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観物篇六十一

宋 · 邵雍 · 第39巻 / 39

作盤ガイド: 大衍筮法, 六爻納甲の立卦

金須百鍊然後精,人亦如此。今有人登兩臺,兩臺皆等,則不見其高。一臺高,然後知其卑下者也。室中造車,天下可行,軌轍合故也。苟順義理,合人情,日月所照皆可行也。所行之路不可不寬,寬則少礙。能醫人能醫之疾,不得謂之良醫;醫人之所不能醫者,天下之良醫也。能處人所不能處之事,則能為人所不能為之事也。

金属は千錘百錬を経てはじめて純なり。人もまたこのようである。もし人ありて両座の台子に登れば、両座は一般に高く、則ち高低を分かち出す能わず。必ず一座ありて更に高ければ、はじめて別の一座の低きを知る。屋子のうちに車を造り、造り成して後に天下は皆通行する能くす。車轍の寛窄が通用の規矩に合乎するがゆえである。同じく、ただ義理に順い人情に合せば、およそ日月の照り到る地方は皆行き通る能くす。人の走る所の路は寛からざる可からず。路寛ければ則ち阻礙は則ち少なし。能く別人の治し得る病を治するは、良医と算すに足らず。能く別人の治し得ざる病を治するは、こそ天下の良医なれ。同じく、能く別人の処置し得ざる事を処置せば、必定に別人の為し成さざる事を為し成す能くす。

良藥不可以離手,善言不可以離口。大羹可和,元酒可漓,則是造化亦可和可漓也。自然而然者,天也,唯聖人能索之。效法者,人也。若時行時止,雖人也,亦天也。人謀,人也;鬼謀,天也。天人同謀而皆可,則事成而吉也。事無鉅細,皆有天人之理。修身,人也;遇不遇,天也。得失不動心,所以順天也;行險僥倖,是逆天也。求之者,人也;得之與否,天也。得失不動心,所以順天也。強取必得,是逆天理也。逆天理者,患禍必至。

好薬は手を離るべからず、好話は口を離るべからず。祭祀の用うる所の大羹は本は調料を加えざる肉汁で、元酒は本は別物を摻まざる清水である。もし大羹はなお調味する可し元酒はなお淡に兌する可しと説かば、則ち造化もまた人に任せて調兌せしめんと説くに等し。自然にして然るあの一層は天に属し、ただ聖人のみが探求し得べし。様子に照らして往って效法するあの一層は人に属す。行すべきに則ち行い止まるべきに則ち止まるに至っては、看去は人の為す所にして、実はもまた天である。人の自己の謀画は人に属し、卜筮して神に問う謀画は天に属す。天と人の両辺の謀算し下るに皆行う可しと説けば、事情は弁じ起きて成功して吉利なり。事情は大小を論ぜず、裏面に皆天と人の両重の道理を含む。自身を修養するは人のこの一辺の事で、遇う遇わざる機会は天のあの一辺の事である。得るも好し失するも好し皆心を動かさず。これがすなわち順天。鋌りて険を走りて僥幸を博する。これがすなわち逆天。往って求取するは人のこの一辺の事で、求めて得る得ざるは天のあの一辺の事である。得失は心を動かさず。ゆえに順天と叫ぶ。是非に硬に奪い来る可からざれば、あれは則ち天理に違逆し、而も天理に違逆する人は、禍患は一定に門に尋ね上る。

天之孽十之一猶可違,人之孽十之九不可逭。天道之變,王道之權也。為治之道,必通其變,不可以膠柱,猶春之時不可行冬之令也。用兵之道,必待人民富,倉廩實,府庫充,兵強名正,天時順,地利得,然後可舉。天時、地理、人事三者,知之不易。學以人事為大。今之經典,古之人事也。學不際天人,不足以謂之學;學不至於樂,不可謂之學。記問之學,未足以為事業。凡人為學,失於自主張太過。學在不止,故王通云“沒身而已”。

《尚書・太甲》は「天の孽を作すは、猶ほ違うべし。自ら孽を作すは、逭るべからず」と説く。上天の降し下す災殃は、十分のうちになお一分の躲け開くべきあり。人の自ら造り下す禍殃は、十分のうちに九分の逃げ掉る能わざるあり。天道の変化は、王道の上の権変に相当す。天下を治理する弁法は、必ず時に随って変通するを懂得するを要し、琴柱に膠死したるが如く死守して一個の調子と為す可からず——まさに春天は冬天の政令を推行する能わざるが如し。兵を用いる弁法は、必ず百姓の富足・糧倉の充実・府庫の充盈・軍力の強盛・名義の正当・天時の順遂・地利の我に在るを待って、然る後にこそ発動する可し。天時・地理・人事のこの三様は、真に懂るは容易ならず。而も学問を為すは人事の一項をもって最も緊要と為し、今天の読む所の経典は、まさに古人の人事記録である。学問もし天と人に貫通する能わざれば、則ち学問と算すに足らず。学問もし快楽の地步に達する能わざれば、もまた学問と算すに足らず。ただ死記硬背に靠りて、人に問答を供する学問は、一番の事業を撑え起くる能わず。一般人の学問を為すの通病は、自ら主張を作すこと太だ過ぐるに在る。学問を為すは永く停止せざるに貴し。ゆえに王通は「身を没するのみ」と説くを要す——死に至って方に休む。

附録

皇極経世機要図(宋・張行成《皇極経世索隠》より選ぶ)

右總元會、運、世之數,《易》所謂“天地之數”也。日為元,一甲主一元。月為會,自子至亥,分十二會。星為運,自甲至癸,凡三周,得三十運為一會。十二會,則自甲至癸,三十六周,得三百六十運而為一元。辰為世,自子至亥一周,得十二世為一運。三十周三百六十世為一會,三百六十周四千三百二十世為一元,三十年為一世,則一運得三百六十年,一會得一萬八百年,一元得一十二萬九千六百年。

上面のこの幅の図は元・会・運・世の数目を総括し、すなわち《周易・繋辞伝》の説く所の「天地之数」である。邵雍は天上の四象を取って人間の四種の時間単位に配す。太陽は「元」に配し、一個の甲子が一元を主管す。月亮は「会」に配し、子より亥に至って十二会に分かつ——月亮が一年に太陽と交会する十二次に因りて、ゆえに十二のこの数を用いる。星は「運」に配し、甲より癸に至って一周を算え、三周は共に三十運で一会を合成す。十二会は各々甲より癸に走り、共に三十六周で、三百六十運を得て一元と成る。辰は「世」に配し、子より亥に転じて一周して、十二世を得て一運と為し、三十周を転じて共に三百六十世を得て一会と為し、三百六十周を転じて共に四千三百二十世を得て一元と為す。三十年をもって一世と為して折算すれば、一運は便ち三百六十年、一会は便ち一万零八百年、一元は便ち十二万九千六百年。

天地之數,體一用三。元之用至世,故以元經會。書至世,而止會之用至年,故以會經運。始書年運之用至月,而以運經世。不書月者,省文以藏用。於堯、舜、禹三書正月五代末,再書正月餘月,則間一書之以示義也。會之用,雖止於年,然會之比元,皆以月當年。故會經運之數於堯、舜、禹,亦三書正月,與運經世同,以示用起於寅也。

天地之数は、「体」が一份を占め「用」が三份を占む。「元」の作用は一直に「世」に貫く。ゆえに《以元経会》の一篇は元を用いて会を統攝し、記事はただ世までに写して止む。「会」の作用は一直に「年」に貫く。ゆえに《以会経運》の一篇は会を用いて運を統攝し、年に按じて記事を始む。「運」の作用は一直に「月」に貫く。ゆえに《以運経世》の一篇は運を用いて世を統攝す。月を逐いて記載せざる所以は、文字を省略してもって「用」を蔵めんとするためである。ただ唐堯・虞舜・夏禹の三処に「正月」を写し出し、五代の末にまた一度正月を写し出し、その余の月份は則ち一段を隔てて一回を写し、もって体例を提示するに用いる。会の作用はただ年までに至るのみと雖も、然れども会と元と比ぶれば、皆一個の月を取って一年に抵ると算う。ゆえに《以会経運》の数目もまた堯・舜・禹の三処に照様に正月を写し出し、《以運経世》と一致して、もって「用」は寅位より起算するを表明するに用いる。

以元經會,其數自冬至而起,至大雪末而終。總一元有十二會,三百六十運,四千三百二十世。一元在大化中,猶一年,會當月,運當日,世當時也。以會經運,其數自開物於寅之半而始,至閉物於戌之半而終,總八會,二百四十運,二千八百八十世,八萬六千四百年。自冬至日甲月子星甲辰子起,凡二會半,七十五運,九百世二萬七千年,而開物及閉物後有一會半,四十五運五百四十世,一萬六千二百年,而一元之數終矣。以運經世,其數始於月會巳之六星,運癸之百八十辰,世未之二千一百五十六甲辰年。堯即位,至五代周恭帝末,凡三千三百一十六年。

《以元経会》の一篇、その数は冬至より起算し、大雪の末尾に至って終止す。総計して一元は十二会・三百六十運・四千三百二十世を包含す。一元を整個の大化流行の中に放って看れば、則ち一年に相当す。会は月に相当し、運は日に相当し、世は時辰に相当す。《以会経運》の一篇、その数は万物の寅位の一半の処に開闢するより起き、万物の戌位の一半の処に閉蔵するに至って止む。総計して八会・二百四十運・二千八百八十世・八万六千四百年。冬至のあの一刻の日は甲に在り月は子に在り星は甲に在り辰は子に在るより起算し、両会半を経て則ち七十五運・九百世・両万七千年にして、はじめて開物に到る。而も閉物の後になお一会半すなわち四十五運・五百四十世・一万六千二百年ありて、一元の数はこそ走り完ると算す。《以運経世》の一篇、その数は月会の巳位の第六星・運の癸位の第一百八十辰・世の未位の第二千一百五十六年甲辰に起きる。唐堯の即位より算い起きて、五代の後周恭帝の末年に至り、共計して三千三百一十六年。

律呂声音機要図(宋・張行成《皇極経世索隠》より選ぶ)

右律呂聲音之數,《易》所謂“萬物之數”也。十聲者,十日也。一聲有十六聲者,日、月、星、辰互變一聲,各成四聲也。十二音者,十二辰也。一音有十六音者,水、火、土、石互變一音,各成四音也。十聲全數百六十者,陽剛之體數也。去其無聲者四十八,餘百一十二,則陽剛之用數也。十二音全數一百九十二者,陰柔之體數也。去其無音者四十,餘百五十二,則陰柔之用數也。以體數相唱和,則聲音各得三萬七百二十者,動植體數也。以用數相唱和,則聲音各得一萬七千二十四者,動植用數也。

上面のこの幅の図は律呂声音の数を排す。すなわち《周易・繋辞伝》の説く所の「万物之数」である。いわゆる「十声」とは、十天干に配する。一声がまた十六声に分かち出ずる所以は、日・月・星・辰の四者が互相に交変し、每一声は各々四声に化成し、四四相乗して便ち十六と成るがゆえである。いわゆる「十二音」とは、十二地支に配する。一音がまた十六音に分かち出ずる所以は、水・火・土・石の四者が互相に交変し、每一音は各々四音に化成し、同じく四四相乗して十六を得るがゆえである。十声の全数は一百六十で、すなわち十に十六を乗ず。これは陽剛の「体数」である。その中の位ありて声なき四十八を扣掉して、一百一十二を余す。すなわち陽剛の「用数」である。十二音の全数は一百九十二で、すなわち十二に十六を乗ず。これは陰柔の「体数」である。その中の位ありて音なき四十を扣掉して、一百五十二を余す。すなわち陰柔の「用数」である。両辺の体数を取って彼此に唱和して相乗ずれば、声と音は各々三万零七百二十を得る。これは動物植物の体数である。両辺の用数を取って彼此に唱和して相乗ずれば、声と音は各々一万七千零二十四を得る。これは動物植物の用数である。

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