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観物篇五十五

宋 · 邵雍 · 第35巻 / 39

作盤ガイド: 大衍筮法, 六爻納甲の立卦

善化天下者,止於盡道而已;善教天下者,止於盡德而已;善勸天下者,止於盡功而已;善率天下者,止於盡力而已。以道德功力為化者,乃謂之皇矣;以道德功力為教者,乃謂之帝矣;以道德功力為勸者,乃謂之王矣;以道德功力為率者,乃謂之伯矣。以化教勸率為道者,乃謂之《易》矣;以化教勸率為德者,乃謂之《書》矣;以化教勸率為功者,乃謂之《詩》矣;以化教勸率為力者,乃謂之《春秋》矣。此四者,天地始則始焉,天地終則終焉,終始隨乎天地者也。

天下を化育するに善き者は、「道」を尽くすに至って頭を極める。天下を教導するに善き者は、「徳」を尽くすに至って頭を極める。天下を勧勉するに善き者は、「功」を尽くすに至って頭を極める。天下を統率するに善き者は、「力」を尽くすに至って頭を極める。道・徳・功・力をもって化育に用いるを、便ち皇と称す。教導に用いるを、便ち帝と称す。勧勉に用いるを、便ち王と称す。統率に用いるを、便ち覇と称す。反対に、化・教・勧・率を帰結して道と為すは、《易》と成る。帰結して徳と為すは、《書》と成る。帰結して功と為すは、《詩》と成る。帰結して力と為すは、《春秋》と成る。皇帝王覇のこの四等とこの四部の経書は、天地が始まればそれらも始まり、天地が終結すればそれらも終結し、終始ともに天地に随って行く。

夫古今者,在天地之間猶旦暮也。以今觀今,則謂之今矣;以後觀今,則今亦謂之古矣;以今觀古,則謂之古矣;以古自觀,則古亦謂之今矣。是知古亦未必為古,今亦未必為今,皆自我而觀之也。安知千古之前,萬古之後,其人不自我而觀之也。

いわゆる古と今とは、天地の間に置かれて、ただ一日のうちの早朝と晩夕の如きに過ぎない。今日に立って今日を見れば、それは自ずから「今」と叫ぶ。後世に立って今日を見れば、今日もまた「古」と成る。今日に立って従前を見れば、あれを「古」と叫ぶ。しかし古人に自らその時代を見せれば、古も同じく「今」である。これより知るべし。古は必ずしも真に古ではなく、今は必ずしも真に今ではなく、全ては誰の位置から見るかによる。またどうして知らん、千古の前の人、万古の後の人も、各々彼らの位置に立ってこのように見ていることを。

若然,則皇帝王伯者,聖人之時也;《易》、《書》、《詩》、《春秋》者,聖人之經也。時有消長,經有因革。時有消長,否泰盡之矣;經有因革,損益盡之矣。否泰盡而體用分,損益盡而心跡判。體與用分,心與跡判,聖人之事業於是乎備矣。

このようであれば、皇・帝・王・覇は聖人の処した「時」であり、《易》《書》《詩》《春秋》は聖人の立てた「経」である。時には消退と増長があり、経には因襲と変革がある。時の消長は、《否》《泰》の両卦をもって説き尽くされる。経の因革は、《損》《益》の両卦をもって説き尽くされる。否泰が説き尽くされれば、体と用は分かれて清くなり、損益が説き尽くされれば、心と跡は判じて明らかになる。体用が一分かれ、心跡が一明らかになれば、聖人の事業もまた完備する。

所以自古當世之君天下者,其命有四焉:一曰正命,二曰受命,三曰改命,四曰攝命。正命者,因而因者也;受命者,因而革者也;改命者,革而因者也;攝命者,革而革者也。因而因者,長而長者也;因而革者,長而消者也;革而因者,消而長者也;革而革者,消而消者也。革而革者,一世之事業也;革而因者,十世之事業也;因而革者,百世之事業也;因而因者,千世之事業也。可以因則因,可以革則革者,萬世之事業也。一世之事業者,非五伯之道而何?十世之事業者,非三王之道而何?百世之事業者,非五帝之道而何?千世之事業者,非三皇之道而何?萬世之事業者,非仲尼之道而何?是知皇帝王伯者,命世之謂也。仲尼者,不世之謂也。

ゆえに古来自り天下に君臨した人々の、命を受けた方式には四種ある。一に正命、二に受命、三に改命、四に摂命である。正命とは、すでに因襲しかつまた因襲すること。受命とは、まず因襲して後に変革すること。改命とは、まず変革して後に因襲すること。摂命とは、すでに変革しかつまた変革すること。すでに因りかつ因るは、長かつまた長なるもの。因りて後に革するは、先に長して後に消するもの。革して後に因るは、先に消して後に長するもの。すでに革しかつ革するは、消かつまた消するもの。すでに革しかつ革するは、ただ一世の事業を成す。革して後に因るは、十世の事業を成す。因りて後に革するは、百世の事業を成す。すでに因りかつ因るは、千世の事業を成す。因襲すべき時に因襲し、変革すべき時に変革するに至っては、それこそ万世の事業である。一世の事業とは、五覇の道ではないか。十世の事業とは、三王の道ではないか。百世の事業とは、五帝の道ではないか。千世の事業とは、三皇の道ではないか。万世の事業とは、孔子の道ではないか。これより知るべし。皇・帝・王・覇はいずれも一時の命に応じて生まれた人物に過ぎない。孔子は、ある一世に限られない人である。

仲尼曰:“殷因於夏禮,所損益可知也;周因於殷禮,所損益可知也;其或繼周者,雖百世可知也。”如是,則何止於百世而已哉?億千萬世皆可得而知之也。

孔子は《論語・為政》のうちで言う。「殷代は夏代の礼制に因襲し、そのうち何を減じ何を増したかは、考知し得る。周代は殷代の礼制に因襲し、そのうち何を減じ何を増したかも、考知し得る。将来もし周に継いで起こる朝代あらば、たとえ百代を過ぎても、同じくあらかじめ知ることができる」と。この道理に照らして推し下れば、何ぞ百代のみならん。億万千代でも、同じく推知することができる。

人皆知仲尼之為仲尼,不知仲尼之所以為仲尼。不欲知仲尼之所以為仲尼則已,如其必欲知仲尼之所以為仲尼,則舍天地將奚之焉?人皆知天地之為天地,不知天地之所以為天地。不欲知天地之所以為天地則已,如其必欲知天地之所以為天地,則舍動靜將奚之焉?夫一動一靜者,天地之至妙者歟?夫一動一靜之間者,天地人之至妙至妙者歟?是故知仲尼之所以能盡三才之道者,謂其行無轍跡也。故有言曰:“予欲無言。”又曰:“天何言哉!四時行焉,百物生焉。”其斯之謂歟?

人は皆孔子が孔子であることを知るが、孔子が孔子と成った所以の縁を知らない。知ろうと思わなければそれで罷むが、もし必ず孔子がなぜ孔子と成ったかを知らんとするならば、天地を撇いてなおどこに答えを求めんか。人は皆天地が天地であることを知るが、天地が天地と成った所以の縁を知らない。知ろうと思わなければそれで罷むが、もし必ず天地がなぜ天地と成ったかを知らんとするならば、「動」「静」の二字を撇いてなおどこに答えを求めんか。一動一静、おそらく天地の間の最も精微なる道理か。そして一動一静の交接の処は、おそらく天・地・人の三者の中の精微にしてさらに精微なる所在か。これより知るべし。孔子が天・地・人の三才の道を窮め尽くし得た所以は、まさに彼が事を行うに痕跡を落とさなかったからである。ゆえに彼は言う。「私は何も言わないと思う」と。また言う。「上天は何を言ったか。四季は照らして運行し、百物は照らして生長する」と。二句とも《論語・陽貨》に見え、説く所はまさにこの意であろう。

観物篇五十六

孔子贊《易》自羲軒而下,序《書》自堯舜而下,刪《詩》自文武而下,修《春秋》自桓文而下。自羲軒而下,祖三皇也;自堯舜而下,宗五帝也;自文武而下,子三王也;自桓文而下,孫五伯也。祖三皇,尚賢也;宗五帝,亦尚賢也。三皇尚賢以道,五帝尚賢以德。子三王,尚親也;孫五伯,亦尚親也。三王尚親以功,五伯尚親以力。

孔子は《周易》のために伝を作るに、伏羲・軒轅から説き起こし、《尚書》を編次するに、堯・舜から説き起こし、《詩経》を删定するに、文王・武王から説き起こし、《春秋》を修撰するに、斉桓公・晋文公から説き起こした。伏羲軒轅から説き起こしたのは、三皇を先祖とするため。堯舜から説き起こしたのは、五帝を宗主とするため。文武から説き起こしたのは、三王を兒子とするため。桓文から説き起こしたのは、五覇を孫子とするため。三皇を祖とするは、賢徳を崇ぶこと。五帝を宗とするも、また賢徳を崇ぶこと——ただ三皇の尚賢は「道」に憑り、五帝の尚賢は「徳」に憑るのみ。三王を子とするは、親近を崇ぶこと。五覇を孫とするも、また親近を崇ぶこと——ただ三王の尚親は「功」に憑り、五覇の尚親は「力」に憑るのみ。

嗚呼!時之既往億萬千年,時之未來亦億萬千年。仲尼中間生而為人,何祖宗之寡而子孫之多耶?此所以重贊堯舜,至禹則曰:“禹,吾無間然矣。”仲尼後禹千五百餘年,今之後仲尼又千五百餘年。雖不敢比夫仲尼上贊堯舜禹,豈不敢比孟子上贊仲尼乎?人謂仲尼,惜乎無土。吾獨以為不然。匹夫以百畝為土,大夫以百里為土,諸侯以四境為土,天子以四海為土,仲尼以萬世為土。若然,則孟子言“自生民以來未有如夫子”,斯亦未為之過矣。

ああ。すでに過ぎ去った時間は億万千年あり、未だ到来していない時間もまた億万千年ある。孔子はちょうどその中間に生まれて一人の人となったが、なぜ彼の祖宗はあのように少なく、子孫はあのように多いのか。まさにこのため、彼は再び再び堯・舜を称賛し、大禹に講じてはさらに言う。「禹、私は彼に対して一点の毛病も摘出できない」と。孔子は大禹の後の一千五百余年に生まれ、今また孔子の後の一千五百余年にある。私は孔子のように上って堯・舜・禹を称賛することに比すことを敢えてしないが、いわば孟子のように上って孔子を称賛することに比すことをも敢えてしないであろうか。世人が孔子を言い起こすとき、いつも彼に一块の封土がなかったことを惋惜する。私は偏に然らずと認める。平民は百畝の田をもって封土とし、大夫は百里の地をもって封土とし、諸侯は四境をもって封土とし、天子は四海をもって封土とし、そして孔子は万世をもって封土とした。このように見れば、孟子の「人類ある以来、いまだ孔夫子に比する者なし」と言うも、算えて過分ではない。

夫人不能自富,必待天與其富,然後能富。人不能自貴,必待天與其貴,然後能貴。若然則富貴在天也,不在人也。有求而得之者,有求而不得者矣,是繫乎天者也。功德在人也,不在天也,可修而得之,不修則不得。是非繫乎天也,繫乎人者也。夫人之能求而得富貴者,求其可得者也;非其可得者,非所以能求之也。

人は自らによって富に変わる能わず、必ず上天が彼に富を与えて、はじめて富めるようになる。人は自らによって貴に変わる能わず、必ず上天が彼に貴を与えて、はじめて貴れるようになる。このように言えば、富と貴は天に在りて人に在らず。或る人は求めて得られ、或る人は求めて得られない。これが天に係るあの一部分である。功業と徳行は却って人に在りて天に在らず、肯んじて修めれば得られ、修めざれば得られない。これは天に係らずして人に係る。人が求めて富貴を得る能くする所以は、求める所がもともと可得の列に在るからである。もともと可得の列に在らざるは、根本より求める由がない。邵雍はここで「命」と「功」を截然として分かつ。一半を天に交え、一半を人に留める。これが彼の命を談ずる前提である。

昧者不知求而得之,則謂其己之能得也,故矜之。求而失之,則謂其人之不與也,故怨之。如知其己之所以能得,人之所以能與,則天下安有不知量之人耶?天下至富也,天子至貴也,豈可妄意求而得之也?雖曰天命,亦未始不由積功累行。聖君艱難以成之,庸君暴虐以壞之,是天歟?是人歟?是知人作之咎,固難逃已;天降之災,禳之奚益?積功累行,君子常分,非有求而然也。有求而然者,所謂利乎仁者也。君子安有餘事於其間哉?然而有幸有不幸者,始可以語命也已。

糊涂な人はこの層の道理を明らかにしない。求めて得られれば、則ちすべて己の本事と為して自ら誇り、求めて落空すれば、則ち他人の肯んじて成全しないと為して怨嗟する。もし自己が何に憑って得られるか、他人が何に憑って肯んじて給与するかを懂得せば、天下にどうして自ら量らざる人あらんか。天下は最大の財富であり、天子は最高の尊位である。いわば一廂情願を憑って求めて得られるものであろうか。これを天命と言うと雖も、しかし一點一滴に功業徳行を積み累ねて得たものでもある。聖明の君主は艱難を歴尽してこれを建立し、昏庸の君主は暴虐をもってこれを毀壊する。これは天意と算すべきか、人事とすべきか。これより知るべし。人が自ら招いた禍咎は、もともと逃れ難い。上天の降す災殃は、往って禳解してまた何の用があろうか。功を積み徳を累ねるは君子の本分で、何かを求取するために往って為すのではない。もし何かを求取するためにこそ為すならば、則ち《周易・繫辞上》の言う「利仁」の一路に落ち入る。君子は本分の外にどうして別の事があろうか。同じく徳を修めて或る人は幸運、或る人は不幸運なるに至って、はじめて「命」を説くに足る。

夏禹以功有天下,夏桀以虐失天下;殷湯以功有天下,殷紂以虐失天下;周武以功有天下,周幽以虐失天下。三者雖時不同,其成敗之形一也。平王東遷,無功以復王業;赧王西走,無虐以喪王室,威令不逮一小國諸侯,仰存於五伯而已。此又奚足道哉!但時無真王者出焉,雖有虛名,與杞宋其誰曰少異?是時也,《春秋》之作不亦宜乎?

夏禹は功業を憑って天下を取得し、夏桀は暴虐に因って天下を失掉した。商湯は功業を憑って天下を取得し、商紂は暴虐に因って天下を失掉した。周武王は功業を憑って天下を取得し、周幽王は暴虐に因って天下を失掉した。この三組は時代こそ同じからざれ、成敗の形態は全く同じである。周平王が東に遷るに至っては、彼に王業を復興するに足る功業はなかった。周赧王が西に逃ぐるに至っては、彼に王室を断送するに足る暴虐もなかった——ただ威望号令がなお一个小国の諸侯に如かず、ただ五覇に仰頼して勉めて保存したのみである。これはまた言うべきことがあろうか。ただ当時に真の王者が出なかったために、周室はなお天子の虚名を掛けていたが、杞・宋の類の前朝后裔の小国とまた幾分かの差異があろうか。このような時代に処して、孔子が《春秋》を作ったは、また当然の理ではないか。

仲尼修經周平王之時,《書》終於晉文侯,《詩》列為王國風,《春秋》始於魯隱公,《易》盡於未濟卦。予非知仲尼者,學為仲尼者也。禮樂賞罰,自天子出。而出自諸侯,天子之重去矣。宗周之功德,自文武出。而出自幽厲,文武之基息矣,由是犬戎得以侮中國。周之諸侯非一,獨晉能攘去戎狄,徙王東都洛邑,用存王國,為天下伯者之倡。秬鬯圭瓚之所錫,其能免乎?

孔子が群経を整理したは、まさに周平王の時代に当たる。《尚書》は晋文侯を記した《文侯之命》をもって結びとし、《詩経》は周王畿の詩を降って《王風》に列し、《春秋》は魯隠公から記を起こし、《周易》は《未済》卦をもって尾を収めた。私は孔子を懂得する人ではなく、ただ孔子のような人をなすことを学ぶのみである。礼楽征伐は本来天子より発すべきものが、一旦諸侯より発するに改まれば、天子の威重はなくなる。宗周の功徳は本来文王武王が開創したものが、一旦幽王・厲王の手に落ちれば、文武の基業は断絶し、ここに犬戎が中原を欺侮し得るようになった。周朝の諸侯は一家に止まらないが、独り晋国のみが戎狄を駆走し、周王を護送して東の洛邑に遷し、王室を保ち、天下に覇を称する者の首唱となった。周天子が秬鬯の美酒と圭瓚の玉器を晋国に賜うて褒奨を示す。この賞賜は、晋国がどうして推辞し去ることができようか。

傳稱子貢欲去魯告朔之餼羊。孔子曰:“賜也,爾愛其羊,我愛其禮。”是知名存實亡者,猶愈於名實俱亡者矣。禮雖廢而羊存,則後世安知無復行禮者乎?晉文公尊王,雖用虛名,猶能力使天下諸侯知有周天子,而不敢以兵加之也。及晉之衰也,秦由是敢滅周。斯愛禮之言,信不誣矣!

《論語・八佾》に記す。子貢は魯国が每月告朔の礼に用いるあの活羊を撤去しようとした。孔子は言う。「賜や、汝はあの羊を惜しむが、我はあの套の礼を惜しむ」と。これより知るべし。名存して実亡するは、総じてなお名実俱に亡ぶに勝る。告朔の礼はすでに廃弛したと雖も、あの羊はなおそこに擺らている。後世はどうして再び礼を行い起こす人がいないと知ることができようか。晋文公は周王を尊崇する旗号を打ち掲げ、用いたのは虚名ながら、真に天下の諸侯になお一位の周天子が在ることを記らせ、兵を発して加害することを敢えてしめしなかった。晋国が衰落するを待って、秦国はここに敢えて手を動かして周室を滅した。孔子のあの礼制を愛惜する言は、実に虚言ではない。

齊景公嘗一日問政於孔子。孔子對曰:“君君臣臣,父父子子。”公曰:“善哉!信如君不君,臣不臣,父不父,子不子,雖有粟,吾得而食諸?”是時也,諸侯僭天子,陪臣執國命,祿去公室,政出私門。景公自不能上奉周天子,欲其臣下奉己,不亦難乎?厥後齊祚卒為田氏所移。夫齊之有田氏者,亦猶晉之有三卿也。晉之有三卿者,亦猶周之有五伯也。韓、趙、魏之於晉也,既立其功,又分其地,既卑其主,又奪其國。田氏之於齊也,既得其祿,又專其政,既殺其君,又移其祚。其如天下之事,豈無漸乎履霜之戒,寧無思乎?

斉景公がある日孔子に為政の道を請い教えた。孔子は答えて言う。「君は君に像くべく、臣は臣に像くべく、父は父に像くべく、子は子に像くべし」と。景公は言う。「説くこと好し。もし真に君が君に像かず、臣が臣に像かず、父が父に像かず、子が子に像かぬ地歩に至らば、たとえ満倉の糧食あらば、我はなお喫し着くことがあらんか」と。あの時、諸侯は天子の名分を僭越し、大夫の家臣は国政を把持し、俸禄の権は公室を離れ、政令は私家の門戸より出た。景公は自己ですらなお上に周天子に奉事する能わざるに、臣下が自己に奉事することを指望せんとするは、いわば難からずや。後に斉国の国祚はついに田氏に奪われた。斉国に田氏が出たは、晋国に韓・趙・魏の三卿が出たが如し。晋国に三卿が出たは、また周朝に五覇が出たが如し。韓・趙・魏の晋国に対しては、まずそのために功を立て、続いてその土地を瓜分した。まずその国君を圧低し、続いてその国家を奪った。田氏の斉国に対しては、まずその俸禄を領し、続いてその政務を独攬した。まずその国君を殺し、続いてその国祚を挪えた。天下の事情、どれ一つとしてこのように一步一步来たものでないものがあろうか。《周易・坤卦》初六の「霜を履みて堅氷至る」の告誡は、いわば深思するに値しないか。

傳稱王者,往也。能往天下者,可以王矣。周之衰也,諸侯不朝天子久矣。及楚與中國會盟,仲尼始進爵為之子。其於僭王也,不亦陋乎?

古書が「王」字を訓釈するに、王とはすなわち「往」であり、天下人が皆肯んじて彼に帰往する、このような人がはじめて王と称するに足ると。周室が衰微して以後、諸侯は久しく天子に朝見に来ない。楚国が中原の諸侯の会盟に参与するを待って、孔子が《春秋》を修するにやっとその称谓を提升し、これを「子」と称した。楚君はもともと王号を僭称していたが、今この「子」の名分と一比すれば、いわば鄙しむべしと現れないか。

夫以力勝人者,人亦以力勝之。吳嘗破越,而有輕楚之心。及其破楚,又有驕齊之志。貪婪功利,不顧德義,侵侮齊晉,專以夷狄為事,遂復為越所滅。越又不鑑之,其後復為楚所滅;楚又不鑑之,其後復為秦所滅;秦又不鑑之,其後復為漢所代。恃強凌弱,與豺虎何以異乎?非所以謂之中國義理之師也。

武力を憑って人に勝った者には、人もまた武力を憑って彼に勝ちに来る。呉国は越国を打ち破ったが、ここにおいて楚国を軽視する心を起こした。楚国を打ち破るを待って、また斉国を驕慢する念を起こした。それは功利を貪求し、徳義を顧みず、斉・晋を侵凌し、一味に夷狄の手段をもって事を行い、結局反って越国に滅された。越国は呉国を鏡とせず、後にまた楚国に滅された。楚国は越国を鏡とせず、後にまた秦国に滅された。秦国は楚国を鏡とせず、後にまた漢朝に取代された。強大を依仗して弱小を欺凌するは、豺狼虎豹と何の異なるところがあろうか。このような軍旅は、中原の義理を講ずる師と称するに足らない。

宋之為國也,爵高而力卑者乎?盟不度德,會不量力,區區與諸侯並驅中原,恥居其後。其於伯也,不亦難乎?

宋国という国家は、おそらく爵位は甚だ高くして実力は甚だ弱い一类であろう。会盟の時に自己の徳望を掂量せず、聚会の時に自己の力量を估量せず、小小の一国が偏に大国とともに中原で先を争い、なお人後に落つるを恥とした。これを憑って覇主を為さんと思うは、いわば難からずや。

周之同姓諸侯而克永世者,獨有燕在焉。燕處北陸之地,去中原特遠。苟不隨韓、趙、魏、齊、楚較利刃,爭虛名,則足以養德待時,而觀諸侯之變。秦雖虎狼,亦未易加害。延十五六年後,天下事未可知也。

周朝の同姓諸侯のうち長久に世を伝える能きは、ただ燕国一国のみである。燕国は地が北方に処し、中原に離れること特に遠い。それもし韓・趙・魏・斉・楚に随って兵刃の鋭利を比べ、一つの虚名を争わなければ、本来徳望を涵養し、静かに時機を候い、旁から各国の変故を観るに足った。秦国は虎狼の如く凶狠なりと雖も、容易に彼に加害する能わざったろう。もしさらに十五六年を拖し得たならば、天下の局勢は必ずしも後のあのようにはならなかったろう。

中原之地方九千里,古不加多,而今不加少。然而有祚長祚短、地大地小者,攻守異故也。自三代以降,漢唐為盛,秦界於周漢之間矣。秦始盛於穆公,中於孝公,終於始皇。起於西夷,遷於岐山,徙於咸陽,兵瀆宇內,血流天下,併吞四海,更革古今。雖不能比德三代,非晉隋可同年而語也。其祚之不永,得非用法太酷、殺人之多乎?所以仲尼序《書》終於《秦誓》一事。其旨不亦遠乎?

中原の土地は方円九千里で、古よりかつて一分を多く出さず、今もかつて一分を少く去らない。しかし各朝の国祚に長短あり、疆域に大小あるは、原因は攻取と守成の方式が同じからざるに在る。三代以後、漢・唐の両朝をもって最も興盛とし、秦朝は則ち周と漢の間に夾まる。秦国の興起は穆公に始まり、中に孝公の変法を経て、ついに始皇に成った。それは西方の戎狄の地より起こり、まず岐山に遷り、再び咸陽に遷り、兵を用いて海内を攪乱し、血は地に流れ遍く、四海を呑併し、古来の制度を一挙に更改した。それは三代の徳行に比ぶるには及ばないが、しかし晋・隋のような短命の朝の並び論じ得る所でもない。その国祚が長久なる能わざるは、いわば刑法が太だ苛酷にして人を殺すこと太だ多きに因るではないか。ゆえに孔子が《尚書》を編次するに、《秦誓》の一篇を最末に置いた。このうちの用意は、また甚だ深遠ではないか。

夫好生者,生之徒也;好殺者,死之徒也。周之好生也,以義;漢之好生也,亦以義。秦之好殺也,以利;楚之好殺也,亦以利。周之好生也以義,而漢且不及;秦之好殺也以利,而楚又過之。天之道,人之情,又奚擇於周、秦、漢、楚哉?擇乎善惡而已。是知善也者,無敵於天下,而天下共善之;惡也者,亦無敵於天下,而天下亦共惡之。天之道,人之情,又奚擇於周、秦、漢、楚哉?擇乎善惡而已。

生養を好むは、生の一路に属す。殺戮を好むは、死の一路に属す。周朝は生養を好み、義に出た。漢朝は生養を好み、また義に出た。秦国は殺戮を好み、利に出た。楚国は殺戮を好み、また利に出た。周朝は義をもって生を好み、しかし漢朝はなおそれに及ばず。秦国は利をもって殺を好み、しかし楚国はそれに比べてさらに過分である。上天の道理、人心の常情は、どうして周・秦・漢・楚の間に挑揀偏袒することがあろうか。ただ善と悪を挑揀するのみである。これより知るべし。善というものは天下に敵する者なく、因って天下人が共同にこれを称許する。悪というものは同じく天下に敵する者なく、因って天下人が共同にこれを憎悪する。上天の道理、人心の常情は、どうして周・秦・漢・楚の間に挑揀偏袒することがあろうか。ただ善と悪を挑揀するのみである。末尾の二句は上文と重出するが、これは邵雍が意を致して複述し、もってその叮嚀の意を致すのである。

皇極経世書巻十二

観物篇五十七

昔者孔子語堯舜,則曰“垂衣裳而天下治”;語湯武,則曰“順乎天而應乎人”。斯言可以該古今帝王受命之理也。堯禪舜以德,舜禪禹以功。以德,帝也;以功,亦帝也。然而德下一等則入於功矣。湯伐桀以放,武伐紂以殺。以放,王也;以殺,亦王也。然而放下一等則入於殺矣。是知時有消長,事有因革。前聖後聖,非出乎一途哉!

従前孔子が堯・舜を講じれば、則ち彼らは「衣を垂れ手を拱して天下太平」と言い、商湯・周武を講じれば、則ち彼らは「上は天意に順い下は人心に応ず」と言った。この二句は古今の帝王が命を受ける道理を全て包み入れるに足る。堯は帝位を舜に禅譲し、憑ったのは徳である。舜は帝位を禹に禅譲し、憑ったのは功である。徳に憑るは帝で、功に憑るもまた帝である。しかし徳が往って一等降れば便ち功に落ち入る。商湯は夏桀を討伐してこれを放逐し、周武は商紂を討伐してこれを誅殺した。放逐は王道で、誅殺もまた王道である。しかし放逐が往って一等降れば便ち誅殺に落ち入る。これより知るべし。時運には消あり長あり、事情には因襲あり変革あり。前代の聖人と後代の聖人が行ったは、もとは同じ一条の路ではなかったのだ。

天與人相為表裡。天有陰陽,人有邪正。邪正之由,繫乎上之所好也。上好德,則民用正;上好佞,則民用邪。邪正之由,有自來矣。雖聖君在上,不能無小人,是難其為小人。雖庸君在上,不能無君子,是難其為君子。自古聖君之盛,未有如唐堯之世,君子何其多耶!時非無小人也,是難其為小人。故君子多也。所以雖有四凶,不能肆其惡。自古庸君之盛,未有如商紂之世,小人何其多耶!時非無君子也,是難其為君子。故小人多也。所以雖有三仁,不能遂其善。是知君擇臣、臣擇君者,是繫乎人也;君得臣、臣得君者,是非繫乎人也,繫乎天者也。

天と人は互いに表裏である。天には陰陽の二気があり、人には邪正の二途がある。邪と正はどこから来るか。上位に在る者の喜好に係る。上に在る者が徳行を喜好すれば、百姓は正路を行く。上に在る者が諂佞を喜好すれば、百姓は邪路を行く。邪正の由来は、その源頭がある。たとえ聖明の君主が上に在っても、小人なきこと能わざるも、ただあのような世道は人をして小人を為し難からしめる。たとえ平庸の君主が上に在っても、君子なきこと能わざるも、ただあのような世道は人をして君子を為し難からしめる。自古聖君の世の鼎盛は、唐堯のあの時代に比するはなく、君子はどうしてあのように多かったか。あの時に小人がなかったのではなく、小人を為し難かったので、ゆえに君子が顕れて多く見えた。ゆえにたとえ共工・驩兜・三苗・鯀のこの四凶あれども、手を放して悪を為す能わざった。自古庸君の世の極端は、商紂のあの時代に比するはなく、小人はどうしてあのように多かったか。あの時に君子がなかったのではなく、君子を為し難かったので、ゆえに小人が顕れて多く見えた。ゆえにたとえ微子・箕子・比干のこの三位の仁人あれども、彼らの善道を成全する能わざった。これより知るべし。君主が臣子を挑選し、臣子が君主を挑選するは、これは人力に係る。君主が真にあの臣子を得、臣子が真にあの君主に遇うに至っては、これは人力に係らず、天に係る。

賢愚人之本性,利害民之常情。虞舜陶於河濱,傅說築於巖下,天下皆知其賢,而百執事不為之舉者,利害使之然也。籲!利害叢於中,而矛戟森於外,又安知有虞舜之聖而傅說之賢哉?河濱非禪位之所,巖下非求相之方。昔也在億萬人之下,而今也在億萬人之上,相去一何遠之甚耶?然而必此云者,貴有名者也。

賢と愚は人の本性であり、利に趨り害を避けるは百姓の常情である。虞舜はかつて黄河の辺で陶を焼き、傅説はかつて傅巖の下で墻を築いた。天下人は皆彼らの賢能を知っていたが、満朝の事を弁する官員に肯んじて挙薦する者は一つもなかった。まさに利害の心が彼らをしてこのようにせしめた。ああ。人々の心のうちには利害の算計が塞がり満ち、外にはまた矛戟の如き攻訐があり、また誰かこのうちに虞舜のような聖人、傅説のような賢者があると認め出す者があろうか。黄河の辺はもともと帝位を禅譲する地方ではなく、傅巖の下はもともと宰相を訪求する門路ではない。彼らは従前は億万人の下に身を在したが、後には却って億万人の上に站った。前後の相差は何と懸殊なるか。しかし記載が必ずこのように写し出すのは、「名」を看重するからである。名分が一旦立ち起これば、賢者ははじめて人に見られる。

《易》曰:“坎有孚,維心亨,行有尚。”中正行險,往且有功,雖危無咎,能自信故也,伊尹以之。是知古之人患名過實者,有之矣。其間有幸與不幸者,雖聖人,力有不及者矣。伊尹行冢宰,居責成之地,借使避放君之名,豈曰不忠乎?則天下之事去矣,又安能正嗣君,成終始之大忠者乎?籲!若委寄於匪人,三年之間,其如嗣君何?則天下之事亦去矣,又安有伊尹也?“坎有孚,維心亨”,不亦近之乎?

《周易・坎卦》の卦辞に言う。「身は重険に陥りて心中に誠信を存し、ただその内心の亨通によりて、行動こそ人に推崇せらる」と。中正の徳をもって険境に行走し、往って事を弁して成功する能くし、危地に処すと雖も災禍を招致せざるは、能く自信するに憑る。伊尹は便ちこのような人である。これより知るべし。古人の中には確かに名声が実際を超過する者がある。このうちには幸と不幸の分別があり、たとえ聖人と雖も、また力量の顧み及ばざる所がある。伊尹は身に冢宰を任じ、必ず事を弁成すべき位置上に処った。もし彼が「国君を放逐する」の悪名を躲れるために袖手して動かざれば、旁人はいわば彼の不忠を指責せんか。しかしあのようになれば、天下の大事は全て毀れ、彼はまたどうして嗣君太甲を匡正し、あの有始有終の大忠を成就することができようか。ああ。もし国政を不合適な人に托付せば、短短の三年のうちに、嗣君はどんな様子に変わるか。天下の大事は同じく毀れ、世上にもまた伊尹この人はなくなったろう。「坎有孚、維心亨」この一句を伊尹の身に用いるは、甚だ貼切ではないか。

《易》曰:“由豫,大有得,勿疑。朋盍簪。”剛健主豫,動而有應,群疑乃亡,能自強故也,周公以之。是知聖人不能使人無謗,能處謗者也。周公居總己當任重之地,借使避滅親之名,豈曰不孝乎?則天下之事去矣,又安能保嗣君,成終始之大孝乎?籲!若委寄於匪人,七年之間,其如嗣君何?則天下之事亦去矣,又安有周公也?“由豫,大有得,勿疑。朋盍簪。”不亦近之乎?

《周易・豫卦》九四の爻辞に言う。「衆人は彼に由って歓豫を得て、大いに得る所有り。遅疑するなかれ、朋友は便ち髪簪の髪を聚めるが如く迅速に聚攏して来る」と。剛健の徳をもって歓豫の局を主持し、一動して衆人が響応し、種種の猜疑はここにおいて消散する。能く自強するに憑る。周公は便ちこのような人である。これより知るべし。聖人は人をして己を誹謗せしめざる能わず、ただ妥善に誹謗の中に処る能くするのみ。周公は政を摂して百官を総攬し、身に重任を負った。もし彼が「親兄弟を誅戮する」の悪名を躲れるために兵を按して動かざれば、旁人はいわば彼の不孝を指責せんか。しかしあのようになれば、天下の大事は全て毀れ、彼はまたどうして嗣君成王を保全し、あの有始有終の大孝を成就することができようか。ああ。もし国政を不合適な人に托付せば、七年の間に、嗣君はどんな様子に変わるか。天下の大事は同じく毀れ、世上にもまた周公この人はなくなったろう。「由豫、大有得、勿疑、朋盍簪」この幾句を周公の身に用いるは、甚だ貼切ではないか。

夫天下將治,則人必尚行也。天下將亂,則人必尚言也。尚行則篤實之風行焉,尚言則詭譎之風行焉。天下將治,則人必尚義也。天下將亂,則人必尚利也。尚義則謙讓之風行焉,尚利則攘奪之風行焉。三王,尚行者也;五伯,尚言者也。尚行者必入於義也,尚言者必入於利也。義利之相去,一何遠之若是耶?

天下がまさに大治せんとする時、人々は必ず実行を崇ぶ。天下がまさに大乱せんとする時、人々は必ず空談を崇ぶ。実行を崇べば、篤実の風気は流行し開く。空談を崇べば、詭詐の風気は流行し開く。天下がまさに大治せんとする時、人々は必ず義を崇ぶ。天下がまさに大乱せんとする時、人々は必ず利を崇ぶ。義を崇べば、謙譲の風気は流行し開く。利を崇べば、搶奪の風気は流行し開く。三王は実行を崇ぶ者で、五覇は空談を崇ぶ者である。実行を崇ぶ者は必ず義に帰り、空談を崇ぶ者は必ず利に帰る。義と利の相距ることの遠きは、どうしてこのような地歩に至ったか。

是知言之於口,不若行之於身;行之於身,不若盡之於心。言之於口,人得而聞之;行之於身,人得而見之;盡之於心,神得而知之。人之聰明猶不可欺,況神之聰明乎?是知無愧於口,不若無愧於身;無愧於身,不若無愧於心。無口過易,無身過難;無身過易,無心過難。心既無過,何難之有?籲!安得無心過之人,而與之語心哉!是知聖人所以能立無過之地者,謂其善事於心者也。

これより知るべし。口で言うのは、身で行うに如かず。身で行うのは、心で徹底的に為し遂げるに如かない。口で言うならば、他人は聞き得る。身で行うならば、他人は見得る。心で徹底的に為し遂げれば、それはただ神明のみが知る。人の耳目ですらなお誤魔化し得ないのに、いわんや神明の耳目をや。これより知るべし。口に愧じないは、身に愧じないに如かず。身に愧じないは、心に愧じないに如かない。口に過失なきを成すは易く、身に過失なきは則ち難い。身に過失なきを成すは易く、心に過失なきはさらに難い。心がすでに過失なきとすれば、なお何の難事があろうか。ああ。どこに行って心に過失なき人を求め、彼と「心」という一事について語らうべきか。これより知るべし。聖人が過失なき地位に立ち得る所以は、彼が己の心の上に工夫するに善きからである。

観物篇五十八

仲尼曰:“《韶》,盡美矣,又盡善也;《武》,盡美矣,未盡善也。”又曰:“管仲相桓公,霸諸侯,一匡天下,民到於今受其賜。微管仲,吾其被髮左衽矣。”是知武王雖不逮舜之盡善盡美,以其解天下之倒懸,則下於舜一等耳。桓公雖不逮武王之應天順人,以其霸諸侯一匡天下,則高於狄亦遠矣。以武比舜,則不能無過;比桓,則不能無功。以桓比狄,則不能無功;比武,則不能無過。

孔子は言う。「《韶》楽は美を尽くし、かつ善を尽くす。《武》楽は美を尽くすが、しかしまだ善を尽くさない」と。また言う。「管仲は斉桓公を輔佐し、諸侯に覇を称え、一挙に天下を匡正し、百姓は今日に至るまでなお彼の恩惠を受けている。もし管仲なかりせば、我らはおそらくとうに髪を被り衽を左にし、夷狄に淪落していたであろう」と。これより知るべし。周武王は虞舜の尽美尽善に及ばないが、しかし彼は天下の倒懸の苦しみを解救した。ゆえにただ舜より一等低いのみである。斉桓公は武王の順天応人に及ばないが、しかし彼は諸侯に覇を称え、一匡して天下を正した。夷狄に比べれば畢竟高きこと甚だ遠い。武王をもって舜と比すれば、武王は顕れて過失あり。武王をもって桓公と比すれば、武王は顕れて功労あり。桓公をもって夷狄と比すれば、桓公は功労あり。桓公をもって武王と比すれば、桓公は過失あり。

漢氏宜立乎桓武之間矣。是時也,非會天下之民厭秦之暴且甚,雖十劉季、百子房,其如人心之未易何?且古今之時則異也,而民好生惡死之心非異也。自古殺人之多,未有如秦之甚,天下安有不厭之乎?夫殺人之多,不必以刃。謂天下之人無生路可趨也,而又況以刃多殺天下之人乎?

漢朝の位置は、斉桓公と周武王の間に擺るべきである。当時もし恰好して天下の百姓が秦朝の暴政を厭悪するに至極に達せざれば、たとえ十人の劉邦、百人の張良あれども、人心の肯んじて軽く転ぜざるに対して、またどうすることができようか。いわんや古今の時勢は同じからざれども、百姓が生を好み死を悪む心は同じからない。自古以来、人を殺すことの多きは、秦朝に比ぶるはなく、天下人はどうしてこれを厭棄せざらんか。実に人を殺すこと多きは、必ずしも刀刄に非ざるを不可としない——天下人を逼って路なきところに至らしめれば、すでにこれは人を殺したのであり、いわんや秦朝は真に刀刄をもって天下の人を大量に屠戮したことをや。

秦二世,萬乘也,求為黔首而不能得;漢劉季,匹夫也,免為元首而不能已。萬乘與匹夫,相去有間矣。然而有時而代之者,謂其天下之利害有所懸之耳。天之道,非禍萬乘而福匹夫也,謂其禍無道而福有道也;人之情,非去萬乘而就匹夫也,謂其去無道而就有道也。萬乘與匹夫,相去有間矣。然而有時而代之者,謂其直以天下之利害有所懸之耳。

秦二世は貴くして万乗の君たりと雖も、終に一介の普通百姓を為そうと欲しても及ばなかった。漢高祖劉邦は本は一介の平民なりしが、元首の位に推し上げられることを推辞し得なかった。万乗の君と一介の平民、地位の相差は何と懸殊なるか、しかるに竟に一日として彼此対調するに至った。原因はただ天下の利害がとうに明白白白としてそこに擺らてあったに在る。上天の道理は、万乗の君に禍を降し平民に福を賜わんとするに非ず、無道なるに禍を降し有道なるに福を賜わんとするのである。人心の常情も、また万乗の君を離れて平民に帰附せんとするに非ず、無道なるを離れて有道なるに帰附せんとするのである。万乗の君と一介の平民、地位の相差は何と懸殊なるか、しかるに竟に一日として彼此対調するに至った。原因はただ天下の利害がとうに清清楚楚としてそこに擺らてあったに在る。この段の首尾の二節の文字はほとんど相同しいが、これは邵雍の反復して意を致す筆法であって、伝抄の誤衍ではない。

日既沒矣,月既望矣,星不能不希矣。非星之希,是星難乎其為光矣。能為其光者,不亦希乎?漢唐既創業矣,呂武既擅權矣,臣不能不希矣。非臣之希,是臣難乎其為忠矣。能為其忠者,不亦希乎?

太陽はすでに落下して行き、月亮はすでに満円となれば、星星は顕れて疎稀なるを得ない。星星が真に少ないのではなく、満月の光輝の下において、星星が自らの光を顕出し難いのである。このような時においてなお照旧として光を発する星は、また格別に稀少ではないか。これは一つの比方である。漢朝・唐朝の基業はすでに開国の君によりて創下され(日没に比ぶ)、呂后・武則天の一类の后妃が続いて大権を独攬した(月望に比ぶ)ならば、忠臣は稀少なるを得ない。忠臣が真に少ないのではなく、権柄が旁に落ちた形勢の下において、臣子を為す者が自らの忠を尽くし難いのである。このような時においてなお照旧として忠を尽くす人は、また格別に稀少ではないか。

是知成天下事易,死天下事難;死天下事易,成天下事難。苟能成之,又何計乎死與生也?如其不成,雖死奚益?況其有正與不正者乎?與其死於不正,孰若生於正?與其生於不正,孰若死於正?在乎忠與智者之一擇焉。

これより知るべし。一面から見れば、天下の大事を弁成するはなお容易く、天下の大事のために死するこそ難し。另一面から見れば、天下の大事のために一死して了するはなお容易く、真に天下の大事を弁成するこそ難し。このようであれば、ただ事の弁成し得るを要とし、また何ぞ必ずしも自己の生か死かを計較せんか。もし事が弁成せざれば、たとえ一死するもまた何の益あらん。いわんやこのうちに正道に合うと正道に合わざるの分別があることをや。不正の路上に死するに與りて、正道の中に生くるに如かず。不正の路上に生くるに與りて、正道の中に死するに如かず。これは全て忠臣と智者が当下にいかに択択するかを看るのみである。

死固可惜,貴乎成天下之事也。如其敗天下之事,一死奚以塞責?生固可愛,貴乎成天下之事也。如其敗天下之事,一生何以收功?噫!能成天下之事,又能不失其正而生者,非漢之留侯、唐之梁公而何?微斯二人,則漢唐之祚或幾乎移矣!豈若虛生虛死者焉?夫虛生虛死者,譬之蕭艾。忠與智者,不遊乎其間矣。

死は固より可惜なるが、貴べき所はこの一死が天下の大事を成就し得るに在る。もし天下の事が反って自己に敗壊せられれば、一死してまた何をもって罪責を抵塞せんか。生は固より可愛なるが、貴べき所もまたこの一命が天下の大事を成就し得るに在る。もし天下の事が反って自己に敗壊せられれば、一生してまた何の効功を収めんか。ああ。よく天下の大事を成就し、かつ正道を失わずして性命を保全する者は、漢代の留侯張良、唐代の梁国公狄仁杰を除いて、なお誰かならん。張良は「商山四皓」の策をもって太子を安んじ、狄仁杰は力めて武則天を勧めて廬陵王李顕を迎還せしめた。この二人の人なかりせば、漢・唐の国統はおそらく呂氏・武氏の手裏に落ち入らんとしたろう。このような人は、どうしてあの白く生き白く死する人の及び得るところであろうか。白く生き白く死する之輩は、田野のうちの「蕭」「艾」の如し——《離騒》はまさにこの二種の香気なき賎草をもって、芳草より変質した小人を比喻する。忠臣と智者は、この类人の中間に身を置くことはない。

観物篇五十九

仲尼曰:“善人為邦百年,亦可以勝殘去殺矣。”誠哉是言也。自極亂至於極治,必三變矣。三皇之法無殺,五伯之法無生,伯一變至於王矣,王一變至於帝矣,帝一變至於皇矣。其於生也,非百年而何?是知三皇之世如春,五帝之世如夏,三王之世如秋,五伯之世如冬。如春,溫如也;如夏,燠如也;如秋,悽如也;如冬,冽如也。

孔子は《論語・子路》のうちで言う。「善人が相続して国を治めて満百年ならば、もまた殘暴の徒を感化し、殺戮の刑を廃することができる」と。この話は真に対し。極乱の世道より極治の世道に至るには、必ず三度の転変を経るを要す。「三皇」の政法のうちに殺伐なく、「五伯」(五覇)の政法のうちに生養なし。「伯」より変じて一度「王」に升り、「王」より変じて一度「帝」に升り、「帝」より変じて一度「皇」に升る。この三変をもって皆「生養」の上頭に落実せしめんとするは、上百年を用いざればどうして足らんや。これより知るべし。三皇の世は春天に比し、五帝の世は夏天に比し、三王の世は秋天に比し、五伯の世は冬天に比す。春天に像くは温和であり、夏天に像くは燠熱であり、秋天に像くは凄清であり、冬天に像くは凛冽である。

春夏秋冬者,昊天之時也。《易》、《書》、《詩》、《春秋》者,聖人之經也。天時不差,則歲功成矣;聖經不貳,則君德成矣。天有常時,聖有常經。行之正則正矣,行之邪則邪矣。邪正之間,有道在焉。行之正則謂之正道,行之邪則謂之邪道。邪正之由人乎?由天乎?

春・夏・秋・冬は、蒼天の運行する四種の時令であり、《易》《書》《詩》《春秋》は、聖人の留めたる四部の経典である。邵雍はこの二組を一つずつ相配す。《易》は春に配し、《書》は夏に配し、《詩》は秋に配し、《春秋》は冬に配す。すなわち分かちて三皇・五帝・三王・五伯の四つの時代に対応する。天時が差錯を出さざれば、一年の收成はすなわち成就する。聖人の経典に歧異を生ぜざれば、君主の徳行はすなわち養成される。上天に恒常の時令あり、聖人に恒常の常経あり。それに照らして行うに正しければ、則ち正。それに照らして行うに邪なれば、則ち邪。邪と正の中間に、自ずから一つの「道」がそこに擺らている。それに照らして行うに正しければ、「正道」と叫ぶ。それに照らして行うに邪なれば、「邪道」と叫ぶ。然らば邪と正とは、畢竟人に取決するか、それとも天に取決するか。

天由道而生,地由道而成,物由道而行。天地人物則異也,其於由道一也。夫道也者,道也。道無形,行之則見於事矣。如道路之道坦然,使千億萬年行之,人知其歸者也。

上文の問題の答えは「道」の上に在る。天は「道」を憑って生じ、地は「道」を憑って成り、万物は「道」を憑って運行する。天・地・人・物は彼此各々相同じからざれども、同じく「道」に出ずるこの一点は全く一致する。いわゆる「道」とは、本義は人の脚下の走る道路である。「道」自体に形体なく、ただそれに照らして為すに由って、はじめて具体の事の上に顕現する。一条の大路が平平坦坦としてそこに擺らて、千万億年の人がその上を走るに任せれば、人は皆それがどこに通ずるかを知るが如し。

或曰君子道長,則小人道消。君子道消,則小人道長。長者是,則消者非也。消者是,則長者非也。何以知正道邪道之然乎?籲!賊夫人之論也,不曰君行君事,臣行臣事,父行父事,子行子事,夫行夫事,妻行妻事,君子行君子事,小人行小人事,中國行中國事,僭竊行僭竊事,謂之正道;君行臣事,臣行君事,父行子事,子行父事,夫行妻事,妻行夫事,君子行小人事,小人行君子事,中國行僭竊事,僭竊行中國事,謂之邪道。

或る人は言う。君子の道が増長すれば、小人の道は則ち消退し、君子の道が消退すれば、小人の道は則ち増長すと。増長する一方若し是なれば、消退する一方は便ち非。消退する一方若し是なれば、増長する一方は便ち非。この種の説法に照らせば、また何を憑ってどれが正道どれが邪道かを分弁せんか。ああ、これは人を害する議論である。どうしてこのように言わないか。君は君の為すべき事を為し、臣は臣の為すべき事を為し、父は父の為すべき事を為し、子は子の為すべき事を為し、丈夫は丈夫の為すべき事を為し、妻子は妻子の為すべき事を為し、君子は君子の為すべき事を為し、小人は小人の為すべき事を為し、中原正統の邦は中原正統の邦の事を行い、僭号窃據の割據政権は割據政権の事を行う。これを「正道」と叫ぶ。反対に、君が臣の事を為し、臣が君の事を為し、父が子の事を為し、子が父の事を為し、丈夫が妻子の事を為し、妻子が丈夫の事を為し、君子が小人の事を為し、小人が君子の事を為し、中原正統の邦が反って僭窃の事を行い、僭窃の国が反って中原正統の事を行う。これを「邪道」と叫ぶ。

至於三代之世治,未有不治人倫之為道也;三代之世亂,未有不亂人倫之為道也。後世之慕三代之治世者,未有不正人倫者也;後世之慕三代之亂世者,未有不亂人倫者也。自三代而下,漢唐為盛,未始不由治而興,亂而亡,況其不盛於漢唐者乎?其興也,又未始不由君道盛、父道盛、夫道盛、君子之道盛、中國之道盛;其亡也,又未始不由臣道盛、子道盛、妻道盛、小人之道盛、夷狄之道盛。

夏・商・周三代の治世を説けば、いずれも人倫を整治することを「道」とせざるはない。三代の乱世も、いずれも人倫を攪乱することを「道」とせざるはない。後世およそ三代の治世を仰慕するは、人倫を端正せざるはなく、後世およそ三代の乱世を重蹈するは、人倫を攪乱せざるはない。三代以下、漢・唐をもって最も興盛とし、それらは同じくいずれも治に因って興起し乱に因って滅亡せざるはなく、いわんやあのなお漢唐の興盛に及ばざる朝代をや。それらの興起する時は、いずれも君の道の盛ん、父の道の盛ん、夫の道の盛ん、君子の道の盛ん、中原の道の盛んに由る。それらの滅亡する時も、いずれも臣の道の盛ん、子の道の盛ん、妻の道の盛ん、小人の道の盛ん、夷狄の道の盛んに由る——上位の者が反って下位の者に圧し去られるは、まさに人倫顛倒の徴象である。

噫!二道對行,何故治世少而亂世多耶?君子少而小人多耶?曰:“豈不知陽一而陰二乎?”天地尚由是道而生,況其人與物乎?人者,物之至靈者也。物之靈未若人之靈,物尚由是道而生,又況人靈於物者乎?是知人亦物也,以其至靈,故特謂之人也。

ああ。正・邪の両条の道が世に并行するに、なぜ治世少なく乱世多きか。君子少なく小人多きか。答えは。いわば「陽一にして陰二」を知らざるや——《易》数のうち陽奇を一とし陰偶を二とし、陰の分量はもともと陽より一倍多出する。天地ですらなおこの比例に照らして生成せられたのに、いわんや人と物をや。人は、万物の中の最も霊性あるものである。物の霊性は人の霊性に及ばず、物ですらなおこの道に照らして生成せんとするのに、いわんや万物に霊なる人をや。これより知るべし。人もまた実は物である。ただ彼が最も霊性あるあの一種なるがゆえに、特に彼を「人」と叫ぶ。

観物篇六十

日經天之元,月經天之會,星經天之運,辰經天之世。以日經日,則元之元可知之矣;以日經月,則元之會可知之矣;以日經星,則元之運可知之矣;以日經辰,則元之世可知之矣。以月經日,則會之元可知之矣;以月經月,則會之會可知之矣;以月經星,則會之運可知之矣;以月經辰,則會之世可知之矣。以星經日,則運之元可知之矣;以星經月,則運之會可知之矣;以星經星,則運之運可知之矣;以星經辰,則運之世可知之矣。以辰經日,則世之元可知之矣;以辰經月,則世之會可知之矣;以辰經星,則世之運可知之矣;以辰經辰,則世之世可知之矣。

太陽が天上に運行して経緯するは「元」である。月亮が運行して経緯するは「会」である。星が運行して経緯するは「運」である。辰が運行して経緯するは「世」である。これは天の四象日・月・星・辰を四級の時間単位元・会・運・世に一つずつ相配するものである。日は最も尊く最も大なり、ゆえに最大の「元」(十二万九千六百年)に配す。月はこれに次ぎ、「会」(一万零八百年)に配す。星はまたこれに次ぎ、「運」(三百六十年)に配す。辰は最も小さく、「世」(三十年)に配す。相配すでに定まれば、便ち両両交錯して彼此経を為すを得る。日をもって日を経れば、「元中の元」を推知するを得る。日をもって月を経れば、「元中の会」を推知するを得る。日をもって星を経れば、「元中の運」を推知するを得る。日をもって辰を経れば、「元中の世」を推知するを得る。月をもって日を経れば、「会中の元」を推知するを得る。月をもって月を経れば、「会中の会」を推知するを得る。月をもって星を経れば、「会中の運」を推知するを得る。月をもって辰を経れば、「会中の世」を推知するを得る。星をもって日を経れば、「運中の元」を推知するを得る。星をもって月を経れば、「運中の会」を推知するを得る。星をもって星を経れば、「運中の運」を推知するを得る。星をもって辰を経れば、「運中の世」を推知するを得る。辰をもって日を経れば、「世中の元」を推知するを得る。辰をもって月を経れば、「世中の会」を推知するを得る。辰をもって星を経れば、「世中の運」を推知するを得る。辰をもって辰を経れば、「世中の世」を推知するを得る。

元之元一,元之會十二,元之運三百六十,元之世四千三百二十;會之元十二,會之會一百四十四,會之運四千三百二十,會之世五萬一千八百四十;運之元三百六十,運之會四千三百二十,運之運一十二萬九千六百,運之世一百五十五萬五千二百;世之元四千三百二十,世之會五萬一千八百四十,世之運一百五十五萬五千二百,世之世一千八百六十六萬二千四百。

「元中の元」は一、「元中の会」は十二、「元中の運」は三百六十、「元中の世」は四千三百二十。「会中の元」は十二、「会中の会」は一百四十四、「会中の運」は四千三百二十、「会中の世」は五万一千八百四十。「運中の元」は三百六十、「運中の会」は四千三百二十、「運中の運」は十二万九千六百、「運中の世」は一百五十五万五千二百。「世中の元」は四千三百二十、「世中の会」は五万一千八百四十、「世中の運」は一百五十五万五千二百、「世中の世」は一千八百六十六万二千四百。この一連の数目は皆両両に相乗して得たるものである。一元は十二会・三百六十運・四千三百二十世を統す。ゆえに元は一を取り、会は十二を取り、運は三百六十を取り、世は四千三百二十を取る。十二に十二を乗じて一百四十四を得、十二に三百六十を乗じて四千三百二十を得、十二に四千三百二十を乗じて五万一千八百四十を得、三百六十を自乗して十二万九千六百を得、三百六十に四千三百二十を乗じて一百五十五万五千二百を得、四千三百二十を自乗して便ち一千八百六十六万二千四百を得る。

元之元,以春行春之時也;元之會,以春行夏之時也;元之運,以春行秋之時也;元之世,以春行冬之時也。會之元,以夏行春之時也;會之會,以夏行夏之時也;會之運,以夏行秋之時也;會之世,以夏行冬之時也。運之元,以秋行春之時也;運之會,以秋行夏之時也;運之運,以秋行秋之時也;運之世,以秋行冬之時也。世之元,以冬行春之時也;世之會,以冬行夏之時也;世之運,以冬行秋之時也;世之世,以冬行冬之時也。

ここに再び元・会・運・世の四者に四季を配す。元は春に配し、会は夏に配し、運は秋に配し、世は冬に配す。前の一字はこの時間自身の性質を指し、後の一字はそれが遇上した時令を指す。ここにおいて「元中の元」とは、春天をもって春天の時令を行うこと。「元中の会」とは、春天をもって夏天の時令を行うこと。「元中の運」とは、春天をもって秋天の時令を行うこと。「元中の世」とは、春天をもって冬天の時令を行うこと。「会中の元」とは、夏天をもって春天の時令を行うこと。「会中の会」とは、夏天をもって夏天の時令を行うこと。「会中の運」とは、夏天をもって秋天の時令を行うこと。「会中の世」とは、夏天をもって冬天の時令を行うこと。「運中の元」とは、秋天をもって春天の時令を行うこと。「運中の会」とは、秋天をもって夏天の時令を行うこと。「運中の運」とは、秋天をもって秋天の時令を行うこと。「運中の世」とは、秋天をもって冬天の時令を行うこと。「世中の元」とは、冬天をもって春天の時令を行うこと。「世中の会」とは、冬天をもって夏天の時令を行うこと。「世中の運」とは、冬天をもって秋天の時令を行うこと。「世中の世」とは、冬天をもって冬天の時令を行うこと。両相が搭配し、世運の温厚と凛冽もまた分かち出された。

皇之皇,以道行道之事也;皇之帝,以道行德之事也;皇之王,以道行功之事也;皇之伯,以道行力之事也。帝之皇,以德行道之事也;帝之帝,以德行德之事也;帝之王,以德行功之事也;帝之伯,以德行力之事也。王之皇,以功行道之事也;王之帝,以功行德之事也;王之王,以功行功之事也;王之伯,以功行力之事也。伯之皇,以力行道之事也;伯之帝,以力行德之事也;伯之王,以力行功之事也;伯之伯,以力行力之事也。

人事の一辺も同じ格式に照らして排き開く。皇は「道」に配し、帝は「徳」に配し、王は「功」に配し、伯は「力」に配す。四者は両両に相乗し、もまた十六種である。ゆえに「皇中の皇」とは、道をもって道の事を弁ずること。「皇中の帝」とは、道をもって徳の事を弁ずること。「皇中の王」とは、道をもって功の事を弁ずること。「皇中の伯」とは、道をもって力の事を弁ずること。「帝中の皇」とは、徳をもって道の事を弁ずること。「帝中の帝」とは、徳をもって徳の事を弁ずること。「帝中の王」とは、徳をもって功の事を弁ずること。「帝中の伯」とは、徳をもって力の事を弁ずること。「王中の皇」とは、功をもって道の事を弁ずること。「王中の帝」とは、功をもって徳の事を弁ずること。「王中の王」とは、功をもって功の事を弁ずること。「王中の伯」とは、功をもって力の事を弁ずること。「伯中の皇」とは、力をもって道の事を弁ずること。「伯中の帝」とは、力をもって徳の事を弁ずること。「伯中の王」とは、力をもって功の事を弁ずること。「伯中の伯」とは、力をもって力の事を弁ずること。前の一字はこの時代自身の品位で、後の一字はそれが実際に行う路数である。両者は必ずしも相合せず、治乱の差等はまさにここに在る。

時有消長,事有因革,非聖人無不盡之。所以仲尼曰:“可與共學,未可與適道。可與適道,未可與立。可與立,未可與權。”是知千萬世之時,千萬世之經,豈可畫地而輕言也哉?

時勢に消あり長あり、世事に因襲あり変革あり、聖人を除いて、いずれもそのうちの道理を窮め尽くす能くする者なし。ゆえに孔子は《論語・子罕》のうちで言う。「彼とともに書を読むべき人は、必ずしも彼とともに正道に上るべからず。彼とともに正道に上るべき人は、必ずしも彼とともに立場を堅守すべからず。彼とともに立場を堅守すべき人は、必ずしも彼とともに通変を権衡すべからず」と。これより知るべし。千万世の時勢、千万世の常経は、どうして地上に手頼みて一個の圏子を画くが如く、軽易に断語を下すことができようか。

三皇,春也;五帝,夏也;三王,秋也;五伯,冬也。七國,冬之餘冽也。漢王而不足,晉伯而有餘。三國,伯之雄者也;十六國,伯之叢者也;南五代,伯之借乘也;北五代,伯之傳舍也。隋,晉之子也;唐,漢之弟也。隋季諸郡之伯,江漢之餘波也;唐季諸鎮之伯,日月之餘光也;後五代之伯,日未出之星也。

三皇は春に属し、五帝は夏に属し、三王は秋に属し、五伯は冬に属す。戦国の七雄は、則ち冬天の残剩する寒気である。漢朝は「王」と算するになお一截を欠き、晋朝は「伯」と算するにまた綽々として余あり。三国は、「伯」のうちに雄を称したる。十六国は、「伯」のうちに叢生并起したる。南朝の宋・斉・梁・陳一系の五代は、「伯」の借り来れる車乗——車は自らに属せず、ただ暫く借りて一程を坐すのみ。北朝の元魏・東魏・西魏・北斉・北周一系の五代は、「伯」の歇脚する驛舎——一陣住めば便ち動身するを得べし。隋朝は晋朝の兒子であり、唐朝は漢朝の弟弟であり、説く所はそれらの気象が各々承うる所有るを言う。隋末の各郡の割據する「伯」は、長江・漢水の泛濫の後の余波である。唐末の各藩鎮の「伯」は、日月の沉落の後の残光である。後梁・後唐・後晋・後漢・後周のこの後五代の「伯」は、則ち天未だ亮まざる時に天辺に残留する星である。

自帝堯至於今,上下三千餘年,前後百有餘世。書傳可明紀者,四海之內,九州之間,其間或合或離,或治或隳,或強或羸,或唱或隨,未始有兼世而能一其風俗者。籲!古者謂三十年為一世,豈徒然哉!俟化之必洽,教之必浹,民之情始可一變矣。苟有命世之人繼世而興焉,則雖民如夷狄,三變而帝道可舉矣。惜乎時無百年之世,世無百年之人。比其有代,則賢之與不肖,何止於相半也?時之難,不其然乎?人之難,不其然乎?

帝堯より今日に至り、前後三千余年、一百余個の「世」を歴経した。およそ史籍の明確に記載し得るところ、四海の内、九州の間、その間時には統一し時には分裂し、時には大治し時には敗壊し、時には強盛し時には羸弱し、時には領唱し時には随和する。かつていずれの一朝か幾世を連ねて風俗を一致に帰し得たることなし。ああ。古人が三十年をもって一「世」と称したは、どうして口を随いて定めたものであろうか。教化が確かに沾溉し、確かに浸透するを待って、はじめて民情が一度転変する可能あり。もし真に運に応じて生まれた人物が一世に一世と接いて興起するならば、百姓はたとえ夷狄の如く粗野なれども、三度の転変を経て、「帝」のこの一等の治道もまた行い挙げるべくなる。惜しむべきは時運のうちに連貫する百年の世なく、世上にも活き満たす百年の人なきこと。改朝換代の際に及べば、賢者と不肖の徒の比例は、また何ぞ各々一半を占むるのみならん。時運の難しは、まさにこのようではないか。人才の難しは、まさにこのようではないか。

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