説一切有部倶舎論 巻第八
心常懷忿毒,好集諸惡業,
心は常に忿毒を懐き、好んで諸の悪業を集め、
見他苦欣悅,死作琰魔卒。
他の苦を見て欣悦し、死して琰魔の卒と作る。
琰魔王使諸邏剎娑擲諸有情置地獄者名琰魔卒。是實有情非地獄中害有情者,故地獄卒非實有情。有說:有情。若爾,此惡業何處受異熟?即地獄中,以地獄中尚容無間所感異熟,此何理遮?若爾,何緣火不燒彼?此定由業力所隔礙故,或感異大種故不被燒。熱㮈落迦已說有八。復有餘八寒㮈落迦。其八者何?一頞部陀、二尼剌部陀、三頞唽吒、四臛臛婆、五虎虎婆、六嗢缽羅、七缽特摩、八摩訶缽特摩。此中有情嚴寒所逼,隨身聲變以立其名。此八並居贍部洲下,如前所說大地獄傍。此贍部洲其量無幾,下寧容受無間等耶?洲如穀聚,上尖下闊,是故大海漸陿漸深。如上所論十六地獄,一切有情增上業感。餘孤地獄各別業招,或多或二或一所止,差別多種、處所不定,或近江河山邊曠野,或在地下空及餘處。諸地獄器安布如是,本處在下、支𣲖不定。傍生住處謂水陸空,本處大海,後流餘處。諸鬼本處琰魔王國,於此贍部洲下過五百踰繕那有琰魔王國,縱廣量亦爾,從此展轉散居餘處。或有端嚴具大威德,受諸富樂自在如天,或有飢羸顏貌醜陋,如是等類廣說如經。日月所居量等義者,頌曰:
(論に続けて曰く:)琰魔王は諸の邏刹娑をして諸の有情を擲ちて地獄に置かしむるを琰魔卒と名づく。是れ実の有情にして地獄中の有情を害するに非ず、ゆえに地獄の卒は実の有情に非ず。ある説に:有情。もし爾ならば、此の悪業は何の処に異熟を受くるか。即ち地獄中、地獄中は尚お無間の感ずる所の異熟を容るるを以て、此に何の理か遮る。もし爾ならば、何の縁に火は彼を焼かざるか。此は定めて業力の隔礙する所に由るゆえ、あるいは異なる大種を感ずるゆえに焼かるるを被らず。熱き捺落迦は已に八有りと説きたり。復た余の八の寒捺落迦有り。その八とは是れ何ぞ。一に頞部陀、二に尼剌部陀、三に頞唽咤、四に臛臛婆、五に虎虎婆、六に嗢鉢羅(ウッパラ、青蓮)、七に鉢特摩(パドマ、赤蓮)、八に摩訶鉢特摩(大赤蓮)。此中の有情は厳寒に逼められて、身に随いて声変じて以てその名を立つ。此の八は并びて贍部洲の下に居り、前の説く所の大地獄の傍の如し。此の贍部洲はその量は几許か無きに、下に寧ろ無間等を容受せんや。洲は谷聚の如く、上は尖り下は闊し、是れを以て大海は漸に狭く漸に深し。上の論ずる所の十六地獄の如く、一切の有情の増上の業の感ずる所。余の孤地獄は各別の業の招く所、あるいは多くあるいは二あるいは一の止まる所、差別は多種にして処所は定まらず、あるいは江・河・山の辺・曠野に近く、あるいは地下・空および余の処に在り。諸の地獄の器の安布はかくのごとし、本処は下に在り、支派は定まらず。傍生の住処は水・陸・空を謂い、本処は大海、後に余の処に流る。諸の鬼の本処は琰魔の王国、此の贍部洲の下に五百逾繕那を過ぎて琰魔の王国有り、縦広の量もまたこの如し、此より展転に余の処に散居す。あるいは端厳にして大威徳を具して、諸の富楽を受けて自在にして天の如く、あるいは飢えて羸えて顔貌は丑陋なり、かくのごとき等の類は広説は経の如し。日・月の居る所の量等の義は、頌に曰く:
日月迷盧半,五十一五十,
日・月は迷盧の半、五十一・五十、
夜半日沒中,日出四洲等。
夜半・日没・中・日出、四洲は等し、
雨際第二月,後九夜漸增,
雨際の第二の月、後の九に夜は漸に増し、
寒第四亦然,夜減晝翻此。
寒の第四もまたこの如し、夜減じ昼は此を翻す。
晝夜增臘縛,行南北路時,
昼夜の増は腊縛(ラヴァ)、南北の路を行く時、
近日自影覆,故見月輪缺。
近日に自ら影は覆う、ゆえに月輪の缺くるを見る。
論曰:日月眾星依何而住?依風而住。謂諸有情業增上力共引風起,繞妙高山空中旋環,運持日等令不停墜。彼所住去此幾踰繕那?持雙山頂齊妙高山半。日月徑量幾踰繕那?日五十一,月唯五十。星最小者唯一俱盧舍,其最大者十六踰繕那。日輪下面頗胝迦寶火珠所成,能熱能照;月輪下面頗胝迦寶水珠所成,能冷能照。隨有情業增上所生,能於眼身果花稼穡藥草等物,如其所應為益為損。唯一日月普於四洲作所作事、一日所作事為四洲同時不?不爾。云何?北洲夜半東洲日沒,南洲日中西洲日出。此四時等,餘例應知。日行此洲路有差別,故令晝夜有減有增。從雨際第二月後半第九日夜漸增,從寒際第四月後半第九日夜漸減,晝增減位與此相違。夜漸增時晝便漸減,夜若漸減晝則漸增。晝夜增時一晝夜增幾?增一臘縛。晝夜減亦然。日行此洲向南向北,如其次第夜增晝增。何故月輪於黑半末白半初位見有缺耶?世施設中作如是釋:以月宮殿行近日輪,月被日輪光所侵照,餘邊發影自覆月輪,令於爾時見不圓滿。先舊師釋:由日月輪行度不同現有圓缺。日等宮殿何有情居?四大天王所部天眾。是諸天眾唯住此耶?若空居天唯住如是日等宮殿,若地居天住妙高山諸層級等。有幾層級?其量云何?何等諸天住何層級?頌曰:
論に曰く:日・月・衆星は何に依りて住するか。風に依りて住す。いわゆる諸の有情の業の増上の力に共に風を引きて起り、妙高山を遶りて空中に旋環し、日等を運持して停まり墜ちざらしむ。彼の住する所は此を去ること几つの逾繕那か。持双の山頂は妙高山の半に齊し。日・月の径量は几つの逾繕那か。日は五十一、月はただ五十。星の最も小なるはただ一倶盧舍(一箭の地)、その最も大なるは十六逾繕那。日輪の下面は頗胝迦宝の火珠の成す所にして、能く熱し能く照らす。月輪の下面は頗胝迦宝の水珠の成す所にして、能く冷かに能く照らす。有情の業の増上の生ずる所に随い、能く眼・身・果・花・稼穡・薬草等の物において、その応ずる所の如く益と為し損と為す。ただ一の日月は普く四洲において作す所の事を作す、一日の作す所の事は四洲に同時か。然らず。如何。北洲は夜半にして東洲は日没し、南洲は日中にして西洲は日出づ。此の四時は等しく、余は例してまさに知るべし。日は此の洲を行くに路に差別有り、ゆえに昼夜に減有り増有らしむ。雨際の第二月の後半の第九日より夜は漸に増し、寒際の第四月の後半の第九日より夜は漸に減ず、昼の増減の位は此と相違す。夜の漸に増ずる時は昼は便ち漸に減じ、夜はもし漸に減ぜば昼は則ち漸に増ず。昼夜の増ずる時に一昼夜に几つを増ずるか。一腊縛を増ず。昼夜の減ずるもまたこの如し。日の此の洲を行くは南に向かい北に向かう、その次第の如く夜は増じ昼は増ず。何の故に月輪は黒半の末・白半の初の位において缺け有るを見るや。世の施設中にかくの釋を作す:月の宮殿は行きて日輪に近づくを以て、月は日輪の光の侵照する所となり、余の辺は影を発して自ら月輪を覆い、爾の時において円満ならざるを見せしむ。先の旧師の釋:日・月の輪の行度は同じからざるに由りて円缺を現ず、と。日等の宮殿は何の有情の居るか。四大天王の部する所の天衆。是の諸の天衆はただ此に住するか。もし空居の天はただこの如き日等の宮殿に住し、もし地居の天は妙高山の諸の層級等に住す。几つの層級有るか。その量は如何。何等の諸天か何の層級に住するか。頌に曰く:
妙高層有四,相去各十千,
妙高の層は四有り、相去ること各々十千、
傍出十六千,八四二千量。
傍に出づる十六千、八・四・二千の量。
堅手及持鬘,恆憍大王眾,
堅手および持鬘、恒憍・大王の衆、
如次居四級,亦住餘七山。
次第の如く四級に居り、もまた余の七山に住す。
論曰:蘇迷盧山有四層級,始從水際盡第一層相去十千踰繕那量,如是乃至從第三層盡第四層亦十千量。此四層級從妙高山傍出圍繞盡其下半,最初層級出十六千,第二、第三、第四層級,如其次第八、四、二千。有藥叉神名為堅手住初層級,有名持鬘住第二級,有名恆憍住第三級,此三皆是四大天王所部天眾,第四層級四大天王及諸眷屬共所居止故,經依此說四大王眾天。如妙高山四外層級四大王眾及眷屬居,如是持雙、持軸山等七金山上亦有天居,是四大王所部封邑,是名依地住四大王眾天。於欲天中此天最廣。三十三天住在何處?頌曰:
論に曰く:蘇迷盧山に四の層級有り、始めは水際より尽くすは第一层の相去ること十千逾繕那の量、かくのごとき乃至第三層より尽くすは第四層もまた十千の量。此の四の層級は妙高山より傍に出でて圍遶してその下半を尽くし、最初の層級は出づること十六千、第二・第三・第四の層級は、その次第の如く八・四・二千。薬叉の神有りて堅手と名づきて初の層級に住し、持鬘と名づく有りて第二の級に住し、恒憍と名づく有りて第三の級に住し、此の三は皆是れ四大天王の部する所の天衆、第四の層級は四大天王および諸の眷属の共に居止する所なるゆえ、経は此に依りて四大王衆天を説く。妙高山の四外の層級に四大王衆および眷属の居るが如く、かくのごとき持双・持軸の山等の七金山上にもまた天の居る有り、是れ四大王の部する所の封邑、是れを地に依りて住する四大王衆天と名づく。欲天中において此の天は最も広し。三十三天は何の処に住するか。頌に曰く:
妙高頂八萬,三十三天居,
妙高の頂は八万、三十三天の居る所、
四角有四峰,金剛手所住。
四角に四峰有り、金剛手の住する所。
中宮名善見,周萬踰繕那,
中の宮は善見と名づき、周り万逾繕那、
高一半金城,雜飾地柔軟。
高さ一半の金城、雑飾の地は柔軟なり。
中有殊勝殿,周千踰繕那,
中に殊勝の殿有り、周り千逾繕那、
外四苑莊嚴,眾車麁雜喜。
外に四苑荘厳、衆車・粗雑・喜。
妙池居四方,相去各二十,
妙なる池は四方に居り、相去ること各々二十、
東北圓生樹,西南善法堂。
東北に円生の樹、西南に善法の堂。
論曰:三十三天住迷盧頂,其頂四面各八十千,與下四邊其量無別。有餘師說:周八十千,別說四邊各唯二萬。山頂四角各有一峰,其高廣量各有五百。有藥叉神名金剛手,於中止住守護諸天。於山頂中有宮名善見,面二千半,周萬踰繕那,金城量高一踰繕那半,其地平坦亦真金所成,俱用百一雜寶嚴飾,地觸柔軟如妬羅綿,於踐躡時隨足高下,是天帝釋所都大城。於其城中有殊勝殿,種種妙寶具足莊嚴,蔽餘天宮故名殊勝,面二百五十,周千踰繕那。是謂城中諸可愛事。城外四面四苑莊嚴,是彼諸天共遊戲處:一眾車苑、二麁惡苑、三雜林苑、四喜林苑,此為外飾莊嚴大城。四苑四邊有四妙池,中間各去苑二十踰繕那,是彼諸天勝遊戲處,諸天於彼捔勝歡娛。城外東北有圓生樹,是三十三天受欲樂勝所。盤根深廣五十踰繕那,聳幹上昇枝條傍布,高廣量等百踰繕那,挺葉開花妙香芬馥,順風燻滿百踰繕那,若逆風時猶遍五十。順風可爾,云何逆燻?有餘師言:香無逆燻義,依不越樹界故說逆燻。理實圓生有如是德,所流香氣能逆風燻,雖天和風力所擁遏。然能相續流趣餘方,漸劣漸微近處便歇,非能遠至如順風燻。如是花香,為依自地隨風相續轉至餘方、為但燻風別生香氣?此義無定,諸軌範師於此二門俱許無失。若爾,何故薄伽梵言:
論に曰く:三十三天は迷盧の頂に住す、その頂は四面に各々八十千、下の四辺とその量は別無し。ある余師の説に:周り八十千、別説して四辺は各々ただ二万、と。山頂の四角に各々一峰有り、その高広の量は各々五百有り。薬叉の神有りて金剛手と名づき、此中に止住して諸天を守護す。山頂中において宮有りて善見と名づき、面は二千半、周り万逾繕那、金城の量の高さは一逾繕那半、その地は平坦にしてもまた真金の成す所、倶に百一の雑宝を用いて厳飾し、地の触れるは柔軟にして妬羅の綿の如し、践蹑する時に足に随いて高下す、是れ天帝釋の都する大城。その城中において殊勝の殿有り、種種の妙宝を具足して荘厳し、余の天宮を蔽うゆえに殊勝と名づき、面は二百五十、周り千逾繕那。是れを城中の諸の可愛の事と謂う。城外の四面は四苑の荘厳、是れ彼の諸天の共に遊戯する処:一に衆車苑、二に粗悪苑、三に雑林苑、四に喜林苑、此は外の飾りを為して大城を荘厳す。四苑の四辺に四の妙池有り、中間は各々苑を去る二十逾繕那、是れ彼の諸天の勝れたる遊戯の処、諸天は彼において勝を角して歓娛す。城外の東北に円生樹有り、是れ三十三天の欲楽を受くる勝所。盤根は深広五十逾繕那、聳干は上升して枝條は傍に布き、高広の量は等しく百逾繕那、葉を挺して花を開き妙香は芬馥として、風に順えば薫じて百逾繕那に満ち、もし風に逆らう時は猶お遍して五十。風に順えばこの如く可なり、如何にして逆らいて薫ずるや。ある余師の説に:香は逆薫の義無し、樹の界を越えざるに依りて逆薫と説くゆえ。理実は円生はこの如きの徳有り、流る所の香気は能く風に逆らいて薫ず、天の和風の力の擁遏する所と雖も。しかるに能く相续して余の方に流趣し、漸に劣り漸に微にして近き処に便ち歇む、能く遠く至るは風に順う薫の如くに非ず。かくのごとき花香は、是れ自地に依りて風に随いて相续して余の方に転ずるか、是れ但だ風を薫じて別に香気を生ずるか。此の義は定まること無し、諸の軌範師は此の二門において倶に失無しを許す。もし爾ならば、何の故に薄伽梵は説く:
花香不能逆風燻,根莖等香亦復爾;
花の香は能く風に逆らいて薫ぜず、根・茎等の香もまた復たこの如し、
善士功德香芬馥,逆風流美遍諸方。
善士の功徳の香は芬馥として、風に逆らいて流美して諸の方に遍し。
據人間香故作是說,以世共了無如是能。化地部經說此香氣,順風燻滿百踰繕那,若無風時唯遍五十。外西南角有善法堂,三十三天時集於彼詳論如法不如法事。如是已辯三十三天所居外器,餘有色天眾所住器云何?頌曰:
(論に続けて曰く:)人間の香に拠るゆえに是の説を作す、世は共にこの如きの能無きを了するを以て。化地部の経は此の香気を説く、風に順えば薫じて百逾繕那に満ち、もし風無き時はただ遍して五十。外の西南角に善法堂有り、三十三天は時に彼に集まりて如法・不如法の事を詳論す。かくのごとき已に三十三天の居る所の外器を弁じたり、余の色ある天衆の住する所の器は如何。頌に曰く:
此上有色天,住依空宮殿。
此の上の色天は、空の宮殿に依りて住す。
論曰:此前所說三十三天上有色諸天,住依空宮殿。云何名上有色諸天?謂夜摩天、覩史多天、樂變化天、他化自在天。及前所說梵眾天等有十六處,並前合有二十二天,皆依外器。如是所說諸天眾中,頌曰:
論に曰く:此に前の説く所の三十三天の上に色の諸天有りて、空の宮殿に依りて住す。如何にして上に色の諸天有りと名づくるか。いわゆる夜摩天・覩史多天・楽変化天・他化自在天。および前の説く所の梵衆天等の十六処有りて、并びて前に合して二十二天有り、皆外器に依る。かくのごとき説く所の諸の天衆中において、頌に曰く:
六受欲交抱,執手笑視婬。
六は欲を受くるに交・抱、手を執り笑い視るは淫なり。
論曰:唯六慾天受妙欲境,於中初二依地居天,形交成婬與人無別。然風氣洩熱惱便除,非如人間有餘不淨。夜摩天眾才抱成婬,覩史多天但由執手,樂變化天唯相向笑,他化自在相視成婬。毘婆沙師作如是釋:六天皆以形交成婬。世施設中說相抱等,但為顯彼時量差別。以上諸天欲境轉妙、貪心轉捷故使之然。隨彼諸天男女膝上,有童男童女欻爾化生,即說為彼天所生男女。初生天眾身量云何?頌曰:
論に曰く:ただ六の欲天は妙なる欲境を受く、その中の初の二は地居の天に依り、形を交えて淫を成すは人と別無し。しかるに風気は熱悩を泄らして便ち除く、人間の如く余の不浄有るに非ず。夜摩天の衆は纔かに抱きて淫を成し、覩史多天は但だ手を執るに由り、楽変化天はただ相い向かいて笑い、他化自在は相い視て淫を成す。毘婆沙師はかくの釋を作す:六天は皆形を交えて淫を成す。世の施設中に相抱等を説くは、但だ彼の時量の差別を顕さんが為。上の諸天は欲境は転じて妙に、貪心は転じて捷なるを以て之をしてこの如からしむ、と。彼の諸天の男女の膝上に随い、童男・童女有りて欻爾に化生す、即ち彼の天の生ずる所の男女と説き為す。初生の天衆の身量は如何。頌に曰く:
初如五至十,色圓滿有衣。
初めは五より十の如く、色は円満にして衣有り。
論曰:且六慾諸天初生,如次如五六七八九十歲人,生已身形速得成滿。色界天眾於初生時,身量周圓具妙衣服。一切天眾皆作聖言,謂彼言詞同中印度。欲樂生別云何應知?頌曰:
論に曰く:且つ六欲の諸天の初生は、次第の如く五・六・七・八・九・十歳の人の如く、生じ已って身形は速やかに成満を得。色界の天衆は初生の時において、身量は周円にして妙なる衣服を具す。一切の天衆は皆聖言を作す、いわゆる彼の言詞は中印度に同じ。欲・楽の生の別は如何にしてまさに知るべきか。頌に曰く:
欲生三人天,樂生三九處。
欲の生は三の人天、楽の生は三の九処。
論曰:欲生三者,有諸有情樂受現前諸妙欲境,彼於如是現欲境中自在而轉,謂全人趣及下四天。有諸有情樂受自化諸妙欲境,彼於自化妙欲境中自在而轉,謂唯第五樂變化天。有諸有情樂受他化諸妙欲境,彼於他化妙欲境中自在而轉,謂第六他化自在天。依受如生現前欲境故,依受如樂自化欲境故,依受如樂他化欲境故,於欲界中分別欲生差別三種。樂生三者,三靜慮中於九處生受三種樂,謂彼安住離生喜樂、定生喜樂,離喜樂故,長時安住、長時離苦、長時受樂,故名樂生。生靜慮中間都無喜樂應思,何故亦號樂生天?所說諸天二十二處,上下相去其量云何?頌曰:
論に曰く:欲の生の三とは、諸の有情有りて現前の諸の妙欲境を受くるを楽い、彼はかくのごとき現の欲境中において自在にして転ず、いわゆる全の人趣および下の四天。諸の有情有りて自ら化する諸の妙欲境を受くるを楽い、彼は自ら化する妙欲境中において自在にして転ず、いわゆるただ第五の楽変化天。諸の有情有りて他の化する諸の妙欲境を受くるを楽い、彼は他の化する妙欲境中において自在にして転ず、いわゆる第六の他化自在天。生の如く現前の欲境を受くるに依るゆえに、楽の如く自ら化する欲境を受くるに依るゆえに、楽の如く他の化する欲境を受くるに依るゆえに、欲界中において欲生の差別の三種を分別す。楽の生の三とは、三静慮中において九処に生じて三種の楽を受く、いわゆる彼は離生の喜楽・定生の喜楽に安住し、喜楽を離るるゆえに、長時に安住し、長時に苦を離れ、長時に楽を受く、ゆえに楽生と名づく。静慮の中間に生ずるは都て喜楽無くしてまさに思うべし、何の故にもまた楽生天と号するか。説く所の諸天の二十二処は、上下の相去るその量は如何。頌に曰く:
如彼去下量,去上數亦然。
彼の下を去る量の如く、上を去る数もまたこの如し。
論曰:一一中間踰繕那量,非易可數,但可總舉彼去下量,去上例然。隨從何天去下海量,彼上所至與去下同。謂妙高山從第四層級去下大海四萬踰繕那,是四大王本所住處,從彼上去三十三天,亦如彼天去下海量。如三十三天去下大海,上去夜摩天其量亦爾。如是乃至如善見天去下大海踰繕那量,從彼上去色究竟天亦與彼天去下海等。從此向上無復所居,此處最高名色究竟。有餘師說:彼名礙究竟天。彼謂礙名目積集色至彼礙盡,得究竟名。於下處生昇見上不?頌曰:
論に曰く:一一の中間の逾繕那の量は、易く数うべきに非ず、但だ総じて彼の下を去る量を挙ぐべく、上を去るは例してこの如し。何れの天の下の海を去る量に随うとも、彼の上の至る所は下を去ると同じ。いわゆる妙高山は第四層級より下の大海を去る四万逾繕那、是れ四大王の本の住する処、彼より上りて三十三天に至るも、もまた彼の天の下の海を去る量の如し。三十三天の下の大海を去るが如く、上りて夜摩天に至るもその量もまたこの如し。かくのごとき乃至善見天の下の大海を去る逾繕那の量の如く、彼より上りて色究竟天に至るももまた彼の天の下の海を去るに等し。此より向上すれば復た居る所無し、此の処は最も高くして色究竟と名づく。ある余師の説に:彼は礙究竟天と名づく。彼の謂うに礙とは目すは積集の色にして彼に至りて礙盡く、究竟の名を得、と。下の処に生じて升りて上を見るか否や。頌に曰く:
離通力依他,下無昇見上。
通力を離るるは他に依る、下は升りて上を見る無し。
論曰:三十三天由自通力,能從本處昇夜摩天;或復依他,謂得通者及上天眾接往夜摩。所餘諸天昇上例爾,若來若至下見上天。然下眼不能覩上界上地,非其境界故。如不覺彼觸,是故從上地來下地時非自身來,要作下地化。有餘部說:彼下地天隨樂亦能見上地色,如生此界下見上天。夜摩等天宮依處量有幾?有餘師說:此上四天依處,量同妙高山頂。有餘師說:上倍倍增。有餘師言:初靜慮地宮殿依處等一四洲,第二靜慮等小千界,第三靜慮等中千界,第四靜慮等大千界。有餘師言:下三靜慮如次量等小中大千,第四靜慮量無邊際。齊何量說小中大千?頌曰:
論に曰く:三十三天は自の通力に由りて、能く本処より夜摩天に升る、あるいは復た他に依る、いわゆる通を得たるおよび上の天衆の接して夜摩に往く。余の諸天の上に升るは例してこの如し、もし来りもし至りては下は上の天を見る。しかるに下の眼は上界・上地を睹ること能わず、その境界に非ざるゆえ。彼の触を覚せざるが如く、是れを以て上地より下地に来る時は自身にして来るに非ず、下地の化を作るを要す。ある余部の説に:彼の下地の天は楽うに随いてもまた上地の色を見ることを能くす、此の界に生じて下より上天を見るが如し、と。夜摩等の天宮の依処の量は几つ有るか。ある余師の説に:此の上の四天の依処は、量は妙高の山頂に同じ。ある余師の説に:上は倍倍に増す。ある余師の説に:初静慮の地の宮殿の依処は一の四洲に等しく、第二静慮は小千界に等しく、第三静慮は中千界に等しく、第四静慮は大千界に等し。ある余師の説に:下の三静慮は次第の如く量は小・中・大千に等しく、第四静慮は量は辺際無し。何の量に齊して小・中・大千を説くか。頌に曰く:
四大洲日月,蘇迷盧欲天,
四大洲・日・月、蘇迷盧・欲天、
梵世各一千,名一小千界;
梵世は各々一千、一の小千界と名づく、
此小千千倍,說名一中千;
此の小千の千倍を、一の中千と説き名づく、
此千倍大千,皆同一成壞。
此の千倍は大千、皆同じく一の成壞。
論曰:千四大洲乃至梵世,如是總說為一小千,千倍小千名一中千界,千中千界總名一大千,如是大千同成同壞。同成壞相後當廣辯。如外器量別,身量亦別耶?亦別。云何?頌曰:
論に曰く:千の四大洲より乃至梵世に至る、かくのごとき総説して一の小千と為し、小千の千倍を一の中千界と名づき、千の中千界を総じて一の大千と名づき、かくのごとき大千は成を同じくし壞を同じくす。同成壞の相は後にまさに広く弁ずべし。外器の量の別あるが如く、身量もまた別なるか。別なり。如何。頌に曰く:
贍部洲人量,三肘半四肘;
贍部洲の人の量は、三肘半・四肘、
東西北洲人,倍倍增如次。
東・西・北洲の人は、倍倍に増して次第の如し。
欲天俱盧舍,四分一一增;
欲天は倶盧舍、四分の一一に増し、
色天踰繕那,初四增半半;
色天は逾繕那、初め四は増して半半、
此上增倍倍,唯無雲減三。
此の上は倍倍に増す、ただ雲無きは三を減ず。
論曰:贍部洲人身多長三肘半,於中少分有長四肘。東勝身人身長八肘,西牛貨人長十六肘,北俱盧人三十二肘。欲界六天最下身量一俱盧舍四分之一,如是後後一一分增,至第六天身一俱盧舍半。色天身量初梵眾天半踰繕那,梵輔全一,大梵一半,少光二全,此上餘天皆增倍倍,唯無雲減三踰繕那,謂無量光天倍增二至四,乃至色究竟增滿萬六千。身量既殊,壽量別不?亦別。云何?頌曰:
論に曰く:贍部洲の人は身長多く三肘半、その中の少分は長四肘有り。東の勝身の人は身長八肘、西の牛貨の人は長十六肘、北の倶盧の人は三十二肘。欲界の六天の最下の身量は一倶盧舍の四分の一、かくのごとき後後に一一分増して、第六天に至りて身は一倶盧舍半。色天の身量は初めの梵衆天は半逾繕那、梵輔は全の一、大梵は一半、少光は二の全、此の上の余の天は皆倍倍に増し、ただ雲無きは三逾繕那を減ず、いわゆる無量光天は倍増して二より四に至り、乃至色究竟は増し満ちて一万六千。身量は既に殊なる、寿量は別なるか否や。もまた別なり。如何。頌に曰く:
北洲定千年,西東半半減,
北洲は定めて千年、西・東は半半に減じ、
此洲壽不定,後十初叵量。
此の洲の寿は定まらず、後は十・初は量るべからず。
人間五十年,下天一晝夜,
人間の五十年は、下天の一昼夜、
乘斯壽五百,上五倍倍增。
斯に乘じて寿は五百、上の五は倍倍に増す。
色無晝夜殊,劫數等身量,
色は昼夜の殊無く、劫数は身量に等しく、
無色初二萬,後後二二增,
無色の初は二万、後後に二二に増し、
少光上下天,大全半為劫。
少光の上下の天は、大全・半を劫と為す。
論曰:北俱盧人定壽千歲,西牛貨人壽五百歲,東勝身人壽二百五十歲,南贍部人壽無定限。劫減最後極壽十年,於劫初時人壽無量,百千等數不能計量。已說人間壽量長短。要先建立天上晝夜,方可算計天壽短長。天上云何建立晝夜?人五十歲為六天中最在下天一晝一夜,乘斯晝夜三十為月,十二月為歲,彼壽五百年。上五欲天漸俱增倍,謂人百歲為第二天一晝一夜,乘此晝夜成月及年彼壽千歲。夜摩等四隨次如人,二四八百千六百歲為一晝夜,乘此晝夜成月及年,如次彼壽二四八千萬六千歲。持雙以上日月並無,彼天云何建立晝夜及光明事?依何得成?依花開合建立晝夜,如拘物陀、缽特摩等。又依諸鳥鳴靜差別,或依天眾寤寐不同,依自身光明成外光明事。已說欲界天壽短長。色界天中無晝夜別,但以劫數知壽短長。彼劫壽短長與身量數等,謂若身量半踰繕那,壽量半劫;若彼身量一踰繕那,壽量一劫;乃至身量長萬六千,壽量亦同萬六千劫。已說色界天壽短長。無色四天從下如次壽量二四六八萬劫。上所說劫其量云何?為壞為成?為中為大?少光以上大全為劫,自下諸天大半為劫。即由此故,說大梵王過梵輔天壽一劫半。謂以成住壞各二十中劫,六十中劫為一劫半,故以大半四十中劫為下三天所壽劫量。已說善趣壽量短長。惡趣云何?頌曰:
論に曰く:北の倶盧の人は定めて寿千歳、西の牛貨の人は寿五百歳、東の勝身の人は寿二百五十歳、南の贍部の人は寿は定限無し。劫の減ずる最後は極寿十年、劫初の時において人の寿は無量、百千等の数を以て計量する能わず。已に人間の寿量の長短を説きたり。先に天上の昼夜を建立することを要して、方に天寿の短長を算計すべし。天上は如何にして昼夜を建立するか。人の五十歳を六天中の最下に在る天の一昼一夜と為し、斯の昼夜に乘じて三十を月と為し、十二月を歳と為し、彼の寿は五百年。上の五欲天は漸に倶に倍増す、いわゆる人の百歳を第二天の一昼一夜と為し、此の昼夜に乘じて月および年を成して彼の寿は千歳。夜摩等の四は次に随い人の如く、二・四・八・百・千・六百歳を一昼夜と為し、此の昼夜に乘じて月および年を成し、次第の如く彼の寿は二・四・八千・万六千歳。持双より上は日・月は并びて無し、彼の天は如何にして昼夜および光明の事を建立するか。何に依りて成るを得るか。花の開合に依りて昼夜を建立す、拘物陀・鉢特摩等の如し。また諸の鳥の鳴静の差別に依り、あるいは天衆の寤寐の不同に依り、自身の光明に依りて外の光明の事を成ず。已に欲界天の寿の短長を説きたり。色界天中は昼夜の別無く、但だ劫数を以て寿の短長を知る。彼の劫寿の短長は身量の数と等し、いわゆるもし身量は半逾繕那ならば、寿量は半劫、もし彼の身量は一逾繕那ならば、寿量は一劫、乃至身量は長万六千、寿量もまた一万六千劫に同じ。已に色界天の寿の短長を説きたり。無色の四天は下より次第の如く寿量は二・四・六・八万劫。上の説く所の劫はその量は如何。是れ壞か是れ成か、是れ中か是れ大か。少光より上は大全を劫と為し、自下の諸天は大半を劫と為す。即ち此に由るゆえに、大梵王は梵輔天の寿を過ぐること一劫半と説く。いわゆる成・住・壞は各々二十中劫を以てし、六十中劫を一劫半と為し、ゆえに大半の四十中劫を以て下の三天の寿する劫量と為す。已に善趣の寿量の短長を説きたり。悪趣は如何。頌に曰く:
等活等上六,如次以欲天,
等活等の上の六は、次第の如く欲天を以てし、
壽為一晝夜,壽量亦同彼。
寿を一昼夜と為し、寿量もまた彼に同じ。
