説一切有部倶舎論 巻第十五
皆唯意地起,餘通依六識。
皆ただ意地に起り、その余は六識に通じて依る。
論曰:略說應知諸見所斷及修所斷。一切慢眠隨煩惱中自在起者,如是一切皆依意識,依五識身無容起故。所餘一切通依六識,謂修所斷貪瞋無明及彼相應諸隨煩惱,即無慚愧、惛、掉及餘大煩惱地法所攝隨煩惱,依六識身皆容起故。如先所辯樂等五受根,今此所明煩惱隨煩惱,何煩惱等何根相應?於此先應辯諸煩惱。頌曰:
論に曰く:略説して応に知るべし、諸の見所断および修所断の、一切の慢・眠・随煩悩の中の自在に起る所、此のようの一切は皆意識に依る。五識身に依って起るを容れざるがゆえに。其余の一切は六識に通じて依る。いわゆる修所断の貪・瞋・無明および彼に相応する諸の随煩悩、すなわち無慚・愧、惛・掉および其余の大煩悩地法の摂する所の随煩悩、六識身に依って皆起るを容るるがゆえに。先の辯ぜし所の楽等の五受根のごとく、今此の明かす所の煩悩・随煩悩は、何の煩悩等か何の根にか相応するか。此に於いて先ず応に諸の煩悩を辯ずべし。頌に曰く、
欲界諸煩惱,貪喜樂相應,
欲界の諸の煩悩、貪は喜・楽に相応し、
瞋憂苦痴遍,邪見憂及喜,
瞋は憂・苦、痴は遍く、邪見は憂および喜に、
疑憂餘五喜,一切捨相應,
疑は憂に、其余の五は喜に、一切は捨に相応す。
上地皆隨應,遍自識諸受。
上地は皆その応ずるに随い、自識の諸受に遍す。
論曰:欲界所繫諸煩惱中,貪喜樂相應,以歡行轉遍六識故。瞋憂苦相應,以慼行轉遍六識故。無明遍與前四相應,歡慼行轉遍六識故。邪見通與憂喜相應,歡慼行轉唯意地故。何緣邪見歡慼行轉?如次先造罪福業故。疑憂相應,以慼行轉唯意地故。懷猶預者求決定知心愁慼故。餘四見慢與喜相應,以歡行轉唯意地故。已約別相說受相應。就通相說受相應者,一切皆與捨受相應,以諸隨眠相續斷位勢力衰歇必住捨受。欲界既爾,上地云何?皆隨所應遍與自地自識俱起諸受相應。謂若地中具有四識,彼一一識所起煩惱,各遍自識諸受相應。若諸地中唯有意識,即彼意識所起煩惱,遍與意識識受相應。上諸地中識受多少,如前已辯,故不別說。已辯煩惱諸受相應,今次復應辯隨煩惱。頌曰:
論に曰く:欲界の繋する所の諸の煩悩の中、貪は喜・楽に相応す。歓行に転じて六識に遍くがゆえに。瞋は憂・苦に相応す。戚行に転じて六識に遍くがゆえに。無明は遍く前の四と相応す。歓・戚行に転じて六識に遍くがゆえに。邪見は通じて憂・喜と相応す。歓・戚行に転じてただ意地なるがゆえに。何の縁にか邪見は歓・戚行に転ずるか。次第のごとく先に罪・福の業を造るがゆえに。疑は憂に相応す。戚行に転じてただ意地なるがゆえに。猶予を懐いて決定知を求むるに心の愁戚するがゆえに。其余の四見・慢は喜と相応す。歓行に転じてただ意地なるがゆえに。已に別相に約して受の相応を説けり。通相に就いて受の相応を説けば、一切は皆捨受と相応す。諸の随眠は相続の断ずる位に於いて勢力の衰歇せば必ず捨受に住するがゆえに。欲界はすでに此のよう、上地は如何。皆その応ずる所に随って遍く自地の自識と俱に起る諸受と相応す。いわゆるもし地の中に四識を具えれば、彼の一一の識の起す所の煩悩は各々遍く自識の諸受と相応す。もし諸の地の中にただ意識有るのみなれば、すなわち彼の意識の起す所の煩悩は、遍く意識の識受と相応す。上の諸地の中の識受の多少は、前に已に辯ぜしがごとし。ゆえに別に説かず。已に煩悩の諸受の相応を辯したり。今次に復た応に随煩悩を辯ずべし。頌に曰く、
諸隨煩惱中,嫉悔忿及惱,
諸の随煩悩の中、嫉・悔・忿および惱、
害恨憂俱起,慳喜受相應,
害・恨は憂と俱に起り、慳は喜受に相応し、
諂誑及眠覆,通憂喜俱起,
諂・誑および眠・覆は、憂・喜に通じて俱に起り、
憍喜樂皆捨,餘四遍相應。
憍は喜・楽、皆捨。その余の四は遍く相応す。
論曰:隨煩惱中嫉等六種,一切皆與憂根相應,以慼行轉唯意地故。慳喜相應,以歡行轉唯意地故。歡行轉者,慳相與貪極相似故。諂誑眠覆憂喜相應,歡慼行轉唯意地故。歡慼行者,謂或有時以歡喜心而行諂等,或時有以憂慼心行。憍喜樂相應,歡行唯意故。在第三靜慮與樂相應,若在下諸地與喜相應。此上所說諸隨煩惱,一切皆與捨受相應,相續斷時皆住捨故,有通行在唯捨地故。捨於一切相應無遮,譬如無明遍相應故。餘無慚愧、惛沈、掉舉四皆遍與五受相應,前二是大不善地法攝故,後二是大煩惱地法攝故。所說煩惱隨煩惱中,有依異門,佛說為蓋。今次應辯。蓋相云何?頌曰:
論に曰く:随煩悩の中の嫉等の六種は、一切皆憂根と相応す。戚行に転じてただ意地なるがゆえに。慳は喜に相応す。歓行に転じてただ意地なるがゆえに。歓行に転ずるは、慳の相は貪と極めて相似なるがゆえに。諂・誑・眠・覆は憂・喜に相応す。歓・戚行に転じてただ意地なるがゆえに。歓・戚行なるは、いわゆる或いは時有りて歓喜の心を以て諂等を行じ、或いは時有りて憂戚の心を以て行ず。憍は喜・楽に相応す。歓行ただ意なるがゆえに。第三静慮に在りては楽と相応し、もし下の諸地に在りては喜と相応す。此の上に説く所の諸の随煩悩は、一切皆捨受と相応す。相続の断ずる時に皆捨に住するがゆえ、通行在るがゆえにただ捨地なるがゆえに。捨は一切に於いて相応に遮なし。無明の遍く相応するがゆえに譬ゆるがごとし。その余の無慚・愧、惛沈・掉擧の四は皆遍く五受と相応す。前の二は大不善地法の摂する所なるがゆえ、後の二は大煩悩地法の摂する所なるがゆえに。説く所の煩悩・随煩悩の中、異門に依って仏は説いて蓋と為したまえる有り。今次に応に辯ずべし。蓋の相は如何。頌に曰く、
蓋五唯在欲,食治用同故,
蓋は五、ただ欲に在り。食・治・用の同じきがゆえに、
雖二立一蓋,障蘊故唯五。
二有ると雖も一蓋を立つ。蘊を障ずるがゆえにただ五。
論曰:佛於經中說蓋有五,一欲貪蓋、二瞋恚蓋、三惛眠蓋、四掉悔蓋、五疑蓋。此中所說惛掉及疑,為如欲貪瞋恚眠悔唯在欲界?通三界耶?應知此三亦唯在欲,以契經說如是五種純是圓滿不善聚故。色無色界無有不善,然此五種純不善故,唯在欲界非色無色。何故惛眠、掉悔二蓋各有二體合立一耶?食、治、用同,故合立一。食謂所食,亦名資糧。治謂能治,亦名非食。用謂事用,亦名功能。由此經中作如是說。惛眠雖二,食非食同。何等名為惛眠蓋食?謂五種法:一𧄼瞢、二不樂、三頻申、四食不平性、五心昧劣性。何等名為此蓋非食?謂光明想。如是二種事用亦同,謂俱能令心性沈昧。掉悔雖二,食非食同。何等名為掉悔蓋食?謂四種法:一親裡尋、二國土尋、三不死尋、四隨念昔種種所更戲笑歡娛承奉等事。何等名為此蓋非食?謂奢摩他。如是二種事用亦同,謂俱能令心不寂靜。由此說食、治、用同,故惛眠、掉悔二合為一。諸煩惱等皆有蓋義,何故如來唯說此五?唯此於五蘊能為勝障故。謂貪恚蓋能障戒蘊,惛沈睡眠能障慧蘊,掉舉惡作能障定蘊,定慧無故於四諦疑,疑故能令乃至解脫解脫智見皆不得起,故唯此五建立為蓋。若作如是解釋經意,掉悔理應惛眠前說,以必依定方有慧生,定障亦應先慧障故。依如是理,有餘師言:此五蓋中,惛眠、掉悔如次能障定蘊慧蘊,由此契經作如是說。修等持者怖畏惛眠,修擇法者怖畏掉悔。有餘別說:唯立五因。彼說云何?謂在行位,先於色等種種境中,取可愛憎二種相故,後在住位由先為因,便起欲貪、瞋恚二蓋。此二能障將入定心,由此後時正入定位,於止及觀不能正習。由此便起惛眠、掉悔,如其次第障奢摩他、毘缽舍那令不得起。由此於後出定位中思擇法時疑復為障,故建立蓋唯有此五。
論に曰く:仏は経の中に於いて蓋に五有りと説きたまえり。一は欲貪蓋、二は瞋恚蓋、三は惛眠蓋、四は掉悔蓋、五は疑蓋。此の中に説く所の惛・掉および疑は、欲貪・瞋恚・眠・悔のごとくただ欲界に在るか、三界に通ずるか。応に知るべし此の三もまたただ欲に在り。契経に説いて此のようの五種は純に是れ円満の不善聚と為すがゆえに。色・無色界には不善有ること無し。しかし此の五種は純に不善なるがゆえに、ただ欲界に在りて色・無色に非ず。何故惛眠・掉悔の二蓋は各々二体有るを合立して一と為すか。食・治・用は同じきがゆえに、合立して一と為す。食とは所食を謂い、もまた名づけて資糧と為す。治とは能治を謂い、もまた名づけて非食と為す。用とは事用を謂い、もまた名づけて功能と為す。此に由って経の中に此の説を作す。惛眠は二有ると雖も、食・非食は同じ。何等を惛眠蓋の食と名づくるか。いわゆる五種の法:一は瞢瞢(ぼうぼう)、二は不楽、三は頻申、四は食の不平性、五は心の昧劣性。何等を此の蓋の非食と名づくるか。いわゆる光明想。此のようの二種は事用もまた同じ。いわゆる俱に能く心性をして沈昧せしむ。掉悔は二有ると雖も、食・非食は同じ。何等を掉悔蓋の食と名づくるか。いわゆる四種の法:一は親里尋、二は国土尋、三は不死尋、四は昔の種種の更せし所の戯笑・歓娯・承奉等の事に随念す。何等を此の蓋の非食と名づくるか。いわゆる奢摩他(しゃまた)。此のようの二種は事用もまた同じ。いわゆる俱に能く心をして寂静ならざらしむ。此に由って食・治・用の同じきを説く。ゆえに惛眠・掉悔の二は合して一と為す。諸の煩悩等は皆蓋の義有り。何故如来はただ此の五を説きたまえるか。ただ此れが五蘊に於いて能く勝障と為るがゆえに。いわゆる貪・恚蓋は能く戒蘊を障し、惛沈・睡眠は能く慧蘊を障し、掉擧・惡作は能く定蘊を障す。定・慧無きがゆえに四諦に於いて疑い、疑うがゆえに能く乃至解脱・解脱智見に至るまで皆起るを得ざらしむ。ゆえにただ此の五を建立して蓋と為す。もし此のように経の意を解釈すれば、掉悔は理応に惛眠の前に説くべし。必ず定に依って方に慧生ずるを以て、定の障もまた応に慧の障に先んずべきがゆえに。此のようの理に依って、其余の師有りて説く:此の五蓋の中、惛眠・掉悔は次第のごとく能く定蘊・慧蘊を障ず。此に由って契経に此の説を作す。等持を修するは惛眠を怖畏し、択法を修するは掉悔を怖畏す、と。其余の別説有り、ただ五因を立つ。彼の説く如何。いわゆる行位に在りて、先ず色等の種種の境の中に於いて、可愛・憎の二種の相を取るがゆえに、後に住位に在りて先を因と為るに由って、便ち欲貪・瞋恚の二蓋を起す。此の二は能く将に定に入らんとする心を障す。此に由って後時に正しく定位に入るに於いて、止および観に於いて正しく習うこと能わず。此に由って便ち惛眠・掉悔を起す。その次第のごとく奢摩他・毘鉢舎那(観)を障して起るを得ざらしむ。此に由って後に定位を出づる中に於いて法を思択する時、疑は復た障と為る。ゆえに蓋を建立するはただ此の五有るのみ。
今應思擇,他界遍行及見滅道斷有漏緣,諸惑於彼斷位不知彼所緣,知彼所緣時而彼不斷。如是諸惑斷由何因?非要遍知所緣故斷。若爾,斷惑總由幾因?由四種因。何等為四?頌曰:
今応に思択すべし。他界の遍行および見滅・道断の有漏縁の諸の惑は、彼の断ずる位に於いて彼の縁ずる所を知らず、彼の縁ずる所を知る時にして彼は断ぜず。此のようの諸の惑の断ずるは何の因に由るか。必ず要ずるに所縁を遍知するに由って断ずるに非ず。もしそうならば、惑を断ずるは総じて幾つの因に由るか。四種の因に由る。何等か四と為すか。頌に曰く、
遍知所緣故,斷彼能緣故,
所縁を遍知するがゆえ、彼の能縁を断ずるがゆえ、
斷彼所緣故,對治起故斷。
彼の所縁を断ずるがゆえ、対治の起るがゆえに断ず。
論曰:且見所斷惑,斷由前三因:一由遍知所緣故斷,謂見苦集斷自界緣,及見滅道斷無漏緣。二由斷彼能緣故斷,謂見苦集斷他界緣,以自界緣能緣於彼,能緣若斷彼隨斷故。三由斷彼所緣故斷,謂見滅道斷有漏緣,以無漏緣能為彼境,所緣若斷彼隨斷故。若修所斷惑,斷由後一因,謂但由第四對治起故斷。以若此品對治道生,則此品中諸惑頓斷。何品諸惑誰為對治?謂上上品所有諸惑,下下品道能為對治;至下下品所有諸惑,上上品道能為對治。如是義門後當廣辯。所言對治總有幾種?頌曰:
論に曰く:且つ見所断の惑は、断ずるに前三の因に由る。一は所縁を遍知するに由って断ず。いわゆる苦・集を見て断ずる自界縁、および滅・道を見て断ずる無漏縁。二は彼の能縁を断ずるに由って断ず。いわゆる苦・集を見て断ずる他界縁。自界縁を以て能く彼に縁ずれば、能縁はもし断ぜば彼は断ずるに随うがゆえに。三は彼の所縁を断ずるに由って断ず。いわゆる滅・道を見て断ずる有漏縁。無漏縁を以て能く彼の境と為れば、所縁はもし断ぜば彼は断ずるに随うがゆえに。もし修所断の惑は、断ずるに後の一因に由る。いわゆる但だ第四の対治の起るに由って断ず。もし此の品の対治道の生ぜば、則ち此の品の中の諸の惑は頓に断ずるを以て。何の品の諸の惑か誰をか対治と為すか。いわゆる上上品の所有の諸の惑は、下下品の道は能く対治と為り、下下品に至る所有の諸の惑は、上上品の道は能く対治と為る。此のようの義門は後に当に広く辯ずべし。言う所の対治は総じて幾種か。頌に曰く、
對治有四種,謂斷持遠厭。
対治に四種あり。いわゆる断・持・遠・厭。
論曰:諸對治門總有四種:一斷對治,謂無間道。二持對治,謂此後道,由彼能持此斷得故。三遠分對治,謂解脫道後所有道,由彼道能令此所斷惑得更遠故。有餘師說:亦解脫道,以解脫道如彼能令此所斷惑得更遠故。四厭患對治,謂若有道見此界過失深生厭患。然此對治若欲善說,理實應為如是次第:一厭患對治,謂緣苦集起加行道。二斷對治,謂緣一切起無間道。三持對治,謂緣一切起解脫道。四遠分對治,謂緣一切起勝進道。諸惑永斷為定從何?頌曰:
論に曰く:諸の対治の門は総じて四種あり。一は断対治、いわゆる無間道。二は持対治、いわゆる此の後の道。彼に由って能く此の断得を持するがゆえに。三は遠分対治、いわゆる解脱道の後の所有の道。彼の道に由って能く此の断ぜる所の惑をして更に遠きを得せしむるがゆえに。其余の師有りて説く、もまた解脱道。解脱道は彼の能く此の断ぜる所の惑をして更に遠きを得せしむるがごときを以て、と。四は厭患対治、いわゆるもし道有りて此の界の過失を見て深く厭患を生ず。しかし此の対治はもし善く説かんと欲せば、理実は応に此のようの次第と為すべし。一は厭患対治、いわゆる苦・集に縁じて加行道を起す。二は断対治、いわゆる一切に縁じて無間道を起す。三は持対治、いわゆる一切に縁じて解脱道を起す。四は遠分対治、いわゆる一切に縁じて勝進道を起す。諸の惑の永断は定めて何に従るか。頌に曰く、
應知從所緣,可令諸惑斷。
応に知るべし所縁に従り、諸の惑をして断ぜしむる可きを。
論曰:應知諸惑得永斷時,不可令其離相應法,但可令彼遠離所緣,令於所緣不復生故。斷未來惑理且可然,容令於境不復生故。過去諸惑云何說斷?若謂頌說從所緣言,意顯遍知所緣故斷。此亦非理,不決定故。由此應說,煩惱等斷定何所從,自相續中煩惱等斷由得斷故。他相續中諸煩惱等,及一切色不染法斷,由能緣彼自相續中所有諸惑究竟斷故。所言遠分,遠性有幾?頌曰:
論に曰く:応に知るべし、諸の惑は永断を得る時、彼をして相応の法を離れしむる可からず。但だ彼をして所縁を遠離せしむる可し。所縁に於いて復た生生ぜざらしむるがゆえに。未来の惑を断ずるは理且つ此のようの可し。境に於いて復た生ぜざらしむるを容るるがゆえに。過去の諸の惑は如何にして断と説くか。もし頌の説く所縁に従るの言は、意は所縁を遍知するに由って断ずるを顕すと謂わば、此れもまた理に非ず。決定せざるがゆえに。此に由って応に説くべし、煩悩等の断は定めて何の従る所か。自の相続の中の煩悩等の断は、得の断ずるに由るがゆえに。他の相続の中の諸の煩悩等、および一切の色の不染の法の断は、能く彼に縁ずる自の相続の中の所有の諸の惑の究竟断ぜるに由るがゆえに。言う所の遠分、遠性に幾つか有るか。頌に曰く、
遠性有四種,謂相治處時,
遠性に四種あり。いわゆる相・治・処・時。
如大種屍羅,異方二世等。
大種・尸羅、異方・二世等のごとし。
論曰:傳說遠性總有四種:一相遠性,如四大種,雖復俱在一聚中生,以相異故亦名為遠。二治遠性,如持犯戒,雖復俱在一身中行,以相治故亦名為遠。三處遠性,如東西海,雖復俱在一世界中,方處隔故亦名為遠。四時遠性,如過未世,雖復俱依一法上立,時分隔故亦名為遠。望何說遠?望現在世。無間已滅及正生時與現相隣,如何名遠?由世性別故得遠名,非久曾當方得名遠。若爾,現在亦應得遠名,以望去來世性亦別故。若謂去來法無作用,離作用故名為遠者,諸無為法作用說無,云何名近?若謂由現遍得無為故名近者,去來二世例亦應然。虛空無為如何名近?若謂過未更互相望,由隔現在故名為遠。現望二世俱極相隣,無為無隔故皆近者,則應去來隣現在世,相望有隔故具二名,不應一向說名為遠。若依正理,應說去來離法自相故名為遠,未來未得法自相故、過去已捨法自相故。等言為明舉事未盡,前言惑斷由治道生,道勝進時所斷諸惑為再斷不?所得離繫有重得耶?頌曰:
論に曰く:伝説に遠性は総じて四種あり。一は相遠性。四大種のごとく、復た俱に一聚の中に生ずと雖も、相の異なるを以てもまた遠と名づく。二は治遠性。持・犯戒のごとく、復た俱に一身の中に行ずと雖も、相治するを以てもまた遠と名づく。三は処遠性。東西の海のごとく、復た俱に一世界の中に在ると雖も、方処の隔たるを以てもまた遠と名づく。四は時遠性。過・未の世のごとく、復た俱に一法の上に依って立つと雖も、時分の隔たるを以てもまた遠と名づく。何に望んでか遠と説くか。現在世に望む。無間に已に滅しおよび正に生ずる時は現と相隣るに、如何にして遠と名づくか。世性の別なるに由って遠の名を得。久しく曾・当なる方にのみ遠の名を得るに非ず。もしそうならば、現在もまた応に遠の名を得べし。去・来世の性に望めば別なるを以て。もし去・来の法は作用無く、作用を離るるがゆえに遠と名づくと謂わば、諸の無為の法は作用を説いて無し。如何にして近と名づくか。もし現に由って遍く無為を得るがゆえに近と名づくと謂わば、去・来の二世は例して応に此のようであるべし。虚空の無為は如何にして近と名づくか。もし過・未は更に互いに相望めて、現在に隔たるに由って遠と名づけ、現は二世に望めば俱に極めて相隣り、無為は隔たる無きがゆえに皆近しと謂わば、則ち応に去・来は現在に隣り、相望んで隔たる有るがゆえに二名を具え、応に一向に遠と説くべからず。もし正理に依れば、応に説くべし、去・来は法の自相を離るるがゆえに遠と名づく。未来は未だ法の自相を得ざるがゆえ、過去は已に法の自相を捨てたるがゆえに。等の言は事を挙ぐるに尽きざるを明かさんが為。前に言う、惑の断ずるは治道の生ずるに由る。道の勝進する時、断ぜる所の諸の惑は再び断ずるか否か。得る所の離系に重得の有るか。頌に曰く、
諸惑無再斷,離繫有重得,
諸の惑に再断無し。離系に重得有り。
謂治生得果,練根六時中。
いわゆる治生・得果・練根の六時の中。
論曰:諸惑若得彼能斷道,即由彼道此惑頓斷,必無後時再斷惑義。所得離繫雖無隨道漸勝進理,而道進時容有重起彼勝得義。所言重得總有幾時?總有六時。何等為六?謂治道起得果練根。治道起時,謂解脫道。得果時者,謂得預流、一來、不還、阿羅漢果。練根時者,謂轉根時。此六時中,諸惑離繫隨道勝進重起勝得。然諸離繫隨應當知,有具六時起勝得者,乃至亦有唯具二時。謂欲界繫見四諦斷,及色無色見三諦斷,所有離繫具六時得;色無色界見道諦斷,所有離繫唯五時得,由治生時即得果故。不應於此分為二時,欲界修斷五品離繫亦五時得,除預流果。第六離繫唯四時得,謂於前五又除一時,得果、治生時無異故。第七八品亦四時得,得果四中除前二故。第九離繫唯三時得,謂於前四又除一時,亦治生時即得果故。色無色界修所斷中,唯除有頂第九離繫;所餘離繫亦三時得,得果四中除前三故。有頂第九唯二時得,謂前三內又除一時,亦治生時即得果故。如是且說容有理說。以利根者前諸位中一一皆除練根得故,諸有超越入聖道者,隨應有除預流等故,即諸離繫彼彼位中得遍知名。遍知有二:一智遍知、二斷遍知。智遍知者,謂無漏智。斷遍知者,謂即諸斷,此於果上立因名故。為一切斷立一遍知?不爾。云何?頌曰:
論に曰く:諸の惑はもし彼の能断の道を得ば、すなわち彼の道に由って此の惑は頓に断ず。必ず後時に再び惑を断ずるの義無し。得る所の離系は道に随って漸く勝進の理無しと雖も、しかし道の進む時は容そ重ねて彼の勝得を起すの義有り。言う所の重得は総じて幾つかの時か。総じて六時あり。何等か六と為すか。いわゆる治道の起る・果を得る・根を練る。治道の起る時とは、いわゆる解脱道。果を得る時とは、いわゆる預流・一来・不還・阿羅漢の果を得るを謂う。練根の時とは、いわゆる根を転ずる時。此の六時の中に於いて、諸の惑の離系は道の勝進に随って重ねて勝得を起す。しかし諸の離系はその応ずる所に随って当知るべし。六時を具えて勝得を起す有り、乃至もまたただ二時を具える有り。いわゆる欲界繋の四諦を見て断ず、および色・無色の三諦を見て断ずる、所有の離系は六時を具えて得。色・無色界の道諦を見て断ずる、所有の離系はただ五時を具えて得。治生の時にすなわち果を得るに由るがゆえに、応に此に於いて二時に分かつべからず。欲界の修断の五品の離系もまた五時を得、預流果を除く。第六の離系はただ四時を得。いわゆる前の五に於いてまた一時を除く。果を得る・治生の時に異なきがゆえに。第七・八品もまた四時を得。果を得る四中に於いて前の二を除くがゆえに。第九の離系はただ三時を得。いわゆる前の四に於いてまた一時を除く。もまた治生の時にすなわち果を得るがゆえに。色・無色界の修所断の中、ただ有頂の第九の離系を除く。其余の離系もまた三時を得。果を得る四中に於いて前の三を除くがゆえに。有頂の第九はただ二時を得。いわゆる前三の内に於いてまた一時を除く。もまた治生の時にすなわち果を得るがゆえに。此のようの且つ容有の理を説くを説く。利根の者は前の諸位の中に於いて一一に皆練根の得を除くを以て、諸の超越して聖道に入る有りて、その応ずる所に随って預流等を除く有るを以て、すなわち諸の離系は彼彼の位の中に於いて遍知の名を得。遍知に二あり。一は智遍知、二は断遍知。智遍知とは、いわゆる無漏智。断遍知とは、いわゆるすなわち諸の断。此れは果の上に於いて因の名を立つるがゆえに。一切の断の為に一の遍知を立てるか。そうにはあらず。如何。頌に曰く、
斷遍知有九,欲初二斷一,
断遍知に九あり。欲は初二の断に一、
二各一合三,上界三亦爾,
二は各々一、合して三。上界の三もまた此のよう。
餘五順下分,色一切斷三。
其余の五は順下分、色は一切の断に三。
論曰:諸斷總立九種遍知,謂三界繫見諦所斷煩惱等斷立六遍知,所餘三界修道所斷煩惱等斷立三遍知。且三界繫見諦所斷煩惱等斷立六云何?謂欲界繫初二部斷立一遍知,初二部言即顯見苦見集所斷。次二部斷各立一遍知,次二部言顯見滅道斷。如是欲界見諦所斷煩惱等斷立三遍知。如欲界三上界亦爾,謂色無色二界所繫,亦初二斷一二各一合三,是見苦集見滅見道所斷法斷合立三義。如是名為三界見諦所斷法斷六種遍知。餘三界繫修道所斷煩惱等斷立三云何?謂欲界繫修道所斷煩惱等斷立一遍知,應知即是五順下分結盡遍知,並前立故。色界所繫修道所斷煩惱等斷立一遍知,應知此即是色愛盡遍知。無色界繫修道所斷煩惱等斷立一遍知,即一切結永盡遍知。此亦並前合立一故。如是名為三界修道所斷法斷三種遍知。以何因緣色無色界修道所斷煩惱等斷別立遍知非見所斷?以修所斷治不同故。如是所立九種遍知,應辯於中幾何道果?頌曰:
論に曰く:諸の断は総じて九種の遍知を立つ。いわゆる三界繋の諦を見て断ずる所の煩悩等の断は六の遍知を立て、その余の三界の修道の断ずる所の煩悩等の断は三の遍知を立つ。且つ三界繋の諦を見て断ずる所の煩悩等の断に六を立てるは如何。いわゆる欲界繋の初の二部の断に一の遍知を立つ。初二部の言はすなわち苦・集を見て断ずる所を顕す。次の二部の断に各々一の遍知を立つ。次二部の言は滅・道を見て断ずる所を顕す。此のようの欲界の諦を見て断ずる所の煩悩等の断は三の遍知を立つ。欲界の三のごとく上界もまた此のよう。いわゆる色・無色の二界の繋する所もまた初二の断に一、二は各々一、合して三。是れ苦・集を見・滅・道を見て断ずる所の法の断、合して三義を立つ。此のようの名づけて三界の諦を見て断ずる所の法の断の六種の遍知と為す。その余の三界繋の修道の断ずる所の煩悩等の断に三を立てるは如何。いわゆる欲界繋の修道の断ずる所の煩悩等の断に一の遍知を立つ。応に知るべしすなわち是れ五順下分結尽きるの遍知。前に并せて立つるがゆえに。色界の繋する所の修道の断ずる所の煩悩等の断に一の遍知を立つ。応に知るべし此れすなわち是れ色愛尽きるの遍知。無色界繋の修道の断ずる所の煩悩等の断に一の遍知を立つ。すなわち一切の結の永く尽きるの遍知。此れもまた前に并せて合して一を立つるがゆえに。此のようの名づけて三界の修道の断ずる所の法の断の三種の遍知と為す。何の因縁を以てか色・無色界の修道の断ずる所の煩悩等の断は別に遍知を立てて見所断にあらざるか。修所断の治は同じからざるを以て。此のようの立てる所の九種の遍知は、応に中に於いて幾何か道果なるを辯ずべし。頌に曰く、
於中忍果六,餘三是智果,
中に於いて忍果は六、その余の三は智果、
未至果一切,根本五或八,
未至果は一切、根本は五或いは八。
無色邊果一,三根本亦爾,
無色の辺果は一、三の根本もまた此のよう。
俗果二聖九,法智三類二,
俗果は二・聖は九、法智は三・類は二、
法智品果六,類智品果五。
法智品の果は六、類智品の果は五。
論曰:於此九中且應先辯與忍智道為果差別。忍果有六,謂三界繫見斷法斷六種遍知。智果有三,謂順下分色愛一切結盡遍知,由此三遍知是修道果故。如何忍果說為遍知?諸忍皆是智眷屬故,如王眷屬假立王名。或忍與智同一果故。今次應辯與靜慮地眷屬根本為果差別。未至靜慮果具有九,謂此為依能斷三界見修所斷煩惱等故。根本靜慮果五或八。所言五者,毘婆沙師說根本地唯能永斷色無色攝煩惱等故,欲界所繫煩惱等斷彼唯許是未至果故。所言八者,尊者妙音說根本地亦與欲界諸煩惱等為斷對治。諸有先離欲界染者,依根本地入見諦時,於欲界繫見斷法斷,許別道引無漏得故,由此亦是彼見道果。除順下分結盡遍知,以彼唯是未至果故,無容修彼斷對治故。中間靜慮如根本說。今次應辯與無色地眷屬根本為果差別。無色邊地果唯有一,謂依空處近分地道得色愛盡遍知果故。前三根本果亦唯一,謂依無色前三根本得一切盡遍知果故。今次應辯與世俗道及諸聖道為果差別。俗道果二,謂俗道力唯能獲得順下分盡及色愛盡遍知果故。聖道果九,謂聖道力遍能永斷三界法故。今次應辯與法類智為果差別。法智果三,謂法智力能斷三界修所斷故,得後三果。類智果二,謂類智力但能永斷色無色界修所斷故,得後二果。今次應辯與法類智同品諸道為果差別。法智品果六,謂即是前法智、法忍所得六果。類智品果五,謂即是前類智、類忍所得五果。品言通攝智及忍故。何故一一斷不別立遍知,唯就如前九位建立?頌曰:
論に曰く:此の九の中に於いて且つ応に先ず忍・智の道と果との差別を辯ずべし。忍果に六あり。いわゆる三界繋の見断の法断の六種の遍知。智果に三あり。いわゆる順下分・色愛・一切結尽の遍知。此の三遍知に由って是れ修道の果なるがゆえに。如何にして忍果を説いて遍知と為すか。諸の忍は皆智の眷属なるがゆえに。王の眷属の仮に王の名を立つるがごとし。或いは忍は智と同一の果なるがゆえに。今次に応に静慮地の眷属・根本と果との差別を辯ずべし。未至の静慮果は九を具えり。いわゆる此れを依として能く三界の見・修所断の煩悩等を断ずるがゆえに。根本の静慮果は五或いは八。五と言うは、毘婆沙師の説く、根本地はただ能く色・無色の摂する所の煩悩等を永断す、欲界の繋する所の煩悩等の断は彼はただ未至果と許すがゆえに。八と言うは、尊者妙音の説く、根本地もまた欲界の諸の煩悩等と断対治と為る、と。諸の先に欲界の染を離れたる有りて、根本地に依って諦を見るに入る時、欲界繋の見断の法断に於いて、別道の無漏の得を引くを許すがゆえに。此に由ってもまた彼の見道の果。順下分結尽の遍知を除く。彼はただ未至果なるを以て、彼の断対治を修するを容れざるがゆえに。中間の静慮は根本の説くがごとし。今次に応に無色地の眷属・根本と果との差別を辯ずべし。無色の辺地果はただ一有るのみ。いわゆる空処の近分の地道に依って色愛尽の遍知果を得るがゆえに。前三の根本果もまたただ一。いわゆる無色の前三根本に依って一切尽の遍知果を得るがゆえに。今次に応に世俗道および諸の聖道と果との差別を辯ずべし。俗道果は二。いわゆる俗道の力はただ能く順下分尽および色愛尽の遍知果を獲得するがゆえに。聖道果は九。いわゆる聖道の力は遍く能く三界の法を永断するがゆえに。今次に応に法・類智と果との差別を辯ずべし。法智果は三。いわゆる法智の力は能く三界の修所断を断ずるがゆえに、後の三果を得。類智果は二。いわゆる類智の力は但だ能く色・無色界の修所断を永断するがゆえに、後の二果を得。今次に応に法・類智の同品の諸道と果との差別を辯ずべし。法智品果は六。いわゆるすなわち是れ前の法智・法忍の得る所の六果。類智品果は五。いわゆるすなわち是れ前の類智・類忍の得る所の五果。品の言は通じて智および忍を摂するがゆえに。何故一一の断に別に遍知を立てず、ただ前のごとき九位に就いて建立するか。頌に曰く、
得無漏斷得,及缺第一有,
無漏の断得を得、および第一有を缺き、
滅雙因越界,故立九遍知。
双因を滅し界を越ゆるがゆえに、九遍知を立つ。
論曰:有漏法斷雖多體位,而四緣故立九遍知,且由三緣立六忍果,謂得無漏離繫得故、缺有頂故、滅雙因故。諸斷要具如是三緣立遍知名,闕則不爾。如異生位有滅雙因,無無漏斷得,未缺有頂故,雖亦得斷不名遍知。若聖位中從入見諦至苦類忍現行以前,雖有已得無漏斷得,未缺有頂、未滅雙因,至苦類智集法忍位,雖亦缺有頂猶未滅雙因,未滅見集斷諸遍行因故。至後法智類智位中諸所得斷,三緣具故,於一一位建立遍知,具由四緣立三智果,謂於前三加越界故。言越界者,謂此界中煩惱等法皆全離故。有立離俱繫亦是一緣故,立遍知緣總有五種。離俱繫者,謂此雖斷未立遍知,要離所餘緣此境或方可建立。此離俱繫與滅雙因及越界緣,用無別故,雖義有異而不別說。雖諸越界位皆滅雙因,而滅雙因時非皆越界故,滅雙因外別立越界緣,滅三地雙因未立遍知故。誰成就幾遍知?頌曰:
論に曰く:有漏の法の断は体位多しと雖も、しかし四縁に由って九の遍知を立つ。且つ三縁に由って六の忍果を立つ。いわゆる無漏の離系得を得るがゆえ、有頂を缺くがゆえ、双因を滅するがゆえに。諸の断は要ずるに此のようの三縁を具えて遍知の名を立つ。闕けば則ちこのようにはあらず。異生の位のごとく滅双因有り、無漏の断得無く、有頂を缺かざるがゆえに、断を得ると雖も遍知と名づけず。もし聖位の中に於いて諦を見るに入りて苦類忍の現行以前に至るまで、已に無漏の断得を得る有ると雖も、有頂を未だ缺かず双因を未だ滅せず。苦類智・集法忍の位に至るに於いて、もまた有頂を缺くと雖もなお未だ双因を滅せず。集を見て断ずる所の諸の遍行の因を未だ滅せざるがゆえに。後の法智・類智の位の中に於ける諸の得る所の断に至るに於いて、三縁を具えるがゆえに、一一の位に於いて遍知を建立す。具に四縁に由って三の智果を立つ。いわゆる前三に於いて越界を加うるがゆえに。越界と言うは、此の界の中の煩悩等の法は皆全く離るるを謂うがゆえに。あるは立てて俱系を離るるもまた一縁と為す。遍知の縁を立つるに総じて五種有るがゆえに。俱系を離るるとは、此れは断ずと雖も未だ遍知を立てず。要ずるにその余の此の境に縁ずるを離れて或いは方に建立すべしを謂う。此の俱系を離るるは双因を滅するおよび越界の縁と用の別無きがゆえに、義に異有ると雖も別に説かず。諸の越界の位は皆双因を滅すると雖も、しかし双因を滅する時は皆越界にあらざるがゆえに、双因を滅するの外に別に越界の縁を立つ。三地の双因を滅するに未だ遍知を立てざるがゆえに。誰か幾遍知を成就するか。頌に曰く、
住見諦位無,或成一至五,
諦を見る位に住して無し、或いは一より五に至るを成ず。
修成六一二,無學唯成一。
修は六・一・二を成じ、無学はただ一を成ず。
論曰:異生定無成遍知理。若諸聖者住見諦位,從初乃至集法忍時,於諸遍知亦未成就。至集法智、集類忍時唯成就一。至集類智、滅法忍時便成就二。至滅法智、滅類忍時便成就三。至滅類智、道法忍時便成就四。至道法智、道類忍時便成就五。住修道位道類智為初,乃至未得全離欲界染及離欲退皆成就六。至全離欲色愛未盡,或先離欲從道類智未起色盡勝果道前,唯成一遍知,謂順下分盡。從色愛盡及無學位起色纏退亦一如前。有色愛者從色愛永盡,先離色者從起色盡道至未全離無色愛前成下分盡色愛盡二。從無學退起無色纏成二遍知,名如前說。住無學位唯成就一,謂一切結永盡遍知。何緣不還、阿羅漢果總集諸斷立一遍知?頌曰:
論に曰く:異生は定めて遍知を成就するの理無し。もし諸の聖者の諦を見る位に住するは、初より乃至集法忍の時に至るまで、諸の遍知に於いてもまた未だ成就せず。集法智・集類忍の時に至ればただ一を成就す。集類智・滅法忍の時に至れば便ち二を成就す。滅法智・滅類忍の時に至れば便ち三を成就す。滅類智・道法忍の時に至れば便ち四を成就す。道法智・道類忍の時に至れば便ち五を成就す。修道の位に住して道類智を初と為し、乃至未だ全く欲界の染を離るるを得ずおよび欲を離れて退するも皆六を成就す。全く欲を離れて色愛は未だ尽きざるに至り、或いは先に欲を離れて道類智より未だ色尽の勝果の道を起さざる前、ただ一遍知を成ず。いわゆる順下分尽。色愛尽きるに従いおよび無学の位に於いて色纏の退を起すもまた一、前のごとし。色愛有るは色愛の永く尽きるに従い、先に色を離れたるは色尽の道を起して未だ全く無色愛を離れざる前に至るまで、下分尽・色愛尽の二を成ず。無学より退して無色の纏を起すは二の遍知を成ず。名は前の説くがごとし。無学の位に住してはただ一を成就す。いわゆる一切結の永く尽きるの遍知。何の縁にか不還・阿羅漢の果は総じて諸の断を集めて一の遍知を立つるか。頌に曰く、
越界得果故,二處集遍知。
界を越え果を得るがゆえに、二の処は遍知を集む。
論曰:具二緣故,於一切斷總集建立為一遍知:一者越界、二者得果。唯彼兩位具足二緣,故彼遍知總集為一。誰捨誰得幾種遍知?頌曰:
論に曰く:二縁を具えるがゆえに、一切の断に於いて総じて集めて建立して一の遍知と為す。一は越界、二は得果。ただ彼の両位は二縁を具足す。ゆえに彼の遍知は総じて集めて一と為す。誰か捨て誰か幾種の遍知を得るか。頌に曰く、
捨一二五六,得亦然除五。
一・二・五・六を捨て、得るもまた此のよう五を除く。
論曰:言捨一者,謂從無學及色愛盡全離欲退。言捨二者,謂諸不還從色愛盡起欲纏退,及彼獲得阿羅漢時。言捨五者,謂先離欲後入見諦道類智時,得下分盡捨前五故。言捨六者,謂未離欲所有聖者得離欲時。得亦然者,謂有得一得二得六,唯除得五。言得一者,謂得未得,及從無學起色纏退。言得二者,謂從無學起無色界諸纏退時。言得六者,謂退不還。因辯隨眠,分別斷竟。
論に曰く:一を捨つと言うは、いわゆる無学および色愛尽より全く欲を離れて退するを謂う。二を捨つと言うは、いわゆる諸の不還の色愛尽より欲纏の退を起す、および彼の阿羅漢を獲得する時。五を捨つと言うは、いわゆる先に欲を離れて後に諦を見る道の類智の時に入る、下分尽を得て前の五を捨つるがゆえに。六を捨つと言うは、いわゆる未だ欲を離れざる所有の聖者の欲を離るるを得る時。得るもまた此のようとは、いわゆる一を得・二を得・六を得有り、ただ五を得るを除く。一を得と言うは、いわゆる未だ得ざるを得る、および無学より色纏の退を起すを謂う。二を得と言うは、いわゆる無学より無色界の諸の纏の退を起す時。六を得と言うは、いわゆる不還を退するを謂う。随眠を辯ずるに因りて、断ずる所を分別して竟り。
