盐铁论 · 第5巻
惟始元六年有詔書使丞相【去聲】御史與所舉賢良文學語問民間所疾苦【漢書食貨志曰昭帝即位六年詔郡國舉賢良文學之士問以民所疾苦教化之要車千秋傳曰武帝疾立皇子鉤弋夫人男為太子拜大將軍霍光車騎將軍金日防禦史大夫桑羊及丞相千秋並受遺詔輔道少主武帝崩昭帝初即位未任聼政政事壹決大將軍光千秋居丞相位謹厚有重徳始元六年昭帝詔郡國舉賢良文學之士問以民所疾苦於是鹽鐵之議起焉】
始元六年、詔書があって丞相【注音:「相」は去声】・御史と、挙げられた賢良文学とを談話させ、民間の疾苦するところを問いました。【《漢書・食貨志》に言います:昭帝が即位して六年、詔で郡国に賢良文学の士を挙げさせ、民間の疾苦と教化の要領を問いました。《車千秋伝》に言います:武帝が病重く、鉤弋夫人の生んだ男の子を太子に立て、大将軍霍光・車騎将軍金日䃅・御史大夫桑弘羊(底本の「弘」字は生僻字で転写後に欠落)および丞相千秋を拝し、ともに遺詔を受けて少主を輔佐させました。武帝が崩じ、昭帝が初めて即位してまだ政を聴くことができず、政事はいっさい大将軍霍光が決断しました。千秋は丞相の位に居り、謹厚で重徳がありました。始元六年、昭帝は詔で郡国に賢良文学の士を挙げさせ、民間の疾苦を問いました。ここに鹽鐵の議が興りました。】
文學對曰竊聞治人之道坊【古防字】淫佚【音逸】之原廣道徳之端抑末利而開仁義毋【音無】示以利然後教化可興而風俗可移也今郡國有鹽鐡酒【音較】均輸與民爭利【食貨志曰大農上鹽鐵丞孔僅咸陽言山海天地之崴也皆宜屬少府陛下不私以屬大農佐賦願募民自給費因官器作煮鹽官與牢盆浮食竒名欲擅管山海之貨以致富羨役利細民其沮事之議不可勝聼敢私鑄鐵器煮鹽者鈇左趾沒入其器物郡不出鐵者置小鐵官便屬在所縣使孔僅東郭咸陽乗傳舉行天下鹽鐵作官府除故鹽鐵家富者為吏武帝紀曰天漢三年春二月初酒酤是時桑羊為大司農蓋其所建也應劭曰縣官自酤賣酒小民不得復酤也韋昭曰謂禁民酤釀獨官開置如道路設木為獨取利也爾雅謂之石槓今之畧彴是也禁閉其事揔利入官而下無由以得有若渡水之因立名焉史記平凖書曰元封元年桑羊為治粟都尉領大農代孔僅筦天下鹽鐵羊以諸官各自市相與爭物故騰躍而天下賦輸或不償其僦費乃請置大農部丞數十人分部主郡國各徃徃縣置均輸令逺方各以其物貴時商賈所轉販者為賦而相輸置平凖於京師都受天下委輸各工官治車諸器皆仰給大農大農之諸官盡籠天下之貨物貴即賣之賤則買之如此富商大賈無所牟大利則反本而萬物不得騰踴故抑天下物名曰平凖天子以為然許之於是天子北至朔方東到太山廵海上並北邊以歸所過賞賜用帛百餘萬匹錢金以鉅萬計皆取足大農】散敦厚之樸成貪鄙之化是以百姓就本者寡趨末者眾夫【音扶】文繁則質衰末盛則本虧末修則民淫本修則民慤【音卻善也誠也】民慤則財用足民侈則飢寒生願罷鹽鐡酒【音較】均輸所以進本退末廣利農業便也
文学の士が答えて言います:私が聞くには、人を治める道は、淫佚【注音:「佚」は逸に同じ】の源を塞ぎ【「坊」は古「防」字】、道徳の端緒を広め、末業の利を抑えて仁義を開き、利を人に示してはならない【注音:「毋」は无に同じ】、そうしてはじめて教化が興り風俗を移すことができます。今、郡国に鹽鐵・酒榷【注音:底本ではこの字は生僻字で転写後に欠落、音は較、すなわち酒専売の「榷」】・均輸があり、民と利を争っています【《食貨志》に言います:大農が鹽鐵丞孔僅・東郭咸陽の言を上げて曰く、山海は天地の宝蔵(底本は「崴」と作る。「蔵」の誤り)で、みな少府に属すべきですが、陛下は私有とせず、大農に属して賦税を助けさせました。願わくは百姓を募り自ら費用を供えさせ、官家の器具をもって鹽を煮らせ、官家が牢盆を給すべしと。あの浮食の奇民は山海の貨を擅りにして富を致ろうとし、細民を役使して利を取ります。これを沮む議論は聞いても尽きません。敢えて私に鐵器を鋳造し鹽を煮る者は、左趾を鉗し器物を没収します。鐵を出さない郡には小鐵官を置き、その属する県に属させます。孔僅・東郭咸陽を駅伝の車に乗せて天下の鹽鐵を巡行させ、官府を立て、旧来の鹽鐵家の富裕な者を吏に任じました。《武帝紀》に言います:天漢三年春二月、始めて酒を榷酤しました。この時桑弘羊は大司農であり、おそらく彼の建議です。応劭が言います:県官が自ら酒を売って専売し、小民は再び酒を売ることができません。韋昭が言います:榷は百姓の醸売を禁じ、官家のみに開かせるもので、道に木を設けて榷となし独り利を取るようなものです。《爾雅》では石杠と言い、今の略彴です。その事を禁閉して利をことごとく官に収め、下は得るところがなく、水を渡る榷のようであるため、この名を立てました。《史記・平準書》に言います:元封元年、桑弘羊は治粟都尉となり、大農を兼ね領し、孔僅に代わって天下の鹽鐵を掌りました。弘羊は、諸官が各自物を買い互いに争うため物価が騰踊し、天下の賦輸は運賃に足りないものさえあるとして、大農部丞数十人を置き、分部して郡国を主らせ、各県には往々均輸令を置き、遠方はそれぞれ商人が転販して時価の貴い物を賦として互いに灌輸し(底本ではこの字は生僻字で転写後に欠落)、京師には平準を置いて天下の委輸を総受させました。諸工官の車輌器具の修造はみな大農に仰ぎました。大農の諸官は天下の貨物を尽く収攏し、貴ければ売り賤しければ買いました。こうして富商大賈は大利を牟るところなく本業に反り、万物は騰踊しませんでした。天下の物価を抑えるので、名を平準といいました。天子は然りとして許しました。ここに天子は北は朔方、東は太山に至り、海上を巡り、北辺に沿って帰り、過るところで賞賜に帛百余万匹・銭金巨万を計るも、みな大農から取って足しました。】敦厚の朴を離散し、貪鄙の風化を養いました。ですから百姓が本業に帰する者は少なく、末業に赴く者は多いのです。句首の夫【注音:「夫」は扶に同じ】:文采が盛んなれば質地は衰え、末業が盛んなれば本業は虧け、末業が修まれば民は淫侈し、本業が修まれば民は愨厚になります【注音:「愨」は却に同じ。「愨」は善であり誠である】。民が愨厚なれば財用は足り、民が奢侈なれば飢寒が生じます。願わくは鹽鐵・酒榷【注音:「榷」は較に同じ】・均輸を罷め、本を進め末を退けて農業の利を広め、これを便当とすべきです。
大夫曰匈奴背叛不臣數【音朔頻也】為於邊鄙【匈奴傳曰匈奴其先祖夏后氏之苗裔也曰淳維樂彥括地譜雲夏桀無道湯放之鳴條三年而死其子獯鬻妻桀之眾妾避居北野隨畜移徙中國謂之匈奴晉灼雲殷時曰獯鬻周曰玁狁秦曰匈奴匈奴傳又曰元朔二年夏匈奴數萬騎入殺代郡太守恭及畧千餘人其秋匈奴又入鴈門殺畧千餘人其明年匈奴又復入代郡定襄上郡各三萬騎殺畧數千人匈奴右賢王怨漢奪之河南地而築朔方數為冦盜邊及入河南侵擾朔方殺畧吏民甚眾】備之則勞中國之士不備則侵盜不止先帝哀邊人之久患苦為虜所繫獲也故修障【音瘴】塞【音賽】飭烽燧屯戍【音絮】以備之【先帝漢武帝也漢大行王恢曰今匈奴縱意日久矣侵盜無已係虜人民戍卒死傷中國道路櫘車相望此仁人之所哀也障保障也謂塞上要險處築城以為蔽障也塞邊塞也烽表也燧塞上亭守烽火者文頴曰邊方避冦作高土櫓櫓上作桔臯桔臯頭兠零以薪草置其中常低之有冦即火燃舉之以相告曰烽又多積薪冦至則即燃之望其煙曰燧顔師古曰晝則燔燧夜則舉烽戍守邊也從人持戈為意】邊用度不足故興鹽鐵設酒【音較】置均輸蕃貨長【音掌】財以佐助邊費今議者欲罷之內空府庫之藏外乏執備之用使備塞【音賽】乗城之士【乗城謂登城而守之也】飢寒於邊將何以澹【古贍字】之罷之不便也
御史大夫(桑弘羊)が言います:匈奴は背叛して臣服せず、しきりに【注音:「数」は朔に同じ、しきりにという意】辺鄙で寇をなし(底本ではこの字は生僻字で転写後に欠落)【《匈奴伝》に言います:匈奴の先祖は夏后氏の苗裔で、名を淳維といいます。楽彦の《括地譜》に言います:夏桀は無道で、湯は彼を鳴条に放逐し、三年にして死に、その子の獯鬻は桀の衆妾を娶り、北野に避居して畜牧に随い移徙し、中国はこれを匈奴と称しました。晋灼が言います:殷の時は獯鬻、周の時は猃狁、秦の時は匈奴といいました。《匈奴伝》はまた言います:元朔二年夏、匈奴数万騎が入り込み、代郡太守恭を殺し、千余人を虜掠しました。その年秋、匈奴はまた雁門に入り、千余人を殺掠し、翌年匈奴はまた再び代郡・定襄・上郡に入り、各三万騎で数千人を殺掠しました。匈奴の右賢王は漢が河南地を奪って朔方を築いたことを恨み、しきりに辺境を寇盗し、河南に入って朔方を侵し、吏民を殺掠することが多かったのです。】備えれば中国の士が労頓し、備えなければ侵盗は止みません。先帝は辺人の久しく害を受け、虜に係獲されるのを哀れみ、障【注音:「障」は瘴に同じ】塞【注音:「塞」は賽に同じ】を修め、烽燧を整治し、屯戍【注音:「戍」は絮に同じ】して備えさせました【先帝とは漢武帝です。漢の大行王恢が言います:今、匈奴は意を放縦して久しく、侵盗は止まず、人民を係虜し、戍卒は死傷し、中国の道路には棺を載せる車が相見ゆる。これは仁人の哀れむところです。「障」は保障で、塞上の険要に城を築いて蔽障とすることをいいます。「塞」は辺塞です。烽は表号(底本ではこの字は生僻字で転写後に欠落)、燧は塞上で烽火を守る亭です。文穎が言います:辺方は寇を避けるため、高い土櫓を作り、櫓の上に桔槔を作り、桔槔の頭に兜零で薪草を盛り、常に低く置き、寇があれば火を点して挙げて相告げ、これを烽といい、また薪を多く積み、寇が至れば点し、その煙を望見するものを燧といいます。顔師古が言います:昼は燧を燔し、夜は烽を挙げます。「戍」は辺を守ることで、人が戈を持つ意から取ります。】辺用が足りないので、鹽鐵を興し、酒榷【注音:「榷」は較に同じ】を設け、均輸を置き、貨物を蕃殖し財用を増長【注音:「長」は掌に同じ】させて辺費を助けました。今、議論する者はこれを不便とします。
文學曰孔子曰有國有家者不患寡而患不均不患貧而患不安故天子不言多少諸侯不言利害大夫不言得喪【去聲】畜仁義以風之廣徳行【去聲】以懷之【韓嬰曰天子不言多少諸侯不言利害大夫不言得防士不言通財貨不賈於道故駟馬之家不恃雞豚之息伐氷之家不圖牛羊之入千乗之君不通貨財冡郷不修幣大夫不為場圃委積之臣不貪市井之利是以貧窮有所歡而孤寡有所措其手足也詩曰彼有遺秉此有滯穗伊寡婦之利】是以近者親附而逺者説【音悅】服故善克者不戰善戰者不師善師者不陳【古陣字穀梁傳曰善為國者不師善師者不陳善陳者不戰善戰者不死善死者不亡班固曰齊之技擊不可以遇魏之武卒魏之武卒不可以直秦之鋭士秦之鋭士不可以當桓文之節制桓文之節制不可以敵湯武之仁義故曰善師者不陳善陳者不戰善戰者不敗善敗者不亡若夫舜修百僚咎繇作士命以蠻夷猾夏冦賊奸軌而刑無所用所謂善師不陳者也湯武征伐陳師誓眾而放禽桀紂所謂善陳不戰者也齊桓南服強楚使貢周室北伐山戎為燕開路存亡繼絶功為伯首所謂善戰不敗者也楚昭王遭闔廬之禍國滅出亡父老送之王曰父老反矣何患無君父老曰有君如是其賢也相與從之或奔走赴秦號哭請救秦人憐之為之出兵昭王返國所謂善敗不亡者也】修之於廟堂而折沖還【音旋】師王者行仁政無敵於天下惡【音烏】用費哉
文学が言います:孔子が言いました:「国ある者家ある者は、寡なきを患えず均しからざるを患え、貧しきを患えず安ならざるを患う。」ですから天子は多少を談ぜず、諸侯は利害を談ぜず、大夫は得喪【注音:「喪」は去声】を談ぜず、仁義を蓄積して彼らを風化し、徳行【注音:「行」は去声】を推广して彼らを懐来させます【韓嬰が言います:天子は多少を談ぜず、諸侯は利害を談ぜず、大夫は得失を談ぜず(底本は「得防」と作る。「防」は「喪」の誤り)、士は財貨を流通せず道路で売買をなさず。ですから駟馬の家は鶏豚の利息を頼まず、伐氷の家は牛羊の収入を謀らず、千乗の君は貨財を流通せず、冢卿は貨幣を修めず、大夫は場圃をなさず、委積の臣は市井の利を貪りません。ですから貧窮の人には歓ぶところがあり、孤寡には手足を置くところがあります。《詩経》に言います:「彼処に遺秉あり、此処に滞穂あり、これ寡婦の利なり。」】ですから近き者は親附し、遠き者は悦【注音:「説」は悦に同じ】服します。ですから敵に克つを善くする者は戦わず、戦うを善くする者は師旅を用いず、師を用いるを善くする者は陣を布きません【「陳」は古「陣」字。《穀梁伝》に言います:国を治めるを善くする者は師を用いず、師を用いるを善くする者は陣を布かず、陣を布くを善くする者は戦わず、戦うを善くする者は死せず、死するを善くする者は亡びず。班固が言います:斉の技撃は魏の武卒に遇うべからず、魏の武卒は秦の鋭士に当たるべからず、秦の鋭士は斉桓・晋文の節制に当たるべからず、桓文の節制は湯武の仁義に敵すべからず。故に曰く、師を用いるを善くする者は陣を布かず、陣を布くを善くする者は戦わず、戦うを善くする者は敗れず、敗れるを善くする者は亡びず。舜が百官を整飭し、皋陶が士となり、蛮夷の華夏を乱り寇賊奸軌に命じさせ、刑は用うるところなし。これをいわゆる師を用いるを善くして陣を布かざるなり。湯武の征伐は、師を陳し衆に誓いて桀紂を放逐擒獲せり。これをいわゆる陣を布くを善くして交戦せざるなり。斉桓公は南に強楚を服して周室に貢がせ、北は山戎を伐って燕のために道を開き、存亡継絶して功は霸首となれり。これをいわゆる戦うを善くして敗れざるなり。楚昭王は闔廬の禍に遭い、国滅んで出亡せり。父老がこれを送れば、王が曰く:「父老は帰れ、何ぞ君なきを患えんや。」父老は泣きて従い、終に秦の助けを得て復国せり。これをいわゆる敗れるを善くして亡びざるなり。】
大夫曰匈奴桀黠【音舝諡法雲賊人多殺曰桀古人謂桀黠者謂其兇若桀也】擅恣入塞【音賽】犯厲中國殺伐郡縣朔方都尉甚悖不軌【法也】宜誅討之日久矣陛下垂大惠哀元元之未澹【古贍字蔡邕獨斷曰漢天子正號曰皇帝自稱曰朕臣民稱之曰陛下陛階也所由升堂也天子必有近臣執兵陳於陛側以戒不虞謂之陛下者群臣與天子言不敢指斥天子故呼在陛下者而告之因卑逹尊之意也上書亦如之及群臣士庻相與言曰殿下閤下執事之屬皆此類也元元庻民也】不忍士大夫於原野縱然被【音披】堅執鋭有北面復匈奴之志又欲罷鹽鐵均輸憂邊用損武畧無憂邊之心於其義未便也
大夫が言います:匈奴は桀黠【注音:「黠」は舝に同じ。《諡法》に言います:人を多く殺す賊を桀という。古人が桀黠というのは、その凶寇(底本ではこの字は生僻字で転写後に欠落)が夏桀のようであることをいう。】にして擅りに放縦し、辺塞【注音:「塞」は賽に同じ】に攻め入り、中国を侵犯し、郡県・朔方都尉を殺伐し、甚だ悖乱して法度を守らず【「軌」はすなわち法度】、誅討すべきこと久しいです。陛下は大恵を垂れ、百姓の未だ贍足せざるを哀れみ【「澹」は古「贍」字。《蔡邕・独断》に言います:漢天子の正号は皇帝といい、自らは朕と称し、臣民は彼を陛下と称す。「陛」は階で、堂に登る経由するところ。天子は必ず近臣が兵器を執り陛側に陳して不測に備える。「陛下」と称するは、群臣が天子と語るに敢えて天子を直指せず、故に陛下に在る者を呼んで告げるので、卑より尊に達する意。上書もまたしかり。群臣士庶が相いに殿下・閣下・執事と称する類は、みなこの類。「元元」はすなわち庶民。】士大夫が原野で寇害を受けるに忍びず(底本ではこの字は生僻字で転写後に欠落)、たとい堅甲を披【注音:「被」は披に同じ】き利刃を執り、北に向かって匈奴に報復する志があっても、また鹽鐵・均輸を罷めんとし、辺用を憂え武略を減損し、辺を憂うる心なく、義において便当ではありません。
文學曰古者貴以徳而賤用兵【祭公謀父曰先王耀徳不觀兵是故周文公之頌曰載戢干戈載櫜弓矢我求懿徳肆於時夏允王保之先王之於民也茂正其徳而厚其性阜其財而利其器用明利害之鄉以文修之使之務利而闢害懷徳而畏威故能保世以滋大兵畧訓曰湯之七十里而王者修徳也智伯有千里之地而亡者窮武也故千里之國行文徳者王萬乗之國好用兵者亡】孔子曰逺人不服則修文徳以來之旣來之則安之今廢道徳而任兵革興師而伐之屯戍【音絮】而備之暴兵露師以支久長轉輸糧食無已使邊境之士飢寒於外百姓勞苦於內立鹽鐵始張利官以給之非長防也故以罷之為便也
文学が言います:古は徳を用いるを重くし兵を用いるを軽くしました【祭公謀父が言います:先王は徳を耀かして兵を展示せず。故に周文公の頌に曰く:「干戈を載戢し、弓矢を櫜まる。我は懿徳を求め、肆于時夏、王は允にこれを保たん。」先王の民に対するや、勉めてその徳を正しくしてその性を厚くし、その財を豊かにしてその器用を利し、利害の郷を明かにし、文をもって之を修め、利に趨り害を避け徳を懐き威を畏れしめ、故に世を保ちて滋大なり。《淮南子・兵略訓》に言います:湯は七十里をもって王たりしは徳を修めたれば、智伯は千里の地を有して亡びしは兵を窮めたればなり。故に千里の国は文徳を行えば王となり、万乗の国は兵を好めば亡ぶ。】孔子が言います:「遠人服せざれば、文徳を修めて以来す。既に来たれば、之を安んず。」今、道徳を廃して兵革を任じ、師を興して討伐に行き、屯戍【注音:「戍」は絮に同じ】して備え、軍を外に暴いて久しく支え、転運糧食は終わりなく、辺境の士は外に飢寒し、百姓は内に労苦し、鹽鐵を立て利官を張設して供給するは、長久之策にあらず(底本は「長防」と作る。「防」は「策」の誤り)。故に罷むるをもって便当とします。
大夫曰古之立國家者開本末之途通有無之用市朝以一其求致士民聚萬貨農商工師各得所欲交易而退易曰通其變使民不倦【食貨志曰自神農之世斵木為耜揉木為耒耒耜之利以教天下而食足日中為市致天下之民聚天下之貨交易而退各得其所而貨通食足貨通然後國實民富而教化成黃帝以下通其變使民不倦李奇曰器幣有不便於時則變更通利之使民樂其業而不倦也】故工不出則農用乖商不出則寳貨絶農不出則谷不殖寳貨絶則財用匱【呂氏春秋曰農攻粟工攻器賈攻貨時事不共是謂大凶周書曰農不出則乏其食工不出則乏其事商不出則三寳絕虞不出則財匱少財匱少而山澤不闢矣此四者民所衣食之原也原大則饒原小則鮮上則富國下則富家】故鹽鐡均輸所以通委財而調緩急罷之不便也
大夫が言います:古に国家を立てる者は、本末の途を通開し、有無の用を溝通し、市朝をもって求を一にし、士民を招致し、万貨を聚集し、農・商・工・師は各その欲するを得て、交易が終われば退きました。《周易》に言います:「その変を通じて、民を倦ませしめず。」【《食貨志》に言います:神農の世より、木を斵って耜と為し、木を揉んで耒と為し、耒耜の利をもって天下に教えて食足れり。日の中に市を為し、天下の民を致し、天下の貨を聚め、交易して退きて各その所を得て貨通ず。食足り貨通じて、然る後に国実り民富みて教化成る。黄帝以下その変を通じて民を倦ませしめず。李奇が言います:器幣に時に便ならざるあれば、変易流通して便利とし、民にその業を楽しませて倦ませしめず。】ですから工が出なければ農用は乖乱し、商が出なければ宝貨は断絶し、農が出なければ穀は繁殖せず、宝貨が断絶すれば財用は匱乏します【《呂氏春秋》に言います:農は粟を攻め、工は器を攻め、賈は貨を攻め、時事ともにせざれば、之を大凶という。《周書》に言います:農出ずれば食を缺き、工出ずれば事を缺き、商出ずれば三宝絶え、虞出ずれば財匱少し。財匱少して山沢は闢かれず。この四者は民の衣食の本原。原大なれば饒く、原小なれば少なく、上は国を富まし、下は家を富ます。】ですから鹽鐵・均輸は積滞の財貨を流通し、緩急を調節するもので、罷むれば便当ではありません。
文學曰夫道民以徳則民歸厚示民以利則民俗薄俗薄則背義而趨利趨利則百姓交於道而接於市老子曰貧國若有餘非多財也嗜慾眾而民躁也【釋名曰躁燥也如物燥則飛揚賈逵曰躁擾也淮南齊俗訓曰亂國若盛治國若虛亡國若不足存國若有餘虛者非無人也皆守其職也盛者非多人也皆徼於末也有餘者非多財也欲節事寡也不足者非無貨也民躁而費多也】是以王者崇本退末以禮義坊【古防字】民欲實菽粟貨財市商不通無用之物工不作無用之器故商所以通鬱滯工所以備器械非治國之本務也
文学が言います:徳をもって民を導けば民は厚きに帰り、利を民に示せば民俗は薄くなります。俗が薄ければ義に背いて利に趨り、利に趨れば百姓は道路で交接し市で接洽します。老子が言います:「貧国は余あるがごとし。財多きにあらず、嗜欲多くして民躁なり。」【《釈名》に言います:躁はすなわち燥、物燥せば飛揚するがごとし。賈逵が言います:躁は擾なり。《淮南子・斉俗訓》に言います:乱国は盛なるがごとく、治国は虚なるがごとく、亡国は足らざるがごとく、存国は余あるがごとし。虚は人なきにあらず、皆その職を守るなり。盛は人多きにあらず、皆末業に求むるなり。余は財多きにあらず、欲して節あり事少なきなり。足らざるは貨なきにあらず、民躁くして費やすこと多ければなり。】ですから王者は本業を崇め末業を退减し、礼義をもって民の欲を防止【「坊」は古「防」字】し、菽粟貨財を充実させます。市商は无用の物を流通させず、工は无用の器具を作りません。商は郁滞を流通する所以のもの、工は器械を備える所以のもので、ともに治国の本務ではありません。
大夫曰管子云國有沃野之饒而民不足於食者器械不備也有山海之貨而民不足於財者商工不備也隴蜀之丹漆旄羽荊之皮革骨象江南之柟【音南】梓竹箭燕齊之魚鹽旃裘兗豫之漆絲絺紵養生送死之具也待商而通待工而成【貨殖傳曰夫山西饒材竹谷纑旄玉石山東多魚鹽漆絲聲色江南出柟梓薑桂金錫連丹沙犀瑇瑁珠璣齒革龍門碣石北多馬牛羊旃裘筋角銅鐡則千里徃徃山出綦置皆中國人民所喜好謡俗被服飲食奉生送死之具也故待農而食之虞而出之工而成之商而通之此寕有政教發徴期會哉人各任其能竭其力以得所欲故物賤之徴貴貴之徵賤各勸其業樂其事若水之趨下日夜無休時不召而自來不求而民出之豈非道之所符而自然之驗耶】故聖人作為舟楫以通川穀服牛駕馬以達陵陸致逺窮深所以交庻物而便百姓【易曰黃帝堯舜垂衣裳而天下治蓋取諸乾坤刳木為舟剡木為楫舟楫之利以濟不通蓋取諸渙服牛乗馬引重致逺以利天下蓋取諸隨】是以先帝建鐵官以澹【古瞻字】農用開均輸以足民財鹽鐡均輸萬民所戴仰而取給者罷之不便也
大夫が言います:管子が言います:「国に沃野の饒足あれど民の食足らざるは、器械の備わらざるなり。山海の貨あれど民の財用足らざるは、商工の備わらざるなり。」隴蜀の丹砂・漆・旄・羽、荆揚(底本ではこの字は生僻字で転写後に欠落、すなわち「揚」)の皮革・骨・象牙、江南の柟【注音:「柟」は南に同じ】・梓・竹・箭、燕斉の魚・鹽・旃裘、兗豫の漆・糸・𫄨・紵は、みな養生送死の具で、商を待って流通し、工を待って成ります【《貨殖伝》に言います:山西は材・竹・穀・纑・旄・玉石に饒く、山東は魚・鹽・漆・糸・声色に多く、江南は楠梓・姜桂・金錫・連・丹沙・犀・玳瑁・珠璣・歯革を出し、龍門・碣石以北は馬牛羊・旃裘・筋角に多く、銅鐵は千里の間往々山に出て棊布せり。みな中国人民の好むところ、謡俗・被服・飲食・奉生送死の具なり。故に農を待って食を之にし、虞を待って之を出し、工を待って之を成し、商を待って之を通ず。これに政教の徴発・期会があろうか。人は各その能するを発し、力を竭くしてその欲するを得、故に物賤しきは貴きの徴、物貴きは賤しきの徴にして、各その業を勧めその事を楽しみ、水の下に流れるがごとく、日夜休時なく、召さざれど自ら来たり、求めざれど民之を出す。豈に道に符い自然の験にあらざらんか。】ですから聖人は舟楫を制して山谷の水路を通じ、牛に駕し馬に騎して丘陵の陸地に至り、遠方を招致し深いところを窮め、衆物を交接して百姓を利しました【《周易》に言います:黄帝尭舜は衣裳を垂れて天下治めり、乾坤に取る。木を刳りて舟と為し、木を剡りて楫と為し、舟楫の利をもって通って通ぜざるを済り、渙に取る。牛に服し馬に乗じ、重を引き遠く致して天下を利し、随に取る。】ですから先帝は鐵官を建てて農用を贍足し【「澹」は古「贍」字(底本の注は「瞻」と作る。「贍」に当たる)】、均輸を開いて民財を充足させました。鹽鐵・均輸は万民の仰頼して取給するところで、罷むれば便当ではありません。
文學曰國有沃野之饒而民不足於食者工商盛而本業荒也有山海之貨而民不足於財者不務民用而淫巧眾也【管子曰國有十年之畜而民不足於食是皆以其技能望君之祿也君有山海之金而民不足於用是皆以其事業交接於其上也】故川源不能實漏巵山海不能澹【古贍字】溪壑【汜論曰水足以溢壺榼江河不能實漏巵王符曰山林不能給野火江海不能實漏巵】是以盤庚萃居舜藏黃金【殷紀曰帝盤庚之時殷已都河北盤庚渡河南復居成湯之故居乃五遷無定處殷民諮胥皆怨不欲徙盤庚乃告諭諸侯大臣曰昔髙後成湯與爾之先祖俱定天下法則可修舍而弗勉何以成徳乃遂渉河南治亳行湯之政然後百姓由寧殷道復興諸侯來朝以其遵成湯之徳也泰族訓曰夫水出於山而入於海稼生於田而藏於倉聖人見其所生則知其所歸矣故舜深藏黃金於蔪巖之山所以塞貪鄙之心也】高帝禁商賈【音古】不得仕宦所以遏貪鄙之俗而醇至誠之風也【食貨志曰秦兼天下幣為二等黃金以鎰為名上幣銅錢質如周錢文曰半兩重如其文而珠玉貝銀錫之屬為器飾寳藏不為幣然各隨時而輕重漢興以為秦錢重難用更令民鑄防錢黃金一斤而不軌逐利之民畜積餘贏以稽市物痛騰躍米至石萬錢馬至四百金天下已平高祖乃令賈人不得衣絲乗車重稅租以困辱之孝惠高後時為天下初定復弛商賈之律然市井子孫亦不得官為吏顔師古曰欲令務農也】排困市井【排斥也】坊【古防字】塞利門而民猶為非也況上之為利乎傳【去聲】曰諸侯好【去聲】利則大夫鄙大夫鄙則士貪士貪則庻人盜【劉向曰周天子使家父毛伯求金於諸侯春秋譏之故天子好利則諸侯貪諸侯貪則大夫鄙大夫鄙則庻人盜上之變下猶風之靡草也故為人君者明貴徳而賤利以道下下之為惡尚不可止今隱公貪利而身自漁濟上而行八佾以此化於國人國人安得不解於義解於義而縱其欲則災害起而臣下僻矣故其元年始書言災害將起國家將亂云爾司馬遷曰餘讀孟子書至梁惠王問何以利吾國未嘗不廢書而嘆也曰嗟乎利誠亂之始也夫子罕言利者常防其原也故曰放於利而行多怨自天子至於庶人好利之何以異哉】是開利孔為民罪梯者也【管子曰利出於一孔者其國無敵出二孔者其兵不詘出三孔者不可以舉兵出四孔者其國必亡先王知其然故塞民之養隘其利途故予之在君介之在君貧之在君富之在君故民之戴上如日月親君若父母梯階也詩曰無拳無勇職為亂階】
文学が言います:国に沃野の饒足あれど民の食足らざるは、工商が盛んで本業が荒廃するからです。山海の貨あれど民の財用足らざるは、民用に務めず淫巧が多いからです【管子が言います:国に十年の積蓄あれど民の食足らざるは、みな技能を凭に君の禄を望むなり。君に山海の金銭あれど民の用足らざるは、みな事業を凭に上で交接するなり。】ですから河の流れ泉の源は漏卮を填めること能わず、山海も谿壑を贍足することができません【「澹」は古「贍」字。《淮南子・氾論》に言います:尺水(底本ではこの字は生僻字で転写後に欠落)も以て壺榼を溢せしむべきに、江河は漏卮を填める能わず。王符が言います:山林は野火を供給できず、江海は漏卮を填める能わず。】ですから盤庚は聚して陋く居り、舜は黄金を蔵しました【《殷本紀》に言います:帝盤庚の時、殷はすでに河北に都せり。盤庚は河南に渡り、復た成湯の故居に居り、ここに五遷して定処なし。殷民は皆怨嗟して徙ることを欲せず。盤庚は乃ち諸侯大臣に告諭して曰く:「昔高后成湯は爾の先祖と俱に天下を定め、法則修むべく用うべし。捨てて勉めざれば、何以て徳を成さん。」遂に河南に渡り亳を治め、湯の政令を行い、然る後百姓は由に寧まり、殷道復興し、諸侯来朝す。その成湯の徳に循ればなり。《淮南子・泰族訓》に言います:水は山に出て海に入り、稼は田に生じて倉に蔵る。聖人はその生ずるを見てその帰するを知る。故に舜は黄金を嶄巖の山に蔵し、以て貪鄙の心を塞ぎたり。】高帝は商賈【注音:「賈」は古に同じ】の官となることを禁じ、貪鄙の俗を遏止して至誠の風を淳厚としました【《食貨志》に言います:秦は天下を兼併し、貨幣を二等に分ち、黄金は鎰をもって名と為して上幣、銅銭は質は周銭のごとく文に半両と曰い、その文のごとき重さ。珠玉・亀貝(底本ではこの字は生僻字で転写後に欠落)・銀錫の属は器飾宝蔵と為り、貨幣と為らず、然れども各時に随い軽重す。漢興り、秦銭は重く用い難しと以なし、改めて民に莢銭(底本は「防銭」と作る。「莢銭」の誤り)を鋳せしめ、黄金は一斤を単位とす。軌ならず利を逐う民は余贏を積蓄して市物を屯積し、物騰踊するに痛加して、米は一石万銭、馬は百匹四百金に至りました。天下すでに平らぎ、高祖はすなわち商人に糸を衣し車に乗ることを禁じ、税租を重くして彼らを困辱させました。孝恵・高后の時、天下初めて定まるを以て、また商賈の律を弛めましたが、しかし市井の子孫も官となり吏となることを得ませんでした。顔師古が言います:彼らをして農に務めさせたかったのです。】市井を排斥して困らしめ【「排」はすなわち排斥】、利門を防【「坊」は古「防」字】塞しましたが、民はなお為すべからざるを為します。いわんや上自ら利を求むるをや。伝【注音:「伝」は去声】に言います:諸侯が利を好【注音:「好」は去声】めば大夫は鄙吝し、大夫が鄙吝すれば士は貪婪し、士が貪婪すれば庶人は盗竊します【劉向が言います:周天子は家父・毛伯を遣わして諸侯に金を求めさせ、《春秋》はこの事を譏りました。故に天子が利を好めば諸侯は貪り、諸侯が貪れば大夫は鄙し、大夫が鄙すれば庶人は盗みます。上が下を変えるは、風の草を偃するがごとし。故に人君たる者は、徳を重んじ利を軽んずるを顯明にして、以て下を導くべし。下の悪を為すことなお止むべからざるに、今隠公は利を貪って自ら濟水に魚を捕え、上では八佾を用い、以て国人を教化す。国人はどうして義に怠らざらんか。義に怠り欲を縦にすれば、災害興りて臣下は偏邪す。故に隱公元年に始めて螟蟲を記す(底本ではこの字は生僻字で転写後に欠落)は、災害まさに起こり国家まさに乱れんとすることを言うなり。司馬遷が言います:我《孟子》の書を読み、梁恵王の「何以て吾国を利せん」の問に至り、未だ書を置いて嘆息せざるなし。曰く、利は誠に乱の始めなり。夫子は利を言うこと尠きは、常にその源を防ぐなり。故に曰く、利に放して行わば怨多しと。天子より庶人に至るまで、利を好む弊(底本ではこの字は生僻字で転写後に欠落)に何の異ならんか。】これが利孔を開き、民に犯罪の階梯を為すものです【管子が言います:利の一孔に出るは、その国敵なし。二孔に出るは、その兵屈すべからず。三孔に出るは、兵を挙ぐべからず。四孔に出るは、その国必ず亡ぶ。先王は然るを知り、故に民の供養を塞ぎ利途を狭め、因而に与うるは君に在り、奪うは君に在り、貧にするは君に在り、富にするは君に在り。故に民は上を戴くこと日月のごとく、君を親しむこと父母のごとし。「梯」はすなわち階級。《詩経》に言います:「拳勇無きや、職れ乱の階なり。」】
大夫曰徃者郡國諸侯各以其物貢輸徃來煩雜物多苦惡或不償其費故郡置輸官以相給運而便逺方之貢故曰均輸開委府於京以籠貨物【籠包舉也】賤即買貴即賣是以縣官不失實【如淳曰縣官天子也張晏曰不敢斥言天子謂之縣官也】商賈【音古】無所牟利【如淳曰牟取也】故曰平凖平凖則民不失職均輸則民齊勞逸故平凖均輸所以平萬物而便百姓非開利孔為民罪梯者也
大夫が言います:従来、郡国の諸侯はそれぞれその土地の産物を貢輸しましたが、往来が煩雑で、物は多く粗悪で、費用に抵当しないものもありました。そこで各郡に輸官を設けて互いに供給・転運させ、遠方の貢賦を便利にしたので、均輸と言います。京師には委積の府を開いて貨物を収攏しました【「籠」はすなわち包挙・ことごとく収攏すること】、賤しければ買い貴ければ売りました。こうして天子【如淳が言います:県官とはすなわち天子。張晏が言います:敢えて天子を直斥せず、県官と称する。】は実利を失わず、商賈【注音:「賈」は古に同じ】は利を牟るところがありません【如淳が言います:「牟」はすなわち取】。これを平準と言います。平準があれば民は職事を失わず、均輸があれば民の労逸は斉一です。ですから平準・均輸は万物を平らげ百姓を便利にするもので、利孔を開き民に犯罪の階梯を為すものではありません。
文學曰古者之賦稅於民也因其所工不求所拙農人納其獲女紅【音工】効其力【食貨志曰古者民受田有賦有稅賦供車馬兵甲士徒之役充實府庫賜予之用稅給郊社宗廟百神之祀天子奉養百官祿食庶事之費周禮曰司稼掌廵邦野之稼而辨穜稑之種周知其民與其所宜地以為法而縣於邑閭廵野觀稼以年之上下出斂法掌均萬民之食而賙其急而平其興典婦功掌婦式之法以授嬪婦及內人女功之事齎凡授嬪婦功及秋獻功辨其苦良比其小大而賈之物書而揭之以供王及後之用頒之於內府】今釋其所有責其所無百姓賤賣貨物以便上求閒【音諫】者郡國或令【平聲使令也】民作布絮吏留難與之為市吏之所入非獨齊陶之縑蜀漢之布也亦民間之所為耳而行奸賣乎農民重【平聲】苦女紅【音工】再稅未見輸之均也縣官猥【音委】發闔門擅市則萬物並收萬物並收則物騰躍【司馬貞曰騰躍者謂物踴貴而價起有如物之騰躍而起也】騰躍則商賈【音古】侔利自市【行貨曰商坐販曰賈】侔利自市則吏容奸豪而富商積貨儲物以待其急輕賈【音古】奸吏收賤以取貴未見凖之平也蓋古之均輸所以齊勞逸而便貢輸非以為【去聲】利而賈【音古】萬物也
文学が言います:古代は民に賦税を徴するに、その能くする所に就いて、その拙い所を求めませんでした。農人は獲た所を納め、女紅【注音:「紅」は工に同じ】は気力を献じました【《食貨志》に言います:古は民に田を受け、賦あり税あり。賦は車馬兵甲士徒の役を給し、府庫賜与の用を充実す。税は郊社宗廟百神の祀・天子の奉養・百官の禄食・庶事の費を給す。《周礼》に言います:司稼は邦野の稼を巡視し、穜稑の種子を辨別し、その民と宜しき地を周知して、以て法則を為して邑閭に懸け、野を巡り稼を観て、年の上下により征收の法を制し、万民の食糧を均平することを掌り、急難を賙済し、興作を平均す。典婦功は婦式の法を掌り、嬪婦および内人の女功の事の材料を授け、およそ嬪婦の功を授くれば、秋に至り功を献じ、善悪を辨別し大小を比較してその価を估め、物に標籤を書して以て王および后の用に供し、内府に頒発す。】今はその有する所を舍ててその無き所を責求し、百姓は貨物を賤く売って上の征求に応じます。ある【注音:「閑」は諫に同じ】郡国はあるいは民に【注音:「令」は平声、使令の意】布絮を作らせることを命じ、官吏は留難して彼らと売買をなします。官吏の収める所は、斉陶の縑・蜀漢の布のみならず、また民間の作る所でありながら、奸巧を行って売らせます。農民は困苦を重ね【注音:「重」は平声】、女紅【注音:「紅」は工に同じ】は再び税を納め、均輸の均を見ません。天子が猥りに【注音:「猥」は委に同じ】発放し、関門が専ら買えば、万物は一時に収買されます。万物が一時に収買されれば物価は騰躍し【司馬貞が言います:騰躍とは物価が踊貴して価格が昇ることをいい、物が騰躍して起きるがごとし。】、騰躍すれば商賈【注音:「賈」は古に同じ】は利を牟り自ら売買し【貨を行うを商といい、坐して販売するを賈という】、利を牟り自ら売買すれば官吏は奸豪を容認し、富商は貨を積み物を儲えて民の急を待ちます。軽賈【注音:「賈」は古に同じ】奸吏は賤く買い貴く売り、平準の平を見ません。古代の均輸は、労逸を斉一にし貢輸を便利にするもので、利を求めて【注音:「為」は去声】万物を売買【注音:「賈」は古に同じ】するものではありません。
力耕第二
力耕第二
大夫曰王者塞天財禁關市執凖守時以輕重御民豐年嵗登則儲積以備乏絶凶年惡嵗則行幣物流有餘而調不足也昔禹水湯旱百姓匱乏或相假以接衣食禹以歷山之金湯以嚴山之銅鑄【音注】幣以贈其民而天下稱仁徃者財用不足戰士或不得祿而山東被災齊趙大飢【穀梁傳曰五穀不升為大飢】頼均輸之蓄倉廩之積戰士以奉饑民以賑故均輸之物府庫之財非所以賈【音古】萬民而専奉兵師之用亦所以賑睏乏而備水旱之災也
大夫が言います:王者は天地の財を塞ぎ、関市を禁閉し、平準を執持して時機を守り、軽重の術をもって民を駕御します。豊年には歳成に応じて儲積して匱乏断絶に備え、凶年悪歳には貨幣を発行し有余を流通させて不足を調剤します。昔、禹は水に遭い、湯は旱に遭い、百姓は匱乏し、あるいは互いに貸借して衣食を接続しました。禹は歴山の金をもって、湯は厳山の銅をもって貨幣を鋳造【注音:「鋳」は注に同じ】して民に贈り、天下は仁と称しました。従来、財用が足らず、戦士に禄を得られない者があり、山東が災害を被り、斉趙が大いに飢え【《穀梁伝》に言います:五穀成熟せざるを大飢という】ましたが、均輸の蓄積・倉廩の積儲に頼って、戦士は供養を得、飢民は賑済を得ました。ですから均輸の物・府庫の財は、万民に売買【注音:「賈」は古に同じ】して専ら軍隊の用に供するものではなく、また困乏を賑済し水旱の災に備えるものでもあるのです。
文學曰古者十一而稅澤梁以時入而無禁黎民鹹被南畆而不失其務【韓嬰曰王者之等賦正事田野什一關市譏而不徵山林澤梁以時入而不禁相地而正壤理道而致貢萬物群來無有流滯以相通移近者不隱其能逺者不疾其勞雖幽閒僻陋之國莫不趨使而安樂之夫是之謂王者之等賦正事詩曰敷政優優百祿是遒】故三年耕而餘一年之蓄九年耕有三年之蓄此禹湯所以備水旱而安百姓也【王制曰國無九年之蓄曰不足無六年之蓄曰急無三年之蓄曰國非其國也三年耕必有一年之食九年耕必有三年之食以三十年之通雖有兇旱水溢民無菜色然後天子食日舉以樂周書曰有十年之積者王有五年之積者霸無一年之積者亡主術訓曰夫天地之大計三年耕而餘一年之食率九年而有三年之蓄十八年而有六年之積二十七年而有九年之儲雖汵旱災害之殃民莫困窮流亡也故國無九年之儲謂之不足無六年之積謂之閏急無三年之蓄謂之窮乏故有仁君明王其取下有節自養有度則得承受於天地而不離飢寒之患矣若彼貪主君撓於其下侵漁其民以適無窮之慾則百姓無以被天和而履地徳矣】草萊不闢田疇不治雖擅山海之財通百味之利猶不能澹【古贍字】也是以古者尚力務本而種樹繁躬耕趣時而衣食足雖累凶年而人不病也【梁簡文帝曰九年之水不傷堯政七載之旱無累湯朝】故衣食者民之本稼穡者民之務也二者修則國富而民安也【晁錯曰聖王在上而民不凍飢者非能耕而食之織而衣之也為開其資財之道也民貧則奸邪生貧生於不足不足生於不農方今之務莫若使民務農而已矣】詩云百室盈止婦子寧止也
文学が言います:古は十に一を取って税とし、沢梁は季節により入りて禁令なく、黎民はみな南亩に覆われて本務を失いませんでした【韓嬰が言います:王者は賦税を均し事を正す。田野は十に一を取り、関市は稽查するのみで征せず、山林沢梁は季節により入りて禁せず、土地を相度して壤賦を正し、道路を料理して貢を致す。万物は群れて来たりて滞留なく、以て相通転移す。近き者は能するを蔵せず、遠き者は労苦を怨まず、幽閑僻陋の国と雖も趨使して安楽せざるなし。これを王者の等賦正事という。《詩経》に言います:「政を敷くこと優和なり、百禄是れ聚まる。」】ですから三年耕して一年の蓄積を余し、九年耕して三年の蓄積があります。これが禹湯の水旱に備え百姓を安んずる所以です【《王制》に言います:国に九年の蓄積なきを不足といい、六年の蓄積なきを急といい、三年の蓄積なきを国国にあらずという。三年耕して必ず一年の食あり、九年耕して必ず三年の食あり。三十年をもって通算すれば、凶旱水溢あれども民に菜色なし。然る後天子は日に食を挙げて楽を用う。《周書》に言います:十年の積蓄あるは王たり、五年の積蓄あるは覇たり、一年の積蓄なきは亡ぶ。《淮南子・主術訓》に言います:天地の大計は、三年耕して一年の食を余し、大抵九年にして三年の蓄あり、十八年にして六年の積あり、二十七年にして九年の儲あり。水旱災害あれども民は困窮流亡せず。故に国に九年の儲なきを不足といい、六年の積なきを困急といい、三年の蓄なきを窮乏という。仁君明王ありて、下より取るに節あり自ら養うに度あれば、天地を承えて飢寒の患を離れず。若しあの貪主寇君(底本ではこの字は生僻字で転写後に欠落)のごとき、下を困らしめその民を侵漁して窮なき欲を満たさば、百姓は天和を被り地徳を履むところなし。】草莱が闢かれず田疇が治まらなければ、山海の財を独り占めし百業の利を流通すと雖も、なお贍足【「澹」は古「贍」字】すること能わず。ですから古は気力を崇尚し本業に致力して種植繁多く、自ら耕して時に赶いて衣食充足し、凶年連なると雖も人は困病せず【梁簡文帝が言います:九年の水は尭の政を害せず、七年の旱は湯の朝を累わせず。】ですから衣食は民の本、稼穡は民の務です。二つを修めれば、国は富み民は安んじます【晁錯が言います:聖王が上に在りて民の凍飢せざるは、能く自ら耕して彼らに食を与え、織って彼らに衣を与えるにあらず、彼らのために資財の道を開くなり。民貧しければ姦邪生じ、貧は不足より生じ、不足は農に務めざるより生ず。当今の務は、民をして農に務めしむるより急なるはなし。】《詩経》に言います:「百室盈りて、婦子寧き。」
