所以なり。「嗚呼顯赫ならずや、文王の德の純粹」は、おそらく說くは文王の文と爲る所以は、純粹も亦た停息せざるなり。
大哉聖人之道!洋洋乎發育萬物,峻極於天。優優大哉,禮儀三百,威儀三千,待其人然後行。故曰:“苟不至德,至道不凝焉。”故君子尊德性而道問學,致廣大而盡精微,極高明而道中庸,溫故而知新,敦厚以崇禮。是故居上不驕,為下不倍。國有道,其言足以興,國無道,其默足以容。詩曰:“既明且哲,以保其身。”其此之謂與。
大なるかな聖人の道!洋洋然として萬物を發育し、高峻天に到達す。優優然大なるかな、禮儀三百、威儀三千、其の人を等待して然る後に實行す。故に曰く、「若し至極の德なくば、至極の道凝聚せず」と。故に君子德性を尊重して問學を經由し、廣大に達到して精微に盡し、高明を極盡して中庸を經由し、舊を溫習して新を知り、敦厚して禮を崇尚す。故に上に在りて驕傲せず、下に在りて背叛せず。國道あれば、彼の話以って興起するに足り。國道なくば、彼の沉默以って身を容るるに足り。《詩經・大雅・烝民》に曰く、「既に明智して又聰哲、以って自身を保全す」と。おそらく說くは即ち此れならんか。
子曰:“愚而好自用,賤而好自專,生乎今之世,反古之道,如此者災及其身者也。”非天子不議禮,不制度,不考文,今天下車同軌,書同文,行同倫,雖有其位,苟無其德,不敢作禮樂焉。雖有其德,苟無其位,亦不敢作禮樂焉。子曰:“吾說夏禮,杞不足徵也。吾學殷禮,有宋存焉。吾學周禮,今用之,吾從周。”
孔子曰く、「愚昧して自ら其の是を行うを喜好し、低賤して自ら主張を作るを喜好し、如今の世に生まれて、古時の道に返回するは、是のごときは災禍自身に延及せん」と。天子にあらざれば則ち禮を議論せず、度を制定せず、文字を考校せず。如今天下車同軌、書同文字、行爲同倫理す。たとえ其の位子あれども、若し其の德なくば、敢えて禮樂を制作せず。たとえ其の德あれども、若し其の位子なくば、亦た敢えて禮樂を制作せず。孔子曰く、「われ夏禮を講述す、杞徵驗するに足らず。われ殷禮を學べば、宋有りて還お在り。われ周禮を學べば、如今之を用う、われ周に跟從す」と。
王天下有三重焉,其寡過矣乎。上焉者,雖善無徵,無徵不信,不信民弗從。下焉者,雖善不尊,不尊不信,不信民弗從。故君子之道,本諸身,徵諸庶民,考諸三王而不繆,建諸天地而不悖,質諸鬼神而無疑,百世以俟聖人而不惑。質諸鬼神而無疑,知天也;百世以俟聖人而不惑,知人也。是故君子動而世為天下道,行而世為天下法,言而世為天下則。遠之則有望,近之則不厭。詩曰:“在彼無惡,在此無射。庶幾夙夜,以永終譽。”君子未有不如此而蚤有譽於天下者也。
天下に王を稱するに三樣の重あり、おそらく過失少なからんか。上に在るは、たとえ善なりとも徵驗なくば、徵驗なくば則ち信せず、信せざれば則ち民跟從せず。下に在るは、たとえ善なりとも尊ならざれば、尊ならざれば則ち信せず、信せざれば則ち民跟從せず。故に君子の道は、自身に本づき、庶民に徵驗し、三王に考校して謬誤せず、天地に建立して悖逆せず、鬼神に質正して疑惑なく、百世聖人を等待して迷惑せず。鬼神に質正して疑惑なきは、是れ天を知るなり。百世聖人を等待して迷惑せざるは、是れ人を知るなり。故に君子一動して世代天下の道と爲り、一行爲して世代天下の法と爲り、一說話して世代天下の準則と爲る。彼を遠離すれば則ち仰望あり、彼に接近すれば則ち厭倦せず。《詩經・周頌・振鷺》に曰く、「彼邊に在りて厭惡なく、此邊に在りて厭倦なし。ほとんど日夜、以って其の聲譽を永遠に終結せん」と。君子此のごとくならざるなくして早く天下に聲譽あるなし。
仲尼祖述堯舜,憲章文武,上律天時,下襲水土。闢如天地之無不持載,無不覆幬,闢如四時之錯行,如日月之代明。萬物並育而不相害,道並行而不相悖。小德川流,大德敦化,此天地之所以為大也。唯天下至聖為能聰明睿知,足以有臨也;寬裕溫柔,足以有容也;發強剛毅,足以有執也;齊莊中正,足以有敬也;文理密察,足以有別也。溥博淵泉而時出之。溥博如天,淵泉如淵,見而民莫不敬,言而民莫不信,行而民莫不說。是以聲名洋溢乎中國,施及蠻貊。舟車所至,人力所通,天之所覆,地之所載,日月所照,霜露所隊,凡有血氣者,莫不尊親。故曰配天。
仲尼は遠く堯舜を宗し、近く文王武王に法り、上に對して天時に取法し、下に對して水土に因襲す。譬えば天地持載せざるなく、覆蓋せざるなし。譬えば四時交錯運行するがごとく、日月更替照明するがごとし。萬物一幷に養育して互相いに傷害せず、道幷行して互相いに悖逆せず。小德は河川流動のごとく、大德は敦厚化育す、此れ天地の大なる所以なり。ただ天下至極の聖のみ能く聰明睿智し、以って民に臨むに足り。寬裕温柔にして、以って容納するに足り。奮發剛毅にして、以って執持するに足り。整齊莊重中正にして、以って敬あるに足り。文理細密審察にして、以って分別あるに足り。廣大淵泉のごとくして時に按りて發出す。廣大天のごとく、淵泉淵のごとし。顯現して民敬せざるなく、說話して民信せざるなく、實行して民喜悅せざるなし。故に聲名中國に洋溢し、蠻貊に施及す。舟車の到る所、人力の通ずる所、天の覆蓋する所、地の承載する所、日月の照る所、霜露の墜落する所、およそ血氣あるは、尊重親愛せざるなし。故に曰く、天に配合すと。
唯天下至誠為能經綸天下之大經,立天下之大本,知天地之化育。夫焉有所倚?肫肫其仁,淵淵其淵,浩浩其天,苟不固聰明聖知達天德者,其孰能知之?
ただ天下至極の誠のみ能く天下の大經を經營し、天下の大根本を樹立し、天地の化育を知る。何處か偏倚ある所あらん?懇摯なるは其の仁、深淵なるは其の淵、浩浩なるは其の天。若し本來聰明聖智にして天德に通達するにあらざれば、誰か能く彼を知らん?
詩曰:“衣錦尚絅。”惡其文之著也。故君子之道,闇然而日章;小人之道,的然而日亡。君子之道淡而不厭,簡而文,溫而理,知遠之近,知風之自,知微之顯,可與入德矣。詩云:“潛雖伏矣,亦孔之昭。”故君子內省不疚,無惡於志,君子所不可及者,其唯人之所不見乎?詩云:“相在爾室,尚不愧於屋漏。”故君子不動而敬,不言而信。詩曰:“奏假無言,時靡有爭。”是故君子不賞而民勸,不怒而民威於鈇鉞。詩曰:“不顯惟德,百辟其刑之。”是故君子篤恭而天下平。詩曰:“予懷明德,不大聲以色。”子曰:“聲色之於以化民未也。”詩曰:“德輶如毛。”毛猶有倫,“上天之載,無聲無臭”,至矣!
《詩經・衛風・碩人》に曰く、「錦衣を穿きて外面に單罩衣を加う」と。是れ其の文采の顯露を厭惡するなり。故に君子の道は、暗淡にして日日彰明し、小人の道は、鮮明にして日日消亡す。君子の道は淡して厭倦せず、簡して文あり、温して理あり、遠は近より來るを知り、風は何處より來るを知り、隱微の顯著を知れば、以って德に進入すべし。《詩經・小雅・正月》に曰く、「潛伏して雖も伏するも、亦た甚く昭明なり」と。故に君子內心反省して愧疚なく、志願厭惡なし。君子の趕かざる可き所は、おそらくただ人の看見せざるならんか?《詩經・大雅・抑》に曰く、「なんじが室中に在るを看るに、尚且屋漏に愧じず」と。故に君子行動せずして敬し、說話せずして信す。《詩經・商頌・烈祖》に曰く、「禱告を進上して話なく、此の時爭なし」と。故に君子賞賜せずして民勉力し、發怒せずして民斧鉞より還お畏懼す。《詩經・周頌・烈文》に曰く、「顯赫せざるただ德、百君之に取法す」と。故に君子篤實恭敬して天下平す。《詩經・大雅・皇矣》に曰く、「われ明德を懷想し、聲音と顏色を放大せず」と。孔子曰く、「聲音顏色を以って民を敎化するは末節なり」と。《詩經・大雅・烝民》に曰く、「德輕きこと毛のごとし」と。毛は還お倫類比すべきあり、「上天の事は、聲音なく氣味なし」は、是れ極致なり!
