入声翕唱呂四之四
古甲九癸玉玉玉玉 未未未未心審禁○ 一音 □□近揆玉玉玉玉 四音 未未未未○○○十 四聲 坤巧丘棄玉玉玉玉 七聲 未未未未男坎欠○ □□乾蚪玉玉玉玉 未未未未○○○妾 黑花香血玉玉玉玉 未未未未●●●● 二音 黃華雄賢玉玉玉玉 四音 未未未未●●●● 四聲 五瓦仰□玉玉玉玉 八聲 未未未未●●●● 吾牙月堯玉玉玉玉 未未未未●●●● 安亞乙一玉玉玉玉 未未未未●●●● 三音 □爻壬寅玉玉玉玉 四音 未未未未●●●● 四聲 母馬美米玉玉玉玉 九聲 未未未未●●●● 目貌眉民玉玉玉玉 未未未未●●●● 夫法□飛玉玉玉玉 未未未未●●●● 四音 父凡□吠玉玉玉玉 四音 未未未未●●●● 四聲 武晚□尾玉玉玉玉 十聲 未未未未●●●● 文萬□未玉玉玉玉 未未未未●●●●
左半は改めて《入声翕唱呂四之四》が領唱する。この図は前の三図と異なり、第四声の入声翕位には字があり、すなわち「玉」なので、毎行の下に連書して「玉玉玉玉」とし、もはや空圈ではない。それは順に第一音(古甲九癸、□□近揆、坤巧丘棄、□□乾蚪)、第二音(黒花香血、黄華雄賢、五瓦仰□、吾牙月尭)、第三音(安亜乙一、□爻壬寅、母馬美米、目貌眉民)、第四音(夫法□飛、父凡□吠、武晩□尾、文万□未)を唱える。四つの「玉」字の並列は、同一の声位がそれぞれその音の開・発・収・閉の四位と相配して、四組の声音を配出することを言う。右半《閉音濁和律四之四》は「未」をもって第七声(心審禁○、○○○十、男坎欠○、○○○妾)まで和し、続いて第八・九・十の三声は皆声位がなく、「未未未未●●●●」と書く。一図のうち、左は虚から実に転じ、右は実から虚に入り、ちょうど対照を成す。邵雍のいわゆる「唱」と「和」は、真に人があって誦読するのではなく、毎一つの声位と毎一つの音位を強いて相配させ、この一百一十二声と一百五十二音の間にあわせてどれだけの組合せが生じ得るかを見るのである。
閉音濁和律四之五
卜百丙必玉玉玉玉 瓶瓶瓶瓶多可個舌 五音 步白備鼻玉玉玉玉 五音 瓶瓶瓶瓶禾火化八 四聲 普撲品匹玉玉玉玉 一聲 瓶瓶瓶瓶開宰愛○ 旁排平瓶玉玉玉玉 瓶瓶瓶瓶回每退○ 東丹帝■玉玉玉玉 瓶瓶瓶瓶良兩向○ 六音 兌大弟■玉玉玉玉 五音 瓶瓶瓶瓶光廣況○ 四聲 土貪天■玉玉玉玉 二聲 瓶瓶瓶瓶丁井亙○ 同覃田■玉玉玉玉 瓶瓶瓶瓶兄永瑩○ 乃你女■玉玉玉玉 瓶瓶瓶瓶千典旦○ 七音 內南年■玉玉玉玉 五音 瓶瓶瓶瓶元犬半○ 四聲 老冷呂■玉玉玉玉 三聲 瓶瓶瓶瓶臣引艮○ 鹿犖離■玉玉玉玉 瓶瓶瓶瓶君允巽○ 走哉足■玉玉玉玉 瓶瓶瓶瓶刀早孝嶽 八音 自在匠■玉玉玉玉 五音 瓶瓶瓶瓶毛寶報霍 四聲 草采七■玉玉玉玉 四聲 瓶瓶瓶瓶牛斗奏六 曹才全■玉玉玉玉 瓶瓶瓶瓶○○○玉
左半は続けて「玉」をもって第五音(卜百丙必、歩白備鼻、普撲品匹、旁排平瓶)、第六音(東丹帝■、兌大弟■、土貪天■、同覃田■)、第七音(乃你女■、内南年■、老冷呂■、鹿犖離■)、第八音(走哉足■、自在匠■、草採七■、曹才全■)を唱える。この四音のうち、唇音の一類は四位とも具わり、舌頭・泥来・歯頭の三類は閉位が皆欠ける。右半は改めて《閉音濁和律四之五》を立てる。第五音の閉濁位は字があり、「瓶」と作し、「瓶瓶瓶瓶」が第一声(多可个舌、禾火化八、開宰愛○、回毎退○)、第二声(良両向○、光広況○、丁井亘○、兄永瑩○)、第三声(千典旦○、元犬半○、臣引艮○、君允巽○)、第四声(刀早孝岳、毛宝報霍、牛斗奏六、○○○玉)を和する。「蚪・堯・民・未・瓶」は石音閉濁のこの格にのみある五つの字で、第五音の「瓶」は最後の一つである。第六音以下はすべて「■」であり、いわゆる「石石音五」は、この五つの字を指す。
思三星■玉玉玉玉 瓶瓶瓶瓶妻子四日 九音 寺□象■玉玉玉玉 五音 瓶瓶瓶瓶衰○帥骨 四聲 □□□■玉玉玉玉 五聲 瓶瓶瓶瓶○○○德 □□□■玉玉玉玉 瓶瓶瓶瓶龜水貴北 ■山手■玉玉玉玉 瓶瓶瓶瓶宮孔眾○ 十音 ■士石■玉玉玉玉 五音 瓶瓶瓶瓶龍甬用○ 四聲 ■□耳■玉玉玉玉 六聲 瓶瓶瓶瓶魚鼠去○ ■□二■玉玉玉玉 瓶瓶瓶瓶烏虎兔○ ■莊震■玉玉玉玉 瓶瓶瓶瓶心審禁○ 十一音 ■乍□■玉玉玉玉 五音 瓶瓶瓶瓶○○○十 四聲 ■叉赤■玉玉玉玉 七聲 瓶瓶瓶瓶男坎欠○ ■崇辰■玉玉玉玉 瓶瓶瓶瓶○○○妾 ■卓中■玉玉玉玉 瓶瓶瓶瓶●●●● 十二音 ■宅直■玉玉玉玉 五音 瓶瓶瓶瓶●●●● 四聲 ■拆丑■玉玉玉玉 八聲 瓶瓶瓶瓶●●●● ■茶呈■玉玉玉玉 瓶瓶瓶瓶●●●●
左半は第九音(思三星■、寺□象■、□□□■、□□□■)、第十音(■山手■、■士石■、■□耳■、■□二■)、第十一音(■荘震■、■乍□■、■叉赤■、■崇辰■)、第十二音(■卓中■、■宅直■、■拆丑■、■茶呈■)をもって《入声翕唱呂四之四》を唱え畢え、「玉」字は十二音四十八位を遍く唱えて止む。右半《閉音濁和律四之五》は「瓶」をもって第五声(妻子四日、衰○帥骨、○○○徳、亀水貴北)、第六声(宮孔衆○、竜甬用○、魚鼠去○、烏虎兎○)、第七声(心審禁○、○○○十、男坎欠○、○○○妾)を和し、第八声に至っては四行とも「●」で、「瓶瓶瓶瓶●●●●」と書く。声図のうちの「○」と「●」は判然として別れる。「○」はこの声位が存在し、ただ当時充てる字を見つけられなかったもの、「●」は声位さえもないものである。音図のうちの「□」と「■」もこの分別と同じである。四種の符号は一つも欠いてはならず、さもなくば一百一十二と一百五十二の二つの数は算い立てる由がない。
入声翕唱呂四之五
古甲九癸北北北北 瓶瓶瓶瓶●●●● 一音 □□近揆北北北北 五音 瓶瓶瓶瓶●●●● 五聲 坤巧丘棄北北北北 九聲 瓶瓶瓶瓶●●●● □□乾蚪北北北北 瓶瓶瓶瓶●●●● 黑花香血北北北北 瓶瓶瓶瓶●●●● 二音 黃華雄賢北北北北 五音 瓶瓶瓶瓶●●●● 五聲 五瓦仰□北北北北 十聲 瓶瓶瓶瓶●●●● 吾牙月堯北北北北 瓶瓶瓶瓶●●●●
左半は改めて《入声翕唱呂四之五》が領唱する。第五声の入声翕位もまた字があり、「北」と作すので、毎行の下に連書して「北北北北」とする。それはまず第一音(古甲九癸、□□近揆、坤巧丘棄、□□乾蚪)と第二音(黒花香血、黄華雄賢、五瓦仰□、吾牙月尭)を唱える。この「北」字は、すなわち図首「辰辰声入翕」の一欄において第五声が取った字で、第四声の「玉」、第七声の「妾」とともに、この格にのみある三つの実字である。右半《閉音濁和律四之五》は「瓶」をもって第九声・第十声を和すが、両声の四行は皆なく、ゆえに通じて「瓶瓶瓶瓶●●●●」と作す。第五音はここに至って十声を和し遍し、本図は終わる。
閉音濁和律四之六
安亞乙一北北北北 ■■■■多可個舌 三音 □爻壬寅北北北北 六音 ■■■■禾火化八 五聲 母馬美米北北北北 一聲 ■■■■開宰愛○ 目貌眉民北北北北 ■■■■回每退○ 夫法□飛北北北北 ■■■■良兩向○ 四音 父凡□吠北北北北 六音 ■■■■光廣況○ 五聲 武晚□尾北北北北 二聲 ■■■■丁井亙○ 文萬□未北北北北 ■■■■兄永瑩○ 卜百丙必北北北北 ■■■■千典旦○ 五音 步白備鼻北北北北 六音 ■■■■元犬半○ 五聲 普撲品匹北北北北 三聲 ■■■■臣引艮○ 旁排平瓶北北北北 ■■■■君允巽○ 東丹帝■北北北北 ■■■■刀早孝嶽 六音 兌大弟■北北北北 六音 ■■■■毛寶報霍 五聲 土貪天■北北北北 四聲 ■■■■牛斗奏六 同覃田■北北北北 ■■■■○○○玉
左半は続けて「北」をもって第三音(安亜乙一、□爻壬寅、母馬美米、目貌眉民)、第四音(夫法□飛、父凡□吠、武晩□尾、文万□未)、第五音(卜百丙必、歩白備鼻、普撲品匹、旁排平瓶)、第六音(東丹帝■、兌大弟■、土貪天■、同覃田■)を唱える。右半は改めて《閉音濁和律四之六》を立てるが、第六音の閉濁位はすでに立てる音がなく、ただ「■」と作し、ここに通篇「■■■■」と書いて天声を和す。まず第一声(多可个舌、禾火化八、開宰愛○、回毎退○)、第二声(良両向○、光広況○、丁井亘○、兄永瑩○)、第三声(千典旦○、元犬半○、臣引艮○、君允巽○)、第四声(刀早孝岳、毛宝報霍、牛斗奏六、○○○玉)を和す。音位がもともとなければ、なぜなお一つずつ和するのか。邵雍が要するのは一つの完整な方陣だからである。十二音が各々四行四位を占め、あわせて一百九十二格、音ある者一百五十二、音なき者四十、両数を加えてこそ天地の間の音位の全数となる。この四十格を欠けば、一百五十二の数は対照する所がない。
乃你女■北北北北 ■■■■妻子四日 七音 內南年■北北北北 六音 ■■■■衰○帥骨 五聲 老冷呂■北北北北 五聲 ■■■■○○○德 鹿犖離■北北北北 ■■■■龜水貴北 走哉足■北北北北 ■■■■宮孔眾○ 八音 自在匠■北北北北 六音 ■■■■龍甬用○ 五聲 草采七■北北北北 六聲 ■■■■魚鼠去○ 曹才全■北北北北 ■■■■烏虎兔○ 思三星■北北北北 ■■■■心審禁○ 九音 寺□象■北北北北 六音 ■■■■○○○十 五聲 □□□■北北北北 七聲 ■■■■男坎欠○ □□□■北北北北 ■■■■○○○妾
左半は「北」をもって第七音(乃你女■、内南年■、老冷呂■、鹿犖離■)、第八音(走哉足■、自在匠■、草採七■、曹才全■)、第九音(思三星■、寺□象■、□□□■、□□□■)を唱える。第九音の第三・四行は連書して「□□□■」で、全図で最も徹底して空の一類である。三位は音あって字なく、一位は音さえもない。右半《閉音濁和律四之六》は「■」をもって第五声(妻子四日、衰○帥骨、○○○徳、亀水貴北)、第六声(宮孔衆○、竜甬用○、魚鼠去○、烏虎兎○)、第七声(心審禁○、○○○十、男坎欠○、○○○妾)を和す。第六声の四行はいずれも「○」をもって収め、宮・竜・魚・烏の这一类の合口韻が入声において相応する字を持たないことを説明する。第七声は却って反対で、入声位の上にのみ「十」「妾」の二字があり、平・上・去の三位は却って空いている。
■山手■北北北北 ■■■■●●●● 十音 ■士石■北北北北 六音 ■■■■●●●● 五聲 ■□耳■北北北北 八聲 ■■■■●●●● ■□二■北北北北 ■■■■●●●● ■莊震■北北北北 ■■■■●●●● 十一音 ■乍□■北北北北 六音 ■■■■●●●● 五聲 ■叉赤■北北北北 九聲 ■■■■●●●● ■崇辰■北北北北 ■■■■●●●● ■卓中■北北北北 ■■■■●●●● 十二音 ■宅直■北北北北 六音 ■■■■●●●● 五聲 ■拆丑■北北北北 十聲 ■■■■●●●● ■茶呈■北北北北 ■■■■●●●●
左半は第十音(■山手■、■士石■、■□耳■、■□二■)、第十一音(■荘震■、■乍□■、■叉赤■、■崇辰■)、第十二音(■卓中■、■宅直■、■拆丑■、■茶呈■)をもって《入声翕唱呂四之五》を唱え畢え、「北」字は十二音を遍く唱えて止む。右半《閉音濁和律四之六》は第八・九・十の三声まで和したが、声位はすでになく音位もまたなく、ここにおいて整段の十二行はすべて「■■■■●●●●」と作し、一字もない。この一片の純粋な符号の方陣は最も後人に殘欠と見做されて剔去されやすいが、実はそれこそまさに邵雍の推数の骨格である。ただ空位も格を占めてこそ、「声一百一十二、音一百五十二」の乗積に落ち着き所があり、声音が相唱和する数をもって万物の身の上に推し及ぼすことができるのである。
入声翕唱呂四之六 閉音濁和律四之七
古甲九癸○○○○ ■■■■多可個舌 一音 □□近揆○○○○ 七音 ■■■■禾火化八 六聲 坤巧丘棄○○○○ 一聲 ■■■■開宰愛○ □□乾蚪○○○○ ■■■■回每退○ 黑花香血○○○○ ■■■■良兩向○ 二音 黃華雄賢○○○○ 七音 ■■■■光廣況○ 六聲 五瓦仰□○○○○ 二聲 ■■■■丁井亙○ 吾牙月堯○○○○ ■■■■兄永瑩○ 安亞乙一○○○○ ■■■■千典旦○ 三音 □爻壬寅○○○○ 七音 ■■■■元犬半○ 六聲 母馬美米○○○○ 三聲 ■■■■臣引艮○ 目貌眉民○○○○ ■■■■君允巽○ 夫法□飛○○○○ ■■■■刀早孝嶽 四音 父凡□吠○○○○ 七音 ■■■■毛寶報霍 六聲 武晚□尾○○○○ 四聲 ■■■■牛斗奏六 文萬□未○○○○ ■■■■○○○玉
左半は改めて《入声翕唱呂四之六》が領唱する。第六声の入声翕位は再び声あって字なしに戻り、「○○○○」と作し、順に第一音(古甲九癸、□□近揆、坤巧丘棄、□□乾蚪)、第二音(黒花香血、黄華雄賢、五瓦仰□、吾牙月尭)、第三音(安亜乙一、□爻壬寅、母馬美米、目貌眉民)、第四音(夫法□飛、父凡□吠、武晩□尾、文万□未)を唱える。右半は改めて《閉音濁和律四之七》を立てる。第七音の閉濁位は無音で、依然「■■■■」と作し、第一声(多可个舌、禾火化八、開宰愛○、回毎退○)、第二声(良両向○、光広況○、丁井亘○、兄永瑩○)、第三声(千典旦○、元犬半○、臣引艮○、君允巽○)、第四声(刀早孝岳、毛宝報霍、牛斗奏六、○○○玉)を和する。源文はここで二図の標題を一つの行に併せているが、これはまさに左右両欄がもともと各々独立した二枚の表で、ただ同じ版面に刻まれたために並列して行を成すに過ぎないことを説明する。読むときは必ず各々本欄に依って直下し、横に連読してはならない。
卜百丙必○○○○ ■■■■妻子四日 五音 步白備鼻○○○○ 七音 ■■■■衰○帥骨 六聲 普撲品匹○○○○ 五聲 ■■■■○○○德 旁排平瓶○○○○ ■■■■龜水貴北 東丹帝■○○○○ ■■■■宮孔眾○ 六音 兌大弟■○○○○ 七音 ■■■■龍甬用○ 六聲 土貪天■○○○○ 六聲 ■■■■魚鼠去○ 同覃田■○○○○ ■■■■烏虎兔○ 乃你女■○○○○ ■■■■心審禁○ 七音 內南年■○○○○ 七音 ■■■■○○○十 六聲 老冷呂■○○○○ 七聲 ■■■■男坎欠○ 鹿犖離■○○○○ ■■■■○○○妾
左半は続けて第五音(卜百丙必、歩白備鼻、普撲品匹、旁排平瓶)、第六音(東丹帝■、兌大弟■、土貪天■、同覃田■)、第七音(乃你女■、内南年■、老冷呂■、鹿犖離■)を唱え、領唱するのは依然第六声の空圈である。第五音の四行十六位には一つの空缺もなく、十二音のうち最も完整な一類である。第六・七の両音は閉位が皆ない。右半《閉音濁和律四之七》は「■」をもって第五声(妻子四日、衰○帥骨、○○○徳、亀水貴北)、第六声(宮孔衆○、竜甬用○、魚鼠去○、烏虎兎○)、第七声(心審禁○、○○○十、男坎欠○、○○○妾)を和す。第五声第二行「衰○帥骨」は、上声の一位が音あって字なし。第三行「○○○徳」は、平・上・去の三位が皆空で独り入声の「徳」字を存する。このような参差不斉の箇所を、邵雍は一概に実のまま標し出し、足を削って履に適わせることを肯んじない。
走哉足■○○○○ ■■■■●●●● 八音 自在匠■○○○○ 七音 ■■■■●●●● 六聲 草采七■○○○○ 八聲 ■■■■●●●● 曹才全■○○○○ ■■■■●●●● 思三星■○○○○ ■■■■●●●● 九音 寺□象■○○○○ 七音 ■■■■●●●● 六聲 □□□■○○○○ 九聲 ■■■■●●●● □□□■○○○○ ■■■■●●●● ■山手■○○○○ ■■■■●●●● 十音 ■士石■○○○○ 七音 ■■■■●●●● 六聲 ■□耳■○○○○ 十聲 ■■■■●●●● ■□二■○○○○ ■■■■●●●●
左半は第八音(走哉足■、自在匠■、草採七■、曹才全■)、第九音(思三星■、寺□象■、□□□■、□□□■)、第十音(■山手■、■士石■、■□耳■、■□二■)をもって唱え続け、第六声の入声翕位は終始空圈である。右半《閉音濁和律四之七》は第八・九・十の三声まで和し、四行とも無声なので、併せて「■■■■●●●●」と作す。左右を合わせて見れば、左欄は一つの空の声位が往って十二個の音を唱え、右欄は一つの空の音位が往って十個の声を和し、両辺が同時に落空しながら、格式は少しも乱れない。邵雍が《皇極経世》を作ったのは、もともと数をもって天地の終始を推すもので、声音の一門もこの路数である——まず用い得る位数を定め死ぬほど固め、次に声をもって音に乗じ、音をもって声に乗じて、声音相配の総数を得、然る後に声音の数から転じて動植万物の数を説く。
閉音濁和律四之八
■莊震■○○○○ ■■■■多可個舌 十一音 ■乍□■○○○○ 八音 ■■■■禾火化八 六聲 ■叉赤■○○○○ 一聲 ■■■■開宰愛○ ■崇辰■○○○○ ■■■■回每退○ ■卓中■○○○○ ■■■■良兩向○ 十二音 ■宅直■○○○○ 八音 ■■■■光廣況○ 六聲 ■拆丑■○○○○ 二聲 ■■■■丁井亙○ ■茶呈■○○○○ ■■■■兄永瑩○
左半は第十一音(■荘震■、■乍□■、■叉赤■、■崇辰■)と第十二音(■卓中■、■宅直■、■拆丑■、■茶呈■)をもって《入声翕唱呂四之六》を唱え畢え、第六声の空位はここに十二音を遍く配した。右半は改めて《閉音濁和律四之八》を立てる。第八音の閉濁位も同様に無音で、「■■■■」と作し、まず第一声(多可个舌、禾火化八、開宰愛○、回毎退○)と第二声(良両向○、光広況○、丁井亘○、兄永瑩○)を和する。第六音から起こって、閉濁のこの一格は連なる七つの音がすべて「■」なので、ここから本篇の終わりに至るまで、右欄には再び一つの音字も現れず、ただ「■■■■」が十声と輪転して相配するのみである。
入声翕唱呂四之七
古甲九癸妾妾妾妾 ■■■■千典旦○ 一音 □□近揆妾妾妾妾 八音 ■■■■元犬半○ 七聲 坤巧丘棄妾妾妾妾 三聲 ■■■■臣引艮○ □□乾蚪妾妾妾妾 ■■■■君允巽○ 黑花香血妾妾妾妾 ■■■■刀早孝嶽 二音 黃華雄賢妾妾妾妾 八音 ■■■■毛寶報霍 七聲 五瓦仰□妾妾妾妾 四聲 ■■■■牛斗奏六 吾牙月堯妾妾妾妾 ■■■■○○○玉 安亞乙一妾妾妾妾 ■■■■妻子四日 三音 □爻壬寅妾妾妾妾 八音 ■■■■衰○帥骨 七聲 母馬美米妾妾妾妾 五聲 ■■■■○○○德 目貌眉民妾妾妾妾 ■■■■龜水貴北 夫法□飛妾妾妾妾 ■■■■宮孔眾○ 四音 父凡□吠妾妾妾妾 八音 ■■■■龍甬用○ 七聲 武晚□尾妾妾妾妾 六聲 ■■■■魚鼠去○ 文萬□未妾妾妾妾 ■■■■烏虎兔○
左半は改めて《入声翕唱呂四之七》が領唱する。第七声の入声翕位は字があり、「妾」と作すので、毎行の下に連書して「妾妾妾妾」とする。これは「辰辰声入翕」の一格における第三番目にして最後の実字で、前の二つは第四声の「玉」と第五声の「北」である。それは順に第一音(古甲九癸、□□近揆、坤巧丘棄、□□乾蚪)、第二音(黒花香血、黄華雄賢、五瓦仰□、吾牙月尭)、第三音(安亜乙一、□爻壬寅、母馬美米、目貌眉民)、第四音(夫法□飛、父凡□吠、武晩□尾、文万□未)を唱える。右半《閉音濁和律四之八》は「■」をもって第三声(千典旦○、元犬半○、臣引艮○、君允巽○)、第四声(刀早孝岳、毛宝報霍、牛斗奏六、○○○玉)、第五声(妻子四日、衰○帥骨、○○○徳、亀水貴北)、第六声(宮孔衆○、竜甬用○、魚鼠去○、烏虎兎○)を和す。左欄に字ありて右欄に音なし。この一段は全篇のうち「実唱虚和」が最も分明なところである。
卜百丙必妾妾妾妾 ■■■■心審禁○ 五音 步白備鼻妾妾妾妾 八音 ■■■■○○○十 七聲 普撲品匹妾妾妾妾 七聲 ■■■■男坎欠○ 旁排平瓶妾妾妾妾 ■■■■○○○妾 東丹帝■妾妾妾妾 ■■■■●●●● 六音 兌大弟■妾妾妾妾 八音 ■■■■●●●● 七聲 土貪天■妾妾妾妾 八聲 ■■■■●●●● 同覃田■妾妾妾妾 ■■■■●●●● 乃你女■妾妾妾妾 ■■■■●●●● 七音 內南年■妾妾妾妾 八音 ■■■■●●●● 七聲 老冷呂■妾妾妾妾 九聲 ■■■■●●●● 鹿犖離■妾妾妾妾 ■■■■●●●● 走哉足■妾妾妾妾 ■■■■●●●● 八音 自在匠■妾妾妾妾 八音 ■■■■●●●● 七聲 草采七■妾妾妾妾 十聲 ■■■■●●●● 曹才全■妾妾妾妾 ■■■■●●●●
左半は続けて「妾」をもって第五音(卜百丙必、歩白備鼻、普撲品匹、旁排平瓶)、第六音(東丹帝■、兌大弟■、土貪天■、同覃田■)、第七音(乃你女■、内南年■、老冷呂■、鹿犖離■)、第八音(走哉足■、自在匠■、草採七■、曹才全■)を唱える。右半《閉音濁和律四之八》はまず第七声(心審禁○、○○○十、男坎欠○、○○○妾)を和す。ここで右欄に現れる「妾」字と左欄が唱える「妾」は、まさに同一の声位が二図における二種の身分である。唱図のうちではそれは領唱者で、和図のうちではそれは和される者であり、一唱一和してその字は易らない。続いて第八・九・十の三声を和し、四行とも「●」で、ついに「■■■■●●●●」と作す。第七声第四行「○○○妾」は通行するのがただこの一字で、邵雍はあえてそれを取って「辰辰声入翕」に列する。いわゆる「用声」は格を逐って点数したもので、估算したものではないことが見える。
閉音濁和律四之九
思三星■妾妾妾妾 ■■■■多可個舌 九音 寺□象■妾妾妾妾 九音 ■■■■禾火化八 七聲 □□□■妾妾妾妾 一聲 ■■■■開宰愛○ □□□■妾妾妾妾 ■■■■回每退○ ■山手■妾妾妾妾 ■■■■良兩向○ 十音 ■士石■妾妾妾妾 九音 ■■■■光廣況○ 七聲 ■□耳■妾妾妾妾 二聲 ■■■■丁井亙○ ■□二■妾妾妾妾 ■■■■兄永瑩○ ■莊震■妾妾妾妾 ■■■■千典旦○ 十一音 ■乍□■妾妾妾妾 九音 ■■■■元犬半○ 七聲 ■叉赤■妾妾妾妾 三聲 ■■■■臣引艮○ ■崇辰■妾妾妾妾 ■■■■君允巽○ ■卓中■妾妾妾妾 ■■■■刀早孝嶽 十二音 ■宅直■妾妾妾妾 九音 ■■■■毛寶報霍 七聲 ■拆丑■妾妾妾妾 四聲 ■■■■牛斗奏六 ■茶呈■妾妾妾妾 ■■■■○○○玉
左半は「妾」をもって第九音(思三星■、寺□象■、□□□■、□□□■)、第十音(■山手■、■士石■、■□耳■、■□二■)、第十一音(■荘震■、■乍□■、■叉赤■、■崇辰■)、第十二音(■卓中■、■宅直■、■拆丑■、■茶呈■)を唱え、《入声翕唱呂四之七》はここに唱え畢る。右半は改めて《閉音濁和律四之九》を立てる。第九音の閉濁位は無音で、依然「■■■■」と作し、第一声(多可个舌、禾火化八、開宰愛○、回毎退○)、第二声(良両向○、光広況○、丁井亘○、兄永瑩○)、第三声(千典旦○、元犬半○、臣引艮○、君允巽○)、第四声(刀早孝岳、毛宝報霍、牛斗奏六、○○○玉)を和する。十声のうち前の七声はあわせて二十八行、一行四位で、合して一百一十二となる。およそ「■■■■」の音はいずれもこの一百一十二位と一つずつ相配せねばならず、たとえ一字も生じなくとも、格数はなお満ち行かねばならない。
入声翕唱呂四之八
古甲九癸●●●● ■■■■妻子四日 一音 □□近揆●●●● 九音 ■■■■衰○帥骨 八聲 坤巧丘棄●●●● 五聲 ■■■■○○○德 □□乾蚪●●●● ■■■■龜水貴北 黑花香血●●●● ■■■■宮孔眾○ 二音 黃華雄賢●●●● 九音 ■■■■龍甬用○ 八聲 五瓦仰□●●●● 六聲 ■■■■魚鼠去○ 吾牙月堯●●●● ■■■■烏虎兔○ 安亞乙一●●●● ■■■■心審禁○ 三音 □爻壬寅●●●● 九音 ■■■■○○○十 八聲 母馬美米●●●● 七聲 ■■■■男坎欠○ 目貌眉民●●●● ■■■■○○○妾
左半は改めて《入声翕唱呂四之八》が領唱するが、第八声は邵雍の声図のうちで声位さえもなく、四行とも「●」なので、領唱する側は「●●●●」と書く——これは全篇で最も徹底した空唱である。それはなお順に第一音(古甲九癸、□□近揆、坤巧丘棄、□□乾蚪)、第二音(黒花香血、黄華雄賢、五瓦仰□、吾牙月尭)、第三音(安亜乙一、□爻壬寅、母馬美米、目貌眉民)を唱える。右半《閉音濁和律四之九》は「■」をもって第五声(妻子四日、衰○帥骨、○○○徳、亀水貴北)、第六声(宮孔衆○、竜甬用○、魚鼠去○、烏虎兎○)、第七声(心審禁○、○○○十、男坎欠○、○○○妾)を和す。声なき声が往って字有る音を唱え、音なき音が往って字有る声を和す。両欄は一虚一実、位置は顛倒しても体例は改まらない。
夫法□飛●●●● ■■■■●●●● 四音 父凡□吠●●●● 九音 ■■■■●●●● 八聲 武晚□尾●●●● 八聲 ■■■■●●●● 文萬□未●●●● ■■■■●●●● 卜百丙必●●●● ■■■■●●●● 五音 步白備鼻●●●● 九音 ■■■■●●●● 八聲 普撲品匹●●●● 九聲 ■■■■●●●● 旁排平瓶●●●● ■■■■●●●● 東丹帝■●●●● ■■■■●●●● 六音 兌大弟■●●●● 九音 ■■■■●●●● 八聲 土貪天■●●●● 十聲 ■■■■●●●● 同覃田■●●●● ■■■■●●●●
左半は第八声の空位をもって第四音(夫法□飛、父凡□吠、武晩□尾、文万□未)、第五音(卜百丙必、歩白備鼻、普撲品匹、旁排平瓶)、第六音(東丹帝■、兌大弟■、土貪天■、同覃田■)を唱える。右半《閉音濁和律四之九》は第八・九・十の三声まで和し、声位はすでになく音位もまたなく、十二行は尽く「■■■■●●●●」である。第八・九・十の三声と第六から第十二までの七音は、邵雍が留めた虚位である。声はもともと十あるが実用は七、音はもともと十二あるが、閉濁のこの格について言えば実用はただ五である。虚実を並列してこそ、「体には定数があり用には不足あり」が見える——これはまさに《皇極経世》という書が反復して申し説く「体四用三」の義が声音の上に落実したものである。読者がもし空位を一概に删去すれば、図は清爽でも数は全く乱れる。
閉音濁和律四之十
乃你女■●●●● ■■■■多可個舌 七音 內南年■●●●● 十音 ■■■■禾火化八 八聲 老冷呂■●●●● 一聲 ■■■■開宰愛○ 鹿犖離■●●●● ■■■■回每退○ 走哉足■●●●● ■■■■良兩向○ 八音 自在匠■●●●● 十音 ■■■■光廣況○ 八聲 草采七■●●●● 二聲 ■■■■丁井亙○ 曹才全■●●●● ■■■■兄永瑩○ 思三星■●●●● ■■■■千典旦○ 九音 寺□象■●●●● 十音 ■■■■元犬半○ 八聲 □□□■●●●● 三聲 ■■■■臣引艮○ □□□■●●●● ■■■■君允巽○
左半は第八声の空位をもって第七音(乃你女■、内南年■、老冷呂■、鹿犖離■)、第八音(走哉足■、自在匠■、草採七■、曹才全■)、第九音(思三星■、寺□象■、□□□■、□□□■)を唱える。右半は改めて《閉音濁和律四之十》を立てる。第十音の閉濁位は無音で、「■■■■」と作し、まず第一声(多可个舌、禾火化八、開宰愛○、回毎退○)、第二声(良両向○、光広況○、丁井亘○、兄永瑩○)、第三声(千典旦○、元犬半○、臣引艮○、君允巽○)を和する。第一声のこの四行は全部の声図のうち字が最も斉った一声で、十六位のうち欠けるのはただ二位である。後へ行くほど「○」がいよいよ多くなり、第八声に至っては一字も存しない。声の盛から衰へ至るさまは、図上で分明に見える。
■山手■●●●● ■■■■刀早孝嶽 十音 ■士石■●●●● 十音 ■■■■毛寶報霍 八聲 ■□耳■●●●● 四聲 ■■■■牛斗奏六 ■□二■●●●● ■■■■○○○玉 ■莊震■●●●● ■■■■妻子四日 十一音 ■乍□■●●●● 十音 ■■■■衰○帥骨 八聲 ■叉赤■●●●● 五聲 ■■■■○○○德 ■崇辰■●●●● ■■■■龜水貴北 ■卓中■●●●● ■■■■宮孔眾○ 十二音 ■宅直■●●●● 十音 ■■■■龍甬用○ 八聲 ■拆丑■●●●● 六聲 ■■■■魚鼠去○ ■茶呈■●●●● ■■■■烏虎兔○
左半は第十音(■山手■、■士石■、■□耳■、■□二■)、第十一音(■荘震■、■乍□■、■叉赤■、■崇辰■)、第十二音(■卓中■、■宅直■、■拆丑■、■茶呈■)をもって《入声翕唱呂四之八》を唱え畢え、第八声の空位は十二音四十八格を遍歴して止む。右半《閉音濁和律四之十》は「■」をもって第四声(刀早孝岳、毛宝報霍、牛斗奏六、○○○玉)、第五声(妻子四日、衰○帥骨、○○○徳、亀水貴北)、第六声(宮孔衆○、竜甬用○、魚鼠去○、烏虎兎○)を和す。第四声の首行「刀早孝岳」、次行「毛宝報霍」、三行「牛斗奏六」は、入声の一位にいずれも字があり、独り第四行は「玉」のみを残す。この四行の入声の字「岳・霍・六・玉」は、まさに宋の時代に入声がなお存した実証である。
入声翕唱呂四之九
古甲九癸●●●● ■■■■心審禁○ 一音 □□近揆●●●● 十音 ■■■■○○○十 九聲 坤巧丘棄●●●● 七聲 ■■■■男坎欠○ □□乾蚪●●●● ■■■■○○○妾 黑花香血●●●● ■■■■●●●● 二音 黃華雄賢●●●● 十音 ■■■■●●●● 九聲 五瓦仰□●●●● 八聲 ■■■■●●●● 吾牙月堯●●●● ■■■■●●●● 安亞乙一●●●● ■■■■●●●● 三音 □爻壬寅●●●● 十音 ■■■■●●●● 九聲 母馬美米●●●● 九聲 ■■■■●●●● 目貌眉民●●●● ■■■■●●●● 夫法□飛●●●● ■■■■●●●● 四音 父凡□吠●●●● 十音 ■■■■●●●● 九聲 武晚□尾●●●● 十聲 ■■■■●●●● 文萬□未●●●● ■■■■●●●●
左半は改めて《入声翕唱呂四之九》が領唱する。第九声は第八声と同様に声位さえもなく、ゆえに依然「●●●●」と作し、順に第一音(古甲九癸、□□近揆、坤巧丘棄、□□乾蚪)、第二音(黒花香血、黄華雄賢、五瓦仰□、吾牙月尭)、第三音(安亜乙一、□爻壬寅、母馬美米、目貌眉民)、第四音(夫法□飛、父凡□吠、武晩□尾、文万□未)を唱える。右半《閉音濁和律四之十》は第七声(心審禁○、○○○十、男坎欠○、○○○妾)を和した後、第八・九・十の三声は皆空で、「■■■■●●●●」と作し、第十音はここに和し畢る。両欄とも空をもって空に対しながら、十二音の代表字は依然として一字も減らず列ね尽くす。読者に清楚に見せようとするのである。唱和の数はゼロでも、唱和の位は宛然として俱に在ることを。邵雍の算法はもともと先に位を定め、後に数を計る。位が備わらねば数は実らない。ゆえにむしろ紙一面を圈塊にしても、一格を省くことを肯んじない。
閉音濁和律四之十一
卜百丙必●●●● ■■■■多可個舌 五音 步白備鼻●●●● 十一音 ■■■■禾火化八 九聲 普撲品匹●●●● 一聲 ■■■■開宰愛○ 旁排平瓶●●●● ■■■■回每退○ 東丹帝■●●●● ■■■■良兩向○ 六音 兌大弟■●●●● 十一音 ■■■■光廣況○ 九聲 土貪天■●●●● 二聲 ■■■■丁井亙○ 同覃田■●●●● ■■■■兄永瑩○ 乃你女■●●●● ■■■■千典旦○ 七音 內南年■●●●● 十一音 ■■■■元犬半○ 九聲 老冷呂■●●●● 三聲 ■■■■臣引艮○ 鹿犖離■●●●● ■■■■君允巽○
左半は第九声の空位をもって第五音(卜百丙必、歩白備鼻、普撲品匹、旁排平瓶)、第六音(東丹帝■、兌大弟■、土貪天■、同覃田■)、第七音(乃你女■、内南年■、老冷呂■、鹿犖離■)を唱える。この三音のうち、第五音は重唇に属し、第六音は舌頭に属し、第七音は泥来に属する。後の二類は閉位が皆無音なので、毎行の末位は皆「■」と作す。毎音の四行はまた清・濁の二類に分かれ、第一・三行は清に属し、第二・四行は濁に属す。たとえば「卜百丙必」は清で「歩白備鼻」は濁、「普撲品匹」は清で「旁排平瓶」は濁と、両々相対して一望すれば弁じられる。右半は改めて《閉音濁和律四之十一》を立てる。第十一音の閉濁位は無音で、「■■■■」と作し、第一声(多可个舌、禾火化八、開宰愛○、回毎退○)、第二声(良両向○、光広況○、丁井亘○、兄永瑩○)、第三声(千典旦○、元犬半○、臣引艮○、君允巽○)を和する。
走哉足■●●●● ■■■■刀早孝嶽 八音 自在匠■●●●● 十一音 ■■■■毛寶報霍 九聲 草采七■●●●● 四聲 ■■■■牛斗奏六 曹才全■●●●● ■■■■○○○玉
左半は第八音(走哉足■、自在匠■、草採七■、曹才全■)をもって上文に接続し、配するのは依然第九声のあの声位さえもない空格「●●●●」である。右半《閉音濁和律四之十一》は「■■■■」をもって第四声(刀早孝岳、毛宝報霍、牛斗奏六、○○○玉)を和す。第八音は歯頭の一類で、四行の閉位は皆「■」と作し、ただ開・発・収の三位の上に字がある。第四声四行の入声の字は順に「岳」「霍」「六」「玉」で、独り第四行の平・上・去の三位が空缺するので、「○○○玉」と作す。一虚一実が同一版面に並んで陳べられるのは、まさにこの套の図の常態である。
思三星■●●●● ■■■■妻子四日 九音 寺□象■●●●● 十一音 ■■■■衰○帥骨 九聲 □□□■●●●● 五聲 ■■■■○○○德 □□□■●●●● ■■■■龜水貴北 ■山手■●●●● ■■■■宮孔眾○ 十音 ■士石■●●●● 十一音 ■■■■龍甬用○ 九聲 ■□耳■●●●● 六聲 ■■■■魚鼠去○ ■□二■●●●● ■■■■烏虎兔○ ■莊震■●●●● ■■■■心審禁○ 十一音 ■乍□■●●●● 十一音 ■■■■○○○十 九聲 ■叉赤■●●●● 七聲 ■■■■男坎欠○ ■崇辰■●●●● ■■■■○○○妾 ■卓中■●●●● ■■■■●●●● 十二音 ■宅直■●●●● 十一音 ■■■■●●●● 九聲 ■拆丑■●●●● 八聲 ■■■■●●●● ■茶呈■●●●● ■■■■●●●●
左半は第九音(思三星■、寺□象■、□□□■、□□□■)、第十音(■山手■、■士石■、■□耳■、■□二■)、第十一音(■荘震■、■乍□■、■叉赤■、■崇辰■)、第十二音(■卓中■、■宅直■、■拆丑■、■茶呈■)をもって《入声翕唱呂四之九》を唱え畢える。右半《閉音濁和律四之十一》は「■」をもって第五声(妻子四日、衰○帥骨、○○○徳、亀水貴北)、第六声(宮孔衆○、竜甬用○、魚鼠去○、烏虎兎○)、第七声(心審禁○、○○○十、男坎欠○、○○○妾)を和し、第八声に至っては「■■■■●●●●」と作す。第五声第四行「亀水貴北」の「北」は、すなわち前の第五声が「辰辰声入翕」を充てるのに用いた字である。同じ一つの字が、唱図のうちでは領唱を為し、和図のうちでは被和を為し、両処に並んで見えて各々その位がある。邵雍の編次の細かさが見える。
入声翕唱呂四之十
古甲九癸○○○○ ■■■■●●●● 一音 □□近揆○○○○ 十一音 ■■■■●●●● 十聲 坤巧丘棄○○○○ 九聲 ■■■■●●●● □□乾蚪○○○○ ■■■■●●●● 黑花香血○○○○ ■■■■●●●● 二音 黃華雄賢○○○○ 十一音 ■■■■●●●● 十聲 五瓦仰□○○○○ 十聲 ■■■■●●●● 吾牙月堯○○○○ ■■■■●●●●
左半は改めて《入声翕唱呂四之十》が領唱する。第十声はこの格の上でまた声あって字なし、「○○○○」と作し、まず第一音(古甲九癸、□□近揆、坤巧丘棄、□□乾蚪)と第二音(黒花香血、黄華雄賢、五瓦仰□、吾牙月尭)を唱える。篇首「辰辰声入翕」の一欄に按ずれば、第十声に標すのはまさに「○」で、こことまさに吻合する。右半《閉音濁和律四之十一》は「■」をもって第九声・第十声を和し、両声ともないので、「■■■■●●●●」と作し、第十一音は和し畢る。これは《観物篇五十》の最後の一組の図の開端で、十声と十二音の相配はここに至って收尾のみが残る。
閉音濁和律四之十二
安亞乙一○○○○ ■■■■多可個舌 三音 □爻壬寅○○○○ 十二音 ■■■■禾火化八 十聲 母馬美米○○○○ 一聲 ■■■■開宰愛○ 目貌眉民○○○○ ■■■■回每退○ 夫法□飛○○○○ ■■■■良兩向○ 四音 父凡□吠○○○○ 十二音 ■■■■光廣況○ 十聲 武晚□尾○○○○ 二聲 ■■■■丁井亙○ 文萬□未○○○○ ■■■■兄永瑩○ 卜百丙必○○○○ ■■■■千典旦○ 五音 步白備鼻○○○○ 十二音 ■■■■元犬半○ 十聲 普撲品匹○○○○ 三聲 ■■■■臣引艮○ 旁排平瓶○○○○ ■■■■君允巽○ 東丹帝■○○○○ ■■■■刀早孝嶽 六音 兌大弟■○○○○ 十二音 ■■■■毛寶報霍 十聲 土貪天■○○○○ 四聲 ■■■■牛斗奏六 同覃田■○○○○ ■■■■○○○玉
左半は第十声の空位をもって第三音(安亜乙一、□爻壬寅、母馬美米、目貌眉民)、第四音(夫法□飛、父凡□吠、武晩□尾、文万□未)、第五音(卜百丙必、歩白備鼻、普撲品匹、旁排平瓶)、第六音(東丹帝■、兌大弟■、土貪天■、同覃田■)を唱える。右半は改めて《閉音濁和律四之十二》を立てる。これは本篇最後の和律図である。第十二音の閉濁位は無音で、「■■■■」と作し、第一声(多可个舌、禾火化八、開宰愛○、回毎退○)、第二声(良両向○、光広況○、丁井亘○、兄永瑩○)、第三声(千典旦○、元犬半○、臣引艮○、君允巽○)、第四声(刀早孝岳、毛宝報霍、牛斗奏六、○○○玉)を和す。声図の十声は各々四行の代表字を取る。第一声は歌戈と咍灰の開合を取り、第二声は陽唐庚青を取り、第三声は寒先真諄を取り、第四声は豪肴尤を取る。毎行四字はその平・上・去・入を標す。これらの字は義を釈するためではなく、ただ位を標するためである。
乃你女■○○○○ ■■■■妻子四日 七音 內南年■○○○○ 十二音 ■■■■衰○帥骨 十聲 老冷呂■○○○○ 五聲 ■■■■○○○德 鹿犖離■○○○○ ■■■■龜水貴北 走哉足■○○○○ ■■■■宮孔眾○ 八音 自在匠■○○○○ 十二音 ■■■■龍甬用○ 十聲 草采七■○○○○ 六聲 ■■■■魚鼠去○ 曹才全■○○○○ ■■■■烏虎兔○ 思三星■○○○○ ■■■■心審禁○ 九音 寺□象■○○○○ 十二音 ■■■■○○○十 十聲 □□□■○○○○ 七聲 ■■■■男坎欠○ □□□■○○○○ ■■■■○○○妾
左半は第十声の空位をもって第七音(乃你女■、内南年■、老冷呂■、鹿犖離■)、第八音(走哉足■、自在匠■、草採七■、曹才全■)、第九音(思三星■、寺□象■、□□□■、□□□■)を唱える。右半《閉音濁和律四之十二》は「■」をもって第五声(妻子四日、衰○帥骨、○○○徳、亀水貴北)、第六声(宮孔衆○、竜甬用○、魚鼠去○、烏虎兎○)、第七声(心審禁○、○○○十、男坎欠○、○○○妾)を和す。第九音四行のうち、「思三星」「寺□象」にはなお挙げる字があるが、第三・四行は併せて「□□□」と作り、この類の音が開・発・収の三位の上でいずれも字を見つけられないことを言う。「寺□象」の中間の一位もまた欠け、同様に「□」をもってこれを存する。およそ字を欠く所はむしろ空に留めても、音の近い字をもって数を充てない。これは邵雍の立表の定例である。
■山手■○○○○ ■■■■●●●● 十音 ■士石■○○○○ 十二音 ■■■■●●●● 十聲 ■□耳■○○○○ 八聲 ■■■■●●●● ■□二■○○○○ ■■■■●●●● ■莊震■○○○○ ■■■■●●●● 十一音 ■乍□■○○○○ 十二音 ■■■■●●●● 十聲 ■叉赤■○○○○ 九聲 ■■■■●●●● ■崇辰■○○○○ ■■■■●●●● ■卓中■○○○○ ■■■■●●●● 十二音 ■宅直■○○○○ 十二音 ■■■■●●●● 十聲 ■拆丑■○○○○ 十聲 ■■■■●●●● ■茶呈■○○○○ ■■■■●●●●
左半は第十音(■山手■、■士石■、■□耳■、■□二■)、第十一音(■荘震■、■乍□■、■叉赤■、■崇辰■)、第十二音(■卓中■、■宅直■、■拆丑■、■茶呈■)をもって《入声翕唱呂四之十》を唱え畢える。右半《閉音濁和律四之十二》は第八・九・十の三声まで和し、四行とも空で、「■■■■●●●●」と作す。ここに至って、《観物篇五十》に属する「辰辰声入之四翕」の十図と「石石音閉之四濁」の十二図はすべて列ね畢った。篇首に定めた数を回り見れば、入声翕のこの一格の天声で用い得るのは七、それをもって下に地上一百五十二音を唱えて一千六十四を得、閉音濁のこの一格の地音で用い得るのは五、それをもって上に天上一百一十二声を和して五百六十を得る。全部の声音唱和図は、十声十二音の毎一格をこのように一遍推算し、最後に声音の数から転じて動植万物の数を出す。これがすなわち邵雍の「物をもって物を観る」之学の算法の根基である。
皇極経世書巻十一
観物篇五十一
物之大者無若天地,然而亦有所盡也。天之大,陰陽盡之矣;地之大,剛柔盡之矣。陰陽盡而四時成焉,剛柔盡而四維成焉。夫四時四維者,天地至大之謂也。凡言大者,無得而過之也,亦未始以大為自得,故能成其大。豈不謂至偉至偉者歟?
万物の中で最大なるものは天と地に勝るものはないが、しかし天地にも窮め尽くされうる時がある。天の大たる所以は、「陰」「陽」の二字で言い尽くされる。地の大たる所以は、「剛」「柔」の二字で言い尽くされる。陰陽が言い尽くされれば、春夏秋冬の四時がここより成る。剛柔が言い尽くされれば、東南西北の四維がここより立つ。四時と四維、これが天地の大の全部の内容である。およそ「大」と称するに足るものは、再びこれを超えるものがないものである。しかるに天地はかつて自らの大を自得すべき事としたことがない。まさに自らその大に居らないゆえに、その大を成し遂げたのである。これをいわば偉大の極み、偉大の極みと言うべきではないか。
天生於動者也,地生於靜者也。一動一靜交,而天地之道盡之矣。動之始則陽生焉,動之極則陰生焉。一陰一陽交,而天之用盡之矣。靜之始則柔生焉,靜之極則剛生焉。一柔一剛交,而地之用盡之矣。
天は「動」によって生じ、地は「静」によって生じる。一動一静が交わり相用いられ、天地の運行の道理がすべてここにある。動が始まりに至れば陽気が生じ、動が極点に至れば陰気が生じる。一陰一陽が交わり相用いられ、天の功用がすべてここにある。静が始まりに至れば柔の性質が生じ、静が極点に至れば剛の性質が生じる。一柔一剛が交わり相用いられ、地の功用がすべてここにある。邵雍は動静をもって天地の本とし、陰陽剛柔をもって天地の用とした。下文の一切の推演は皆この四字のうちから生じる。
動之大者,謂之太陽;動之小者,謂之少陽;靜之大者,謂之太陰;靜之小者,謂之少陰。太陽為日,太陰為月,少陽為星,少陰為辰。日月星辰交,而天之體盡之矣。靜之大者,謂之太柔;靜之小者,謂之少柔;動之大者,謂之太剛;動之小者,謂之少剛。太柔為水,太剛為火,少柔為土,少剛為石。水火土石交,而地之體盡之矣。日為暑,月為寒,星為晝,辰為夜。暑寒晝夜交,而天之變盡之矣。水為雨,火為風,土為露,石為雷。雨風露雷交,而地之化盡之矣。暑變物之性,寒變物之情,晝變物之形,夜變物之體。性情形體交,而動植之感盡之矣。雨化物之走,風化物之飛,露化物之草,雷化物之木。走飛草木交,而動植之應盡之矣。
動して大なるを「太陽」と言い、動して小なるを「少陽」と言う。静して大なるを「太陰」と言い、静して小なるを「少陰」と言う。太陽は日に落実し、太陰は月に落実し、少陽は星に落実し、少陰は辰に落実する。日月星辰が交わり相用いられ、天の形体は言い尽くされる。静して大なるを「太柔」と言い、静して小なるを「少柔」と言う。動して大なるを「太剛」と言い、動して小なるを「少剛」と言う。太柔は水に落実し、太剛は火に落実し、少柔は土に落実し、少剛は石に落実する。水火土石が交わり相用いられ、地の形体は言い尽くされる。日は暑を主り、月は寒を主り、星は昼を主り、辰は夜を主る。暑寒昼夜が交わり相用いられ、天の変動は言い尽くされる。水は雨を成し、火は風を成し、土は露を成し、石は雷を成す。雨風露雷が交わり相用いられ、地の化育は言い尽くされる。暑は物の「性」を変え、寒は物の「情」を変え、昼は物の「形」を変え、夜は物の「体」を変える。性情形体が交わり相用いられ、動物植物が感ずるところは言い尽くされる。雨は化育して走獣を出し、風は化育して飛禽を出し、露は化育して草を出し、雷は化育して木を出す。走飛草木が交わり相用いられ、動物植物が応ずるところは言い尽くされる。邵雍はここで天を日月星辰の四象に分かち、地を水火土石の四体に分かち、さらに各々四変四化を生ぜしめ、一層一層皆四分に拠り、後文の一切の数目のために框架を立てた。
走感暑而變者,性之走也;感寒而變者,情之走也;感晝而變者,形之走也;感夜而變者,體之走也。飛感暑而變者,性之飛也;感寒而變者,情之飛也;感晝而變者,形之飛也;感夜而變者,體之飛也。草感暑而變者,性之草也;感寒而變者,情之草也;感晝而變者,形之草也;感夜而變者,體之草也。木感暑而變者,性之木也;感寒而變者,情之木也;感晝而變者,形之木也;感夜而變者,體之木也。
走獣で暑気を感じて変化するのは、「性」の層の上の走獣である。寒気を感じて変化するのは、「情」の層の上の走獣である。白昼を感じて変化するのは、「形」の層の上の走獣である。黒夜を感じて変化するのは、「体」の層の上の走獣である。飛禽もまたこのようである。暑を感じて変わるのは性の飛で、寒を感じて変わるのは情の飛、昼を感じて変わるのは形の飛、夜を感じて変わるのは体の飛である。草もまたこのようである。暑を感じて変わるのは性の草、寒を感じて変わるのは情の草、昼を感じて変わるのは形の草、夜を感じて変わるのは体の草である。木も同じくこのようである。暑を感じて変わるのは性の木、寒を感じて変わるのは情の木、昼を感じて変わるのは形の木、夜を感じて変わるのは体の木である。走・飛・草・木の四類が各々性・情・形・体の四層に配され、四四相乗して十六を得る。これが天が暑寒昼夜をもって万物を「変」ずる十六種の情形である。
性應雨而化者,走之性也;應風而化者,飛之性也;應露而化者,草之性也;應雷而化者,木之性也。情應雨而化者,走之情也;應風而化者,飛之情也;應露而化者,草之情也;應雷而化者,木之情也。形應雨而化者,走之形也;應風而化者,飛之形也;應露而化者,草之形也;應雷而化者,木之形也。體應雨而化者,走之體也;應風而化者,飛之體也;應露而化者,草之體也;應雷而化者,木之體也。
反対に見れば、「性」が雨に応和して化生するのは、走獣の具える性である。風に応和して化生するのは、飛禽の具える性である。露に応和して化生するのは、草の具える性である。雷に応和して化生するのは、木の具える性である。「情」もまたこのようである。雨に応じて化するは走獣の情、風に応じて化するは飛禽の情、露に応じて化するは草の情、雷に応じて化するは木の情である。「形」もまたこのようである。雨に応ずるは走獣の形、風に応ずるは飛禽の形、露に応ずるは草の形、雷に応ずるは木の形である。「体」もまたこのようである。雨に応ずるは走獣の体、風に応ずるは飛禽の体、露に応ずるは草の体、雷に応ずるは木の体である。前の段は天が暑寒昼夜をもって物を「変」じ、物が性情形体をもって往って「感」ずるを説いた。この段は地が雨風露雷をもって物を「化」し、物が走飛草木をもって往って「応」ずるを説く。感と応が各々十六を得て、合して三十二を成し、天地と万物の間の往来がこのようにして一枚の方格のうちに安置された。
性之走善色,情之走善聲,形之走善氣,體之走善味;性之飛善色,情之飛善聲,形之飛善氣,體之飛善味;性之草善色,情之草善聲,形之草善氣,體之草善味;性之木善色,情之木善聲,形之木善氣,體之木善味;走之性善耳,飛之性善目,草之性善口,木之性善鼻;走之情善耳,飛之情善目,草之情善口,木之情善鼻;走之形善耳,飛之形善目,草之形善口,木之形善鼻;走之體善耳,飛之體善目,草之體善口,木之體善鼻。夫人也者,暑寒晝夜無不變,雨風露雷無不化,性情形體無不感,走飛草木無不應,所以目善萬物之色,耳善萬物之聲,鼻善萬物之氣,口善萬物之味。靈於萬物,不亦宜乎!
性の層の走獣は色を弁ずるに長じ、情の層の走獣は声を弁ずるに長じ、形の層の走獣は気を弁ずるに長じ、体の層の走獣は味を弁ずるに長ずる。飛禽・草・木を性情形体に分かちて見れば、も各々色・声・気・味に長ずる。反対に言えば、走獣の性は耳に長じ、飛禽の性は目に長じ、草の性は口に長じ、木の性は鼻に長ずる。走獣の情・形・体の三層、および飛禽・草・木のこの三層も、同じく各々耳・目・口・鼻をもって長と為す。人に至っては、暑寒昼夜のいずれも彼を変えざる能わず、雨風露雷のいずれも彼を化せざる能わず、性情形体のいずれも感ぜざる能わず、走飛草木のいずれも応ぜざる能わず。ゆえに人の目は万物の色を尽く収める能くし、耳は万物の声を尽く収める能くし、鼻は万物の気を尽く収める能くし、口は万物の味を尽く収める能くす。人が万物の中で最も霊秀たるは、当然の理ではないか。邵雍はまず動植を十六類に分かちて各々長ずる所有りとし、次にただ人のみが四感四応を兼ね備え、色声気味を総攬することを指摘した。これが次の篇の「人は物の至れる者」のためにあらかじめ本を張ったものである。
観物篇五十二
人之所以能靈於萬物者,謂其目能收萬物之色,耳能收萬物之聲,鼻能收萬物之氣,口能收萬物之味。聲色氣味者,萬物之體也;目耳鼻口者,萬人之用也。體無定用,惟變是用。用無定體,惟化是體。體用交而人物之道於是乎備矣。
人が万物の中にあって独り霊秀と称し得る所以は、目が万物の顔色を収納する能くし、耳が万物の声音を収納する能くし、鼻が万物の気息を収納する能くし、口が万物の滋味を収納する能くするからである。声・色・気・味は万物の「体」で、目・耳・鼻・口は衆人の「用」である。体に定まった用はなく、「変」に随って用を生ずる。用に定まった体はなく、「化」に随って体を成す。体と用が交わり相用いられ、人と物の間の道理はすなわち完備する。邵雍がここで言う体は、認め取られる対象である。言う用は、認め取る能くする官能である。二者が相交わって、はじめていわゆる認識がある。
然則人亦物也,聖亦人也。有一物之物,有十物之物,有百物之物,有千物之物,有萬物之物,有億物之物,有兆物之物。為兆物之物,豈非人乎?有一人之人,有十人之人,有百人之人,有千人之人,有萬人之人,有億人之人,有兆人之人。為兆人之人,豈非聖乎?
このように言えば、人もまた物の一種であり、聖人もまた人の一種である。物のうちには、ただ一物に抵る物があり、十物に抵る物があり、百物・千物・万物・億物・兆物に抵る物がある。兆物に抵り得るあの一種の物は、いわば人ではないか。人のうちでも同様に、ただ一人に抵る人があり、十人・百人・千人・万人・億人・兆人に抵る人がある。兆人に抵り得るあの一種の人は、いわば聖人ではないか。邵雍が一・十・百・千・万・億・兆の七級をもって物と人を衡量するのは、同じく物・同じく人でありながら、その分量が億兆の数ほどに相違し得ることを説明するためである。人は物の中で最高の一級に居り、聖は人の中で最高の一級に居る。
是知人也者,物之至者也;聖也者,人之至者也。物之至者,始得謂之物之物也;人之至者,始得謂之人之人也。夫物之物者,至物之謂也;人之人者,至人之謂也。以一至物而當一至人,則非聖人而何?人謂之不聖,則吾不信也。何哉?謂其能以一心觀萬心,一身觀萬身,一物觀萬物,一世觀萬世者焉。又謂其能以心代天意,口代天言,手代天功,身代天事者焉。又謂其能以上識天時,下盡地理,中盡物情,通照人事者焉。又謂其能以彌綸天地,出入造化,進退古今,表裡人物者焉。
これより知るべし。人は物の中の登峰造極であり、聖人は人の中の登峰造極である。ただ物中の至極者のみが「物の物」と称するに足り、ただ人中の至極者のみが「人の人」と称するに足る。いわゆる物の物とは至極の物であり、いわゆる人の人とは至極の人である。一つの至極の物をもって一つの至極の人に充てれば、それは聖人でなくて何であろうか。もし人あってこのような人はなお聖とするに足らないと言うなら、私は信じない。なぜか。彼は一己の心をもって万人の心を看透し、一己の身をもって万人の身を看透し、一物をもって万物を看透し、一世をもって万世を看透する能くするからである。彼は己の心をもって天の意旨に代わって行い、己の口をもって天の言語に代わって宣べ、己の手をもって天の功業に代わって成し、己の身をもって天の事務に代わって任ずる能くするからである。彼は上には天時の運行を識り、下には地理の条貫を尽くし、中には万物の情状を尽くし、あわせて人間の事を一概に照察して余さないからである。また彼は天地を包挙し、造化のうちに出入し、古今の間に上下し、人と物の表裏を貫通せしめる能くするからでもある。
噫!聖人者,非世世而效聖焉,吾不得而目見之也。雖然吾不得而目見之,察其心,觀其跡,探其體,潛其用,雖億千萬年亦可以理知之也。人或告我曰:“天地之外,別有天地萬物,異乎此天地萬物。”則吾不得而知之也。非惟吾不得而知之也,聖人亦不得而知之也。凡言知者,謂其心得而知之也;言言者,謂其口得而言之也。既心尚不得而知之,口又惡得而言之乎?以心不可得知而知之,是謂妄知也;以口不可得言而言之,是謂妄言也。吾又安能從妄人而行妄知妄言者乎?
ああ。聖人は代々にあるものではなく、私は親しく見る機会がなかった。親しく見ることは得られなくても、ただその用心を考察し、その行跡を観察し、その本体を探究し、その功用を体味すれば、たとえ千万億年を隔てても、同じく道理を憑って彼を推知することができる。もし人あって私に言わく「この天地の外に、別に一重の天地万物があり、眼前の天地万物と截然として異なる」と。それは私の知る由もないところである。ただ私が知る由なきのみならず、聖人もまた知る由がない。およそ「知」と言うは、心が領会する能くすることを指す。およそ「言」と言うは、口が説き出す能くすることを指す。心すなわち領会する由がなければ、口はまたどうして説き出すことができようか。心がもともと知り得ない事をもって偏に知ると言うを、これを「妄知」と言う。口がもともと説き清め得ない事をもって偏に説かんとするを、これを「妄言」と言う。私はまたどうしてこのような荒誕の人に従って妄知妄言の事をなさんか。
観物篇五十三
《易》曰:“窮理盡性以至於命。”所以謂之理者,物之理也。所以謂之性者,天之性也。所以謂之命者,處理性者也。所以能處理性者,非道而何?是知道為天地之本,天地為萬物之本。以天地觀萬物,則萬物為萬物;以道觀天地,則天地亦為萬物。道之道盡之於天矣,天之道盡之於地矣,天地之道盡之於萬物矣,天地萬物之道盡之於人矣。人能知其天地萬物之道所以盡於人者,然後能盡民也。
《周易・説卦伝》に言う。「物理を窮め、本性を尽くし、天命に至るまで推す」と。ここに言う「理」は万物の理であり、言う「性」は上天の賦与する本性であり、言う「命」は理と性を安置するあの根拠である。理と性を安置する能くするものは、「道」をおいて他に何があろうか。これより知るべし。道は天地の根本であり、天地は万物の根本である。天地の立場に立って万物を見れば、万物はただ万物である。しかし道の立場に立って天地を見れば、天地もまた万物の中の一員に過ぎない。道の道理は天において最も完全に体現され、天の道理は地において最も完全に体現され、天地の道理は万物において最も完全に体現され、天地万物の道理は人において最も完全に体現される。人もし天地万物の道がなぜ独り人の身において完全な体現を得るかを明らかにし得て、然る後に百姓の事を料理し尽くすと言うに足る。
天之能盡物,則謂之曰昊天;人之能盡民,則謂之曰聖人。謂昊天能異乎萬物,則非所以謂之昊天也;謂聖人能異乎萬民,則非所以謂之聖人也。萬民與萬物同,則聖人固不異乎昊天者矣。然則聖人與昊天為一道。聖人與昊天為一道,則萬民與萬物亦可以為一道。一世之萬民與一世之萬物既可以為一道,則萬世之萬民與萬世之萬物,亦可以為一道也,明矣。
上天は万物を照料し尽くす能くす。ゆえにこれを「昊天」と称す。聖人は百姓を照料し尽くす能くす。ゆえにこれを「聖人」と称す。もし昊天と万物は二つの事と言わば、則ち昊天と叫ぶに足らない。もし聖人と万民は二つの事と言わば、則ち聖人と叫ぶに足らない。万民と万物はすでに同類に属し、聖人は自ずから昊天と異なることなし。このようであれば、聖人と昊天は同じ一条の道を行くのである。聖人と昊天がすでに同じ一条の道であれば、万民と万物もまた同じ一条の道と見做し得る。一つの時代の万民と一つの時代の万物がすでに同じ一条の道と見做し得れば、万世の万民と万世の万物が同じく一道たることも、明白に疑いない。
夫昊天之盡物,聖人之盡民,皆有四府焉。昊天之四府者,春夏秋冬之謂也,陰陽升降於其間矣;聖人之四府者,《易》、《書》、《詩》、《春秋》之謂也,禮樂汙隆於其間矣。春為生物之府,夏為長物之府,秋為收物之府,冬為藏物之府。號物之庶謂之萬,雖曰萬之又萬,其庶能出此昊天之四府者乎?《易》為生民之府,《書》為長民之府,《詩》為收民之府,《春秋》為藏民之府。號民之庶謂之萬,雖曰萬之又萬,其庶能出此聖人之四府者乎?昊天之四府者,時也;聖人之四府者,經也。昊天以時授人,聖人以經法天,天人之事當如何哉?
昊天が万物を照料し、聖人が万民を照料するに、各々四座の「府庫」がある。昊天の四府はすなわち春・夏・秋・冬で、陰陽の二気がその中に昇降往来する。聖人の四府はすなわち《易》《書》《詩》《春秋》で、礼楽がその中に或いは衰え或いは盛んである。春は生物の府庫、夏は長物の府庫、秋は収物の府庫、冬は蔵物の府庫である。世人が物類の多きを形容してこれを「万」と称すが、しかしたとえ万にまた万を重ねても、いわば昊天のこの四座の府庫を跑出することができようか。《易》は生民の府庫、《書》は長民の府庫、《詩》は収民の府庫、《春秋》は蔵民の府庫である。世人が民衆の多きを形容してもまたこれを「万」と称すが、しかしたとえ万にまた万を重ねても、いわば聖人のこの四座の府庫を跑出することができようか。昊天の四府は「時」で、聖人の四府は「経」である。昊天は四時をもって節候を人に授け、聖人は四経をもって往って上天に取法する。天と人の間の事は、これ以外にまたどうあろうか。
観物篇五十四
觀春則知《易》之所存乎?觀夏則知《書》之所存乎?觀秋則知《詩》之所存乎?觀冬則知《春秋》之所存乎?
春を見れば、《易》の安んずる所が何かを明らかにすべきではないか。夏を見れば、《書》の安んずる所が何かを明らかにすべきではないか。秋を見れば、《詩》の安んずる所が何かを明らかにすべきではないか。冬を見れば、《春秋》の安んずる所が何かを明らかにすべきではないか。前の篇がすでに春夏秋冬を《易》《書》《詩》《春秋》に配したので、ここでは便ち反対に言う。四時の生・長・収・蔵は、まさに四部の経書の用意の在る所である。
《易》之《易》者,生生之謂也;《易》之書者,生長之謂也;《易》之《詩》者,生收之謂也;《易》之《春秋》者,生藏之謂也。《書》之《易》者,長生之謂也;《書》之《書》者,長長之謂也;《書》之《詩》者,長收之謂也;《書》之《春秋》者,長藏之謂也。《詩》之《易》者,收生之謂也;《詩》之《書》者,收長之謂也;《詩》之《詩》者,收收之謂也;《詩》之《春秋》者,收藏之謂也。《春秋》之《易》者,藏生之謂也;《春秋》之《書》者,藏長之謂也;《春秋》之《詩》者,藏收之謂也;《春秋》之《春秋》者,藏藏之謂也。
《易》中の《易》は「生中の生」を説き、《易》中の《書》は「生中の長」を説き、《易》中の《詩》は「生中の収」を説き、《易》中の《春秋》は「生中の蔵」を説く。《書》中の《易》は「長中の生」を説き、《書》中の《書》は「長中の長」、《書》中の《詩》は「長中の収」、《書》中の《春秋》は「長中の蔵」である。《詩》中の《易》は「収中の生」、《詩》中の《書》は「収中の長」、《詩》中の《詩》は「収中の収」、《詩》中の《春秋》は「収中の蔵」である。《春秋》中の《易》は「蔵中の生」、《春秋》中の《書》は「蔵中の長」、《春秋》中の《詩》は「蔵中の収」、《春秋》中の《春秋》は「蔵中の蔵」である。四経が各々四義を含み、四四相乗して十六を得る。邵雍はこれをもって四部の経書を交織して一張の方陣と成し、前の日月星辰に水火土石を配した算法と同じ路数である。この段の第二句は底本では「《易》之書者」と作り、「書」字に書名号を加えていないが、今はその旧に仍る。
生生者,修夫意者也;生長者,修夫言者也;生收者,修夫象者也;生藏者,修夫數者也。長生者,修夫仁者也;長長者,修夫禮者也;長收者,修夫義者也;長藏者,修夫智者也。收生者,修夫性者也;收長者,修夫情者也;收收者,修夫形者也;收藏者,修夫體者也。藏生者,修夫聖者也;藏長者,修夫賢者也;藏收者,修夫才者也;藏藏者,修夫術者也。
「生中の生」が修する所は「意」であり、「生中の長」が修する所は「言」であり、「生中の収」が修する所は「象」であり、「生中の蔵」が修する所は「数」である。「長中の生」が修する所は「仁」、「長中の長」が修する所は「礼」、「長中の収」が修する所は「義」、「長中の蔵」が修する所は「智」である。「収中の生」が修する所は「性」、「収中の長」が修する所は「情」、「収中の収」が修する所は「形」、「収中の蔵」が修する所は「体」である。「蔵中の生」が修する所は「聖」、「蔵中の長」が修する所は「賢」、「蔵中の収」が修する所は「才」、「蔵中の蔵」が修する所は「術」である。上一段の十六格はここに至って各々一つの綱目に配される。意・言・象・数は《易》に属し、仁・礼・義・智は《書》に属し、性・情・形・体は《詩》に属し、聖・賢・才・術は《春秋》に属する。
修夫意者,三皇之謂也;修夫言者,五帝之謂也;修夫象者,三王之謂也;修夫數者,五伯之謂也。修夫仁者,有虞之謂也;修夫禮者,有夏之謂也;修夫義者,有商之謂也;修夫智者,有周之謂也。修夫性者,文王之謂也;修夫情者,武王之謂也;修夫形者,周公之謂也;修夫體者,召公之謂也;修夫聖者,秦穆之謂也;修夫賢者,晉文之謂也;修夫才者,齊桓之謂也;修夫術者,楚莊之謂也。
「意」を修するは、三皇を指す。「言」を修するは、五帝を指す。「象」を修するは、三王を指す。「数」を修するは、春秋の五覇を指す。「仁」を修するは、虞舜の世を指す。「礼」を修するは、夏代を指す。「義」を修するは、商代を指す。「智」を修するは、周代を指す。「性」を修するは、周文王を指す。「情」を修するは、周武王を指す。「形」を修するは、周公旦を指す。「体」を修するは、召公奭を指す。「聖」を修するは、秦穆公を指す。「賢」を修するは、晋文公を指す。「才」を修するは、斉桓公を指す。「術」を修するは、楚荘王を指す。邵雍は上一段の十六の綱目を一つずつ具体の朝代と人物の身の上に落とし、歴史もここにおいて彼のあの四乗四の方格のうちに編み込まれた。
皇、帝、王、伯者,《易》之體也;虞、夏、商、周者,《書》之體也;文、武、周、召者,《詩》之體也;秦、晉、齊、楚者,《春秋》之體也。意、言、象、數者,《易》之用也;仁、義、禮、智者,《書》之用也;性、情、形、體者,《詩》之用也;聖、賢、才、術者,《春秋》之用也。用也者,心也。體也者,跡也。心跡之間,有權存焉者,聖人之事也。
皇・帝・王・覇のこの四等は、《易》の「体」である。虞・夏・商・周のこの四代は、《書》の体である。文王・武王・周公・召公のこの四人は、《詩》の体である。秦・晋・斉・楚のこの四国は、《春秋》の体である。意・言・象・数は《易》の「用」である。仁・義・礼・智は《書》の用である。性・情・形・体は《詩》の用である。聖・賢・才・術は《春秋》の用である。いわゆる用とは心を指し、いわゆる体とは跡を指す。そして心と跡の間にさらに一つの「権」がある——時に因り宜しきを制し、事に随いて斟酌する。それこそ聖人の分内の事である。
三皇同意而異化,五帝同言而異教,三王同象而異勸,五伯同數而異率。同意而異化者,必以道。以道化民者,民亦以道歸之,故尚自然。夫自然者,無為無有之謂也。無為者,非不謂也,不固為者也,故能廣;無有者,非不有也,不固有者也,故能大。廣大悉備而不固為固有者,其惟三皇乎?是故知能以道化天下者,天下亦以道歸焉。所以聖人有言曰:“我無為而民自化,我無事而民自富,我好靜而民自正,我無慾而民自樸。”其斯之謂歟?
三皇は「意」の上において相同じくして各々の教化は同じからず、五帝は「言」の上において相同じくして各々の教導は同じからず、三王は「象」の上において相同じくして各々の勧勉は同じからず、五覇は「数」の上において相同じくして各々の統率は同じからない。いわゆる意を同じくして化を異にするは、必ず「道」に憑る。道をもって百姓を化育すれば、百姓もまた道をもって彼に帰附する。ゆえに三皇の世は自然を崇ぶ。いわゆる自然とは「無為」「無有」である。無為は何も為さないことではなく、固執して為さないことである。ゆえに広くなる能くす。無有は何も有しないことではなく、固執して占有しないことである。ゆえに宏大なる能くす。広く宏大にして様様具わりながら、固執して為さず固執して占有せざるは、おそらく三皇のみが為し得るところか。これより知るべし。道をもって天下を化育する能くする者には、天下もまた道をもって彼に帰附する。ゆえに《老子》第五十七章に言う。「我妄りに作為せずして百姓自然に帰化し、我事を生じて民を擾らさずして百姓自然に富み、我清浄を好みて百姓自然に正しく、我貪欲なくして百姓自然に淳し」と。説く所はまさにこの道理であろう。別に按ずるに、「無為者、非不謂也」の「謂」字は底本このようで、「為」字の誤りであるべきだが、今はその旧を存す。
三皇同仁而異化,五帝同禮而異教,三王同義而異勸,五伯同智而異率。同禮而異教者,必以德。以德教民者,民亦以德歸之,故尚讓。夫讓也者,先人後己之謂也。以天下授人而不為輕,若素無之也。受人之天下而不為重,若素有之也。若素無素有者,謂不己無己有之也。若己無已有,則舉一毛以取與於人,猶有貪吝之心生焉,而況天下者乎?能知其天下之天下,非己之天下者,其惟五帝乎?是故知能以德教天下者,天下亦以德歸焉。所以聖人有言曰:“垂衣裳而天下治。”蓋取諸乾坤,其斯之謂歟?
三皇は「仁」の上において相同じくして教化は各々異なり、五帝は「礼」の上において相同じくして教導は各々異なり、三王は「義」の上において相同じくして勧勉は各々異なり、五覇は「智」の上において相同じくして統率は各々異なる。いわゆる礼を同じくして教を異にするは、必ず「徳」に憑る。徳をもって百姓を教導すれば、百姓もまた徳をもって彼に帰附する。ゆえに五帝の世は謙譲を崇ぶ。いわゆる譲とは、人に先んじ己に後るることである。全天下を人に交えても軽く捨てたとは覚えず、あたかも己がもともとかつて有したことがないが如し。人の交え来る天下を接け取っても重き負担とは覚えず、あたかも己がもともとすでに有したが如し。いわゆる「本来かつて有さず、本来すでに有す」とは、「無」と「有」を己の身に繋がないことを言う。もし心に「我は有さず」「我は有す」の念を存せば、則ち一本の毫毛をもって人と往来するも、貪吝の心を生ずるであろう。いわんや全天下をや。天下は天下人の天下であって自己一人の天下ではないと明らかにし得るは、おそらく五帝のみか。これより知るべし。徳をもって天下を教導する能くする者には、天下もまた徳をもって彼に帰附する。ゆえに《周易・繫辞下》に言う。「衣を垂れ手を拱して天下大いに治まる」と。あれは乾・坤の両卦に取法した意で、説く所はまさにこの道理であろう。
三皇同性而異化,五帝同情而異教,三王同形而異勸,五伯同體而異率。同形而異勸者,必以功。以功勸民者,民亦以功歸之,故尚政。夫政也者,正也,以正正夫不正之謂也。天下之正,莫如利民焉;天下之不正,莫如害民焉。能利民者正,則謂之曰王矣;能害民者不正,則謂之曰賊矣。以利除害,安有去王耶?以王去賊,安有弒君耶?是故知王者正也,能以功正天下之不正者,天下亦以功歸焉。所以聖人有言曰:“天地革而四時成。湯武革命,順乎天而應乎人。”其斯之謂歟?
三皇は「性」の上において相同じくして教化は各々異なり、五帝は「情」の上において相同じくして教導は各々異なり、三王は「形」の上において相同じくして勧勉は各々異なり、五覇は「体」の上において相同じくして統率は各々異なる。いわゆる形を同じくして勧を異にするは、必ず「功」に憑る。功業をもって百姓を勧勉すれば、百姓もまた功業をもって彼に帰附する。ゆえに三王の世は政事を崇ぶ。いわゆる政とは「正」であり、端正をもって端正ならざるを糾正する。天下の最も端正なる事は、百姓に利せしめるに若くはない。天下の最も不端正なる事は、百姓に害するに若くはない。百姓に利せしめる能くすれば則ち正で、このような人をこれを王と称す。百姓に害すれば則ち不正で、このような人をこれを賊と称す。有利なるをもって有害なるを除き去るを、どうして王を除くと言うに足らん。王をもって賊を除き去るを、どうして君を弑すると言うに足らん。これより知るべし。王はすなわち正である。功業を憑って天下の不正を糾正する能くする者には、天下もまた功業をもって彼に帰附する。ゆえに《周易・革卦》の彖伝に言う。「天地は更革して四時形成す。商湯・周武は天命を変革し、上は天意に順い下は人心に応ず」と。説く所はまさにこの道理であろう。
三皇同聖而異化,五帝同賢而異教,三王同才而異勸,五伯同術而異率。同術而異率者,必以力。以力率民者,民亦以力歸之,故尚爭。夫爭也者,爭夫利者也。取以利不以義,然後謂之爭。小爭交以言,大爭交以兵,爭夫強弱者也。猶借夫名焉者,謂之曲直;名也者,命物正事之稱也;利也者,養人成務之具也。名不以仁,無以守業;利不以義,無以居功。利不以功居,名不以業守,則亂矣,民所以必爭之也。
三皇は「聖」の上において相同じくして教化は各々異なり、五帝は「賢」の上において相同じくして教導は各々異なり、三王は「才」の上において相同じくして勧勉は各々異なり、五覇は「術」の上において相同じくして統率は各々異なる。いわゆる術を同じくして率を異にするは、必ず「力」に憑る。武力をもって百姓を統率すれば、百姓もまた武力をもって彼に帰附する。ゆえに覇者の世は争奪を崇ぶ。いわゆる争とは、争う所は利である。物を取るにただ利を講じて義を講ぜず、これを争と叫ぶ。小さき争いは彼此に言語をもって交鋒し、大きき争いは彼此に兵刃をもって交鋒し、争う所は誰が強く誰が弱いかである。争闘のうちにさらに一つの名義を借りる。それがいわゆる曲直である。「名」は事物に称呼を定め、事情を正しく置く称谓であり、「利」は人を養い事業を成す憑藉である。名もし仁を本とせざれば、基業を守る能わず。利もし義を本とせざれば、功労を担う能わず。利が功労に憑らずして据えられ、名が基業に憑らずして保守せられれば、天下は乱れ、百姓もまたこれに因り争わざるを得ない。
五伯者,借虛名以爭實利者也。帝不足則王,王不足則伯,伯又不足則左衽矣。然則五伯不謂無功於中國,語其王則未也,過左衽則遠矣。周之東遷,文武之功德於是乎盡矣,猶能維持二十四君,王室不絕如線,秦楚不敢屠害中原者,由五伯借名之力也。是故知能以力率天下者,天下亦以力歸焉。所以聖人有言曰:“眇能視,跛能履。履虎尾,咥人凶。武人為于大君。”其斯之謂歟?
五覇とはすなわち虚名を借りて実利を争う人である。帝を為す分量足らずして退いて王を為し、王を為す分量足らずして退いて覇を為し、覇を為す分量さらに足らざれば、中原は髪を被り衽を左にする夷狄の地に淪落せんとする。このように言えば、五覇の中原に対しては功労なしとは言えない。彼らが王道に足ると講ずるには、なお一層を欠くが、左衽に淪るに比べれば、畢竟相去ること遠い。周室が東に遷って以後、文王武王の功徳はここに至ってすでに尽きたが、それでもなお二十四代の君主を維持し得て、王室は衰えながら未だ絶えず、秦・楚は公然と中原を屠戮することを敢えてしなかった。憑る所はまさに五覇が名号を借りて生じたあの一点の力である。これより知るべし。武力を憑って天下を統率する能くする者には、天下もまた武力をもって彼に帰附する。ゆえに《周易・履卦》六三の爻辞に言う。「目半ば盲んで強いて見る能くし、腿脚跛えて強いて歩く能くす。老虎の尾を履みて、虎に咬まるる、凶。これは勇武の人が大君のために事を為す様なり」と。説く所はまさに五覇のこのような情形であろう。
夫意也者,盡物之性也;言也者,盡物之情也;象也者,盡物之形也;數也者,盡物之體也。仁也者,盡人之聖也;禮也者,盡人之賢也;義也者,盡人之才也;智也者,盡人之術也。盡物之性者謂之道,盡物之情者謂之德,盡物之形者謂之功,盡物之體者謂之力。盡人之聖者謂之化,盡人之賢者謂之教,盡人之才者謂之勸,盡人之術者謂之率。道德功力者,存乎體者也;化教勸率者,存乎用者也。體用之間有變存焉者,聖人之業也。
いわゆる「意」とは、物の性を窮め尽くすこと。いわゆる「言」とは、物の情を窮め尽くすこと。いわゆる「象」とは、物の形を窮め尽くすこと。いわゆる「数」とは、物の体を窮め尽くすこと。いわゆる「仁」とは、人の身上の聖を窮め尽くすこと。いわゆる「礼」とは、人の身上の賢を窮め尽くすこと。いわゆる「義」とは、人の身上の才を窮め尽くすこと。いわゆる「智」とは、人の身上の術を窮め尽くすこと。物の性を窮め尽くすを「道」と言い、物の情を窮め尽くすを「徳」と言い、物の形を窮め尽くすを「功」と言い、物の体を窮め尽くすを「力」と言う。人の聖を窮め尽くすを「化」と言い、人の賢を窮め尽くすを「教」と言い、人の才を窮め尽くすを「勧」と言い、人の術を窮め尽くすを「率」と言う。道・徳・功・力は「体」の側に属し、化・教・勧・率は「用」の側に属する。そして体と用の間になお一つの「変」を存する。それが聖人の事業である。
夫變也者,昊天生萬物之謂也;權也者,聖人生萬民之謂也。非生物,非生民,而得謂之權變乎?
いわゆる「変」とは、昊天が万物を化生することを指す。いわゆる「権」とは、聖人が万民を養育することを指す。もし万物を化生する能わず、また万民を養育する能わざれば、なお権変と称するに足らんや。上文は体用の間に「変」あり、心跡の間に「権」ありと言い、ここでは便ち点明する。変と権はいずれも事に臨んで巧みを取る機変ではなく、造化と治化の生々して息まざる能力である。
