説一切有部倶舎論 巻第十五
由眼耳意識,並餘三所證,
眼・耳・意識に由り、ならびにその余の三の証する所、
如次第名為,所見聞知覺。
次第のごとく名づけて、見・聞・覚・知と為す。
論曰:毘婆沙師作如是說:若境由眼識所證名所見,若境由耳識所證名所聞,若境由意識所證名所知,若境由鼻識舌識及身識所證名所覺。所以然者,香味觸三無記性故如死無覺,故能證者偏立覺名。何證知然?由經理證。言由經者,謂契經說:佛告大母:汝意云何?諸所有色非汝眼見、非汝曾見、非汝當見、非希求見,汝為因此起欲起貪、起親起愛、起阿賴耶、起尼延底、起耽著不?不爾。大德!諸所有聲非汝耳聞,廣說乃至諸所有法非汝意知,廣說乃至,不爾。大德!復告大母:汝於此中應知所見,唯有所見應知所聞所覺所知,唯有所聞所覺所知。此經既於色聲法境說為所見所聞所知,准此定於香等三境總合建立一所覺名。若不許然,何名所覺?又香味觸在所見等外,於彼三境應不起言說。是名為理。此證不成,且經非證,經義別故。非此經中世尊為欲決判見等四所言相,然見此經所說義者,謂佛勸彼於六境中及於見等四所言事,應知但有所見等言,不應增益愛非愛相。若爾,何相名所見等?有餘師說:若是五根現所證境名為所見,若他傳說名為所聞,若運自心以種種理比度所許名為所覺,若意現證名為所知。於五境中一一容起見聞覺知四種言說,於第六境除見有三,由此覺名非無所目,香等三境言說非無,故彼理言亦為無理。先軌範師作如是說:眼所現見名為所見,從他傳聞名為所聞,自運己心諸所思搆名為所覺,自內所受及自所證名為所知。且止傍言,應申正論。頗有由身表異想義不由發語成虛誑語耶?曰:有。故論言:頗有不動身殺生罪觸耶?曰:有,謂發語。頗有不發語誑語罪觸耶?曰:有,謂動身。頗有不動身不發語二罪所觸耶?曰:有,謂仙人意憤及布灑他時。若不動身亦不發語,欲無無表離表而生,此二如何得成業道?於如是難應設劬勞。已辯虛誑語。當辯餘三語。頌曰:
論に曰く:毘婆沙師はこの説を作して曰く、もし境が眼識の証する所ならば見と名づく、もし境が耳識の証する所ならば聞と名づく、もし境が意識の証する所ならば知と名づく、もし境が鼻識・舌識および身識の証する所ならば覚と名づく。このようなる所以は、香・味・触の三は無記の性にして死せるがごとく覚なきがゆえに、証しうるの偏りに覚の名を立つ。何を以てかくのごとくなるを証知するか。経・理に由って証す。経に由ると言うは、いわゆる契経に説く:仏、大母に告げて曰く、なんじの意はいかん。諸の所有の色はなんじの眼の見るにあらず、なんじの曽て見たるにあらず、なんじの当に見るにあらず、希求して見んとするにあらず、なんじこれに因って欲を起し貪を起し、親を起し愛を起し、阿頼耶(蔵)を起し、尼延底(趣求)を起し、耽着を起すか。そうではない。大徳!諸の所有の声はなんじの耳の聞くにあらず、広く説く乃至諸の所有の法はなんじの意の知るにあらず、広く説く乃至、そうではない。大徳!また大母に告げて曰く、なんじこの中に於いて見たるを知るべし、ただ見たるのみあるを知るべし。聞・覚・知もまたしかり、ただ聞・覚・知のみあるを知るべし、と。この経はすでに色・声・法の境に於いて見・聞・知と説く。これに准じて定めて香等の三境に於いて総合して一つの覚名を建立す。もしこのようを許さざれば、何を覚と名づくか。また香・味・触は見等の外に在り。彼の三境に於いて応に言説を起さざるべし。これを理と名づく。この証は成ぜず。且つ経は証にあらず。経の義は別なるがゆえに。この経の中に世尊は見等の四言の相を決判せんと欲するにあらず。しかしこの経の説くところの義を見るは、いわゆる仏が彼を勧めて六境の中および見等の四言の事に於いて、ただ見等の言のみあるを知るべく、愛・非愛の相を增益すべからずと。もしそうならば、どの相を見等と名づくか。その余の師の説に、もし五根の現に証する境ならば見と名づく、もし他の伝説ならば聞と名づく、もし自心を運らして種種の理に比度するを許すならば覚と名づく、もし意の現証ならば知と名づく、と。五境の中に於いて一一に見・聞・覚・知の四種の言説を起すを容れ、第六境に於いては見を除いて三あり。このゆえに覚の名は目するところなきにあらず。香等の三境の言説も無きにあらず。このゆえに彼の理言もまた無理なり。先の軌範師はこの説を作して曰く、眼の現に見るを見と名づけ、他より伝聞するを聞と名づけ、自ら己心を運らす諸の思構する所を覚と名づけ、自内の受および自ら証する所を知と名づく、と。且く傍言を止め、正論を申すべし。頗る身の表す異想の義に由って発語に由らずして虚誑語を成ずるや。曰く、あり。論に説く、頗る身を動かさずして殺生の罪に触れるや。曰く、あり。いわゆる語を発す。頗る語を発さずして誑語の罪に触れるや。曰く、あり。いわゆる身を動かす。頗る身を動かさず語を発さずして二罪に触れるや……
染心壞他語,說名離間語,
染心にて他を壊る語を、説いて離間語と名づく。
非愛麁惡語,諸染雜穢語,
愛ならざるは麁悪語、諸の染は雑穢語、
餘說異三染,佞歌邪論等。
その余に異なる三染を説く。佞・歌・邪論等。
論曰:若染汙心發壞他語,若他壞不壞俱成離間語。解義不誤,流至此中。若以染心發非愛語毀呰於他,名麁惡語。前染心語流至此故,解義不誤亦與前同。謂本期心所欲罵者,解所說義業道方成。一切染心所發諸語名雜穢語。所以者何?染所發言皆雜穢故。唯前語字流至此中。有餘師說:異虛誑等前三種語,所有一切染心發言名雜穢語,此謂佞歌及邪論等。佞謂諂佞,如有苾芻邪命居懷發諂佞語。歌謂歌詠,如世有人以染汙心諷吟相調,及倡伎者為悅他情以染汙心作諸詞曲。言邪論者,謂廣辯說諸不正見所執言詞。等謂染心所發悲嘆,及諸世俗戲論言詞。但異前三染心所發,一切皆是雜穢語收。輪王現時亦有歌詠,如何不是雜穢語收?由彼語從出離心發,能引出離,非預染心。有餘師言:爾時亦有成嫁娶等所發染言,由過輕故不成業道。已辯三語。當辯意三。頌曰:
論に曰く:もし染污の心を以て他を壊る語を発せば、他の壊るると壊れざるとに拘わらず俱に離間語を成ず。義を解して誤らざるはここに流る。もし染心を以て愛ならざる語を発して他を毁呰すれば、麁悪語と名づく。前の染心語はここに流るるがゆえに、義を解して誤らざるも前と同じ。いわゆる本の期心の罵らんと欲する所が説かるる義を解せば業道乃ち成ず。一切の染心の発する所の諸の語は雑穢語と名づく。そもそもどうしてか。染の発する所は皆雑穢なるがゆえである。ただ前の語字はここに流る。その余の師の説に、虚誑等の前三種の語に異なる、所有の一切の染心の発言は雑穢語と名づく。これはいわゆる佞・歌および邪論等である。佞とは諂佞を謂う。たとえば苾芻ありて邪命を懐に居して諂佞の語を発するがごとし。歌とは歌詠を謂う。たとえば世に人ありて染污の心を以て諷吟し相調い、および倡伎の者が他の情を悦ばしめんがために染污の心を以て諸の詞曲を作るがごとし。邪論と言うは、いわゆる広く辯説する諸の不正見の執する所の言詞である。等とは染心の発する所の悲歎および諸の世俗の戯論の言詞を謂う。但し前三に異なる染心の発する所は一切皆是れ雑穢語の収むる所。輪王の現ずる時にもまた歌詠あり。どうして雑穢語の収むる所にあらざるか。彼の語は出離の心より発し、出離を引き出しうれば、染心に預らざるがゆえである。その余の師の説に、爾の時にもまた嫁娶等の発する所の染言成ずるあり。過軽きがゆえに業道を成ぜず、と。已に三語を辯したり。当に意の三を辯すべし。頌に曰く、
惡欲他財貪,憎有情瞋恚,
他財を悪欲するは貪、有情を憎むは瞋恚、
撥善惡等見,名邪見業道。
善悪等を撥する見を、名づけて邪見業道と為す。
論曰:於他財物惡欲名貪,謂於他財非理起欲,如何令彼屬我非他,起力竊心耽求他物,如是惡欲名貪業道。有餘師言:諸欲界愛皆貪業道。所以者何?《五蓋經》中依貪欲蓋,佛說應斷此世間貪,故知貪名總說欲愛。有說:欲愛雖盡名貪,而不可說皆成業道,此惡行中攝麁品故。勿輪王世及北俱盧所起欲貪成貪業道。於有情類憎恚名瞋,謂於他有情慾為傷害事,如是憎恚名瞋業道。於善惡等惡見撥無,此見名為邪見業道。如經說:無施與、無愛樂、無祠祀、無妙行、無惡行、無妙惡行業果異熟、無此世間無彼世間、無母無父、無化生有情、世間無沙門、或婆羅門是阿羅漢。彼經具顯謗業謗果謗聖邪見,此頌舉初等言攝後。
論に曰く:他の財物に対する悪欲を貪と名づく。いわゆる他の財に於いて理にあらざる欲を起し、どうして彼をして我に属して他にあらざらしめんと、力窃の心を起して他物を耽求する。このような悪欲を貪業道と名づく。その余の師の説に、諸の欲界の愛は皆貪業道、と。そもそもどうしてか。《五蓋経》の中に貪欲蓋に依って、仏はこの世間の貪を断ずべしと説きたまう。ゆえに貪の名は総じて欲愛を説くと知る。ある説に、欲愛は尽く名を貪とすと雖も、皆業道を成すと説くべからず。これ悪行の中に麁品を摂するがゆえに。輪王の世および北俱盧の起す所の欲貪をして貪業道を成ぜしむること勿れ、と。有情の類を憎恚するを瞋と名づく。いわゆる他の有情に於いて傷害の事を為さんと欲する。このような憎恚を瞋業道と名づく。善悪等に於いて悪見を以て無と撥する。この見を邪見業道と名づく。経に説くがごとく:施与なし、愛楽なし、祠祀なし、妙行なし、悪行なし、妙・悪行の業果異熟なし、此の世間なし彼の世間なし、母なし父なし、化生の有情なし、世間に沙門なく、或いは婆羅門にして阿羅漢なる者なし、と。彼の経は具に謗業・謗果・謗聖の邪見を顕す。この頌は初の等言を挙げて後を摂す。
説一切有部倶舎論 巻第十六
アビダルマ倶舎論 巻第十七 尊者世親造
三藏法師玄奘奉詔譯
三蔵法師玄奘、詔を奉じて訳す。
分別業品第四之五
分別業品 第四之五
如是已辯十業道相。依何義名業道?頌曰:
このように已に十業道の相を辯したり。どの義に依って業道と名づくか。頌に曰く、
此中三唯道,七業亦道故。
この中の三はただ道、七は業にしてもまた道なり。
論曰:十業道中後三唯道,業之道故立業道名。彼相應思說名為業,彼轉故轉、彼行故行,如彼勢力而造作故。前七是業,身語業故,亦業之道,思所遊故。由能等起身語業思,託身語業為境轉故。業業之道立業道名,故於此中言業道者,具顯業道業業道義。雖不同類而一為餘,於世典中俱極成故。離殺等七、無貪等三立業道名,類此應釋。此加行後起,何緣非業道?為此依此彼方轉故。又前說此攝麁品故。又若由此有減有增,令內外物有增有減,立為業道,異此不然。譬喻論師執貪瞋等即是意業,依何義釋彼名業道?應問彼師。然亦可言:彼是意業惡趣道故立業道名,或互相乘皆名業道。如是所說十惡業道,皆與善法現起相違。諸斷善根由何業道?斷續善相差別云何?頌曰:
論に曰く:十業道の中、後の三はただ道なり。業の道なるがゆえに業道の名を立つ。彼の相応する思を説いて業と名づく。彼の転ずるがゆえに転じ、彼の行くがゆえに行き、彼の勢力のごとくにして造作するがゆえである。前の七は業なり。身・語の業なるがゆえに。また業の道なり。思の遊ぶ所なるがゆえに。能く等しく身・語の業を起す思が、身・語の業に託して境と為して転ずるがゆえに。業の業の道に業道の名を立つ。このゆえにこの中に業道と言うは、具に業道・業業道の義を顕す。同類にあらずと雖も一を以てその余と為すは、世の典に於いて俱に極成するがゆえに。殺等の七を離れ、無貪等の三に業道の名を立つるは、このに類して釈すべし。この加行・後起は、どの縁によって業道にあらざるか。これに依りこれに由って彼が乃ち転ずるがゆえに。また前に説く、これ麁品を摂するがゆえに。またもしこれに由って減あり増あり、内外の物をして増あり減あらしめば、業道と為す。これに異なればこのようにはあらず。譬喩論師は貪・瞋等はすなわち意業と執す。どの義に依って彼を業道と名づくるを釈するか。応に彼の師に問うべし。しかしもまた説きうる:彼は意業・悪趣の道なるがゆえに業道の名を立つ。或いは互いに乗ずれば皆業道と名づく。このように説く所の十悪業道は皆善法の現起に相違す。諸の善根を断ずるはどの業道に由るか。断・続・善の相の差別はいかなるか。頌に曰く、
唯邪見斷善,所斷欲生得,
ただ邪見のみ善根を断ず。断ずる所は欲界の生得。
撥因果一切,漸斷二俱捨。
因果一切を撥す。漸断・二・俱・捨。
人三洲男女,見行斷非得,
人・三洲・男女。見行が断ずるは非得なり。
續善疑有見,頓現除逆者。
善を続くるは疑・有見。頓現・逆を除く者。
論曰:惡業道中唯有上品圓滿邪見能斷善根。若爾,何緣本論中說云何上品諸不善根,謂諸不善根能斷善根者?或離欲位最初所除,由不善根能引邪見,故邪見事推在彼根。如火燒村,火由賊起,故世間說彼賊燒村。何等善根為此所斷?謂唯欲界生得善根,色無色善先不成故。《施設足論》當云何通?如彼論言:唯由此量是人已斷三界善根,依上善根得更遠說,令此相續非彼器故。何緣唯斷生得善根?加行善根先已退故。緣何邪見能斷善根?謂定撥無因果邪見。撥無因者,謂定撥無妙行惡行。撥無果者,謂定撥無彼果異熟。有餘師說:此二邪見猶如無間解脫道別。有餘師說:斷善邪見唯緣有漏非無漏緣,唯自界緣不緣他界。由彼唯作相應隨眠,境不隨增,勢力劣故。如是說者通一切緣,隨因亦增,有強力故。有餘師說:九品善根由一剎那邪見頓斷,如見道斷見所斷惑。如是說者漸斷善根,謂九品善根由九品邪見逆順相對漸次而斷。如修道斷修所斷惑,即下下邪見能斷上上善根,乃至下下善根上上邪見所斷。若作是說,符本論文。如本論言:云何名微俱行善根?謂斷善根時最後所捨者,由捨彼故名斷善根。若爾,彼文何理復說:云何上品諸不善根?謂諸不善根能斷善根者。彼依究竟密說此言,由此善根斷無餘故。謂若猶有一品善根,餘品善根因斯可起,未可說彼名斷善根;斷究竟時方名斷善,故唯說上品名能斷善根。有餘師言:斷九品善終無中出如見道中。如是說者,通出不出。有餘師說:先捨律儀後斷善根,未易捨故。如是說者,若彼律儀是此品心所等起果,此品心斷捨彼律儀,以果與因品類同故。為在何處能斷善根?人趣三洲非在惡趣亦非天趣。所以者何?以惡趣中染不染慧不堅牢故,以天趣中現見善惡諸業果故。言三洲者,除北俱盧,彼無極惡阿世耶故。有餘師說:唯贍部洲。若爾,便違本論所說。
論に曰く:悪業道の中、ただ上品・円満の邪見のみ能く善根を断ず。もしそうならば、どの縁によって本論の中に説く、何を上品の諸の不善根とするか、いわゆる諸の不善根の能く善根を断ずる者を、と。或いは離欲の位の最初に除く所に由り、不善根は能く邪見を引くがゆえに、邪見の事を彼の根に推す。火が村を焼くがごとし。火は賊に由って起る。ゆえに世間は彼の賊が村を焼くと説く。どの善根がこれに断ぜらるるか。いわゆるただ欲界の生得善根。色・無色の善は先に成らざるがゆえに。《施設足論》は当にどう通ずべきか。彼の論に説くがごとく、ただこの量に由って是れ人の已に三界の善根を断ぜりと、上の善根に依って更に遠く説く。これ相続をして彼の器にあらざらしむるがゆえに。どの縁によってただ生得善根を断ずるか。加行善根は先に已に退するがゆえに。何の縁によって邪見は能く善根を断ずるか。いわゆる定めて因果を無と撥する邪見。因を無と撥するは、いわゆる定めて妙行・悪行を無と撥す。果を無と撥するは、いわゆる定めて彼の果異熟を無と撥す。その余の師の説に、この二つの邪見はなお無間・解脱道の別あるがごとし、と。その余の師の説に、善を断ずる邪見はただ有漏に縁じて無漏に縁ぜず、ただ自界に縁じて他界に縁ぜず、と。彼はただ相応の随眠を作す。境は随増せず。勢力劣なるがゆえに。このように説くは一切の縁に通じ、因に随ってもまた増す。強力あるがゆえに。その余の師の説に、九品の善根は一刹那の邪見に由って頓断す。見道が見所断の惑を断ずるがごとし、と。このように説くは漸断の善根、いわゆる九品の善根は九品の邪見に由って逆順相対して漸次に断ず。修道が修所断の惑を断ずるがごとし。すなわち下下の邪見は能く上上の善根を断じ、乃至下下の善根は上上の邪見の断ずる所。もしこの説を作さば、本論の文に符す。本論に説くがごとく、何を微俱行の善根と名づくか。いわゆる善根を断ずる時、最後に捨つる所。彼を捨つるに由って善根を断ずと名づく、と。もしそうならば、彼の文は何の理にか復た説く、何を上品の諸の不善根とするか、いわゆる諸の不善根の能く善根を断ずる者を、と。彼は究竟の密に依ってこの言を説く。この善根を断じてその余なきがゆえに。いわゆるもしなお一品の善根あらば、その余の品の善根はこれに因って起すべし。未だ彼を善根を断じたりと説くべからず。断の究竟する時に乃ち善根を断じたりと名づく。ゆえにただ上品を説いて能く善根を断ずる者と名づく。その余の師の説に、九品の善を断ずるは終に中より出づることなし。見道の中のごとし、と。このように説くは出づると出でざるとに通ず。その余の師の説に、先に律儀を捨て後に善根を断ず。未だ捨て易からざるがゆえに、と。このように説くは、もし彼の律儀がこの品の心の等起する所の果ならば、この品の心が断ずれば彼の律儀を捨つ。果と因と品類同じきを以てなり。どの処に在りて能く善根を断ずるか。人趣・三洲にあって非ざる所は……
如本論說:贍部洲人極少成八根,東西洲亦爾。如是斷善,依何類身?唯男女身,志意定故。有餘師說:亦非女身,欲勤慧等皆昧鈍故。若爾,便違本論所說。如本論說:若成女根定成八根,男根亦爾。為何行者能斷善根?唯見行人非愛行者,諸愛行者惡阿世耶極躁動故,諸見行者惡阿世耶極堅深故。由斯理趣,非扇搋等能斷善根,愛行類故。又此類人如惡趣故。此善根斷其體是何?善斷應知非得為體,以斷善位善得不生非得續生,替善根得非得生位,名斷善根。故斷善根非得為體。善根斷已由何復續?由疑有見。謂因果中有時生疑:此或應有?或生正見,定有非無。爾時善根得還續起,善得起故名續善根。有餘師言:九品漸續。如是說者,頓續善根然後後時漸漸現起,如頓除病氣力漸增。於現身中能續善不?亦有能續,除造逆人。經依彼人作如是說:彼定於現法,不能續善根。彼人定從地獄將歿、或即於彼將受生時能續善根,非餘位故。言將生位,謂中有中。將歿時言,謂彼將死。若由因力彼斷善根將死時續,若由緣力彼斷善根將生時續,由自他力應知亦爾。又意樂壞非加行壞斷善根者,是人現世能續善根。若意樂壞加行亦壞斷善根者,要身壞後方續善根。見壞戒不壞、見壞戒亦壞斷善根者,應知亦爾。有斷善根非墮邪定,應作四句。第一句者,謂布剌拏等。第二句者,謂未生怨等。第三句者,謂天授等。第四句者,謂除前相。已乘義便辯斷善根,今應復明本業道義。所說善惡二業道中,有幾並生與思俱轉?頌曰:
(論は続けて曰く:)本論に説くがごとく、贍部洲の人は極めて少く八根を成ず。東西洲もまたこのよう。このように善を断ずるは、どの類の身に依るか。ただ男女の身。志意定まるがゆえに。その余の師の説に、もまた女身にあらず。欲・勤・慧等皆昧鈍なるがゆえに、と。もしそうならば便ち本論の説く所に違す。本論に説くがごとく、もし女根を成ぜば定めて八根を成ず。男根もまたこのよう、と。どの行者が能く善根を断ずるか。ただ見行の人にして愛行にあらざる者。諸の愛行の悪阿世耶は極めて躁動し、諸の見行の悪阿世耶は極めて堅深なるがゆえに。この理趣に由って、扇搋等は能く善根を断ぜず。愛行の類なるがゆえに。またこの類の人は悪趣のごときがゆえに。この善根の断ずる、その体は何ぞ。善の断ずるは応に知るべし、非得を体と為す。善を断ずる位に善の得は生ぜずして非得が続けて生ずるがゆえに、善根の得に替わりて非得の生ずる位を、善根を断ずと名づく。ゆえに善根を断ずるは非得を体と為す。善根を断じ已りて何に由って復た続くか。疑・有見に由る。いわゆる因果の中に時ありて疑を生ず:これ或いは有るべきか。或いは正見を生じて、定めて有りて無にあらず。爾の時善根は還って続き起ることを得。善の得起するがゆえに善根を続くと名づく。その余の師の説に、九品に漸続す、と。このように説くは、頓に善根を続きて然る後の時に漸々現起す。頓に病を除きて気力漸々増すがごとし。現身の中に於いて能く善を続くか。もまた能く続く者あり。逆を造る人を除く。経は彼の人に依ってこの説を作して曰く、彼は定めて現法に於いて善根を続くること能わず、と。彼の人は定めて地獄よりまさに殁せんとし、或いはすなわち彼に於いてまさに生を受けんとする時に能く善根を続く。その余の位にあらざるがゆえに。まさに生ぜんとする位と言うは、いわゆる中有の中。まさに殁せんとする時の言は、いわゆる彼がまさに死せんとす。もし因力に由って彼が善根を断ぜらればまさに死せんとする時に続き、もし縁力に由って彼が善根を断ぜらればまさに生ぜんとする時に続く。自他の力に由っても応に知るべしまたこのよう。また意楽壊にして加行壊ならざる善根を断ずるは、是の人は現世に能く善根を続く。もし意楽壊にして加行もまた壊なる善根を断ずるは、要ずるに身壊の後に乃ち善根を続く。見壊・戒不壊、見壊・戒もまた壊の善根を断ずるは、応に知るべしもまたこのよう。善根を断じて邪定に堕せざるあり。応に四句を作すべし。第一句はいわゆる布剌拏(満迦葉)等。第二句はいわゆる未生怨等。第三句はいわゆる天授等。第四句はいわゆる前の相を除く。已に義に乗じて便ち善根を断ずるを辯ず。今応に復た本の業道の義を明すべし。説く所の善・悪の二業道の中に、幾つかありて併せ生じて思と俱に転ずか。頌に曰く、
業道思俱轉,不善一至八,
業道が思と俱に転ずは、不善は一より至る八、
善總開至十,別遮一八五。
善は総じて開いて十に至る。別に一・八・五を遮る。
論曰:於諸業道思俱轉中,且不善與思從一唯至八。一俱轉者,謂離所餘貪等三中隨一現起,若先加行造惡色業不染心時隨一究竟。二俱轉者,謂瞋心時究竟殺業,若起貪位成不與取、或欲邪行、或雜穢語。三俱轉者,謂以瞋心於屬他生俱時殺盜。若爾,所說偷盜業道由貪究竟,理應不成,依不異心所作究竟,故作如是決判應知,若先加行造惡色業貪等起時隨二究竟。四俱轉者,謂欲壞他說虛誑言或麁惡語,意業道一、語業道三。若先加行造惡色業,貪等現前隨三究竟。如是五六七皆如理應知。八俱轉者,謂先加行造作所餘六惡色業,自行邪欲俱時究竟,後三業道自力現前必不俱行,故無九十。如是已說不善業道與思俱轉數有不同。善業道與思,總開容至十。別據顯相,遮一八五。二俱轉者,謂善五識及依無色盡無生智現在前時無散善七。三俱轉者,謂與正見相應意識現在前時無七色善。四俱轉者,謂惡無記心現在前位,得近住近事勤策律儀。六俱轉者,謂善五識現在前時得上三戒。七俱轉者,謂善意識無隨轉色正見相應現在前時得上三戒,或惡無記心現前時得苾芻戒。九俱轉者,謂善五識現在前時得苾芻戒,或依無色盡無生智現在前時得苾芻戒,或靜慮攝盡無生智相應意識現在前時。十俱轉者,謂善意識無隨轉色正見相應現在前時得苾芻戒,或餘一切有隨轉色正見相應心正起位。別據顯相所遮如是,通據隱顯則無所遮。謂離律儀有一八五。一俱轉者,謂惡無記心現在前時得一支遠離。五俱轉者,謂善意識無隨轉色正見相應現在前時得二支等。八俱轉者,謂此意識現在前時得五支等。善惡業道於何界趣處?幾唯成就、幾亦通現行?頌曰:
論に曰く:諸の業道の思と俱に転ずる中、且つ不善は思と一より只至る八。一の俱転は、いわゆるその余の貪等の三を離れて随って一が現起し、もし先に加行して悪色業を造るに染心の時に随って一が究竟す。二の俱転は、いわゆる瞋心の時に殺業を究竟し、もし貪を起す位に不與取を成し、或いは欲邪行、或いは雑穢語を成す。三の俱転は、いわゆる瞋心を以て他の生に属するを俱の時に殺し盗む。もしそうならば、説く所の偸盗業道は貪に由って究竟すとは理に応に成らざるべし。異なる心なきの作する究竟に依るがゆえに、このような決判を作すと知るべし。もし先に加行して悪色業を造るに貪等の起る時に随って二が究竟す。四の俱転は、いわゆる他を壞らんと欲して虚誑の言或いは麁悪語を説き、意業道一・語業道三。もし先に加行して悪色業を造るに、貪等の現前して随って三が究竟す。このように五・六・七は皆理のごとく知るべし。八の俱転は、いわゆる先に加行してその余の六悪色業を造作し、自ら邪欲を行じて俱の時に究竟す。後の三業道は自力の現前する必ず俱に行ぜざるがゆえに、九・十なし。このように已に不善業道と思との俱転の数の不同あるを説いたり。善業道と思とは、総じて開いて容れて十に至る。別に顕相に拠って、一・八・五を遮る。二の俱転は、いわゆる善五識および無色に依る尽・無生智の現前する時に散善の七なし。三の俱転は、いわゆる正見と相応する意識の現前する時に七色善なし。四の俱転は、いわゆる悪・無記心の現前する位に近住・近事・勤策の律儀を得。六の俱転は、いわゆる善五識の現前する時に上の三戒を得。七の俱転は、いわゆる善意識に随転色なき正見相応の現前する時に上の三戒を得。或いは悪・無記心の現前する時に苾芻戒を得。九の俱転は、いわゆる善五識の現前する時に苾芻戒を得。或いは無色に依る尽・無生智の現前する時に苾芻戒を得。或いは静慮の摂する尽・無生智に相応する意識の現前する時。十の俱転は、いわゆる善意識に随転色なき正見相応の現前する時に苾芻戒を得。或いはその余の一切の随転色ある正見相応心の正に起る位。別に顕相に拠る所の遮はこのよう。通じて隠顕に拠れば則ち遮る所なし。いわゆる律儀を離れて一・八・五あり。一の俱転は、いわゆる悪・無記心の現前する時に一支の遠離を得。五の俱転は、いわゆる善意識に随転色なき正見相応の現前する時に二支等を得。八の俱転は、いわゆるこの意識の現前する時に五支等を得。善・悪の業道は何の界・趣・処にか。幾つかはただ成就し、幾つかはもまた現行に通ずか。頌に曰く、
不善地獄中,麁雜瞋通二,
不善は地獄の中に、麁・雑・瞋は二に通じ、
貪邪見成就,北洲成後三,
貪・邪見は成就す。北洲は後の三を成じ、
雜語通現成,餘欲十通二。
雑語は現・成に通ず。その余の欲界の十は二に通ず。
善於一切處,後三通現成,
善は一切の処に、後の三は現・成に通じ、
無色無想天,前七唯成就,
無色・無想天には、前の七はただ成就し、
餘處通成現,除地獄北洲。
その余の処は成・現に通ず。地獄・北洲を除く。
論曰:且於不善十業道中,那落迦中三通二種。謂麁惡語、雜穢語、瞋三種皆通現行成就?由相罵故有麁惡語,由悲叫故有雜穢語,身心麁強𢤱悷不調,由互相憎故有瞋恚。貪及邪見成而不行,無可愛境故、現見業果故。業盡死故無殺業道,無攝財物及女人故。無不與取及欲邪行,以無用故無虛誑語,即由此故及常離故無離間語。北俱盧洲貪瞋邪見皆定成就而不現行,不攝我所故、身心柔軟故、無惱害事故、無惡意樂故。唯雜穢語通現及成,由彼有時染心歌詠,無惡意樂故。彼無殺生等,壽量定故、無攝財物及女人故、身心軟故及無用故,隨其所應。彼人云何行非梵行?謂彼男女互起染時,執手相牽往詣樹下,樹枝垂覆知是應行,樹不垂枝並愧而別。除前地獄、北俱盧洲,餘欲界中十皆通二。謂於欲界天、鬼、傍生及人三洲,十惡業道皆通成現,然有差別。謂天、鬼、傍生前七業道唯有處中攝無不律儀,人三洲中二種俱有。雖諸天眾無有殺天,而或有時殺害餘趣。有餘師說:天亦殺天,斬首截腰其命方斷。已說不善。善業道中無貪等三,於三界五趣皆通二種,謂成就、現行。身語七支無色無想,但容成就必不現行。謂聖有情生無色界,成就過未無漏律儀,無想有情必成過未第四靜慮靜慮律儀。然聖隨依何地依止曾起曾滅無漏律儀?生無色時成彼過去,若未來世依五地身,無漏律儀皆得成就。餘界趣處除地獄、北洲,七善皆通現行及成就,然有差別。謂鬼、傍生有離律儀處中業道,若於色界唯有律儀,三洲、欲天皆具二種。不善善業道所得果云何?頌曰:
論に曰く:且つ不善の十業道の中、那落迦の中に三は二種に通ず。いわゆる麁悪語・雑穢語・瞋の三種は皆現行・成就に通ず。相罵るに由って麁悪語あり、悲叫するに由って雑穢語あり、身心麁強にして狼戾調えざる、互いに相憎むに由って瞋恚あり。貪および邪見は成じて行ぜず。愛すべき境なきがゆえ、現に業果を見るがゆえに。業尽きて死するがゆえに殺業道なし。財物および女人を摂するなきがゆえに。不與取および欲邪行なし。用なきがゆえに虚誑語なし。すなわちこのに由っておよび常に離れるがゆえに離間語なし。北俱盧洲は貪・瞋・邪見は皆定めて成就して現行せず。我所を摂せざるがゆえ、身心柔軟なるがゆえ、悩害の事なきがゆえ、悪意楽なきがゆえに。ただ雑穢語は現および成に通ず。彼は時ありて染心に歌詠するに由るも、悪意楽なきがゆえに。彼は殺生等なし。寿量定まるがゆえ、財物および女人を摂するなきがゆえ、身心軟なるがゆえおよび用なきがゆえに、その応ずる所に随う。彼の人はどのように非梵行を行ずるか。いわゆる彼の男女が互いに染を起す時、手を執り相牽いて樹下に往詣し、樹枝垂れ覆えば是れ応に行ずと知り、樹の枝を垂れざれば並び愧じて別る。前の地獄・北俱盧洲を除き、その余の欲界の中には十は皆二に通ず。いわゆる欲界の天・鬼・傍生および人三洲に於いて、十悪業道は皆成・現に通ず。しかし差別あり。いわゆる天・鬼・傍生は前の七業道はただ処中の摂ありて不律儀なし。人三洲の中は二種俱にあり。諸の天衆は天を殺すことなきと雖も、しかし或いは時ありてその余の趣を殺害す。その余の師の説に、天もまた天を殺す。首を斬り腰を截ればその命乃ち断ず、と。已に不善を説いたり。善業道の中、無貪等の三は三界・五趣に於いて皆二種に通ず。いわゆる成就・現行。身語の七支は無色・無想に於いて、但だ成就を容れて必ず現行せず。いわゆる聖の有情は無色界に生じて過・未の無漏律儀を成就し、無想の有情は必ず過・未の第四静慮の静慮律儀を成ず。しかし聖は随って何の地に依り何の依止に曾て起り曾て滅したる無漏律儀か。無色に生ずる時、彼の過去を成じ、もし未来世に五地の身に依れば、無漏律儀は皆成就を得。その余の界・趣・処は地獄・北洲を除き、七善は皆現行および成就に通ず。しかし差別あり。いわゆる鬼・傍生は律儀を離れた処中の業道あり。もし色界に於いてはただ律儀のみあり。三洲・欲天は皆二種を具す。不善・善の業道の得る所の果はいかなるか。頌に曰く、
皆能招異熟,等流增上果,
皆能く異熟・等流・増上の果を招く。
此令他受苦,斷命壞威故。
これは他をして苦を受け、命を断ち威を壞らしむるがゆえに。
論曰:且先分別十惡業道各招三果。其三者何?異熟、等流、增上別故。謂於十種若習若修若多所作,由此力故,生那落迦是異熟果。從彼出已來生此間,人同分中受等流果,謂殺生者壽量短促,不與取者資財乏匱,欲邪行者妻不貞良,虛誑語者多遭誹謗,離間語者親友乖穆,麁惡語者恆聞惡聲,雜穢語者言不威肅。貪者貪盛、瞋者瞋增、邪見者增痴,彼品痴增故。是名業道等流果別。人中短壽亦善業果,如何可說是殺等流?不言人壽即殺業果,但言由殺人壽量短,應知殺業與人命根作障礙因令不久住。此十所得增上果者,謂外所有諸資生具,由殺生故光澤鮮少,不與取故多遭霜雹,欲邪行故多諸塵埃,虛誑語故多諸臭穢,離間語故所居險曲,麁惡語故田多荊棘磽確醎鹵稼穡匪宜,雜穢語故時候變改。貪故果少、瞋故果辣,由邪見故果少或無。是名業道增上果別。為一殺業感那落迦異熟果已復令人趣壽量短促?為更有餘?有餘師言:即一殺業先感彼異熟後感此等流。有餘復言:二果因別,先謂加行、後謂根本。雖復總說一殺生言,而實通收根本眷屬。此中所說等流果言,非越異熟及增上果,據少相似假說等流。此十何緣各招三果?且初殺業於殺他位令他受苦斷命失威,謂殺生時令他受苦,故墮於地獄受苦異熟果,斷他命故來生人中受命短促為等流果,壞他威故感諸外物鮮少光澤為增上果。餘惡業道如理應思。由此應準知善業道三果,謂離殺等若習若修若多所作,由此力故,生於天中受異熟果。從彼歿已來生此間,人同分中受等流果,謂離殺者得壽命長。餘上相違如理應說。又契經說:八邪支中分色業為三,謂邪語業命。離邪語業邪命是何?雖離彼無而別說者,頌曰:
論に曰く:且つ先ず十悪業道を分別して各々三果を招く。その三とは何か。異熟・等流・増上の別あるがゆえに。いわゆる十種に於いてもし習いもし修しもし多く作する所ならば、この力に由って那落迦に生ず。是れ異熟果。彼より出で已にして此間に来生り、人同分の中に等流果を受く。いわゆる殺生は寿量短促、不與取は資財乏匱、欲邪行は妻貞良ならず、虚誑語は多く誹謗に遭い、離間語は親友乖離し、麁悪語は恒に悪声を聞き、雑穢語は言威粛ならず。貪は貪盛んに、瞋は瞋増し、邪見は癡を増す。彼の品の癡増するがゆえに。是を業道の等流果の別と名づく。人の中の短寿はもまた善業の果。どうして殺の等流と説きうるか。人の寿をすなわち殺業の果と説かず。但だ殺に由って人の寿量短しと説く。応に知るべし、殺業は人の命根に対して障碍の因を作して久しく住せしめざるを。この十の得る所の増上果は、いわゆる外の所有の諸の資生具、殺生に由って光沢鮮少、不與取に由って多く霜雹に遭い、欲邪行に由って多く諸の塵埃、虚誑語に由って多く諸の臭穢、離間語に由って居る所険曲、麁悪語に由って田多く荆棘・磽确・鹹鹵にして稼穡宜ならず、雑穢語に由って時候変改す。貪に由って果少く、瞋に由って果辣く、邪見に由って果少し或いは無し。是を業道の増上果の別と名づく。一殺業の為に那落迦の異熟果を感じ已りて復た人趣をして寿量短促ならしむるか。更にその余あるか。その余の師の説に、すなわち一殺業は先に彼の異熟を感じ後にこの等流を感ず、と。その余の復た説く、二果は因別なり。先は加行を謂い、後は根本を謂う、と。復た総じて一殺生の言を説くと雖も、実は通じて根本・眷属を収む。ここに説く所の等流果の言は、異熟および増上果を越えるにあらず。少相似に拠って仮に等流と説く。この十は何の縁にか各々三果を招くか。且つ初の殺業は他を殺す位に於いて他をして苦を受け命を断ち威を失わしむ。いわゆる生を殺する時、他をして苦を受けしむ。ゆえに地獄に堕ちて苦の異熟果を受く。他の命を断ずるがゆえに来りて人の中に生じて命短促を受くるを等流果と為す。他の威を壞るがゆえに諸の外物の鮮少光沢を感ずるを増上果と為す。その余の悪業道は理のごとく思うべし。これに由って応に准じて善業道の三果を知るべし。いわゆる殺等を離れてもし習いもし修しもし多く作する所は、この力に由って天の中に生じて異熟果を受く。彼より殁し已にして此間に来生り、人同分の中に等流果を受く。いわゆる殺を離るるは寿命長を得。その余は上に相違して理のごとく説くべし。また契経に説く、八邪支の中に色業を分かちて三と為す。いわゆる邪語・業・命。邪語業を離れ……
貪生身語業,邪命難除故,
貪の生ずる身・語の業は、邪命は除き難きがゆえに、
執命資貪生,違經故非理。
命を執して貪を資り生ずと執すは、経に違するがゆえに非理。
論曰:瞋痴所生語身二業,如次名為邪語邪業。從貪所生身語二業,以難除故別立邪命。謂貪能奪諸有情心,彼所起業難可禁護。為於正命令殷重修,故佛離前別說為一。如有頌曰:
論に曰く:瞋・癡の生ずる所の語・身の二業は、次第のごとく邪語・邪業と名づく。貪より生ずる所の身・語の二業は、除き難きを以て別に邪命を立つ。いわゆる貪は能く諸の有情の心を奪い、彼の起す所の業は禁護し難し。正命に於いて殷重に修せんがため、ゆえに仏は前を離れて別に一を説きたまう。頌有りて説くがごとし:
俗邪見難除,由恆執異見,
俗は邪見にて除き難く、恒に異見を執るに由り、
道邪命難護,由資具屬他。
道は邪命にて護り難し。資具が他に属するがゆえに。
有餘師執:緣命資具貪欲所生身語二業方名邪命,非餘貪生。所以者何?為自戲樂作歌舞等,非資命故。此違經故,理定不然。《戒蘊經》中觀象鬪等,世尊亦立在邪命中,邪受外境虛延命故。正語業命翻此應知。如前所言果有五種,此中何業有幾果耶?頌曰:
(論は続けて曰く:)その余の師に執するところあり:命を資する具に縁する貪欲の生ずる所の身・語の二業のみ邪命と名づく。その余の貪の生ずるはあらず。そもそもどうしてか。自ら戯楽のために歌舞等を作すは、命を資するがゆえにあらず、と。これ経に違するがゆえに、理は定めてこのようにはあらず。《戒蘊経》の中に象の闘い等を観るを、世尊もまた邪命の中に立てられたり。外境を邪に受けて虚しく命を延ばすがゆえに。正・語・業・命はこれを翻して知るべし。前に説いたごとく果に五種あり。ここにどの業に幾つかの果あるか。頌に曰く、
斷道有漏業,具足有五果,
断道・有漏の業は、具足して五果あり。
無漏業有四,謂唯除異熟;
無漏の業は四あり。いわゆるただ異熟を除く。
餘有漏善惡,亦四除離繫,
その余の有漏の善・悪は、もまた四、離系を除く。
餘無漏無記,三除前所除。
その余の無漏・無記は、三、前の除かれたを除く。
論曰:道能證斷及能斷惑,得斷道名,即無間道。此道有二種,謂有漏、無漏。有漏道業具有五果。異熟果者,謂自地中斷道所招可愛異熟。等流果者,謂自地中後等若增諸相似法。離繫果者,謂此道力斷惑所證擇滅無為。士用果者,謂道所牽俱有解脫所修及斷。增上果者,謂離自性餘有為法。唯除前生。即斷道中無漏道業唯有四果,謂除異熟。餘有漏善及不善業亦有四果,謂除離繫。異前斷道,故說為餘。次後餘言例此應釋。謂餘無漏及無記業,唯有三果。除前所除,謂除前所除異熟及離繫。已總分別諸業有果,次辯異門業有果相,於中先辯善等三業。頌曰:
論に曰く:道は能く断を証しおよび能く惑を断ずるので、断道の名を得。すなわち無間道。この道は二種あり。いわゆる有漏・無漏。有漏の道の業は具に五果あり。異熟果は、いわゆる自地の中で断道の招く可愛の異熟。等流果は、いわゆる自地の中で後に等しくもしくは増す諸の相似の法。離系果は、いわゆるこの道の力で惑を断じて証する所の択滅無為。士用果は、いわゆる道の牽く所の俱有・解脱・所修および断。増上果は、いわゆる自性を離れたその余の有為法。ただ前生を除く。すなわち断道の中で無漏道の業はただ四果のみ。いわゆる異熟を除く。その余の有漏の善および不善の業もまた四果あり。いわゆる離系を除く。前の断道に異なるがゆえに、その余と説く。次の後の「その余」の言はこれに例して釈すべし。いわゆるその余の無漏および無記の業はただ三果のみ。前の除かれたを除くとは、いわゆる前の除かれた異熟および離系を除く。已に総じて諸の業の果あるを分別したり。次に異門の業の果ある相を辯ず。その中で先ず善等の三業を辯ず。頌に曰く、
善等於善等,初有四二三,
善等は善等に対して、初は四・二・三、
中有二三四,後二三三果。
中は二・三・四、後は二・三・三の果。
論曰:最後所說皆如次言,顯隨所應遍前門義。且善、不善、無記三業一一為因,如其次第對善、不善、無記三法辯有果數。後例應知。謂初善業以善法為四果,除異熟。以不善為二果,謂士用及增上。以無記為三果,除等流及離繫。中不善業以善法為二果,謂士用及增上。以不善為三果,除異熟及離繫。以無記為四果,除離繫。等流雲何?謂遍行不善及見苦所斷餘不善業,以有身見、邊執見品諸無記法為等流故。後無記業以善法為二果,謂士用及增上。以不善為三果,除異熟及離繫。等流雲何?謂有身見、邊執見品諸無記業,以諸不善為等流故。以無記為三果,除異熟及離繫。已辯三性,當辯三世。頌曰:
論に曰く:最後の説は皆次第の言のごとく、随うところに応じて遍く前門の義を顕す。且つ善・不善・無記の三業が一一に因と為して、その次第のごとく善・不善・無記の三法に対して果の数あるを辯ず。後は例して知るべし。いわゆる初の善業は善法を以て四果と為す。異熟を除く。不善を以て二果と為す。いわゆる士用および増上。無記を以て三果と為す。等流および離系を除く。中の不善業は善法を以て二果と為す。いわゆる士用および増上。不善を以て三果と為す。異熟および離系を除く。無記を以て四果と為す。離系を除く。等流はどうか。いわゆる遍行の不善および苦を見て断ずべきその余の不善業は、有身見・辺執見の品の諸の無記法を以て等流と為すがゆえに。後の無記業は善法を以て二果と為す。いわゆる士用および増上。不善を以て三果と為す。異熟および離系を除く。等流はどうか。いわゆる有身見・辺執見の品の諸の無記業は、諸の不善を以て等流と為すがゆえに。無記を以て三果と為す。異熟および離系を除く。已に三性を辯したり。当に三世を辯すべし。頌に曰く、
過於三各四,現於未亦爾,
過去は三に対して各々四。現在は未来に対してもまたこのよう。
現於現二果,未於未果三。
現在は現在に対して二果。未来は未来に対して果は三。
論曰:過去現在未來三業一一為因,如其所應以過去等為果別者,謂過去業以三世法各為四果,唯除離繫。現在業以未來為四果,如前說;以現在為二果,謂士用及增上。未來業以未來為三果,除等流及離繫。不說後業有前果者,前法定非後業果故。已辯三世。當辯諸地。頌曰:
論に曰く:過去・現在・未来の三業が一一に因と為して、その応ずる所のごとく過去等を以て果と為して別つのは、いわゆる過去の業は三世の法を以て各々四果と為す。ただ離系を除く。現在の業は未来を以て四果と為す。前に説いたがごとし。現在を以て二果と為す。いわゆる士用および増上。未来の業は未来を以て三果と為す。等流および離系を除く。後の業が前の果あることを説かざるは、前法は定めて後業の果にあらざるがゆえに。已に三世を辯したり。当に諸地を辯すべし。頌に曰く、
同地有四果,異地二或三。
同地は四果あり。異地は二あるいは三。
論曰:於諸地中隨何地業,以同地法為四果,除離繫。若是有漏,以異地法為二果,謂士用及增上。若是無漏,以異地法為三果,除異熟及離繫。不墮界故,不遮等流。已辯諸地,當辯學等。頌曰:
論に曰く:諸地の中で随ってどの地の業なりとも、同地の法を以て四果と為す。離系を除く。もし有漏ならば、異地の法を以て二果と為す。いわゆる士用および増上。もし無漏ならば、異地の法を以て三果と為す。異熟および離系を除く。界に堕せざるがゆえに、等流を遮らず。已に諸地を辯したり。当に学等を辯すべし。頌に曰く、
學於三各三,無學一三二,
学は三に対して各々三。無学は一・三・二。
非學非無學,有二二五果。
非学非無学は、二・二・五の果あり。
論曰:學、無學、非學非無學三業一一為因,如其次第各以三法為果別者,謂學業以學法為三果,除異熟及離繫;以無學法為三亦爾;以非二為三果,除異熟及等流。無學業以學法為一果,謂增上;以無學為三果,除異熟及離繫;以非二為二果,謂士用及增上。非二業以學法為二果,謂士用及增上;以無學法為二亦爾,以非二為五果。已辯學等,當辯見所斷等。頌曰:
論に曰く:学・無学・非学非無学の三業が一一に因と為して、その次第のごとく各々三法を以て果と為して別つのは、いわゆる学の業は学の法を以て三果と為す。異熟および離系を除く。無学の法を以て三と為すもまたこのよう。非二を以て三果と為す。異熟および等流を除く。無学の業は学の法を以て一果と為す。いわゆる増上。無学を以て三果と為す。異熟および離系を除く。非二を以て二果と為す。いわゆる士用および増上。非二の業は学の法を以て二果と為す。いわゆる士用および増上。無学の法を以て二と為すもまたこのよう。非二を以て五果と為す。已に学等を辯したり。当に見所断等を辯すべし。頌に曰く、
見所斷業等,一一各於三,
見所断の業等、一一各々三に対して、
初有三四一,中二四三果,
初は三・四・一、中は二・四・三の果、
後有一二四,皆如次應知。
後は一・二・四。皆次第のごとく知るべし。
論曰:見所斷、修所斷、非所斷三業一一為因,如其次第各以三法為果別者,初見所斷業以見所斷法為三果,除異熟及離繫;以修所斷法為四果,除離繫;以非所斷法為一果,謂增上果。修所斷業以見所斷法為二果,謂士用及增上;以修所斷法為四果,除離繫;以非所斷法為三果,除異熟及等流。後非所斷業以見所斷法為一果,謂增上;以修所斷法為二果,謂士用及增上;以非所斷法為四果,除異熟。皆如次者,隨其所應遍上諸門,略法應爾。因辯諸業應復問言:如本論中所說三業,謂應作業、不應作業及非應作非不應作業,其相云何?頌曰:
論に曰く:見所断・修所断・非所断の三業が一一に因と為して、その次第のごとく各々三法を以て果と為して別つのは、初の見所断の業は見所断の法を以て三果と為す。異熟および離系を除く。修所断の法を以て四果と為す。離系を除く。非所断の法を以て一果と為す。いわゆる増上果。修所断の業は見所断の法を以て二果と為す。いわゆる士用および増上。修所断の法を以て四果と為す。離系を除く。非所断の法を以て三果と為す。異熟および等流を除く。後の非所断の業は見所断の法を以て一果と為す。いわゆる増上。修所断の法を以て二果と為す。いわゆる士用および増上。非所断の法を以て四果と為す。異熟を除く。皆次第のごとくとは、随うところに応じて遍く上の諸門にわたるを、略して法は応にこのよう。因りて諸の業を辯ずるに応に復た問うべし:本論の中に説く所の三業のごとく、いわゆる応作業・不応作業および非応作非不応作業、その相はいかなるか。頌に曰く、
