樂記
或問於曾子曰:“夫既遣而包其餘,猶既食而裹其餘與?君子既食則裹其餘乎?”曾子
曾子に問う人有りて曰く、「已に遣奠してその余を包起すは、已に食してその余を包裹するがごとしや?君子已に食してその余を包裹するか」と。曾子
曰:“吾子不見大饗乎?夫大饗既饗,卷三牲之俎,歸於賓館,父母而賓客之,所以為哀也。子不見大饗乎?”
曰く、「なんじ大饗を看見せざるか?あの大饗已に宴饗して、三牲の俎を捲起し、賓館に歸す。父母を賓客と作すは、以って哀を表示するなり。なんじ大饗を看見せざるか」と。
非為人喪,問與?賜與?
人の喪あるに由らずして、是れ問候か?將た賞賜か?
三年之喪,以其喪拜。非三年之喪,以吉拜。三年之喪,如或遺之酒肉,則受之,必三辭,主人衰絰而受之。如君命,則不敢辭,受而薦之。喪者不遺人,人遺之,雖酒肉受也。從父昆弟以下,既卒哭,遺人可也。
三年の喪は、その喪拜を用いる。三年の喪にあらざれば、吉拜を用いる。三年の喪は、若し人酒肉を贈給すれば、則ち接受し、必ず三次推辭し、主人衰絰を穿着して接受す。若し君命なれば、則ち敢えて推辭せず、接受して進獻す。喪する者は人に贈給せず。別人彼に贈給すれば、たとえ酒肉なりとも接受す。父兄弟以下より、已に卒哭せば、人に贈給するも可なり。
縣子曰:“三年之喪如斬,期之喪如剡。”
縣子曰く、「三年の喪は斬のごとく、期年の喪は削のごとし」と。
期之喪,十一月而練,十三月而祥,十五月而禫。
期年の喪は、十一月して練し、十三月して祥し、十五月して禫す。
三年之喪,雖功衰不弔,自諸侯達諸士。如有服而將往哭之,則服其服而往。練則吊,既葬,大功吊,哭而退,不聽事焉。期之喪未葬,吊於鄉人,哭而退,不聽事焉。功衰吊,待事不執事。小功緦,執事不與於禮。
三年の喪は、たとえ功衰なりとも弔わず、諸侯より士に通達す。若し服ありて將に往き哭せんとせば、則ちその服を穿きて往く。練すれば則ち弔うべし。已に下葬せば、大功往きて弔い、哭して退下し、事を聽かず。期年の喪未だ下葬せざれば、鄉里の人を弔い、哭して退下し、事を聽かず。功衰往きて弔えば、事情を等待して事を辦せず。小功緦麻は、事を辦して禮に參與せず。
相趨也,出宮而退;相揖也,哀次而退;相問也,既封而退;相見也,反哭而退;朋友,虞附而退。
互相いに快步認識するは、宮を出でて退下す。互相いに作揖するは、倚廬哀次に退下す。互相いに問候するは、已に棺を下して退下す。互相いに見面せるは、返回して哭して退下す。朋友は、虞祭・祔祭に退下す。
吊非從主人也,四十者執綍,鄉人,五十者從反哭,四十者待盈坎。
弔は主人に跟從するにあらず。四十歲は紼を執る。鄉里の人は、五十歲は返回して哭に跟從し、四十歲は圹穴を填滿するを等待す。
喪食雖惡,必充飢,飢而廢事,非禮也,飽而忘哀,亦非禮也。視不明,聽不聰,行不正,不知哀,君子病之。故有疾,飲酒食肉。五十不致毀,六十不毀,七十飲酒食肉,皆為疑死。
喪食たとえ惡劣なりとも、必ず充饑す。餓て事情を廢棄するは、禮にあらず。吃飽して哀を忘記するも、亦た禮にあらず。看清楚せず、聽聰敏せず、走端正せず、哀を知らず、君子此を以って病と爲す。故に病あれば、酒を飲み肉を食う。五十は毁瘠を極盡せず、六十は毁瘠せず、七十は酒を飲み肉を食う、皆死を怕るなり。
有服,人召之食,不往。大功以下,既葬適人,人食之,其黨也食之,非其黨弗食也。功衰食菜果,飲水漿,無鹽酪,不能食食,鹽酪可也。孔子曰:“身有瘍則浴,首有創則沐,病則飲酒食肉。毀瘠為病,君子弗為也。毀而死,君子謂之無子。”
服あり、別人彼を召して飯を食わしめば、往かず。大功以下は、已に下葬して別人の所に到れば、別人彼に食を給すれば、是れその親黨なれば則ち食い、是れその親黨にあらざれば食わず。功衰は菜果を食い、水漿を飲み、鹽酪なし。飯を食う能わざれば、鹽酪も可なり。孔子曰く、「身上瘡あれば則ち沐浴し、頭上創あれば則ち頭を洗い、病せば則ち酒を飲み肉を食う。毁瘠病と成るは、君子爲さず。毁瘠して死せば、君子彼に兒子なしと謂う」と。
非從柩與反哭,無免於堩。
柩に跟從しと哭に返回するにあらざれば、道路上に免を用いず。
凡喪,小功以上,非虞附練祥,無沐浴。
およそ喪、小功以上は、虞祭・祔祭・練祭・祥祭にあらざれば、沐浴せず。
疏衰之喪,既葬,人請見之則見,不請見人。小功請見人可也,大功不以執摯。唯父母之喪,不闢涕泣而見人。
疏衰の喪は、已に下葬せば、別人彼に見えんを請求すれば則ち見え、人に見えんを請求せず。小功は人に見えんを請求するも可なり。大功は摯を用いず。ただ父母の喪のみ、涕泣を避開せずして人に見ゆ。
三年之喪,祥而從政。期之喪,卒哭而從政。九月之喪,既葬而從政。小功緦之喪,既殯而從政。
三年の喪は、祥して政に跟從す。期年の喪は、卒哭して政に跟從す。九月の喪は、已に下葬して政に跟從す。小功緦麻の喪は、已に殯して政に跟從す。
曾申問於曾子曰:“哭父母有常聲乎?”曰:“中路嬰兒失其母焉,何常聲之有?”
曾申曾子に問うて曰く、「父母を哭するに經常の聲音あるか」と。曰く、「半路上嬰兒その母親を失去す、何れか經常の聲音あらん」と。
卒哭而諱,王父母、兄弟、世父、叔父、姑姊妹、子與父同諱。母之諱,宮中諱。妻之諱,不舉諸其側,與從祖昆弟同名則諱。
卒哭して避諱す。祖父母・兄弟・世父・叔父・姑姊妹・兒子は父親と一同避諱す。母親の諱は、宮中避諱す。妻の諱は、彼女の旁邊に提起せず。從祖兄弟と同名なれば則ち避諱す。
以喪冠者,雖三年之喪可也。既冠於次,入哭踴三者三,乃出。
喪に因りて冠を加えるは、たとえ三年の喪なりとも可なり。已に喪次に冠を加え、進入して哭して頓足三次各々三遍して、纔かに出づ。
大功之末,可以冠子,可以嫁子。父小功之末,可以冠子,所以嫁子,可以取婦。己雖小功,既卒哭,可以冠,取妻。下殤之小,功則不可。
大功の末尾は、兒子に冠を加え、女兒を嫁出せしむべし。父親小功の末尾は、兒子に冠を加うべし、故に女兒を嫁出せしむべく、婦を娶るべし。自らたとえ小功なりとも、已に卒哭せば、冠を加え妻を娶るべし。下殤の小功は則ち可ならず。
凡弁絰,其衰侈袂。
およそ弁絰は、その衰の袖は寬大なり。
父有服,宮中子不與於樂。母有服,聲聞焉不舉樂。妻有服,不舉樂於其側。大功將至,闢琴瑟。小功至,不絕樂。
父親服あれば、宮中の兒子は樂に參與せず。母親服あれば、聲音傳來せば樂を擧げず。妻服あれば、彼女の旁邊に樂を擧げず。大功將に到らんとすれば、琴瑟を避開す。小功到れば、樂を停止せず。
姑姊妹,其夫死,而夫黨無兄弟,使夫之族人主喪。妻之黨,雖親弗主,夫若無族矣,則前後家,東西家,無有,則裡尹主之。或曰:主之而附於夫之黨。
姑姊妹は、その丈夫死して、夫黨に兄弟なければ、丈夫の族人を派して喪主を爲らしむ。妻の親黨は、たとえ親なりとも主を爲さず。丈夫若し族なければ、則ち前後家・東西家。なければ、則ち里尹主を爲す。或るは曰く、主を爲して丈夫の親黨に祔す。
麻者不紳,執玉不麻,麻不加於採。
麻を穿つは紳を係せず、玉を持つは麻を穿かず、麻は文采上に加えず。
國禁哭則止,朝夕之奠即位,自因也。
國哭を禁止すれば則ち停止す。朝夕の奠は位に就き、自然に因循す。
童子哭不偯,不踴,不杖,不菲,不廬。
童子は哭するに聲音を拉長せず、頓足せず、杖を用いず、草鞋を穿かず、倚廬に住せず。
孔子曰:“伯母叔母疏衰,踴不絕地。姑姊妹之大功,踴絕於地。如知此者,由文矣哉!由文矣哉!”
孔子曰く、「伯母叔母疏衰は、頓足して地を離れず。姑姊妹の大功は、頓足して地を離る。若し此を知らば、是れ文を經由せり!是れ文を經由せり」と。
世柳之母死,相者由左。世柳死,其徒由右相。由右相,世柳之徒為之也。
世柳の母親死せば、贊佐の人は左邊より。世柳死せば、その門徒右邊より贊佐す。右邊より贊佐するは、世柳の門徒の爲せるなり。
天子飯九貝,諸侯七,大夫五,士三。士三月而葬,是月也卒哭。大夫三月而葬,五月而卒哭。諸侯五月而葬,七月而卒哭。士三虞,大夫五,諸侯七。
天子含飯は九貝を用い、諸侯七、大夫五、士三。士は三月して下葬し、その月卒哭す。大夫三月して下葬し、五月して卒哭す。諸侯五月して下葬し、七月して卒哭す。士三次虞祭し、大夫五次、諸侯七次。
諸侯使人吊,其次含襚賵臨,皆同日而畢事者也。其次如此也。
諸侯人を派して弔うに、その次含・斂衣・贈喪・臨哭は、皆同一天事情を完畢す。その次序是のごとし。
卿大夫疾,君問之無筭。士壹問之。君於卿大夫,比葬不食肉,比卒哭不舉樂,為士比殯不舉樂。
卿大夫病あれば、君問候するに次數なし。士は問候一次。君の卿大夫に對するは、下葬に至るまで肉を食わず、卒哭に至るまで樂を擧げず。士の爲に殯に至るまで樂を擧げず。
升正柩,諸侯執綍五百人,四綍,皆銜枚。司馬執鐸,左八人,右八人。匠人執羽葆御柩。大夫之喪,其升正柩也,執引者三百人,執鐸者左右各四人,御柩以茅。
堂に升りて柩を端正するに、諸侯紼を執る五百人、四條の紼、皆枚を啣む。司馬鐸を持ち、左邊八人、右邊八人。匠人羽葆を持ちて柩を引導す。大夫の喪は、その堂に升りて柩を端正するに、牽引を執る三百人、鐸を持つは左右各四人、茅を以って柩を引導す。
孔子曰:“管仲鏤簋而朱紘,旅樹而反坫,山節而藻梲,賢大夫也,而難為上也。晏平仲祀其先人,豚肩不揜豆,賢大夫也,而難為下也。君子上不僭上,下不偪下。”
孔子曰く、「管仲は簋を雕鏤して朱紅帽帶し、門道に對して屏を設けて反坫あり、山形斗拱して梁上藻を畫く、是れ賢大夫なり、而れども彼の上を爲り難し。晏平仲その先人を祭祀するに、豚肩豆を遮住せず、是れ賢大夫なり、而れども彼の下を爲り難し。君子は上に向かいて上に僭越せず、下に向かいて下を逼迫せず」と。
婦人非三年之喪,不踰封而吊。如三年之喪,則君夫人歸,夫人其歸也,以諸侯之吊禮。其待之也,若待諸侯然。夫人至,入自闈門,升自側階。君在阼,其它如奔喪禮然。
婦人は三年の喪にあらざれば、封疆を越えて弔いに往かず。若し三年の喪なれば、則ち君夫人歸る。夫人その歸るは、諸侯の弔禮を用いる。その彼女を對待するは、諸侯を對待するがごとし。夫人到れば、闈門より進入し、側階より升る。君阼階に在り、その他は奔喪禮のごとし。
嫂不撫叔,叔不撫嫂。
嫂は叔を撫按せず、叔は嫂を撫按せず。
君子有三患:未之聞,患弗得聞也;既聞之,患弗得學也;既學之,患弗能行也。君子有五恥:居其位,無其言,君子恥之;有其言,無其行,君子恥之;既得之而又失之,君子恥之;地有餘而民不足,君子恥之;眾寡均而倍焉,君子恥之。
君子に三樣の憂患あり、未だ聞說せざれば、能く聞說せざるを憂患し、已に聞說して、能く學せざるを憂患し、已に學して、能く實行せざるを憂患す。君子に五樣の羞恥あり、その位子に處りてその話なくば、君子此を以って恥と爲す。その話ありてその實行なくば、君子此を以って恥と爲す。已に得て又失えば、君子此を以って恥と爲す。土地余裕ありて民足らざれば、君子此を以って恥と爲す。人數多少相同にして別人加倍せば、君子此を以って恥と爲す。
孔子曰:“凶年則乘駑馬,祀以下牲。”
孔子曰く、「凶年は則ち駑馬に乘り、祭祀に下等の牲を用いる」と。
恤由之喪,哀公使孺悲之孔子,學士喪禮。士喪禮於是乎書。
恤由の喪に、哀公孺悲を派して孔子の所に至らしめ、士喪禮を學習せしむ。士喪禮是に於いて寫下せり。
子貢觀於蠟,孔子曰:“賜也樂乎?”對曰:“一國之人皆若狂,賜未知其樂也。”子曰:“百日之蠟,一日之澤,非爾所知也。張而不弛,文武弗能也。弛而不張,文武弗為也。一張一弛,文武之道也。”
子貢蜡祭を觀看す。孔子曰く、「賜快樂するか」と。答えて曰く、「一國の人皆發狂するがごとく、賜その快樂を知らず」と。孔子曰く、「百日の蜡、一日の恩澤は、なんじの知る所にあらず。張のみて弛せざれば、文王武王も能わず。弛のみて張せざれば、文王武王爲さず。一張一弛は、文王武王の道なり」と。
孟獻之曰:“正月日至,可以有事於上帝。七月日至,可以有事於祖。”七月而禘,獻子為之也。
孟獻子曰く、「正月日至は、上帝に對して事あるべし。七月日至は、祖に對して事あるべし」と。七月して禘祭するは、獻子の爲せるなり。
夫人之不命於天子,自魯昭公始也。
夫人天子の任命に由らざるは、魯昭公より始まる。
外宗為君夫人,猶內宗也。
外宗君夫人の爲に、還お內宗のごとし。
廄焚,孔子拜鄉人,為火來者,拜之,士壹,大夫再,亦相吊之道也。
馬廄失火すれば、孔子鄉里の人を拜す。火災の爲に來るは、彼を拜す、士一次、大夫兩次。亦た互相いに弔うの道なり。
孔子曰:“管仲遇盜,取二人焉,上以為公臣,曰:‘其所與遊闢也,可人也。’管仲死,桓公使為之服。官於大夫者之為之服也,自管仲始也,有君命焉爾也。”
孔子曰く、「管仲盜に遇い、兩個人を選取し、上に推薦して公の臣を爲さしめ、曰く『彼らの交游するは邪僻なり、人は卻って取るべし』と。管仲死して、桓仆人をして彼の爲に服せしむ。大夫の所に官を爲す人彼の爲に服するは、管仲より始まる、是れ君命彼處に有るなり」と。
過而舉君之諱則起,與君之諱同則稱字。
過失して君の諱を提起すれば則ち起きる。君の諱と相同なれば則ち字を稱す。
內亂不與焉,外患弗闢也。
內亂は參與せず、外患は躲避せず。
贊大行曰:“圭,公九寸,侯、伯七寸,子、男五寸,博三寸,厚半寸,剡上左右各寸半。玉也,藻三採六等。”
贊大行曰く、「圭は、公九寸、侯・伯七寸、子・男五寸、寬三寸、厚半寸、尖上左右各一寸半。是れ玉なり。藻三采六等」と。
哀公問子羔曰:“子之食奚當?”對曰:“文公之下執事也。”
哀公子羔に問うて曰く、「なんじの食は何に相當する」と。答えて曰く、「文公の下等執事」と。
成廟則釁之,其禮,祝宗人,宰夫,雍人,皆爵弁純衣。雍人拭羊,宗人視之,宰夫北面於碑南,東上,雍人舉羊升屋,自中。中屋南面,刲羊血流於前,乃降。門,夾室皆用雞,先門而後夾室,其衈皆於屋下。割雞,門,當門,夾室,中室,有司皆鄉室而立。門,則有司當門北面。既事,宗人告事畢,乃皆退,反命於君曰:“釁某廟事畢。”反命於寢,君南鄉於門內,朝服,既反命,乃退。路寢成,則考之而不釁。釁屋者,交神明之道也。凡宗廟之器,其名者成則釁之以豭豚。
廟を建成せば則ち血を以って釁す。その禮、祝・宗人・宰夫・雍人は、皆爵弁を戴き純衣を穿く。雍人羊を擦り、宗人察看す。宰夫碑南に在りて北に面し、東を以って上と爲す。雍人羊を擧げて屋に升り、中間より。屋當中に南に面し、羊を割いて血を前面に流し、纔かに下る。門・夾室は皆雞を用い、先ず門して然る後に夾室。その血釁は皆屋下に在り。雞を割くに、門は正當門、夾室は室中央。有司皆室に向いて立つ。門は、則ち有司正當門に北に面す。已に事を完成せば、宗人事完畢を稟告し、纔かに皆退下し、君に回報して曰く、「某廟を釁る事完畢せり」と。寢に在りて回報す。君門內に在りて南に向かい、朝服を穿く。已に回報して、纔かに退下す。路寢建成せば、則ち落成を擧行して釁せず。屋を釁るは、神明と交接するの道なり。およそ宗廟の器は、その名あるは做成すれば則ち公豬豚を以って釁す。
諸侯出夫人,夫人比至於其國,以夫人之禮行,至,以夫人入。使者將命曰:“寡君不敏,不能從而事社稷宗廟,使使臣某敢告於執事。”主人對曰:“寡君固前辭不教矣,寡君敢不敬須以俟命。”有司官陳器皿,主人有司亦官受之。妻出,夫使人致之曰:“某不敏,不能從而共粢盛,使某也敢告於侍者。”主人對曰:“某之子不肖,不敢闢誅,敢不敬須以俟命?”使者退,主人拜送之。如舅在則稱舅,舅沒則稱兄,無兄則稱夫。主人之辭曰:“某之子不肖。”如姑姊妹亦皆稱之。
諸侯夫人を出すに、夫人その國に到るまで、夫人の禮を以って出行す。到れば、夫人を以って進入す。使者命を傳えて曰く、「寡君聰敏ならず、能く跟從して社稷宗廟に事奉せず、使臣某を派して敢えて執事に稟告す」と。主人答えて曰く、「寡君固く先前已に推辭して敎好せずと說けり、寡君敢えて恭敬等候して命を等待せざらんや」と。有司官に按りて器皿を陳列し、主人の有司も亦た官に按りて接受す。妻被出さるるに、丈夫人を派して辭を致して曰く、「某聰敏ならず、能く跟從して黍稷を供給せず、某を派して敢えて侍者に稟告す」と。主人答えて曰く、「某の兒子不肖、敢えて責罰を避けず、敢えて恭敬等候して命を等待せざるべけんや」と。使者退下せば、主人拜して送る。若し舅在れば則ち舅を稱し、舅去世せば則ち兄を稱し、兄なければ則ち夫を稱す。主人の辭曰く、「某の兒子不肖」と。若し姑姊妹なれば亦た皆是のごとく稱す。
孔子曰:“吾食於少施氏而飽,少施氏食我以禮。吾祭,作而辭曰:‘疏食不足祭也。’吾飧,作而辭曰:‘疏食也,不敢以傷吾子。’”
孔子曰く、「われ少施氏の所に食いて吃飽せり、少施氏禮を以ってわれに食せり。われ祭れば、彼起きて推辭して曰く『粗疏の食祭るに足らず』と。われ剩飯を食えば、彼起きて推辭して曰く『是れ粗疏の食、敢えて以ってなんじを傷害せず』と」と。
納幣一束.束五兩.兩五尋。
幣を納るる一束。束は五兩。兩は五尋。
婦見舅姑,兄弟姑姊妹皆立於堂下,西面北上,是見已,見諸父,各就其寢。
婦舅姑に見ゆるに、兄弟姑姊妹皆堂下に立ち、西に面して北を以って上と爲す。是れ已に見えたり。諸の父輩に見ゆるに、各々その寢に到る。
女雖未許嫁,年二十而笄,禮之。婦人執其禮,燕則鬈首。
女たとえ未だ許嫁せざるとも、年二十にして笄を加え、彼女に禮を行う。婦人その禮を執掌す。燕居すれば則ち髮を垂る。
縪長三尺,下廣二尺,上廣一尺,會去上五寸,紕以爵韋六寸,不至下五寸。純以素,紃以五采。
蔽膝長三尺、下の寬二尺、上の寬一尺、會合處上を離れて五寸。鑲邊に雀色韋六寸を用い、下面に到らず五寸。緣に素を用い、絛に五采を用いる。
