Libo

説一切有部倶舎論 巻第二十五

唐 · 世亲造,玄奘译 · 第33巻 / 38

為非我行相,唯聞思所成。

非我の行相と為す。ただ聞・思の成ずる所。

論曰:以世俗智觀一切法為非我時猶除自品,自品謂自體相應俱有法,境、有境別故。同一所緣故,相隣近故,非此智所緣。此智唯是欲色界攝,聞思所成非修所成,修所成慧地別緣故,若異此者應頓離染。已辯所緣。復應思擇,誰成就幾智耶?頌曰:

論に曰く:世俗智を以て一切の法を観じて非我と為す時は、猶お自品を除く。自品とは自体・相応・俱有の法を謂う。境・有境の別あるがゆえ、同じく一の所縁なるがゆえ、相い隣近するがゆえに、此の智の縁ずる所に非ず。此の智はただ是れ欲・色界の摂、聞・思の成ずる所にして修の成ずる所に非ず。修の成ずる所の慧は地に別ありて縁ずるがゆえに。もし此に異なるは応に頓じて染を離るべし。已に所縁を弁じたれば、復た応に思択すべし。誰か幾智を成就するか。頌に曰く、

異生聖見道,初念定成一,

異生・聖・見道は、初念に定めて一を成じ、

二定成三智,後四一一增,

二に定めて三智を成じ、後の四は一一に増す。

修道定成七,離欲增他心,

修道は定めて七を成じ、欲を離れて他心を増す。

無學鈍利根,定成九成十。

無学の鈍・利の根は、定めて九を成じ或いは十を成ず。

論曰:諸異生位及聖見道第一剎那定成一智,謂世俗智。第二剎那定成三智,謂加法、苦。第四六十,十四剎那如次後後增類集滅道智。諸未增位成數如前,故修位中亦定成七。如是諸位,若已離欲各各增一,謂他心智,唯除異生生無色者。時解脫者定成九智,謂加盡智。不時解脫定成就十,謂增無生。於何位中頓修幾智?且於見道十五心中,頌曰:

論に曰く:諸の異生の位および聖の見道の第一刹那は定めて一智を成ず。いわゆる世俗智。第二刹那は定めて三智を成ず。いわゆる法・苦を加ふ。第四・六・十、十四の刹那は次第のごとく後後に類・集・滅・道智を増す。諸の未だ増せざる位は成ずる数は前のごとし。ゆえに修位の中にもまた定めて七を成ず。此のようの諸位は、もし已に欲を離れたれば各々一を増す。いわゆる他心智。ただ異生の無色に生ずるを除く。時解脱なるは定めて九智を成ず。いわゆる尽智を加ふ。不時解脱は定めて十を成就す。いわゆる无生を増す。何の位の中に於いて頓じて幾智を修するか。且つ見道の十五心に於いて、頌に曰く、

見道忍智起,即彼未來修,

見道は忍智の起る、即ち彼の類を未来に修し、

三類智兼修,現觀邊俗智,

三の類智は兼ねて修す。現観の辺の俗智。

不生自下地,苦集四滅後,

自・下の地に生ぜず。苦・集・四・滅の後に、

自諦行相境,唯加行所得。

自諦の行相の境を縁ず。ただ加行の得る所。

論曰:見道位中隨起忍智,皆即彼類於未來修,然具修自諦諸行相念住。何緣見道唯同類修?先未曾得此種性故,對治所緣俱決定故。唯苦集滅三類智時,能兼修未來現觀邊俗智,於一一諦現觀後邊方能兼修故立斯號,由此餘位未能兼修。道類智時何不修此?俗智曾於道,無事現觀故。又必無於道,遍事現觀故,謂於苦集滅可遍知斷證,必無於道可能遍修。雖集滅邊未遍斷證,而於當位斷證已周。道則不然,種性多故。有言:此是見道眷屬,彼修道攝,故不能修。理非極成,不應為證。此世俗智是不生法,於一切時無容起故。若爾,何故說名為修?先未曾得今方得故。既不能起,得義何依?但由得故說名為得。由得故得曾所未聞,故所辯修理不成立。如古師說:修義可成。彼說云何?由聖道力修世俗智,於出觀後有勝緣諦俗智現前,得此起依故名得此,如得金礦名為得金。毘婆沙師不樂此義,隨依何地見道現前能修未來自地下地,謂依未至見道現前能修未來一地見道二地俗智,至依第四見道現前能修未來六地見道七地俗智。苦集邊修四念住攝,滅邊修者唯法念住,隨於何諦現觀邊修,即以此行相緣此諦為境,見道力得故。唯加行所得,智增故立智名,若並眷屬以欲四蘊色界五蘊為其自性。次於修道離染位中,頌曰:

論に曰く:見道の位の中に起る所に随って忍智は、皆即ち彼の類を未来に於いて修す。しかし具に自諦の諸の行相の念住を修す。何の縁にか見道はただ同類を修するか。先に未だ曾て此の種性を得ざるがゆえ、対治・所縁は俱に決定なるがゆえに。ただ苦・集・滅の三の類智の時は、能く兼ねて未来の現観の辺の俗智を修す。一一の諦に於いて現観の後辺に方に能く兼ねて修するがゆえに斯の号を立つ。此に由って其余の位は未だ能く兼ねて修せず。道類智の時は何の故にか此を修せざるか。俗智は曾て道に於いて、事の現観無きがゆえに。また必ず道に於いて、遍く事を現観する無きがゆえに。いわゆる苦・集・滅に於いては遍く知り断じ証すべきも、必ず道に於いては能く遍く修する可からず。集・滅の辺は未だ遍く断証せずと雖も、而も当の位に於いて断証已に周し。道は則ち此のようにはあらず。種性多きがゆえに。人説く有り:此れは見道の眷属、彼は修道の摂。ゆえに能く修せざる所。理は極成に非ず。応に証と為すべからず。此の世俗智は不生の法。一切の時に於いて起るを容れざるがゆえに。もしそうならば、何の故にか名づけて修と説くか。先に未だ曾て得ずして今方に得るがゆえに。すでに能く起さざれば、得の義は何に依るか。但だ得に由るがゆえに名づけて得と説く。得に由って曾て聞かざる所を得るがゆえに、ゆえに弁ずる所の修の理は成立せず。古師の説くがごとく:修の義は成るべし。彼の説は如何。聖道の力に由って世俗智を修して、観を出づる後に勝れる諦に縁ずる俗智の現前有り。此の起る依を得るがゆえに名づけて此を得。金の鉱を得るを名づけて金を得るがごとし。毘婆沙師は此の義を楽わず。依る所の何の地かに随って見道の現前は能く未来の自地・下地を修す。いわゆる未至に依って見道の現前は能く未来の一地の見道・二地の俗智を修し、乃至第四に依って見道の現前は能く未来の六地の見道・七地の俗智を修す。苦・集の辺の修は四念住の摂、滅の辺の修はただ法念住。何の諦かに随って現観の辺に修するは、即ち此の行相を以て此の諦を縁じて境と為す。見道の力の得るがゆえに。ただ加行の得る所。智増するがゆえに智の名を立つ。もし并びに眷属は欲の四蘊・色界の五蘊を以て其の自性と為す。次に修道の離染の位の中に於いて、頌に曰く、

修道初剎那,修六或七智,

修道の初刹那は、六あるいは七智を修す。

斷八地無間,及有欲餘道,

八地を断ずる無間、および欲有りの其余の道、

有頂八解脫,各修於七智,

有頂の八解脱は、各々七智を修す。

上無間餘道,如次修六八。

上の無間・其余の道は、次第のごとく六・八を修す。

論曰:修道初念,謂第十六道類智時現修二智。未離欲者未來修六,謂法及類苦集滅道。離欲修七,謂加他心,不修世俗,有頂治故。斷欲修斷九無間道八解脫道,俗四法智隨應現修。斷上七地諸無間道四類世俗滅道法智隨應現修。斷欲加行有欲勝進,俗四法類隨應現修。此上未來皆修七智,謂俗、法類苦集滅道。斷有頂地前八解脫,四類二法隨應現修,此於未來亦唯修七,然除世俗,加他心智。斷有頂地九無間道,四類二法隨應現修,未來修法類苦集滅道六。斷欲修斷第九解脫,俗四法智隨應現修。斷上七地諸解脫道,四類世俗滅道法智隨應現修。斷欲修斷第九勝進斷上八地諸加行道,俗四法類隨應現修。斷上七地有頂八品諸勝進道,俗四法類及他心智隨應現修。此上未來皆修八智,謂俗法類四諦他心。次辯離染得無學位。頌曰:

論に曰く:修道の初念、いわゆる第十六の道類智の時は現に二智を修す。未だ欲を離れざるは未来に六を修す。いわゆる法および類・苦・集・滅・道。欲を離れて七を修す。いわゆる他心を加ふ。世俗を修せず。有頂を治するがゆえに。欲の修断を断ずる九の無間道・八の解脱道は、俗・四の法智は応に現に修すに随う。上の七地を断ずる諸の無間道は四の類・世俗・滅・道の法智は応に現に修すに随う。欲を断ずる加行・欲有りの勝進は、俗・四の法・類は応に現に修すに随う。此の上の未来は皆七智を修す。いわゆる俗・法・類・苦・集・滅・道。有頂地を断ずる前の八解脱は、四の類・二の法は応に現に修すに随う。此れは未来に於いてもただ七を修す。しかし世俗を除き、他心智を加ふ。有頂地を断ずる九の無間道は、四の類・二の法は応に現に修すに随う。未来には法・類・苦・集・滅・道の六を修す。欲の修断を断ずる第九の解脱は、俗・四の法智は応に現に修すに随う。上の七地を断ずる諸の解脱道は、四の類・世俗・滅・道の法智は応に現に修すに随う。欲の修断を断ずる第九の勝進・上の八地を断ずる諸の加行道は、俗・四の法・類は応に現に修すに随う。上の七地・有頂の八品を断ずる諸の勝進道は、俗・四の法・類および他心智は応に現に修すに随う。此の上の未来は皆八智を修す。いわゆる俗・法・類・四諦・他心。次に離染して無学の位を得るを弁ず。頌に曰く、

無學初剎那,修九或修十,

無学の初刹那は、九を修し或いは十を修す。

鈍利根別故,勝進道亦然。

鈍・利の根の別なるがゆえに。勝進道もまた此のよう。

論曰:無學初念,謂斷有頂第九解脫,苦集類盡隨應現修,緣有頂故。勝進九十隨應現修,未來隨應修九修十,謂鈍根者唯除無生,利根亦修無生智故。次辯餘位修智多少。頌曰:

論に曰く:無学の初念、いわゆる有頂を断ずる第九の解脱は、苦・集・類・尽は応に現に修すに随う。有頂に縁ずるがゆえに。勝進は九・十は応に現に修すに随う。未来は応に九を修し十を修すに随う。いわゆる鈍根なるはただ无生を除き、利根はもまた无生智を修するがゆえに。次に其余の位の修する智の多少を弁ず。頌に曰く、

練根無間道,學六無學七,

練根の無間道は、学は六、無学は七。

餘學六七八,應八九一切,

其余の学は六・七・八、応は八・九・一切。

雜修通無間,學七應八九,

雑修・通の無間は、学は七、応は八・九。

餘道學修八,應九或一切。

其余の道は学は八を修し、応は九或いは一切。

聖起餘功德,及異生諸位,

聖の起る其余の功徳、および異生の諸位の、

所修智多少,皆如理應思。

修する所の智の多少は、皆理のごとく応に思うべし。

論曰:學位練根諸無間道,四法類智隨應現修,未來修六,四諦法類似見道故不修世俗,能斷障故不修他心。諸解脫道四法類智隨應現修,未離欲者未來修六,四諦法類。已離欲者未來修七,謂加他心。有餘師言:解脫道位亦修世俗,諸加行道,俗四法類隨應現修。未離欲者未來修七,已離欲八,謂加他心。諸勝進道,若未離欲,俗四法類隨應現修,未來亦七。若已離欲,俗四法類及他心智隨應現修,未來亦八。無學練根,諸無間道,四類二法隨應現修,未來修七。四諦法類盡,不修世俗,如治有頂故。五前八解脫,四類二法隨應現修,未來修八,四諦法類、他心及盡。四第九解脫,苦集類盡隨應現修,未來修九。最後解脫,苦集類盡隨應現修,未來修十。諸加行道現修如學,未來修九。諸勝進道,鈍者九智隨應現修,未來亦九。利者十智隨應現修,未來亦十。學位雜修諸無間道,四法類俗隨應現修,未來修七。諸解脫道唯四法類,加行增俗。諸勝進道,又加他心隨應現修,未來皆八。無學雜修諸無間道,現修如學,未來所修鈍八利九。諸解脫道唯四法類,加行增俗隨應現修,未來所修鈍九利十。諸勝進道與練根同。學位修通五無間道,現修俗智,未來修七,宿住神境、二解脫道。五加行道,現修俗智,他心、解脫、法類道、俗及他心智。一切勝進並苦集滅隨應現修,此上未來皆修八智。無學修通五無間道,現修如學,未來所修鈍八利九。解脫加行現修如學,未來所修鈍九利十。諸勝進道與練根同,天眼天耳、二解脫道,無記性故不名為修。聖起所餘四無量等修所成攝有漏德時,現在皆修一世俗智。有學未來,未離欲七、已離欲八。無學未來,鈍九利十,除微微心,此於未來唯修俗故。若起所餘無漏功德靜慮攝者,四法類智隨應現修。無色攝者,唯四類智隨應現修,未來所修同前有漏。

論に曰く:学位の練根の諸の無間道は、四の法・類智は応に現に修すに随い、未来には六を修す。四諦・法・類は見道に似たるがゆえに世俗を修せず。能く障を断ずるがゆえに他心を修せず。諸の解脱道は四の法・類智は応に現に修すに随い、未だ欲を離れざるは未来に六を修す。四諦・法・類。已に欲を離れたるは未来に七を修す。いわゆる他心を加ふ。其余の師有りて説く:解脱道の位もまた世俗を修す。諸の加行道は、俗・四の法・類は応に現に修すに随う。未だ欲を離れざるは未来に七を修し、已に欲を離れたるは八。いわゆる他心を加ふ。諸の勝進道は、もし未だ欲を離れざれば、俗・四の法・類は応に現に修すに随い、未来もまた七。もし已に欲を離れたれば、俗・四の法・類および他心智は応に現に修すに随い、未来もまた八。無学の練根は、諸の無間道は、四の類・二の法は応に現に修すに随い、未来には七を修す。四諦・法・類・尽。世俗を修せず。有頂を治するがごときがゆえに。五の前の八解脱は、四の類・二の法は応に現に修すに随い、未来には八を修す。四諦・法・類・他心および尽。四の第九解脱は、苦・集・類・尽は応に現に修すに随い、未来には九を修す。最後の解脱は、苦・集・類・尽は応に現に修すに随い、未来には十を修す。諸の加行道は現に修すること学のごとく、未来には九を修す。諸の勝進道は、鈍なるは九智は応に現に修すに随い、未来もまた九。利なるは十智は応に現に修すに随い、未来もまた十。学位の雑修の諸の無間道は、四の法・類・俗は応に現に修すに随い、未来には七を修す。諸の解脱道はただ四の法・類、加行は俗を増す。諸の勝進道は、また他心を加えて応に現に修すに随い、未来は皆八。無学の雑修の諸の無間道は、現に修すること学のごとく、未来の修する所は鈍は八・利は九。諸の解脱道はただ四の法・類、加行は俗を増し応に現に修すに随い、未来の修する所は鈍は九・利は十。諸の勝進道は練根と同じ。学位の通を修する五の無間道は、現に俗智を修し、未来には七を修す。宿住・神境の二解脱道は、五の加行道は、現に俗智を修す。他心・解脱・法・類・道・俗および他心智。一切の勝進は并びに苦・集・滅は応に現に修すに随い、此の上の未来は皆八智を修す。無学の通を修する五の無間道は、現に修すること学のごとく、未来の修する所は鈍は八・利は九。解脱・加行は現に修すること学のごとく、未来の修する所は鈍は九・利は十。諸の勝進道は練根と同じ。天眼・天耳の二解脱道は、無記性なるがゆえに名づけて修と為さず。聖の起る其余の四無量等の修の成ずる所の摂する有漏の徳の時は、現在は皆一の世俗智を修す。有学の未来は、未だ欲を離れざるは七、已に欲を離れたるは八。無学の未来は、鈍は九・利は十。微微の心を除き、此れは…

異生離染,現修世俗斷欲三定。第九解脫及依根本四靜慮定起勝進道離染加行,未來修二,謂加他心,所餘未來唯修世俗。修五通時,諸加行道二解脫道現修俗智,一解脫道現俗他心。諸勝進道二隨應現,未來一切皆修二種。五無間道現未唯俗。依本靜慮修餘功德皆現修俗,未來修二。唯順決擇分必不修他心,以是見道近眷屬故。依餘地定修餘功德,皆唯世俗現未來修。諸未來修為修幾地?諸所起得皆是修耶?頌曰:

(論に引き続き曰く:)異生の離染は、現に世俗を修して欲を断ずる三定。第九の解脱および根本の四静慮に依って勝進道を起し離染の加行は、未来に二を修す。いわゆる他心を加ふ。其余の未来はただ世俗を修す。五通を修する時は、諸の加行道・二解脱道は現に俗智を修し、一解脱道は現に俗・他心を修す。諸の勝進道は二は応に現に修すに随い、未来は一切皆二種を修す。五の無間道は現・未はただ俗。本の静慮に依って其余の功徳を修するは皆現に俗を修し、未来に二を修す。ただ順決択分は必ず他心を修せず。是れ見道の近き眷属なるを以て。其余の地に依って其余の功徳を修するは、皆ただ世俗を現・未来に修す。諸の未来の修は幾地を修するか。諸の起す所の得は皆是れ修か。頌に曰く、

諸道依得此,修此地有漏,

諸の道は此の地に依り此を得て、此の地の有漏を修し、

為離得起此,修此下無漏。

為に離れて此を得て此を起すは、此の下の無漏を修す。

唯初盡遍修,九地有漏德,

ただ初の尽は遍く修す。九地の有漏の徳。

生上不修下,曾所得非修。

上に生じて下を修せず。曾て得たる所は修に非ず。

論曰:諸道依此地及得此地時,能修未來此地有漏。聖為離此地及得此地時,並此地中諸道現起,皆能修此及下無漏。為離此言通二四道,唯初盡智現在前時,力能遍修九地有漏,不淨觀等無量功德能縛眾惑斷無餘故,如能縛斷所縛氣通。又彼自心今登王位,一切善法起得來朝。譬如大王登祚灑頂,一切境土皆來朝貢。然此生上必不修下。初盡智言顯離有頂及五練根位第九解脫道。諸所言修唯先未得令起今得是能所修,謂若先時未得今得,用功得者方是所修。若法先時曾得棄捨,今雖還得而非所修,非設劬勞而證得故。若先未得用功現前能修未來,勢力勝故。曾得而起不修未來,非多功起勢力劣故。為唯約得說名為修?不爾。云何?修有四種:一得修、二習修、三對治修、四除遣修。如是四修依何法立?頌曰:

論に曰く:諸の道は此の地に依りおよび此の地を得る時、能く未来の此の地の有漏を修す。聖は為に此の地を離れおよび此の地を得る時、并びに此の地の中の諸の道の現起するは、皆能く此および下の無漏を修す。為に離るの此言は二・四道に通ず。ただ初の尽智の現前の時は、力は能く遍く九地の有漏を修す。不浄観等の無量の功徳は能く衆惑を縛して断って余無くするがゆえに。能く縛断する所は縛する所の気に通ずるがごとし。また彼の自心は今王位に登り、一切の善法は起ち得て来朝す。譬えば大王の祚に登り頂を洒ぐに、一切の境土は皆来たりて朝貢するがごとし。しかし此は上に生じて必ず下を修せず。初の尽智の言は有頂を離れおよび五の練根の位の第九解脱道を顕す。諸の言う所の修はただ先に未だ得ずして起ちて今得るをして是れ能・所修と為す。いわゆるもし先時に未だ得ずして今得る、功を用いて得たるは方に是れ修する所。もし法は先時に曾て得て棄捨したるは、今は還得すと雖も而も修する所に非ず。劬労を設けて証得するに非ざるがゆえに。もし先に未だ得ずして功を用いて現前して能く未来を修するは、勢力勝れるがゆえに。曾て得て起るは未来を修せず。多く功に起るに非ざりて勢力劣れるがゆえに。為にただ得に約して名づけて修と説くか。そうにはあらず。如何。修に四種有り。一は得修、二は習修、三は対治修、四は除遣修。此のようの四修は何の法に依ってか立つるか。頌に曰く、

立得修習修,依善有為法,

得修・習修を立つるは、善の有為法に依り、

依諸有漏法,立治修遣修。

諸の有漏法に依りて、治修・遣修を立つ。

論曰:得、習二修依有為善未來唯得,現具二修,治遣二修依有漏法,故有漏善具足四修。無漏有為餘有漏法,如次是具前後二修。外國諸師說修有六,於前四上加防、觀修,防護諸根、觀察身故。如契經說:云何修根?謂於六根善防善護,乃至廣說。又契經說:云何修身?謂於自身觀髮毛爪,乃至廣說。迦濕彌羅國諸論師言:防觀二修即治遣修攝。

論に曰く:得・習の二修は有為の善に依りて未来はただ得を、現は二修を具す。治・遣の二修は有漏法に依る。ゆえに有漏の善は具に四修を足る。無漏の有為・其余の有漏法は、次第のごとく是れ前後の二修を具す。外国の諸師は修に六有りと説く。前の四の上に防・観の修を加ふ。諸根を防護し、身を観察するがゆえに。契経に説くがごとく:如何にして根を修するか。いわゆる六根に於いて善く防ぎ善く護る、乃至広く説く。また契経に説く:如何にして身を修するか。いわゆる自身に於いて髪・毛・爪を観ず、乃至広く説く。迦湿弥羅国の諸の論師の説く:防・観の二修は即ち治・遣の修の摂。

説一切有部倶舎論 巻第二十六

アビダルマ倶舎論 巻第二十七 尊者世親造

三藏法師玄奘奉詔譯

三蔵法師玄奘、詔を奉じて訳す。

分別智品第七之二

分別智品 第七之二

如是已辯諸智差別,智所成德今當顯示,於中先辯佛不共德。且初成佛盡智位修不共佛法有十八種。何謂十八?頌曰:

此のようの已に諸智の差別を弁じたれば、智の成ずる所の徳は今当に顕示すべし。中に於いて先に仏の不共の徳を弁ず。且つ初めて仏を成ずる尽智の位に於いて不共の仏法を修するに十八種有り。何谓をか十八とするか。頌に曰く、

十八不共法,謂佛十力等。

十八の不共法。いわゆる仏の十力等。

論曰:佛十力、四無畏、三念住及大悲,如是合名為十八不共法。唯於諸佛盡智時修,餘聖所無,故名不共。且佛十力相別云何?頌曰:

論に曰く:仏の十力・四無畏・三念住および大悲。此のようの合して名づけて十八不共法。ただ諸仏の尽智の時に於いて修す。其余の聖の無き所。ゆえに名づけて不共。且つ仏の十力の相別は如何。頌に曰く、

力處非處十,業八除滅道,

力は処・非処は十。業は八、滅・道を除く。

定根解界九,遍趣九或十,

定・根・解・界は九。遍趣は九或いは十。

宿住死生俗,盡六或十智,

宿住・死生は俗。尽は六或いは十智。

宿住死生智,依靜慮餘通,

宿住・死生の智は、静慮に依る。其余の通は、

贍部男佛身,於境無礙故。

贍部の男の仏身に依り、境に於いて碍なき所以。

論曰:佛十力者,一處非處智力,具以如來十智為性;二業異熟智力,八智為性,謂除滅道。三靜慮解脫等持等至智力,四根上下智力,五種種勝解智力,六種種界智力,如是四力皆九智性,謂除滅智。七遍趣行智力,或聲顯此義有二途,若謂但緣能趣為境九智除滅,若謂亦緣所趣為境十智為性。八宿住隨念智力,九死生智力,如是二力皆俗智性。十漏盡智力,或聲亦顯義有二途,若謂但緣漏盡為境六智,除道、苦、集、他心。若謂漏盡身中所得,十智為性。已辯自性。依地別者,第八第九依四靜慮,餘八通依十一地起,欲、四靜慮、未至、中間並四無色,名十一地。已辯依地。依身別者,皆依贍部男子佛身。已辯依身。何故名力?以於一切所知境中智無礙轉,故名為力。由此十力唯依佛身,唯佛已除諸惑習氣於一切境隨欲能知,餘此相違故不名力。如舍利子捨求度人、不能觀知鷹所逐鴿前後二際生多少等。如是諸佛遍於所知心力無邊。云何身力?頌曰:

論に曰く:仏の十力とは、一は処・非処の智力。具に如来の十智を以て性と為す。二は業の異熟の智力。八智を以て性と為す。いわゆる滅・道を除く。三は静慮・解脱・等持・等至の智力、四は根の上下の智力、五は種種勝解の智力、六は種種界の智力。此のようの四力は皆九智性。いわゆる滅智を除く。七は遍趣行の智力。或いは声は此の義に二途有るを顕す。もしいわゆる但だ能趣に縁じて境と為せば九智にして滅を除き、もしいわゆるもまた所趣に縁じて境と為せば十智を以て性と為す。八は宿住随念の智力、九は死生の智力。此のようの二力は皆俗智性。十は漏尽の智力。或いは声もまた義に二途有るを顕す。もしいわゆる但だ漏尽に縁じて境と為せば六智。道・苦・集・他心を除く。もしいわゆる漏尽の身の中の得る所なれば、十智を以て性と為す。已に自性を弁じたれば。地の別に依るは、第八・第九は四静慮に依り、其余の八は十一地に依って起るに通ず。欲・四静慮・未至・中間并びに四無色を名づけて十一地。已に依地を弁じたれば。身の別に依るは、皆赡部の男子の仏身に依る。已に依身を弁じたれば。何の故にか名づけて力か。一切の知る所の境の中に於いて智の碍なくして転ずるを以て、ゆえに名づけて力。此に由って十力はただ仏身に依り、ただ仏は已に諸の惑の習気を除きて一切の境に於いて欲に随って能く知る。其余は此れ相違するがゆえに名づけて力と為さず。舎利子の度人を求むるを捨て、能く鷹の逐う所の鴿の前後の二際の生の多少等を観知せざるがごとし。此のようの諸仏は遍く知る所に於いて心力は辺無し。如何にして身力か。頌に曰く、

身那羅延力,或節節皆然,

身は那羅延の力。或いは節節皆此のよう。

象等七十增,此觸處為性。

象等の七十増。此れ触処を以て性と為す。

論曰:佛生身力等那羅延。有餘師言:佛身支節一一皆具那羅延力。大德法救說:諸如來身力無邊,猶如心力。若異此者,則諸佛身應不能持無邊心力。大覺獨覺及轉輪王支節相連,如其次第,似龍蟠結連鎖相鈎,故三相望力有勝劣。那羅延力其量云何?十十倍增象等七力,謂凡象、香象、摩訶諾健那、缽羅塞建提、伐浪伽、遮怒羅、那羅延,後後力增前前十倍。有說:前六十十倍增,敵那羅延半身之力,此力一倍成那羅延。於所說中唯多應理。如是身力觸處為性,謂所觸中大種差別。有說:是造觸離七外別有。佛四無畏相別云何?頌曰:

論に曰く:仏の生身の力は那羅延(天力士の名)に等し。其余の師有りて説く:仏身の支節は一一に皆那羅延の力を具す。大徳法救の説く:諸の如来の身力は辺無し。猶お心力のごとし。もし此に異なるは、則ち諸仏の身は応に能く辺無き心力を持せざるべし。大覚・独覚および転輪王の支節の相連なるは、次第のごとく、龍の蟠結・連鎖の相鉤するに似たり。ゆえに三相は望みて力に勝劣有り。那羅延の力の其の量は如何。十十に倍増する象等の七力。いわゆる凡象・香象・摩訶諾健那・鉢羅塞建提・伐浪伽・遮怒羅・那羅延。後後の力は前前に十倍を増す。ある説に、前の六十十に倍増して、那羅延の半身の力に敵し、此の力は一倍して那羅延を成す。説く所の中に於いてただ多くは応に理。此のようの身力は触処を以て性と為す。いわゆる触する所の中の大種の差別。ある説に、是れ造触にして七の外に離れて別有り。仏の四無畏の相別は如何。頌に曰く、

四無畏如次,初十二七力。

四無畏は次第のごとく、初・十・二・七の力。

論曰:佛四無畏,如經廣說:一正等覺無畏,十智為性,猶如初力。二漏永盡無畏,六十智性,如第十力。三說障法無畏,八智為性,如第二力。四說出道無畏,九十智性,如第七力。如何於智立無畏名?此無畏名目無怯懼,由有智故不怯懼他,故無畏名目諸智體。理實無畏是智所成,不應說言體即是智。佛三念住相別云何?頌曰:

論に曰く:仏の四無畏は、経の広く説くがごとく:一は正等覚の無畏。十智を以て性と為す。猶お初の力のごとし。二は漏の永尽の無畏。六十智性。第十の力のごとし。三は障法を説くの無畏。八智を以て性と為す。第二の力のごとし。四は出道を説くの無畏。九十智性。第七の力のごとし。如何にして智に於いて無畏の名を立つるか。此の無畏の名は目して怯惧無し。智有るに由って他に怯惧せざるがゆえに、ゆえに無畏の名は目して諸智の体。理実は無畏は智の成ずる所。応に体即ち是れ智と説くべからず。仏の三念住の相別は如何。頌に曰く、

三念住念慧,緣順違俱境。

三念住は念・慧。順・違・俱の境に縁ず。

論曰:佛三念住,如經廣說。諸弟子眾一向恭敬能正受行,如來緣之不生歡喜,捨而安住正念正知,是謂如來第一念住。諸弟子眾唯不恭敬不正受行,如來緣之不生憂慼,捨而安住正念正知,是謂如來第二念住。諸弟子眾一類恭敬能正受行,一類不敬不正受行,如來緣之不生歡慼,捨而安住正念正知,是謂如來第三念住。此三皆用念慧為體。諸大聲聞亦於弟子順違俱境離歡慼俱,此何名為不共佛法?唯佛於此並習斷故。或諸弟子隨屬如來有順違俱應甚歡慼,佛能不起可謂希奇。非屬諸聲聞不起非奇特,故唯在佛得不共名。諸佛大悲云何相別?頌曰:

論に曰く:仏の三念住は、経の広く説くがごとし。諸の弟子の衆は一向に恭敬して能く正しく受行す。如来は之に縁じて歓喜を生ぜず、捨して安らかに住して正念・正知。是れを如来の第一念住と謂う。諸の弟子の衆はただ恭敬せず正しく受行せず。如来は之に縁じて憂戚を生ぜず、捨して安らかに住して正念・正知。是れを如来の第二念住と謂う。諸の弟子の衆は一類は恭敬して能く正しく受行し、一類は敬せず正しく受行せず。如来は之に縁じて歓戚を生ぜず、捨して安らかに住して正念・正知。是れを如来の第三念住と謂う。此の三は皆念・慧を用いて体と為す。諸の大声聞もまた弟子の順・違・俱の境に於いて歓戚を離れて俱なり。此れ何をか名づけて不共の仏法か。ただ仏は此に於いて并びに習を断ずるがゆえに。或いは諸の弟子の如来に随属するは順・違・俱有りて応に甚だ歓戚すべきも、仏は能く起さず。謂うべし希奇と。属する諸の声聞に非ざれば起さざるは奇特に非ず。ゆえにただ仏に於いて不共の名を得。諸仏の大悲は如何に相別か。頌に曰く、

大悲唯俗智,資糧行相境,

大悲はただ俗智。資糧・行相・境、

平等上品故,異悲由八因。

平等・上品なるがゆえに。悲と異なるは八因に由る。

論曰:如來大悲俗智為性,若異此者則不能緣一切有情,亦不能作三苦行相,如共有悲。此大悲名依何義立?依五義故此立大名:一由資糧故大,謂大福德智慧資糧所成辦故。二由行相故大,謂此力能於三苦境作行相故。三由所緣故大,謂此總以三界有情為所緣故。四由平等故大,謂此等於一切有情作利樂故。五由上品故大,謂最上品更無餘悲能齊此故。此與悲異由八種因:一由自性,無痴無瞋自性異故。二由行相,三苦一苦行相異故。三由所緣,三界一界所緣異故。四由依地,第四靜慮通餘異故。五由依身,唯佛通餘身有異故。六由證得,離有頂欲證得異故。七由救濟,事成希望救濟異故。八由哀愍,平等不等哀愍異故。已辯佛德異餘有情。諸佛相望法皆等不?頌曰:

論に曰く:如来の大悲は俗智を以て性と為す。もし此に異なるは則ち能く一切の有情に縁ぜず、もまた能く三苦の行相を作さず。共有の悲のごとし。此の大悲の名は何の義に依ってか立つるか。五義に依るがゆえに此れ大名を立つ。一は資糧に由って大。いわゆる大きの福徳・智慧の資糧の成弁する所なるがゆえに。二は行相に由って大。いわゆる此の力は能く三苦の境に於いて行相を作すがゆえに。三は所縁に由って大。いわゆる此れは総じて三界の有情を以て所縁と為すがゆえに。四は平等に由って大。いわゆる此れは一切の有情に於いて等しく利楽を作すがゆえに。五は上品に由って大。いわゆる最上品にして更に其余の悲の能く此に斉しき無きがゆえに。此れは悲と異なるは八種の因に由る。一は自性に由る。無癡・無瞋の自性の異なるがゆえに。二は行相に由る。三苦・一苦の行相の異なるがゆえに。三は所縁に由る。三界・一界の所縁の異なるがゆえに。四は依地に由る。第四静慮・其余に通ずるの異なるがゆえに。五は依身に由る。ただ仏・其余の身に通ずるの異有るがゆえに。六は証得に由る。有頂の欲を離れて証得の異なるがゆえに。七は救済に由る。事成・希望の救済の異なるがゆえに。八は哀愍に由る。平等・不等の哀愍の異なるがゆえに。已に仏徳は其余の有情と異なるを弁じたれば、諸仏は相望みて法は皆等しきか否や。頌に曰く、

由資糧法身,利他佛相似,

資糧・法身、利他に由って仏は相似し、

壽種姓量等,諸佛有差別。

寿・種姓・量等は、諸仏に差別有り。

論曰:由三事故諸佛皆等,一由資糧等圓滿故、二由法身等成辦故、三由利他等究竟故。由壽種姓身量等殊,諸佛相望容有差別。壽異謂佛壽有短長,種異謂佛生剎帝利、婆羅門種,姓異謂佛姓喬答摩、迦葉波等。量異謂佛身有小大。等言顯諸佛法住久近等。如是有異,由出世時所化有情機宜別故。諸有智者思惟如來三種圓德深生愛敬。其三者何?一因圓德、二果圓德、三恩圓德。初因圓德復有四種:一無餘修,福德智慧二種資糧修無遺故。二長時修,經三大劫阿僧企耶修無倦故。三無間修,精勤勇猛剎那剎那修無廢故。四尊重修,恭敬所學無所顧惜修無慢故。次果圓德亦有四種:一智圓德、二斷圓德、三威勢圓德、四色身圓德。智圓德有四種:一、無師智;二、一切智;三、一切種智;四、無功用智。斷圓德有四種:一、一切煩惱斷;二、一切定障斷;三、畢竟斷;四、並習斷。威勢圓德有四種:一於外境化變住持自在威勢、二於壽量若促若延自在威勢、三於空障極遠速行小大相入自在威勢、四令世間種種本性法爾轉勝希奇威勢。威勢圓德復有四種:一難化必能化、二答難必決疑、三立教必出離、四惡黨必能伏。色身圓德有四種:一具眾相;二具隨好;三具大力;四內身骨堅越金剛,外發神光踰百千日。後恩圓德亦有四種,謂令永解脫三惡趣生死,或能安置善趣三乘。總說如來圓德如是,若別分析則有無邊,唯佛世尊能知能說,要留命行經多大劫阿僧企耶說乃可盡。如是則顯佛世尊身具有無邊殊勝奇特因果恩德如大寶山。有諸愚夫自乏眾德,雖聞如是佛功德山及所說法不能信重。諸有智者聞說如斯生信重心徹於骨髓,彼由一念極信重心轉滅無邊不定惡業,攝受殊勝人天涅槃,故說如來出現於世,為諸智者無上福田,依之引生不空可愛殊勝速疾究竟果故。如薄伽梵自說頌言:

論に曰く:三事に由るがゆえに諸仏は皆等し。一は資糧の等しく円満なるがゆえ、二は法身の等しく成弁せるがゆえ、三は利他の等しく究竟せるがゆえに。寿・種姓・身量等の殊なるに由って、諸仏は相望みて容そ差別有り。寿の異とは仏寿に短長有るを謂う。種の異とは仏は刹帝利・婆羅門の種に生ずを謂う。姓の異とは仏姓は喬答摩・迦葉波等を謂う。量の異とは仏身に小大有るを謂う。等の言は諸仏の法住の久近等を顕す。此のようの異有るは、出世の時の化する所の有情の機宜の別あるに由るがゆえに。諸の智有るは如来の三種の円徳を思惟して深く愛敬を生ず。其の三とは何ぞ。一は因円徳、二は果円徳、三は恩円徳。初の因円徳は復た四種有り。一は無余修。福徳・智慧の二種の資糧を修して遺無きがゆえに。二は長時修。三大劫阿僧企耶を経て修して倦無きがゆえに。三は無間修。精勤勇猛にして刹那刹那に修して廃無きがゆえに。四は尊重修。学する所を恭敬して顧惜する所無く修して慢無きがゆえに。次に果円徳もまた四種有り。一は智円徳、二は断円徳、三は威勢円徳、四は色身円徳。智円徳に四種有り。一は無師智、二は一切智、三は一切種智、四は無功用智。断円徳に四種有り。一は一切煩悩の断、二は一切定障の断、三は畢竟断、四は并びに習を断ず。威勢円徳に四種有り。一は外境に於いて化変して住持する自在の威勢、二は寿量に於いてもし促にもし延にも自在の威勢、三は空障に於いて極遠に速行し小大相入する自在の威勢、四は世間の種種の本性の法爾転じて勝れたる希奇の威勢。威勢円徳は復た四種有り。一は化し難きを必ず能く化し、二は難に答えて必ず疑を決し、三は教を立てて必ず出離せしめ、四は悪党に必ず能く伏す。色身円徳に四種有り。一は衆相を具え、二は随好を具え、三は大力を具え、四は内の身骨は堅くして金剛を越え、外に神光を発して百千日を逾ゆ。後の恩円徳もまた四種有り。いわゆる永く三悪趣の生死を解脱せしめ、或いは能く善趣・三乗に安置す。総じて如来の円徳を説くは此のよう。もし別に分析すれば則ち辺無き有り。ただ仏世尊のみ能く知り能く説く。要するに命を留めて経て多大劫阿僧企耶を説いて乃ち尽くすべし。此のようは則ち仏世尊の身は具に辺無き殊勝の奇特の因・果・恩の徳を大宝山のごときを顕す。諸の愚夫有りて自ら衆徳に乏しく、此のようの仏功徳山および説く所の法を聞くと雖も能く信重せず。諸の智有るは説くを聞いて斯のごとき信重の心を生じて骨髓に徹す。彼は一念の極信重の心に由って辺無き不定の悪業を転滅し、殊勝の人天・涅槃を摂受す。ゆえに説く如来の世に出現するは、為に諸の智の無上の福田と為り、之に依って空しからず可愛の殊勝の速疾の究竟の果を引生するがゆえに。薄伽梵が自ら説きたまえる頌のごとく:

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