アビダルマ倶舎論 巻第十三
アビダルマ倶舎論 巻第十四 尊者世親造
三藏法師玄奘奉詔譯
三蔵法師玄奘、詔を奉じて訳す。
分別業品第四之二
分別業品 第四之二
傍論已了,復應辯前表無表相。頌曰:
傍論已に了る、復たまさに前の表・無表の相を弁ずべし。頌に曰く:
無表三律儀,不律儀非二。
無表の三は律儀・不律儀・非二。
論曰:此中無表,略說有三:一者律儀、二不律儀、三者非二謂非律儀非不律儀。能遮能滅惡戒相續故名律儀。如是律儀差別有幾?頌曰:
論に曰く:此中の無表は、略して説きて三有り:一には律儀、二に不律儀、三に非二、いわゆる律儀に非ず不律儀に非ず。能く遮り能く悪戒の相续を滅するゆえに律儀と名づく。かくのごとき律儀の差別は几つ有るか。頌に曰く:
律儀別解脫,靜慮及道生。
律儀は別解脱、静慮および道生。
論曰:律儀差別,略有三種:一別解脫律儀,謂欲纏戒;二靜慮生律儀,謂色纏戒;三道生律儀,謂無漏戒。初律儀相差別云何?頌曰:
論に曰く:律儀の差別は、略して三種有り:一に別解脱律儀、いわゆる欲纏の戒、二に静慮生律儀、いわゆる色纏の戒、三に道生律儀、いわゆる無漏の戒。初の律儀の相差別は如何。頌に曰く:
初律儀八種,實體唯有四,
初の律儀は八種、実体はただ四、
形轉名異故,各別不相違。
形転じて名異なるゆえ、各別に相違せず。
論曰:別解脫律儀,相差別有八:一苾芻律儀、二苾芻尼律儀、三正學律儀、四勤策律儀、五勤策女律儀、六近事律儀、七近事女律儀、八近住律儀。如是八種律儀相差別,總名第一別解脫律儀。雖有八名,實體唯四:一苾芻律儀、二勤策律儀、三近事律儀、四近住律儀。唯此四種別解律儀皆有體實,相各別故。所以者何?離苾芻律儀,無別苾芻尼律儀;離勤策律儀,無別正學、勤策女律儀;離近事律儀,無別近事女律儀。云何知然?由形改轉,體雖無捨得,而名有異故。形謂形相,即男女根。由此二根男女形別,但由形轉,令諸律儀名為苾芻、苾芻尼等,謂轉根位,令本苾芻律儀名苾芻尼律儀,或苾芻尼律儀名苾芻律儀;令本勤策律儀名勤策女律儀,或勤策女律儀及正學律儀名勤策律儀;令本近事律儀名近事女律儀,或近事女律儀名近事律儀。非轉根位有捨先得得先未得律儀因緣,故四律儀非異三體。若從近事律儀受勤策律儀,復從勤策律儀受苾芻律儀,此三律儀為由增足遠離方便立別別名。如隻雙金錢及五十二十,為體各別具足頓生。三種律儀體不相雜,其相各別具足頓生。三律儀中具三離殺,乃至具足三離飲酒,餘數多少隨其所應。既爾相望同類何別?由因緣別,相望有異。其事云何?如如求受多種學處,如是如是能離多種憍逸處時,即離眾多殺等緣起。以諸遠離依因緣發,故因緣別遠離有異。若無此事,捨苾芻律儀,爾時則應三律儀皆捨,前二攝在後一中故。既不許然,故三各別。然此三種互不相違,於一身中俱時而轉,非由受後捨前律儀,勿捨苾芻戒便非近事等。近事、近住、勤策、苾芻四種律儀云何安立?頌曰:
論に曰く:別解脱律儀は、相差別に八有り:一に苾芻律儀、二に苾芻尼律儀、三に正学律儀、四に勤策律儀、五に勤策女律儀、六に近事律儀、七に近事女律儀、八に近住律儀。かくのごとき八種の律儀の相差別は、総じて第一の別解脱律儀と名づく。八名有ると雖も、実体はただ四:一に苾芻律儀、二に勤策律儀、三に近事律儀、四に近住律儀。ただ此の四類の別解律儀は皆体実有り、相は各別なるゆえ。所以者何。苾芻律儀を離れて別の苾芻尼律儀無し、勤策律儀を離れて別の正学・勤策女律儀無し、近事律儀を離れて別の近事女律儀無し。如何にしてこの如くを知るか。形の改転に由りて、体は捨得無しと雖も、而も名に異有るゆえ。形とは形相を謂い、即ち男女の根。此の二根に由りて男女の形は別なり、但だ形の転ずるに由りて、諸の律儀をして苾芻・苾芻尼等と名づけしむ、いわゆる根の転ずる位において、本の苾芻律儀をして苾芻尼律儀と名づけしめ、あるいは苾芻尼律儀を苾芻律儀と名づく、本の勤策律儀をして勤策女律儀と名づけしめ、あるいは勤策女律儀および正学律儀を勤策律儀と名づく、本の近事律儀をして近事女律儀と名づけしめ、あるいは近事女律儀を近事律儀と名づく。根の転ずる位に先の得を捨て、先に未だ得ざりし律儀を得る因縁有るに非ず、ゆえに四律儀は三体に異ならず。もし近事律儀より勤策律儀を受け、復た勤策律儀より苾芻律儀を受けば、此の三律儀は是れ増足の遠離の方便に由りて別別の名を立つ。ただ双の金銭および五十・二十の如く、体と為りて各別に具足して頓に生ず。三種の律儀の体は相雑せず、その相は各別に具足して頓に生ず。三律儀中に具に三の離殺有り、乃至具足して三の離飲酒に至り、余の数の多少はその応ずる所に随う。既に爾れば相い望んで同類は何の別か。因縁の別に由りて、相い望みて異有り。その事は如何。求めて多種の学処を受くるが如くの如く、かくのごとき能く多種の憍逸の処を離るる時に、即ち衆多の殺等の縁起を離る。諸の遠離は因縁に依りて発するを以て、ゆえに因縁別なれば遠離に異有り。もし此の事無ければ、苾芻律儀を捨てば、爾の時に則ちまさに三律儀は皆捨つべし、前の二は後の一中に摂するゆえ。既にこの如くを許さざれば、ゆえに三は各別。しかるに此の三種は互いに相違せず、一身中において倶時に転ず、受けたる後に前の律儀を捨つるに由るに非ず、苾芻の戒を捨てば便ち近事に非ざる等を勿れ。近事・近住・勤策・苾芻の四種の律儀は如何にして安立するか。頌に曰く:
受離五八十,一切所應離,
受けて五・八・十を離る、一切の離るべき所、
立近事近住,勤策及苾芻。
近事・近住を立て、勤策および苾芻。
論曰:應知此中如數次第,依四遠離立四律儀。謂受離五所應遠離,安立第一近事律儀。何等名為五所應離?一者殺生、二不與取、三欲邪行、四虛誑語、五飲諸酒。若受離八所應遠離,安立第二近住律儀。何等名為八所應離?一者殺生、二不與取、三非梵行、四虛誑語、五飲諸酒、六塗飾香鬘舞歌觀聽、七眠坐高廣嚴麗床座、八食非時食。若受離十所應遠離,安立第三勤策律儀。何等名為十所應離?謂於前八塗飾香鬘舞歌觀聽開為二種,復加受畜金銀等寶以為第十。若受離一切應離身語業,安立第四苾芻律儀。別解律儀名差別者,頌曰:
論に曰く:まさに此中において数の次第の如く、四の遠離に依りて四律儀を立つべし。いわゆる受けて五の離るべき所を離れんことを安立して第一の近事律儀と為す。何等を五の離るべき所と名づくるか。一に殺生、二に与えずして取る、三に欲の邪行、四に虚誑の語、五に諸の酒を飲む。もし受けて八の離るべき所を離れんことを安立して第二の近住律儀と為す。何等を八の離るべき所と名づくるか。一に殺生、二に与えずして取る、三に非梵行、四に虚誑の語、五に諸の酒を飲む、六に飾香鬘・舞歌・観聴を塗し、七に高広にして厳麗なる床座に眠坐し、八に時に非ざる食を食す。もし受けて十の離るべき所を離れんことを安立して第三の勤策律儀と為す。何等を十の離るべき所と名づくるか。いわゆる前の八において飾香鬘・舞歌・観聴を塗するを開きて二種と為し、復た受けて金・銀等の宝を畜うるを加えて以て第十と為す。もし受けて一切の離るべき身・語業を離れんことを安立して第四の苾芻律儀と為す。別解律儀の名の差別は、頌に曰く:
俱得名屍羅,妙行業律儀,
倶に尸羅の名を得、妙行・業・律儀、
唯初表無表,名別解業道。
ただ初の表・無表を、別解業道と名づく。
論曰:能平險業故名屍羅。訓釋詞者,謂清涼故。如伽他言:受持戒樂,身無熱惱,故名屍羅。智者稱揚,故名妙行。所作自體,故名為業。豈不無表亦名不作,如何今說所作自體?有慚恥者受無表力不造眾惡,故名不作。表思所造,得所作名。有餘釋言:是作因故、是作果故,名作無失。能防身語,故名律儀。如是應知,別解脫戒通初後位無差別名,唯初剎那表及無表,得別解脫及業道名。謂受戒時初表無表,別別棄捨種種惡故。依初別捨義,立別解脫名。即於爾時所作究竟,依業暢義立業道名,故初剎那名別解脫,亦得名曰別解律儀,亦得名為根本業道。從第二念乃至未捨,不名別解脫,名別解律儀;不名業道,名為後起。誰成就何律儀?頌曰:
論に曰く:能く険業を平げるゆえに尸羅と名づく。訓釋の詞とは、いわゆる清涼なるゆえ。伽他の説くが如く:戒を受持して楽しく、身に熱悩無し、ゆえに尸羅と名づく、と。智者の称揚する所なるゆえに妙行と名づく。作す所の自体なるゆえに業と名づく。豈に無表もまた不作と名づくる無からんや、如何にして今作す所の自体と説くか。慚耻有る者は無表の力を受けて衆悪を造らず、ゆえに不作と名づく。表は思の造る所、所作の名を得。ある余の釋に説く:是れ作の因なるゆえ、是れ作の果なるゆえに、作と名づきて失無し。能く身・語を防ぐゆえに律儀と名づく。かくのごときまさに知るべし、別解脱戒は初後の位に通じて差別の名無し、ただ初の刹那の表および無表は、別解脱および業道の名を得。いわゆる戒を受くる時の初の表・無表は、別別に種種の悪を棄捨するゆえ。初の別捨の義に依りて、別解脱の名を立つ。即ち爾の時において作す所は究竟し、業の暢ぶる義に依りて業道の名を立つ、ゆえに初の刹那は別解脱と名づき、もまた別解律儀と名づくるを得、もまた根本業道と名づくるを得。第二念より乃至未だ捨てざるに至るまで、別解脱と名づけず、別解律儀と名づく、業道と名づけず、後起と名づく。誰か何の律儀を成就するか。頌に曰く:
八成別解脫,得靜慮聖者,
八衆は別解脱を成じ、静慮・聖者を得るは、
成靜慮道生,後二隨心轉。
静慮・道生を成ず、後の二は心に随転す。
論曰:八眾皆成就別解脫律儀,謂從苾芻乃至近住。外道無有所受戒耶?雖有,不名別解脫戒。由彼所受無有功能永脫諸惡依著有故。靜慮生者,謂此律儀從靜慮生、或依靜慮。若得靜慮者,定成此律儀。諸靜慮邊亦名靜慮,如近村邑得村邑名故。有說言於此村邑有稻田等,此亦應然。道生律儀聖者成就,此復有二:謂學、無學。於前分別俱有因中說二律儀是隨心轉,於此三內其二者何?謂靜慮生及道生二,非別解脫。所以者何?異心無心亦恆轉故。靜慮、無漏二種律儀,亦名斷律儀。依何位建立?頌曰:
論に曰く:八衆は皆別解脱律儀を成就す、いわゆる苾芻より乃至近住に至る。外道は受くる所の戒無きか。有ると雖も、別解脱戒と名づけず。彼の受くる所は永く諸の悪を脱するの功能無く、有に依着するゆえ。静慮生とは、いわゆる此の律儀は静慮より生じ、あるいは静慮に依る。もし静慮を得たれば、定めて此の律儀を成ず。諸の静慮の辺もまた静慮と名づく、村邑に近づきて村邑の名を得るが如きゆえ。ある説に此の村邑において稻田等有り、此もまたまさにこの如くあるべし。道生律儀は聖者は成就す、此は復た二有り、いわゆる学・無学。前の倶有因を分別する中に二律儀は是れ随心転と説く、此の三内においてその二とは是れ何ぞ。いわゆる静慮生および道生の二、別解脱に非ず。所以者何。異心・無心もまた恒に転ずるゆえ。静慮・無漏の二種の律儀は、もまた断律儀と名づく。何の位に依りて建立するか。頌に曰く:
未至九無間,俱生二名斷。
未至の九の無間に、倶生の二を断と名づく。
論曰:未至定中九無間道,俱生靜慮無漏律儀,以能永斷欲纏惡戒及能起惑名斷律儀。由此或有靜慮律儀非斷律儀,應作四句。第一句者,除未至定九無間道有漏律儀,所餘有漏靜慮律儀。第二句者,依未至定九無間道無漏律儀。第三句者,依未至定九無間道有漏律儀。第四句者,除未至定九無間道無漏律儀,所餘一切無漏律儀。如是或有無漏律儀非斷律儀,應作四句,準前四句如應當知。若爾,世尊所說略戒:
論に曰く:未至定中の九の無間道は、倶生の静慮・無漏の律儀、能く永く欲纏の悪戒および能く起す惑を断ずるを以て断律儀と名づく。此に由りてあるいは静慮律儀有りて断律儀に非ず、まさに四句を作すべし。第一句とは、未至定の九無間道の有漏律儀を除きて、余の有漏の静慮律儀。第二句とは、未至定の九無間道の無漏律儀に依る。第三句とは、未至定の九無間道の有漏律儀に依る。第四句とは、未至定の九無間道の無漏律儀を除きて、余の一切の無漏律儀。かくのごときあるいは無漏律儀有りて断律儀に非ず、まさに四句を作すべし、前の四句に准じてまさに知るべきが如し。もし爾ならば、世尊の説く所の略戒:
身律儀善哉,善哉語律儀,
身の律儀は善なるかな、善なるかな語の律儀、
意律儀善哉,善哉遍律儀。
意の律儀は善なるかな、善なるかな遍く律儀。
又契經說:應善守護、應善安住眼根律儀。此意根律儀,以何為自性?此二自性非無表色。若爾,是何?頌曰:
また契経に説く:まさに善く守護し、まさに善く安住すべし眼根の律儀。此の意根の律儀は、何を以て自性と為すか。此の二の自性は無表色に非ず。もし爾ならば、是れ何ぞ。頌に曰く:
正知正念合,名意根律儀。
正知・正念合して、意根律儀と名づく。
論曰:為顯如是二種律儀,俱以正知正念為體,故列名已復說合言,謂意律儀慧念為體,即合二種為根律儀。故離合言顯勿如次。今應思擇,表及無表誰成就何?齊何時分?且辯成無表律儀不律儀。頌曰:
論に曰く:かくのごとき二種の律儀を顕さんが為、倶に正知・正念を以て体と為す、ゆえに名を列ね已りて復た合の言を説く、いわゆる意律儀は慧・念を体と為し、即ち二種を合して根律儀と為す。ゆえに離合の言を顕して次第の如くならざるを勿れしむ。今まさに思択すべし、表および無表は誰か何を成就するか。何の時分に齊すか。且つ無表の律儀・不律儀を成ずるを弁ぜん。頌に曰く:
住別解無表,未捨恆成現,
別解の無表に住するは、未だ捨てざれば恒に現を成じ、
剎那後成過,不律儀亦然。
刹那の後に過を成ず、不律儀もまたこの如し。
得靜慮律儀,恆成就過未,
静慮の律儀を得るは、恒に過・未を成就し、
聖初除過去,住定道成中。
聖の初は過去を除き、定・道に住すは中を成ず。
論曰:住別解脫補特伽羅,未捨以來恆成現世,此別解脫律儀無表。初剎那後亦成過去,前未捨言遍流至後,無散無表有成未來,不隨心色勢微劣故。如說安住別解律儀,住不律儀應知亦爾,謂至未捨惡戒以來恆成現世,惡戒無表初剎那後亦成過去。諸有獲得靜慮律儀,乃至未捨恆成過未,餘生所失過去定律儀,今初剎那必還得彼故。一切聖者無漏律儀,過去未來亦恆成就,有差別者,謂初剎那必成未來非成過去,此類聖道先未起故。若有現住靜慮彼道,如次成現在靜慮道律儀,非出觀時有成現在。已辯安住善惡律儀,住中雲何?頌曰:
論に曰く:別解脱に住する補特伽羅は、未だ捨てざる已来は恒に現世を成ず、此の別解脱律儀の無表。初の刹那の後にもまた過去を成ず、前の未だ捨てざるの言は遍く後に流れ至る、散の無表有りて未來を成ずる無し、心に随う色は勢微劣なるゆえ。安住して別解律儀に在るを説くが如く、不律儀に住するはまさに知るべきこともまたこの如し、いわゆる未だ悪戒を捨てざる已来に至りて恒に現世を成ず、悪戒の無表は初の刹那の後にもまた過去を成ず。諸の静慮律儀を獲得する有るは、乃至未だ捨てざれば恒に過・未を成ず、余の生に失いし所の過去の定律儀は、今初の刹那に必ず還りて彼を得るゆえ。一切の聖者の無漏律儀は、過去・未来もまた恒に成就す、差別有るとは、いわゆる初の刹那は必ず未来を成じて過去を成ぜず、此の類の聖道は先に未だ起らざるゆえ。もし現に静慮に住する彼の道有れば、次第の如く現在の静慮・道の律儀を成ず、観を出づる時に現在を成ずる有るに非ず。已に善悪の律儀に安住するを弁じたり、中に住するは如何。頌に曰く:
住中有無表,初成中後二。
中に住するに無表有り、初め中を成じ後は二。
論曰:言住中者,謂非律儀非不律儀,彼所起業未必一切皆有無表。若有無表,即是善戒或是惡戒種類所攝,彼初剎那但成現在。然現在世處過未中,故以成中說成現在。初剎那後未捨以來,恆成過現二世無表。若有安住律不律儀,亦有成惡善無表不。設有成就,為經幾時?頌曰:
論に曰く:中に住すると言うは、いわゆる律儀に非ず不律儀に非ず、彼の起す所の業は必ずしも一切は皆無表有るに非ず。もし無表有らば、即ち是れ善戒あるいは是れ悪戒の種類の摂する所、彼の初の刹那は但だ現在を成ず。しかるに現在の世は過・未の中に処す、ゆえに中を成ずるを以て現在を成ずと説く。初の刹那の後より未だ捨てざる已来は、恒に過・現の二世の無表を成ず。もし律・不律儀に安住する有れば、もまた悪・善の無表を成ずる有るか否や。設ひ成就有らば、是れ几の時を経るか。頌に曰く:
住律不律儀,起染淨無表,
律・不律儀に住して、染・浄の無表を起し、
初成中後二,至染淨勢終。
初め中を成じ後は二、染・浄の勢の終るに至る。
論曰:若住律儀,由勝煩惱作殺縛等諸不善業,由此便發不善無表;住不律儀,由淳淨信作禮佛等諸勝善業,由此亦發諸善無表。乃至此二心未斷來,所發無表恆時相續,然其初念唯成現在,自茲以後通成過現。已辯無表,成表云何?頌曰:
論に曰く:もし律儀に住して、勝れる煩悩に由りて殺・縛等の諸の不善業を作せば、此に由りて便ち不善の無表を発す。不律儀に住して、淳浄の信に由りて仏を礼する等の諸の勝善業を作せば、此に由りてもまた諸の善の無表を発す。乃至此の二心の未だ断ぜざる已来は、発する所の無表は恒時に相续す、しかるにその初念はただ現在を成じ、兹より已後は通じて過・現を成ず。已に無表を弁じたり、表を成ずるは如何。頌に曰く:
表正作成中,後成過非未,
表は正に作すは中を成じ、後は過を成じて未に非ず、
有覆及無覆,唯成就現在。
有覆および無覆は、ただ現在を成就す。
論曰:諸有安住律不律儀及住中者,乃至正作諸表業來恆成現表。初剎那後至未捨來恆成過去,必無成就未來表者,如無表釋。有覆無覆二無記表,定無有能成就過未,法力既劣得力亦微,是故無能逆追成者。此法力劣誰之所為?是心所為。若爾,有覆無記心等勿成過未。此責非理,表昧鈍故、依他起故;心等不然,無記表業從劣心起,其力倍劣彼能起心,故表與心成有差別。如前所說住不律儀,此不律儀名差別者,頌曰:
論に曰く:諸の律・不律儀に安住するおよび中に住する有るは、乃至正に諸の表業を作す已来は恒に現表を成ず。初の刹那の後より未だ捨てざる已来に至りて恒に過去を成ず、必ず未来の表を成就する無し、無表の釋の如し。有覆・無覆の二の無記の表は、定めて過・未を成就する能くする有る無し、法力は既に劣りて得力もまた微なり、是れを以て逆に追い成ずる能くする無し。此の法力の劣るは誰の為す所か。是れ心の為す所。もし爾ならば、有覆・無記の心等は過・未を成ずるを勿れ。此の責は理に非ず、表は昧鈍なるゆえ、他に依りて起るゆえ。心等は然らず、無記の表業は劣心より起りて、その力は倍して彼の能く起す心より劣る、ゆえに表と心と成に差別有り。前の説く所の不律儀に住するが如く、此の不律儀の名の差別は、頌に曰く:
惡行惡戒業,業道不律儀。
悪行・悪戒・業、業道・不律儀。
論曰:此惡行等五種異名,是不律儀名之差別,是諸智者所訶厭故、果非愛故立惡行名。障淨屍羅故名惡戒、身語所造故名為業。根本所攝故名業道。不禁身語名不律儀。然業道名唯目初念,通初後位立餘四名,或成表業非無表等,應作四句。其事云何?頌曰:
論に曰く:此の悪行等の五種の異名は、是れ不律儀の名の差別、是れ諸の智者の訶厭する所なるゆえ、果は愛に非ざるゆえに悪行の名を立つ。浄尸羅を障るゆえに悪戒と名づき、身・語の造る所なるゆえに業と名づく。根本の摂する所なるゆえに業道と名づく。身・語を禁ぜざるを不律儀と名づく。しかるに業道の名はただ初念を目し、初後の位に通じて余の四名を立つ、あるいは表業を成じて無表に非ず等、まさに四句を作すべし。その事は如何。頌に曰く:
成表非無表,住中劣思作,
表を成じて無表に非ず、中に住して劣思の作、
捨未生表聖,成無表非表。
未生の表を捨てたる聖は、無表を成じて表に非ず。
論曰:唯成就表非無表者,謂住非律儀非不律儀,以微劣思造善造惡,唯發表業尚無無表,況無記思所發表業,除有依福及成業道。唯成無表非表業者,謂易生聖補特伽羅,表業未生或生已捨,俱成非句如應當知。說住律儀不律儀等成就表業無表業已,此諸律儀由何而得?頌曰:
論に曰く:ただ表を成就して無表に非ずとは、いわゆる律儀に非ず不律儀に非ずに住して、微劣の思を以て善を造り悪を造る、ただ表業を発して尚お無表無し、況んや無記の思の発する所の表業は、依有る福および業道を成ずるを除く。ただ無表を成じて表業に非ずとは、いわゆる生を易えたる聖の補特伽羅、表業は未だ生ぜずあるいは生じ已りて捨てたり、倶に非句を成すはまさに知るべきが如し。律儀・不律儀等に住するは表業・無表業を成就すと説き已って、此の諸の律儀は何に由りて得るか。頌に曰く:
定生得定地,彼聖得道生,
定生は定地を得、彼の聖は道生を得、
別解脫律儀,得由他教等。
別解脱律儀は、他の教等に由りて得。
論曰:靜慮律儀由得有漏根本近分靜慮地心,爾時便得,與心俱故。無漏律儀由得無漏根本近分靜慮地心,爾時便得,亦心俱故。彼聲為顯前靜慮心。復說聖言簡取無漏,六靜慮地有無漏心,謂未至、中間及四根本定,非三近分,如後當辯。別解脫律儀由他教等得,能教他者說名為他,從如是他教力發戒,故說此戒由他教得。此復二種,謂從僧伽、補特伽羅有差別故。從僧伽得者,謂苾芻苾芻尼及正學戒。從補特伽羅得者,謂餘五種戒。諸毘柰耶毘婆沙師,說有十種得具戒法,為攝彼故復說等言。何者為十?一由自然,謂佛獨覺。二由得入正性離生,謂五苾芻。三由佛命善來苾芻,謂耶舍等。四由信受佛為大師,謂大迦葉。五由善巧酬答所問,謂蘇陀夷。六由敬受八尊重法,謂大生主。七由遣使,謂法授尼。八由持律為第五人,謂於邊國。九由十眾,謂於中國。十由三說歸佛法僧,謂六十賢部共集受具戒。如是所得別解律儀,非必定依表業而發。又此所說別解律儀,應齊幾時要期而受?頌曰:
論に曰く:静慮律儀は有漏の根本・近分の静慮地の心を得るに由り、爾の時に便ち得、心と倶なるゆえ。無漏律儀は無漏の根本・近分の静慮地の心を得るに由り、爾の時に便ち得、もまた心と倶なるゆえ。彼の声は是れ前の静慮心を顕さんが為。復た聖の言を説きて無漏を簡取す、六の静慮地に無漏心有り、いわゆる未至・中間および四の根本定、三の近分に非ず、後にまさに弁ずべきが如し。別解脱律儀は他の教等に由りて得、能く他を教えるを他と説き名づく、かくのごとき他の教の力より戒を発す、ゆえに此の戒は他の教に由りて得と説く。此は復た二種、いわゆる僧伽・補特伽羅よりの差別有るゆえ。僧伽より得るは、いわゆる苾芻・苾芻尼および正学の戒。補特伽羅より得るは、いわゆる余の五種の戒。諸の毘柰耶(律)の毘婆沙師は、十種の具戒を得るの法有りと説く、彼を摂せんが為に復た等の言を説く。何れを十と為すか。一に自然に由る、いわゆる仏・独覚。二に正性離生に入るを得るに由る、いわゆる五苾芻。三に仏の善来苾芻と命ずるに由る、いわゆる耶舍等。四に仏を大師と為すを信受するに由る、いわゆる大迦葉。五に善巧に問う所に酬答するに由る、いわゆる蘇陀夷。六に八の尊重法を敬受するに由る、いわゆる大生主。七に使を遣るに由る、いわゆる法授尼。八に律を持するを第五人と為すに由る、いわゆる辺国において。九に十衆に由る、いわゆる中国において。十に三説して仏・法・僧に帰するに由る、いわゆる六十の賢部の共集して具戒を受く。かくのごとき得る所の別解律儀は、必ずしも定めて表業に依りて発するに非ず。もまた此の説く所の別解律儀は、まさに几の時の要期に齊して受くるか。頌に曰く:
別解脫律儀,盡壽或晝夜。
別解脱律儀は、寿を盡くすあるいは昼夜。
論曰:七眾所持別解脫戒,唯應盡壽要期而受。近住所持別解脫戒,唯一晝夜要期而受。此時定爾。所以者何?戒時邊際但有二種:一壽命邊際、二晝夜邊際,重說晝夜為半月等。時名是何法?謂諸行增語。於四洲中光位闇位,如其次第立晝夜名,二邊際中盡壽可爾。於命終後雖有要期而不能生別解脫戒,依身別故,別依身中無加行故、無憶念故。一晝夜後或五或十晝夜等中受近住戒。何法為障,令彼眾多近住律儀非亦得起?必應有法能為障礙,以薄伽梵於契經中說近住律儀唯一晝夜故。於如是義應共尋思,為佛正觀一晝夜後理無容起近住律儀,故於經中說一晝夜?為觀所化根難調者,旦應授與一晝夜戒?依何理教作如是言?過此戒生,不違理故。毘婆沙者作如是言:曾無契經說過晝夜有別受得近住律儀,是故我宗不許斯義。依何邊際得不律儀?頌曰:
論に曰く:七衆の持する所の別解脱戒は、ただまさに寿を盡くすを要期として受くべし。近住の持する所の別解脱戒は、ただ一昼夜を要期として受く。此の時は定めてこの如し。所以者何。戒の時の辺際は但だ二種有り:一に寿命の辺際、二に昼夜の辺際、重ねて昼夜を説きて半月等と為す。時の名は是れ何の法か。いわゆる諸行の増語。四洲中において光位・暗位に、その次第の如く昼夜の名を立つ、二の辺際中に寿を盡くすはこの如く可なり。命終の後において要期有ると雖も而も別解脱戒を生ずる能わず、身の別に依るゆえ、別の依身中に加行無きゆえ、憶念無きゆえ。一昼夜の後にあるいは五あるいは十の昼夜等中に近住戒を受く。何の法か障と為りて、彼の衆多の近住律儀をしてもまた起るを得ざらしむるか。必ずまさに法有りて能く障碍と為すべし、薄伽梵は契経において近住律儀はただ一昼夜と説くを以て。かくのごとき義においてまさに共に尋思すべし、是れ仏は正しく一昼夜の後は理は近住律儀を起すを容れずと観じて、ゆえに経中において一昼夜を説くか。是れ化する所の根の調い難きを観じて、旦にまさに一昼夜の戒を授与すべしとするか。何の理教に依りてかくの言を作すか。此を過ぎて戒生ずるは、理に違せざるゆえ。毘婆沙者はかくの説を作す:曾て契経に昼夜を過ぎて別に近住律儀を受得する有らず、是れを以て我が宗は此の義を許さず、と。何の辺際に依りて不律儀を得るか。頌に曰く:
惡戒無晝夜,謂非如善受。
悪戒は昼夜無し、善の受の如くに非ずを謂う。
論曰:要期盡壽造諸惡業得不律儀,非一晝夜如近住戒。所以者何?謂此非如善戒受故。謂必無有立限對師受不律儀如近住戒,我一晝夜定受不律儀,此是智人所訶厭業故。若爾,亦無有立限對師我乃至命終定受惡戒,勿盡形壽得不律儀。雖無對師要期盡壽作諸惡業,由起畢竟壞善意樂得不律儀,非起暫時壞善意樂無師令彼得不律儀,故不律儀無一晝夜。然近住戒,由現對師要期受力,雖無畢竟壞惡意樂而得律儀,設有對師要期暫受不律儀者亦必應得。然未曾見,故不立有。經部師說:如善律儀無別實物名為無表,此不律儀亦應非實。即欲造惡不善意樂相續不捨名不律儀,由此後時善心雖起而名成就不律儀者,以不捨此阿世耶故。說一晝夜近住律儀,欲正受時當如何受?頌曰:
論に曰く:寿を盡くすを要期として諸の悪業を造りて不律儀を得、一昼夜に非ずして近住戒の如し。所以者何。いわゆる此は善戒の受の如くに非ざるゆえ。いわゆる必ず限を立てて師に対して不律儀を受くるは近住戒の如く有る無し、我は一昼夜に定めて不律儀を受く、此は是れ智人の訶厭する所の業なるゆえ。もし爾ならば、もまた限を立てて師に対して我は乃至命終に至るまで定めて悪戒を受く有る無し、形寿を盡くして不律儀を得るを勿れ。師に対して寿を盡くすを要期として諸の悪業を作す無しと雖も、畢竟の善を壞る意楽を起すに由りて不律儀を得、暫時の善を壞る意楽を起し師無くして彼をして不律儀を得せしむるに非ず、ゆえに不律儀に一昼夜無し。しかるに近住戒は、現に師に対して要期受の力に由りて、畢竟の悪を壞る意楽無しと雖も而も律儀を得、設ひ師に対して暫く不律儀を受くるを要期するもまた必ずまさに得べし。しかるに未曾て見ず、ゆえに有と立てず。経部師は説く:善律儀に別の実物有りて無表と名づく無きが如く、此の不律儀もまたまさに実に非ざるべし。即ち悪を造らんと欲する不善の意楽は相续して捨てざるを不律儀と名づく、此に由りて後時に善心は起ると雖も而も不律儀を成就すと名づく、此の阿世耶(意楽)を捨てざるを以て。一昼夜の近住律儀を説くに、正しく受けんとする時にまさに如何にして受くべきか。頌に曰く:
近住於晨旦,下座從師受,
近住は晨旦において、下座より師に従りて受け、
隨教說具支,離嚴飾晝夜。
教に随いて支を具するを説く、厳飾を離るる昼夜。
論曰:近住律儀於晨旦受,謂受此戒要日出時,此戒要經一晝夜故。諸有先作如是要期,謂我恆於月八日等,必當受此近住律儀。若旦有礙緣,齋竟亦得受。言下座者,謂在師前居卑劣座,或蹲或跪曲躬合掌,唯除有病,若不恭敬不發律儀。此必從師,無容自受。以後若遇諸犯戒緣,由愧戒師,能不違犯。受此戒者,應隨師教受者後說,勿前勿俱,如是方成從師教受,異此授受二俱不成。具受八支方成近住,隨有所闕近住不成。受此律儀必離嚴飾,憍逸處故。常嚴身具不必須捨,緣彼不能生甚憍逸如新異故。受此律儀必須晝夜,謂至明旦日初出時。若不如斯依法受者,但生妙行不得律儀。又若如斯盡晝夜受,具制屠獵姦盜有情,近住律儀深成有用。言近住者,謂此律儀近阿羅漢住,以隨學彼故。有說:此近盡壽戒住。如是律儀或名長養,長養薄少善根有情,令其善根漸增多故。如有頌言:
論に曰く:近住律儀は晨旦に於て受く、いわゆる此の戒を受くるは要して日の出づる時、此の戒は要して一昼夜を経るゆえ。諸の先にかくのごとき要期を作す有り、いわゆる我は恒に月の八日等に於て、必ずまさに此の近住律儀を受くべし。もし旦に礙縁有らば、斎竟りてもまた受くるを得。下座と言うは、いわゆる師の前に在りて卑劣の座に居り、あるいは蹲りあるいは跪きて躬を曲げ合掌す、ただ病有るを除きて、もし恭敬せざれば律儀を発せず。此は必ず師に従り、自ら受くるを容れず。已後にもし諸の犯戒の縁に遇わば、戒師に愧じるに由りて、能く違犯せず。此の戒を受くるは、まさに師の教に随いて受くる者は後に説くべく、前せず倶ならざるを勿れ、かくのごとき方に師の教に従りて受くるを成し、此に異なるは授受は二とも倶に成らず。具に八支を受けて方に近住を成す、随い缺くる所有れば近住は成らず。此の律儀を受くるは必ず厳飾を離る、憍逸の処のゆえ。常に身を厳う具は必ずしも捨つるを須いず、彼に縁りて甚だ憍逸を生ずる能わず、新異の如くなるゆえ。此の律儀を受くるは必ず昼夜を須う、いわゆる明旦の日の初めて出づる時に至る。もしこの如く法に依りて受けざれば、但だ妙行を生じて律儀を得ず。またもしかくのごとき昼夜を盡くして受けば、屠・猟・奸・盗する有情を具に制す、近住律儀は深く有用を成す。近住と言うは、いわゆる此の律儀は阿羅漢に近く住す、彼に随学するを以て。ある説に:此は寿を盡くす戒に近く住す。かくのごとき律儀はあるいは長養と名づく、善根の薄少なる有情を長養して、その善根をして漸に増多せしむるゆえ。頌の説く有るが如し:
由此能長養,自他善淨心,
此に由りて能く長養す、自他の善浄の心を、
是故薄伽梵,說此名長養。
是れを以て薄伽梵、此を説きて長養と名づく。
何緣受此必具八支?頌曰:
何の縁に此を受くるに必ず具に八支を須うか。頌に曰く:
戒不逸禁支,四一三如次,
戒・不逸・禁の支、四・一・三の如次、
為防諸性罪,失念及憍逸。
諸の性罪を防ぎ、失念および憍逸を防ぐが為。
論曰:八中前四是屍羅支,謂離殺生至虛誑語,由此四種離性罪故。次有一種是不放逸支,謂離飲諸酒生放逸處。雖受屍羅,若飲諸酒則心放逸,犯屍羅故。後有三種是禁約支,謂離塗飾香鬘乃至食非時食,以能隨順厭離心故。何緣具受如是三支?若不具支,便不能離性罪失念憍逸過失。謂初離殺至虛誑語能防性罪,離貪瞋痴所起殺等諸惡業故。次離飲酒能防失念,以飲酒時能令忘失應不應作諸事業故。後離三種能防憍逸,以若受用種種香鬘高廣床座習近歌舞心便憍舉尋即毀戒,由遠彼故心便離憍。若有能持依時食者,以能遮止恆食時故,便憶自受近住律儀,能於世間深生厭離。若非時食二事俱無,數食能令心縱逸故。有餘師說:離非時食名為齋體,餘有八種說名齋支,塗飾香鬘舞歌觀聽分為二故。若作此執,便違契經。經中說離非時食已,便作是說:此第八支我今隨聖阿羅漢學,隨行隨作。若爾,有何別齋體而說此八名齋支?總摽齋號,別說為支,以別成總得支名故。如車眾分及四支軍五支散等,齋戒八支應知亦爾。毘婆沙師作如是說:離非時食是齋亦齋支,所餘七支是齋支非齋。如正見是道亦道支,餘七支是道支非道。擇法覺是覺亦覺支,餘六支是覺支非覺。三摩地是靜慮亦靜慮支,所餘支是靜慮支非靜慮。如是所說不應正理,不可正見等,即正見等支。若謂前生正見等為後生正見等支,則初剎那聖道等應不具有八支等。為唯近事得受近住、為餘亦有受近住耶?頌曰:
論に曰く:八中の前の四は是れ尸羅の支、いわゆる殺生を離るるより虚誑語に至る、此の四種に由りて性罪を離るるゆえ。次に一種有りて是れ不放逸の支、いわゆる諸の酒を飲むを離るるは放逸の処を生ず。尸羅を受くると雖も、もし諸の酒を飲めば則ち心は放逸し、尸羅を犯すゆえ。後に三種有りて是れ禁約の支、いわゆる塗飾・香鬘を離るる乃至時に非ざる食を食すを離るるに至る、能く厭離の心に随順するを以て。何の縁にかくのごとき三支を具受するか。もし支を具せざれば、便ち能く性罪・失念・憍逸の過失を離るる能わず。いわゆる初めに殺を離るるより虚誑語に至るは能く性罪を防ぐ、貪・瞋・痴の起す所の殺等の諸の悪業を離るるゆえ。次に飲酒を離るるは能く失念を防ぐ、酒を飲む時に能く作すべき作すべからざる諸の事業を忘失せしむるを以て。後に三種を離るるは能く憍逸を防ぐ、種種の香鬘・高広の床座を受用し歌舞に習近せば心は便ち憍挙して尋いで即ち戒を毀るを以て、彼に遠ざかるに由るゆえに心は便ち憍を離る。もし時に依る食を持する能くする有らば、能く恒の食時を遮止するを以て、便ち自ら受けたる近住律儀を憶して、能く世間において深く厭離を生ぜしむ。もし時に非ざる食の二事は倶に無きは、数々の食は能く心をして縦逸せしむるゆえ。ある余師の説に:時に非ざる食を離るるを斎体と名づく、余の八種有りて斎支と説き名づく、塗飾・香鬘・舞歌・観聴は分かちて二と為すゆえ。もし此の執を作さば、便ち契経に違す。経中に時に非ざる食を離るるを説き已りて、便ち是の説を作す:此の第八支は我今聖の阿羅漢に随学して、随行し随作すと。もし爾ならば、何の別の斎体有りて而も此の八を説きて斎支と名づくるか。総じて斎の号を標して、別に説きて支と為す、別を以て総を成ずるを支名を得るゆえ。車の衆分および四支の軍・五支の散等の如く、斎戒の八支もまたまさに知るべきことこの如し。毘婆沙師はかくの説を作す:時に非ざる食を離るるは是れ斎にしてもまた斎支、余の七支は是れ斎支にして斎に非ず。正見は是れ道にしてもまた道支、余の七支は是れ道支にして道に非ずが如し。択法覚は是れ覚にしてもまた覚支、余の六支は是れ覚支にして覚に非ず。三摩地は是れ静慮にしてもまた静慮支、余の支は是れ静慮支にして静慮に非ず。かくのごとき説く所は理に応ぜず、正見等を以て即ち正見等の支と為すべからず。もし前生の正見等を以て後生の正見等の支と為せば、則ち初の刹那の聖道等はまさに具に八支等有る不ならざるべし。是れただ近事は得て近住を受くるか、是れ余もまた近住を受くる有るか。頌に曰く:
