Libo

説一切有部倶舎論 巻第二十五

唐 · 世亲造,玄奘译 · 第34巻 / 38

若於佛福田,能殖少分善,

もし仏の福田に於いて、能く少分の善を殖えば、

初獲勝善趣,後必得涅槃。

初めに勝善の趣を獲て、後に必ず涅槃を得ん。

已說如來不共功德,共功德今當辯。頌曰:

已に如来の不共の功徳を説けり。共の功徳は今当に弁ずべし。頌に曰く、

復有餘佛法,共餘聖異生,

復た其余の仏法有り。其余の聖・異生と共なる。

謂無諍願智,無礙解等德。

いわゆる無諍・願智、無礙解等の徳。

論曰:世尊復有無量功德,與餘聖者及異生共,謂無諍、願智、無礙解、通、靜慮、無色等至等持、無量、解脫、勝處、遍處等,隨其所應。謂前三門唯共餘聖,通靜慮等亦共異生。前三門中且辯無諍。頌曰:

論に曰く:世尊は復た無量の功徳有りて、其余の聖者および異生と共なり。いわゆる無諍・願智・無礙解・通・静慮・無色の等至・等持・無量・解脱・勝処・遍処等、其の該る所に随う。いわゆる前の三門はただ其余の聖と共、通・静慮等もまた異生と共。前の三門の中に且つ無諍を弁ず。頌に曰く、

無諍世俗智,後靜慮不動,

無諍は世俗智。後の静慮は不動。

三洲緣未生,欲界有事惑。

三洲に依り、未生の欲界の事有る惑に縁ず。

論曰:言無諍者,謂阿羅漢觀有情苦由煩惱生,自知己身福田中勝,恐他煩惱復緣己生,故思引發如是相智,由此方便令他有情不緣己身生貪瞋等。此行能息諸有情類煩惱諍故得無諍名。此行但以俗智為性,第四靜慮為其所依,樂通行中最為勝故。不動應果能起非餘,餘尚不能自防起惑,況能止息他身煩惱。此唯依止三洲人身,緣欲未來有事煩惱,勿他煩惱緣己生故。諸無事惑不可遮防,內起隨應總緣境故。辯無諍已,次辯願智。頌曰:

論に曰く:無諍と言うは、いわゆる阿羅漢は有情の苦は煩悩に由って生ずるを観じ、自ら己が身は福田の中に勝れるを知り、他の煩悩が復た己に縁じて生ぜんことを恐る。ゆえに此のようの相の智を引発せんと思う。此の方便に由って他の有情をして己が身に縁じて貪・瞋等を生生ぜざらしむ。此の行は能く諸の有情類の煩悩の諍を息むるがゆえに無諍の名を得。此の行は但だ俗智を以て性と為し、第四静慮を以て其の依る所と為す。楽通行の中に最も勝れるがゆえに。不動の応果は能く起し、其余に非ず。其余はなお能く自ら防ぎて惑を起さしめず、況んや能く他の身の煩悩を止息せんや。此れはただ三洲の人身に依止し、欲界の未来の事有る煩悩に縁ず。他の煩悩が己に縁じて生じて生ぜざらしめんがゆえに。諸の事無き惑は遮防すべからず。内に起るは応に総じて境に縁ずるに随うがゆえに。無諍を弁じ已りて、次に願智を弁ず。頌に曰く、

願智能遍緣,餘如無諍說。

願智は能く遍く縁ず。其余は無諍の説くがごとし。

論曰:以願為先引妙智起如願而了,故名願智。此智自性地種性身與無諍同,但所緣別,以一切法為所緣故。毘婆沙者作如是言:願智不能證知無色,觀彼因行及彼等流差別故,知如田夫類。諸有欲起此願智時,先發誠願求知彼境,便入邊際第四靜慮以為加行,從此無間隨所入定勢力勝劣,如先願力引正智起,於所求境皆如實知。已辯願智。無礙解者,頌曰:

論に曰く:願を以て先と為して妙智を引きて起して、願のごとく而も了す。ゆえに名づけて願智。此の智は自性・地・種性・身は無諍と同じ。但だ所縁の別あり。一切の法を以て所縁と為すがゆえに。毘婆沙は此の説を作して曰く:願智は能く無色を証知せず。彼の因行および彼の等流の差別を観ずるがゆえに。田夫の類を知るがごとし。諸の此の願智を起さんと欲する時は、先に誠の願を発して彼の境を知らんことを求め、便ち辺際の第四静慮に入りて以て加行と為し、此より無間に入る所の定の勢力の勝劣に随い、先の愿力のごとく正智を引きて起さしめて、求むる所の境に於いて皆如実に知る。已に願智を弁じたれば。無礙解とは、頌に曰く、

無礙解有四,謂法義詞辯,

無礙解に四有り。いわゆる法・義・詞・弁。

名義言說道,無退智為性,

名・義・言・説の道は、退なきの智を以て性と為す。

法詞唯俗智,五二地為依,

法・詞はただ俗智。五・二の地を以て依と為す。

義十六辯九,皆依一切地,

義は十六、弁は九。皆一切の地に依る。

但得必具四,餘如無諍說。

但だ得れば必ず具に四。其余は無諍の説くがごとし。

論曰:諸無礙解總說有四:一法無礙解、二義無礙解、三詞無礙解、四辯無礙解。此四總說如其次第,以緣名義言及說道不可退轉智為自性,謂無退智緣能詮法名句文身立為第一,緣所詮義立為第二,緣方言詞立為第三,緣應正理無滯礙說及緣自在定慧二道立為第四。此則總說無礙解體兼顯所緣。於中法詞二無礙解唯俗智攝,緣名身等及世言詞事境界故。法無礙解通依五地,謂欲界、四靜慮,以於上地無名等故。詞無礙解唯依二地,謂欲界、初靜慮,以於上地無尋伺故。義無礙解十六智攝,謂若諸法皆名為義,義無礙解則十智攝;若唯涅槃名為義者,義無礙解則六智攝,謂俗、法、類、滅、盡、無生。辯無礙解九智所攝,謂唯除滅,緣說道故。此二通依一切地起,謂依欲界乃至有頂。辯無礙解於說道中,許隨緣一皆得起故。《施設足論》釋此四言:緣名句文,此所詮義。即此一二多男女等言別,此無滯說及所依道無退轉智,如次建立法義詞辯無礙解名,由此顯成四種次第。有餘師說:詞謂一切訓釋言詞,如前說言有變礙故名為色等。辯謂展轉言無滯礙。傳說此四無礙解生,如次串習算計佛語聲明因明為前加行,若於四處未得善巧必不能生無礙解故。理實一切無礙解生,唯學佛語能為加行。如是四種無礙解中,隨得一時必具得四,非不具四可名為得。此四所緣自性依地與前無諍差別如是,種性依身如無諍說。如是所說無諍行等,頌曰:

論に曰く:諸の無礙解は総じて説いて四有り。一は法無礙解、二は義無礙解、三は詞無礙解、四は弁無礙解。此の四の総説は次第のごとく、名・義・言および説の道に縁ずる退転すべからざるの智を以て自性と為す。いわゆる退なきの智は能詮の法の名・句・文身に縁じて立てて第一と為し、所詮の義に縁じて立てて第二と為し、方言の詞に縁じて立てて第三と為し、正理に応じて滞礙無き説および自在の定・慧の二道に縁じて立てて第四と為す。此れは則ち総じて無礙解の体を説いて兼ねて所縁を顕す。中に於いて法・詞の二無礙解はただ俗智の摂。名身等および世の言詞の事の境界に縁ずるがゆえに。法無礙解は五地に依るに通ず。いわゆる欲界・四静慮。上地に於いて名等無きを以て。詞無礙解はただ二地に依る。いわゆる欲界・初静慮。上地に於いて尋伺無きを以て。義無礙解は十六智の摂。いわゆるもし諸法は皆名づけて義なれば、義無礙解は則ち十智の摂。もしただ涅槃のみを名づけて義なれば、義無礙解は則ち六智の摂。いわゆる俗・法・類・滅・尽・无生。弁無礙解は九智の摂する所。いわゆるただ滅を除く。説の道に縁ずるがゆえに。此の二は一切の地に依って起るに通ず。いわゆる欲界に依って乃至有頂。弁無礙解は説の道の中に於いて、縁ずる所の一に随って皆起るを得るを許すがゆえに。《施設足論》は此の四言を釋して曰く:名・句・文に縁ずるは、此の詮する所の義。即ち此の一・二・多・男・女等の言の別、此の滞なき説および依る所の道の退転無きの智は、次第のごとく法・義・詞・弁の無礙解の名を建立す。此に由って四種の次第を顕成す。其余の師有りて説く:詞とは一切の訓釋の言詞を謂う。前の説く言のごとく変礙有るがゆえに名づけて色等。弁とは展転に言の滞礙無きを謂う。伝え聞く此の四無礙解の生ずるは、次第のごとく算計・仏語・声明・因明を串習して前の加行と為す。もし四処に於いて未だ善巧を得ざれば必ず能く無礙解を生解を生ぜざるがゆえに。理実は一切の無礙解の生ずるは、ただ仏語を学ぶは能く加行と為り得。此のようの四種の無礙解の中に、得る所の一時に随って必ず具に四を得。具に四ならざるは名づけて得と為すべからず。此の四の所縁・自性・依地は前の無諍と差別は此のよう。種性・依身は無諍の説くがごとし。此のようの説く所の無諍行等は、頌に曰く、

六依邊際得,邊際六後定,

六は辺際に依って得。辺際は六、後の定。

遍順至究竟,佛餘加行得。

遍く順じて究竟に至る。仏・其余は加行にて得。

論曰:無諍、願智、四無礙解六種,皆依邊際定得。邊際靜慮體有六種,前六除詞加餘邊際,詞無礙解雖依彼得而體非彼靜慮所收,邊際名但依第四靜慮故。此一切地遍所隨順故、增至究竟故,得邊際名。云何此名遍所隨順?謂正修學此靜慮時,從欲界心入初靜慮,次第順入乃至有頂,復從有頂入、無所有次第逆入乃至欲界,復從欲界次第順入,展轉乃至第四靜慮,名一切地遍所隨順。云何此名增至究竟?謂專修習第四靜慮,從下至中從中至上,如是三品復各分三,上上品生名至究竟,如是靜慮得邊際名。此中邊名顯無越義,勝無越此故名為邊。際言為顯類義極義,如說四際及實際言。除佛,所餘一切聖者,所說六種唯加行得,非離染得,非皆得故。唯佛於此亦離染得,諸佛功德初盡智時由離染故一切頓得,後時隨欲能引現前不由加行,以佛世尊於一切法自在轉故。已辯前三唯共餘聖德,於亦共凡德且應辯通。頌曰:

論に曰く:無諍・願智・四無礙解の六種は、皆辺際の定に依って得。辺際の静慮は体に六種有り。前の六は詞を除いて其余の辺際を加ふ。詞無礙解は彼に依って得ると雖も、而も体は彼の静慮の収むる所に非ず。辺際の名は但だ第四静慮に依るがゆえに。此れは一切の地に遍く随順するがゆえ、増して究竟に至るがゆえに、辺際の名を得。如何にして此の名は遍く随順するか。いわゆる正しく此の静慮を修学する時、欲界の心より初静慮に入り、次第に順に入りて乃至有頂、復た有頂より入り、無所有より次第に逆に入りて乃至欲界、復た欲界より次第に順に入り、展転して乃至第四静慮に至るを、名づけて一切の地に遍く随順す。如何にして此の名は増して究竟に至るか。いわゆる専ら第四静慮を修習して、下より中・中より上と進み、此のようの三品は復た各々三に分かれ、上上品の生を名づけて究竟に至る。此のようの静慮は辺際の名を得。此の中の辺の名は越え無きの義を顕す。勝は此を越ゆる無きがゆえに名づけて辺。際の言は為に類義・極義を顕す。四際および実際の言を説くがごとし。仏を除きて、其余の一切の聖者の説く所の六種はただ加行の得。離染の得に非ず。皆得に非ざるがゆえに。ただ仏は此に於いてもまた離染の得。諸仏の功徳は初の尽智の時に離染に由るがゆえに一切を頓得し、後の時は欲に随って能く現前を引かしめて加行に由らず、仏世尊は一切法に於いて自在に転ずるを以て。已に前の三はただ其余の聖徳と共なるを弁じたれば、もまた凡徳と共なるは且つ応に通を弁ずべし。頌に曰く、

通六謂神境,天眼耳他心,

通は六。いわゆる神境・天眼・耳・他心、

宿住漏盡通,解脫道慧攝。

宿住・漏尽の通。解脱道・慧の摂。

四俗他心五,漏盡通如力,

四は俗、他心は五。漏尽通は力のごとし。

五依四靜慮,自下地為境。

五は四静慮に依り、自・下の地を境と為す。

聲聞麟喻佛,二三千無數,

声聞・麟喩・仏は、二・三・千・无数。

未曾由加行,曾修離染得。

未曾は加行に由り、曾修は離染の得。

念住初三身,他心三餘四,

念住は初の三は身。他心は三、其余は四。

天眼耳無記,餘四通唯善。

天眼・耳は無記。其余の四通はただ善。

論曰:通有六種,一神境智證通、二天眼智證通、三天耳智證通、四他心智證通、五宿住隨念智證通、六漏盡智證通。雖六通中第六唯聖,然其前五異生亦得,依總相說亦共異生。如是六通解脫道攝,慧為自性,如沙門果。解脫道言顯出障義。神境等四唯俗智攝。他心通五智攝,謂法、類、道、世俗、他心。漏盡通如力說,謂或六或十智。由此已顯漏盡智通依一切地、緣一切境。前之五通依四靜慮。何緣此五不依無色?初三別緣色為境故,修他心通色為門故,修宿住通漸次憶念分位差別方得成故,成時能緣處性等故,依無色地無如是能。諸有欲修他心通者,先審觀己身心二相前後變異展轉相隨,後復審觀他身心相,由此加行漸次得成。成已不觀自心諸色,於他心等能如實知。諸有欲修宿住通者,先自審察次前滅心,漸復逆觀此生分位前前差別至結生心,乃至能憶知中有前一念,名自宿住加行已成。為憶念他加行亦爾。此通初起唯次第知,串習成時亦能超憶。諸所憶事要曾領受,憶淨居者昔曾聞故。從無色歿來生此者,依他相續初起此通,所餘亦依自相續起。修神境等前三通時,思輕光聲以為加行,成已自在隨所應為。故此五通不依無色。又諸無色觀減止增,五通必依止觀均地,未至等地由此已遮,如是五通境唯自下。且如神境隨依何地,於自下地行化自在,於上不然,勢力劣故。餘四亦爾,隨其所應。是故無能取無色界他心、宿住為二通境。即此五通於世界境作用廣陜諸聖不同,謂大聲聞、麟喻、大覺不極作意,如次能於一二三千諸世界境,起行化等自在作用。若極作意,如次能於二千、三千、無數世界。如是五通若有殊勝勢用猛利,從無始來曾未得者由加行得,若曾串習無勝勢用及彼種類由離染得,若起現前皆由加行。佛於一切皆離染得,隨欲現前不由加行。

論に曰く:通に六種有り。一は神境智証通、二は天眼智証通、三は天耳智証通、四は他心智証通、五は宿住随念智証通、六は漏尽智証通。六通の中の第六はただ聖なりと雖も、然而其の前の五は異生もまた得。総相に依って説くもまた異生と共なり。此のようの六通は解脱道の摂、慧を以て自性と為す。沙門果のごとし。解脱道の言は障を出づるの義を顕す。神境等の四はただ俗智の摂。他心通は五智の摂。いわゆる法・類・道・世俗・他心。漏尽通は力の説くがごとし。いわゆる或いは六或いは十智。此に由って已に漏尽智通は一切の地に依り一切の境に縁ずるを顕せり。前の五通は四静慮に依る。何の縁にか此の五は無色に依らざるか。初の三は別に色に縁じて境と為すがゆえ、他心通を修するは色を門と為すがゆえ、宿住通を修するは漸次に分位の差別を憶念して方に成るを得るがゆえ、成ずる時は能く処・性等に縁ずるがゆえ、無色地に依っては此のようの能無きがゆえに。諸の他心通を修せんと欲するは、先に己が身心の二相の前後に変異して展転に相随うを審観し、後に復た他の身心の相を審観す。此の加行に由って漸次に成るを得。成じ已りては自心の諸の色を観ぜず、他の心等に於いて能く如実に知る。諸の宿住通を修せんと欲するは、先ず自ら次前の滅心を審察し、漸々復た逆に此生の分位の前前の差別を観じて結生心に至り、乃至能く中有の前一念を憶知するを、名づけて自ら宿住の加行已に成ず。為に他を憶念する加行もまた此のよう。此の通の初めの起るはただ次第に知る。串習の成ずる時はもまた能く超えて憶す。諸の憶す所の事は要ずるに曾て領受せる、浄居を憶するは昔曾て聞けりしがゆえに。無色より歿して此に来生するは、他の相続に依って初めて此の通を起し、其余もまた自の相続に依って起す。神境等の前三通を修する時は、軽・光・声を思して以て加行と為し、成じ已りては自在に該為する所に随う。ゆえに此の五通は無色に依らず。また諸の無色は観減・止増。五通は必ず止観の均なる地に依止す。未至等の地は此に由って已に遮らる。此のようの五通の境はただ自・下。且つ神境は依る所の何の地かに随って、自・下の地に於いて行化自在にして、上に於いては此のようにはあらず。勢力劣れるがゆえに。其余の四もまた此のよう。其の該る所に随う。此のゆえに能く無色界の他心・宿住を取りて二通の境と為すこと無し。即ち此の五通は世界の境に於いて作用の広狭は諸聖同じからず。いわゆる大声聞・麟喩・大覚は極めて作意せずば、次第のごとく能く一・二・三千の諸の世界境に於いて、行化等の自在の作用を起す。もし極めて作意せば、次第のごとく能く二千・三千・无数の世界。此のようの五通はもし殊勝の勢用の猛利有るは、无始より来り曾て未だ得たるは加行に由って得。もし曾て串習して勝勢用無きおよび彼の種類は離染に由って得。もし現前を起すは皆加行に由る。仏は一切に於いて皆離染の得にして、欲に随って現前して加行に由らず。

六中前三唯身念住,但緣色故,謂神境通緣四外處色香味觸,天眼緣色,天耳緣聲。若爾,何緣說死生智知有情類由現身中成身語意諸惡行等?非天眼通能知此事,有別勝智是通眷屬,依聖身起能如是知。是天眼通力所引故,與通合立死生智名。他心智通三念住攝,謂受、心、法,緣心等故。宿住漏盡四念住攝。通緣五蘊一切境故。此六通中天眼、天耳無記性攝,許此二體是眼耳識相應慧故。若爾,寧說依四靜慮,隨根說故亦無有失。謂所依止眼耳二根,由四靜慮力所引起,即彼地攝,故依四地,通依根故說依四言。或此依通無間道說,通無間道依四地故。餘之四通性皆是善。若爾,何故《品類足》言:通云何?謂善慧。彼據多分,或就勝說。如契經說:無學三明。彼於六通以何為性?頌曰:

(論に引き続き曰く:)六の中の前の三はただ身念住。但だ色に縁ずるがゆえに。いわゆる神境通は四の外処の色・香・味・触に縁じ、天眼は色に縁じ、天耳は声に縁ず。もしそうならば、何の縁にか死生智は有情類が現身の中に於いて身・語・意の諸の悪行等を成ずるを知ると説くか。天眼通は能く此の事を知るに非ず。別に勝智有りて是れ通の眷属。聖身に依って起りて能く此のようの知。是れ天眼通の力の引く所なるがゆえに、通と合して死生智の名を立つ。他心智通は三念住の摂。いわゆる受・心・法。心等に縁ずるがゆえに。宿住・漏尽は四念住の摂。五蘊の一切の境に通じて縁ずるがゆえに。此の六通の中の天眼・天耳は無記性の摂。此の二の体は是れ眼・耳識の相応する慧なるを許すがゆえに。もしそうならば、寧ろ四静慮に依ると説かん。根に随って説くがゆえにもまた失有ること無し。いわゆる依止する所の眼・耳の二根は、四静慮の力の引き起す所に由って、即ち彼の地の摂。ゆえに四地に依る。通は根に依るがゆえに四に依るの言を説く。或いは此れは通の無間道に依って説く。通の無間道は四地に依るがゆえに。其余の四通の性は皆是れ善。もしそうならば、何の故にか《品類足》は説く:通とは如何。いわゆる善慧。彼は多分に拠り、或いは勝に就いて説く。契経の説くがごとく:無学の三明。彼は六通に於いて何を以て性と為すか。頌に曰く、

第五二六明,治三際愚故,

第五・二・六は明。三際の愚を治するがゆえに。

後真二假說,學有闇非明。

後は真、二は仮に説く。学に暗有りて明に非ず。

論曰:言三明者,一宿住智證明、二死生智證明、三漏盡智證明。如其次第,以無學位攝第五二六通為其自性。六中三種獨名明者,如次對治三際愚故。謂宿住智通治前際愚,死生智通治後際愚,漏盡智通治中際愚。此三皆名無學明者,俱在無學身中起故。於中最後容有是真,通無漏故。餘二假說,體唯非學非無學故。有學身中有愚闇故,雖有前二不立為明。雖有暫時伏滅愚闇,後還被蔽故不名明。契經說有三種示導,彼於六通以何為體?頌曰:

論に曰く:三明と言うは、一は宿住智証明、二は死生智証明、三は漏尽智証明。次第のごとく、無学の位の摂する第五・二・六の通を以て其の自性と為す。六の中の三種は独り明と名づく。次第のごとく三際の愚を対治するがゆえに。いわゆる宿住智通は前際の愚を治し、死生智通は後際の愚を治し、漏尽智通は中際の愚を治す。此の三は皆名づけて無学の明。俱に無学の身の中に起るがゆえに。中に於いて最後は容そ有りて是れ真。無漏に通ずるがゆえに。其余の二は仮に説く。体はただ非学・非無学なるがゆえに。有学の身の中に愚暗有るがゆえに、前の二有ると雖も立てて明と為さず。暫時に伏滅の愚暗有ると雖も、後に還って蔽わるるがゆえに名づけて明と為さず。契経に三種の示導有りと説く。彼は六通に於いて何を以て体と為すか。頌に曰く、

第一四六導,教誡導為尊,

第一・四・六は導。教誡の導は尊と為す。

定由通所成,引利樂果故。

定めて通の成ずる所に由り、利楽の果を引くがゆえに。

論曰:三示導者,一神變示導、二記心示導、三教誡示導。如其次第,以六通中第一四六為其自性,唯此三種引所化生令初發心最為勝故,或此能引憎背正法及處中者令發心故。能示能導得示導名。又唯此三令於佛法如次歸伏、信受、修行,得示導名,餘三不爾。於二示導,教誡最尊,唯此定由通所成故,定能引他利樂果故。謂前二導呪術亦能,不但由通故非決定。如有呪術名健馱梨,持此便能騰空自在。復有呪術名伊剎尼,持此便能知他心念。教誡示導除漏盡通,餘不能為,故是決定。又前二導有但令他暫時迴心,非引勝果。教誡示導亦定令他引當利益及安樂果,以能如實方便說故。由是教誡最勝非餘。神境二言為目何義?頌曰:

論に曰く:三示導とは、一は神変の示導、二は記心の示導、三は教誡の示導。次第のごとく、六通の中の第一・四・六を以て其の自性と為す。ただ此の三種は化する所の生を引きて初めて心を発せしむるに最も勝れるがゆえに。或いは此れは能く正法を憎背するおよび処中なるを引きて心を発せしむるがゆえに。能く示し能く導きて示導の名を得。またただ此の三は佛法に於いて次第のごとく帰伏・信受・修行せしめて示導の名を得。其余の三は此のようにはあらず。三示導に於いて、教誡は最も尊し。ただ此れは定めて通の成ずる所に由るがゆえに。定めて能く他を引きて利楽の果と為るがゆえに。いわゆる前の二前の二導は呪術もまた能くす。但だ通に由るに非ざるがゆえに決定に非ず。呪術有るがごとく名づけて健駄梨(呪の名)。此を持すれば便ち能く空に騰りて自在。復た呪術有りて名づけて伊刹尼(呪の名)。此を持すれば便ち能く他の心念を知る。教誡の示導は漏尽通を除きて、其余は能く為さず。ゆえに是れ決定。また前の二導は但だ他をして暫時に心を回らしむる有りて、勝果を引くに非ず。教誡の示導はもまた定めて他をして当に利益および安楽の果を引かしむ。能く如実に方便に説くを以て。此に由って是れ教誡は最勝にして其余に非ず。神境の二言は為に何の義を目するか。頌に曰く、

神體謂等持,境二謂行化,

神の体とは等持を謂う。境の二とは行・化を謂う。

行三意勢佛,運身勝解通。

行は三、意勢は仏。運身・勝解は通ず。

化二謂欲色,四二外處性,

化は二、いわゆる欲・色。四・二の外処の性。

此各有二種,謂似自他身。

此れ各々二種有り。いわゆる自・他の身に似たる。

論曰:依毘婆沙所說理趣,神名所目唯勝等持,由此能為神變事故。諸神變事說名為境,此有二種,謂行及化。行復三種:一者運身,謂乘空行猶如飛鳥。二者勝解,謂極遠方作近思惟便能速至。三者意勢,謂極遠方舉心緣時身即能至。此勢如意得意勢名。於此三中意勢唯佛,運身、勝解亦通餘乘。謂我世尊神通迅速隨方遠近舉心即至。由此世尊作如是說:諸佛境界不可思議。故意勢行唯世尊有,勝解兼餘聖,運身並異生。化復二種,謂欲、色界。若欲界化外四處,除聲。若色界化唯二,謂色、觸,以色界中無香、味故。此二界化各有二種,謂屬自身、他身別故。身在欲界化有四種,在色亦然,故總成八。若生在色作欲界化,如何不有成香味失,如衣嚴具作而不成?有說:在色唯化二處,化作、化事。為即是通不?不爾。云何?是通之果。此有幾種?差別云何?頌曰:

論に曰く:毘婆沙の説く所の理趣に依れば、神の名の目する所はただ勝の等持。此に由って能く神変の事と為るがゆえに。諸の神変の事を説いて名づけて境。此れに二種有り。いわゆる行および化。行は復た三種。一者は運身。いわゆる空に乗じて行くこと猶お飛鳥のごとし。二者は勝解。いわゆる極遠の方を近しと思惟を作せば便ち能く速やかに至る。三者は意勢。いわゆる極遠の方に心を挙げて縁ずる時に身は即ち能く至る。此の勢は意のごときを以て意勢の名を得。此の三の中に於いて意勢はただ仏。運身・勝解もまた其余の乗に通ず。いわゆる我が世尊は神通は迅速にして方の遠近に随って心を挙ぐれば即ち至る。此に由って世尊は此の説を作して曰く:諸仏の境界は思議すべからず。ゆえに意勢の行はただ世尊のみ有り、勝解は兼ねて其余の聖、運身は并びに異生。化は復た二種。いわゆる欲・色界。もし欲界の化は外の四処、声を除く。もし色界の化はただ二。いわゆる色・触。色界の中に香・味無きを以て。此の二界の化は各々二種有り。いわゆる自身・他身に属するの別あるがゆえに。身は欲界に在りて化に四種有り、色に在りてもまた此のよう。ゆえに総じて八を成す。もし色に生じて欲界の化を作せば、如何にして香・味の失を成ぜざる有らんか。衣・厳具を作して成らざるがごとし。ある説に、色に在りてはただ二処を化す。化作・化事。為に即ち是れ通か否や。そうにはあらず。如何。是れ通の果。此れに幾種有るか。差別は如何。頌に曰く、

能化心十四,定果二至五,

能化の心は十四。定の果は二より五に至る。

如所依定得,從淨自生二。

依る所の定を得るがごとく、浄・自より二を生ず。

化事由自地,語通由自下,

化の事は自地に由り、語・通は自・下に由る。

化身與化主,語必俱非佛。

化身と化主と、語は必ず俱にするは仏に非ず。

先立願留身,後起餘心語,

先に願を立てて身を留め、後に其余の心・語を起す。

有死留堅體,餘說無留義。

死して堅体を留むる有り。其余は留むるの義無しと説く。

初多一心化,成滿此相違,

初めは多くの心にて化し、成満は此に相違す。

修得無記攝,餘得通三性。

修得は無記の摂。其余の得は三性に通ず。

論曰:神境通果能變化心,力能化生一切化事。此有十四,謂依根本四靜慮生有差別故。依初靜慮有二化心,一欲界攝、二初靜慮。第二靜慮有三化心,二種如前,加二靜慮。第三有四,第四有五,謂各自下,如理應思。諸果化心依自上地必無依下,下地定心不生上果,勢力劣故。第二定等果下地化心,對初定等果上地化心,由依及行亦得名勝。如得靜慮化心亦然,果與所依俱時得故。諸從靜慮起果化心,此心必無直出觀義,謂從淨定起初化心,此後後心從自類起,此前前念生自類心,最後化心還生淨定。故此從二能生二心,非定果心無記性攝。不還入定有直出義,如從門入還從門出,諸所化事由自地心,無異地化心起餘地化故。化所發言通由自下,謂欲初定化所發言,此言必由自地心起。上化起語由初定心,上地自無起表心故。若一化主起多化身,要化主語時諸化身方語,言音詮表一切皆同故。有伽他作如是說:

論に曰く:神境通の果の能く変化する心は、力は能く一切の化事を化生す。此れに十四有り。いわゆる根本の四静慮に依って生に差別有るがゆえに。初静慮に依って二の化心有り。一は欲界の摂、二は初静慮。第二静慮に三の化心有り。二種は前のごとく、二静慮を加ふ。第三に四有り、第四に五有り。いわゆる各々自・下。理のごとく応に思うべし。諸の果の化心は自・上の地に依りて必ず下に依る無し。下地の定の心は上果を生生ぜざるがゆえに。勢力劣れるがゆえに。第二定等の果の下地の化心は、初定等の果の上地の化心に対して、依および行に由ってもまた勝の名を得。静慮を得るがごとく化心もまた此のよう。果は依る所と俱時に得るがゆえに。諸の静慮より果の化心を起すは、此の心は必ず直に観を出づるの義無し。いわゆる浄定より初の化心を起し、此の後の後心は自類より起り、此の前の前念は自類の心を生じ、最後の化心は還って浄定を生ず。ゆえに此れは二より二心を生ずる能く。定果の心に非ざるは無記性の摂。還って定に入りて直出の義有り。門より入りて還って門より出づるがごとし。諸の化する所の事は自地の心に由る。地異なるに化心は其余の地の化を起さざるがゆえに。化の発する所の言は通じて自・下に由る。いわゆる欲・初定の化の発する所の言は、此の言は必ず自地の心に由って起る。上の化の語を起すは初定の心に由る。上地は自ら表を起すの心無きがゆえに。もし一の化主は多くの化身を起さば、要ずるに化主の語る時に諸の化身は方に語る。言音の詮表は一切同じきがゆえに。伽他有りて此の説を作して曰く:

一化主語時,諸所化皆語,

一の化主が語る時、諸の化する所は皆語り、

一化主若默,諸所化亦然。

一の化主がもし黙せば、諸の化する所もまた此のよう。

此但說餘,佛則不爾,佛諸定力最自在故,與所化語容不俱時,言音所詮亦容有別。發語心起,化心既無,應無化身,化如何語?由先願力留所化身,後起餘心發語表業,故雖化語二心不俱,而依化身亦得發語。非唯化主命現在時能留化身令久時住,亦有令住至命終後,即如尊者大迦葉波留骨瑣身至慈尊世。唯堅實體可得久留,故迦葉波不留肉等。有餘師說:願力留身必無有能令至死後。飲光尊者留骨瑣身,由諸天神持令久住。初習業者由多化心方能化生一所化事,習成滿者由一化心隨欲化生多少化事。如是十四能變化心皆是修得,無記性攝,即是通果無記攝義。餘生得等能變化心,通善不善無記性攝。如天龍等能變化心,彼亦能為自他身化,於十色處化九除聲。理實無能化為根者,然所化境不離根故,言化九處亦無有失。天眼耳言為目何義?頌曰:

(論に引き続き曰く:)此れは但だ其余を説く。仏は則ち此のようにはあらず。仏の諸の定力は最も自在なるがゆえに。化する所と語るも容そ俱時ならず、言音の詮する所も容そ別有り。語を発する心の起るは、化心すでに無ければ、応に化身無きべし。化は如何にして語るか。先の愿力に由って化する所の身を留めて、後に其余の心を起して語の表業を発す。ゆえに化・語の二心は俱ならずと雖も、而も化身に依ってもまた語を発すを得。ただ化主の命の現在の時に能く化身を留めて久しく住せしむるのみに非ず。もまた住せしめて命終の後に至らしむる有り。即ち尊者大迦葉波の骨の鎖の身を留めて慈尊の世に至らしめたるがごとし。ただ堅実の体のみ久しく留むるを得るを得。ゆえに迦葉波は肉等を留めず。其余の師有りて説く:愿力は身を留めて必ず能く死後に至らしめる無し。飲光尊者の骨の鎖の身を留むるは、諸の天神の持して久しく住せしむるに由る。初め業を習うは多くの化心に由って方に能く一の化する所の事を化生す。習いの成満なるは一の化心に由って欲に随って多少の化事を化生す。此のようの十四の能く変化する心は皆是れ修得、無記性の摂。即ち是れ通果の無記の摂する義。其余の生得等の能く変化する心は、善・不善・無記性に通ず。天・龍等の能く変化する心のごとく、彼もまた能く自・他の身の化と為りて、十色処に於いて九を化して声を除く。理実は能く根を化する無し。しかし化する所の境は根を離れざるがゆえに、九処を化すと言うもまた失有ること無し。天眼・耳の言は為に何の義を目するか。頌に曰く、

天眼耳謂根,即定地淨色,

天眼・耳とは根を謂う。即ち定地の浄色。

恆同分無缺,取障細遠等。

恒に同分にして缺無し。障・細・遠等を取る。

論曰:此言唯目天眼耳根,即四靜慮所生淨色,謂緣光聲修加行故。依四靜慮於眼耳邊引起彼地微妙大種所造淨色眼耳二根,見色聞聲名天眼耳。如是眼耳何故名天?體即是天,定地攝故。然天眼耳種類有三:一修得天,即如前說。二者生得,謂生天中。三者似天,謂生餘趣由勝業等之所引生,能遠見聞似天眼耳。如藏臣寶、菩薩、輪王、諸龍鬼神及中有等。修得眼耳過現當生恆是同分,以至現在必與識俱能見聞故。處所必具無翳無缺,如生色界一切有情,能隨所應取被障隔極細遠等諸方色聲。故於此中有如是頌:

論に曰く:此の言はただ天眼・耳根を目す。即ち四静慮の生ずる所の浄色。いわゆる光・声に縁じて加行を修するがゆえに。四静慮に依って眼・耳の辺に彼の地の微妙なる大種の造る所の浄色の眼・耳の二根を引起して、色を見声を聞くを名づけて天眼・耳。此のようの眼・耳は何の故にか名づけて天か。体は即ち是れ天。定地の摂なるがゆえに。しかし天眼・耳の種類に三有り。一は修得の天。即ち前の説くがごとし。二は生得。いわゆる天の中に生ず。三は天に似たる。いわゆる其余の趣に生じて勝業等の引生する所に由って、能く遠く見聞して天眼・耳に似たり。蔵臣宝・菩薩・輪王・諸の龍・鬼神および中有等のごとし。修得の眼・耳は過・現・当に生ずるは恒に是れ同分。現在に至っては必ず識と俱に能く見聞するがゆえに。処所は必ず具に翳無く缺無し。色界に生ずる一切の有情のごとく、能く該る所に随って障隔せられたる極細・遠等の諸方の色・声を取る。ゆえに此に於いて此のようの頌有り:

肉眼於諸方,被障細遠色,

肉眼は諸方に於いて、障せられ細遠の色を、

無能見功用,天眼見無遺。

見るの功用無し。天眼は見て遺す無し。

前說化心修餘得異,神境等五各有異耶?亦有。云何?頌曰:

前に化心の修は其余の得と異なるを説けり。神境等の五は各々異有るか。もまた有り。如何。頌に曰く、

神境五修生,呪藥業成故,

神境は五、修・生・呪・薬・業の成なるがゆえに。

The original text is in the public domain. The Japanese is a machine-assisted translation of this library’s own Chinese paraphrase, checked against a fixed glossary so that technical terms match the definitions used elsewhere on this site. It is a reading aid and does not replace the original.