Libo

『黄金策』第二十八・行人

明 · 姚际隆 · 第29巻 / 31

作盤ガイド: 六爻納甲の立卦, 大衍筮法

人為利名,忘卻故鄉生處樂;家無音信,全憑周易卦中推。要決歸期但尋主象。官員公吏看官爻,僧道卑幼看福爻,妻妾奴婢看財爻,兄弟朋友看兄爻,尊長老人看父爻。不在六親之中者,看應爻。

人は名利のために外で奔波し、竟に故郷・生長の地の安樂を忘れてしまう。家中に久しく音信がなければ、全く『周易』の卦象に憑って推斷するのみである。行人の歸期を判定するには、ただ彼を代表するその一爻、すなわち「用神」の主象を見定めればよい。占うのが官員・衙門の公吏なら「官鬼」爻を見、僧道や晩輩・幼小なら「子孫」爻を見、妻妾・奴婢なら「妻財」爻を見、兄弟・朋友なら「兄弟」爻を見、尊長・老人なら「父母」爻を見る。問う人が六親の列にいなければ、応爻を見る。

主象交重身已動;用爻安靜未思歸。用爻即主象。動則行人已行。看在何爻,便知人在何處。如在初二爻,方發足;在三四爻,將到門;在五爻,在中途;在六爻,還在地頭,歸期尚遠。用爻不動,日辰動爻又無沖並者,安居異鄉,未有歸念也。克速生遲,我若制他難見面;用爻動,歸期可擬。日辰若克世,人必速至;生世合世,人必歸遲。最怕世爻剋制用爻,乃未能歸。

主象の爻が發動すれば、人はすでに路に上がっている。用爻が安靜不動なら、人はまだ郷に歸る念を動かしていない。用爻とは前に言う主象である。それが一たび發動すれば、行人がすでに起程したと説明する。それがどの爻に落ちているかを見れば、人がどこに到ったかが分かる。初爻・二爻なら、ようやく身を動かしたばかり。三爻・四爻なら、家門に近づく。五爻なら、なお半途にある。六爻なら、依然として他郷に滯留し、歸期はなお遠い。用爻が動かず、日辰と動爻がまたみなそれを冲しに來ず併せに來なければ、それは異郷に安居して、まだ歸ろうと思っていない。用爻が來て世を剋すのは到るのが早く、來て世を生ずるのは歸るのが遲い。我の方が反って彼を制すれば、見ることが難しい。用爻がすでに動せば、歸期は推測できる。日辰が世爻を剋せば、人は一定にすぐ到る。世を生じ世を合せば、人は反って歸るのが遲い。最も恐れるのは世爻が反って用爻を克制することで、そうなれば歸って來ない。

三門四戶,應如合世即還家。三爻為門,四爻為戶。臨用爻動,歸程已近。更得應爻動爻克世生世,而用爻又無制伏者,人即到家,可立而待也。動化退神,人既來而復返;凡寅動化卯,巳動化午類,謂進神;酉動化申,子動化亥類,謂退神。用爻若化進神,行人急急回來,不日可望;化退神,行人雖來仍復返;空動亦然。看臨何爻,便知何處轉去。要知行幾里路去,以生成數斷之。如一六水數,二七火數,三八木數,四九金數,五十土數。陽爻以天數推,陰爻以地數推;生旺倍加,死絕減半。

三爻を門とし、四爻を戸とする。応爻が來て世爻と相合すれば、人はまもなく家に到る。三爻を「門」といい、四爻を「戸」という。用爻がこの兩爻の上に臨んで發動すれば、歸程はすでに甚だ近い。さらに応爻や動爻が來て世を剋し世を生じ、用爻がまた制伏されていなければ、その人は立刻に家に到る。立って待てばよい。用爻が發動して「退神」を變出せば、人はすでに路の上にあるがまた折返す。およそ「寅」が動して「卯」に變じ、「巳」が動して「午」に變ずる類の順に前へ往くのを「進神」といい、「酉」が動して「申」に變じ、「子」が動して「亥」に變ずる類の退き返るのを「退神」という。用爻が進神を化すれば、行人は急いで歸り赶り、數日ならずして盼える。退神を化すれば、行人はすでに身を動かしたがなお返回する。用爻が空で發動するのも同じである。それがどの爻に臨むかを見れば、どこから折返したかが分かる。彼が何里の路を行ったかを推算するには、五行の生成の數をもって断ずる。一と六は水數、二と七は火數、三と八は木數、四と九は金數、五と十は土數である。陽爻は天數を取って推算し、陰爻は地數を取って推算する。爻が生旺に逢えば倍にし、死絶に逢えば半減する。

靜生世位,身未動而懷歸。六爻安靜,人必未歸。若應生世合世,或世應比和,用爻生合世爻者,身雖未動,已有歸意。但看沖動月日起程,生旺旬日必來。有氣主速到,無氣主遲滯。若遇暗沖,睹物起傷情之客況;卦爻不動,本無歸意。若得日辰沖動應爻或用爻者,必然睹物思鄉,方欲起意回家。日辰雖沖,而月建動爻剋制者,縱有客況,亦難起程也。

用爻が安靜なのに來て世爻を生ずれば、人はまだ身を動かしていないが、心裏にはすでに歸ろうと思っている。六爻がともに安靜なら、人は一定にまだ歸って來ない。ただし応爻が世を生じ世を合するか、世応の兩爻が五行相同で比和するか、用爻が來て世爻を生合すれば、人は未だ身を起さないが歸意は已に有る。どの月日にそれを冲动し得るかを見れば、それが起程の期である。爻が生旺に逢えば、十天の內に必ず到る。用爻に氣があれば到るのが速いことを主り、無氣なら遲滯を主る。日辰が暗中に來て冲するのに遇えば、それは他郷で景を見て情を生じ、傷感を動かしたのである。卦爻がともに動かなければ、もとより歸意がない。日辰が応爻や用爻を冲动することを得れば、それは必ず景に觸れて鄉を思い、ようやく家に歸る念頭を起したのである。ただ日辰が來て冲しても、「月建」や動爻がまた來て克制すれば、たとえ客中の愁緒を滿懐しても、なお起程し難い。

如逢合住,臨行有塵事之羈身。用爻發動,固是歸兆。若遇動爻日辰作合,謂之合住。其人雖欲回家,因事絆住,不得歸來也。如被父母合住,必因長上所留,或因文書阻滯;財爻合住,必因婦人迷戀,或因財物淹留;兄弟合住,多因朋友同伴,口舌所阻;子孫合住,必因小口,六畜僧道所阻;官鬼合住,帶吉,則貴人所留;加凶,是火盜官災絆住。

用爻が合住されれば、それは臨行に俗務が身に纏ったのである。用爻が發動するのは、もとより歸來せんとする征兆である。動爻や日辰がそれと相合するのに遇えば、それを「合住」という。その人は家に歸りたいと思うが、事に絆されて歸れない。なんの爻に合住されたかを見れば、なんの事かが分かる。「父母」爻に合住されれば、必ず尊長が挽留したか、文書・公文に因って耽搁されたのである。「妻財」爻に合住されれば、必ず婦人に迷戀したか、財物のために滯留したのである。「兄弟」爻に合住されれば、たいてい朋友・同伴か、口舌・是非の阻挠による。「子孫」爻に合住されれば、必ず小兒女・牲畜か、僧道の事に阻まれたのである。「官鬼」爻に合住されれば、吉神を帶びれば貴人の挽留であり、凶神を加えれば火災・盗賊・官司が彼を絆したのである。

世克應而俱動,轉往他方;凡占行人,卦爻宜動不宜靜。世動歸心必切,應動身已登程。若動世克動應,行人雖來,而往他處,非歸家也。用爻動而生合應爻者,同此推斷。應比世而皆空,難歸故里。應為客鄉,世為家鄉。應爻生世合世,是行人思家之象,可望其歸也。世應比和,本非歸兆,必得用爻動來克世合世,乃能歸耳。惟怕應爻空亡,雖來亦必遲緩。更與世爻皆空,則欲來不來,必無準實,難望其歸來也。若應不空,而世獨空亡者,又主行人已離彼處,反主歸速也。用爻更動,可立而待也。

世爻と応爻がともに發動して世がまた応を剋すれば、行人は別處へ轉じて往ったのである。およそ行人を占い、卦爻は動を宜とし靜を宜としない。世爻が動すれば、家裏の歸を盼ぐ心は必ず切である。応爻が動すれば、人はすでに登程した。ただし發動する世爻が發動する応爻を剋していれば、その行人は路の上にはいるが別處へ往くのであって、家に歸るのではない。用爻が發動して応爻を生合しに往くのも、これに照らして断ずる。応爻と世爻が比和して兩爻がまたともに空なら、故里に歸り難い。応爻は客居の他郷を表し、世爻は家郷を表す。応爻が世を生じ世を合すれば、行人が家を思う象で、彼の歸りを盼ぐことができる。世応が比和すれば、もとより歸來の兆ではなく、必ず用爻が發動して世を剋し世を合しに來て初めて歸って來られる。最も恐れるのは応爻が空亡に落ちることで、そうなればたとえ歸って來ても一定に遲緩である。さらに世爻までも空なら、それは來たいが來られず、毫も准信がなく、彼が歸來するのを望み難い。もし応爻が空でなくただ世爻のみが空なら、反って行人がすでにあの處を離れたことを主り、歸期は反って早い。用爻がさらに發動すれば、立って待つだけである。

遠行最怕用爻傷,尤嫌入墓;遠出行人,若得用爻出現,不臨空亡,不受傷克,卦有財福,便主在外吉利,雖歸遲無妨。在死墓絕地,或日月動變刑剋,皆主不利。若用爻無故自空,或變入死墓空絕,或忌爻乘旺帶殺發動,或卦無用爻,應又空者,皆當以死斷之。近出何妨主象伏,偏利逢沖。家內近出行人,用爻伏藏,必有事故不歸。若得日辰動爻沖之,則便歸。或無日辰動爻相沖,至沖動日時即到。用爻安靜,亦依此斷。不歸事,詳見下。

遠行の人を占い、最も恐れるのは用爻が傷つくことで、殊にそれが墓に入るのを忌諱する。遠く出て外にいる人は、用爻が明らかに卦中に現れ、空亡に落ちず、傷剋を受けず、卦中にまた「妻財」「子孫」があれば、彼が外で吉利であることを主り、たとえ歸期が遲くても妨げない。用爻が死・墓・絶の地に落ちるか、あるいは日辰・月建・動爻・變爻に刑剋されれば、みな不利を主る。もし用爻が故なく自ら空亡に落ちるか、あるいは死・墓・空・絶に變入るか、あるいはそれを剋する忌爻が旺に乘じ凶殺を帶びて發動するか、あるいは卦中にそもそも用爻がなく応爻がまた空なら、これら幾つかの情形はみな人が已に亡故したとして断ずる。近處に出門した人に至っては、用爻が伏蔵してもむしろ妨げなく、反って冲に遇うを喜ぶ。家門の附近へ出た行人は、用爻が伏して現れなければ、必ず事があって耽搁して歸らないのである。日辰や動爻が來てそれを冲するを得れば、人は立刻に歸る。當下に日辰・動爻の相冲がなければ、それを冲动するその日時を待てば到る。用爻が安靜不動なのも、これに照らして断ずる。歸らない種種の緣由に至っては、下文に詳しく見るべし。

若伏空鄉,須究卦中之六合;用爻空亡,必須中間克破伏上飛神,方得露出伏神為用。否則終被把住,雖有提起之爻,亦何用哉!若得伏於空亡爻下,一遇動爻日辰六合,即出為用,行人可望其歸。六沖尤妙。更決歸期,亦以沖合月日定之。若伏神自遇空亡,恐作他鄉之鬼,必無歸日。如藏官下,當參飛上之六神。用爻伏官鬼爻下,必為凶事所羈。如臨青龍,必因酒色成病不歸;臨朱雀,必因官非口舌不歸;臨勾陳,蹼跌損傷;臨螣蛇,牽連驚恐;臨白虎,臥病不起;臨玄武,被盜失財不歸。凡遇土鬼為病,火鬼為訟,勿論六神可也。卦無官鬼,亦依上斷。

用爻が空亡の處に伏していれば、卦中に「六合」があるか否かを見ねばならない。用爻が空亡の時は、必ず別の爻がその中から伏神の上に壓る「飛神」を剋破してこそ、伏神は顯露して用神として使える。さもなければ伏神は終に飛神に把持され、たとえそれを提起し得る爻があっても何の用かあろう。もし伏神がまさに一個の空亡の飛神の下に伏していて、一たび動爻や日辰がそれと六合するに遇えば、それは立刻に出て用を為し、行人は歸來を望み得る。「六冲」に逢って飛神を冲開すれば、それはさらに妙である。歸期を推定するに至っても、相冲・相合の月日をもって定める。もし伏神自身がまた空亡に逢えば、おそらく已に他郷の鬼と作り、歸來の日は絶えてない。用爻が「官鬼」の下に蔵れていれば、その上に壓るその飛爻が臨む六神を参看せねばならない。用爻が官鬼爻の下に伏すれば、必ず凶事に羈絆されている。「青竜」に臨めば、必ず酒色に因って病を致して歸らず、「朱雀」に臨めば、必ず官司・口舌に因って歸らず、「勾陳」に臨めば、跌仆・損傷であり、「螣蛇」に臨めば、牽連されて驚恐し、「白虎」に臨めば、病に臥して起きず、「玄武」に臨めば、盜まれ財を失って歸らない。およそ土爻の鬼に遇えば疾病を主り、火爻の鬼は訴訟を主り、この二種は六神を再び論ずるに及ばない。卦中にもともと官鬼がなくても、上のように断ずる。

兄弟遮藏,緣是非而不返;用爻伏在兄爻下,必有是非口舌,爭鬥事不歸。加朱雀為賭博,化官鬼為失財,臨白虎為風波。子孫把住,由樂酒以忘歸。用爻伏於子孫下,必為遊樂、飲酒、田獵、串戲、走馬而不歸也。不然,亦為六畜之故,小兒之事,僧道之阻,所以不得歸家。

用爻が「兄弟」爻に遮蓋・蔵住されれば、是非・糾紛のために歸らないのである。用爻が兄弟爻の下に伏すれば、必ず是非・口舌、争鬪・打鬧の事があって彼を歸らせない。兄弟爻にさらに「朱雀」を加えれば賭博であり、「官鬼」を變出せば錢財を丟したのであり、「白虎」に臨めば風波に遇ったのである。用爻が「子孫」爻に把持されれば、遊びと酒を貪って家に歸るを忘れたのである。用爻が子孫爻の下に伏すれば、必ず遊樂・飲酒・打獵・看戲・跑馬のこれらの事のために歸らない。さもなければ、また牲畜・小兒女の事のためか、あるいは僧道に牽絆を受けて、ゆえに家に歸れないのである。

父為文書之阻滯;用爻伏於父爻下,必為文書阻節,或為手藝不歸。不然,則是尊長所留。卦無父母,或落空亡,必無路引。動化空,路引己失;父化父,兩人合一引。財因買賣之牽連。用爻伏於妻財下,必為經營買賣之故而不歸。財爻空亡,或遇兄劫,多因折本。財臨有氣,或遇生扶,必有利息,故忘家也。若臨青龍玄武,必是迷花不返。

用爻が「父母」爻の下に伏すれば、文書・公文に阻滯されたのである。これは必ず文書の手續が卡ったか、あるいは手藝の活計のために身を脫せられない。さもなければ、尊長に留められたのである。卦中にそもそも父母爻がないか、父母爻が空亡に落ちれば、通行の路引文書がないのである。父母爻が動して空に變ずれば、路引は已に遺失した。父母爻が父母爻を變出せば、二人が一張の路引を合用している。用爻が「妻財」爻の下に伏すれば、賣買・生意に牽連されたのである。これは必ず經營・賣買の緣故で歸らないのである。財爻が空亡するか「兄弟」爻に劫奪されれば、たいてい本を折った。財爻に氣があるか生扶を得れば、それは必ず賺頭があるから、樂しんで家を忘れたのである。財爻がさらに「青竜」「玄武」に臨めば、それは必ず女色に迷戀して歸ろうとしない。

用伏應財之下,身贅他家;用爻伏於應上,妻財之下,必然身贅他家,不思歸也。財動生合世爻,掣婦歸家。財爻若與伏神不相生合,乃是與人掌財,或是倚靠他家,非婚婿也。主投財庫之中,名留富室。用爻伏於財庫下,其人必在富家掌財。伏神衰絕無氣,則是傍他度活耳。若得用爻出現,在財庫爻動,異日必然滿載而回。更加青龍月建,尤為稱意。

用爻が応爻の「妻財」の下に伏すれば、この人は他家に入贅したのである。用爻が応爻の上・妻財爻の下に伏すれば、必然として他家に招贅されて歸ろうと思わない。財爻が發動して世爻を生合しに來れば、それは媳婦を帶びてともに家に歸るのである。もし財爻と伏神が相生・相合しなければ、それはただ人のために錢財を掌管するか、あるいは投告・依傍して别人家についているのであり、女婿を為すのではない。用爻が「財庫」の中に投ずれば、名を富室に挂けたのである。用爻が財庫の爻の下に伏すれば、この人は必ず富貴の人家で財物を掌管している。伏神が衰絶無氣なら、それはただ人家に依傍して口の飯を混じて食うに過ぎない。用爻が顯露し出て、また財庫の爻の上で發動するを得れば、後日必ず滿載して歸る。さらに「青竜」と「月建」を加臨すれば、殊に意にかない心のままである。

五爻有鬼,皆因途路之不通;鬼在五爻動,必是途路梗塞不通,故不歸也。五爻若遇忌殺發動,亦然。五爻空亡,亦是道路不通之象也。一卦無財,只為盤纏之缺乏。卦中動變月日,皆無財爻者,為無路費,故不歸。有財無故自空者,亦然。行人原為財利者,必不遂意。墓持墓動,必然臥病呻吟;用爻入墓化墓,或持鬼墓,或卦有鬼墓爻動,或用伏於鬼墓爻下,皆主病臥他家,故不回也。若伏官爻下,亦然。帶朱雀,或化文書,必在獄中,非病也。

五爻の上に「官鬼」があれば、みな道路が通じないためである。鬼爻が五爻で發動すれば、必ず路途が梗塞して行き通えず、ゆえに歸らない。五爻が用神を剋する忌殺の發動に遇うのも同じである。五爻が空亡に落ちるのも、同じく道路不通の象である。一卦の中に「妻財」がなければ、それはただ盤纏が乏しいのである。卦中の動爻・變爻および月建・日辰に、すべて財爻が見えなければ、路費がないので歸って來られない。卦中に財があるのに故なく自ら空亡に落ちるのも同じである。行人はもともと財利のために出たのだから、それでは必ず願いのごとくならない。用爻が墓を帶びまた墓に化入れば、人は必ず病に臥して呻吟する。用爻が墓に入りまた墓に變入るか、あるいは鬼墓を帶びるか、あるいは卦中に鬼墓の爻が發動するか、あるいは用爻が鬼墓の爻の下に伏すれば、みな彼が别人家で病に倒れたことを主り、ゆえに歸って來られない。官鬼爻の下に伏しても情形は同じである。さらに「朱雀」を帶びるか、あるいは文書の爻を變出せば、それは牢の中に關められたのであって、病ではない。

世合世沖,須用遣人尋覓。用爻安靜,得世爻發動,沖起合起者,必須自去尋覓,方能歸。用爻伏藏,得世爻提起;用爻入墓,得世爻破墓;皆用尋覓方回。合逢玄武,昏迷美色不思鄉;六合卦,玄武財動;或用臨玄武,動而遇財爻合住;或用伏玄武財下;或卦有三合財局,而玄武亦動其中者;皆主行人在外貪花戀色,不思故鄉也。若得動爻日辰,沖破克破合爻,庶有歸日。若用臨玄武化鬼,或伏玄武鬼下,而財爻不相合者,其人在外,必為盜賊。不然,亦被盜攀害,故不歸也。

世爻が用爻を合しに往き、用爻を冲しに往けば、それは人を遣って前に尋ねなければならない。用爻が安靜不動で、世爻の發動に靠ってそれを冲起あるいは合起させれば、必ず家裏の人が自ら尋訪に往いてこそ、人は歸って來られる。用爻が伏蔵して世爻に靠ってそれを提起させ、用爻が墓に入って世爻に靠って墓を冲破させるのも、みな尋訪に往いてこそ接して還せる。卦が「六合」に逢ってまた「玄武」に遇えば、人は美色に迷って郷に歸るを思わない。およそ六合卦を占得して玄武が財爻に臨んで發動するか、あるいは用爻が玄武に臨んで發動するのに財爻に合住されるか、あるいは用爻が玄武の財爻の下に伏するか、あるいは卦中に三合の財局を結成して玄武もその中にあって發動すれば、みな行人が外で女色を貪戀して故郷を思わないことを主る。動爻や日辰があの來合する爻を冲破・剋破するを得てこそ、歸來の日がある。もし用爻が玄武に臨んで「官鬼」を變出するか、あるいは玄武の鬼爻の下に伏して、財爻がまたそれと相合していなければ、それはこの人が外で必ず盗賊を為したのであり、さもなければ盗賊に攀扯・陷害されたので、歸って來ないのである。

卦得游魂,漂泊他方無定跡。游魂卦應爻發動,行人東遊西走,不在一方。用在五爻動,亦然。游魂化游魂,行跡不定;游魂化歸魂,遊遍方歸。日並忌興休望到;身臨用發必然歸。剋制主象者,為忌爻。若在卦中發,或臨身世,或帶日辰,或被日辰沖並,皆主不歸。若得用臨卦身,出現發動,則必回來。若持世動,亦可望其歸。

「游魂卦」を占得すれば、人は外に漂泊して定まらず、行蹤は尋ね難い。游魂卦で応爻がまた發動すれば、行人は東に游び西に盪い、一處に固定しない。用爻が五爻の上で發動しても同じである。游魂卦が游魂卦を變出せば、行跡はさらに飄忽として定まらない。游魂卦が歸魂卦を變出せば、それは游び遍してから歸るのである。忌爻が日辰に併起されて興旺すれば、彼が家に到るのを望むな。卦身が用爻に臨んで發動すれば、人は必ず歸來する。およそ主象・用神を克制するものを「忌爻」という。忌爻が卦中で發動するか、卦身と世爻に臨むか、日辰を帶びるか、日辰に冲起・併起されれば、みな人が歸らないことを主る。用爻がまさに「卦身」に臨んで、また顯露して發動すれば、それは一定に歸る。用爻が世を持して發動しても、彼の歸來を盼ぐことができる。

父動卦中,當有魚書之寄;凡占行人,卦有父動,必有音信寄來。生世合世,持世克世,皆主來速;世生世克,則來遲。化出喜爻,或化福爻,是喜信;或化忌爻,或化官爻,是凶信。動空化空,是虛信;加螣蛇化兄,亦恐未的。父化父,兩次信來。若逢合住,音信被人沉匿;或帶書人有事,稽延在途,未能到也。若逢沖散,書信已失。重爻則已報過。財興世上,應無雁信之來。凡占望信,遇父爻衰靜,或空或伏,或有財動,或財爻旺臨身世,皆主無信。卦有動爻,化出父母生合世爻,即是其人傳信也。如兄化出,朋友寄來類。

卦中の「父母」爻が發動すれば、書信が寄せられて來るべきである。およそ行人を占い、卦に父母の發動があれば、必ず音信が寄到する。父母が來て世を生じ世を合するか、あるいは世を持し世を剋すれば、みな信が來るのが速いことを主る。反って世爻からそれを生じそれを剋しに往けば、信は來るのが遲い。父母が喜神の爻や「子孫」の福爻を變出すれば、喜信である。忌爻や「官鬼」爻を變出せば、凶信である。父母が動して空に落ち、變じて空に入れば、虚信である。さらに「螣蛇」を加えまた「兄弟」を變出せば、おそらく確實でもない。父母が父母を變ずれば、前後二回の來信である。父母が合住されれば、信は人に扣壓・藏匿されたか、あるいは信を捎ぶ人に事があって路の上で耽搁し、まだ送り屆かれないのである。冲散されれば、書信は已に遺失した。父母爻が「重」爻なら、それは已に報じた舊信である。「妻財」が世爻の上で發動すれば、書信は來ない。およそ音信を盼望するを占い、父母爻が衰弱安靜なのに遇うか、空亡か伏蔵か、あるいは卦中に財爻の發動があるか、あるいは財爻が旺相で卦身・世爻に臨むかすれば、みな信がないことを主る。卦中に動爻があって父母を變出して世爻を生合せば、それはこの人が彼のために傳えた信である。たとえば「兄弟」爻が父母を變出すれば、すなわち朋友が捎て來たのである。

欲決歸期之遠近,須詳主象之興衰。用爻旺相,歸必速;休囚,歸必遲。生旺墓日歸;休囚死絕,生旺日歸。安靜,沖動日歸。發動,即以本爻定其月日。或入墓,或合住,以破墓破合日定之。靜而有沖者,以六合日斷之;動而剋制者,以三合日斷之。代占,以應爻論之。遠以年月斷,近以日時推。獨發之爻,亦可推之。如子爻動,即取子日為歸期。動處靜中,含蓄許多凶吉象;天涯海角,羈留多少利名人。

歸期の遠近を判定しようとすれば、用神・主象の旺衰を細看せねばならない。用爻が旺相なら、歸來は必ず速い。休囚なら、歸來は必ず遲い。用爻が生旺なら、それが墓に入るその日を取って歸るとし、用爻が休囚死絶なら、反ってそれが生旺するその日を取って歸るとする。用爻が安靜なら、それを冲动するその日を取って歸るとし、用爻が發動なら、この一爻自身の地支に照らして月日を定める。用爻が墓に入ったか合住されれば、墓庫を冲破し合局を冲破するその日を取る。用爻が安靜で爻が來てそれを冲するのは、それと六合するその日をもって断じ、用爻が發動して克制されたのは、それと三合を結成するその日をもって断ずる。別人に代わって占うなら、応爻をもって論ずる。歸期の遠いのは年月をもって断じ、近いのは日時をもって推す。卦中の唯一發動するその一爻もまた、これに據って推算できる。たとえば「子」爻が發動すれば、すなわち子の日を取って歸期とする。動靜の間に、許許多多の吉凶の象が含蔵されている。天涯・海角に、多多少少の名利に奔逐する人が羈留しているのである。

『黄金策』第二十九・舟船

凡卜買船,斷同船戶。凡卜買船吉凶,與船戶人占一同推斷。若船戶自來占卜,要同家宅,斷之為是。六親持世,可推新舊之由;財福持世,是新船;父母持世,是舊船;兄弟持世,半新半舊;鬼爻持世,災驚不利。諸鬼動臨,可識節病之處。金鬼釘少,土鬼灰少,木鬼有縫,水鬼有漏孔處,火鬼有燥裂。初二爻為前艙,要持財福;五六爻為後舵,怕見官兄。以上皆要臨青龍天喜,貴人財福則吉。主有富貴之人上船,吉利。四爻三爻為中艙,亦要帶財福。

およそ船を買うを占い、断法は船戶の人家を占うのと同じである。およそ船を買う吉凶を卜するのは、船戶本人のために占卦するのと同じく推斷する。船戶が自ら前に來て占卜するなら、まさに「家宅」を占う法子に照らして断ずべきである。どの六親が世を持するかを見れば、船が新か舊かを推知できる。「妻財」「子孫」が世を持すれば新船、「父母」が世を持すれば舊船、「兄弟」が世を持すれば半新半舊、「官鬼」が世を持すれば災禍・驚恐で不利を主る。各種五行の鬼爻の發動を見れば、船の毛病がどこに出るかを見出せる。金爻の鬼は釘の打つことが少なく、土爻の鬼は抹る桐油・石灰が少なく、木爻の鬼は船板に縫があり、水爻の鬼は水の漏る孔洞があり、火爻の鬼は木料が干い裂ける。初爻・二爻は前艙で、「妻財」「子孫」の臨むことを要する。五爻・六爻は船尾・舵位で、「官鬼」「兄弟」を見るを怕れる。以上のこれらの位置はみな「青竜」「天喜」に臨むことを要し、貴人と財福があってこそ吉で、富貴の人が船に上がることを主り、吉利である。三爻・四爻は中艙で、また財福を帶びてこそよい。

父作梢公,不宜傷克;父母為船,又作梢公。要生旺,不被日辰動爻傷克為吉。占買船,要財靜,則船好,無損壞處。龍為船尾,豈可空刑。青龍為船尾。生旺動持生合世,皆主利益稱意。螣蛇辨索纜之堅牢;螣蛇為索纜。空則枯爛不好,旺則堅牢美利。白虎為帆檣之順利。白虎屬風,故取為風帆。若生旺帶財福吉神,動持生合世身,則船有好帆,使風順快。若白虎帶凶鬼惡殺,旺動克害世身,大不利;主遭失風傾覆之患。勾陳為鐵錨。休囚空亡,船無鐵錨;帶鬼克世,鐵錨為怪;化空絕有失。

「父母」爻は船の老大を表し、傷剋を受けるのが宜しくない。父母爻は既に船を表し、また船を撑る梢公を表す。生旺でまた日辰・動爻に傷剋されなくて初めて吉とする。船を買うを占うには、また財爻が安靜であることを要し、その船がよく損壞する處がない。「青竜」は船尾を表す。どうして空に落ち刑を受けることができようか。青竜は船尾を為し、それが生旺・發動・世を持しあるいは世爻を生合すれば、みな獲利し意にかなうことを主る。「螣蛇」は纜繩が結實かどうかを辨別するのに用いる。螣蛇は索纜を表し、空に落ちれば繩索が枯朽・腐爛して惡く、旺相なら堅固で用に堪える。「白虎」は帆檣が順利かどうかに關わる。白虎の五行は風に属するから、それを取って風帆と為す。もし白虎が生旺してまた「妻財」「子孫」などの吉神を帶び、發動するか世を持し・世爻・卦身を生合すれば、それは船に良い帆があり、風を使い起してまた順でまた速い。もし白虎が凶鬼・惡殺を帶びて、旺相發動して世爻・卦身を剋害しに來れば、大いに不利で、失風して船を翻す患に遭遇することを主る。「勾陳」は鐵錨を表す。勾陳が休囚・空亡なら、船上に鐵錨がないこと。鬼を帶びて世を剋すれば、鐵錨が怪異を出したこと。空・絶に變入れば、錨が丟失せんとすることである。

六爻皆吉不傷身;四海遨遊無阻滯。六爻生合,財福吉神又生旺,持世身,動爻又不來傷克,則無往不利。雖遠遊於四海五湖,亦皆吉利。若子水持世,其船損人丁。每驗卦法,又看行船出入避忌爻。如鬼兄白虎臨太歲爻,動來刑沖剋害世身,必有風波險惡。更有凶神克世,大凶。

六爻がみな吉利で卦身を傷つけなければ、四海に遊遨して滯阻なくできる。六爻が彼此相生・相合し、「妻財」「子孫」などの吉神がまた生旺して世爻・卦身に臨み、動爻もまた傷剋しに來なければ、往く所利なくことなく、たとえ四海五湖に遠く游んでもみな吉利である。唯獨「子」水が世を持するのは、この船が人口を損傷する。卦法を驗證するごとに、また船を行いて出入するに回避すべきそれらの爻を見ねばならない。たとえば「官鬼」「兄弟」や「白虎」が太歳の爻の上に臨んで、發動して世爻・卦身を刑・冲・剋・害しに來れば、それは必ず風波が險惡である。さらに凶神が世を剋すれば、大凶である。

『黄金策』第三十・娼家

養身於花柳之中,曰娼與妓;識禍福於幾微之際,惟蓍與龜。花街托跡,柳巷安身。門外紛紛,總是風流子弟;窗前濟濟,無非歌舞佳人。若要安寧,必得世無沖剋;欲求稱意,還須應去生扶。凡遇娼家,卜住居家宅生意類,皆以世為主娼之人,應為宿娼之客。若得月建日辰動爻,俱不刑沖剋世,必主家宅吉利,人口安寧。更遇應來生合,乃十全好卦,凡事稱心。雖常人占宅,亦要應爻生合世爻,則主謀望有成,所求多遂。應空多不利。

花柳の叢の中で生活を讨う者を、娼と妓という。事がまだ顯露しないうちに禍福を看清し得るのは、蓍草と龜甲のみである。彼女らは花街に身を寄せ、柳巷に家を安んず。門外に往來するのは、みな風流の子弟。窗前に擠擠と挨うのは、歌舞の佳人に過ぎない。家宅の安寧を要すれば、必ず世爻が冲剋を受けないことを須とする。事事意にかなうを要すれば、また応爻が前に來て生扶することを須とする。およそ娼家が占いに來るに遇い、住處・家宅あるいは生意の類を問うを問わず、みな世爻をもって娼寮を開く主人を表し、応爻をもって娼に宿る客を表す。もし「月建」「日辰」と動爻がみな世爻を刑・冲・剋・害しなければ、必ず家宅が吉利で人口が平安を主る。さらに応爻が來て世を生じ世を合するに遇えば、それは十全十美の好卦で、凡事が心にかなう。たとえ尋常の人家が宅を占うでも、同じく応爻が世爻を生合することを要してこそ、謀る所が成り求める所が多く遂ぐることを主る。応爻が空に落ちれば、たいてい不利である。

卦見六沖,往來亦徒迎迓;六沖卦,來往人多,但主空來空往。更若兄動,恐有無籍棍徒攪擾。若遇六沖,而世應爻空,或財爻發動,必主住居不久,或不安。爻當六合,晨昏幸爾盤桓。娼家得六合卦最吉。蓋合則情份相投,必主人多顧戀。內外和同,家門雍睦。得三合,六合太過者,尤利。常人占宅,反忌之,必主家中淫亂。娼家則以此為主。所以,斷法不同也。

卦が「六冲」に逢えば、客人は往來するもただ空しく迎え空しく送るに過ぎない。六冲卦は往來の人が多いが空しく來て空しく去り、實惠を得られないことを主る。さらに「兄弟」爻の發動があれば、おそらく無頼の光棍が前に來て攪擾することもある。六冲に逢ううえ世爻・応爻がまた空なら、あるいは財爻が發動すれば、それは必ず長く住めないか、あるいは住むのが安穩でないことを主る。卦爻が「六合」を結成すれば、客人は早晚ここに盤桓するを樂しむ。娼家が六合卦を占得するのは最も吉利で、「合」とは情分が相投ずることだから、必ず客人に眷戀が多く、内卦・外卦が和同して一門の上下が和睦することを主る。さらに「三合」を得れば、合が過ぎるほど反ってさらに有利である。この一条はもし尋常の人家が宅を占うに換えれば、むしろ忌諱で、家中の淫亂を主る。唯獨娼家はこれを要と為すから、ゆえに兩者の断法が同じでないのである。

財若空亡,錢樹子慎防傾倒;財為娼妓。無故自空,或衰絕受克,主妓女喪亡。財若重疊,妓女必多。旺相則顏色美麗,衰則容貌不妍,刑則有病。月日動爻無生無合,人不眷戀。胎養年少,若逢墓庫,老年娼妓。凡遇火爻善歌,木爻善舞,水爻則體態輕盈,金則肌膚白淨,土則容儀渾厚。動則善於奉承。其餘詳見性情篇。官如墓絕,探花郎那得棲遲。官為宿客,生意之主。若得動來生合世爻,必多宿客下顧。更得日辰來扶,必有貴人招接。惟怕空亡墓絕,則宿客不多,縱有亦非富貴豪客。若得變出財爻生合,必是舍財大俠也。

「妻財」が空亡に落ちれば、この搖錢樹は倒れるを提防せねばならない。財爻は娼妓本人を表す。故なく自ら空亡に落ちるか、あるいは衰絶して剋を受ければ、妓女の死亡を主る。財爻が重複して現れれば、妓女は必ず一人に止まらない。財爻が旺相なら容顔が美麗で、衰弱なら容貌が佳らず、刑を受ければ身上に病がある。月建・日辰・動爻がみなそれを生じ合しに來なければ、すなわち彼女に眷戀する人がいない。財爻が「胎」「養」の位に落ちるのは年少で、「墓」「庫」の位に落ちれば年老の娼妓である。およそ財爻が火に属するのは唱を善くし、木に属するのは舞を善くし、水に属するのは體態が輕盈で、金に属するのは肌膚が白淨で、土に属するのは容貌・儀態が渾厚である。財爻が發動するのは、逢迎・奉承を善くする。その余は『性情篇』を参看せよ。「官鬼」が墓絶に落ちれば、芳を尋ねる客人はどうして留まろうか。官鬼は宿に來る客を表し、この門の生意の主顧である。もし官鬼が發動して世爻を生合しに來れば、必定として宿客が多く門に上がる。さらに日辰が來て扶助するを得れば、必ず貴人が前に來て光顧する。最も恐れるのは官鬼の空亡や墓絶で、そうなれば宿客は多くなく、たとえあっても富貴・豪客ではない。もし官鬼が財爻を變出して世爻を生合しに來れば、それは必ず財を散ずるを肯んずる豪俠の客である。

妻財官鬼,二者不可相無;無財,主無出色之故;無官,主無貴客招接。皆主錢財不聚,破耗多端。若財官俱無,或一空一伏,是時運不濟,定當守困。財鬼父兄,子孫皆宜不動。住居得安靜卦,必然人口平安,門庭清吉。若見交重,定多駁雜。蓋六親中惟子孫為吉。常人占,雖喜發動;而娼家又非所宜,以其剋制宿客故也。但得五類俱全,六爻不動,財鬼有氣,世身有助,便是上吉之卦。

「妻財」と「官鬼」のこの兩者は一つも缺くべからず。財爻がなければ出色の妓女がいないことを主り、官爻がなければ貴客が門に上がらないことを主る。兩種の情形はみな錢財が聚まらず破費が繁多することを主る。もし財・官の兩樣がともになく、あるいは一つが空亡して一つが伏蔵すれば、それは時運が濟わず、困守して日を度ると注定されている。「妻財」「官鬼」「父母」「兄弟」および「子孫」に連なって、みな動かないを宜とする。住處で安靜の卦を占得すれば、必然として人口が平安で門庭が清淨吉利である。諸爻が交錯して發動するを見れば、一定に雜事が紛紜する。六親の中にもともと子孫のみが吉神で、尋常の人家が占卦するにはまたその發動を喜ぶが、娼家はそうでは宜しくない。子孫は官鬼を克制し、すなわち宿客を克制するからである。ただ六親・五類が齊全して六爻がともに發動せず、財爻・鬼爻に氣があり、世爻・卦身にまた幇扶があれば、それは上等の吉卦である。

鬼殺傷身,火盜官災多恐怖;鬼爻生合世爻,是宿客顧戀之象,雖動亦吉。若沖刑剋害,則是鬼殺為禍。重則官災火盜,輕則是非口舌。以五行六神參看,並見前篇。日辰沖父,住居屋宅有更張。父母為居處屋宅。若在卦中發動,或被日辰沖剋,或父母化出財爻,皆主所居屋宅,當有更變。如占住居,必住不久。否則,所居屋宅,亦必破壞。

「官鬼」の凶殺が卦身を傷つければ、火災・盗賊・官司の類の怕るべき事が多い。鬼爻が來て世を生じ世を合すれば、それは宿客が眷戀する象で、たとえ發動しても吉である。來て冲・刑・剋・害すれば、それは鬼殺が禍を作すのである。重ければ官司・火災・盗劫、輕ければ是非・口舌である。具體の断法はなお五行と六神を参看するを要し、前の各篇に已に詳説がある。日辰が「父母」爻を冲动すれば、住む房屋に變動があるべきである。父母爻は居住の房屋を表す。それが卦中で發動するか、あるいは日辰に冲剋されるか、あるいは父母が財爻を變出すれば、みな住む所の屋宅に變更があるべきことを主る。もし占うのが住處なら、必ず長く住めない。さもなければ、住む房子も必ず破損する。

兄弟交重,罄囊用度;兄弟主生涯冷淡,破耗多端。更有生扶,則罄資用度,亦無了日。變出鬼爻,常招是非口舌;所來之人,亦無好客。有制稍可。大抵兄弟不動,財爻衰弱,或變死墓空絕,皆主生意不濟。兄弟發動則尤不濟。子孫藏伏,蹙額追陪。子孫為褔德喜悅之神。娼家雖不宜動,然不可空亡隱伏;主家宅不安,住居不穩,生涯不旺,虛度光陰,蹙額過日而已。若見刑殺克世身,不嫌此爻發動。

「兄弟」爻が發動すれば、家の底を掏空にして開銷する。兄弟爻は生意が冷清で破費が繁多することを主る。さらに別の爻の生扶を得れば、それは本錢を花し精光にしてなお了結の日がない。兄弟が「官鬼」爻を變出すれば、常に是非・口舌を招き、來る客人も好客がない。爻があってそれを制伏すれば、情形は初めて稍よい。大抵兄弟はたとえ動かなくても、財爻が衰弱するか、あるいは死・墓・空・絶に變入れば、みな生意が濟わないことを主る。兄弟が一たび發動すればさらに濟わない。「子孫」爻が蔵伏して現れなければ、ただ愁眉を苦臉して強いて笑臉を陪するしかない。子孫は福徳・喜悅の神で、娼家はその發動を宜しくしないが、それを空亡に落とし隱伏して出ないようにもできない。それは家宅が安からず住處が穩かでなく生意が旺でないことを主り、空しく光陰を虛度し眉を皺して日子を過ごすのみである。ただし卦中に刑殺が現れて世爻・卦身を剋しに來れば、それは子孫のこの一爻の發動を嫌わない。

財化福爻,家出從良之妓;財不宜動,動則妓女走失。若化父,妓必精曉彈唱,善能迎接。化兄,不善奉侍,禮貌粗俗,言語多詐,彈唱亦低。化鬼,須防妓女不測災禍。化財,謂用化用,恐有逃亡走閃之事。若逢沖剋,或臨空動,皆然。化子,有從良之志;雖在風塵,亦是強為也。卦無財,而本宮財伏子下,或從子化出者,亦然。官居刑地,門招惡病之人。鬼帶刑爻生合世身,多招帶病之人來往。與世生合,與財刑沖,須防妓亦沾染。鬼化鬼,或化忌爻刑剋世身,恐因宿客致禍。有制不妨,有救可解。

「妻財」が「子孫」の福爻を變出せば、家の裏に良に從う妓女が一人出る。財爻はもとより發動を宜しくせず、一たび動けば妓女が走失することを主る。それが何を變出するかを見る。「父母」を變出せば、この妓女は必ず彈唱に精通し應酬して客を迎えるを善くする。「兄弟」を變出せば、服侍を善くせず、禮貌が粗俗で、言語に欺詐が多く、彈唱も惡い。「官鬼」を變出せば、妓女に意外の災禍があるのを防がねばならない。「妻財」を變出せば、「用化用」といい、おそらく逃亡・走失の事があり、さらに冲剋に逢うか、あるいは空に臨んで動しても、みなこの結果である。「子孫」を變出せば、良に從う志があり、風塵に身在するも、勉めてこれを為すに過ぎない。卦中に財爻がないのに、本宮の財爻が子孫の下に伏するか、あるいは子孫爻から變出しても、情形は同じである。「官鬼」が刑を帶びる位置に落ちれば、門裏に惡疾ある客人を招く。鬼爻が刑爻を帶びて世爻・卦身を生合しに來れば、多く病を染む人が往來する。それが既に世爻と生合して、また財爻と刑冲すれば、妓女もまた傳染されるのを提防せねばならない。鬼爻が鬼爻を變ずるか、あるいは忌爻を變出して世爻・卦身を刑剋すれば、おそらく宿客に因って禍を惹く。爻があってそれを制伏すれば妨げなく、救神があればすなわち解せる。

忌動衰空,閒是閒非閒撓括;忌則剋制世爻之神。凡事皆怕見之。若在卦中發動,必不吉利。如得休囚無氣,而又空亡,雖動不妨。但主閒事閒非,虛災虛禍而已,必無大害。財興克世,有財有利有驚疑。凡遇財爻旺相,住宅必有生意。但不宜動來傷克耳。蓋財乃生禍之端,所以,雖吉而有所忌也。如帶刑害虎蛇等殺,乘旺動克身世,必然因財致禍。以上十二條,非此一事為然。常人家宅同此推斷。能將玄理以精詳,真乃黃金而不易。

忌爻が發動しながらまた衰弱・空亡なら、それはただ閒是閒非の無謂の糾纏に過ぎない。いわゆる「忌」とは、世爻を克制するその神である。凡事にそれを見るを怕れ、それが卦中で發動すれば必定として吉利でない。ただしそれが休囚無氣でまた空亡に落ちれば、たとえ發動しても妨げなく、ただ閒事・閒非、虚驚・虚禍を主るのみで、必ず大害はない。「妻財」が旺動して世爻を剋しに來れば、財あり利あるもまた驚疑ありである。およそ財爻の旺相に遇えば、この住處に必ず生意を為すことがある。ただそれが發動して世爻を傷剋しに來るのを宜しくしないのみである。財はもとより禍を生ずる端由だから、ゆえに吉神に属すも忌諱する處がある。もしそれが刑・害および「白虎」「螣蛇」などの凶殺を帶びて、旺に乘じ發動して卦身・世爻を剋害すれば、必然として財に因って禍を招く。以上のこれら十二條は、娼家のこの一事のみに適用するのではなく、尋常の人家が家宅を占うのもこれに照らして推斷する。その中の玄妙の道理を講じ得ることこのように精詳なら、真に字字が黄金で移易すべからずと謂うべし。

附・闡幽精要

『闡幽精要』一・觀人斷法

先天妙訣少人知,但看來人急與遲;喜笑一聲將吉斷,慌忙煩惱作凶推。入門坐定寬容問,斷他災禍盡消除;若見著衣並束帶,出入功名事事宜。若見並肩挽手過,合本求財利有餘;僧尼道姑如何斷,斷他離祖又刑妻。

先天の卦法の外にまた一層の妙訣があるが、知る人は少ない。ただ卦を求めに來る人の擧止が急か緩かを見るのみである。彼が一たび門に入り笑聲を帶びて話せば、吉の處に向かって断ずる。慌張し面に愁煩が滿ちれば、凶の處に向かって推す。もし彼が門に入り坐を定め、從容として發問すれば、彼の災禍がみな消除できると断ずる。彼が衣冠が整齊で腰に帶子を束ねて來るのを見れば、その出仕して名を求めるも進退・行止も样样みな相応しい。兩人が肩を並べ手を挽いてともに前に來るのを見れば、それは本を合わせて經商し財を求めるのであり、必定として獲利して餘りがある。僧尼・道姑に至ってはどう断ずるか。彼が祖業・家門を離れ、また妻室を刑剋することを主ると断ずる。

『闡幽精要』二・六神情性賦

青龍持世:為人愷悌,有仁有德;朱雀持世:一生好訟,招是招非;勾陳持世:為人穩重,行事遲鈍;鰧蛇持世:為人少信,有頭無尾;白虎持世:一生剛強好勇,志短無謀;玄武持世:為人慳吝奸雄,吝小失大。

「青竜」が世爻に臨む人は、性情が和樂で平易、仁心があり徳行がある。「朱雀」が世爻に臨む人は、一辈子官司を打つのを好み、動すれば是非を招惹する。「勾陳」が世爻に臨む人は、人となり穩重だが、事を起せば遲緩で笨拙である。「螣蛇」が世爻に臨む人は、人となり誠信が少なく、事を為して頭あって尾なしである。「白虎」が世爻に臨む人は、一生剛強で勇を好み狠を鬪わすが、志向が短淺で謀略を缺く。「玄武」が世爻に臨む人は、人となり吝嗇でまた奸猾にして詐りが多く、小處を舍てるに忍びず、反って大處を失う。

『闡幽精要』三・身命章

既富且壽,世爻旺相更無傷;非夭則貧,身位休囚嫌受制。卦宮衰弱根基淺,爻象興隆命運強。世居空地,終身作事無成;身人墓鄉,到老求謀未遂。若問成家,嫌六沖之為卦;要知創業,喜六合之成爻。旺世助身,強自撐持;衰世有扶,因人創立。日時合助,一生偏得小人心;歲月克沖,半世未沾君子澤。父母持世,辛勤勞碌;兄弟持世,疾病連綿。遇兄興,則錢財莫聚;見子動,則身不犯刑。

また富みまた壽の長いのは、世爻が旺相で毫も傷剋を受けないこと。短壽ならぬ貧寒は、卦身の位が休囚でまた制伏されること。卦宮の属する所が衰弱なら、根基が淺薄である。爻象が興隆なら、命運が強旺である。世爻が空亡の地に落ちれば、一辈子事を為して成らない。卦身が墓鄕に入れば、老に到って求め謀る所も願いのごとくならない。家を成し業を立て得るかを問えば、「六冲」の卦を占得するを嫌う。基業を開創し得るかを知るには、爻象が「六合」を結成するを喜ぶ。世爻が旺相で卦身を幇扶するのは、自己に靠って強く撑る。世爻が衰弱で別の爻の扶助があるのは、別人に靠って初めて立てられる。日辰・時辰が來て合し來て幇すれば、一生偏に小人の歡心を得る。太歳・月建が來て剋し來て冲すれば、半世も君子の恩澤に沾えない。「父母」が世を持すれば、一生辛勤・勞碌する。「兄弟」が世を持すれば、疾病が接續して絶えない。兄弟の興旺に遇えば、錢財は聚まらない。子孫の發動を見れば、身上に刑傷を犯さない。

子死妻亡,絕俗離塵之輩;貴臨祿到,出將入相之人。遇龍福而無氣,縱清高亦是寒儒;逢虎財而旺強,雖粗俗而還富客。朱雀與福德臨身,合作梨園子弟;白虎逢父爻持世,定為柳柏屠夫。世加玄武官爻,必樑上之君子;身持勾陳父母,是野外之農夫。財福司權,榮華有日;兄官秉政,破敗無常。運至中年,凶殺莫交折挫;時當晚景,惡星尤忌攻沖。妻水加龍,必是詩書顯達;土財月建,定知店業營生。若臨華蓋空亡,當知僧道;但逢青龍月德,定為郎官。

子孫が死絶し妻財が亡失するのは、紅塵を棄絶して出家する輩である。「天乙貴人」が爻に臨んで「祿神」がまた到れば、出でて將を為し入りて相を為す人物である。「青竜」と「子孫」の福神に遇うも無氣なら、たとえ清高でもただの寒酸な書生である。「白虎」と「妻財」に逢って旺相強盛なら、粗俗でもなお金ある人である。「朱雀」が「子孫」の福徳とともに卦身に臨めば、合當梨園の裏で戲を唱う子弟である。「白虎」が「父母」爻の上に加わり世を持せば、一定是刀を操り屠宰する人である。世爻の上に「玄武」と「官鬼」を加えれば、必ず梁上の君子――盗賊である。卦身の上に「勾陳」と「父母」を帶びれば、田野の間の農夫である。「妻財」「子孫」が權を當り令を得れば、榮華・富貴は日を指して待つべし。「兄弟」「官鬼」が局面を把持すれば、破敗して常なし。運が中年に走れば、凶殺の交加して折挫しに來るを許してはならない。時が晩景に到れば、殊に惡星の攻冲しに來るを忌諱する。財爻が水に属しまた「青竜」を加えれば、必ず詩書に靠って顯達した。財爻が土に属しまた「月建」に臨めば、店を開き賣買を為して生と為すと定かに知れる。財爻が「華蓋」に臨んでまた空亡なら、この人が僧か道かを知るべし。「青竜」と「月徳」に逢えば、一定に郎官である。

『闡幽精要』四・家宅說

財逢死絕之鄉,兒孫冷淡;世值空亡之兆,家計荒涼。鰧蛇鬼動於子孫,家人自縊;玄武爻興於子息,婦女風流。咸池與白虎同居,呼廬好飲;天乙與青龍共位,足義多仁。火興為宅屋之傍,土動乃園林之側。宅臨巳午,非窯灶,則近於廚堂;木值空亡,因斧斤,遂敗於古墓。絕臨金位,師巫寺觀之傍;鬼在火鄉,社廟神壇之所。

「妻財」が死絶の地に落ちれば、兒孫は一辈子冷落・蕭條する。世爻が空亡の兆に値すれば、家業・生計は一片に荒涼である。「螣蛇」が「官鬼」を帶びて「子孫」爻の上で發動すれば、家裏に上縊する人がいる。「玄武」が子息の爻の上で興旺すれば、婦女の行為が放蕩である。「咸池」が「白虎」と同じ一爻に處すれば、この人は賭博を好みまた飲酒を好む。「天乙貴人」が「青竜」とともに一位を占めれば、この人は義氣を重んじ仁厚が多い。火爻が興旺なら、住宅・屋舍の傍邊に火がある。土爻が發動すれば、園林の側に土工がある。宅爻が「巳」「午」に臨めば、窯竈でなければ廚房に近い。木爻が空亡に落ちれば、斧斤に砍伐されて、於是に古墓の處で敗壞した。「絶」が金爻の位に落ちれば、宅の傍に巫師・廟宇・道觀がある。「官鬼」が火爻の郷にあれば、附近に社廟・神壇がある。

不見人多惡疾,須知女落風塵。虎伴交重,乃是重喪之殺;龍居金位,名為進寶之鄉。勾陳帶土,而進益於田園;青龍持世,乃新修之宅舍。凡卦數推之陰陽,更加細看。世為宅,而言禍福;應為人,而定吉凶。青龍爻動,而近日新修;白虎爻興,而經年破漏。旺相者,則資財進益;休囚者,則倉庫空虛。宜視衰旺,以明吉凶。父母子孫俱旺,老者安,少者康;鰧蛇白虎安靜,災不生,禍不作。午為馬,丑為牛,酉為雞,亥為豬,戌為犬,巳為蛇。吉神生旺,每歲增添;爻值空亡,連年退損。

卦中に吉象を見なければ、家裏に惡疾の人が多く、また女子の風塵に淪落するがあるを知るべし。「白虎」がその同伴の凶殺とともに發動すれば、それは接續して喪亡する凶殺である。「青竜」が金爻の位に居れば、名づけて進寶の鄕という。「勾陳」が土爻を帶びれば、田園に增益あることを主る。「青竜」が世爻に臨めば、新修の宅舍である。およそ卦中の爻數は、みな陰陽に按って分別して推算し、さらに細看せねばならない。世爻は住宅を表し、用いて禍福を説く。応爻は人口を表し、用いて吉凶を定める。青竜の爻が發動すれば、近日剛に翻修した。白虎の爻が興旺なら、多年失修して破漏した。爻が旺相なら、資財は日に日に增益する。爻が休囚なら、倉庫は空虛である。總じて衰旺を見てこそ吉凶を明らかにできる。「父母」と「子孫」がともに旺なら、老人は安泰し少者は康健する。「螣蛇」「白虎」がともに安靜なら、災は生ぜず禍は作さない。地支の属する六畜は、「午」は馬、「丑」は牛、「酉」は雞、「亥」は猪、「戌」は犬、「巳」は蛇である。これらの爻が吉神に臨んでまた生旺すれば、家裏の牲畜は年年增添する。空亡に落ちれば、連年折損する。

巳午為之湯火,申酉為之刀砧。水湯火災,子午爻動;雞鳴犬吠,酉戌鬼臨。天喜貴臨內卦,後堂新修;破碎空臨外象,正屋琅璫。竹木園林,寅卯同斷;池塘穴坎,亥子同推。玄武為後,左是青龍,朱雀為前,白虎居右。陰陽動靜,仔細推詳;禍福吉凶,分明察斷。

「巳」「午」の兩支は開水と火燙の災を主り、「申」「酉」の兩支は刀刃・砧板の傷を主る。開水に燙けられ火に燒かれるのは、「子」「午」の兩爻の發動が應じたもの。雞が叫び犬が吠えて寧まらないのは、「酉」「戌」の兩爻が「官鬼」に臨んだものである。「天喜」と「天乙貴人」が内卦に臨めば、後堂が新近に修められた。「破碎」の凶煞と空亡が外卦に臨めば、正房が殘破で門窗が零落して響く。竹木・園林は、「寅」「卯」の兩爻を一同に断ずる。池塘・水坑は、「亥」「子」の兩爻を一同に推す。方位は、「玄武」が後にあり、左辺は「青竜」、「朱雀」が前にあり、「白虎」が右に居る。陰陽・動靜はみな仔細に推詳してこそ、禍福・吉凶が分明に断じ出せる。

『闡幽精要』五・柳神經

凡占家宅,先觀鬼神之機,次辨六爻所用。父化父,人家兩姓;鬼化鬼,家宅多災。父為宅宇之基,財是灶廚之所。子孫為井,兄弟為門。父爻值墓,家多疾病之人;財位臨空,宅住貧窮之輩。子逢金旺,便知鏡子光明;子值木衰,可見秤無星兩。子是長流,須分前後;亥為塘浦,要辨方隅。丑為田園,寅為樹木,卯為蓬蒿,辰為平地,巳為焰煙,午為火意,未為山嶺,申為金銀,酉為銅鐵,戌為穴坑。交重詳察。重是曲圓,交是方直;陰土為坑,陽土為宅。

およそ家宅を占い、まず鬼神の作祟する機兆を見、次に六爻の各自主る所の事を分辨する。「父母」が「父母」を變ずれば、この戶人家は兩姓が合居する。「官鬼」が「官鬼」を變ずれば、この家宅は災多く難多い。父母爻は房屋の根基であり、妻財爻は竈房・廚下の所であり、子孫爻は水井を表し、兄弟爻は門戸を表す。父母爻が墓地に落ちれば、家裏に病人が多い。妻財爻が空亡に臨めば、住むのは貧窮の人家である。子孫爻が金に属して旺なら、家中の鏡子が明亮なのを知る。子孫爻が木に属して衰なら、秤桿の上の星點が磨れて看清えないのを見るべし。「子」水は長流の水で、宅の前か宅の後かを分清せねばならない。「亥」水は池塘・港汊で、どの方位にいるかを辨明せねばならない。「丑」は田園、「寅」は樹木、「卯」は蓬蒿・雜草、「辰」は平地、「巳」は煙焰、「午」は火光、「未」は山嶺、「申」は金銀、「酉」は銅鐵、「戌」は地穴・土坑である。これらはなお爻が「交」か「重」かを見て仔細に分辨せねばならない。「重」爻は形狀が彎曲・圓轉することを主り、「交」爻は形狀が方正・平直することを主る。陰土の爻は坑であり、陽土の爻は宅である。

父居坎位,四圍有水汪洋;父臨木爻,繞屋樹林森茂。財福吉神內象,必然先富而後貧;兄鬼煞虎內宮,以定先貧而後富。父入勾陳土位,豐稔田園;日刑木父休囚,損傷桌凳。父臨入墓,墳冢為殃;鬼生世象,家神作崇。鰧蛇入木,家招縊死之人;玄武臨身,必出投河之鬼。火炎旺動人多,木位興隆樹茂。火爻伏鬼,定生目疾之人;水位隱官,必有盲聾之輩。二姓同居,必有兩重兄弟;爹孃又見,宮中父母再逢。父入子宮,必主後孃來就;子臨父位,定主隨母嫁人。子見兩重,螟蛉亦有;兄爻單見,雁侶難同。

「父母」爻が「坎」宮に居れば、屋子の四圍に汪洋たる大水がある。父母爻が木爻に臨めば、屋を繞ってみな茂密の樹林である。「妻財」「子孫」などの吉神がただ内卦にあれば、必然として先に富み後に貧す。「兄弟」「官鬼」および凶煞の「白虎」が内卦に聚れば、先に貧し後に富むと断ずる。父母爻が「勾陳」の属する土位に入れば、田園は豐收する。日辰が木爻の父母を刑剋して父母がまた休囚なら、家中の卓子・板凳に損壞がある。父母爻が墓に入れば、墳塚が作祟して殃を為す。官鬼爻が世爻を生助する象は、家神が怪を作しているのである。「螣蛇」が木爻に入れば、家裏に上縊して死ぬ人を招く。「玄武」が卦身に臨めば、必ず河に投じて死ぬ鬼を出す。火勢が炎炎として旺相發動すれば、家中の人口が多い。木爻が興隆なら、屋外の樹木が繁茂する。火爻の下に官鬼が伏していれば、眼病を患う人を定かに生ず。水爻の下に官鬼が隱れていれば、必ず耳聾・眼瞎の輩がある。兩姓が一屋に同住するのは、必ず卦中に兩重の「兄弟」がある。父母が雙重に現れるのは、本宮の「父母」爻が重複して相逢したのである。父母爻が子孫の宮に入れば、必ず後娘が門に進むことを主る。子孫爻が父母の位に落ちれば、定かに子供が母親について改嫁することを主る。子孫が兩重を見れば、家中にも抱養の義子がある。兄弟がただ一爻を見れば、兄弟は雁行のごとく群を成し難い。

兄化鬼以空亡,兄弟空房;父臨空以化鬼,父娘作故。陰兄化入陽兄,嫂贅晚夫同舍;陰子變入陽子,女招婿而同家。父化父,外娘晚位;財化財,當娶雙妻。喪門殺動,本是災非孝服;天喜星臨,必然嫁娶添丁。披頭動,要出瘋癲;五鬼興,必生暗眼。羊刃臨財,定是屠酤之輩;咸池入酉,必然花酒生涯。財入咸池化鬼,女多獨守;子臨寡宿化官,男主孤虛。驛馬值世,奔波不定;貴人生身,好享榮華。世應兩沖,家門括擾;爻逢六合,和氣相同。子入鬼關,小口豈無傷損;財臨大殺,婦人必有產亡。

「兄弟」が「官鬼」を變出してまた空亡に落ちれば、兄弟が空房を守っている。「父母」が空に臨んでまた官鬼を變出すれば、父母の雙親は已に亡故した。陰爻の兄弟が陽爻の兄弟に變ずれば、寡嫂が後夫を招いて一屋に同住する。陰爻の子孫が陽爻の子孫に變ずれば、女兒が女婿を招いて家の中に住む。「父母」が「父母」を變ずれば、繼母が後に來て門に進む。「妻財」が「妻財」を變ずれば、この人は兩房の妻室を娶るべし。「喪門」の凶殺が發動すれば、もとより災禍と孝服の兆である。「天喜」の吉星が爻に臨めば、必然として嫁娶・添丁の喜がある。「披頭」の煞が發動すれば、家裏に瘋癲の人を出す。「五鬼」が興旺すれば、必ず青光眼の類の見えない眼病を生ず。「羊刃」が財爻に臨めば、定かに屠戶か酒販の輩である。「咸池」が「酉」の上に落ちれば、必然として花酒の生涯に靠って日を度る。財爻が「咸池」に入ってまた官鬼を變出すれば、家中の女子はたいてい獨り空房を守る。子孫が「寡宿」に臨んでまた官鬼を變出すれば、男子は孤單で偶なきことを主る。「驛馬」が世爻に値すれば、一生奔波して定まらない。「貴人」が卦身を生扶すれば、榮華を好く享ける。世応の兩爻が相冲すれば、家門の裏は紛擾して寧まらない。爻象が「六合」に逢えば、一家和氣して融洽する。子孫が「鬼關」の煞に落ち入れば、小兒女はどうして傷損を受けずにいられようか。財爻が「大殺」に臨めば、婦人に必ず難産して亡ぶ事がある。

辛未持世,大路當門;戊戌五爻,竹木當路。蛇入屋來,四爻鰧蛇土動;鵲巢當戶,六爻朱雀木興。青龍六位巽宮,家有頭風之疾;玄武初爻鬼動,必生腳溼之人。鰧蛇木鬼臨門,家出自縊;白虎土殺入戶,家有血光。火燒家堂,子入火鄉化火;鼠來害物,鬼宮化出子爻。南上邪神,朱雀鬼臨火動;北方之鬼,玄武動而水興。金鬼西方之佛像,木鬼東嶽之至尊。福世當年獲慶,殺鬼每日閒災。兄動而奸人脫漏,福興而吉事頻來。鬼化亥未,願欠豬羊;子化申辰,佛前燈願。

「辛未」が世を持せば、門の前はちょうど一條の大路に對している。「戊戌」が五爻に落ちれば、路の上に竹木が遮攔している。蛇が屋裏に爬り進んで來るのは、四爻の「螣蛇」が土爻に臨んで發動したのである。喜鵲が門戸の上で窩を作るのは、六爻の「朱雀」が木爻に臨んで興旺したのである。「青竜」が第六爻にあってまた「巽」宮に属すれば、家裏に頭風病を患う人がいる。「玄武」が初爻にあって「官鬼」を帶びて發動すれば、必ず脚上に濕瘡を生ずる人を出す。「螣蛇」が木爻の鬼を帶びて門位に臨めば、家中に上縊する人を出す。「白虎」が土爻の凶殺を帶びて戶位に進入すれば、家裏に血光を見る。火が家堂の神位に燒き到るのは、「子孫」爻が火郷に落ちてまた火爻を變出したのである。老鼠が來て物を咬壞するのは、官鬼のある宮が子孫爻を變出したのである。南方から來る邪神は、「朱雀」が鬼を帶びて火爻に臨んで發動したのである。北方から來る鬼祟は、「玄武」が發動して水爻が興旺したのである。金爻の鬼は西方の佛像で、木爻の鬼は東嶽大帝のこの一尊である。「子孫」の福神が世に臨めば、當年にすなわち喜慶がある。凶殺が鬼を帶びて世に臨めば、天天に閒災がある。「兄弟」が發動すれば、家中有奸人が財物を偸漏する。「子孫」が興旺すれば、吉事が接續して絶えない。官鬼が「亥」「未」を變出すれば、猪羊の願を欠いて未だ還さないのである。子孫が「申」「辰」を變出すれば、佛前に燈を點ずる願を許したのである。

沖開丙戌丁亥,牆倒壁穿;合扶己卯戊寅,城堅土厚。沖動丙寅,香爐破損;旺搖庚戌,首飾鮮明。戌化土金,犬多黃色;金鬼化子,鼠作妖聲。初爻鬼武,雞鴨人偷;三位官空,養豬無畜。二爻鬼殺,犬必傷人;四位殺官,羊多猝死。五位休鬼,耕牛不興;六位虎鬼,馬無乘坐。心氣病,火鬼動;脾胃災,土鬼搖。初位殺空,小兒難養;六爻木鬼,老者中風。上透金爻,終年眼暗;五爻火鬼,癆瘵纏身。青龍木鬼,必是觀音;玄武水鬼,恐其玄帝。寅為神,神帶虎行;午為神,神騎馬走。太歲臨鬼克世,一年非事即陰司;日辰福德扶身,四季開眉而興旺。

「丙戌」「丁亥」が冲開されれば、牆が倒れ壁が穿つことを主る。「己卯」「戊寅」が合を得扶を得れば、牆垣が堅固で土基が厚實することを主る。「丙寅」が冲动されれば、香爐に破損がある。「庚戌」が旺相で搖動すれば、首飾が光明鮮亮である。「戌」爻が土爻・金爻を變出せば、家裏の狗は多く黄色である。金爻の鬼が子孫を變出せば、老鼠が怪聲を發する。初爻が鬼を帶びまた「玄武」に臨めば、雞鴨が人に偸まれ去る。三爻の官鬼が空に落ちれば、猪を養うて成らない。二爻に鬼があって凶殺を帶びれば、狗は必ず人を咬傷する。四爻に凶殺があって官鬼を帶びれば、羊は多く暴死する。五爻の鬼爻が休囚なら、耕牛は養うて旺ならない。六爻が「白虎」の鬼を帶びれば、馬は骑乘できない。心口が氣悶する病は、火爻の鬼が發動したのである。脾胃に災があるのは、土爻の鬼が搖動したのである。初爻に凶殺があってまた空亡なら、小兒は養い活し難い。六爻に木爻の鬼があれば、老人は中風するべし。上爻に金爻が透出すれば、一年の頭から終まで眼睛が昏花する。五爻に火爻の鬼があれば、癆病に纏まれる。「青竜」が木爻の鬼を帶びれば、供えるのは必ず觀音である。「玄武」が水爻の鬼を帶びれば、恐らく供えるのは玄天上帝である。「寅」爻が神を表せば、この神は虎を帶びて同行する。「午」爻が神を表せば、この神は馬に骑って走る。太歳が官鬼を帶びて世爻を剋しに來れば、一年の內は官司・口舌でなければ陰間の事である。日辰が「子孫」の福徳を帶びて卦身を扶助すれば、一年四季みな眉を開き眼を笑い、家道が興旺する。

『闡幽精要』六・參玄賦

一卦能推吉凶,六爻可分禍福。凡占家宅,先觀神鬼之機;欲問人煙,須究旺相之象。父為屋宇之基,財是灶廚之所。父爻入墓,家多疾病之人;財位臨空,宅有產亡之鬼。旺相宅新,休囚宅舊。兄作為門,更怕日辰沖損;子孫為器,最憂月破加臨。子逢金旺,便言鏡必光明;福值木衰,可見秤無星兩。金鬼休囚,香爐破損;木官旺相,神像無傷。父母安靜,祖先神主安寧;官鬼爻興,家宅人丁不穩。父入土爻旺相,豐稔田園;日沖木父休囚,破損桌凳。父臨丘墓,家冢為殃;木動坎宮,橋樑作礙。

一個の卦で吉凶を推出し得、六個の爻で禍福を分辨し得る。およそ家宅を占い、まず神鬼の作祟する機兆を見る。人丁の興衰を問うには、爻象が旺相かどうかを細究せねばならない。「父母」爻は房屋の根基であり、「妻財」爻は竈房・廚下の所である。父母爻が墓に入れば、家裏に病人が多い。妻財爻が空亡に臨めば、宅中に難産して死んだ鬼魂がある。爻が旺相なら房子は新しく、休囚なら房子は舊い。「兄弟」爻は門戸として用いられ、最も日辰が來て冲損するを怕れる。「子孫」爻は家中の器物を表し、最も「月破」が上に加臨するを憂える。子孫爻が金に属して旺なら、鏡子が必ず明亮と言う。子孫爻が木に属して衰なら、秤桿の上の星點が已に磨れて没したのを見るべし。金爻の鬼が休囚なら、香爐に破損がある。木爻の官が旺相なら、神像は完好で傷なし。父母爻が安靜なら、祖先の神主・牌位は安寧である。官鬼の爻が興旺なら、家宅の人丁は安穩でない。父母爻が土爻の上に落ちて旺相なら、田園は豐收する。日辰が木爻の父母を冲剋して父母が休囚なら、卓子・板凳は破損する。父母爻が墳丘・墓庫に臨めば、自家の祖墳が作祟して殃を為す。木爻が「坎」宮で發動すれば、橋梁が路を擋んだのである。

木臨朱雀,匣藏契券為殃;木入青龍,家有船車往泛。官伏土中,磉磚不利;鬼藏木下,棺槨為妖。更將一例推占,須著六爻分究。鬼臨初位暗興,宅有伏尸古煞;官遇六爻暗動,匠工作弊為殃。巽宮木動,當生縊頸之人;坎卦水興,必出投河之鬼。離宮水動,湯澆死;但遇火鬼,火湯傷。官臨土旺,斷言土府搶攘;鬼值木興,詳會樹神作礙。鬼入坤來,定有墳塋之崇;官臨艮上,必逢獄禁之魂。鬼附鰧蛇生怪夢,官臨朱雀惹閒非。貴人官,當生拔萃之兒郎;劫殺鬼,須慮穿窬之盜賊。鬼克兄,門當破損;官衰世,宅有多災。

木爻が「朱雀」に臨めば、箱匣の裏に收藏する地契・文券に事が出るべし。木爻が「青竜」に入れば、家裏に船あり車ありで往來・行駛する。「官鬼」が土爻の中に伏していれば、柱礎・磚石が不利である。官鬼が木爻の下に蔵れていれば、棺椁が妖を作すのである。なおこの例に照らして逐條に推占し、六爻に按って分かちて細究せねばならない。官鬼が初爻に臨んで暗中に興れば、宅の下に埋められた尸骸と陳年の凶煞がある。官鬼が第六爻で暗動すれば、匠人が工を為す時に手脚を做して殃を為したのである。「巽」宮の木爻が發動すれば、上縊・自縊する人を生ずべし。「坎」卦の水爻が興旺すれば、必ず河に投じて死ぬ鬼を出す。「離」宮の水爻が發動すれば、開水に澆がれて死んだのである。火爻の鬼に遇えば、火と開水に燙傷されたのである。官鬼が土爻に臨んで旺なら、動土して土神を冲犯したと断ずる。官鬼が木爻に値して興れば、細究して樹神が梗を作したのである。官鬼が「坤」宮に入れば、定かに墳墓の作祟がある。官鬼が「艮」宮に臨めば、必ず牢獄の中の冤魂に遇う。官鬼が「螣蛇」に附着すれば、すなわち常に怪夢を生ず。官鬼が「朱雀」に臨めば、すなわち閒氣・是非を惹く。官鬼が「天乙貴人」を帶びれば、類を拔萃する好兒郎を生ずべし。官鬼が「劫殺」を帶びれば、牆を鑚り洞を挖る盗賊を提防せねばならない。官鬼が「兄弟」を剋すれば、門戸に破損あるべし。官鬼が衰弱して世爻が剋を受ければ、家宅に災が多い。

財龍旺相,必是潤屋之家;妻虎休囚,定是枯茅之舍。財旺初爻,雞鵝作畜;妻衰外象,豕畜多虧。天乙財爻,定出縉紳之子;咸池妻位,應生娼妓之人。子臨二位,乃知犬吠生人;福值坎爻,定有貓啣耗鼠。兄是門牆土壤,弟為口舌鄰房。交重土弟休囚,必定牆壁坍塌;發動木兄死廢,定還門戶歪斜。又兼月建克沖,斷為破戶;喜見日辰生助,決是新門。兄臨月建坎宮,曾支坑廁;弟在水爻浴位,必砌浴缸。間兄發動克沖,鄰家嫉妒;兄弟扶持身世,朋友忻偕。兄克金財妻有病,弟臨火應友多非。劫臨兄動,謹備賊徒;空值弟興,定分門戶。

「妻財」が「青竜」を帶びて旺相なら、必ず家資が豐潤の人家である。妻財が「白虎」を帶びて休囚なら、定かに茅草が枯敗する破屋である。財爻が初爻で旺なら、家中に雞鵝を養う。財爻が外卦で衰なら、猪の類の牲口に多く虧損がある。財爻が「天乙貴人」を帶びれば、定かに仕宦の人家の子弟を出す。財爻が「咸池」を帶びれば、娼妓を為す人を生ずべし。「子孫」爻が第二爻に臨めば、生人に對して狂吠する狗があるのを知る。子孫爻が「坎」水の爻に値すれば、耗子を捕咬する猫が定かにある。「兄弟」爻は門牆・土垣を表し、また口舌と鄰居をも表す。土爻の兄弟が發動して休囚なら、必定として牆壁が坍塌する。木爻の兄弟が發動して死廢すれば、一定に門戸が歪斜する。さらに「月建」が來て剋し來て冲すれば、破敗の門戸と断ずる。もし「日辰」が來て生し來て助するを見るを喜べば、それは必ず新装の門である。兄弟爻が「月建」に臨んでまた「坎」宮にあれば、かつて茅坑・廁所を修めたことがある。兄弟爻が水爻の「沐浴」の位にあれば、家中に必ず浴缸を砌えてある。間爻の兄弟が發動して來て剋し來て冲すれば、鄰家の嫉妬である。兄弟爻が卦身・世爻を扶持すれば、朋友と相處して欣然として和睦する。兄弟が金爻の財を剋すれば、妻子に病がある。兄弟が火爻に臨んで応の位にあれば、朋友に是非が多い。「劫殺」が兄弟に臨んで發動すれば、賊人を謹防せねばならない。兄弟が空に落ちてまた興動すれば、一定に家を分かち別に門戸を立てる。

六爻無水溝渠塞,一卦無金鼎鑊傷。木位興隆多樹木,火爻旺相足人煙。日克火爻,當生眼疾;日沖坎位,定主耳聾。日克木財床榻損,日沖木弟拄榰傷。若問何方,須詳爻象;要知何處,定察墓爻。但值兩妻之火,兩處煙廚;或臨二父之離,二家屋宇。不然二姓更同居,須把六神分仔細。

六爻の中に水爻がなければ、溝渠は一定に淤塞する。一卦の中に金爻がなければ、鍋鼎の類の炊具に損傷がある。木爻が興隆なら、屋外の樹木が多い。火爻が旺相なら、家中の人烟が旺である。日辰が火爻を克制すれば、家中に眼病を生ずべし。日辰が「坎」水の位を冲动すれば、定かに耳聾する人がいることを主る。日辰が木爻の財を剋すれば、牀榻が損壞するべし。日辰が木爻の兄弟を冲すれば、支撑する柱脚に損傷があるべし。事がどの方位に應ずるかを問えば、爻象の属する所を細察せねばならない。どの處にあるかを知るには、墓爻がどこに落ちるかを見ればよい。もし卦中に火に属する「妻財」が兩個現れれば、それは兩處の竈間・煙火がある。あるいは「離」に属する「父母」が兩個現れれば、それは兩家の屋宇がある。さもなければ兩姓の人が一處に合住するのであり、これには六神を分辨して仔細にせねばならない。

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