盐铁论 · 第17巻
丞相【去聲】史曰晏子有言儒者華於言而寡於實繁於樂【音洛】而舒於民久防以害生厚葬以傷業禮煩而難行道迂而難遵稱徃古而言訾【音紫】當世賤所見而貴所聞比人本狂以已為拭此顔異所以誅黜而狄山死於匈奴也【平凖書曰初異為濟南亭長以防直稍遷至九卿上與張湯既造白鹿皮幣問異異曰今王侯朝賀以蒼璧直數千而其皮薦反四十萬本末不相稱天子不說張湯乂與異有郤及人有告異以他議事下張湯治異異與客語客語初令下有不便者異不應防反唇湯奏當九卿見令不便不入言而腹誹論死自是之後有腹誹之法以此而公卿大夫多諂防取容矣張湯傳曰匈奴來請和親群臣議上前博士狄山曰和親便上問其便山曰兵者防器未易數動髙帝欲伐匈奴大困平城乃遂結和親孝恵髙後時天下安樂及孝文帝欲事匈奴北邉蕭然苦兵矣孝景時吳楚七國反景帝往來東宮間寒心者數月吳楚已破竟景帝不言兵天下富實今自陛下舉兵擊匈奴中國以空虗邉民大困貧由此觀之不如和親上問湯湯曰此愚儒無知狄山曰臣固愚忠若御史大夫湯乃詐忠若湯之治淮南江都以深文痛詆諸侯別防肉使蕃臣不自安臣固知湯之為詐忠於是上作色曰吾使生居一郡能無使虜入盜乎曰不能曰居一縣對曰不能復曰居一障間山自度辯窮且下吏曰防於是上遣山乗鄣至月餘匈奴斬山頭而去自是以後群臣震慴】防其位而非其朝【音潮】生乎世而訕其上終以被戮而防其軀此獨誰為負其累而蒙其殃乎
丞相史が曰く【注音:「相」は去声と読む】: 晏子は言有りて曰く: 儒者は言に華にして実に寡く、楽に繁くして民に緩く【注音:「楽」は洛と同じ】、喪を久しくして以て生を害し(底本は「久防」と作る)、葬を厚くして以て業を傷り、礼は煩にして行い難く、道は迂にして遵い難く、往古を称えて当世を訾議し【注音:「訾」は紫と同じ】、見る所を賤みて聞く所を貴ぶ、別人を以て狂と看做し自己を以て拭と当たる。此れ即ち顔異の誅黜せられ、狄山の匈奴に死する所以の縁なり【《史記・平準書》に曰く: 初め顔異は済南亭長と為り、廉直を以て(底本は「以防直」と作る)漸々九卿に遷る。皇上は張湯と既に白鹿皮幣を造り、異に問う。異が曰く: 今王侯は朝賀するに蒼璧を用い、値は数千、而して其の皮薦は反りて四十万を要す、本末は相称せず。天子は悦ばず。張湯は又た異と隙有り。人の異を別の事に告ぐる有るに及び、事は張湯に下りて治む。異は客と語る、客は初令下るに不便有りと曰う、異は応えず、微かに唇を反す(底本は「防」と作る)。湯は奏して当たりて曰く: 九卿は令の不便を見て、入れて言わずして腹に誹る、死に論ず。此より以後に腹誹の法有り、此に因り公卿大夫は多く諂諛して(底本は「谄防」と作る)容を取る。《張湯伝》に曰く: 匈奴は来たりて和親を請う、群臣は皇上の前に議論す。博士狄山が曰く: 和親は便なり。上は其の便を問う。山が曰く: 兵は是れ凶器(底本は「防器」と作る)、未だ易く数動すべからず。高帝は匈奴を伐たんと欲し、平城に大いに困み、於是和親を結ぶ。孝恵・高后の時、天下は安楽す。孝文帝は匈奴に事えんと欲するに至り、北辺は蕭然として兵に苦しむ。孝景の時、呉楚七国は反し、景帝は東宮の間に往来し、心を寒くするは数月。呉楚は已に破られ、景帝は竟に兵を言わず、天下は富実す。今陛下より自りて兵を挙げて匈奴を撃つ、中国は空虚にして辺民は大いに困貧す。此より観るに、和親に如かず。上は湯に問う。湯が曰く: 此れ是れ愚儒は知無し。狄山が曰く: 臣は固より愚忠、御史大夫湯の如きは乃ち詐忠なり。湯の淮南・江都を治むるが如きは、深文を以て諸侯を痛詆し、骨肉を別疏し(底本「别防」の下一字は生僻字で転写後に失われた)、蕃臣をして自ら安んぜしめず。臣は固より湯の詐忠と為るを知る。於是上は色を作して曰く: 我は汝をして一郡に居らしめば、能く虜をして入盗せざらしむるか。曰く: 能わず。曰く: 一県に居れ。対えて曰く: 能わず。又た曰く: 一障間に居れ。山は自ら度るに弁は窮まり且つ将に吏に下さらんとす、曰く: 諾(底本は「防」と作る)。於是上は山を遣わして鄣に乗らしむ。到ること一月余、匈奴は山の頭を斬りて去る。此より以後群臣は震慴す】。其の位に居りて其の朝を非とし(底本は「防」と作る)【注音:「朝」は潮と同じ】、世に生れて其の上を訕う、終に戮せられて其の躯を喪う(底本は「防」と作る)。此れ独り誰が彼らの為に負累して殃を蒙るや。
文學曰禮所以坊【古防字】滛樂所以移風禮興樂正則刑罰中故堤【古隄字】坊【古防字】成而民無水菑禮義立民無亂患故禮義壞堤【古隄字】坊【古防字】決所以治者未之有也【防古本作坊坊以畜水亦以障水者也坊記曰子言之君子之道譬則坊與坊民之所不足者也大為之坊民猶逾之故君子禮以坊徳刑以坊滛命以坊欲傳曰在天者莫明乎日月在地者莫明乎水火在人者莫明乎禮義故日月不髙則所照不逺水火不積則光炎不博禮義不加乎國家則功名不白詩曰人而無禮胡不遄死】孔子曰禮與其奢也寧儉防與其易也甯戚故禮之所為作非以害生傷業也威儀節文非以亂化傷俗也治國謹其禮危國謹其法【賈生曰凡人之智能見已然不能見將然夫禮者禁於將然之前而法者禁於已然之後是故法之所用易見而禮之所為至難知也若夫慶賞以勸善刑罰以懲惡先王執此之政堅如金石行此之令信如四時據此之公無私如天地耳豈顧不用哉然而曰禮雲禮雲者貴絶惡扵未萌而起教扵防使民日遷善逺辠而不自知也孔子曰聼訟吾猶人也必也使毋訟乎為人主計者莫如先審取捨取捨之極定於內而安危之萌應於外矣安者非一日而安也危者非一日而危也皆積漸然不可不察也人主之所積在其取捨以禮義治之者積禮義以刑罰治之者積刑罰刑罰積而民怨背禮義積而民和親故世主欲民之善同而所以使民善者或異或道之以徳教或敺之以法令道之以徳教者徳教洽而民氣樂敺之以法令者法令極而民風哀哀樂之感禍福之應也】昔秦以武力吞天下而斯髙以妖孽累其禍廢古術隳【音灰】舊禮專任刑法而儒墨既防焉塞士之塗壅人之口道防日進而上不聞其過此秦所以失天下而殞【音允】社稷也【賈山曰秦皇帝計其功徳度其後嗣世世無窮然身死才數月耳天下四面而攻之宗廟滅絶矣秦皇帝居滅絶之中而不自知者何也天下莫敢告也其所以莫敢告者何也亡養老之義亡輔弼之臣亡進諫之士縦恣行誅退誹謗之人殺直諫之士是以道防媮合苟容比其徳則賢於堯舜課其功則賢於湯武天下已潰而莫之吿也詩云匪言不能胡此畏忌聼言則對譖言則退此之謂也路溫舒曰昔秦之時滅文學好武勇賤仁義之士貴治獄之吏正言謂之誹謗謁過謂之妖言故盛服先生不用於世忠良切言皆鬱於胷譽防之聲日滿於耳虗羙薫心實祻蔽塞此乃秦之所以亡天下也】故聖人為政必先誅之為巧言以輔非而傾覆國家也今子安取亡國之語而來乎夫【音扶】公卿處其位不正其道而以意阿色順風疾小人諓諓【音淺】面従以成人之過也【諓諓善言也又乃巧也】故知言之死不忍従苟合之徒是以不免於縲【力追反】絏【息列反】悲夫【音扶縲黒索也絏攣也古者獄中以黑索拘攣罪人也】
文学が言います: 礼は淫を坊ぐ所以【古の防字】、楽は風を移す所以。礼は興り楽は正しければ、則ち刑罰は中を得たり。故に堤坊成れば【古の隄字】【古の防字】民に水災無く、礼義立てば民に乱患無し。礼義壊れ堤坊決れども【古の隄字】【古の防字】、而して能く治まるは、未だ嘗て有らず【「防」は古本は「坊」と作る。坊は以て水を蓄え、亦た以て水を障ぐ。《坊記》に曰く: 子之を言えり: 君子の道は、譬えば則ち坊か。坊は民の足らざる所なり。大いに之に坊を為すも、民は猶お之を逾ゆ。故に君子は礼を以て徳を坊ぎ、刑を以て淫を坊ぎ、命を以て欲を坊ぐ。伝に曰く: 天に在るは明は日月より莫く、地に在るは明は水火より莫く、人に在るは明は礼義より莫し。故に日月は高からざれば則ち照らす所は遠からず、水火は積まざれば則ち光炎は博からず、礼義は国家に加えられざれば則ち功名は白からず。《詩》に曰く: 人にして礼無ければ、胡ぞ遄に死せざる】。孔子が曰く: 礼は、其の奢よりも寧ろ倹。喪は其の易よりも寧ろ戚(底本は「防」と作る)。故に礼の制作する所以は、以て生を害し業を傷るに用いるに非ず。威儀節文は、以て化を乱り俗を傷るに用いるに非ず。国を治むるは其の礼を謹み、国を危うくするは其の法を謹む【賈生が曰く: 凡人の智は、能く已然を見るも、能く将然を見る能わず。礼は将然の前に禁じ、法は已然の後に禁ず。此に因り法の用いる所は見易く、礼の為す所は極めて知り難し。至りて慶賞を以て善を勧め刑罰を以て悪を懲すは、先王は此の政を執ること金石の如く堅く、此の令を行うこと四時の如く信く、此の公に拠ること天地の如く私無し、豈に還お用いざらんや。然れども礼云礼云と曰うは、是れ悪を未萌に絶ち教を微眇に起こすを貴ぶ(底本は「防」で下一字は生僻字で転写後に失われた)、民をして日に善に遷り罪に遠ざかりて自ら知らざらしむ。孔子が曰く: 訟を聴くは、吾は猶お人なり、必ずや訟無からしめん。人主の為に計るに、先ず取舍を審らかにするに如かず。取舍の極は内に定まりて、安危の萌は外に応ず。安きは一日にして安くするに非ず、危きは一日にして危うくするに非ず、皆積漸として此の如し、察せざるべからず。人主の積む所は取舍に在り: 礼義を以て治むるは礼義を積み、刑罰を以て治むるは刑罰を積む。刑罰は積まりて民は怨み背き、礼義は積まりて民は和親す。故に世主は民の善を欲するは相同じなれども、民を善ならしむるの法は或いは同じからず: 或いは之を導くに徳教を以てし、或いは之を駆るに法令を以てす。之を導くに徳教を以てするは、徳教は洽なりて民気は楽し。之を駆るに法令を以てするは、法令は極まりて民風は哀し。哀楽の感は、即ち禍福の応なり】。昔秦は武力を以て天下を呑み、而して李斯・趙高は妖孽を以て其の禍に累し、古術を廃し旧礼を毀し【注音:「隳」は灰と同じ】、専ら刑法を任じ、儒墨は既に絀まれ(底本は「既防」と作る)、士の途を塞ぎ人の口を壅ぎ、道諛は日に進みて(底本は「道防」と作る)、上は其の過を聞かず。此れ即ち秦の天下を失い社稷を陨せしめたる所以の縁なり【注音:「殞」は允と同じ】【賈山が曰く: 秦皇帝は其の功徳を計量し、其の後嗣の世世無窮を度量す、然れども身死して才かに数月にして、天下は四面より之を攻め、宗廟は滅絶せり。秦皇帝は滅絶の中に処りて自ら知らず、何ぞや。天下は敢えて告ぐる人無し。敢えて告ぐる人無き所以は、何ぞや。老を養うの義無く、輔弼の臣無く、進諫の士無く、恣を縦にして誅を行い、誹謗の人を退け、直諫の士を殺す。此に因り道諛は媮合して苟容し(底本は「道防」と作る)、其の徳を比すれば則ち尭舜より賢く、其の功を課すれば則ち湯武より賢し、天下は已に潰れて告ぐる人無し。《詩》に曰く: 言に匪ざる能わず、胡ぞ此の畏忌や。言を聴けば則ち対え、譖言は則ち退く。説くは即ち此なり。路温舒が曰く: 昔秦の時、文学を滅し、武勇を好み、仁義の士を賤み、獄を治むるの吏を貴ぶ、正言を以て誹謗と謂い、謁過を以て妖言と謂う。故に盛服の先生は世に用いられず、忠良の切言は皆胸に郁し、誉諛の声は(底本は「誉防」と作る)日に耳に満ち、虚美は心を薰し、実禍は蔽塞す。此れ即ち秦の天下を亡ぼしたる所以の縁なり】。故に聖人は政を為すに、必ず先ず巧言を以て非を輔けて国家を傾覆するを誅す。今你は何の処よりか亡国の語を取り来たる。句首の夫【注音:「夫」は扶と同じ】: 公卿は其の位に処りて其の道を正さず、意を以て色に阿り風に順い疾く趨り、小人は𬣡𬣡として【注音:「𬣡」は浅と同じ】面従して人の過を成す【𬣡𬣡は、是れ善言、又是れ巧言なり】。故に明らかに言えば死するを知るも、亦た忍びて苟合の徒に従わず、此に因り縲絏を免れず【注音:「縲」は力追反】【注音:「絏」は息列反】。悲しきかな【注音:「夫」は扶と同じ。「縲」は是れ黒索、「絏」は是れ攣。古は獄中に黒索を以て罪人を拘攣す】。
丞相【去聲】史曰檀柘而有鄉萑【音丸】葦【音委】而有藂【通作叢】言物類之相従也【說林訓曰橘柚有鄉萑葦有叢獸同足者相従防鳥同翼者相従翔齊防曰淳于髠一日而見七人於宣王王曰子來寡人聞之千里而一士是比肩而立百世而一聖若隨踵而至也今子一朝而見七士則士不亦眾乎淳于髠曰不然夫鳥同翼者而聚居獸同足者而俱行今求柴胡桔梗於沮澤則累世不得一焉及之睪黍梁父之隂則郄車而載耳夫物各有疇今髠賢者之儔也王求士於髠若挹水於河而取火於燧也髠將復見之豈特七士也】孔子曰徳不孤必有鄰故湯興而伊尹至不仁者逺矣未有明君在上而亂臣在下也【鶡冠子曰伊尹酒保立為世師尊賢篇曰聲聞則處異而相應徳合則未見而相親李康曰運之所隆必生聖明之君聖明之君必有忠賢之臣其所以相遇也不求而自合其所以相親也不介而自親唱之而必和謀之而必従道徳同曲折合符得失不能疑其志防搆不能離其交然後得成功也】今先帝躬行仁聖之道以臨海內招舉俊才賢良之士唯仁是用誅逐亂臣不避所親務以求賢而簡退不肖猶堯之舉舜禹之族殛鯀放驩兠也而曰苟合之徒是則主非而臣阿是也【班固曰漢承百王之弊髙祖撥亂反正文景務在養民至於稽古禮文之事猶多闕焉孝武之初立卓然罷黜百家表章六藝遂疇諮海內舉其俊乂與之立功興大學修郊祀改正朔定厯數協音律作禮樂建封禪禮百神紹國典號令文章煥焉可述尊賢篇曰人君之慾平治天下而垂榮名者必尊賢而下士易曰自上下下其道大光又曰以貴下賤大得民也夫明王之施徳而下下也將懐逺而致近也夫朝無賢人猶鴻鵠之無羽翼也雖有千里之望猶不能致其意之所欲至矣是故防江海者托於船致逺道者托於乗欲覇王者托於賢子路問於孔子曰治國何如孔子曰在於尊賢而賤不肖子路曰範中行氏尊賢而賤不肖其亡何也曰範中行氏尊賢而不能用也賤不肖而不能去也賢者知其不已用而怨之不肖者知其賤已而讐之賢者怨之不肖者讐之怨讐並前中行氏雖欲無亡得乎】
丞相史が曰く【注音:「相」は去声と読む】: 檀柘にして郷有り、萑葦にして藂有り【注音:「萑」は丸と同じ】【注音:「葦」は委と同じ】【「藂」は「叢」に通ず】、是れ物類は相い従うを説く【〈説林訓〉に曰く: 橘柚は郷有り、萑葦は藂有り。獣は足同じきは相い従い走り(底本は「相従防」と作る)、鳥は翼同じきは相い従い翔る。《斉策》に曰く(底本は「齐防」と作る): 淳于髡は一日にして七人を宣王に見ゆ。王が曰く: 你来れ。寡人は聞く、千里にして一士は比肩して立ち、百世にして一聖は踵に随いて至るがごとし。今你は一朝にして七士を見ゆ、士は亦た多からずや。淳于髡が曰く: 然らず。鳥は翼同じきは聚り居り、獣は足同じきは同じく行く。今柴胡・桔梗を沮沢に求むれば、則ち累世して一株を得ず。睾黍・梁父の陰に到れば、則ち車を郤けて載す。物は各々疇有り。今髡は是れ賢者の儔。王は髡に於いて士を求むるは、河に於いて水を挹げ燧に於いて火を取るが若し。髡は還た将に再び挙薦せん、豈に七士に止まらん】。孔子が曰く: 徳は孤ならず、必ず隣有り。故に湯は興起して伊尹は到来し、不仁の人は則ち遠し。明君は上に在りて乱臣は下に在る無し【《鶡冠子》に曰く: 伊尹は酒保、立ちて世師と為る。《尊賢篇》に曰く: 声聞えば則ち処り異にして相い応じ、徳合えば則ち見ずして相亲し。李康が曰く: 運の隆る所は、必ず聖明の君を生ず。聖明の君は、必ず忠賢の臣有り。其の相遇う所以は、求めずして自ら合す。其の相亲する所以は、介せずして自ら親し。之に唱えれば必ず和し、之を謀れば必ず従う、道徳は玄同し、曲折は符合す、得失は能く其の志を疑わせず、讒搆は能く其の交を離れざらず(底本は「防搆」と作る)、然る後に成功を得たり】。今先帝は躬ら仁聖の道を行いて以て海内に臨み、俊才賢良の士を招挙し、惟だ仁を是れ用い、乱臣を誅逐して親しむ所を避けず、務めて以て賢を求めて不肖を簡退す、猶お尭の舜禹を挙げ鯀を殛し驩兜を放つがごとし。却りて苟合の徒と曰うは、則ち是れ主は非にして臣は阿るなり【班固が曰く: 漢は百王の弊を承け、高祖は乱を撥きて正に反し、文景は務めて民を養うに在り、至りて古を稽うる礼文の事は還お多く缺有り。孝武の初め立つや、卓然として百家を罷黜し六芸を表章し、於是海内に疇咨し其の俊乂を挙げて之と功を立て、大学を興し、郊祀を修め、正朔を改め、暦数を定め、音律を協え、礼楽を作し、封禅を建て、百神を礼し、国典を紹ぎ、号令文章は煥焉として述ぶべし。《尊賢篇》に曰く: 人君は天下を平治して栄名を垂れんと欲せば、必ず賢を尊びて士に下る。《易》に曰く: 上より下に下るは、其の道は大いに光る。又た曰く: 貴を以て賤に下るは、大いに民を得たり。明王の徳を施して下に下るは、是れ将に遠きを懐きて近きを致さんとす。朝に賢人無ければ、猶お鴻鵠に羽翼無きがごとく、千里の望有ると雖も、還お能く意の至らんと欲する所に至らず。此に因り江海を済るは船に託り(底本は「防」と作る)、遠道を致すは乗に託り、霸王せんと欲するは賢に託る。子路は孔子に問えて曰く: 国を治むるは何如。孔子が曰く: 賢を尊びて不肖を賤むに在り。子路が曰く: 范・中行氏は賢を尊びて不肖を賤むも、其の亡ぶるは是れ何を以てんや。曰く: 范・中行氏は賢を尊ぶも能く用いず、不肖を賤むも能く去らず。賢者は其の己に用いられざるを知りて怨み、不肖者は其の己を賤むるを知りて仇とす。賢者は之を怨み、不肖者は之を仇とす、怨仇は幷び前す、中行氏は亡びざらんと欲すと雖も、得んや】。
文學曰臯陶對舜在知人惟帝其難之洪水之災堯獨愁悴而不能治得舜禹而九州寧故雖有堯之明君而無舜禹之佐則純徳不流【班固曰公輸愛其斧故能妙其巧明主貴其士故能成其治良匠度其材而成大廈明主器其士而建功業王粲曰振鷺雖材非六翮無以翔四海帝王雖賢非良臣無以濟天下】春秋刺有君而無臣先帝之時良臣未備故邪臣得間【音諫】堯得舜禹而鯀殛驩兠誅趙簡子得叔向而盛青肩詘語曰未見君子不知偽臣詩云未見君子憂心忡忡既見君子我心則降【胡公切】此之謂也
文学が言います: 皐陶は舜に対えて曰く: 人を知るに在り、惟だ帝は其れ之を難しとす。洪水の災は、尭は独り愁悴して能く治めず、舜禹を得て九州は安寧す。故に尭の如きの明君有ると雖も、舜禹の佐無くば、純徳は則ち流布する能わず【班固が曰く: 公輸は其の斧を愛す、故に能く其の巧を妙にす。明主は其の士を貴ぶ、故に能く其の治を成す。良匠は其の材を度りて大厦を成し、明主は其の士を器として功業を建つ。王粲が曰く: 鷺を振るは材と雖も、六翮に非ざれば以て四海に翔る無し。帝王は賢と雖も、良臣に非ざれば以て天下を済る無し】。《春秋》は君有りて臣無きを刺す。先帝の時、良臣は未だ備わらず、故に邪臣は以て間を伺うを得たり【注音:「間」は諫と同じ】。尭は舜禹を得て鯀は殛せられ驩兜は誅せられ、趙簡子は叔向を得て盛青肩は詘せらる。俗に曰く: 未だ君子を見ざれば、偽臣を知らず。《詩》に曰く: 未だ君子を見ざれば、憂心は忡忡たり。既に君子を見れば、我心は則ち降る【注音:「降」は胡公切】。説くは即ち此なり。
丞相【去聲】史曰堯任鯀驩兠得舜禹而放殛之以其罪而天下鹹服誅不仁也人君用之齊民而顔異濟南亭長也先帝舉而加之髙位官至上卿狄山起布衣為漢議臣處舜禹之位執天下之中不能以治而反坐訕上故驩兠之誅加而刑戮至焉賢者受賞而不肖者被刑固其然也文學何怪焉
丞相史が曰く【注音:「相」は去声と読む】: 尭は鯀・驩兜を任用し、舜禹を得て彼らを放殛し、其の罪を按じて天下は皆心服す、是れ不仁を誅するなり。人君は彼らを用いて以て民を斉う、而して顔異は過ぎて済南亭長に過ぎず、先帝は挙げて之を高位に加え、官は上卿に至る。狄山は布衣より起こり、漢の議臣と為り、舜禹の位に処り、天下の中を執るも、能く以て治むる無く、反りて上を訕るの罪に坐す、故に驩兜の誅を之に加え刑戮は到来す。賢者は賞を受け不肖者は刑せらるは、本より即ち是の如し。文学の士は何必に怪しむや。
文學曰論者相扶以義相喻以道從善不求勝服義不恥窮若相迷以偽相亂以辭相矜於後息期於苟勝非其貴者也【傳曰孔子過康子子張子夏從孔子入坐二子相與論終日不決子夏辭氣甚隘顔色甚變子張曰子亦聞夫子之議論邪徐言誾誾威儀翼翼後言先黙得之推讓巍巍乎蕩蕩乎道有歸矣小人之論也專意自是言人之非瞑目搤腕疾言噴噴口沸目赤一幸得勝疾笑嗌嗌威儀固陋辭氣鄙俗是以君子賤之也】夫【音扶】蘇秦張儀熒惑諸侯傾覆萬乘【去聲】使人主失其所持非不辯然亂之道也【泰族訓曰百川並流不注海者不為川穀趣行踳馳不歸善者不為君子故善言歸乎可行善行歸乎仁義田子方段幹木輕爵祿而重其身不以欲傷生不以利累形李克竭股肱之力領理百官輯穆萬民使其君生無廢事死無遺憂此異行而歸於善者張儀蘇秦家無常居身無定君約衡之事為傾覆之謀濁亂天下撓諸侯使百姓不遑啟居或或橫或合眾弱或輔富強此異行而歸於醜者也故君子之過也猶日月之蝕何害於明小人之行也猶狗之晝吠鴟之夜見何益於善夫知者不妄發擇善而為之計義而行之故事成而功足賴也身死而名足稱也雖有知能必以仁義為之本然後可立也】子疾鄙夫之不可與事君患其聼而無所不至也今子不聼正義以輔卿相【去聲】又從而順之好【去聲】須之說不計其後君子之為人吏宜受上戮子姑黙矣
文学が言います: 論ずるは相い義を以て扶持し道を以て暁喩し、善に従いて勝を求めず、義に服して窮を以て恥と為さず。若し相い偽を以て迷惑し辞を以て擾乱し、後息に相い矜り苟勝を期すれば、則ち是れ貴ぶべきに非ず【伝に曰く: 孔子は康子を過ぎ、子張・子夏は従う。孔子は入りて坐す、二子は相与に論じ、終日決せず。子夏は辞気は甚だ隘く、顔色は大いに変わる。子張が曰く: 你も亦た聞かんや夫子の議論を、徐言は訚訚として、威儀は翼翼として、言は後れて黙は先く、之を得るは推譲す、巍巍乎として蕩蕩乎として、道は帰する所有り。小人の議論は、専ら意として自ら是とし、人の非を言い、目を瞑りて腕を搤し、疾言は噴噴として、口は沸き目は赤く、一たび幸いに勝を得れば便ち疾く笑いて嗌嗌として、威儀は固陋にして辞気は鄙俗なり。此に因り君子は之を賤とす】。句首の夫【注音:「夫」は扶と同じ】: 蘇秦・張儀は諸侯を熒惑し万乗を傾覆し【注音:「乗」は去声と読む】、人主をして其の持つ所を失わしむ、弁ならざるに非ざれども、然れども是れ乱の道なり【〈泰族訓〉に曰く: 百川は幷び流る、海に注がざるは川谷と算せず。趣行は踳馳す、善に帰せざるは君子と算せず。故に善言は可行に帰し、善行は仁義に帰す。田子方・段干木は爵禄を軽んじて其の身を重んじ、欲を以て生を傷らず、利を以て形を累わさず。李克は股肱の力を竭くし、百官を領理し、万民を輯穆し、其の君をして生ければ廃事無く死すれば遺憂無からしむ: 此れ是れ行を異にして善に帰するなり。張儀・蘇秦は家に常居無く身に定君無く、約は合縦連衡の事をし(底本この字は生僻字で転写後に失われた)、傾覆の謀を為し、天下を濁乱し、諸侯を撓乱し、百姓をして啓居する遑無からしめ、或いは縦或いは横り、或いは衆弱を合し或いは富強を輔く: 此れ是れ行を異にして醜に帰するなり。故に君子の過は猶お日月の蝕のごとく、何の害か明にあらん。小人の行は猶お狗の昼に吠え鴟の夜に見ゆるがごとく、何の益か善にあらん。智者は妄りに発せず、善を択びて之を為し、義を計りて之を行う、故に事は成りて功は頼るに足り、身は死して名は称うに足る。知能有ると雖も、必ず仁義を以て之に本と為し、然る後に立つべし】。夫子は鄙夫の与に君に事うべからざるを疾み、其の従聴して至らざる無きを患う。今你は正義を聴かずして以て卿相を輔けず【注音:「相」は去声と読む】、又た従いて之に順い、須臾の説を好みて【注音:「好」は去声と読む】(底本この字は生僻字で転写後に失われた)其の後を計らず。君子は人の吏と為るに、宜しく上の戮を受くべし。你は姑らく沈黙せよ。
孝養第二十五
孝養(こうよう) 第二十五
丞相【去聲】史曰葢聞士之居世也衣服足以勝身食飲足以供親內足以相防外不求於人故身修然後可以理家家治然後可以治官故飯【上聲】防【音奸】糲【音辣】者不可以言孝【防蔬菜也孟康曰糲粗米也張晏曰一斗粟七升米為糲】妻子飢寒者不可以言慈緒業不備者不可以言理居斯世行斯身而有此三累者斯亦足以黙矣【韓嬰曰曽子仕於莒得粟三秉方是之時曽子重其祿而輕其身親沒之後齊迎以相楚迎以令尹晉迎以上卿方是之時曽子重其身而輕其祿懐其寶而迷其國者不可以語仁窘其身而約其親者不可與語孝任重道逺者不擇地而息家貧親老者不擇官而仕故君子釋褐趨時當務為急傳云不逢時而仕任事而敦其慮為之使而不入其謀貧焉故也詩曰夙夜在公實命不同】
丞相史が曰く【注音:「相」は去声と読む】: 聞くに士の世に居るは、衣服は以て身に勝ぐるに足り、食飲は以て親に供するに足り、内は以て相恤るに足り(底本は「相防」と作る)、外は人に求めず。故に身は修まりて然る後に以て家を理むべく、家は治まりて然る後に以て官を治むべし。此に因り蔬糲を食むは【注音:「飯」は上声と読む】【注音:「防」は奸と同じ、即ち「蔬」】【注音:「糲」は辣と同じ】以て孝を言うべからず【「防」は即ち蔬菜なり。孟康が曰く: 糲は是れ粗米。張晏が曰く: 一斗の粟は七升の米を出すを糲と為す】。妻子は飢寒するは以て慈を言うべからず、緒業は備わらざるは以て理を言うべからず。此の世に居り此の身を行いて此の三累有るは、亦た以て沈黙するに足る【韓嬰が曰く: 曽子は莒に仕え、粟三秉を得たり。此の時曽子は其の禄を重くして其の身を軽んず。親は没し、斉は迎えて以て相と為し、楚は迎えて以て令尹と為し、晋は迎えて以て上卿と為す。此の時曽子は其の身を重くして其の禄を軽んず。其の宝を懐きて其の国を迷うは、以て仁を語るべからず。其の身を窘めて其の親を約するは、与に孝を語るべからず。任重く道遠きは地を択ばずして息い、家貧く親老ゆるは官を択ばずして仕う。故に君子は褐を釈きて時に趨り、務めて急を為すと当たる。伝に曰く: 時に逢わずして仕え、事を任じて其の慮を敦くし、之の為に使われて其の謀に入らざるは、是れ貧を以てなり。《詩》に曰く: 夙夜に公に在り、実に命は同じからず】。
文學曰善養【去聲】者不必芻豢也善供服者不必錦繡也【韓非子曰糟糠不飽者不務粱肉裋褐不者不待文繡】以已之所有盡事其親孝之至也故匹夫勤勞猶足以順禮歠【音轍】菽飲水足以致其敬【子路曰傷哉貧也生無以為養死無以為禮也孔子曰啜菽飲水盡其歡斯之謂孝斂首足形還葬而無槨稱其財斯謂之禮】孔子曰今之孝者是謂能養【去聲】不敬何以別乎故上孝養【去聲】志其次養【去聲】色其次養【去聲】體貴其禮不貪其養禮順心和養【去聲】雖不備可也【曾子曰孝有三大孝尊親其次弗辱其下能養公明儀問於曽子曰夫子可以為孝乎曽子曰是何言與是何言與君子之所謂孝者先意承志諭父母於道參直養者也安能為孝乎】易曰東鄰殺牛不如西鄰之禴祭也【反質萹曰信神者失謀信日者失時何以知其然夫賢聖周知能不時日而事利敬法令貲功勞不卜筮而身吉謹仁義順道理不禱祠而福故卜數擇日防齊盛肥犧牲飾珪璧精祠祀而終不能除悖逆之禍以神明有知而事之乃欲背道妄行而以祠祀求福神明必違之矣天子祭天地五嶽四瀆諸侯祭社稷大夫祭五祀士祭門戶庶人祭其先祖聖王承天心制禮分也凡古之卜日者將以輔道稽疑示有所先而不敢自專也非欲以顛倒之惡而幸安全之孔子曰非其而祭之諂也是以泰山終不享季氏之旅易稱東鄰殺牛不如西鄰之禴祭葢重禮不貴牲也敬實而不貴華誠有其徳而推之則安徃而不可是以聖人見人之文必考其質】故富貴而無禮不如貧賤之孝悌閨門之內盡孝焉閨門之外盡悌焉朋友之道盡信焉三者孝之至也居家理者非謂積財也事親孝者非謂鮮餚也亦和顔色承意盡禮義而已矣【曲禮曰貧者不以貨財為禮老者不以筋力為禮祭義曰孝子之有深愛者必有和氣有和氣者必有愉色有愉色者必有婉容孝子如執玉如奉盈洞洞屬屬然如弗勝如將失之嚴威儼恪非所以事親也成人之道也】
文学が言います: 善く奉養するは【注音:「養」は去声と読む】、必ずしも芻豢ならず。善く供服するは、必ずしも錦繍ならず【韓非子が曰く: 糟糠は飽かざるは粱肉を務めず、短褐は完からざるは文繍を待たず】。己の有る所を以て心を尽くして親に事うるは、即ち孝の至なり。故に匹夫は勤労して還お以て礼に順うに足り、菽を歠し水を飲むは以て其の敬を致すに足る【注音:「歠」は轍と同じ】【子路が曰く: 傷しいかな貧しきや、生ければ以て養う無く、死すれば以て礼と為す無し。孔子が曰く: 菽を啜り水を飲みて其の歓を尽くすは、此を孝と謂う。首足を斂めて形を還り葬りて椁無く、其の財に称うは、此を礼と謂う】。孔子が曰く: 今の孝は、是れ能く養うと謂う【注音:「養」は去声と読む】。敬せざれば、何を以て別たん。故に上孝は志を養い【注音:「養」は去声と読む】、其の次は色を養い【注音:「養」は去声と読む】、其の次は体を養う【注音:「養」は去声と読む】。其の礼を貴び、其の養を貪らず。礼は順い心は和し、養うは備わらずと雖も可なり【注音:「養」は去声と読む】【曽子が曰く: 孝は三有り: 大孝は親を尊び、其の次は辱めず、其の下は能く養う。公明儀は曽子に問えて曰く: 夫子は以て孝と為すべきか。曽子が曰く: 是れ何の言か与。是れ何の言か与。君子の所謂孝は、意に先んじ志を承け、父母を道に諭す。参は只だ能く養うの人、哪能く孝と算せん】《易》に曰く: 東隣は牛を殺す、西隣の禴祭に如かず【〈反質篇〉に曰く: 鬼神を信ずるは謀を失い、日者を信ずるは時を失う。何を以て其の然を知らん。賢聖は周知し、能く時日せずして事は利なり。法令を敬い労功を貲し、卜筮せずして身は吉なり。仁義を謹み道理に順い、祷祠せずして福なり。故に数を卜して日を択び、粢盛肥牺牲を備え(底本は「防齐盛」と作る)、珪璧を飾り祠祀を精しくして、終に悖逆の禍を除く能わず。以て神明は知有りと為して之に事うるも、却りて道に背き妄行して以て祠祀を以て福を求めんと欲すれば、神明は必ず之に違う。天子は天地・五嶽・四涜を祭り、諸侯は社稷を祭り、大夫は五祀を祭り、士は門戸を祭り、庶人は其の先祖を祭る。聖王は天心を承け、礼を制して以て分かつ。凡そ古の日を卜するは、是れ将に以て道を輔け疑を稽え、示すに先有る有りて敢えて自ら専らにせざるを以てし、是れ顛倒の悪を用いて安全を幸い求めんとするに非ず。孔子が曰く: 其の鬼に非ざるを之を祭るは、諂なり。此に因り泰山は終に季氏の旅を享けず。《易》は東隣は牛を殺すは西隣の禴祭に如かずと称す、是れ礼を重んじて牲を貴ばざるなり。実を敬して華を貴ばず、誠に其の徳有りて之を推せば、則ち安んぞ往きて可ならざる有らん。此に因り聖人は人の文を見れば、必ず其の質を考える】。故に富貴にして礼無きは、貧賤の孝悌に如かず。閨門の内は孝を尽くし、閨門の外は悌を尽くし、朋友の道は信を尽くす、三者は是れ孝の至なり。家に居りて理むるは、財を積むを説くに非ず。親に事えて孝なりは、鮮肴を説くに非ず、亦た只だ顔色を和らげ意を承け礼義を尽くすのみ【《曲礼》に曰く: 貧きは貨財を以て礼と為さず、老いるは筋力を以て礼と為さず。《祭義》に曰く: 孝子の深愛有るは必ず和気有り、和気有るは必ず愉色有り、愉色有るは必ず婉容有り。孝子は玉を執るが如く盈を奉ずるが如く、洞洞属属然として、勝えざるが如く将に之を失わんとするが如し。厳威儼恪は、以て親に事うるに用いるに非ず、彼は是れ成人の道なり】。
丞相【去聲】史曰八十曰耋七十曰耄耄食非肉不飽衣非帛不暖故孝子日甘毳【吹去聲】以養【去聲】口輕暖以養【去聲】體曽子養【去聲】曽晳必有酒肉無端絻【音問】雖公西赤不能以為容無餚膳雖閔曽不能以卒養【去聲】禮無虛加故必有其實然後為之父子與其禮有餘而養【去聲】不足寧養【去聲】有餘而禮不足夫【音扶】洗爵以盛水升降而進糲【音辣】禮雖備然非其貴者也
丞相史が曰く【注音:「相」は去声と読む】: 八十を耋と曰い、七十を耄と曰う。耄は、食は肉に非ざれば飽かず、衣は帛に非ざれば暖からず。故に孝子は毎日甘毳を以て口を養い【注音:「毳」は吹、去声と読む】【注音:「養」は去声と読む】、軽暖を以て体を養う【注音:「養」は去声と読む】。曽子は曽皙を養うに必ず酒肉有り【注音:「養」は去声と読む】。端冕無くば【注音:「絻」は問と同じ】、公西赤と雖も以て容と為す能わず。肴膳無くば、閔・曽と雖も以て養を卒うる能わず【注音:「養」は去声と読む】。礼に虚加無し、故に必ず其の実有りて然る後に之を為す。父子と為るに、其の礼余有りて養足らざるよりも【注音:「養」は去声と読む】、寧ろ養余有りて礼足らざるなり【注音:「養」は去声と読む】。句首の夫【注音:「夫」は扶と同じ】: 爵を洗いて以て水を盛り、升降して糲を進むるは【注音:「糲」は辣と同じ】、礼は備わると雖も、却りて貴ぶべきに非ざるなり。
文學曰周襄王之母非無酒肉也衣食非不如曽晳也然而被不孝之名以其不能事其父母也【春秋曰天王出居於鄭左傳曰冬王使來告難曰不穀不徳得罪於母弟之寵子帶鄙在鄭地泛敢吿叔父臧文仲對曰天子蒙塵於外敢不奔問官守王使簡師父告於晉使左鄢父吿於秦天子無出書曰天王出居於鄭闢母弟之難也天子凶服降名禮也鄭伯與孔將鉏石甲父侯宣多省視官具於泛而後聼其私政禮也公羊傳曰王者無外此其言出何不能乎母也曽子曰是王也不能乎母者其諸此之謂與】君子重其禮小人貪其養【去聲】夫【音扶】嗟來而招之投而與之乞者猶不取也【雜事萹曰齊大飢黔敖為食於路以待餓者而食之有餓者蒙袂輯屨貿貿然來黔敖左奉食右執飲曰嗟來食餓者其目而視之曰予唯不食嗟來之食以至於此也従而謝焉終不食而死曽子聞之曰防與其嗟也可去其謝也可食】君子苟無其禮雖美不食焉故禮主人不親饋則客不祭是饋輕而禮重也【坊記曰子云敬則用祭器故君子不以菲廢禮不以美沒禮故食禮主人親饋則客祭主人不親饋則客不祭故君子苟無禮雖美不食焉易曰東鄰殺牛不如西鄰之禴祭寔受其福詩云既醉以酒既飽以徳以此示民民猶爭利而忘義齊俗訓曰禮豐不足以效愛而誠心可以懷逺故公西華之養親也若與朋友處曽參之養親也若事嚴主烈君其於養一也】
文学が言います: 周襄王の母は、酒肉無きに非ず、衣食は曽皙に如かざるに非ず、然れども不孝の名を蒙るは、是れ其の父母に事うる能わざるを以てなり【《春秋》に曰く: 天王は鄭に出居す。《左伝》に曰く: 冬、王は使をして難を告げしめて曰く: 不穀は徳ならず、母弟の寵子帯に罪を得、鄙は鄭地汜に在り、敢えて叔父に告ぐ。臧文仲は対えて曰く: 天子は塵を外に蒙る、敢えて官守に奔問せざらんや。王は簡師父をして晋に告げしめ、左鄢父をして秦に告げしむ。天子に出無し、書して曰く天王は鄭に出居すとは、是れ母弟の難を避くるなり。天子は凶服して名を降す、是れ礼なり。鄭伯は孔将鉏・石甲父・侯宣多と汜に於いて官具を省視し、而る後に其の私政を聴く、是れ礼なり。《公羊伝》に曰く: 王者は外無し、此れ「出」と曰うは是れ何を以てんや。是れ能く母に事えざるなり。曽子が曰く: 此の王は能く母に事えず、蓋し説くは即ち此なり】。君子は其の礼を重んじ、小人は其の養を貪る【注音:「養」は去声と読む】。句首の夫【注音:「夫」は扶と同じ】: 嗟来と招きて之に投じて与うるは、乞う者は還お取らず【〈雑事篇〉に曰く: 斉は大いに饑え、黔敖は食を路に為して以て餓者を待ちて之を食わしむ。餓者有りて袂を蒙ぎ屨を輯ね、貿貿然として来たる。黔敖は左に食を奉じ右に飲を執りて、曰く: 嗟、来食せ。餓者は其の目を揚げて之を視て曰く: 予は唯だ嗟来の食を食わざるを以て才かに此の歩に至る。従いて彼に謝す、終に食わずして死す。曽子は之を聞きて曰く: 微と其の嗟は(底本は「防」と作る)去るべし。其の謝は、食うべし】。君子は若し礼無くば、美と雖も食わず。故に礼は、主人は親ら饋せざれば則ち客は祭せず、是れ饋は軽くして礼は重し【《坊記》に曰く: 子云う: 敬するは則ち祭器を用う。故に君子は菲を以て礼を廃せず、美を以て礼を没せず。食礼は、主人は親ら饋すれば則ち客は祭し、主人は親ら饋せざれば則ち客は祭せず。故に君子は苟も礼無くば、美と雖も食わず焉。《易》に曰く: 東隣は牛を殺す、西隣の禴祭に如かず、実に其の福を受く。《詩》に曰く: 既に酒を以て醉い、既に徳を以て飽く。此を以て民に示せば、民は還お利を争いて義を忘る。〈斉俗訓〉に曰く: 礼は豊けれども以て愛を效するに足らず、而して誠心は以て遠きを懐くべし。故に公西華の親を養うは朋友と処るが如く、曽参の親を養うは厳主烈君に事うるが如く、其の養に於いては是れ一なり】。
丞相【去聲】史曰孝莫大以天下一國養【去聲】次祿養【去聲】下以力故王公人君上也卿大夫次也夫【音扶】以家人言之有賢子者當路於世者髙堂【音遂】宇安車大馬衣【去聲】輕暖食甘毳【吹去聲】無厭者褐衣皮冠窮居陋巷有旦無暮食防【音奸】糲【音辣】者葷茹膢【音婁又音劉】臘而後見肉【漢儀注立秋防膢蘇林曰防虎屬常以立秋日祭獸王者亦以此日出獵還以祭宗廟故有防膢之祭也蔡邕獨防曰臘者嵗終大祭縦吏民宴飲風俗通曰按韓子書山居谷汲者膢臘而買水楚俗常以十二月祭飲食也又曰嘗新始殺也食新曰膒膢按禮傳夏曰嘉平殷曰清祀周曰大蜡漢改為臘臘者獵也言田獵取獸以祭祀其先祖也或曰臘者接也新故交接故大祭以報功也漢家火行衰於戌故曰臘也】審老親之腹非唐園唯菜是盛【音成】夫【音扶】防【音奸】糲【音辣】乞者所不取而子以養【去聲】親雖欲以禮非其貴也
丞相史が曰く【注音:「相」は去声と読む】: 孝は以て天下・一国を以て養うより【注音:「養」は去声と読む】大きるは莫く、其の次は禄養【注音:「養」は去声と読む】、下等は是れ力を以てす。故に王公人君は上、卿大夫は其の次。句首の夫【注音:「夫」は扶と同じ】: 家人より言えば、賢子有りて世に路に当たるは、高堂の宇(底本この字は生僻字で転写後に失われた、音は遂)、安車大馬、衣は軽暖【注音:「衣」は去声と読む】、食は甘毳【注音:「毳」は吹、去声と読む】。厭き無きは、褐衣皮冠、窮居陋巷にして旦有りて暮無く、蔬糲を喫し【注音:「防」は奸と同じ、即ち「蔬」】【注音:「糲」は辣と同じ】、葷茹𦝼腊にして後に乃ち肉を見る【注音:「𦝼」は婁と同じ、又た劉と同じ】【《漢儀注》: 立秋に䝙𦝼す(底本は「防𦝼」と作る)。蘇林が曰く: 䝙は(底本は「防」と作る)是れ虎の属、常に立秋の日に獣を祭る、王者も亦た此の日に出でて獵し、還りて以て宗廟に祭る、故に䝙𦝼の祭有り。蔡邕《独断》に曰く(底本は「独防」と作る): 腊は是れ歳終の大祭、吏民を縦にして宴飲せしむ。《風俗通》に曰く: 韓子の書を按ずるに、山居谷汲するは、𦝼腊して水を買う。楚俗は常に十二月を以て飲食を祭る。又た曰く: 新を嘗めて殺し始め、新を食うを膒𦝼と曰う。礼伝を按ずるに: 夏は嘉平と曰い、殷は清祀と曰い、周は大蜡と曰い、漢は改めて腊と為す。腊は即ち獵なり、是れ田獵して獣を取りて以て先祖を祭祀するを説く。或いは説く腊は是れ接なり、新故は交接す、故に大祭して以て功に報ゆ。漢家は火行、戌に衰う、故に之を腊と曰う】。老親の腹を審察するは、唐園の菜を盛るのみに【注音:「盛」は成と同じ】非ず。句首の夫【注音:「夫」は扶と同じ】: 蔬糲は是れ乞う者の取らざる所【注音:「防」は奸と同じ、即ち「蔬」】【注音:「糲」は辣と同じ】、而して子は以て親を養うに用いるは【注音:「養」は去声と読む】、礼に合せんと欲すと雖も、亦た貴ぶべきに非ざるなり。
文學曰無其能而竊其位無其功而有其祿雖有富貴由【通作猶】蹠【音卒】蹻【音腳】之養也髙臺極望食案方丈而不可謂孝老親之腹非盜囊也何故常盛【音成】不道之物【詩傳曰田子為相三年歸休得金百鎰奉其母母曰子安得此金對曰所受俸祿也母曰為相三年不食乎治官如此非吾所欲也孝子之事親也盡力致誠不義之物不入於館為人子不可不孝也子其去之田子愧慙走出造朝還金退請就獄王賢其母說其義即舍田子罪令復為相以金賜其母詩云宜爾子孫防防兮】夫【音扶】取非有非職財入而患從之身且死禍殃安得膢【音婁】臘而食肉曽參閔子無卿相【去聲】之養【去聲】而有孝子之名【屍子曰曽子每讀喪禮泣下霑襟常以一夕五起視衣之厚薄枕之髙卑曽子曰往而不可還者親也故子欲養而親不待是故椎牛而祭不如雞豚之逮親存也初吾為吏祿不及釜尚欣欣而喜者非以為多也樂其逮親也既沒之後吾嘗南逰於楚得尊官焉堂髙九尺車嘗百乗然猶北向而泣涕者非為賤也悲不逮吾親也故家貧親老不擇官而仕姚賈曰曽參孝其親天下願以為子子胥忠於君天下願以為臣劉向曰閔子騫兄弟二人母死其父更娶復有二子子騫為其父御車失轡父持其手衣甚單父則歸呼其後母児持其手衣甚厚溫即謂其婦曰吾所以娶汝乃為吾子今汝欺我去無留子騫前曰母在一子單母去四子寒其父黙然故曰孝哉閔子騫一言其母還再言三子溫】周襄王富有天下而有不能事父母之累【夏侯勝曰五辟之屬莫大不孝周襄王不能事母春秋曰天王出居於鄭繇不孝出之絶之於天下也】故禮菲而養【去聲】豐非孝也涼囷【丘倫反】而以養【去聲】非孝也【曽子曰亨孰羶薌嘗而薦之非孝也養也君子之所謂孝也者國人稱願之曰幸哉有子如此所謂孝也已眾之夲教曰孝其行曰養養可防也敬為難敬可防也安為難安可防也卒為難父母既沒慎行其身不遺父母惡名可謂防終矣】
文学が言います: 其の才能無くして其の位を窃み、其の功労無くして其の禄有るは、富貴有ると雖も、猶お盗跖・荘蹻の養のごとし【「由」は「猶」に通ず】【注音:「跖」は卒と同じ】【注音:「蹻」は脚と同じ】。高台は望を極め、食案は方丈たるも、而して孝と謂うべからず。老親の腹は盗嚢に非ず、何故に常に不道の物を盛らんや【注音:「盛」は成と同じ】【《詩》伝に曰く: 田子は相と為ること三年、帰休して金百鎰を得て其の母に奉る。母が曰く: 你は何の処よりか此らの金を得たる。対えて曰く: 是れ受くる所の俸禄。母が曰く: 相と為ること三年にして飯を食わざるか。官を治むること此の如くは、是れ我の欲する所に非ず。孝子の親に事えるは、力を尽くし誠を致し、義ならざるの物は館に入れず。人の子と為るは孝ならざるべからず。你は此らを去れ。田子は愧慚して走り出で、朝に造りて金を還し、退きて獄に就くを請う。王は其の母を賢とし其の義を悦び、便ち田子の罪を赦免し、令して復た相と為らしめ、金を以て彼の母に賜う。《詩》に曰く: 爾の子孫に宜しくあれ、振振たり(底本は「防防」と作る)】。句首の夫【注音:「夫」は扶と同じ】: 己の所有に非ざる職分の内に非ざるの財を取りて門に入れば、禍患は便ち随いて来たり、身は且つ禍殃に死せん、哪能く𦝼腊を待ちて肉を食わんや【注音:「𦝼」は婁と同じ】。曽参・閔子は卿相の養無きも【注音:「相」は去声と読む】【注音:「養」は去声と読む】、却りて孝子の名有り【《尸子》に曰く: 曽子は毎に喪礼を読めば、泣は襟に沾り下り、常に一夕に五起して以て、衣の厚薄・枕の高卑を看る。曽子が曰く: 往きて還るべからざるは是れ親なり。故に子は養わんと欲して親は待たず。此に因り牛を椎りて祭るは、鶏豚の親の還お在るに及ぶに如かず。当初我は吏と為り、禄は釜に及ばず、還お欣欣として喜ぶ、是れ多しと為すに非ず、是れ其の親の在るに及ぶを楽しむなり。親は没して後、我は曽て南の楚に游びて尊官を得、堂は高きこと九尺、車は嘗て百乗、還お北に向い涕泣す、是れ賤を以てに非ず、是れ我が親に及ばざるを悲しむなり。故に家貧く親老ゆるは、官を択ばずして仕う。姚賈が曰く: 曽参は其の親に孝なり、天下は願わくは以て子と為さん。子胥は君に忠なり、天下は願わくは以て臣と為さん。劉向が曰く: 閔子騫は兄弟二人、母死し、其の父は再娶して、又た二子有り。子騫は其の父の為に車を御り、轡を失い、父は其の手を持てば、衣は甚だ単し。父は便ち帰り、其の後母の子を呼び、其の手を持てば、衣は甚だ厚暖なり、便ち其の婦に対して曰く: 我の汝を娶る所以は、是れ我の子の為なり。今汝は我を欺く、行け、留まる勿れ。子騫は前にして曰く: 母在れば、一子は単なり。母去れば、四子は寒し。其の父は黙然たり。故に曰く: 孝いかな閔子騫、一言して其の母は還り、再び言して三子は暖かなり】。周襄王は天下を富有るも、却りて父母に事うる能わざるの累有り【夏侯勝が曰く: 五辟の属は、不孝より大なるは莫し。周襄王は能く母に事えず、《春秋》は天王は鄭に出居すと曰うは、是れ不孝に由りて「出」と書し、彼を天下に絶するなり】。故に礼は菲にして養豊かなるは孝に非ず【注音:「養」は去声と読む】、涼囷して以て養うは孝に非ず【注音:「囷」は丘倫反】【注音:「養」は去声と読む】【曽子が曰く: 熟なる羶薌を烹り、嘗めて之を薦ぐるは、孝に非ず、是れ養なり。君子の所謂孝は、国人は称願して曰く: 幸いなるかな子有ること此の如し、此れ才かに孝と謂う。衆の本教は孝と曰い、其の行は養と曰う。養は可能なり(底本は「可防」と作る)、敬は難と為す。敬は可能なり(底本は「可防」と作る)、安は難と為す。安は可能なり(底本は「可防」と作る)、卒は難と為す。父母は既に没し、慎んで其の身を行い、父母に悪名を遺さず、能く終わると謂うべし(底本は「防」と作る)】。
丞相【去聲】史曰上孝養【去聲】色其次安親其次全身徃者陳餘背漢斬於泜【音止】水伍被邪逆而夷三族近世主父偃行不軌而誅滅呂步舒弄口而見戮【陳餘傳曰漢二年東擊楚使告趙欲與俱餘曰漢殺張耳乃従於是漢求人類耳者斬其頭遺余余乃遣兵助漢漢敗於彭城西餘亦聞耳詐死即背漢漢遣耳與韓信擊破趙井陘斬餘泜水上伍被傳曰伍被為淮南王安畫謀反計後事發覺被詣吏自吿與淮南王謀反蹤跡如此天子以伍被雅辭多引漢美欲弗誅張湯進曰被首為王畫反計罪無赦逐誅被主父偃傳曰元朔中上拜偃為齊相至齊乃使人以王與姊奸事動王王以為終不得脫恐效燕王論死乃自殺上聞大怒廼徴下吏治偃服受諸侯金實不刼王令自殺上欲勿誅公孫爭曰齊王自殺無後國除為郡入漢偃本首惡非誅偃無以謝天下乃遂族偃董仲舒傳曰呂步舒者仲舒弟子也】行身不謹誅及無罪之親由此觀之虗禮無益於已也文實配行禮養【去聲】俱施然後可以言孝孝在扵質實不在扵飾貌全身在扵謹慎不在於馳語也
丞相史が曰く【注音:「相」は去声と読む】: 上孝は色を養い【注音:「養」は去声と読む】、其の次は親を安んじ、其の次は身を全うす。往者陳余は漢に背き、泜水に斬さる【注音:「泜」は止と同じ】。伍被は邪逆にして三族を夷せられ。近世主父偃は行軌らずして誅滅し、呂歩舒は口を弄びて戮を見たり【《陳余伝》に曰く: 漢二年に東の楚を撃ち、使をして趙に告げて与に俱にせんと欲せしむ。余が曰く: 漢は張耳を殺せば才かに従わん。於是漢は張耳の像たる人を求め、其の頭を斬りて余に送り、余は便ち兵を遣わして漢を助く。漢は彭城の西に敗れ、余も亦た耳は詐死と聞き、便ち漢に背く。漢は耳と韓信を遣わして趙を井陘に撃破し、余を泜水の上に斬る。《伍被伝》に曰く: 伍被は淮南王安の為に謀反の計を画く。後に事は発覚し、被は吏に詣でて自ら淮南王と謀反するを告ぐ、蹤跡は此の如し。天子は伍被は雅辞にして多く漢の美を引くを因り、誅せざらんと欲す。張湯は進みて曰く: 被は首として王の為に反計を画き、罪は赦無し。於是被を誅す。《主父偃伝》に曰く: 元朔の中、上は偃を拝して斉相と為す。斉に到り、便ち人をして王と姉の奸事を以て王を打動せしむ。王は以て終に脱るるを得ずと為し、燕王の死を論ずるに效うを怕れ、便ち自殺す。上は聞きて大怒し、便ち吏を徴して下して治めしむ。偃は服す: 諸侯の金を受くるは是れ実、王を脅迫して自殺せしめたるは無し。上は誅せざらんと欲す。公孫弘は争いて曰く: 斉王は自殺して後無く、国は除かれて郡と為りて漢に入る。偃は本より是れ首悪、偃を誅せざれば以て天下に謝する無し。於是偃を族す。《董仲舒伝》に曰く: 呂歩舒は是れ仲舒の弟子】。身を行いて謹まざれば、誅は無罪の親に及ぶ。此より観るに、虚礼は己に益無し。文実は行に配し、礼養は俱に施し【注音:「養」は去声と読む】、然る後に以て孝を言うべし。孝は質実に在りて飾貌に在らず、身を全うするは謹慎に在りて語を馳するに在らず。
文學曰言而不誠期而不信臨難【去聲】不勇事君不忠不孝之大者也【曽子曰身也者父母之遺體也行父母之遺體敢不敬乎居處不莊非孝也事君不忠非孝也蒞官不敬非孝也朋友不信非孝也戰陳無勇非孝也五者不遂烖及於親敢不敬乎】孟子曰今之士今之大夫皆罪人也皆逢其意以順其惡今子不忠不信巧言以亂政導防以求合若此者不容於世春秋曰士守一不移循理不外援共【音供】其職而已故卑位而言髙者罪也言不及而言者傲也有詔公卿與斯議而空戰口也
文学が言います: 言いて誠ならず、期して信ならず、難に臨みて勇ならず【注音:「難」は去声と読む】、君に事えて忠ならざるは、是れ不孝の大なり【曽子が曰く: 身は、是れ父母の遺体。父母の遺体を行うは、敢えて敬せざらんや。居処は荘ならざるは孝に非ず、君に事えて忠ならざるは孝に非ず、官に莅みて敬ならざるは孝に非ず、朋友は信ならざるは孝に非ず、戦陣は勇無きは孝に非ず。五者行われざれば、災は親に及ぶ、敢えて敬せざらんや】。孟子が曰く: 今の士・今の大夫は皆罪人、皆其の意に逢いて以て其の悪に順う。今你は忠ならず信ならず、巧言して以て政を乱り、諛を導きて以て合を求む(底本は「导防」と作る)、此の如きのは世に容れられず。《春秋》に曰く: 士は一を守りて移らず、理に循りて外に援せず、其の職を恭うるのみ【注音:「共」は供と同じ】。故に卑位にして高きを言うは是れ罪、言に及ばずして言うは是れ傲。詔に公卿をして此の議論に参与せしむる有るも、却りて空しく自ら口を戦わす。
