Libo

説一切有部倶舎論 巻第二

唐 · 世亲造,玄奘译 · 第4巻 / 38

アビダルマ倶舎論 巻第三

尊者世親造

尊者世親造。

三藏法師玄奘奉詔譯

三蔵法師玄奘、詔を奉じて訳す。

分別根品第二之一

分別根品 第二之一。

如是因界已列諸根,即於此中根是何義?最勝自在光顯名根,由此總成根增上義。此增上義誰望於誰?頌曰:

このように界に因りて已に諸根を挙げた。まさにここで根とはいかなる義か。最勝・自在・光顕を根と名づく。これによって総じて根の増上の義を成す。この増上の義は誰が誰に対するか。頌に曰く:

傳說五於四,四根於二種,

伝説に五根は四事において、四根は二種の事において、

五八染淨中,各別為增上。

五受と八根は染・浄中において、各別に増上と為る。

論曰:眼等五根各於四事能為增上:一莊嚴身、二導養身、三生識等、四不共事。且眼耳根莊嚴身者,謂若盲聾身醜陋故。導養身者,謂因見聞避險難故。生識等者,謂發二識及相應故。不共事者,謂能見色聞聲別故。鼻舌身根莊嚴身者,如眼耳說。導養身者,謂於段食能受用故。生識等者,謂發三識及相應故。不共事者,謂嗅甞覺香味觸故。女、男、命、意各於二事能為增上。且女、男根二增上者,一有情異、二分別異。有情異者,由此二根令諸有情女男類別。分別異者,由此二根形相言音乳房等別。有說:此於染淨增上故言於二。所以者何?本性損壞。扇搋半擇及二形人無不律儀無間斷善諸雜染法,亦無律儀得果離染諸清淨法。命根二者,謂於眾同分能續及能持。意根二者,謂能續後有及自在隨行。能續後有者,如契經言:時健達縛於二心內隨一現前,謂或愛俱、或恚俱等。自在隨行者,如契經言:

論に曰く:眼等の五根は各々四事において能く増上を為す:一に身を荘厳し、二に身を導養し、三に識等を生じ、四に不共の事。暫く眼・耳の根が身を荘厳するとは、いわゆるもし盲・聾ならば身は醜陋なるゆえ。身を導養するとは、いわゆる見聞に因りて険難を避くるゆえ。識等を生ずるとは、いわゆる二識およびその相応を発するゆえ。不共事とは、いわゆる能く色を見声を聞くに別あるゆえ。鼻・舌・身の根が身を荘厳するは眼・耳の説くが如し。身を導養するとは、いわゆる段食において受用し能うるゆえ。識等を生ずるとは、いわゆる三識およびその相応を発するゆえ。不共事とは、いわゆる香・味・触を嗅ぎ嘗め覚るゆえ。女・男・命・意は各々二事において能く増上を為す。暫く女・男根の二の増上:一に有情を異ならしめ、二に分別を異ならしむ。有情を異ならしむるは、この二根によって諸の有情に女・男の類の別あらしむるゆえ。分別を異ならしむるは、この二根によって形相・言音・乳房等の別あるゆえ。ある人の説に:これは染浄において増上なるゆえに二において説く、と。なぜか。本性の損壊せる扇搋(生まれつき男根なき者)・半択(淫を行じ能わざる者)および二形の人は、不律儀・無間・断善の諸の雑染法なく、また律儀・得果・離染の諸の清浄法もなきゆえ。命根の二とは、いわゆる衆同分において能く続しおよび能く持す。意根の二とは、いわゆる能く後有を続しおよび自在に随行す。能く後有を続するとは、契経に説くが如く:時に健達縛(中有の有情)は二心の内に随一を現前す、いわゆるあるいは愛に俱、あるいは恚に俱等、と。自在に随行するとは、契経に説くが如く:

心能導世間,心能遍攝受,

心は能く世間を導き、心は能く遍く摂受す、

如是心一法,皆自在隨行。

このように心の一法は、自在に随行す。

樂等五受、信等八根,於染淨中如次增上。樂等五受染增上者,貪等隨眠所隨增故。信等八根淨增上者,諸清淨法隨生長故。有餘師說:樂等於淨亦為增上。如契經說:「樂故心定」、「苦為信依」,亦「出離依喜及憂、捨」。毘婆沙師傳說如此。有餘師說:能導養身非眼等用,是識增上,識了方能避於險難,受段食故。見色等用亦非異識,故不共事於眼等根,不可立為別增上用,故非由此眼等成根。若爾,云何?頌曰:

(論に続けて曰く:)楽等の五受・信等の八根は、染・浄中において次いで増上す。楽等の五受は染の増上なり、貪等の随眠の随増する所なるゆえ。信等の八根は浄の増上なり、諸の清浄法の随って生長する所なるゆえ。ある師の説に:楽等は浄においてもまた増上を為す、契経に説くが如く「楽によりて心定まる」、「苦は信の依と為る」、また「喜および憂・捨に依りて出離す」と。毘婆沙師はかく伝説す。ある師の説に:能く身を導養するは眼等の用に非ず、これは識の増上なり。識了らばこそ能く険難を避け段食を受けんゆえ、と。色を見る等の用もまた識に異ならず、ゆえに不共事は眼等の根において別の増上用と立つべからず。ゆえにこれによりて眼等は根と成るに非ず。もし爾ならば如何。頌に曰く:

了自境增上,總立於六根,

自境を了るに増上ありて、総じて六根に立て、

從身立二根,女男性增上,

身より二根を立つるは女男性に増上あるゆえ、

於同住雜染,清淨增上故。

衆同分の住において、雑染において、清浄において増上あるゆえ。

應知命五受,信等立為根,

命と五受、信等を根と立つると知るべし、

未當知已知,具知根亦爾,

未知当知・已知・具知の根もまたこの如し、

於得後後道,涅槃等增上。

後後の道・涅槃等を得るにおいて増上あるゆえ。

論曰:了自境者,謂六識身。眼等五根於能了別各別境識有增上用,第六意根於能了別一切境識有增上用,故眼等六各立為根。豈不色等於能了識亦有增上應立為根?境於識中無增上用。夫增上用謂勝自在,眼於所發了色識中最勝自在故名增上,於了眾色為通因故,識隨眼根有明昧故。色則不然,二相違故。乃至意根於法亦爾。從身復立女男根者,女男性中有增上故。女男根體不離身根,身一分中立此名故。如其次第,女男性中,此女男根有增上用,此處少異餘處身根,故從身根別立為二。女身形類音聲作業志樂差別,名為女性。男身形類音聲作業志樂不同,名為男性。二性差別由女男根,故說女男根於二性增上,於眾同分住中命根有增上用,於雜染中樂等五受有增上用。所以者何?由契經說:於樂受貪隨增,於苦受瞋隨增,於不苦不樂受無明隨增故。於清淨中信等五根有增上用。所以者何?由此勢力伏諸煩惱引聖道故。言應知者,勸許一一各能為根,三無漏根於得後後道涅槃等有增上用。言亦爾者,類顯一一各能為根,謂未知當知根於得已知根道有增上用,已知根於得具知根道有增上用,具知根於得涅槃有增上用,非心未解脫能般涅槃故。等言為顯復有異門。云何異門?謂見所斷煩惱滅中未知當知根有增上用,於修所斷煩惱滅中已知根有增上用,於現法樂住中具知根有增上用,由此能領受解脫喜樂故。若增上故立為根者,無明等性應立為根,無明等因於行等果各各別有增上用故。又語具等應立為根,語具手足大小便處,於語執行棄樂事中如其次第有增上故。如是等事不應立根,由所許根有如是相。頌曰:

論に曰く:自境を了るとは、いわゆる六識身。眼等の五根は能く各別の境を了別する識において増上の用あり、第六の意根は能く一切境を了別する識において増上の用あり。ゆえに眼等の六は各々根と立つ。豈に色等も能了の識において増上ありて根と立つべからざらんや。境は識において増上の用なし。いわゆる増上用とは勝自在を謂う。眼は発する所の色を了る識中において最も勝自在なるゆえに増上と名づく、衆色を了るに通因と為るゆえ、識は眼根に随って明昧あるゆえ。色は然らず、二相違なるゆえ。乃至意根の法においてもまたこの如し。身よりまた女男根を立つるは、女男性中に増上あるゆえ。女男根の体は身根を離れず、身の一分中にこの名を立つるゆえ。その次第の如く、女男性中においてこの女男根に増上の用あり、此処は少しく其余の処の身根に異なるゆえに、身根より別に二と立つ。女の身形類・音声・作業・志楽の差別を女性と名づく。男の身形類・音声・作業・志楽の不同を男性と名づく。二性の差別は女男根によるゆえに、女男根は二性において増上と説く。衆同分の住中において命根に増上の用あり、雑染中において楽等の五受に増上の用あり。なぜか。契経に説くゆえ:楽受において貪が随増し、苦受において瞋が随増し、不苦不楽受において無明が随増す、と。清浄中において信等の五根に増上の用あり。なぜか。この勢力によって諸の煩悩を伏し聖道を引くゆえ。「知るべし」と説くは、一一が各々根と為りうるを勧め許さんがため。三無漏根は後後の道・涅槃等を得るにおいて増上の用あり。「もまたこの如し」と説くは、一一が各々根と為りうるを類して顕さんがため。いわゆる未知当知根は已知根の道を得るにおいて増上の用あり、已知根は具知根の道を得るにおいて増上の用あり、具知根は涅槃を得るにおいて増上の用あり。心未だ解脱せずして能く般涅槃するに非ざるゆえ。「等」の字はまた異門あるを顕さんがため。何を異門とするか。いわゆる見所断の煩悩の滅において未知当知根に増上の用あり、修所断の煩悩の滅において已知根に増上の用あり、現法の楽住において具知根に増上の用あり。これによって能く解脱の喜楽を領受するゆえ。もし増上なるによって根と立つるなら、無明等の性も根と立つべし、無明等の因が行等の果において各々別に増上の用あるゆえ。また語具等も根と立つべし、語具・手足・大小便処は語・執・行・棄・楽の事においてその次第の如く増上あるゆえ。この如き等の事は根と立つべからず、許す所の根にかかる相あるによる。頌に曰く:

心所依此別,此住此雜染,

心の所依・これの差別・これの住・これの雑染・

此資糧此淨,由此量立根。

これの資糧・これの浄、この量によって根を立つ。

論曰:心所依者,眼等六根。此內六處是有情本,此相差別由女男根,復由命根此一期住。此成雜染由五受根,此淨資糧由信等五,此成清淨由後三根,由此立根事皆究竟。是故不應許無明等及語具等亦立為根,彼無此中增上用故。復有餘師別說根相。頌曰:

論に曰く:心の所依とは、眼等の六根。これ内の六処は有情の本なり。これの相の差別は女男根により、また命根によりてこれ一期に住す。これ雑染を成ずるは五受根により、これ浄の資糧は信等の五により、これ清浄を成ずるは後の三根による。これによって根を立つる事は皆究竟す。ゆえに無明等および語具等もまた根と立つと許すべからず、彼にはこの中の増上の用なきゆえ。またある師は別に根の相を説く。頌に曰く:

或流轉所依,及生住受用,

あるいは流転の所依、および生・住・受用に、

建立前十四,還滅後亦然。

前の十四を建立し、還滅は後の八もまたこの如し。

論曰:或言顯此是餘師意,約流轉還滅立二十二根。流轉所依謂眼等六,生由女男從彼生故。住由命根,仗彼住故。受用由五受因,彼領納故。約此建立前十四根。還滅位中即約此四義類別故立後八根。還滅所依謂信等五,於三無漏由初故生,由次故住,由後受用,根量由此無減無增。即由此緣經立次第,不應語具於語為根,待學差別語方成故。手足不應於執行事各立為根,無異性故,謂即手足異處異相差別生時名執行故。又離手足亦有執行,如腹行類。是故手足不可於彼建立為根。出大便處於能棄事不應立根,重物於空遍墮落故,又由風力引令出故。出小便處於生樂事不應立根,即女男根起此樂故。又諸喉齒眼瞼支節應立為根,於能吞嚼開閉屈申有力用故。或一切因於自所作有力用故皆應立根,彼雖有用非增上故。不立根者,此語具等亦非增上不應立根。此中眼等乃至男根如前已說。命根體是不相應故,不相應中自當廣辯。信等體是心所法故,心所法中亦當廣辯。樂等五受、三無漏根,更無辯處故今應釋。頌曰:

論に曰く:「或」の字はこれは余師の意なるを顕す。流転・還滅に約して二十二根を立つ。流転の所依は眼等の六を謂う。生は女男による、彼より生ずるゆえ。住は命根による、彼に仗って住するゆえ。受用は五受の因による、彼が領納するゆえ。これに約して前の十四根を建立す。還滅の位中ではすなわちこの四義に約して類別するゆえに後の八根を立つ。還滅の所依は信等の五を謂い、三無漏において初によりて生じ、次によりて住し、後によりて受用す。根の量はこれによって減ずるなく増ずるなし。すなわちこの縁によりて経は次第を立つ。語具は語において根とすべからず、学の差別を待ちて語才に成るゆえ。手足は執・行の事において各々根と立つべからず、異性なきゆえ。いわゆるすなわち手足の異処・異相の差別生ずる時を執・行と名づくるゆえ。また手足を離れても執・行あり、腹行の類の如し。ゆえに手足は彼において根と建立すべからず。大便を出す処は能棄の事において根と立つべからず、重物は空中に遍く堕落するゆえ、また風力に引かれて出づるゆえ。小便を出す処は生楽の事において根と立つべからず、すなわち女男根がこの楽を起すゆえ。また諸の喉・歯・眼瞼・支節は根と立つべし、能く呑嚼・開閉・屈申することに力用あるゆえ、というも、彼は用あると雖も増上に非ざるゆえに根と立てず。この語具等もまた増上に非ざれば根と立てず。この中、眼等乃至男根は前に已に説いた。命根の体は不相応なるゆえに、不相応中において自ずから広く弁ずべし。信等の体は心所法なるゆえに、心所法中においてもまた広く弁ずべし。楽等の五受・三無漏根は更に弁ずる処なきゆえに今釈すべし。頌に曰く:

身不悅名苦,即此悅名樂,

身の悦ばざるを苦と名づけ、すなわちこれの悦ぶを楽と名づけ、

及三定心悅,餘處此名喜,

および三定の心の悦は、余処においてこれを喜と名づく、

心不悅名憂,中捨二無別,

心の悦ばざるを憂と名づく。中の捨は二に別なし、

見修無學道,依九立三根。

見・修・無学の道は、九に依りて三根を立つ。

論曰:身謂身受,依身起故,即五識相應受。言不悅者是損惱義,於身受內能損惱者名為苦根。所言悅者是攝益義,即身受內能攝益者名為樂根。及第三定心相應受能攝益者亦名樂根,第三定中無有身受,五識無故心悅名樂。即此心悅除第三定,於下三地名為喜根。第三靜慮心悅安靜,離喜貪故唯名樂根。下三地中心悅麁動有喜貪故,唯名喜根。意識相應能損惱受,是心不悅,名曰憂根。中謂非悅非不悅,即是不苦不樂受,此處中受名為捨根。如是捨根為是身受、為是心受?應言通二。何因此二總立一根?此受在身心,同無分別故。在心苦樂多分別生,在身不然,隨境力故。阿羅漢等亦如是生,故此立根,身心各別,捨無分別任運而生,是故立根,身心合一。又苦樂受在身在心為損為益,其相各異,故別立根。捨在身心同無分別,非損非益其相無異,故總立根。意樂喜捨信等五根,如是九根在於三道,如次建立三無漏根。謂在見道依意等九立未知當知根,若在修道即依此九立已知根,在無學道亦依此九立具知根。如是三名因何而立?謂在見道有未曾知當知行轉故,說彼名未知當知。若在修道無未曾知,但為斷除餘隨眠故,即於彼境復數了知,是故說彼名為已知。在無學道知己已知故名為知,有此知者名為具知。或習此知已成性者名為具知,謂得盡智、無生智故如實自知:我遍知苦,不復遍知。乃至廣說。彼所有根名為未知當知根等,如是已釋根體不同,當辯諸門義類差別。此二十二根中幾有漏、幾無漏?頌曰:

論に曰く:身とは身受を謂う、身に依って起るゆえ、すなわち五識の相応の受。悦ばざると説くは損悩の義、身受の内に能く損悩するを苦根と名づく。説く所の悦ぶは摂益の義、すなわち身受の内に能く摂益するを楽根と名づく。および第三定の心に相応の受は能く摂益するをもってもまた楽根と名づく、第三定中に身受なし、五識なきゆえに心の悦を楽と名づく。すなわちこの心の悦は第三定を除き、下の三地において喜根と名づく。第三静慮の心の悦は安静にして、喜貪を離るるゆえにただ楽根と名づく。下の三地中の心の悦は粗動にして喜貪あるゆえに、ただ喜根と名づく。意識に相応する能く損悩する受は、これ心の不悦、憂根と名づく。中とは悦に非ず不悦に非ず、すなわちこれ不苦不楽受、この処の中の受を捨根と名づく。このように捨根はこれ身受か、それとも心受か。まさに二に通ずと説くべし。何の因にこの二を総じて一根と立つるか。この受は身に在心に在るに、同じく分別なきゆえ。心に在る苦楽は多分別より生ず、身に在るは然らず、境の力に随うゆえ。阿羅漢等もまたこの如く生ず、ゆえにこれを根と立つるに身心各別なり。捨は分別なく任運に生ずるゆえに、根と立つるに身心を合一す。また苦楽受が身在り心在りて損と為り益と為るにその相各々異なるゆえに別々に根と立つ。捨は身心において同じく分別なく、損に非ず益に非ずその相異なきゆえに総じて根と立つ。意・楽・喜・捨・信等の五根、この九根は三道において、次いで三無漏根を建立す。いわゆる見道において意等の九に依りて未知当知根を立て、もし修道においてはすなわちこの九に依りて已知根を立て、無学道においてもまたこの九に依りて具知根を立つ。このように三名は何に因りて立つか。いわゆる見道において未だ曾て知らざる、当知の行転あるゆえに、彼を未知当知と説く。もし修道においては未だ曾て知らざるなく、ただ其余の随眠を断除せんがためのゆえに、すなわち彼の境においてまた数々了知す、ゆえに彼を已知と説く。無学道においては知已に已知なるゆえに知と名づき、この知あるを具知と名づく。あるいはこの知を習して已に性と成せるを具知と名づく、いわゆる尽智・無生智を得るゆえに如実に自ら知る:我遍く苦を知り、復た遍く知らず。乃至広く説くが如し。彼の所有の根を未知当知根等と名づく。このように已に根体の不同を釈し竟えた。まさに諸門の義類の差別を弁ずべし。この二十二根中、いくつが有漏、いくつが無漏か。頌に曰く:

唯無漏後三,有色命憂苦,

無漏なるはただ後の三。有色・命・憂・苦は、

當知唯有漏,通二餘九根。

ただ有漏と知るべし。二に通ずるは其余の九根。

論曰:次前所說最後三根,體唯無漏是無垢義。垢之與漏名異體同。七有色根及命憂苦一向有漏。七有色者,眼等五根及女男根,色蘊攝故。意樂喜捨信等五根,此九皆通有漏無漏。有餘師說:信等五根亦唯無漏,故世尊說:若全無此信等五根,我說彼住外異生品。此非誠證,依無漏根說此言故。云何知然?先依無漏信等五根建立諸聖位差別已說此言故。或諸異生略有二種:一內、二外。內謂不斷善根,外謂善根已斷。依外異生作如是說:若全無此信等五根,我說彼住外異生品。又契經說:有諸有情處在世間,或生或長,有上中下諸根差別。是佛猶未轉法輪時,故知信等亦通有漏。又世尊說:我若於此信等五根,未如實知是集沒味過患出離,未能超此天人世間及魔梵等,乃至未能證得無上正等菩提。乃至廣說。非無漏法可作如是品類觀察故,信等五根通有漏無漏。如是已說有漏無漏。二十二根中幾是異熟、幾非異熟?頌曰:

論に曰く:次前に説く所の最後の三根は、体はただ無漏、これ無垢の義。垢と漏とは名異なりて体同じ。七有色根および命・憂・苦は一向に有漏。七有色とは、眼等の五根および女・男根、色蘊の摂するゆえ。意・楽・喜・捨・信等の五根、この九は都て有漏・無漏に通ず。ある師の説に:信等の五根もまたただ無漏なり、世尊の説くゆえ:もし全くこの信等の五根無からば、我説かん彼は外の異生の品に住す、と。この誠の証に非ず、無漏根に依りてこの言を説くゆえ。どうしてこの如くと知るか。先に無漏の信等五根に依りて諸の聖位の差別を建立して已にこの言を説きしゆえ。あるいは諸の異生に略して二種あり:一に内、二に外。内とは善根を断ぜざるを謂い、外とは善根已に断ぜるを謂う。外の異生に依りてこのように説く:もし全くこの信等の五根無からば、我説かん彼は外の異生の品に住す、と。また契経に説く:諸の有情ありて世間に処し、あるいは生じあるいは長じ、上・中・下の諸根の差別あり、と。これ仏のなお未だ法輪を転を転ぜざりし時なり。ゆえに信等もまた有漏に通ずと知る。また世尊の説く:我もしこの信等の五根において、未だ如実に集・没・味・過患・出離を知らずんば、未だ能くこの天・人の世間および魔・梵等を超えず、乃至未だ能く無上正等菩提を証得せず。乃至広く説く。無漏の法はこのようの品類の観察を作すべからざるゆえ、信等の五根は有漏・無漏に通ず。このように已に有漏・無漏を説き竟えた。二十二根中いくつが異熟、いくつが非異熟か。頌に曰く:

命唯是異熟,憂及後八非,

命はただ異熟、憂および後の八は非、

色意餘四受,一一皆通二。

色・意・其余の四受は、一一皆二に通ず。

論曰:唯一命根定是異熟。若如是者,諸阿羅漢留多壽行此即命根,如是命根誰之異熟?如本論說:云何苾芻留多壽行?謂阿羅漢成就神通得心自在。若於僧眾、若於別人以諸命緣衣缽等物隨分佈施,施已發願,即入第四邊際靜慮,從定起已心念口言:諸我能感富異熟業,願皆轉招壽異熟果。時彼能感富異熟業,則皆轉招壽異熟果。復有欲令引取宿業殘異熟果。彼說前生曾所受業有殘異熟,由今所修邊際定力引取受用。云何苾芻捨多壽行?謂阿羅漢成就神通得心自在,於僧眾等如前佈施,施已發願,即入第四邊際靜慮,從定起已心念口言:諸我能感壽異熟業,願皆轉招富異熟果。時彼能感壽異熟業,則皆轉招富異熟果。尊者妙音作如是說:彼起第四邊際定力,引色界大種令身中現前,而彼大種或順壽行或違壽行,由此因緣或留壽行或捨壽行。應如是說,彼阿羅漢由此自在三摩地力,轉去曾得宿業所生諸根大種住時勢分,引取未曾定力所起諸根大種住時勢分,故此命根非是異熟,所餘一切皆是異熟。因論生論,彼阿羅漢有何因緣留多壽行?謂為利益安樂他故,或為聖教久住世故,觀知自身壽行將盡,觀他無此二種堪能。復何因緣捨多壽行?彼阿羅漢自觀住世於他利益安樂事少,或為病等苦逼自身。如有頌言:

論に曰く:唯一命根のみ定めて異熟なり。もしこのようなら、諸の阿羅漢が寿行を多く留めるこれが命根、このように命根は誰の異熟か。本論の説くが如く:何を苾芻の寿行を多く留むるとするか。いわゆる阿羅漢が神通を成就して心の自在を得、もし僧衆において、もし別人において、諸の命縁の衣・鉢等の物を随分に布施し、施し已って願を発し、すなわち第四の辺際静慮に入り、定より起き已って心念し口言す:諸の我が富の異熟業を感じうるを、願わくは都て転じて寿の異熟果を招かしめん、と。時に彼の富の異熟業を感じうるは、則ち都て転じて寿の異熟果を招く。また引き取らしめんと欲するは宿業の残りの異熟果なり。彼は前生に曽て受けたりし業に残りの異熟あるを、今修する所の辺際の定力によりて引き取りて受用すと説く。何を苾芻の寿行を多く捨つるとするか。いわゆる阿羅漢が神通を成就して心の自在を得、僧衆等において前の如く布施し、施し已って願を発し、すなわち第四の辺際静慮に入り、定より起き已って心念し口言す:諸の我が寿の異熟業を感じうるを、願わくは都て転じて富の異熟果を招かしめん、と。時に彼の寿の異熟業を感じうるは、則ち都て転じて富の異熟果を招く。尊者妙音がこのように説く:彼は第四の辺際の定力を起して、色界の大種を引いて身中に現前せしめ、しかして彼の大種はあるいは寿行に順いあるいは寿行に違う。この因縁によりてあるいは寿行を留めあるいは寿行を捨つ、と。まさにこのように説くべし。彼の阿羅漢はこの自在三摩地の力によりて、去りし曾て得たる宿業の生ぜし諸根大種の住時の勢分を転じて、未だ曾て得ざりし定力の起ぜし諸根大種の住時の勢分を引き取る。ゆえにこの命根は異熟に非ず、所余の一切は是れ異熟なり。論によりて論を生ず。彼の阿羅漢は何の因縁ありて寿行を多く留むるか。いわゆる他を利益し安楽せんがためのゆえ、あるいは聖教を久しく世に住せしめんがためのゆえ、自身の寿行の将に尽きんとするを観知し、他にこの二種の堪能なきを観ず。また何の因縁ありて寿行を多く捨つるか。彼の阿羅漢は自ら観ず、世に住して他に利益安楽の事少なし、あるいは病等の苦に逼されるに自身をもってす、と。頌に説くあるが如し:

梵行妙成立,聖道已善修,

梵行は妙に成立し、聖道已に善く修し、

壽盡時歡喜,猶如捨眾病。

寿尽くる時は歓喜す、衆病を捨つるが如し。

此中應知,依何處所誰能如是留捨壽行?謂三洲人女男相續,不時解脫得邊際定諸阿羅漢,由彼身中有自在定無煩惱故。經說:世尊留多命行、捨多壽行。命壽何別?有言:無別。如本論言:云何命根?謂三界壽。有餘師說:先世業果名為壽行,現在業果名為命行。有說:由此眾同分住名為壽行,由此暫住名為命行。多言為顯留捨多念,命行壽行非一剎那,命行壽行有留捨故。有說:此言為遮有一命壽實體經多時住。有說:此言為顯無一實命壽體,但於多行假立如是命壽二名。若謂不然,不應言行。世尊何故捨多壽行留多命行?為顯於死得自在故捨多壽行,為顯於活得自在故留多命行。唯留三月不增減者,越此更無所化事故,減此利生不究竟故。又為成立先自稱言我:善修行四神足故,欲住一劫或一劫餘,如心所期則便能住。毘婆沙師作如是說:顯今能伏蘊死二魔。世尊先於菩提樹下,已伏天魔煩惱魔故。傍論已竟,正論應辯。憂根及後信等八根皆非異熟,是有記故,餘皆通二。義準已成。謂七色意根除憂餘四受,十二一一皆通二類。七有色根若所長養則非異熟,餘皆異熟。意及四受若善染汙。若威儀路及工巧處並能變化,隨其所應亦非異熟,餘皆異熟。若說憂根非異熟者,此經所說當云何通?如契經言。:有三種業:順喜受業、順憂受業、順捨受業。依受相應言順無過,謂業與憂相應故名順憂受業,如觸與樂相應說名順樂受觸。若爾,順喜順捨受業亦應如是,一經說故。隨汝所欲,於我無違,異熟相應理皆無失,無逃難處。作此通經理實何因?憂非異熟,以憂分別差別所生,止息亦然;異熟不爾。若爾,喜根應非異熟,亦由分別生及止息故。若許憂根是異熟者,造無間業已因即生憂,此業爾時應名果已熟。亦應如是徵難喜根,若許喜根是異熟者,造勝福業已因即生喜,此業爾時應名果已熟。

(論に続けて曰く:)この中に知るべし、何の処所に依りて誰か能くこのように寿行を留め捨つるか。いわゆる三洲の人の女男の相続にして、時解脱を得ず辺際定を得たる諸の阿羅漢なり。彼の身中に自在の定ありて煩悩なきゆえ。経に説く:世尊は命行を多く留め、寿行を多く捨てたり、と。命・寿は何の別ぞや。言うに:別無し、本論の説くが如く:何を命根とするか。いわゆる三界の寿、と。ある師の説に:先世の業果を寿行と名づけ、現在の業果を命行と名づく、と。ある説に:これによって衆同分に住するを寿行と名づけ、これによって暫く住するを命行と名づく、と。「多」の字は留め捨つるが多念なるを顕さんがため、命行・寿行は一刹那に非ざればなり。命行・寿行に留め捨つるあるゆえ。ある説に:この言は一命寿の実体が多時を経て住すを遮るがため、と。ある説に:この言は一実の命寿体なきを顕さんがため、ただ多行において仮にかかる命寿の二名を立つ、と。もし然らずと謂わば、「行」と説くべからず。世尊は何の故にか寿行を多く捨て命行を多く留めたるか。死において自在を得たりと顕さんがためのゆえに寿行を多く捨て、活において自在を得たりと顕さんがためのゆえに命行を多く留む。ただ三月を留めて増減せざるは、これを越えて更に化すべき事なきゆえ、これを減ずれば生を利することが究竟せざるゆえ。また先に自ら称して言えるを成立せんがため:我善く四神足を修行す、ゆえに一劫あるいは一劫余に住せんと欲せば、心の期する所の如く則ち便ち住し得べし、と。毘婆沙師がこのように説く:今能く蘊・死の二魔を伏するを顕さんがためなり。世尊は先に菩提樹下において已に天魔・煩悩魔を伏せたるゆえ、と。傍論已に竟ん。正論を弁ずべし。憂根および後の信等の八根は都て異熟に非ず、是れ有記なるゆえ。其余は都て二に通ず。義準已に成れり。いわゆる七色・意根・憂を除く其余の四受、十二は一一皆二類に通ず。七有色根はもし所長養ならば則ち異熟に非ず、其余は都て異熟なり。意および四受はもし善・染污、もし威儀路および工巧処ならびに能変化ならば、その応ずる所に随いてもまた異熟に非ず、其余は都て異熟なり。もし憂根は異熟に非ずと説くなら、この経の説く所をまさにどう通ぜん。契経の説くが如く:三種の業あり:順喜受業・順憂受業・順捨受業、と。受に相応するに依りて順と説くは過なし、いわゆる業が憂に相応するゆえに順憂受業と名づく、触が楽に相応するに順楽受触と名づけるが如し。もし爾ならば、順喜・順捨の受業もまたこの如くなるべし、一経の説く所なるゆえ。汝の欲する所に随え、我に於いて違わず、異熟・相応ともに理は失われず、逃難の処なし。これを通ずる理は実に何の因ぞや。憂は異熟に非ず、憂は分別の差別の生ずる所なるを以て、止息もまたこの如し。異熟は爾らず。もし爾なら、喜根もまた異熟に非ずと説くべし、亦た分別より生じおよび止息するゆえ。もし憂根は是れ異熟と許さば、無間業を造り已って因より即ち憂を生ず、この業は爾の時まさに果已熟と名づくべし。まさにこの如く喜根をも征難すべし。もし喜根は是れ異熟と許さば、勝福の業を造り已って因より即ち喜を生ず、この業は爾の時まさに果已熟と名づくべし。

毘婆沙師鹹作是說:已離欲者無憂根故,異熟不然,故非異熟。若爾,應說離欲有情異熟喜根。何相知有?隨彼有相此相亦然,謂善喜根此位容有,無記異熟應類非無。於此位中憂一切種無容有故定非異熟,眼等八根若在善趣是善異熟,若在惡趣是惡異熟,意根隨在善趣惡趣是俱異熟,喜樂捨根隨在何趣是善異熟,苦根隨在善趣惡趣是惡異熟。於善趣中有二形者唯根處所,不善業招善趣色根,善業引故。如是已說是異熟等。二十二根中幾有異熟、幾無異熟?頌曰:

毘婆沙師は都てこのように説く:已に欲を離るれば憂根なきゆえ、異熟は然らず、ゆえに異熟に非ず、と。もし爾ならば、まさに欲を離れし有情は異熟の喜根あると説くべし。何の相にか有るを知る。彼の有相に随ってこの相もまたこの如し、いわゆる善の喜根はこの位に容れて有り、無記・異熟の類は無に非ざり。この位中に憂は一切種に容れて有るなく、ゆえに定めて異熟に非ず。眼等の八根はもし善趣にあれば善の異熟、もし悪趣にあれば悪の異熟。意根は善趣・悪趣に在るに随いて俱の異熟。喜・楽・捨根は何の趣に在るに随いても善の異熟。苦根は善趣・悪趣に在るに随いて悪の異熟。善趣中に二形あるはただ根の処所のみ、不善業は善趣の色根を招く、善業の引くゆえ。このように已に是れ異熟等を説き竟えた。二十二根中いくつが異熟あり、いくつが異熟なきか。頌に曰く:

憂定有異熟,前八後三無,

憂は定めて異熟あり。前の八、後の三は無く、

意餘受信等,一一皆通二。

意・其余の受・信等は、一一皆二に通ず。

論曰:如前所諍,憂根當知定有異熟,依唯越義頌說定聲,謂顯憂根唯有異熟兼具二義故越次說。具二義者,憂非無記,強思起故;亦非無漏,唯散地故。由此越次先說,憂根定有異熟。眼等前八及最後三定無異熟,八無記故,三無漏故,餘皆通二。義準已成,謂意根餘四受信等言等取精進等四根,此十一一皆通二類。意樂喜捨若不善善有漏有異熟,若無記無漏無異熟。苦根若善不善有異熟,若無記無異熟。信等五根若有漏有異熟,若無漏無異熟。如是已說有異熟等。二十二根中幾善、幾不善、幾無記?頌曰:

論に曰く:前に諍う所の如く、憂根は定めて異熟ありと知るべし。ただ越義に依りて頌に定の声を説く、いわゆる憂根はただ異熟ありて兼ねて二義を具するゆえを顕さんとて、次を越えて説く。二義を具するとは、憂は無記に非ず、強いて思の起るゆえ。もまた無漏に非ず、ただ散地なるゆえ。これによって次を越えて先に説く、憂根は定めて異熟ありと。眼等の前の八および最後の三は定めて異熟なし、八は無記なるゆえ、三は無漏なるゆえ。其余は都て二に通ず。義準已に成れり、いわゆる意根・其余の四受・「信等」の言は等しく精進等の四根を取る。この十一は一一皆二類に通ず。意・楽・喜・捨はもし不善・善有漏ならば異熟あり、もし無記・無漏ならば異熟なし。苦根はもし善・不善ならば異熟あり、もし無記ならば異熟なし。信等の五根はもし有漏ならば異熟あり、もし無漏ならば異熟なし。このように已に異熟有等を説き竟えた。二十二根中いくつが善、いくつが不善、いくつが無記か。頌に曰く:

唯善後八根,憂通善不善,

ただ善なるは後の八根。憂は善・不善に通じ、

意餘受三種,前八唯無記。

意・其余の受は三種、前の八はただ無記。

論曰:信等八根一向是善,數次雖居後,乘前故先說。憂根唯通善不善性,意及餘受一一通三,眼等八根唯無記性。如是已說善不善等。二十二根中幾欲界繫、幾色界繫、幾無色界繫?頌曰:

論に曰く:信等の八根は一向に是れ善、数の次は後に居ると雖も、前に乗じて先に説くゆえ。憂根はただ善・不善性に通ず。意および其余の受は一一三に通ず。眼等の八根はただ無記性。このように已に善・不善等を説き竟えた。二十二根中いくつが欲界の繫、いくつが色界の繫、いくつが無色界の繫か。頌に曰く:

欲色無色界,如次除後三,

欲・色・無色界は、次第に後の三を除き、

兼女男憂苦,併除色喜樂。

兼ねて女・男・憂・苦を除き、ならびに色の喜・楽を除く。

論曰:欲界除後三無漏根,由彼三根唯不繫故,準知欲界繫唯有十九根。色界如前,除三無漏兼除男、女、憂、苦四根,準知十五根亦通色界繫。除女男者,色界已離婬欲法故、由女男根身醜陋故。若爾,何故說彼為男?於何處說?契經中說。如契經言:無處無容女身為梵,有處有容男身為梵。別有男相,謂欲界中男身所有。無苦根者,身淨妙故,又彼無有不善法故。無憂根者,由奢摩他潤相續故,又彼定無惱害事故。無色如前,除三無漏、女、男、憂、苦,併除五色及喜、樂根,準知餘八根通無色界繫,謂意、命、捨、信等五根。如是已說欲界繫等。二十二根中幾見所斷、幾修所斷、幾非所斷?頌曰:

論に曰く:欲界は後の三無漏根を除く、彼の三根はただ不繫なるゆえ。準知して欲界の繫はただ十九根。色界は前の如く、三の無漏を除くに兼ねて男・女・憂・苦の四根を除く。準知して十五根もまた色界の繫に通ず。女・男を除くは、色界は已に淫欲の法を離れたるゆえ、また女男根によりて身は丑陋なるゆえ。もし爾ならば、何の故にか彼を男と説く。何の処にか説くや。契経中に説く。契経の説くが如く:女身の梵と為るは処無く容れず、男身の梵と為るは処ありて容る、と。別に男の相あり、いわゆる欲界中の男身の所有。苦根なきは、身の浄妙なるゆえ、また彼に不善法なきゆえ。憂根なきは、奢摩他(止)の潤う相続なるゆえ、また彼に定めて悩害の事なきゆえ。無色は前の如く、三の無漏・女・男・憂・苦を除き、ならびに五色および喜・楽根を除く。準知して其余の八根は無色界の繫に通ず、いわゆる意・命・捨・信等の五根。このように已に欲界繫等を説き竟えた。二十二根中いくつが見所断、いくつが修所断、いくつが非所断か。頌に曰く:

意三受通三,憂見修所斷,

意と三受は三に通じ、憂は見・修所断、

九唯修所斷,五修非三非。

九はただ修所断、五は修・非、三は非。

論曰:意、喜、樂、捨一一通三,皆通見、修、非所斷故。憂根唯通見修所斷,非無漏故。七色、命、苦唯修所斷,不染汙故、非六生故、皆有漏故。信等五根,或修所斷、或非所斷,非染汙故、皆通有漏及無漏故。最後三根唯非所斷,皆無漏故、非無過法是所斷故。已說諸門義類差別。何界初得幾異熟根?頌曰:

論に曰く:意・喜・楽・捨は一一三に通ず、都て見・修・非の所断に通ずるゆえ。憂根はただ見・修所断に通ず、無漏に非ざるゆえ。七色・命・苦はただ修所断、染污せざるゆえ、六生に非ざるゆえ、都て有漏なるゆえ。信等の五根はあるいは修所断、あるいは非所断、染污に非ざるゆえ、都て有漏および無漏に通ずるゆえ。最後の三根はただ非所断、都て無漏なるゆえ、無過の法は所断に非ざるゆえ。已に諸門の義類の差別を説き竟えた。何の界の初得にいくつの異熟根か。頌に曰く:

欲胎卵濕生,初得二異熟,

欲の胎・卵・湿生は、初め二の異熟を得、

化生六七八,色六上唯命。

化生は六・七・八、色は六、上はただ命。

論曰:欲胎、卵、濕生初受生位,唯得身與命二異熟根,由此三生根漸起故。彼何不得意、捨二根?此續生時定染汙故。化生初位得六七八,謂無形者初得六根,如劫初時。何等為六?所謂眼、耳、鼻、舌、身、命。若一形者初得七根,如諸天等。若二形者初得八根。豈有二形受化生者?惡趣容有二形化生。說欲界中初得根已。今次當說色無色界。欲界欲勝故但言欲,色界色勝故但言色。契經亦言:寂靜解脫,過色無色。色界初得六異熟根,如欲化生無形者說。上唯命者,謂無色界定勝生勝,故說上言。無色界中最初所得異熟根者,唯命非餘。說異熟根最初得已。何界死位幾根後滅?頌曰:

論に曰く:欲界の胎・卵・湿生の初の受生の位は、ただ身と命との二の異熟根を得、この三生は根の漸く起るゆえ。彼は何をか意・捨の二根を得ざる。この続生の時は定めて染污なるゆえ。化生の初位は六・七・八を得る。いわゆる無形なるは初め六根を得、劫初の時の如し。何等を六とするか。いわゆる眼・耳・鼻・舌・身・命。もし一形なるは初め七根を得、諸天等の如し。もし二形なるは初め八根を得。豈に二形ありて化生を受くる者あらんや。悪趣に二形の化生あるを容つ。欲界中の初得の根を説き已んぬ。今次いで色・無色界を説くべし。欲界は欲の勝なるゆえにただ欲と説き、色界は色の勝なるゆえにただ色と説く。契経もまた説く:寂静・解脱は色・無色を過ぎたり、と。色界は初め六の異熟根を得る、欲の化生の無形の説くが如し。上はただ命とは、いわゆる無色界は定勝・生勝なるゆえに上の言を説く。無色界中に最初に得る所の異熟根は、ただ命にして其余に非ず。異熟根の最初に得るを説き已んぬ。何の界の死の位にいくつの根が後に滅するか。頌に曰く:

正死滅諸根,無色三色八,

正しく死し滅する諸根は、無色は三、色は八、

欲頓十九八,漸四善增五。

欲は頓に十・九・八、漸は四、善は五を増す。

論曰:在無色界將命終時,命、意、捨三於最後滅。若在色界將命終時,即前三根及眼等五,如是八種於最後滅。一切化生必具諸根而生死故。若在欲界頓命終時,十九八根於最後滅,謂二形者後滅十根,即女男根並前八種。若一形者後滅九根,於女男中隨除一種。若無形者後滅八根,謂無女男,唯有前八。如是所說依頓命終。若漸命終後唯捨四,謂在欲界漸命終時,身、命、意、捨於最後滅,此四必無前後滅義。如是所說,應知但依染無記心而命終者。若在三界善心死時,信等五根必皆具有,故於前說一切位中其數皆應加信等五,謂於無色增至八根,乃至欲界漸終至九,中間多少如理應知。分別根中一切根法皆應思擇,二十二根幾能證得何沙門果?頌曰:

論に曰く:無色界に在りて将に命終せん時、命・意・捨の三が最後に滅す。もし色界に在りて将に命終せん時、すなわち前の三根および眼等の五、この八種が最後に滅す。一切の化生は必ず諸根を具して生・死するゆえ。もし欲界に在りて頓に命終する時、十・九・八の根が最後に滅す。いわゆる二形なるは後に十根を滅す、すなわち女・男根ならびに前の八種。もし一形なるは後に九根を滅す、女・男中の随一種を除く。もし無形なるは後に八根を滅す、いわゆる女・男なく、ただ前の八のみ。このように説くは頓の命終に依る。もし漸に命終すれば後にただ四を捨つ、いわゆる欲界に在りて漸に命終する時、身・命・意・捨が最後に滅す。この四は必ず前後の滅の義なし。このように説く所は、まさに染・無記の心によりて命終するに依ると知るべし。もし三界の善心に死する時は、信等の五根は必ず具有するゆえに、前に説く一切の位においてその数は皆信等の五を加うべし。いわゆる無色において八根に増し、乃至欲界の漸終は九に至る。中間の多少は理の如く知るべし。分別根中の一切の根法は皆思択すべし。二十二根のいくつかが能く何の沙門果を証得するか。頌に曰く:

九得邊二果,七八九中二,

九は辺の二果を得、七・八・九は中の二、

十一阿羅漢,依一容有說。

十一は阿羅漢、一に依りて容有と説く。

論曰:邊謂預流、阿羅漢果,於沙門果居初後故。中謂一來及不還果,此觀初後在中間故。初預流果由九根得,謂意及捨、信等五根、未知當知、已知為九。未知根在無間道,已知根在解脫道,此二相資得最初果。如其次第,於離繫得能為引因,依因性故。阿羅漢果亦九根得,謂意、信等五、已知、具知,及喜、樂、捨中隨一為九。已知根在無間道,具知根在解脫道,此二相資得最後果。如其次第,於離繫得能為引因,依因性故。中間二果,隨其所應,各為七八九根所得。所以者何?且一來果次第證者,依世間道由七根得,謂意及捨、信等五根;依出世道由八根得,謂即前七根、已知根第八。倍離欲貪超越證者,如預流果由九根得;若不還果次第證者,依世間道由七根得,依出世道由八根得。如前次第得一來果。全離欲貪超越證者,由九根得,如前超越得一來果。總說雖然而有差別,謂此依地有差別故,樂、喜、捨中可隨取一。前果超越唯一捨根。又次第證不還果者,若於第九解脫道中入根本地,依世間道由八根得。彼無間道捨受相應,解脫道中復有喜受,此二相資得第三果。於離繫得二因如前,依出世道由九根得,八根如前,已知第九,無間解脫此俱有故。豈不根本阿毘達磨問:由幾根得阿羅漢?答:十一根。云何乃言由九根得?實得第四,但由九根。而本論言十一根者,依一身中容有故說。謂容有一補特伽羅從無學位數數退已,由樂、喜、捨隨一現前,數復證得阿羅漢果。由斯本論說十一根,然無一時三受俱起,是故今說定由九根。於不還果中何不如是說?以無樂根證不還果,而於後時得有退義。亦無退已,由樂復得,非先離欲超證第三有還退義。此離欲果二道所得,極堅牢故。今應思擇,成就何根?彼諸根中幾定成就?頌曰:

論に曰く:辺とは預流・阿羅漢の果を謂う、沙門果において初・後に居するゆえ。中とは一来および不還の果を謂う、これ初・後を観ずれば中間に在るゆえ。初の預流果は九根によりて得る、いわゆる意および捨・信等の五根・未知当知・已知を九と為す。未知根は無間道に在り、已知根は解脱道に在り、この二は相資けて最初の果を得。その次第の如く、離繫の得において能く引因・依因性と為るゆえ。阿羅漢果もまた九根によりて得る、いわゆる意・信等の五・已知・具知、および喜・楽・捨中の随一を九と為す。已知根は無間道に在り、具知根は解脱道に在り、この二は相資けて最後の果を得。その次第の如く、離繫の得において能く引因・依因性と為るゆえ。中間の二果は、その応ずる所に随いて、各々七・八・九の根に得らる。なぜか。暫く一来果を次第に証するは、世間道に依りて七根によりて得る、いわゆる意および捨・信等の五根。出世道に依りては八根によりて得る、いわゆるすなわち前の七根に已知根を第八と為す。倍に欲貪を離れて超越に証するは、預流果の如く九根によりて得る。もし不還果を次第に証するは、世間道に依りて七根によりて得、出世道に依りて八根によりて得る、前の次第に一来果を得るが如し。全く欲貪を離れて超越に証するは、九根によりて得る、前の超越に一来果を得るが如し。総説はこの如しと雖も差別あり、いわゆるこれは地に依りて差別あるゆえに、楽・喜・捨中に随一を取るべし。前の果の超越は唯一の捨根。もし次第に不還果を証するに、もし第九の解脱道において根本地に入らば、世間道に依りて八根によりて得る。彼の無間道は捨受の相応、解脱道中にまた喜受あり、この二は相資けて第三果を得。離繫の得において二因は前の如し。出世道に依りては九根によりて得る、八根は前の如く、已知を第九と為す、無間・解脱はこれ俱有なるゆえ。豈に根本アビダルマの問わざらんや:いくつの根によりて阿羅漢を得るや。答えて曰く:十一根、と。どうしてただ九根によりて得ると説くや。実に第四を得るはただ九根による。しかして本論が十一根と説くは、一身中に容有に依りて説くゆえ。いわゆる容有、一の補特伽羅(有情)が無学の位より数々退り已って、楽・喜・捨の随一の現前によりて、数々復た阿羅漢果を証得す、と。このによりて本論は十一根と説く、しかれども一時に三受の俱に起る無きゆえに、今定めて九根によりて得ると説く。不還果中において何ぞこの如く説かざるや。楽根を以て不還果を証することなく、しかして後時において退る義を得るゆえ。もまた退り已って楽によりて復た得るなく、先に欲を離れて超えて第三を証するに還退の義あればなり。この離欲の果は二道の得る所、極めて堅牢なるゆえ。今思択すべし、何の根を成就するや。彼の諸根中いくつが定めて成就するや。頌に曰く:

成就命意捨,各定成就三,

命・意・捨を成就せば、各々定めて三を成就し、

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