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盐铁论 · 第22巻

西汉 · 桓宽 · 第22巻 / 32

大夫曰議者貴其辭約而指明可於眾人之聼不至繁文稠辭多言害有司化俗之計而家人語陶朱為生本末異徑一家數事而治生之道乃備今縣官鑄【音注】農器使民務本不營於末則無飢寒之累鹽鐵何害而罷

大夫が言いました:議者は其の辭の約にして旨の明らかなるを貴び、衆人の聽聞に入る可く、繁文稠辭に至らざるを要す。多言は有司の俗を化するの計を妨害す。而るに家人の言に言います:陶朱は生を為るに、本末徑を異にし、一家數事、生を治むるの道乃ち備わる。今、県官農器を鑄【注音:「鑄」はチュウ】して、民をして本に務め末に營まざらしめば、則ち飢寒の累なし。塩鐡何の害か有らん、之を罷めんとするや?

賢良曰農天下之大業也鐵器民之大用也器用便利則用力少而得作多農夫樂【音洛】事勸功用不具則田疇荒谷不殖用力鮮功自半器便與不便其功相什而倍也縣官鼔鑄【音注】鐵器大抵多為大器務應員程不給民用民用鈍割草不痛是以農夫作劇【音極】得獲者少百姓苦之矣

賢良が言いました:農は天下の大業、鐡器は民の大用。器用便利なれば則ち力を用うること少なくして作を得ること多く、農夫事を樂【注音:「樂」はラク】しみ功を勸む。用具備わらざれば則ち田疇荒れ、穀殖らず、力を用うること少なくして功ただ半のみ。器の便と不便とは、其の功十倍を差す。県官は鐡器を鼓鑄【注音:「鑄」はチュウ】す、大抵多く大器を為り、ただ員程に應ずるを求め、民用を供給せず。民用は鈍弊(底本此の字は生僻字、轉録後失落)にして、草を割るに痛まず、これにより農夫は作を劇【注音:「劇」はキョク】しくして、獲る所少なし、百姓苦しむ。

大夫曰卒徒工匠以縣官日作公事財用饒器用備家人合會褊於日而勤於用鐵力不銷鏈堅柔不和故有司請總鹽鐵一其用平其賈【通作價】以便百姓公私雖虞夏之為治不易於此吏明其教工緻其事則剛柔和器用便此則百姓何苦而農夫何疾

大夫が言いました:卒徒工匠は県官の日程に按りて公事を作り、財用饒かにして器用備わる。家人合會せば則ち日子緊く用度勤く、鐡力銷煉透せず、堅柔和せず。ゆえに有司は塩鐡を總管し、其の用を統一し、其の價【「賈」は「價」に通ず】を平らかにして、以て百姓を便ならしめんことを請う。公私は虞夏の治と雖も此に改めざるなり。吏其の教を明らかにし、工其の事を致せば、則ち剛柔和し器用便り、此れ百姓何の苦か有り、農夫何の病か有らん。

賢良曰卒徒工匠故民得占【去聲】租鼓鑄【音注】煮鹽之時鹽與五穀同賈【通作價】器和利而中用今縣官作鐡器多苦惡【臣瓉曰謂作鐵器民患苦其不好也顔師古曰鹽既味苦器又脆惡故總雲苦惡也】用費不省卒徒煩而力作不盡家人相一父子戮力各務為善器器不善者不集農事急挽【音挽】運衍之阡陌之間民相與市買得以財貨五穀新弊易貨或貰【音世】民不棄作業置田器各得所欲更繇【音遙】省約縣官以徒復作繕【音善】治道橋諸發民便之今總其原一其賈【通作價】器多堅防【音坑】善惡無所擇吏數不在器難得家人不能多儲多儲則鎮生棄膏腴【音於】之日逺市田器則後良時鹽鐡賈【通作價】貴百姓不便貧民或木耕手耨土耰啖【音談】食鐵官賣器不售【音夀】或頗賦於民卒徒作不中【去聲】程時命助之發徴無限更繇以均劇故百姓疾苦之古者千室之邑百乗【去聲】之家陶冶工商四民之求足以相更故農民不離畦畆而足乎田器工人不斬伐而足乎陶冶不耕田而足乎粟米百姓各得其便而上無事焉【司馬遷曰古者四民因其土宜各在智力夙興夜寐以治其業相與通功易事交利而俱贍非有徴發期會而逺近鹹足故易曰後以財成天地之道輔相天地之宜以左右民備物致用立成器以為天下利莫大乎聖人此之謂也】是以王者務本不作末去【音縣】燿【音耀】除雕琢湛民以禮示民以檏是以百姓務本不營於末【管子曰凡民從上也不從口之所言從情之所好者也故上之所好民必甚焉是故明君知民之必以上為心也故置法以自治立儀以自正也傳曰聖人不滛佚侈靡者非鄙夫色而愛財用也夏不數浴非愛水也冬不頻湯非愛火也不髙臺榭非無土木也不大鐘鼎非無金錫也直行情性之所安而制度可以為天下法矣昔者舜甑盆無羶而下不以餘獲罪飯乎土簋啜乎土型而農不以力獲罪麑衣而防領而女不以巧獲罪傳曰易簡而天下之理得也韓非子曰君無見其所欲見其所欲臣將自雕琢君無見其意君見其意臣將自表異故曰去好去惡臣乃見素去舊去智臣乃自備】

賢良が言いました:卒徒工匠は昔、民が租を占【注音:「占」は去声】して鼓鑄【注音:「鑄」はチュウ】し鹽を煮るを得たりし時、鹽は五穀と價【「賈」は「價」に通ず】を同じくし、器は利にして中用に和したり。今、県官の作る鐡器は多く苦惡【臣瓚が言います:是れ鐡器を作るを言い、民其の好からざるを苦患す。顏師古が言います:鹽既に味苦く、器又脆惡なり、ゆえに總じて苦惡と稱す。】、費を用うること省ならず、卒徒煩して力作盡かず。家人は彼此一如にして、父子戮力し、各な善器を為るを務め、器善ならざるは集めず。農事急なれば、便ち輓【注音:「輓」はバン】運して阡陌の間に散布し、民相与に市買し、財貨五穀を以て新舊貨を易へ、或いは賒【注音:「貰」はセイ】し、民作業を棄てず、田器を置きて各な欲する所を得、更徭【注音:「繇」はヨウ】省約なり。県官は徒を用いて復た作りて道橋を繕【注音:「繕」はゼン】治し、凡そ徵發民皆な便と覺ゆ。今、其の源を總め其の價【「賈」は「價」に通ず】を一にす、器多く堅硜(底本は「堅防」、【音はコウ】、即ち粗硬の「硜」)にして、善惡擇ぶに由無し。吏往往として在らず、器得難し。家人多く儲ふる能わず、多く儲ふれば則ち鏽を生じ、膏腴【注音:「腴」はユ】の日を失う。遠く田器を市すれば則ち良時を錯過す。鹽鐡の價【「賈」は「價」に通ず】貴く、百姓便ならず。貧民或いは木耕手耨し、土耰啖【注音:「啖」はタン】食す。鐡官は器を賣るも售【注音:「售」はジュ】れず、或いは頗る民に攤派す。卒徒作りて程に中【注音:「中」は去声】らざれば、時時令を下して役を助け、發徵限なく、更徭以て劇を均しくす、ゆえに百姓疾苦す。古は千室の邑、百乘【注音:「乘」は去声】の家、陶冶工商、四民の求は以て相更代するに足れり、ゆえに農民は畦畝を離れずして田器に足り、工人は斬伐せずして陶冶に足り、田を耕さずして粟米に足り、百姓各な其の便を得て上は事なきなり【司馬遷が言います:古は四民其の土宜に因り、各な智力を盡くし、夙に興き夜に寐て以て其の業を治め、相与に功を通じ事を易へ、交りて利して俱に贍やかなり、徵發期會有るにあらずして遠近皆な足れり。ゆえに《易》に言います:后は財を以て天地の道を成し、天地の宜を輔相して、以て民を左右す。物を備へ用を致し、器を立て成して以て天下の利と為すは、聖人より大なるは莫し。言うは此れなり。】。これにより王者は本を務めて末を作らず、炫【注音:「」はケン】耀【注音:「燿」はヨウ】を去り、雕琢を除き、民を浸すに禮を以てし、民に示すに朴を以てす、これにより百姓本を務めて末に營まず【管子が言います:凡そ民は上に從う、口の言う所に從わず、情の好む所に從う。ゆえに上の好む所は、民必ず更甚り。これにより明君は民の必ず上を以て心と為すを知る、ゆえに法を置きて以て自ら治め、儀を立てて以て自ら正しくす。伝に言います:聖人は淫佚侈靡せず、夫の色を鄙視して財用を愛惜するにあらず。夏數浴せざるは水を愛するにあらず、冬頻湯せざるは火を愛するにあらず、臺榭を高くせざるは土木なきにあらず、鐘鼎を大いにせざるは金錫なきにあらず、ただ直に性情の安んずる所を行いて、制度以て天下の法と為す可きのみ。昔、舜は甑盆を用いるも膻なく、下余を以て罪を獲ず。土簋に飯し土型に啜る、農力を以て罪を獲ず。麑衣して盩領す(底本は「防領」、《韓詩外傳》卷三の「麑衣而盩領」に拠る)、女巧を以て罪を獲ず。伝に言います:易簡にして天下の理を得る。韓非子が言います:君は其の欲する所を顯す勿れ、其の欲する所を見れば、臣自ら雕琢せん。君は其の意を顯す勿れ、君其の意を見れば、臣自ら表異せん。ゆえに曰く、好を去り惡を去れば、臣乃ち素を見ん。舊を去り智を去れば、臣乃ち自備せん。】。

崇禮第三十七

崇禮第三十七

大夫曰飾几杖修樽俎為【去聲】賔非為【去聲】主也【音縣】燿【音耀】竒怪所以陳四夷非為【去聲】民也夫【音扶】家人有客尚有倡優竒變之樂而況縣官乎故列羽旄陳戎馬以示威武竒蟲珍怪所以示懐廣逺明徳逺國莫不至也

大夫が言いました:几杖を修飾し、樽俎を整治するは、賓の為【注音:「為」は去声】にして、主の為【注音:「為」は去声】にあらず。奇怪を炫【注音:「」はケン】耀【注音:「燿」はヨウ】するは、以て四夷に陳示するにして、民の為【注音:「為」は去声】にあらず。句首の夫【注音:「夫」はフ】:家に客有るも尚お倡優奇變の樂有り、況んや県官をや。ゆえに羽旄を陳列し戎馬を擺開きて以て威武を示し、奇蟲珍怪以て懷柔廣遠を顯示し徳行を彰明す、遠国來らざるなし。

賢良曰王者崇禮施徳上【通作尚】仁義而賤怪力故聖人絶而不言孔子曰言忠信行【去聲】篤敬雖蠻貊之邦不可棄也今萬方絶國之君奉贄【音至】獻者懐天子之盛徳而欲觀中國之禮儀故設明堂辟雍以示之干鏚昭雅頌以風【去聲】之今乃玩好【去聲】不用之器竒蟲不畜之獸角抵諸戲【音縣】燿【音耀】之物陳誇【通作誇】之殆與周公待逺方殊【刑法志曰春秋之後滅弱吞小併為戰國稍增講武之禮以為戱樂用相誇視而秦更名角抵先王之禮沒於滛樂中矣應劭曰角者角技也抵者相牴觸也文頴曰抵當也名此樂為角抵者兩兩相當角力角技藝御射故名角抵蓋雜技樂也巴俞戲魚龍蔓延之屬也顔師古曰耀之物人也相詐惑也讀與幻同其術本從西域來即今吞刀吐火植種樹屠人戮馬之術皆是也漢紀曰元封三年春作角抵戲以享外國朝獻者三百餘里內人皆觀張騫傳曰是時上方數廵狩海上廼悉從外國客大都多人過之則散財帛賞賜厚具饒給之以覽視漢富厚焉大角抵出竒戱諸恠物多聚觀者行賞賜酒池肉林令外國客徧觀名倉庫府藏之積欲以見漢廣大傾駭之及加其者之工而角抵竒戱嵗增變其益興自此始而外國使更來更去大宛以西皆自恃逺尚驕恣未可詘以禮羈縻而使也】昔周公處謙以卑士執禮以治下天下辭越裳之贄【音至】見恭讓之禮既與入文王之廟是見大孝之禮也【風俗通曰越裳重九譯獻白雉周公薦陳祖廟曰先人之徳有天下尊歸於父此人道之極也】目覩威儀干鏚之容耳聼清歌雅頌之聲心充至徳欣然以歸此四夷所以慕義內附非重譯【音亦】狄鞮【音低】來觀猛獸熊羆也【狄鞮西方之民也】夫【音扶】犀象兕虎南夷之所多也騾【音蘆】驢【音離】馲【音托】駞【音跎】北狄之常畜也中國所鮮【上聲】外國賤之南越以孔雀珥【音二】門戶崑山之旁以玉璞抵烏鵲今貴人之所賤珍人之所饒非所以厚中國明盛德也隋和之名寳也而不能安危存亡故喻徳示威惟賢臣良相【去聲】不在犬馬珍怪是以聖王以賢為寳不以珠玊為寳【雜事篇曰齊宣王與魏惠王防田於郊魏王曰亦有寳乎齊王曰無有魏王曰若寡人之小國也尚有徑寸之珠照車前後十二乗者十枚奈何以萬乗之國無寳乎齊王曰寡人之所以為寳與王異吾臣有檀子者使之守南城則楚人不敢為冦泗水上有十二諸侯皆來朝吾臣有盼子者使之守髙唐則趙人不敢東漁於河吾臣有黔夫者使之守徐州則燕人祭北門趙人祭西門從而歸之者十千餘家吾臣有種首者使之備盜賊而道不拾遺吾將以照千里之外豈特十二乗哉魏王慙不懌而去詩曰辭之懌矣民之莫矣反質篇曰經侯徃適魏太子左帯羽玊具劔右帯環佩左光照右右光照左坐有頃太子不視也又不問也經侯曰魏國亦有寳乎太子曰有經侯曰其寳何如太子曰主信臣忠百姓上戴此魏之寳也經侯曰吾所問者非是之謂也乃問其器而已太子曰有徒師沼治魏而市無預賈郄辛治陽而道不拾遺芒卯在朝而四鄰賢士無不相因而見此三大夫乃魏國之大寳於是經侯黙然不應左觧玉具右觧環佩委之坐愆然而起黙然不謝趨而出上車驅去魏太子使騎操劔佩逐與經侯使告經侯曰吾無徳所寳不能為珠玉所守此寒不可衣飢不可食無為遺我賊於是經侯杜門不出傳死雜事篇曰秦欲伐楚使使者徃觀楚之寳器楚王聞之召令尹子西而問焉曰秦欲觀楚之寳器吾和氏之璧隨侯之珠可以示諸令尹子西對曰不知也召昭奚恤而問焉昭奚恤對曰此欲觀吾國得失而圖之不在寳器在賢臣珠玉玩好之物非寳重者王遂使昭奚恤應之昭奚恤發精兵三百人陳於西門之內為東面之壇一為南面之壇四為西面之壇一秦使者至昭奚恤曰君客也請就上位東面令尹子西南面太宗子敖次之葉公子髙次之司馬子反次之昭奚恤自居西面之壇稱曰客欲觀楚國之寳器楚國之所寳者賢臣也理百姓實倉廩使民各得其所令尹子西在此奉珪璧使諸侯觧忿悁之難交兩國之歡使無兵革之憂太宗子敖在此守封疆謹境界不侵鄰國鄰國亦不見侵葉公子髙在此理師旅整兵戎以當疆敵提抱鼓以動百萬之眾所使皆趨湯火蹈白刃出萬死不顧一生之難司馬子反在此懐覇王之餘議攝治亂之遺風昭奚恤在此唯大國之所觀秦使者戄然無以對昭奚恤遂揖而去秦使者反言於秦君曰楚多賢臣未可謀也遂不伐楚詩云濟濟多士文王以寧斯之謂也語曰黃金累千不如一賢】昔晏子修之罇爼之間而折沖乎千里【髙誘曰沖車所以沖突敵之軍能陷破之也有道之國不可攻伐使欲攻已者折還其沖車於千里之外不敢來也晏子春秋曰晉平公欲伐齊使範昭徃觀焉景公賜之酒酒酣範昭曰願請君之樽酌公曰酌寡人之樽進之於客範昭已飲晏子曰徹樽更之罇觶具矣範昭佯醉不悅而起舞謂太師曰能為我調成周之樂乎吾為子舞之太師曰冥臣不習範昭趨而出景公謂晏子曰晉大國也使人來將觀吾政也今子怒大國之使者將奈何晏子曰夫範昭之為人非陋而不識禮也且欲試吾君臣故絶之也景公謂太師曰子何以不為客調成周之樂乎太師對曰夫成周之樂天子之樂也若調之必人主舞之今範昭人臣也而欲舞天子之樂臣故不為也範昭歸以告平公曰齊未可伐也臣欲試其君而晏子識之臣欲犯其禮而太師知之仲尼聞之曰夫不出於樽爼之間而知千里之外其晏子之謂也可謂折沖矣而太師其與焉】不能者雖隋和滿篋【音怯】無益於存亡【隋和謂隋侯之珠和氏之璧也】

賢良が言いました:王者は禮を崇め徳を施し、仁義を尚【「上」は「尚」に通ず】びて怪力を賤しむ、ゆえに聖人は絕して言わず。孔子が言います:言は忠信、行【注音:「行」は去声】は篤敬、蠻貊の邦と雖も棄つべからず。今、萬方絕國の君の贄【注音:「贄」はシ】を奉り獻ずるは、天子の盛徳を懷いて中国の禮儀を觀んと欲するなり、ゆえに明堂辟雍を設けて以てこれに示し、(底本此の字は生僻字、轉録後失落)干戚を舞い雅頌を昭らかにして以てこれを風【注音:「風」は去声】す。今は卻りて玩好【注音:「好」は去声】不用の器、奇蟲不畜の獸、角抵諸戯、炫耀【注音:「」はケン】【注音:「燿」はヨウ】の物を以て陳誇【此の字は「誇」に通ず】す、蓋し周公の遠方を待つと大いに同じからず【《刑法志》に言います:春秋の後、弱を滅し小を呑み、併せて戰國と為り、稍々講武の禮を增して以て戯樂と為し、以て相誇視し、秦は更めて角抵と名づく、先王の禮は淫樂に沒せり。應劭が言います:角は角技、抵は相抵觸なり。文穎が言います:抵は當なり。此の樂を角抵と稱するは、兩兩相當して力を角り技藝御射を角る、ゆえに角抵と曰う、蓋し雜技樂、巴俞戯・魚龍蔓延の属なり。顏師古が言います:炫耀の物は眩人なり。眩は相詐惑する、幻と讀み同じ。其の術もと西域より來る、即ち今の刀を呑み火を吐き、瓜を植え(底本此の字は生僻字、轉録後失落)樹を種へ、人を屠り馬を戮するの術皆な是れなり。《漢紀》に言います:元封三年の春、角抵戯を作して以て外國を享け、朝獻する者三百余里内の人皆な來り觀る。《張騫傳》に言います:此の時、上方屢々海上を巡狩し、便ち悉く外國の客を從へ、大都人多きに至れば則ち財帛を散じて賞賜し、厚具饒給して、彼らをして漢の富厚を覽視せしむ。大いに角抵を為り奇戯諸怪物を出だし、多く觀る者を聚め、賞賜を行い酒池肉林し、外國の客をして各倉庫府藏の積を遍く觀しめ、欲するに此を以て漢の廣大を見せて之を傾駭せんとす。又其の眩者の工を加へて、角抵奇戯は歳增變し、其の益の興るは此より始まる。外國の使は更來更去し、大宛以西は皆な遠きを自恃し、還りて驕恣にして、未だ禮を以て羈縻して使する可からず。】。昔、周公は謙に處りて士を卑くし、禮を執りて下を治め、天下は越裳の贄【注音:「贄」はシ】を辭りて、恭讓の禮を見る。既に與に文王の廟に入りて、是れ大孝の禮を見る【《風俗通》に言います:越裳は九譯を重ねて白雉を獻ず、周公は祖廟に薦陳して、曰く:先人之徳、天下の尊を有するは父に歸す、此れ人道の極なり。】。目は威儀干戚の容を睹、耳は清歌雅頌の聲を聽き、心は至徳に充ち、欣然として以て歸す、此れ四夷の義を慕いて內附する所以なり、重譯【注音:「譯」はエキ】狄鞮【注音:「鞮」はテイ】にして猛獸熊羆を見に來るにあらず【狄鞮は、西方の民なり。】。句首の夫【注音:「夫」はフ】:犀象兕虎は南夷の多き所、騾【注音:「騾」はロ】驢【注音:「驢」はリ】駱駝【注音:「馲」はタク】【注音:「駞」はダ】は北狄の常畜、中国の稀【注音:「鮮」は上声】なる所にして、外國は卻りて之を賤しむ。南越は孔雀を以て門戸の珥【注音:「珥」はジ】と為し、崑山の旁は玉璞を以て烏鵲に投ぐ。今、貴人の賤しむ所、珍人の饒む所は、中国を厚くし盛徳を明らかにする所以にあらず。隋侯・和氏は名寶なれど、安危存亡を能わず。ゆえに徳を喩し威を示すは、ただ賢臣良相【注音:「相」は去声】に在り、犬馬珍怪に在らず。これにより聖王は賢を以て寶と為し、珠玉を以て寶と為さず【〈雜事篇〉に言います:齊宣王は魏惠王と郊に會(底本は「防」)田す。魏王が言います:亦た寶有りや?齊王が言います:有ることなし。魏王が言います:寡人の如き小國と雖も、尚お徑寸の珠にして車前後十二乘を照らす者十枚有り、奈何ぞ萬乘の国にして寶なからん。齊王が言います:寡人の寶と為す所は王と同じからず。吾臣に檀子有り、之をして南城を守らしむれば則ち楚人敢えて寇と為らず、泗水上の十二諸侯皆な來朝す。吾臣に盼子有り、之をして高唐を守らしむれば則ち趙人敢えて東して河に漁せず。吾臣に黔夫有り、之をして徐州を守らしむれば則ち燕人は北門に祭り趙人は西門に祭り、從いて之に歸する者十千餘家。吾臣に種首有り、之をして盜賊に備へしむれば道に遺を拾わず。我將に以て千里の外を照らさんとす、豈に特に十二乘のみならんや。魏王慙じて懌ばずして去る。《詩》に言います:辭の懌ぶ、民の莫る。〈反質篇〉に言います:經侯は往きて魏の太子に適う、左は羽玉具劒を帶び、右は環佩を帶び、左の光右を照らし、右の光左を照らす。坐すること有頃、太子視ず、又問わず。經侯が言います:魏国にも亦た寶有りや?太子が言います:有り。經侯が言います:其の寶如何?太子が言います:主信じ臣忠く、百姓上に戴く、此れ魏の寶なり。經侯が言います:吾が問う所は是れにあらず、其の器を問うのみ。太子が言います:有り。徒師沼は魏を治めて市に預賈なく、郄辛は陽を治めて道に遺を拾わず、芒卯朝に在りて四鄰の賢士相因りて見えざるなし。此の三位の大夫乃ち魏国の大寶なり。是に於いて經侯黙然として應ぜず、左は玉具を解き、右は環佩を解き、之を坐に委ね、歉然として起ち、黙然として謝せず、趨りて出で、車に上りて驅りて去る。魏の太子は騎をして劒佩を操りて追ひて經侯に遺らしめ、使いして經侯に告げしめて曰く:我、徳の寶とする所なく、珠玉の守る所と為す能わず。此れ寒きに衣る可からず飢なるに食ふ可からず、我に賊を留るなかれ。是に於いて經侯門を杜ぎて出でず、傳えて死す。〈雜事篇〉に言います:秦は楚を伐たんと欲し、使者をして往きて楚の寶器を觀らしむ。楚王これを聞き、令尹子西を召して問いて曰く:秦は楚の寶器を觀んと欲す、吾が和氏の璧・隨侯の珠は以て示す可きや?令尹子西が對えて言います:知らず。昭奚恤を召して問う。昭奚恤が對えて言います:此れ吾が国の得失を觀て之を圖らんと欲するにして、寶器に在らず、賢臣に在り。珠玉玩好の物は寶重ならず。王便ち昭奚恤をして之に應ぜしむ。昭奚恤は精兵三百人を發して西門の內に陳し、東面の壇を一、南面の壇を四、西面の壇を一と為す。秦の使者至る。昭奚恤が言います:君は客なり、請う、上位に就きて東面せよ。令尹子西南面し、太宗子敖これに次次ぎ、葉公子高これに次ぎ、司馬子反これに次ぎ、昭奚恤は自ら西面の壇に居り、稱說して曰く:客は楚国の寶器を觀んと欲す。楚国の寶とする所は賢臣なり。百姓を理め倉廩を實し、民をして各な其の所を得しむるは、令尹子西此に在り。珪璧を奉じて諸侯を使し、忿悁の難を解き、両国の歡を交へ、兵革の憂なからしむるは、太宗子敖此に在り。封疆を守り境界を謹み、鄰国を侵さず、鄰国も亦た侵されざるは、葉公子高此に在り。師旅を理め兵戎を整へて以て強敵に當り、鼓を提抱して以て百萬の衆を動かし、使う所皆な湯火に趨り白刃を蹈み、萬死を出でて一生の難を顧みざるは、司馬子反此に在り。霸王の餘議を懷き治乱の遺風を攝するは、昭奚恤此に在り。ただ大国の觀る所を唯る。秦の使者戄然として以て對ふるなし。昭奚恤遂に揖して去る。秦の使者返り、秦の君に言いて曰く:楚は賢臣多し、未だ謀るべからず。是に於いて楚を伐たず。《詩》に言います:濟濟たる多士、文王以て寧ん。言うは此れなり。俗語に言います:黄金累千と雖も、一賢に如かず。】。昔、晏子は之を樽俎の間に修めて千里に折衝せり【高誘が言います:衝車は以て敵の軍を衝突し能く陷破するに用う。道有る国は攻伐すべからず、己を攻めんと欲する者をして其の衝車を千里の外に折還せしめ、敢えて來らず。《晏子春秋》に言います:晉平公は齊を伐たんと欲し、范昭をして往きて觀らしむ。景公は之に酒を賜う、酒酣なり、范昭が言います:願わくは君の樽酌を請はん。公が言います:寡人の樽を酌ぎて之を客に進めよ。范昭已に飲み、晏子が言います:樽を撤して之を更めよ。樽觶具われり。范昭は佯りて醉いて悅ばずして起舞し、太師に對して曰く:能く我が為に成周の樂を調ふるや?吾子の為に舞わん。太師が言います:盲臣は習わず。范昭は趨りて出づ。景公は晏子に對して曰く:晉は大国なり、人をして來らせて將に吾が政を觀んとす。今、子は大国の使者を怒らせり、將に如何せん?晏子が言います:范昭の人と為るや、陋にして禮を識らざるにあらず、吾が君臣を試さんと欲するなり、ゆえに之を絕つ。景公は太師に對して曰く:子何ぞ客の為に成周の樂を調へざる?太師が對えて曰く:成周の樂は天子の樂なり、若し之を調へば必ず人主之を舞う。今、范昭は人臣にして天子の樂を舞わんと欲す、臣故に為さず。范昭歸りて以て平公に告げて曰く:齊は未だ伐つ可からず。臣其の君を試さんと欲するも晏子これを識り、臣其の禮を犯さんと欲するも太師これを知る。仲尼これを聞いて曰く:樽俎の間に出でずして千里の外を知るは、晏子なり、折衝と言う可し、而して太師も亦た其の中に與る。】。能わざる者は隋侯・和氏箧【注音:「箧」はキョウ】に滿つと雖も、存亡に益なし【隋和は、隋侯の珠・和氏の璧を言う。】。

大夫曰晏子相【去聲】齊三君崔慶無道刼其君亂其國靈公同圍莊公弒死景公之時晉人來攻取垂都舉臨淄邊邑削城郭焚宮室隳寳器盡何沖之所能折乎由此觀之賢良所言賢人為寳則損益無輕重也

大夫が言いました:晏子は齊の三君の相【注音:「相」は去声】たり、崔・慶は道なく、其の君を劫し其の国を乱れり。靈公は囲まれ、莊公は弑死せり。景公の時、晉人來り攻め、垂都を取り、臨淄を擧げ、邊邑削られ、城郭焚かれ、宮室隳され、寶器盡き、衝車何ぞ折るを得んや。此より觀れば、賢良の言う賢人寶と為すは、則ち損益輕重なきなり。

賢良曰管仲去魯入齊齊伯【音覇】魯削非恃其眾而歸齊也伍子胥挾弓幹闔閭破楚入郢【音影】非負其兵而適吳也故賢者所在國重所去國輕【雜事篇曰管仲傅齊公子糾鮑叔傅公子小白齊公孫無知殺襄公公子糾奔魯小白奔莒齊人誅無知迎公子糾於魯公子糾與小白爭入管仲射小白中其帯鉤小白佯死遂先入是為齊桓公公子糾死管仲奔魯桓公立國定使人迎管仲於魯遂立以為仲父委國而聼之九合諸侯一匡天下為五伯長越絶書曰伍子胥父誅於楚子胥挾弓身幹闔廬闔廬曰士之甚勇之甚將為之報仇子胥曰不可諸侯不為匹夫報仇臣聞事君猶事父也君之行報父之仇不可於是止楚客説春申君曰昔伊尹去夏之殷殷王而夏亡管仲去魯而入齊魯弱而齊強由是觀之夫賢者之所在其君未嘗不善其國未嘗不安也】楚有子玊得臣文公側席虞有宮之竒晉獻不寐【尊賢篇曰晉荊戰於邲晉師敗績荀林父將歸請死景公將許之士貞伯曰不可城濮之役晉勝於荊文公猶有憂色曰子玉猶存憂未歇也困獸猶鬪況國相乎及荊殺子玉乃喜曰莫予毒也今天或者大警晉也林父之事君進思盡忠退思補過社稷之衛也今殺之是重荊勝也景公曰善乃使復將泰族訓曰晉獻公欲伐虞宮之竒存焉為之寢不安席食不甘味而不敢加兵焉賂以寶玉駿馬宮之竒諫而不聼言而不用越疆而去荀息伐之兵不血刃抱寳牽馬而去尊賢篇曰虞有宮之竒晉獻公為之終夜不寐楚有子玉得臣文公為之側席而坐逺乎賢者之厭難折沖也】夫【音扶】臣所在闢除開塞者亦逺矣【陳琳曰古之用兵敵國雖亂尚有賢人則不伐也是故三仁未去武王還師宮竒在虞晉不加戎季梁猶在強楚挫謀暨至眾賢奔絀三國為墟明其無道有人猶可救也】故春秋曰山有虎豹葵藿為之不採國有賢士邊境為之不害也【説山訓曰山有猛獸林木為之不斬園有螫蟲藜藿為之不採鄭昌傳曰山有猛獸藜藿為之不採國有忠臣奸邪為之不起】

賢良が言いました:管仲は魯を去りて齊に入り、齊は霸【注音:「伯」はハ】して魯は削られた、これは其の衆を恃んで齊に歸したにあらず。伍子胥は弓を挾みて闔閭に干え、楚を破りて郢【注音:「郢」はエイ】に入る、これは其の兵を負うて呉に適きしにあらず。ゆえに賢者の在る所は国重く、去る所は国輕し【〈雜事篇〉に言います:管仲は齊の公子糾を傅え、鮑叔は公子小白を傅え。齊の公孫無知は襄公を殺し、公子糾は魯に奔り、小白は莒に奔る。齊人は無知を誅し、公子糾を魯に迎へ。公子糾と小白とは入るを争い、管仲は小白を射て其の帶鈎に中る、小白は佯りて死し、遂に先んじて入る、是れを齊桓公と為す。公子糾死し、管仲魯に奔る。桓公立ちて国定まり、人をして管仲を魯に迎へしめ、遂に立てて以て仲父と為し、国を委ねて之に聽かしめ、九たび諸侯を合し、一たび天下を匡す、五霸の長と為る。《越絕書》に言います:伍子胥の父は楚に誅せられ、子胥は弓を挾み身を以て闔廬に干ゆ。闔廬が言います:士の甚し、勇の甚し、將に之が為に仇を報いん。子胥が言います:可ならず。諸侯は匹夫の為に仇を報いず。臣聞く、君に事ふるは猶お父に事ふるが如し、君の行を虧き(底本此の字は生僻字、轉録後失落)父の仇を報ずるは、可ならず。是に於いて止む。楚の客は春申君に說いて曰く:昔、伊尹は夏を去りて殷に之き、殷は王たりて夏亡び。管仲は魯を去りて齊に入り、魯弱くして齊強し。此より觀れば、賢者の在る所は、其の君未だ嘗て善ならざるなく、其の国未だ嘗て安ならざるなし。】。楚に子玉得臣有りて、文公は席を側す。虞に宮之奇有りて、晉獻は寐ず【〈尊賢篇〉に言います:晉荊は邲に戰う、晉師敗績す。荀林父將に歸りて死を請はんとす、景公將に之を許さんとす。士貞伯が言います:可ならず。城濮の役、晉は荊に勝ち、文公猶お憂色有りて、曰く:子玉還だ在り、憂未だ歇めず。困獸猶お鬥す、況んや国相をや。荊の子玉を殺すに及びて、乃ち喜んで曰く:予を毒する莫し。今、天或いは大いに晉を警さん。林父の君に事ふるや、進みては忠を盡くさんと思い、退きては過を補はんと思う、是れ社稷の衛なり。今、彼を殺さば、是れ荊の勝を加重するなり。景公が言います:善し。便ち彼をして復た將たらしむ。〈泰族訓〉に言います:晉獻公は虞を伐たんと欲す、宮之奇在りて、之が為に寝るに席を安んぜず、食らうに味を甘んぜずして、敢えて兵を加へず。賂うに寶玉駿馬を以てす、宮之奇は諫むるも聽かず、言ふるも用いず、疆を越えて去る。荀息之を伐ち、兵血を刃せずして、寶を抱き馬を牽きて去る。〈尊賢篇〉に言います:虞に宮之奇有りて、晉獻公之が為に夜を終へて寐ず。楚に子玉得臣有りて、文公之が為に席を側して坐す。見るべし、賢者の難を厭ぎ衝を折るを。】。句首の夫【注音:「夫」はフ】:臣の在りて能く辟除開塞する所も、亦た遠きかな【陳琳が言います:古の兵を用うるや、敵国乱ると雖も、尚お賢人有れば則ち伐たず。これにより三仁未だ去らざるに武王師を還し、宮奇虞に在りて晉戎を加へず、季梁猶お在りて強楚謀を挫く。衆賢の奔絀するに及びて、三国墟と為る。見るべし、道なくして人有れば猶お救ふべきを。】。ゆえに《春秋》に言います:山に虎豹有れば、葵藿之が為に採らざる。国に賢士有れば、邊境之が為に害せざる【〈說山訓〉に言います:山に猛獸有れば、林木之が為に斬られざる。園に螫蟲有れば、藜藿之が為に採られざる。《鄭昌傳》に言います:山に猛獸有れば、藜藿之が為に採られざる。国に忠臣有れば、姦邪之が為に起こらざる。】。

備胡第三十八

備胡第三十八

大夫曰鄙語曰賢者容不辱以世俗言之鄉曲有桀人尚闢【音避】之今明天子在上匈奴公為冦侵擾邊境是仁義犯而藜藿不採昔狄人侵太王【至公篇曰太王有至仁之恩不忍戰百姓故事勲育戎氏以犬馬珎幣而伐不止問其所欲者土地也於是屬其群臣耆老而告之曰土地者所以養人也不以所以養而害其養也吾將去之遂居岐山之下邠人負幼扶老從之如歸父母三遷而民五倍其初者皆興仁義趨上之事君子守國安民非特鬪兵罷殺士眾而已不私其身惟民是用保民蓋所以去國之義也】匡人畏孔子【孔子世家曰孔子去衛將適陳過匡顔刻為僕以其防指之曰昔吾入此由彼缺也匡人聞之以為魯之陽虎陽虎嘗暴匡人匡人於是遂止孔子孔子狀類陽虎拘焉五日顔淵後子曰吾以汝為死矣顔淵曰子在回何敢死匡人拘孔子益急弟子懼孔子曰文王既沒文不在茲乎天之將喪斯文也後死者不得與於斯文也天之未喪斯文也匡人其如予何孔子使從者為武子臣於衛然後得去】故不仁者仁之賊也是以縣官厲武以討不義設機械以備不仁

大夫が言いました:俗語に言います:賢者は容れられて辱められず。世俗を以て之を言へば、郷曲に桀驁の人有れば尚お之を避【注音:「辟」はヒ】く。今、明天子上に在るに、匈奴公然と寇と為り邊境を侵擾す、此れ仁義犯されて藜藿採られざるなり。昔、狄人は太王を侵し【〈至公篇〉に言います:太王は至仁の恩有り、百姓を戰はしむるに忍びず、ゆえに薰育戎氏に事へ、犬馬珍幣を以てするも伐止まず、其の欲する所を問へば土地なり。是に於いて其の群臣耆老を屬して之に告げて曰く:土地は以て人を養ふに用ふ、養ふ所以を以て其の養ふ所を害せず。我將に去らんとす。是に於いて岐山の下に居る。邠人は幼を負い老を扶けて之に從ふこと父母に歸するが如く、三遷して民は其の初の五倍、皆な仁義を興し上に趨るの事なり。君子は国を守り民を安んず、ただ兵を鬥し士衆を罷殺するのみにあらず、其の身を私せず、ただ民是れ用なり。民を保つは、蓋し国を去るの義ならん。】。匡人は孔子を畏れ【《孔子世家》に言います:孔子は衛を去りて將に陳に適かんとし、匡を過ぐ。顏刻は僕と為り、其の策(底本は「防」)を以て之を指して曰く:昔、吾此に入る、彼の缺口に由れり。匡人これを聞き、以て魯の陽虎と為す。陽虎は嘗て匡人を暴れたり、匡人是に於いて孔子を攔えたり。孔子の状は陽虎に類す、拘すること五日。顏淵後に至る。子曰く:吾は汝を以て死せりと為せり。顏淵曰く:子在り、回何ぞ敢えて死せん。匡人孔子を拘すること更に急なり、弟子懼れ。孔子曰く:文王既に沒す、文茲に在らずや?天之將に斯文を喪はんとせば、後死の者斯文に與るを得ず。天之未だ斯文を喪はざれば、匡人其れ予を如何せん。孔子は從者をして甯(底本此の字は生僻字、轉録後失落)武子の臣と為して衛に臣とせしめ、然る後に去るを得たり。】。ゆえに不仁の者は仁の賊なり。これにより県官は武を厲して以て不義を討ち、機械を設けて以て不仁に備ふ。

賢良曰匈奴處沙漠之中生不食之地天所賤而棄之無壇宇之居男女之別以廣野為閭里以穹廬為家室衣【去聲】皮防毛食肉飲血會市行【音杭】牧豎【音樹】居如中國之麋鹿耳好【去聲】事之臣求其義責之禮使中國干戈至今未息萬里設備此兎之所刺故小人非公侯腹心干城也

賢良が言いました:匈奴は沙漠の中に處り、食らふべからざるの地に生る、是れ天の賤しみて之を棄つる所なり。壇宇の居、男女の別なく、廣野を以て閭里と為し、穹廬を以て家室と為し、皮毛(底本は「皮防毛」)を衣【注音:「衣」は去声】、肉を食らい血を飲み、市に會して牧を行【注音:「行」はコウ】い、豎【注音:「豎」はジュ】に居る、中国の麋鹿の如きのみ。事を好【注音:「好」は去声】むの臣は其の義を求め之を禮に責め、中国をして干戈今に至るも未だ息まず、萬里設備せしむ。此れ《兔罝》(底本此の字は生僻字、轉録後失落。《詩・周南・兔罝》の「公侯干城」)の刺す所、ゆえに小人は公侯の腹心干城にあらず。

大夫曰天子者天下之父母也四方之眾其義莫不願為臣妾然猶修城郭設闗梁厲武士備衛於宮室所以逺折難【去聲】而備萬方者也今匈奴未臣雖無事欲釋備如之何

大夫が言いました:天子は天下の父母、四方の衆は義に按りて臣妾と為るを願はざるなきなり。而るに還りて城郭を修め、關梁を設け、武士を厲し、宮室に衛備す、遠く難【注音:「難」は去声】を折りて萬方に備ふるを為るなり。今、匈奴未だ臣と為らず、事なきと雖も防備を放下せんと欲す、如何せん?

賢良曰吳王所以見禽于越者以其越近而陵逺也秦所以亡者以外備胡越而內亡其政也夫【音扶】用軍於外政敗於內備為所患增主所憂【詩序曰文武以天保以上治內采薇以下治外始於憂勤終於逸樂指武篇曰內治未得不可以正外本惠未襲不可以制末是以春秋先京師而後諸夏先諸茟而後夷狄及周惠王以遭亂世繼先王之體而強楚稱王諸侯背叛欲申先王之命一統天下不先廣養京師以及諸夏諸夏以及夷狄內治未得忿則不料力權得失興兵而徵強楚師大敗樽辱不行大為天下戮笑幸逢齊桓公以得安尊故內治未得不可以正外本惠未襲不可以制末】故人主得其道則遐邇潛行而歸之文王是也不得其道則臣妾為冦秦王是也【詮言曰用兵者先為不可勝以待敵之可勝也治國者先為不可奪以待敵之可奪也舜修之歴山而海內從化文王修之岐周而天下從風兵略曰兵之勝敗本在於政政勝其民下附其上則兵強矣民勝其政下畔其上則兵弱矣故徳義足以懐天下之民事業足以當天下之急選舉足以得賢士之心謀慮足以知強弱之勢此必勝之本也地廣人眾不足以為強堅甲利兵不足以為勝髙城深池不足以為固嚴令繁刑不足以為威為存政者雖小必存為亡政者雖大必亡叢談曰所伐而當其福五之所伐不當其禍十之】夫【音扶】文衰則武勝徳盛則備寡【汜論曰一世之間而文武代為雌雄有時而用也今世之為武者則非文也為文者則非武也文武更相非而不知時世之用也此見隅曲之一指而不知八極之廣大也故東面而望不見西牆南面而視不覩北方唯無所向者則無所不通】

賢良が言いました:呉王の越に擒獲せられし所以は、其の近を越えて遠を欺陵したればなり。秦の亡びし所以は、外に胡越を備へて内に其の政を失ひたればなり。句首の夫【注音:「夫」はフ】:軍を外に用ひ、政は内に敗れ、備は反りて患と為る所、主上に憂を添ふ【《詩序》に言います:文武は《天保》以上を以て内を治め、《采薇》以下を以て外を治め、憂勤に始まりて逸樂に終る。〈指武篇〉に言います:内治未だ得ざれば、以て外を正すべからず。本惠未だ襲はざれば、以て末を制すべからず。これにより《春秋》は京師を先にして諸夏を後にし、諸夏を先にして夷狄を後にす。周惠王に至りて乱世に遭ひ先王の體を繼ぐも、強楚王を稱し諸侯背叛す、先王の命を申べ天下を一統せんと欲して、先ず廣く京師を養ひて以て諸夏に及ばず、諸夏に及びて以て夷狄に及ばず、内治未だ得ざれば、忿れば則ち力を料らず、得失を權らず、兵を興して強楚を征す、師大いに敗れ、樽辱行われず、大いに天下の戮笑と為る、幸ひに齊桓公に逢ひて乃ち安尊を得たり。ゆえに内治未だ得ざれば以て外を正すべからず、本惠未だ襲はざれば以て末を制すべからず。】。ゆえに人主其の道を得れば則ち遐邇潜行して之に歸す、文王是れなり。其の道を得ざれば則ち臣妾寇と為る、秦王是れなり【〈詮言〉に言います:兵を用ふる者は先ず勝るべからざるを為して以て敵の勝るべきを待ち、国を治むる者は先ず奪ふべからざるを為して以て敵の奪ふべきを待つ。舜は之を歷山に修めて海內化に從ひ、文王は之を岐周に修めて天下風に從ふ。〈兵略〉に言います:兵の勝敗は本政に在り。政其の民に勝ち下其の上に附すれば則ち兵強く、民其の政に勝ち下其の上に叛けば則ち兵弱し。ゆえに徳義は以て天下の民を懷くに足り、事業は以て天下の急に當るに足り、選擧は以て賢士の心を得るに足り、謀慮は以て強弱の勢を知るに足る、此れ必勝の本なり。地廣く人衆きは以て強と為すに足らず、堅甲利兵は以て勝と為すに足らず、高城深池は以て固と為すに足らず、嚴令繁刑は以て威と為すに足らず。存政を為す者は小なりと雖も必ず存し、亡政を為す者は大なりと雖も必ず亡ぶ。《叢談》に言います:伐つ所當れば、其の福五有り。伐つ所當らざれば、其の禍十有り。】。句首の夫【注音:「夫」はフ】:文衰ふれば則ち武勝ち、徳盛んなれば則ち備寡し【〈泛論〉に言います:一世の間に文武代わりて雌雄と為り、時有りて用ふ。今、世武を為す者は則ち文を非とし、文を為す者は則ち武を非とし、文武更に相非として時世の用を知らず。此れ隅曲の一指を見て八極の廣大を知らざるなり。ゆえに東面して望めば西牆を見ず、南面して視れば北方を睹ず、ただ向ふ所なき者は則ち通通ぜざるなし。】。

大夫曰徃者四夷俱強併為冦虐朝鮮逾徼刼燕之東地東越東海略浙江之南南越內侵滑服令氐棘人冉駹【音尨】嶲【音髓】唐昆明之屬擾隴西巴蜀今三垂已平唯北邊未定夫【音扶】一舉則匈奴中外震懼釋備而何寡也

大夫が言いました:往者、四夷俱に強く、併せて寇虐と為す。朝鮮は徼を踰え、燕の東地を劫す。東越・東海は浙江の南を略す。南越は内に侵して滑服令す。氐・僰人・冉駹【注音:「駹」はボウ】・嶲【注音:「嶲」はスイ】唐・昆明の属は隴西・巴蜀を擾す。今、三垂已に平らぎ、ただ北邊未だ定まらず。句首の夫【注音:「夫」はフ】:一擧すれば則ち匈奴中外震懼す、防備を放下すれば又た何ぞ寡弱ならんや?

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