繫辞上伝・第十一章
第十一章專言卜筮之事。子曰。夫易,何為者也。夫易開物成務,冒天下之道,如斯而已者也。是故聖人以通天下之志,以定天下之業,以斷天下之疑。
第十一章は専ら卜筮の事を講ず。子曰く、《易》の書は何を為すを用とするや。《易》は能く万物を開発し事務を成就し、天下の道理を統統罩住す、如此而已、と。故に聖人はこれを憑りて天下人の心志を通達し、天下の事業を奠定し、天下の疑難を決断す。
開物,謂人所未知者開發之。成務,謂人所欲為者成全之。冒天下之道,謂卦爻既設而天下之道皆包括於其中也。易之道本如此。而聖人以之教人卜筮,以知吉凶。易能開物,則於人所未知者開發之,而通天下之志矣。能成務,則於人所欲為者成全之,而定天下之業矣。能冒天下之道,則於萬事萬物之得失莫遁其情,有以斷天下之疑矣。卜筮之妙如此。
陳夢雷は逐句に疏解す。「開物」は人の未だ知らざる事を開発し出すをいい、「成務」は人の為さんと欲する事を成全するをいい、「天下の道を冒す」は卦爻が一たび設立せられれば天下の道理は全都その裏頭に包羅せらるをいう。《易》道は本来かくの如く、而るに聖人はこれを取りて人に卜筮を教え、人をして吉凶を知らしめんとす。《易》は能く物を開き、則ち人の未だ知らざる所を開発し出し、ここに於て天下人の心志を通達す。能く務を成し、則ち人の欲する所為を成全し、ここに於て天下の事業を奠定す。能く天下の道を罩住し、則ち万事万物の得失をして遁形する術なからしめ、ここに於て天下の疑難を決断す。卜筮の奇妙は正にここに在り。
是故蓍之德圓而神,卦之德方以知,六爻之義易以貢。聖人以此洗心,退藏於密,吉凶與民同患。神以知來,知以藏往,其孰能與於此哉。古之聰明睿知,神武而不殺者夫。
経文にいう、故に蓍草の徳性は円通にして神妙、卦の徳性は方正にして明智、六爻の意義は則ち変易を以て人に告知す。聖人はこれらを憑りて自らの心を洗滌し、退隠して幽密の中に收藏し、吉に遇い凶に遇うも皆百姓とその憂患を同じくす。神妙を以て未来を預知し、明智を以て往事を收藏す――また誰かこの地步を為し得んや。ほぼあの古時の聡明叡智・威武神奇にして殺伐を動かさざる者か。
圓神,謂變化無方。方知,謂事有定理。易以貢,謂變易以告人。蓋蓍以七為數,七七四十九而屬陽。分掛揲扐,陰陽老少變化無方,圓而神也。卦以八為數,八八六十四而屬陰。吉凶得失一定不易,方以知也。貢,猶告也。三百八十四爻剛柔迭用,九六相推。其理變易以告人,易以貢也。
陳夢雷は解説す。「円にして神」とは変化に固定の方所なきをいい、「方にして知」とは事情に各々一定の理あるをいい、「易にして貢」とは変易を以て人に告知するをいう。蓍草は七を以て数と為し、七七四十九にして陽に属す。分二・掛一・揲四・帰扐の際、陰陽老少の変化定まらず、故にそれを円通にして神妙と説く。卦は八を以て数と為し、八八六十四にして陰に属す。吉凶得失は一たび定下せられれば則ち改易せず、故にそれを方正にして明智と説く。「貢」はすなわち告知なり。三百八十四爻の剛柔は轮流に施用し、九と六は互相に推移す。その道理は変易に倚りて人に告知す、これすなわち「易にして貢」なり。
此以上皆承上節言易之妙也。聖人以下就畫前之易,易理在聖人之心者言之。洗心者,心純乎理,別無所累。非有私而洗之也。退藏於密者,寂然未動,人莫能窺。非有意藏之也。吉凶民同患者,既得吉矣又患其凶。凶固民之所患,吉亦民之所患。聖人之心與民同之也。
陳夢雷はいう、以上は皆上一節を承けて《易》の奇妙を講ず。「聖人これを以て心を洗う」以下は、則ち「画卦以前の易」に転じ、易理が聖人の心中に存する那一面に就いて講ず。いわゆる「洗心」とは、心裏に純に天理ありて別に牽累なきをいい、本は私念ありて後にこれを洗滌するに非ず。いわゆる「退蔵于密」とは、寂然未動にして旁人の窺見する術なきをいい、存心にこれを蔵せんとするに非ず。いわゆる「吉凶民と患を同じくす」とは、既に吉を得たりと雖もまた随って来たる凶を憂慮するをいう――凶は固より百姓の憂患する所なれど、吉もまた同様に百姓の憂患する所、聖人の心は百姓と共に憂患す。
神以知來,承上圓而神。知以藏往,承上方以知。蓍未有定數,故曰知來。卦已有定體,故能藏往。聖心之神知亦然也。言聖人之心體具三者之德。故當無事之時,心之體虛靈寂靜,人莫能窺,所謂洗心退藏於密也。及其有事之時,心之用隨感輒應,終始畢照,所謂吉凶同患、知來藏往也。此節即上章所謂寂然不動感而遂通者,而此特就易之在聖心者言之也。
「神を以て来を知る」は上文の「円にして神」を承け、「知を以て往を蔵る」は上文の「方にして知」を承く。蓍草は未だ定数あらざれば、故に它能く未来を知るという。卦は既に定体あれば、故に往事を收藏し得という。聖人の心中の「神」と「知」もまた正にこの如し。これは聖人の心体が蓍・卦・爻の三者の徳を兼具するを説く。故に無事の時は、心の本体は虚霊寂静にして旁人の窺見する術なし、これすなわち「洗心」「退蔵于密」。有事の時に至りては、心の作用は感に随い應じ、頭より尾に至りて照見せざるなし、これすなわち「吉凶患を同じくす」「来を知り往を蔵る」。この節は実はすなわち上一章のいう「寂然不動、感じて遂に通ず」にして、不過ぎここは専ら易理の聖人之心に存する面に就いて講ずるのみ。
神武不殺。按,本義謂得其理而不假其物之謂,謂無卜筮而知吉凶也。據此則神武不殺作取譬之詞,以文義求之有疑。按,王注言服萬物不以威則刑也。竊按,王注近是。蓋此二句設為問答讚歎之辭,以起下文與神物前民用之意。蓋指伏羲氏也。神足以開物,知足以成務,聰明睿知也。吉凶之斷,神武之決也。與民同患,不殺之仁也。故下文遂言聖人建立卜筮之事。蓋惟聖人體備全易之理,乃有易之書也。
「神武にして殺さず」について、朱熹《周易本義》はその道理を得て蓍亀の物を借助するを必とせざると解し、すなわち卜筮を用いずして吉凶を知るをいう。陳夢雷は指摘す、この講法に照らせば「神武不殺」は一句の取譬の詞と成り、文義より推求して実に疑わしし。彼は王弼の注を査す、万物をして順服せしめて威勢と刑罰を動用せざるを説く、王弼の講法は比較的本意に近しと認む。彼自らの意は、これら両句は問答讃嘆の語気を設けて、以て下文の「神物を興して以て民用に前だる」を引出すを用とし、指す所はほぼ伏羲氏なり。神妙は以て万物を開発するに足り、明智は以て事務を成就するに足る、これすなわち「聡明叡知」なり。吉凶を断定するは「神武」の決断、百姓とその憂患を同じくするは「不殺」の仁心なり。故に下文は続けて即ち聖人の卜筮を建立する事を講ず――唯だ聖人の心中に全部の易理を完整に具備せりてこそ、《易》の書あるを得たり。
是以明於天之道,而察於民之故,是興神物,以前民用。聖人以此齋戒,以神明其德夫。天之道,陰陽寒暑之運行皆是也。民之故,倫常日用之云為皆是也。明天之道,則知神物之可興。察民之故,則知民用之不可無以開其先。神物,即蓍龜也。湛然純一之謂齋,肅然警惕之謂戒。
経文にいう、故に聖人は上天の道を明白にし、また百姓の事を体察し、ここに於て蓍亀の類の神物を興起し、以て百姓の用に先だちて彼らに為に路を開く。聖人はこれらを憑りて斎戒して自ら守り、自らの徳性を神妙明澈ならしむ、と。陳夢雷は解説す。「天之道」とは、陰陽寒暑の運行の皆是なり。「民之故」とは、倫常日用の一切の挙動の皆是なり。天道を明白にすれば、則ち神物の興起すべきを知る。民事を体察すれば、則ち百姓の日用は物に先だちて彼らに為に頭を開くなくんばあらざるを知る。「神物」とはすなわち蓍と亀なり。心地の澄澈純一なるを「斎」と呼び、神情の肅然警惕たるを「戒」と呼ぶ。
聖人明於天人之故,而作為卜筮以教人。而於此齋戒,以考其占。使其心神明不測,如鬼神之知來,故曰神明其德。上言聖人以此洗心者,此心至靜而易體具也。此言以此齋戒者,此心至敬而易之用行也。
聖人は天と人の道理を明白にし、ここに於て卜筮を制作して世人を教導し、また卜筮の時に斎戒して自ら守り、これに拠りて得たる所の占断を考験し、自らの心を神妙測度し難からしめ、鬼神の如く能く未来を預知せしむ、故に「その徳を神明す」という。陳夢雷は特に前後両処の分別を拈出す。上文は「聖人これを以て心を洗う」といい、あれは此心の至って虚静にして《易》の体既に具備せり。ここは「聖人これを以て斎戒す」といい、あれは此心の至って誠敬にして《易》の用の運行を得たり。
是故闔戶謂之坤,闢戶謂之乾,一闔一闢謂之變,往來不窮謂之通。見乃謂之象,形乃謂之器,制而用之謂之法,利用出入,民咸用之謂之神。此節言揲卦布爻之事。闔戶謂之坤,言畫偶爻也。凡偶皆屬陰為坤。闢戶謂之乾,言畫奇爻也。凡奇皆屬陽為乾。先言坤者,由靜而動。猶言陰陽也。
経文にいう、故に門を關するを坤と呼び、門を開くを乾と呼び、一關一開を変と呼び、往来窮まらざるを通と呼ぶ。顕現するを象と呼び、形体を成すを器と呼び、制作し出して使用を加うるを法と呼び、出入の間に皆用い得、百姓が日々用うるを、則ち神と呼ぶ、と。陳夢雷はいう、この節は揲蓍して卦を成し爻画を排布する事を講ず。「戸を闔するを坤と謂う」は、一個の偶爻を画くを指し、凡そ偶画は皆陰に属し坤に属す。「戸を闢するを乾と謂う」は、一個の奇爻を画くを指し、凡そ奇画は皆陽に属し乾に属す。先ず坤を説き後に乾を説くは、静より動に由る、平常に「陰陽」と連称するが如し。
一闔一闢謂之變者,六畫既成,剛柔相雜,言成卦也。往來不窮謂之通者,九六之動,爻相往來,謂之通也。見於蓍策,有陰陽老少,謂之象也。形於卦爻,有剛柔動靜,謂之器也。制揲蓍以教人,使知分掛揲扐,謂之法也。一出一入,審其吉凶以為趨避,謂之神也。
「一闔一闢これを変と謂う」とは、六画既に画成して剛柔が互相に交雑するを説き、成卦を指す。「往来窮まらずこれを通と謂う」とは、九と六の変動が爻をして互相に往来せしむるを説き、これを通と呼ぶ。蓍策上に顕現して、陰陽老少の別あり、これを「象」と呼ぶ。卦爻上に成形して、剛柔動静の分あり、これを「器」と呼ぶ。揲蓍の法を制定して人を教え、人に分二・掛一・揲四・帰扐を如何にするかを知らしむ、これを「法」と呼ぶ。一出一入の間に、吉凶を審察して是れ趨るか是れ避くるかを決定す、これすなわち「神」と呼ぶ。
按,此節本義謂乾坤變通者,化育之功也。見象形器者,生物之序也。法者,聖人修道之所為。而神者,百姓自然之日用也。此似泛論天下之事理,大全平庵項氏專就卜筮解之。今從項氏為切。
陳夢雷は続けて両家の旧説を比較す。この節は《周易本義》が乾・坤・変・通を天地化育の功効と講じ、見・象・形・器を万物を生成する次序と講じ、「法」を聖人の道術を修明する作為と講じ、「神」を百姓が日用して自ら知らざる自然と講ず――このように講ぜば、泛論天下の事理と成るが如し。《周易大全》の載する所の平庵項安世は則ち専ら卜筮に就きて解す。彼自らは項安世の講法を取り、これがいっそう貼切なると認む。
是故易有太極,是生兩儀。兩儀生四象,四象生八卦。此聖人作易自然之次第。畫卦揲蓍,其序皆然。自此以下皆言聖人制作之本。八卦定吉凶,吉凶生大業。吉凶既定,以之建功立事,則大業自此生矣。此二節言爻象之所由生。
経文にいう、故に《易》に太極あり、太極は両儀を生じ、両儀は四象を生じ、四象は八卦を生ず、と。陳夢雷の注、これは聖人の《易》を作す自然而然の次第にして、画卦に論なく揲蓍に論なく、次序は皆この如し。ここより以下は、皆聖人が《易》を制作する根本を講ず。経文は続けていう、八卦は吉凶を断定し、吉凶は大業を生ず、と。吉凶既に断定せられ、これに拠りて功を建て事を立てれば、大業は便ちここより生ず。この両節は爻と象の何より生ずるかを講ず。
是故法象莫大乎天地,變通莫大乎四時。縣象著明莫大乎日月,崇高莫大乎富貴。備物致用,立成器以為天下利,莫大乎聖人。探賾索隱,鉤深致遠,以定天下之吉凶,成天下之亹亹者,莫大乎蓍龜。寶貴,謂有天下。亹亹,猶勉勉也。疑則怠,決則勉。此六者之功用皆大。聖人即五者之大,以形蓍龜功用之大。易占用蓍不用龜。然龜亦具此理,故每並言之。此節言成器之所由立。
経文にいう、効法すべき物象は天地より大なるはなく、変化通達は四時より大なるはなく、天上に高懸して光明顕著なるは日月より大なるはなく、尊崇高貴は富貴より大なるはなし。器物を備弁してその功用を尽くし、器具を制成して以て天下を利するは、聖人より大なるはなし。繁雑を探索し隠微を搜求し、幽深を鉤取し遠方を招致し、以て天下の吉凶を断定し天下人の勤勉不倦を促成するは、蓍亀より大なるはなし、と。陳夢雷の注、「富貴」は天下を拥有するを指す。「亹亹」はすなわち勉勉なり、心に疑慮存すれば懈怠し、一たび決断せられれば奮勉するが故なり。この六項の功用は皆大なり、聖人は前五項の大を取りて蓍亀の功用の大を襯托す。《周易》の占問はただ蓍を用いて亀を用いず、然るに亀もまた同様の道理を具備す、故に每々連ねて説く。この節は器物の何より制成するかを講ず。(注文「宝貴」は「富貴」と作るべし。)
是故天生神物,聖人則之。天地變化,聖人效之。天垂象,見吉凶,聖人象之。河出圖,洛出書,聖人則之。此節言易書之所由作。神物謂蓍。則之而四十九之數以行。變化謂陰陽。天變化,寒暑晝夜之類。地變化,山川動植之類。效之而卦爻之動靜以出。象謂日月星辰。循度失度而吉凶見,象之而卦爻有以斷吉凶。圖書則金木水火土生成剋制之數。則之而卦畫方位以定。皆作易之本也。河圖洛書,別詳於圖說。
経文にいう、故に上天は神物を生じ出し、聖人はこれを取法す。天地は変化を発生し、聖人はこれを仿効す。上天は物象を垂示して吉凶を顕出し、聖人はこれに象を取る。黄河は図を出だし、洛水は書を出だし、聖人はこれらを取法す、と。陳夢雷はいう、この節は《易》の書の何より作れるかを講ず。「神物」は蓍草を指し、これを取法せば四十九根の用数は施行を得。「変化」は陰陽を指し、天の変化は寒暑昼夜の類の如く、地の変化は山川動植の類の如し、これを仿効せば卦爻の動静はこれより産生す。「象」は日月星辰を指し、それらは度に循い或いは度を失いて吉凶顕現し、これに象を取れば卦爻は便ち吉凶を断定し得。《河図》《洛書》は則ち金・木・水・火・土の相生相成・相克相制の数にして、これらを取法せば卦画の方位は確定を得。これら皆《易》を作す根本なり。《河図》《洛書》自体に至っては、彼は別に本書の図説部分に詳論すという。
易有四象,所以示也。繫辭焉,所以告也。定之以吉凶,所以斷也。四象,謂陰陽老少。示,示以所值之卦爻。示,使人有所見。告,使人有所知。斷,使人無所疑。此又總卜筮之大意而言之也。右第十一章。
経文にいう、《易》に四象あり、以て顕示するを用とす。文辞を繫ぐるあり、以て告知するを用とす。吉凶を以て判定を加うるあり、以て決断するを用とす、と。陳夢雷の注、「四象」は老陽・少陰・少陽・老陰を指す。いわゆる「示」とは、占者の遇う所の卦爻を彼に顕示して見せしむるをいう。示は人をして見る所有らしめ、告は人をして知る所有らしめ、断は人をして疑う所なからしむ。これはまた卜筮の大意を総括して講ずるなり。以上第十一章。
繫辞上伝・第十二章
第十二章言聖人作易之意。其散在六十四卦之爻象,其聚在乾坤之二卦。聖人用易之道。其散在天下之事業,其聚在一身之德行也。易曰。自天祐之,吉無不利。子曰。祐者,助也。天之所助者,順也。人之所助者,信也。履信思乎順,又以尚賢也。是以自天祐之,吉無不利也。
第十二章は聖人の《易》を作す用意を講ず。この用意は散開すれば六十四卦の爻と象の裏に在り、收攏すれば則ち乾・坤の両卦に聚まる。聖人の《易》の道を用うるは、散開すれば天下の事業上に在り、收攏すれば則ち一身の徳行に聚まる。経文は《易》を引いていう、上天より来たりて彼を保佑す、吉祥にして利あらざるなし、と。孔子は解釈す。「祐」はすなわち幇助なり。上天の幇助する所は柔順の人、衆人の幇助する所は誠信の人なり。誠信を躬行して念念に柔順に在り、また能く賢者を推崇す、故に「天より祐られ、吉利あらざるなし」という。
釋大有上九爻義。大有惟六五一陰,而上下五陽應之。上九以剛居上而能下從六五,是能履信思順而尚賢也。五之交孚信也,而上能履之。五得位而上從之,謙退不居,思順也。志從於五,尚賢也。此節疑在第八章之末,錯簡在此耳。
陳夢雷はいう、これは《大有》上九の爻義を解釈す。《大有》の全卦はただ六五の一個の陰爻あり、上下の五個の陽爻は皆来たりてこれに響應す。上九は陽剛を以て最上に居り、能く俯就して六五に就く、これすなわち「信を履み順を思う」にしてまた「賢を尚ぶ」。六五の爻辞は「その孚交如なり」を講ず、あれは信なり、而上九は能くこの信を躬行す。六五は尊位に居りて上九はこれに順従し、謙退して自ら居らず、これは「順を思う」なり。心志は六五に追随す、これは「賢を尚ぶ」なり。彼はまた一処の校勘上の懐疑を提出す。この節は疑わしくは本は第八章の末尾に在り、簡冊の錯乱にしてここに落ちたるなり。
子曰。書不盡言,言不盡意。然則聖人之意,其不可見乎。子曰。聖人立象以盡意,設卦以盡情偽,繫辭焉以盡其言,變而通之以盡利,鼓之舞之以盡神。
子曰く、文字は言語を写し尽くせず、言語は心意を説き尽くせず。然らば則ち聖人の心意は、豈に見ることを得ざらんや。孔子はまたいう、聖人は卦象を確立して以て心意を窮尽し、卦体を布設して以て真情と虚偽を窮尽し、文辞を繫げて以て説かんと欲する所を窮尽し、これを変通して以て利益を窮尽し、これを鼓動振作して以て神妙を窮尽す、と。
言之所傳有盡,象之所示無窮。立象盡意,指伏羲所畫之卦爻,包含變化無有窮盡。雖無言而吉凶同患之意悉具於中,所謂盡意也。設卦,謂文王所設六十四卦之名義也。本乎性而善者為情,拂乎性而不善者為偽。六十四卦之中,美惡真妄無所不具,所謂以盡情偽也。繫辭則文王周公彖爻之辭,吉凶悔吝之言盡矣。此三句皆言作易之事。答書不盡言、言不盡意之語。
陳夢雷は解説す。言語の伝達し得るは限りあり、卦象の顕示し得るは窮りなし。「象を立てて以て意を尽くす」は、伏羲の画いた卦爻を指し、包含する変化に窮尽なく、一個の字もなき虽も、「吉凶民と患を同じくす」の用意は已に全くその裏頭に在り、これを「尽意」と呼ぶ。「卦を設く」は、文王の定めた六十四卦の卦名と卦義を指す。本性に合して善を為すを「情」と呼び、本性に違して不善を為すを「偽」と呼ぶ。六十四卦の中、美の悪の・真の妄のは備わらざるなく、これを「情偽を尽くす」と呼ぶ。「辞を繫ぐ」は、文王の卦辞と周公の爻辞を指し、吉凶悔吝の言は皆説き尽くせり。この三句の講ずる所は皆《易》を作すの事にして、正に「書は言を尽くさず、言は意を尽くさず」のあの句に回答するなり。
而設卦在立象之後繫辭之前,蓋竟盡意之緒,啟盡言之端也。盡意盡情偽盡言,皆所以為天下利也。又恐其利有所未盡,於是作揲蓍十有八變之法。使往來相通,一卦可為六十四。則其用愈廣,足以盡利矣。因變得占吉凶。知所趨避,心無所疑。如以鼓聲作舞容。鼓聲愈疾,舞容亦愈疾。鼓聲不息,舞容亦不息。成天下之亹亹而不自知其所以然,所謂盡神也。此二者言用易之事。立象設卦,即上章所謂象也。繫辭,辭也。變通,變也。鼓舞,占也。
「卦を設く」は「象を立つ」の後・「辞を繫ぐ」の前に排せらるるは、それが既に「意を尽くす」の頭緒を接続し、また「言を尽くす」の端緒を開啓するが故なり。意を尽くし・情偽を尽くし・言を尽くすは、皆天下に利益を帯来せんが為なり。又この利益の未だ尽きざる処あるを怕れ、ここに於て揲蓍十八変の方法を制作し、卦爻をして往来相通せしめ、一卦は以て六十四卦に変じ得、用処いよいよ広大にして以て「利を尽くす」に足る。人は変化に依りて占断を得、是れ趨るべき是れ避くべきを知り、心裏に再び疑惑なし。鼓点を以て舞姿を帯動するが如く、鼓点いよいよ急なれば舞姿もまたいよいよ急に、鼓点停まらざれば舞姿もまた停まらず、天下人を成就して勤勉不倦ならしめて自ら未だ如何なる事なるかを明白ならざる、これを「神を尽くす」と呼ぶ。後面のこの両句は《易》を用うるの事を講ず。陳夢雷は最後にそれらを上一章の四道と相配す。立象・設卦はすなわち上章のいう「象」、繫辞はすなわち「辞」、変通はすなわち「変」、鼓舞はすなわち「占」なり。
乾坤其易之縕耶。乾坤成列,而易立乎其中矣。乾坤毀,則無以見易。易不可見,則乾坤或幾乎息矣。縕,即包畜也。易之所有,不外陰陽。凡陽奇皆乾,陰偶皆坤。畫卦定位,則二者成列而易之體立矣。成列舉乾坤,而諸卦皆在其中。乾坤毀無以見易,謂卦爻不列則易道無由而著也。易不可見則乾坤息,謂易道不顯則卦畫之變化不能自行也。易未嘗無乾坤,亦未嘗息。特以畫卦不立,無以見其變易之理。而乾坤之功用,併不可得而見也。
経文にいう、乾坤はほぼ《易》の蘊蔵なるか。乾坤は行列を排成し、《易》は則ちその中に立つ。乾坤は一たび毀棄せられれば、則ち《易》を見るに以てするなし。《易》若し見るべからざれば、則ち乾坤もまたほぼ息まんと欲す、と。陳夢雷の注、「緼」はすなわち包蔵蓄積なり。《易》の裏の所有するは陰陽の外になし。凡そ陽奇は皆乾に帰し、凡そ陰偶は皆坤に帰す。画卦して位を定め、両者は列を成して《易》の体は便ち確立す。「列を成す」と説いてただ乾坤を挙ぐるも、各卦は皆その中に含まる。「乾坤毀れば則ち以て易を見るなし」とは、卦爻を排列し出さざれば易道は彰顯するに由なきをいう。「易見るべからざれば則ち乾坤息む」とは、易道彰顯せざれば、卦画の変化は自ら運転する能わざるをいう。其実《易》は未だ嘗て乾坤なきことあらず、乾坤もまた未だ嘗て停息せず、ただ画卦一たび立たざれば、則ちあの変易の道理を見るに由なく、而して乾坤の功用もまた一并に見ることを得ざるなり。
是故形而上者謂之道,形而下者謂之器。化而裁之謂之變,推而行之謂之通,舉而錯之天下之民,謂之事業。卦爻陰陽皆形於下者,其理則道也。道超乎形而非離乎形,故不曰有形無形,而曰形上形下也。所變所通所措者皆道,然皆宜就揲蓍言之。本義謂變通二字上章以天言,此章以人言。蓋上章言闔闢往來,蓍策中所本有之理。此言化裁推行,則聖人筮卦用易之事也。
経文にいう、故に形体の上に在るを「道」と呼び、形体の下に在るを「器」と呼ぶ。変化して裁制を加うるを「変」と呼び、推行して開くを「通」と呼び、これを取りて天下の百姓に施用するを「事業」と呼ぶ、と。陳夢雷の注、卦爻の陰陽は皆下に成形するもの、それらの理こそが道なり。道は形体を超越しながらまた形体を離れず、故に経文は「有形」「無形」と説かずして、「形上」「形下」と説く。変ずる所・通ずる所・施用する所は皆道なり、不過ぎ皆当に揲蓍に就きて講ずべし。《周易本義》は「変通」の二字を指出す、上一章は天に就きて講じ、この一章は人に就きて講ず。上章のいう「一闔一闢・往来窮まらず」は、蓍策の中に本有の道理なり。ここにいう「化裁推行」は、則ち聖人が筮卦して《易》を用うるの事なり。
易道無窮。聖人化而裁之為六畫為上下為內外,故謂之變。推而行,推其變而行之也。如乾初變宜潛則潛為通,乾二變宜見則見為通,故謂之通也。事者,業之未成。業者,事之已就。定天下之吉凶以成天下之亹亹,則天下從此立矣。
易道に窮尽なく、聖人はこれを変化裁制して六画と為し、上下に分かち内外に分かつ、故にこれを「変」と呼ぶ。「推してこれを行う」とは、得たる所の変を推展開きて実行するをいう。譬えば《乾》卦の初爻変ずれば、潜蔵すべきは則ち潜蔵し、潜蔵すれば便ち通なり。九二の爻変ずれば、出現すべきは則ち出現し、出現すれば便ち通なり、故にこれを「通」と呼ぶ。「事」は事業の未だ做成せざる時、「業」は事情の已に做成せる時なり。天下の吉凶を断定し、従って天下人の勤勉不倦を成就せば、天下の事業は便ちここより建立せらる。
是故夫象,聖人有以見天下之賾,而擬諸其形容。象其物宜,是故謂之象。聖人有以見天下之動,而觀其會通。以行其典禮。繫辭焉以斷其吉凶,是故謂之爻。重出以起下文。極天下之賾者存乎卦,鼓天下之動者,存乎辭。按,本義。卦即象也,辭即爻也。此解頗有可疑。竊意天地萬物之形象至多。六十四卦之中陰陽奇偶無所不備,是能極天下之賾也。辭則有彖辭有爻辭,皆示人以吉凶悔吝。使人曉然知所趨避,是能鼓天下之動也。
経文にいう、故に象を講ずるに至っては、聖人は天下事物の繁雑なるを見て、その形状容貌を擬比し、その物の宜なる所に象を取る、故にこれを「象」と謂う。聖人は天下事物の変動を見て、その會通を観察し、以て常法常礼を施行し、再び文辞を繫げて以て吉凶を断定す、故にこれを「爻」と謂う、と。陳夢雷の注、この両句は第八章の言を重複して、以て下文を引起す。経文は続けていう、天下の繁雑を窮尽するは卦に在り、天下の変動を鼓動するは辞に在り、と。これに対し《周易本義》は卦はすなわち象・辞はすなわち爻と説く、陳夢雷はこの講法を甚だ疑わしきと覚ゆ。彼自らの見る所は、天地万物の形象は極めて多く、而るに六十四卦の中に陰陽奇偶は備わらざるなし、故に能く天下の繁雑を窮尽し得。「辞」は則ち彖辞と爻辞を包括し、皆吉凶悔吝を人に指示し、人をして明明白白に是れ趨るべき是れ避くべきを知らしむ、故に能く天下の変動を鼓動し得。
化而裁之存乎變,推而行之存乎通。神而明之存乎其人,默而成之,不言而信,存乎德行。上文變通就揲筮而言,此就用易以行事而言。化卦爻所示之理而得其裁制,存乎人之能變,不可拘也。推卦爻所決之事而善於施行,存乎人之旁通,不可執也。變與通,所謂神明之也。存乎其人,而辭變象占皆不可泥也。此皆因筮得卦之後,用易而見於事者也。
経文にいう、変化裁制は「変」に在り、推展施行は「通」に在り。神妙にしてこれを明達するは、その人に在る。黙黙としてこれを成就し言わずして人をして信服せしむるは、徳行に在る、と。陳夢雷の注、上文は変通を揲蓍に就きて講じ、ここは変通を《易》を用いて処事するに就きて講ず。卦爻の示す所の道理に化裁を加うるは、全く人の能く変通するか否かを看、死守すべからず。卦爻の決する所の事情を妥善に施行するは、全く人の能く旁通するか否かを看、固執すべからず。能く変じ能く通ずれば、すなわちいわゆる「神にしてこれを明にす」なり。「その人に存す」と説くは、正に辞・変・象・占の皆拘泥すべからざるを表明す。これら皆筮に依りて卦を得たる後、《易》を用いて行事上に表現するなり。
至於平居,尤貴體易道於心身,不在書與言之跡。所謂默而成之,不言而信,存乎德行也。成者,我自成。信者,他人信之。得於心為德,履於自為行。前言變通而措之事業,推易道於民。此言變通而歸之德行,存易道於己也。上文五謂者,聖人作易之用。此六存者,聖人之用夫易也。自章首至此乾坤或幾乎息,言聖人作易。散為六十四卦之爻象,而縕於乾坤之二卦。自形而上者謂之道以下,言聖人用易。散為天下之事業,而要歸於人之德行也。
平日の居処に至っては、尤も貴ぶは易道を身心の上に体現するに在り、書本と言語の形迹に在らず、これすなわちいわゆる「黙してこれを成し、言わずして信なり、徳行に存す」なり。「成」は自ら自らを成就するをいい、「信」は他人の彼を信服するをいう。これを心に得るを「徳」と呼び、これを身に践むを「行」と呼ぶ。前面は変通を講じて事業に施用するは、易道を百姓の身上に推行するなり。ここは変通を講じて徳行に帰結するは、易道を自らの身上に保存するなり。上文のあの五個の「これを謂う」は、聖人の《易》を作す用意を説く。ここの六個の「に存す」は、聖人の《易》を使用するを説く。陳夢雷は最後に全章を総結す。章首より「乾坤ほぼ息まんか」に至るまで、聖人の《易》を作しその用意は六十四卦の爻象の裏に散在し、而して乾坤両卦に蘊蔵するを講ず。「形而上の者を道と謂う」以下は、聖人の《易》を用いその功用は天下の事業上に散在し、而して最終に人の徳行に帰結するを講ず。(原文「履于自為行」の「自」は「身」と作るべし。)
繫辞下伝・第一章
第一章言卦爻吉凶造化功業。八卦成列,象在其中矣。因而重之,爻在其中矣。成列,謂乾一兌二離三震四巽五坎六艮七坤八及先後天之方位皆是也。象,即卦之形體。大全謂乾兌離震之象未及天地雷風也。重之,謂八卦之上各加八卦,以成六十四卦也。爻,六爻。既重卦,則六爻皆在其中矣。
《繫辞下伝》第一章は卦爻の吉凶を講じ、并びに天地造化と人間功業に推及す。経文にいう、八卦は行列を排成し、物象は則ちその中に在り。再びそれらを両々相重ねれば、爻は則ちその中に在り、と。陳夢雷の注、「成列」とは、乾一・兌二・離三・震四・巽五・坎六・艮七・坤八のこの次序、および先天後天の方位の皆是なり。「象」はすなわち卦の形体なり。《周易大全》はここでは乾・兌・離・震等の卦画自体の象を指し、未だ天・地・雷・風の那一層に説き至らずと説く。「これを重ぬ」とは、八卦の上に各々一個の八卦を加え、凑成して六十四卦と為すをいう。「爻」はすなわち六爻なり。既に重ねて六画卦を成せば、六爻は自然皆その中に在り。
然八卦所以成列,乃從太極兩儀四象漸次而生。畫成之後,方見有三才之象。非聖人因見三才,遂以己意連畫三爻以象之也。六十四卦每卦六爻,亦以下卦為太極。生兩儀則十有六,生四象則三十有二,生八卦則六十四。畫成之後,然後見其可盡天下之變。非聖人見下三畫不足以盡天下之變,又增三爻以益之也。
陳夢雷は特に卦画生成の自然次序を強調す。八卦の行列を排成し得る所以は、太極より両儀を生じ、両儀より四象を生じ、四象より八卦を生ずと一歩一歩生出して来たるなり。画成したる後、始めて天・地・人の三才の象あるを見出し得、決して聖人が先に三才を見て、則ち自らの意思を憑りて連ねて三爻を画きてこれを象徴したに非ず。六十四卦の每卦は六爻、同様に下面の三画卦を以て太極と為す。両儀を生ずれば則ち十六と為り、四象を生ずれば則ち三十二と為り、八卦を生ずれば則ち六十四と為る。画成したる後、始めてそれが以て天下の変化を窮尽するに足るを見出し得、決して聖人が下面の三画が天下の変を窮尽するに足らざるを嫌い、始めてまた三爻を添えたるに非ず。
剛柔相推,變在其中矣。繫辭焉而命之,動在其中矣。剛柔相推而往來交錯,卦爻見矣。聖人因其有變,隨爻皆繫之辭。占者一二爻變,則一二爻動。四五爻變,則不變者為動。三爻變,則二彖皆動。純變,則之卦為動。皆觀其所繫之辭也。吉凶悔吝者,生乎動者也。吉凶悔吝在辭,因變動而占乃見。
経文にいう、剛柔は互相に推移し、変化は則ちその中に在り。文辞を繫げて告命を加えれば、動向は則ちその中に在り、と。陳夢雷の注、剛と柔は互相に推移し往来交錯して、卦爻は則ち顕現す。聖人はそれに変化あるが故に、便ち逐爻に皆文辞を繫ぐ。占筮する者、若し一爻二爻変ずれば、この一両爻を以て動爻と為す。若し四爻五爻変ずれば、あの変わらざる爻を以て動と為す。若し三爻変ずれば、本卦・之卦の両個の彖辞を以て皆動と為す。若し六爻全く変ずれば、変じ出たるあの一卦を以て動と為す――皆繫げたる辞の如何に言うかを看るべし。経文は続けていう、吉・凶・悔・吝は、変動の中より生ずるを以てなり、と。陳夢雷の注、吉凶悔吝は辞上に写され、変動の後に占問を倚りて顕現するを要す。
剛柔者,立本者也。變通者,趣時者也。一剛一柔,各有定位。自此而彼,變以從時。立本者,天地之常經。趣時者,古今之通義。上繫曰剛柔者晝夜之象,即此所謂立本。變化者進退之象,即此所謂趣時。吉凶者,貞勝者也。貞,正也,常也。天下事非吉則凶非凶則吉,常相勝而不已也。
経文にいう、剛と柔は、根本を確立する者。変と通は、時宜に趨赴する者、と。陳夢雷の注、一剛一柔は各々固定の位次あり、これは根本なり。この一爻よりあの一爻に変じ、時に随いて変ず、これは時に趨るなり。「立本」は天地間の不変の常規、「趣時」は古今通行の道理なり。《繫辞上伝》の「剛柔とは昼夜の象なり」といえるは、すなわちここの「立本」なり。「変化とは進退の象なり」といえるは、すなわちここの「趣時」なり。経文はまたいう、吉と凶は、その正を以て互相に勝ち取るなり、と。陳夢雷の注、「貞」は正にしてまた常なり。天下の事は吉ならざれば則ち凶、凶ならざれば則ち吉、両者は常々互相に圧倒して未だ嘗て停歇せず。
天地之道,貞觀者也。日月之道,貞明者也。天下之動,貞夫一者也。觀,示也。天地常垂象以示人,故曰貞觀。日月常明而不息,故曰貞明。天下之動無窮,然順理則吉,逆理則凶。其正而常者,亦一而已矣。夫乾,確然示人易矣。夫坤,隤然示人簡矣。確然,健貌。隤然,順貌。所謂貞觀者也。爻也者,效此者也。象也者,像此者也。效此者,效健順之理。像此者,像奇耦之畫。
経文にいう、天地の道は恒常に顕示し、日月の道は恒常に光明、天下の一切の変動は恒常のあの「一」に帰す、と。陳夢雷の注、「観」は顕示、天地は常に物象を垂示して人に見せしむ、故に「貞観」という。日月は常に明るくして停歇せず、故に「貞明」という。天下の変動は窮尽なく、然るに理に順えば吉、理に逆えば凶、あの正にして恒常の道理もまたただ一つあるのみ。経文は続けていう、乾は剛強堅定にして「易」を人に示し、坤は柔順舒緩にして「簡」を人に示す、と。陳夢雷の注、「確然」は剛健の様子、「隤然」は柔順の様子、これすなわちいわゆる「貞観」なり。経文はまたいう、爻とはこれを仿効する者、象とはこれに取像する者、と。陳夢雷の注、仿効とは乾健坤順の道理を仿効するをいい、取像とは奇画偶画の形状に取像するをいう。
爻象動乎內,吉凶見乎外。功業見乎變,聖人之情見乎辭。內,謂分蓍揲卦之時。外,成卦之後。吉凶悔吝生乎動。不變則功業無自而成,故曰功業見乎變。辭,則彖辭象辭。聖人示人以吉凶者也。
経文にいう、爻と象は内裏に変動し、吉と凶は外面に顕現す。功業は変化上に顕現し、聖人の心意は文辞上に顕現す、と。陳夢雷の注、「内」は蓍を分け卦を揲する時を指し、「外」は卦の既成の後を指す。吉凶悔吝は皆変動の中より生ず。変ぜざれば功業は成就するに由なし、故に「功業は変に見ゆ」という。「辞」は彖辞と象辞を指し、あれは聖人の取りて吉凶を人に指示するなり。
天地之大德曰生。聖人之大寶曰位。何以守位曰仁。何以聚人曰財。理財正辭,禁民為非曰義。此以上言作易之聖人,以憂世之心發明卦爻之辭。此節則言用易之聖人,有御世之位而行仁義之道也。天地以生物為心,德之大莫過乎此。聖人有德無位,亦不能相天地而遂人物之生,故以位為大寶。非聖人自寶之。蓋天下賴聖人之有位,得蒙其澤,故天下以為寶也。
経文にいう、天地の最大の徳性を「生」と呼び、聖人の最大の宝物を「位」と呼ぶ。何を以てこの位を守るかを、「仁」と呼ぶ。何を以て人心を聚攏するかを、「財」と呼ぶ。財貨を管理し言辞を端正し百姓が非を為すを禁止するを、「義」と呼ぶ、と。陳夢雷の注、以上の講ずる所は《易》を作すの聖人にして、憂世の心を懐きて卦爻の辞を闡発す。この節は則ち《易》を用うるの聖人を講じ、治世の地位を占據して仁義の道を推行す。天地は万物を生養するを以て心と為し、徳性の大はこの一点を超過するなし。聖人は徳ありて位なければ、また天地を輔助して人と物の生長を遂成する能わず、故に「位」を以て大宝と為す。これは決して聖人が自らそれを宝と為すに非ずして、天下人が聖人の位に在るに倚りてこそその恩沢を蒙受し得るを以て、故に天下人がこれを宝と看作すなり。
曰仁之仁,仍作人。人君能得天下之心,位乃可守。財,可養萬人之生,故人可聚。理財,使各得其分,養之也。正辭,則分別是非,教之也。禁民為非,明憲勅法以齊其不率,刑之也。養之教之,而後齊之以刑,聖人不忍人之政盡此三者。皆出於理之當然而不可易,所謂義也。戎在易。則理財即易之備物致用也。正辭即易之辨物正言也。禁民為非,易之斷吉凶、明失得、內外使知懼也。
陳夢雷は一処の異文を指出す。「何を以て位を守るかを仁という」の「仁」は、仍お「人」と作るべし。国君は天下人の心を得てこそ、位は始めて守り住むべし。財貨は万民の性命を養うべし、故に人心は聚攏すべし。「財を理す」は人をして各々その応得の一份を得しむるをいい、これは民を養うなり。「辞を正す」は是非を分辨するをいい、これは民を教うるなり。「民の非を為すを禁ず」は憲令法度を申明して、以てあの服従せざる者を整治するをいい、これは民を刑するなり。先ず彼らを養い彼らを教え、然る後に刑罰を以て彼らを整斉す。聖人の人を忍びざるの政はこの三項の外になく、而してこの三項は皆道理の当然に出でて更易すべからず、これすなわちいわゆる「義」なり。若し《易》上に落として講ぜば、「財を理す」はすなわち《易》の裏のいう物を備え用を致す、「辞を正す」はすなわち《易》の裏のいう物を辨じ言を正す、「民の非を為すを禁ず」はすなわち《易》の裏の吉凶を断じ得失を明らかにし人をして内外皆戒惧を知らしむるなり。(原文「戎在易」の「戎」は底本の訛文、意は《易》に就きて言うを謂う。)
此章論卦爻吉凶,推之造化功業。而以有德有位之聖人,能體易而參贊天地者終之。蓋天地之德在乎生,作易之聖人情見乎辭,用易之聖人仁守其位,無非以為其人而已矣。右第一章。
陳夢雷はこの章を総括す。先ず卦爻の吉凶を論じ、再び天地造化と人間功業に推広し、最後に徳ありまた位ある聖人の能く易道を体察し天地を参賛するを以て結と為す。天地の徳性は生養に在り、《易》を作す聖人は心意を文辞の裏に寄託し、《易》を用うる聖人は仁徳を憑りてその位を守る。説き極めて无非る皆人の為なり。以上第一章。
繫辞下伝・第二章
第二章言聖人制器尚象之事。古者包犧氏之王天下也。仰則觀象於天,俯則觀法於地。觀鳥獸之文,與地之宜。近取諸身,遠取諸物。於是始作八卦。以通神明之德,以類萬物之情。
第二章は聖人の器物を制作する時に卦象を取法した事を講ず。経文にいう、古時に包犠氏は天下を統治し、頭を擡げれば則ち天上の物象を観察し、頭を低れれば則ち地上の法則を観察し、鳥獣の紋理と各地の土宜を観察す。近処は自らの身体に取り、遠処は万物に取る。ここに於て始めて八卦を画き出し、以て神明の徳性を會通し、以て万物の情状を分類す、と。
象以氣言,屬陽。以形言,屬陰。鳥獸之文,謂天產之物,飛陽而走陰也。土地所宜,謂地產之物,草陽而木陰也。神明之德,不外乎健順動止陷入麗說之德。萬物之情,則不止天地雷風山澤水火之情。本義云俯仰遠近所取不一,然不過以驗陰陽消息兩端而已。蓋萬物不外於八卦,八卦不外乎陰陽。陰陽雖二,而實一氣之消息也。
陳夢雷は解説す。「象」は気に就きて言い、陽に属す。「法」は形に就きて言い、陰に属す。「鳥獣の文」は天生の動物を指し、飛ぶは陽に属し走るは陰に属す。「地之宜」は地産の植物を指し、草は陽に属し木は陰に属す。「神明の徳」は乾健・坤順・震動・艮止・坎陥・巽入・離麗・兌説のこの八種の徳性の外になし。「万物之情」は則ち天・地・雷・風・山・沢・水・火のこの八種の情状に止まらず。《周易本義》は俯仰遠近の取る所の対象は一様に止まらずと説くも、然るに不過ぎ以て陰陽消長のこの両頭を検証するを用とするのみ。万物は八卦を出でず、八卦は陰陽を出でざるが故なり。陰陽は両様なりと雖も、其実はただ一気の消長なり。
作結繩而為網罟,以佃以漁。蓋取諸離。離有二義。曰象曰理。理謂麗也,禽獸魚鱉麗乎綱罟也。象謂虛中,綱罟之目虛也。取之離者,言為綱罟有離之象,非睹離乃有此也,他卦倣此。
経文にいう、绳索を編結して網罟を做成し、以て打猟し以て捕魚す、ほぼ《離》卦に象を取れるか、と。陳夢雷の注、《離》は両層の意思あり、一層は象、一層は理なり。理に就きて説けば、「離」はすなわち附麗、禽獣魚鱉は網罟上に附着す。象に就きて説けば、離卦の中間一画は虚にして、正に網罟の網眼の空なるが如し。いわゆる「諸を離に取る」とは、網罟を做すこの事が《離》の象に合するを説く、決して先に《離》卦を見て始めてこの物有るに非ず――其余の各卦は皆この道理に照りて理解すべし。
包犧氏沒,神農氏作。斲木為耜,揉木為耒。耒耨之利,以教天下。蓋取諸益。二體皆木,中互坤土。木入土中,上入下動,風雷之象也。粒食之利自此而始,益之義也。日中為市。致天下之民,聚天下之貨。交易而退,各得其所。蓋取諸噬嗑。日中為市。上明下動,火雷之象。中爻坎水艮山,群珍所出,聚貨之象。艮止,退而得所之象。貨不同皆合於市。借噬為市,嗑為合,噬嗑之義。
経文にいう、包犠氏は去世し、神農氏は興起す。木頭を砍削して耜を做し、木頭を彎曲して耒を做し、耒耜耕耘の好処を天下人に教う、ほぼ《益》卦に象を取れるか、と。陳夢雷の注、《益》は上巽下震にして、両個の卦体は皆木に属し、中間に互いに坤卦を出だして土と為し、木は土中に插進す。上巽は入と為し下震は動と為す、正に風雷の象なり。人の糧食を吃する好処はこれより始まる、これ正に「益」の意に合す。経文にいう、正午に集市を開設し、天下の人を招来し、天下の貨物を聚集し、交換完畢して則ち散去し、各人は皆自らの所需要するを得、ほぼ《噬嗑》卦に象を取れるか、と。陳夢雷の注、正午に市を設くは、上離は明と為し下震は動と為す、是れ火雷の象なり。中間に互いに坎水艮山を出だすは、各種の珍宝の出産する所にして、正に貨を聚むるの象に合す。艮は止と為す、是れ交易罷めて退去して各々その所を得るの象なり。貨物は各々相同じからずして皆市上に匯合す、故に「噬」を借りて「市」と為し「嗑」を「合」と為す、これすなわち《噬嗑》の義を取るなり。
神農氏沒,黃帝堯舜氏作。通其變,使民不倦。神而化之,使民宜之。易窮則變,變則通,通則久。是以自天祐之,吉無不利。黃帝堯舜垂衣裳而天下治,蓋取諸乾坤。陽極變陰,陰極變陽,變也。陽變陰不至於亢,陰變陽不至於伏,通也。陰陽循環無端,久也。上衣色玄象天,下裳色黃象地。食貨既足,禮義當興。變草昧而文明,又取乾坤變化而無為之義也。
経文にいう、神農氏は去世し、黄帝・堯・舜は相継いで興起す。彼らは事物の変化を貫通し、百姓をして倦怠せざらしむ。神妙に化導を加え、百姓をして各々その宜を得しむ。《易》の道理は窮尽すれば則ち変じ、変ぜば則ち通達し、通達すれば則ち長久す、故に「天より祐られ吉にして利あらざるなし」という、と。黄帝・堯・舜は衣を垂れ拱手して天下大治す、ほぼ《乾》《坤》の両卦に象を取れるか。陳夢雷の注、陽は極処に至りて陰に変じ、陰は極処に至りて陽に変ず、これは「変」なり。陽は陰に変じて亢極に至らず、陰は陽に変じて潜伏に至らず、これは「通」なり。陰陽は循環して端頭なし、これは「久」なり。上衣は玄色を用い、天を象徴す。下裳は黄色を用い、地を象徴す。糧食貨物既に充足せば、礼義は当に興起すべし。草昧の世を変じて文明の世と為し、また乾坤の変化して無為なるの意を取る。
刳木為舟,剡木為楫,舟楫之利,以濟不通。致遠以利天下,蓋取諸渙。刳木使中虛,剡木使末銳。木在水上故渙,有利涉大川之占。服牛乘馬,引重致遠,以利天下。蓋取諸隨。下動上說,澤雷之象。各因其性,動止隨人,有隨之義。重門擊柝,以待暴客,蓋取諸豫。雷震乎外,有聲之木。以互艮為門闕,以取其象。先事警戒,又豫備之意。
経文にいう、木頭を剖空して船を做し、木頭を削尖して桨を做し、船桨の便利に倚りて通ぜざる処を渡り、能く遠方に到達して天下を利す、ほぼ《渙》卦に象を取れるか、と。陳夢雷の注、木を剖くは中間を空虚ならしむるをいい、木を削るは末端を尖利ならしむるをいう。《渙》は上巽は木と為し下坎は水と為す、木は水上に浮ぶが故に渙と為す、卦辞は正に「大川を渉るに利し」の占語あり。経文にいう、牛を馴服し馬を駕乗し、重物を牽き遠路を行き、以て天下を利す、ほぼ《随》卦に象を取れるか、と。陳夢雷の注、《随》は下震は動と為し上兌は悦と為す、是れ沢雷の象なり。牛馬は各々自らの天性に依り、或いは動き或いは止まるも皆人の使喚に聴憑す、正に「随」の意に合す。経文にいう、多重の門戸を設置し木梆を敲撃し、以て強暴の来客を防備す、ほぼ《豫》卦に象を取れるか、と。陳夢雷の注、《豫》は上震雷は外に震動す、是れ声を発し得るの木なり。互体は艮と為し、艮は門闕と為す、正にこの象を取る。事情は未だ発せざるに先に警戒を加う、また預め防備するの意を含む。
斷木為杵,掘地為臼。杵臼之利,萬民以濟。蓋取諸小過。下止上動,雷山象。民既粒食,又治使精,小過之義。弦木為弧,剡木為矢。弧矢之利,以威天下。蓋取諸睽。睽乖然後服之以威,取睽之義。又離為戈兵,兌金為矢為毀折,互坎為弓輪,亦有其象。
経文にいう、木頭を截断して杵を做し、地を掘りて臼を做し、杵臼の便利は万民をして接済を得しむ、ほぼ《小過》卦に象を取れるか、と。陳夢雷の注、《小過》は下艮は止と為し上震は動と為す、是れ雷山の象なり。百姓は既に穀物を吃し、またこれを舂治して精細と為す、正に「小過」の稍々これに過ぐるの意に合す。経文にいう、木頭を彎めて弓と為し、木頭を削りて箭を做し、弓箭の威力を以て天下を震懾す、ほぼ《睽》卦に象を取れるか、と。陳夢雷の注、人心は乖離し、然る後に始めて威勢を以て彼らをして順服せしむ、これは「睽」の意を取るなり。さらに《睽》は上離は戈兵と為し、下兌は金に属し箭鏃と為し毀折と為し、互体は坎と為し弓輪と為す、亦皆この象あり。
上古穴居而野處,後世聖人易之以宮室。上棟下宇,以待風雨,蓋取諸大壯。棟,屋脊承而上者。宇,椽也,垂而下者。故曰上棟下宇。風雨動於上,棟宇覆於下。雷天之象,又取壯固之意。
経文にいう、上古の人は洞穴の裏に住み曠野の中に宿し、後世の聖人は改めて宮室を以てこれに代替し、上に棟梁あり下に屋簷あり、以て風雨を防御す、ほぼ《大壮》卦に象を取れるか、と。陳夢雷の注、「棟」は屋脊にして上に向かいて承托す。「宇」は椽子にして下に向かいて垂覆す、故に「上棟下宇」という。風雨は上面に吹動し、棟宇は下面に覆蓋す。《大壮》は上震は雷と為し下乾は天と為す、正に雷天の象にして、またその壮大堅固の意を取る。
古之葬者,厚衣之以薪,葬之中野。不封不樹,喪期無數。後世聖人易之以棺槨,蓋取諸大過。送死大事而過於厚,大過之義。又大過全卦象坎為隱伏,殯葬之象。中爻乾為衣,內巽為木,入土之象。養生不足以當大事,故杵臼小過。送死可以當大事,故取諸大過也。
経文にいう、古時は死者を埋葬するに、柴草を以て厚く裹住し、荒野の中に葬り、土堆を堆まず樹木を種えず、服喪もまた一定の期限なし。後世の聖人は改めて棺槨を以てこれに代替す、ほぼ《大過》卦に象を取れるか、と。陳夢雷の注、死者を送葬するは大事にして、而して格外に豊厚に弁ず、正に「大過」の意に合す。さらに《大過》の整卦の形状は一個の坎卦の如く、坎は隠伏と為す、正に殯葬の象なり。中間の互体は乾と為し、乾は衣と為す。内卦は巽にして、巽は木と為す、皆土に入り安葬するの象なり。彼はまた一個の比較を作す。生者を奉養するはなお「大事」に及ばず、故に杵臼を做るはただ《小過》を取る。死者を送葬するは始めて「大事」に当たる、故に《大過》を取る。
上古結繩而治,後世聖人易之以書契。百官以治,萬民以察,蓋取諸夬。言有不能記者,書識之。事有不能信者,契驗之。取明決之義。夬之義。蓋夬乃君子決小人之卦,造書契亦所以決小人之偽而防其欺也。此章十三卦取象,見上古未有易之書而先有易之理。人見聖人備物致用,立成器以利天下。以為此出聖人之心思,不知皆因乎理所固有也。右第二章。
経文にいう、上古は結縄の弁法を以て治理し、後世の聖人は改めて文書契券を以てこれに代替し、百官はこれに倚りて政事を弁理し、万民はこれに倚りて事情を稽察す、ほぼ《夬》卦に象を取れるか、と。陳夢雷の注、言に記え得ざるあれば、則ち文書を以て記下す。事に取信し得ざるあれば、則ち契券を以て検験す。取る所は明白決断の意、これ正に《夬》の義を取るなり。《夬》は本は君子が小人を決除するの卦にして、文書契券を制作するもまた正に小人の偽詐を決除し彼らの欺騙を防備せんと欲すなり。彼は最後に総結す。この章の挙ぐる十三卦の取象は、上古は未だ《易》の書あらざれど、而して先に已に《易》の道理ありたるを見るべし。人々は聖人の器物を備弁しその功用を尽くし、器具を制成して以て天下を利するを見て、則ち以てこれ全く聖人の心思に出づと為す、而して知らず皆事理の本来有するに依拠するを。以上第二章。
