Libo

曲礼

西汉 · 戴圣(辑) · 第5巻 / 32

有薦新,如朔奠。

時新を進獻する有れば、朔日の奠のごとし。

既葬,各以其服除。

すでに葬りて、各々その服に按りて除く。

池視重溜。

棺飾の池は重霤に比照す。

君即位而為椑,歲壹漆之,藏焉。

君即位すれば貼身の棺を作り、一年に一度漆し、收藏す。

復楔齒,綴足,飯,設飾,帷堂,並作,父兄命赴者。

魂を招き、楔をもって齒を撑開し、腳を固定し、飯含し、飾を設け、帷をもって堂を遮るは、同時に進行す。父兄が報喪の人を命令す。

君復於小寢、大寢、小祖、大祖、庫門、四郊。

君のために魂を招くに、小寢・大寢・小祖廟・太祖廟・庫門・四郊に於てす。

喪不剝奠也與,祭肉也與。

喪事に裸にて奠せざるは、祭肉あるを以ってなり。

既殯,旬而布材與明器。

すでに殯せば、一旬にして木材と明器を布陳す。

朝奠日出,夕奠逮日。

朝奠は日出に在り、夕奠は日落前に趕す。

父母之喪哭無時,使必知其反也。

父母の喪の哭は定時なく、出使すれば必ず人にその返回を知らしむ。

練練衣黃裡,縓、緣、葛要絰、繩屨無絇,角瑱、鹿裘、衡長袪,袪裼之可也。

練祭は練衣・黄裏を穿き、淺紅の邊、葛の腰絰、繩鞋に鞋頭裝飾なく、角質の充耳、鹿裘、橫にして長き袖口、袖口に裼衣を露わにするも可なり。

有殯,聞遠兄弟之喪,雖緦必往。非兄弟,雖鄰不往。

殯事ありて、遠方兄弟の喪を聞けば、たとえ緦麻なりとも必ず前往す。兄弟にあらざれば、たとえ鄰居なりとも前往せず。

所識,其兄弟不同居者皆吊。

識る所の人は、彼の同居せざる兄弟も皆弔いに往く。

天子之棺四重,水兕革棺被之,其厚三寸,杝棺一,梓棺二,四者皆周。棺束,縮二,衡三,衽每束一,柏槨以端長六尺。

天子の棺は四層、水牛・兕牛の皮革の棺をもって之を覆い、厚さ三寸、杝木棺一層、梓木棺兩層、四樣皆周遍す。棺束は、直に兩道、橫に三道、每束に接榫一つあり。柏木槨は根端を用い、長さ六尺。

天子之哭諸侯也,爵弁絰(糹才)衣,或曰:使有司哭之,為之不以樂食。

天子が諸侯を哭するに、爵弁を戴き、絰を繫け、淺絳衣を穿く。或る人曰く、有司を派して彼を哭せしめ、是がために飯するに樂を用いずと。

天子之殯也,菆塗龍輴以槨,加斧於槨上,畢塗屋,天子之禮也。

天子の殯は、木を叢聚して泥を塗り、龍輴に槨を加え、斧紋を槨上に加え、全部を屋に塗成すは、天子の禮なり。

唯天子之喪,有別姓而哭。

ただ天子の喪のみ、姓に按りて分別して來り哭す。

魯哀公誄孔丘曰:“天不遺耆老,莫相予位焉。嗚呼哀哉,尼父!”

魯哀公が孔丘を誄して曰く、「天は耆老を留めず、わが位を輔助する人なし。嗚呼哀哉、尼父」と。

國亡大縣邑,公卿大夫士皆厭冠,哭於大廟三日,君不舉。或曰:君舉而哭於後土。

國家が大きな縣邑を喪失せば、公・卿・大夫・士皆喪冠を戴き、太廟にて三日哭し、君は樂を擧げず。或る人曰く、君は樂を擧げて后土の所にて哭すと。

孔子惡野哭者。

孔子は野外にて亂哭する人を厭惡す。

未仕者不敢稅人,如稅人,則以父兄之命。

未だ官を爲さざる者は敢えて人に財物を贈らず、若し贈らば、父兄の命を用いる。

士備入而後朝夕踴。

士皆進み入りて然る後に朝夕跳踴す。

祥而縞,是月禫,徙月樂。

祥祭は縞冠を穿き、この月に禫祭を行い、下の月に樂を作す。

君於士有賜帟。

君は士に對して小帳幕を賜うあり。

君之適長殤,車三乘。公之庶長殤,車一乘。大夫之適長殤,車一乘。

君の嫡子の長殤は車三輛、公の庶子の長殤は車一輛、大夫の嫡子の長殤は車一輛。

公之喪,諸達官之長杖。

公の喪に、各達官の長官は杖を拄く。

君於大夫,將葬,吊於宮。及出,命引之,三步則止,如是者三。君退,朝亦如之,哀次亦如之。

君は大夫に對し、將に葬らんとするとき宮中にて弔う。出で行くに及び、柩車を牽引せしめを命じ、三步走れば停まり、是のごとく三度す。君退く。朝廟も亦た是のごとく、哀次を經るも亦た是のごとし。

五十無車者,不越疆而吊人。

五十歳にして車なき者は、疆界を越えて人を弔わず。

季武子寢疾,蟜固不說齊衰而入見,曰:“斯道也,將亡矣!士唯公門說齊衰。”武子曰:“不亦善乎?君子表微。”及其喪也,曾點倚其門而歌。

季武子が病に卧すに、蟜固が齊衰を脫がずして入りて見え、曰く、「この道は將に亡びんとす!士はただ公門に進むにのみ齊衰を脫ぐ」と。武子曰く、「亦た好からざらんか。君子は微細を表彰す」と。彼の喪に及び、曾點はその門に靠りて歌唱す。

大夫吊,當事而至,則辭焉。吊於人,是日不樂。婦人不越疆而吊人。行吊之日,不飲酒食肉焉。吊於葬者必執引。若從柩、及壙,皆執紼。

大夫來りて弔うに、正に事ある時到れば辭謝す。人を弔いに往くに、この日は樂を作さず。婦人は疆界を越えて人を弔わず。弔いを行く日は酒を飲み肉を食せず。正に葬る人を弔えば必ず牽引の繩を拉す。若し柩に從い墓穴に至れば、皆大繩を拉す。

喪公吊之,必有拜者,雖朋友州里舍人可也。吊曰:寡君承事。主人曰臨。君遇柩於路,必使人吊之。大夫之喪,庶子不受吊。

喪事に公來りて弔えば、必ず拜謝する人あり、たとえ朋友・州里・館舍の人も可なり。弔辭に曰く、寡君この事を承擔すと。主人曰く光臨と。君が路上にて柩に遇見すれば、必ず人を派して彼を弔わしむ。大夫の喪は、庶子は弔を受けず。

妻之昆弟為父後者死,哭之適室,子為主,袒免哭踴。夫入門右,使人立於門外,告來者。狎則入哭。父在,哭於妻之室。非為父後者,哭諸異室。

妻子の兄弟が父の後嗣を爲して死せれば、正室にて彼を哭し、兒子が喪主を爲し、衣を袒ぎ冠を去り哭踊す。丈夫が門に入るに右に靠り、人を門外に立たしめ、到來する人に告げしむ。親近する者は入りて哭す。父在れば、妻子の室にて哭す。父の後嗣を爲さざれば、別の一室にて哭す。

有殯,聞遠兄弟之喪,哭於側室,無側室,哭於門內之右。同國則往哭之。

殯事ありて、遠方兄弟の喪を聞けば、側室にて哭し、側室なければ門內右邊にて哭す。同じく一國に在れば前往して哭す。

子張死,曾子有母之喪,齊衰而往哭之,或曰:“齊衰不以吊。”曾子曰:“我吊也與哉。”

子張が死せるに、曾子母の喪あり、齊衰を穿きて前往して彼を哭す。或る人曰く、「齊衰を穿きて弔いに用いず」と。曾子曰く、「われ是れ弔か」と。

有若之喪,悼公吊焉,子游擯由左。

有若の喪に、悼公來りて弔い、子游は儐相を爲して左に從う。

齊谷王姬之喪,魯莊公為之大功,或曰:“由魯嫁,故為之服姊妹之服。”或曰:“外祖母也,故為之服。”

齊國谷地の王姬の喪に、魯莊公は彼女のために大功を服す。或る人曰く、「魯より嫁ぎ出でし、故に彼女のために姊妹の服を服す」と。或る人曰く、「是れ外祖母、故に彼女のために服す」と。

晉獻公之喪,秦穆公使人吊公子重耳,且曰:“寡人聞之:亡國恆於斯,得國恆於斯。雖吾子儼然在憂服之中,喪亦不可久也,時亦不可失也,孺子其圖之!”以告舅犯,舅犯曰:“孺子其辭焉!喪人無寶,仁親以為寶。父死之謂何,又因以為利,而天下其孰能說之?孺子其辭焉。”公子重耳對客曰:“君惠吊亡臣重耳,身喪父死,不得與於哭泣之哀,以為君憂,父死之謂何,或敢有他志,以辱君義。”稽顙而不拜,哭而起,起而不私。子顯以致命於穆公,穆公曰:“仁夫公子重耳!夫稽顙而不拜,則未為後也,故不成拜。哭而起,則愛父也,起而不私,則遠利也。”

晉獻公の喪に、秦穆公は人を派して公子重耳を弔わしめ、幷せて曰く、「寡人聞く、亡國は常にこの時に在り、國を得るは常にこの時に在り。たとえ吾子莊嚴に憂服の中に處るとも、喪は久しきべからず、時は失うべからず、孺子謀れ」と。把この言を舅犯に告ぐ。舅犯曰く、「孺子辭謝せよ!喪亡の人に寶なく、仁愛親人を以って寶と爲す。父の死するは何等の事か、また此を藉りて利を求めて、天下誰か能く彼を解說せん。孺子辭謝せよ」と。公子重耳が客人に對して曰く、「君が惠を施し亡臣重耳を弔う、自身流亡し父死せり、哭泣の哀に參與する能わず、君の憂と爲る。父の死するは何等の事か、何處に敢えて別の志向あらん、君の義を辱めんや」と。叩頭して地に觸れて拜せず、哭して起ち、起ちて私下に交談せず。子顯が穆公に復命す。穆公曰く、「仁なるかな公子重耳!叩頭して地に觸れて拜せざるは、即ち未だ後嗣を爲さず、故に拜を成さず。哭して起つは、父を愛すればなり。起ちて私下に交談せざるは、利を遠ざくるなり」と。

帷殯,非古也,自敬姜之哭穆伯始也。

帷をもって殯を遮るは古制にあらず、敬姜が穆伯を哭するより始まる。

喪禮,哀慼之至也。節哀,順變也,君子念始之者也。復,盡愛之道也,有禱祠之心焉。望反諸幽,求諸鬼神之道也。北面,求諸幽之義也。拜稽顙,哀慼之至隱也。稽顙,隱之甚也。飯用米貝,弗忍虛也。不以食道,用美焉爾。銘,明旌也,以死者為不可別已,故以其旗識之,愛之斯錄之矣,敬之斯盡其道焉耳。重,主道也,殷主綴重焉,周主重徹焉,奠以素器,以生者有哀素之心也。唯祭祀之禮,主人自盡焉爾,豈知神之所饗,亦以主人有齊敬之心也。闢踴,哀之至也,有筭,為之節文也,袒括髮,變也。慍,哀之變也,去飾去美也。袒括髮,去飾之甚也,有所袒,有所襲,哀之節也。弁絰葛而葬,與神交之道也,有敬心焉。周人弁而葬,殷人冔而葬。歠主人主婦室老,為其病也。君命食之也,反哭升堂,反諸其所作也。主婦入於室,反諸其所養也。反哭之吊也,哀之至也,反而亡焉,失之矣,於是為甚。殷既封而吊,周反哭而吊,孔子曰:“殷已愨,吾從周。”葬於北方北首,三代之達禮也,之幽之故也。既封,主人贈,而祝宿虞屍。既反哭,主人與有司視虞牲,有司以几筵舍奠於墓左。反,日中而虞,葬日虞,弗忍一日離也。是月也,以虞易奠,卒哭曰成事。是日也,以吉祭易喪祭。明日祔於祖父,其變而之吉祭也。比至於祔,必於是日也接,不忍一日末有所歸也。殷練而祔,周卒哭而祔,孔子善殷。

喪禮は、哀戚の極致に至れるなり。悲哀を節制するは、變故に順應するなり、君子はその起初生養せし己の人を思念す。魂を招くは、愛を盡くすの道、禱祠の心を帶びたり。彼の幽暗より返回せんを望むは、鬼神に求むるの道。面北するは、幽暗の處に向かいて求むるの意。拜して叩頭地に觸るは、哀戚深藏して極點に至れるなり。叩頭地に觸るは、隱痛最も甚し。米と貝をもって飯含するは、口を空虛ならしむるに忍びざるなり。活人の食する食物を用いず、ただ美好の物を用いるのみ。銘とは、標明の旌旗、死者すでに辨別すべからざれば、故にその旗をもって標識す。彼を愛せば彼を記錄し、彼を敬えばその條道を盡くすのみ。重とは神主の道なり。殷人は主を立てて重を旁に連綴し、周人は主を立てて重を撤去す。奠に素器を用いるは、活人に哀素の心あるを以ってなり。ただ祭祀の禮のみ、主人自ら其心を盡くすのみ、何ぞ神の享用する所を知らんや、亦た主人に齊敬の心あるを因とす。胸を捶き足を頓かすは、哀の極點、一定の次數あるは、之がために節制文飾す。袒露し麻をもって髮を束ぬは、常を變ず。慍怒は哀の變化、修飾を去り美を去る。袒露し髮を束ぬは、修飾を去る最も甚し。袒する所有り、襲する所有るは、哀の節制なり。弁を戴き麻を圍り葛を穿きて葬るは、神と交接するの道、敬心あり。周人は弁を戴きて葬り、殷人は冔を戴きて葬る。主人・主婦・室老に粥を飲ましむるは、彼らの病むを怕るるを以ってなり。國君の命ありて乃ち彼らに食せしむ。返り來りて哭し、堂に升るは、その事を爲せし處に回到なり。主婦が室に入るは、その供養せし處に回到なり。反哭の時に來り弔うは、哀の極點、歸來して人已に在らず、失えり、この時に於て最も甚し。殷人は下葬し土を封じて後に弔い、周人は反哭して後に弔う。孔子曰く、「殷はすでに質樸、われ周に從う」と。葬るに北方、頭を北に朝すは、三代通行の禮、幽暗に往くを因とする故なり。すでに土を封じ、主人は幣帛を贈送し、祝は先に往きて虞祭の尸を安排す。すでに反哭し、主人と有司は虞祭の牲を察看し、有司は几席をもって墓左に奠を設く。返回し、正午に虞祭を舉行す。下葬の日に即ち虞祭す、一日も離るるに忍びざればなり。この月、虞祭をもって奠に替換す。卒哭を成事と謂う。この日、吉祭をもって喪祭に替換す。明日に祔す。

君臨臣喪,以巫祝桃茢執戈,惡之也,所以異於生也。

國君が臣の喪に親臨するに、巫祝に桃枝扫帚をもって戈を持たしむは、死氣を憎惡し、生きる時と區別するを以ってなり。

喪有死之道焉,先王之所難言也。

喪事の裏に死の道理あり、是れ先王の明說し難き所なり。

喪之朝也,順死者之孝心也。其哀,離其室也。故至於祖考之廟而後行。殷朝而殯於祖,周朝而遂葬。

喪事に廟に朝するは、死者の孝心に順うなり。その哀は、その室を離るるなり。それゆえ祖考の廟に至りて然る後に出發す。殷人は廟に朝して祖廟に殯し、周人は廟に朝して即ち接續して下葬す。

孔子謂為明器者,知喪道矣,備物而不可用也。哀哉,死者而用生者之器也!不殆於用殉乎哉?其曰明器,神明之也。塗車芻靈,自古有之,明器之道也。孔子謂為芻靈者善,謂為俑者不仁,殆於用人乎哉。

孔子は明器を作る人を、喪道を懂得せる者と以爲す、器物を備辦すれど使用すべからず。悲哀かな、死者に却って活人の器を用いるとは!ほとんど活人をもって殉葬するに等しからざるか。明器と謂うは、死者を神明と爲すなり。泥車・草人は古より有り、是れ明器の道なり。孔子は草人を作るを善良と以爲し、俑を作るを不仁と以爲す、ほとんど活人を用いるに等しきか。

穆公問於子思曰:“為舊君反服,古與?”子思曰:“古之君子,進人以禮,退人以禮,故有舊君反服之禮也。今之君子,進人若將加諸膝,退人若將隊諸淵,毋為戎首,不亦善乎?又何反服之禮之有?”

穆公が子思に問うて曰く、「舊君のために返回して喪を服するは、古制か」と。子思曰く、「古の君子は、人を用いるに禮に按りて進め、禮に按りて退く、故に舊君のために反服する禮あり。今の君子は、進用するに人を膝上に放たんとするがごとく、斥退するに人を深淵に推し下さんとするがごとし。故國を攻打する戎首と爲さざれば、亦た好からざらんか。また何處に反服の禮あらん」と。

悼公之喪,季昭子問於孟敬子曰:“為君何食?”敬子曰:“食粥,天下之達禮也。吾三臣者之不能居公室也,四方莫不聞矣,勉而為瘠,則吾能。毋乃使人疑夫不以情居瘠者乎哉?我則食食。”

悼公の喪に、季昭子が孟敬子に問うて曰く、「國君のために何を食す」と。敬子曰く、「粥を飲むは、天下通行の禮なり。われら三臣は公室に安居する能わざるは、四方に知らざるなし。勉强して己を消瘦せしめば、われ能くす。人にあれは真情を因として消瘦するにあらずと懷疑せしめざらんや。われ即ち普通の飯を食せん」と。

衛司徒敬子死,子夏吊焉,主人未小斂,絰而往。子游吊焉,主人既小斂,子游出,絰反哭。子夏曰:“聞之也與?”曰:“聞諸夫子:主人未改服,則不絰。”

衛司徒敬子死す、子夏往きて弔うに、主人未だ小斂せず、彼は絰を圍りて往く。子游往きて弔うに、主人すでに小斂し、子游出でて、絰を圍りて再び歸り來りて哭す。子夏曰く、「かくのごときを聞いたりしか」と。子游曰く、「夫子に聞けり、主人未だ服を改めざれば、絰を圍らずと」と。

曾子曰:“晏子可謂知禮也已,恭敬之有焉。”有若曰:“晏子一狐裘三十年,遣車一乘,及墓而反。國君七個,遣車七乘,大夫五個,遣車五乘。晏子焉知禮?”曾子曰:“國無道,君子恥盈禮焉。國奢則示之以儉,國儉則示之以禮。”

曾子曰く、「晏子は禮を知れると謂うべし、恭敬は之あり」と。有若曰く、「晏子一の狐裘を穿くこと三十年、遣車ただ一乘、墓に至れば返回す。國君は七の包、遣車七乘、大夫は五の包、遣車五乘。晏子何處に禮を知れるや」と。曾子曰く、「國に道なければ、君子は禮數の盈滿を恥とす。國奢なれば儉をもって顯示し、國儉なれば禮をもって顯示す」と。

國昭子之母死,問於子張曰:“葬及墓,男子婦人安位?”子張曰:“司徒敬子之喪,夫子相,男子西鄉,婦人東鄉。”曰:“噫,毋!”曰:“我喪也斯沾,爾專之,賓為賓焉,主為主焉,婦人從男子皆西鄉。”

國昭子の母が死せるに、子張に問うて曰く、「葬りて墓地に至れば、男子・婦人はどう站位するか」と。子張曰く、「司徒敬子の喪に、夫子が相を爲せり、男子は西に向かい、婦人は東に向かえり」と。國昭子曰く、「噫、要らず」と。又曰く、「わが喪事是のごとく豐厚、なんじ專らその事を主り、賓は賓を爲し、主は主を爲し、婦人は男子に從いて皆西に向かえ」と。

穆伯之喪,敬姜晝哭,文伯之喪,晝夜哭。孔子曰:“知禮矣。”

穆伯の喪に、敬姜は白天哭し、文伯の喪に、晝夜皆哭す。孔子曰く、「禮を知れたり」と。

文伯之喪,敬姜據其床而不哭,曰:“昔者吾有斯子也,吾以將為賢人也,吾未嘗以就公室。今及其死也,朋友諸臣未有出涕者,而內人皆行哭失聲。斯子也,必多曠於禮矣夫!”

文伯の喪に、敬姜はその牀に靠りて哭せず、曰く、「昔われこの兒子有りて、彼將に賢人たらんと以爲し、われ未だ嘗て彼をして公室に接近せしめず。今彼の死するに至り、朋友・諸臣に淚を流す者なく、而るに家裏の婦人は皆哭して聲を失う。この兒子は、必ず禮上に多く曠廢せるべし」と。

季康子之母死,陳褻衣,敬姜曰:“婦人不飾,不敢見舅姑。將有四方之賓來,褻衣何為陳於斯?”命徹之。

季康子の母が死せるに、貼身衣服を陳列す。敬姜曰く、「婦人は修飾せざれば、敢えて舅姑に見えず。將に四方の賓の來らんとす、貼身衣服何ぞここに陳列せん」と。人に命じて撤去せしむ。

有子與子游立,見孺子慕者,有子謂子游曰:“予壹不知夫喪之踴也,予欲去之久矣。情在於斯,其是也夫?”子游曰:“禮有微情者,有以故興物者,有直情而逕行者,戎狄之道也,禮道則不然。人喜則斯陶,陶斯詠,詠斯猶,猶斯舞,舞斯慍,慍斯戚,戚斯嘆,嘆斯闢,闢斯踴矣。品節斯,斯之謂禮。人死,斯惡之矣。無能也,斯倍之矣。是故制絞衾,設蔞翣,為使人勿惡也。始死,脯醢之奠,將行遣而行之,既葬而食之,未有見其饗之者也。自上世以來,未之有舍也,為使人勿倍也。故子之所刺於禮者,亦非禮之訾也。”

有子が子游と立つに、小孩子の父母を思慕する樣子を見る。有子が子游に謂うて曰く、「われ一も喪禮の踊を懂せず、われ之を去らんと欲すること久し。真情はここに在り、おそらく是のごときか」と。子游曰く、「禮に感情を減損するあり、典故を用いて名物を興起するあり、直情して徑行するは、彼は戎狄の道、禮の道は然らず。人喜べば陶醉し、陶醉すれば咏し、咏せば搖れ、搖れれば舞い、舞えば慍り、慍れば戚れ、戚れば歎き、歎けば胸を捶き、胸を捶けば足を頓かす。品第節制これらをす、是を禮と謂う。人死せば、之を厭惡し、能力なければ、之を背棄す。故に尸を束ぬる絞と衾を制作し、婁と翣を設置するは、人をして厭惡せざらしめんがためなり。剛死せば、干肉・肉醬をもって奠を設け、將に出發せんとすれば遣奠して後に上路し、すでに下葬せば、また祭して食せしむ、未だ嘗て鬼神の眞に來りて享用するを見ず。上世より來り、捨棄せしことなく、人をして背棄せざらしめんがためなり。それゆえなんじの禮に指責する所も、また禮の毛病にあらず」と。

吳侵陳,斬祀殺厲,師還出竟,陳大宰嚭使於師,夫差謂行人儀曰:“是夫也多言,盍嘗問焉?師必有名,人之稱斯師也者,則謂之何?”大宰嚭曰:“古之侵伐者,不斬祀,不殺厲,不獲二毛。今斯師也,殺厲與?其不謂之殺厲之師與?”曰:“反爾地,歸爾子,則謂之何?”曰:“君王討敝邑之罪,又矜而赦之,師與?有無名乎?”

呉が陳を侵伐し、祀木を砍伐し疫病の人を殺害す。軍隊返回して邊境を走出るに、陳の大宰嚭が呉師に出使す。夫差が行人儀に對して曰く、「この人話多し、何ぞ試みに問うて見ざる。軍隊は必ず名號あり、人々この軍隊を稱呼して何と謂うか」と。大宰嚭曰く、「古の侵伐する者は、祀木を砍らず、疫病の人を殺さず、頭髮斑白の人を俘獲せず。今この軍隊は、疫病の人を殺すか。それは殺厲之師と謂うべからざるか」と。問う、「土地をなんじらに還し、兒子を送還すれば、また何と謂うか」と。答えて曰く、「君王が敝邑の罪を討ち、また憐憫して赦免す、この軍隊は、なお名なきを得んや」と。

顏丁善居喪,始死,皇皇焉,如有求而弗得。及殯,望望焉,如有從而弗及。既葬,慨焉,如不及其反而息。

顏丁は喪に居るを善しとす。剛死せば、皇皇然として求むる所有りて得られざるがごとく、殯に至れば、望望然として從う所有りて趕上せざるがごとく、すでに葬れば、感慨然として返回に及ばざるして休息するがごとし。

子張問曰:“書云:高宗三年不言,言乃讙。有諸?”仲尼曰:“胡為其不然也?古者天子崩,王世子聽於冢宰三年。”

子張問うて曰く、「《尚書》に曰く、高宗三年話さず、一たび話せば大家歡喜す。こ の事ありや」と。仲尼曰く、「どうして是のごとくならざらん。古は天子崩ずれば、王世子は冢宰に聽命すること三年なりき」と。

知悼子卒,未葬.,公飲酒,師曠、李調侍鼓鍾,杜蕢自外來,聞鐘聲,曰:“安在?”曰:“在寢。”杜蕢入寢,歷階而升,酌曰:“曠飲斯。”又酌曰:“調飲斯。”又酌堂上北面坐飲之降,趨而出,平公呼而進之,曰:“蕢,曩者爾心或開予,是以不與爾言。爾飲曠何也?”曰:“子卯不樂,知悼子在堂,斯其為子卯也大矣。曠也,大師也.不以詔,是以飲之也。”“爾飲調何也?”曰:“調也,君之褻臣也,為一飲一食,亡君之疾,是以飲之也。”“爾飲何也?”曰:“蕢也,宰夫也,非刀匕是共,又敢與知防,是以飲之也。”平公曰:“寡人亦有過焉,酌而飲寡人。”杜蕢洗而揚觶,公謂侍者曰:“如我死,則必無廢斯爵也。”至於今既畢獻,斯揚觶,謂之杜舉。

知悼子死せり、未だ下葬せず。平公酒を飲み、師曠・李調侍奉して鐘を敲く。杜蕢が外より來り、鐘聲を聞きて曰く、「何處に在る」と。曰く、「寢に在り」と。杜蕢寢に進入し、階に沿いて上がり、酒を斟いで曰く、「曠、これを飲め」と。又斟いで曰く、「調、これを飲め」と。又斟ぎ、堂上にて北に面して坐して飲み、階を下り快步して出づ。平公彼を喊び入れて曰く、「蕢や、さきほどなんじ心裏あるいはわれを開導せんと欲せしか、故になんじと話さざりき。なんじ曠に飲ましめを罰するは、なぜか」と。曰く、「子卯日は樂を奏せず。知悼子はなお堂上に在り、これは子卯日より大なり。曠は太師、これをもって告誡せず、故に彼に飲ましめを罰す」と。「なんじ調に飲ましめを罰するは、なぜか」。曰く、「調は君親近の臣、一飲一食のために、君の過失を忘れ、故に彼に飲ましめを罰す」と。「なんじ自ら飲むは、なぜか」。曰く、「わが蕢は宰夫、刀匕の供事にあらず、また敢えて防閑の掌管に參與せり、故に己に飲ましめを罰す」と。平公曰く、「寡人もまた過錯あり、酒を斟いで寡人に飲ましめよ」と。杜蕢觶を洗い擧げる。平公侍者に對して曰く、「若しわれ死せば、必ずこの爵を廢掉するなかれ」と。現在に至るまで、酒を獻じ畢ればこの觶を擧げ、之を杜擧と謂う。

公叔文子卒,其子戍請諡於君,曰:“日月有時,將葬矣,請所以易其名者。”君曰:“昔者衛國兇飢,夫子為粥與國之餓者,是不亦惠乎?昔者衛國有難,夫子以其死衛寡人,不亦貞乎?天子聽衛國之政,修其班制,以與四鄰交,衛國之社稷不辱,不亦文乎?故謂夫子貞惠文子。”

公叔文子が死せるに、その子戍が國君に諡を請い、曰く、「日月に定時あり、將に下葬せんとす、請うもって彼の名を替換する字を賜わらん」と。國君曰く、「昔衛國凶饉せしに、夫子が粥を作して國中の饑餓の人に與えしは、惠ならざらんか。昔衛國に難ありしに、夫子が死をもって寡人を護衛せしは、貞ならざらんか。夫子が衛國の政を聽き、班次と制度を修明して、四鄰と交往せしに、衛國の社稷辱を受けざりしは、文ならざらんか。故に夫子を貞惠文子と稱せん」と。

石駘仲卒,無適子,有庶子六人,卜所以為後者,曰:“沐浴佩玉則兆。”五人者皆沐浴佩玉,石祁子曰:“孰有執親之喪,而沐浴佩玉者乎?”不沐浴佩玉,石祁子兆,衛人以龜為有知也。

石駘仲が死せるに、嫡子なく、庶子六人あり、龜卜をもって誰を後嗣と爲すかを決定す。曰く、「沐浴して玉を佩ば即ち兆を得ん」と。五の人皆沐浴して玉を佩ぶ。石祁子曰く、「何處に親の喪を執りて沐浴して玉を佩ぶ者あらんや」と。沐浴せず玉を佩びず。石祁子兆を得たり。衛人は龜を知有りと以爲せり。

陳子車死於衛,其妻與其家大夫謀以殉葬,定而後陳子亢至,以告曰:“夫子疾,莫養於下,請以殉葬。”子亢曰:“以殉葬,非禮也。雖然,則彼疾,當養者,孰若妻與宰?得已,則吾欲已,不得已,則吾欲以二子者之為之也。”於是弗果用。

陳子車が衛に死せるに、その妻と家大夫とが活人をもって殉葬せんを謀り、定めて後に陳子亢が至り、これを彼に告げて曰く、「夫子に病あり、下に養う人なし、請う殉葬を用いん」と。子亢曰く、「殉葬を用いるは禮に合せず。雖然、彼に病ありて奉養すべきは、誰か妻と家宰に及ばん。能く止めば、われ之を止めんと欲し、止められざれば、われなんじら兩人を用いんと欲す」と。乃ち終に用いず。

子路曰:“傷哉貧也!生無以為養,死無以為禮也。”孔子曰:“啜菽飲水,盡其歡,斯之謂孝。斂手足形,還葬而無槨,稱其財,斯之謂禮。”

子路曰く、「貧窮は何と傷心なるか!生きるに養うを用いるなく、死するに禮を行うを用いるなし」と。孔子曰く、「豆を食し水を飲み、父母をして歡を盡くさしめば、是を孝と謂う。手腳形體を收斂し、就近下葬して槨なく、その財に相當すれば、是を禮と謂う」と。

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