説一切有部倶舎論 巻第十五
論曰:且諸煩惱次第生時,先由無明於諦不了,不欲觀苦乃至道諦。由不了故,次引生疑,謂聞二途便懷猶豫為苦非苦,乃至廣說。從此猶豫引邪見生,謂邪聞思生邪決定,撥無苦諦乃至廣說。由撥無諦引身見生,謂取蘊中撥無苦理,便決定執此是我故。從此身見引邊見生,謂依我執斷常邊故。從此邊見引生戒取,謂由於我隨執一邊,便計此執為能淨故。從戒禁取引見取生,謂計能淨已必執為勝故。從此見取次引貪生,謂自見中情深愛故。從此貪後次引慢生,謂自見中深愛著已,恃生高舉𣣋蔑他故。從此慢後次引生瞋,謂自見中深愛恃已,於他所起違己見中,情不能忍必憎嫌故。有餘師說:於自見解取捨位中起憎嫌故。見諦所斷貪等生時,緣自相續見為境故。如是且依次第起說,越次起者前後無定。諸煩惱起由幾因緣?頌曰:
論に曰く:且つ諸の煩悩の次第に生ずる時、先ず無明に由って諦に了せず、苦乃至道諦を観ぜんと欲せず。了せざるに由って、次に疑を引き生ず。いわゆる二途を聞きて便ち猶予を懐きて苦か苦にあらざるか、乃至広く説く。此の猶予より邪見を引きて生ず。いわゆる邪聞・邪思より邪の決定を生じ、苦諦は無しと撥して乃至広く説く。諦は無しと撥するに由って身見を引きて生ず。いわゆる取蘊の中に苦の理は無しと撥して、便ち決定して此れは我なりと執するがゆえに。此の身見より辺見を引きて生ず。いわゆる我の執に依って断・常の辺と為すがゆえに。此の辺見より戒取を引き生ず。いわゆる我に由って一辺に随執して、便ち此の執を計りて能く浄を為すと為すがゆえに。戒禁取より見取を引きて生ず。いわゆる能く浄を為すと計りて已りて必ず勝と執するがゆえに。此の見取より次に貪を引きて生ず。いわゆる自見の中に情深く愛するがゆえに。此の貪の後に次に慢を引きて生ず。いわゆる自見の中に深く愛着し已りて、恃みて高擧を生じ他を陵蔑するがゆえに。此の慢の後に次に瞋を引き生ず。いわゆる自見の中に深く愛し恃み已りて、他の起す所の己見に違うる中に於いて、情は忍ぶこと能わず必ず憎嫌するがゆえに。其余の師有りて説く、自見の解の取捨の位の中に於いて憎嫌を起すがゆえに、と。諦を見て断ずる所の貪等の生ずる時は、自ら相続する見を縁じて境と為すがゆえに。此のようの且つ次第に依って起りて説く。次を越えて起るは前後定まらず。諸の煩悩の起るは幾つの因縁に由るか。頌に曰く、
由未斷隨眠,及隨應境現,
未だ断ぜざる随眠に由り、およびその応ずる境の現れに由り、
非理作意起,說惑具因緣。
非理の作意の起るに由り、惑は因縁を具えると説く。
論曰:由三因緣諸煩惱起。且如將起欲貪纏時,未斷未遍知欲貪隨眠故,順欲貪境現在前故,緣彼非理作意起故,由此力故便起欲貪。此三因緣如其次第,即因境界加行三力,餘煩惱起類此應知。謂此且據具因緣說,或有唯託境界力生。如退法根阿羅漢等,即上所說隨眠並纏。經說為漏、瀑流、軛、取。漏謂三漏:一欲漏、二有漏、三無明漏。言瀑流者,謂四瀑流:一欲瀑流、二有瀑流、三見瀑流、四無明瀑流。軛謂四軛,如瀑流說。取謂四取:一欲取、二見取、三戒禁取、四我語取。如是漏等其體云何?頌曰:
論に曰く:三の因縁に由って諸の煩悩は起る。且つ将に欲貪の纏を起さんとする時のごとく、未だ断ぜず未だ遍知せざる欲貪随眠なるがゆえ、欲貪に順ずる境の現在するがゆえ、彼に縁じて非理の作意の起るがゆえに。此の力に由って便ち欲貪を起す。此の三因縁はその次第のごとく、すなわち因・境界・加行の三力。其余の煩悩の起るは此に類して応に知るべし。いわゆる此れは且つ因縁を具えるに拠って説く。或いはただ境界の力に託して生ず。退法根の阿羅漢等のごとし。すなわち上に説く所の随眠并びに纏、経は説いて漏・瀑流・軛・取と為す。漏とは三漏を謂う。一は欲漏、二は有漏、三は無明漏。瀑流と言うは、四瀑流を謂う。一は欲瀑流、二は有瀑流、三は見瀑流、四は無明瀑流。軛とは四軛を謂う。瀑流の説くがごとし。取とは四取を謂う。一は欲取、二は見取、三は戒禁取、四は我語取。此のようの漏等、その体は如何。頌に曰く、
欲煩惱並纏,除痴名欲漏,
欲の煩悩并びに纏、痴を除きて欲漏と名づく。
有漏上二界,唯煩惱除痴,
有漏は上の二界、ただ煩悩にして痴を除く。
同無記內門,定地故合一,
同じく無記・内門・定地なるがゆえに一に合す。
無明諸有本,故別為一漏。
無明は諸有の本なるがゆえに、別に一漏と為す。
瀑流軛亦然,別立見利故,
瀑流・軛もまたこのよう。別に見を立てるは利なるがゆえに、
見不順住故,非於漏獨立。
見は住に順ぜざるがゆえに、漏に於いて独立せず。
欲有軛並痴,見分二名取,
欲・有の軛并びに痴、見は二に分かちて取と名づく。
無明不別立,以非能取故。
無明は別に立てず。能取にあらざるを以て。
論曰:欲界煩惱並纏,除痴,四十一物總名欲漏,謂欲界繫根本煩惱三十一併十纏。色無色界煩惱除痴,五十二物總名有漏,謂上二界根本煩惱各二十六。豈不彼有惛沈掉舉二種纏耶?《品類足》中亦作是說:云何有漏?謂除無明,餘色無色二界所繫結縛隨眠隨煩惱纏。今於此中何故不說?迦濕彌羅國毘婆沙師言:彼界纏少,不自在故。何緣合說二界隨眠為一有漏?同無記性於內門轉,依定地生,由三義同故合為一。如前所說名有貪因,即是此中名有漏義。准此三界十五無明義至已立為無明漏。何緣唯此別立漏名?無明能為諸有本故。瀑流及軛體與漏同,然於其中見亦別立,謂前欲漏即欲瀑流及欲軛,如是有漏即有瀑流及有軛。析出諸見為見瀑流及見軛者,謂猛利故令住名漏,如後當說。見不順彼,性猛利故,由此於漏不獨立名,但可與餘合立為漏。如是已顯二十九物名欲瀑流,謂貪瞋慢各有五種、疑四、纏十。二十八物名有瀑流,謂貪與慢各十、疑八。三十六物名見瀑流,謂三界中各十二見。十五物名無明瀑流,謂三界無明各有五。應知四軛與瀑流同,四取應知體同四軛。然欲我語各並無明,見分為二與前軛別。即前欲軛並欲無明三十四物總名欲取,謂貪瞋慢無明各五、疑有四、並十纏。即前有軛並二界無明三十八物總名我語取,謂貪慢無明各十、疑有八。於見軛中除戒禁取,餘三十物總名見取,所除六物名戒禁取。何緣別立戒禁取耶?由此獨為聖道怨故,雙誑在家出家眾故。謂在家眾由此誑惑,計自餓等為天道故。諸出家眾由此誑惑,計捨可愛境為清淨道故。何緣無明不別立取?能取諸有故立取名,然諸無明非能取故。謂不了相說名無明,彼非能取,非猛利故,但可與餘合立為取。然契經說:欲軛云何?
論に曰く:欲界の煩悩并びに纏、痴を除きて、四十一物を総じて欲漏と名づく。いわゆる欲界繋の根本煩悩三十一并びに十纏。色・無色界の煩悩は痴を除きて、五十二物を総じて有漏と名づく。いわゆる上の二界の根本煩悩は各々二十六。豈に彼に惛沈・掉挙の二種の纏有らざらんや。《品類足》の中にもまた此の説を作す:何をか有漏と為すか。いわゆる無明を除きて、その余の色・無色の二界の繋する所の結縛・随眠・随煩悩・纏。今此の中に於いて何故説かざるか。迦湿弥羅国の毘婆沙師の説く、彼の界は纏少なく、自在ならざるがゆえに。何の縁にか二界の随眠を合説して一有漏と為すか。同じく無記の性にして内門に於いて転じ、定地に依って生ず。三義の同じきに由って合して一と為す。前に説く所の有貪の因と名づくるは、すなわち此の中の有漏と名づくるの義。此に准じて三界の十五の無明は義至りて已に立てて無明漏と為す。何の縁にかただ此れのみ別に漏の名を立つるか。無明は能く諸有の本と為るがゆえに。瀑流および軛の体は漏と同じ。しかしその中に於いて見はもまた別に立つ。いわゆる前の欲漏はすなわち欲瀑流および欲軛。此のようの有漏はすなわち有瀑流および有軛。諸の見を析出して見瀑流および見軛と為すは、いわゆる猛利なるがゆえに住せしむるを漏と名づくるは、後に当に説くがごとし。見は彼に順ぜず、性は猛利なるがゆえに。此に由って漏に於いて独立の名を立てず、但だ其余と合して立てて漏と為すべし。此のようの已に顕せり、二十九物を欲瀑流と名づく。いわゆる貪・瞋・慢は各々五種有り、疑は四、纏は十。二十八物を有瀑流と名づく。いわゆる貪と慢は各々十、疑は八。三十六物を見瀑流と名づく。いわゆる三界の中に各々十二見。十五物を無明瀑流と名づく。いわゆる三界の無明は各々五。応に知るべし、四軛は瀑流と同じ。四取は応に知るべし体は四軛と同じ。しかし欲・我語は各々無明を并せ、見は二に分かつ。前の軛と別。すなわち前の欲軛并びに欲の無明、三十四物を総じて欲取と名づく。いわゆる貪・瞋・慢・無明は各々五、疑は四有り、并びに十纏。すなわち前の有軛并びに二界の無明、三十八物を総じて我語取と名づく。いわゆる貪・慢・無明は各々十、疑は八有り。見軛の中に於いて戒禁取を除きて、其余の三十物を総じて見取と名づく。除く所の六物を戒禁取と名づく。何の縁にか別に戒禁取を立つるか。此に由って独り聖道の怨と為るがゆえ、双び在家・出家の衆を誑惑するがゆえに。いわゆる在家の衆は此に由って誑惑して、自餓等を計りて天道と為すがゆえに。諸の出家の衆は此に由って誑惑して、可愛の境を捨てるを計りて清浄の道と為すがゆえに。何の縁にか無明は別に取を立てざるか。能く諸有を取るがゆえに取の名を立つ。しかし諸の無明は能取にあらざるがゆえに。いわゆる了せざる相を説いて無明と名づく。彼は能取に非ず、猛利にあらざるがゆえに。但だ其余と合して立てて取と為すべし。しかし契経に説く:欲軛は如何。
謂諸欲中欲貪、欲欲、欲親、欲愛、欲樂、欲悶、欲耽、欲嗜、欲喜、欲藏、欲隨、欲著纏壓於心,是名欲軛。有軛、見軛應知亦爾。又餘經說:欲貪名取。由此故知,於欲等四所起欲貪名欲等取。如是已辯隨眠並纏,經說為漏瀑流軛取。此隨眠等名有何義?頌曰:
(論は続けて曰く:)いわゆる諸の欲の中に欲貪・欲欲・欲親・欲愛・欲楽・欲悶・欲耽・欲嗜・欲喜・欲蔵・欲随・欲着は心に纏圧す。是れを欲軛と名づく。有軛・見軛もまた応に知るべし此のよう。また其余の経に説く:欲貪を取と名づく。此に由って知る、欲等の四に於いて起る所の欲貪を欲等の取と名づく。此のようの已に随眠并びに纏を辯したり。経は説いて漏・瀑流・軛・取と為す。此の随眠等の名は何の義か有るか。頌に曰く、
微細二隨增,隨逐與隨縛,
微細・二の随増・随逐および随縛、
住流漂合執,是隨眠等義。
住・流・漂・合・執、是れ随眠等の義。
論曰:根本煩惱現在前時,行相難知故名微細。二隨增者,能於所緣及所相應增惛滯故。言隨逐者,謂能起得恆隨有情常為過患,不作加行為令彼生。或設劬勞為遮彼起,而數現起,故名隨縛。由如是義故名隨眠。稽留有情久住生死,或令流轉於生死中,從有頂天至無間獄。由彼相續於六瘡門洩過無窮故名為漏,極漂善品故名瀑流,和合有情故名為軛,能為依執故名為取。若善釋者應作是言,諸境界中流注相續洩過不絕故名為漏。如契經說:具壽當知,譬如挽船逆流而上,設大功用行尚為難。若放此船順流而去,雖捨功用行不為難。起善染心應知亦爾。准此經意,於境界中煩惱不絕說名為漏,若勢增上說名瀑流。謂諸有情若墜於彼,唯可隨順無能違逆,湧泛漂激難違拒故。於現行時非極增上說名為軛,但令有情與種種類苦和合故。或數現行故名為軛,執欲等故說名為取。
論に曰く:根本煩悩の現前する時、行相は知り難きがゆえに微細と名づく。二の随増とは、能く所縁および相応する所に於いて惛滞を増すがゆえに。随逐と言うは、いわゆる能く得を起して恒に有情に随い常に過患と為り、加行を作さずして彼を生ぜしめ、或いは設い労労して彼の起るを遮ると雖も、しかも数々現起するがゆえに随縛と名づく。此のようの義に由って随眠と名づく。有情を稽留して久しく生死に住せしめ、或いは生死の中に於いて流転せしめ、有頂天より無間獄に至らしむ。彼の相続に由って六瘡門に於いて過を泄すこと窮まりなきがゆえに漏と名づく。極めて善品を漂わすがゆえに瀑流と名づく。有情を和合せしむるがゆえに軛と名づく。能く依執と為るがゆえに取と名づく。もし善く釈せば応に此の言を作すべし。諸の境界の中に於いて流注・相続して過を泄して絶えざるがゆえに漏と名づく。契経に説くがごとく:具寿当に知るべし、譬如船を挽きて流に逆らって上る、設い大いに功用して行もなお難きを尚とす。もし此の船を放ちて流に順うて去らば、功用を捨つると雖も行は難しと為らず。善・染の心を起すは応に知るべしもまた此のよう。此の経の意に准じて、境界の中に於いて煩悩絶えざるを説いて漏と名づく。もし勢増上なれば説いて瀑流と名づく。いわゆる諸の有情もし彼に墜ちなば、ただ随順すべくして能く違逆する無し。涌泛・漂激して違拒し難きがゆえに。現行する時に於いて極増上に非ざるを説いて軛と名づく。但だ有情をして種種の類の苦と和合せしむるがゆえに。或いは数々現行するがゆえに軛と名づき、欲等を執するがゆえに取と名づく。
説一切有部倶舎論 巻第二十
アビダルマ倶舎論 巻第二十一 尊者世親造
三藏法師玄奘奉詔譯
三蔵法師玄奘、詔を奉じて訳す。
分別隨眠品第五之三
分別随眠品 第五之三
如是已辯隨眠並纏,世尊說為漏瀑流等。為唯爾所、為復有餘?頌曰:
此のようの已に随眠并びに纏を辯したり。世尊は説いて漏・瀑流等と為したまえり。ただ此のようの多きのみか、復た其余有るか。頌に曰く、
由結等差別,復說有五種。
結等の差別に由って、復た五種有りと説く。
論曰:即諸煩惱,結、縛、隨眠、隨煩惱、纏,義差別故,復說五種。且結云何?頌曰:
論に曰く:すなわち諸の煩悩は、結・縛・随眠・随煩悩・纏、義の差別あるがゆえに、復た五種を説く。且つ結は如何。頌に曰く、
結九物取等,立見取二結,
結は九、物・取等に由り、見・取の二結を立つ。
由二唯不善,及自在起故
二はただ不善にして自在に起るに由り、
纏中唯嫉慳,建立為二結,
纏の中にただ嫉・慳を、建立して二結と為す。
或二數行故,為賤貧因故,
或いは二は数々行ずるがゆえ、賤・貧の因と為るがゆえ、
遍顯隨惑故,惱亂二部故。
遍く随惑を顕すがゆえ、二部を惱乱するがゆえに。
論曰:結有九種,一愛結、二恚結、三慢結、四無明結、五見結、六取結、七疑結、八嫉結、九慳結。此中愛結謂三界貪,餘隨所應當辯其相。見結謂三見,取結謂二取。依如是理,故有說言:頗有見相應法為愛結繫非見結繫,非不有見隨眠隨增?曰:有。云何?集智已生滅智未生見滅道所斷二取相應法,彼為愛結為所緣繫非見結繫,遍行見結已永斷故。非遍見結,所緣相應二俱無故。然彼有見隨眠隨增,二取見隨眠於彼隨增故。何緣三見別立見結,二取別立為取結耶?三見二取,物取等故。謂彼三見有十八物,二取亦然,故名物等。三等所取,二等能取,故名取等。所取能取有差別故,立為二結。何故纏中嫉慳二種建立為結非餘纏耶?二唯不善自在起故。謂唯此二兩義具足,餘皆不然,故唯立二。若纏唯八此釋可然,許有十纏此釋非理,以忿、覆二種亦具兩義故。由此若許具有十纏,應言嫉、慳過失尤重,謂此二種數現行故。又二能為賤貧因故、遍顯慼歡隨煩惱故、惱亂出家在家部故、或惱亂天阿素洛故、或惱人天二勝趣故、或惱亂他及自部故。佛於餘處依差別門,即以結聲說有五種。頌曰:
論に曰く:結に九種あり。一は愛結、二は恚結、三は慢結、四は無明結、五は見結、六は取結、七は疑結、八は嫉結、九は慳結。此の中の愛結とは三界の貪を謂う。其余はその応ずる所に随って当にその相を辯ずべし。見結とは三見を謂い、取結とは二取を謂う。此のようの理に依って、ゆえに説言有り:頗る見に相応する法ありて愛結の繋する所にして見結の繋する所にあらざり、見随眠の随増せざるにあらざるや。答えて曰く、有り。如何。集智は已に生じ滅智は未だ生ぜざるに、見滅・道の断ずる所の二取に相応する法。彼は愛結を以て所縁の繋と為る所にして見結の繋する所にあらず。遍行の見結は已に永断せるがゆえに。遍の見結にあらざるは、所縁・相応は二俱に無きがゆえに。しかし彼は見随眠の随増有り。二取の見随眠は彼に於いて随増するがゆえに。何の縁にか三見は別に見結を立て、二取は別に立てて取結と為すか。三見・二取は物・取等なるがゆえに。いわゆる彼の三見は十八物有り、二取もまた此のよう。ゆえに物等と名づく。三は所取に等しく、二は能取に等し。ゆえに取等と名づく。所取・能取に差別有るがゆえに、立てて二結と為す。何故纏の中の嫉・慳の二種を建立して結と為し、其余の纏と為さざるか。二はただ不善にして自在に起るがゆえに。いわゆるただ此の二は両義を具足す。其余は皆此のようにはあらず。ゆえにただ二を立つ。もし纏はただ八ならば此の釈は此のようの可なり。十纏有りと許さば此の釈は理に非ず。忿・覆の二種もまた両義を具えるを以て。此に由ってもし十纏を具えると許さば、応に嫉・慳は過失尤も重しと説くべし。いわゆる此の二種は数々現行するがゆえに。また二は能く賤・貧の因と為るがゆえ、遍く戚・歓の随煩悩を顕すがゆえ、出家・在家の部を惱乱するがゆえ、或いは天・阿素洛(阿修羅)を惱乱するがゆえ、或いは人・天の二勝趣を惱乱するがゆえ、或いは他および自部を惱乱するがゆえに。仏は其余の処に於いて差別の門に依って、すなわち結の声を以て五種有りと説きたまえり。頌に曰く、
又五順下分,由二不超欲,
また五の順下分あり。二に由って欲を超えず、
由三復還下,攝門根故三。
三に由って復た下に還る。門・根を摂するがゆえに三。
或不欲發趣,迷道及疑道,
或いは発趣せんと欲せず、道に迷いおよび道を疑い、
能障趣解脫,故唯說斷三。
能く解脱に趣くを障ずるがゆえに、ただ断三を説く。
論曰:何等為五?謂有身見、戒禁取、疑、欲貪、瞋恚。何緣此五名順下分?此五順益下分界故。謂唯欲界得下分名,此五於彼能為順益。由後二種不能超欲界,設有能超由前三還下,如守獄卒防邏人故。有餘師說:言下分者,謂下有情即諸異生,及下界即欲界。前三能障超下有情,後二能令不超下界,故五皆得順下分名。諸得預流六煩惱斷,何緣但說斷三結耶?理實應言斷六煩惱,攝門根故但說斷三。謂所斷中類有三種,唯一通二通四部故,說斷三種攝彼三門。又所斷中三隨三轉,謂邊執見隨身見轉,見取隨戒取轉,邪見隨疑轉。說斷三種攝彼三根,故說斷三已說斷六。有作是釋:凡趣異方有三種障:一不欲發;二迷正道,依邪道故;三疑正道。趣解脫者亦有如斯相似三障,謂由身見怖畏解脫不欲發趣,由戒禁取依執邪道迷失正路,由疑於道深懷猶預。佛顯預流永斷如是趣解脫障,故說斷三。佛於餘經,如順下分,說順上分亦有五種。頌曰:
論に曰く:何等か五と為すか。いわゆる有身見・戒禁取・疑・欲貪・瞋恚。何の縁にかこの五を順下分と名づくるか。此の五は下分界に順益するがゆえに。いわゆるただ欲界のみ下分の名を得。此の五は彼に於いて能く順益と為る。後の二種に由って欲界を超えること能わず。設い能く超ゆるも前三に由って還りて下る。獄を守る卒の防逻人のごときがゆえに。其余の師有りて説く、下分と言うは、下の有情を謂う、すなわち諸の異生。および下界、すなわち欲界。前三は能く下の有情を超ゆるを障し、後の二は能く下界を超えざらしむ。ゆえに五は皆順下分の名を得、と。諸の預流を得るは六の煩悩を断ず。何の縁にか但だ三結を断ずと説くか。理実は応に六煩悩を断ずと説くべし。門・根を摂するがゆえに但だ断三を説く。いわゆる断ずる所の中、類に三種あり。ただ一は二に通じ四部に通ずるがゆえに、断三種を説いて彼の三門を摂す。また断ずる所の中、三は三に随転す。いわゆる辺執見は身見に随転し、見取は戒取に随転し、邪見は疑に随転す。断三種を説いて彼の三根を摂す。ゆえに断三を説いて已に断六を説けり。あるは此の釋を作す:凡そ異方に趣くに三種の障あり。一は発せんと欲せず、二は正道に迷う、邪道に依るがゆえに、三は正道を疑う。解脱に趣くもまた此のようの相似の三障あり。いわゆる身見に由って解脱を怖畏して発趣せんと欲せず、戒禁取に由って邪道を依執して正路を迷失し、疑に由って道に於いて深く猶予を懐く。仏は預流の永く此のようの解脱に趣く障を断ずるを顕して、ゆえに断三を説く。仏は其余の経に於いて、順下分のごとく、順上分もまた五種有りと説きたまえり。頌に曰く、
順上分亦五,色無色二貪,
順上分もまた五。色・無色の二貪、
掉舉慢無明,令不超上故。
掉擧・慢・無明、上を超えざらしむるがゆえに。
論曰:如是五種若未斷時,能令有情不超上界。順益上界故,名順上分結。已辯結。縛云何?頌曰:
論に曰く:此のようの五種はもし未だ断ぜざる時、能く有情をして上界を超えざらしむ。上界に順益するがゆえに、順上分結と名づく。已に結を辯したり。縛は如何。頌に曰く、
縛三由三受。
縛は三、三受に由る。
論曰:縛有三種:一貪縛,謂一切貪;二瞋縛,謂一切瞋;三痴縛,謂一切痴。何緣唯說此三為縛?由隨三受說縛有三。謂於樂受貪縛隨增,所緣相應俱隨增故。於苦受瞋、於捨受痴,應知亦爾。雖於捨受亦有貪瞋,非如痴故。約自相續,樂等三受為縛所緣,作此定說。已分別縛。隨眠雲何?頌曰:
論に曰く:縛に三種あり。一は貪縛、いわゆる一切の貪。二は瞋縛、いわゆる一切の瞋。三は痴縛、いわゆる一切の痴。何の縁にか但だ此の三を説いて縛と為すか。三受に随って説いて縛に三有りと為すがゆえに。いわゆる楽受に於いて貪縛は随増す。所縁・相応は俱に随増するがゆえに。苦受に於いて瞋、捨受に於いて痴、応に知るべしもまた此のよう。捨受に於いてもまた貪・瞋有ると雖も、痴のごときにあらざるがゆえに。自の相続に約して、楽等の三受は縛の所縁と為る。この定説を作す。已に縛を分別したり。随眠は如何。頌に曰く、
隨眠前已說。
随眠は前に已に説けり。
論曰:隨眠有六、或七或十、或九十八,如前已說。隨眠既已說。隨煩惱云何?頌曰:
論に曰く:随眠に六有り、或いは七或いは十、或いは九十八。前に已に説けしがごとし。随眠はすでに已に説けり。随煩悩は如何。頌に曰く、
隨煩惱此餘,染心所行蘊。
随煩悩は此の其余、染の心所・行蘊。
論曰:此諸煩惱亦名隨煩惱,以皆隨心為惱亂事故。復有此餘異諸煩惱,染汙心所行蘊所攝,隨煩惱起故亦名隨煩惱,不名煩惱非根本故。廣列彼相如雜事中,後當略論。纏煩惱垢攝者,且應先辯纏相云何。頌曰:
論に曰く:此の諸の煩悩もまた随煩悩と名づく。皆心に随って惱乱の事と為るがゆえに。復た此の其余に諸の煩悩に異なる有りて、染污の心所・行蘊の摂する所にして、煩悩に随って起るがゆえにもまた随煩悩と名づく。煩悩と名づけざるは根本にあらざるがゆえに。広く彼の相を列ねるは雑事の中のごとし。後に当に略論すべし。纏は煩悩垢の摂する所なれば、且つ応に先ず纏の相如何を辯ずべし。頌に曰く、
纏八無慚愧,嫉慳並悔眠,
纏は八、無慚・愧なし、嫉・慳并びに悔・眠、
及掉舉惛沈,或十加忿覆。
および掉擧・惛沈、或いは十に忿・覆を加う。
無慚慳掉舉,皆從貪所生,
無慚・慳・掉擧は、皆貪の生ずる所より従り、
無愧眠惛沈,從無明所起,
無愧・眠・惛沈は、無明の起す所より従り、
嫉忿從瞋起,悔從疑覆諍。
嫉・忿は瞋より起り、悔は疑より、覆は諍。
論曰:根本煩惱亦名為纏,經說欲貪纏為緣故。然《品類足》說有八纏,毘婆沙宗說纏有十,謂於前八更加忿、覆。無慚、無愧如前已釋。嫉謂於他諸興盛事令心不喜。慳謂財法巧施相違令心悋著。悔即惡作,如前已辯。眠謂令心昧略為性,無有功力執持於身。悔、眠二纏唯取染汙。掉舉、惛沈亦如前釋。除瞋及害於情非情令心憤發說名為忿。隱藏自罪說名為覆。於此所說十種纏中,無慚、慳、掉舉是貪等流,無愧、眠、惛沈是無明等流,嫉、忿是瞋等流,悔是疑等流。有說:覆是貪等流。有說:是無明等流。有說:是俱等流。有知無知,如其次第。餘煩惱垢其相云何?頌曰:
論に曰く:根本煩悩もまた名づけて纏と為す。経は欲貪纏を説いて縁と為すがゆえに。しかし《品類足》は八纏有りと説き、毘婆沙宗は纏に十有りと説く。いわゆる前の八に於いて更に忿・覆を加う。無慚・無愧は前に已に釋せしがごとし。嫉とは他の諸の興盛の事に於いて心をして喜ばざらしむるを謂う。慳とは財・法の巧施に相違して心をして吝着せしむるを謂う。悔はすなわち惡作。前に已に辯ぜしがごとし。眠とは心をして昧略せしむるを以て性と為し、功力有ること無くして身を執持するを謂う。悔・眠の二纏はただ染污を取る。掉擧・惛沈もまた前の釋のごとし。瞋および害を除きて、情・非情に於いて心をして憤発せしむるを説いて忿と名づく。自罪を隠蔵するを説いて覆と名づく。此に説く所の十種の纏の中、無慚・慳・掉擧は是れ貪の等流。無愧・眠・惛沈は是れ無明の等流。嫉・忿は是れ瞋の等流。悔は是れ疑の等流。ある説に、覆は是れ貪の等流。ある説に、是れ無明の等流。ある説に、是れ俱の等流。知る有り知る無き、次第のごとし。その余の煩悩垢、その相は如何。頌に曰く、
煩惱垢六惱,害恨諂誑憍,
煩悩垢は六、惱・害・恨・諂・誑・憍。
誑憍從貪生,害恨從瞋起,
誑・憍は貪より生じ、害・恨は瞋より起り、
惱從見取起,諂從諸見生。
惱は見取より起り、諂は諸の見より生ず。
論曰:惱謂堅執諸有罪事,由此不取如理諫誨。害謂於他能為逼迫,由此能行打罵等事。恨謂於忿所緣事中,數數尋思結怨不捨。諂謂心曲,由此不能如實自顯,或矯非撥、或設方便令解不明。誑謂惑他。憍前已釋。如是六種從煩惱生,穢汙相麁名煩惱垢。於此六種煩惱垢中,誑、憍是貪等流,害、恨是瞋等流,惱是見取等流,諂是諸見等流。如言何曲?謂諸惡見,故諂定是諸見等流,此垢並纏從煩惱起,是故皆立隨煩惱名。此垢及纏為何所斷?頌曰:
論に曰く:惱とは諸の有罪の事を堅く執して、此に由って如理の諫誨を取らざるを謂う。害とは他に於いて能く逼迫を為すを謂い、此に由って能く打罵等の事を行ず。恨とは忿の縁ずる所の事の中に於いて、数々尋思して怨を結びて捨てざるを謂う。諂とは心の曲なるを謂い、此に由って能く如実に自ら顕すこと能わず、或いは矯めて非を撥し、或いは方便を設けて解をして明ならざらしむ。誑とは他を惑わすを謂う。憍は前に已に釋せり。此のようの六種は煩悩より生じ、穢污の相麁なるを名づけて煩悩垢と為す。此の六種の煩悩垢の中に於いて、誑・憍は是れ貪の等流、害・恨は是れ瞋の等流、惱は是れ見取の等流、諂は是れ諸見の等流。何の曲と言うか。いわゆる諸の惡見。ゆえに諂は定めて是れ諸見の等流。この垢并びに纏は煩悩より起る。此のゆえに皆随煩悩の名を立つ。此の垢および纏は何の断ずる所か。頌に曰く、
纏無慚愧眠,惛掉見修斷,
纏は無慚・愧・眠、惛・掉は見・修の断ずる所、
餘及煩惱垢,自在故唯修。
其余および煩悩垢は、自在に起るがゆえにただ修断。
論曰:且十纏中無慚等五通見修斷,由此通與二部煩惱相應起故。隨與見此諦所斷相應,即說名為見此諦所斷。餘嫉、慳、悔、忿、覆並垢,自在起故,唯修所斷。唯與修斷他力無明共相應故,名自在起。此隨煩惱誰通何性?頌曰:
論に曰く:且つ十纏の中、無慚等の五は見・修の断ずる所に通ず。此に由って通じて二部の煩悩と相応して起るがゆえに。随いて此の諦を見る所断と相応すれば、すなわち説いて此の諦を見る所断と名づく。其余の嫉・慳・悔・忿・覆并びに垢は、自在に起るがゆえに、ただ修所断。ただ修断の他力の無明と共に相応するがゆえに、自在起と名づく。此の随煩悩は誰か何の性にか通ずるか。頌に曰く、
欲三二餘惡,上界皆無記。
欲界の三・二、その余は悪。上界は皆無記。
論曰:欲界所繫眠、惛、掉三,皆通不善、無記二性,所餘一切皆唯不善。上二界中隨應所有,一切唯是無記性攝。此隨煩惱誰何界繫?頌曰:
論に曰く:欲界の繋する所の眠・惛・掉の三は、皆不善・無記の二性に通ず。その余の一切は皆ただ不善。上の二界の中、その応ずる所の所有に随いて、一切はただ無記の性の摂。此の随煩悩は誰か何の界の繋か。頌に曰く、
諂誑欲初定,三三界餘欲。
諂・誑は欲界・初定、三は三界、その余は欲。
論曰:諂、誑唯在欲界初定。寧知梵世有諂誑耶?以大梵王匿己情事,現相誑惑馬勝苾芻。此二於前雖已分別,義相應故今復重辯。惛、掉、憍三通在三界,所餘一切皆唯在欲。謂十六中五如前辯,所餘十一唯欲界繫。已辯隨眠及隨煩惱。於中有幾唯在意地?有幾通依六識地起?頌曰:
論に曰く:諂・誑はただ欲界・初定に在り。寧んぞ梵世に諂・誑有るを知らんや。大梵王が己の情事を匿して、現相して馬勝苾芻を誑惑するを以て。此の二は前に於いて已に分別せりと雖も、義相応するがゆえに今復た重ねて辯ず。惛・掉・憍の三は三界に通ず。其余の一切は皆ただ欲に在り。いわゆる十六の中、五は前の辯のごとく、其余の十一はただ欲界繋。已に随眠および随煩悩を辯したり。中に於いて幾つかはただ意地に在るか。幾つかは通じて六識地に依って起るか。頌に曰く、
見所斷慢眠,自在隨煩惱,
見所断・慢・眠、自在の随煩悩は、
