曲礼
天子不言出,諸侯不生名,君子不親惡。諸侯失地,名,滅同姓,名。
天子は「出」と言わず、諸侯は生きて名を稱せず、君子は惡を爲す人に親しまない。諸侯が地を失えば名を稱し、同姓を滅ぼせば名を稱す。
為人臣之禮,不顯諫,三諫而不聽,則逃之。子之事親也,三諫而不聽,則號泣而隨之。
臣たるの禮は、公開して諫諍せず、三度進諫して聽かざれば離れる。兒子が雙親に事えるに、三度進諫して聽かざれば、號泣して隨う。
君有疾飲藥,臣先嚐之,親有疾飲藥,子先嚐之。醫不三世,不服其藥。
國君に病ありて藥を服すれば臣が先に嘗め、雙親に病ありて藥を服すれば兒子が先に嘗む。醫が傳習三世せざれば、その藥を服用しない。
儗人必於其倫。
人を比擬するには必ずその倫類による。
問天子之年,對曰:“聞之始服衣若干尺矣。”問國君之年,長,曰:“能從宗廟社稷之事矣。”幼,曰:“未能從宗廟社稷之事也。”問大夫之子,長,曰:“能御矣。”幼,曰:“未能御也。”問士之子,長,曰:“能典謁矣。”幼,曰:“未能典謁也。”問庶人之子,長,曰:“能負薪矣。”幼,曰:“未能負薪也。”
天子の年歲を問うに、答えて「若干尺の衣服を着始めたと聞く」と言う。國君の年歲を問うに、年長なれば「宗廟・社稷の事に從事することができる」と言い、年幼なれば「まだ宗廟・社稷の事に從事することができない」と言う。大夫の子を問うに、年長なれば「車を駕ることができる」と言い、年幼なれば「まだ車を駕ることができない」と言う。士の子を問うに、年長なれば「傳達を掌管することができる」と言い、年幼なれば「まだ傳達を掌管することができない」と言う。庶人の子を問うに、年長なれば「柴を負うことができる」と言い、年幼なれば「まだ柴を負うことができない」と言う。
問國君之富,數地以對,山澤之所出。問大夫之富,曰:有宰食力,祭器衣服不假。問士之富,以車數對。問庶人之富,數畜以對。
國君の富を問うに、土地の數をもって對え、および山澤の出産をもってす。大夫の富を問うに、言う、采邑ありて封地をもって食し、祭器・衣服は借りずと。士の富を問うに、車の數をもって對え。庶人の富を問うに、牲畜の數をもって對え。
天子祭天地,祭四方,祭山川,祭五祀,歲遍。諸侯方祀,祭山川,祭五祀,歲遍。大夫祭五祀,歲遍。士祭其先。
天子は天地を祭り、四方を祭り、山川を祭り、五祀を祭り、一年一輪遍す。諸侯は一方之祀を祭り、山川を祭り、五祀を祭り、一年一輪遍す。大夫は五祀を祭り、一年一輪遍す。士は己の祖先を祭る。
凡祭,有其廢之,莫敢舉也,有其舉之,莫敢廢也。非其所祭而祭之,名曰淫祀。淫祀無福。
およそ祭祀、すでに廢せられた者は敢えて再び舉行せず、すでに舉行された者は敢えて廢せない。彼の祭るべきにあらざるを祭るを、淫祀と名づく。淫祀には福なし。
天子以犧牛,諸侯以肥牛,大夫以索牛,士以羊豕。支子不祭,祭必告於宗子。
天子は純色の犧牛を用い、諸侯は肥牛を用い、大夫は求得の牛を用い、士は羊と豬を用いる。支子は祭せず、祭すれば必ず先ず宗子に告ぐ。
凡祭宗廟之禮,牛曰一元大武,豕曰剛鬣,豚曰腯肥,羊曰柔毛,雞曰翰音,犬曰羹獻,雉曰疏趾,兔曰明視,脯曰尹祭,槁魚曰商祭,鮮魚曰脡祭,水曰清滌,酒曰清酌,黍曰薌合,粱曰薌萁,稷曰明粢,稻曰嘉蔬,韭曰豐本,鹽曰鹹鹺,玉曰嘉玉,幣曰量幣。
およそ宗廟を祭るの禮、牛を一元大武と謂い、豬を剛鬣と謂い、小豬を腯肥と謂い、羊を柔毛と謂い、雞を翰音と謂い、狗を羹獻と謂い、雉を疏趾と謂い、兔を明視と謂い、干肉を尹祭と謂い、干魚を商祭と謂い、鮮魚を脴祭と謂い、水を清滌と謂い、酒を清酌と謂い、黍を薌合と謂い、粱を薌萁と謂い、稷を明粢と謂い、稻を嘉蔬と謂い、韭を豐本と謂い、鹽を鹹鹺と謂い、玉を嘉玉と謂い、幣を量幣と謂う。
天子死曰崩,諸侯曰薨,大夫曰卒,士曰不祿,庶人曰死。在床曰屍,在棺曰柩。羽鳥曰降,四足曰漬,死寇曰兵。祭王父曰皇祖考,王母曰皇祖妣,父曰皇考,母曰皇妣,夫曰皇辟。生曰父,曰母,曰妻,死曰考,曰妣,曰嬪。壽考曰卒,短折曰不祿。
天子の死を崩と謂い、諸侯を薨と謂い、大夫を卒と謂い、士を不祿と謂い、庶人を死と謂う。牀に在れば尸と謂い、棺に在れば柩と謂う。羽鳥の死を降と謂い、四足の死を漬と謂い、寇に死するを兵と謂う。祖父を祭るに皇祖考と謂い、祖母を皇祖妣と謂い、父を皇考と謂い、母を皇妣と謂い、夫を皇辟と謂う。生きては父・母・妻と稱し、死しては考・妣・嬪と稱す。長壽にして死するを卒と謂い、短命夭折を不祿と謂う。
天子視不上於袷,不下於帶,國君綏視,大夫衡視,士視五步。凡視,上於面則敖,下於帶則憂,傾則奸。
天子を看るに、視線は上は衣領交叉の處に至らず、下は腰帶に至らず、國君を看るに、視線は稍や下に、大夫を看るに、視線は平視し、士を看るに、視線は五步の內に在り。およそ人を看るに、面部より高きは傲慢なり、腰帶より低きは憂慮なり、偏斜すれば奸邪なり。
君命,大夫與士肄,在官言官,在府言府,在庫言庫,在朝言朝。朝言不及犬馬,輟朝而顧,不有異事,必有異慮。故輟朝而顧,君子謂之固。在朝言禮,問禮對以禮。
國君に命あれば、大夫と士は研習す。官に在れば官の事を說き、府に在れば府の事を說き、庫に在れば庫の事を說き、朝に在れば朝の事を說く。朝上で話すに犬馬に涉及せず。朝を散じて還って回頭看るは、異常の事あるか、異常の念頭あるなり。それゆえ朝を散じて還って回頭看るを、君子は之を固陋と稱す。朝に在りて禮を說き、禮を問い、對答するに皆禮を用いる。
大饗不問卜,不饒富。
大饗は卜を問わず、更に豐盛を求めない。
凡摯,天子鬯,諸侯圭,卿羔大夫鴈,士雉。庶人之摯匹,童子委摯而退。野外軍中無摯,以纓、拾、矢可也。婦人之摯,椇、榛、脯、修、棗、栗。
およそ見えの摯禮、天子は鬯酒を用い、諸侯は圭を用い、卿は羔を用い、大夫は雁を用い、士は雉を用いる。庶人の摯は鴨子、童子は摯を地に置いて退く。野外の軍中には摯なく、馬纓・射韝・箭をもってもよし。婦人の摯は、枳椇・榛子・干肉・薑桂を加えた干肉・棗・栗なり。
納女於天子,曰備百姓,於國君,曰備酒漿,於大夫,曰備埽灑。
女兒を天子の所に送り入るるを備百姓と謂い、國君の所に送るを備酒漿と謂い、大夫の所に送るを備洒掃と謂う。
檀弓
公儀仲子之喪,檀弓免焉,仲子舍其孫而立其子,檀弓曰:“何居?我未之前聞也。”趨而就子服伯子於門右,曰:“仲子舍其孫而立其子,何也?”
公儀仲子の喪事に、檀弓は免(冠を去りて布をもって頭を纏う喪飾)を着けて弔いに行った。仲子は嫡孫を捨てて庶子を立てた。檀弓が言う、「どういうことか。われ以前に聞かざりき」と。快步して門右に至り子服伯子に問うて言う、「仲子がその孫を捨ててその子を立てるは、なぜか」と。
伯子曰:“仲子亦猶行古之道也。昔者文王舍伯邑考而立武王,微子舍其孫腯而立衍也。夫仲子亦猶行古之道也。”
伯子が言う、「仲子もなお古道を行うなり。昔、文王は伯邑考を捨てて武王を立て、微子はその孫腯を捨てて衍を立てたり。仲子もなお古道を行うなり」と。
子游問諸孔子,孔子曰:“否,立孫。”
子游がこの事をもって孔子に問うに、孔子曰く、「否、孫を立つべし」と。
事親有隱而無犯,左右就養無方,服勤至死,致喪三年。事君有犯而無隱,左右就養有方,服勤至死,方喪三年。事師無犯無隱,左右就養無方,服勤至死,心喪三年。
雙親に事えるには、隱諱あって犯顏なく、左右の奉養に固定の方所なく、勤苦して服事して死に至り、極致の喪服三年。國君に事えるには、犯顏あって隱諱なく、左右の奉養に固定の職分あり、勤苦して服事して死に至り、父を喪するに比して三年を服す。老師に事えるには、犯顏なく隱諱なく、左右の奉養に固定の方所なく、勤苦して服事して死に至り、心喪三年。
季武子成寢,杜氏之葬在西階之下,請合葬焉,許之。入宮而不敢哭,武子曰:“合葬非古也,自周公以來,未之有改也,吾許其大而不許其細,何居?”命之哭。
季武子が住宅を建成するに、杜氏の葬處が西階の下に在り、合葬を請えば、武子は許諾した。宮に進み入るも敢えて哭せず。武子曰く、「合葬は古制にあらず、周公より來り、改めたことなし。われ彼に大なるを許して細なるを許さざるは、どういうことか」と。彼らに哭せしむ。
子上之母死而不喪,門人問諸子思曰:“昔者子之先君子喪出母乎?”曰:“然。”“子之不使白也喪之,何也?”子思曰:“昔者吾先君子無所失道,道隆則從而隆,道汙則從而汙,急則安能?為急也妻者,是為白也母,不為急也妻者,是不為白也母。”故孔氏之不喪出母,自子思始也。
子上の母が死せるも、子上は彼女のために喪を服さず。門人が子思に問うて言う、「昔、なんじの先君子は出母のために喪を服したか」と。子思曰く、「然り」と。「なんじが白に彼女のため服させざるは、なぜか」。子思曰く、「昔、わが先君子は道を失わざりき。道が隆盛なればそれに從いて隆盛し、道が污下なればそれに從いて污下す。伋がまた何ぞ比せん。伋(底本「急」、子思の名)の妻子たりし者こそ白の母なり。伋の妻子たりしにあらざれば、白の母にあらず」と。それゆえ孔氏は出母のために喪を服せず、子思より始まる。
孔子曰:“拜而後稽顙,頹乎其順也,稽顙而後拜,頎乎其至也。三年之喪,吾從其至者。”
孔子曰く、「先に拜して然る後に叩頭して地に觸るるは、恭順して體に得たり。先に叩頭して地に觸れて然る後に拜するは、哀痛の極致なり。三年の喪、われその極致に從う」と。
孔子既得合葬於防,曰:“吾聞之:古也墓而不墳。今丘也東西南北之人也,不可以弗識也。”於是封之,崇四尺。孔子先反,門人後,雨甚,至,孔子問焉,曰:“爾來何遲也?”曰:“防墓崩。”孔子不應,三,孔子泫然流涕曰:“吾聞之:古不修墓。”
孔子はすでに防地に父母を合葬し得て曰く、「われ聞く、古は墓あって墳を堆ねず。いまわが孔丘は東西南北に奔走の人、標識なかるべからず」と。乃ち土を封じて墳と爲し、高さ四尺。孔子は先に返り、門人は後に在り、雨甚大にして、至れば、孔子は彼らに問うて曰く、「なんじらどうして來ることかく遲き」と。門人曰く、「防地の墓崩れたり」と。孔子應答せず。三度問うて、孔子泫然として淚を流して曰く、「われ聞く、古は墓を修めずと」と。
孔子哭子路於中庭,有人吊者,而夫子拜之,既哭,進使者而問故,使者曰:“醢之矣。”遂命覆醢。
孔子が中庭に子路を哭するに、人來りて弔えば、夫子は拜謝す。哭し終わり、使者を呼び入れて緣故を問えば、使者曰く、「すでに肉醬に剁されました」と。乃ち人に命じて肉醬を蓋えて倒掉さしむ。
曾子曰:“朋友之墓,有宿草而不哭焉。”
曾子曰く、「朋友の墓は、隔年の草あれば哭しない」と。
子思曰:“喪三日而殯,凡附於身者,必誠必信,勿之有悔焉耳矣。三月而葬,凡附於棺者,必誠必信,勿之有悔焉耳矣。喪三年,以為極亡,則弗之忘矣。故君子有終身之憂,而無一朝之患。故忌日不樂。”
子思曰く、「喪事は三日にして殯し、およそ身に附着するは、必ず誠にして必ず信、事後に悔恨あらざればのみ。三箇月にして葬り、およそ棺に附着するは、必ず誠にして必ず信、事後に悔恨あらざればのみ。喪服三年、これをもって終結と爲すも、死去の人は忘れられず。それゆえ君子に終身の憂あって、一朝の患なし。それゆえ忌日は樂を奏さない」と。
孔子少孤,不知其墓,殯於五父之衢,人之見之者皆以為葬也,其慎也,蓋殯也。問於郰曼父之母,然後得合葬於防。
孔子は幼年に父を喪し、父の墓を知らず。母の棺を五父之衢に殯せしに、見る人皆下葬と以爲す。彼のかく審愼なるは、もとより殯なり。郰曼父の母に問うて、然る後に防地に合葬し得たり。
鄰有喪,舂不相,裡有殯,不巷歌。
隣家に喪あれば、米を舂くに相和の歌を唱わず、里中に殯あれば、巷に歌わない。
喪冠不緌。
喪冠は帽帶を垂らさない。
有虞氏瓦棺,夏后氏堲周,殷人棺槨,周人牆置翣。周人以殷人之棺槨葬長殤,以夏后氏之堲周葬中殤下殤,以有虞氏之瓦棺葬無服之殤。
有虞氏は瓦棺を用い、夏后氏は燒土を棺外に砌り、殷人は棺槨を用い、周人は牆と翣扇を設く。周人は殷人の棺槨をもって長殤を葬り、夏后氏の燒土を棺外に砌る法をもって中殤・下殤を葬り、有虞氏の瓦棺をもって無服の殤を葬る。
夏后氏尚黑,大事斂用昏,戎事乘驪,牲用玄。殷人尚白,大事歛用日中,戎事乘翰,牲用白。周人尚赤,大事斂用日出,戎事乘騵,牲用騂。
夏后氏は黑を崇尚し、大事の入斂は黄昏を用い、兵事は黑馬に乘り、牲は玄色を用いる。殷人は白を崇尚し、大事の入斂は正午を用い、兵事は白馬に乘り、牲は白色を用いる。周人は赤を崇尚し、大事の入斂は日出を用い、兵事は赤身白腹の馬に乘り、牲は赤色を用いる。
穆公之母卒,使人問於曾子曰:“如之何?”對曰:“申也聞諸申之父曰:哭泣之哀、齊斬之情、饘粥之食,自天子達。布幕,衛也,縿幕,魯也。”
穆公の母が死せるに、人を遣わして曾子に問うて曰く、「どうすべきか」と。答えて曰く、「わが申、父より聞けり、哭泣の哀、齊衰・斬衰(五服の最重なる兩等、斬衰は最重の生麻喪服、齊衰はこれに次ぐ)の情、稠粥の食は、天子より通行せり。布幕は衛の做法、絳色の幕は魯の做法なり」と。
晉獻公將殺其世子申生,公子重耳謂之曰:“子盍言子之志於公乎?”世子曰:“不可,君安驪姬,是我傷公之心也。”曰:“然則盍行乎?”世子曰:“不可,君謂我欲弒君也,天下豈有無父之國哉?吾何行如之?”使人辭於狐突曰:“申生有罪,不念伯氏之言也,以至於死,申生不敢愛其死。雖然,吾君老矣,子少,國家多難,伯氏不出而圖吾君,伯氏苟出而圖吾君,申生受賜而死。”再拜稽首乃卒,是以為恭世子也。
晉獻公が將にその世子申生を殺さんとす。公子重耳が彼に言う、「なんぞ公に己の心意を表明せざる」と。世子曰く、「不可なり。君は驪姬をもって安んず。かく爲すは公の心を傷るなり」と。重耳曰く、「然らばなんぞ逃走せざる」と。世子曰く、「不可なり。君はわれ君を弑せんと欲すと言う。天下に父なき國あらんや。われ何れにか逃げ往かん」と。人を遣わして狐突に吿別して曰く、「申生有罪、伯氏の言を念わず、死に至れり。申生敢えて一死を吝惜せず。雖然、吾君老いたり、兒子はなお小なり、國家多難なり。伯氏若し出でて吾君の事を謀らざれば罷めん。伯氏若し出でて吾君のために謀らば、申生賜を受けて死せん」と。再拜叩頭して然る後に自殺す。これをもって恭世子と稱せらる。
魯人有朝祥而莫歌者,子路笑之,夫子曰:“由,爾責於人,終無已夫?三年之喪,亦已久矣夫?”子路出,夫子曰:“又多乎哉?踰月則其善也。”
魯人に早上祥祭を舉行し晚上に歌う者あり、子路彼を笑う。夫子曰く、「由や、なんじ人を責むる、終竟盡きざるか。三年の喪も、また久しきに足れるか」と。子路出づれば、夫子曰く、「また過多なるか。月を過ぎて再び唱えば好し」と。
魯莊公及宋人戰於乘丘,縣賁父御,卜國為右,馬驚敗績,公隊,佐車授綏,公曰:“末之卜也。”縣賁父曰:“他日不敗績,而今敗績是,無勇也。”遂死之。圉人浴馬,有流矢在白肉,公曰:“非其罪也。”遂誄之。士之有誄,自此始也。
魯莊公が宋人と乘丘にて戰うに、縣賁父が車を駕り、卜國が車右を爲す。馬が驚きて大敗し、莊公は車より摔け墮ち、副車が綏を彼に遞ぐ。莊公曰く、「事先に卜を問わざりき」と。縣賁父曰く、「往日敗れず、今日敗れたるは、勇氣なきなり」と。遂に戰死す。養馬の者が馬を洗うに、流矢が肉裏に在るを發見す。莊公曰く、「彼の罪にあらず」と。乃ち彼のために誄を作る。士に誅あり、此時より始まる。
曾子寢疾,病,樂正子春坐於床下,曾元、曾申坐於足,童子隅坐而執燭。童子曰:“華而睆,大夫之簀與?”子春曰:“止。”曾子聞之,瞿然曰:“呼!曰‘華而睆,大夫之簀與’?”曾子曰:“然,斯季孫之賜也,我未之能易也。”元起易簀,曾元曰:“夫子之病革矣,不可以變,幸而至於旦,請敬易之。”曾子曰:“爾之愛我也不如彼。君子之愛人也以德,細人之愛人也以姑息。吾何求哉?吾得正而斃焉,斯已矣!”舉扶而易之,反席未安而沒。
曾子病に卧し、病重し。樂正子春は牀下に坐し、曾元・曾申は腳邊に坐し、童子は角落に坐して燭を執る。童子曰く、「華美にして光潔、大夫の竹席なるべし」と。子春曰く、「言うな」と。曾子聞きて、驚視して曰く、「ああ。『華美にして光潔、大夫の竹席なるべし』と言うか」と。曾子曰く、「然り、これ季孫の賜う所、われ未だ換える能わず」と。元を叫び起して席を換えしむ。曾元曰く、「夫子の病危急なり、變動すべからず。幸いに天亮を待ち、請う再び恭敬して換えん」と。曾子曰く、「なんじのわれを愛するはあの童子に如かず。君子の人を愛するは徳をもってし、小人の人を愛するは姑息をもってす。われまた何をか求めん。われ能く正を得て死去すれば、これ足れり」と。衆彼を扶け起して席を換え、席に返りて未だ安穩ならざるに去世す。
始死,充充如有窮;既殯,瞿瞿如有求而弗得;既葬,皇皇如有望而弗至。練而慨然,祥而廓然。
剛死の時は、充充然として窮途に出路なきがごとく、すでに殯せば、瞿瞿然として求むる所有りて得られざるがごとく、すでに葬れば、皇皇然として望む所有りて到らざるがごとし。小祥に感慨し、大祥に空虛す。
邾婁復之以矢,蓋自戰於升陘始也。魯婦人之髽而吊也,自敗於臺鮐始也.
邾婁が箭をもって魂を招くは、おそらく升陘にて戰うより始まる。魯國の婦人が髮髻を露わにして弔喪するは、台鮐にて戰敗せしより始まる。
南宮絛之妻之姑之喪,夫子誨之髽曰:“爾毋從從爾,爾毋扈扈爾。蓋榛以為笄,長尺而總八寸。”
南宮縚の妻子の婆婆の喪に、夫子が彼女に髻を作るを教えて曰く、「なんじ作るに高きに過ぐるなかれ、大きに過ぐるなかれ。おそらく榛木をもって笄と爲し、長さ一尺、髮を束ねる繒は八寸」と。
孟獻子禫,縣而不樂,比御而不入,夫子曰:“獻子加於人一等矣。”
孟獻子が禫祭を行うに、樂器を懸げて樂を作さず、侍御すべき日に至りて入らず。夫子曰く、「獻子は人より一等地高し」と。
孔子既祥,五日彈琴而不成聲,十日而成笙歌。
孔子すでに祥祭し、五日にして琴を彈くも聲調を成さず、十日にして能く笙を吹き歌唱す。
有子蓋既祥而絲屨組纓。
有子はおそらくすでに祥祭して絲鞋を穿き、絲組をもって冠纓と爲せり。
死而不弔者三:畏、厭、溺。
死して弔われざる三樣あり、逼を受けて死し、壓されて死し、溺れて死す。
子路有姊之喪,可以除之矣,而弗除也,孔子曰:“何弗除也?”子路曰:“吾寡兄弟而弗忍也。”孔子曰:“先王制禮,行道之人皆弗忍也。”子路聞之,遂除之。
子路に姐姐の喪あり、喪服を除くべきに及びて除かず。孔子曰く、「なんぞ除かざる」と。子路曰く、「われ兄弟少なく忍びざれり」と。孔子曰く、「先王の禮を制定せるに、道を行く者皆忍びざれり」と。子路聞きて、乃ち除く。
大公封於營丘,比及五世皆,反葬於周,君子曰:“樂,樂其所自生,禮,不忘其本,古之人有言曰:狐死正丘首,仁也。”
太公は營丘に封ぜられ、五世に至るまで、皆返りて周に葬る。君子曰く、「樂はその從生する所に樂しみ、禮はその本を忘れず。古人に言あり、狐狸は死すれば頭を丘穴に正對せしむ、是れ仁なり」と。
伯魚之母死,期而猶哭,夫子聞之,曰:“誰與哭者?”門人曰:“鯉也。”夫子曰:“嘻,其甚也!”伯魚聞之,遂除之。
伯魚の母が死せるに、一年にしてなお哭す。夫子聞きて曰く、「誰か哭する」と。門人曰く、「鯉なり」と。夫子曰く、「嘻、過分なり」と。伯魚聞きて、乃ち除く。
舜葬於蒼梧之野,蓋三妃未之從也,季武子曰:“周公蓋祔。”
舜は蒼梧の野に葬られ、おそらく三妃は從わざりき。季武子曰く、「周公はおそらく合葬なり」と。
曾子之喪,浴於爨室。
曾子の喪に、火を燒く屋にて沐浴せり。
大功廢業,或曰:大功誦可也。
大功は學業を廢止す。或る人曰く、大功は誦讀はなお可なりと。
子張病,召申祥而語之曰:“君子曰終,小人曰死。吾今日其庶幾乎?”
子張病みて、申祥を召して彼に告げて曰く、「君子は終と謂い、小人は死と謂う。われ今日おそらく差不多了なるべし」と。
曾子曰:“始死之奠,其餘閣也與?”
曾子曰く、「剛死の奠祭は、閣上に搁置せる剩余の食物を用いるか」と。
曾子曰:“小功不為位也者,是委巷之禮也。”子思之哭嫂也為位,婦人倡踴,申祥之哭言思也亦然。
曾子曰く、「小功に位次に按らず哭するは、陋巷の禮なり」と。子思の嫂を哭するは位次に按れり、婦人が先頭に跳踴し、申祥の言思を哭するもまた是のごとし。
古者冠縮縫,今也衡縫,故喪冠之反吉,非古也。
古は冠は直縫、今は橫縫なり。それゆえ喪冠と吉冠は相反す、古制にあらず。
曾子謂子思曰:“急,吾執親之喪也,水漿不入於口者七日。”子思曰:“先王之制禮也,過之者,俯而就之,不至焉者,跂而及之。故君子之執親之喪也,水漿不入於口者三日,杖而後能起。”
曾子が子思に謂うて曰く、「急や、わが雙親の喪を執持するに、水漿が口に入らざること七日ありき」と。子思曰く、「先王の禮を制定せるに、過ぐる者は俯身してそれに遷就し、至らざる者は踮脚してそれに到れしむ。それゆえ君子の雙親の喪を執持するに、水漿が口に入らざること三日、杖を拄きて然る後に能く起つ」と。
曾子曰:“小功不稅,則是遠兄弟,終無服也,而可乎?”
曾子曰く、「小功に追服せざれば、遠方の兄弟は、終竟喪服なからん、可ならんか」と。
伯高之喪,孔氏之使者未至,冉子攝束帛乘馬而將之,孔子曰:“異哉,徒使我不誠於伯高!”
伯高の喪に、孔氏の使者未だ至らず、冉子が代理して一束帛・四匹馬をもって禮を行く。孔子曰く、「怪しいかな、ただわれをして伯高に誠信ならざらしむ」と。
伯高死於衛,赴於孔子,孔子曰:“吾惡乎哭諸?兄弟,吾哭諸廟,父之友,吾哭諸廟門之外,師,吾哭諸寢,朋友.吾哭諸寢門之外,所知,吾哭諸野。於野則已疏,於寢則已重。夫由賜也見我,吾哭諸賜氏。”遂命子貢為之主,曰:“為爾哭也。”來者拜之,知伯高而來者勿拜也。
伯高が衛に死せるに、訃告孔子に至る。孔子曰く、「われ何處にか彼を哭せん。兄弟は、われ廟に哭せん。父の朋友は、われ廟門外に哭せん。師は、われ正寢に哭せん。朋友は、われ寢門外に哭せん。相識の人は、われ野地に哭せん。野地は疏に過ぎ、正寢は重きに過ぐ。彼は賜よりわれに引見せられたり、われ賜氏の所に哭せん」と。乃ち子貢に命じて喪主を爲さしめ、曰く、「なんじのために哭するなり」と。來る者は彼を拜し、伯高を知るをもって來たる者は拜せず。
曾子曰:“喪有疾,食肉飲酒,必有草木之滋焉,以為薑桂之謂也。”
曾子曰く、「喪に居りて病あれば、肉を食し酒を飲み、必ず草木の滋味あらん、以爲う所は薑桂なり」と。
子夏喪其子而喪其明,曾子吊之,曰:“吾聞之也朋,友喪明則哭之。”曾子哭,子夏亦哭,曰:“天乎!予之無罪也!”曾子怒,曰:“商,女何無罪也?吾與女事夫子於洙泗之間,退而老於西河之上,使西河之民,疑女於夫子,爾罪一也。喪爾親,使民未有聞焉,爾罪二也。喪爾子,喪爾明,爾罪三也。而曰‘女何無罪與’?”子夏投其杖而拜,曰:“吾過矣!吾過矣!吾離群而索居,亦已久矣!”
子夏が兒子を喪いて視力を喪失せり。曾子往きて彼を弔い曰く、「われ聞く、朋友が視力を喪失すれば彼のために哭すと」と。曾子哭し、子夏も哭し曰く、「天や!われ罪なし」と。曾子怒りを發し曰く、「商、なんじどうして罪なからん。われと汝と洙泗の間に夫子に事え、退きて西河の上に老を養い、西河の民をしてなんじを夫子に疑はしめたるは、なんじの罪の一なり。なんじの雙親を喪し、民に何をか聞かしめざりしは、なんじの罪の二なり。なんじの兒子を喪い、なんじの視力を喪失せるは、なんじの罪の三なり。却って『なんじどうして罪なし』と言うか」と。子夏杖を丟棄して拜して曰く、「われ誤れり!われ誤れり!われ群體を離れて獨り居ること、亦すでに久し」と。
