盐铁论 · 第8巻
文學曰扇水都尉所言當時之利權一切【音砌】之術也不可以久行而傳世此非明王所以君國子民之道也詩云哀哉為猶匪先民是程匪大猶是經維邇言是聽此詩人刺不通於王道而善為權利者孝武皇帝攘九夷平百越師旅數【音朔】起糧食不足故立田官置錢入谷射官救急澹【古贍字】不給【食貨志曰元狩二年天子為伐胡故盛養馬馬之徃來食長安者數萬匹率掌者闗中不足廼調旁近郡而胡降者數萬人皆得厚賞衣食仰給縣官縣官不給天子乃損膳解乘輿駟出御府禁藏以贍之其明年山東被水災民多飢乏於是天子遣使空郡國倉廩以賑貧】今陛下繼大功之勤養勞勌【音倦】之民此用麋鬻之時【釋名曰麋煑米使糜爛粥淖於糜粥粥然也】公卿宜思所以安集百姓致利除害輔明主以仁義脩潤洪業之道明主即位以來六年於茲公卿無請減除不急之官省罷機利之人人權縣【音懸】太久民良望於上陛下宣聖徳昭明光令郡國賢良文學之士乗傳【去聲】詣公車議五帝三王之道六藝之風冊【通作防】陳安危利害之分指意粲然【如淳曰律四馬高足為置傳四馬中足為馳傳四馬下足為乗傳一馬二馬為軺傳急者乗一乗傳顔師古曰傳者若今之驛古者以車謂之傳車其後又單置馬謂之驛騎】今公卿辯議未有所定此所謂守小節而遺大體抱小利而忘大利者也【雜言曰太公田不足以償種漁不足以償網治天下有餘智文公種米曾子駕羊孫叔敖相楚三年不知軌在衡後務大者固忘小智伯防人亡炙而知之韓魏反而不知邯鄲子陽園人亡桃而知之其亡也不知務小者亦忘大也泰族訓曰夫徹於一事審於一枝可以曲説而未可以廣應也秤薪而防數米而炊可以治小而未可以治大也】
文学が言います: 扇水都尉の言う所は、当時の利権・権宜【注音:「切」は砌と同じ】の術にして、以て久しく行い世に伝うべからず。これ明王の国を君とし民を子とする所以の道にあらず。《詩経》に曰く:「哀れなるかな是の謀、先民を以て標準と為さず、大道を以て経常と為さず、只だ淺近の言を聴く」と。これ詩人の王道に通ぜずして権利に善き者を諷刺する也。孝武皇帝は九夷を攘い百越を平げ、師旅しばしば【注音:「數」は朔と同じ】起こり、糧食足らず、故に田官を立て銭を置き、穀を入れて官を射せしめ、急を救い不足を【「澹」は古の「贍」字】贍給せり【《食貨志》に曰く: 元狩二年、天子は胡を伐つが為に馬を盛んに養い、馬の来往して長安を食うや数万匹、掌る関中足らず、即ち旁近の郡を調す。而して胡の降者数万人は皆厚賞を得、衣食は県官に仰給し、県官足らず、天子は即ち膳を減じ乗輿の駟を解き、御府の禁蔵を出して彼らを贍えり。第二年、山東は水災を被り、民は饑乏多し、於是天子は使者を遣わして郡国の倉廪を空うして貧を賑せしむ】。今陛下は大功の勤労を継ぎ、労倦【注音:「勌」は倦と同じ】の民を養う、これ麋粥を用うるの時なり【《釈名》に曰く: 麋は米を煮て糜爛ならしむるなり。粥は糜よりも更に稀にして、粥粥然たり】。公卿は宜しく百姓を安集し利を致し害を除き、明主を仁義をもって輔け、洪業を修潤する所以の道を思うべし。明主即位以来六年此に於いて、公卿は未だ不急の官を減除し機利の人を省罷せんことを請わず。人権は懸掛【注音:「県」は懸と同じ】すること久し、民は上に殷切に盼望す。陛下は聖徳を宣べ明光を昭かにし、郡国の賢良文学の士をして伝に乗り【注音:「伝」は去声と読む】公車に至らしめ、五帝三王の道・六藝の風を議論し、簡册【「策」に通ず(底本は「防」と作る、「策」の訛と為すべし)】をもって安危利害の分を陳説せしめ、指意は粲然たり【如淳が曰く: 律、四馬の高足を置伝と為し、四馬の中足を馳伝と為し、四馬の下足を乗伝と為し、一馬二馬を軺伝と為す。急のは一乗伝に乗る。顔師古が曰く: 伝は猶お今の驛のごとし。古は車を用うるを伝車と曰い、其の後又た単に馬を置くを驛騎と曰う】。今公卿の辯議は未だ定まらず、これ所謂小節を守りて大体を遺れ、小利を抱きて大利を忘るるなり【《説苑・雑言》に曰く: 太公は田を種うも種を償うに足らず、魚を打つも網を償うに足らず、天下を治むるには智余り有り。文公は米を種い、曾子は羊を駕す。孫叔敖は楚を相うること三年にして轅軌の衡に在るを知らず、後に大を務むるは固より小を忘る。智伯の厨人は烤肉を失うを知るも、韓魏の反るを知らず。邯鄲子陽の園人は桃を失うを知るも、其の亡ぶるを知らず。小を務むるも亦た大を忘る。《淮南子・泰族訓》に曰く: 一事に通じ一技に審らかなれば、以て曲説すべきも未だ以て広応すべからず。薪を称りて炊ぎ米を數えて炊ぐは、以て小を治むべきも未だ以て大を治むべからず(底本は「秤薪而防」と作る、「防」は「炊」の訛と為すべし)】。
大夫曰宇宙之內鷰雀不知天地之高也坎井之鼃【音蛙】不知江海之大窮夫否【披上聲】婦不知國家之慮負荷【音賀】之商不知猗頓之富先帝計外國之利料胡越之兵兵敵弱而易制用力少而功大故因勢變以主四夷地濵【通作瀕近也】山海以屬長城北畧河外開路匈奴之鄉功未卒善文王受命伐崇作邑於豐【指武篇曰文王欲伐崇先宣言曰餘聞崇侯虎蔑侮父兄不敬長老聼獄不中分財不均百姓力盡不得衣食餘將來徵之唯為民乃伐崇令毋殺人毋壊室毋填井毋伐樹木毋動六畜有不如令者死無赦崇人聞之因請降周紀曰崇侯虎謵西伯於紂紂囚西伯於羑里其後赦西伯賜之弓矢鉄鉞得専征伐曰譛西伯者崇侯虎也西伯歸三年伐崇侯虎而作豐邑】武王繼之載屍以行破商擒紂遂成王業【周紀曰武王修文王業東觀兵孟津為文王木主載以居中軍自太子發言奉文王以伐紂不敢自專遂興師渡於河時諸侯不期而會孟津者八百諸侯皆曰紂可伐武王曰未可也乃還師居二年聞紂昏亂滋甚殺比干囚箕子太師疵少師彊防子抱其祭器而犇周於是武王乃渡孟津伐紂紂師皆倒干戈以戰紂軍潰畔紂死周書曰周車三百五十乗陳於牧野帝辛從武王使尚父與伯夫致師王既以虎賁戎車馳商師商師大敗商辛奔內登於廩臺之上屏遮而自燔於火武王乃手太白以麾諸侯諸侯畢拜蓫揖之商庶百姓鹹俟於郊群賔僉進曰上天降休再拜稽首武王答拜先入適王所乃克射之三發而後下車而擊之以輕呂斬之以黃折懸諸太白適二女之所乃既縊王又射之三發乃右擊之以輕呂斬之以懸諸小白】曹沫棄三北之恥而復侵地管仲負當世之累而立霸功【汜論曰昔者曹子為魯將兵三戰不勝亡地千里使曹子計不顧後足不旋踵刎頸於陣中則終身為破軍擒將矣然而曹子不羞其敗恥死而無功柯之盟揄三尺之刃造桓公之胷三戰所亡一朝而反之勇聞於天下功立於魯國管仲輔公子糾而不能遂不可謂智遁逃奔走不死其難不可謂勇束桎梏不諱其恥不可謂貞當此三行者布衣弗友人君弗臣然而管仲免於縲絏之中立齊國之政九合諸侯一匡天下使管仲出死捐軀不顧後圖豈有此霸功哉今人君論其臣也不計其大功總其畧行而求小善則失賢之數也魯仲連曰效小節者不能行大威惡小恥者不能立榮名昔管仲射桓公中鉤簒也遺公子糾而不能死怯也束桎梏辱身也此三行者鄉里不通也世主不臣也使管仲終窮抑幽囚而不出慙恥而不見窮年沒夀不免為辱人賤行矣然管子並三行之過據齊國之政一匡天下九合諸侯為五伯首名高天下光照鄰國曹沫為魯君三戰三北而防地千里使曹子之足不離陳計不顧後出必死而不生則不免為敗軍擒將曹子以敗軍擒將非勇也功廢名滅後世無稱非智也故去三北之恥退而與魯君計也齊桓公有天下朝諸侯曹子以一劔之任刼桓公於壇位之上顧色不變而辭氣不悖三戰之所防一朝而反之天下震動驚駭威信呉楚傳名後世若此二公者非不能行小節忍小恥也以為殺身絶世功名不立非智也故去忿恚之心而成終身之名除感忿之恥而立累世之功故業與三王爭流名與天壤相敝也】故志大者遺小用權者離俗有司思師望之計【師望師尚父太公呂望也】遂先帝之業志在絶胡貉擒單【音蟬】於【匈奴酋長曰單于單于廣大貎言象天單于然也】故未遑扣扃之義而録拘儒之論【劉向曰論大功者不錄小過舉大美者不疵細瑕】
大夫が言います: 宇宙の内、燕雀は天地の高きを知らず、坎井の蛙【注音:「鼃」は蛙と同じ】は江海の大きさを知らず、窮夫鄙【注音:「否」は上声に披く】婦は国家の謀慮を知らず、負荷【注音:「荷」は賀と同じ】の商販は猗頓の富を知りません。先帝は外国の利を計算し胡越の兵を料度し、兵敵は弱くして制服し易く、力を用うること少くして功大なり、故に勢変に因りて四夷を主宰し、地は【「瀕」に通ず、近きの意】山海に瀕して以て長城に連なり、北は河外を略し、路を開きて匈奴の郷に通ず。功は未だ成ること好からず。文王は命を受けて崇を伐ち豊に邑を作す【《説苑・指武篇》に曰く: 文王は崇を伐たんと欲し、先ず宣言して曰く「我聞く、崇侯虎は父兄を蔑侮し、長老を敬せず、獄を聴くこと中らず、財を分つこと均しからず、百姓は力尽きて衣食を得ずと。我将に彼を征せんとす、只だ民の為のみ」と。於是崇を伐ち、人を殺す勿れ・室を毀る勿れ・井を塡る勿れ・樹木を伐る勿れ・六畜を動かす勿れと令し、令に如かざる有れば死して赦さず。崇人これを聞きて降を請う。《周本紀》に曰く: 崇侯虎は西伯を紂に譖し、紂は西伯を羑里に囚う。其の後西伯を赦し、弓矢鉄鉞を賜いて征伐を専らにすることを得せしめ、曰く「西伯を譖するは崇侯虎なり」と。西伯帰り、三年にして崇侯虎を伐ちて豊邑を作す】。武王これに継ぎ、木主を載せて行き、商を破り紂を擒にし、於是王業を成す【《周本紀》に曰く: 武王は文王の業を修め、東の孟津に兵を観、文王の為に木主を作り、中軍に載せ、自ら(底本この字は生僻字で転写後に失われた)太子発と称し、文王を奉じて紂を伐つと曰い、敢えて自ら専らにせず。於是師を興して河を渡る。当時諸侯は期せずして孟津に会するや八百、諸侯皆紂の伐つべきを曰うも、武王は未だ可ならずと曰いて師を還す。二年を過ぎ、紂の昏乱一層甚だしきを聞き、比干を殺し箕子を囚え、太師疵・少師強・微子(底本は「防子」と作る、「微子」の訛と為すべし)其の祭器を抱きて周に奔る。於是武王乃ち孟津を渡りて紂を伐つ。紂師皆倒戈して戦い、紂軍は潰散して背叛し、紂死す。《周書》に曰く: 周の車三百五十乗、牧野に陳す。帝辛従う。武王は尚父と伯夫とをして挑戦せしむ。王既に虎賁戎車をもって商師を馳撃し、商師大敗す。商辛は内に奔り、廩台の上に登り、遮蔽して火に自焚す。武王は即ち太白を手執して諸侯を指揮し、諸侯皆拝し、於是揖を作す。商の庶百姓皆郊に等候し、群賓斉しく進みて曰く「天福を降せり」と。再拝稽首す。武王拝を答う。先ず王の在所に入り至り、即ち彼を射ること三発にして後に下車し、軽呂をもって彼を撃ち、黄鉞をもって(底本この字は生僻字で転写後に失われた)彼を斬り、太白の上に懸ぐ。二女の在所に至るに、已に縊死せり、王又た三発を射、即ち軽呂をもって撃ち、玄鉞をもって(底本この二字は生僻字で転写後に失われた)斬り、小白の上に懸ぐ】。曹沫は三敗の恥を丢きて侵地を回復し、管仲は当世の累を担負して覇功を立つ【《淮南子・氾論》に曰く: 昔曹子は魯の将兵と為り、三戦して勝たず、地を亡うこと千里。仮に曹子後を顧みず、足踵を旋かさず、陣中に頸を刎るならば、則ち終身破軍擒将と為る。然れども曹子は其の敗を羞じず、死して功無きを恥とす。柯の盟に三尺の刃を抽出して桓公の胸に逼り、三戦の亡ぶ所は一朝にして返り、勇は天下に聞え功は魯国に立つ。管仲は公子糾を輔けて成る能わず、智と謂うべからず。遁逃奔走して其の難に死せず、勇と謂うべからず。束縛(底本この字は生僻字で転写後に失われた)桎梏して其の恥を諱まず、貞と謂うべからず。此の三行に当たりて、布衣は彼を以て友と為さず、人君は彼を以て臣と為さず。然れども管仲は縲紲の中を免れ、斉国の政を立て、九合諸侯して天下を一匡す。仮に管仲出でて死を捐て後図を顧みざらば、豈に此の覇功有らんや。今人君は其の臣を論ずるに、其の大功を計らず、其の大略の行を総めて小善を求む、則ち賢を得るの法を失う。魯仲連が曰く: 小節を効するは大威を行う能わず、小恥を悪むは栄名を立つ能わず。昔管仲は桓公を射て鉤に中つは篡なり、公子糾を丢きて死する能わざるは怯なり、束縛桎梏は身を辱しむるなり。此の三行、郷里は通せず、世主は臣とせず。仮に管仲終に窮抑幽囚して出でず、慚恥して見えざらば、窮年没寿して辱人賤行と為るを免れず。然れども管子は此の三行の過を并せ、斉国の政を拠り、天下を一匡し九合諸侯し、五霸の首と為り、名は天下に高く光は隣国を照らす。曹沫は魯君の為に三戦三北して地を喪う(底本は「防」と作る、「喪」の訛と為すべし)こと千里。仮に曹子の足陣を離れず、計後を顧みず、出でて必ず死して生せざらば、敗軍擒将と為るを免れず。曹子は敗軍擒将を以て勇ならざると為し、功廃名滅して後世称する無きを智ならざると為し、故に三敗の恥を去り、退きて魯君と謀画す。斉桓公は天下を有し諸侯を朝せしむ、曹子は一剣の任をもって桓公を壇位の上に劫し、顔色変わらず辞気悖らず、三戦の喪う所(底本は「防」と作る)は一朝にして返り、天下震動し驚駭し、威信は呉楚に及び、名は後世に伝わる。此の二公の如きは、小節を行い小恥を忍ぶ能わざるにあらず、身を殺し世を絶ちて功名立たざるを智ならずと為すを以てなり。故に忿恚の心を去りて終身の名を成し、感忿の恥を除きて累世の功を立つ。故に事業は三王と流を争い、名声は天壤と相敝ゆ】。故に志の大なるは小を遺落し、権を用うるは流俗を離れます。有司は師望の計謀を思い【師望は即ち師尚父太公呂望】、先帝の業を成し、志は胡貉を滅絶し単【注音:「単」は蝉と同じ】于を擒拿せんことに在り【匈奴の酋長を単于と曰う。「単于」は広大の様なり、天の如く単于たるを謂う】、故に未だ門を扣きて見えんことを求むるの義を顧みず拘儒の論を登録するに暇あらず【劉向が曰く: 大功を論ずるは小過を録さず、大美を挙ぐるは細瑕を挑剔せず】。
文學曰鷰雀離巢宇而有鷹隼【音筍】之憂坎井之鼃【音蛙】離其居而有蛇防之患況翺翔千仞而遊四海乎其禍必大矣此李斯之所以折翼而趙高沒淵也【張子曰李斯族誅卒擊於鷹隼趙高車裂終斃於防蛇】聞文武受命伐不義以安諸侯大夫未聞弊諸夏以役夷狄也昔秦常舉天下之力以事胡越竭天下之財以奉其用然眾不能畢而以百萬之師為一夫之任此天下共聞也且數【音朔】戰則民勞久師則兵弊此百姓所疾苦而拘儒之所憂也【伍被曰徃者秦為無道殘賊天下殺術士燔詩書滅聖棄禮義任刑法轉海濵之栗致於西河當是之時男子疾耕不足於糧餽女子紡績不足以葢形遣防恬築長城東西數千裡兵露師常數十萬死者不可勝數殭屍滿野流血千里又使尉佗逾五嶺攻百越尉佗知中國勞極止土南越行者不還徃者莫返於是百姓離心瓦解欲為亂者十室而七韓成曰夫秦嘗積眾暴兵數十萬人雖有覆軍殺將系虜單于之功亦適足以結怨深讐不足以償天下之費夫上虛府庫下敝百姓甘心於外國非完事也】
文学が言います: 燕雀は巣宇を離るれば鷹隼【注音:「隼」は筍と同じ】の憂あり、坎井の蛙【注音:「鼃」は蛙と同じ】は其の居を離るれば蛇鼠(底本は「蛇防」と作る、「蛇鼠」の訛と為すべし)の禍患あり、況んや千仞に翱翔して四海に游ぶをや。其の禍は必ず大なり。これ李斯の翼を折られ趙高の淵に没する所以の故なり【張之象が曰く: 李斯は族誅せられ、終に鷹隼の撃つ所と為り。趙高は車裂せられ、終に蛇鼠に死す】。文武は命を受けて不義を伐ち以て諸侯大夫を安んずるを聞くも、未だかつて諸夏を損害して夷狄を役使するを聞かず。昔秦は常に天下の力を挙げて胡越に事奉し、天下の財を竭して其の用を供給するも、然れども衆は完成する能わず、而して百万の師を以て一人の任と為すは、天下の共に聴く所なり。且つしばしば【注音:「數」は朔と同じ】戦えば民は労し、久しく師すれば兵は弊る、これ百姓の疾苦とし拘儒の憂う所なり【伍被が曰く: 往時秦は無道を為し、天下を残賊し、術士を殺し詩書を焼き、聖を滅し礼義を棄て、刑法を任用し、海浜の粟を西河に転運す。此の時に当たり、男子は疾耕するも糧食に足らず、女子は紡績するも体を蔽うに足らず。蒙恬(底本は「防恬」と作る、「蒙恬」の訛と為すべし)を遣わして長城を築かしめ、東西数千里、寇(底本この字は生僻字で転写後に失われた)兵露師は常に数十万、死者は勝げんとすれども数え難く、僵尸は野に満ち流血は千里なり。又た尉佗をして五嶺を踰え百越を攻めしむ、尉佗は中国の労極するを知り、南越に停まる。走る者は還らず往く者は返らず、於是百姓は心を離れ瓦解し、乱を作さんと欲するや十室にして七なり。韓安国が曰く: 秦は曾て衆を積み兵を暴かにすること数十万人、覆軍殺将して単于を係虜するの功有りと雖も、亦た只だ怨深仇を結ぶに足るのみ、天下の費を補償するに足らず。上は府庫を空うし、下は百姓を疲敝せしめ、外国に甘心するは、事を完うするにあらず】。
非鞅第七
非鞅(ひおう) 第七
大夫曰昔商君相【去聲】秦也內立法度嚴刑罰飭政教奸偽無所容外設百倍之利收山澤之稅國富民強器械完飾蓄積有餘是以徵敵伐國攘地斥境不賦百姓而師以澹【古贍字】故用不竭而民不知地盡西河而民不苦鹽鐡之利所以佐百姓之急足軍旅之費務蓄積以備乏絶所給甚眾有益於國無害於人百姓何苦爾而文學何憂也【蔡澤曰商君為秦孝公明法令禁奸本尊爵必賞有罪必罰平權衡正度量調輕重決裂阡陌以靜生民之業而一其俗勸民耕農利土一室無二力田稸積習戰陣之事是以兵動而地廣兵休而國富故秦無敵於天下立威諸侯成秦國之業】
大夫が言います: 昔商君は秦を輔相し【注音:「相」は去声と読む】、内は法度を立て刑罰を厳にし政教を整飭し、姦偽は身を容るる所無し。外は百倍の利を設け山沢の税を収め、国富民強にして、器械は完好整飾にして蓄積余り有り。故に敵を征し国を伐ち、土地を開拓し辺境を開拓するに、百姓に賦を収めずして軍隊は【「澹」は古の「贍」字】贍給を得たり。故に用度は竭きずして民は知らず、地は西河を尽くして民は苦しまず。塩鉄の利は百姓の急を佐助し軍旅の費を充足し、蓄積を務めて匱乏断絶を防ぐ所以にして、供給する所は多く、国に益あり人に害無し。百姓は何を苦しみ、文学は何を憂うるや【蔡沢が曰く: 商君は秦孝公の為に法令を彰明し、姦本を禁止し、爵を尊ぶは必ず賞し罪有るは必ず罰し、権衡を平にし度量を正うし軽重を調え、阡陌を決裂して生民の業を安んじ其の俗を斉一し、民を勧めて農を耕し土を利せしめ、一家に二力無く、田を勤め蓄積し戦陣の事を練習す。故に兵動けば地広く、兵休れば国富み、故に秦は天下に敵無く、諸侯に威を立て、秦国の業を成就す】。
文學曰蓋文帝之時無鹽鐡之利而民富今有之而百姓睏乏未見利之所利也而見其害也且利不從天來不從地出一取之民間謂之百倍此計之失者也無異於愚人反裘而負薪愛其毛不知其皮盡也【雜事篇曰魏文侯出遊見路人反裘而負芻文侯曰胡為反裘而負芻對曰臣愛其毛文侯曰若不知其裡盡而毛無所恃耶明年東陽上計錢布十倍大夫畢賀文侯曰此非所以賀我也譬無異夫路人反裘而負芻也將愛其毛不知其裡盡毛無所恃也今吾田地不加廣士民不加眾而錢布十倍必取之士大夫也吾聞之下不安者上不可居也此非所以賀我也】夫李梅實多者來年為之衰【初危切】新谷熟者舊谷為之虧自天地不能兩盈而況於人事乎故利於彼者必耗於此猶隂陽之不併曜晝夜之有長短也【呂氏春秋曰冬與夏不能兩刑草與稼不能兩成新谷熟而陳谷虧果實繁者木必痺天之數也叢談曰天地之道極則反滿則損五采曜眼有時而渝茂木豐草有時而落物有盛衰安得自若意不併鋭事不兩隆盛於彼者必衰於此長於左者必短於右憙夜臥者不能蚤起也】商鞅峭法長【音掌】利秦人不聊生相與哭孝公呉起長【音掌】兵攻取楚人騷動相與泣悼王其後楚日以危秦日以弱故利蓄而怨積地廣而禍構【泰俗訓曰小辯害治苛削傷德商鞅為秦立相坐之法而百姓怨呉起為楚滅爵祿之令而功臣畔商鞅之立法也呉起之用兵也天下之善也然商鞅以法亡秦察於刀筆之法而不知治亂之本也呉起以兵弱楚習於行陣之事而不知廟戰之權也】惡【音烏】在利用不竭而民不知地盡西河而人不苦也今商鞅之冊任於內【冊通作防謀也籌也】呉起之兵用於外行者勤於路居者匱於室老母號泣怨女嘆息文學雖無憂其可得也
文学が言います: 文帝の時は塩鉄の利無きも民は富み、今之れ有りて百姓は困乏す、利の利する所を見ず、只だ其の害を見るのみ。且つ利は天より来らず地より出でず、一概にこれを民間に取り、これを百倍と呼ぶは、計策の失なり。愚人の皮衣を反穿して柴を負い、その毛を愛して皮の尽くるを知らざるに異ならず【《説苑・雑事篇》に曰く: 魏文侯は出游し、路人の皮衣を反穿して草を負うを見る。文侯が曰く「何の故に皮衣を反穿して草を負うや」と。答えて曰く「臣その毛を愛す」と。文侯が曰く「汝は裏子尽きれば毛は依拠する所無きを知らざるか」と。第二年、東、東陽は銭布十倍を上報し、大夫皆賀す。文侯が曰く「これ我を賀する所以にあらず。譬喩すれば彼の路人の皮衣を反穿して草を負うに異ならず、その毛を愛して裏子尽きれば毛は依拠する所無きを知らざらんと。今我田地は広きを加えず士民は多きを加えずして銭布十倍す、必ずこれを士大夫に取るなり。我聞く、下の安からざるは上は居るべからずと。これ我を賀する所以にあらず」と】。李梅は果実多きは、来年これに因りて衰え【初危切】、新穀は熟すれば旧穀はこれに因りて虧く。天地を以てすら両盈する能わず、況んや人事をや。故に彼に利するは必ず此に耗える、猶お陰陽の并照する能わず、昼夜に長短有るがごとし【《呂氏春秋》に曰く: 冬と夏とは両盛する能わず、草と稼とは両成する能わず、新穀熟して陳穀虧け、果実繁き木は必ず病む、是れ天の數なり。《叢談》に曰く: 天地の道は極まれば反り満つれば損す。五采は眼を耀かすも時有りて変じ、茂木豊草は時有りて落つ。物に盛衰有り、怎んぞ自若せんや。意は并鋭する能わず、事は両隆する能わず。彼に盛なるは必ず此に衰え、左に長なるは必ず右に短し。夜に臥すること好きは早起する能わず】。商鞅は峻法にして利を長じ【注音:「長」は掌と同じ】、秦人は生を聊かにする無く、相与に孝公に哭す。呉起は兵を長じて【注音:「長」は掌と同じ】攻取し、楚人は騒動し、相与に悼王に泣く。其の後楚は日に以て危うく、秦は日に以て弱し。故に利蓄えて怨積り、地広くして禍構成す【《淮南子・泰族訓》に曰く: 小辯は治を害し、苛削は徳を傷る。商鞅は秦の為に相坐の法を立てて百姓怨み、呉起は楚の為に爵禄を滅するの令して功臣叛く。商鞅の法を立て呉起の兵を用うるは、天下の善なり。然れども商鞅は法に因りて秦を亡ぼし、刀筆の法に明察なるも治乱の本を知らず。呉起は兵に因りて楚を弱め、行陣の事に熟習なるも廟戦の権を知らず】。何ぞ【注音:「悪」は烏と同じ】利用竭きずして民知らず、地は西河を尽くして人苦しまざらんや。今商鞅の策謀【「册」は「策」に通ず、是れ謀、是れ籌(底本は「防」と作る、「策」の訛と為すべし)】は内に任用され、呉起の兵は外に使用され、路を行くは路に勤苦し、家に居るは室に匱乏し、老母は号泣し怨女は嘆息す。文学は憂うことを欲せざると雖も、豈に得んや。
大夫曰秦任商君國以富強其後卒並六國而成帝業及二世之時邪臣擅斷公道不行諸侯叛弛宗廟隳【音】亡春秋曰未言介祭仲亡也夫善歌者使人續其聲善作者使人紹其功推車之蟬攫【音腳古本作匷說林訓曰古之所為不可更則推車至今無蟬匷許慎曰蟬匷車類也匷當讀如矍】負子之教也周道之成周公之力也雖有裨諶之草創無子產之潤色有文武之防矩而無周呂之鑿枘【音芮】則功業不成【左傳曰子產之從政也擇能而使之馮簡子能斷大事子太叔美秀而文公孫揮能知四國之為而辨於其大夫之族姓班位貴賤能否而又善為辭令禆諶能謀謀於野則獲謀於邑則否此才性之蔽鄭國將有諸侯之事子產乃問四國之為於子羽且使多為辭令與裨諶乗以適野使謀可否而告馮簡子使斷之事乃投子太叔使行之以應對賔客是以鮮有敗事】今以趙高之亡秦而非商鞅猶以崇虎亂殷而非伊尹也
大夫が言います: 秦は商君を任用し、国これに因りて富強す、其の後終に六国を幷兼して帝業を成す。二世の時に及び、邪臣は擅断し公道行われず、諸侯は叛離し宗廟は毀【注音:「隳」は灰と同じ(底本この字は生僻字で転写後に失われた)】亡す。《春秋》に曰く: 未だ介を說かず、是れ祭仲亡ぶと。歌うこと善きは人をして其の声を続がしめ、創始すること善きは人をして其の功を紹がしむ。推車の蝉攫【注音:「攫」は脚と同じ。古本は「匷」と作る。《淮南子・説林訓》に曰く: 古の為す所は更改すべからず、則ち推車は今に至るまで蝉匱無しと。許慎が曰く: 蝉匷は車の類なり。匷は当に矍の如く読むべし】、是れ負子の教訓なり。周道の成るは周公の力なり。裨諶の草創有ると雖も、子産の潤色無ければ。文武の規矩有りて(底本は「防矩」と作る、「規矩」の訛と為すべし)周・呂の鑿枘無ければ【注音:「枘」は芮と同じ】、則ち功業成らず【《左伝》に曰く: 子産は政に従い、能者を選択して使用す。馮簡子は大事を決断する能く、子太叔は美秀にして文あり、公孫揮は四国の為す所を知り其の大夫の族姓班位貴賤能否を辨じ、又た辞令に善し。裨諶は謀る能く、野に謀れば得、邑に謀れば得ず、これ才性の局限なり。鄭国は将に諸侯の事有らんとし、子産は即ち子羽に四国の為す所を問い、且つ彼をして辞令を多くせしめ、裨諶と車に乗りて野に至り可否を謀らしめ、而して馮簡子に告げて彼をして決断せしめ、事成れば子太叔に交わして彼をして賓客に応対せしむ、故に敗事少なし】。今趙高の秦を亡ぼすを以て商鞅を非議するは、猶お崇侯虎の殷を乱るを以て伊尹を非議するがごとし。
文學曰善鑿者建周而不疲善基者致高而不蹷【音厥】伊尹以堯舜之道為殷國基子孫紹位百代不絶商鞅以重刑峭法為秦國基故二世而奪【刑法志曰凡兵者所以存亡繼絕救亂除暴也故伊呂之將子孫有國與商周並至於末世苟任詐力爭城殺人盈城爭地殺人盈野孫呉商白之徒皆身誅戮於前而功滅亡於後報應之勢各以類至其道然矣】刑既嚴峻矣又作為相坐之法造誹謗增肉刑百姓齋慄不知所措手足也賦斂既煩數【音朔】矣又外禁山澤之原內設百倍之利民無所開説容言崇利而簡義高力而尚功非不廣壤進地也然猶人之病水益水而疾深知其為秦開帝業不知其為秦致亡道也狐刺【音郎逹反】之鑿雖公輸子不能善其枘【音芮】畚【音本】土之基雖良匠不能成其高譬若秋蓬被霜遭風則零落雖有十子產如之何故扁鵲不能肉白骨微箕不能存亡國也【詩傳曰扁鵲過趙趙王太子疾而死鵲造宮門曰吾聞國中卒有壤土之事得無有急乎中庶子之好方者應之曰然王太子暴疾而死扁鵲日入言鄭醫秦越人能活太子中庶子難之曰吾聞上古之為醫曰苗父苗父之為醫也以菅為席以芻為狗北面而祝髮十言耳諸扶而來者舉而來者皆平復如故子之方能如此乎扁鵲曰不能乂曰吾聞中古之為醫者曰俞柎俞柎之為醫也搦腦髓來肓莫炊灼九竅而定經絡死人復為生人故曰俞柎子之方能若是乎扁鵲曰不能中庶子曰子之方如此譬若以管窺天以錐刺地所窺者甚天所見者甚少鈞若子之方豈足以變駭童子哉扁鵲曰不然物故有昧揥而中蛟頭掩目而別白黒者太子之疾所謂屍厥者也以為不然入之太子股隂當溫耳中焦焦如有嘯者聲然者皆可治也中庶子入報趙王趙王跣而趨出門曰先生逺辱幸臨寡人先生幸而有之則糞土之息得防天履地而長為人矣先生不有之則先犬馬填溝壑矣言未巳涕泣沾襟扁鵲遂為之先造軒光之灶八成之湯砥針礪石取三陽五輸子容禱藥子明吹耳陽儀反神子越扶形子游矯摩太子遂得復生天下聞之皆曰扁鵲能生死人鵲辭曰子非能生死人也特使夫當生者活耳夫死者猶不可藥而生也悲夫亂君之治不可藥而息也詩曰多將熇熇不可救藥甚之之辭也下蔡威公曰病之將死也不可為良醫國之將亡也不可為計謀】
文学が言います: 鑿うこと善きは建てること周密にして疲敝せず、基礎を打つこと善きは築くこと高くして蹶かず【注音:「蹶」は厥と同じ】。伊尹は尭舜の道を以て殷国の基礎と為し、子孫は位を紹ぐこと百代絶えず。商鞅は重刑峻法を以て秦国の基礎と為し、故に二世にして奪はる【《漢書・刑法志》に曰く: 凡そ兵は以て亡を存し絶を継ぎ乱を救い暴を除くなり。故に伊・呂の将は、子孫は国を有して商周と并ぶ。末世に至りて苟且に詐力を任用し、城を争い人を殺すこと城に盈ち、地を争い人を殺すこと野に盈つ。孫・呉・商・白の徒は皆身は誅戮を前に被り功は後に滅亡す、報応の勢は各々類を以て至る、其の道は是の如し】。刑已に峻厳なるや、又た相坐の法を作り、誹謗の罪を造り、肉刑を増加し、百姓は斎栗し、手脚を放つ所を知らず。賦斂已に煩數【注音:「數」は朔と同じ】なるや、又た外は山沢の源を禁じ、内は百倍の利を設け、民は口を開き陳説する所無し。利を崇尚して義を簡慢し、力を看重して功を崇尚す、壤を広め地を進めざるにあらず、然れども猶お人の水に病みて再び水を加えて病の更に深きがごとし。彼が秦の為に帝業を開くを知るも、彼が秦の為に亡道を致すを知らず。歪斜【注音:「刺」は郎達反】の鑿は、公輸子と雖も枘をして【注音:「枘」は芮と同じ】合适せしむる能わず。畚【注音:「畚」は本と同じ】土の基礎は、良匠と雖も其の高きを成る能わず。譬えば秋蓬の霜を被り、風に遭えば零落するが如く、十の子産有ると雖も又た如何せん。故に扁鵲は白骨をして肉を長ぜしむる能わず、微子・箕子は亡国を保存する能わず【《詩伝》に曰く: 扁鵲は趙を過ぎ、趙王太子は暴(底本この字は生僻字で転写後に失われた)疾して死す。鵲は宮門に至りて曰く「我聞く、国中に卒然として壤土の事有り、該り急难有らずや」と。中庶子の方術を好む者答えて曰く「是なり、王太子は暴疾して死す」と。扁鵲が曰く「請う、我を入れしめよ、鄭医秦越人は太子を救活する能しと言わん」と。中庶子詰難して曰く「我聞く、上古に医と為る者を苗父と曰う。苗父の医と為るや、菅を以て席と為し芻を以て狗と為し、北面して祝い、只だ十句を発し、諸の人に扶えられて来る者・擡がれて来る者は皆平复して故の如し。子の方は能く是の如くせんや」と。扁鵲が曰く「能わず」と。又た曰く「我聞く、中古に医と為る者を兪跗と曰う。兪跗の医と為るや、脳髄を搦め肓膜を抽き、九竅を炊灼して経絡を定む、死人は重ねて生人と為る、故に兪跗と曰う。子の方は能く是の如くせんや」と。扁鵲が曰く「能わず」と。中庶子が曰く「子の方是の如く、譬えば管を以て天を窺い錐を以て地を刺すが如く、窺う所の天は甚だ小さく見る所は甚だ少なし。子の方の如き、豈に以て童子を変駭するに足らんや」と。扁鵲が曰く「然らず。物は固より暗に投げて蛟頭に中り目を掩いて黑白を辨ずる有り。太子の病は所謂尸厥なり。然らずと為さば、入りて彼を診せよ(底本この字は生僻字で転写後に失われた)、太子の股陰は当に温なるべく、耳中は焦焦として嘯く者の声の如く有らば、此の如きは皆治すべし」と。中庶子入りて趙王に報じ、趙王は足を裸にして快步して門を出でて曰く「先生は遠道に駕を屈めて寡人に光臨す。先生幸いに彼を救わば、則ち糞土の息は得て(底本は「得防」と作る、「得履」の訛と為すべし)天を履み地を踏みて長く人を為ることを得ん。先生彼を救わざれば、則ち犬馬に先だちて溝壑を塡めん」と。言未だ畢らず涕泣は襟を沾わす。扁鵲は於是彼を診し、先ず軒光の竈・八成の湯を造り、鍼を磨き石を礪き、三陽五輸を取り、子容は薬を祷り、子明は耳を吹き、陽儀は神を反し、子越は形を扶え、子游は矯摩し、太子は於是復生することを得たり。天下聞きて皆扁鵲は死人をして復生せしむる能しと曰う。鵲は辞して曰く「我は死人をして復生せしむる能しにあらず、只だ当に生くべき者をして活せしむるのみ。死するは猶お以て薬をもって生くべからず。悲しいかな、乱君の治は以て薬をもって止息すべからず。《詩経》に曰く『多く将に熇熇たらんとす、救薬すべからず』とは、厳重の辞を説くなり」と。下蔡威公が曰く: 病将に死せんとするは良医と為すべからず、国将に亡びんとするは計謀と為すべからず】。
大夫曰言之非難行之為難故賢者處實而效功亦非徒陳空文而已昔商君明於開塞之術假當世之權為秦致利成業【許慎曰啟之以利塞之以禁商鞅之術也司馬貞曰案商君書開謂刑嚴峻則政化開塞謂布恩賞則政化塞其意本於嚴刑少恩也】是以戰勝攻取並近滅逺乗燕趙陵齊楚諸侯斂袵西面而向風其後防恬徵胡斥地千里逾之河北若壊朽折腐何者商君之遺謀備飾素循也故舉而有利動而有功夫【音扶】蓄積籌防國家之所以強也故弛廢而歸之民未覩巨計而渉大道也
大夫が言います: 説くは難からず、為すは難し。故に賢者は実に処りて功效を収む、亦た只だ空文を陳するのみにあらず。昔商君は開塞の術に明らかに、当世の権に憑借し、秦の為に利を致し業を成せり【許慎が曰く: 利をもって開き禁をもって塞ぐ、是れ商鞅の術なり。司馬貞が曰く: 《商君書》に按ずるに、開は刑の峻厳なるは則ち政化開くを説き、塞は恩賞を布くは則ち政化塞ぐを説く、其の意は刑を厳にし恩を少なくするに本づく】。故に戦い勝ち取り攻め、近を幷び遠を滅し、燕趙に乗じ斉楚を陵ぎ、諸侯は衽を斂めて西面して風に向かう。其の後蒙恬(底本は「防恬」と作る、「蒙恬」の訛と為すべし)は胡を征し、地を斥くること千里、河北を越え、朽を毀り腐を折るが如し。何ぞや。商君の遺す所の謀画は完備整飾にして、素より遵循す。故に挙動すれば利有り、行動すれば功有り。句首の夫【注音:「夫」は扶と同じ】: 蓄積籌策(底本は「籌防」と作る、「籌策」の訛と為すべし)は国家の強する所以の原因なり。故に廃弛してこれを民に帰するは、未だかつて大計を見ずして大道を踏む。
文學曰商鞅之開塞非不行也恬胡千里非無功也威震天下非不強也諸侯隨風西面非不從也然而皆秦之所以亡也商鞅以權數危秦國防恬以得千里亡秦社稷此二子者知利而不知害知進而不知退故果身死而眾敗【王符曰夫上世之臣以道事君澤及草木仁被率土是以福祚流衍本支百世季世之臣以謟媚主不思順天専仗殺伐白起防恬秦以為功天以為賊易曰徳薄而位尊智小而謀大鮮不及矣是故徳不稱其禍必酷能不稱其殃必大】此所謂攣朐之知【去聲】而愚人之計也【寧手足曲也朐脡曲也】夫【音扶】何大道之有故曰小人先合而後忤【孔子曰可以共學矣而未可以適道也可與適道未可以立也可以立未可與權權者聖人之所獨見也故忤而後合者謂之知權合而後忤者謂之不知權不知權者善反醜矣】初雖乗馬卒必泣血此之謂也【繆稱訓曰聖人在上則民樂其治在下則民慕其意小人在上位如寢關曝纊不得須臾寧故易曰乗馬班如泣血連如言小人處非其位不可長也】
文学が言います: 商鞅の開塞は行われざるにあらず、蒙恬(底本この字は生僻字で転写後に失われた)の胡を斥くる(底本この字は生僻字で転写後に失われた)こと千里は功無きにあらず、天下に威震するは強きにあらず、諸侯の風に随い西面するは従わざるにあらず。然れども皆秦の亡ぶ所以の原因なり。商鞅は権数を以て秦国を危うくし、蒙恬は千里を得るに因りて秦の社稷を亡ぼす。此の二人は利を知りて害を知らず、進を知りて退を知らず、故に果して身死して衆敗る【王符が曰く: 上世の臣は道を以て君に事え、沢は草木に及び、仁は率土に被る、故に福祚は流衍し本支は百世なり。季世の臣は諂を以て主に媚び、天に順うを思わず、専ら殺伐に仗る。白起・蒙恬は、秦は以て功と為すも、天は以て賊と為す。《周易》に曰く: 徳薄くして位尊く、智小にして謀大なれば、禍に及ばざること少なしと。故に徳は其の禍に称わざれば必ず酷く、能は其の殃に称わざれば必ず大なり】。これ所謂攣朐の智【注音:「知」は去声と読む】にして愚人の計謀なり【「攣」は手足の弯曲、「朐」は脡肉の弯曲】。句首の夫【注音:「夫」は扶と同じ】: 何ぞ大道有らんや。故に小人は先ず迎合して後に抵忤すと曰う【孔子が曰く: 与に学ぶべくして未だ道に適くべからず、与に道に適くべくして未だ立つべからず、与に立つべくして未だ与に権すべからず。権は聖人の独り見る所なり。故に忤いて後に合するを権を知ると曰い、合して後に忤うを権を知らざると曰う。権を知らざるは、善反りて醜と成る】。初めは馬に乗ると雖も、終に必ず泣血す、これを説くなり【《淮南子・繆稱訓》に曰く: 聖人上に在れば則ち民は其の治を楽しみ、下に在れば則ち民は其の意を慕う。小人は上位に在れば、門関の上に寝て糸綿を晒すが如く、片刻の安寧を得ず。故に《周易》に「馬に乗りて班如たり、泣血漣如たり」と曰うは、小人の其の位に非ざるに処るを説き、長くすべからずと】。
大夫曰淑好之人戚施之所妬也賢知【去聲】之士闒【音逹】茸【音戎】之所惡【音汙】也【詩解曰戚施不能仰隗疾也李善曰闒茸猥賤也茸細毛也張栮訓話以為關獰劣也呂忱字林曰闒茸不肖也鄒陽曰女無美惡入宮見妬士無賢不肖入朝見嫉説林訓曰駿馬以材死直士以正窮賢者擯於朝美女擯於宮尊賢篇曰陽因見趙簡主曰臣居鄉三逐事君五去聞君好士故走來見簡主聞之絶食而嘆跽而行左右進諫曰居鄉三逐是不容眾也事君五去是不忠上也今君有士不為少矣簡主曰子不知也夫美女者醜婦之仇也盛徳之士亂世所疏也正直之行邪枉所憎也遂出見之因投以為相而國大治由是觀之逺近之人不可以不察也】是以上官大夫短屈原於頃襄公伯寮愬子路於季孫【屈原傳曰屈原者名平楚之同姓頃襄王立以其弟子蘭為令尹楚人既咎子蘭以勸懐王入秦而不反也屈平既嫉之雖放流睠顧楚國繋心懐王不忘欲反冀君之一悟俗之一改也其存君興國而欲反覆之一篇之中三致意焉令尹子蘭聞之大恕卒使上官大夫短屈原於頃襄王頃襄王怒而遷之論語曰公伯寮愬子路於季孫子服景伯以告曰夫子固有惑志於公伯寮吾力猶能肆諸市朝子曰道之將行也與命也道之將廢也與命也公伯寮其如命何公伯寮魯人子路孔子弟子仲由也季孫魯大夫也】夫【音扶】商君起布衣自魏入秦期年而相【去聲】之革法明教而秦人大治故兵動而割地兵休而國富孝公大說【音悅】封之於商安之地方五百里功如丘山名傳後世世人不能為是以相與嫉其能而疵其功也【疵音慈説文雲病也】
大夫が言います: 美好の人は戚施の妬忌する所、賢智【注音:「知」は去声と読む】の士は闒【注音:「闒」は達と同じ】茸【注音:「茸」は戎と同じ】の悪う所【注音:「悪」は汚と同じ】なり【《詩》解に: 戚施は仰ぐ能わず、是れ駝背の類の病。李善が曰く: 闒茸は猥賤なり、茸は細毛。張揖の訓詁は以て關獰劣と為す。呂忱《字林》に曰く: 闒茸は不肖なり。鄒陽が曰く: 女は美悪を論ぜず、宮に入れば妬はれ、士は賢不肖を論ぜず、朝に入れば嫉はる。《淮南子・説林訓》に曰く: 駿馬は材に因りて死し、直士は正に因りて窮し、賢者は朝に擯はれ、美女は宮に擯はる。《説苑・尊賢篇》に曰く: 陽虎は趙簡主に見えて曰く「臣は郷に在りて逐わるること三、君に事えて去ること五、君の士を好むを聞きて故に走り来りて見ゆ」と。簡主これを聞きて、食を停めて嘆じ、跪きて走る。左右は諫めて曰く「郷に在りて三逐するは衆に容れられざるなり、君に事えて五去するは上に忠ならざるなり。今君の士有るは少しと為さず」と。簡主が曰く「汝らは知らず。美女は醜婦の仇、盛徳の士は乱世の疏む所、正直の行は邪枉の憎む所なり」と。於是出でて彼に見え、即ち以て相と為し授けて国大いに治まる。此に由りて之を観れば、遠近の人は察せざるべからず】。故に上官大夫は頃襄公の前に屈原の短を説き、公伯寮は季孫に子路を愬う【《屈原伝》に曰く: 屈原は名は平、楚の同姓。頃襄王立ち、其の弟子蘭を以て令尹と為す。楚人は既に子蘭の懐王を勧めて秦に入りて返らざるを咎めたり。屈平は既に嫉恨し、放流せられると雖も、楚国を眷顧し懐王を心系し、返ることを忘れず、君の一に悟り俗の一に改まらんことを望む。其の君を存し国を興して反復せんと欲するは、一篇の中に三たび意を致す。令尹子蘭これを聞きて大怒し、終に上官大夫をして頃襄王の前に屈原の短を説かしめ、頃襄王怒りて彼を放逐す。《論語》に曰く: 公伯寮は季孫に子路を愬う。子服景伯は孔子に告げて曰く「夫子は固より公伯寮に惑志有り、吾が力は猶お彼をして市朝に尸を肆せしむる能し」と。孔子が曰く「道将に行なれんとするや、是れ命。道将に廃れんとするや、是れ命。公伯寮は命を如何せんや」と。公伯寮は魯人、子路は孔子弟子仲由、季孫は魯大夫】。句首の夫【注音:「夫」は扶と同じ】: 商君は布衣より起こり、魏より秦に入り、一年にして彼を輔相し【注音:「相」は去声と読む】、法度を改革し教化を彰明して秦人大いに治まる。故に兵動けば地を割き、兵休れば国富む。孝公大いに悦び【注音:「説」は悦と同じ】、彼を商・安に封じ、地方五百里。功は丘山の如く、名は後世に伝わる。世人は為す能わず、故に相与に其の能を嫉みて其の功を挑剔す【「疵」は慈と同じ。《説文》に曰く: 即ち病なり】。
文學曰君子進必以道退不失義【孔子曰事君難進而易退則位有序易進而難退則亂也故君子三揖而進一辭而退以逺亂也繆稱訓曰君子時則進得之以義何幸之有不時則退讓之以義何不幸之有】高而勿矜勞而不伐位尊而行【去聲】恭功大而理順故俗不疾其能而世不妬其業【大禹謨帝曰汝惟不矜天下莫與汝爭能汝惟不伐天下莫與汝爭功孝經曰高而不危所以長守貴也滿而不溢所以長守富也】今商鞅棄道而用權廢徳而任力峭法盛刑以虐戾為俗欺舊友以為功刑公族以立威無恩於百姓無信於諸侯人與之為怨家與之為讐雖以功見封猶食毒肉愉飽而罹其咎也【秦防曰衞鞅亡魏入秦孝公以為相封之於商號曰商君商君治秦法令至行公平無私罰不諱強大賞不私親近法及太子黥劓其傅朞年之後道不拾遺民不妄取兵革大強諸侯畏懼然刻深寡恩特以強行之耳孝公行之八年疾且不起欲傳商君辭不受孝公已死惠王代後蒞政有頃商君告歸人説惠王曰大臣太重者國危左右太親者身危今秦婦人嬰兒皆言商君之法莫言大王之法是商君反為主大王更為臣也且夫商君固大王之仇讐也願大王圖之商君歸還惠王車裂之而秦人不憐】蘇秦合從【音縱】連衡統理六國業非不大也桀紂與堯舜並稱至今不亡名非不長也然非者不足貴故事不苟多名不苟傳也【要畧曰晩世之時六國諸侯谿異谷別水絕山隔各自治其境內守其分地握其權柄擅其政令下無方伯上無天子力征爭權勝者為右恃連與國約重致剖信符結逺援以守其國家持其社稷故縱橫修短生焉韓嬰曰君子行不貴苟難説不貴苟察名不貴苟傳惟其當之為貴夫負石而赴河行之難為者也而申屠狄能之君子不貴者非禮義之中也山淵平天地比齊楚襲入乎耳出乎口鉤有須卵有毛此説之難持者也而鄧析惠施能之君子不貴者非禮義之中也盜蹠吟口名聲若日月與舜禹俱傳而不息君子不貴者非禮義之中也故君子行不貴苟難説不貴苟察名不貴苟傳惟其當之為貴】
文学が言います: 君子は進むに必ず道を用い、退くに義を失わず【孔子が曰く: 君に事うるは進むこと難く退くこと易ければ位に序有り、進むこと易く退くこと難ければ乱なり。故に君子は三揖して進み一辞して退く、以て乱を遠ざくるなり。《淮南子・繆稱訓》に曰く: 君子は時なれば則ち進み、これを義を以て得る、何の幸あらん。時ならざれば則ち退き、これを義を以て譲る、何の不幸あらん】。高きも矜夸せず、労ありて功を伐らず、位尊くして行【注音:「行」は去声と読む】恭しく、功大にして理顺なるを以て、俗は其の能を嫉まず世は其の業を妬まず【《大禹謨》に帝曰く: 汝只だ矜たらざれば天下に汝と能を争う者無し。汝只だ伐らざれば天下に汝と功を争う者無しと。《孝経》に曰く: 高くして危うからざるは長く貴を守る所以、満ちて溢れざるは長く富を守る所以】。今商鞅は道を棄てて権を用い、徳を廃して力を任じ、峻法にして刑を盛んにし、虐戻を以て俗と為し、旧友を欺瞞して以て功と為し、公族を刑罰して以て威を立て、百姓に恩無く諸侯に信無く、人は彼と怨と為り家は彼と仇と為る。功に因りて(底本この字は生僻字で転写後に失われた)封せられると雖も、猶お毒肉を食うが如く、苟且に飽きて其の咎を蒙る【《戦国策》秦策(底本は「秦防」と作る、「秦策」の訛と為すべし)に曰く: 衛鞅は魏を逃れて秦に入り、孝公は彼を以て相と為し商に封じ、商君と号す。商君は秦を治め、法令至り行われ、公平にして私無く、罰は強大を避けず、賞は親近を私せず、法は太子に及び其の傅を黥劓す。一年の後、道は遺を拾わず民は妄取せず、兵革大いに強く、諸侯は畏懼す。然れども刻深寡恩にして、只だ強力を靠じて推行す。孝公これを行うこと八年、病みて将に起たざらんとし、位を商君に伝えんと欲すも推辞して受けず。孝公已に死し、恵王は代後政を莅むること久しからず、商君は帰を告ぐ。人或いは恵王を勧めて曰く「大臣の重き太過ぎれば国は危うく、左右の親しき太過ぎれば身は危うし。今秦の婦人嬰児は皆商君の法を言いて大王の法を言わず、是れ商君は反りて主と為り大王は更に臣と為る。且つ商君は本より大王の仇敵なり、願わくは大王圖謀せよ」と。商君帰り還る、恵王は彼を車裂するも秦人は憐れまず】。蘇秦は合従【注音:「従」は縦と同じ】連衡して六国を統理す、事業は大ならざるにあらず。桀紂は尭舜と并称し、今に至るまで亡びず、名声は長きにあらず。然れども是ならざるは貴ぶに足らず。故に事は苟且に多きを求めず、名は苟且に伝わるを求めず【《淮南子・要略》に曰く: 晚世の時、六国の諸侯は谿異り谷別れ、水絶え山隔たり、各々其の境内を治理し、其の分地を守り、其の権柄を握り、其の政令を擅りにし、下に方伯無く上に天子無く、力を以て征し権を争い、勝者を右と為し、連与の国に依拠し、重致を約し信符を剖き、遠援を結び、以て其の国家を守り其の社稷を持す、故に縦横修短の術生ずと。韓嬰が曰く: 君子は行は苟且の難を貴ばず、説は苟且の察を貴ばず、名は苟且の伝を貴ばず、只だ当才を貴ぶ。石を負いで河に赴くは行の為し難き也、而して申徒狄はこれを為す能く、君子は貴ばず、礼義の中に非ざるを以てなり。山淵平し・天地比す・斉楚襲う・耳に入り口に出ず・卵に毛有り、これ説の持ち難き也、而して鄧析・恵施は持つ能く、君子は貴ばず、礼義の中に非ざるを以てなり。盗蹠の名声は日月の若く、舜禹と俱に伝わりて息まず、君子は貴ばず、礼義の中に非ざるを以てなり。故に君子は行は苟難を貴ばず、説は苟察を貴ばず、名は苟伝を貴ばず、只だ当才を貴ぶ】。
大夫曰縞素不能自分於緇墨聖賢不能自理於亂世是以箕子執囚比干被刑【節士篇曰箕子者紂親戚也紂始為象箸箕子諫不聼囚箕子以為奴王子比干者亦紂之親戚也紂作炮烙之刑王子比干曰主暴不諫非忠臣也畏死不言非勇士也見過則諫不用則死忠之至也遂進諫三日不去朝紂因而殺之】伍員相【去聲】闔閭以伯【音覇】夫【音扶】差【去聲】不道流而殺之【範睢曰伍子胥橐載而出昭關夜行晝伏至於陵水無以糊其口膝行蒲伏稽首肉袒鼓腹吹篪乞食於呉市卒興呉國闔閭為霸越絶書曰子胥賜劔將自殺嘆曰嗟乎眾曲矯直一人固不能獨立吾挾弓矢以逸鄭楚之間自以為可復吾見凌之仇乃先王之功想得報焉自致於此吾先得榮後僇者非智衰也先遇明後遭險君之易移也已矣坐不遇時復何言哉此吾命也亡將安之莫如早死從吾先王於地下葢吾之志也】樂毅信功於燕昭而見疑於惠王【雜事篇曰樂毅為昭王謀必待諸侯兵齊乃可伐也於是乃使樂毅使諸侯遂合連四國之兵以伐齊大破之閔王亡逃僅以身脫□莒樂毅追之遂屠七十餘城臨淄盡降唯莒即墨未下盡復取燕寳器而歸復易王之辱樂毅謝罷諸侯之兵而獨圍莒即墨時田單為即墨令患樂毅善用兵田單不能詐也欲去之昭王又賢不肯聼讒會昭王死惠王立田單使人讒之惠王惠王使騎刼代樂毅樂毅去之趙不歸燕騎刼既為將軍田單大喜設詐大破燕軍殺騎刼盡復收七十餘城】人臣盡節以狥名遭世主之不用大夫種輔翼越王為之深謀卒擒強呉據有東夷終賜屬鏤而死【蔡澤曰大夫種為越王深謀逺計免會稽之恥以亡為存因辱為榮墾草入邑闢地殖穀率四方之士専上下之力輔句踐之賢報夫差之讐率擒勁呉令越成霸功已彰而信矣句踐終負而殺之汜論訓曰大夫種輔翼越王句踐而為之報怨雪恥擒夫差之身開地數千裡然而身伏屬鏤而死屬鏤利劔也】驕主背恩徳聽流説不計其功故也豈身之罪哉【蹇重曰有命之父母不知孝子有道之君不知忠臣】
大夫が言います: 縞素は自ら緇墨の中より分かれ出づる能わず、聖賢は自ら乱世の中に理り清む能わず。故に箕子は囚はれ、比干は刑せらる【《説苑・節士篇》に曰く: 箕子は紂の親戚なり。紂は始めて象箸を作す、箕子諫むるも聴かず、箕子を囚えて以て奴と為す。王子比干も亦た紂の親戚なり。紂は炮烙の刑を作す、王子比干が曰く「主暴にして諫めざるは忠臣にあらず、死を怕れて言わざるは勇士にあらず。過を見て即ち諫め、用いられざれば則ち死す、是れ忠の至りなり」と。於是諫を進むること三日朝廷を離れず、紂因りて彼を殺す】。伍員は闔閭を輔相して【注音:「相」は去声と読む】因りて称覇す【注音:「伯」は覇と同じ】。句首の夫【注音:「夫」は扶と同じ】: 夫差【注音:「差」は去声と読む】は無道にして、流して彼を殺す【范雎が曰く: 伍子胥は橐に装はれて昭関を出で、夜行き昼伏し、陵水に至りて糊口するに由無く、膝行し蒲伏し、稽首し肉袒し、腹を鼓して篪を吹き、呉市に乞食し、終に呉国を興し闔閭は覇す。《越絶書》に曰く: 子胥は剣を賜わりて将に自殺せんとし、嘆じて曰く「嗚呼、衆曲は正直を矯め、一人は固より独立する能わず。我は弓矢を挟みて鄭楚の間に逃れ、自ら以て父兄の仇を報ずべしとし、乃ち先王の功なり、報いんことを得んと欲す。自ら此に至るや、我先ず栄を得て後に戮を受く、智の衰なりにあらず、先ず明に遇い後に険に遭い、君は改変し易きなり。已まんぬ、坐して時に遇わざれば何をか言わん、是れ我が命なり。逃げて将に何れか往かん、早く死するに如かず、我先王に従いて地下に在らん、是れ我が志なり」と】。楽毅は燕昭王に於いて信を受け功を立て、而して恵王に於いて疑はる【《説苑・雑事篇》に曰く: 楽毅は昭王の為に謀画し、必ず諸侯の兵の斉うを待ちて乃ち伐つべしとす。於是楽毅を遣わして諸侯に出使せしめ、即ち四国の兵を連合して斉を伐ち、大いにこれを破り、湣王は逃亡して僅かに身を以て免れ、莒に逃ぐ。楽毅は追撃し、於是七十余城を屠り、臨淄は尽く降し、唯だ莒・即墨のみ下らず、尽く復た燕の宝器を取りて帰り、易王の辱に報復せり。楽毅は諸侯の兵を謝罷し独り莒・即墨を囲む。当時田単は即墨令と為り、楽毅の善く兵を用うるを怕れ、田単は詐を用うる能わず、彼を去らんと欲す。昭王又た賢にして讒を聴かず。昭王の死し恵王の立つに趕ぎ、田単は人を遣わして恵王に彼を讒す。恵王は騎劫を遣わして楽毅に代えしめ、楽毅は離れて趙に至り、燕に帰らず。騎劫既に将軍と為る、田単大いに喜び、詐を設けて燕軍を大いに破り、騎劫を殺し、尽く復た七十余城を収む】。人臣は節を尽くして以て名に殉ずるも、世主の用いざるに遭遇す。大夫種は越王を輔翼し、彼の為に深く謀り、終に強呉を擒にし東夷を拠有す、終に属鏤を賜わりて死す【蔡沢が曰く: 大夫種は越王の為に深謀遠計し、会稽の恥を免れ、亡を以て存と為し辱に因りて栄と為し、草を墾り邑に入り、地を辟き穀を殖やし、四方の士を率い上下の力を専らにし、句践の賢を輔け夫差の仇に報い、終に勁呉を擒にし越をして覇を成さしむ。功已に彰れて信なり、句践は終に負きて彼を殺す。《淮南子・氾論訓》に曰く: 大夫種は越王句践を輔翼して彼の為に怨を報じ恥を雪ぎ、夫差の身を擒にし、地を開くこと数千里、然れども身は属鏤に伏して死す。属鏤は利剣なり】。是れ驕主の恩徳を背き流説を聴き其の功を計らざるの故なり、豈に自身の罪ならんや【蹇重が曰く: 命有る父母は孝子を知らず、道有る君は忠臣を知らず】。
文學曰比干剖心子胥鴟夷【宋世家曰王子比干見箕子諫不聼而為奴則曰君有過而不以死爭則百姓何辜乃直言諫紂紂怒曰吾聞聖人之心有七竅信有諸乎乃遂殺比干刳視其心呉越春秋曰呉王賜子胥劔遂伏劔而死呉王乃取子胥之屍盛以鴟夷之器投之江海子胥因隨流揚波成濤激岸隨潮來徃應劭曰取馬革為鴟夷鴟夷榼形】非輕犯君以危身強【音襁】諫以幹名也憯【音】怛【音妲】之忠誠心動於內忘患之禍發於外志在匡君救民故身死而不怨【陸子曰郁烈之芳出於委灰繁防之音生於絶是以貞女要名於沒世烈士赴節於當年】君子能行是不能御非雖在刑戮之中非其罪也【繆稱訓曰人為之天成之終身為善非天不行終身為不善非天不亡故善否我也禍福非我也故君子順其在已者而已矣性者所受於天也命者所遭於時也有其材不遇其世天也太公何力比干何罪循性而行或害或利求之有道得之有命故君子能為善而不能必其得福不忍為非而不能必免其禍傳曰伯竒孝而棄於親隱公慈而殺於弟叔武賢而殺於兄比干忠而誅於君詩曰予慎無】是以比干死而殷人怨子胥死而呉人恨今秦怨毒商鞅之法甚於私仇故孝公卒之日舉國而攻之東西南北莫可奔走仰天而嘆曰嗟乎為政之弊至於斯極也卒車裂族夷為天下笑斯人自殺非人殺之也【衞鞅傳曰秦孝公卒太子立公子防告商君欲反發吏捕商君商君亡至闗下欲舍客舍客人不知其是商君也曰商君之法舍人無驗者坐之商君喟然嘆曰嗟乎為政之弊一至此哉去之魏魏人怨具欺公子卭而破魏師弗受商君欲之他國魏人曰商君秦之賊秦強而賊入弗歸不可遂內秦商君既復入秦走商邑與其徒屬發邑兵北出擊鄭秦發兵攻商君殺之於鄭黽池秦惠王車裂以狗曰莫如商鞅反者遂滅商君之家司馬遷曰商君其天資刻薄人也跡其所幹孝公以帝王術扶持浮説非其資矣且所因由嬖臣及得用刑公子防欺魏將卬不師趙良之言亦足發明商君之少恩矣餘嘗讀商君開塞耕戰書與其人行事相類卒受惡名於秦有以也夫劉歆曰秦孝公保崤函之固以廣雍州之地東幷河西北收上郡國富兵強長雄諸侯周室歸胙四方來賀為戰國霸君秦遂以強六世而幷諸侯亦皆商君之謀也夫商君極身無二慮盡公不顧私使民內急耕織之業以富國外重戰伐之賞以勸戎士法令必行內不阿貴寵外不偏疏逺是以令行而禁止法出而奸息故雖書云無偏無黨詩云周道如砥其直如矢司馬法之勵戎士周后稷之勸農業無以易此此所以並諸侯也故孫卿曰四世有勝非幸也數也然無信諸侯畏而不親夫霸君君齊桓晉文者桓不倍柯之盟文不負原之期而諸侯畏其強而親信之存亡繼絶四方歸之以管仲舅犯之謀也今商君倍公子卬之舊恩棄交魏之明信詐取三軍之眾故諸侯畏其強而不親信也借使孝公遇齊桓晉文得諸侯之統將合諸侯之君驅天下之兵以伐秦秦則亡矣天下無桓文之君故秦得以兼諸侯衛鞅始自以為知霸王之徳原其事不諭也昔周召施善政及其死也後世思之蔽芾甘棠之詞是也嘗舍於樹下後世思其徳不忍伐其樹況害其身乎管氏奪伯氏邑三百戶無怨言今衛鞅內刻刀鋸之刑外深鈇之誅歩過六尺者有罰棄灰於道者被刑一日臨渭而論囚七百餘人渭水盡赤號哭之聲動於天地畜怨積讐比於丘山所逃莫之隱所歸莫之容身死車裂滅族無姓其去霸王之佐亦逺矣然惠王殺之亦非也可輔而用也使衛鞅施寛平之法加之以恩申之以信庶幾伯者之佐哉】
文学が言います: 比干は心を剖かれ、子胥は鴟夷に盛られり【《宋世家》に曰く: 王子比干は箕子の諫めて聴かれずして奴と為るを見、即ち曰く「君に過有りて死を以て争わざれば、則ち百姓に何の辜あらん」と。於是直言して紂を諫む。紂怒りて曰く「我聞く、聖人の心は七竅有りと、真に有るか」と。於是比干を殺し、剖きて其の心を視る。《呉越春秋》に曰く: 呉王は子胥に剣を賜う、於是剣に伏して死す。呉王は即ち子胥の尸を取り鴟夷の器を以て盛り、江海に投ぐ。子胥因りて流に随い波を揚げ、濤を成して岸を激し、潮に随いて来往す。応劭が曰く: 馬革を取りて鴟夷を作る、鴟夷は榼の形状なり】。軽く君を冒犯して身を危うくし、強【注音:「強」は襁と同じ】諫して名を求むるにあらず。惨【注音:「憯」は惨と同じ(底本この字は生僻字で転写後に失われた)】痛【注音:「怛」は妲と同じ】の忠誠の心は内に動き、禍患の禍を忘れて外に発す、志は君を匡し民を救うに在り、故に身死して怨まず【陸子が曰く: 鬱烈の芳香は委灰より出で、繁弦(底本は「繁防」と作る、「繁弦」の訛と為すべし)の音は絶弦より生ず(底本この字は生僻字で転写後に失われた)。故に貞女は没世に名を要め、烈士は当年に節に赴く】。君子は能く是を行い、能く非を抵御せず、刑戮の中に在ると雖も彼の罪にあらず【《淮南子・繆稱訓》に曰く: 人これを為し、天これを成す。終身善を為すも、天に非ざれば行われず。終身不善を為すも、天に非ざれば亡びず。故に善否は我に在り、禍福は我に在らず。故に君子は在己に順うのみ。性は天に受くる所、命は時に遭う所なり。其の材有りて其の世に遇わざるは、天なり。太公に何の力かあらん、比干に何の罪かあらん。性に循いて行えば、或いは害或いは利。これを求むるに道有り、これを得るに命有り。故に君子は能く善を為すも其の福を得るを必ずする能わず、忍びて非を為さずも其の禍を免るるを必ずする能わず。伝記に曰く: 伯奇は孝にして親に棄てられ、隠公は慈にして弟に殺され、叔武は賢にして兄に殺され、比干は忠にして君に誅せらる。《詩経》に曰く「我慎みて過失無し」(底本この字は生僻字で転写後に失われた)】。故に比干死して殷人は怨み、子胥死して呉人は恨む。今秦は商鞅の法を怨毒すること私仇より甚だし、故に孝公卒の日、国を挙げて彼を攻め、東西南北奔るべき所無く、天を仰ぎて嘆じて曰く「嗚呼、政を為すの弊此の極に至れり」と。終に車裂し族滅し、天下の笑う所と為る。此の人は自ら殺すなり、人の彼を殺すにあらず【《衛鞅伝》に曰く: 秦孝公卒し、太子立つ。公子虔(底本は「公子防」と作る、「公子虔」の訛と為すべし)は商君の反せんと欲するを告げ、吏を発して商君を捕えしむ。商君は関下に逃れて客舎に宿らんと欲す、客人は彼が商君なるを知らず、曰く「商君の法、留宿するに憑証無きは連坐す」と。商君喟然として嘆じて曰く「嗚呼、政を為すの弊一に此に至るや」と。魏に至る、魏人は彼が曾て公子卬を欺きて魏師を破りしを怨み、受け入れず。商君は他国に往かんと欲す、魏人曰く「商君は秦の賊なり、秦強くして賊入る、送り帰さざるべからず」と。於是秦に送り入る。商君既に再び秦に入り、商邑に走り、其の徒属と邑兵を発して北の鄭を出撃す。秦は兵を発して商君を攻め、鄭の黽池に彼を殺す。秦恵王は車裂して以て衆に示し、曰く「商鞅の反するが如くする莫れ」と。於是商君の家を滅す。司馬遷が曰く: 商君の天資は刻薄なり。其の孝公に干求する所を視るに帝王の術を用うるも、却って浮説を扶持す、其の資にあらず。且つ憑借する所は嬖臣なり、用いらるるに及び、公子虔を刑し、魏将卬を欺き、趙良の言を聴かず、亦た以て商君の少恩を発明するに足る。我曾て商君の《開塞》《耕戦》の書を読み、其の人の行事と相類す、終に秦に於いて悪名を受くるは、原因有るなり。劉歆が曰く: 秦孝公は崤函の固を保して以て雍州の地を広め、東は河西を幷び、北は上郡を収め、国富み兵強く、長く諸侯に雄び、周室は胙を帰し四方は賀し来たる、戦国の覇君と為る。秦は是を以て強く、六世にして諸侯を幷ぐ、亦た皆商君の謀なり。商君は身を極めて二慮無く、公を尽くして私を顧みず、民をして内は耕織の業を急にして国を富ましめ、外は戦伐の賞を重くして戎士を勧めしめ、法令は必ず行われ、内は貴寵に阿らず、外は疏遠を偏せず、故に令行われて禁ずれば止まり、法出でて姦息む。故に《書》の「偏ること無く党ること無し」と曰い、《詩》の「周道は砥の如く其の直きこと矢の如し」と曰い、《司馬法》の戎士を激励し周后稷の農業を勧むるも、此を替え得る無し。これ諸侯を幷ぐる所以なり。故に荀子が曰く、四世は勝有るも、幸にあらず、數なり。然れども信無し、諸侯は畏れて親しまず。彼の覇君の斉桓・晋文の如きは、桓は柯の盟を背かず、文は原の期を負かず、而して諸侯は其の強を畏れて親信し、亡を存し絶を継ぎ、四方これに帰す、是れ管仲・舅犯の謀を用うるなり。今商君は公子卬の旧恩を背き、魏に交わるの明信を棄て、三軍の衆を詐取す、故に諸侯は其の強を畏れて親信せず。仮に孝公が斉桓・晋文に遇い、諸侯の統を得んか、将に諸侯の君を合し天下の兵を駆りて秦を伐たん、秦は則ち亡びん。天下に桓文の君無し、故に秦は諸侯を幷ぐることを得たり。衛鞅は始め自ら以て霸王の徳を知ると為すも、其の事を原うるに并せ明らかならず。昔周・召は善政を施行し、彼らの死するに及び、後世思念し、蔽芾甘棠の詞有り。曾て樹下に歇息し、後世は其の徳を思い其の樹を伐るに忍びず、況んや其の身を害せんをや。管氏は伯氏の邑三百戸を奪うも怨言無し。今衛鞅は内は刀鋸の刑を刻み、外は鉄鉞の誅を深くし(底本この字は生僻字で転写後に失われた)、歩み六尺を過ぐるは罰有り、灰を道に棄つるは刑せられ、一日渭に臨みて囚を論ずること七百余人、渭水尽く赤く、号哭の声は天地に動き、怨を畜え仇を積むこと丘山に比す、逃るる所は隠るべき無く、帰る所は容るべき無し、身死に車裂し、族を滅して姓無し、其の霸王の佐を離るるや遠し。然れども恵王の彼を殺すも亦た是ならず、以て輔け用うべし。仮に衛鞅が寛平の法を施行し、恩を加え明信を申ぶならば、庶几くは覇者の輔佐ならんか】。
鹽鐡論卷二
塩鉄論 巻二
