『黄金策』第二十二・求館(束修を附す)
學得明師,可繼程風於滿座;師非良館,難期賈粟之盈倉。故欲筆耕,先須蓍筮。世為西席,如逢父母必明經;凡占書館,以世爻為西席之位。如臨父,其先生必是明經之人。世在乾坤離三宮,亦然。臨官帶貴,或本宮官伏世下,多是秀才。
明らかな師を得てこそ、程門のように満座の学子が学風を承け継ぐことができる。師が良い学館を得られなければ、商人が糧を蓄えるように倉廩を充実させることは望めない。ゆえに筆耕で生計を立てようとするなら、まず蓍草で一卦を占うべきである。「世は西席」とは、世爻が坐館の先生を表すということである。書館を占うには世爻を西席の位とし、世爻が父母に臨めば、その先生は必ず経義に精通した明経の士である。世爻が乾・坤・離の三宮に落ちても同様である。世爻が官鬼に臨んで貴人を帯びるか、本宮の官鬼が世爻の下に伏していれば、たいてい秀才である。
應乃東家,若遇官爻須作吏。應爻為占館東家主人。若臨官,必是官吏戶役人家;加白虎,則是病人;在三爻現,病在床;休囚受制,則有孝服在身;加玄武,必與盜賊往來。應臨父母加勾陳,種田人家;加朱雀,讀書人家;加白虎,宰殺人家;加螣蛇,工藝人家。
応爻は東家を表し、官鬼爻に遇えば、その家はたいてい吏役の出である。応爻はすなわち占う学館の東家主人である。これが官鬼に臨めば、必ず官吏か戸役の差事をもつ家である。「白虎」を加えれば病人であり、第三爻に現れれば寝たきりの病である。応爻が休囚して制を受ければ、その人に孝服があることを主る。「玄武」を加えれば、必ず盗賊と往来がある。応爻が父母に臨んで「勾陳」を加えれば田を耕す家、「朱雀」を加えれば読書の家、「白虎」を加えれば屠殺の家、「螣蛇」を加えれば工匠・藝人の家である。
應臨子屬金,僧道作主;加朱雀玄武,是打獵人家;不然,則後生輩也。應臨財爻,更在陰宮,又臨陰爻,而卦無官鬼者,必是婦人作主;有官則是富貴人家。財化財,財化子,做買賣人家。若被月建日辰動爻制伏,乃是奴僕為主。
応爻が子孫に臨んで五行が金に属すれば、僧道が東家である。「朱雀」「玄武」を加えれば狩猟の家であり、さもなければ若い後生の輩である。応爻が財爻に臨み、陰宮に落ちて陰爻に臨み、卦中に官鬼がなければ、必ず婦人が家を切り盛りしている。官鬼があれば富貴の家である。財爻が財を化し、財爻が子孫を化するのは、商売をする家である。もし応爻が月建・日辰・動爻に制伏されれば、奴僕が家を取り仕切っているのである。
應臨兄弟,平常人家;加朱雀,賭博人家;繫本宮,弟兄姊妹家;繫他宮,朋友鄰里家。若論住宅,依家宅章斷。臨官兮少壯,休囚則貧乏之家;墓庫兮高年,旺相則富豪之主。應爻在臨官帝旺爻,主人必然強壯。如臨墓庫,必是高年。五行無氣,其家貧乏;五行旺相,其家富厚;重加財福,必然鉅富。德性以五類六神參斷。
応爻が兄弟に臨めば、尋常の人家である。「朱雀」を加えれば賭博を好む家、本宮に属すれば兄弟姉妹の家、他宮に属すれば朋友・隣里の家である。その住宅を論じるなら、家宅の章の法にしたがって断ずる。「臨官兮少壮」以下の几句は、旺衰から東家の年齢と貧富を見るのである。応爻が臨官・帝旺の爻に落ちれば、主人は必ず年壮で力が強い。墓庫に臨めば、必ず年を取った人である。五行が無氣ならその家は貧乏、五行が旺相ならその家は富厚である。さらに財爻と福徳を加えれば、必ず巨富である。品性・德行については、五類の六親と六神を参酌して併せて判断する。
值土火空,無父母;逢金水絕,少兒孫。卦中六親,即人六親。然有兩人繫於一卦者,則彼此六親宜不同矣。又當何以定之?不過生之理而已。且如占館,以應為東家。應爻屬土,火能生土,不拘卦中有無,亦不拘是財官父子,皆作父母斷,生我者故也。應爻屬金,金能生水,不拘卦中有無,亦不拘財官父兄,皆作子孫斷,我生故也。
応爻が土に属して火爻が空に落ちれば、東家に父母がいないことを主る。応爻が金に属して水爻が絶に逢えば、東家に児孫が少ないことを主る。卦中の六親はもともと人事上の六親であるが、一卦の中に二人が関わるときは、双方の六親を混同してはならない。ではどう分け定めるか。要するに「相生」の理に依るだけである。たとえば学館を占い、応爻を東家とする。応爻が土に属せば火は土を生ずるから、卦中に火爻があるか否か、またその火爻が財・官・父・子のいずれであるかを問わず、すべて東家の父母として断ずる。我を生ずる神だからである。応爻が金に属せば金は水を生ずるから、卦中に水爻があるか否か、それが財・官・父・兄のいずれであるかを問わず、すべて東家の子孫として断ずる。我が生ずる者だからである。
如火爻旺空、沖空、動空,主父母不全,衰空必無父母。火化火,兩重父母。帶官鬼旺,以貴斷,衰以病言。帶兄弟,其父好賭博,無廉恥,欠學問。帶財爻,其父不富厚,則業貿易。帶子孫,其父則甚慈善,慷慨有為。餘皆仿此。但不可以六爻總看,當以在應宮者為彼六親,在世宮者皆我六親也。一宮三爻,只餘二爻,此宮不現者,不可遂斷為有無,惟空亡乃是真無也。其貴賤壽夭,性情容貌,依常例推之。他如兄弟妻妾子息,亦仿此推之。
上の例に倣って推し進める。父母を表す火爻が旺でありながら空に落ちるか、冲されて空になるか、発動して空になるなら、東家の父母が揃わないことを主る。衰えて空に落ちれば、必ず父母ともに亡い。火がさらに火を化すれば、二重の父母がある。火爻が官鬼を帯びて旺なら顕貴として断じ、衰なら患病として言う。兄弟を帯びれば、その父は賭博を好み、廉恥を知らず、学問がない。財爻を帯びれば、その父は富厚でなければ商売人である。子孫を帯びれば、その父は慈悲深く、慷慨にして有為である。その余もみなこれに倣って類推する。ただし六爻をひとまとめに見てはならない。応爻の宮に属するものを相手方の六親とし、世爻の宮に属するものをすべて我方の六親とするべきである。各宮にはもともと三爻があり、卦上に二爻しか現れなければ、現れない一爻をそのまま有無と断じてはならない。空亡に落ちてこそ初めて真に無いのである。貴賤・寿夭・性情・相貌は常例に依って推せばよい。その余の兄弟・妻妾・子息もこの法に倣って推す。
不拱不和,決定主賓不協;相生相合,必然情意相投。世應二爻刑沖剋害,異日賓主不合。加以兄官發動,大凶之兆。若得生合比和,情意必然相投。生而化克,始和終不和;沖而化合,始疏而後密。世與子亦宜生合,則師弟間恩義兼盡。若見沖剋,亦多不睦也。
世応が互いに拱護せず和順でなければ、主宾の間は決して合わない。相生相合すれば、必ず情意が投合する。世応の両爻が互いに刑・冲・剋・害すれば、後日宾主は不和となる。さらに兄弟・官鬼が発動すれば、大凶の兆である。生合比和を得れば、情意は必ず投契する。生じて剋を変出すれば、初め和して後に不和。冲して合を変出すれば、初め疎遠で後に親密である。世爻と子孫爻もまた生合すべきであり、そうすれば師生の間で恩義が両全する。冲剋を見れば、たいてい仲が悪い。
財作束脩,不宜化弟;占館以妻財為束脩。旺相多,休囚少。要知斤兩,以生成數推之,生旺倍加,絕死減半。在陽宮以生數斷,在陰宮以成數斷。今人但言水一、火二、木三、金四、土五,而不言六七八九十,是舉其生數,而遺其成數也。
財爻は束修を表し、兄弟を変出すのは宜しくない。学館を占うには妻財を束修とする。旺相なら多く、休囚なら少ない。具体的な斤両の数を算するには、五行の生数・成数で推す。生旺は倍にし、死絶は半減する。陽宮では生数で断じ、陰宮では成数で断じる。近ごろの人は水一・火二・木三・金四・土五だけを言い、六・七・八・九・十を言わない。これは生数だけを挙げて成数を漏らしたのである。
獨怕兄弟發動,或財化兄,主束脩不皆入己,必有人抽分費用。不然,則有名無實,亦不能盡取之也。財爻無氣,而遇月建日辰動爻生扶者,束脩雖不多,四季節禮反周備也。易云:天一地二,天三地四,天五地六,天七地八,天九地十,生也。
束修は兄弟爻の発動を最も恐れ、あるいは財爻が兄弟を化出すれば、その修金は全く自分に帰さず、必ず人が間から頭を抽いて費用する。さもなければ有名無実で、揃って取れもしない。反対に、財爻が無氣でも、月建・日辰・動爻が生扶しに来れば、束修の数は多くなくても、四季の節令の贈り物はかえって周到的である。『易』に「天一・地二、天三・地四、天五・地六、天七・地八、天九・地十」とあるのが、生成の数の由来である。
父為書館,豈可逢空。占館,不可以父母為師,當作書館論之。旺相有氣,則有好書館。卦無父或落空,必無書館,事亦難成。若占其年書館有無,全要此爻出現,有氣不空,必然有得。更得應來生合世爻,自有人來延請;世爻生合應爻,及父爻,必須自去訪求,無人相請。
父母爻は書館を表す。どうして空に落ちてよかろうか。学館を占うときは父母をもはや師として見ず、館舎として論ずべきである。これが旺相で氣があれば良い書館がある。卦中に父爻がないか父爻が空に落ちれば、必ず館舎がなく、事も成し難い。その年に館に坐れるか否かを占うなら、すべてこの一爻が現れるか否かにかかる。氣があって空でなければ、必ず行き先がある。さらに応爻が世爻を生合しに来れば、自然に人が上门して延請する。反対に世爻が応爻と父爻を生合しに行けば、自分で出て訪ね求めなければならず、請いに来る人はいない。
卦無父,而動爻有化出者,不意中有人推薦也。若父化父,必有兩處書館,卦有兩爻亦然。館有定期,而遇父化父,館必兩處。本宮化入他宮,由近及遠;他宮化入本宮,自外以入內也。鬼動合身,須得貴人推薦;官鬼發動,當有間阻。然來生合世身,又主其館必得貴人推薦,而後可成;應如克世,父或落空,雖薦不成。
卦中にもともと父爻がないのに動爻が父爻を化出すのは、思いがけず人が推薦に来ることである。父が父を化すれば、必ず二か所の書館が選べる。卦中にもともと二つの父爻があっても同じである。坐館にはもともと一定の期限がある。父化父に遇えば、館は必ず二か所である。本宮が他宮に化入れば近から遠へ、他宮が本宮に化入れば外から近くへ転じる。「鬼動合身」とは、官鬼が発動して卦身を合しに来ることで、貴人の推薦を要する。官鬼の発動はもともと阻隔を主るが、それが世爻・卦身を生合しに来れば、この館は必ず貴人の挙薦を得て初めて成立する。もし応爻が世を剋しに来るか、父爻が空に落ちれば、推薦する人がいても成らない。
兄興臨應,決多同類侵謀。凡占學館,應持兄動,必有同道之人爭謀其館;兄臨卦身亦然。若在間爻動,沖剋世,則主有破說,其事難成。官如藏伏,應無督集之人;鬼能生扶父母,故占館以此爻為糾率子弟之人。若不出現,或落空,必主無人聚集生徒,以成學館。其事難成,又主無人推薦。若空而逢沖,伏而提起,必須央浼其人,方許出來糾集。
兄弟爻が興旺して応に臨めば、必ず多くの同行が争いに来る。およそ学館を占って、応爻が兄弟を持して発動すれば、必ず同道の人がこの館を争い謀る。兄弟が卦身に臨んでも同じである。兄弟が間爻の上で発動し、また世爻を冲剋すれば、人が間から悪口を言うことを主り、事は成り難い。「官如蔵伏」とは、官鬼が伏して現れなければ、学生を督促し集める人がいないということである。官鬼は父母を生扶するから、館を占うにはこの一爻を子弟を糾集して入学させる人とする。これが現れないか空亡に落ちれば、必ず生徒を招き集めて学館を成す人がいないことを主り、事は成り難く、また推薦する人もいないことを主る。これが空に落ちて冲に逢うか、伏蔵して提起されれば、必ずその人に懇求してこそ、彼は出て召集してくれる。
應若空亡,未有招延之主。應爻空亡,無人延請。更若父不出現,或落空,必難成就。應爻動空化空,是假言作主也。不然,亦主不終其事。凡遇父母臨身,或遇動來生合世身,大吉之兆,主其館易成。有此象而應空鬼動,雖有糾集之人,而無招延之主,宜自開館。若鬼爻空伏,而應來生合,雖有延請之家,而無糾集之人,宜有招致。
応爻が空亡に落ちれば、まだ出て延請する東家がいない。応爻が空亡なら請いに来る人がいない。さらに父爻が現れないか空に落ちれば、必ず事を成し難い。応爻が発動して空になり空を化すのは、人が東家になると偽って言うことであり、さもなければこの事が有頭無尾であることを主る。およそ父母爻が卦身に臨むか、発動して世爻・卦身を生合しに来れば、みな大吉の兆で、この館は容易に成立することを主る。この象があって応爻が空・官鬼が動なら、学生を召集する人はいるが東家が出て延請しないので、自分で館を開くのがよい。官鬼が空に落ちるか伏蔵していて、応爻が世爻を生合しに来れば、延請したい家はあるが生徒を召集する人がいないので、自分で招攬するのがよい。
動象臨財,難稱意;文書為占館用神。若遇財動,則被克壞。未成者,不能成;已成者,不遂意。世身日月皆忌臨之。若得父持月建,或臨生旺,庶亦可成。空爻持世,豈如心。卦中父母出現,應來生合,而世爻空亡者,非館不成,乃是自不上前,或雖成不去也。應不生合,父母重疊,而世爻空亡者,為有別館,故不成此事。無故自空,必不可成,雖成終不如意。
動爻の上に財が臨めば、事は心にかなわない。文書すなわち父母爻は館を占う用神であり、財爻が発動すれば用神が剋され壊れる。未成は成らず、已成も意に従わない。世爻・卦身・日辰・月建の上はみな財に臨むことを忌む。父爻が月建を持するか、生旺の地に臨むことを得れば、まだ辛うじて成る。「空爻持世、豈如心」とは、世爻が空に落ちれば事がどうして心にかなおうか、ということである。卦中に父母が現れ応爻が生合しに来るのに、あえて世爻が空に落ちるのは、館が成らないのではなく、自分が進み出たくないか、成っても行かないのである。応爻が生合しに来ず、父母爻が重なり合い、世爻が空に落ちれば、別の所に館があるゆえにこの一か所が成らないのである。世爻が理由なく自ら空亡に落ちれば、必ず成らない。たとえ成っても、ついに意にかなわない。
身位受傷,雖成不利;世身被月建日辰動爻刑剋,雖有可成之象,日後亦不稱意。如鬼爻刑剋,有官非疾病類。間爻有動,縱吉難成。間爻動,事多阻隔,故難成。鬼或化兄,備禮先酬乎薦館;凡遇鬼爻動出兄弟,必得禮物先酬薦館之人,則可成。兄臨世身,亦主先費財物。兄臨應上,則是東家好利,必得禮儀饋送,而後可成也。
卦身の位が傷つけられれば、館はたとえ成立しても利がない。世爻・卦身が月建・日辰・動爻に刑剋されれば、成るべき象があっても後日意にかなわない。官鬼が刑剋しに来れば、官司是非・疾病の類がある。「間爻有動、縦吉難成」とは、間爻が一たび動けば事に阻隔が多く、ゆえに成り難いということである。「鬼或化兄」とは、官鬼が兄弟を変出せば、まず礼を備えて館を薦めた人に酬謝せねばならないということである。およそ官鬼が発動して兄弟を化出すのに遇えば、まず禮物を送って推薦の人に謝して初めて事が成る。兄弟が世爻・卦身に臨んでも同様に先ず錢財を破费することを主る。兄弟が応爻の上に臨めば、東家が利を貪るので、礼数を十分に送らねば話が成らない。
世如變鬼,央人轉薦於東家。鬼爻出現,而世又化出者,必須再得推薦,乃可成。卦無官,而動爻有化出者,初未有人推薦,亦必待央人薦之,則可成。若鬼化鬼,父化父,又主反覆難成。世無生合,謾看白眼之紛紛;凡遇應不克世,父母不空,兄鬼不動,而月建日辰動爻,並不生合世爻者,其事可成。但主人不欽敬,皆以白眼待之也。
世爻が官鬼を変出せば、人に託して東家へ転薦してもらわねばならない。官鬼がすでに現れているのに世爻がさらに一重の官鬼を化出せば、必ず再び人の推薦を得て初めて成る。卦中にもともと官鬼がないのに動爻が官鬼を化出すのは、初めは薦める人がいなくても、人に託して薦めてもらって初めて成る。鬼が鬼を化し父が父を化せば、さらに反復不定・成事困難を主る。「世無生合」とは、世爻が生合を得られず、空しく人の白眼を見るだけということである。およそ応爻が世を剋せず、父母が空に落ちず、兄弟・官鬼が発動せず、しかも月建・日辰・動爻がすべて世爻を生合しに来なければ、この事はなお成る。ただ主人が先生を敬重せず、至るところ白眼をもって遇するだけである。
福或興隆,會見青矜之濟濟。占館以福爻為門生。旺相多,休囚少。空亡不上卦,雖是其人作主,未必其家子弟也。子化子,生徒必多。帶殺動來克世,日後恐有操戈入室者。衰逢扶起,日加鼓篋之徒;子孫旺相,卻被日辰動爻刑剋,主生徒始雖多集在館,日後漸自減少。子孫休囚,卻繫日辰動爻生合扶起,則主始雖不多,開館後日漸增進也。
子孫爻が興旺すれば、学子が一堂に満ちるのを見るだろう。館を占うには子孫爻を門生とする。旺相なら人多く、休囚なら人少ない。子孫が空亡に落ちるか卦に上がらなければ、その家が東をするとしても、来る者は必ずしも他家の子弟ではない。子孫が子孫を化すれば、生徒は必ず非常に多い。子孫が凶煞を帯びて発動し世爻を剋しに来れば、後日、戈を反らして相対し、学んだことをもって師を攻める学生がいることを恐れる。「衰逢扶起」とは、衰弱した子孫が扶助を得ると、学生が日に日に増えるということである。子孫がもとより旺相なのに日辰・動爻に刑剋されれば、生徒は初め多く聚まるが後日だんだん減ることを主る。子孫がもとより休囚なのに日辰・動爻に生合され扶起されれば、初めは人少ないが開館の後一日ごとに増えることを主る。
動遇沖開,時減執經之子。子孫爻動,固是吉兆,若被日辰動爻沖散,其徒必有背師而去者。如被世沖散,是先生叱退其徒,非弟子自背其師也。子孫動變空亡,則弟子中有半途而廢者,是歇學,非叛去。
子孫爻が発動して冲開に遇えば、時折学生が流失する。子孫爻の発動はもともと吉兆だが、日辰・動爻に冲散されれば、学生の中に必ず師を背いて去る者がいる。世爻に冲散されれば、先生が学生を斥退したのであり、弟子が自ら師を背いたのではない。子孫が発動して空亡に変入れば、弟子の中に半途で廃する者がいる。それは停学であり、叛離ではない。
逢龍則俊秀聰明,遇虎則剛強頑劣。子臨青龍,其徒必然聰明俊秀;更逢月建日辰生合,而又臨金水爻者,必有穎悟非常之子。若臨白虎,則多頑劣不馴;發動,其性必野,難以教訓。凡遇青龍,必有禮貌;遇白虎,必不盡禮。
子孫爻が「青竜」に遇えば学生は俊秀で聡明、「白虎」に遇えば学生は剛強で頑劣である。子孫が青竜に臨めば、その学生は必ず聡明俊秀である。さらに月建・日辰の生合に逢い、また金爻・水爻に臨めば、必ず格別に頴悟の良い苗がある。白虎に臨めば、たいてい頑劣で馴れない。一たび発動すれば、性は必ず野放図で管教し難い。およそ青竜に遇えば学生は必ず礼儀があり、白虎に遇えば必ず礼を尽くさない。
陽卦陽爻居養位,座前有劉恕之神童;陰宮陰象化財爻,帳後列馬融之女樂。子孫在陽宮陽爻,而臨胎養及金水二爻,旺相不空,有扶者,其徒必有出類拔萃,如劉恕之神童在門。若在陰宮陰爻,而又化財者,必有女兒受學;不化財爻而在兌宮者,亦有女徒。
陽卦の陽爻が胎養の位に落ちれば、座前に劉恕のような神童がいる。陰宮の陰象が財爻を変出せば、帳後に馬融のような女樂が列する。子孫が陽宮の陽爻の上に落ち、また胎・養の位および金・水の二爻に臨み、旺相で空でなく扶助があれば、その学生の中に必ず抜群に秀でた劉恕のごとき神童がいる。子孫が陰宮の陰爻の上に落ちて財爻を化出せば、必ず女孩子が学びに来る。財爻を化さなくても、兌宮にいる限り同様に女学生がいる。
兩福自沖,鬼谷值孫臏龐涓之弟子;子孫皆合,伊川遇楊時游酢之門生。卦有兩爻子孫,俱動相沖,弟子中,必多不合;更加白虎螣蛇,數有爭鬥。若來傷世,必然責及先生。如遇二爻俱來生合世爻,則門生自盡弟子之禮,尊師重傳,必不輕背其師也。
二つの子孫爻が互いに冲击すれば、鬼谷子の門下に孫臏と龐涓が出たようである。二つの子孫爻が互いに相合すれば、伊川先生の門下に楊時と游酢を得たようである。卦中に二爻の子孫があって、ともに発動して相冲すれば、弟子の間は必ず不和が多い。さらに「白虎」「螣蛇」を加えれば、しきりに打ち闘う。これらが世爻を傷つけに来れば、争闘の責は必ず先生の身に累が及ぶ。反対に二爻がともに世爻を生合しに来れば、門生は一人残らず弟子の礼を恪くし、師を尊び道を重んじ、決して軽々しく師門を背かない。
世動妻爻,決主親操井臼;世臨財動,是自炊爨,非供膳也。若占供膳,又主供得膳成。惟怕兄動,或雖不動,而持身世者,皆主供不成。大凡占館,遇財爻持世,又主西席家眷同至。
世爻の上で妻財が発動すれば、先生が自ら米を舂き水を汲む事を取り仕切ると断ずる。世爻が財に臨んで発動すれば、自分で火を起こして飯を炊くのであり、東家が食事を供するのではない。もし專ら東家が膳を供するかを占うなら、これも膳食が供され得ることを主る。ただ兄弟爻の発動を恐れ、あるいは兄弟は動かなくても卦身・世爻を持せば、みな供膳が成らないことを主る。だいたい館を占って財爻が世を持せば、さらに先生が家眷を連れて同行することを主る。
應生財值,定然供膳饔餐。財爻臨應生合世身,定主供膳,財為飲食故也。若月建日辰動爻,俱帶妻財,必非一家東道供膳,乃諸生輪流供也。財爻旺相,款待必厚;休囚,款待必薄;財化子,必豐潔;財化鬼,無美味;財化父,必淡薄;財化兄,常食而已。
応爻が財爻を生助すれば、東家が飯食を供給すると断ずる。財爻が応の上に臨んで世爻・卦身を生合しに来れば、必ず東家の供膳を主る。財はもともと飲食を表すからである。月建・日辰・動爻がすべて妻財を帯びれば、一家の東道が伙食を一手に引き受けるのではなく、衆学生が輪番で供給するのである。財爻が旺相なら款待人は必ず豊厚、休囚なら款待人は必ず微薄である。財が子孫を化せば飯食は豊かで清潔、財が官鬼を化せば美味がなく、財が父母を化せば必ず清淡で寡薄、財が兄弟を化せば、ただの家常便飯に過ぎない。
如索束脩,可把妻財推究;若居伏地,還求朋友維持。凡占取索束脩,以財爻為主。若不出現,不拘伏在何爻下,皆主費力難索。必須浼求朋友,同行取討,則或可得。蓋凡伏藏,須得月建日辰動爻,提起伏神,如同飛神,然後得出為用,故也。
束修を取り立てるには妻財爻から推究できる。財爻が伏して現れなければ、さらに朋友に央めて出面して周旋してもらわねばならない。およそ束修を取り立てるのを占うには財爻を主とする。これが現れなければ、どの爻の下に伏していようと、力を費やして討え難いことを主り、必ず朋友に懇求して一緒に取り立てに行かせて、あるいは初めて取れる。およそ伏蔵の神は、みな月建・日辰・動爻に伏神を提起してもらい、飛神のごとく顕露させて、然る後に作用を起こすことができるからである。
出現不傷,旺相生身,名曰吉;入空無救,休囚化絕,號為凶。凡占束脩,得財爻出現,旺相不空,而月建日辰動爻,不帶兄弟傷克,則不缺欠。更得財爻生世合世,大吉之兆。若財雖出現,卻被克劫,或居絕地,或空亡,或變出死墓絕爻,皆不遂意。世持兄克,尤難取討。得子孫旺動,亦好。
財爻が現れて傷を受けず、旺相でまた世を生じに来れば、これを吉という。財爻が空に落ちて救いがなく、休囚でまた絶地に変入れば、これを凶という。およそ束修を占い、財爻が現れて旺相で空でなく、月建・日辰・動爻が兄弟を帯びて傷剋しに来なければ、修金は缺けない。さらに財爻が世を生じ世を合すれば、なお大吉の兆である。財爻が現れても、剋され劫され、あるいは絶地に居り、あるいは空亡に落ち、あるいは死・墓・絶の爻を変出すれば、みな意に従わない。世爻が兄弟を持してまた財を剋しに来れば、格外に討え難い。このとき子孫が旺相発動を得れば、情形もまだ良い方である。
變出父爻,書債必然償貨物;財動化父,或父動化財,主束脩必無金銀寶物,多是貨物準折,乃有名無實之象。卦中兄弟更動,雜貨物亦不盡得。化成兄弟,硯田定主欠收成。兄弟乃劫財之神。若發動或持世,皆難入手。財化兄,有名無實,或得一半。卦若無財,遇兄化出,則主有人抽分。
財爻が父母爻を変出せば、欠いた修金は必ず貨物で抵償される。財が動して父を化し、あるいは父が動して財を化すれば、束修の中に金銀財宝はなく、たいてい貨物を折價して帳を抵るのであり、有名無実の象に属する。卦中の兄弟がさらに発動すれば、あの雑貨も揃って取れない。「化成兄弟」とは、財爻が兄弟を変出せば、筆耕の硯田はきっと歉收するということである。兄弟はもともと錢財を劫奪する神であり、これが発動するか世を持せば、修金はみな手に入り難い。財が兄弟を化せば有名無実、あるいは半分しか取れない。卦中にもともと財がないのに兄弟から化出すれば、人が間から頭を抽くことを主る。
身空應空財福空,必成虛度;凡占束脩,遇卦身應爻,及子孫妻財,或空或不上卦,主束脩無得。蓋財為用神,身為事主,應為諸生父兄,而子孫又生財之神,今皆空休,其能取乎?故成虛度。日克月克動變克,恐受刑傷。月建日辰動變諸爻,皆來刑剋世爻者,占館必不可成。占束脩,恐被諸生父兄呵責,宜慎之。
卦身が空・応爻が空・財爻と福徳も空なら、この年は必ず空しく虚度する。およそ束修を占い、卦身・応爻および子孫・妻財が空亡に落ちるか卦に上がらなければ、束修を取る術がないことを主る。財は用神、卦身は事主、応爻は衆学生の父兄であり、子孫はまた財を生ずる神である。いまこれらがすべて空に落ちて歇息するのに、どうして討えようか。ゆえに一年を虚度するという。「日剋月剋動変剋」とは、日辰・月建・動爻・変爻が一斉に剋しに来ることである。これらが皆世爻を刑剋しに来れば、館を占って必ず成らない。束修を占うなら、学生の父兄に呵責されることを恐れ、謹慎すべきである。
鬼化財生,非訟則學金休矣;卦中無財,而遇兄鬼文書亂動,有化出財爻,生合世爻者,必須訟訴公庭,然後可得束脩。官爻獨發生世合世,亦然。子連父合,因學而才思加焉。凡占學館,世若衰絕無氣,而遇子孫動化,父母生扶,合起世爻者,主先生才學本不克贍,因教訓子弟,而其才思日加進益。卦有財動則不然。
官鬼が財爻を変出して世を生じれば、官司を打たなければ学金が取れない。卦中に財爻がないのに兄弟・官鬼・文書が乱動し、その中に財爻を化出して世爻を生合しに来るものがあれば、必ず官府に告げて然る後に束修を討ち返せる。官爻が単独で発動して世を生じ世を合しに来るのも情形は同じである。「子連父合」とは、子孫が父母に連なって世を合しに来れば、教えることによって自己の才思が増長するということである。およそ学館を占い、世爻が衰絶無氣なのに、子孫が発動変化し父母が前に来て生扶し世爻を合起すれば、この先生はもともと才学が充実していなかったのに、子弟を教導するゆえに学問が日に長進することを主る。ただし卦中に財爻の発動があれば、このように断じてはならない。
『黄金策』第二十三・詞訟
小忍不懲,必至爭長競短;大虧既負,寧不訴枉申冤?欲定輸贏,須詳世應。卦中世應,即狀中原被告人,須看此,則兩邊勝負可知。應乃對頭,要見休囚死絕;世為原告,宜臨帝旺長生。占訟:以世為原告,應為被告。若被告占,以世為自己,應為對頭。應旺世衰,他強我弱;世旺應衰,我強他弱。逢兄遇鬼,雖強理短;臨財持福,雖弱理長。
小さな争いを懲戒しなければ、必ず長短を争う事になる。大きな損害をすでに受けたのに、どうして冤枉を申訴しないでいられようか。官司の勝ち負けを断ずるには、必ず世応の両爻を細かく見ねばならない。卦中の世爻と応爻は、すなわち狀紙の上の原告と被告である。この二爻を見極めれば、双方の勝敗が分かる。応爻は対頭を表すから、休囚死絶するのがよい。世爻は原告を表すから、帝旺・長生の地に臨むのが宜しい。訟を占うには世を原告・応を被告とする。被告が占いに来れば、世をもって自己を表し、応をもって対頭を表す。応が旺で世が衰なれば、彼が強く我が弱い。世が旺で応が衰なれば、我が強く彼が弱い。兄弟に逢い官鬼に遇うのは、強くても理に欠けることである。妻財に臨み子孫を持するのは、弱くても理が直いことである。
相剋相沖,乃是欺凌之象;世爻刑剋應爻,未必我勝,乃是欺他之象;必得鬼克應爻,方為我勝。應爻刑剋世爻,未必他勝,乃是欺我之象,必須鬼克世爻,方為他勝。世應遇三刑六害六沖,兩爻俱動者,是鷸蚌相持之勢,兩不相讓之象。
世応が互いに剋し互いに冲すれば、一方が他方を欺凌する象である。世爻が応爻を刑剋しても、必ずしも我が勝つとは限らず、ただ我が彼を欺圧する様子である。必ず官鬼が応爻を剋しに行って初めて我が勝つとする。応爻が世爻を刑剋しても、必ずしも彼が勝つとは限らず、ただ彼が我を欺圧する様子である。必ず官鬼が世爻を剋しに行って初めて彼が勝つとする。世応の間に三刑・六害・六冲に遇い、両爻がともに発動すれば、すなわち鷸蚌相持の勢いで、双方は互いに譲らない。
相生相合,終成和好之情。世應生合,原被有和釋之意。世生應,我欲求和;應生世,他欲求和。世應雖生合,而變爻刑沖者,口和心不和也;世應雖沖剋而變爻相合者,始不和,而終和也。生中帶刑,合中帶克,而動空化空者,俱是假意言和,未嘗信任之也。
世応が相生相合すれば、終に和好の情を成就する。世応が生合すれば、原告・被告ともに和解の意がある。世が応を生じに行くのは我が和を求めること、応が世を生じに来るのは彼が和を求めることである。世応が生合しても変爻が刑冲するのは、口先で和して心では和していないことである。世応が冲剋しても変爻が相合するのは、初めは和さず終に和することである。生の中に刑を帯び、合の中に剋を帯び、また動して空に落ち空亡に化入るのは、みな仮意に和を言うのであって真心ではなく、軽く信じてはならない。
世應比和官鬼動,恐公家捉打官司;世應比和,亦是和解之象。卦無財,或落空,是財用不給,而欲和也。但得子動,月建日辰不相刑剋,必成和好。若世應生合比和,而官鬼卻動者,主官府捉打官司,不依和議。鬼爻休囚,是主詞人刁蹬。若有制,終成和議。
世応が比和して官鬼が発動すれば、おそらく官府が出て人を捕えて官司を打つ。世応の比和はもともと和解の象である。卦中に財爻がないか財爻が空に落ちれば、錢糧が足りないゆえに和したいのである。ただ子孫が発動し、月建・日辰が刑剋しに来なければ、必ず和好が成就する。しかし世応が生合比和しても官鬼があえて発動すれば、官府が人を捕えて案を問い、両造の和議に依らないことを主る。官鬼が休囚なら、出て告げた側が難題を吹っかけ苦しめるのである。それが制伏を受けさえすれば、終にまた議和できる。
卦爻安靜子孫興,喜親友勸和公事。世應生合比和,而六爻安靜者,不勸自和。世應雖不生合,而子孫發動者,必有勸和之人,和釋兩邊也。與世同宮,及世爻化出,是我親友;與應同宮,及應爻化出,是彼親友;在間爻,則是中證人也。若被世應動克,或鬼旺福衰,雖或勸和,不能依允。卦無子孫,及落空亡,必然無人兜留。
卦爻が安靜で子孫が興旺すれば、喜ばしいのは親友が出てこの官司を勧和することである。世応が生合比和し、六爻がみな安靜なら、人に勧められなくても自然に和する。世応が生合しなくても、子孫が発動すれば、必ず人が出て勧和し、両方のために化解する。勧和する人は誰か。子孫が誰と同宮かを見る。世と同宮か世爻から化出したのは我の親友、応と同宮か応爻から化出したのは相手方の親友、間爻の上に落ちるのは中人証人である。もし子孫が世応の動爻に剋され留められるか、官鬼が旺で子孫が衰なれば、勧和する人がいても両方は肯じ依らない。卦中に子孫がないか子孫が空亡に落ちれば、必ず出て取り持ち挽留する人がいない。
世空則我欲息爭;世空我欲息爭,應空他欲息爭。世應俱空,兩願消散,未成訟。世空告不成,應空事無頭緒。初告狀,世空,必有悔心,或遇變故,官司不理;應空,到頭走閃,不成訟。世空恐無主意,不能取勝;應空人不能齊,或對頭躲閃,不能結訟。
世爻が空に落ちるのは、我が事を息め人に寧らかにしたいことである。世が空なら我が訟を罷めたいこと、応が空なら彼が訟を罷めたいことである。世応がともに空に落ちれば、両方とも消停を願い、官司は起こせない。世が空なら狀を告げて成らず、応が空なら事に緒がない。まさに狀を告げようとする時、世が空なら必ず心に悔意が生じ、あるいは変故に遇い、官府は受理しない。応が空なら、結局相手が逃げ避け、訟事は成らない。世が空なら、おのれが主意を定められず勝てないことを恐れる。応が空なら、相手の人が揃わないか対頭が隠れて、官司が結案できない。
應動則他多機變。世動我必使心用謀。若化鬼,或化兄,回頭刑剋,反為失計。應動他有謀略,加月建,必有貴人倚靠;反傷世,必致大禍,宜世空避之則吉。間傷世位,須防硬證同謀;鬼克間爻,且喜有司明見。
応爻が発動すれば、相手の機変が多端であることを説明する。世爻が発動すれば、我は必ず心思を用い計謀を使う。それが官鬼を化出するか兄弟を化出して、回頭して自身を刑剋すれば、かえって失策である。応爻が発動すれば、彼に謀略がある。さらに月建を加えれば、彼には必ず倚靠できる貴人がいる。それが反って世爻を傷つければ、必ず大禍に至る。このとき世爻が空に落ちるのが宜しく、躲避するのを吉とする。「間傷世位、須防硬証同謀。鬼剋間爻、且喜有司明見」の二句は、間爻の上の中人証人について言うのである。中証が我を傷つけに来れば、彼が相手と串通して証言することを防がねばならない。官鬼が間爻を剋し留めれば、官府がその偽を明察するのを喜ぶべきである。
間爻為中證人。生世合世,必然向我;生應合應,則必向他。與世沖剋,與我有仇;與應沖剋,與彼有隙。若旺爻生應,衰爻合世,是助彼者有力,助我者無功。或靜生應,動克世,是向彼者雖不上前,怪我者偏來出頭也。若沖剋之爻反去生應合應,或與應爻比和,須防彼與中證人同謀陷害;若得鬼爻剋制,或被日辰沖散合住,是官府不聽其言,我得無事。間爻若受三刑六害,沖剋,中證必遭杖責。
間爻は中人証人を表す。それが世を生じ世を合せば、必ず我に向く。応を生じ応を合せば、必ず彼に向く。世と冲剋すれば我に仇があり、応と冲剋すれば彼に隙がある。旺爻が応を生じに行き衰爻が世を合しに来れば、彼を助けるのは有力で、我を助けるのは無用である。あるいは靜爻が応を生じ動爻が世を剋すれば、彼に向く者は頭を出さないのに、我を責める者だけが飛び出してくる。我を冲剋するその一爻が反って応を生じ応を合するか、応爻と比和すれば、相手方が中証人と合謀して陥れるのを防がねばならない。官鬼がそれを剋制するか、日辰に冲散・合住されれば、官府が彼の言葉を聴かないので、我は無事でいられる。間爻が三刑六害と冲剋を受ければ、中証人は必ず板子を食らう。
身乃根因事體,空則情虛;卦身一爻,乃詞訟根由。旺則事大,衰則事小;動則事急,靜則事緩。空亡不出現,皆是虛捏事故。飛伏俱無。毫釐不實;旺相空亡,一半真假。要知為何起訟,以所臨六親斷之。
卦身はこの官司の起因と事体であり、それが空に落ちれば事はもともと虚である。卦身のこの一爻は、すなわち詞訟の根由である。旺なら事は大きく、衰なら事は小さい。動なら事は急ぎ、靜なら事は緩い。それが空亡に落ちて現れなければ、すべて空から捏造した事故である。飛神・伏神がともになければ、さらに実据がまったくない。旺相でありながら空亡に落ちれば、半分が真・半分が偽である。一体なぜ訟を起したかを知るには、それが臨むのがどの六親かを見る。
如臨父母:是田房樹木,或為尊長起訟。臨兄:爭財鬥毆,門戶役事,或為兄弟朋友起訟。臨子:是漁獵六畜,僧道醫藥,卑幼起訟。臨財:是婚姻財物,妻妾奴僕起訟。臨官:是撇青放火,人命賊盜官災,或功名徭役起訟;婦人占,必為夫事;若臨螣蛇,則是被人牽連之事;持世切己事,臨應他人事。
卦身が父母に臨むのは、田地・房屋・樹木のために訟を起すか、尊長の事で訟を起す。兄弟に臨むのは、財を争い鬥毆するか門戸の差役の事、あるいは兄弟朋友のために訟を起す。子孫に臨むのは、漁獵・六畜・僧道・醫藥の事、あるいは卑幼のために訟を起す。妻財に臨むのは、婚姻・財物の事、あるいは妻妾・奴僕のために訟を起す。官鬼に臨むのは、「撇青」の投毒・放火して人を傷つける・人命案・盗賊・官府の災禍、あるいは功名・徭役のために訟を起す。婦人が占いに来れば、必ず丈夫の事である。官鬼が「螣蛇」に臨めば、人に牵连されて入った事である。卦身が世を持するのは切身の事、応に臨むのは他人の事である。
父為案卷文書,伏須未就。卦無父,案卷未成;父母旺空,文書未就;休囚空亡,其事不成。如帶刑爻,或臨敗病,必多破綻。化財亦然。化兄還欠筆削。死墓衰絕,皆不濟事。若被月建太歲沖剋,上司必要駁。太歲月建作合,上司必吊卷。有沖散,或克破,皆不依允。
父母爻は案卷文書を表し、それが伏蔵して現れなければ、案卷はまだ成っていない。卦中に父爻がなければ案卷は未成、父母が旺で空に落ちれば文書は未だ就かず、休囚でまた空亡に落ちればこの事は根本的に成らない。父爻が刑爻を帯びるか敗・病の地に臨めば、狀紙には必ず破綻が多い。財爻を化出しても同じである。兄弟を化出せば、文字はなお修改を欠く。父爻が死・墓・衰・絶に落ちても事に濟わない。それが月建・太歳に冲剋されれば、上司は必ず駁回する。太歳・月建に作合されれば、上司は必ず卷宗を調閲する。およそ冲散あるいは剋破に遇えば、みな准允されない。
鬼作問官,克應則他遭杖責;官為聽訟官。克世我遭責,訟必他勝;克應他遭責,訟必我勝。世應俱被傷,原被皆受責。若鬼爻雖刑剋,而文書卻有情,杖責須有,罪名則無。日為書吏,傷身則我受刑名。
官鬼は案を審く官員を表し、それが応爻を剋しに行けば、相手は板子を食らう。官鬼は訟を聴く官である。世爻を剋せば我が責罰を受け、官司は必ず彼が勝つ。応爻を剋せば彼が責罰を受け、官司は必ず我が勝つ。世応がともに傷つけられれば、原告・被告ともに責を受ける。官鬼が刑剋しに来ても文書の一爻が我と情があれば、板子は免れないが罪名は着けられない。「日為書吏、傷身則我受刑名」の一句は、日辰を衙門の書吏と見なすのであり、それが世爻を傷つければ我は官刑を食らう。
日辰能救事,能壞事。原被皆要此爻有情,則必有人看顧。若臨庭爭訟,則當以此爻為吏書。生合世爻,於我有益;生合應爻,於彼有益。沖剋應,沖壞彼事;沖剋世,沖壞我事。又如鬼動克世,而得日辰剋制,沖散合住者,是官府有怒於我,卻得傍人一言解之,而得寬宥也。
日辰は事を救うこともできれば、事を壊すこともできる。原告・被告ともにこの一爻と情があってこそ、照應する人がいる。すでに公堂で対訟に至れば、この一爻を書吏と見るべきである。それが世爻を生合すれば我に有益、応爻を生合すれば彼に有益、応爻を冲剋すれば彼の事を冲壊し、世爻を冲剋すれば我の事を冲壊する。またたとえば官鬼が発動して世爻を剋しに来るのに、日辰がそれを克制するか冲散するか合住することを得れば、それは官府がすでに我に怒りを動かしたのを、幸いに傍人の一言が間から解勸して、因りて寛宥を獲たのである。
逢財,則理直氣壯;占訟,以財為理。臨世我有理,臨應他有理。臨世而休囚死絕,我雖懦怯有濟;臨應而鬼來刑害,彼雖有理,而官府不聽。若遇兄,則主不能分辨。如占下狀,則財為忌爻。或發動,或持世,或值日辰,或帶月建,皆主不成。
卦中に財爻に遇えば、すなわち理直で氣が壮んである。訟を占うには財爻を「理」とする。財が世爻に臨めば我に理があり、応爻に臨めば彼に理がある。財が世爻に臨んで休囚死絶すれば、我は懦弱膽怯でも事は終に落ち着きがある。財が応爻に臨んでさらに官鬼が刑害しに来れば、彼は理があっても官府は肯じて聴かない。兄弟爻に遇えば、辨説が清まらないことを主る。ただし狀紙を遞せるか否かを占うなら、財爻はかえって忌神となる。それが発動するか世を持するか日辰に値するか月建を帯びるかすれば、みな狀子が遞せないことを主る。
遇兄,則財散人離。兄弟,破敗耗散之神。若在身世爻上,事必干眾;動則廣費資財;更化兄,或加白虎,必主傾家蕩產,財散人離。臨應爻,則以彼斷之。世入墓爻,難免獄囚之繫;世爻入墓化墓,或臨鬼墓,卦象凶者,必有牢獄之禍。墓爻衰弱,是箍禁籠中。臨白虎,在獄有病;自空化空,死於獄中。
卦中に兄弟爻に遇えば、財が散り人が離れる。兄弟はもともと破敗耗散の神である。それが卦身・世爻の上に落ちれば、事は必ず衆人に牵连する。一たび発動すれば大いに錢財を費やす。さらに兄弟を化出するか「白虎」を加えれば、必ず傾家蕩産・財散り人離れる。それが応爻の上に臨めば、相手方の情形に倣って断ずる。「世入墓爻」とは、世爻が墓に入れば牢獄の災いを免れないということである。世爻が墓に入るか墓を化するか鬼墓に臨み、かつ卦象が凶なら、必ず牢獄の禍がある。墓爻が衰弱なら、箍鎖で籠の中に囚禁される。「白虎」に臨めば獄中で病に罹る。自ら空亡に落ちるか空亡に化入れば、獄中で死ぬことになる。
官逢太歲,必非州縣之詞。鬼在本宮內卦,本州本縣詞;本宮外卦,事在本府;第五爻,撫按三司;六爻,事幹省部。外宮外卦,必發於外縣他州官問。官逢太歲,必干朝廷;逢月建,必涉臺憲。
官鬼爻が太歳に逢えば、この官司は必ず州縣の一級にとどまらない。官鬼が本宮の内卦にあれば本州本縣の訟事、本宮の外卦にあれば事は本府まで闹ぐ。第五爻に落ちれば巡撫・巡按と三司を牽動し、第六爻に落ちれば事は省部の衙門に關涉する。他宮の外卦にあれば、必ず外縣別州に發して審問する。官鬼が太歳に逢えば必ず朝廷に牵连し、月建に逢えば必ず臺諫・憲司に渉る。
內外有官,事涉一司終不了。官不上卦,無官主張。內外有官,權不歸一。主事體反覆,必經兩司,然後了事。不然,則有舊事再發,或被他人又告。官化官亦然。空則勿斷。上下有父,詞興兩度始能成。官父二爻不宜重見,主有轉變不定之象,其事必主纏綿,率難了結。如占告狀,遇有此象,再告方成。若月日動變,諸爻俱帶文書,重疊太過者,雖告數次,亦不能成。
内外卦にともに官鬼があれば、事は二つの衙門に牵涉して、終に了結できない。官鬼が卦に上がらなければ、主持する官員がいない。内外にともに官鬼があれば、事権が一か所に帰せず、案情が反復することを主り、必ず二つの衙門を経て初めて了結できる。さもなければ舊案が重發するか、また別人に一狀告げられる。官鬼が官鬼を化しても情形は同じである。空亡に落ちればこの断は作さない。「上下有父、詞興両度始能成」とは、上下にともに父母爻があれば、狀子は二回告げて初めて成るということである。官・父の両爻はいずれも重見するのが宜しくない。それは轉變不定の象で、事は必ず糾纏して了結し難い。狀を告げるのを占ってこの卦象に遇えば、さらに一度告げて初めて成る。月建・日辰・動爻・変爻の各爻がみな文書を帯びて重疊が甚だしければ、たとえ幾度告げても、依然として告げ成らない。
官父兩強,詞狀表章皆准理;妻財一動,申呈訴告總徒勞。凡欲上表申奏,申呈告訴等事,皆要官父兩全,有氣不空,則准理,缺一便不成。最怕財動則傷父,必不可成。若父雖旺相,財爻持世,或父動化財,皆主詞理未善,宜更改可成。卦無財爻,月建日辰帶財,亦不能成。
官鬼と父母の両爻がともに強ければ、詞狀と奏章はいずれも受理を獲られる。妻財が一たび動けば、申呈・告訴はすべて徒労となる。およそ表を上げて事を奏する・申呈して狀を告げる類は、いずれも官・父の両爻が俱全し、氣があって空に落ちなくて初めて准理され、一つを缺いても成らない。最も恐れるのは財爻が発動して父爻を傷つけに行くことで、それは必ず辦り成らない。父爻が旺相でも財爻が世を持するか、父爻が発動して財爻を化出すれば、みな狀詞の説理が周密でないことを主り、修改を加えて初めて成る。卦中に財爻がなくても、月建・日辰が財を帯びていれば、同様に成らない。
父旺官衰,雀角鼠牙之訟;父旺相,官休囚,詞狀幞頭雖大,事實細,故乃鼠才雀角之訟。父旺官空,或有父無官,主同狀雖善,官府卻不放告受詞。變衰動旺,虎頭蛇尾之人。凡世應旺動,是有併吞六國之勢。若變入死墓空絕,乃先強後弱,虎頭蛇尾之象。應以彼言,世以己言斷之。
父母が旺で官鬼が衰なら、雀角鼠牙の類の小さな訟である。父爻が旺相で官爻が休囚なら、狀紙の架構は大きく鋪いても実情は極めて瑣細である。ゆえに鼠牙雀角の争いという。父が旺で官が空に落ちるか、父があって官がなければ、狀子はよく書けても官府は告げを放して受理しないことを主る。「変衰動旺、虎頭蛇尾之人」とは、発動する時は旺相なのに変出したものは衰弱であることである。およそ世応が旺相で発動すれば、もともと六國を併呑する氣勢がある。死・墓・空・絶に変入れば、すなわち先強後弱・虎頭蛇尾の象である。応爻がかくの如きなら相手方を断じ、世爻がかくの如きなら自己を断ずる。
世若逢生,當有貴人倚靠;應衰無助,必無奸惡刁唆。世爻衰弱,遇月建日辰動爻生合,必有貴人扶持,彼亦無可奈何。應爻遇之,是彼有人扶持,我亦不能制勝於彼也。間爻生合,可得中證人力。鬼生合,得官府中人力也。
世爻が生扶を得れば、自然に倚靠できる貴人がある。応爻が衰弱で助ける人がなければ、奸惡の徒が傍から挑唆することはない。世爻が衰弱でも、月建・日辰・動爻が生合しに来るのに遇えば、必ず貴人の扶持があり、相手方もどうすることもできない。応爻がこのような生合に遇えば、それは彼に扶持する人がいるのであり、我も彼を壓し倒せない。間爻が生合しに来れば、中証人の助力を得られる。官鬼が生合しに来れば、官府の中の人の助力を得られる。
無合無生,縱旺何殊獨腳虎;有刑有克,逢空當效縮頭龜。應爻旺動,若無一點生合者,彼雖剛強有謀,乃是獨腳之虎,不足畏也。世無生合,是我勢孤無助。若遇月日動變,刑剋世爻,其象最凶。得世在空爻,謂空避。如訟未成,不告為上;若已成訟,當效縮頭之龜,勿與對理可也。否則必遭罪責。應逢刑剋而避空者,是彼有躲避之計,我亦不能施其謀也。
合もなく生もなければ、たとえ旺相でもただの独脚の虎である。刑もあり剋もあり、空に逢えば頭を縮める亀を学ぶべきである。応爻が旺相で発動しても、少しの生合もなければ、彼は剛強に謀があっても、ただの独脚の虎で恐るるに足らない。世爻が生なく合なければ、我は孤立して援がない。さらに月建・日辰・動爻・変爻が世爻を刑剋しに来れば、卦象は最も凶である。この時世爻がちょうど空爻の上に落ちていれば、これを「空避」という。官司がまだ起きていなければ、告げないのが上策である。すでに訟となっていれば、頭を縮める亀を学んで相手と堂で対質せず、さもなければ必ず罪責に遭う。反対に、応爻が刑剋に遇って落空で躲避するのは、相手方に別に躲蔵の計があるのであり、我も謀略を施展できない。
兄在間中,事必干眾;兄弟在間爻,詞內干犯牽連眾多。動則中證人貪索賄賂。沖剋應爻,索彼之財物也。兄弟逢空,事雖干眾,到官者少。化官傷世,若不用財買囑他人,必被其害。父臨應上,彼欲興詞。父母為文書。臨世,我欲告理;臨應,他欲申訴。動則事已行矣。化入死墓空絕,必不成事。若逢合住剋制,必有阻留者。
兄弟爻が間爻の中に挟まれば、この事は必ず衆人に牵连する。兄弟が間爻に落ちれば、狀詞に干犯し牽扯する人が多い。それが一たび発動すれば、中証人は賄を索ることを貪る。応爻を冲剋しに行けば、相手方に財物を索取するのである。兄弟が空に逢えば、事は衆人に牵连しても真に官府へ行く者は少ない。それが官鬼を化出して世爻を傷つければ、錢を出して人を買通しなければ、必ず彼の亏を食らう。「父臨応上、彼欲興詞」とは、父母爻が応の上に臨めば相手方が告げようと来るということである。父母は文書を表し、世に臨めば我が理を告げに行きたいこと、応に臨めば彼が申訴しに行きたいことである。一たび発動すれば、事はすでに辦められている。それが死・墓・空・絶に化入れば必ず事を成さず、合住されるか克制されれば、人が間から阻攔し滞留させるのである。
父動而官化福爻,事將成而偶逢兜勸;父空而身臨刑殺,詞未準而先被笞刑。凡占告訴,遇官父兩動,其事可成。若父化子傷克官,或官化子刑沖父,必主身到公門,將投詞而有人兜勸。若父化空亡墓絕,官鬼刑剋世爻,或帶自刑,或被日辰沖剋,告狀且不准,先遭杖責也。若官父皆旺,而有此象,雖被杖責,事必可成。
父母爻が発動して官鬼が子孫を化出せば、事が成ろうとする時にあえて人が出て勧阻する。父母爻が空に落ちて卦身が刑煞に臨めば、狀子がまだ准じられないうちに先に板子を食らう。およそ狀を告げるのを占い、官・父の両爻がともに発動するのに遇えば、この事は成る。父爻が子孫を化出して官爻を傷剋しに行くか、官爻が子孫を化出して父爻を刑冲しに行けば、必ず人がすでに衙門口に到り、まさに狀紙を投遞しようとする時に人が上って勧解するのである。父爻が空亡・墓絶に化入り、官鬼がまた世爻を刑剋するか自刑を帯びるか日辰に冲剋されれば、狀子は准じられず、かえって先に一頓の杖責を食らう。ただし官・父の両爻がともに旺相でこの象が現れれば、板子を食らっても事は終に辦り成る。
妻動生官,須用資財囑託;父母有氣,不帶刑害,不臨敗病,不被沖剋,則詞理中式,事必可成。若鬼休囚死絕,亦難准理。遇有財動生扶,可用資財謀幹,然後有望。若訟已成,卦有此象,必須用財囑託官吏,姑待鬼爻生旺月日,方能成事。更遇子孫發動,仍復無氣,雖費資財,亦無所益。
妻財爻が発動して官鬼を生じに行けば、必ず錢財を動かして請託し打點せねばならない。父母爻に氣があって刑害を帯びず、敗・病の地に臨まず、冲剋もされなければ、狀詞は格式に合して事は必ず辦り成る。官鬼が休囚死絶なら、受理を獲ることも難しい。この時財爻が発動して官鬼を生扶しに来るのに遇えば、錢財をもって謀り打點して、然る後に望みがある。官司がすでに起きて卦中にまたこの象があれば、必ず錢を用いて官吏に託請し、さらに辛抱して官鬼が生旺する月日を待って初めて事が辦り成る。さらに子孫が発動して官鬼が反って無氣なら、錢財はたとえ使っても毫も益がない。
世興變鬼,必因官訟亡身。世持鬼,我失理;應持官,他失理。世變鬼,恐因官事而喪命;應變鬼,以彼斷之。無故自空,亦有大難。若世臨鬼爻克應,或應臨鬼克世,主兩邊俱有罪責。鬼在世,我做招頭;鬼在應,他做招頭也。
世爻が発動して官鬼を変出せば、この官司のために命を送ることを恐れる。世爻が官鬼を持せば我が理に欠け、応爻が官鬼を持せば彼が理に欠ける。世爻が官鬼を変出せば、おそらく官司のために命を喪う。応爻が官鬼を変出せば、相手方に倣って断ずる。世爻が故なく自ら空亡に落ちても、大難があることを主る。世爻が官鬼に臨んで応を剋しに行くか、応爻が官鬼に臨んで世を剋しに来れば、両方ともに罪責があることを主る。官鬼が世爻にあれば我が首犯をなし、官鬼が応爻にあれば彼が首犯をなす。
子在身邊,到底不能結證;官伏世下,訟根猶未芟除。卦身臨福德,其事必不見底;出現發動,隨即消散。若占散事,得子動或世空,皆吉。惟怕本宮鬼伏世下,則訟根常在。目下雖不成訟,至官旺相月日,仍舊舉發也。
子孫爻が卦身の傍にあれば、この案は到底結ばれない。官鬼が世爻の下に伏せば、訟事の根はまだ剷除されていない。卦身が「福徳」に臨めば、この事は必ず底が見えない。子孫が現れて発動すれば、官司はたちどころに消散する。専らこの事の了結を占うなら、子孫の発動か世爻の落空を得れば、みな吉とする。最も恐れるのは本宮の官鬼が世爻の下に伏することであり、そうなれば訟の根は始終まだ在る。目下は訟とならなくても、官鬼が旺相する月日を待てば、舊事は依然として發作する。
墓逢日德刑沖,目下即當出獄;歲挈福神生合,獄中必遇天恩。世墓鬼墓爻動,皆是入獄之象。若得日辰刑沖剋破,目下即當出獄,不久禁錮也。在獄占卜,最喜太歲生合世爻,主有天恩赦宥。月建生合,上司審出;日辰生合,有司饒恕;父母生合,必須申訴而後獲免也。
墓爻が日辰の徳の刑冲に遇えば、目下にも出獄すべきである。太歳が福神を携えて生合しに来れば、獄中で必ず皇恩に遇う。世墓・鬼墓の爻が発動するのは、みな入獄の象である。日辰の刑・冲・剋・破を得れば、目下にも出獄すべきで久しく禁じられない。獄中で占うには、太歳が世爻を生合するのを最も喜び、天恩の赦免があることを主る。月建が生合するのは、上司が審を提して釋されること。日辰が生合するのは、本管の衙門が寛饒すること。父母が生合するのは、必ず狀を遞して申訴した後に初めて罪を免れられることである。
若問罪名,須詳官鬼;凡卜罪名輕重,以鬼爻定之。旺則罪重,衰則罪輕。帶刑加白虎旺動克世,金受極刑;火主充軍;木主笞杖;水土徒罪。須以衰旺,有制無制斷之,不可執滯。
罪名の軽重を問うなら、官鬼爻を細かく見ねばならない。およそ罪名の軽重を卜るには、いずれも官鬼爻をもって断ずる。旺なら罪は重く、衰なら罪は軽い。それが刑を帯び「白虎」を加えて旺相発動して世を剋しに来れば、金に属するのは極刑を主り、火に属するのは充軍を主り、木に属するのは笞杖を主り、水と土に属するのは徒刑を主る。なおその衰旺・制の有無に依って判断せねばならず、條文に死守してはならない。
要知消散,當看子孫。要知消散日期,若福動鬼靜,以子孫生旺月日斷;鬼動福靜,以官墓月日斷。二爻俱靜,若鬼旺福衰,以鬼爻墓絕日斷;福旺鬼衰,以沖動福爻日斷。二爻俱動,若福有制伏,則看鬼爻;鬼有制伏,則看制伏之爻。見官日則專看鬼爻;出獄日期則看破墓月日,或生合世爻月日。卦象既成,勝負瞭然明白;訟庭一剖,是非判若昭彰。
官司がいつ消散するかを知るには、子孫爻を見るべきである。消散の日期を推斷するには、子孫が発動して官鬼が安靜なら、子孫が生旺する月日をもって断ずる。官鬼が発動して子孫が安靜なら、官鬼が墓に入る月日をもって断ずる。両爻がともに安靜なら、官鬼が旺で子孫が衰なら官鬼が墓絶する日をもって断じ、子孫が旺で官鬼が衰なら子孫を冲动する日をもって断ずる。両爻がともに発動すれば、子孫がすでに制伏されていれば官鬼を見、官鬼がすでに制伏されていればそれを制伏した爻を見る。何日に堂を過ぎて官に見えるかは専ら官鬼爻を見、何日に出獄するかは墓爻を冲破する月日か世爻を生合する月日を見る。卦象がすでに排定されれば勝負は一目了然であり、訟庭の上で一たび剖断されれば、是非曲直もまた昭然として分明である。
