宿沓の岖平
作盤ガイド: 八字作盤
眾曜踏為一宮,或踏一度,無非有生有克,故曰:嶇平不一,如月見火逢朢則食,逢晝則嶇,逢夜生而未朢者,反能助其光輝,如火孛在亥,則交戰,此論星沓之多者,亦宜詳考。眾曜如同一宮,有得其垣局,有不得其垣局而相生相剋者,故為凶、為吉不一。
衆星曜が同じく一宮に挤り、あるいは同じく一度の上に踏むは、その間に非ずや生有り剋有り。故に說く、崎嶇と平坦とは併せて一様ならずと。例えば太陰が火星を見れば、もし望日に逢えばすなわち月食と成り、もし白昼に逢えばすなわち崎嶇順ならず。可是夜裏出生して而又未だ望日に至らざるは、火は反って能くそれの光輝を助けん。又如火星と「月孛」とが同じく亥宮に在れば、すなわち交戦の勢と成る。これ是れ衆星の重畳聚集するの情形を討論するにして、も応に詳しく考究を加うべし。衆曜が一宮に同処して、有るは垣局を得、有るは垣局を得ず、彼此は又は相生相克す。故に凶と為すか吉と為すかは併せて一律ならず。
善悪を掌督す
如火羅計孛乃凶星也,或生我,或化為福祿居善宮,未可便以凶宿論之,而且早歲富貴者有之,氣木金水乃善星也,或克我,或化為刑囚居惡宮,反以為凶星論之,故非凶之凶,凶莫救也,非吉之吉,吉莫量也。此謂遇善則善,逢惡則惡。
像すれば火星・「羅睺」・「計都」・「月孛」は本是れ凶星なるも、可是それらもし我を生ずるか、あるいは化して福星禄星と為りて而して善宮に居れば、すなわち一概に凶宿に拠りて来り論ずる能わず。その中に還って少年にしてすなわち富貴の有る。紫気」・木星・金星・水星は本是れ善星なるも、可是それらもし我を剋するか、あるいは化して刑囚と為りて而して惡宮に居れば、反って応に凶星に拠りて来り論ずるを要す。故に本は凶たる可からずして而して竟に凶なるは、凶にして救う可き無し。本は吉たる可からずして而して竟に吉なるは、吉にして估量する能わず。これすなわち是れ善に遇上すればすなわち善にして、惡に碰上すればすなわち惡なりを說くなり。
互換の軽重
如命居田,田入命,命入財,財入命,官入命,命入官,福守命,命守福,所謂以輕易重也,皆主富貴,又有閒入命,命守閒,命入殺,殺入命,命入奴,奴入命所謂以重易輕也,已上互換之說,身命兼論為是。以輕易重者,不富則貴;以重易輕者,不貧則賤。
例えば命主が田宅宮に落ち田宅主が命宮に落ち、命主が財帛宮に落ち財帛主が命宮に落ち、官禄主が命宮に落ち命主が官禄宮に落ち、福徳主が命を守り命主が福徳を守るは、此らは皆これを軽を以て重に換うと呼び、皆富貴を主る。又は閑宮の主が命に入り命主が閑宮を守り、命主が殺宮に入り殺星が命宮に入り、命主が奴僕宮に入り奴僕主が命宮に入る有り。此らはこれを重を以て軽に換うと呼ぶ。以上の互換の說法は、最も身宮命宮を把りて一併に来り論ずるを好す。軽を以て重に換うるは、富ならずともも貴なり。重を以て軽に換うるは、貧ならずともも賤なり。
母子の側向
生我者,母星也;我生者,子星也。母星解仇,子星御仇,只宜近向於我之宮,或通關對合左右相顧,則吉;或以月為母,水為子者,非此子母之謂也,曏者向我身命也,側者側面背行,反去不顧之謂也。母子二星,宜朝向之;仇難二星,宜側背之。
我を生ずるは是れ母星にして、我が生ずる所は是れ子星なり。母星は能く仇星を化解し、子星は能く仇星を抵御し、ただ応に我の在る所の宮に靠近し併せて朝向し、あるいは通関・対照・三合して、左右相顧れば、すなわちあれは吉なり。至って或る人の太陰を把りて母に当て水星を把りて子に当つるは、あれは是れ別の一種の說法にして、是れここに說く所の母子に非ず。いわゆる「向」とは、是れ我の身宮命宮に朝着するなり。いわゆる「側」とは、是れ臉を側過して背けて走り、頭を掉して顧みざるなり。母・子の両星は応に我に朝向するを宜とし、仇・難の両星は則ち応に側背して去るを宜とす。
体用の屈伸
命主曰:體限主曰用。經云:命弱限強。如槁苗之得雨,命強限弱,如逆水之上灘。經云:命弱限強,發成無久;命強限弱,終不榮超。
命主をこれを「体」と呼び、限主をこれを「用」と呼ぶ。経の上に說く、命弱くして而して限強きは、就きて枯槁の禾苗の雨水に遇うがごとし。命強くして而して限弱きは、就きて水に逆らい舟を行かせて灘頭に撑上するがごとしと。経の上に又は說く、命弱く限強き人は、発達し来るもも維持すること久しからず。命強く限弱き人は、終究栄顕するも頂点に到らずと。
日月の着明
經曰:尊莫尊乎日月。蓋日月者,陰陽之精氣,諸星之領袖。晝生從日,夜生從月,必須日月分明,吉星引從方是,真格乃富貴之原也,如日逢火羅木氣臨獅子,月逢土計天乙趕月,或諸殺星侵犯日月。又曰:日月居晦位,皆非吉論。故曰:貴人日月要分明,日月分明是貴人。
経の上に說く、尊貴は日月より尊貴なるは無しと。日月は是れ陰陽の精気にして、衆星の領袖なり。白天に生まるるは太陽に従い、夜裏に生まるるは太陰に従い、必ず須く日月光明分明にして、又は吉星の引従有りて、始めて真格と算し、これ是れ富貴の本源なり。仮如太陽が火星・「羅睺」に逢着するか、あるいは木星・「紫気」が獅子宮に臨むか。太陰が土星・「計都」に逢着するか、あるいは「天乙」紫気が太陰を追趕するか。再びあるいは衆殺星が日月を侵犯すれば、すなわち皆好からず。又は說く、日月が晦暗の位に落つれば、皆能く吉に拠りて来り論ずる能わずと。故に說く、貴人の命は、日月は応に分明なるを要す。日月分明なる始めて是れ貴人なりと。
且日為君、為父;月為後、為母,身命官福近太陽者貴;又日月夾身命及夾官福,皆為貴顯。有近君也,若凶殺四餘侵雜,如君側之有惡人,雖貴而不久,亦不顯矣,故身命主星向陽,則得父力,月明近命則得好母,若日月雖向,命或晝月夜日,或寒月孤居,父母雖好,終是相失反背之論也。此論日月之向時不向時,則有晝夜之分,以日月為人之父母,又為君后,所以人命近之,則有父子恩愛,假使背之,雖有恩愛而不合也。
太陽は是れ君王にして、是れ父親にして、太陰は是れ皇后にして、是れ母親なり。身宮・命宮・官禄・福徳が太陽に靠近するは貴を主る。日月が身命を夾住するかあるいは官福を夾住するも、も皆貴顕なり。あれは皆是れ君王に靠近するの象なり。もし凶殺と四余とがその間に混雑する有れば、就きて君王の身辺に惡人の立つがごとく、たとい顕貴なるもも長久せず、も顕達と算上する能わず。故に身主命主の星が太陽に朝向すれば、すなわち能く父親の力を得ん。太陰が明亮にして而して命宮に靠近すれば、すなわち能く賢母を得ん。倘若日月は朝向すると雖も、可なれど白天に生まるるは却って太陰を用い夜裏に生まるるは却って太陽を用い、あるいは寒冬の月が孤零零として独り居れば、然らば父母は好しと雖も、終究還って是れ相失反背の論なり。此の一節は講ずるは是れ日月の是れ朝向得時か否かにして、その中にすなわち昼夜の分有り。日月は是れ人の父母にして、又是れ君と后なり。故に人命がそれらに親近すれば、すなわち父子の間の恩愛有らん。仮使背離せば、たとい恩愛有るもも合し来る能わず。
福官清健
經曰:美莫美於福官。蓋福星高,則平生有財、有福;而有壽官星清,則為官有名、有譽。而尊顯二星只要入廟歸垣近太陽太陰,無凶煞沖制,方為發福。故曰:文星不若福星,高官祿朝陽格局強是也。福官二星者,仕宦賴之以扶身,苟有失陷,則不利於仕途而蹭蹬也。
経の上に說く、美好は福星と官星とより美好なるは無しと。福星が高強なれば、一生にすなわち財有り福有りて而而且寿有らん。官星が清純なれば、官を做ればすなわち名声有り・栄誉有りて而而且尊顕ならん。此の両顆の星はただ廟に入り垣に帰し太陽太陰に靠近し、又は凶煞の来りて冲剋壓制する無きを要して、始めて能く福を発せん。故に說く、文星は福星の高きに如かず。官禄の星が太陽に朝向すれば、格局は始めて強しと算すと。福・官の二星は是れ官を做る人の自身を扶持するに頼る所にして、一旦位を失い陥落せば、仕途はすなわち順利ならず、ただ能く蹭蹬潦倒するのみ。
身命を元と為す
命主即坐處二十八宿之屬是也,身主即月是也,及太陰所躔之度亦是也。蓋星家有命主度主之辯,不可徒以命宮之主為命主論也,然度主亦不可舍也,譬如曰宮主者,州也;度主者,縣也;莫不縣而州。愚謂宮主者,由人家也;度主者,由家之主也,一宮之內 大率有三等之主,坐度之星,猶家之主也。
命主とはすなわち是れ命宮の坐するあの一度の所属する二十八宿の星なり。身主とはすなわち是れ太陰にして、太陰の躔する所の度もも身主と算す。星家は本は命主と度主との分別有りて、以てただ命宮の主を把りて命主と当作して来り論ず可からず、而して度主もも舍弃する能わず。譬喩を打てば、宮主は好ければ一個の州にして、度主は好ければ一個の県にして、先ず県を経過して而して後州に到らざる無し。我は宮主を以て好ければ一戸の人家にして、度主は好ければ此の家の当家人と為すと認む。一宮の内に大略三等の主有りて、度に坐する星は就きて家裏の主人のごとし。
凡人家,親友隨一人之好惡,故度主是木,則以水為恩,以金為仇;若度主不是木,則又別論。若以命宮之主泛論,禍福必無切驗也,故知諸家論宮主,不論度主者,皆不若果老之說為親切。愚斷以果老為經,以諸家為緯,以度主為先,以宮主為次,知所先後則近道矣。
およそ是れ一家人なれば、親戚朋友は皆当家人の好悪に随いて以て定まる。故に度主もし是れ木星なれば、すなわち水を以て恩星と為し金を以て仇星と為す。度主もし木に非ざれば、すなわちあれは又は別に当たりて論ずべし。倘若ただ命宮の主を拿りて泛泛に論ぜば、禍福を断ずるに必定能く切中する能わず。此に由りて知る可く、各家のただ宮主を論じて而して度主を論ぜざるは、皆果老の說法の来ること貼切するに如かず。我は断然果老を以て経と為し各家を以て緯と為し、度主を以て先と為し宮主を以て次と為す。先後の次序を知れば、もすなわち正道に接近す。
身主諸家皆為緊要,而果老曰:兼身命度之主並用,尤為關鍵。推此身命度主,豈可泛論哉。予之所見,非獨宮度主論,尚有四主切要,即宮主度主身主身度主者,蓋宮度身度皆我之主也,其中非在宮度主,辨因有恩難之分,所以各生異說。於中逢恩而不發者,有遇難而無咎者,以其執泥一端,無變通之理故也。善觀星者,論四時晝夜,辨陰陽晦明,推遲留伏逆,分向背拱夾斯乃萬古不易之論也。
身主は、各家は皆緊要と看做す。而して果老は說く、身主・命主・度主を把りて一併に合わせて用い、尤其に是れ関鍵なりと。此の身主・命主・度主を推究するに、豈に以て泛泛に論ず可けんや。我が見る所に依れば、不只は宮主・度主は応に論ずるを要するのみならず、還って四主もも切要にして、すなわち是れ宮主・度主・身主と身度の主なり。宮度・身度は皆是れ我の主なり。その中の分歧は併せて宮主度主本身に在らず、而して在るは応に恩星と難星との分別を辨明するに在り。故に各家は始めて不同の說法を生出せり。有る人は恩星に逢着して却って発達せず、有る人は難星に遇上して却って災咎無し。あれは皆因为是れ一端を死執し変通を懂らざるの故なり。善く星を観る人は、応に四時昼夜を論じ、陰陽晦明を辨じ、遅留伏逆を推し、向背拱夾を分かち、これ始めて是れ万古不変の定論なり。
訣に曰く
世人未識星家理,不務心傳務口耳,生時坐度作虛名,只把命宮星作主。陰陽經緯何縱橫,俗眼無由見終始,諸星皆可論宮神,命元切以度為主。此是先生元妙訣,須得高賢方說與。
歌訣に說く、世上の人は星家の道理を懂らず、肯んじて心に伝領會せず、ただ口耳の間に於て生活を討るのみ。生時の坐する所の度を把りてただ一個の虚名に当て、単に命宮の星を拿りて主に当つ。陰陽経緯の如何に縦横交錯するや、俗人の眼睛はそれの首尾を看出す能わず。応に各宮の星は皆宮神に拠りて来り論ず可きを知り、唯獨命元は切切として応に度主を以て主と為すを要す。これ是れ先生の玄妙の口訣にして、須く高明賢者に遇上を得て始めて肯んじて彼に說き聴かせんを要すと。
凡看官福田財妻嗣等星者,只以各宮宮主而取,惟有命元者,當從度主論也,故云:諸星皆可論宮神,命元切以度為主。子丑宮、土,寅亥宮、木,卯戌宮、火,辰酉宮、金,申巳宮、水,午宮、太陽,未宮太陰。定宮主,要知榮枯惟看月,張畢危心命尤切,半夜之前喜獨行,祿貴斗杓添皎潔,雖是無光得位宜,落木寒蟾非令節,不關惡殺壽萱庭,眼目光明雙鬢雪,縱橫木孛漏關明,猶是星家稱卓絕。
およそ官禄・福徳・田宅・財帛・妻妾・子嗣の等の星を看るは、ただ各宮の宮主を取る。唯獨命元は応に度主に拠りて来り論ずるを要す。故に說く、各星は皆宮神を論ず可く、命元は切に応に度を以て主と為すを要すと。宮主を定むるの口訣は是なり。子・丑宮は土に属し、寅・亥宮は木に属し、卯・戌宮は火に属し、辰・酉宮は金に属し、申・巳宮は水に属し、午宮は太陽に属し、未宮は太陰に属す。別に一首の歌訣有りて說く、応に一生の栄枯を知るを要せば、ただ太陰を看るのみ。張・畢・危・心の四宿に命を安んずるは尤其に緊要なり。半夜の以前は太陰は単独運行するを喜び、再び禄貴・斗杓の相伴有れば便ち更に皎潔なり。たといそれが光無くとも、ただ位を得れば仍お相宜に属し、可なれど木宮の寒月に落つればすなわち好き時節に非ず。ただ惡殺に牽連せざれば、母親は便ち長寿を得、其人は眼目は光明にして而して両鬢は雪のごとし。たとい木星・「月孛」が縦横交錯し関口を漏れたるの明星なるも、仍お星家の称道する所の卓絶の命と為るを失わずと。
此論身主為重,榮枯得失皆繫於身,若命躔月度,又為月兼身命,所謂一星兩用,故云:要知榮枯,惟看月,張畢危心命尤切。角斗奎、井木,亢、牛婁鬼、金,氐女、胃柳土,房虛昴、星日,心、危、畢張、月,尾、室觜、翼火,箕、壁軫參水,定身主,皆以月為身主。
此の一段は身主を以て重と為す。一生の栄枯得失は皆身宮の上に係わる。もし命宮が正に太陰の度に躔せば、すなわちあの太陰はすなわち兼ねて身主と命主とを作り、いわゆる一星両用なり。故に說く、応に栄枯を知るを要せばただ太陰を看るのみにして、而して張・畢・危・心の四宿に命を安んずるは尤其に緊要なりと。身主を定むるの口訣は是なり。角・斗・奎・井は木に属し、亢・牛・婁・鬼は金に属し、氐・女・胃・柳は土に属し、房・虚・昴・星は日に属し、心・危・畢・張は月に属し、尾・室・觜・翼は火に属し、箕・壁・軫・参は水に属す。総じて皆太陰を以て身主と為す。
背対迎関
星辰在命限之前,曰向,在命限之後,曰背;星辰在對照宮,曰相對,在三合宮,曰關照;星辰在前,曰迎;在後,曰送,此論元守星並流年,兼看以定禍福。
星辰が命宮・行限の前に在るを「向」と呼び、命宮・行限の後に在るを「背」と呼ぶ。星辰が対宮に在るを「相対」と呼び、三合宮に在るを「関照」と呼ぶ。星辰が前に在るを「迎」と呼び、後に在るを「送」と呼ぶ。此の幾様は、原盤の守る所の星と流年の星とを皆応に一併に参看して、以て禍福を判定するを要す。
釣起飛来
對照拱照關照皆為釣起,原守本宮本垣,謂之飛來,釣吉則吉,飛凶則凶,此法惟推流年星辰,驗之而為應。釣起有生克之分,飛來有吉凶之辨。
対宮より照り来り、両側より拱り来り、三合より関照して過来するは、皆これを「釣起」と呼ぶ。原本よりすなわち本宮本垣に守るは、これを「飛来」と呼ぶ。釣起の是れ吉星なればすなわち吉にして、飛来の是れ凶星なればすなわち凶なり。此の方法は専ら以て流年の星辰を推し、以て応験するに拠るに用う。釣起は応に是れ我を生ずるか是れ我を剋するかを分清し、飛来は応に是れ吉か是れ凶かを辨明するを要す。
横冲直撞
星盤南北為直撞,東西為橫沖,以相對相沖言之,對吉則吉,對凶則凶,亦主流年星辰驗之。如是身命、官福、田財、妻子亦宜驗其對照休咎何如。
星盤の上に於て、南北方向に相対するを「直撞」と呼び、東西方向に相対するを「横冲」と呼び、皆相対相冲に就いて言う。対面が是れ吉星なればすなわち吉にして、対面が是れ凶星なればすなわち凶にして、同様に流年の星辰を用いて以て験証す。此のごとくに照らして、身宮命宮・官禄福徳・田宅財帛・妻妾子女の各宮も、も皆応にそれらの対照する吉凶如何を験看すべし。
十二宮の所守・拱照の活変看法について論ず
一凡看五星之法,須是排定太陽以生時加在太陽度上,則知安命在何宮,方為端的,須是以度主為要,宮主次之。蓋宮主州郡也,度主縣邑也,由縣而州,縣為切近,二主須要生旺得時為妙,凡身主切於命主,度主切於宮主,夜生人重身度主,日生人重命度主。
一、凡そ五星を看る法は、まず太陽の位置を排定し、出生の時辰を太陽の在る度に加えてこそ、命がどの宮に安んずるかを知ることができ、こうして初めて正確となる。その中では度主を要とし、宮主はこれに次ぐ。宮主は州郡に譬え、度主は県邑に譬えるべきで、県から州へと至れば、県の方が常により身近である。両主とも生旺して時を得るのが妙である。大凡そ身主は命主よりも切要で、度主は宮主よりも切要である。夜に生まれた人は身主と度主を重んじ、昼に生まれた人は命主と度主を重んずる。
經云:身好命不好,有福無壽;命好身不好,有壽無福。安命以太陽度為主,以生時加於上,順數本人生時,逢卯止,即為命宮,是何宮主也。
経に曰く:身宮が良くて命宮が良くなければ、福はあっても寿がない。命宮が良くて身宮が良くなければ、寿はあっても福がない。命を安んずる法は、太陽の在る度を準とする。出生の時辰を太陽の度に加え、本人の生時に順に数えて卯の位まで数えれば、その宮がすなわち命宮であり、次にそれがどの宮の主に属するかを看るのである。
一凡論命之法,先觀立命何宮何度,以宮為輕,度主為重,最怕外星來克命度者,為忌,或宮主克度為輕,或加吉星反有利名之許,又看三方對沖生克亦然,宮主失躔者,生平減力,度主失次者,祖業難招,若限強有力者,主發財。故曰:命弱限強,如枯苗之得雨,此之謂也。
一、凡そ命を論ずる法は、まず命がどの宮・どの度に立つかを看る。宮は軽く看て、度主は重く看る。最も忌むべきは、外来の星が命度を剋傷することで、これが忌われる所以である。もし宮主が度を剋するだけなら害は軽く、さらに吉星が加われば、かえって名ある利あることを許す。三合と対沖との間の生剋も、これに準じて看る。宮主が本躔を失った人は一生の気力が目減りし、度主が失次した人は祖業を承け難い。ただし行限が強く力あれば、なお財を発することを主る。ゆえに命弱く限強きは枯苗の雨を得るがごとし、とはまさにこの理を言うのである。
三方乃申、子、辰、寅、午、戌、亥、卯、未、巳、酉、丑之類對沖者宮之相對也。一看命務要求其主星、命度、命主、身度、身主,須看強弱以論禍福,不必主星一一高強,一一得地。經云:一星得地,終為貴顯吉人。又云:使一星背而莫救其非,縱群曜吉而莫能為福。又云:一宿加臨,此命永為吉慶。
いわゆる三方とは、申子辰・寅午戌・亥卯未・巳酉丑のごとき三合のことであり、いわゆる対沖とは、二宮が遥かに相対することである。一、命を看るには必ずその主星・命度・命主・身度・身主を求め、それぞれの強弱を看て禍福を論ずべきで、主星が皆高強で皆地を得ることは求めなくてよい。経に曰く:一つの星でも地を得れば、ついには貴顕の吉人である、と。また曰く:もし一星が背いて救いようがなければ、たとえ群曜みな吉でも福とはならない、と。また曰く:一宿が加臨すれば、この命は永く吉慶である、と。
譬如五七官員,在任不必員員識面,其中一員官得力,則侍從州郡莫不刮目。觀星當以理明推其次第。此一段以天星人物論之,譬如唐之狄梁公在朝,天下士夫稱為斗南一人,舉賢推能士大夫稱之。曰:桃李盡在公門,即此之喻也。
譬えて言えば、一カ所に五六人の官員がいて、任にある者が皆と親しい必要はなく、そのうち一人が権を当て力を得ていれば、随従も州郡の上下も目を変えて遇しない者はない。星を看るにもまた道理を明らかにし、その先後次第を推し出すべきである。この一段は天の星を以て人間の人物に比して言うのである。例えば唐代の狄仁傑が朝にあったとき、天下の士大夫は彼を「斗南一人」と称した。彼が賢才を挙げ能者を推し重んじたため、士大夫はみな桃李は皆その門下より出ずと称えた――これがすなわちこの譬えである。
一看命須看四正為緊,或日月照四正,金木照四正,福祿照四正,及用星居四正之位,皆是貴顯受用之人。又有火羅計孛守四強,及化得好者,皆為合格;若是刑囚暗耗等星,守於四正宮中,而逢刑位剋制之星,皆主破財。
一、命を看るに緊要なのは四正の位を看ることである。あるいは日月が四正を照らし、あるいは金星・木星が四正を照らし、あるいは福星・禄星が四正を照らし、および用いる星がそのまま四正の位に落ちる。これらは皆貴顕にして享用を得る人である。また火星・「羅睺(らこ)」・「計都(けいと)」・「月孛(げっぱい)」が四强の位を守り、しかも化が良い者も、みな合格と数える。もし刑・囚・暗・耗の類の星が四正の宮に守り、さらに刑位の剋制の星に逢えば、それは皆財を破ることを主る。
一凡日生人以太陽為重,夜生人以太陰為主。如太陽逢惡曜晝生,如太陰遇凶星夜誕,合此者,無不貧夭。如日生吉宿逢陽,夜生吉星釣月,有此者,無不富貴,猶當會合十五度中,為切要也。
一、凡そ昼に生まれた人は太陽を重んじ、夜に生まれた人は太陰を主とする。もし昼生まれで太陽が悪曜に逢い、夜生まれで太陰が凶星に遇うような、この情況に合う者は、貧窮し夭折しない者はない。反対に、昼生まれで吉宿が太陽に逢い、夜生まれで吉星が太陰を釣り起こすような配置があれば、富貴でない者はない。そして殊に緊要なのは、それらが十五度以内に会することである。
一十二宮皆要詳看,先看其宮,後看其主,凡宮為祖,起星為已,且如田宅宮忌破空亡劫耗守之,若起星居高無祖業,自創成;若宮好,主起不好,雖有田宅而不能受用革,故鼎新方可,若五星本壞,將四餘代用,主宅屋不新,亦不甚高廣也,如妻主壞,以四餘代用者,主無正妻或重婚為子,主壞者,或非親子,又看其主,主起遠近何如,加祿貴生旺,則吉,餘宮例此推。四餘者,五星之餘,如氣孛羅計也,雖為惡曜,若得地,亦為善用也。
一、十二宮は皆細かく看るべきである。まず宮を看、次に宮主を看る。宮は祖上を表し、起星は自身を表す。例えば田宅宮は破碎・空亡・劫殺・耗神の守るを忌む。もし起星が高強ならば、祖業がなくても自ら創立できる。もし宮位が良くて起星が良くなければ、田宅があっても享用できず、古を革めて新を鼎くしてこそよい。もし五星そのものが壊れれば、四余を以て代用するほかなく、そうなれば房屋は新しくなく、また甚だ高大広寛でもないことを主る。また妻宮の主が壊れた者が四余を以て代えれば、正妻がないか再婚することを主り、子女宮の主が壊れた者は、あるいは生むところが親子でない。さらにこの宮主がどこに起こるか、命よりの遠近がどうかを看、もしさらに禄星・貴人・生旺を加えれば吉で、残りの各宮もこれに準じて類推する。いわゆる四余とは、五星の外の余曜で、すなわち「紫気(しき)」「月孛」「羅睺」「計都」である。これらは悪曜ではあるが、地を得ればよく用いて善くできる。
一十二宮中,主星雖有定位,然以本主考之,則釣起飛來滿盤活潑,潑的底昧者,弗思本主而拘於星曜,乃專日月之夾拱,福祿之貼照,官魁之引從,金水之秀麗,木氣之慈善,凡此類者,便以為吉。才見金寅木子水戌土巳火入金鄉,金乘火位,晝火夜土之類,例排為凶,殊不知一宮之星,自有六七等,議論隨其所躔,品藻淺深,斟酌輕重,生成剋制無窮,妙用豈可以一言而盡,一途而拘哉。
一、十二宮の中の主星は各々定位があるとはいえ、もし本主を以て考究すれば、釣起・飛来して、満盤に活発に流転する。糊涂な人は本主を思わず、ただ星曜に拘泥し、専ら日月の夾拱・福禄の貼照・官星魁星の引従・金水の秀麗・木星「紫気」の慈善を看て、凡そこの類に属すれば一概に吉とし、金の寅に在る・木の子に在る・水の戌に在る・土の巳に在る・火の金郷に入る・金の火位に乗る・白昼に火を見る・夜に土を見るの類を一見すれば、一律に凶と排する。知らざるかな、一宮の内の星はおのずから六七等あり、議論はその躔する所に随い、浅深を品評し軽重を斟酌すべきで、その中の生成剋制の変化は無窮であり、妙用はどうして一言で説き尽くせ、一路に拘えられようか。
蓋觀星者,遇一命在目,便是一公案在前,必用明斷,如快刀剖竹,無纖毫礙滯,若胸中無有真見,則言凶而慮其吉,言吉而疑其凶,胡塗不決,皂白不分,或有所學未至,妄以敢斷自許,至於隨指隨錯,禍福無憑也,必心傳有原識見無差,議論如影響之答,一時言之而不自覺,方為善斷。
星を看る人は、目の前に一つの命が据えられれば、それは面前に一つの案件が据えられたに等しく、必ず明快に断決せねばならず、快刀が竹を劈くがごとく、一糸一毫の滞りもあってはならない。もし胸中に真の見識がなければ、凶と言えばまた吉を惧れ、吉と言えばまた凶を疑い、糊塗して主意が定まらず、黒白も分かれなくなる。あるいは学問がまだ至らないのに、妄りに敢えて断語を下すを以て自ら誇れば、結局一カ所指せば一カ所誤り、禍福まったく憑拠なし。必ず師承心伝に本があり見識に毫も偏差なく、議論して影の形に随い・響の声に応ずるがごとく自然で、口を開けば言い当てて自らも覚らず、これをもって善断とする。
論命如老吏斷案,一字一理而無失者,方是星家之鼻祖也。一凡五星隨宮用之,則隨人盤論之,亦如前法逐宮,論定不可失次,又看其得令,則有力,失令則無力,又忌斷躔失次,與四餘相會,加諸煞大凶,亦可隨煞而論之,又看三方對沖生克何如,相援則吉,相剋則凶,人盤者,即原守坐下,星辰在各宮、各度上,以定吉凶。
命を論ずるは老練の胥吏が案を断ずるがごとくあれ。一字一理に閃失なくしてこそ、星家の鼻祖と称するに足る。一、凡そ五星は皆その在する宮に随て任用し、人盤に随て論ずる。なお前の法に照らして逐宮に論定し、次序を失してはならない。またその得令すれば力あり・失令すれば力なきを看、さらにその断躔失次を忌み、あるいは四余と会合し、さらに衆煞を加えれば大凶で、それもまた煞に随て論じてよい。次に三合と対沖との間の生剋が如何を看る。彼此相援すれば吉、彼此相剋すれば凶である。いわゆる人盤とは、原盤の所守・坐下の星辰が各宮・各度に分布するもので、これに拠って吉凶を判定する。
一立命既定,更看是晝生夜生,晝生人不要火金孛月羅照命,夜生人不要土木日氣照命。名曰:五殘星,皆主貧賤,不然則多憂少樂,生平成敗,坎坷到老。晝生不宜遇陰星,夜生不宜遇陽星。一晝生人則要太陽在寅卯辰巳午未上,方應朝陽嚮明之格,如晝生人太陽在申酉戌亥子丑上,皆非合格;夜生要太陰照命,行限亦要火羅月孛當限,方為得體。
一、命宮すでに立定したら、次に昼生まれか夜生まれかを看る。昼生まれの人は、火星・金星・「月孛」・太陰・「羅睺」の命を照らすを要としない。夜生まれの人は、土星・木星・太陽・「紫気」の命を照らすを要としない。これらを五残星と呼び、皆貧賤を主る。たとえ貧賤でなくとも、憂い多く楽しみ少なく、一生起落して坎坷に老ゆる。要するに白昼生まれは陰星に遇うを宜しとせず、夜生まれは陽星に遇うを宜しとしない。一、昼に生まれた人は太陽が寅・卯・辰・巳・午・未の六宮に落ちてこそ、「朝陽向明」の格局に合する。もし昼生まれで太陽が申・酉・戌・亥・子・丑に落ちれば、皆合格しない。夜に生まれた者は太陰が命を照らし、行限も火星・「羅睺」・「月孛」が限に当たってこそ、体を得たというべきである。
一命坐祿、坐庫、坐貴、長生駕殿,及蔭旺卦氣斗杓唐符國印之鄉,皆主富貴。數星皆果老所用之秘,與五星又不同。一命坐的劫、陽刃、天雄、空亡、死絕、飛廉、殺者,或命度掌殺者,皆主其人性不好,心險行怪,狠暴不仁,衣食勞碌,一生成敗,或刑剋父母,骨肉不全,出祖破家,過房自立方免。此星在諸殺上,推之;不在五星中,見之。
一、命宮が禄位・財庫・貴人・長生・殿駕および蔭旺・卦気・斗杓・唐符・国印のこれらの位置に坐する者は、皆富貴を主る――これらの星はみな果老の用いる秘訣で、五星と別の一路である。一、命宮が的殺・劫殺・陽刃・天雄・空亡・死絶・飛廉のこれらの殺神の上に坐するか、あるいは命度そのものが殺を掌る者は、皆その人の性情が良くなく、心は陰険で行事は怪僻、兇狠残虐にして不仁、衣食に労碌奔波し、一生起起落落を主る。あるいは父母を刑剋し骨肉全からず、ただ祖家を離れ家業を破り、他人に過継がれて自立してこそ免れられる。これらの星は諸殺の中に推すべきで、五星の中に求めるものではない。
一命坐空亡,及主星起坐空,或桃花帶馬入者,又有金水照之,皆主其人慷慨風流、歌唱風月,女人值之決主為娼。女人桃花帶馬,主背夫遠逃,不然,離鄉尋夫。遠行一十干坐命,且如六甲生人,不要立命在金度上。名曰:鬼克皆主不安勞役,只喜坐受生克,彼宿上坐水度。名曰:坐父母之上,坐土度。名曰:坐財帛之上,坐火度。名曰:脫局當以意消詳,得時得令為好。其餘十干當仿此推之。
一、命宮が空亡に坐するか、あるいは主星の起こる所も空に坐し、あるいはまた「桃花」が駅馬を帯びて入り来り、さらに金星・水星が照臨すれば、皆その人が慷慨風流にして、歌唱を好み風を吟じ月を弄することを主る。女人がこれに遇えば、必ず娼妓に淪落する。女人の桃花に馬を帯ぶは、夫を背いて遠く逃ぐるを主り、さもなくとも家郷を離れて夫を尋ね、門を出て遠行する。一、十天干の命に坐するは各々講究あり。例えば甲年生の人は、命を金度に立ててはならず、それを「鬼剋」と呼び、皆安寧を得ず労碌に服役することを主る。ただ受生受剋の宜しきを得た宿度に坐するを喜ぶ。甲人が水度に坐すを、父母の上に坐すと呼び、土度に坐すを財帛の上に坐すと呼び、火度に坐すを脱局と呼び、心を用いて斟酌すべきで、総じて時を得・令を得るを以て好しとする。残りの各天干は皆これに照らして類推する。
本坐命度,宜年干相生,不喜相剋,人多不知其秘,納音亦同此論。一日從陽,夜從陰。如日生人,寅午戌申子辰坐命以日木土水用事;夜生人,巳酉丑亥卯未坐命以月金火用事為福最厚。若日從陰夜從陽,則為背,乃陰錯陽差,為福最緩。經曰:三方若背,其人空貴無官。此以向背言之,空貴無官者,猶封贈之官,有職而無權者。一夾命,要日月夾命,福祿夾命,官魁夾命,印貴夾命,三合拱命者亦然,皆主富貴,或命度主身命主起坐別處,而夾拱之者,但無駁雜皆是大貴。此數者皆得純粹清貴之論。
本命の坐する度は、生年の天干と相生すべきで、相剋を喜ばない。この秘訣は多くの人が知らぬもので、納音の看法もまた同じである。一、昼は陽に従い、夜は陰に従う。昼生まれの人は、命が寅午戌あるいは申子辰に坐すれば、太陽・木星・土星・水星を以て事を用い、夜生まれの人は、命が巳酉丑あるいは亥卯未に坐すれば、太陰・金星・火星を以て事を用い、福気最も厚い。もし昼に反って陰星を用い、夜に反って陽星を用いれば、それは背であり、陰錯陽差に属して福を得ること最も遅い。経に曰く:三合の方位若し皆背けば、この人は虚名を有するも実職なし――これは向背に就いて言うのである。いわゆる空貴無官とは、封贈を以て得た官のごとき、職銜はあって権柄なきものである。一、夾命に至っては:日月の夾命・福禄の夾命・官星魁星の夾命・印星貴人の夾命を要し、三合の拱命もまた同じで、皆富貴を主る。あるいは命度主・身命主が別の所に起坐し來りて夾拱するも、駮雑なきを要し、皆大貴の命である。以上の数様は皆純粋清貴の論法に属する。
一劫的亡神羊刃之宮,或吉星夾其上者,其兇暴不可勝言,亦致死於非命。一看命星辰,俱善柔,亦不為大事業,又要一凶星以助其權,大凡吉星多,凶星少,則從吉論;凶多吉少,從凶斷。貴人之命,非權不能以治世。善柔者,指星辰純粹無雜,又一惡星間之為貴。
一、劫殺・的殺・亡神・羊刃の在する宮に、もしまた吉星がその上に夾まれば、その兇暴の程度は言っても言い尽くせず、非命に死するをも招く。一、命を看る時、星辰が皆和善柔順ならば、大事業を為すこと能わず、なお一つの凶星が彼の権威を助けるを要す。大抵吉星多く凶星少なきは、吉に拠って論じ、凶星多く吉星少なきは、凶に拠って断ずる。貴人の命は、権柄なければ世事を治める能わず。いわゆる善柔とは、星辰が純粋にして駮雑ならざるを指す。この時かえって一つの悪星がその間に夾雑することを要して貴となる。
一凡命宮惡弱之星,則要其居陷弱,明顯之星,則欲其居高強。一凡命不要星辰十分顯見,如祿居祿,福守福,金水夾日守命,皆是大顯。名曰:敷露不能大富貴。一貴人之命,多是陷弱不可觀者,其中有一星得用,坐殺得時及官祿有釣起,吉星暗加其位者皆貴。
一、凡そ命宮の兇悪衰弱の星は、それを陷弱の地に落とすを要し、光明显要の星は、則ちそれを高強の位に落とすを要す。一、凡そ命もまた星辰の過分に顕露するを要としない。禄星が正に禄位に落ち、福星が正に福宮を守り、金星水星が太陽を夾んで命を守るは、皆大顕と数え、これを「敷露」と呼び、かえって大富大貴なる能わず。一、貴人の命は、多く見れば陷弱にして眼目を惹かざるも、その中に必ず一星の用を得るあり、あるいは殺位に坐して時を得、あるいは官禄の星が釣り起され、また吉星が暗暗としてその位に加わる。かかるは皆貴を主る。
一看諸星,皆如看命之法,一同亦看三方及正照方判吉凶。凡看命宮釣起飛來,次看橫沖直撞,吉凶何如。若田宅宮吉,安享父業,終身無災;官祿星吉,僕馬昌盛,榮貴多財;妻妾宮吉,倡隨偕老,昆仲和睦,此乃五福全備之人。倘此三位值凶星照破,雖富貴亦不能安享。經曰:四直之正,最要相生而為妙。正謂此也。
一、各星を看る法は皆命を看ると同じく、同様に三合と正对の方を看てこそ吉凶を判断し得る。凡そ命宮を看るには、まず釣起と飛来を看、次に横衝と直撞を看、吉凶如何を看る。もし田宅宮が吉なら、父輩の産業を安んじて享し終身災なし。官禄の星が吉なら、僕従車馬昌盛し、栄貴にして財多し。妻妾宮が吉なら、夫唱え婦随い・頭白きまで偕に老い、兄弟も和睦す――これすなわち五福斉備の人である。もしこの三カ所が凶星に照破られば、たとえ富貴ありとも安穏に享受せず。経に曰く:四直の正、最も緊要は彼此相生するを妙とす。言うところは正にこのことである。
蓋田宅與疾厄、相貌同一局,官祿與財帛、奴僕同一局,妻妾與福德、兄弟同一局也。凡看各宮神各主星,俱要論三方對照,有無生克。星辰何如一須看時令為緊,春木、夏火、秋金、冬水季土,若金令金水守照反為孤貧,與身同躔亦然,蓋冬火羅近太陽不妨,又看旺相休囚死絕為緊。
田宅宮は疾厄・相貌と同じく一局に属し、官禄宮は財帛・奴僕と同じく一局に属し、妻妾宮は福徳・兄弟と同じく一局に属す。凡そ各宮の宮神と各々の主星を看るに、皆三合対照を論じ、生剋の有無・星辰の状態如何を看る。一、時令を看るが最も緊要。春は木・夏は火・秋は金・冬は水・四季月は土を以て当令とす。もし金旺の時に金星・水星が来て守照すれば、反って孤貧を成し、身宮と同躔するもまた同じ。冬の火星と「羅睺」が太陽に近きに至っては、かえって妨げなし。このほかなお旺・相・休・囚・死・絶の各種状態を緊看すべし。
一看日月至緊,天地以日月為主,若日月明淨方為貴顯,經云:貴人日月要分明。是也。一論命之法,先看經緯二星要緊,次看三元祿主天馬地驛,再看吉星分佈,局面相生相剋何如,又看諸殺方佈列之,仔細推詳,吉凶可判。凡天經地緯二星,宜夾拱得地為貴,又天馬地驛三元祿主,俱宜乘旺歸垣升殿為貴。
一、日月を看るが最も緊要である。天地は日月を主とし、日月の光明潔浄にしてこそ貴顕と算す。経のいわゆる「貴人は日月に分明を要す」とは正にこの意である。一、命を論ずるの次序は:まず天経・地緯の二星を看、これ最も緊要。次に三元・禄主と天馬・地駅を看。次に吉星の如何に分布するか、格局全体が相生か相剋かを看。それから後に諸殺の如何に布列するかを看、仔細に推詳すれば、吉凶は判定し得べし。凡そ天経・地緯の二星は、夾拱にしてしかも地を得るを宜しとしてこそ貴。天馬・地駅と三元禄主も、皆旺に乗り・垣に帰り・殿に升るを宜しとしてこそ貴である。
一凡命度主起輔陽在強吉之宮必富;官祿主起輔陽必貴,雖凡人亦近貴,先生云:凡曆頭諸凶曜,自是人欠審。一凡吉星退陷者,減力一半,殺會陰陽者,殺化為吉者,不妨大體只有災。
一、凡そ命主・度主の起こる所が太陽を輔佐し、また強旺吉利の宮に落つる者は、必ず富む。官禄の主の起こる所が太陽を輔佐する者は、必ず貴顕で、たとえ普通人でも貴人に接近し得る。先生曰く:歴書の冒頭に列するあの凶曜は、往々にして人が自ら審察し明らかにせざるに過ぎぬ。一、凡そ吉星が退行し陷落するは、力量は半減するを要す。殺星が陰陽二曜に会して、因って凶を化して吉とするは、大体に妨げなし。ただ些かの災を免れ難いのみ。
火羅計孛只宜獨行,若交會大凶;隨宮而忌之,或相生得用有力,為富不仁;對沖三方相遇,主克父母;氣守命三方對照者,必孤為僧道。相得者吉;克入者凶;或行限遇之,必好善出家,遇此後限依舊。大體者,猶言人之身體也,木氣好清高,而人值則好清閒,惟孤單而已。
火星・「羅睺」・「計都」・「月孛」はただ単独に運行するを宜しとし、もし彼此交会すれば大凶で、その在する宮に随て各々忌むべし。もし本命と相生して用を得力あらば、富むも不仁を主る。もし対沖あるいは三合より相遇すれば、父母を剋することを主る。「紫気」が命を守り三合対照する者は、必ず孤独で、多く僧道に入る。要するに我と相得れば吉、剋して入れば凶。もし行限がこれらに遇えば、多く善を好み道に向い乃至出家し、この一限を過ぎればまた旧の如し。いわゆる大体とは、譬えていえば人の身体のごときである。木星と紫気は清高を好み、人これに遇えば清閒を愛す。ただ孤単を免れざるのみ。
一人命多有生時不定,以子為亥,亥為子,以初為末,末為初,則坐度不同,星辰轉動,故言:禍福不准,須是加減定其災祥,受生受克方能言其吉凶。經云:一不可拘,二須敢斷。以禍福不應,未可據言休咎,必然之理。大抵村落之人,無譙樓更鼓,又有晦冥風雨,氣候不齊,難以定時;又有溺愛不明,聞人說此時為凶,彼時為吉,便以吉者為主。故禍福不應,推命者當以意消詳,不可以誤傳誤,自壞術法也。七政歷所載,有夜子時之分,有上四刻、下四刻之法:上四刻正陰,下四刻正陽;夜子時上四刻作今日日辰,下四刻作明日日辰,惟此難分。
一類の人ありて、出生の時辰がもとより定まりがたい。子時を亥時と誤記し、亥時を子時と誤記し、一つの時辰の頭四刻を末四刻と為し、末四刻を頭四刻と為す。時辰一たび誤れば、命宮の坐する宿度もこれに随て挪移し、十一曜の臨する位置もまた随て転動す。ゆえに推し出す禍福は霊験せず、必ず加減の推算を以て災祥を核定し、命主が受生か受剋かを看てこそ、吉凶を断ずるに足る。経文に曰く:第一に成法に死守すべからず、第二にまた敢えて断語を下すを要す。もし禍福の応験せざるが故にのみ断語を下すを敢えてせず休咎を論ずれば、必然の理もまた言うに及ばず。大体、郷村の人家は譙楼の更鼓の報時なく、また常に陰晦風雨に遇い、天色・気候は参差不斉で、時辰を定めがたし。また父母が溺愛糊涂し、傍人の某時辰は凶・某時辰は吉と言うを聴きて、吉なるその一を択びて報じ上ぐ。ゆえに禍福の応験せざるに逢えば、命を推す者は心を用いて斟酌すべく、訛を以て訛を伝え、自らこの門の術法を敗壊してはならない。『七政暦』に「夜子時」の分別を載せ、また上四刻・下四刻の算法あり。上四刻は純陰に属し、下四刻は純陽に属す。夜子時の上四刻はなお今日の日辰と算し、下四刻は則ち明日の日辰と算す――ただこの一カ所のみ最も分辨しがたい。
