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盐铁论 · 第20巻

西汉 · 桓宽 · 第20巻 / 32

賢良曰高皇帝之時蕭曹為公滕灌之屬為卿濟濟然斯則賢矣文景之際建元之始大臣尚有爭【去聲】引守正之義自此之後多承意從欲少敢直言面議而正刺因公而狥私故武安丞相【田蚡也】訟園田爭曲直人主之前夫【音扶】九層之臺一傾公輸子不能正夲朝【音潮】一邪伊望不能復故公孫丞相倪大夫側身行道分祿以養賢卑已以下士功業顯立日力不足無行人子產之繼而葛繹澎【音彭】侯之等【傳曰公孫賀為丞相封葛繹侯劉屈為左丞相封澎侯】隳壊其緒紕【音避】亂其紀毀其客館議堂以為馬廐婦舍無養士之禮而尚驕矜之色亷恥陵遲而爭於利矣【西京雜記曰平津侯自布衣為宰相乃開東閣營客館以招天下之士其一曰欽賢館以待大賢次曰翹材館以待大材次曰接士館以待國士其有徳任毗賛佐理隂陽者處欽賢之館其有才堪九列將軍二千石者居翹材之館其有一介之善一方之藝居接士之館而躬自菲薄所得俸祿以奉待之公孫傳曰時上方興功業屢舉賢良自見為舉首起徒步數年至宰相封侯於是起客館開東閣以延賢人與參謀議身食一肉脫粟飯故人賔客仰衣食奉祿皆以給之家無所餘凡為丞相御史六嵗年八十終丞相位其後李蔡嚴青瞿趙石慶公孫賀劉屈繼踵為丞相自蔡至慶丞相館舍丘虛而已至賀屈時壊以為馬廐車庫奴婢室矣】故良田廣宅民無所之不恥為利者滿朝【音潮】市列田畜者彌郡國橫暴掣【音徹】頓大第巨舍之旁道路且不通此固難醫而不可為工大夫勃然作色黙而不應

賢良が言いました:高皇帝の時、蕭・曹は公となり、滕・灌の属は卿となり、濟濟として、あれこそ賢でした。文景の際、建元の初めは、大臣にまだ争【注音:「争」は去声】引して正を守る義がありました。これ以降は多く意に承え欲に従い、直言して面議し正しく刺すことを敢えてする者が少なく、公に因りて私を徇しました。ですから武安丞相【田蚡。】は園田を訟え、人主の前で曲直を争いました。句首の夫【注音:「夫」はフ】:九層の台が一たび傾けば、公輸子も正せません。本朝【注音:「朝」はチョウ】が一たび邪になれば、伊尹・太公望も復せません。ですから公孫丞相・倪大夫は身を側して道を行い、禄を分かちて賢を養い、己を卑くして士に下り、功業は顕立しましたが、日力足らず、行人・子産の継ぐ者なく、葛繹・澎【注音:「澎」はホウ】侯の等があり【伝に言います:公孫賀は丞相となり葛繹侯に封ぜられ、劉屈氂は左丞相となり澎侯に封ぜられました。】、その緒を毀壊し、その紀を紕【注音:「紕」はヒ】乱し、その客館議堂を毀して馬厩・婦舍と為し、士を養う礼なくして驕矜の色あり、廉恥は陵遅して利に争いました【《西京雑記》に言います:平津侯は布衣から宰相となり、東閣を開き、客館を営んで天下の士を招きました。その一を欽賢館と言い大賢を待ち、次を翹材館と言い大材を待ち、次を接士館と言い国士を待ちました。徳あり能ありて毗賛し陰陽を佐理する者は欽賢の館に処し、才あって九列・将軍・二千石に堪うる者は翹材の館に居し、一介の善、一方の芸ある者は接士の館に居しました。自ら菲薄で、得た俸禄は皆彼らを奉待するのに用いました。《公孫弘伝》に言います:当時、上は功業を興し、屡々賢良を挙げました。弘は自ら挙首と見なされ、徒步より起こり、数年にして宰相となり侯に封ぜられ、そこで客館を起こし、東閣を開いて賢人を延え参謀議させました。弘自身は一肉・脱粟飯を食し、故人賓客は衣食を仰ぎ、俸禄は皆彼らに与え、家に余すところなし。凡そ丞相・御史たること六年、年八十にして丞相の位に終わりました。その後、李蔡・厳青翟・趙周・石慶・公孫賀・劉屈氂が踵を継いで丞相となりました。蔡より慶に至っては、丞相館舎は丘墟となるのみ。賀・屈氂の時に至っては、毀して馬厩・車庫・奴婢の室と為しました。】。ですから良田広宅は民の往くところなく、利を為すことを恥じぬ者は朝【注音:「朝」はチョウ】に満ち、市列・田畜は郡国に弥らぎ、横暴に掣【注音:「掣」はテツ】頓し、大第巨舎の傍らは道路さえ通じません。これは誠に医し難く功を為しがたい。大夫は勃然として色を作し、黙して応えませんでした。

鹽鐡針石第三十一

塩鐡鍼石第三十一

丞相【去聲】史曰吾聞諸鄭長【音掌】孫曰君子正顔色則逺暴嫚出辭氣則逺鄙倍矣故言可述行可則此有司夙昔所願覩也若夫【音扶】劒客論博奕辯盛色而相蘇秦立權以不相假使有司不能取賢良之議而賢良文學被不遜之名竊為諸生不取也公孫龍有言曰論之為道辯故不可以不屬意屬【去聲】意相寛【顔師古曰屬意猶言注意也】相寛其歸爭爭而不讓則入於鄙今有司以不仁又防素飡無以更責雪恥矣【顔師古曰素空也素飡者徳不稱官空當食祿】縣官所招舉賢良文學而及親民偉仕亦未見其能用針【音針】石而醫百姓之疾也

丞相史【注音:「相」は去声】が言いました:私は鄭長【注音:「長」はチョウ】孫から聞きました:君子は顔色を正しくすれば暴慢を遠ざけ、辞気を出せば鄙倍を遠ざけます。ですから言は述べるべく、行は則るべきものです。これは有司が夙昔より願い見たいところです。句首の夫【注音:「夫」はフ】に至っては:剣客の論、博弈の弁のごとく、盛んな色で蘇秦に相い、権を立てて相仮せず、有司に賢良の議を取らせず、賢良文学は不遜の名を被りました。私は諸生のために取りません。公孫龍の言に言います:論の道は弁に在り、ゆえに意を属さざるべからず。属【注音:「属」は去声】意は相寛【顔師古が言います:属意は猶お注意のごとし。】とすれど、相寛はその帰するところ争に在り、争いて譲らざれば鄙に入ります。今、有司は不仁にしてまた素餐に処り(底本は「又防」)、更に責め雪耻する術がありません【顔師古が言います:素は空。素餐は徳が官に称わず、空しく食禄に当たること。】。県官の招挙した賢良文学および民に親しむ偉仕も、未だその針【注音:「針」はシン】石を用いて百姓の疾を医すること能くするを見ません。

賢良曰賈生有言曰懇言則辭淺而不入深言則逆耳而失指故曰談何容易談且不易而況行之乎此胡建所以不得其死而吳得防不免於患也【胡建傳曰胡建為渭城令治甚有聲值昭帝防皇后父上官將軍安與帝姊蓋主私夫丁外人相善外人驕恣怨故京兆尹樊福使客射殺之客藏公主廬吏不敢捕渭城令建將吏卒圍捕蓋主聞之與外人上官將軍多從奴客往犇射追吏吏散走主使僕射劾渭城令遊徼傷主家奴建報亡它坐蓋主怒使人上書告建侵辱長公主射甲舍門知吏賊傷奴闢報故不窮審大將軍霍光寢其奏後光病上官氏代聼事下吏捕建建自殺吏民稱寃至今渭城立其祠】語曰五盜執一良人枉木惡直繩【説山訓曰眾曲不容直眾枉不容正故人眾則食狼狼眾則食人也】今欲下針【音針】石通闗鬲則恐有盛胡之累懐針【音針】槖【音托】艾則被不工之名狼防其胡載其尾君子之路行止之道固狹耳此子石所以嘆息也【雜言曰子石登吳山而四望喟然而嘆息曰嗚呼悲哉世有明於事情不合於人心者有合於人心不明於事情者弟子問曰何謂也子石曰昔者吳王夫差不聼伍子胥盡忠極諌抉目而辜太宰嚭公孫雒偷合苟容以順夫差之志而伐吳二子沉身江湖頭懸越旗昔者費仲惡來革長鼻決耳崇侯虎順紂之心欲以合於意武王伐紂四子身死牧之野頭足異所比干盡忠剖心而死今欲明事情恐有抉目剖心之禍欲合人心恐有頭足異所之患由是觀之君子道狹耳誠不逢其明主狹道之中又將險危閉塞無可從出者子石公孫龍也】

賢良が言いました:賈生の言に言います:懇言すれば辞は浅くして入らず、深言すれば耳に逆らいて旨を失います。だから談何容易と言うのです。談ずること尚お易からず、況んやこれを行うをや。これが胡建のその死を得ず、呉得(底本は「防」、未だ復せず、§7を見よ)の患を免れぬゆえんです【《胡建伝》に言います:胡建は渭城令となり、治績甚だ声あり。昭帝の時に値り、皇后の父・上官将軍安は帝の姉・蓋主の私夫丁外人と相善しでした。外人は驕恣で、故京兆尹樊福を怨み、客をして射殺させました。客は公主の廬に蔵れ、吏は捕らえるを敢えてしませんでした。渭城令建は吏卒を将いて囲捕しました。蓋主これを聞き、外人・上官将軍とともに奴客を多く従えて奔り射て吏を追い、吏は散走しました。主は僕射をして渭城令の游徼が主家の奴を傷つけたと劾させました。建は報じて言いました:他の罪ありません。蓋主怒り、人をして上書させ、建は長公主を侵辱し、甲舎の門を射、吏が奴を賊傷するを知りて辟報し故に窮審せずと告げさせました。大将軍霍光はその奏を抑え下げました。後に光病み、上官氏が代わりて事を聴き、吏を下して建を捕らえ、建は自殺しました。吏民は冤と称し、今に至るも渭城にその祠を立てます。】。俗語に言います:五盗が一良人を執れば、枉木は直縄を悪む【〈説山訓〉に言います:衆曲は直を容れず、衆枉は正を容れず。ゆえに人衆なれば狼を食らい、狼衆なれば人を食らう。】。今、針【注音:「針」はシン】石を下して關鬲を通ぜんと欲すれば、盛胡の累あるを怕れ、針【注音:「針」はシン】を懐き橐【注音:「槖」はタク】艾せば、不工の名を被ります。狼はその胡を跋し(底本は「狼防」)、その尾を疐す。君子の路、行止の道はもともと窄い。これが子石の嘆息するゆえんです【〈雑言〉に言います:子石は呉山に登りて四望し、喟然として嘆息して言います:嗚呼悲しいかな!世に事情に明るくして人心に合わぬ者有り、人心に合して事情に明らかならぬ者有り。弟子が問いました:何の意ですか?子石が言いました:昔、呉王夫差は伍子胥の忠を尽くし極諫するを聴かず、目を抉らせて辜としました。太宰嚭・公孫雒は合を偸み苟容して夫差の志に順い、呉を伐って、二子は身を江湖に沈め、頭を越旗に懸けられました。昔、費仲・悪来革は鼻を長くし耳を決ち、崇侯虎は紂の心に順い意に合わんと欲し、武王が紂を伐ち、四子は身を牧野に死し、頭足は所を異にしました。比干は忠を尽くして心を剖かれて死にました。今、事情を明らかにせんと欲すれば、目を抉り心を剖くの禍あるを怕れ、人心に合わんと欲すれば、頭足所を異にする患あるを怕れます。これより観れば、君子の道は窄し。もし明主に逢わざれば、狭道の中にまた険危にして閉塞し、従うべき出づるところなし。子石は即ち公孫龍です。】

除狹第三十二

除狹第三十二

大夫曰賢者處大林遭風雷而不迷【舜典曰納於大麓烈風雷雨弗迷】愚者雖處平敞【音昶】大路猶暗惑焉今守相【去聲】親剖符贊拜蒞一郡之眾古方伯之位也受命專制宰割千里不御於內善惡在於己已不能故耳道何狹之有哉

大夫が言いました:賢者は大林に処り、風雷に遭いても迷わず【《舜典》に言います:大麓に納れ、烈風雷雨も迷わず。】。愚者は平敞【注音:「敞」はチョウ】なる大路に処るもなお暗惑します。今、守相【注音:「相」は去声】は親しく符を剖き贊拜し、一郡の衆に莅む、これ古の方伯の位です。命を受けて専制し、千里を宰割し、内に御せられず、善悪は己に在り。己に能わざるのみであって、道に何の窄さかありましょうか?

賢良曰古之進士也鄉擇而裡選論其才能然後官之勝【音升】職任然後爵而祿之【王制曰大樂正論造士之秀者以告於王而升諸司馬曰進士司馬辨論官材論進士之賢者以告於王而定其論論定然後官之任官然後爵之位定然後祿之】故士修之鄉曲升諸朝【音潮】廷行之幽隱明足顯著疏逺無失士小大無遺功是以賢者進用不肖者簡黜【傳曰王者之論徳也而不尊無功不官無徳不誅無罪朝無幸位民無幸生故上賢使能而等級不逾折暴禁悍而刑罰不過百姓曉然皆知夫為善於家取賞於朝也為不善於幽而防刑于顯夫是之謂定論是王者之徳詩云明昭有周式序在位】今吏道壅而不選【古作通】富者以財賈【音古】官勇者以死射功戱車鼎躍鹹出補吏【衛綰傳曰以戱車為郎顔師古曰若今之弄車之技也】累功積日或至卿相【去聲】垂青繩擐【音灌】銀擅殺生之柄專萬民之命弱者猶使羊將狼也其亂必矣強者則是予狂夫利劒也必妄殺生也【酷吏傳曰寧成家居上欲以為郡守禦史大夫曰臣居山東為小吏時寧成為濟南都尉其治如狼牧羊成不可使治民上乃拜成為闗都尉主術訓曰不仁而有勇力果敢則狂而操利劒不知而辨慧懐給則棄而不式雖有材能其施之不當其處之不宜適足以轉偽餙非伎藝之眾不如其寡也故有野心者不可借便勢有愚質者不可與利器】是以往者郡國黎民相乗而不能理或至鋸頸殺不辜而不能正執綱紀非其道蓋博亂愈甚古者封賢祿能不過百里百里之中而為都疆垂不過五十猶以為一人之身明不能照聦不能逹故立卿大夫士以佐之而政治乃備今守相或無古諸侯之賢而蒞千里之政主一郡之眾施聖主之徳擅生殺之法至重也非仁人不能任非其人不能行一人之身治亂在已千里與之轉化不可不熟擇也【管子曰堯舜之民非生而治桀紂之民非生而亂故治亂在上商君曰善治者使盜跖可信不能治者使伯夷可疑】故人主有私人以財不私人以官【韓嬰曰明主有私人以百金名珠玉而無私以官職事業者何也曰本不利所私也彼不能而主使之是闇主也臣不能而為之是詐臣也主闇於上臣詐於下滅亡無日矣俱害之道也故惟明主能愛其所愛闇主則必危其所愛】懸賞以待功序爵以俟賢舉善若不足黜惡若仇讐固為【去聲】其非功而殘百姓也夫【音扶】傅【音輔】主徳開臣途在於選賢而器使之擇揀守相然後任之【樂毅曰賢聖之君不以祿私親其功多者賞之其能當者處之故察能而授官者成功之君也論行而結交者立名之士也韓非子曰夫物者有所宜材者有所施各處其宜故上下無為使雞司夜狸執防皆用其能上乃無事泰族訓曰或輕或重或貪或亷此四者相反而不可一無也輕者欲發重者欲止貪者欲取亷者不利非其有故勇者可令進鬭而不可令持牢重者可令埴固而不可令凌敵貪者可令進取而不可令守職亷者可令守分而不可令進取信者可令持約而不可令應變五者相反聖人兼用而財使之夫天地不包一物隂陽不生一類海不讓水潦以成其大山不讓土石以成其高夫守一隅而遺萬方取一物而棄其餘則所得者鮮而所治者淺矣道應訓曰聖人之處世不遺有技能之士老子曰人無棄人物無棄物主術訓曰積力之所舉無不勝也眾智之所為無不成也聾者可令嗺筋而不可使有聞也喑者可令守圉而不可使有言也是故有一形者處一位有一能者服一事力勝其任則舉之者不重也能稱其事則為之者不難也無大小修短各得其宜則天下一齊無以相過也聖人兼而用之故無棄才】

賢良が言いました:古の進士は、郷が擇み里が選び、その才能を論じて然る後に官とし、職任に勝【注音:「勝」はショウ】えて然る後に爵し禄しました【《王制》に言います:大楽正は造士の秀なる者を論じて王に告げ、司馬に升る、これを進士と言う。司馬は官材を辨論し、進士の賢なる者を論じて王に告げてその論を定む。論定まりて然る後に官とし、官に任じて然る後に爵し、位定まりて然る後に禄す。】。ですから士は郷曲に修め、朝【注音:「朝」はチョウ】廷に升り、行は幽隠にして明らかにして著すべく、疏遠に失士なく、小大に遺功なし。これにより賢者は進用し、不肖者は簡黜されます【伝に言います:王者の徳を論ずるに、功なきを尊ばず、徳なきを官とせず、罪なきを誅せず、朝に幸位なく、民に幸生なし。ゆえに賢を上げ能を使して等級踰えず、暴を折り悍を禁じて刑罰過ぎず。百姓は曉然として皆な知る:家に善を為せば朝に賞を取り、幽に不善を為せば顕に刑を蒙る。これを定論と言い、王者の徳なり。《詩》に言います:明昭なる周、式に位に序する。】。今は吏道壅して選ばず【古は通と作る。】、富者は財を以て官を買【注音:「賈」はコ】い、勇者は死を以て功を射、戯車・鼎躍も出でて吏を補します【《衛綰伝》に言います:戯車を以て郎と為る。顔師古が言います:今の弄車の技のごとし。】。功を累ね日を積みて或いは卿相【注音:「相」は去声】に至り、青縄を垂れ、銀亀を擐【注音:「擐」はカン】び、殺生の柄を擅にし、万民の命を専にします。弱き者は猶お羊をして狼を将いせしむるがごとく、その乱必至り。強き者は則ち狂夫に利剣を与うるがごとく、必ず妄りに生を殺します【《酷吏伝》に言います:寧成は家に居り、上は用いて郡守とせんと欲しました。御史大夫弘が言います:臣、山東に居りて小吏たりし時、寧成は済南都尉となり、その治は狼の羊を牧するがごとし。成は民を治めしむべからず。上は便ち成を拜して關都尉と為しました。〈主術訓〉に言います:不仁にして勇力果敢あれば、則ち狂して利剣を操る。知らずして辨慧捷給なれば、法を棄てて式せず。材能ありと雖も、施すに当たらず処るに宜しからざれば、適なりて偽を転じ非を飾るに足るのみ。伎藝の衆きはその寡きに如かず。ゆえに野心ある者は便勢を借すべからず、愚質ある者は利器を与るべからず。】。これにより往者、郡国の黎民は相乗じて理能わず、或いは頸を鋸り不辜を殺して正すに至れり。綱紀を執ることあの道にあらず、蓋し広博なればなお乱は甚し。古は賢を封じ能に禄すること百里を過ぎず、百里の中に都を為し、疆垂は五十を過ぎず。猶お以て一人の身は明に照る能わず、聡に達する能わずと為し、故に卿・大夫・士を立ててこれを佐け、政治乃ち備わりました。今、守相は或いは古の諸侯の賢なくして千里の政に莅み、一郡の衆を主とし、聖主の徳を施し、生殺の法を擅にす。至重なり、仁人にあらざれば任じ能わず、その人にあらざれば行う能わず。一人の身、治乱は己に在り、千里これと転化す、熟く擇まざるべからず【管子が言います:堯舜の民は生まれながらに治するにあらず、桀紂の民は生まれながらに乱るるにあらず。ゆえに治乱は上に在り。商君が言います:善く治むる者は盗跖をも信ぜしめ、治む能わざる者は伯夷をも疑わしむ。】。故に人主は人を財を以て私とする有れど、人を官を以て私とすることなし【韓嬰が言います:明主は人を百金・名珠玉を以て私とする有れど、官職事業を以て私とすることなし、何ぞや?曰く:本に於いて私する所の人に利あらざればなり。彼能わずして主これを使はば、是れ暗主。臣能わずしてこれを為さば、是れ詐臣。主暗く上に、臣詐く下に、滅亡日なからん。皆な害の道なり。ゆえに明主のみ能くその愛する所を愛し、暗主は則ち必ずその愛する所を危うくす。】。賞を懸けて功を待ち、爵を序べて賢を俟ち、善を挙ぐること足らざるが若く、悪を黜すること仇讐の若し。固より是れ其の功ならざるを為【注音:「為」は去声】して百姓を残すなり。句首の夫【注音:「夫」はフ】:主徳を傅【注音:「傅」はフ】え臣途を開くは、賢を選びて器使し、守相を擇揀して然る後にこれに任ずるに在り【楽毅が言います:賢聖の君は禄を以て親に私せず、その功多き者はこれを賞し、その能に当たる者はこれを処る。ゆえに能を察して官を授くるは成功の君、行を論じて結交するは立名の士。韓非子が言います:物に宜する所有り、材に宜する所有り。各々その宜を得れば則ち推せずして任す。故に明君は能を相して官を授け、賢を論じて任を与う。今、官を授くるに能を相せず、任を与うるに賢を論ぜず、ただ財賄を以て之を仕る。此の故に材能の士は用いられず、賢智の臣は進められず。是以て姦邪の臣は朝廷に充ち、善人の士は疏遠せらる。財賄の多き者は官爵を得、材能の士は反りて用いられざるを見るのみ。韓嬰が言います:聖人の用人は匠の木を用うるが如し。大者は以て舟航・梁柱と為し、小者は以て楫楔と為し、修者は以て櫋榱と為し、短者は以て侏儒と為し。小大の短修を論ぜず、各々其の宜を得、則ち天下一斉にして以て相過ぐることなし。聖人は兼ねてこれを用う、故に棄才なし。】

鹽鐡論卷七

塩鐡論卷七

欽定四庫全書

欽定四庫全書

鹽鐵論卷八

塩鐡論卷八

漢桓寛撰

漢桓寛撰

明張之象注

明張之象注

疾貪第三十三

疾貪第三十三

大夫曰然為醫以拙矣又多求謝為吏既多不良矣又侵漁百姓【顔師古曰侵漁言侵奪百姓若漁者之取魚也】長吏厲諸小吏【厲病也】小吏厲諸百姓故不患擇之不熟而患求之與得異也不患其不足也患其貪而無厭也

大夫が言いました:こう言うからには、医を為ること已に拙きに足り、多く謝礼を索め、吏を為ること已に良からぬ者多きに、さらに百姓を侵漁する【顔師古が言います:侵漁は、百姓を侵奪すること漁人の魚を取るが如しと言う。】。長吏は小吏を虐害し【厲は、病害なり。】、小吏は百姓を虐害します。ゆえに擇ぶこと精細ならざるを患えず、患うるは求むる所と得る所と同じからざるなり。患うるは彼の足らざるにあらず、患うるは彼の貪りて厭くことなきなり。

賢良曰古之制爵祿也卿大夫足以潤賢厚士足以優身及黨庻人為官者足以代其耕而食其祿【管子曰爵不尊祿不重者不與圖難犯危以其道為未可以求之也是故先王制軒冕足以著貴賤不求其美設爵祿足以守其服不求其親使君子食於道小人食於力】今小吏祿薄郡國繇【音遙】役逺至三輔粟米貴不足相澹【古聸字】常居則匱於衣食有故則賣畜粥業非徒是也繇吏相遣官庭攝追小計權吏行施乞貸長吏侵漁上府下求之縣縣求之鄉鄉安取之哉【荀悅曰先王之制祿也下足以代耕上足以充祀故食祿之家不與下民爭利所以厲其公義塞其私心其或犯逾之者則繩以政法是以君子慕義小人無怨若位苟祿薄外而不充憂匱是防所求不贍則私利之制萌矣放而聼之則貪利之心濫矣以法繩之則下情怨矣故位必稱徳祿必稱爵故一物而不稱亂之道也今漢之賦祿薄而吏非員者眾在位者貪於財產規奪官民之利則殖貨無厭奪民之利不以為恥是以清節毀傷公義損缺富者比公室貧者匱朝夕非所為濟俗也】語曰貨賂【音路】下流猶水之赴下不竭不止今大川江河飲巨海巨海受之而欲谿谷之讓流潦百官之廉不可得也夫【音扶】欲影正者端其表欲下廉者先之身【曾子曰響不辭聲鑑不辭形君子正一而萬物皆成夫行非為影也而影隨之呼非為響也而響和之故君子功先成而名隨之主術訓曰君人者其猶射者乎於此毫末於彼尋丈矣故慎所以感之也夫榮啟期一彈而孔子三日樂感於和鄒忌一徽而威王終夕悲感於憂動諸琴瑟形諸聲音而能使人為之哀樂縣法設賞而不能移風易俗其誠心弗施也】故貪鄙在率不在下教訓在政不在民也【主術訓曰通於本者不亂於末覩於要者不惑於詳是故有諸已不非諸人無諸已不求諸人所立於下者不廢於上所禁於民者不行於身孔子曰其身正不令而行其身不正雖令不從故禁勝於身則令行於民矣劉峻曰神非舜禹心異朱均才絓中庸在於所習是以素絲無恆黃代起鮑魚芳蘭入而自變】

賢良が言いました:古は爵禄を制して、卿大夫は以て賢者を潤沢し士人を厚くするに足り、以て自身および党与を優待するに足り、庶人の官たる者は、以て耕に代えてその禄を食むに足りました【管子が言います:爵尊からず禄重からざる者は、これと難を図り危を犯さず、その道は未だ以て彼にこれを為さしむるに足らざればなり。ゆえに先王は軒冕を制して以て貴賤を標するに足り、その美を求めず。爵禄を設けて以てその服制を守るに足り、その親暱を求めず。君子をして道に食ませ、小人をして力に食ましむ。】。今、小吏は俸禄薄く、郡国の徭【注音:「繇」はヨウ】役遠く、三輔に至りて粟米貴く、相供贍【澹は、古の「贍」字(底本の「聸」は「贍」の訛)】うるに足らず。平常の居処も衣食に匱し、変故あれば牲畜を賣り産業を鬻ぎます。これのみにあらず:徭吏は相遣發し、官庭は追捕し、小計の權吏は賄を行い貸を乞い、長吏は侵漁す。上府は下りてこれを縣に求め、縣はこれを郷に求む、郷はまた何処よりか取らん【荀悅が言います:先王の禄を制するや、下は以て耕に代うるに足り、上は以て祀を充つるに足り、ゆえに禄を食む家は下民と利を争わず、その公義を激勵しその私心を杜塞するを為るなり。犯逾する者有れば、則ち政法を以てこれを繩す。ゆえに君子は義を慕い、小人は怨みなし。もし職位苟にして俸禄薄ければ、外に充実すること能わず、憂え恤(底本は「是防」、荀悅《禄制論》に拠り「是恤」と作るべし)する所は匱乏にして、求むる所足らざれば、私利の制便ち萌生す。放ちてこれを聴かば則ち貪利の心氾濫し、法を以てこれを繩せば則ち下情怨恨す。ゆえに位は必ず徳に称い、禄は必ず爵に称い、一物称わざれば則ち乱の道なり。今、漢朝は賦禄薄くして超員の吏又多く、位に在る者は財産を貪り官民の利を謀奪すれば、則ち貨を殖やして厭くことなく、民の利を奪うを以て恥と為さず。ゆえに清節は毀傷し公義は缺損し、富者は公室に比し得、貧者は朝夕匱乏す、俗を済るの做にあらず。】。俗語に言います:貨賂【注音:「賂」はロ】は下に流るること水の下に赴くが如く、竭きざれば止まず。今、大川江河は巨海に飲ませ、巨海はこれを受くも、谿谷に流潦を譲らしめんと欲す、百官を廉潔ならんことを得んと欲するは得られません。句首の夫【注音:「夫」はフ】:影を正しからんと欲すれば、先ず表竿を端に立て、下を廉潔ならんと欲すれば、先ず自身より作せ【曾子が言います:回響は声音を辞せず、鏡は形体を辞せず。君子はその一を正しくして万物皆な成る。行は影の為にあらざるも、影は随う。呼は響の為にあらざるも、響は和す。ゆえに君子は功先に成りて名これに随う。〈主術訓〉に言います:人君たる者、猶お射る者のごとからずや。此に毫末を差せば、彼に尋丈を差す、ゆえに感ずる所以のものを慎まざるべからず。榮啓期一たび彈きて孔子三日楽しむは、和に感ぜばなり。鄒忌一たび徽を撥ねて威王終夕悲しむは、憂に感ぜばなり。琴瑟に動き声音に形れば、則ち人をして哀楽せしむる能くす。法令賞賜を設くるも風俗を移易すること能わざるは、誠心の出で施されざればなり。】。ゆえに貪鄙は表率に在り、下に在らず。教訓は政治に在り、百姓に在らず【〈主術訓〉に言います:本に通ずる者は末に乱れず、要領を見る者は詳情に惑わず。ゆえに己に有る者は人を非難せず、己に無き者は人に求めず。下に立つ所は上に廃せられず、民に禁ずる所は身に行わず。孔子が言います:その身正しければ、令せずして行わる。その身正しからざれば、令すと雖も従わず。ゆえに禁令は先ず自身に勝ち、命令乃ち民に行わる。劉峻が言います:神は舜禹にあらず、心は朱均に異なり、才は中庸に及ぶのみ、要は習う所に在り。ゆえに素絲に恒の色なく、玄(底本此の字は生僻字、轉録後失落)黄代起し、鮑魚芳蘭一たび入れば自ら変ず。】

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