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月蝕五星及び列宿中外官占第十四

唐 · 李淳风 · 第7巻 / 26

作盤ガイド: 暦注(黄暦), 万年暦

按,星官有《二十八宿山經》,其山各在十二次之分。分野有災,則宿與山相感,而見祥異。至如《石氏星經》配宿屬國,皆以星斷,不計度距。《漢地理志》及蔡邕《月令章句》,皆以二十四氣日度所宿以分野。一設此法,莫能改張。而費直及未央,世不施用。且海內之廣,仰繫天宿,州國郡縣,皇王代殊,星辰兆未萌之前,人事興佈置之後。

李淳風按す。星官の書の中に《二十八宿山経》あり、載する所の各山は分别して十二次の分野の内に処す。分野に一旦災あれば、星宿はあの山と互いに感応し、従って祥瑞あるいは異象を顕現す。《石氏星経》が星宿の所属の国を配定するに至っては、皆星をもって断じ、度数の遠近を計らず。《漢書・地理志》と蔡邕《月令章句》は、則ち皆二十四節気の太陽の所在する宿度をもって分野を劃分す。この一套の方法は一経設立せられ、後人は便ち更改する法なし。而して費直と未央の説法は、世間は并びて施行せず。况且海内はこのごとく広大にして、皆天上の星宿に仰繋するに、而して州・国・郡・県の建制は歴代の帝王各々相同じからず。星辰は早くも事物の未萌の前に就已に徴兆を顕し、人事は却って建置・分劃の後に興起するなり。

秦漢郡縣遠應天文,晉趙都邑交錯非一。周祖后稷,創國策鄰,為狄所侵,仍居岐下。而《國語》云:武王伐殷,歲在鶉火。歲之所在,則我有周分野。今周之分隸在豫州,豐鎬舊都,翻當秦宿,應以理實,事恐難詳。如熒惑守心,宋景攘其災咎;實沈為崇,晉侯受其斃殃,此則天道影響,似逐人情,據其事驗,時以相應。今輒集星次如前,以存異說,州國分屬,義非所詳也。

秦・漢の郡県は遥々と上は天文に応じ、晋・趙の都邑はまた交錯して一処に止まらず。周の始祖・后稷は邦国を創建し隣境を経営し、後来狄人に侵擾せられ、仍ほ岐山の下に居す。而して《国語》にいう。武王が殷を伐つ時、歳星は鶉火の次に在り。歳星の所在するは、すなわち我が周朝の分野。可是今天周の分野は却って豫州に隷属し、豊・鎬両処の旧都は反って当に秦の星宿の下に在るべし。もし道理に按って実処に落とさんとすれば、此事は恐らく説清し難し。熒惑が心を守るに至っては、宋景公は善言をもって災咎を禳除した。実沈が作祟するは、晋侯はこれによって斃命の殃を受けた——これはすなわち天道は影の形に隨い・响の声に応ずるがごとく、似て人情に順って動く。これらの事験に依拠すれば、もまた時々互いに応合す。如今は姑く星次を上のごとく匯集し、もって各家の異説を保存す。州国の分属に至っては、その中の義理は并びて我の能く詳知する所に非ず。

或人問曰:天高不極,地厚無窮。凡在生靈,咸蒙覆載,而上分辰宿,下列侯王,分野獨擅於中華,星次不沾於荒服。至於蠻夷君長,敵戎虜酋豪,更稟英奇,並資山嶽。豈容變化,應驗全無,豈日月私照,意所未詳。冀爾達人,以祛所惑。

ある人が発問していう。天は高きこと極限なく、地は厚きこと窮尽なく、およそ生ある霊は、皆天の覆蓋と地の承載を蒙受す。可是上面には星辰・宿次を分列し、下面には侯王・邦国を排布するに、分野はただ中華の独り有するに帰し、星次は竟に荒遠の地に沾及せず。蛮夷の君長・戎虜の酋豪に至っては、同じく英奇の気を禀受し、同じく山岳の霊に憑借するに、どうして天象の変化は彼らに対し全く応験なからんや。豈に日月に還た偏私の照临あらんや。その中の用意は実に不明——先生のごとき通達の人に望む、我がために疑惑を解除せよと。

淳風答之曰:昔者周公,列聖之宗也。挾輔成王,定鼎河洛,辯方正位,處厥土中。都之以陰陽,隔之以寒暑,以為四交之中,當二儀之正,是以建國焉。故知華夏者,道德、禮樂、忠信之秀氣也。故聖人處焉,君子生焉。彼四夷者,北狄冱寒,穹廬牧野;南蠻水族,暑溼鬱蒸;東夷穴處,寄託海隅;西戎氈裘,愛居瀚海。莫不殘暴狠戾,鳥語獸音,炎涼氣偏,風土憤薄,人面獸心,宴安鴆毒,以此而況,豈得與中夏皆同日而言哉?

李淳風は彼に回答していう。往昔周公は歴代の聖人の中の宗師で、彼は成王を輔佐し、河・洛の間に国鼎を奠定し、方位を辨正し、大地の正中に安処した。陰陽の理をもって都を建て、寒暑の界をもって分隔し、此地がまさに四方交会の中・天地二儀の正に当たると認め、これがためにここに王国を建立した。これによって知るべし、華夏は道徳・礼楽・忠信の精粹の気の聚まる所。ゆえに聖人はここに居し、君子はここに生す。四方の夷狄に至っては、北狄は地気が厳寒にして、穹廬に住み曠野に牧す。南蛮は水族のごとく、暑湿が鬱蒸す。東夷は穴居して、海角に身を寄す。西戎は氈裘を身に着て、瀚海に安居す。彼らは残暴・狠戾ならざるなく、言語は鳥獣の声のごとく、寒暑の気は偏頗し、風土は澆薄・躁戾し、人面・獣心にして、苟安・享楽するは猶ほ鴆を飲みて自ら毒するがごとし。これをもって相い比ぶれば、豈に中夏と相い提並して論ずべけんや。

故孔子曰:夷狄之有君,不如諸夏之亡,此之謂也。是故越裳重譯,匈奴稽顙,肅慎獻矢,西戎聽律。莫不航海梯山,遠方致貢,人畜納首,殊類宅心。以此而言,四夷宗中國之驗也。故孔子曰;為政以德,譬如北辰,居其所,而眾星拱之。又且聖人觀象,分配國野,或取水土所生,或視風氣所宜,因繫之以成形象之應。故昴為旄頭被髮之象,青丘蠻夷文身之國,梗河胡騎負戈之俗。胡人事天,以昴星為主;越人伺察,以斗牛辨祥。秦人占狼弧,齊觀虛危,各是其國,自所宗奉。是以聖人因其情性所感而屬,豈越理苟且而傅會者哉?

ゆえに孔子にいう。夷狄は縱使君長あるも、諸夏の君なきに如かず——講ずる所はまさにこの道理。これがために越裳氏は輾転して翻訳して来朝し、匈奴は首を叩きて帰服し、肅慎は楛矢を進献し、西戎は中国の律令に聴命す。航海し山を翻らざるなく、遠方より前来して進貢し、人畜は首を俯せ、異族は心を帰す。これより説くれば、これはまさに四夷が中国を尊奉する明証。ゆえに孔子またいう。徳をもって政を施すは、譬えば北極星がその位に安居して、衆星が環繞してそれを拱衛するがごとし。况且聖人は天象を観察し国土・田野を分配するに、あるいは水土の生ずる物に取法し、あるいは風気の宜しき処を察看し、従って両者を聯繋して、形象上の対応を構成す。ゆえに昴宿は「旄頭」と号して、披髪の象を取り、青丘は蛮夷の文身の国に対応し、梗河星は胡人の騎兵が戈を負う習俗を象徴す。胡人は天を祭るに昴星をもって主星と為し、越人は天象を伺察するに斗・牛二宿を用いて吉凶を辨别し、秦人は天狼と弧矢を占候し、斉人は虚・危二宿を観測す——各自その本国に依拠し、自ら宗奉する所有り。見るべし、聖人は各方の情性の感応する所に順って配属するを、豈に事理に違背し苟且に附会せんや。

占例第十六

按:景緯垂變,妖孛示應,深淺之跡既殊,利害之差不一。先哲考驗多有異同,得失混淆,是非重疊,不為體例,學者致疑。今則錄薄蝕守犯,逆順斗凌,以次相從列之雲爾。

李淳風按す。日月・星辰は変異を垂示し、妖星・彗孛は応験を顕現す。その徴兆に深あり浅あり、痕跡は既に同じからず、主る所の利害の差別もまた一ならず。前代先哲の考察・検証は多く異同あり、得失は混淆し、是非は重曡す。もし一套の体例を整理せざれば、学者は便ち心に疑惑を生ぜん。如今は就ち薄・蝕・守・犯・逆・順・斗・凌これらの占例を記録し、類に依って相従い、依次に後に排列す。

日月則有蝕,有薄,有斗,有昏,有冥。星月同光,星月相蝕。列宿五緯,則有變動。芒角喜怒,大小存亡,列坐官位,則有疏拆舍集;五緯祆客,則有逆順遲疾。平行出入,合會聚從,離徙盈縮,(金宿。)居留經天,守中乘犯,侵凌牴觸,經歷貫刺,磨靡掩斗,周環繞戴,句巳牝牡焉。

日・月に就いて言えば、蝕あり・薄あり・斗あり・昏あり・冥ありのこれらの変異あり。星と月とが同じく光芒を放つこともあり、また星と月とが互いに掩蝕することもあり。二十八宿と五緯(五星)に就いて言えば、則ち種々の変動あり。芒角の舒張・収斂は喜怒を見る可く、形体の大小は存亡を見る可く、諸星の列する座次と官位は、則ち疏散・拆離・舎止・聚集の別あり。五緯と妖星・客星は、則ち逆行・順行・遅行・疾行の異あり。此外また平行・出入・合会・聚従・離徙・盈縮(太白等の金宿の進退を指す)、および居・留・経天・守中・乘・犯・侵・凌・抵・触・経・歴・貫・刺・磨・靡・掩・斗・周・環・繞・戴・句巳・牝牡等々の名目あり。

日月兩體相掩映,從一邊起漸侵,或多或少,此為蝕也,猶似蟲蝕葉之狀。日被月蝕,陰侵陽,下凌上,咎在君王。蝕少半災輕,蝕大半災重。蝕既,亡國殺君之象。月蝕者,被日映而損元明,咎在女主。破大軍,殺大將,蝕少半災輕,大半災重。蝕既,諸侯大臣亡國破家,女主黜退。

日・月二つの天体が互いに遮掩・交映し、虧缺は一辺より始めて逐漸裏に向かい侵入し、あるいは多くあるいは少なく——これを「蝕」と呼び、その形状はあたかも虫が樹葉を啃食するがごとし。太陽が月に遮蝕せらるるは、陰気が陽気を侵犯し・下位に居る者が上位に居る者を凌逼し、過咎は君王の身に応ず。虧蝕が半に至らざるは災禍軽く、虧蝕が半を過ぐるは災禍重く、完全に蝕尽する(「蝕既」)は、すなわち亡国・弑君の徴象。月蝕に至っては、月はもと日光の照映に靠って光輝を有すに、如今その本有の光明を損傷せられ、過咎は皇后・太后の類の「女主」の身に応じ、大軍の潰敗・大将の被殺を主る。同じく虧蝕の半に至らざるは災軽く・半を過ぐるは災重く、完全に蝕尽するは、諸侯・大臣が亡国・破家し、女主が廃黜・貶退せらるるを主る。

有交為蝕,朔望依度是也。無交為薄,或近望朔。陰氣侵迫,黃赤無光,匿氣薄日也。日薄為下凌上,強臣以迫其主,而奪其威權之象也。災輕於日蝕。月蝕薄,為女主憂,大臣失其所理,蔽退之象。

日・月が行きて黄道と白道の交会の処に至りて相掩するを、「蝕」と呼ぶ——すなわち正に朔・望に逢いかつ交食の度数に合う。交点に逢わざるを「薄」と呼び、ただ望日あるいは朔日に接近するのみ。陰気が侵逼して来て、日月は黄赤の色を呈して光輝を失うは、これ隠匿の気が太陽に迫近する所致なり。日薄は、下に居る者が上に居る者を凌逼し、強横の臣がその君主を逼迫して君主の威権を奪去するを象徴し、災禍は日蝕より軽し。月に薄蝕が現るるは、女主に憂患有り・大臣が自ら治むべき職分を喪失し、蒙蔽・斥退せらるるの徴象を主る。

《志》云:凡軍行而遇日月薄,當收軍。不爾,有謀反。日月斗者,別有假象,共日體相凌,離而復合,合而復離。日月失光,乍明乍暗。或烏體具見,在乎食時以前。晚晡已復者為斗,斗者,兩競之象,天子失據,四夷迭侵,兵賊俱起,擊賊將興之象。或有五色,色無主數十日,似日象為陣而來。□災日者,大凶災重,亡國殺君之象。此災尤於日蝕。

《天文志》にいう。およそ行軍の途中に日薄・月薄に遇上るは、当に兵を収めて営に回るべし。然らざれば人の謀反する有らん。いわゆる「日月斗」とは、別に一種の虚假の光体が日体と互いに凌逼し、分離してはまた合攏し・合攏してはまた分離し、日月はこれによって光輝を失い忽明忽暗し、時には日面上の「烏」(黒気)の形体すら清楚に見る可きに至る。この種の現象は食時(辰時前後)以前に起り、晚晡(申時)に至って回復するを、これを「斗」と呼ぶ。「斗」は両方の相争うの象で、天子が憑依を失い・四方の夷狄が輪番で入侵し・兵禍と盗賊が一斉に興起するを主り、賊を討つの師が将に興動せんとするの徴象。時に天上に五色の気が現れ、顔色に定主なくして数十日に連なり、あたかも日象が陣勢を結んで圧来するがごとし。およそこのようにして(原文一字を缺く)太陽に災を加うるは、大凶にして災重く、亡国・弑君の象で、この一類の災異は日蝕より還た厳重なり。

晝昏者,日無雲而光暗;夜冥者,月無雲而影滅。昏冥者,人君不明,昏耗之象。法令不行,又是將有殺戮、死亡之兆。若雜以殺氣寒濁者,大咎。昏三日內雨,不占。

いわゆる「昼昏」とは、白天に並びて雲気の遮蔽なくして日光が昏暗なるをいう。いわゆる「夜冥」とは、夜裏に並びて雲気の遮蔽なくして月影が隱沒するをいう。昏冥が出現するは、人君が明察ならず・政事が昏乱・耗損するを象徴し、法令が推行し下らざるを主り、また将に殺戮・死亡あるの先兆。もしその中に還た肅殺の気と寒冷・渾濁の気とを夾雜すれば、それはすなわち大咎。もし昏暗の後三日の内に雨が降れば、ただ陰雲・水気の所致なるを説明し、占断を作さず。

星月同光者,星月近,俱明盛也,臣下明盛之象。亦為大臣爭競,與主爭明之象。星月相蝕者,月與五星列宿諸星相遇,月掩雲,星不見,為月蝕星。星見,為星蝕月。星蝕月者,國君女主,將有被其臣下殺之象也。亦為自亡有喪。月蝕星者,為殺戮將相諸侯之象。右屬日月變者,形色異常改異之象。

いわゆる「星月同光」とは、星と月とが相距ること近く、両者ともに明亮・盛大にして、臣下の声勢が明盛なるを象徴し、また大臣が互いに争競し・君主と光輝を争奪するを主る。いわゆる「星月相蝕」とは、月が五星および二十八宿の衆星に相遇う。月が掩い去りて雲気に隱入し、星はこれによって見えざる——これを「月蝕星」と呼ぶ。星が依旧として見えて月光が反って奪わるる——これを「星蝕月」と呼ぶ。星蝕月は、国君と女主とが将に自らの臣下に弑殺せらるるの徴象あり、また自身の死亡・家中に喪あるを主る。月蝕星は、則ち将・相・諸侯が殺戮を遭受するの徴象。以上は皆日月の変異に属し、形状・顔色が反常・改易するの徴象である。

動者,光體搖動,興作不安之象;芒者,光曜生鋒芒刺,殺害之象;角者,頭角長大於芒,興立誅伐之象;喜者,光色潤澤和順,德賞慶悅之象;怒者,光芒盛,色重大不潤,亹逆則伐斗異之象。

いわゆる「動」とは、星の光体が揺晃・顫動し、興造・動作して人心安ならざるを主る。いわゆる「芒」とは、星光が鋒刃のごとき芒刺を生じ、殺傷・残害を主る。いわゆる「角」とは、芒刺が再び長大して頭角の形と成り、兵を興し威を立て・誅討・征伐するを主る。いわゆる「喜」とは、光色が潤澤・柔和にして、徳を施し賞を行い・慶賀・喜悦するを主る。いわゆる「怒」とは、光芒が熾盛にして顔色が濃重・粗大にして潤澤せず、一旦勉めて常度に違逆せば、則ち征伐・争闘・変異の事あり。

大者,大於其本體,吉星大者吉,凶星大者凶,以分位斷之,大者興建開拓之象。小者,小於本體,吉星則凶,凶星則吉,以分位斷之,小者亡敗蹙迫之象。存者,守常得正象;亡者,失其所在,滅亡之象。

いわゆる「大」とは、星がその本来の形体より更に大なるをいう。吉星が変大すれば則ち吉、凶星が変大すれば則ち凶——その所在の分野と位次に按って判断すべく、総じて言えば変大は興建・開拓の象。いわゆる「小」とは、星が本体より更に小なるをいう。吉星が変小すれば反って凶、凶星が変小すれば反って吉——同じく分野・位次に按って判断し、総じて言えば変小は敗亡・窘迫の象。いわゆる「存」とは、常度を安守してその正を得るの徴象。いわゆる「亡」とは、それが本に応に在るべき位置を失い、滅亡を主る。

疏拆者,相離失其常體,敗壞之象;合聚者,將近而聚,蹙迫之象。逆者,當東反西,當西反東,違逆常度,暴逆之象;順者,循其常度,與曆數相應,守常和順之象。

いわゆる「疏拆」とは、星官中の諸星が互いに离散し・本来の排列の形体を失い、敗壊を主る。いわゆる「合聚」とは、諸星が彼此靠近して聚拢し、窘迫・逼促を主る。いわゆる「逆」とは、当に東行すべきに反って西に向かい・当に西行すべきに反って東に向かい、常度に違背し、暴乱・悖逆を主る。いわゆる「順」とは、常度に循って行き・暦法の推算の数と相合し、常道を安守し・和順にして事なきを主る。

凡七曜皆逆天東行,以日為主。故五星皆以東行為順,西行為逆。又有留有伏,各如其歷術之數,失常則逆,循度為順,吉。多以東行為順,西行為逆,今古則亦參用之矣。

およそ日・月と五星のこの「七曜」は、皆天球の旋転の方向に逆らって自ら西より東に向かい運行し、しかして太陽の行度をもって準と為す。ゆえに五星は皆東行するを「順」と称し・西行するを「逆」と称す。それらはまた各々停留(「留」)と隱伏(「伏」)とあり、皆暦法の推算の数値に合す。常度を失えばすなわち逆、度数に依って運行すればすなわち順、順なれば則ち吉。大多は東行をもって順と為し・西行をもって逆と為し、古今の占家もまた皆この標準を参照して併用す。

遲者,不及其常度,和緩之象;疾者,行過其度,迫速之象。凡五緯之行,各有疾有遲,如其曆數。故木一歲行一次,土三年行一次,金、水並一年而一周。或過或不及,此則是其大分之遲疾。

いわゆる「遅」とは、行度がそれに応有の常度に趕及ばざるをいい、寛和・舒緩を主る。いわゆる「疾」とは、行度が応有の度数を超過するをいい、逼迫・急促を主る。およそ五星の運行は、各自快あり慢あり、皆暦法の数に合す。ゆえに歳星(木)は一年に一「次」を行き、填星(土)は三年に一次を行き、太白(金)と辰星(水)は皆一年に天を一周す。あるいは超過し・あるいは不及す——これがすなわちそれらの大体上の遅疾である。

歲星,近日則遲,遠日則疾;熒惑,近日則疾,遠日則遲。填星之行,自見至留逆復順,恆各平行,無有益遲宜疾。太白、辰星,晨見,初則遲而後疾,疾則伏;夕見,初則疾而漸遲,遲則伏。此則五星當分遲疾大量也。

歳星は太陽に靠近する時は行くこと慢く、太陽に遠離する時は行くこと快し。熒惑は太陽に靠近する時は行くこと快く、太陽に遠離する時は行くこと慢し。填星の運行は、初見より留・逆行に至り・再び順行に転ずるまで、始終各々平均速度に按って推移し、漸慢・漸快の変化なし。太白と辰星は、早晨に出現するは起初慢くして後來快く、快なること極処に至れば便ち隱伏す。傍晚に出現するは起初快くして漸々変慢し、慢なること極処に至れば便ち隱伏す。これがすなわち五星が各自の分際に在る遅疾の大致の尺度である。

平行者,石氏以一日行一尺五寸為平行,一尺二寸為遲。今則不然,皆以度其數格之為遲疾,故不須占其平行,平行猶常也。韓公賓以五星遠日則疾,近日則遲。此亦未為通論,故不取焉。

いわゆる「平行」とは、石申(石氏)は一天に一尺五寸を行くを平行と算し・一天に一尺二寸を行くを遅と算す。如今はこのように算せず、皆度数をもって衡量して遅疾を核定す。ゆえに平行は必ずしも別に占辞を立てざるは、平行はすなわち循常に等しきがゆえなり。韓公賓は五星が太陽に遠離すれば行くこと快く・太陽に靠近すれば行くこと慢しと主張す——これもまた通達の論と算するに足らず。ゆえに本書は採用せず。

出者,未當去也,屬乎福德之兆,福德出,則失善之象;入者,不應來而來也,屬乎祆禍之兆,祅福入,則亡亂之象。若其常行,初至其分,禍祅在其間,同體失色為入;過其坐位,離其宿分為出。福入刑出則吉。德出福入,此其常也。故論出入者,有此六途。

いわゆる「出」とは、本に応に離去すべからざるに離去し、福德の星の徴兆に属す。福德の星の出走は、すなわち善慶の流失の象。いわゆる「入」とは、本に応に到来すべからざるに到来し、妖禍の星の徴兆に属す。妖禍の星の侵入は、すなわち敗亡・禍乱の象。もし星が常度に依って運行し、剛くある一つの分野に進入すれば、禍祟はその間に伏す。星官と同じく一体に処りて本色を失うを「入」と呼び、所居の坐位を越え・本宿の分野を離開するを「出」と呼ぶ。福德の星が入り・刑殺の星が出づれば、則ち吉と為す。徳星が出で・福星が入るは、これそれらの常態。ゆえに「出入」を論ずるに、一共にこの六条の途徑あり。

合者,二星相逮,同處一宿之中。和順而合則吉,乖逆而合則凶。會者,一逆一順,一遲一疾,相逢而在宿中為會,德會則福興,刑會則禍起。聚者,自三星以上為聚。聚者集會之象。福集則吉,刑集則凶。

いわゆる「合」とは、両顆の星が互いに追及し、同じく一宿の中に処るをいう。五行が和順にして合すれば則ち吉、五行が乖違・相逆して合すれば則ち凶。いわゆる「会」とは、一星が逆行し・一星が順行し、あるいは一星が慢く・一星が快く、両者が宿中に相逢う——これを「会」と呼ぶ。徳星が相会すれば則ち福慶が興起し、刑星が相会すれば則ち禍患が発生す。いわゆる「聚」とは、三顆の星以上が同じく一処に処り、「聚」は群星の集会の象。福德の星が会集すれば則ち吉、刑殺の星が会集すれば則ち凶。

從者,遲疾次第相及於一處也,次序從就之象。德先至則吉,刑先至則凶。離者,雖同宿而兵度,而南北乖隔不和之象。從者雖同在宿分,不相停待,離越移避,相背之象。右占以為相近為就聚,相遠為離,則屬乎列宿星官。

いわゆる「従」とは、諸星に慢あり快あり、依次に先後して同一の処に到達し、次第に相隨い・彼此帰就するを象徴す。徳星が先到すれば則ち吉、刑星が先到すれば則ち凶。いわゆる「離」とは、同じく一宿に在る虽も、度数は却って各自相異にして南北に分隔し、乖違・不和を主る。「従」にして相待たざるの情形に至っては、同じく一宿の分野の内に在る虽も、互いに停留・等候せず、彼此越過し・遷移・回避すれば、それはすなわち相背の象。以上の占法は、彼此靠近するを「就聚」と為し・彼此遠離するを「離」と為し、皆二十八宿と諸星官の占断に属す。

盈者,超舍大進,過其所常。德盈則加福,刑盈則加禍。縮者,退舍不及其常。德縮則迫蹙,刑縮則善育。舍者,經其宿度而行為舍,舍其宿而遲也。宿者,經其舍而過,經去不遲之謂也。

いわゆる「盈」とは、本に応に停留すべき星舎を超越して大歩に前進し、それが平常の行度を超過するをいう。徳星が盈すれば則ち福慶を增添し、刑星が盈すれば則ち禍患を加重す。いわゆる「縮」とは、星舎に退回し・平常の行度に達せざるをいう。徳星が縮すれば則ち局促・窘迫し、刑星が縮すれば則ち善事が反って生養を得。いわゆる「舎」とは、星がある宿の度数を経行する時に停駐するをいい、すなわちこの一宿に留まりて行くこと遅緩。いわゆる「宿」とは、この星舎を経過すれば便ち徑直に過去することを指し、経行して遅留せざるを指す。

居者,福德之星在其宿位,光色潤澤而遲為居,喜福降臨之象。留者,刑禍祆異在其宿位,久住非益之稱,興作勃亂之象。又五星依歷,木、火、土層見中而留:留極而逆,逆極昏中而留,留而又順,此五星之留也。留者,住而不移之稱也。福德則為居之而留,刑祻則作動,伺察政治之象。

いわゆる「居」とは、福德の星がそれが所属する宿位上に停り、光色は潤澤にして行度は遅緩——これを「居」と呼び、喜慶・福澤の降臨を主る。いわゆる「留」とは、刑禍・妖異の星があの宿位に停り、久住して益する所なきをいい、事を興し乱を作すを主る。また、五星は暦法に依って推算すれば、歳星・熒惑・填星は清晨に中天に升る時に便ち「留」す。留すること極処に至れば便ち逆行に転じ、逆すること極処に至りて黄昏に中天に在る時にまた「留」し、留すること過ぎて後に再び順行に転ず——これがすなわち五星の留。「留」はすなわち停住して動かざるの意。福德の星が留まれば便ち安居し、刑禍の星が留まれば便ち興動せんとし、上天が人間の政治を窺察するの徴象。

經天者,謂太白昏旦當午而見也。諸星昏當午,皆留而逆。太白與辰星,昏欲至未則遲,旦欲至午則疾。昏旦不合,在午而見,南見則為經天。兵盛威重,改易自任,不由常數之象。

いわゆる「経天」とは、太白が黄昏あるいは清晨に正に午位(正南)に当たりて出現するを指す。諸星は黄昏に午位に行き至れば、皆停留して転じて逆行と為る。太白と辰星は、黄昏に将に未位に至らんとする時は行度が慢に転じ、清晨に将に午位に至らんとする時は行度が快に転じ、本に応に昏旦に当午して見ゆべからざるに、如今昏旦が常度に合せず、偏に午位に顕現し、正南方よりそれを見る——これがすなわち「経天」。兵威の強盛・権重にして制し難く、旧章を改易し・専擅・自任し、常法に循わざるを主る。

守者,留住也,附近列星為害之象。中者,謂星行東西相當,中傷之象。謂相剋也,和則不然。乘者,自上為下,臨迫之象。乘者,駕御壓伏之象也。《春秋傳》云:蛇乘龍是也。犯者,月及五星同在列宿之位,光曜自下迫上,侵犯之象。七寸以下為犯,月與太白一尺為犯。

いわゆる「守」とは、すなわち停留・駐守し、ある一星官に靠近して去らざるをいい、為害を主る。いわゆる「中」とは、星が東西方位の正に相当の処に行き至りて相撃するを指し、中傷を主る。これは五行相克に就いて言うので、もし彼此相和せば便ちこのように断ぜず。いわゆる「乘」とは、上より下に圧臨し、臨逼を主る。「乘」はすなわち駕馭・圧伏の象で、《春秋左氏伝》の言う所の「蛇乘龍」はすなわちこの意。いわゆる「犯」とは、月と五星とが同じくある一宿の位置上に処り、光芒が下より上の方に逼るをいい、侵犯を主る。相距ること七寸以内を「犯」と算し、月と太白は則ち相距ること一尺をもってすなわち「犯」と算す。

侵者越理而進,以大迫小,自上逼下,漸損害之象。凌者,以小而逼大,自下而犯上,直往而凌,凌小辱大之象。抵者,一動一靜,直相至。觸者,兩俱動,而直相觸。經者,在其中過無所犯。歷者,以次相及,而過經歷。

いわゆる「侵」とは、条理を越えて進逼し、大をもって小を圧し・上より下に逼り、漸々損害を受くるを主る。いわゆる「凌」とは、小をもって大に逼り・下より上を犯し、徑直に上りて欺凌し、小なる者をもって大なる者を凌辱するを主る。いわゆる「抵」とは、一方が動き・一方が静にして、徑直に対方に触るるをいう。いわゆる「触」とは、両方ともに動き在りて、しかして徑直に相撞するをいう。いわゆる「経」とは、当中より穿過して並びて相犯せざるをいう。いわゆる「歴」とは、次序に依って一々相及び、逐個経過するをいう。

貫者,直徑中過。刺者,旁過光芒刺之。磨者,旁過而相切逼之。靡者,旁逼過而有間之。掩者,覆蔽而滅之。斗者,二體往返,離而復合。同者,二體各一,不辨其形。環者,星行繞一周。

いわゆる「貫」とは、徑直に当中より穿過するをいう。いわゆる「刺」とは、旁辺より経過して光芒をもって対方に向かい刺すをいう。いわゆる「磨」とは、旁より経過しかつ貼切して相逼るをいう。いわゆる「靡」とは、旁より逼近して過ぎ、彼此の間に還た空隙を留むるをいう。いわゆる「掩」とは、覆蓋・遮蔽して対方の光を隱滅せしむるをいう。いわゆる「斗」とは、両箇の星体が往来・反復し、分開してはまた合攏するをいう。いわゆる「同」とは、両箇の星体が各自一を為すに、却って各自の形状を分辨し出さざるをいう。いわゆる「環」とは、星が一周を繞行するをいう。

繞者,環而不周。戴者,月在星下,若似頂戴之象。勾者,一往一返,如勾之狀。已者,往而返,返而又往,再勾如已狀。牝牡者,五行相剋如夫妻。夫在陽,婦在陰,為牝牡也。右為五星月祅變行占。

いわゆる「繞」とは、環行して一周に満たざるをいう。いわゆる「戴」とは、月が星の下方に在り、あたかも頭頂をもってそれを着るがごときをいう。いわゆる「勾」とは、一去して一回り、勾曲の形状を走出するをいう。いわゆる「已」とは、去りてまた回り・回りてまた去り、勾曲すること两次、形状は「巳」の字のごとし。いわゆる「牝牡」とは、五行相克に夫妻の配对のごとき有り——丈夫は陽に属し・妻子は陰に属す。ゆえに牝牡と呼ぶ。以上是五星と月の妖変・異行の占法である。

日辰占第十七

日為君,月為後,五星主官,二十八宿各屬分野。主職有常,列坐三百,各司其位,具知當條。然災祥發見,國俗不同,事借日辰,以辨其所居,以知其分次。是以有歲,有月,有日,有時,有所,各占其分。

太陽は君主を象徴し、月は皇后を象徴し、五星は分かれて各類の官職を主管し、二十八宿は各自一方の分野を統属す。それらの主る所の職司は皆定規あり、天上に羅列する星座は三百の数あり、各々自らの位次を守り、具体の条目は皆逐一に查考し得べし。然るに災異と祥瑞の顕現は、各国の風俗は并びて相同じからず。占断する時は干支の「日辰」を借助して、それを用いて天象の所在する方位を分辨し・それが対応する分野の次舎を推知す。この故に占候は年を分かち・月を分かち・日を分かち・時を分かち・処所を分かち、各々その所属の分野に就いて占断す。

歲在甲,為齊;乙,為海外東夷;丙,為楚;丁,為江淮、南蠻、海岱;戊,為韓、魏、中州、河濟;己為韓、魏;庚,為秦;辛,為華山以西,為西夷之國;壬,為燕、趙、魏。癸,為常山已北,北夷燕趙之國。

太歳の紀年に天干が甲に逢うは、斉地に対応し、乙は海外の東夷に対応し、丙は楚地に対応し、丁は江淮・南蛮と海岱一帯に対応し、戊は韓・魏・中州と河済の間に対応し、己は韓・魏に対応し、庚は秦地に対応し、辛は華山以西——すなわち西方の夷狄の国に対応し、壬は燕・趙・魏に対応し、癸は常山以北——即ち北方の夷狄と燕・趙の国に対応す。

子,為周。丑,為翟魏,亦主遼東;寅,為楚趙;卯,為鄭;辰,為晉邯鄲、趙國;巳,為衛;午,為秦;未,為中山、梁、宋;申,為齊、晉、魏;酉,為魯;戌,為趙,為吳,為越。亥,為燕、代。歲月日時,及見災所在之地,皆同用之。

地支が子なるは、周地に対応し、丑は翟と魏に対応し・また兼ねて遼東を管し、寅は楚・趙に対応し、卯は鄭地に対応し、辰は晋国の邯鄲と趙国に対応し、巳は衛地に対応し、午は秦地に対応し、未は中山・梁・宋に対応し、申は斉・晋・魏に対応し、酉は魯地に対応し、戌は趙に対応し・また呉・越に対応し、亥は燕と代に対応す。年・月・日・時の干支なりとも、還た災異の出現の所在する方位の地なりとも、皆一律にこの一套の対照に照らして使用す。

假令丙辰年七月丁卯日午時,災見於未地,太歲在丙辰。丙為楚,辰為晉。七月申,申為晉魏,丁卯月,丁為江淮南蠻。午時,午為秦。災見未地,未為中山樑宋。即是其地各有災也。

例を挙げて説く。丙辰年七月丁卯日午時に、災異が未の方位上に出現す。太歳は丙辰に在り、丙は楚地に対応し・辰は晋地に対応す。七月は申を建て、申は晋・魏に対応す。丁卯のこの一組の干支に就いて言えば、丁は江淮と南蛮に対応す。午時の午は秦地に対応す。災異が未位に見ゆるは、未は中山・梁・宋に対応す。このように推排して来れば、上述のこれらの地方は就ち各自皆災異を有す。

《尚書洪範》云:王者唯歲。王者即占於楚晉有為災也。卿士唯月,七月即占於晉魏為有災。師尹唯日,丁即為江淮南蠻、卯為鄭國等有災。他皆仿此。此即梓慎、裨灶占異而俱驗也。

《尚書・洪範》にいう。君王は一年の事を主管す。ゆえに君王のこの一層に就いて見れば、便ち楚・晋两地に災ありと占断す。《洪範》またいう。卿士は一月の事を主管す。ゆえに七月に就いて見れば、便ち晋・魏に災ありと占断す。またいう。衆官の長は一日の事を主管す。ゆえに日の干支に就いて見れば、丁は江淮・南蛮に対応し・卯は鄭国に対応し、これらの地方は皆災あり。その余は皆これに照らして類推す。春秋時魯国の梓慎と鄭国の裨灶は、占断の結論は各々相同じからざるに後来皆応験した——道理はまさにここに在り。

按《春秋》,魯昭公十年春正月戊子,祅星出於婺女,見於申維。女屬齊,申為晉分。梓慎見祅星出,知晉侯以戊子日死。所以知者何?齊逢公死時亦有此星見。推以方之,知晉平公將死。梓慎,魯大夫也。

《春秋》の載する所を考すれば、魯昭公十年春正月戊子のこの日、妖星が婺女宿に出現し、申の方位に顕現す。婺女宿は斉地に属し、申位は晋国の分野。梓慎は妖星の出現を見て、便ち晋侯が将に戊子日に死去せんと断定す。彼は何に憑って知るや。当年斉国の逢公が死する時もかつて同様の星象が出現し、持ち来りて比照して推求すれば、便ち晋平公が将に死せんとするを知る。梓慎は、魯国の大夫である。

襄公二十八年,歲星失次,淫於玄枵中五度,在虛,以為蛇乘龍。是歲星虛下,故曰蛇乘龍。龍為壽星,宋鄭之分。梓慎見蛇乘龍,以為宋鄭將飢,裨灶以為周王及楚子皆死,以虛宿沖午,午為張翼,周楚之分,故二人占不同而皆驗。

魯襄公二十八年、歳星の運行は応有の次舎を失い、越えて玄枵の次に入ること五度、正に虚宿に落つ。当時の人はこれを「蛇乘龍」と呼ぶ。歳星が虚宿の下に在るがゆえに、ゆえに蛇乘龍と称す。龍は寿星の次を指し、宋・鄭両国の分野。梓慎は蛇乘龍を見て、宋・鄭が将に飢荒を鬧かさんと認めた。裨灶は却って周天子と楚国の国君とが皆将に死去せんと認めた——虚宿が午位と相沖し、午位は張宿・翼宿に対応し、正に周と楚の分野なるがゆえに。ゆえに両人の占断は同じからず、しかして後来皆応験した。

占期第十八

凡福德之祥,應□□□□□□□□□□□德有吉祥其常期於春以□□□□□□□□□□□甲乙。他皆仿此。若為不吉之祥,應在秋,及五月見災祥,應在十一月,五月災見,此刑破之下也。期日以庚辛。他皆仿此。

およそ福德の一類に属する祥瑞は、応験の期は□□□□□□□□□□□(原文十一字を缺く)、徳星は吉祥を顕し、その常期は春季に在り、□□□□□□□□□□□(原文十一字を缺く)甲・乙の日をもって応期と為し、その余は皆これに照らして類推す。もし不吉の兆ならば、則ち秋季に応ず。もし五月に災祥を見れば、十一月に応ず——五月に災を見るは、正に刑破の位置の下に落ち、応期の日は庚・辛を取り、その余もまたこれに照らして類推す。

木、火、土三星,期五行休王,四月不一,各有其時而為主焉。及其司過見罰,降福呈樣,別大小,異其類,休王殊其色,或光潤明靜,或微暗芒角,犯有少異,即可消息占之,不必待斗蝕掩犯耳。

歳星・熒惑・填星のこの木・火・土三星は、応期は五行の休囚と旺相を見るべく、四季の各月は并びて一致せず、各々当令の時ありてそれによって権を当て主を為す。それらが過失を察挙し・刑罰を顕示し、あるいは福澤を降下し・祥瑞を呈現するに及んで、就ち形体の大小に按って分别を加え・類属に按って区分を加うべし。休囚・旺相は還たそれらに顔色を同じからざらしむ——あるいは光沢・潤潔・明浄、あるいは略々昏暗にして芒角を生ず。ただ干犯の中に稍々異常あらば、便ち斟酌・推詳して占断し得べく、必ずしも斗・蝕・掩・犯のこの類の大変を待たずして占することを要せず。

如木、火、土者,有吉祥則常期本月,本期春色。若王時見祥,期會合月。如三月祥,應在九月是也。其日若是甲乙,應期寅卯。餘準此。火正王夏,土王季夏。若以五月見祥,即期六月,午與未合。若戊己日見,即辰戍丑末日應期也。

木・火・土三星のごときは、もし吉祥が出現すれば、通常は本月をもって応期と為し、本来の期候は春天の気色を取る。倘若当旺の時に祥兆を顕せば、応期は就ち相会・相合の月份を取る——譬えば三月に祥を見れば九月に応ずるは便ち是れ。もし甲・乙の日に見れば、応期は就ち寅・卯に落つ。その余はこれをもって準と為す。火が当旺するは夏季に在り、土が当旺するは季夏六月に在り。もし五月に祥を見れば、応期は便ち六月に在るは、午と未とが相合するがゆえなり。もし戊・己の日に見れば、那么辰・戌・丑・未の日は就ち応期なり。

木若見凶祥,即見秋應。如二月,應在八月,卯沖酉也。及十一月,卯刑子也。木星變,以庚辛日事發,火即以壬癸日。仿此。金、水二星,即以殺月殺日,時期遠近。若申子辰,殺在未,刑亦如常也。猶如大業三年,長星竟天,至十三年,然後易政之弊應之也。凡論兵者以殺,論誅戮以刑,論死生亦耳。其古占所載,今列如左。

木星がもし凶兆を顕せば、就ち秋季に応験す。譬えば二月に凶を見れば、八月に応ず——卯と酉とが相沖するがゆえなり。また可能に十一月に応ず——卯と子とが相刑するがゆえなり。木星に変あれば、事情は多く庚・辛の日に発作す。火星に変あれば、就ち壬・癸の日に発作し、その余はこれに照らして類推す。金・水二星は、則ち「殺」の月份と日子に按って推算し、応期に遠あり近あり。譬えば申・子・辰は三合して、殺は未の上に落ち、刑の推法もまた平常と同じ。就ち隋煬帝・大業三年に長星が全天を横貫し、一直に大業十三年に至りて、改朝・易政の禍敗がようやく応験したがごとし。およそ兵事を論ずるは「殺」を用い、誅戮を論ずるは「刑」を用い、生死を論ずるもまた此のごとし。古代の占書に載する所の説法を、如今下に開列す。

巫咸曰:五星之合,金星以金日,木星以木日,水星以水日,火星以火日,土星以土日。星月期十二辰,候其災變,以期殺時。甲乙日應在金,丙丁日應在水,戊己日應在木,庚辛日應在火,壬癸日應在土。五星皆同此法。

巫咸にいう。五星相合の応期は、太白(金星)は金に属する日を取り、歳星(木星)は木に属する日を取り、辰星(水星)は水に属する日を取り、熒惑(火星)は火に属する日を取り、填星(土星)は土に属する日を取る。星と月の応期は則ち十二辰を用いて推算し、それらの災変を観察し、「殺」の時辰を用いて応期を定む。甲・乙の日は金に応じ、丙・丁の日は水に応じ、戊・己の日は木に応じ、庚・辛の日は火に応じ、壬・癸の日は土に応ず。五星は皆この一套の方法を用う。

巫咸曰:歲星主木,日以甲乙;熒惑主火,日以丙丁;填星主土,日以戊己;太白主金,日以庚辛;辰星主水,日以壬癸。二十八宿以十二辰。木應在金,火應在水,土應在木。故木期十二日十二月,火期四十日四十月,土期二十八日二十八月,金期八日八月,水期十日十月。

巫咸にいう。歳星は木行を主管して甲・乙の日を取り、熒惑は火行を主管して丙・丁の日を取り、填星は土行を主管して戊・己の日を取り、太白は金行を主管して庚・辛の日を取り、辰星は水行を主管して壬・癸の日を取る。二十八宿の応期は則ち十二辰を用いて推算す。木の応験は金の上に落ち、火の応験は水の上に落ち、土の応験は木の上に落つ。ゆえに木の期限は十二日あるいは十二箇月、火は四十日あるいは四十箇月、土は二十八日あるいは二十八箇月、金は八日あるいは八箇月、水は十日あるいは十箇月。

巫咸曰:五星守二十八舍,左為春應,右為秋應,前為夏應,後為冬應。其法隨氣所在,制前後也。石氏曰:凡五星行犯列舍,前為春應,後為秋應,左為冬應,右為夏應。假令春以東為前,西為後,北為左,南為右;夏以南為前,北為後,東為左,西為右;秋以西為前,東為後,南為左,北為右;冬以北為前,南為後,西為左,東為右。

巫咸にいう。五星が二十八舎に駐守するに、星が左辺に在れば則ち春天に応じ、右辺に在れば則ち秋天に応じ、前面に在れば則ち夏天に応じ、後面に在れば則ち冬天に応ず。この一算は当令の節気の所在する方位に随って、何者をか前と為し・何者をか後と為すを確定すべし。石申にいう。およそ五星が諸宿を経行・干犯するに、前に在るは春天に応じ、後に在るは秋天に応じ、左に在るは冬天に応じ、右に在るは夏天に応ず。例を挙げて言えば、春天は東方をもって前と為し・西方をもって後と為し・北方をもって左と為し・南方をもって右と為し、夏天は南方をもって前と為し・北方をもって後と為し・東方をもって左と為し・西方をもって右と為し、秋天は西方をもって前と為し・東方をもって後と為し・南方をもって左と為し・北方をもって右と為し、冬天は北方をもって前と為し・南方をもって後と為し・西方をもって左と為し・東方をもって右と為す。

宋均曰:災祥見皆在沖月。假令見在正月,則應在七月;見在七月,則應在來年正月。他皆仿此。《荊州占》曰:甲乙日有變,期一百二十日;丙丁日有變,期八十日;戊己日有變,期六十日;庚辛日有變,期四十日;壬癸日有變期二十日。甲乙為春,丙丁為夏,庚辛為秋,壬癸為冬。以四時期之。凡占災祥,皆以此例也。

宋均にいう。災異と祥瑞の応験は皆相沖の月份に落つ。譬えば正月に出現すれば、就ち七月に応じ、七月に出現すれば、就ち来年正月に応じ、その余はこれに照らして類推す。《荊州占》にいう。甲・乙の日に変あれば、応期一百二十日。丙・丁の日に変あれば、応期八十日。戊・己の日に変あれば、応期六十日。庚・辛の日に変あれば、応期四十日。壬・癸の日に変あれば、応期二十日。甲乙は春に属し、丙丁は夏に属し、庚辛は秋に属し、壬癸は冬に属す——就ち四季を用いて応期を定む。およそ災祥を占断するは、皆この体例に依照す。

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