系辞下・第十章(六爻の天地人の道を備うるを論ず)
第十章論六爻備天地人之道。而不外陰陽二物錯雜成文,以為得失吉凶之象。摠以見易書之廣大悉備也。易之為書也,廣大悉備。有天道焉,有人道焉,有地道焉。兼三才而兩之,故六。六者非他也,三才之道也。才者,能也。天能覆,地能載,人能參天地。故曰才。三畫已具,三才重之。以上二爻為天,中二爻為人,下二爻為地。蓋一而不兩,則專而無對。天獨陽無陰,地獨陰無陽。人之陰陽,亦孤而無偶,不生不成。必皆兼而兩之,天地人各有陰陽,然後其道全而不偏。
本章は六爻が天・地・人の三才の道を具備するを討論し、而して三才の道もまた陰陽両物の錯雑して文を成すの外になし、従って得失吉凶の象を構成す。総めては《易》書の広大完備を顕示せんと要す。《繫辞》にいう、《易》のこの書は、広大にして備わらざるなし、その中に天道あり・人道あり・地道あり。三才を兼合して各々両爻を以て表示す、故に六画なり。この六画は別のものに非ず、すなわち三才の道なり、と。「才」は能力なり。天は能く覆蓋し、地は能く承載し、人は能く天地を参賛す、故に「才」と呼ぶ。三画の八卦は已に三才を具備し、六画の重卦は不過ぎ三才を各々一層重ぬるのみ。上面の両爻は天、中間の両爻は人、下面の両爻は地なり。ただ一画有りて両画を成さざれば、則ち孤单にして対待なし。天はただ陽ありて陰なく、地はただ陰ありて陽なく、人の陰陽もまた孤零零として配偶なきならば、則ち生ずる能わず成す能わず。必ず皆兼ねて両と為り、天・地・人は各々自ら陰あり陽あり、こうあってこそそれらの道は完全にして偏ならず。
若各以所近而析其名,則在天為陰陽,五陽而上陰。在地為剛柔,初剛而二柔。在人為仁義,三仁而四義。皆兩之。道本如是,非聖人強安排之也。易之為書,所以廣大悉備也。至其位之上下取義,又有不可拘者。一卦中陰或居上,則地或為天。陽或居下,則天或為地。五為君位,則天道為人道。二為臣道,則地道為人道。是又變通取義,不可為典要者也。
若し各々相近いの処に就きて分別にそれらに立名せば、則ち天に在りては陰陽と呼ばれ、五爻は陽と為し上爻は陰と為す。地に在りては剛柔と呼ばれ、初爻は剛と為し二爻は柔と為す。人に在りては仁義と呼ばれ、三爻は仁と為し四爻は義と為す、皆成双成対なり。道は本来すなわちこの如く、并な聖人が勉强に安排し出だすに非ず。《易》のこの書の広大完備なる所以は、原因はすなわちここに在り。爻位の上下の取る所の義に至っては、また拘执すべからざるの処あり。一卦の中に若し陰爻上に居れば、則ち本は地に属する位置は或いは時に反って天と成る。陽爻下に居れば、則ち本は天に属する位置は或いは時に反って地と成る。五は君位、ここに於て天道は則ち人道と成る。二は臣位、ここに於て地道は則ち人道と成る。これはまた随宜に変通して義を取る、以て固定の成法と為す能わざるなり。
道有變動,故曰爻。爻有等,故曰物。物相雜,故曰文。文不當,故吉凶生焉。道有變動,指卦之全體自初至上各有不同。如乾之初潛二見三惕四躍,始終先後不同,非陰陽老少之變也。爻有等,謂高下遠近貴賤之差。物,即陰陽二物。有剛柔小大之分,即物也。物相雜,指陰爻陽爻之相間。有陰無陽,有陽無陰,則無所雜而文不見。自乾坤二卦之外,皆陰陽錯雜以成文者也。
《繫辞》にいう、道に変動あり、故にこれを「爻」と呼ぶ。爻に等次あり、故にこれを「物」と呼ぶ。物は相錯雑し、故にこれを「文」と呼ぶ。文に当たらざるあり、ここに於て吉凶は則ち産生す、と。「道有変動」とは、一卦の整体が初爻より上爻に至るまで各々相同じからざるを指し、例えば乾卦の初爻は潜龍・二爻は見龍・三爻は惕厲・四爻は或いは躍る、始終先後は各々一様ならず、ここに説く所は并な陰陽老少の変爻に非ず。「爻有等」とは、高下・遠近・貴賎の等差を指す。「物」はすなわち陰陽の両物、剛柔・小大の分別あり、これすなわち物なり。「物相雑」とは、陰爻陽爻の互相間隔するを指す。若しただ陰ありて陽なくただ陽ありて陰なければ、則ち錯雑するに由なく、文理もまた看り出だす能わず。乾坤の両個の純卦を除くの外、其余の各卦は皆陰陽錯雑して以て文を成す。
文有當否。陽居陽位當,居陰則不當。陰居陰位當也,居陽則不當。當者多吉,不當者多凶。然陽居二,或以剛中而吉。居四居上,或以剛而能柔為吉。陰居初,或以在下而吉。在五,或以柔中而吉。陽居初三五,或以過剛而凶。陰居二四上,又或以過柔而凶。則又因卦義所取,間有不同,未可執一為論也。此章上節言全卦兼三才之道,以見易道之大。此節則即六爻而言吉凶之所由著,亦以見廣大之悉備也。右第十章。
文理に当たると当たらざるとあり。陽爻は陽位に居れば是れ当たり、陰位に居れば則ち当たらず。陰爻は陰位に居れば是れ当たり、陽位に居れば則ち当たらず。位に当たるは吉多く、位に当たらざるは凶多し。然るに陽爻は二位に居るは、或いは時に剛健にして中に居るを以て吉を得。四位・上位に居るは、或いは時に剛にして能く柔なるを以て吉を得。陰爻は初位に居るは、或いは時に下に在るを以て吉を得。五位に居るは、或いは時に柔順にして中に居るを以て吉を得。陽爻は初・三・五のこれらの陽位に居るは、或いは時に反って剛強に過ぐるを以て凶を致す。陰爻は二・四・上のこれらの陰位に居るは、或いはまた時に柔弱に過ぐるを以て凶を致す。見るべし還た各卦の取る所の卦義を看るを要し、その間に出入なきにあらず、一条を死执して以て論断する能わず。本章の上一節は整卦の三才の道を兼備するを講じ、以て《易》道の大なるを見んとす。この一節は則ち六爻に就きて吉凶の顕現する縁由を講じ、同様に《易》道の広大にして備わらざるなきを見出さんと要す。以上《繫辞下伝》第十章。
系辞下・第十一章(文王の易を作るの意を明らかにす)
第十一章明文王所以作易之意。欲人懼以終始,歸於無咎而已。易之興也。其當殷之末世,周之盛德耶。當文王與紂之事耶。是故其辭危。危者使平,易者使傾。其道甚大,百物不廢。懼以終始,其要無咎。此之謂易之道也。
本章は文王の《易》を作すの用意を闡明す。不過ぎ人をして頭より尾に至るまで心に戒惧を存せしめ、最終に過ちなきに帰せんと欲するのみ。《繫辞》にいう、《易》の興起は、ほぼ正に殷商の末世・周朝の徳業方に盛んの時に当たれるか。ほぼ正に文王と商紂の間のあの段の事情に当たれるか。故に《易》の文辞は多く危惧の意あり。心に危惧を存する者は、《易》は彼をして平安ならしむ。軽慢自恃する者は、《易》は彼をして傾覆せしむ。その道理は極めて広大、万事万物は皆廃敗に至らず。頭より尾に至るまで常に戒惧を懐き、その要旨は不過ぎ一個の過ちなきを求むるのみ、これすなわち《易》の道理と呼ばるるなり、と。
前章已言易興於中古,作於憂患。此則明以屬之文王。蓋非末世,則情偽不如是之熾。非盛德,則易道無自而傳。以紂之末世遇文王之盛德,易之所由演也。危者有憂患之心,故辭多危懼也。其辭危懼,故凡人之知危懼者,使之安平。慢易者,使之傾覆。非易有意使之。蓋殖有禮,覆昏暴,天道之自然也。百物不廢,本義作萬物之理無不具。與上文不相接。
上一章は已に《易》の中古に興起し憂患に於て作れるを説き過ぎたり、この一章は則ち明確にこれを文王の身上に帰す。原来衰乱の末世に逢わざれば、人情の虚偽はあの地步に熾盛せざらん。徳業方に盛んの君子に遇わざれば、《易》道もまた流伝するに由なし。商紂の末世を以て文王の盛徳に遇う、これ正に《易》の推演を得たる所以の縁由なり。「危」は心に憂患を懐く、故に文辞は多く危惧の意を帯ぶ。文辞既に危惧なれば、ここに於て凡そ危惧を懂得する者は《易》は則ち彼をして安穏平順ならしめ、凡そ軽慢自恃する者は《易》は則ち彼をして傾覆敗亡せしむ。これは并な《易》が有意に彼らをこのように対待せんとするに非ずして、礼を守る者を扶植し昏暴なる者を傾覆するは、本は天道の自然なり。「百物廃せず」の一句に至っては、朱熹《周易本義》は万物の理は具備せざるなしと解す、これは上文の語脈と接せず。
來注,廢字即傾字也。謂此道甚大。近而一身,遠而天下國家。若常以危懼為心,皆不至於傾廢也。此說較勝。懼即憂危之意。憂懼於始者易,終而猶始者難。憂懼以終始,其要不過欲無咎而已。易之為道如此,學易者可以悟矣。右第十一章。
来知徳《周易集注》は則ち説く、「廃」の字はすなわち上文の「傾」の字、意思はこの道理の極めて広大にして、近きは一身に関わり遠きは天下国家に関わり、ただ常に危惧の心を存せば、皆傾覆廃敗に至らず。この講法は《本義》より更に一籌を勝る。「懼」はすなわち憂危の意。開頭に能く憂懼するは難からず、難きは末了に到りて還た開頭の如くするに在り。頭より尾に至るまで常に憂懼を存し、その要旨は不過ぎ一個の過ちなきを求めんと欲するのみ。《易》の道理は如此、《易》を学ぶ者はここより以て领悟する所有るべし。以上《繫辞下伝》第十一章。
系辞下・第十二章(乾坤の徳と繫辞の凡例を論ず)
第十二章首論乾坤二卦之德,因及全卦之功用。自八卦以象告以下,又總作易繫辭之大略。而末以人情立言不同,以明繫辭之不同也。夫乾,天下之至健也。德行恆易以知險。夫坤,天下之至順也,德行恆簡以知阻。
本章の開頭は乾・坤の両卦の徳性を論じ、これより全部の卦爻の功用に推及す。「八卦は象を以て告ぐ」以下は、また総じて聖人の《易》を作し辞を繫げるの大略を述べ、末尾は則ち人情の同じからず立言の各々異なるを以て、《易》の繫げる所の辞の彼此同じからざる所以を説明す。《繫辞》にいう、乾は天下の最も剛健、其の徳行は恒常平易にして能く険阻を予知し、坤は天下の最も柔順、其の徳行は恒常簡約にして能く阻難を予知す、と。
至健則所行無難,故易。至順則所行不煩,故簡。然皆本於憂患之心,皆知其難而不敢易以處之之意。下危曰險,乾體在上。自高臨下,知下之險而不敢進。健而知險,則不陷於險矣。上難曰阻,坤體在下。自下趨上,知上之阻而不敢越。順而知阻,則不困於阻矣。全易皆由乾坤二卦而生。乾坤二卦之德如此,則全易之貴於危懼可知。
至って剛健なれば、行う所は便ち難処なく、故に「易」と呼ぶ、すなわち平易なり。至って柔順なれば、行う所は便ち煩擾せず、故に「簡」という。但しこの両者は皆憂患の心に出で、皆其の難きを明知し而して敢えて軽率に処せざるの意思を含む。下に在りて可畏なるを「険」と呼ぶ、乾体は上に居り、高処より下方に俯臨し、下に険有るを知りて軽易に前進せず。剛健にして能く険を知れば、則ち険裏に陥り入ることなし。上に在りて難行なるを「阻」と呼ぶ、坤体は下に居り、下方より上方に趨向し、上に阻有るを知りて敢えて僭越せず。柔順にして能く阻を知れば、則ち阻裏に困ることなし。整部の《易》は皆乾坤の両卦より生出し、乾坤両卦の徳性は尚おこの如し、則ち整部の《易》の危惧を以て貴と為すもまた推想して知るべし。
能說諸心,能研諸侯之慮。定天下之吉凶,成天下之亹亹者。侯之二字衍文。說諸心,本義屬乾之事。蓋心與理會,有自然之妙,故以屬陽也。研諸慮,本義屬坤之事。蓋理因慮審,涉於作為,故以屬陰也。又事之未定者屬乎陽,故本義謂說諸心有以定吉凶。事之已定者屬乎陰,故本義謂研諸慮有以成亹亹。分屬亦是,亦不必過拘。
《繫辞》にいう、能く人の心をして悦怿せしめ、能く人の思慮を精審ならしめ、従って天下の吉凶を判定し、天下の勤勉不倦の事業を成就す、と。(「諸侯」の「侯」の字は衍文なり。)「心に説ぶ」は、朱熹《周易本義》は乾の事に帰す、心と理の相契合するは自ら一種自然の妙処あるを以てなり、故に陽に配属す。「慮に研ぐ」は、《本義》は坤の事に帰す、義理は思慮を倚りて審辨するを要し、已に作為に渉るを以てなり、故に陰に配属す。また、事情の未だ定まらざるは陽に属す、故に《本義》は「心に説ぶ」は能く吉凶を判定すと説く。事情の已に定まりたるは陰に属す、故に《本義》は「慮に研ぐ」は能く勤勉不倦の功を成就すと説く。このように分属するは固より説き通る可し、而してまた拘泥し過ぐるを必とせず。
是故變化云為,吉事有祥。象事知器,占事知來。變化者,陰陽之所為。云為者,人事之所作。人事與天道相符,則吉事有祥。如見乎蓍龜之類。言吉事則凶事在其中矣。變化云為,明也。吉事有祥,幽也。於變化云為,則象之而有以知器。凡有形之實事,皆器也。
《繫辞》にいう、故に天地の変化・人の言語行事の中に於て、吉事は皆征兆ありて尋ぬべし。象を観ること事に於てすれば則ち器物を知るを得、占問すること事に於てすれば則ち未来を予知し得、と。「変化」は陰陽の造作する所、「雲為」は人事の造作する所なり。人事と天道と相符せば、吉事は則ち祥兆を顕出す、譬えば蓍草亀甲上に顕現するあの一类の如し。「吉事」と説くは、凶事もまたその中に包含せり。変化雲為は明処に属し、吉事に祥あるは幽処に属す。変化雲為に就きて言えば、以てそれに象を取りて器物を知暁し得。凡そ形有りて見ゆる実事は、皆「器」に属す。
于吉事有祥,則占之而有以知來。凡未形之吉凶悔吝,皆來也。此節言易之為書,具天道之變化,人事之云為。又吉凶皆有休祥之應。所以象事於此而知器,占事於此而知來也。天地設位,聖人成能。人謀鬼謀,百姓與能。
吉事に祥兆有るに就きて言えば、以てそれを占問して未来を予知し得。凡そ未だ成形せざる吉凶悔吝は、皆「来」に属す。この一節は《易》のこの書が、既に天道の変化を具備しまた人事の言語行為を具備し、而且に吉凶は皆征兆ありて應験すべしを説く、故にここに於て象を観ること事に於てすれば則ち器物を知暁し得、ここに於て占問すること事に於てすれば則ち未来を予知し得。《繫辞》はまたいう、天地は上下の位置を設定し、聖人はそれらの成す能わざるの功能を成就す。明処に於ては人に謀り、幽処に於ては鬼神に謀り、百姓をもこの份の功能の裏に参与せしむ、と。
天地設位而變化云為,吉事之祥已具。然此理不能以告人,聖人作易以成其功。使明則謀諸人,幽則謀諸鬼。而至愚之百姓亦因卜筮知所趨避,是百姓亦與其能也。蓋健順易簡知險知阻,天地之能也。說心研慮定吉凶成亹亹,聖人成天地所不及成之能也。云為之祥,象占之知。則百姓之能,得與於聖人已成之能也。
天地は一たび位を設ければ、変化と人の言行・吉事の祥兆は便ち皆具備す。但しこれらの道理は天地自ら人に告ぐる能わず、ここに於て聖人は《易》を作し以てこの一功用を成就し、人をして明処に於ては人に謀ることを得、幽処に於ては鬼神に謀ることを得、最も愚昧の百姓をも能く卜筮に憑りて吉に趨り凶を避くるを知らしむ、これすなわち百姓もまたこの份の功能に参与するなり。原来剛健柔順・平易簡約・険を知り阻を知るは、天地の功能なり。人の心を悦ばしめ人の慮を精にし吉凶を判定し勤勉を成就するは、聖人が天地の及ばざる所を成就したる功能なり。言行の中の祥兆・象を観ると占問との得る所の知見に至っては、則ち百姓の功能にして、百姓が聖人の已に成就したるあの份の功能を分かち享くるなり。
八卦以象告,爻彖以情言。剛柔雜居,而吉凶可見矣。象謂卦畫。八卦成列,象在其中,以象告也。至錯綜為六十四卦,爻彖所趨各異,則曲盡其情實而言之。上古觀象已告。後世情偽既多,非以情言不可也。爻彖之辭,因剛柔雜居有得有失。故吉凶於此見焉。此後乃詳言聖人爻彖所繫之辭,吉凶悔吝之所由著,以示學易者也。
《繫辞》にいう、八卦は卦象を用いて以て人に告げ、爻辞彖辞は情実を用いて以て講説す。剛爻柔爻は一処に雑居し、吉凶は便ち以て看出す可し、と。「象」は卦画を指す。八卦は行列に排し、象は已にその中に含む、これすなわち象を用いて以て人に告ぐるなり。錯綜して六十四卦と為るに及びて、爻と彖は各々の趨向同じからず、則ちその中の情実を曲折に説き尽くすを要す。上古の世はただ象を観れば則ち足れり、後世は人情虚偽日に多く、情実を説き出さざれば可ならず。爻辞彖辞は剛柔雑居に因りて得失あり、故に吉凶はすなわちここに顕現す。これより以下は便ち詳しく聖人が爻彖上に繫げたる辞および吉凶悔吝の顕現する縁由を講じ、以て《易》を学ぶ者に指示す。
變動以利言,吉凶以情遷。是故愛惡相攻而吉凶生,遠近相取而悔吝生,情偽相感而利害生。凡易之情,近而不相得則凶,或害之,悔且吝。此承上文剛柔雜居吉凶可見,而詳言繫辭吉凶悔吝之凡例也。易道變動,開物成務,以利言也。而卦爻之辭有吉有凶,則其情之有所遷耳。以下皆詳言吉凶以情遷之說。而以吉凶悔吝利害之三辭,由於相攻相取相感之三情。末復總以相近不相得之一情,使人推觀之也。命辭之法,必各象其爻之情。易之繫辭,不止言吉凶。蓋吉凶者,事之已成者也。吉凶之尚微而未成者,則曰悔吝。而其事之始商度其可否,則曰利不利,不利則害。
《繫辞》にいう、爻の変動は利害に就きて言う所、吉凶は則ち爻情の向背に随いて転移す。故に愛と悪は互相に攻撃し、吉凶は則ち産生す。遠と近は互相に求取し、悔吝は則ち産生す。真情と虚偽は互相に感應し、利害は則ち産生す。大凡《易》中の爻情は、両爻相近くして彼此投合せざれば、則ち凶、或いは傷害を受け、或いは悔あり吝あり、と。この一段は上文の「剛柔雑居、吉凶見る可し」を承接し、詳しく繫辞中の吉凶悔吝の通例を説明す。《易》道の変動は、万物を開通し事業を成就せんと要す、故に利害に就きて説く。而して卦爻の辞に吉あり凶あるは、則ち爻情に転移する所有るを以てなり。以下は皆「吉凶は情を以て遷る」のこの層の意思を詳説し、吉凶・悔吝・利害のこの三類の断辞を、相攻・相取・相感のこの三種の爻情上に帰す。末了は再用びて「相近くして而も相得ず」のこの一種の情を以て総括し、人をしてこれより其余を推求せしむ。繫辞の方法は、必ず各々あの一爻の情状を摹写す。《易》の繫げる辞はただ吉凶を講ずるに止まらず。吉凶は事情の已に定局したるなり。吉凶還た細微にして未だ定局せざるは、則ち悔吝と呼ぶ。而して事情が剛に開始して還た可否を斟酌するは、則ち利と不利と呼ぶ、不利は便ち害なり。
是易之辭有吉凶悔吝利害三者也。而其故,由於爻之情有相取相攻相感三者。相感者情之始交,故以利害言之。相取則有事矣,故以悔吝言之。相攻則其事極矣,故以吉凶言之。愛惡遠近情偽,姑就淺深言之。若錯綜言之。則相攻相取相感之情,其居皆有遠近,其行皆有情偽,其情皆有愛惡也。故總以相近一條明之。近而不相得,則以惡相攻而凶生矣,以偽相感而害生矣,不以近相取而悔吝生矣。是一近之中備此三條。
これより以て《易》の断辞に吉凶・悔吝・利害の三類あり、而してその縁故は爻情に相取・相攻・相感の三種有るに在るを知るべし。相感は情意が剛に交接を開始す、故に利害を以て説く。相取は就已に事有れり、故に悔吝を以て説く。相攻は則ち事情已に極処に到れり、故に吉凶を以て説く。愛と悪・遠と近・真情と虚偽は、姑く交接の深浅に就きて分説するなり。若し交錯して看れば、則ち相攻・相取・相感のこの三種の情は、その処する所は皆遠近の別あり、その行う所は皆真偽の別あり、その存心は皆愛悪の別あり。故に総じて「相近」のこの一条を用いて以て説明す。両爻相近くして而も投合せざれば、則ち悪を以て相攻して凶を生じ、偽を以て相感して害を生じ、近きに因りて相取る能わずして悔吝を生ず。見るべし単なる一個の「近」の字の裏に則ちこの三条を備うるを。
然不相得則惡相攻,偽相感,近不相取。則相得為愛相攻,情相感,近相取。可知不相得為凶害悔吝,則相得為吉利,悔亡,無悔無咎。可知夫子已言者三,其未言者三,其條例有六也。然凡爻有此爻,有應爻,有一卦之主爻,皆情之慾相得者。今稱近者,但即比爻言之。反以三隅,則主爻及應爻亦備此六條。以此十八條合之爻辭,則吉凶悔吝之大凡可知。
既に投合せざれば便ち悪を以て相攻し偽を以て相感し近く虽も而も相取らずなれば、則ち反ってこれ、投合は便ち愛を以て相攻し真情を以て相感し近きに因りて相取るは、これは推知し得べし。既に投合せざるの結果は凶・害・悔・吝なれば、則ち投合の結果は便ち吉・利・悔亡・无悔无咎は、これもまた推知し得べし。孔子の明説し出だせるは三条あり、明説せざるもまた三条あり、条例は共に六条を計す。再者、凡そ爻に本爻あり、これに相應する應爻あり、一卦の主爻あり、皆爻情の投合を要求する対象なり。ここに「近」と説くは、ただ比隣する爻に就きて講ず。一隅を挙げて以て三隅を以て反すれば、主爻と應爻もまた同様にこの六条を具備す。この十八条を用いて爻辞と比対せば、吉凶悔吝の大概の情形はすなわち掌握し得べし。
如頤上九之於六五,蹇上六之於九五,比爻之以愛相攻而吉者也。離之九三、九四,比爻之以惡相攻而凶者也。漸六四之於九三,賁上九之於六五,皆比爻之近相取而無咎悔者也。咸九三之於六二,小畜九三之於六四,皆比爻之近不相取而悔吝者也。賁六二之於九三,震六三之於六二,皆比爻之以情相感而有利者也。蒙六三之於九二,艮六二之於九三,皆比爻之以偽相感而有害者也。
下面は先ず「比爻」、すなわち上下に緊挨着する両爻を拿て、逐条に上文のあの六個の条例に対應す。頤卦上九の六五に対し・蹇卦上六の九五に対するは、相隣の両爻が愛を以て相攻して吉を得るなり。離卦の九三と九四は、相隣の両爻が悪を以て相攻して凶を致すなり。漸卦六四の九三に対し・賁卦上九の六五に対するは、皆相隣の両爻が貼近に因りて肯んじて彼此求取し、因りて過ちなく悔恨なし。咸卦九三の六二に対し・小畜卦九三の六四に対するは、皆相隣の両爻が貼近す虽も而も肯んじて彼此求取せず、因りて悔あり吝あり。賁卦六二の九三に対し・震卦六三の六二に対するは、皆相隣の両爻が真情を以て相感して利を得るなり。蒙卦六三の九二に対し・艮卦六二の九三に対するは、皆相隣の両爻が虚偽を以て相感して害を受くるなり。同じく「相攻」にして而も吉あり凶あるは、分別はただ存心の愛か悪かに在るのみ。同じく「相感」にして而も利あり害あるは、分別はただ交接の真情か虚偽かに在るのみ。
蒙九二之於六五,臨六五之於九二,皆應爻之以愛相攻而吉者也。大過九三之於上六,恆九三之於上六,皆應爻之以惡相攻而凶者也。損初九之於六四,睽九二之於六五,皆應爻之相取而無咎悔者也。屯六三之於上六,蒙六四之於初六,皆應爻之不相取而悔吝者也。蠱九二之於六五,賁六四之於初九,皆應爻之以情相感而有利者也。萃六三之於上六,歸妹六三之於上六,皆應爻之以偽相感而無利者也。
再び「應爻」を看る、すなわち初と四・二と五・三と上のこの三組の遥かに相呼應する両爻なり。蒙卦九二の六五に対し・臨卦六五の九二に対するは、皆應爻の愛を以て相攻して吉を得るなり。大過卦九三の上六に対し・恒卦九三の上六に対するは、皆應爻の悪を以て相攻して凶を致すなり。損卦初九の六四に対し・睽卦九二の六五に対するは、皆應爻の彼此求取して而して過ちなく悔恨なきなり。屯卦六三の上六に対し・蒙卦六四の初六に対するは、皆應爻の肯んじて彼此求取せずして悔あり吝あるなり。蠱卦九二の六五に対し・賁卦六四の初九に対するは、皆應爻の真情を以て相感して利を得るなり。萃卦六三の上六に対し・帰妹卦六三の上六に対するは、皆應爻の虚偽を以て相感して好処を得ざるなり。見るべしあの六個の条例は隔位相應の両爻上に放ちても一様に成立し、并な緊挨着の両爻に限らざるを。
比九五之於六二、六四,主爻之以愛相攻而吉者也。其於六三、上六,則以惡相攻而凶者也。大有六五之於九二、九四,主爻之以相取而無咎悔者也。蒙六四之於九二,豫六三之於九四,主爻之不相取而悔吝者也。復六四之於初九,剝六三之於上九,主爻之以情相感而有利者也。隨六三之於九五,觀六二之於九五,主爻之以偽相感而無利者也。易卦就主爻應爻論吉凶者多,就比爻論吉凶者不數。故夫子獨舉比爻以例其餘。又按,六爻有比有承有乘。先儒謂初與二比,三與四比,五與上比。而二三與四五則以承與乘言之。今曰近而不相得,則承與乘皆在其中。分之則比中又有承與乘,合之統謂比亦可。
再び一卦の「主爻」を看る、すなわち全卦の義の繫がる所のあの一爻なり。比卦九五の六二・六四に対するは、主爻の愛を以て相攻して吉を得るなり。それの六三・上六に対するは、則ち悪を以て相攻して凶を致すなり。大有卦六五の九二・九四に対するは、主爻の相取りて過ちなく悔恨なきなり。蒙卦六四の九二に対し・豫卦六三の九四に対するは、主爻の相取らずして悔あり吝あるなり。復卦六四の初九に対し・剥卦六三の上九に対するは、主爻の真情を以て相感して利を得るなり。随卦六三の九五に対し・観卦六二の九五に対するは、主爻の虚偽を以て相感して利を得る所なきなり。《易》中は主爻・應爻に就きて吉凶を論ずるは居多く、相隣の爻に就きて吉凶を論ずるは多からず、故に孔子は単に相隣の爻を挙げて例と為し、人をしてこれより其余を類推せしむ。又按ずるに、六爻の間に「比」あり・「承」あり・「乘」あり。先儒は初と二は相比し三と四は相比し五と上は相比すと説き、而して二と三・四と五の間は則ち「承」「乘」を用いて講ず。陰爻が陽爻の下に在りてそれを托するを「承」と呼び、陰爻が陽爻の上に圧るを「乘」と呼ぶ。如今「近くして而も相得ず」と説けば、則ち承と乘は已にその裏頭に包括せり。分かちて説けば、比の中にまた承あり乘あり。合わせれば、統めて「比」と称すもまた未だ嘗て可ならざるなし。
將叛者其辭慙,中心疑者其辭枝。吉人之辭寡,躁人之辭多,誣善之人其辭游,失其守者其辭屈。此又即人情之情偽其見於辭者不同如此,以見易之繫辭不同,亦猶是也。叛非叛逆,背實失信皆是。言與實背故慙。心疑則可否難決。如木之有枝,分為兩岐。誣善為惡,則言語不實。如物在水上,浮游不定。失守者見理不真,操持不固,故辭多屈而不伸。六者皆反對。叛者無信,疑者不自信。吉者靜,躁者動。誣者敗人,失守者自敗。然吉一而已。叛疑躁誣失居其五。人情之變盡於此矣。猶卦爻之情有相攻相取相感,而吉凶悔吝利害由此而生也。自八卦以象告至此,又發卦爻繫辭之凡例,以示學易者也。右第十二章。周易淺述卷七。
《繫辞》にいう、将に背叛せんとする人は、説話は慚愧を帯ぶ。心に遅疑する人は、説話は枝蔓分岔す。吉善の人は話少なく、躁急の人は話多し。好人を誣蔑する人は、言辞は浮游不定。操守を失掉する人は、言辞は屈曲して伸び難し、と。この一段はまた人情の真偽の言辞上に表現するかくの如く同じからざるに就きて、《易》の繫げる所の辞の彼此同じからざる所以を説明す、道理は正に一様なり。ここの「叛」は叛逆に非ず、凡そ事実に背离し信実を失掉するは皆算入す。話は実情と相背く、故に慚愧す。心中遅疑すれば則ち可否を決断し難く、樹木の枝杈を生出し両岔に分かつが如し。善を誣けて悪と為すは、言語は便ち真実ならず、東西の水上に漂うが如く、浮游不定なり。操守を失掉する人は、理を見ること真ならず把持して固ならず、故に言辞は多く屈曲して伸展し開かず。この六種は恰好に両々相対す。背叛者は信実を講ぜず、遅疑者は自己をも信ずる能わず。吉善者は静、躁急者は動。誣善者は別人を敗壊し、失守者は自己を敗壊す。然るに好いはただ「吉」のこの一種を占むるのみ、背叛・遅疑・躁急・誣善・失守は却って五種を占む、人情の変態は尽くここに在り。これは卦爻の情に相攻・相取・相感ありて而して吉凶悔吝利害はこれより産生するが如し。「八卦は象を以て告ぐ」よりここに至るは、また卦爻繫辞の通例を闡発し、以て《易》を学ぶ者に指示するに在り。以上《繫辞下伝》第十二章。《周易浅述》巻七終わる。
周易浅述巻八・説卦伝
説卦伝・第一章(聖人の揲蓍求卦の法を立つるを言う)
欽定四庫全書。周易淺述卷八。翰林院編修陳夢雷撰。說卦傳第一章言聖人因理數之自然而立揲蓍求卦之法,使學者安於義命也。昔者聖人之作易也,幽贊於神明而蓍。幽贊神明,猶言贊化育也。天下和平,王道得而蓍生長丈,其叢滿百莖。伏羲非因有蓍而後畫卦,蓋因生蓍而用之以求卦也。
《欽定四庫全書》本《周易浅述》巻八、翰林院編修陳夢雷撰。《説卦伝》第一章の講ずる所は、聖人が「理」と「数」の本来有る自然の勢いに依循し、揲蓍求卦の方法を創立し、《易》を学ぶ者をして義理と天命に安んずる能わしむ。《説卦伝》にいう、昔聖人の《易》を作すや、幽微に神明を賛助して蓍草を生出せり、と。いわゆる「神明を幽賛す」とは、猶お天地の化育を賛助するを説くが如し。天下太平・王道行わるるの時、蓍草は能く一丈に長く生じ、一叢に満一百茎なり。并な伏羲が先に蓍草有るを因りて始めて卦を画きに往くに非ずして、而も天地が蓍草を生出すを因り、聖人は便ち取りて以て求卦の工具と為す。
參天兩地而倚數。天圓地方。圓者徑一圍三,三各一奇。陽道常饒,故天用其全,參天而為三。方者徑一而圍四,四合二偶。陰道常乏,故地用其半,兩地而為二。數皆倚此而起。故揲蓍三變之末其餘三奇,則三三而九。三偶,則三二而六。兩二一三則為七。兩三一二則為八。三奇為乾,為老陽。三偶為坤,為老陰。二奇一偶為巽離兌,為少陰。二偶一奇為震坎艮,為少陽。此立卦之生爻之本。是數倚此而起也。
《説卦伝》にいう、天数三・地数二を取りて而してそれらに依拠して数を起こす、と。天体は円なり、地体は方なり。円形は直径が一の時に周長は三と為り、三の中は各々一個の奇数を含む。陽道は常に余りあり、故に天はその全数を取り、天数を参合して定めて三と為す。方形は直径が一の時に周長は四と為り、四は正好く両個の偶数を合成す。陰道は常に足らず、故に地はその一半を取り、地の両を取りて定めて二と為す。一切の数は皆この両個の数に依托して起算す。故に揲蓍の三変の末、若し余り残るは三個の奇なれば、則ち三個の三を相加えて九を得。三個の偶なれば、則ち三個の二を相加えて六を得。両個の二に一個の三を加うれば便ち七。両個の三に一個の二を加うれば便ち八。三奇は乾を成し、為に老陽。三偶は坤を成し、為に老陰。両奇一偶は巽・離・兌を成し、為に少陰。両偶一奇は震・坎・艮を成し、為に少陽。これすなわち卦を立て爻を生ずるの根本、一切の数は皆ここに依托して起算す。
觀變於陽而立卦,發揮於剛柔而生爻。揲蓍先有爻而後有卦。此先言卦而後言爻,就聖人作易言之也。在造化曰陰陽,就人事曰剛柔。數既形矣,卦斯立焉。聖人因其變之或九或七而為陽,因其變之或六或八而為陰。變至十有八而成卦。聖人無與也,特觀其變而立之爾。卦既立矣,爻斯生焉。聖人因其數之陽,而發明其為爻之剛。因其數之陰,而發明其為爻之柔。聖人無與也,特發揮其義爾。
《説卦伝》にいう、陰陽の変化を観察して卦を立起し、剛柔の性質を発揮して爻を生出す、と。(按ずるに、底本は此の句に一個の「陰」の字を脱し、通行本は「陰陽に於て変を観て卦を立つ」と作る。)揲蓍の実際の次序は先ず爻有りて而して後に卦を成す、ここに却って先ず卦を説き後に爻を説くは、聖人の《易》を作すの角度に就きて講ずるなり。造化上に於ては陰陽と呼び、人事上に於ては剛柔と呼ぶ。数は一旦形を成せば、卦は則ち立ち起る。聖人は変数の或いは九或いは七に依りて定めて陽と為し、変数の或いは六或いは八に依りて定めて陰と為し、変すること十八次にして一卦を成す。聖人は并な何かを加え入れず、ただその変化を観察して卦を立ち起こすのみ。卦既に立ち起れば、爻は則ち生じ出づ。聖人は数の陽に属するに依りて、それの爻と為るは剛なるを闡明し、数の陰に属するに依りて、それの爻と為るは柔なるを闡明す。聖人もまた何かを加え入れず、ただその中の義理を発揮するのみ。
和順於道而理於義,窮理盡性以至於命。此言聖人作易之極功也。吉凶消長之道。易皆和順從容,無所乖逆,默契其本原之謂也。理於義,又就其細者析言之。隨事皆得其條理,應變合宜之謂也。和順於道德,體也。理於義,用也。窮理,以知言。盡性,以行言。易書於天下之理無所不備,而能盡人物之性而自合於天道也。理必窮之,性必盡之。天命但可言至,則自然之謂也。易之妙皆因天地之自然如此。右第一章。
《説卦伝》にいう、道徳に和順して義に条理し、事理を窮究し物性を穷尽し、以て天命に通達するに至る、と。これは聖人の《易》を作すの到達したる最高の功效を講ず。吉凶消長の道理は、《易》は皆能和順従容にして毫も乖違なく、暗かにその本原に契合す、これすなわち「道に和順す」なり。「義に理す」とは、再び細処に就きて分説す。毎一件の事に随いて皆その条理を得、変化に應付して皆分寸に合す。道徳に和順するは体なり、義に条理するは用なり。「理を窮む」は「知」に就きて説く所、「性を尽くす」は「行」に就きて説く所なり。《易》のこの書は天下の理に対し備わらざるなし、因りて能く人と物の本性を穷尽して自ら天道に合す。理は必ず窮究に往かねばならず、性は必ず穷尽に往かねばならず、唯だ天命はただ「至」と説く可きのみ、それは自然而然なるを以てなり。《易》の精妙は、全く天地の自然に順うかくの如くあるのみに在り。以上《説卦伝》第一章。
説卦伝・第二章(易は三才の道を具うるを言う)
第二章言易具三才之道,故有取於六爻。而因筮求卦者,當盡人道以合乎天地也。昔者聖人之作易也,將以順性命之理。是以立天之道曰陰與陽,立地之道曰柔與剛,立人之道曰仁與義。兼三才而兩之,故易六畫而成卦。分陰分陽,迭用柔剛,故易六位而成章。
本章は《易》が天・地・人の三才の道を具備するを説明し、故に六爻を取用す。而して筮法を憑りて卦を求むる者は、当に人道を尽くし好くし、以て天地と相合するを求むべし。《説卦伝》にいう、昔聖人の《易》を作すは、性と命の道理に順應せんと要す、故に天の道を確立して陰と陽と呼ばしめ、地の道を確立して柔と剛と呼ばしめ、人の道を確立して仁と義と呼ばしむ。三才を兼合して各々両爻を以て表示す、故に《易》は六画を以て一卦を成す。爻位を分かちて陰位陽位と為し、交替に柔爻剛爻を使用す、故に《易》は六位を以てその文理を成す、と。
理在人為性,在天地為命。天無陰陽則氣機息,地無剛柔則地維墜,人無仁義則人道滅而禽獸矣。故曰立天立地立人。陰陽以氣言,剛柔以質言,仁義以理言。仁,體剛而用柔,屬乎陽。義,體柔而用剛,屬乎陰。
同じ一個の理、人の身上に落つれば「性」と呼ばれ、天地に落つれば「命」と呼ばる。天に若し陰陽なければ、気の運転は則ち停息す。地に若し剛柔なければ、大地を維繋するの綱紀は則ち墜落せんとす。人に若し仁義なければ、人道は則ち泯滅して淪為して禽獣と為らん。故に「天を立つ」「地を立つ」「人を立つ」という。陰陽は気に就きて説く所、剛柔は質に就きて説く所、仁義は理に就きて説く所なり。仁は、本体剛健にして発用柔和、故に陽に属す。義は、本体柔和にして発用剛断、故に陰に属す。
兼三才而兩之。以全體言。則上兩畫為天,五陽而上陰。中兩畫為人,三仁而四義。下兩畫為地,初剛而二柔。以兩卦分言。則上與三為天,三陽而上陰。五與二為仁,五仁而二義。四與初為地,四柔而初剛。
いわゆる「三才を兼ねてこれを両にす」とは、若し整卦の全体に就きて説けば、上面の両画は天、五爻は陽と為り上爻は陰と為す。中間の両画は人、三爻は仁と為り四爻は義と為す。下面の両画は地、初爻は剛と為り二爻は柔と為す。若し上下両個の三画卦を分かち開いて説けば、則ち上爻と三爻は同じく天位に属し、三爻は陽と為り上爻は陰と為す。五爻と二爻は同じく人位に属し、五爻は仁と為り二爻は義と為す(底本は「人」の字を「仁」に訛れり)。四爻と初爻は同じく地位に属し、四爻は柔と為り初爻は剛と為す。
分陰分陽以位言。初三五為陽,二四上為陰。陰陽各半故曰分。迭用柔剛以爻言,柔六剛九也。陽位剛爻居,柔爻亦居。陰位柔爻居,剛爻亦居。經緯錯綜,粲然有文。所謂成章也。人負陰陽之氣以有生,肖剛柔之質以有形,具仁義之理以成性,亦具三才之道。分陰陽用柔剛以斷吉凶,成亹亹而盡仁義之道。則性命之理在天地者,皆在吾心矣。右第二章。
「陰を分かち陽を分かつ」は爻位に就きて説く所なり。初・三・五は陽位、二・四・上は陰位、陰陽各々一半を占む、故に「分」という。「柔剛を迭用す」は爻画に就きて説く所なり。柔爻は六、剛爻は九なり。陽位上は剛爻居る可く、柔爻もまた居る可し。陰位上は柔爻居る可く、剛爻もまた居る可し。縦横交錯し、燦然として文理あり、これすなわちいわゆる「章を成す」なり。人は陰陽の気を禀受して以て生命あり、剛柔の質を仿効して以て形体あり、仁義の理を具備して以て本性を成就す、本身もまた則ち三才の道を具備す。人は能く陰陽を分辨し剛柔を運用して以て吉凶を判断し、あの勤勉不倦の事業を成就して仁義の道を尽くさば、則ち原本天地の間に存在したる性命の理もまた皆我がこの一顆の心の裏に在り。以上《説卦伝》第二章。
説卦伝・第三章(先天円図の対待と順逆を言う)
第三章就伏羲先天圓圖而言其對待之體,復即卦氣之流行而分其左右之順逆也。天地定位,山澤通氣,雷風相薄,水火不相射,八卦相錯。此伏羲先天圓圖八卦之位也。乾南坤北,天居上地居下,兩儀之位也。
本章は伏羲先天円図に就きて八卦両両対待の体勢を講じ、再び卦気の流行に就きて、左右両辺の順行と逆行を分かち出す。《説卦伝》にいう、天地は上下に位を定め、山沢の二気は相通じ、雷風は互相に迫近し、水火は相厭棄せず、八卦はかくの如く交錯配対す、と。これの講ずるは伏羲先天円図上の八卦の方位なり。乾は南に在り坤は北に在り、天は上に居り地は下に居る、これは両儀の本有の位置なり。
艮為山居西北,兌為澤居東南。通氣者,澤氣升於山,為雲為雨。山氣通於澤,為水為泉也。震為雷居東北,巽為風居西南。相薄者,勢相迫也。雷迅而風益烈,風激而雷益迅也。離為日居東,坎為月居西。不相射者,水得火以濟其寒,火得水以濟其熱,不相滅息也。先天八卦之位如此。皆陰陽相對而居,故曰八卦相錯也。重為六十四卦。為圓圖,其位亦然。其左以震離兌乾為主。與八卦相錯,為自復至乾三十二陽卦。其右以巽坎艮坤為主。與八卦相錯,為自姤至坤三十二陰卦也。
艮は山と為し西北に居り、兌は沢と為し東南に居る。いわゆる「気を通ず」とは、沢中の水気は山上に上昇し、化して雲と為り化して雨と為り、山中の地気は沢裏に通じ、化して水と為り化して泉と為るを説く。震は雷と為し東北に居り、巽は風と為し西南に居る。いわゆる「相薄く」とは、両者の気勢が互相に迫近するを説く。雷急なれば則ち風は更に猛烈、風激なれば則ち雷は更に迅疾。離は日と為し東に居り、坎は月と為し西に居る。いわゆる「相射たらず」とは、水は火を得てその寒を調剤し、火は水を得てその熱を調剤し、彼此并な相滅相熄せざるを説く。先天八卦の方位はすなわちこの如し、皆陰陽両々相対して居る、故に「八卦相錯く」という。八卦は相重ねて六十四卦と成り、円図に排すれば、方位もまたこの如し。左辺は震・離・兌・乾を以て主と為し、八卦と交錯して、復卦より乾卦に至る三十二個の陽卦と為る。右辺は巽・坎・艮・坤を以て主と為し、八卦と交錯して、姤卦より坤卦に至る三十二個の陰卦と為る。
數往者順,知來者逆。是故易逆數也。此就圓圖卦氣之行。準之橫圖,卦畫之序,從中而分其左右之順逆也。覆數已生之卦為順,豫推未生之卦為逆。天道運行為四時八節,以冬至夏至為樞紐。圓圖配八節之運行,以姤復二卦為樞紐。天道左旋,故圓圖配八節皆左旋。萬事出於心,故圖自中起。天開於子,故卦始終復。天道運行始於陽,陽生於極陰。故坤生復為陽始,冬至配之。盡震宮八卦至明夷,立春配之。盡離宮八卦至於臨,春分配之。盡兌宮八卦至於泰,立夏配之。
《説卦伝》にいう、已往を数えるは順、未来を知るは逆、故に《易》は逆推の数なり、と。これは円図上の卦気の運行に就き、横図卦画の次序を参照し、中間より左右両辺の順と逆を分かち出す。回頭して已に生成したる卦を数るを「順」と呼び、予め未だ生成せざる卦を推求するを「逆」と呼ぶ。天道の運行は四時八節に分かち、冬至・夏至を以て樞紐と為す。円図は八節の運行を配上すれば、則ち姤・復の両卦を以て樞紐と為す。天道は左旋す、故に円図の八節を配するは皆左旋なり。万事は皆心上より発出す、故に図は中間より起算す。天は子に開く、故に卦は復卦より起こる(底本「復に始まる」は「始終復」に訛れり)。天道の運行は陽より開始し、而して陽はまた陰の極処に生ず、故に坤卦は復卦を生出して以て陽の開端と為し、冬至を配す。震宮の八卦を数え尽くして明夷卦に至り、立春を配す。離宮の八卦を数え尽くして臨卦に至り、春分を配す。兌宮の八卦を数え尽くして泰卦に至り、立夏を配す。
盡乾宮八卦至於乾,陽極陰生得姤卦,夏至配之。盡巽宮八卦至於訟,立秋配之。盡坎宮八卦至於遯,秋分配之。盡艮宮八卦至於否,立冬配之。盡坤宮八卦至於坤,陰極陽生又為復卦。復至乾,由震四而離三而兌二而乾一,皆得已生之卦。如從今日計往日,順而易知也。自姤至坤,由巽五而坎六而坤八。如今日預推明日,逆而難知也。然以橫圖觀之。則自乾一而兌二而離三而震四而巽五而坎六而艮七而坤八,皆預推之,是皆逆也。逆所以知來,故易皆逆數也。以其位言之,則對待有順有逆。以其數論之,則皆逆而可以知來。先天圓圖之妙如此。右第三章。
円図上は毎一宮各々八個の卦を轄し、一宮数え尽くせば恰好に一個の節気を配上す。乾宮の八卦を数え尽くして乾卦に至れば、陽極まりて陰生じ、姤卦を得、夏至を配す。巽宮の八卦を数え尽くして訟卦に至り、立秋を配す。坎宮の八卦を数え尽くして遯卦に至り、秋分を配す。艮宮の八卦を数え尽くして否卦に至り、立冬を配す。坤宮の八卦を数え尽くして坤卦に至れば、陰極まりて陽生じ、また復卦を成す。復より乾に至るは、震の四に居り離の三に居り兌の二に居り乾の一に居るに由り、数うる所は皆已に生成したる卦、今天より昨天を回数するが如く、是れ順にして知暁し易し。姤より坤に至るは、巽の五に居り坎の六に居るに由り、坤の八に居るに至るまで(底本はここに「艮七」を脱す)、今天より明天を預推するが如く、是れ逆にして知暁し難し。然るに若し横図に按じて看れば、乾一より兌二・離三・震四・巽五・坎六・艮七・坤八に至るまで、全ては予め推し出だせる所、則ち皆逆なり。逆なれば始めて未来を知る能わし、故に《易》は皆逆推の数という。方位に就きて説けば、両々対待の中に順あり逆あり。数に就きて説けば、則ち全て逆推にして、因りて以て未来を予知し得——占筮の貴ぶ所は正にここに在り。先天円図の妙処はすなわちここに在り。以上《説卦伝》第三章。
説卦伝・第四章(先天方図と造化流行を言う)
第四章言先天方圖之位,六子之用統於乾坤,而造化流行有生長收藏之功也。雷以動之,風以散之。雨以潤之,日以晅之。艮以止之,兌以說之。乾以君之,坤以藏之。動則物萌,散則物解。二者生物之功。潤則物滋,晅則物舒。二者長物之功。止則物成,說則物遂。二者收物之功。君則物有所歸,藏則物有所息。二者藏物之功。雷動風散,乾坤初爻相易為震巽也。雨潤日晅,中爻相易為坎離也。止之說之,終爻相易為艮兌也。此六子,生物之序也。
本章は先天方図の方位を講ず。震・坎・艮・巽・離・兌の六子卦の功用は乾坤に統摂せられ、而して造化の流行に生・長・收・蔵の四段の功效あり。《説卦伝》にいう、雷は以て万物を鼓動し、風は以て万物を吹散し、雨は以て万物を滋潤し、日は以て万物を晒煖し、艮は以て万物を止住し、兌は以て万物を欣悦せしめ、乾は以て万物を主宰し、坤は以て万物を收藏す、と。鼓動すれば則ち万物萌発し、吹散すれば則ち万物解开す、この両様は物を生ずるの功なり。滋潤すれば則ち万物滋長し、晒煖すれば則ち万物舒展す、この両様は物を長ずるの功なり。止住すれば則ち万物成形し、欣悦すれば則ち万物遂性す、この両様は物を收るの功なり。主宰すれば則ち万物に帰属する所有り、收藏すれば則ち万物に安息する所有り、この両様は物を蔵るの功なり。雷動風散は、乾坤の初爻互換して以て震・巽を成す。雨潤日晒は、中爻互換して以て坎・離を成す。止の説のは、上爻互換して以て艮・兌を成す。この六個の子卦の排列は、正に物を生ずるの次序なり。
然六子致用,主於乾而動,歸於坤而藏。此又父母之功也,故以乾坤終之。自動至晅,物之出機。自止至藏,物之終極。出無於有,氣之行也。故以象言。入有於無,質之具也。故以卦言。先天方圖中始震巽而始終於乾坤。
然るに六子の作用を発揮するは、皆乾を以て主と為して動き、坤に帰して蔵る、これはまた父母卦の功労、故に乾坤を用いて結と為す。「動」より「晅」に至るは、万物が機括の中より生発し出づるなり。「止」より「蔵」に至るは、万物が終極に走り到るなり。無よりして有に出づるは、気の運行、故に雷・風・雨・日のこれらの物象を用いて説く。有よりして無に入るは、質の凝成、故に艮・兌・乾・坤のこれらの卦名を用いて説く。先天方図は正中に震・巽に起こり、而して始終は乾・坤に統す。
蓋陽生於北而極於南,陰生於南而極於北,天之道也。圓圖法天,故乾南坤北也。陽始於東北而盛於西北,陰始於西南而盛於東南,地之道也。方圖法地,故乾西北而坤東南也。乾坤初爻相易而為震巽。故震巽居中,為物之始生。中爻相易為坎離。故次外坎離,為物之方長。終爻相易為艮兌。故次外艮兌,為物之所收。終則乾居西北,坤居東南以藏之。以其位之尊卑而言,則宜先乾坤而後六子。以造化之流行而言,故先言六子而統於乾坤,此方圖之位具造化流行之妙也。右第四章。
原来陽は北方に生じて而して南方に於て極盛し、陰は南方に生じて而して北方に於て極盛す、これは天の道なり。円図は天に取法す、故に乾は南に在り坤は北に在り。陽は東北に始まりて而して西北に於て盛ん、陰は西南に始まりて而して東南に於て盛ん、これは地の道なり。方図は地に取法す、故に乾は西北に在り坤は東南に在り。乾坤の初爻互換して以て震・巽を成す、故に震・巽は方図の正中に居り、万物の生発を開始するを代表す。中爻互換して以て坎・離を成す、故に坎・離は次の外の一層に排し、万物の正に生長するを代表す。上爻互換して以て艮・兌を成す、故に艮・兌は再び外の一層に排し、万物の收成の時に到るを代表す。最後に乾は西北に居り坤は東南に居り、万物を收藏す。若し爻位の尊卑に就きて説けば、本は当に先ず乾坤を講じて而して後に六子を講ずべし。ここに造化の流行を講ずるが為、故に先ず六子を講じて而最終に乾坤に統す。これ正に方図の方位の中に含める造化流行の妙処なり。以上《説卦伝》第四章。
説卦伝・第五章(文王後天八卦の位を言う)
第五章言文王後天八卦之位。帝出乎震,齊乎巽,相見乎離,致役乎坤,說言乎兌,戰乎乾,勞乎坎,成言乎艮。此文王後天八卦之位。此節言八卦之流行也。帝者,天之主宰。出者,發露之謂。震居東方,於時為春。三陽開泰,萬物從此發生,則帝即從此出矣。齊、相見、致役以下皆帝也。齊者,畢達之謂。巽居東南,春夏之交,萬物畢達矣。尚有未盡生者,彼此未得相見也。
本章は文王後天八卦の方位を講ず。《説卦伝》にいう、主宰は震位より出で、巽位に於て整斉し、離位に於て彼此相見え、坤位に於て役を受けて養を得、兌位に於て欣悦して言い、乾位に於て交戦し、坎位に於て慰労し、艮位に於て終を成して言う、と。これは文王後天八卦の方位、この一節の講ずるは八卦の流行なり。「帝」とは、天の主宰を指す。「出」は、発露顕現の意思なり。震は東方に居り、時令上に於ては春天、三陽開泰して万物はこれより発生し、主宰もまた則ちここより出づ。下文の「斉」「相見」「致役」等等は、主語は皆仍おこの位の主宰なり。「斉」は、全部通達の意思なり。巽は東南に居り、正に春夏の交に当たり、万物は已に全部通達せり。但し還た完全に生じ出ざる有りて、彼此は未だ相見る能わざるなり。
離居南方,於時為夏,則明盛可見矣。致,猶委也。委役於萬物,無不養也。坤居西南,夏秋之交。萬物皆養於土,得向實也。說者,物形至此充足而說。兌居西方,於時為秋,物至此充足可說也。戰者,陰極陽剝,疑而戰也。乾居西北,秋冬之交。戰乎乾,非與乾戰,言陰陽戰於乾之方也。勞,去聲,慰勞之意。坎居北方,於時為冬,萬物歸藏於內而未息也。成言者,陽氣至此成終而成始。艮居東北,冬春之交,止乎此矣。復出乎震,不終止也。此皆萬物生成之序。然生之成之,必有主宰之者,故謂之帝。此就八卦之流行言之也。
離は南方に居り、時令上に於ては夏天、光明盛大にして万物はここに於て彼此見るべし。「致」とは、猶お委付を説くが如く、功役を万物に委付し、長養を得ざるなし。坤は西南に居り、正に夏秋の交に当たり、万物は皆土を倚りて長養せられ、始めて結実に趨向することを得。「説」は、万物の形体がここに到りて充実飽満して欣悦す。兌は西方に居り、時令上に於ては秋天、万物はここに到りて充実飽満して可喜なり。「戦」は、陰気が極処に到り陽気剥られ、陰は陽に疑いて交戦す。乾は西北に居り、正に秋冬の交に当たる。「乾に戦う」は乾と交戦するに非ずして、而も陰陽が乾の居る所の方位上に於て交戦するを説く。「労」は去声に読み、慰労の意思なり。坎は北方に居り、時令上に於ては冬天、万物は収め帰りて内蔵して而して生機は未だ止息せず。「成言」は、陽気ここに到りて既に終を成しまた始を成す。艮は東北に居り、正に冬春の交に当たり、万物はここに到りて停下来り、停下せる後また震位より出づ、并なこれに就きて終結するに非ず。これらは皆万物生成の次第なり。然るに能くそれを生じ能くそれを成すは、必ず一個の主宰者あり、故にこれを「帝」と称す。この一節は八卦の流行に就きて説く所なり。
萬物出乎震。震,東方也。齊乎巽。巽,東南也。齊也者,言萬物之潔齊也。離也者,明也。萬物皆相見,南方之卦也。聖人南面而聽天下,嚮明而治,蓋取諸此也。坤也者,地也。萬物皆致養焉,故曰致役乎坤。兌,正秋也,萬物之所說也,故曰說言乎兌。戰乎乾。乾,西北之卦也。言陰陽相薄也。坎者,水也,正北方之卦也。勞卦也。萬物之所歸也。故曰勞乎坎。艮,東北之卦也,萬物之所成終而所成始也,故曰成言乎艮。
《説卦伝》は接ぎて説く、万物は震位より出づ、震は東方の卦なり。巽位に於て整斉す、巽は東南の卦なり。いわゆる「斉」とは、万物の潔浄整斉なるを説く。離は、すなわち明なり。万物はここに到りて彼此相見え、是れ南方の卦なり。聖人は南方に面して以て天下を聴治し、光明の方向に朝着して施政す、ほぼ則ちここに象を取れるか。坤は、すなわち地なり。万物は皆ここに於て長養を得、故に「坤に役を致す」という。兌は、正に秋季に当たり、是れ万物欣悦の時、故に「兌に言うを説く」という。「乾に戦う」、乾は西北の卦、説く所は陰陽ここに於て相迫る。坎は、すなわち水、是れ正北方の卦、また慰労の卦、万物ここに於て帰蔵す、故に「坎に労す」という。艮は東北の卦、万物はここに於て既に終結を完成しまた新たなる一輪を開始す、故に「艮に言を成す」という、と。
上言帝,此節言萬物之隨帝以出入。蓋帝之出入不可見,而為物者可見,故又以物言之。以見八卦流行生物之功也。離明以德言,八卦之德可推。坤地坎水以象言,八卦之象可推。兌秋以時言,八卦之時可推。聖人象八卦之義以治天下,不獨取諸離。亦舉一可通其餘也。坤於方不言西南,坤土之用不止於西南也。上言致役乎坤,此言致養者。蓋上言帝。坤,臣也。帝,君也。君之於臣,役之而已。此言萬物。則坤,母也。萬物,子也。母之於於,則無所不養也。乾曰陰陽相薄者。九十月之交,陰盛陽微。
上一節の講ずるは「帝」、この一節は万物が帝に随いて一同に出入するを講ず。帝の出入は看見す可からざるも、而して万物の生成は看見す可し、故に再び物の角度より説き、以て八卦の流行して物を生ずるの功效を顕出す。「離也者明也」は卦徳に就きて説く所、其余の八卦の徳性はこれより推す可し。「坤也者地也」「坎者水也」は物象に就きて説く所、其余の八卦の象はこれより推す可し。「兌、正秋也」は時令に就きて説く所、其余の八卦の時令はこれより推す可し。聖人は八卦の義に取法して以て天下を治理す、并なただ離卦に取るのみならず、これもまた一隅を挙げて以て其余に通ず可し。坤は方位上に於て西南を提せざるは、坤土の功用が并な西南一隅に限らざるを以てなり。上一節は「坤に役を致す」と説き、この一節は却って「養を致す」と説くは、上一節の講ずるは帝なるを以てなり。坤は臣、帝は君、君は臣に対して、彼を役使するのみ。この一節の講ずるは万物なり。坤は母、万物は子、母親は子女に対して、則ち養わざるなし。乾位は「陰陽相薄く」と説くは、九月十月の交に、陰気盛んにして陽気微弱なるを以てなり。
陰疑於陽必戰。坤之上六亦言龍戰于野者,此也。上言帝之所乘,此言萬物之所主。觀此而後天八卦之義可見矣。蓋以其方位言之。則坎離者,天地之大用,得乾坤之中氣。故離火居南,坎水居北也。震,動也。物生之初,故居東。兌,說也。物成之後,故居西。此四者居於四正也。震木,巽亦木,震陽木而巽陰木。故巽居東南,巳之位也。兌金,乾亦金,兌陰金而乾陽金。故乾居西北,亥之方也。坤艮皆土,坤陰土,艮陽土。坤居西南,艮居東北者。所以均旺於四時也。此四者居於四隅也。
陰気は盛んにして陽と相疑うに至れば、必然に交戦す。坤卦上六の爻辞に「野に戦う龍」というは、指す所はすなわちこれなり。上一節は帝の乘用する所の次序を講じ、この一節は万物の依主する所の次序を講ず、これらの両節を看れば、後天八卦の意義は則ち明白なり。方位に就きて説けば、坎・離は天地の大用、乾坤の中気を禀得し、故に離火は南に居り坎水は北に居る。震は動、万物の初生の時に当たる、故に東に居る。兌は悦、万物の成熟したる後に当たる、故に西に居る。この四卦は東・南・西・北の四個の正方を占拠す。震は木に属し、巽もまた木に属す、震は陽木にして巽は陰木、故に巽は東南に居る、すなわち地支巳の位置なり。兌は金に属し、乾もまた金に属す、兌は陰金にして乾は陽金、故に乾は西北に居る、すなわち地支亥の方位なり。坤・艮は皆土に属す、坤は陰土、艮は陽土、坤は西南に居り艮は東北に居るは、土気をして四季に均しく旺えしめんが為なり。この四卦は西南・西北・東北・東南の四個の隅角を占拠す。四正は水火木金を配し、四隅は木金を以て分居せしめ而して両土を以て調停す、後天方位の骨架はすなわちこの如し。
以其流行之序言之,則以震巽離坤兌乾坎艮為次。蓋春為木,震巽屬木。木生火。夏為火,故離次之。夏而秋,火克金者也。火金之交,有坤土焉。則火生土,土生金。克者又順以相生。秋為金,兌乾屬金。金生水。冬為水,故坎次之。冬而春水生木者也。水木之交,有艮土焉。木克土,土克水。生者又逆以相剋。土金順以相生,所以為秋之克。水土逆以相剋,所以為春之生。生生剋剋,變化無窮,而皆有帝以宰之,此後天之妙也。右第五章。
若し流行の次序に就きて説けば、則ち震・巽・離・坤・兌・乾・坎・艮を依りて序と為す。春は木に属し、震・巽は皆木に属す。木は火を生じ、夏は火に属す、故に離卦はその後に排す。夏より秋に入るは、本は火が金を克するなれど、而して火と金の交接の処に偏えに坤土有り、ここに於て火は土を生じ土は金を生じ、相克の処は反って順に変じて相生と為る。秋は金に属し、兌・乾は皆金に属す。金は水を生じ、冬は水に属す、故に坎卦はその後に排す。冬より春に入るは、本は水が木を生ずるなれど、而して水と木の交接の処に偏えに艮土有り、ここに於て木は土を克し土は水を克し、相生の処は反って逆に相克を夹め入る。土金が順に相生するは、正に秋のあの一層の相克を化解せんが為なり。水土が逆に相克するは、正に春のあの一層の相生を成全せんが為なり。生生克克、変化窮まりなく、而してその中に皆一位の主宰ありて統摂す、これすなわち後天八卦の妙処なり。以上《説卦伝》第五章。
