十八、地理章
生死稟修於前定,壽夭各盡其天年。陰陽廕庇於後人,理義合憑其地理。天地之間,純陰不生,純陽不化。一陰一陽,二氣交感,化生萬物。且如天欲降生人才,必假地之氣脈;陰陽融結,必有賢者出。故凡人子,須當以親之體安厝得所,則亡者安而生者庇。
人の生死は前定の数に禀受し、寿の長短は各々その天年を尽くす。これは強いて求め得られない。ただし陰陽の二気は後人を蔭庇し得る。道理情義で言えば、これは地理の学に凭るほかない。天地の間に、純陰の気は生せず、純陽の気は化せず。必ず一陰一陽の二気が交感してこそ、万物を化生する。たとえば上天が一人の人才を降生せしめんとすれば、必ず地脈の気を借り重んずる。陰陽の気が融結して穴を成せば、そこに必ず賢人を出す。ゆえに人の子女たる者は、父母の遺体を合宜の処に安葬しなければならない。かくすれば亡き者は安らぎ、生ける者も庇蔭を得る。
凡占風水,漫求玄妙與玄微;且把卦爻端詳,是地不是地。六合則風藏氣聚,六沖則水走沙飛。夫六合者,陰陽相配而不相離。初四、二五、三六,更相朝顧,是為有情。凡地理不過山環水抱,四獸朝迎,拱衛有情,羅城無缺。似此卦中六合之義也,大吉之地。若卦無六合,世在內象,四獸有情者,乃次吉之地也。世爻雖在外象,卻得賓主有情;左右回顧,明堂寬廣,水口關欄,乃小結局,亦可用也。若遇六沖卦,乃山飛水走之地,不必更詳。
およそ風水を占うに、ひたすら玄妙幽微の説を求めるを要せず、しばらく卦爻を端詳して明白にし、まずそれが地か地でないかを断ずる。卦に「六合」に逢えば、風を蔵し気を聚め得る。卦に「六冲」に逢えば、水流れ沙飛び、気散じて聚まらず。六合とは、陰陽相配して相離れぬこと。初爻と四爻、二爻と五爻、三爻と六爻が互いに朝顧照応することを有情と言う。地理の妙は、山環水抱・四獣朝迎・拱衛有情・羅城無缺に過ぎず、正に卦中六合の義に合し、大吉の地である。卦中に六合なしとも、世爻が内卦にあって四獣有情なら、次等の吉地である。世爻たとえ外卦に落ちても、賓主有情・左右回顧・明堂寛広・水口に関欄の収束あれば、小結局の穴でなお用い得る。六冲の卦に遇えば、山飛び水走る地で、再び細看するを要しない。
龍因地勢詳觀,即得天玄妙理。此二句,乃一章之要旨。入山尋水口,不宜六位空亡;到穴看明堂,喜見間爻旺相。第六爻為水口。與世相生相合,是為有情;若加青龍、貴人、財福者,水口重重關鎖;必有奇峰秀嶺,拱照迴環。若第六爻與世相剋相沖,山直無情,地枯無氣。六爻若值空亡,水口散漫,不能聚氣。間爻者,世應中之二爻也。旺相臨月建,謂之萬馬明堂。有云:明堂容萬騎,水口不通風,大吉之地。明堂,眾水所聚。宜靜不宜動,靜則聚高,動則傾瀉。若水帶吉神生克間爻,乃四水入明堂也。
来竜は地势に就いて細かく観看し、看明すれば自ずから天然玄妙の理を得る――この二句は本章の要旨である。山に入ればまず水口を尋ね、六爻の位は空亡に落ちるを宜しとしない。穴場に至って明堂を看るに、「間爻」の旺相を最も喜ぶ。第六爻を水口と為す。それが世爻と相生相合すれば有情と言い、さらに「青竜」「貴人」「妻財」「子孫」を加えれば、水口重々に関鎖し、必ず奇峰秀嶺の拱照回環がある。第六爻が世爻と相剋相冲すれば、山勢は直去して情なく、地気は枯竭する。六爻が正に空亡に値すれば、水口散漫して気を聚められない。間爻とは、世爻と応爻の中間の二爻で、間爻が旺相してまた「月建」に臨めば、万馬明堂と言う。一説に、明堂が万騎を容れ水口が風を通さざれば、すなわち大吉の地。明堂は衆水の汇聚する所で、静を宜として動を宜とせず。静なれば水聚まり気厚く、動けば傾瀉して気泄る。水爻が吉神を帯びて間爻を生剋すれば、四面の水皆明堂に流入するのである。
世乃主山之骨,當明九曜之規模;應為賓對之峰,須察五行之定體。世為坐下之山。又云:初爻二爻為坐山。生旺,坐山高厚;休廢空亡,坐山微薄。世持巳亥寅申,必定山雄地壯;世持辰戌丑未,必居廣闊平洋。世持亥子,穴中出水;世持辰巳帶殺,主有地風;白虎帶殺逢空,主有白蟻。若臨諸吉神,則坐山尊嚴,穴中潔淨。屬木必林茂,屬水必近流泉。當類而推之也。九曜詳婚姻章內。旺相則吉。
世爻は主山の骨干で、「九曜」の規模を明らかにすべきである。応爻は対面の賓峰で、五行の定める星体を察看しなければならない。世爻はすなわち穴場の坐する山で、別説に初爻・二爻を坐山とする。世爻が生旺なら坐山は高厚で、休廃空亡なら坐山は単薄である。世爻が巳・亥・寅・申の四長生の支を持てば、必ず山雄く地壮んである。辰・戌・丑・未の四墓の支を持てば、必ず広闊平洋に処す。世が亥・子水を持てば穴中に水を出し、世が辰・巳を持ち凶煞を帯びれば、穴中に地風ありを主る。「白虎」が煞を帯びまた空に逢えば、穴中に白蟻生ずるを主る。世爻が諸般の吉神に臨めば、坐山尊厳で穴中潔浄。世爻が木に属せば山上は必ず林木茂盛し、水に属せば必ず流泉近し。残りは類に従って推せばよい。九曜の法は婚姻章に詳しく、要するに旺相を吉とする。
案山帶子孫貴人旺相,其山聳拔秀麗。若生世合世,端正有情。空亡,向山不正;帶殺逢沖,乃欹斜破相之山。若應臨墓絕,必是案山低小。應若屬金,即言金星;屬水,即言水星之類是也。向列二十四位,事分百千萬端。木爻持世,主東震,寅甲卯乙。金爻持世,主西兌,申庚酉辛。火爻持世,主南離,午丙巳丁。水爻持世,主北坎,亥癸子壬。辰戌丑未,卻言艮乾巽坤。各有所宜。
応爻の主る案山が、「子孫」「貴人」を帯びて旺相なら、その山は必ず聳拔秀麗である。世を生じ世に合すれば、案山端正有情。応爻が空亡なら、対する向山は正ならず。凶煞を帯びまた冲に逢えば、歪斜破相の山である。応爻が墓・絶の地に臨めば、案山は必ず低小。応爻が金に属せば金星と言い、水に属せば水星と言い、残りはこれに倣う。向位は二十四位に排され、人事は千百万端に分かる。木爻が世を持てば東方震位を主り、すなわち寅・甲・卯・乙の四向。金爻が世を持てば西方兌位を主り、すなわち申・庚・酉・辛の四向。火爻が世を持てば南方離位を主り、すなわち午・丙・巳・丁の四向。水爻が世を持てば北方坎位を主り、すなわち亥・癸・子・壬の四向。辰・戌・丑・未が世を持てば、艮・乾・巽・坤の四維の向を分主する。各々その宜しきあり。
發動青龍,克世須防嫉主;剛強白虎,逢沖切忌昂頭。山間之龍虎,即卦中之龍虎。青龍雖吉,亦忌克世,相生乃妙。白虎太旺,便是昂首剛強,皆為不吉。青龍斷左畔之峰,白虎言右邊之嶂。所喜者,相生相合;所忌者,相剋相沖。青龍旺,帶木,主林木蔥蔚;帶土,則山嶺崔巍;其秀氣從左而來。白虎盛,臨水,主流泉脈遠;加金,則岩石奇麗;其秀氣從右而至。皆喜其相生,最惡其相剋。
「青竜」が発動して世を剋しに来れば、左辺の砂が反り返って主山を欺淩するを防ぐべし。「白虎」は本性剛強で、さらに冲動に逢うときは、昂頭して穴を圧するを切に忌む。山間の青竜・白虎の二砂は、すなわち卦中の青竜・白虎の二神である。青竜は吉神なりとも、世を剋するを忌み、世と相生してこそ妙。白虎が太旺なら、昂首剛強の象で、皆不吉に属す。「青竜」は左辺の山峰を断じ、「白虎」は右辺の屏嶂を言う。喜ぶは世と相生相合すること、忌むは相剋相冲である。青竜が旺にして木を帯びれば、左辺の林木葱鬱を主る。土を帯びれば左辺の山嶺高峻で、秀気は左辺より来る。白虎が盛にして水に臨めば、右辺に流泉あって脈遠きを主る。金を加えれば右辺の岩石奇麗で、秀気は右辺より来る。二者とも相生を喜び、相剋を最も悪む。
鬼在局中,必有伏尸古墓;空臨左右,豈無凹缺招風。若世下,有本宮官鬼伏藏,必有舊穴在下。左右者,龍與虎也。若見何爻空亡,便知有凹缺招風之處。主墓穴不安,為不吉也。勾陳若在世中,一路來龍振起;朱雀加臨應上,兩重對案相迎。勾陳乃龍之祖。若在木爻,或臨世上,來龍必遠也。朱雀為案山。若臨應上,必有兩重對案。若問螣蛇,當為穴法。旺相與吉神共位,乃是真龍;空亡或墓絕問鄉,當為絕穴。卦中以螣蛇為穴。旺相為真龍,休囚為絕穴。
「官鬼」がこの一局の中にあれば、穴下に必ず伏屍の古墓あり。空亡が左右両砂に落ちれば、凹缺して風を招く処なからんや。世爻の下に本宮の「官鬼」が伏蔵すれば、穴底に必ず旧墳あり。左右とは青竜・白虎の二砂を指す。どの爻が空亡かを見れば、どちらの辺に凹缺漏風の処あるかを知り、墓穴不安を主る不吉の象である。「勾陳」が世爻の中に落ちれば、一路の来竜は遠くより振起す。「朱雀」が応爻に加臨すれば、前面に两重の対案が相迎す。勾陳は竜脈の祖で、木爻にあるか世に臨めば、来竜は必ず悠遠。朱雀は案山を主り、応爻に臨めば前に必ず两重の対案あり。「螣蛇」を問わば、それは穴を定める法である。螣蛇が旺相してまた吉神と同位なら真竜結穴で、空亡に落ちるか墓・絶の郷に走れば絶穴である。卦中は螣蛇をもって穴と為し、旺相を真竜とし、休囚を絶穴とする。
論山既備,於水合言。尋亥子,方知有無,觀動靜,可分死活。卦中無亥子,必無池塘溪澗。雖有水爻,卻逢墓絕,乃是乾流之地。但看水爻動者活水,靜者死水而已。要識根源遠近,但看水位興衰;欲推纏繞多情,且察水爻生合。水爻旺相,流脈綿長;水位休囚,根源淺近。水爻相生相合,主委曲有情;若相剋相沖,主直來無氣。若見卦無水位,便當推究玄爻。倘六爻無水,竟將玄武爻推看。遇吉則吉,逢凶則凶。玄武臨吉神,是水於我有益有情,大吉;若臨凶殺,則無益無氣,主凶。
山を論ずることすでに畢われば、次に合わせて水を論ずべし。卦中に亥・子の水爻あるかを尋ねて、水あるかなきかを知り、水爻の動か静かを見て、死水活水を分かつ。卦中に亥・子なければ、そこに必ず池塘溪澗なく、たとえ水爻あっても墓・絶に逢えば、涸竭の旧河道である。ただ水爻の発動するを活水とし、安静のを死水とするのみ。水の根源の遠近を知らんには、ただ水爻の興衰を見、纏繞有情かを推さんには、しばらく水爻の生合を察す。水爻が旺相なら水流の脈絡綿長で、水爻が休囚なら源頭浅近。水爻が世と相生相合すれば水流委曲有情を主り、相剋相冲なら水は直来直去して気なし。もし卦中に全く水爻なきを見れば、「玄武」の爻を推究すべし――六爻に水なければ、玄武の臨む爻を水と見るのである。吉神に遇えば吉、凶煞に逢えば凶。玄武が吉神に臨めば、この水は我に益あり有情で大吉、玄武が凶煞に臨めば益なく気なく、凶を主る。
卜筮全書巻之八 黄金策 上
総断千金賦
明誠意伯劉伯溫先生著。向為秘本,今將公諸天下。總斷千金賦:動靜陰陽,反覆遷變。遷變者,互化也。如乾象三連,下動化巽,上動化兌,中動化離,三爻俱動則化坤,中爻不動則化坎之類。或以安靜卦單化拆,拆化單者非。蓋卦爻有動則變,無動則不變。假如谷之一物,若不動,則終於谷耳。及被舂之則成米,又炊之則成飯。其舂與炊,猶卦爻之動也;其米與飯,猶卦爻之變也。然谷之舂為米也,有成粒而為糧者,有不成粒而為粞者,又有糠粃而不為人所用者;及其米之為飯也,有精糳而為人所愛食者,亦有饐餲而為人所惡食者。是米與飯,皆有美惡不同;猶變出之爻,亦有吉凶不同也。
この一篇の《黄金策》は明代の誠意伯・劉伯温先生の著で、従来は秘本として伝えられなかったが、いま初めて天下に公にする。全篇の総綱を《総断千金賦》と言う。冒頭に曰く、卦の動静陰陽は、反復して遷移変化する。遷変とは、互いに化出することである。たとえば乾卦は三画連なりて断たれぬ象で、下爻が動けば巽に化し、上爻が動けば兌に化し、中爻が動けば離に化し、三爻ともに動けば坤に化し、中爻が動かず上下二爻が動けば坎に化すなど、この類である。ある人が安静の卦をも単爻が拆爻に化し拆爻が単爻に化すと言うのは誤りである。卦爻は動あってこそ変し、動かなければ変しない。たとえば穀というものは、動かさなければ、それはあくまで穀である。舂けば米となり、炊けば飯となる。舂と炊は卦爻の動にたとえ、米と飯は卦爻の変にたとえる。しかし同じ穀を舂いて米とするにも、粒を成して糧と為し得るもの、碎けて粒を成さずただ碎米となるもの、糠秕のみ残って人の要らぬものがある。同じ米を飯とするにも、精白香軟で人皆愛食するもの、餿えて味変わり人皆悪むものがある。米にも飯にも好壞の別あること、まさに卦中の変出の爻にも吉凶の異なる如くである。
予見《天玄賦》有靜化動化之說,是不動亦變矣。今人乃祖其法,每有變安靜之卦者。凡此之類,皆卜易之大,又不可不辨,予故不得已而為之說。又有止變一爻者,若亂動則不變。此又予所不知也。雖萬象之紛紜,須一理而融貫。象:即空刑生合等象;理:即生剋制化之理。
私は《天玄賦》の中に「静化」「動化」の説あるを見た。それに従えば、動かぬ爻も変するのである。今の人はこの法に沿襲して、常に安静の卦をも一遍変えている。この類の説は皆卜易の大関節に関わり、辨明せざるべからず。ゆえに私は已むを得ずこの議論を書いた。またある人はただ一爻を変え、六爻が乱動すればかえって変しないと言うが、これはさらに私の理解し得ぬところである。卦中の万象は紛紜雑出するが、一つの道理をもってそれらを貫通せねばならない。「象」とは、空亡・刑冲・生合などの卦象であり、「理」とは、生・剋・制・化の理である。
夫人有賢、不肖之殊;卦有過、不及之異。太過者,損之斯成;不及者,益之則利。賢、不肖之殊,人生之不齊也;過、不及之異,卦爻之不齊也。人以中庸之德為至,卦以中和之象為美。德至中庸,則無往而不善;象至中和,則何求而不遂哉。故凡卜易,須抑其過,引其不及,歸於中道,則凡事皆不期然而然矣。此卜易之大旨,故揭於篇首。
人に賢と不肖の分別ある如く、卦に太過と不及の差異がある。太過は、これを減損してこそ事を成す。不及は、これを補益してこそ利ある。賢と不肖の別は人の生まれつきの參差、太過と不及の異は卦爻の自体の參差である。人は中庸の徳をもって最高とし、卦は中和の象をもって最美とする。徳行が中庸に合すれば、往くところ善ならぬなく、卦象が中和に達すれば、求めて遂えぬことなし。ゆえにおおよそ卜易は、その太過を抑制し、その不及を扶引して、中道に帰せしめれば、諸事は期せずして成就する。これ卜易の根本宗旨なれば、全篇の首に標挙するのである。
今人但知不及者不成,不知太過者,亦不能成也。何謂過?主事爻重疊太多是。多則不專一,所以不成褔,故宜損之。何謂不及?主事爻即一位,而又不得其時是。不及則無氣,所以不成事,故宜益之。損益之道:生扶拱合,及克害刑沖是。且如土為主事爻,有三五重太過,須得寅、卯月或寅、卯日,或卦有寅、卯爻動克之,然後成事,所為損之也。又如金為主事爻,在夏月令無氣,須得月建、日辰生扶,或動爻合助,方能有成,所為益之也。大抵太過者,吉不能成其吉,凶不能成其凶。
今の人はただ不及の事を成さぬを知り、太過も同じく事を成さぬを知らず。何をか太過と言う。主事の爻が重畳して多すぎることである。多ければ専一ならず、ゆえに福を結ばず、ここに減損を宜とする。何をか不及と言う。主事の爻がただ一位にしてまた時令を得ざることである。不及なれば気なく、ゆえに事を成さず、ここに補益を宜とする。損益の手段は、生・扶・拱・合と剋・害・刑・冲の二套に過ぎない。たとえば土を主事爻とすれば、卦中に土三重五重あれば、それは太過で、寅月卯月あるいは寅日卯日に占い得るか、卦中に寅・卯の木爻が発動してこれを剋しに来てこそ、事が成る。これを損と言う。たとえば金を主事爻とすれば、夏月火令の中に金気なく、「月建」「日辰」の生扶を得るか、動爻の合助あってこそ成る。これを益と言う。大抵太過の爻は、吉もその吉を成さず、凶もその凶を成さない。
生扶拱合,時雨滋苗;生:謂相生。如用爻是金,卻在辰戌丑未日占得,或卦中動爻屬土,是也。扶者:謂卯爻見寅日,酉爻見申日,子見亥,午見巳,丑未見辰戌之類,是也。拱者:如寅爻見卯日,申爻見酉日,亥見子,巳見午之類,是也。合者:二合、六合、三合之類,是也。二合:子與丑合雲。三合:即申子辰合成水局雲。以上四者,皆能維持調護。爻象弱者,遇之則強,衰者見之則旺,伏者見之則起。故如時雨滋苗也。然亦有吉凶之辨。用爻見之則吉,忌爻見之則凶,所謂助桀為虐,其惡愈甚。學者自當辨用。下三條仿此。
「生」「扶」「拱」「合」の四者は、時雨の禾苗を滋潤するが如し。生とは相生のことで、たとえば用爻が金に属するに、辰・戌・丑・未の日に占い得るか、卦中の動爻が土に属すれば、土は金を生ず。扶とは、同類の中で年長のが年幼を助けることで、たとえば卯爻が寅日に遇い、酉爻が申日に遇い、子が亥に遇い、午が巳に遇い、丑未が辰戌に遇う類である。拱とは、同類の中で年幼のが年長を托すことで、たとえば寅爻が卯日に遇い、申爻が酉日に遇い、亥が子に遇い、巳が午に遇う類である。合とは、二合・六合・三合の類で、二合は子と丑の合、三合は申・子・辰の水局を会する如し。以上四者は皆爻神を維持調護し得る。爻象の弱きはこれに遇えば強く、衰えたるはこれを見れば旺し、伏蔵するはこれを見れば起つ。ゆえに時雨の苗を滋ますに譬う。ただしその中にも吉凶の辨あり。用神がこれを得れば吉、忌神がこれを得れば凶。いわゆる桀を助けて虐を為す、悪を為すことさらに甚だし。学者は自ずから分辨して用いるべきである。以下の三条もこの道理に照らして見る。
克害刑沖,秋霜殺草。克者:相剋。五行制壓之神也。害者:六害。地支相凌之神也。刑者:三刑。意同仇敵。沖者:對沖。勢如戰鬥。以上四者:能傷身,能敗德,能制伏,能壞事。故喻之如秋霜殺草。惟忌神見之反吉。長生帝旺,爭如金谷之園;長生、帝旺,十二座星中至吉者也。六爻遇之,雖衰弱者,亦作有氣論。故以金谷譬焉。若推成事,則帝旺主速成,長生為差遲耳。蓋長生猶人初生,未即強盛;帝旺猶壯年之時,血氣方剛,其力進銳。所以,長生遲,而帝旺速也。
「剋」「害」「刑」「冲」の四者は、秋霜の百草を摧殺するが如し。剋とは相剋で、五行の中の制伏圧服の神である。害とは六害で、地支が彼此相凌ぐ神である。刑とは三刑で、その意は仇敵の相待するが如し。冲とは対冲で、その勢いは両軍の交戦するが如し。この四者は人の身を傷り、人の徳を敗し、爻神を制伏し、事情を敗壊し得る。ゆえに秋霜の草を殺すに譬う。ただ忌神がこれらに遇うときは、かえって吉である。爻が「長生」「帝旺」に遇えば、まさしく石崇の金谷園に身を置くが如き富厚である。長生と帝旺は長生十二位の中の最も吉なる二位で、六爻がこれらに遇えば、たとえ自体衰弱でも気あると論ずる。ゆえに金谷園に譬う。事の成就を推せば、帝旺は速成を主り、長生はやや遅し。長生は人の初生に譬えて未だ強盛ならず、帝旺は壮年の時に譬えて血気方剛、その力鋭進するからである。ゆえに長生は慢く帝旺は速し。
死墓絕空,乃是泥犁之地。死、墓、絕,皆從長生起。空是空亡。四者遇之,無不陷溺。雖得時旺相,亦不成事。故以泥犁喻之。蓋死者,亡也。猶人患病而死也。墓者,蔽也。喻人死而葬於墓也。絕者,厭絕也。猶人葬於墓,而根本斷絕也。空者,虛也。猶深淵薄冰處,不可臨之履之也。泥犁,地獄名。言其至凶也。但凶神遇之,則又反為我吉矣。
爻が「死」「墓」「絶」「空」に遇えば、それは泥犁地獄の地である。死・墓・絶は皆長生十二位より起こり、空は旬中の空亡である。爻がこの四者に遇えば、いずれもその中に陷溺して、たとえ当令旺相でも事を成さず。ゆえに泥犁に譬う。死とは亡で、人の病んで死するが如し。墓とは蔽で、人の死して墳墓に葬るが如し。絶とは断絶で、人の墓中に葬り入り、根本ここに断絶するが如し。空とは虚で、深淵薄氷の処に臨むべからず踏むべからざるが如し。泥犁は仏経の中の地獄の名で、凶の極まりを形容する。ただし凶神がこの四者に遇えば、かえって我に利に転ずる。
日辰為六爻之主宰,喜其滅項以安劉。日辰乃卜筮之主。不看日辰,則不知輕重。蓋日辰能沖動安靜卦之爻象,能並起安靜卦之爻神;發動者能制之,凶惡者能抑之,強旺者能挫之,衰弱者能扶之,生合者能破之。古人云:日辰能救事,能壞事者,此也。故為六爻主宰。
日辰は六爻の主宰で、最も喜ぶは漢高祖が項羽を滅して劉家を安んじたが如く、卦中のために凶神を除くことである。日辰は卜筮の主で、日辰を見なければ軽重を分かち得ない。それは安静の卦の爻象を冲动し得、安静の卦の爻神を併起し得、爻が発動すれば制し得、爻が凶悪なれば抑え得、爻が強旺なれば挫き得、爻が衰弱なれば扶け起し得、両爻がすでに生合せばこれを冲破し得る。古人が日辰は事を救い事を壞すと言ったのは、正にこれらを指し、ゆえにこれを六爻の主宰と称する。
且如占文書,卦有財爻發動,是文書壞矣。若得日辰合住財爻,或沖散財爻,或剋制財爻,不使之去傷害父母;故得文書有氣,其事可成。此能救事也。又如占子孫,卦中父母不動,褔爻不空,其兆吉矣。若被日辰沖扶父母,刑害子孫,則變吉為凶,此能壞事也。日辰扶持用爻則吉,扶持忌爻則凶;剋制忌爻則吉,剋制用爻則凶。假如七月乙未日,占兄弟病,得同人之無妄卦。卦中鬼爻動克主象,絕爻又動,其凶可知矣。幸得日辰未土,克壞官爻,合起主象,所謂滅項以安劉也,後果應無事。
たとえば文書を占うに、卦中「妻財」が発動すれば、財は父母を剋し、文書は壞れる。もし日辰が財爻を合住するか、財爻を冲散するか、財爻を剋制して、「父母」を傷るに至らしめなければ、文書は気を保って事は成る。これ日辰の事を救う所以である。また子孫を占うに、卦中「父母」動かず福德の爻また空を落ちざれば、もとより吉兆。もし日辰に冲起されるか父母を扶助されて、また「子孫」を刑害せば、吉より凶に転ず。これ日辰の事を壞す所以である。要するに日辰は用神を扶持すれば吉、忌神を扶持すれば凶、忌神を剋制すれば吉、用神を剋制すれば凶。一卦例を挙ぐ。七月乙未日、人が兄弟の病を占いて、《同人》より《无妄》に変ずるを得た。卦中「官鬼」が発動して用神を剋傷し、また絶爻が同動する。凶険は知るべし。幸いに日辰の未土が官鬼を剋壞し、また用神を合起した。これ正に「項を滅して劉を安んず」と言う所以で、後に果して応験して事なし。
月建乃萬卜之提綱,豈可助桀而為虐。月建乃龍德之神,故卜卦以是為提綱。須詳其有無刑沖剋害,有無生扶拱合;與世身主象,有無干涉,便見吉凶。月建中有,乃是真有。如壞事,乃真正壞事也。且如占財,卦中無財,月建是財,向後終須可得;若卦中有財,月建克財,定主艱阻,須過此一月,方可得財。如卦中無財,月建又無財,而日辰是財,可許當日便有些。財少受克,則不中矣。蓋月建成得事,日辰即可扶也。
月建は一切の占卜の提綱で、どうしてそれを桀を助けて虐を為さしめようか。月建は「龍徳」の神で、ゆえに卜卦はこれを綱領とする。それが卦爻に対して刑冲剋害あるかなきか、生扶拱合あるかなきか、世爻・身爻・用神と牽渉あるかなきかを詳察しなければならない。吉凶はそこより見える。月建の中に有るは真に有り、それが事を壞すは真に事を壞す。たとえば財を求むを占うに、卦中に財爻なしとも月建が正に財なら、後に終に得られる。卦中に財ありて月建が財を剋せば、必ず艱阻あり、その月を過ぎてこそ財を得る。卦中に財なく月建も財ならず、日辰が財なら、当日に少し許し得る。この少しの財また剋を受ければ、用を為さない。要するに月建は一事を成就し、日辰はただ傍より扶助するに過ぎない。
且如五月內,占小兒病,得大過卦。卦中無子孫爻,而月建午火,正旺為主象,不斷其死亡。餘仿此。凡看月建,與日辰同論。亦喜其扶持用爻,剋制忌爻。忌爻旺動而又生扶之,則是助桀為虐,其禍為尤甚也。最惡者歲君,宜靜而不宜動。太歲乃天子之爻。若來沖剋世身主象,主災厄不利,一歲中多不寧靜。故此星為最惡。但貴人反宜見之。若帶三刑六害,其禍尤甚,雖貴人亦不宜。若為主事爻入卦,其事必干朝廷,利於求官謀職。常人用事,多凶少吉。然此爻喜安靜,不喜發動;若被日辰動爻沖起,必有災患。
さらに一例を挙ぐ。五月に人が小児の病を占いて、《大過》卦を得た。卦中に「子孫」爻なし、しかるに月建の午火が正に旺なれば、それを取って用神と為し、ゆえにこの子は死せずと断じた。残りはこれに倣う。およそ月建を看るは、日辰を看ると同一の道理で、同じくそれが用神を扶持し忌神を剋制するを喜ぶ。もし忌神がもとより旺動して月建がまたそれを生扶すれば、それは桀を助けて虐を為すで、禍患は格外深重である。諸神の中で最も悪むべきは「太歳」で、それは静を宜として動を宜とせず。太歳は天子の爻で、それが世爻・身爻あるいは用神を冲剋しに来れば、一年の中の災厄不利・多く安寧ならぬを主る。ゆえにこの星は最悪と言う。ただし身に貴位を居する者はかえってこれを見るを宜とする。太歳が「三刑」「六害」を帯びれば、禍はさらに深重で、貴人と雖も見るを宜とせず。太歳が用神と為りて卦に入れば、占う事は必ず朝廷に関わり、官を求め職を謀るに利あり。尋常の百姓がこれをもって事を為せば、凶多く吉少し。要するにこの一爻は安静を喜び発動を喜ばず、日辰あるいは動爻に冲起されば、必ず災患ある。
最要者身位,喜扶而不喜傷。身:即月卦身也。其法與決,見第一卷。大抵成卦之後,先看卦身現與不現;與月建、日辰、動爻,有無干涉,則吉凶便見。故卜易以身為最要,而不可不看者也。且如占得困卦:身爻在午。兌宮以午火為官鬼;旺則官非,衰則疾病。又如未濟卦:卦身在寅。若日辰是申巳沖刑之,離宮以寅木為父母,便知尊長撓括,或文書相干也。
最も緊要なるは「卦身」の位で、それは扶助を受くるを喜び傷剋を受くるを喜ばず。ここに言う身とは月卦身で、起法と口訣は本書第一巻に見える。大抵卦を排成した後、まず卦身が六爻の中に現るや否やを見、次にそれが月建・日辰・動爻と牽渉あるや否やを見れば、吉凶は分暁を見る。ゆえに卜易は卦身を最要と為して、看ざるべからず。たとえば《困》卦を占い得たとき、卦身は午爻にあり。困は兌宮に属し、兌宮は午火をもって「官鬼」と為す。この爻が旺なれば官司口舌あり、衰なれば疾病あり。また《未済》卦では、卦身は寅爻にあり。日辰が申か巳にしてこれを冲しこれを刑せば、未済は離宮に属し、離宮は寅木をもって「父母」と為す。ゆえに尊長の攪擾するを知り、あるいは文書上の牽連あり。
又如兄弟爻動,與卦身相併,衰則虛詐,旺則口舌怪異也。若出現變動,依五類所主推之。如占人貴賤,身遇財爻,化出父母,必是有藝富人。餘仿此。大凡卦身,占事為事體,占人為人身。喜扶而不喜傷。凡言扶,則生並拱合,皆在其中。而曰傷者,則又兼刑沖剋害而言也。世人多以“子午持世身居初”之身爻用之,多有不驗,且未曉其義。予見卜易玄機,金鎖玄關,明卦身之身,甚為得旨。故舍彼而取此焉。
また「兄弟」爻が発動して卦身と併臨すれば、兄弟が衰なら虚詐欺瞞を主り、兄弟が旺なら口舌是非あるいは怪異の事を主る。卦身が現れてまた変動すれば、父母・兄弟・子孫・妻財・官鬼の五類が各々主るところに従って推す。たとえば一人の貴賎を占うに、卦身が「妻財」爻に遇って「父母」を化出すれば、それは必ず手藝ある富人である。残りはこれに倣う。およそ卦身は、事を占えば事の本体を代表し、人を占えばその人の身を代表し、皆扶を喜び傷を喜ばず。扶と言えば、生・併・拱・合は皆その中に包まれ、傷と言えば、また刑・冲・剋・害を兼指す。世人は多く「子午持世身居初」の一套の身爻を起す法を用いるが、往々にして験なく、しかもその義理を明白にしない。私は《卜易玄機》《金鎖玄関》の二書の卦身の身を講明するを見て、よく要旨を得たりとす。ゆえにあの一套を捨ててこの一套を取る。
世為己,應為人,大宜契合;卜卦分世應者,賓主之象。世為己,應為人與事。人有彼此,所以辨人情之好惡也。求謀用事,須得生合比和,則有成就。若刑沖剋害,必主艱難。此其所以大宜契合也。海底眼云:世應相剋,縱然好事,也須費力。
世爻は自己を代表し、応爻は他人を代表し、両者は最も契合を宜とする。卜卦に世応を分かつは、主客の象を取る。世は自己、応は他人と事情である。人に彼此の分あれば、正に人の情の好悪を辨別するに用いる。およそ求謀し事を辦ずるには、世応が生合するか比和してこそ成就ある。もし彼此が刑冲剋害なら、必ず艱難である。これすなわち「大いに契合を宜とす」と言う所以の理である。《海底眼》に曰く、世応が相剋すれば、たとえ好事でも、一番の気力を費やさねばならない。
動為始,變為終,最怕交爭。交、重為動。動則陰變為陽,陽變為陰。卦中遇此,當以動爻為事之始,變爻為事之終。如占人來,得小畜之乾卦。辛未爻動,變出壬午子孫合,必婦人帶小兒來。他仿此。最怕交爭者,如主事爻臨子水動,變出未土來克害於我,乃大凶之兆。縱得用爻旺相,後亦不能稱心遂意。餘仿此。
動爻は事情の開頭で、変爻は事情の結局である。最も怕れるは両者の互いに争闘することである。「交」と「重」は皆動爻と算える。一動すれば陰爻は陽に変じ、陽爻は陰に変ず。卦中に動変に遇えば、動爻をもって事の始と為し、変爻をもって事の終と為す。例えば某人の来るか来ぬかを占いて、《小畜》が《乾》に変ずるを得た。辛未爻が発動して、壬午の「子孫」を変出してこれと合すれば、それは必ず一人の婦人が小児を帯びて来る。残りはこれに倣う。最も怕るべき交争とは、たとえば用神が子水に臨んで動するに、未土を変出して回頭して我を剋害せば、それは大凶の兆である。たとえ用神自体は旺相でも、後に称心如意たり得ない。残りはこれに倣う。
應位遭傷,不利他人之事;世爻受制,豈宜自己之謀。應受傷,不利代占,蓋代占以應為主也;世受傷,不利自占,蓋自占以世為主也。若世應逢凶,而遇此者,則勿以此斷之。世應俱空,人無準實;世應二爻,不宜在空亡之地。世空為自己不實,應空為他人不實。世應俱空,彼此皆無準實,謀事必有阻節。若安靜卦,世應空合,謂之失約無誠信。若忌爻發動旺相,則宜其落空也。
応爻が傷剋を遭えば、他人のためにする事に利あらず。世爻が制伏を受ければ、自己の謀る事がどうして順遂せん。応爻の傷を受くるは、人に代わって占うに利あらず。代占は応を主とするからである。世爻の傷を受くるは、自己のために占うに利あらず。自占は世を主とするからである。ただし世応自体がもし凶神に臨むときは、この時かえって傷剋されるべきで、この条に照らして断ずべからず。世応両爻ともに空亡に落ちれば、双方ともに準実なし。世応二爻は空亡の地に落ちるを宜とせず。世の空は自己の実在せず、応の空は相手方の実在せずである。両爻俱に空なれば、彼此ともに準なく、事を謀れば必ず阻碍あり。もし安静の卦にして世応がまた空にして合ならば、それを双方の失約・ともに誠信なしと言う。反対に、もし卦中の忌神が発動して旺相ならば、それは正に世応を空に落としてこれを避けしむべきである。
內外競發,事必翻騰。卦中一爻二爻發動,則變化有常,生克不亂,或吉或凶,自有條理。若內外爻象,紛紛競發,則吉凶靡定,人情不常。必主事體反覆,卒無定論。海底眼云:獨發易取、亂動難尋。是也。世或交重,兩目顧瞻於馬首;應如發動,一心似托於猿攀。世應皆不宜動,動則反變不常。馬首是瞻,或東或西;猿猱攀木,身心靡定。皆言其變遷更改,不能一其思慮也。但世以己言,應以人言。海底眼云:應動他人心易變。以應推之,世可知也。
内外卦が一斉に乱動すれば、事情は必ず反覆する。卦中にただ一两爻の発動あれば、変化に常軌あり生剋も乱れず、あるいは吉あるいは凶自ずから条理あり。もし内外の諸爻が紛紛として争うて発動すれば、吉凶に定準なく人情も反覆無常で、必ず事体の屢変してついに定論なきを主る。《海底眼》に曰く、一爻の独発は断を取り易く、六爻の乱動は繹を尋ね難し、正にこの意である。世爻がもし重畳発動すれば、人は士卒が主将の馬頭を望むが如く、馬頭の東を指せば東し、西を指せば西す。応爻がもし発動すれば、人心は猿猴の樹を攀ずるが如く安んずる所なし。世応両爻ともに動くを宜とせず。一動すれば反覆無常。馬首の瞻る所、忽ち東し忽ち西し。猿猴の木を攀ずる、身心定まらず。言う所は皆変遷更改、思慮の専一たり得ぬことである。ただ世爻は自己に就いて言い、応爻は他人に就いて言う。《海底眼》に曰く、応爻一動すれば、他人の心は便ち変わり易し。応爻より推して行けば、世爻の道理もまた明白になる。
用爻有氣無他故,所作皆成;主象徒存更被傷,凡謀不遂。用爻,即主事爻也。如占文書,或尊長、音信等事,則以父母為主象。求財、妻妾、婦人等事,則以財爻為主象之類是也。喜旺相有氣,不宜衰弱無力。若用爻有氣,別無月建、日辰、動爻刑沖剋害,乃為上吉好卦;從心所欲,無不稱意。若用爻無氣,而又被日辰、動爻克害刑沖,乃是大凶下卦;枉費心力,必無可成之理。蓋用爻衰弱,別無生助,比同空伏之象;雖然出現,亦是無用之物耳。故曰徒存。
用神が気ありてまた別に妨げなければ、為す事皆成る。用神は卦中にあるが衰弱してまた傷剋されれば、およそ謀划皆遂わず。用爻とは主事の爻である。たとえば文書を占うか、尊長・音信の類を占うに、「父母」をもって用神と為す。財を求め、妻妾・婦人の類を占うに、「妻財」をもって用神と為す。残りは類推せよ。用神は旺相にして気あるを喜び、衰弱無力を宜とせず。もし用神に気ありて、また月建・日辰・動爻の来りて刑冲剋害するなければ、それは上吉の好卦で、心より欲する所に従い、称意ならぬなし。もし用神に気なく、また日辰・動爻に剋害刑冲されば、それは大凶の下卦で、心力を枉費して成る理絶無である。用神が衰弱にして生助なければ、落空・伏蔵と同じく、卦中に現れても、過ぎず無用の物で、ゆえに「徒存」と言う。
有傷須救,傷者:身世主象,見傷於他爻也。救者:動爻日辰,制伏於忌爻也。且如用臨申金,而被午火動克,則申爻受傷矣;若得日辰是未字合住之,不使之克;或日辰是子字沖散之,不能來克;或日辰是亥字制伏之,不許其克;皆為有救也。其他刑害等類,皆仿此。若世身主象,見傷於月建日辰者,則真受其禍。蓋二者為卜卦之主,無可救之道也。
傷剋を受くれば、救神あるを要す。傷とは、身爻・世爻あるいは用神が他の爻に傷剣されることである。救とは、動爻あるいは日辰が忌神を制伏することである。たとえば用神が申金に臨んで、午火の発動して剋しに来るに遭えば、申爻は傷を受く。この時もし日辰が未土にして午火を合住すれば、午は剋しに行く能わず。もし日辰が子水にして午火を冲散すれば、午は剋を成さず。もし日辰が亥水にして午火を制伏すれば、午は再び剋するを許されず。これら皆救ありと言う。残りの刑・害の類もこの道理に照らす。ただし身爻・世爻あるいは用神が月建・日辰に傷られるなら、それは真にその禍を受くる。この二者は卜卦の主で、救うべきの法子なきが故である。
無故勿空。夫旬中空亡,有有故而空者,有無故而空者。凡遇日月動爻傷克,而在空亡,謂有故而空,避之可也。若無刑沖剋害,而身世主象自落空亡,此為無故而空。大凶之兆。占病必死,占事不成,占人有難。蓋空則雖有日辰動爻,難以扶持救援之故也。空逢沖而有用;凡遇卦爻空亡,今人不拘吉凶,概以無用論之。殊不知見沖亦有可用之處。蓋沖則必動,動則不空。所以雖空而有用也。假如戊午日,占天時,得升之乾卦。
故なきに空亡に落ちるべからず。旬中の空亡は二種に分かつ。一は故あって空、一は故なくして空である。およそ爻が日建・月建あるいは動爻に傷剣されて、恰好また空亡の中に落つるを、故ある空と言い、傷剣を避けて妨げなし。もし刑冲剋害なきに、身爻・世爻あるいは用神が自ら空亡に落ちれば、これを故なき空と言い、大凶の兆である。病を占えば必ず死し、事を占えば成らず、人を占えば難あり。一たび空に落ちれば、たとえ日辰・動爻傍にあっても、扶持救援し難きが故である。空爻はもし冲に逢えば、かえって用あり。今の人はおよそ卦爻の空亡に遇えば、吉凶を問わず一概に無用と為すが、冲に遇うに可用の処あるを知らず。冲なれば必ず動き、動けば空ならず。ゆえに空なりと雖も用あり。たとえば戊午日に天気を占いて、《升》が《乾》に変ずるを得た。
卦中父母空亡,卻被日辰沖動,定有雨。惟忌火空見沖則不吉。合遭破以無功。卦中有合,所謀易遂。如兩人同心協力,事必克濟。惟恐奸詐小人兩邊破說,則未必不生一二猜忌之心也。故凡遇合,須防刑沖剋害以破之,則不成合。且如寅亥兩爻,本相和合;若有申字動,則申金克了寅木,又害了亥水,故雖合亦無功用矣。三合同看。天玄賦有合處逢沖之論,宜詳味之。
この卦で雨を主る「父母」爻は空亡に落ちたが、日辰に冲动されたので、雨ありと断じた。ただし天時を占うに最も忌むは火爻が空に落ちてまた冲に逢うで、それなら不吉である。爻は相合せど、一旦破られれば功なし。卦中に合あれば、謀る所は成就し易く、二人の同心協力するが如く、事は必ず辦じ得る。ただ奸詐の小人が両辺より挑撥して、一二分の猜忌の心を生ぜしめぬを怕る。ゆえにおおよそ合に遇えば、刑冲剋害がこれを破るを防がねばならない。合は成らざるを得る。たとえば寅・亥の両爻はもと相合すが、もし申爻の発動あれば、申金は寅木を剋しまた亥水を害して、合なりと雖も作用を起し得ない。三合局もこの道理に照らす。《天玄賦》に「合処に冲に逢う」の一段の議論あり、細かに体味すべきである。
自空化空,必成凶咎;六甲空亡,猶深淵大壑,人不可履之地。若世身主象,無故而自入於空;或發動而入於空者;皆為大凶之兆,作事不利。惟忌爻見之反吉。刑合克合,終見乖淫。合者:合和也。凡占見之,無不吉利。然人不知,合中有刑有克。合而有克,畢竟不和;合而有刑,終成乖戾。且如用午字為財爻,未字為褔爻,午與未合,然午帶自刑,名為刑合。占妻妾多不正,占財亦是不正之財也。克合,如丑子之類是也。餘俱仿上。
爻自体が空に落ち、また変化して空に入れば、必ず凶咎を成す。六甲旬中の空亡は、深淵大壑の如く、人の涉足し得ざる地である。もし身爻・世爻あるいは用神が故なくして自ら空亡に落ち入るか、発動の後に空亡に化入すれば、皆大凶の兆で、事を為すに利あらず。ただ忌神がここに落つるはかえって吉である。相合の中に刑と剋を挟めば、ついに乖張失和を見る。合とは和合で、およそ占い見るに吉利ならぬなし。しかるに人は多く知らず、合のうちにも刑あり剋あり。合して剋を帯ぶれば、畢竟和睦し得ず。合して刑を帯ぶれば、ついに乖戻と為る。たとえば午をもって「妻財」と為し、未をもって「子孫」と為せば、午と未はもと六合なり、然れど午はまた自ずから自刑を帯び、これを刑合と言う。妻妾を占えば多くは品行正からず、財を占うも来路正からざる財である。剋合に至っては、丑と子の相合するに丑土が子水を剋するが如し。残りは皆上の道理に推す。
動值合而絆住,大凡動爻不遇合爻,然後為動。若有合,則絆住而不能動矣。故雖動亦作靜爻論之。然有吉有凶,不可一概而論。且如用財而兄弟發,若有日辰合住兄弟,則不能克,而財爻不受其傷矣。子孫發動,而被日辰合住子孫,則不能生,而財爻不蒙其惠矣。故凡所忌之爻動而合住,則不成凶;所喜之爻動而合住,則不濟事。三合,三爻俱動為合住。六合,兩爻俱動為合住。
動爻が合に遇えば、絆される。およそ動爻は合爻の牽絆なきを要してこそ真に動と算え得る。もし合あれば、絆されて動き起きず。ゆえに動なりと雖も静爻として論ず。ただしここに吉あり凶あり、一概に論ずべからず。たとえば財を求むに「兄弟」が発動すれば、兄弟はもと財を剋せんとす。もし日辰が兄弟を合住すれば、それは剋を成さず、財爻は傷を受けない。反対に「子孫」が発動してもと財を生ぜんとす。もし日辰が子孫を合住すれば、それは生を成さず、財爻もその好処を得られない。ゆえに忌む所の爻が動して合住されれば、凶は成らず。喜ぶ所の爻が動して合住されれば、事も辦じられない。三合局は三爻ともに動いてこそ合住と算え、六合は両爻ともに動いてこそ合住と算える。
靜得沖而暗興。大凡占得六爻不動之卦,不可便以為安靜。若被日辰沖之,則雖靜亦動。譬如夜臥之人,無所撓括,則不醒寢。苟或被人沖喚,及推摸搖拽,百計叫醒,莫能安然而熟睡矣。故天玄賦以為逢沖暗動。但不可只以日辰取之,有旺動之爻亦能沖起。其吉凶詳見天玄賦中。
静爻が冲を得れば、暗のうちに興動す。およそ六爻ともに動かざる卦を占い得ても、便ち安静と為すべからず。もし日辰の冲に来るに遭えば、静なりと雖も動と算える。夜に寝る人の、人の攪擾なければ自ずから安穩に睡るが如し。一旦人に呼ばれ推され摇され、百般に醒まされれば、彼は再び安然熟睡すること能わず。ゆえに《天玄賦》はこれを「冲に逢えば暗動」と言う。ただし単に日辰を取りて冲とすべからず。卦中の旺相発動の爻も同じく静爻を冲起し得る。その中の吉凶は、《天玄賦》に詳しい。
入墓難克,墓者,滯也。動爻遇之,亦沉滯而不能脫灑矣。且如寅為主象,而卦中動出酉字、丑字,本嫌酉金克傷寅木,喜得丑乃金之墓庫,則酉貪入墓,而寅木不為其所傷矣。餘仿此推之。刑沖剋害,亦當同看。帶旺匪空。旺者,旺相爻也。謂春月木旺火相,夏月火旺土相,秋月金旺水相,冬月水旺木相,四季之月,土旺金相。古人所謂當生者旺,所生者相是也。此爻空亡,不作空論。以其有氣故也。雖日下見阻,過旬則成。古人云:旺相空亡過一旬。謂值過此一旬則不空,而謀事始成矣。
忌爻が一たび墓に入れば、人を剋動し得ず。墓とは停滞で、動爻がこれに遇えば、沈滞して洒脱たり得なくなる。たとえば寅木をもって用神と為すに、卦中に酉金と丑土を動出せば、もと酉金の寅木を剋傷せんとするを嫌う。幸いに丑は金の墓庫で、酉金はただ墓のうちに投じ入るを顧みて、寅木はそれに傷られない。残りはこれに推し、刑・冲・剋・害も同じく看る。爻が旺相を帯びれば、真空と算えず。旺とは当令旺相の爻で、春月は木旺して火相、夏月は火旺して土相、秋月は金旺して水相、冬月は水旺して木相、辰戌丑未の四季の月は土旺して金相である。古人の言う「生ずる所に当たるは旺、生ぜしむる所は相」はこの意である。このような爻はたとえ空亡に落ちても、空として論ぜず。気あるが故である。眼下に阻碍あっても、この一旬を出れば事は成る。古人の言う「旺相空亡一旬を過ぐ」は、この一旬を過ぎれば空ならず、謀事ここに初めて成るを言う。
有助有扶,衰弱休囚亦吉;此指主事爻而言也。且如主事爻無氣,本為不美;喜得日辰、動爻、月建生扶合併,則雖無氣,不作衰弱論。譬如貧賤之人而遇貴人提拔,則困苦相忘於扶持之下矣。但忌爻無氣,則不可扶也。
生助ありてまた扶持あれば、用神はたとえ衰弱休囚でもなお吉である。この一句は主事の爻に就いて言う。たとえば主事の爻が気なきは、もとより美ならず。幸いに日辰・動爻・月建の来りてこれを生じ、これを扶け、これを合し、これを併するを得れば、それは気なしと雖も、衰弱として論ずべからず。貧賎の人が貴人の提拔に遇えば、従前の困苦はこの一番の扶持の下にまた忘るるが如し。ただし忌神が気なきならば、それは再びこれを扶くべからず。
貪生貪合,刑沖剋害皆忘。刑沖剋害,四者皆凶惡之神。若得傍有生爻合爻,則彼貪生貪合,自不為患矣。故曰忘。假如世坐子,而動出卯字,此正無禮刑,本為凶兆;如得傍爻動出戌字,則卯貪戌合,不暇刑子。此貪合忘刑之例也。又如世坐巳字,而卦中動出寅字,木能生火,所以忘其刑也。又如用臨巳字,動出亥字,亥本沖巳;若得動出亥、卯字,則亥水貪生卯木,不暇沖於巳矣。此乃貪生忘沖之例。餘皆仿此推詳之,可也。
爻が一旦生を貪り合を貪れば、刑冲剋害を皆忘る。刑・冲・剋・害の四者は皆凶悪の神で、もし傍らに別にこれを生ずる爻あるいはこれを合する爻あれば、それはただ生を貪り合を貪るのみで、自ずから患を為しに来ず。ゆえに「忘」と言う。たとえば世爻が子水に坐し、卦中に卯木を動出せば、子は卯を刑し、正に「無礼の刑」と言う所で、もとより凶兆である。もし傍爻にまた戌土を動出せば、卯は戌と相合して、卯はただ戌に合するに忙しく、再び子を刑する暇なし。これ貪合忘刑の例である。また世爻が巳火に坐し、卦中に寅木を動出せば、寅巳はもと相刑するが、木は火を生じ得る。寅はただ巳を生ずるに顧みて、また刑を忘る。また用神が巳火に臨んで、亥水を動出せば、亥はもと巳を冲す。もし同時にまた卯木を動出せば、亥水はただ卯木を生ずるに顧みて、巳を冲する暇なし。これ貪生忘冲の例である。残りは皆このように推詳すればよい。
別衰旺以明克合,辨動靜以定刑沖。夫地支有不和者,無怪乎其相剋也。相沖、相刑、相害是也。然不別衰旺,辨動靜,則謬於所用也。蓋旺爻能克衰爻,衰爻克不得旺爻;旺爻合得起衰爻,衰爻合不起旺爻。動爻刑得靜爻,靜爻刑不得動爻;動爻沖得靜爻,靜爻沖不得動爻。故也。餘皆仿此。又如日辰與卦爻,則又日辰害得卦爻,卦爻害不得日辰。餘亦仿此。
衰旺を分辦してこそ、剋と合の実効を明白にし、動静を辨別してこそ、刑と冲の成立を定め得る。地支の間にもと不和ありて相剋するはもと怪しむに足らず、このほかに相冲・相刑・相害あり。ただし衰旺を分かたず動静を辨ぜずして用いれば、出錯を生ず。旺爻は衰爻を剋し得るも、衰爻は旺爻を剋動し得ず。旺爻は衰爻を合起し得るも、衰爻は旺爻を合起し得ず。動爻は静爻を刑するを得るも、静爻は動爻を刑するを得ず。動爻は静爻を冲动するを得るも、静爻は動爻を冲动し得ず。残りは皆このように看る。また日辰と卦爻の間も、日辰は卦爻を害するを得るも、卦爻は日辰を害するを得ず。残りもこのように推す。
或問:靜與衰爻傷不得動與旺,若遇動爻反衰,靜爻反旺,則如之何。曰:兩爻俱靜,以旺為先;有動,以動為急。蓋動,猶人之起;靜,猶人之伏。彼雖旺,何畏哉。故曰:動爻急如火。如占婚,以間爻為媒。間有兩爻,亦當以此定之。若俱靜俱動,或無旺無衰,則當取動爻,日辰沖之者為正,無沖,則看並起者為媒也。又無合併,然後看日辰生扶之爻。如此,則事歸於一,而無兩端之疑也。此篇乃卜筮之精微處也。故凡此類,不能不辨,不得不載。學易者勿以瑣碎目之,可也。
ある人問う、静爻と衰爻がすでに動爻と旺爻を傷り得ざれば、もし動爻がかえって衰、静爻がかえって旺なるに遇えば、また如何。答えて曰く、両爻ともに静なれば、旺なるをもって先と為し、一爻の動さえあれば、動なるをもって急と為す。動は人のすでに起ち立ちしに譬え、静は人の未だ伏して動かざるに譬う。相手方はたとえ旺なるも、また何の恐るべきかあらん。ゆえに動爻急なること火の如しと言う。たとえば婚姻を占うに「間爻」をもって媒人と為すに、間爻は两位あり、同じくこの法に照らしていずれを取るか定むべし。もし両爻が同静あるいは同動にしてまた旺衰を分かたざれば、発動するその一爻を取る。日辰の来りて冲するその一爻を正と為し、冲なければ、日辰に併起されるその一爻を看て媒と為す。もし合もなく併もなければ、最後に日辰の生扶するその一爻を看る。このようにすれば、事は一処に帰して両可の疑いなし。この一篇は卜筮の最も精微の処で、ゆえにこの類の道理は辨は辨ぜざるべからず載せざるべからず。易を学ぶ人はこれを瑣碎と看るなかれ。
併不併、沖不沖,因多字眼;刑非刑、合非合,為少支神。卦爻即成,未免有合併刑沖類。然多一字,則不成其名;而少一字,亦不成其名也。且如子日卜卦,卦中有一子字,則謂之並。若有二子字,則分開而太過矣。名雖為並,而實不能並也。二午則不沖,二丑則不合,二未則不害,二卯則不刑,二巳則不克。此多一字,而不成其名也。
「併」の如く見えて併ならず、「冲」の如く見えて冲を成さざるは、字数が一つ多きが故である。「刑」の如く見えて実に刑に非ず、「合」の如く見えて実に合に非ざるは、支神が一位少なきが故である。卦爻すでに排定せば、合・併・刑・冲のこれら名目を免れない。しかるに一字多ければすでにその名目を成さず、一字少なければ同じくその名目を成さず。たとえば子日に卦を卜するに、卦中に一つの子字あれば、これを「併」と言う。もし卦中に二つの子字あれば、力量は分散して太過で、名は併と曰えども、実には併び起きず。同理に、二つの午は冲を成さず、二つの丑は合を成さず、二つの未は害を成さず、二つの卯は刑を成さず、二つの巳は剋を成さず。これ一字多くしてその名を成さざるなり。
又如寅巳申為三刑,若有寅巳二字,而無申字;或有寅申兩字,而無巳字;或有申巳兩字,而無寅字;則不成刑。又如亥卯未為三合,或有卯未而無亥,或有亥卯而無未,或有亥未而無卯,則不成合。此少一字,而不成其合也。三刑三合,須見兩爻動,刑合得一爻起;一爻動,刑合不得兩爻起。此又不可不知。三刑古決謂丑刑戌,戌刑未,未刑丑類。最誤初學。蓋三者相見,彼此皆刑。非謂丑能刑戌,而不能刑未;未能刑丑,而不能刑戌也。如辰午酉亥為自刑,《問卜易覽》以辰見辰,午見午,酉見酉,亥見亥定之,尤為謬妄。蓋自刑者,以其自刑,而不與他爻相刑之謂也。又何必見辰見午為刑哉。
たとえば寅・巳・申が合成して三刑を成すに、もし寅・巳のみあって申なし、あるいは寅・申のみあって巳なし、あるいは申・巳のみあって寅なしならば、刑を成さない。また亥・卯・未が合成して三合を成すに、もし卯・未のみあって亥なし、あるいは亥・卯のみあって未なし、あるいは亥・未のみあって卯なしならば、合を成さない。これ一字少なくしてその合を成さざるなり。三刑と三合はさらに両爻の発動を要してこそ、その一爻を刑し起き合し起き得る。もし一爻のみ発動すれば、その両爻を刑し起き得ず合し起き得ない。この一層も知らざるべからず。古の歌訣は三刑を講じて、丑は戌を刑し、戌は未を刑し、未は丑を刑すなどと言い、初学を最も誤らせる。実はこの三支は彼此見合えば皆互いに刑するのであって、丑はただ戌を刑して未を刑し得ず、未はただ丑を刑して戌を刑し得ずというのではない。辰・午・酉・亥の自刑と言う所に至っては、《問卜易覧》は辰が辰を見、午が午を見、酉が酉を見、亥が亥を見てこそ算えると言うが、それはことさら荒謬である。自刑とは、正にそれが自ずから己を刑して別の爻と相刑せぬの意で、何ぞ必ずしも再び一つの辰、一つの午を見てこそ刑と算えんや。
爻遇令星,物難我害;令星者,四時月令之辰。春木、夏火、秋金、冬水。亦是得時健旺之星。雖見刑沖剋害,不能挫其勢。故曰:物難我害,逢空一半力。伏居空地,事與心違。伏,伏神也。卦上六爻為飛神,飛之下本宮六爻為伏神。飛為顯,伏為隱。若卦有主事爻,不必更尋伏神;若不出現,須尋伏在何爻之下;看其虛實,以定吉凶。若六爻既無主象,伏神又臨空亡,事決不成。假如丙申日占文書,得泰卦。六爻無父,而本宮父母卻伏在九二官爻下,仍舊空亡,所以無成也。
爻が「令星」に遇えば、外物は我を傷り得ず。令星とは、四時月令の当值する支で、春は木に属し、夏は火に属し、秋は金に属し、冬は水に属す。すなわち時を得て健旺なる星である。このような爻はたとえ刑冲剋害に遇うても、その気勢を挫き得ない。ゆえに外物は我を害し難しと言う。ただそれが空亡に落ちれば、力量は半分のみ残る。伏神が空の地に落ちれば、事情は心願と相違す。伏とは伏神で、卦上に排出した六爻を飛神と為し、飛神の下の本宮の六爻を伏神と為す。飛は顕、伏は隠である。卦中にすでに主事の爻あれば、さらに伏神を尋ねるを要せず。もし用神が現れざれば、こそそれがどの爻の下に伏するかを尋ね、その虚実を見て吉凶を定む。もし六爻にすでに用神なく、伏神また空亡に落ちれば、事情は必ず成らず。たとえば丙申日に文書を占いて、《泰》卦を得た。六爻の中に「父母」なく、しかるに本宮の父母は九二の官鬼爻の下に伏して、偏にまた空亡に落ちていた。ゆえにその事は成らなかった。
伏無提挈終徒爾,飛不摧開亦枉然。伏神空亡,凡事不利,不須再看。若不空亡,必須沖開飛神,提起伏神,然後有望。假如占文書,得賁卦。六爻無父,而丙午文書,卻伏在六二己丑他宮兄弟下,可言相識把住文書也。得日辰動爻有未,刑沖得丑破,或有寅卯克得丑,方可露出伏神文書為用爻。又須得子沖起午,有未合起午,有寅卯生扶午,方得其力。否則,遲滯難成。不可便指為有用也。故伏要提,飛要開,二者不可偏廢也。
伏神にこれを提起する物なければ、ついに徒らである。飛神が摧破冲開されざれば、また枉然である。伏神が空亡に落ちれば、凡事利あらず、さらに看るを要せず。もし空亡ならざれば、必ずまず飛神を冲開し、再び伏神を提起して、然る後に指望あり。たとえば文書を占いて《賁》卦を得た。六爻の中に「父母」なく、丙午の文書の爻は六二の己丑・他宮「兄弟」の下に伏す。これは熟識の人が文書を扣留したと言うべきである。日辰あるいは動爻の中に未土あって、刑冲して丑土を破開するか、あるいは寅卯木の来りて丑土を剋するを要して、伏せる文書こそ露出して用神と為す。露出した後、さらに子水の午火を冲起し、未土の午火を合起し、寅卯木の午火を生扶するを要して、こそ力を得る。さもなくば依りて遅滞して成り難し。一たび伏神を見れば便ちこれを有用と為すべからず。ゆえに伏神は提ぐべく、飛神は開くべく、両者偏廃すべからず。
六沖最緊,六害不能出,亦不能破,卜易不可不知。六爻所伏,是事情蓋有根有苗,終須再發。無動無伏,無生無化,無旺氣,又世坐空亡,永無再發之理。如十二月甲辰日,占被人訴訟,得賁卦。世坐卯鬼空亡,便為無始,其事已散;卻不知丙午文書,伏在他宮兄弟爻下,當時未曾損壞;又日辰並起空爻下,本宮丙辰兄弟,口舌尚存。春來木鬼旺相,生起文書,其事必再發。此看伏神法也。
六冲の力は最も緊要で、六害に遇えば伏神は出て来られず飛神も破り開けず。卜易の人は知らざるべからず。六爻の下に伏神を蔵すは、この事に根あり苗ありて、ついにさらに発作せんことを説明す。もし卦中に動爻なく伏神もなく、生扶なく変化もなく、また旺気に当たらず、加えて世爻が空亡に落ちれば、それは永く再び起きる理なし。たとえば十二月甲辰日、人が人に官に告げられたを占いて、《賁》卦を得た。世爻は卯木「官鬼」に坐して空亡に落ち、見るに官司は頭を起さず事情はすでに散じたるが如し。しかるに丙午の文書が他宮「兄弟」爻の下に伏して、当時未だ損壊せず、日辰の辰土がまた空爻の下の本宮の丙辰「兄弟」を併起すれば、口舌の根はなお在り。来春に至り木鬼が旺相して文書を生起すれば、この官司は必ず重新に発作す。これ伏神を看る法である。
又如丁亥日占訟,得觀卦。世應比和,父在空亡,謂之兩無心。而世下伏神又落空亡,後必不爭論。此為不再發之例也。學者宜細玩之。空下伏神,易於引拔;伏神若得伏於空亡爻下,易於扶持。蓋飛爻既空,猶無欄絆;蓋一遇日辰動爻生扶沖合,即出為用。不待伏爻上飛神破與不破也,故易於引擢。
たとえば丁亥日に人が官司を占いて、《観》卦を得た。世応は比和して、文書を主る「父母」爻は空亡に落ちる。これを両辺ともに争う心なしと言う。さらに世爻の下の伏神も空亡に落ちるを見れば、後に必ず再び争訟を起さず。これ再び発作せざるの例で、学者は細かに体味すべきである。伏神が空爻の下にあれば、抜擢し出さるること容易である。伏神が空亡の爻の下に伏し得るは、最も扶持し易し。飛爻すでに空に落ちれば、すなわち欄杆の攔ぐことなきに等しく、一たび日辰あるいは動爻の来りて生扶冲合するに遇えば、それは立ちどころに出でて用と為る。さらに飛神の破ると破らざるとを待つを要せず。ゆえに抜擢容易しと言う。
古人論伏神,不看用爻現與不現,皆以世上一爻為飛神,世上本宮一爻為伏神。故八純卦,世下無伏,則有乾家伏神坤家取之說。愚謂:既有用爻,何必又取伏神。因無用爻,不得已而搜索之也。縱然伏神有用,亦成得遲,必主費力;些少受制,便不諧矣。如遇伏神透得出來,而月建日辰又帶用爻,方可以速成斷之。
古人の伏神を講ずるは、用神の現ると現らざるとを問わず、一律に世爻のその一位をもって飛神と為し、世爻の位置上の本宮のその一爻をもって伏神と為す。ここにおいて八純卦は世下に伏神なく、「乾宮の伏神は坤宮に至りて取る」の類の説法を生ず。私は思うに、卦中にすでに用神あれば、何ぞさらに伏神を取らん。正に用神なきがゆえに、已むを得ずそれを捜索するのである。たとえ伏神に用あっても、事の成るは遅く、必ず力を費やす。少しく制約を受くれば、調わざるに至る。ただ伏神が透出し得て、かつ月建・日辰が恰好用神を帯ぶれば、こそそれを速成と断じ得る。
制中弱主,難以維持。用爻休囚,又被月建日辰制伏,縱遇生扶,亦不濟事。蓋衰弱遇克,如人攀枯枝朽木 ,豈不挫折也哉。縱有如膏之雨,難以望其回生。日傷爻,真罹其禍;爻傷日,徒受其名。日辰為六爻主宰,總其事者也。六爻為日辰臣屬,分治其事者也。是以,日辰能刑沖剋害得卦爻,卦爻則不得刑沖剋害乎日辰也。月建與卦爻亦然。
すでに衰弱なる用神がまた制伏されれば、維持し難し。用神が休囚して、さらに月建・日辰に制せられれば、たとえ別に生扶あっても事に済まず。衰弱の爻がまた剋を遭うは、人の枯枝朽木を攀ずるが如く、折断せざることあらんや。たとえ天が甘霖を降すとも、回生を指望し難し。日辰が卦爻を傷れば、卦爻は真に殃を被る。卦爻が日辰を傷れば、過ぎず空しく一つの名を担う。日辰は六爻の主宰にして一切を総攬し、六爻は日辰の臣属にして分頭して事を辦ずればこそ。ゆえに日辰は卦爻を刑冲剋害し得て、卦爻は日辰を刑冲剋害し得ず。月建と卦爻の間もこの理なり。
墓中人,不沖不發;大抵用爻入墓,則被阻滯,諸事費力難成。須得日辰、動爻沖破,或克破其墓,方有用也。假如戊寅日占財,得同人之乾卦。用爻入墓,喜得日辰克破之,果有。此一卦,或見用空入墓,以為無財,殊不知雖空而遇沖,雖墓而克破;沖空則實,破墓則開。所以有用財也。
墓の中に関せられたる人は、冲開せざれば出で来られず。大抵用神が一たび墓に入れば阻滞せられ、諸事は力を費やして成り難し。日辰あるいは動爻がその墓を冲破するか、その墓庫を剋破してこそ、用神は用あり。たとえば戊寅日に財を求むを占いて、《同人》が《乾》に変ずるを得た。用神は墓に入りたれども、幸いに日辰の寅木が墓庫を剋破して、後に果して財を得た。この一卦もし用神のすでに空にしてまた墓に入るを見るのみで、財なしと為さば、それは誤りである。空なりと雖も冲に遇い、墓に入ると雖も墓の剋破さるるを知るべし。空を冲せば空は実に転じ、墓を破れば墓門は開啓す。ゆえにこの卦はなお財あって用い得る。
身上鬼,不去不安。六親中,惟官鬼為凶殺。世爻臨之,若非職役人卜,多凶少吉。須得日辰動爻克去之,然後無事;或忌爻臨於身世者亦然。然亦不可克之太甚,則我亦受傷。先聖有曰:人而不仁,疾之已甚,亂也;惟貴得其中耳。予曾於三月丁丑日占身,得鼎卦,不動;然不數日而洩瀉作。後七月甲戌日占身,亦得鼎卦,不動;乃得安然無事。蓋前丁丑日也,三月正旺,又並動卦中子孫辛丑爻克之,此則克太甚也。七月土衰,所以無事。
身に「官鬼」を帯びて、それを去らざれば安寧を得ず。六親の中に官鬼のみが凶煞で、世爻がそれに臨むは、官職差役ある人の占うに非ざれば、凶多く吉少なし。日辰あるいは動爻がそれを剋去してこそ、然る後に事なし。忌神の身爻世爻に臨むも同じである。ただしまた剋するに太狠を過ごすべからず。太狠なれば我が自己も傷を受く。孔子曰く、不仁の人を痛恨するに過分ならば、また禍乱を招く――貴ぶは正にその中道を得るにあり。私はかつて三月丁丑日に自身を占いて、《鼎》卦を得た。六爻動かざるに、数日を過さずして瀉肚子を起した。後に七月甲戌日に再び自身を占いて、同じく《鼎》卦を得、同じく六爻動かざるに、安然無事であった。故は前の次は丁丑日にして、三月は土が正に旺にして、また卦中の「子孫」辛丑の爻を併動して世を剋せば、これが剋するに太過なり。七月は土すでに衰え、ゆえにかえって無事なり。
又如癸巳日有鄉人,同卜官事者,一人得遁卦,乃受刑責;一人得恆卦,而兩邊和釋。蓋此二卦,官鬼俱帶刑爻持世,皆非吉兆。然遁卦鬼爻雖空,而被日辰扶起,且無去官之爻;恆卦則喜日辰去之,又應生世,所以無事也。德入卦而無謀不遂,德者,德爻也。謂天地合其德也。蓋天干地支,上下皆合是也。亦謂之龍神。生合為妙,克合次之。如戊寅見癸亥,甲子見己丑之類。此爻為主象,所謀皆遂。
たとえば癸巳日、二人の同郷がともに来りて官司を卜す。一人は《遯》卦を得て、後に刑責を受け、一人は《恒》卦を得て、両辺は和解した。この二卦の「官鬼」は皆刑爻を帯びて世を持ち、もとより皆吉兆ならず。ただ《遯》卦は鬼爻が空亡に落ちたが日辰に扶け起されて、卦中に官鬼を去る能う爻なく、《恒》卦は喜んで日辰が鬼を去り、応爻また来りて世を生ず。ゆえに無事なり。「徳」が卦に入れば、謀るに遂わざるなし。徳とは徳爻で、天地のその徳を合するを指し、すなわち天干と地支の上下ともに相合すること、また「龍神」と言う。徳爻が用神と生合するを最妙とし、剋合するを次とする。たとえば戊寅が癸亥に遇い、甲子が己丑に遇う類は、正に戊癸相合して寅亥相合し、甲己相合して子丑相合する。これらの爻がもし用神と為れば、謀る所皆心に遂う。
如九月己酉日,占文書,得小畜之蠱卦。五爻動出丙子文書,與世上辛丑作合;此正天地合其德也。果應在戊子日成了文書。忌臨身而多阻無成。忌者,忌爻也。如用財則兄弟為忌爻,用官則子孫為忌爻之類。此爻持臨身世,不拘公私,皆主阻滯而不順。若或休囚無氣,亦見費力艱難。如旺則必不成矣。其餘所用仿此。
さらに一例を挙ぐ。九月己酉日に文書を占いて、《小畜》が《蛊》に変ずるを得た。五爻が発動して、丙子の「父母」文書の爻を変出し、世爻の辛丑と相合す。丙辛相合、子丑相合、これ正に天地のその徳を合するなり。後に果して戊子日に応じて文書を辦成した。忌神が身世の上に臨めば、多く阻碍して成らず。忌とは忌神で、財を求めれば「兄弟」は忌神、官を求めれば「子孫」は忌神、残りは類推せよ。忌神が身爻世爻に持臨すれば、公事私事を論わず阻滞不順を主る。それは休囚無気なりと雖も、力費やし艱難なるを見る。もし旺相なれば、それは必ず成らず。残りの所用の神もこれに照らして推す。
卦遇凶星,避之則吉;凶星,刑沖剋害是。避之,六甲空亡是。夫空之一字,極有玄妙;若執真空,便失先天之旨。蓋百物自空中來,無中生有,還歸於空。空中不受傷克,反有可成之機。如六爻安靜,用爻無故自空,此為真空,萬事無成。若被日辰動爻刑沖剋害於用爻,而用爻在空,此為避凶而空。《金鎖玄關》所謂:克空為用是也。即是不壞,但目下略阻,過旬即成。如六月壬申日,占子病,得姤之大過卦。父母旺動,用爻無氣,本為凶兆;喜得用爻在空避之,果至丙子日愈。蓋至丙子,則前面已過,又遇用爻帝旺之地,故也。
卦中に凶星に遇い、それを避け得れば吉である。凶星とは刑・冲・剋・害で、避けるとは六甲空亡のうちに落ちることである。「空」のこの一字は極めて玄妙で、もし真空無用の一説に死執すれば、先天の宗旨を失う。万物はもと空中より来り、無中より有を生じ、最後にまた空に帰する。空の中に処れば傷剋を受けず、かえって成るべきの機を蔵する。もし六爻が安静にして用神が故なく自ら空に落ちれば、それは真空で、万事成らず。もし用神が正に日辰あるいは動爻に刑冲剋害されて、それが恰も空中にあれば、それは凶を避けての空である。《金鎖玄関》の言う「剋空をもって用と為す」は正にこの意で、このような用神は壞れず、ただ眼下にやや阻碍あるのみで、この一旬を出れば成る。たとえば六月壬申日に児の病を占いて、《姤》が《大過》に変ずるを得た。「父母」が旺相発動して子孫を剋し、用神自体また気なし。もと凶兆なれども、幸いに用神が正に空亡に落ちてそれを避け、後に果して丙子日に至りて痊愈した。丙子に至れば、空亡のその一旬はすでに過ぎ、また正に用神子水の帝旺の地に遇えばこそ。
爻逢忌殺,敵之無傷。忌爻發動,凡事不利。喜得比肩同類,幫助用爻以敵之,不弱於彼,事亦可成。假如用爻在未,而卦中動出寅卯字,則土被木克,而受其傷矣;若得月建日辰上,有辰戌丑未幫扶未土以敵之,則彼將寡不敵眾,而自止矣。又如七月乙未日,為脫役事,占得損之節卦。官鬼發動,財爻助鬼傷身,本不可脫;喜得日辰未土,六五又變戌土,扶助世上丑土,有氣敵之,鬼不能傷。果應無事。
爻は忌神凶煞に遇うと雖も、力あってこれと抗衡せば、我を傷る能わず。忌神が発動すれば、凡事利あらず。喜ぶ所は同類比肩の爻あって用神を助けてこれと対抗するに、それに弱まざらんことを要し、事はなお成り得る。たとえば用神が未土にあって、卦中に寅・卯木を動出せば、土は木に剋されて傷を受く。もし月建・日辰の上に辰・戌・丑・未あって未土を帮扶してこれと抗衡せば、木は寡にして衆に敵せず、自ずから停まる。また七月乙未日、人が差役を脱免するの事のため卦を占いて、《損》が《節》に変ずるを得た。「官鬼」が発動し、「妻財」がまた鬼を生じて世を傷りに行く。もと脱し得ざるなり。幸いに日辰の未土あり、六五爻また戌土を変出して、一斉に世上の丑土を扶助すれば、土気は鬼に抗するに足るほど旺し。鬼は世を傷る能わず。後に果して応験して事なし。
主象休囚,怕見刑沖剋害;休囚則不能敵殺。故怕見之。如五月乙未日,占財,得泰之大畜卦。用爻無氣,又被日辰克害,果無望。用爻變動,忌遭死墓絕空。死墓絕空,乃陷井之地,大凶神也。死不復生,絕不復續,入墓則不能出,墮空則不能起。若主象發動而化入者,不問公私大小之事,皆主不成。占病逢之,必死無疑。
用神がもし休囚なれば、刑冲剋害を見るを怕る。休囚の爻は凶煞に抵当し得ず。ゆえに見るを怕る。たとえば五月乙未日に財を求むを占いて、《泰》が《大畜》に変ずるを得た。用神は気なく、また日辰に剋害されて、後に果して指望なかりき。用神が発動して変化する時、最も忌むは死・墓・絶・空を変出すること。死・墓・絶・空は陥穽の地、大凶の神である。死せば再び生ぜず、絶せば再び続がず、墓に入れば出で来られず、空に堕てば起きられず。もし用神が発動してこの四者に化入すれば、公事私事・大事小事を論わず成らざるを主る。病を占ってこれに遇えば、必ず死す。
用化用,有用無用;卦中既有用爻,不可再化出來,謂之化去。且不獨用爻自化,或旁爻化出,皆不濟事。故雖有用爻,此同無用爻之卦一般。占病尤忌。空化空,雖空弗空。假如甲辰旬中占卦,卦中寅動空亡,而化出卯字亦空,謂之空化空。可作一半用。蓋本寅字當了空亡,後來卯字不作空矣。故雖空而不為空也。《金鎖玄關》謂:重空不空。亦是此意也。
用神がまた用神を化出するは、用あるが如く見えて実には用なし。卦中にすでに用神あれば、さらに一つを化出すべからず。これを「化去」と言う。しかも単に用神が自ら化出するのみならず、傍爻が用神を化出するも、同じく事に済まず。ゆえに卦中に用神ありと雖も、用神なき卦と一樣で、病を占うに尤も忌む。空爻が空爻を化出するは、空なりと雖もまた空と算えず。たとえば甲辰旬の中に卦を占うに、卦中の寅爻が発動して空亡に落ち、変出の卯爻も空亡に落ちれば、これを「空の空を化す」と言い、一半として用い得る。本位の寅字がすでに空亡を担えば、後頭の変出の卯字は空と為さざればこそ。ゆえに空なりと雖も空と為さず。《金鎖玄関》の言う「重空不空」もこの意である。
養主狐疑,養,涵養之象。即長生中第十二位之星是也。若主象化入此爻,主凡事未決,狐疑不定。決云:金養於辰,木養於戌,火養於丑,水土養於未。若用爻屬申酉金,動而化出之爻是辰字,木動而化入於戌之類。是也。墓多闇昧。大抵凶爻要入墓,吉爻不要入墓。《金鎖玄關》有:人墓、事墓、鬼墓之別。《天玄賦》有身、世、命,隨鬼入墓之論。皆大凶之兆。占病遇之,九死一生;捕獲遇之,深遁難覓;人物遇之,愚蒙不振;失脫遇之,暗藏不見。蓋墓者,滯也。闇昧不明之象。卦中主象帶刑動入墓者,占病必死,占訟入獄。
用神が「養」爻に化入すれば、主人の心に遅疑を生ず。養は涵養の象で、すなわち長生十二位の中の第十二位である。用神がもしこの爻に化入すれば、凡事に主意を拿えず狐疑して決せざるを主る。口訣に曰く、金は辰に養い、木は戌に養い、火は丑に養い、水と土は未に養う。たとえば用爻が申・酉金に属して発動し、変出の爻が辰、あるいは木爻が発動して戌に化入するは、皆この種の情形である。用神が「墓」に入れば、多く暗昧不明。大抵凶爻はそれを墓に入れしむを要し、吉爻はそれを墓に入れしめざるを要す。《金鎖玄関》は人墓・事墓・鬼墓の差別を分かち、《天玄賦》は身・世・命が鬼に随って墓に入るの議論ありて、皆これを大凶の兆と言う。病を占ってこれに遇えば、九死一生。逃犯を捕拿してこれに遇えば、人は深く躲れて尋覓し難し。人物を占ってこれに遇えば、その人は愚昧不振。失物を占ってこれに遇えば、物は暗藏して見えず。墓とは停滞で、暗昧不明の象である。卦中に用神が刑爻を帯びて発動して墓に入れば、病を占うに必ず死し、官司を占うに下獄を要す。
化病兮傷損,病,即長生對沖之神也。主象化出病爻,凡事有損。占病未痊;占物不中;占藥無效;占文書有破綻;占行人未回;占身命帶疾;占婦人必不貞潔;占容貌必有破相。故曰傷損。化胎兮勾連。胎,即長生中第十一位之神也。決云:金胎在卯,木胎在酉,火胎在子,水土胎在午。若主象化入胎爻者,主遲滯不響快。占行人。主象化入胎爻,必有羈絆,未能動身。如占盜賊及失脫,若官鬼化入胎爻者,主外勾裡連也。
用神が「病」爻を化出すれば、傷損ありを主る。病とは、長生と对冲するその一位の神である。用神が病爻を化出せば、凡事に損あり。病を占えば痊愈し得ず、物を占えば物は合用せず、薬を占えば薬は効を見ず、文書を占えば文書に破綻あり、行人を占えば人は未だ帰らず、身命を占えば身に疾を帯び、婦人を占えば必ず貞潔ならず、容貌を占えば顔に必ず破相あり。ゆえに傷損と言う。用神が「胎」爻を化出すれば、牽連糾纏を主る。胎とは、長生十二位の中の第十一位である。口訣に曰く、金は卯に胎し、木は酉に胎し、火は子に胎し、水と土は午に胎す。用神がもし胎爻に化入すれば、事情遅滞して爽快ならざるを主る。行人を占えば、用神が胎爻に化入すれば、その人は必ず羈絆ありて、まだ身を動かし得ず。もし盗賊と失物を占うに、「官鬼」が胎爻に化入すれば、外に人の勾結あり内に人の接応あるを主る。
凶化長生,熾而未散;主事爻化入長生者,皆吉。即是成得遲耳。惟壞事之爻化入長生者,則其禍根始萌,日漸增長,凶惡之勢,必盛而後已。如占病,褔化長生,日漸減可;鬼化長生,日加沉重。直至墓絕日,始殺其勢。吉連沐浴,敗而不成。沐浴,即四敗也。決云:金敗在午,木敗在子,火敗在卯,水土敗於酉。如用爻及所喜之爻化入敗爻者,皆凶。蓋敗之名,即不成之義也。若忌爻化入此爻,則不成凶。或賭博爭鬥,成謀之事,尤為大忌。予卜供膳,得臨之兌卦,應臨財爻生世,本吉;但嫌其化入敗爻,後果應不能濟事。
凶爻が「長生」に化入すれば、凶焔は正に熾りて消散せず。用神が長生に化入するは皆吉で、ただ成ることやや遅きのみ。唯だ事を壞るの爻が長生に化入するは、それは禍根の剛に萌芽し、日に生長して、凶悪の勢いは必ず盛極に至って然る後に罷む。たとえば病を占うに、「子孫」の福神が長生を化すれば、病は日に軽減す。「官鬼」が長生を化すれば、病は日に加重して、鬼爻の墓・絶の日に至るまで、凶勢はこそ煞住し得る。吉爻が「沐浴」に連なれば、敗して成らず。沐浴はすなわち四敗の地で、口訣に曰く、金は午に敗し、木は子に敗し、火は卯に敗し、水と土は酉に敗す。用神および所喜の爻が敗爻に化入するは皆凶を主る。「敗」のこの名目はもと不成の意なればこそ。反対に忌神が敗爻に化入すれば、凶はかえって成らず。およそ賭博争闘・事を謀成するに、化入敗爻を尤も大忌とす。私はかつて膳食を承辦するの事のため卦を占いて、《臨》が《兌》に変ずるを得た。応爻は「妻財」に臨んで世を生じに来る。もと吉なれど、ただそれが敗爻に化入するを嫌う。後に果して事を辦じ得ざりき。
戒回頭之克我,回頭克,乃用爻化出忌爻也。亦謂之本爻受克。凡事遇之不吉。世身亦不宜。如金化火,水化土類也。勿反德以扶人。古人有:“相生須用他生我,相剋須還我克他”之句。若主事爻不生合世身,而反生合應爻;或應爻不生世,而世反生應者,皆謂之反德扶人。凡占遇此等之卦,必主費力艱難。必代人占卦,乃為順利,事必易成。此又學者之所當知也。
変爻が回頭して我を剋るを戒備すべし。回頭剋とは、用神が忌神を化出することで、また本爻の剋を受くと言い、凡事これに遇えば不吉で、世爻・身爻はさらに有るべからず。金爻が火爻を化出し、水爻が土爻を化出する類の如し。また反対に好処を他人に送るべからず。古人に両句あり、相生は須らく他の我を生ずに来るべく、相剋は須らく我の彼を剋しに行くべし。もし主事の爻が世爻身爻を生合せず来らず、反対に応爻を生合しに行き、あるいは応爻が世を生じに来らず、世爻が反対に応を生じに行かば、これらを皆「反徳扶人」と言う。およそ卦を占ってこの類に遇えば、必ず力費やし艱難なるを主る。ただ他人のために占うのみが順利と算えて、事はかえって成り易し。この一層もまた学者の知るべき所である。
惡曜孤寒,怕日辰之並起;刑沖剋害乎我者,為惡殺。非大殺、劫殺類。若得無氣而又孤立無助,雖來傷我,必能敵之。即是不壞。惟怕日辰扶並起來,則必仗其勢而肆毒於我,乃可畏也。用爻重迭,喜墓庫之收藏。用爻重迭太過,若無日辰、動爻損之,必須得墓庫收藏,然後可望。且如丁丑日占財,得益之萃卦。卦中有兩重財,初九、上九又化出兩重財,日辰又是財,共有五重財;本為太過,不濟事;喜得世上有辰字財庫,謂之財有庫藏,主有財也。餘仿此。
悪星はもとより孤单にして援なし。怕るるは日辰がそれを併起するのみ。およそ我を刑冲剋害するに来るは皆悪煞と算え、専ら「大煞」「劫煞」の類を指すにあらず。この種の悪煞はもし自体に気なくまた孤立助なければ、たとえ我を傷りに来ても、我はこれを抵当し得て、壞と算えず。ただ日辰がそれを扶け併起すれば、それは日辰の勢頭を仗けて肆意に我を毒害する。それこそ畏るべし。用神が重畳して多すぎるは、墓庫あってそれを収蔵するを喜ぶ。用神が重畳して太過なれば、もし日辰・動爻がそれを損するなければ、必ず墓庫あって収蔵して然る後に指望あり。たとえば丁丑日に財を求むを占いて、《益》が《萃》に変ずるを得た。卦中にもと两重の財爻あり、初九・上九また两重の財を化出し、日辰の丑土もまた財で、共に五重の財あり。もとより太過に属して事に済まず。幸いに世爻の上に辰字が坐して、正に財爻の庫で、これを財に庫蔵ありと言う。ゆえに彼に財あると断じた。残りはこれに倣う。
事阻隔兮間發,古云:世應當中兩間爻,發動所求多阻隔。蓋此二爻,居世應之中,隔彼此之路,動則兩邊隔絕。故也。要知何人阻節,以五類推之。如父母動,乃尊長之屬。心退悔兮世空。占事,若應不克世,日辰無傷,用爻有氣,而世自落空;其人心墮意懶,不能勇往精進,以成其事也。
事情に阻隔あるは、「間爻」の発動するによる。古語に曰く、世応の中間のその両間爻が一たび発動すれば、求む所の事に阻隔多し。この二爻は世応の間に夾まり、彼此往来の路を隔断して、一動すれば両辺は断絶する。何人か中より阻撓するを知らんには、父母・兄弟・子孫・妻財・官鬼の五類に就いて推す。たとえば「父母」が発動すれば、それは尊長の類の人である。心に退悔を生ずるは、世爻が空に落ちるによる。事を占う時に応爻が世を剋しに来らず、日辰にも傷剋なく、用神にまた気あって、偏に世爻が自ら空亡に落ちれば、それはこの人の心灰意懶にして、勇往精進の勁頭を提起して事を成就する能わざるなり。
卦爻發動,須看交重;凡遇卦不安靜,當以動爻交重論之。交主未來,重主過去。如占逃亡,卦有父動,主有音信。若交爻,當有人報信;如重爻,則信已先知。他仿此。動變比和,當明進退。動爻變出之爻,若比合,則當以進退論之。若寅化卯為進神,卯化寅為退神。進主上前,退主落後。如占行人:用爻發動,若化進神,不日可望;化退神,則雖起程,亦他往未歸也。又如占宅,火在二爻動,可言其家灶常遷改。若化進神,必移於前;化退神,必移於後。他仿此。
卦爻が発動せば、「交」か「重」かを分かつを要す。およそ卦の安静ならざるに遇えば、動爻の交・重に就いて論ずべし。交は未来の事を主り、重は過去の事を主る。たとえば逃亡を占うに、卦中「父母」が発動すれば音信ありを主る。もし交爻ならば、将に人の報信に来らんとす。もし重爻ならば、その消息は実に早く已に知りぬ。残りはこれに倣う。動爻と変爻がもし同類比和なれば、進神と退神の別を明白にすべし。動爻の変出する爻が本爻と比合同類なれば、進退をもって論ず。寅が卯を化すは進神、卯が寅を化すは退神。進は向前を主り、退は落後を主る。たとえば行人を占うに、用神が発動して進神を化せば、日ならずして到家を望み得る。退神を化せば、すでに起程したれど、それは別処へ転往して未だ帰らざるなり。また住宅を占うに、火爻が二爻に発動すれば、この家の灶は常に改建するを断じ得る。進神を化せば必ず前に移り、退神を化せば必ず後に移る。残りはこれに倣う。
