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盐铁论 · 第15巻

西汉 · 桓宽 · 第15巻 / 32

大夫曰橘柚生扵江南而民皆甘之於口味同也好音生扵鄭衞而人皆樂【音洛】之扵耳聲同也越人夷吾戎人由余待譯而後通而並顯齊秦人之心扵善惡同也【說林訓曰佳人不同體美人不同而而皆恱扵目棃橘棗栗不同味而皆調扵口】故曽子倚山而吟山鳥下翔師曠鼔琴百獸率舞未有善而不合誠而不應者也【說山訓曰曽子攀柩車引輴者為之止也老母行歌而動申喜精之至也瓠巴鼓瑟而防魚出聽伯牙鼓琴駟馬仰秣介子歌龍蛇而文君垂泣故玉在山而草木潤淵生珠而岸不枯淳于髠曰昔者瓠巴鼓瑟而潛魚出聴伯牙鼓琴而六馬仰秣魚馬猶知善之為善而況君人者也】意未誠與【平聲】何故言而不見從行而不合也

大夫が言います: 橘柚は江南に生じて民は皆之を甘とす、口味に於いて同じ。好音は鄭衛に生じて人は皆之を楽しむ【注音:「楽」は洛と同じ】、耳声に於いて同じ。越人夷吾・戎人由余は訳を待ちて後に通ず、而して幷びに斉秦に顕る、人の心は善悪に於いて同じ【《淮南子・説林訓》に曰く: 佳人は体を同じくせず、美人は面を同じくせず、而して皆目に悦ばる。梨橘棗栗は味を同じくせず、而して皆口に調う】。故に曽子は山に倚りて吟じ、山鳥は下り翔る。師曠は琴を鼓し、百獣は率い舞う。未だ善にして合わず、誠にして応ぜざる有らず【《淮南子・説山訓》に曰く: 曽子は柩車を攀じ、輴を引く者は之が為に止まる。老母は歌い行きて申喜を動かす、精の至なり。瓠巴は瑟を鼓して游魚は出でて聴き(底本は「防」と作る)、伯牙は琴を鼓して駟馬は秣を仰ぐ、介子は龍蛇を歌いて文君は泣を垂る。故に玉は山に在りて草木は潤い、淵は珠を生じて岸は枯れず。淳于髡が曰く: 昔者瓠巴は瑟を鼓して潜魚は出でて聴き、伯牙は琴を鼓して六馬は秣を仰ぐ。魚馬も猶お善の善たるを知る、而して況んや人の君たるをや】。意は未だ誠ならずか【注音:「与」は平声と読む】。何故に言いて従われず、行いて合わざるか。

文學曰扁鵲不防治不受針藥之疾賢聖不能正不食諫諍之君【傳曰人之將死惡聞酒肉之味邦之將亡惡聞忠臣之氣身死不為醫邦亡不為謀還自遺災也說林訓曰與死者同病難為良醫與亡國同道難與為謀雜言曰比干死紂而不防正其行子胥死吳而不防存其國二子者強諫而死適足明主之暴耳未始有益如秋毫之端也】故桀有闗龍逄而亡夏殷有三仁而商滅【莭士篇曰桀為酒池足以運舟糟丘足以望三里一鼓而牛飲者三千人闗龍逄進諫曰為人君身行禮義愛民節財故國安而身夀也今君用財若無盡用人若恐不防死不革天禍必降而誅必至矣君其革之立而不去朝桀因囚拘之君子聞之曰末之命矣夫論語隂嬉防曰庾子之旦金版刻書出地庭中曰臣族虐王禽宋均曰謂殺龍逄之後庾子旦庭中有此版異也龍同姓稱族王虐殺我必見禽也論語曰微子去之箕子為之奴比干諫而死孔子曰殷有三仁焉】不患無由余夷吾之倫患無桓穆之聽耳【傳曰昔戎將由余使秦秦穆公問以得失之要對曰古有國者未嘗不以恭儉也失國者未嘗不以驕奢也由余因論五帝三王之所以衰布衣之所以亡繆公然之扵是告內史王繆曰鄰國有聖人敵國之憂也由余聖人也將奈之何王繆曰夫戎王居僻陋之地未嘗見中國之聲色也君其遺之女樂以婬其志亂其政其臣下必疎因為由余請緩期使其君臣有間然後可圖繆公曰善乃使王繆以女樂二列遺戎王為由余請期戎王大恱許之扵是張酒聴樂日夜不休終嵗婬縦卒馬多死由余歸數諫不聴去之秦秦公子逆拜之為上卿遂並國十二闢地千里千金書曰管子束縛在魯桓公欲相鮑叔鮑叔曰吾君欲覇王則管夷吾在彼臣弗若也桓公曰夷吾寡人之賊也射我者也不可鮑叔曰夷吾為其君射人者也君若得而用之則彼亦將為君射人桓公不聽強相鮑叔鮑叔固辭讓弗相桓公果聽之扵是使人告魯曰管夷吾寡人之讐也願得之而親加手焉魯君許諾乃使吏鞹其拳膠其目盛之以防夷置之車中至齊境桓公使人以朝車迎之祓以灌火釁以犠猳焉生與之如國命有司除廟筵几而薦之曰自孤之聞夷吾之言也目益明耳益聰孤弗敢専故以吿於先君因顧而命管子曰夷吾佐餘管子還走再拜稽首受令而出管子治齊國舉事有功桓公必先賞鮑叔曰使齊國得管子者鮑叔也桓公可謂知行賞矣楚莊王曰世不絶聖國不絶賢晉平公防扵河而樂曰安得賢士與之樂此也船人盍胥跪而對曰主君亦不好士耳夫珠出扵江海玉出扵崑山無足而至者葢由主君之好也士有足而不至者葢主君無好士之意耳無患乎無士也王符曰夫十步之澤必有香草十室之邑必有忠信是故亂殷有三仁小衞多君子然衰國危君繼踵不絶者豈時無忠信正直之士哉誠苦其道不得行耳仲長統曰物有不求未有無物之嵗也士有不用未有少士之世也】是以孔子東西無所適遇屈原放逐扵楚國【泰族訓曰孔子欲行王道東西南北七十說而無所遇離騷經序曰楚襄王用防言遷屈原扵江南而屈原放在山野復作九章援天引聖以自證明終不見省】故曰直道而事人焉往而不三黜枉道而事人終非以此言而不見從行而不合者也【燕恵王曰昔者栁下恵吏扵魯三黜而不去防謂之曰可以去栁下恵曰苟與人之異惡徃而不黜乎猶且黜乎寧扵故國爾栁下恵不以三黜自累故前業不忘不以去為心故逺近無議】

文学が言います: 扁鵲も能く針薬を受けざるの疾を治せず(底本は「不防」と作る)、賢聖も能く諫諍を納れざるの君を正せず【伝に曰く: 人の将に死せんとするは酒肉の味を聞くを悪み、邦の将に亡びんとするは忠臣の気を聞くを悪む。身は死すれば医と為さず、邦は亡ぶれば謀を為さず、還りて自ら災を遺す。《淮南子・説林訓》に曰く: 死者と病を同じくするは良医と為り難く、亡国と道を同じくするは与に謀と為り難し。〈雑言〉に曰く: 比干は紂に死すも能く其の行を正せず(底本は「不防」と作る)、子胥は呉に死すも能く其の国を存せず(底本は「不防」と作る)。二子は強諫して死す、適ち足りて主の暴を明らかにするのみ、未だ始めて秋毫の端の如き益有らず】。故に桀は関龍逄有りて夏を亡ぼし、殷は三仁有りて商は滅す【〈節士篇〉に曰く: 桀は酒池を為して以て舟を運るに足り、糟丘は以て三里を望むに足り、一たび鼓して牛飲するは三千人。関龍逄は進みて諫めて曰く: 人の君と為りて身は礼義を行い民を愛し財を節す、故に国は安く身は寿なり。今君は財を用うること尽き無きが若く、人を用うること死せんことを恐るるが若く(底本は「不防」と作る)、革めざれば則ち天の禍は必ず降りて誅は必ず至らん。君は其れ之を革めよ。立ちて朝を去らず、桀は因りて之を囚拘す。君子は之を聞きて曰く: 末の命なりかな。《論語讖》に曰く: 庚子の旦、金版の刻書は地の庭中より出づ、曰く臣族は王を虐して禽んと。宋均が曰く: 謂うに龍逄を殺すの後、庚子の旦に庭中に此の版の異有り。龍は同姓は族と称す、王は虐殺するは我必ず禽を見ん。《論語》に曰く: 微子は之を去り、箕子は之が奴と為り、比干は諫めて死す。孔子が曰く: 殷に三仁有り】。無由余・夷吾の倫を患えず、桓・穆の聴無きを患うのみ【伝に曰く: 昔戎将の由余は秦に使す、秦穆公は之に得失の要を問う。対えて曰く: 古国を有するは未だ嘗て恭倹を以てせず、国を失うは未だ嘗て驕奢を以てせず。由余は因りて五帝三王の衰うる所以・布衣の亡ぶる所以を論ず。繆公は之を然りとし、於是内史王繆に告げて曰く: 隣国に聖人有り、敵国の憂なり。由余は聖人なり、将に之を奈何せん。王繆が曰く: 夫れ戎王は僻陋の地に居り、未だ嘗て中国の声色を見ず。君は其れ之に女楽を遺し以て其の志を淫し其の政を乱さしめよ、其の臣下は必ず疏ならん。因りて由余の為に緩期を請い、其の君臣をして間有らしめ、然る後に図るべし。繆公が曰く: 善し。乃ち王繆をして女楽二列を以て戎王に遺らしめ、由余の為に期を請う。戎王は大悦びて之を許す、於是酒を張り楽を聴き、日夜休まず、歳を終えて淫縦し、卒馬は多く死す。由余は帰り、数々諫むも聴かれず、之を去りて秦に之く。秦公子は迎え拝して之を上卿と為し、遂に国十二を幷び地千里を辟く。《千金書》に曰く: 管子は束縛して魯に在り、桓公は鮑叔を相にせんと欲す。鮑叔が曰く: 吾が君は霸王せんと欲せば則ち管夷吾は彼に在り、臣は如かず。桓公が曰く: 夷吾は寡人の賊、我を射し者なり、可ならず。鮑叔が曰く: 夷吾は其の君の為に人を射たり。君は若し之を得て之を用いれば、則ち彼も将に君の為に人を射たん。桓公は聴かず、強いて鮑叔を相にせんとす、鮑叔は固く辞譲して相せず。桓公は果たして之を聴き、於是人をして魯に告げしめて曰く: 管夷吾は寡人の仇、願わくは之を得て親しく手を加えん。魯君は許諾し、乃ち吏をして其の拳を鞹り其の目を膠せしめ、之を鴟夷に盛りて(底本は「防夷」と作る)、車中に之を置く。斉境に至り、桓公は人をして朝車を以て之を迎えしめ、祓するに爟火を以てし、釁するに犠猳を以てし、焉く生と之と国の如く、有司に命じて廟筵几を除きて之を薦がしめ、曰く: 孤の夷吾の言を聞くより自りて、目は益々明らかに耳は益々聡し、孤は敢えて専にせず、故に先君に告ぐ。因りて顧みて管子に命じて曰く: 夷吾は余を佐けよ。管子は還り走りて再拝稽首して令を受けて出づ。管子は斉国を治め、事を挙げて功有れば、桓公は必ず先ず鮑叔を賞し、斉国に管子を得せしむるは鮑叔なりと曰う。桓公は行賞を知ると謂うべし。楚荘王が曰く: 世は聖を絶たず、国は賢を絶たず。晋平公は河に游びて楽しみ(底本は「防」と作る)、曰く: 安んぞ賢士を得て之と此を楽しまん。船人盍胥は跪きて対えて曰く: 主君も亦た士を好まざるのみ。夫れ珠は江海より出で玉は昆山より出づ、足無くして至るは、盖し主君の好むに由る。士は足有りて至らざるは、盖し主君は士を好むの意無きなり。士無きを患うる无れ。王符が曰く: 夫れ十歩の沢は必ず香草有り、十室の邑は必ず忠信有り。此に因り乱殷に三仁有り、小衛は君子多し、然れども衰国危君は踵を継ぎて絶えざるは、豈に時に忠信正直の士無きか。誠に其の道の行くを得ざるに苦しむのみ。仲長統が曰く: 物は求めざる有るも、未だ物無きの歳有らず。士は用いられざる有るも、未だ士少なきの世有らず】。此に因り孔子は東西に適遇する所無く、屈原は楚国に放逐さる【《淮南子・泰族訓》に曰く: 孔子は王道を行わんと欲し、東西南北七十に説くも遇う所無し。《離騒経序》に曰く: 楚襄王は讒言を用いて(底本は「防」と作る)屈原を江南に遷し、而して屈原は山野に放たれ、復た《九章》を作し、天を援け聖を引きて以て自ら証明す、終に省られず】。故に曰く: 直き道を以て人に事えれば、焉んぞ往きて三黜せざらん。枉げる道を以て人に事うれば、終に非なり。此を以て言いて従われず、行いて合わざるなり【燕恵王が曰く: 昔者柳下恵は魯に吏たり、三たび黜せられて去らず。或る人は之に謂いて曰く(底本は「防」と作る): 去るべし。柳下恵が曰く: 苟も人の異なると与せば、悪くして往きて黜せられざらんや。猶お且つ黜せられん、寧ろ故国に於てのみ。柳下恵は三黜を以て自ら累わさず、故に前業を忘れず。去るを以て心と為さず、故に遠近は議無し】。

大夫曰歌者不期扵利聲而貴在中【去聲】莭論者不期扵麗辭而務在事實【修務篇曰腹劍者期扵銛利而不期扵墨陽莫邪乘馬者期扵千里而不期扵驊騮綠耳鼓琴者期扵鳴亷修營而不期扵濫脅號鍾誦詩書者期扵通道畧物而不期扵洪範商頌】善聲而不知轉未可謂能歌也善言而不知變未可謂防說也持防而非矩執凖而非繩通一孔曉一理而不知權衡以所不覩不信人若蟬之不知雪堅據古人以應當世猶辰參之錯膠柱而調瑟固而難合矣【子產曰髙辛氏有二子長曰閼伯季曰實沈居曠林不相能也日操干戈以相征伐后帝不臧遷閼伯於商丘主辰遷實沈於大夏主參尚書大傳曰書之論事離離若參辰之錯行法言曰吾不睹參辰之相比也宋哀曰辰龍星也參虎星也我不見龍虎俱見也傳曰趙王以趙括為將代防頗藺相如曰王以名使括若膠柱而調瑟耳括徒防讀父書傳不知合變也】孔子所以不用扵世而孟軻見賤扵諸侯也【班固曰周道既衰壊扵幽厲禮樂征伐自諸侯出陵夷二百餘年而孔子興以聖徳遭季世知言之不用而道不行廼嘆曰鳳鳥不至河不出圖吾已矣夫文王既沒文不在茲乎扵是應聘諸侯以答禮行誼入西周南至楚畏匡戹陳奸七十餘君無所遇趙岐曰孟子生有淑質夙防其父防被慈母三遷之教長師孔子之孫子思治儒術之道通五經尤長扵詩書周衰之末戰國縦橫用兵爭強以相侵奪當世取士務上權謀以為上賢先王大道陵遲隳廢異端並起楊朱墨翟放蕩以干時惑眾者非一孟子憫悼堯舜湯文周孔之業將遂湮微正塗壅底仁義荒怠佞偽馳騁紅紫亂朱扵是則慕仲尼周流憂世遂以儒道幹扵諸侯思濟斯民然由不肯枉尺直尋時君鹹謂之迂濶扵事終莫能聽納其說】

大夫が言います: 歌う者は声の利きを期せずして節に中るを貴ぶ【注音:「中」は去声と読む】、論ずる者は辞の麗きを期せずして事実に在るを務む【《淮南子・修務訓》に曰く: 剣を服するは銛利を期して墨陽莫邪を期せず、馬に乗るは千里を期して驊騮緑耳を期せず、琴を鼓するは鳴廉修営を期して濫脅号鐘を期せず、詩書を誦するは道を通じ物を略するを期して《洪範》《商頌》を期せず】。声を善くして転を知らざれば、未だ能く歌うと謂うべからず。言を善くして変を知らざれば、未だ能く説くと謂うべからず(底本は「防」と作る)。規を持して【注音:底本は「持防」と作る】矩を非とし、準を執りて縄を非とし、一孔を通じ一理を暁りて権衡を知らず、睹らざる所以を以て人を信ぜず、蝉の雪を知らざるが若し、堅く古人に拠りて以て当世に応ずるは、猶お辰参の錯・柱を膠して瑟を調るがごとく、固くして合し難し【子産が曰く: 高辛氏に二子有り、長は閼伯と曰い、季は実沈と曰い、曠林に居りて相い能わず、日に干戈を操りて以て相い征伐す。後帝は臧せず、閼伯を商丘に遷して辰を主らしめ、実沈を大夏に遷して参を主らしむ。《尚書大伝》に曰く: 書の事を論ずるや、離離として参辰の錯行するが若し。《法言》に曰く: 吾は参辰の相比するを睹ず。宋衷が曰く: 辰は是れ龍星、参は是れ虎星、我は龍虎の俱に見ゆるを見ず。伝に曰く: 趙王は趙括を以て将と為し、廉頗に代えんとす(底本は「防」と作る)。藺相如が曰く: 王は名を以て括を使う、柱を膠して瑟を調るが若きのみ。括は徒らに能く父の書伝を読む(底本は「徒防」と作る)、合変を知らず】。是れ孔子の世に用いられず孟軻の諸侯に賤しまるる所以なり【班固が曰く: 周道は既に衰え、幽厲に壊れ、礼楽征伐は諸侯より出で、陵夷二百余年にして孔子興る。聖徳を以て季世に遭い、言の用いられず道の行われざるを知り、乃ち嘆じて曰く: 鳳鳥は至らず、河は図を出さず、吾已まりぬか。文王は既に没し、文は兹に在らずや。於是諸侯に聘に応じて以て礼を答え誼を行い、西周に入り、南は楚に至り、匡を畏れ陳に厄し、七十余君に干るも遇う所無し。趙岐が曰く: 孟子は生まれて淑質有り、夙く其父を喪い(底本は「夙防」と作る)、既に慈母の三遷の教を被り、長じて孔子の孫子思に師し、儒術の道を治め、五経に通じ、尤も詩書に長ず。周の衰の末、戦国は縦横して兵を用いて強を争い以て相い侵奪し、当世は士を取るに権謀を上と務めて以て上賢と為し、先王の大道は陵遅隳廃し、異端は幷び起こり、楊朱・墨翟は放蕩して以て時に干り衆を惑わすは一ならず。孟子は尭舜湯文周孔の業の将に遂に湮微せんとするを悯悼し、正涂は壅底し、仁義は荒怠し、佞偽は馳騁し、紅紫は朱を乱る、於是則ち仲尼を慕い、周流して世を憂え、遂に儒道を以て諸侯に干り、斯の民を済わんことを思うも、然れども由りて尺を枉げて尋を直くするを肯んぜず、時の君は咸く之を事に迂闊と謂い、終に其の説を聴納する能くする莫し】。

文學曰日月之光而盲者不能見雷電之聲而聾人不能聞【孟子曰夫震雷之起也破竹折木震驚天下而不能使聾者卒有聞日月之明徧照天下而不能使盲者卒有見泰族訓曰聾者耳形具而無能聞也盲者目形存而無能見也】夫【音扶】為不知音者言若語扵瘖【音因】聾何特蟬之不知重【平聲】雪耶【泰族訓曰夫言者所以通己扵人也聞者所以通人扵己也瘖者不言聾者不聞既瘖且聾人道不通故有瘖聾之病者雖破家求醫不顧其費豈獨形骸有瘖聾哉心志亦有之夫指之拘者莫不事申也心之塞也莫之務通也不眀扵類也齊俗訓曰其見不逺者不可與語大其智不閎者不足與論至繆稱訓曰察一曲者不可與言化審一時者不可與言大南華經曰井蛙不可以語扵海者拘扵隘也夏蟲不可以語扵寒者篤扵時也曲士不可以語扵道者束扵教也】夫【音扶】以伊尹之知【去聲】太公之賢而不防開辭扵桀紂非說者非聴者過也【張子曰桀罪諫者紂焚聖人以徴為羽非之罪也以甘為苦非味之過也】是以荊和抱璞而泣血曰安得良工而剖之屈原行吟澤畔曰安得臯陶而察之【雜事篇曰荊人卞和得玉璞而獻之荊厲王使玉尹相之曰石也王以和為謾而斷其左足厲王薨武王即位和復奉玉璞而獻之武王武王使玉尹相之曰石也又以為謾而防其右足武王薨共王即位和乃奉玉璞而哭扵荊山中三日三夜泣盡而繼之以血共王聞之使人問之曰天下刑之者眾矣子獨何哭之悲也對曰寳玉而名之曰石貞士而戮之以謾此臣之所以悲也共王曰惜矣吾先王之聴難剖石而易斬人之足夫死者不可生防者不可屬何聴之殊也乃使人理其璞而得寶焉故名之曰和氏之璧故曰珠玉者人主之所貴也和雖獻寶而美未為玉尹用也進寳且若彼之難也況進賢人乎賢人與奸臣猶仇讐也扵庸君意不合夫欲使奸臣進其讐扵不合意之君其難萬倍扵和氏之璧又無防兩足之臣以推其難猶防山也千嵗一合若繼踵然後覇王之君興焉其賢而不用不可勝載故有道者之未戮也冝白玉之璞未獻耳陳元曰至音不合眾聽故伯牙絶至寳不同眾好故卞和泣血楚辭曰屈原既放防扵江潭行吟澤畔顔色憔悴形容枯槁漁父見而問之曰子非三閭大夫與何故至扵斯屈原曰舉世皆濁而我獨清眾人皆醉而我獨醒是以見放漁父曰聖人者不凝滯扵物而能與世推移舉世皆濁何不淈其泥而揚其波眾人皆醉何不餔其糟而歠其釃何故懐瑾握瑜而自令見放為屈原曰吾聞之新沐者必彈冠新浴者必振衣安能以身之察察受物之汶汶者乎寧赴湘流葬扵江魚之腹中又安防以皎皎之白而防世俗之塵埃乎漁父莞爾而笑鼓枻而去歌曰滄浪之水清兮可以濯吾纓滄浪之水濁兮可以濯吾足遂去不復與言】夫【音扶】人君莫不欲求賢以自輔任能以治國然牽扵流說惑扵道諛是以賢聖蔽掩而防佞用事以此亡國破家而賢士飢扵巖穴也【君道篇曰武王問太公曰舉賢而以危亡者何也太公曰舉賢而不用是有舉賢之名而不得真賢之實也武王曰其失安在太公曰其失在君好用小善而已不得真賢也武王曰好用小善者何如太公曰君好聴譽而不惡防也以非賢為賢以非善為善以非忠為忠以非信為信其君以譽為功以毀為罪有功者不賞有罪者不罰多黨者進少黨者退是以群臣比周而蔽賢百吏群黨而多奸忠臣以誹死扵無罪邪臣以譽賞扵無功其國見扵危亡武王曰善吾今日聞誹譽之情矣尊賢篇曰桓公問扵管仲曰吾欲使酒腐扵爵肉腐扵俎得無害扵覇乎管仲對曰此極非其貴者耳然亦無害扵覇也桓公曰何如而害覇管仲對曰不知賢害覇知而不用害覇用而不任害覇任而不信害覇信而復使小人參之害覇桓公曰善雜事篇曰闔廬用子胥以興夫差殺之而以亡昭王用樂毅以勝恵王逐之而敗此的的然若黒白秦不用叔孫通項王不用陳平韓信而皆滅漢用之而大興此未遂也夫失賢者其禍如彼用賢者其福如此人君莫不求賢以自輔然而國以亂亡者所謂賢者不賢也防使賢者為之與不肖者議之使智者圖之與愚者謀之不肖嫉賢愚者嫉智是賢者之所以隔蔽也所以千載不合者也劉峻曰薫蕕不同器梟鸞不接翼渾敦檮杌踵武扵雲臺之上仲容庭堅耕耘扵岩石之下】昔趙髙無過人之志而居萬人之位是以傾覆秦國而禍殃其宗盡失其瑟何膠柱之調也【雜事篇曰秦趙髙者生而隠宮始皇聞其強力通扵獄法拜申車府令使教胡亥決獄胡亥幸之髙有罪始皇使防毅治之毅當髙法當死始皇以髙敏扵事赦之復其官二世即位趙髙說以嚴法刻刑令有罪者相坐誅滅大臣及宗室更為法律務益刻深易曰負且乘致防至貞吝大傳曰負也者小人之事也乘也者君子之器也小人而乘君子之器盜思奪之矣上慢下暴盜思伐之矣泰族訓曰位髙而道大者從事大而道小者兇人間訓曰天下有三危少徳而多寵一危也才下而位髙二危也身無大功而有厚祿三危也】

文学が言います: 日月の光も盲者は見る能わず、雷電の声も聾人は聞く能わず【孟子が曰く: 夫れ震雷の起こるや、竹を破り木を折り、天下を震驚す、而して聾者をして卒に聞こしむる能わず。日月の明は遍く天下を照らす、而して盲者をして卒に見えしむる能わず。《淮南子・泰族訓》に曰く: 聾者は耳形具わりて聞く能わず、盲者は目形存して見る能わず】。句首の夫【注音:「夫」は扶と同じ】: 知音ならざる者の為に言うは、瘖聾に語るが若し【注音:「瘖」は因と同じ】、何ぞ特に蝉の重ね雪を知らざるのみならんや【注音:「重」は平声と読む】【《淮南子・泰族訓》に曰く: 夫れ言うは以て己を人に通ずる所以、聞くは以て人を己に通ずる所以。瘖者は言わず、聾者は聞かず、既に瘖かつ聾なれば、人道は通ぜず。故に瘖聾の病有るは、家を破りて医を求めて其の費を顧みず。豈に独り形骸に瘖聾有らん、心志も亦た有り。夫れ指の拘えるは之を申ぐるに事えざる莫く、心の塞がるは之を通ずるを務むる莫し、類に明ならざるなり。《斉俗訓》に曰く: 其の見る遠からざるは与に大を語るべからず、其の智の閎ならざるは与に至を論ずるに足らず。《繆稱訓》に曰く: 一曲を察するは与に化を言うべからず、一時を審らかにするは与に大を言うべからず。《荘子》に曰く: 井蛙は以て海に語るべからざるは、隘に拘るなり。夏虫は以て寒に語るべからざるは、時に篤すなり。曲士は以て道に語るべからざるは、教に束るなり】。句首の夫【注音:「夫」は扶と同じ】: 伊尹の智・太公の賢を以てするも【注音:「知」は去声と読む】、能く桀紂に辞を開く能わず(底本は「不防」と作る)、并びに説く者の過に非ず、是れ聴く者の過なり【張子が曰く: 桀は諫める者を罪し、紂は聖人を焚く、徵を以て羽と為すは并びに弦の罪に非ず(底本この字は生僻字で転写後に失われた)、甘を以て苦と為すは并びに味の過に非ず】。此に因り荊和は璞を抱きて血を泣き、安んぞ良工を得て之を剖かんと曰い、屈原は沢畔に行吟し、安んぞ皐陶を得て之を察さんと曰う【〈雑事篇〉に曰く: 荊人卞和は玉璞を得て之を荊厲王に献ず、玉尹をして之を相せしむ、石なりと曰う。王は和を以て谩と為し其の左足を断つ。厲王薨じ、武王位に即き、和は復た玉璞を奉りて之を献ず。武王は玉尹をして之を相せしむ、石なりと曰い、又た以て谩と為し其の右足を刖す(底本は「防」と作る)。武王薨じ、共王位に即き、和は乃ち玉璞を奉りて荊山の中に哭くこと三日三夜、泣尽きて継ぐに血を以てす。共王は之を聞き、人をして之に問わしめて曰く: 天下の刑せらるるは衆なり、子独り何ぞ之を哭くこと悲しきや。対えて曰く: 宝玉にして之を名づけて石と曰い、貞士にして之を戮するに谩を以てす、此れ臣の悲しむ所以なり。共王が曰く: 惜しいかな、吾が先王の聴くや、石を剖るを難しとして人の足を斬るを易しとす。夫れ死者は生くべからず、刖せらるるは属すべからず(底本は「防」と作る)、何ぞ聴の殊なるや。乃ち人をして其の璞を理めしめて宝を得焉、故に之を名づけて和氏の璧と曰う。故に曰く珠玉は人主の貴ぶ所。和は宝を献ずると雖も美なれども、未だ玉尹に用いられず。宝を進むる且つ彼の如き難き、況んや賢人を進めんをや。賢人と奸臣とは猶お仇讐のごとく、庸君に於いて意合わず。夫れ奸臣をして其の讐を意合わざるの君に進めしめんと欲するは、其の難は和氏の璧に万倍し、又た両足を刖せらるるの臣無くして以て其の難を推す、猶お山に登るがごとし(底本は「防」と作る)。千歳に一合は踵を継ぐが若く、然る後に霸王の君興る焉。其の賢にして用いられざるは載すべく勝べからず。故に道有る者の未だ戮されざるは、宜しく白玉の璞の未だ献ぜざるのみ。陳元が曰く: 至音は衆聴に合わず、故に伯牙は弦を絶つ。至宝は衆好に同じからず、故に卞和は血を泣く。《楚辞》に曰く: 屈原は既に放たれ、江潭に游び(底本は「防」と作る)、沢畔に行吟し、顔色は憔悴し形容は枯槁す。漁父は見て之に問えて曰く: 子は三閭大夫に非ずか、何故に斯に至るや。屈原が曰く: 世を挙げて皆濁りて我独り清く、衆人は皆醉いて我独り醒む、是を以て放たる。漁父が曰く: 聖人は物に凝滞せずして能く世と推移す。世を挙げて皆濁らば、何ぞ其の泥を淈して其の波を揚げざる。衆人は皆醉わば、何ぞ其の糟を餔い其の釃を歠ざる。何故に瑾を懐き瑜を握りて自ら放たれしむるを為すや。屈原が曰く: 吾之を聞く、新たに沐するは必ず冠を弾き、新たに浴するは必ず衣を振る、安んぞ能く身の察察を以て物の汶汶を受けんや。寧ろ湘流に赴きて江魚の腹中に葬られん、又た安んぞ能く皎皎の白を以て世俗の塵埃を蒙らんや(底本は「安防」と作る)(底本は「防」と作る)。漁父は莞爾として笑い、枻を鼓して去り、歌いて曰く: 滄浪の水清ければ以て吾が纓を濯うべく、滄浪の水濁れば以て吾が足を濯うべし。遂に去りて復た与に言わず】。句首の夫【注音:「夫」は扶と同じ】: 人君は賢を求めて以て自ら輔け能を任じて以て国を治めんことを欲せざる莫し、然れども流説に牽かれ道諛に惑い、此に因り賢聖は蔽掩して奸佞は事を用い(底本は「防」と作る)、此を以て国を亡し家を破りて賢士は岩穴に飢ゆ【〈君道篇〉に曰く: 武王は太公に問えて曰く: 賢を挙げて以て危亡するは何ぞや。太公が曰く: 賢を挙げて用いざるは、是れ挙賢の名有りて真賢の実を得ざるなり。武王が曰く: 其の失は安くに在るや。太公が曰く: 其の失は君の小善を好んで用うるに在るのみ、真賢を得ず。武王が曰く: 小善を好んで用うるは何如。太公が曰く: 君は誉を聴くを好みて讒を悪まず(底本は「防」と作る)、賢に非ざるを以て賢と為し、善に非ざるを以て善と為し、忠に非ざるを以て忠と為し、信に非ざるを以て信と為す。其の君は誉を以て功と為し毀を以て罪と為し、功有る者は賞せず罪有る者は罰せず、党多きは進み党少なきは退く。此に因り群臣は比周して賢を蔽い、百吏は群党して奸を多くし、忠臣は誹を以て無罪に死し、邪臣は誉を以て無功に賞せらる、其の国は危亡に見ゆ。武王が曰く: 善し、吾は今日誹誉の情を聞けり。〈尊賢篇〉に曰く: 桓公は管仲に問えて曰く: 吾は酒を爵に腐らし肉を俎に腐らしめんことを欲す、霸に害有るを得んや。管仲は対えて曰く: 此れ極めて其の貴ぶに非ざるのみ、然れども亦た霸に害無し。桓公が曰く: 何如にして霸に害あらん。管仲は対えて曰く: 賢を知らざるは霸に害し、知りて用いざるは霸に害し、用いて任ぜざるは霸に害し、任じて信ぜざるは霸に害し、信じて復た小人をして之に参らしむるは霸に害す。桓公が曰く: 善し。〈雑事篇〉に曰く: 闔廬は子胥を用いて以て興り、夫差は之を殺して以て亡ぶ。昭王は楽毅を用いて以て勝ち、恵王は之を逐いて以て敗る。此れ的々然として黒白の若し。秦は叔孫通を用いず、項王は陳平・韓信を用いずして皆滅び、漢は之を用いて大いに興る。此れ未遂なり。夫れ賢を失うは其の禍は彼の如く、賢を用いるは其の福は此の如し。人君は賢を求めて以て自ら輔けんことを求めざる莫し、然れども国は以て乱れ亡ぶるは、所謂賢者は賢ならざるなり。今賢者をして之を為さしめて不肖者と之を議らしめ(底本は「防」と作る)、智者をして之を図らしめて愚者と之を謀らしむれば、不肖は賢を嫉み愚者は智を嫉む、是れ賢者の隔蔽せらるる所以、千載に合わざる所以なり。劉峻が曰く: 薫莸は器を同じくせず、梟鸞は翼を接せず、渾敦檮杌は雲台の上に踵武し、仲容庭堅は岩石の下に耕耘す】。昔趙高は人に過ぐるの志無くして万人の位に居り、此に因り秦国を傾覆して其の宗に禍殃し、其の瑟を尽く失う、何ぞ柱を膠するの調や【〈雑事篇〉に曰く: 秦の趙高は生まれて隠宮なり。始皇は其の強力にして獄法に通ずるを聞き、中車府令に拝し、胡亥をして獄を決することを教えしめ、胡亥は之を幸す。高は罪有り、始皇は蒙毅をして之を治めしめ(底本は「防毅」と作る)、毅は高を当たるに法は死に当たる。始皇は高の事に敏なるを以て、之を赦して其の官を復す。二世位に即き、趙高は之に説くに厳法刻刑を以てし、罪有る者をして相坐せしめ、大臣及び宗室を誅滅し、更に法律を為して務めて益々刻深なり。《易》に曰く: 負い且つ乗るは、寇を致すに至り(底本は「致防」と作る)、貞しくも吝なり。《大伝》に曰く: 負ぐは小人の事、乗るは君子の器。小人にして君子の器に乗れば、盗は之を奪わんことを思う。上は慢り下は暴れば、盗は之を伐たんことを思う。《淮南子・泰族訓》に曰く: 位高くして道大なるは従われ、事大きくして道小なるは凶なり。《人間訓》に曰く: 天下に三危有り: 徳少なくして寵多きは一危、才下にして位高きは二危、身に大功無くして厚禄有るは三危】。

大夫曰所謂文學髙第者智略能明先王之術而資質足以履行其道故居則為人師用則為世法今文學言治則稱堯舜道行【去聲】則稱孔墨授之政則不達懐古道而不能行言直而行之枉道是而情非衣冠有以殊扵鄉曲而實無以異扵凡人諸生所謂中直者遭時率備數適然耳殆非眀舉所謂固未可與論治也

大夫が言います: 所謂文学高第は、智略は能く先王の術を明らかにし、而して資質は以て其の道を履行するに足る、故に居れば則ち人師と為り、用いられれば則ち世の法と為る。今文学は治を言えば則ち尭舜を称し、道行を言えば則ち孔墨を称す【注音:「行」は去声と読む】、之に政を授くれば則ち達せず、古道を懐きて能く行わず、言は直くして之を行うは枉り、道は是にして情は非なり、衣冠は以て郷曲に殊なる有れども実は以て凡人に異なる無し。諸生の所謂中直は、時に遭い充率に(底本この字は生僻字で転写後に失われた)数を備え適然なるのみ、殆ど明挙の謂う所に非ず、固より未だ与に治を論ずべからず。

文學曰天設三光以照記天子立公卿以眀治故曰公卿者四海之表儀神化之丹青也上有輔眀主之事下有遂聖化之事和隂陽調四時安眾庶育群生使百姓輯睦無怨思之色四夷順徳無叛逆之憂此公卿之職而賢者之所務也【泰族訓曰古者法設而不犯刑措而不用非可刑而不刑也百工維時庶績鹹熈禮義修而任賢得也故舉天下之髙以為三公一國之髙以為九卿一縣之髙以為二十七大夫一鄉之髙以為八十一元士故知過萬人者謂之英千人者謂之俊百人者謂之豪十人者謂之傑英俊豪傑各以小大之材處其位得其宜由夲流末以重製輕上唱而民和上動而下隨四海之內一心同歸背貪鄙而向義理其扵化民也若風之揺草木無一而不靡今使愚教智使不肖臨賢雖嚴刑罰民弗從也小不能制大弱不能使強也】若伊尹周召三公之才太顛閎夭九卿之人【伊尹殷湯之臣周公旦召公奭周武王之臣太顛閎夭周文王之臣也】文學不中【去聲】聖主之眀舉今之執政亦未能稱盛徳也

文学が言います: 天は三光を設けて以て照記し、天子は公卿を立てて以て治を明らかにす。故に曰く公卿は四海の表儀・神化の丹青なり: 上は明主を輔くるの事有り、下は聖化を遂ぐるの事有り、陰陽を和し四時を調え、衆庶を安んじ群生を育み、百姓をして輯睦して怨思の色無く、四夷をして徳に順いて叛逆の憂無からしむ。是れ公卿の職にして賢者の務むる所なり【《淮南子・泰族訓》に曰く: 古者は法は設けられて犯されず、刑は措かれて用いられず、并びに刑すべくして刑せざるに非ず、百工は時を維ぎ庶績は咸く熙り、礼義は修まりて賢を任ずるを得たり。故に天下の高を挙げて以て三公と為し、一国の高を以て九卿と為し、一県の高を以て二十七大夫と為し、一郷の高を以て八十一元士と為す。故に万人に過ぐるを知るを英と謂い、千人は俊と謂い、百人は豪と謂い、十人は傑と謂う。英俊豪傑は各々小大の材を以て其の位に処り其の宜を得、本より自りて末に流れ、重を以て軽を制し、上唱えて民和し、上動きて下随う、四海の内は一心同帰し、貪鄙を背けて義理に向う。其の民を化するに於いては、風の草木を揺するが若く、一として靡かざる無し。今愚をして智を教え、不肖をして賢に臨ましむれば、刑罰を厳にすと雖も民は従わず。小は大を制する能わず、弱は強を使う能わず】。若し伊尹・周・召は三公の才、太頗・閎夭は九卿の人なり【伊尹は殷湯の臣、周公旦・召公奭は周武王の臣、太頗・閎夭は周文王の臣】。文学は聖主の明挙に中らず【注音:「中」は去声と読む】、今の執政も亦た未だ盛徳に称えず。

大夫不說【音恱】作色不應也

大夫は悦ばず【注音:「説」は悦と同じ】、色を作して応えず。

文學曰朝【音潮】無忠臣者政闇大夫無直士者位危【主術訓曰古者天子聽朝公卿正諌博士誦詩瞽箴師誦庶人傳語史書其過宰徹其膳猶以為未足也故堯置敢諫之鼓舜立誹謗之木湯有司直之人武王立戒慎之軺過若豪釐而既已備之也失聖人之扵善也無小而不舉其扵過也無微而不改正諌篇曰晏子復扵景公曰朝居嚴乎公曰朝居嚴則曷害扵治國家哉晏子對曰朝居嚴則下無言下無言則上無聞矣下無言則謂之喑上無聞則謂之聾聾喑則非害治國家如何也且合菽粟之微以滿倉廩合疏縷之緯以成緯幕太山之髙非一石也累卑然後髙也夫治天下者非一士之言固有受而不用惡有距而不入者防韓嬰曰天子有爭臣七人雖無道不失其天下昔殷王紂殘賊百姓絶逆天道至斮朝涉刳孕婦脯侯醢海伯然所以不亡者以其有箕子比干之故微子去之執囚為奴比干諫而死然後周加兵而誅絶之諸侯有爭臣五人雖無道不失其國吳王夫差為無道至驅一市之民以葬闔閭然所以不亡者有伍子胥之故胥以死越王勾踐欲伐之范蠡諫曰子胥之計策未忘扵吳王之腹心也子胥死後三年越乃防攻之大夫有爭臣三人雖無道不失其家季氏為無道僣天子舞八佾旅泰山以雍徹孔子曰是可忍也孰不可忍也然不亡者以冉有季路為宰臣也故曰有諤諤爭臣者其國昌有黙黙諛臣者其國亡詩曰不明爾徳時無背無側爾徳不明以無陪無卿言文王諮嗟痛殷商無輔弼諌諍之臣而亡天下矣晏子曰下無直辭上有隠君民多諱言君有驕行】任座正言君之過文侯改言行【去聲】稱為賢君【魏世家曰魏文侯與士大夫坐問曰寡人何如君也群臣皆曰君仁君也次至任座曰君非仁君也曰子何以言之對曰君伐中山不以封君之弟而以封君之長子臣以此知君之非仁君文侯怒而逐任座座起而出次至翟璜文侯問寡人何如君也翟璜對曰君仁君也曰子何以言之對曰臣聞之其君仁者其臣直向任座之言直臣是以知君仁君文侯曰善復召任座入拜為上卿】袁盎面刺綘侯之驕矜卒得其慶【袁盎傳曰袁盎楚人也字父故為群盜徙處安陵髙後時盎嘗為呂祿舍人及孝文帝即位盎兄噲任盎為中郎綘侯為丞相朝罷趨出意得甚上禮之恭嘗目送之盎進曰陛下以丞相何如人上曰社稷臣盎曰絳侯所謂功臣非社稷臣社稷臣主在與在主亡與亡方呂后時諸呂用事擅相王劉氏不絶如帶是時絳侯為太尉主兵柄弗能正呂后崩大臣相與共畔諸呂太尉主兵適防其成功所謂功臣非社稷臣丞相如有驕主色陛下謙讓臣主失禮竊為陛下不取也後朝上益莊丞相益畏已而絳侯望袁盎曰吾與而兄善今兒廷毀我盎遂不謝及絳侯免相之國國人上書告以為反徴系請室宗室諸公莫敢為言唯袁盎明綘侯無罪綘侯得釋盎頗有力綘侯乃大與盎結交】故觸死亡以幹主之過者忠臣也犯嚴顔以匡公卿之失者直士也【孫叔敖曰畏鞭棰之嚴而不敢諌其父非孝子也懼斧鉞之誅而不敢諌其君非忠臣也南華經曰孝子不諛其親忠臣不諂其君正諫篇曰易曰王臣蹇蹇匪躬之故人臣之所以蹇蹇為難而諫其君者非為身也將欲以匡君之過矯君之失也君有過失者危亡之萌也見君之過失而不諌是輕君之危亡也夫輕君之危亡者忠臣不忍為也】鄙人不能巷言面違方今人主谷之【谷祿也】教令張而不施食祿多非其人以妨農商工市井之利未歸扵民民望不塞也且夫【音扶】帝王之道多墮壊而不修詩云濟濟多士意者誠任用其計非苟陳虛言而已

文学が言います: 朝に忠臣無ければ政は暗く【注音:「朝」は潮と同じ】、大夫に直士無ければ位は危うし【《淮南子・主術訓》に曰く: 古者天子は朝に聴き、公卿は正諫し、博士は詩を誦し、瞽箴師は誦し、庶人は語を伝え、史は其の過を書き、宰は其の膳を徹す、猶お以て未だ足らずと為す。故に尭は敢諫の鼓を置き、舜は誹謗の木を立て、湯は司直の人有り、武王は戒慎の軺を立つ、過は毫厘の若くして既に已に之を備う。夫れ聖人は善に於いて小と雖も挙げざる無く、過に於いて微と雖も改めざる無し。〈正諫篇〉に曰く: 晏子は景公に復して曰く: 朝居は厳か。公が曰く: 朝居厳なれば則ち曽て国家を治むるに害あらんか。晏子は対えて曰く: 朝居厳なれば則ち下は言無く、下言無ければ則ち上は聞無し。下言無ければ則ち之を喑と謂い、上聞無ければ則ち之を聾と謂う。聾喑なれば則ち国家を治むるに害ならずして如何。且つ菽粟の微を合して以て倉廩を満たし、疏縷の緯を合して以て緯幕を成す。太山の高は一石に非ず、卑を累ねて然る後に高し。夫れ天下を治むるは一士の言に非ず、固より受けて用いざる有り、悪くして距ぎて入れざる者有らん哉。韓嬰が曰く: 天子に争臣七人有れば、無道と雖も其の天下を失わず。昔殷王紂は百姓を残賊し天道を絶逆し、至りて朝渉を斫り孕妇を刳り鬼侯を脯し(底本この字は生僻字で転写後に失われた)海伯を醢す、然れども亡びざる所以は、其の箕子・比干有るを以てなり。微子は之を去り、執えられて囚と為り奴と為り、比干は諫めて死す、然る後に周は兵を加えて之を誅絶す。諸侯に争臣五人有れば、無道と雖も其の国を失わず。呉王夫差は無道を為し、至りて一市の民を駆りて以て闔閭を葬る、然れども亡びざる所以は伍子胥有るを以てなり。胥以て死すれば、越王勾践は之を伐たんと欲し、范蠡は諫めて曰く: 子胥の計策は未だ呉王の腹心に忘れず。子胥死して後三年、越は乃ち会して之を攻む(底本は「防」と作る)。大夫に争臣三人有れば、無道と雖も其の家を失わず。季氏は無道を為し、天子を僭き、八佾を舞い、泰山に旅し、雍を以て徹す。孔子が曰く: 是れ忍ぶべきか、孰れか忍ぶべからざる。然れども亡びざるは冉有・季路を以て宰臣と為すを以てなり。故に曰く諤々たる争臣有れば其の国は昌え、默默たる諛臣有れば其の国は亡ぶ。《詩》に曰く: 爾の徳を明らかにせず、時に背無く側無し。爾の徳明ならず、以て陪無く卿無し。是れ文王が咨嗟して殷商の輔弼諫諍の臣無くして天下を亡ぼすを痛むを説く。晏子が曰く: 下に直辞無ければ上に隠君有り、民は諱言多ければ君に驕行有り】。任座は正言して君の過を言い、文侯は言行を改め【注音:「行」は去声と読む】、賢君と称さる【《史記・魏世家》に曰く: 魏文侯は士大夫と坐し、問えて曰く: 寡人は何如の君か。群臣は皆曰く君は仁君。次は任座に至り、曰く: 君は仁君に非ず。曰く: 子は何以て之を言う。対えて曰く: 君は中山を伐ちて以て君の弟に封せずして以て君の長子に封ず、臣は此を以て君の仁君に非ざるを知る。文侯は怒りて任座を逐う、座は起きて出づ。次は翟璜に至り、文侯は寡人は何如の君かと問う。翟璜は対えて曰く: 君は仁君。曰く: 子は何以て之を言う。対えて曰く: 臣之を聞く、其の君仁なれば其の臣直し。向の任座の言は直なり、臣は是を以て君は仁君を知る。文侯が曰く: 善し。復た任座を召し入れ、拝して上卿と為す】。袁盎は面して絳侯の驕矜を刺し、卒に其の慶を得たり【《史記・袁盎列伝》に曰く: 袁盎は楚人、字を糸と曰う(底本この字は生僻字で転写後に失われた)。父は故に群盗と為り、徙りて安陵に処る。高后の時盎は嘗て呂禄の舎人と為る。孝文帝位に即くに及び、盎の兄噲は盎を任じて中郎と為す。絳侯は丞相と為り、朝罷れて趨り出づ、意は得ること甚だし、上は之に礼して恭く、嘗て目を以て之を送る。盎は進みて曰く: 陛下は丞相を以て何如の人か。上が曰く: 社稷の臣。盎が曰く: 絳侯は所謂功臣、社稷の臣に非ず。社稷の臣は主与に在り与に亡ぶ。方に呂后の時、諸呂は事を用い擅りに相い王たり、劉氏は絶えざること帯の如し。是の時絳侯は太尉と為り兵柄を主りて能く正さず。呂后崩じ、大臣は相与に共に諸呂を畔ち、太尉は兵を主りて適ち其の成功に会す(底本は「适防」と作る)、所謂功臣にして社稷の臣に非ず。丞相は如し主を驕るの色有らば、陛下は謙譲し、臣主は礼を失う、窃かに陛下の為に取らず。後朝して上は益々荘く、丞相は益々畏る。已にして絳侯は袁盎を望みて曰く: 吾は而の兄と善し、今児は廷に我を毀る。盎は遂に謝せず。絳侯は相を免じて国に之くに及び、国人は上書して以て反と告ぐ、徴して請室に繋ぐ、宗室諸公は敢えて為に言う莫し、唯だ袁盎のみ絳侯は罪無しと明らかにす。絳侯は釈を得、盎は頗る力有り。絳侯は乃ち大いに盎と結交す】。故に死亡を触れて以て主の過に干るは是れ忠臣、厳顔を犯して以て公卿の失を匡うは是れ直士【孫叔敖が曰く: 鞭棰の厳を畏れて敢えて其の父を諫めざるは孝子に非ず、斧鉞の誅を懼れて敢えて其の君を諫めざるは忠臣に非ず。《荘子》に曰く: 孝子は其の親を諛わず、忠臣は其の君を諂わず。〈正諫篇〉に曰く: 《易》に曰く王臣蹇蹇、躬に匪ざるの故。人臣の蹇蹇として難と為し其の君を諫むる所以は、并びに身の為ならず、将に欲して以て君の過を匡い君の失を矯めんとす。君に過失有るは危亡の萌なり。君の過失を見て諫めざるは、是れ君の危亡を軽んず。夫れ君の危亡を軽んずるは、忠臣は忍びて為さず】。鄙人は能く巷言せず面違せず。方今の人主は之に谷し【谷は禄なり】、教令は張りて施さず、禄を食むは多く其の人に非ず、以て農商工市井の利を妨げて未だ民に帰らず、民望は塞がらず。且つ句首の夫【注音:「夫」は扶と同じ】: 帝王の道は多く堕壊して修まらず。《詩》に曰く済済たる多士、意するに誠に其の計を任用す、并びに苟りて虚言を陳ぶるのみに非ず。

鹽鐡論卷五

塩鉄論 巻五終わり

欽定四庫全書

欽定四庫全書

鹽鐵論卷六

塩鉄論 巻六

漢桓寛撰

漢 桓寛 撰

明張之象注

明 張之象 注

殊路第二十一

殊路(しゅろ) 第二十一

大夫曰七十子躬受聖人之術有名列於孔子之門皆諸侯卿相【去聲】之才可南面者數人【雜言曰楚昭王召孔子將使執政而封以書社七百里子西謂楚王曰王之臣用兵有如子路者乎使諸侯有如宰予者乎長官五官有如子貢者乎昔文王處酆武王處鎬酆鎬之間百乘之地伐上殺主立為天子世皆曰聖王今以孔子之賢而有書社七百里之地而三子佐之非楚之利也楚王遂止】可政事者冉有季路言語宰我子貢宰我秉事有寵於齊田常作難【去聲】道不行身死庭中簡公殺於檀臺【人間訓曰諸御鞅復於簡公曰陳成常宰予二子二子者甚相憎也臣恐其搆難而危國也君不如去一人簡公不聽居無防何陳成常果攻宰予於庭中而弒簡公於朝此不知敬小之所生也指武篇曰田成子常與宰我爭宰我夜伏卒將以攻田成子令於卒中曰不見旌節母起防夷子皮聞之告田成子田成子因為旌莭以起宰我之卒以攻之遂殘之也】子路仕衛孔悝【音恢】作亂不能救君出亡身葅於衛子貢子臯遁逃不能死其難【去聲檀弓曰孔子哭子路於中庭有人吊者而夫子拜之既哭進使者而問故使者曰醢之矣遂命覆醢盜跖曰子以甘言說子路而使之使子路去其危冠解其長劔而受教於子天下皆曰孔丘能止禁非其卒之也子路欲殺衞君而事不成是子教之不至也至公萹曰子羔為衞政刖人之足衞之君臣亂子羔走郭門郭門閉刖者守門曰於彼有缺子羔曰君子不逾曰於彼有竇子羔曰君子不遂曰於此有室子羔入追者罷子羔將去謂刖者曰吾不能虧損主之法令而親刖子之足吾在難中此乃子之報怨時也何故逃我刖者曰防足固我罪也無可奈何君之治臣也傾側法令先後臣以法欲臣之免於法也臣知之獄決罪定臨當論刑君愀然不樂見於顔色臣又知之君豈私臣哉天生仁人之心其固然也此臣之所以脫君也孔子聞之曰善為吏者樹徳不善為吏者□怨公行之也其子羔之謂歟】食人之重祿不能更處人尊官不能存何其厚於己而薄於君防同門共業自以為知古今之義明君臣之禮或死或亡二三子殊路何道之悖也

御史大夫(桑弘羊)が言います: 七十子は躬ら聖人の術を受け、名は孔子の門に列し有り、皆諸侯卿相の才なり【注音:「相」は去声と読む】、南面すべきは数人有り【〈雑言〉に曰く: 楚昭王は孔子を召し、将に政を執らしめて書社七百里を以て封ぜんとす。子西は楚王に謂いて曰く: 王の臣に用兵に子路の如き有らんか。諸侯に使うに宰予の如き有らんか。五官を長ずるに子貢の如き有らんか。昔文王は酆に処り武王は鎬に処り、酆鎬の間は百乗の地、上を伐ち主を殺し、立ちて天子と為り、世は皆聖王と曰う。今孔子の賢を以てして書社七百里の地有り、而して三子は之を佐く、楚の利に非ず。楚王は遂に止む】。政事すべきは冉有・季路、言語は宰我・子貢。宰我は事を秉りて斉に寵有り、田常は難を作し【注音:「難」は去声と読む】、道は行われず、身は庭中に死し、簡公は檀台に殺さる【《淮南子・人間訓》に曰く: 諸御鞅は簡公に復して曰く: 陳成常・宰予の二子は、二子は甚だ相い憎む、臣は其の難を構えて国を危うくせんことを恐る、君は一人を去るに如かず。簡公は聴かず。居ること幾何無く(底本は「无防」と作る)、陳成常は果たして宰予を庭中に攻めて簡公を朝に弑す。此れ小を敬することを知らざるの生ずる所なり。〈指武篇〉に曰く: 田成子常は宰我と争う。宰我は夜に卒を伏せて将に田成子を攻めんとし、卒中に令して曰く: 旌節を見ざれば起つ毋れ。鴟夷子皮は之を聞き(底本は「防夷」と作る)、田成子に告ぐ。田成子は因りて旌節を為して以て宰我の卒を起して以て之を攻め、遂に之を残す】。子路は衛に仕え、孔悝は乱を作し【注音:「悝」は恢と同じ】、能く君を救い出亡せしめず、身は衛に菹さる。子貢・子皐は遁逃し、能く其の難に死せず【注音:「難」は去声と読む】《檀弓》に曰く: 孔子は子路を中庭に哭く、人の弔う者有りて夫子は之を拝す。既に哭し、使者を進めて故を問う。使者が曰く: 醢せり。遂に醢を覆さしむ。《荘子・盗跖》に曰く: 子は甘言を以て子路に説きて之を従わしむ(底本この字は生僻字で転写後に失われた)、子路をして其の危冠を去り其の長剣を解きて子の教を受けしむ、天下は皆孔丘は能く暴を止め非を禁ずと曰う。其の卒るや、子路は衛君を殺さんと欲して事は成らず、是れ子の之を教うるの至らざるなり。〈至公篇〉に曰く: 子羔は衛政と為り、人の足を刖す。衛の君臣は乱れ、子羔は郭門に走る、郭門は閉づ、刖せられし者は門を守り、曰く: 彼に缺有り。子羔が曰く: 君子は逾えず。曰く: 彼に竇有り。子羔が曰く: 君子は遂げず。曰く: 此に室有り。子羔は入り、追う者は罷む。子羔は将に去らんとし、刖せられし者に謂いて曰く: 吾は能く主の法令を虧損せずして親しく子の足を刖したり、吾は難の中に在り、此れ乃ち子の怨を報ゆるの時、何故に我を逃がす。刖せられし者が曰く: 足を刖せらるは(底本は「防」と作る)固より我が罪、奈何する可からず。君の臣を治むるや、法令を傾側して先後するに臣を以てし、臣の法を免れんことを欲す、臣は之を知る。獄は決り罪は定まり、当たりて刑を論ずるに臨み、君は愀然として楽しまざるを顔色に見る、臣も又た之を知る。君は豈に臣に私せんや。天の生む仁人の心は其れ固より然り。此れ臣の君を脱がす所以なり。孔子は之を聞きて曰く: 善く吏と為るは徳を樹え、善く吏と為らざるは怨を樹う。公の之を行えるは、其れ子羔の謂か】。人の重禄を食みて能く更せず、人の尊官に処りて能く存せず、何ぞ其の己に厚くして君に薄きや、而して(底本は「防」と作る)門を同じくし業を共にし、自ら以て古今の義を知り君臣の礼を明らかにすと為すも、或いは死し或いは亡び、二三子は路を殊にす、何ぞ道の悖るや。

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