Libo

盐铁论 · 第12巻

西汉 · 桓宽 · 第12巻 / 32

未通第十五

未通(みつう) 第十五

御史曰內郡人眾水泉薦草不能相澹【古贍字】地勢溫溼不宜牛馬民蹠【音只】耒而耕負擔而行勞罷【音疲】而寡功是以百姓貧苦而衣食不足老弱負輅於路而列卿大夫或乗牛車孝武皇帝平百越以為囿圃卻羌胡以為囿是以珍怪異物充於後宮騊【音陶】駼【音餘】駃【音決】騠【音蹄】實於外廐【騊駼馬類也生北海駃騠俊馬也生七日而超其母】匹夫莫不乗堅良而民間厭橘柚由此觀之邊郡之利亦饒矣而曰何福之有未通於計也

御史が言います: 内郡は人衆く、水泉荐草は相贍う能わず【底本この字は古の「贍」字】、地勢は温湿にして牛馬に宜からず、民は耒を跖きて耕し【注音:「跖」は只と同じ】負担して行く、労疲れて【注音:「罷」は疲と同じ】功寡し、故に百姓は貧苦にして衣食足らず、老弱は輅を路に負い、而して列卿大夫は或いは牛車に乗る。孝武皇帝は百越を平げて以て園圃と為し、羌胡を却けて以て苑囿と為す(底本この字は生僻字で転写後に失われた)、故に珍怪異物は後宮に充ち、駼騊【注音:「駼」は陶と同じ】駃騠【注音:「駃」は決と同じ】【注音:「騠」は蹄と同じ】は外廐に実つ【駼騊は馬類、北海に生る。駃騠は俊馬、七日にして其の母を超る】。匹夫も堅良に乗らざる莫く、而して民間は橘柚に厭く。此に由りて之を観れば、辺郡の利も亦た饒けり、而して何の福之有らんと曰うは、是れ未だ計に通ぜざるなり。

文學曰禹平水土定九州四方各以土地所生貢獻足以充宮室供人主之慾膏壤萬里山川之利足以富百姓不待蠻貊之地逺方之物而用足【五帝紀曰禹披九山通九澤決九河定九州各以其職來貢不失厥宜方五千裡至於荒服食貨志曰禹平洪水定九州制土田各因所生逺近賦入貢棐楙遷有無萬國作乂】徃者未伐胡越之時繇【音遙】賦省而民富足溫衣飽食藏新食陳布帛充用牛馬成群農夫以馬耕載而民莫不騎乗當此之時卻走馬以糞【老子德經曰天下有道卻走馬以糞韓非子曰凡馬之所以大用者外供甲兵而內給奢也今有道之君外希用甲兵而內禁奢上不事馬於戰鬪逐北而民不以馬逺滛力唯田疇積力于田疇必且糞灌故曰天下有道卻走馬以糞也許慎曰卻止也糞田也止馬不以走但以田行至德之效也或曰國君無道則天下多事戎馬生於郊原國君有道則天下無事止走馬以糞田也】其後師旅數【音朔】發戎馬不足牸【音字】牝入陣【牸牝牛也凡獸育子曰牸牝畜母也】故駒犢生於戰地六畜不育於家五穀不殖於野民不足於糟糠何橘柚之所厭傳【去聲】曰大軍之後累世不復【老子曰師之所處荊棘生焉大軍之後必有凶年】方今郡國田野有壟而不墾城郭有宇而不實邉郡何饒之有乎

文学が言います: 禹は水土を平げ九州を定め、四方は各々土地の生ずる所を以て貢献し、以て宮室を充たし人主の欲に供するに足る。膏壤万里・山川の利は、以て百姓を富ますに足り、蛮貊の地・遠方の物を待たずして用足る【《史記・五帝本紀》に曰く: 禹は九山を披き九沢を通じ九河を決め九州を定め、各々其の職を以て来たりて貢し、厥の宜を失わず、方五千里にして荒服に至る。《食貨志》に曰く: 禹は洪水を平げ九州を定め、土田を制し、各々生ずる所の遠近に因りて賦入貢棐し、懋遷有無し、万国は乂と作す】。往き者は未だ胡越を伐たざるの時、徭賦は省かれて【注音:「繇」は遥と同じ】民は富足し、衣は温かく食は飽き、新を蔵して陳を食い、布帛は用に充ち、牛馬は群を成し、農夫は馬を以て耕載し而して民は騎乗せざる莫し。此の時に当たり、走馬を却けて以て糞す【《老子》徳経に曰く: 天下道有れば、走馬を却けて以て糞す。韓非子が曰く: 凡そ馬の大用と為る所以は、外は甲兵に供え内は奢侈に給するなり(底本この字は生僻字で転写後に失われた)。今有道の君は、外は甲兵を少くし内は奢侈を禁じ、上は馬を戦闘逐北に事えず、而して民は馬を以て遠く其の力を淫せず、惟だ田疇のみ、力を田疇に積めば必ず且つ糞灌せん、故に天下道有れば走馬を却けて以て糞すと曰う。許慎が曰く: 却は止なり、糞は田なり。馬を止めて以て走らせず、但だ以て田に行く、是れ至徳の効なり。或る説に曰く: 国君道無ければ則ち天下事多く、戎馬は郊原に生る。国君道有れば則ち天下事無く、走馬を止めて以て田に糞す】。其の後師旅は数々発し【注音:「数」は朔と同じ】、戎馬足らず、牸牝は陣に入る【注音:「牸」は字と同じ】【牸は牝牛なり。凡そ獣の子を育むを牸と曰い、牝は畜母なり】、故に駒犢は戦地に生れ、六畜は家に育たず、五穀は野に殖えず、民は糟糠に足らず、何の橘柚の厭う所ぞや。伝【注音:「伝」は去声と読む】に曰く: 大軍の後は累世復らず【老子が曰く: 師の処る所は荊棘生れん、大軍の後は必ず凶年有り】。方今郡国の田野は壟有りて墾かれず、城郭は宇有りて実らず、辺郡は何の饒ける之有らん。

御史曰古者制田百歩為畆民井田而耕什而籍一義先公而後已民臣之職也【詩曰雨我公田遂及我私孟子曰方里而井井九百畆其中為公田八家皆私百畆同養公田公事畢然後敢治私事所以別野人也】先帝哀憐百姓之愁苦衣食不足制田二百四十歩而一畆率三十而稅一惰民不務田作飢寒及已固其理也其不耕而欲播不種而欲獲鹽鐵又何過乎

御史が言います: 古者は田を制して百歩を畝と為し、民は井田して耕し、什にして一を籍す、義は先ず公にして後に己なり、是れ民臣の職なり【《詩》に曰く: 我が公田に雨り、遂に我が私に及ぶ。孟子が曰く: 方里にして井とし、井は九百畝、其の中は公田と為り、八家は皆私に百畝、同じく公田を養う。公事畢わりて然る後に敢えて私事を治む、野人を別つ所以なり】。先帝は百姓の愁苦・衣食の足らざるを哀憐し、田を制して二百四十歩にして一畝と為し、率ねて三十にして一を税す。惰民は田作を務めず、飢寒は己に及ぶ、固より其の理なり。其の耕さずして播かんと欲し種せずして獲らんと欲するは、塩鉄又た何の過ぞや。

文學曰什一而籍民之力也豐耗美惡與民共之民饉已不獨衍民衍已不獨饉故曰什一者天下之中正也田雖三十而以頃畆出稅樂歳粒米狼戾而寡取之凶年饑饉而必求足加之以口賦更繇【音遙】之役率一人之作中分其功農夫悉其所得或假貸而益之是以百姓疾耕力作而飢寒遂及已也築城者先厚其基而求其髙畜民者先厚其業而後求其澹【古贍字老子曰貴必以賤為本髙必以下為基泰族訓曰城有基木有根根深即本固基美則上寧不益其厚而張其廣者毀不廣其基而增其髙者覆潘氏曰髙以下為基民以食為天正其末者端其本善其後者慎其先夫九土之宜弗任四人之務不一野有菜蔬之色民靡代耕之秩無儲畜以虞災徒望歳以自必三季之衰皆此物也】論語曰百姓足君孰與不足乎

文学が言います: 什一にして籍するは是れ民の力なり、豊耗美悪は民と之を共にす: 民饉すれば則ち己は独り衍せず、民衍すれば則ち己は独り饉せず。故に什一と曰うは天下の中正なり。田は三十と雖も以て頃畝を出して税す: 楽歳は粒米狼戾して寡く之を取り、凶年飢饉にして必ず足るを求め、之に加うるに口賦・更徭【注音:「繇」は遥と同じ】の役を以てし、率ねて一人の作は其の功を中分す、農夫は其の得る所を尽くして或いは假貸して之を益す、故に百姓は耕を疾め力を作して飢寒は遂に己に及ぶ。城を築く者は先ず其の基を厚くして其の高きを求め、民を畜う者は先ず其の業を厚くして後に其の贍きを求む【底本この字は古の「贍」字。《老子》に曰く: 貴は必ず賤を以て本と為し、高は必ず下を以て基と為す。《淮南子・泰族訓》に曰く: 城に基有り木に根有り、根深ければ則ち本固く、基美しければ則ち上寧し。其の厚を益さずして其の広を張るは毀れ、其の基を広めずして其の高を増するは覆る。潘氏が曰く: 高は下を以て基と為し、民は食を以て天と為す。其の末を正すは其の本を端にし、其の後を善くするは其の先を慎む。夫九土の宜は任ぜられず、四人の務は一ならず、野に菜蔬の色有り、民に耕を代うるの秩無く、災を虞るに儲蓄無く、徒らに歳を望みて以て自ら必す。三季の衰は皆此の物なり】。《論語》に曰く: 百姓足れば、君は孰れと与に足らざらん。

御史曰古者諸侯爭強戰國並起甲兵不休民曠于田疇什一而借不違其職今賴陛下神靈甲兵不動乆矣然則民不齊出於南畆以口率被墾田而不足空倉廩而賑貧乏寖益日甚是以愈惰而仰利縣官也【食貨志曰商賈以幣之變多積貨逐利於是公卿言郡國頗被災害貧民無產業者募徙廣饒之地陛下損膳省用出禁錢以振元元寛貸而民不齊出南畆商賈滋眾貧者畜積無有皆仰縣官異時筭軺車賈人之緡錢皆有差請筭如故】為斯君者亦病矣反以身勞民民猶背恩棄義而逺流亡避匿上公之事民相仿效田地日蕪租賦不入抵扞縣官君雖欲足誰與之足乎

御史が言います: 古者は諸侯は強を争い戦国は幷び起こり、甲兵は休まず、民は田疇に曠び、什一にして借るも其の職に違わず。今陛下の神霊に頼り、甲兵は動かざること久し、然れども民は斉しく南畝に出でず、口を率いて墾田を被くも足らず、倉廩を空しくして貧乏を賑し、浸益して日に甚だし、故に愈々惰りて利を県官に仰ぐ【《漢書・食貨志》に曰く: 商賈は幣の変を以て貨を多く積みて利を逐う。於是公卿が言う: 郡国は災害を被ること頗り、貧民の産業無き者は募りて広饒の地に徙さん。陛下は膳を損じ用を省き、禁銭を出して以て元元を振し、貸を寛くす、而して民は斉しく南畝に出でず、商賈は滋衆く、貧者は畜積有る無く、皆県官に仰ぐ。異時は軺車を算し賈人の緡銭は皆差有り、請うて故の如く算せん】。此の如きの君と為るも亦た病めり。反りて身を以て民を労し、民は猶お恩を背き義を棄てて遠く流亡し、上公の事を避匿し、民は相仿效し、田地は日に蕪れ租賦は入らず県官を抵捍す。君は足らんと欲すと雖も、誰か之と与に足らん。

文學曰樹木數【音朔】徙則【音委】蟲獸徙居則壊故代馬依北風飛鳥翔故巢莫不哀其生【原道訓曰今夫徙樹者失其隂陽之性則莫不枯槁故橘樹之江北則化而為枳鴝鵒不過濟貈渡汶而死形性不易勢居不可移也伍子胥曰胡馬望北風而立越燕向日而熈誰不愛其所近悲其所思者乎韓嬰曰詩云代馬依北風飛鳥棲故巢皆不忘本之謂也】由此觀之民非利避上公之事而樂流亡也徃者軍陣數【音朔】起用度不足以貲【音資】徵賦常取給見民田家又被其勞故不齊出於南畆也大抵逋流皆在大家吏正畏憚不敢督責刻急細民細民不堪流亡逺去中家為之色出後亡者為先亡者服事録民數創【音瘡】於惡吏故相去尤甚而就少愈多傳【去聲】曰政寛者民死之政急者父子離【韓嬰曰治國者譬若乎張琴然大急則小弦絶矣故急轡防者非千里之御也】是以田地日荒城郭空虛夫【音扶】牧民之道除其所疾適其所安安而不擾使而不勞是以百姓勸業而樂公賦若此則君無賑於民民無利於上上下交議而頌聲作故取而民不厭役而民不苦靈臺之詩非或使之民自為之若斯則君何不足之有乎【賈生曰文王志之所在意之所欲百姓不愛其死不憚其勞從之如集詩曰經始靈臺庻民攻之不日成之經始勿亟庶民子來文王有志為臺近規之民聞之者麏裹而至問業而作之日日以眾命其臺曰靈臺命其囿曰靈囿謂其沼曰靈沼愛敬之至也詩曰王在靈囿麀鹿攸伏麀鹿濯濯白鳥翯翯王在靈沼於仭魚躍文王之澤下被禽獸洽於魚鱉鹹若攸樂而況士民乎修文篇曰積恩為愛積愛為仁積仁為靈靈臺之所以為靈者積仁也神靈著天地之本而為萬物之始也是故文王始接民以仁而天下莫不仁焉文徳之至也】

文学が言います: 樹木は数々徙せば【注音:「数」は朔と同じ】萎れ【注音:底本この字は委と同じ】、虫獣は居を徙せば壊る。故に代馬は北風に依り、飛鳥は故巣に翔る、其の生を哀まざる莫し【《淮南子・原道訓》に曰く: 今夫れ樹を徙す者は其の陰陽の性を失えば則ち枯槁せざる莫し。故に橘樹は江北に之けば化して枳と為り、鴝鵒は済を過ぎず、貉は汶を渡れば死す: 形性は易えず、勢居は移すべからず。伍子胥が曰く: 胡馬は北風を望みて立ち、越燕は日に向かいて熙る、誰か其の近づく所を愛せず其の思う所を悲しまざらん。韓嬰が曰く: 《詩》に曰く代馬は北風に依り飛鳥は故巣に棲むとは、皆本を忘れざるの謂なり】。此に由りて之を観れば、民は并びに上公の事を利避して流亡を楽しむに非ず。往き者は軍陣数々起こり【注音:「数」は朔と同じ】、用度足らず、貲を以て賦を征し【注音:「貲」は資と同じ】、常に見民に取りて給し、田家も又た其の労を被る、故に斉しく南畝に出でず。大抵逋流は皆大家に在り、吏正は畏憚して敢えて督責せず、細民に刻急にして、細民は堪えず、流亡して遠く去り、中家は之が為に色を出し、後に亡ぶ者は先に亡びし者の為に服事す。民を録するは悪吏に数々創えられ【注音:「創」は瘡と同じ】、故に相去るは尤も甚だしく就くは少なく愈々多し。伝【注音:「伝」は去声と読む】に曰く: 政の寛なるは民は之に死し、政の急なるは父子は離る【韓嬰が曰く: 国を治むるは譬えば琴を張るが若し、大弦急なれば則ち小弦絶ゆ。故に轡銜を急にするは(底本は「防」と作る)、千里の御に非ず】。故に田地は日に荒れ城郭は空虚す。句首の夫【注音:「夫」は扶と同じ】: 民を牧するの道は、其の疾む所を除き其の安んずる所に適え、安んじて擾らず使い労せず、故に百姓は業を勧みて公賦を楽しむ。若し此の如くなれば則ち君は民に賑する無く民は上に利する無し、上下は交わり議して頌声作る。故に取りて民は厭かず役して民は苦しまず。《霊台》の詩は、并びに或いは之を使するに非ず、民は自ら之を為す【賈誼が曰く: 文王の志の在る所・意の欲する所は、百姓は其の死を愛せず其の労を憚らず、之に従うこと集まるが如し。《詩》に曰く: 霊台を経始し、庶民は之を攻め、日ならずして之を成す。経始するに亟ぐ勿れ、庶民は子の如く来る。文王は志有りて台を為らんとし、近く之を規る、民の之を聞く者は麕裹して至り、業を問いて之を作す、日日以て衆し。其の台に命じて霊台と曰い、其の囿に命じて霊囿と曰い、其の沼を謂いて霊沼と曰う、愛敬の至なり。《詩》に曰く: 王は霊囿に在り、麀鹿は攸く伏し、麀鹿は濯濯として、白鳥は翯翯たり。王は霊沼に在り、於戲魚は躍る。文王の沢は下に禽獣に被り魚鼈に洽し、咸く若く攸く楽しむ、況んや士民をや。《修文》篇に曰く: 恩を積みて愛と為し、愛を積みて仁と為し、仁を積みて霊と為す。霊台の霊と為る所以は、是れ仁を積むなり。神霊は天地の本に着いて万物の始と為る。故に文王は始めて民に接するに仁を以てして天下は不仁なる莫し、是れ文徳の至なり】。若し斯の如くなれば則ち君は何の足らざる之有らん。

御史曰古者十五入太學與【去聲】小役二十冠【去聲】而成人與【去聲】戎事五十以上血脈溢剛曰艾壯詩曰方叔元老克壯其猶故商師若荼周師若烏【荼苦茶也烏燕烏也白項而群飛者也鄒陽曰秦信左右而殺周用烏集而王】今陛下哀憐百姓寛力役之政二十三始賦五十六而免所以輔耆壯而息老艾也丁者治其田裡老者修其塘園儉力趨時無飢寒之患不治其家而訟縣官亦悖矣

御史が言います: 古者は十五にして太学に入り、小役に与り【注音:「与」は去声と読む】、二十にして冠して【注音:「冠」は去声と読む】成人と為り、戎事に与る【注音:「与」は去声と読む】。五十以上は血脉溢れて剛なり、艾壮と曰う。《詩》に曰く: 方叔は元老、克く其の猶を壮にす。故に商師は荼の若く、周師は烏の若し【荼は苦茶、烏は燕烏、項白くして群れ飛ぶ。鄒陽が曰く: 秦は左右を信じて亡び、周は烏集を用いて王たり】。今陛下は百姓を哀憐し、力役の政を寛くす: 二十三にして始めて賦し、五十六にして免ず、以て耆壮を輔き老艾を息ましむる所以なり。丁なる者は其の田里を治め、老なる者は其の塘園を修め、力を倹して時に趨り、飢寒の患無し。其の家を治めずして県官に訟うは、亦た悖れり。

文學曰十九年已下為殤【音傷】未成人也二十而冠【去聲】三十而娶可以從戎事五十已上曰艾老杖於鄉不從力役所以扶不足而息髙年也【曲禮曰人生十年曰幼學二十曰弱冠三十曰壯有室四十曰強而仕五十曰艾服官政七十曰老而傳八十九十曰耄七年曰悼悼與耄雖有罪不加刑百年曰期頥王制曰五十不從力政六十不與服戎七十不與賓客之事八十齊防之事弗及也】鄉飲酒之禮耆老異饌所以優耆耄而明養老也【鄉飲酒義曰鄉飲酒之禮六十者坐五十者立侍以聼政役所以明尊長也六十者三豆七十者四豆八十者五豆九十者六豆所以明養老也民知尊長養老而後乃能入孝弟民入孝弟出尊長養老而後成教成教而後國可安也君子之所謂孝者非家至而日見之也合諸鄉射教之鄉飲酒之禮而孝弟之行立矣】故老者非肉不飽非帛不暖非杖不行【王制曰五十異粻六十宿肉七十貳膳八十常珍九十飲食不離寢膳飲從於遊可也五十始衰六十非肉不飽七十非帛不暖八十非人不暖九十雖得人不暖矣五十杖於家六十杖於鄉七十杖於國八十杖於朝九十者天子欲有問焉則就其室以珍從】今五十已上至六十與子孫服挽輸並給徭【音遙】役非養老之意也古有大防者君三年不呼其門通其孝道遂其哀慼之心也君子之所重而自盡者其惟親之防乎【王制曰八十者一子不從政九十者其家不從政廢疾非人不養者一人不從政父母之防三年不從政齊衰大功之防三月不從政將徙於諸侯三月不從政自諸侯來徙家期不從政陳忠曰夫父母於子同氣異息一體而分三年乃免於懐抱先聖縁人情而著其節制服二十五月是以春秋臣有大防君三年不呼其門曾子曰吾聞諸夫子人未有自致者也必也親防乎】周公抱成王聼天下恩塞海內澤被四表矧惟南面含仁保德靡不得其所【春秋元命苞曰文王造之而未遂武王遂之而未成周公旦抱少主而成之故曰成王屍子曰昔者武王崩成王幼周公旦踐東宮履乗石假為天子十年蒙恬曰昔周成王初立未離襁褓周公旦負王以朝卒定天下越絶書曰周公以盛德武王封周公使傅相成王成王少周公臣事之當是之時賞賜不加於無功刑罰不加於無罪天下家給人足米麥茂美使人以時說之以禮上順天地澤及夷狄君道篇曰周公踐天子之位佈德施恵逺而逾明十三牧方三人出舉逺方之民有飢寒而不得衣食者有獄訟而失職者有賢才而不舉者以入告乎天子天子於其君之朝也揖而進之曰意朕之政教有不得者歟何其所臨之民有飢寒不得衣食者有獄訟而失職者有賢才而不舉者也其君歸也乃召其國大夫告周天子之言百姓聞之皆喜曰此誠天子也何居之深逺而見我之明也豈可欺哉故牧者所以闢四門明四目逹四聰也是以近者親之逺者安之詩曰柔逺能邇以定我王此之謂矣】詩云夙夜基命宥宻陛下富於春秋委任大臣公卿輔政政教未均故庶人議也御史黙不答也

文学が言います: 十九年以下は殇と為し【注音:「殇」は傷と同じ】、未だ成人ならず。二十にして冠し【注音:「冠」は去声と読む】、三十にして娶る、以て戎事に従うべし。五十以上は艾老と曰い、郷に杖し、力役に従わず、以て不足を扶け高年を息ましむる所以なり【《曲礼》に曰く: 人生十年を幼学と曰い、二十を弱冠と曰い、三十を壮有室と曰い、四十を強而仕と曰い、五十を艾服官政と曰い、七十を老而伝と曰い、八十九十を耄と曰い、七年を悼と曰う。悼と耄とは罪有りと雖も刑を加えず、百年を期頤と曰う。《王制》に曰く: 五十は力役に従わず、六十は服戎せず、七十は賓客に与らず、八十は斉衰の事に與らず。五十にして爵有り、六十にして郷に杖し、七十にして国に杖し、八十にして朝に杖し。八十者は一子は政に従わず、九十者は其の家は政に従わず、廃疾にして人に非ざれば養われざるは一人は政に従わず、父母の喪は(底本は「父母之防」と作る)三年は政に従わず、斉衰大功の喪は(底本は「大功之防」と作る)三月は政に従わず、諸侯に徙さんとするは三月は政に従わず、諸侯より来りて徙るは家は期にして政に従わず。陳忠が曰く: 夫父母の子に於けるは、気を同じくし息を異にし、一体にして分かる、三年にして乃ち懐抱を免る。先聖は人情に縁りて其の節を著し、服を制すること二十五月。故に《春秋》: 臣に大喪有れば(底本は「大防」と作る)、君は三年其の門を呼ばず。曽子が曰く: 吾は諸を夫子に聞く、人は未だ自ら致する者有らず、必ずや親喪か(底本は「親防」と作る)】。周公は成王を抱きて天下を聴き、恩は海内に塞ぎ沢は四表に被る、況んや南面して仁を含み徳を保ち、其の所を得ざる靡きをや【《春秋元命苞》に曰く: 文王は之を造りて未だ遂げず、武王は之を遂げて未だ成らず、周公旦は少主を抱きて之を成す、故に成王と曰う。《尸子》に曰く: 昔者武王崩じ、成王幼し、周公旦は東宮に践み乗石を履み、仮りに天子と為ること十年。蒙恬が曰く: 昔周成王の初めて立つや、襁褓を離れず、周公旦は王を負いで以て朝し、卒に天下を定む。《越絶書》に曰く: 周公は盛徳を以てし、武王は周公を封じて成王を傅相せしむ。成王少なし、周公は臣として之に事える。是の時に当たり、賞賜は功無きに加えられず、刑罰は罪無きに加えられず、天下は家給人足し、米麦は茂美にして、人を使うに時を以てし、之を説くに礼を以てし、上は天地に順い沢は夷狄に及ぶ。《君道》篇に曰く: 周公は天子の位に践み、徳を布き恵を施し、遠くして愈々明なり。十三牧は方三人出づ、遠方の民の飢寒にして衣食を得ざる者有り、獄訟にして職を失える者有り、賢才にして挙げられざる者有るを挙げ、以て入りて天子に告ぐ。天子は其の君の朝に於いて、揖して之を進めて曰く: 意うに朕の政教に得ざる者有るか、何ぞ其の臨む所の民に飢寒にして衣食を得ざる者有り、獄訟にして職を失える者有り、賢才にして挙げられざる者有るや。其の君帰り、乃ち其の国大夫を召して周天子の言を告ぐ。百姓は之を聞きて皆喜び、曰く: 是れ誠に是れ天子なり、何ぞ之に居ること深遠にして我を見ること明なるや、豈に欺くべけんや。故に牧とは四门を辟き四目を明らかにし四聡を達する所以なり。此に因り近きは之を親しみ遠きは之を安んず。《詩》に曰く: 遠きを柔ぎ邇きを能くし、以て我が王を定むと。此の謂なり】。《詩》に曰く: 夙夜基命宥密。陛下は春秋に富み、大臣を委任し、公卿は政を輔くも、政教は未だ均ならず、故に庶人は議す。御史は黙して答えず。

地廣第十六

地広(ちこう) 第十六

大夫曰王者包含並覆普愛無私不為近重施不為逺遺恩今俱是民也俱是臣也安危勞佚不齊獨不當調耶不念彼而獨計此斯亦好議矣緣邉之民處寒苦之地距【通作拒】強胡之難【去聲】烽燧一動有沒身之累故邉民百戰而中國恬臥者以邊郡為蔽扞也詩云莫非王事而我獨勞刺不均也是以聖王懐四方獨苦興師推卻胡越逺冦國安災散中國肥饒之餘以調邊境邊境強則中國安中國安則晏然無事何求而不得也

大夫が言います: 王者は包含し幷覆い、普く愛して私無く、近きが為に重施せず、遠きが為に恩を遺さず。今俱に是れ民、俱に是れ臣なり、安危労逸は斉からず、独り調うに当たらずや。彼を念わずして独り此を計るは、此れ亦た議を好むなり。辺に縁るの民は寒苦の地に処り、強胡の難を拒ぎ【「距」は「拒」に通ず】【注音:「難」は去声と読む】、烽燧は一たび動けば身を没するの累有り。故に辺民は百戦して中国は恬臥す、是れ辺郡を以て蔽捍と為すなり。《詩》に曰く: 王事に非ざる莫し、而して我独り労すと。是れ均ならざるを刺すなり。此に因り聖王は四方の独り苦しむを懐き、師を興して胡越を推却し、寇は遠く則ち国安く灾は散ず、中国の肥饒の余を以て辺境を調う。辺境強ければ則ち中国安く、中国安ければ則ち晏然として事無し、何の求めか得ざらん。

文學曰古者天子之立於天下之中縣內方不過千里諸侯列國不及不食之地禹貢至於五千里民各供其君諸侯各保其國是以百姓均調而繇【音遙】役不勞也今推胡越數千裡道路廻逺士卒勞罷【音疲】故邉民有刎頸之禍而中國有死亡之患此百姓所以囂囂而不黙也【囂囂喧也又眾多貎詩云防口囂囂】夫【音扶】治國之道由中及外自近者始近者親附然後來逺百姓內足然後防外故群臣論或欲田輪臺明主不許以為先救近務及時本業也故下詔曰當今之務在於禁苛暴止擅賦力本農公卿宜承意請減除不任以佐百姓之急今中國弊落不憂務在邉境意者地廣而不耕多種而不耨費力而無功【漢紀曰徵和四年捜粟都尉桑羊與御史大夫奏言故輪臺以東皆故國處有灌溉田其旁小國少錐刀貴黃鐵綿繒可以易谷臣愚以為可遣屯田詣輪臺置校尉二人通利溝渠田一歳有積穀募民敢徙者詣田所就畜積為產業稍稍築亭連城而西以威西國輔烏孫為便事上上乃下詔深陳既往之悔曰前有司則欲益民賦以助邉用是困老弱孤獨也今又請田輪臺曩者朕之不明興師逺攻遣貳師將軍古者出師卿大夫與謀參以蓍不吉不行乃者遍召群臣又筮之卦得大過爻在九五曰匈奴困敗方士占星氣太卜蓍皆為吉匈奴必破時不可失卜諸將貳師最吉朕親發貳師詔之必無深入今計謀卦兆皆反謬貳師軍敗士卒離散略盡悲痛常在朕心今有司請逺田輪臺欲起亭燧是唯益擾天下非所以憂民也朕不忍聞當今務在禁苛暴止擅賦務本勸農無乏武備而已由是不復出軍封丞相為富民侯而勸耕農自是田多墾闢而兵革休息善謀篇曰孝武皇帝自將師伏兵於馬邑誘致單于單于既入塞道覺之奔走而去其後交兵接刄結怨連禍相攻撃十年兵凋民勞百姓空虗道殣相望槥車相屬冦盜滿山天下搖動孝武皇帝后悔之御史大夫桑羊請佃輪臺詔卻曰當今之務務在禁暴止擅賦今乃逺西佃非所以慰民也朕不忍聞封丞相號曰富民侯遂不復言兵事國家以寧繼嗣以定從韓安國之本謀也】詩云無田甫田維莠驕驕其斯之謂歟

文学が言います: 古者天子は天下の中に立ち、県内は方千里を過ぎず、諸侯列国は食わざるの地に及ばず、《禹貢》は五千里に至る。民は各々其の君に供え、諸侯は各々其の国を保つ、故に百姓は均調にして徭役は【注音:「繇」は遥と同じ】労せず。今胡越を推すこと数千里、道路は回遠にして士卒は労疲し【注音:「罷」は疲と同じ】、故に辺民は刎頸の禍有りて中国は死亡の患有り、是れ百姓の嚣嚣として黙せざる所以なり【嚣嚣は喧なり、又た众多の貌なり。《詩》に曰く: 口は嚣嚣たり(底本は「防」と作る)】。句首の夫【注音:「夫」は扶と同じ】: 国を治むるの道は中より外に及ぼし、近き者より始む。近き者は親附して然る後に遠きを来たし、百姓は内に足りて然る後に外を防ぐ。故に群臣の論は或いは輪台に田しんと欲するも、明主は許さず、以て先ず近務を救い本業に時に及ぶと為す。故に詔を下して曰く: 当今の務は苛暴を禁じ擅賦を止め本農に力むるに在り。公卿は宜しく意を承けて任ぜざるを減除することを請い、以て百姓の急を佐くべし。今中国は弊落にして憂えず、務は辺境に在るは、想うに地は広くして耕さず、種は多くして耨らず、力を費して功無し【《漢紀》に曰く: 征和四年、捜粟都尉桑弘羊は(底本この字は生僻字で転写後に失われた)御史大夫と奏して言う: 故輪台以東は皆故国の処、灌漑の田有り。其の旁の小国は錐刀少なく、黄鉄綿繒を貴ぶれば以て穀を易うべし。臣愚に以為す、屯田を遣わして輪台に詣り、校尉二人を置き、溝渠を通利し、田は一歳にして積穀有らん、民の敢えて徙る者を募りて田所に詣らしめ、畜積に就きて産業と為し、稍々亭を築き城を連ねて西して、以て西国を威し烏孫を輔くを便とせん。奏上る、上は乃ち詔を下して既往の悔を深く陳ねて曰く: 前に有司は則ち民賦を益して以て辺用を助けんと欲す、是れ老弱孤独を困ますなり。今又た輪台に田せんことを請う。曩者朕の明ならず、師を興して遠く攻め、貳師将軍を遣わす。古者師を出すは、卿大夫は謀に与り、之に参ずるに蓍亀を以てし(底本この字は生僻字で転写後に失われた)、吉ならざれば行かず。乃者遍く群臣を召し又た之を筮す、卦は大過を得、爻は九五に在り、匈奴は困敗すと曰う。方士は星気を占い太卜は蓍亀を為して皆吉と為す、匈奴は必ず破れ時は失うべからず。諸将を卜するに、貳師は最も吉なり。朕は親しく貳師を発し、之に詔して必ず深入する無からしめたり。今計謀卦兆は皆反謬し、貳師軍は敗れ、士卒は離散して略々尽き、悲痛は常に朕が心に在り。今有司は遠く輪台に田し亭燧を起こさんことを請う、是れ唯だ益々天下を擾し、民を憂ゆる所以に非ず、朕は聞くに忍びず。当今務は苛暴を禁じ擅賦を止め本を務め農を勧むるに在り、武備を乏しからざるのみ。是に由りて復た軍を出さず、丞相を封じて富民侯と為し而して耕農を勧む。自是田は多く墾辟して兵革は休息す。《善謀》篇に曰く: 孝武皇帝は自ら師を将いて兵を馬邑に伏し、単于を誘致す。単于既に塞に入り、道に之を覚りて奔走して去る。其の後兵を交え刃を接し、怨を結び禍を連ね、相撃攻すること十年、兵は凋れ民は労し、百姓は空虚にして、殣は道に相望じ槥車は相属し、寇盗は山に満ち、天下は搖動す。孝武皇帝は後に之を悔ゆ。御史大夫桑弘羊は輪台に佃せんことを請う、詔は却けて曰く: 当今の務は務は暴を禁じ擅賦を止むるに在り。今乃ち遠く西に佃す、是れ民を慰むる所以に非ず、朕は聞くに忍びず。丞相を封じて号して富民侯と曰い、遂に復た兵事を言わず。国家は以て寧り、継嗣は以て定まり、韓安国の本謀に従う】。《詩》に曰く: 甫田に田る勿れ、莠は驕驕たり。其れ斯の謂か。

大夫曰湯武之伐非好【去聲】用兵也【越絶書曰殷湯遭夏桀無道殘賊天下於是湯用伊尹行至聖之心見桀無道虐行故伐夏放桀而王道興躍革亂補移風易俗改制作新海內畢貢天下承風湯以文聖此之謂也文王死九年天下八百諸侯皆一旦防於孟津之上不言同辭不呼自來盡知武王忠信欲從武王與之伐紂當是時比干箕子防子尚在武王賢之未敢伐也還諸侯歸二年紂賊比干囚箕子防子去之刳姙婦殘朝渉武王見賢臣已亡乃朝天下興師伐紂殺之武王未下車封比干之墓發太倉之粟以贍天下封防子於宋此武王以禮信也】周宣王闢【音闢】國千里非貪侵也【詩序曰厲王暴虐周人逐之玁狁內侵逼近京邑宣王承其難命尹吉甫伐之有功而歸嚴尤曰當週宣王時玁狁內侵命將徵之盡境而還其視匈奴之侵譬猶蟁蝱之螫驅之而已故天下稱明】所以除冦賊而安百姓也故無功之師君子不行無用之地聖王不貪先帝舉湯武之師定三垂之難【去聲】一面而制敵匈奴遁逃因河山以為防故去沙石鹹【音鹹】滷【音魯】不食之地故割什【音鬥】闢【音僻】之縣棄造陽之地以與胡省曲塞【音賽】據河險守要害以寛繇【音遙】役保士民【匈奴傳曰漢遂取河南地築朔方復繕故秦時蒙恬所為塞因河為固漢亦棄上谷之什闢縣造陽地以與胡是歳漢之元朔二年也孟康曰縣鬥闢曲近胡顔師古曰鬥絶也縣之鬥曲入匈奴界者其中造陽地也】由此觀之聖主用心非務廣地以勞眾而已矣

大夫が言います: 湯武の伐つは、并びに兵を好むに非ず【注音:「好」は去声と読む】【《越絶書》に曰く: 殷湯は夏桀の無道にして天下を残賊するに遭い、於是湯は伊尹を用い、至聖の心を行い、桀の無道虐行を見る、故に夏を伐ち桀を放して王道は興り、乱を革め弊を補い(底本この字は生僻字で転写後に失われた)、風を移し俗を易え、制作を改め新にし、海内は畢び貢し天下は風を承く。湯の文聖を以てするは、此の謂なり。文王死して九年、天下八百諸侯は皆一旦に孟津の上に会し(底本は「防」と作る)、言わずして辞を同じくし、呼ばずして自ら来る、尽く武王の忠信を知り、武王に従い之と与に紂を伐たんと欲す。是の時に当たり、比干・箕子・微子は(底本は「防子」と作る)尚お在り、武王は之を賢み、未だ敢えて伐たず、諸侯を還して帰す。二年、紂は比干を賊し箕子を囚え、微子は之を去り(底本は「防子」と作る)、孕婦を刳き朝渉を残す。武王は賢臣の已に亡ぶを見、乃ち天下に朝して師を興して紂を伐ち之を殺す。武王は未だ車を下らざるに、比干の墓を封じ、太倉の粟を発して以て天下を贍い、微子を宋に封ず(底本は「防子」と作る)。此れ武王の礼信を以てするなり】。周宣王は国を辟くこと千里【注音:「辟」は辟と同じ】、并びに侵を貪るに非ず【《詩序》に曰く: 厲王は暴虐にして周人は之を逐い、猃狁は内侵して京邑に逼近す。宣王は其の難を承け、尹吉甫に命じて之を伐たしめ、功有りて帰る。厳尤が曰く: 周宣王の時に当たり猃狁は内侵し、将に命じて之を征す、境を尽くして還る。其の匈奴の侵を視るは、譬えば蚊虻の螫のごとく、之を駆るのみ、故に天下は明と称す】。故に寇賊を除きて以て百姓を安んず。故に功無きの師は君子は行わず、用無きの地は聖王は貪らず。先帝は湯武の師を挙げ、三垂の難を定め【注音:「難」は去声と読む】、一面にして敵を制し、匈奴は遁逃し、河山に因りて以て防と為す、故に沙石鹹【注音:「鹹」は鹹と同じ】鹵【注音:「鹵」は魯と同じ】食わざるの地を去り、故に斗【注音:「什」は斗と同じ】僻【注音:「僻」は僻と同じ】の県を割り、造陽の地を棄てて以て胡に与え、曲塞を省き【注音:「塞」は賽と同じ】、河険に拠り要害を守り、以て徭役を寛くし【注音:「繇」は遥と同じ】士民を保つ【《匈奴伝》に曰く: 漢は遂に河南地を取り、朔方を築き、復た故秦時の蒙恬の為せし塞を繕い、河に因りて固と為す。漢も亦た上谷の斗辟県の造陽地を棄てて以て胡に与う。是歳漢の元朔二年なり。孟康が曰く: 県は斗辟、曲りて胡に近し。顔師古が曰く: 斗は絶なり。県の斗曲して匈奴界に入る者は、其の中は造陽地なり】。此に由りて之を観れば、聖主の用心は、并びに地を広めて衆を労するを務むるのみに非ず。

文學曰秦之用兵可謂極矣恬斥境可謂逺矣【人間訓曰秦皇挾錄圖見其傳曰亡秦者胡也因發卒五十萬使蒙公楊翁將築修城西屬流沙北撃遼水東結朝鮮中國內郡挽車而餉之又利越之犀角象齒翡翠珠璣乃使尉屠雎發卒五十萬為五軍一軍塞鐔城之嶺一軍守九疑之塞一軍處番禺之都一軍守南野之界一軍結餘千之水三年不解甲弛弩使監祿無以轉餉又以卒鑿渠而通糧道以與越人戰殺西嘔君譯籲宋而越人皆入叢薄中與禽獸處莫肯為秦虜相置桀駿以為將而夜攻秦人大破之殺尉屠雎伏屍流血數十萬乃發適戍以備之當此之時男子不得修農畆婦人不得剡麻考縷羸弱服格於道大夫箕防於衢病者不得養死者不得塟於是陳勝起於大澤奮臂大呼天下席捲而至於戲劉項興義兵隨而定若折槁振落遂失天下禍在備胡而利越也】今逾防恬之塞【音賽】立郡縣冦虜之地地彌逺而民滋勞朔方以西長安以北新郡之功外城之費不可勝【音升】計非徒是也司馬唐鑿西南夷之塗巴蜀於卭【音笻】筰【音作】橫海征南夷樓舩戍東越荊楚罷【音疲】於甌駱左將伐朝鮮開臨洮【音姚】燕齊困於穢貉張騫通殊逺納無用府庫之藏流於外國非特什【音鬥】闢【音僻】之費造陽之役也【漢紀曰南夷道君長有十數夜郎最大其西靡漠之屬以十數靡漠最大自靡漠以北君長以十數卭都最大自越嶲以東北君長以十數莋都最大自莋都以東北君長以十數冉駹最大自冉駹以東北君長以十數白馬景大此皆巴蜀外西南夷也秦時嘗通伍尺之道於此諸國頗置長吏漢興皆棄之及大行王恢之救越也使鄱陽令唐防使於南越越食蒙以枸醬蒙問所從來曰從西北牂牁江江漢廣數千裡出番禺城下防因上書曰南越地東西皆萬餘里名為外臣實一州土今以長沙豫章往來水道絶難竊聞夜郎精兵可數十萬若從夜郎浮舩下牂牁出其不意此制越一竒也可通夜郎道為置吏上許之乃拜中郎將發巴蜀兵千餘人奉幣帛見夜郎侯喻以徳意為置長吏旁小邑皆貪漢贈帛以為道逺漢中不能有也故皆且聼命司馬相如亦言西南夷卭筰可作都上恱之以相如為中郎將往喻意皆聼命後西南夷數反發兵興徭役費用甚多相如知其難通業已逹之乃假巴蜀之諭以諷上且以宣其使防於百姓博望侯張騫者漢中人也初為郎應募使月氏時匈奴殺月氏王遂西徙故漢欲與月氏擊匈奴騫行為匈奴所得留騫十餘歳與妻有子然騫常持節不失後亡到月氏月氏未有報匈奴意騫留一歳餘乃還並南山從羌中來歸復為匈奴所得留之歳餘防單于死國內亂騫乃與其胡妻來歸漢拜為大中大夫初騫行百餘人惟騫與唐邑氏奴二人得還騫身所到大宛大月支大夏康居而傳聞其旁國名具為上言之西域本三十六國後分為五十四國皆在匈奴之西本志曰孝武之世圖利制匈奴患其兼從西國結黨南羌乃表河曲列四郡開玉門闗通西域以斷匈奴之右臂隔絶南羌月氏單于失援由是逺遁漠北而漠南無王庭遭值文景黙養民五世天下殷富財力有餘士馬強盛故能積群貨覩犀象瑇瑁則開犍為朱崖七郡感防醬竹杖則開牂牁越嶲聞天馬葡萄則通大宛安息自是之後明珠文貝犀象翠羽之珍盈於後宮毺琪瑠葡萄龍文魚目汗血名馬充於黃門巨象獅兕猛獸大雀之群實於外囿殊方異物四面而至】由此觀之非人主用心好事之臣為縣官計過也大夫曰挾管仲之知【去聲】者非為廝【音斯】役之使【去聲】也懐陶朱之慮者不居貧困之處【韓非子曰管仲相齊曰臣貴矣然而臣貧桓公曰使子有三歸之家曰臣富矣然而臣卑桓公使立於髙國之上曰臣尊矣然而臣踈乃立為仲父管仲父出朱蓋青衣置鼓而歸庭有陳鼎家有三歸孔子曰良大夫也其侈偪上拾遺記曰范蠡相越日致千金家僮閒筭術者萬人收四方難得之貨盈積于越都以為噐銅鐵之類積如山之阜或藏之井壍謂之寳井竒容麗色溢於閨房歴古以來未之有也】文學能言而不能行居下而訕上處貧而非富大言而不從髙厲而行【去聲】卑誹譽訾【音紫】議以要【平聲】名採善於當世夫【音扶】祿不過秉握者不足以言治家不滿儋石者不足以計事儒皆貧羸衣冠不完安知國家之政縣官之事乎何什【音鬥】闢【音僻】造陽也

文学が言います: 秦の兵を用いるは極と謂うべく、蒙恬の(底本この字は生僻字で転写後に失われた)境を斥すは遠と謂うべし【《淮南子・人間訓》に曰く: 秦皇は録図を挟み、其の伝を見て曰く秦を亡ぼすは胡なりと、因りて卒五十万を発し、蒙公・楊翁をして将として修城を築かしめ、西は流沙に属し、北は遼水を撃ち、東は朝鮮に結び、中国内郡は車を挽して之を餉う。又た越の犀角象歯翡翠珠璣を利とし、乃ち尉屠雎をして卒五十万を発して五軍と為らしむ: 一軍は鐔城の嶺を塞ぎ、一軍は九疑の塞を守り、一軍は番禺の都に処り、一軍は南野の界を守り、一軍は余干の水に結ぶ、三年甲を解かず弩を弛めず。監禄をして以て餉を轉す無からしめ、又た卒を以て渠を鑿ちて糧道を通じ、以て越人と戦い、西嘔君の訳吁宋を殺す、而して越人は皆叢薄の中に入りて禽獣と処り、秦の虜と為るを肯んずる莫く、相い桀駿を置きて以て将と為し而して夜秦人を攻め、大いに之を破り、尉屠雎を殺し、尸を伏し血を流すこと数十万、乃ち適戍を発して以て之を備う。此の時に当たり、男子は農畝を修るを得ず、婦人は麻を剡り縷を考るを得ず、羸弱は格を道に服し、大夫は会を衢に箕り(底本は「箕防」と作る)、病者は養うを得ず、死者は葬るを得ず。於是陳勝は大沢に起こり、臂を奮いて大いに呼べば、天下は席を巻くが如くして戯に至る。劉項は義兵を興し、随いて定む、槁を折り落を振るが若く、遂に天下を失う。禍は胡を備えて越を利するに在り】。今蒙恬の塞を逾えて(底本は「防恬」と作る)【注音:「塞」は賽と同じ】、郡県を寇虜の地に立つ、地は弥々遠くして民は滋々労す。朔方以西・長安以北は、新郡の功・外城の費は勝べく計らるべからず【注音:「勝」は升と同じ】。徒らに是のみに非ず: 司馬・唐蒙は西南夷の涂を鑿ち、巴蜀は邛【注音:「邛」は筇と同じ】筰に弊る【注音:「筰」は作と同じ】(底本この字は生僻字で転写後に失われた)。横海は南夷を征し、楼船は東越に戍り、荊楚は甌駱に疲れ【注音:「罷」は疲と同じ】。左将は朝鮮を伐ち、臨洮を開き【注音:「洮」は姚と同じ】、燕斉は穢貉に困む。張騫は殊遠を通じ、無用を納れ、府庫の蔵は外国に流る: 特に斗【注音:「什」は斗と同じ】僻【注音:「僻」は僻と同じ】の費・造陽の役のみに非ず【《漢紀》に曰く: 南夷道の君長は十数有り、夜郎は最大。其の西は靡漠の属は十数を以てし、靡漠は最大。靡漠より自りて以北は君長は十数を以てし、邛都は最大。越嶲より自りて以東北は君長は十数を以てし、莋都は最大。莋都より自りて以東北は君長は十数を以てし、冉駹は最大。冉駹より自りて以東北は君長は十数を以てし、白馬は最大。此れ皆是れ巴蜀外の西南夷なり。秦時は嘗て五尺の道を通じ、此の諸国に於いて頗り長吏を置く。漢興りて皆之を棄つ。大行王恢の越を救うに及び、鄱陽令唐蒙をして(底本は「唐防」と作る)南越に使せしむ。越は蒙に枸醤を食わしめ、蒙は来たる所を問う、西北の牂牁江よりと曰う、江は広きこと数千里、番禺城の下に出づ。蒙は因りて書を上げて曰く: 南越の地は東西皆万余里、名は外臣、実は一州の土なり。今長沙・豫章を以て往来すれば、水道は絶えて難し。竊かに聞く、夜郎の精兵は数十万可なり、若し夜郎より船を浮べて牂牁を下れば、其の不意を出づ、此れ越を制する一奇なり。夜郎道を通じて為に吏を置くべし。上は之を許し、乃ち蒙を中郎将に拝し、巴蜀兵千余人を発して幣帛を奉じて夜郎侯に見えしめ、徳意を以て喻し、為に長吏を置く。旁の小邑は皆漢の贈帛を貪り、以て道は遠く漢は終に有する能わざると為し、故に皆且らく命を聴く。司馬相如も亦た西南夷の邛筰は都と作すべしと言う。上は之を悦び、相如を以て中郎将と為し往きて意を喻さしむ、皆命を聴く。後西南夷は数々反し、兵を発し徭役を興し、費用は甚だ多し。相如は其の通じ難きを知り、業已に之を達す、乃ち巴蜀の諭を假りて以て上を諷し、且つ以て其の使指を百姓に宣う(底本は「使防」と作る)。博望侯張騫は漢中の人、初め郎と為り、募に応じて月氏に使す。時に匈奴は月氏王を殺し、遂に西に徙る、故に漢は月氏と与に匈奴を撃たんと欲す。騫行き、匈奴の得る所と為り、騫を留むること十余歳、妻を与え子有り、然れども騫は常に節を持して失わず。後に亡びて月氏に至る、月氏は未だ匈奴に報ゆるの意有らず、騫は留まること一歳余にして乃ち還り、南山を并せて羌中より来たりて帰る、復た匈奴の得る所と為り、之を留むること歳余。単于死し国内乱るるに会し(底本は「防」と作る)、騫は乃ち其の胡妻と与に来たりて漢に帰り、大中大夫に拝さる。初め騫の行くや百余人、惟だ騫と堂邑氏の奴二人のみ得て還る。騫の身の到る所は大宛・大月氏・大夏・康居にして、而して其の旁の国名を伝聞し、具さに上の為に之を言う。西域は本三十六国、後に分かれて五十四国と為る、皆匈奴の西に在り。本志に曰く: 孝武の世は匈奴を制せんことを図り、其の西国を兼従し南羌に党を結ぶを患え、乃ち河曲を表し四郡を列ね、玉門関を開き西域を通じ、以て匈奴の右臂を断ち、南羌・月氏を隔絶す。単于は援を失い、是に由りて遠く漠北に遁れ、而して漠南に王庭無し。文景の玄默にして民を養うこと五世に遭値し、天下は殷富にして財力は余有り、士馬は強盛なり、故に能く犀象玳瑁を睹れば則ち犍為・珠崖七郡を開き、枸醤竹杖に感ずれば(底本は「防」と作る)則ち牂牁・越嶲を開き、天馬葡萄を聞けば則ち大宛・安息を通ず。自是の後、明珠文貝・犀象翠羽の珍は後宮に盈ち、氍毹・琪瑠・葡萄・龍文魚目汗血の名馬は黄門に充ち、巨象獅兕猛獣大雀の群は外囿に実り、殊方異物は四面より至る】。此に由りて之を観れば、并びに人主の用心に非ず、是れ事を好むの臣が県官の為に計りて過ぎたるなり。大夫が言います: 管仲の智を挟むは【注音:「知」は去声と読む】、厮役の使と為るに非ず【注音:「厮」は斯と同じ】【注音:「使」は去声と読む】。陶朱の慮を懐くは、貧困の処に居らず【韓非子が曰く: 管仲は斉を相り、曰く臣は貴けれども然れども臣は貧し。桓公が曰く子に三帰の家有らしめよ。曰く臣は富めれども然れども臣は卑し。桓公は之を高国の上に立たしむ。曰く臣は尊けれども然れども臣は疏し。乃ち立てて仲父と為す。管仲父出づるや、朱蓋青衣、鼓を置きて帰り、庭に鼎を陳ね、家に三帰有り。孔子が曰く: 良大夫なり、其の侈は上を偪る。《拾遺記》に曰く: 范蠡は越を相り、日に千金を致し、家僮の算術に閑なるは万人、四方の難得の貨を収めて越都に盈積し、以て器と為す。銅鉄の類は積みて山の阜の如く、或いは之を井塹に蔵して之を宝井と謂う。奇容麗色は閨房に溢る、古より歴りて以来未だ之れ有らず】。文学は能く言いて能く行わず、下に居りて上を訕い、貧に処りて富を非とし、大言して従わず、高く厲きて行は卑しく【注音:「行」は去声と読む】、誉を誹し議を訾りて【注音:「訾」は紫と同じ】以て名を要し【注音:「要」は平声と読む】当世に善を采る。句首の夫【注音:「夫」は扶と同じ】: 禄は秉握を過ぎざるは以て治を言うに足らず、家は儋石に満たざるは以て事を計るに足らず。儒は皆貧羸にして衣冠完からず、安んぞ国家の政・県官の事を知らんや。何の斗【注音:「什」は斗と同じ】僻【注音:「僻」は僻と同じ】造陽や。

文學曰夫【音扶】賤不周知【去聲】貧不妨行【去聲】顔淵屢空不為不賢孔子不容不為不聖【孔子曰賢哉囘也一簞食一瓢飲在陋巷人不堪其憂回也不改其樂賢哉回也又曰回也其庶乎屢空孔子厄於陳蔡顔回曰夫子之道至大天下莫能容雖然夫子推而行之世不我用有國之醜也夫子何病焉不容然後見君子孔子欣然嘆曰有是哉】及將以貎舉人以才進士則太公終身鼔刀而戚不離飯【上聲】牛矣【王逸曰太公避紂居東海之濱聞文王作興盍往歸之至朝歌益窮困自鼓刀而屠遂西釣於渭濱文王夢得聖人於是出獵而見之遂載以歸用以為師言吾先公望子乆矣因號為太公望或言周文王夢立令狐之津太公在後帝曰昌賜汝名師文王再拜太公夢亦如此文王出田見識所夢載與俱歸以為太公也雜事篇曰戚欲幹齊桓公窮困無以自進於是為商旅賃車以適齊暮宿於郭門之外桓公郊迎客夜開門闢賃車者執火甚盛從者甚眾戚飯牛於車下望桓公而悲擊牛角疾商歌桓公聞之撫其僕之手曰異哉此歌者非常人也命後車載之桓公反至從者以請桓公曰賜之衣冠將見之寗戚見說桓公以合境內明日復見說桓公以為天下桓公大說將任之群臣爭之曰客衛人去齊五百里不逺不若使人問之固賢人也任之未晚也桓公曰不然問之恐其有小忘人之大美此人主所以失天下之士也且人固難全權用其長者遂舉大用之而授之以為卿當此舉也桓公得之矣所以覇也】古之君子守道以立名修身以俟時不以窮變節不以賤易志【詮言曰古之存已者樂德而忘賤故名不動志樂道而忘貧故利不動心繆稱訓曰天下有至貴而非勢位也有至富而非金玉也】惟仁之處惟義之行臨財不苟見利反義不義而富無名而貴仁者不為也【孫卿曰古之賢人食則餰粥不足衣則短褐不完然而非禮不進非義不受】故曾參閔子不以其仁易晉楚之富伯夷不以其行【去聲】易諸侯之位是以齊景公有馬千駟而不能與之爭名【立節篇曰曾子衣衣以耕魯君使人往致邑焉曰請以此修衣曽子不受往復反又不受使者曰先生非求於人人則獻之奚為不受曾子曰臣聞之受人者畏人予人者驕人縱子有賜不我驕也我能勿畏乎終不受孔子曰參之言足以全其節也孟子曰曾子曰晉楚之富不可及也彼以其富我以其仁彼以其爵我以其義吾何歉乎哉仲尼弟子傳曰閔損字子騫不仕大夫不食汙君之祿季氏使閔子騫為費宰子騫曰善為我辭焉如有復我者則吾必在汶上矣伯夷傳曰伯夷叔齊孤竹君之二子也父欲立叔齊及父卒叔齊讓伯夷伯夷曰父命也遂逃去叔齊亦不肯立而逃之國人立其中子論語曰伯夷叔齊餓於首陽之下民到於今稱之齊景公有馬千駟民無得而稱焉詩曰誠不以富亦只以異其此之異與繆稱訓曰伯夷餓死首山之下猶不自悔棄其所賤得其所貴也說山訓曰琬琰之玉在洿泥之中雖廉者弗釋弊箄甑瓾在袇茵之上雖貪者不摶美之所在雖汙辱世不能賤惡之所在雖髙隆世不能貴】孔子曰賢哉回也一簞食一瓢飲在於陋巷人不堪其憂回也不改其樂【音洛】故惟仁者能處約樂【音洛】貧【髙士傳曰孔子謂顔回曰家貧居卑胡不仕乎對曰不願仕回有郭外之田五十畆足以給鬻郭內十畆足以為絲麻鼓琴足以自娛所學夫子者足以自樂也回不願仕夫子愀然變色曰美哉】小人富斯暴貧斯濫矣陽子曰為仁不富為富不仁苟先利而後義取奪不厭公卿積億萬大夫積千金士積百金利己並財以聚百姓寒苦流離於路【流離梟鳥闗西謂之流離藉以為漂散之義也】儒獨何以完其衣冠也

文学が言います: 句首の夫【注音:「夫」は扶と同じ】: 賤は智を害せず【注音:「知」は去声と読む】、貧は品行を妨害せず【注音:「行」は去声と読む】。顔淵は屡々空しきも、賢ならずと算せず。孔子は世に容れられざりしも、聖ならずと算せず【孔子が曰く: 賢かな回や。一簞の食、一瓢の飲、陋巷に在り、人は其の憂に堪えず、回も其の楽を改めず、賢かな回や。又た曰く: 回は其れ庶幾か、屡々空し。孔子は陳蔡に厄す、顔回が曰く: 夫子の道は至大にして天下は容るる能くする莫し。然れども夫子は之を推し之を行う、世は我を用いず、是れ国を有するの恥なり。夫子は何の病まん。容れられずして然る後に君子を見る。孔子は欣然として嘆じて曰く: 是の有るかな】。若し将に貌を以て人を挙げ才を以て士を進めんとせば、則ち太公は終身刀を鼓し、甯戚は(底本この字は生僻字で転写後に失われた)飯牛を離れざらん【注音:「飯」は上声と読む】【王逸が曰く: 太公は紂を避けて東海の濱に居り、文王の作興するを聞き、盍ぞ往きて之に帰らざる。朝歌に至りて益々窮困し、自ら刀を鼓して屠り、遂に西に渭濱に釣る。文王は聖人を得るを夢み、於是出でて獵して之を見、遂に載せて以て帰り、用いて以て師と為し、吾が先公の子を望むこと久しと説き、因りて太公望と号す。或る説に周文王は夢に令狐の津に立ち、太公は後に在り、帝が曰く昌よ、汝に名師を賜う。文王再拝す、太公の夢も亦た是の如し。文王は出でて田し、夢みし所を見識し、載せて与に俱に帰り、以て太公と為す。〈雑事篇〉に曰く: 甯戚は斉桓公に干えんと欲し、窮困して以て自ら進む無し、於是商旅と為り車を賃して以て斉に適き、暮れて郭門の外に宿る。桓公は郊に客を迎え、夜門を開き、賃車する者を辟け、火を執ること甚だ盛んにして、従る者甚だ衆し。甯戚は車下に牛を飯し、桓公を望みて悲しみ、牛角を撃ちて疾く商歌す。桓公は之を聞き、其の僕の手を撫でて曰く: 異なりかな、此の歌う者は常人に非ず。後車に載せんことを命ず。桓公反りて至り、従者以て請う。桓公が曰く: 之に衣冠を賜い、将に之を見ん。甯戚見え、桓公に説くに境内を合せんことを以てし、明日復た見え、桓公に説くに天下と為るを以てす。桓公は大いに悦び、将に之を任ぜんとす。群臣は争い之に説いて曰く: 客は是れ衛人、斉を去ること五百里遠からず、人をして之を問わしむるに若かず、固より賢人なり、之を任ずるは未だ晩からず。桓公が曰く: 然らず。之を問うは恐らく其の小悪有りて(底本この字は生僻字で転写後に失われた)人の大美を忘るることを、此れ人主の天下の士を失う所以なり。且つ人は固より全し難し、権は其の長ずるを用う。遂に挙げて大いに之を用いて之を授けて以て卿と為す。此の挙に当たり、桓公は之を得たり、覇する所以なり】。古の君子は道を守りて以て名を立て、身を修めて以て時を俟ち、窮を以て節を変えず、賤を以て志を易えず【《淮南子・詮言訓》に曰く: 古の己を存するは徳を楽しみて賤を忘る、故に名は志を動かさず。道を楽しみて貧を忘る、故に利は心を動かさず。《繆稱訓》に曰く: 天下に至貴有りて勢位に非ず、至富有りて金玉に非ず】。惟だ仁に処り、惟だ義に行い、財に臨みて苟せず、利を見て義に反る。義ならずして富み、名無くして貴ぶは、仁者為さず【荀子が曰く: 古の賢人は、食は則ち鬻粥足らず、衣は則ち短褐完からず、然れども礼に非ざれば進まず、義に非ざれば受けず】。故に曽参・閔子は其の仁を以て晋楚の富に易えず、伯夷は其の品行を以て【注音:「行」は去声と読む】諸侯の位に易えず、此に因り斉景公は馬千駟有りて之と名を争う能わず【〈立節篇〉に曰く: 曽子は敝衣を衣て耕す、魯君は人をして往きて邑を致らしめ、請うて此を以て衣を修めよと曰わしむ。曽子は受けず。往復返し、又た受けず。使者が曰く: 先生は人に求むるに非ず、人は則ち之を献ず、奚を為して受けざる。曽子が曰く: 臣之を聞く、人を受くるは人を畏れ、人を予うるは人に驕る。子は賜有りて我に驕らずと縱り、我は能く畏れざらんや。終に受けず。孔子が曰く: 参の言は以て其の節を全うするに足る。《孟子》に曰く: 曽子曰く、晋楚の富は及ぶべからず。彼は其の富を以てし、我は其の仁を以てす。彼は其の爵を以てし、我は其の義を以てす。吾は何をか歉かん。《仲尼弟子列伝》に曰く: 閔損は字を子騫と曰い、大夫に仕えず、汚君の禄を食まず。季氏は閔子騫をして費宰と為らしめんとし、子騫が曰く: 善く我が為に辞せよ。如し我を復する者有らば、則ち吾は必ず汶上に在らん。《伯夷列伝》に曰く: 伯夷・叔斉は孤竹君の二子なり。父は叔斉を立てんと欲す。父卒するに及び、叔斉は伯夷に譲る。伯夷が曰く: 父命なり。遂に逃げ去る。叔斉も亦た立たんことを肯んぜずして之を逃る、国人は其の中子を立つ。《論語》に曰く: 伯夷・叔斉は首陽の下に餓え、民は今に至るまで之を称す。斉景公は馬千駟有り、民は称することを得る無し。《詩》に曰く: 誠に富を以てせず、亦た只だ異を以てす。其れ此の謂か。《淮南子・繆稱訓》に曰く: 伯夷は首山の下に餓え死するも猶お自ら悔いず、其の賤しむ所を棄て其の貴ぶ所を得る。《説山訓》に曰く: 琬琰の玉は污泥の中に在り、廉者と雖も釈かず。弊箄甑瓿は裀茵の上に在り、貪者と雖も摶らず。美の在る所は、汚辱世と雖も能く賤しめず。悪の在る所は、高隆世と雖も能く貴ばず】。孔子が曰く: 賢かな回や、一簞の食、一瓢の飲、陋巷に在り、人は其の憂に堪えず、回も其の楽を改めず【注音:「楽」は洛と同じ】。故に惟だ仁者は能く約に処り貧を楽しむ【注音:「楽」は洛と同じ】【《高士伝》に曰く: 孔子は顔回に謂いて曰く: 家は貧く居は卑し、胡として仕えざるか。対えて曰く: 仕えんことを願わず。回に郭外の田五十畝有り、以て鬻を給するに足る。郭内に十畝有り、以て糸麻と為るに足る。琴を鼓して以て自ら娯しむるに足る。夫子に学ぶ所は以て自ら楽しむに足る。回は仕えんことを願わず。夫子は愀然として色を変えて曰く: 美しいかな】。小人は富めば則ち暴れ、貧すれば則ち濫る。陽子が曰く: 仁を為すは富まず、富を為すは仁ならず。苟も先ず利して後に義せば、取奪は厭かず。公卿は億万を積み、大夫は千金を積み、士は百金を積み、己を利し財を幷せて以て聚む、百姓は寒苦にして路に流離す【流離は梟鳥なり、関西は之を流離と謂い、借りて以て漂散の義と為す】。儒者は独り何を以て其の衣冠を完くさんや。

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