『黄金策』第二十四・避亂(避役を附す)
人有窮通,世有否泰。自嗟薄命,適當離亂之秋;每嘆窮途,聊演變通之易。因錄已驗之卦爻,為決當今之倭寇。承平日久,莫識亂離之苦。不幸海倭竊發,橫行吳越之間,剽掠村落,縱肆淫殺,不忍見聞。
人には困厄と顕達があり、世道には閉塞と通泰がある。私は自ら命の薄さを嘆き、ちょうど離亂の年頭に出くわした。常々行き場のないことを感慨し、しばらくこの変通の道を講ずる『易』を推演する。そこでかつて應驗した卦爻を記録して、当今の倭寇の患を判断するのに用いた。天下が太平で久しく、人びとはすでに亂離の苦しみを知らない。不幸にして海上の倭寇が突然興り、吳越の間で横行し、村落を掠め、ほしいままに姦淫殺戮し、その惨状は見るに忍びず聞くに忍びない。
數年以來,人情洶湧,避亂不暇。有在家而遭其燒劫者,有在途而被其擄掠者。或死非命,或致傷殘,或夫妻之不顧,或父子而相離。割恩舍愛,惟命是逃。然則伯道之棄兒,豈虛語乎!予賴卜筮,未嘗遭遇,此因不幸中之萬幸也。因以平日所驗者,錄述此篇,以為卜倭張本。而凡以患難之慾避者,亦仿其占。云:須憑五類,勿論六神。
ここ数年来、人心は惶惶として逃難も間に合わない。家中で彼らに焚き掠められた者、路の上で彼らに虜にされた者もいる。ある者は非命に死に、ある者は傷殘を負い、ある者は夫妻が互いに顧みられず、ある者は父子がそのまま失散した。人びとはみな恩愛を割き、ただ命を保って逃奔する。これを見れば、晉人の鄧伯道が亂中に子を捨てたことは、どうして虚言であろうか。私は卜筮に倚仗したおかげでこれらに遭遇せず、実に不幸中の幸いであった。そこで平日に應驗した例を記してこの一篇とし、倭患を占う根本とした。およそ患難に遇って避けようとする者も、この法に倣って占えばよい。冒頭にすぐ言う。「須らく六親五類を憑むべし、六神を論ずるに及ばず」と。
世之占者,皆以玄武為倭賊,予則以官論。玄武倘臨福德,亦作倭斷耶。故憑五類,勿論六神。鬼位興隆,賊勢必然猖獗;官爻墓絕,人心始得安康。以鬼為倭者,鬼能興災致禍,倭亦傷人害物,故也。旺相發動,勢必猖獗,縱橫出入,莫能御止;若得休囚安靜,日辰動爻又不沖並,則安枕而臥,必無驚恐。
世の占う人はみな「玄武」をもって倭寇とするが、私は「官鬼」をもって論ずる。もし玄武が臨むのが「福徳」なら、それもまた倭寇と断ずるのか。ゆえに六親五類を憑むべし、六神を論ずるに及ばずというのである。「鬼位興隆」とは官鬼が旺盛で、賊勢は必ず猖獗するということである。「官爻墓絶」とは官鬼が墓絶に入って初めて人心が安定できるということである。官鬼をもって倭寇を表すのは、官鬼が災いを興し禍を惹くことができ、倭寇もまた人を傷つけ物を害するから、その性情が同じである。官鬼が旺相で發動すれば、賊勢は必ず猖獗し、縦横に出没して抵当できない。それが休囚安靜で、日辰・動爻もまた冲しに来ず併せに来なければ、高枕して臥せることができ、必ず驚恐はない。
路上若逢,休出外;宅中如遇,勿歸家。凡占,以卦中二爻為宅,五爻為路。鬼在路上動,出外必遇,不如避於家中;在宅上動,必然在家撞見,不如出外避之。動來刑害,從教智慧也難逃;變入空亡,縱被拘留猶可脫。卦中鬼動,若不傷世,任彼猖獗,不遭其禍;如被刑沖剋害,必難逃避。若變入死墓空絕,則是虎頭蛇尾,雖凶無咎之兆,虛驚則不免焉。若變生旺,妻財等爻,則為可畏。
官鬼が路の上に落ちれば、出門するな。宅の中に落ちれば、家に帰るな。およそ亂を避けるを占うには、卦中の第二爻を住宅とし、第五爻を道路とする。官鬼が路爻の上で發動すれば、門を出れば必ず撞見するから、家に隠れているに如かず。官鬼が宅爻の上で發動すれば、必ず家の中で遭うから、門を出て躲避するに如かず。「動來刑害」とは、官鬼が發動して前に来て世爻を刑害すれば、あなたにどれほど智謀があっても逃れられないということである。「變入空亡」とは、それが空亡に變入れば、たとえ捉えられてもなお身を脫することができるということである。卦中に官鬼が發動しても、世爻を傷つけさえしなければ、彼がどんなに猖獗しても我が頭上に落ちては来ない。それに刑・冲・剋・害されれば、必ず避け難い。それが死・墓・空・絶に變入れば、それは虎頭蛇尾であり、凶險ではあっても災禍はなく、ただ虚驚一場は免れない。もしそれが生旺の地に變入り、あるいは妻財などの爻を變出すれば、それは恐ろしい。
日辰制伏,何妨卦裡刑傷;月建臨持,勿謂爻中隱伏。官鬼動來刑剋世爻,固是凶兆。若得動爻日辰剋制之,或沖散合住之,皆謂有救,雖見凶惡,必不為害。惟怕月建日辰帶鬼刑剋世爻,則雖卦中無鬼,亦必遭其毒手。月建為甚,日辰次之,出現則不可當也。
日辰がそれを制伏し留めてくれれば、卦の中の刑傷も何の妨げがあろうか。月建が自らそれを帯びていれば、それが爻中に隱伏しているから無事だと思うな。官鬼が發動して世爻を刑剋しに来るのは、固より凶兆である。しかし動爻や日辰がそれを克制するか、冲散するか合住するかを得れば、みな有救という。凶險を見ても必ず害とはならない。最も恐れるのは月建・日辰そのものが官鬼を帯びて世爻を刑剋しに来ることであり、そうなれば卦中に鬼爻を見なくても、必ず彼の毒手に遭う。月建が鬼を帯びるのが最も甚だしく、日辰がそれに次ぐ。鬼爻がなお明らかに卦上に現れていれば、さらに抵当できない。
所惡者提起之神,所賴者死亡之地。鬼爻伏藏,固是吉兆。若被動爻日辰沖開飛神,提起伏神,仍被其害。必得鬼伏死墓絕,或臨空亡,則雖提之,亦不能起,方無事也。且如甲申日卜得渙卦,六爻安靜,又無官鬼,豈非吉兆?殊不知本宮己亥鬼,伏於六三空亡爻下,既已透出,又遇申日提起,且又沖剋世爻,所謂變吉為凶,果被婦人引禍及己。蓋申金乃離宮妻財,故也。
最も憎むべきはあの伏神を提起する爻であり、最も倚賴すべきは死絶の地である。官鬼が伏蔵しているのはもともと吉兆である。しかし動爻や日辰が飛神を冲開して伏神を提起すれば、依然としてその害を受ける。必ず官鬼の伏する處が死・墓・絶に當たるか、あるいは空亡に落ちていなければならない。そうすればたとえ提起されても起き上がれず、これで初めて無事という。たとえば甲申の日に渙卦を卜して得て、六爻は安靜で卦上にまた官鬼がなければ、どうして吉兆でなかろうか。殊不知、本宮の己亥の官鬼がまさに六三の空亡爻の下に伏していて、すでに透露し、また申日がそれを提起し、しかも世爻を冲剋する。これがいわゆる吉を変じて凶と為すである。後に果たして一人の婦人に禍事を引き來され、自己の身に牵连した。その原因は申金がまさに離宮の妻財であることにある。
自持鬼墓,墳中不可潛藏;或值水神,舟內猶當仔細。官父自持鬼墓者,如水土墓在辰,鬼在辰爻動是也。凡遇此象,不可避在墳墓中;土鬼皆然,雖宇宙之內,亦不宜也。木鬼:不可避在草木叢中;水鬼:不可避在舟中;金鬼:不可避在寺觀中;火鬼:不可避在窯冶中;水化水,不可避在夾內;乾宮鬼化父,不可避在樓閣中,否則必然遇見。餘當仿此推。
世爻が自ら鬼墓に坐していれば、墳の中に隠れてはならない。官鬼が值るのが水神なら、船の上に藏れるのも格別に小心せねばならない。いわゆる官爻・父爻が自ら鬼墓を持すとは、たとえば水土の墓が辰にあり、官鬼がまさに辰爻の上で發動するのがそうである。およそこの卦象に遇えば、墳墓の中に隠れてはならない。およそ土鬼はみな同じで、甚だしきは天地の間のいかなる土穴も適さないという。木鬼は草木の叢の中に隠れてはならない。水鬼は船の上に隠れてはならない。金鬼は寺觀の裏に隠れてはならない。火鬼は窯竈・冶坊の中に隠れてはならない。水がまた水を化するのは、夾牆・夾層の內に隠れてはならない。乾宮の官鬼が父母を化出すのは、樓閣の上に隠れてはならない。さもなければ必ず撞見される。その余はみなこれに倣って類推する。
子爻福德北宜行,午象官爻南勿往。官鬼所臨地,倭寇出入之所,宜避之。如臨午爻,勿往南方類。子孫所臨地,倭寇不到之處,宜往之。如臨子爻,宜往北方類。餘仿此。鬼逢沖散,何須剋制之鄉;福遇空亡,莫若生扶之地。
子爻の上が「福徳」なら、北方へ往くのが便宜である。午爻の上が官鬼なら、南方へ往くな。官鬼の臨む方位は、倭寇が出沒する所だから避けるべきである。たとえばそれが午爻に臨めば、南方へ往くな。子孫の臨む方位は、倭寇の到らぬ所だから往くべきである。たとえばそれが子爻に臨めば、北方へ往くのが宜しい。その余もこれに依って類推する。「鬼逢冲散、何須剋制之鄕。福遇空亡、莫若生扶之地」の二句は、子孫に望みがないとき別に方位を擇ぶ變通の法を講ずるのである。
取子孫之地為吉者,以其剋制官爻也。若發動則取之。若福靜官動,而卦有沖散合住官爻者,即以沖合之方為吉。以其為得用之神,故也。若卦無子孫,或落空亡,或衰靜受制,不得其力,而鬼爻又無沖散合住之類者,則取生合世爻之方為吉;但不宜在鬼爻刑剋沖害之地耳。
子孫のある方位を吉とするのは、子孫が官鬼を克制できるからである。子孫が發動すれば自然にそれを取る。もし子孫が安靜で官鬼が發動し、卦中に別の爻が官鬼を冲散するか合住すれば、その冲爻・合爻のある方位をもって吉とする。それこそがこの時得用の神だからである。卦中に全く子孫がないか、子孫が空亡に落ちるか、衰弱安靜でまた制を受けて、その力に望みがなく、官鬼もまた冲散・合住の類の制約を受けていなければ、世爻を生合するその方位を取って吉とする。ただ官鬼の刑・剋・冲・害する方位に落ちるのは宜しくない。
旺興內卦,終來本境橫行;凡占倭夷到此地否,若官在本宮內卦發動,必到此地;在他宮外卦,則不入我境。內卦持世,值到宅邊;內卦應臨,雖來不入我室;卦身臨之,彼此俱遭其禍。動化退神,必往他鄉剽掠。官鬼發動,其勢必來。若化退神,乃是往於他處劫掠也;如化進神,倭必速到,宜早避之。
官鬼が旺盛で内卦に發動すれば、賊は終に本地に來て横行する。およそ倭寇がこの地に來るか否かを占い、官鬼が本宮の内卦で發動すれば必ず到來する。他宮の外卦なら我が境內に入らない。内卦が世を持するのは、賊が住宅の傍まで來る。内卦が応に臨むのは、賊は來ても我が家門に入らない。卦身が官鬼に臨むのは、彼此ともに殃に遭う。「動化退神」とは、官鬼が發動して退神を變出せば、必ず別處へ往って搶掠するということである。官鬼が一たび發動すれば、賊勢は必然として來る。退神を化すれば、それは他處へ轉じて劫掠する。進神を化すれば、倭寇は必ずまもなく到るから、早めに躲避するのが宜しい。
官連旺福合生身,反凶為吉;官爻發動克世,必遭毒手。若得化出子孫,或化子財,反來生合世身者,必然因禍致福。或得財物,或得子女。陽化陰財刑剋世,弄假成真。官爻發動,不傷世爻;而化妻財,反傷世爻者;必因貪得財物,而惹禍也。若陽鬼化陰財,陰鬼化陽財,須防倭賊假裝婦人,哄誘鄉民,因而遇之,不能避也。得世在空避之,庶幾可脫。
官鬼が旺相の子孫に連なって世身を生合しに來れば、反って凶を転じて吉と為す。官爻が發動して世を剋すのは、もともと必ず毒手に遭う。それが子孫を化出すか、あるいは子孫と妻財を化出して、反って世爻・卦身を生合しに來れば、必ず禍に因りて福を得る。あるいは財物を得、あるいは子女を得る。「陽化陰財刑剋世」はこれと反対で、假を弄して真と為すである。官爻が發動してもとは世爻を傷つけないのに、妻財を化出して反って世を傷つけに來れば、それは必ず財物を貪ったために禍を惹いたのである。陽鬼が陰財を化出し、陰鬼が陽財を化出すれば、倭寇が婦人に假扮して鄕民を誑かし當てさせ、因りて彼らに撞當り、避けようにも避けられないことを防がねばならない。この時世爻が落空して躲避を得てこそ、脫身の望みがある。
賊興三合爻中,必投陷井;卦有三合爻動,最怕鬼動其中,或會成鬼局,必主倭夷四邊合來。雖欲避之,前遭後遇,左沖右撞,不能脫離。卦有兩鬼俱動克世,亦然。三合兄局,身雖無事,財物失散。三合父局,小兒仔細。三合財局,生合世爻,反主得財;刑剋世爻,則主父母失散。三合子局,則傷鬼最吉也。
賊勢が三合の爻の中に興れば、人は必ず陷阱に落ち込む。卦中に三合の爻が發動すれば、最も恐れるのは官鬼がその中に動くか、あるいは會して官鬼の局を成すことで、それは必ず倭寇が四面から合圍して來ることを主る。たとえ躲避しようとしても、前で遭遇し後で撞當り、左に冲き右に突いても身を脫せない。卦中に二つの官鬼が一齊に發動して世を剋しに來ても、情形は同じである。三合が會して兄弟の局を成せば、人身は無事でも財物は散失する。會して父母の局を成せば、小さな子供を格別に當心せねばならない。會して妻財の局を成して世爻を生合しに來れば、反ってこれに因りて財を得ることを主り、世爻を刑剋すれば父母と失散することを主る。會して子孫の局を成せば、それは官鬼を剋傷するので最も吉利である。
身在六旬空處,終脫樊籠。身世空亡,雖見刑剋,不能為害,避空故也。如癸亥日卜得損之臨卦,日辰扶助官鬼,動克世爻,並無救制,豈非凶兆?然而世坐空亡,果應無事。官鬼臨身,任爾潛蹤猶撞見;官爻持世,乃是倭賊臨身,如何可避?如被捉去而占,亦不能脫彼而回。
卦身が本旬の空亡の處に落ちれば、終に牢籠を掙脫できる。身爻・世爻が空亡に落ちれば、たとえ刑剋を見ても人を傷つけられない。落空がちょうどよく躲避できるからである。たとえば癸亥の日に損卦を卜して臨卦に變じた例では、日辰が官鬼を扶助し、官鬼が發動して世爻を剋しに來て、卦中にまた救援制伏が毫もない。どうして凶兆でなかろうか。しかし世爻がまさに空亡に坐していたため、結局果たして平安無事であった。「官鬼臨身」はこれと反対で、官鬼が世爻の上に持しているのは、あなたがどんなに蹤跡を藏しても撞見されるということである。官爻が世を持すれば、倭寇が自己の身に貼り付いているも同然で、どうして避けられようか。すでに捉えられた後に占いに來たなら、なお脫身して歸ることは断じてできない。
子孫持世,縱然對面不相逢。子孫持世,不動亦吉,發動尤妙。若臨月建,或帶日辰,或在旁爻旺動,皆吉。卦中雖有鬼動,亦不足畏。大怕空亡,則不幹事。兄變官爻,切恐鄉人劫掠;卦中無鬼,或落空亡,而遇兄動變出者,須防鄰人乘機劫盜財物,非真倭賊也。兄在內卦,近鄰人;在外卦,遠方人也。
子孫が世を持せば、たとえ賊と當面して過ぎても撞わない。子孫が世を持するのは、發動しなくても吉、發動すればなお妙である。それが月建に臨むか、日辰を帯びるか、旁爻の上で旺相發動するのは、みな吉象である。この時卦中にたとえ官鬼の發動があっても、畏れるに足らない。最も恐れるのはそれが空亡に落ちることで、そうなれば頼りにならない。「兄變官爻」とは、兄弟爻が官鬼を變出せば、同郷の人が亂に乘じて劫掠するのを防がねばならないということである。卦中にもともと官鬼がないか、官鬼が空亡に落ちているのに、兄弟が發動して鬼を變出すのに遇えば、隣居が機に乘じて財物を搶奪するのを防ぐべきである。これは真の倭寇ではない。兄弟が内卦にあれば近鄰、外卦にあれば遠處の人である。
財連鬼殺,須防臧獲私藏。卦中無鬼,財變官爻者,恐是家中奴婢,假妝倭子,劫掠財物,或在亂中被其藏匿也。在外卦,乃鄰里婦人。日辰沖剋財爻,妻奴失散,動象刑傷福德,兒女拋離。官鬼動,必有驚險。不拘日辰動爻,被其傷處,即不太平。如沖剋財爻,主妻奴失散。沖剋子孫,主兒女拋離之象。
財爻が官鬼・凶煞に連なれば、家の奴僕が私に財物を蔵るのを提防せねばならない。卦中に官鬼がないのに財爻が官鬼を變出せば、おそらく家裏の奴婢が倭寇に假扮して財物を搶掠しに來るか、あるいは亂に乘じて物を藏してしまう。外卦にあれば、それは鄰里の婦人である。「日辰冲剋財爻」とは、日辰が財爻を冲剋しに行けば、妻子・奴僕が失散することを主るということである。「動象刑傷福徳」とは、動爻が子孫を刑傷しに行けば、児女が離散することを主るということである。官鬼が一たび發動すれば、必ず驚險がある。日辰であれ動爻であれ、およそそれに傷つけられた處は太平でない。財爻を冲剋すれば妻奴の走失を主り、子孫を冲剋すれば児女が抛離する象である。
火動克身,恐有燎毛之苦;水興傷世,必成滅首之凶。卦中火加凶殺,動來克世,主有火燒之禍。火帶財爻,或化妻財,或卦無父母,或父落空亡,房屋必成灰燼。若水加凶殺克世,主有溺水之患;更遇世衰無救,必至溺死。水帶父母動於外卦,則受風雨淋漓之苦。
火爻が發動して身爻を剋しに來れば、おそらく毛髮を燒き焦がす苦しみがある。水爻が興旺して世爻を傷つけに來れば、必ず滅頂の凶と成る。卦中の火爻が凶煞を加えて發動し世を剋しに來れば、火燒の禍を主る。火爻が財を帯びるか、妻財を化出すか、卦中に父母爻がないか、父爻が空亡に落ちれば、房屋は必ず灰燼と化する。水爻が凶煞を加えて世を剋しに來れば、溺水の患を主る。さらに世爻が衰弱無救に遇えば、必ず淹死に至る。水爻が父母を帯びて外卦で發動すれば、風に吹かれ雨に打たれる苦しみを主る。
父若空亡,包裹須防失脫;妻如落陷,財物當慮遺亡。父爻空亡,包裹必然亡失;不然,則父母有不測之禍。財空,財物恐有失散;不然,則妻妾有不測之禍。子孫空亡,憂小口;兄弟空亡,憂手足。以上避空則勿斷,惟官鬼空亡為大吉。
父母爻が空亡に落ちれば、行李包裹の丟失を防がねばならない。妻財爻が陥落すれば、財物も遺失を心配せねばならない。父爻が空亡なら包裹は必ず失落する。さもなければ父母に不測の禍がある。財爻が空に落ちれば財物はおそらく散失し、さもなければ妻妾に不測の禍がある。子孫が空に落ちれば憂うるのは小さな子供、兄弟が空に落ちれば憂うるのは手足である。以上の数條は、「避空」の情形に屬すればこの断を作さない。唯獨官鬼が空亡に落ちるのは大吉である。
五位交重,兩處身家無下落;凡遇五世及游魂卦,世爻發動,脫身在外;東奔西走,避亂不暇。身宅兩處,不顧財業。更遇日辰動爻沖散世爻,必無安身下落之處。空動尤甚。六沖亂動,一家骨肉各東西。八純六沖卦,六爻亂動者,主父子夫妻,兄弟骨肉,各自逃命,不能聚於一處。六合卦,雖離,一家骨肉,必不分散。以上五條,必須卦有官動,方有此象。不動,不可亂言。
第五爻の上で「交」「重」が發動すれば、人と家の兩處ともに落ち着きがない。およそ五世卦および游魂卦に遇い世爻が發動すれば、主人はすでに身を脫して外にあり、東奔西走して逃難に暇がない。身と宅が兩處に分かれて、家産財業を顧みられない。さらに日辰・動爻が世爻を冲散するに遇えば、必ず身を安んじ落ち着く所さえなくなる。動して空に落ちるのはなおさら甚だしい。「六冲亂動、一家骨肉各東西」の一句が説くのは、六冲卦の裏で六爻が亂動する凶象である。八純卦と六冲卦で六爻が亂々と發動すれば、父子・夫妻・兄弟の骨肉が各自命を逃れて一處に聚まれないことを主る。六合卦なら、たとえ一時離散しても、一家の骨肉は終に失散しない。以上のこの五條は、必ず卦中に官鬼の發動があって初めてこの象が現れる。官鬼が動かなければ、乱に言ってはならない。
福臨鬼位刑沖帶殺,則官兵不道;子動固吉兆。若帶刑害虎蛇等殺,沖剋世爻,而又變出官鬼者,乃是官兵乘亂擄掠,非關倭寇事也。子孫雖不傷世,化鬼卻來刑剋者,亦然。且如五月戊寅日,有卜倭,得明夷之謙卦。二鬼俱靜,子孫獨發,皆欣喜。予獨戒其,慎之。蓋子孫雖動,被日辰扶起克世,則非吉兆。況變官爻,繫是世墓;世臨病爻,謂之帶病入墓,其凶可知。但官從子化出,必非倭夷之禍,乃官兵之禍也。已而果然。
子孫が鬼位に落ちて刑冲・凶煞を帯びていれば、その禍事は法度を守らない官兵の身に出る。子孫の發動はもともと吉兆だが、それが刑・害と「白虎」「螣蛇」などの凶煞を帯びて世爻を冲剋しに行き、また官鬼を變出せば、それは官兵が亂に乘じて擄掠するのであり、倭寇とは關わりがない。子孫がたとえ世爻を傷つけなくても、官鬼を化出して刑剋しに來る限りは同じである。たとえば五月の戊寅の日に、ある人が倭情を占問して明夷卦を得て謙卦に變じた。卦中の二つの官鬼はみな安靜で、ただ子孫の一爻のみが獨發し、衆人はみな歡喜したが、唯獨私は彼に謹慎するよう勸めた。子孫は動するものの日辰に扶起されて世を剋しに行くので、もとより吉兆ではない。何を況や、それが變出した官爻はまさに世爻の墓であり、しかも世爻がまた「病」爻に臨んでいる。これを帯病入墓といい、凶險は想うに知れる。ただあの官鬼は子孫から化出したものだから、倭寇の禍ではなく官兵の禍と断じた。後に果たして應驗した。
官變兄爻克合傷財,則妻妾遭淫。官爻發動,刑剋世爻,合住財爻,則身被擒獲,妻遭淫汙;如不傷世,而但合住財爻者,身雖無事,妻必被辱也。更化兄爻,既奸而又不放回也;若鬼雖不合妻財,而化兄帶合剋制者,亦然。子化官合財,恐受官兵之辱也。財化子必不順從。
官鬼が兄弟爻を變出して、また世を剋し財爻を合住すれば、それは妻妾が姦污されることである。官爻が發動して世爻を刑剋し、同時に財爻を合住すれば、自身が擒にされ妻子が污されることを主る。それが世爻を傷つけずただ財爻を合住するだけなら、自身は無事でも妻子は必ず辱めを受ける。それがさらに兄弟爻を化出せば、姦污した後も放ち還さない。官鬼が妻財を合しに行かなくても、兄弟を化出して合を帯び又克制を加えれば、情形は同じである。子孫が官鬼を化出して財爻を合しに行けば、おそらく官兵の凌辱を受ける。財爻が子孫を化出せば、その婦人は必ず肯じて順從しない。
妻去生扶,只為貪財翻作禍;鬼爻發動,最喜休囚死絕,決無深傷。若有財動生扶,必為貪彼財物,而惹成禍患也。世以己言,應以人言。若在旁爻,及日辰帶財者,又是婦人引惹禍來,非為財物也。在內卦,自家妻妾;在外卦,是他家婦人。
妻財爻が前に行って官鬼を生扶すれば、ただ財を貪って反って禍を惹き出す。官鬼が發動するときは、それが休囚死絶するのを最も喜び、そうなれば決して深重な傷害はない。財爻が發動してそれを生扶しに來れば、必ず相手の財物を貪ったために禍患を惹き成したのである。財が世爻にあれば自己を断じ、応爻にあれば他人を断ずる。財が旁爻に落ちるか、日辰が財を帯びていれば、それはまた婦人が引き來した禍事であり、財物のためではない。財が内卦にあれば自家の妻妾、外卦にあれば别人家の婦人である。
子來沖動,皆因兒哭惹成災。官鬼安靜,幸也。若被子孫沖動,必有小兒啼哭,因而知覺,乃被其害。世爻沖動,自身惹災;應爻沖動,他人惹禍;兄爻沖動,同伴惹禍;日辰沖動,亦然。
子孫が前に來て官鬼を冲动すれば、みな小さな子供が啼哭して禍を惹き出すからである。官鬼がもとより安靜なのはもともと萬幸である。子孫に冲动されれば、必ず小兒が啼哭し、これに因りて賊に察覺され、ここにおいて害に遭う。世爻がそれを冲动しに行けば、自己が惹いた災い。応爻が冲动すれば、他人が惹いた禍。兄弟爻が冲动すれば、同伴が惹いた禍。日辰が冲动しても同じである。
得值六親生旺,雖陷何妨;如臨四絕刑傷,逢屯即死。凡動爻日辰傷克,必有災咎。若受傷之爻,生旺而有氣,縱有驚險,不致傷命。惟怕臨於四絕之地,或在月令衰弱之爻,一克即倒,必然喪命。
六親の爻がまさに生旺に當たれば、たとえ賊手に陷っても妨げない。四絶の地に臨んでまた刑傷に遭えば、一たび困厄に遇えば命を送る。およそ動爻・日辰に傷剋されれば、必ず災禍がある。ただ傷を受けたその一爻が生旺で氣があれば、たとえ驚險があっても命を喪うには至らない。最も恐れるのはそれが四絶の地に臨むか、まさに月令の衰弱の時に當たることで、そうなれば一剋すれば倒れ、必然として命を喪う。
如五月庚寅日,卜得大壯之小過卦,日辰妻財,生扶動鬼,刑沖子孫,又克兄弟,果被獲去,一弟一子。然子坐絕地,而夏月庚金正弱,兄臨土爻正旺,所以子死菲命,而弟得回來也。世爻亦被動爻沖剋,而無事者,世得避空,故也。
たとえば五月の庚寅の日に大壯卦を卜して小過卦に變じた例では、日辰は妻財であって發動する官鬼を生扶しに行き、また子孫を刑冲し、さらに兄弟を剋した。結果、一人の弟と一人の息子がみな虜にされた。しかし子孫は絶地に坐し、夏月の庚金はもとより衰弱であり、兄弟の臨む土爻はまさに旺相に當たっていた。ゆえに息子は非命に死に、弟は帰ることを得た。世爻が同じく動爻に冲剋されながら安然無事であったのは、世爻が落空を得て躲避したためである。
世遇亂離,既已逐爻而決矣;時遭患難,亦當隨象以推之。平居無事,何暇占卜?倘或刑戮所加,戶役所累,或官府擒拿,仇家報復,或禍起於無辜,殃生於不測,苟不避之,終為所害。是以不能無避難之占也。然大概與避亂相似。故並附於此。
身が亂離に逢うことは前にすでに爻ごとに断じた。平時に患難に遭遇したなら、また卦象に照らして推すべきである。平安無事の日には、どうして占う暇があろうか。もし刑戮が身に加わり戸役に拖累し、あるいは官府が緝拿し仇家が報復し、あるいは禍が無辜から起り殃が意外から生ずれば、これらの事は避けなければ、終にその害を受ける。ゆえに難を避ける占法がなくてはならない。それはだいたい亂を避けるに似ているので、一つに併せてここに附する。
最怕官爻克世,則必難迴避;不拘脫役避禍,若遇官鬼動來刑沖剋世,皆不可避,持世亦難。必須鬼爻空亡,或不上卦,或衰絕不動,然後為吉。若鬼雖空絕安靜,卻遇本宮官鬼伏於世下者,目下無事,日後必然舉發。
最も恐れるのは官爻が世爻を剋しに來ることで、そうなれば必ず避けられない。差役を脱免しようとするか禍事を躲避しようとするかを問わず、官鬼が發動して前に來て世を刑・冲・剋するのに遇えば、みな避けられない。官鬼が世を持しても同様に避け難い。必ず官鬼が空亡に落ちるか、卦に上がらないか、衰絶して發動しなくて初めて吉とする。官鬼が空絶安靜でも、また本宮の官鬼が世爻の下に伏していれば、目下は無事でも後日必ず發作する。
大宜福德臨身,則終可逃生。子為解神。若臨身世,或在旁爻發動,或值月建日辰,則雖遇官鬼,亦不妨事。大怕空亡墓絕,或被父動剋制,則為無用。官化父沖,必有文書挨捕;父母旺動,名字已入憲冊,必有官批在外;鬼爻亦動,事體正急,宜速避之。父化官、官化父,刑剋世爻者,必著公差挨捕,宜慎防之。世爻空亡,雖捕不獲。
最も宜しいのは「福徳」が自身に臨むことで、そうすれば終に生きて逃れられる。子孫は厄を解く神である。それが身爻・世爻に臨むか、旁爻で發動するか、月建・日辰に値すれば、たとえ官鬼に遇うても事に妨げない。最も恐れるのはそれが空亡に落ちるか墓絶に入るか、父母爻に發動して克制されることで、そうなれば用がない。「官化父冲、必有文書挨捕」とは、官鬼が父母を化出して世を冲すれば、必ず公文の緝捕があるということである。父母爻が旺相で發動すれば、名字がすでに官府の冊子に登されており、外に必ず拘捕の批文があることを説明する。官鬼も發動すれば、その事はまさに緊急で、速やかに躲避するのが宜しい。父が官を化し官が父を化して世爻を刑剋するのは、必ず公差を派して家ごとに搜捕するので、謹慎して提防せねばならない。世爻が空亡に落ちれば、捕捉しに來ても捉えられない。
日沖官散,必多親友維持。卦中官動,固難逃避。若得日辰動爻沖散之,或剋制合住之,必有心腹親友,與我周旋幹事,或解釋、或阻擋,不使之累我也。要知何人,以沖合制鬼之爻定之。鬼帶月建,雖阻無益。
日辰が官鬼を冲散すれば、必ず多くの親友が出て周旋する。卦中に官鬼が發動すれば、もともと躲避し難い。日辰や動爻がそれを冲散するか、克制するか合住することを得れば、必ず心腹の親友が我のために奔走して事を辦じ、あるいは間から解釋し、あるいは出て阻擋し、この禍事が我に牵连するのを許さない。それが何人かを知るには、あの官鬼を冲し・合し・制伏する爻をもって定める。もし官鬼が月建を帯びていれば、人が阻攔しても事に濟わない。
鬼伏而兄弟沖提,禍由骨肉;鬼爻動,要見沖合;鬼爻靜,怕見沖合。如兄弟沖動鬼來刑剋世爻,是自家骨肉,搜蹤捕跡,恐難逃避。若鬼伏藏,而遇動爻,日辰沖開提起者,亦以六親,定其害我之人。世爻自去提起者,必是自不小心,撞見之也。
官鬼が伏蔵しているのに兄弟に冲起・提出されれば、禍事は自家の骨肉の身に出る。官鬼が發動する時は、冲・合がそれを制するのを見る。官鬼が安靜する時は、冲・合がそれを驚動するのを恐れる。たとえば兄弟爻が官鬼を冲动して世爻を刑剋しに來れば、それは自家の骨肉があちこち蹤跡を搜尋しているのであり、おそらく躲避し難い。官鬼がもともと伏蔵なのに動爻や日辰が飛神を冲開してそれを提起するに遇えば、同じく六親に照らして我を害するのが何人かを判定する。世爻が自らそれを提起したなら、それは必ず自己の不小心で撞き當ったのである。
官靜而旁爻刑剋,事出吏書。鬼動,其事必由官府;鬼靜,而卦中動爻日辰刑剋世爻者,乃是下司本局,自作主張,或是仇家陷害也。若化兄爻,或卦中兄兼動者,是欲索詐財物也。
官鬼が安靜で旁爻が刑剋しに來れば、事は衙門の胥吏の身に出る。官鬼が發動すれば、事は必ず官府から出る。官鬼が安靜で、卦中の動爻・日辰が世爻を刑剋しに來れば、それは下屬の衙門・本局の人が自ら主意して為すか、あるいは仇家の陥害である。それが兄弟爻を化出するか、卦中の兄弟が併せて發動すれば、それは錢財を敲詐しようとするのである。
應若遭傷當累眾;官鬼傷克應爻,必然累及親友。日辰刑剋應爻,亦然。妻如受克定傷財。妻財如遇兄弟動,必主破費財物。財爻合住官爻,或沖散官鬼,或化子剋制官鬼,皆宜用財買求,方得無事。
応爻が損傷に遭えば、必ず衆人を連累する。官鬼が応爻を傷剋すれば、必然として親友に牽累する。日辰が応爻を刑剋しても同じである。「妻如受剋定傷財」とは、財爻が剋を受ければ必ず財を破るということである。妻財が兄弟の發動に遇えば、必ず錢財を破費することを主る。財爻が官爻を合住するか、官鬼を冲散するか、子孫を化出して官鬼を克制すれば、この数種はいずれも錢財をもって打點し疏通すべきで、禍患を免れることができる。
偏喜六爻安靜,六爻不動,鬼爻無沖並者,患難可避,戶役可脫,大吉之兆。又宜一卦無官。無鬼,則無官主張,事必平安。空亡亦吉。或身世之逢空,世爻空亡,百事消散,縱有鬼動,亦不妨事。《海底眼》之世空世動其憂脫,正謂此。
この一門が最も喜ぶのは六爻の安靜である。六爻がともに動かず、官鬼がまた冲されず併せられなければ、患難は避けられ、差役は脱免でき、大きな吉の兆である。次いでまた一卦の中に官鬼がないのが宜しい。鬼がなければ官府の主使がなく、事は必ず平安である。官鬼が空亡に落ちても吉とする。さらにその次は身爻・世爻が空に逢うことである。世爻が空亡に落ちれば百事は消散し、たとえ官鬼が發動しても事に妨げない。『海底眼』に説く世爻が落空・世爻が發動すれば憂患は自ら解けるとは、まさにこの種の情形を指す。
或用神之得地。卦中得用之神旺相有氣,不逢刑剋沖害,不化死墓空絕,皆為得地,必得此人之力。如占避居何處,亦以此方為吉。如鬼爻發動,得父爻合住,則父爻為用神也。餘仿此。天來大事也無防,海樣深仇何足慮。此二句,總結上四條。卦中有一象。決然無事也。事有百端,理無二致。潛心玩索,若能融會貫通,據理推占,自得圓神不滯。
さらにもう一つの吉象は用神が地を得ることである。卦中に取った用神が旺相で氣があり、刑・剋・冲・害に遭わず、死・墓・空・絶に變入らなければ、みな得地といい、必ずこの一爻の表す人の助力を得られる。どこへ躲すべきかを占うにも、この一爻のある方位をもって吉とする。たとえば官鬼が發動しても、父爻がそれを合住することを得れば、父爻がすなわち用神である。その余もこれに依って類推する。「天來大事也无防、海樣深仇何足慮」の二句は、上の四條を總括するのである。卦中にそのうち一つの象を具えさえすれば、断じて事はない。天下の事は千百種あれど、道理に二様はない。ただ心を潜めて玩味し探索し、融會貫通を得て、理に依って占を推せば、自然に円通・靈活して滯礙に至らない。
『黄金策』第二十五・逃亡
寬以御眾,侮慢斯加;嚴以治人,逃亡遂起。故雖大聖之有容,尚謂小人之難養。須察用爻,方知實跡。用爻者,妻妾奴婢逃亡,看財爻類是也。若臨午地,必往南方;或化寅爻,轉移東北。
人を待つに寛厚なれば、下人は怠慢にして無禮となる。下を御するに嚴苛なれば、逃亡の事はそれに随いて起る。ゆえに大聖人のような寬容の氣度をもってしても、なお小人は豢養し難しと言う。逃亡を占うには必ず用神を細察してこそ実情を知り得る。いわゆる用神とは、妻妾・奴婢が逃げれば財爻を取る類で、逃げた者の身分に依って相応の六親を取る。用神が午爻に臨めば、その人は必ず南方へ往く。寅爻を變出せば、東北方に転移したのである。
凡占逃亡,用爻安靜,以所臨之地為逃亡去向。如坎北方,午南方類。用爻發動,以變爻定其方向。如臨午動變出寅,可言初去在南方,今移於東北方也。獨發之爻,亦可定方。六爻安靜,卦無主象,則以應爻定之。
およそ逃亡を占い、用神が安靜なら、それが臨む方位をもって逃げた去向を定める。たとえば坎は北方・午は南方の類である。用神が發動すれば、變爻をもって方向を定める。たとえばそれが午爻に臨んで發動して寅爻を變出せば、この人は初め南方に逃れ、いま已に東北方に移ったと言える。卦中にただ一爻のみが獨發すれば、それをもって方位を定めることもできる。六爻がともに安靜で卦中にまた主象の取れるものがなければ、応爻をもって定める。
木屬震宮,都邑京城之內;金居兌象,庵院寺觀之中。用爻在乾宮:尊長家,或在父族,或隱於樓閣上。坎宮:兄弟家,或在船上,或水亭中。艮宮:少男家,或在山間,或在高崗煙去處,或石匠人家。震宮:竹木林中,或鬍鬚人處,或城市間。離官:姊妹妯娌家,或窯冶所在。金爻,銅鐵匠家。巽宮:花園蔬圃之內,死絕柴草之中,或在賣履織蓆之家。坤宮:老陰人家,或在母族,或在曠野墳墓去處。兌宮:在女人家,旺相寺觀中,休囚庵院內。更宜通變,不可執滯。
用神が木に属して震宮にあれば、人は都邑・京城の內に隠れている。金に属して兌象に居れば、人は庵院・寺觀の中に隠れている。宮を分けて細かく説く。用神が乾宮にあれば、尊長の家か、父親の一族か、あるいは樓閣の上に藏れている。坎宮にあれば、兄弟の家か、船の上か、水亭の中である。艮宮にあれば、少男の家か、山の間か、高岡に炊煙のある處か、石匠の人家である。震宮にあれば、竹木の林中か、鬚のある人の處か、城市の間である。離宮にあれば、姊妹妯娌の家か、窯竈・冶坊のある所か、金爻なら銅鐵匠の家である。巽宮にあれば、花園・菜圃の內か、死絶の柴草の堆の中か、あるいは履を賣り蓆を織る人家である。坤宮にあれば、年老いた婦人の家か、母親の一族か、あるいは曠野・墳墓のあたりである。兌宮にあれば、女人の家であり、旺相なら寺觀の中、休囚なら庵院の內である。以上はなお靈活に變通せねばならず、拘泥して死守してはならない。
鬼墓交重,廟宇中間隱匿;休囚死絕,墳陵左右潛藏。用持鬼墓,其人必在聖堂神廟中;死絕無氣,則在墳墓左右。用爻入墓化墓,乃在人家牆圈內住;不然,亦主深居不出而難尋。
用神が鬼墓を持して「交」「重」の動爻の位に落ちれば、人は廟宇の中に藏れている。休囚死絶なら、墳陵の左右に潜伏している。用神が鬼墓を持せば、その人は必ず神堂・廟宇の裏にいる。死絶無氣なら、墳墓の附近にいる。用神が墓に入るか墓を化するのは、人家の院牆の圈子の內に住んでいることである。さもなければ、この人が深居して出ないことを主り、なかなか見つけ難い。
如逢四庫,當究五行;四庫:辰戌丑未是。如用爻屬木,卦有未動類。凡遇墓庫,不可一例推。如辰為水土庫,必在水邊墓側人家。戌為火庫,乃在寺廟香火去處。丑為金庫,是在銅鐵銀匠家,或在冶坊內。未為木庫,則在園林柴草間,或木工蔑匠之家。以上用臨土爻,亦依此斷。凡占逃亡盜賊,若遇墓爻,決難尋覓。直待沖破墓爻月日,方可覓。
もし四つの墓庫に碰當れば、さらに進んで五行を推究すべきである。四庫とは辰・戌・丑・未である。たとえば用神が木に属して、卦中に未爻の發動がある類である。およそ墓庫に遇えば、一概に論じてはならない。辰は水土の庫で、人は必ず水辺・墓の傍の人家にいる。戌は火庫で、人は寺廟の香火のある處にいる。丑は金庫で、人は銅鐵・銀匠の家か、あるいは冶鍊の作坊の內にいる。未は木庫で、人は園林・柴草の間か、あるいは木工・篾匠の家にいる。以上、用神が土爻に臨むのも、この法に照らして断ずる。およそ逃亡と盗賊を占い、墓爻に遇えば、決して尋ね難く、必ず墓爻を冲破する月日を直待して初めて見つかる。
倘伏五鄉,豈宜一類。卦無主象,須看伏在何爻下,便知其人在於何處。如伏鬼下,在管倉庫家中;旺加月建,官戶人家;休囚無氣,公吏人家。伏父下,叔伯父母尊長家,不然在手藝人家。伏兄下,兄弟姊妹,相識朋友家。伏財下,奴婢妻妾陰人處,或富戶人家。伏子下,在寺觀中,卑幼處也。又如伏於鬼墓下,不在廟宇中,則在寺庵內。又如伏於財庫爻下,不在倉庫中,則在富豪家也。
もし用神が別の爻の下に伏していれば、各處の情形はどうして同じであろうか。卦中に主象がなければ、それがどの爻の下に伏しているかを見れば、その人がどこに藏れているか分かる。官鬼の下に伏すれば、倉庫を管する人家である。官鬼が旺相でまた月建を加えれば、官職のある人家であり、休囚無氣なら公門の胥吏の人家である。父母の下に伏すれば、叔伯・父母の尊長の家であり、さもなければ手藝人の家である。兄弟の下に伏すれば、兄弟姊妹か相識の朋友の家である。妻財の下に伏すれば、奴婢・妻妾などの婦人の處か、富戶の人家である。子孫の下に伏すれば、寺觀の中か、卑幼の人の處である。またたとえば鬼墓の下に伏すれば、廟宇の中でなければ寺庵の內である。財庫の爻の下に伏すれば、倉庫の中でなければ富豪の家である。
木興水象,定乘舟揖而逃;用爻屬木,在坎宮動者,必乘舟逃去。木化水,水化木,或木在水宮動,或水動木宮者,皆然。用爻若臨火土,乃是陸地潛行。用爻沖動水爻,涉水逃去;沖動火爻,踰牆越籬而去;水爻刑剋用爻,必曾溺水。
木爻が興旺して水象の中に落ちれば、この人はきっと船に乘って逃げたのである。用神が木に属して坎宮で發動すれば、必ず船に坐って逃げ去った。木が水を化し水が木を化すか、木爻が水宮で發動するか、水爻が木宮で發動するのは、みなこれと同じである。用神が火爻・土爻に臨めば、それは陸路から潜行したのである。用神が水爻を冲动するのは、水を渉って逃げた。火爻を冲动するのは、牆を翻えし籬を越えて去った。水爻が用神を刑剋すれば、この人は必ずかつて水に落ちたことがある。
動合伏財,必拐婦人而去。用爻動來與本宮財爻作合,其人必拐婦人逃去。財若伏於世下,必是妻妾;應爻下,鄰家婦人;在旁爻,使令女子。主象變出之爻,與卦中財合者,亦然。若婦人逃亡,遇財官相合,亦是暗約情人而去也。
用神が發動して伏蔵する財爻を合しに行けば、この人は必ず婦人を拐帶して一緒に逃げたのである。用神が發動して本宮の財爻と作合すれば、その人は必ず婦人を拐って逃げ去った。財が世爻の下に伏していれば、それは彼自身の妻妾。応爻の下に伏していれば、鄰家の婦人。旁爻に落ちれば、使いの女子である。主象が變出した爻と卦中の財爻が相合するのも同じである。逃げたのがもとより婦人なら、財爻と官爻が相合するのに遇うのも、また暗に情人と約して一緒に去ったのである。
內近外遠生世,則終有歸期;用爻在本宮內卦,人在本地,或在宗族之中。初爻在鄰里,二爻在鄉黨。本宮外卦,本府別縣去。他宮內卦,外縣交界處。他宮外卦,別府州縣。更在六爻,遠方逃去。若臨世上,其人未曾出窟。最喜生世合世,其人雖去,常思故里。日後當自歸,尋亦易見也。
用神が内卦にあれば逃げた先は近く、外卦にあれば逃げた先は遠い。それが世爻を生じに來る限り、終に歸って來る日がある。用神が本宮の内卦にあれば、人は本地にいるか、あるいはなお宗族の內にいる。初爻にあれば鄰里に、二爻にあれば本郷にいる。本宮の外卦にあれば、本府の別縣へ往った。他宮の内卦にあれば、外縣の交界の處にいる。他宮の外卦にあれば、別の府・州・縣である。さらに第六爻にあれば、それは遠方へ逃げ往いた。用神が世爻の上に臨めば、その人はまだ窩を出ていない。最も喜ぶのはそれが世を生じ世を合することで、そうすれば人は去ったものの常に故郷を思念し、後日自ら歸って來る。尋ねに行っても容易に見える。
靜易動難坐空,則必無尋路。用爻不動,其人易尋。動則遷徙無常,指東言西,或更名改姓,必難尋獲。若落空亡,杳無蹤跡;動入空亡,逃後必死,亦有大難。有故空亡,恐人察識,遂深避之;無故空亡,必有歸日。
用神が安靜なら見つけ易く、發動すれば尋ね難い。空亡の上に坐していれば、なおさら尋訪の路子がない。用神が動かなければ、その人は見つけ易い。一たび動けば遷徙して定まらず、東を指して西と言い、あるいは改名換姓して、必ず尋獲し難い。それが空亡に落ちれば、杳として蹤跡がない。發動して空亡に入れば、逃走の後必ず死す。あるいは大難があることをも主る。緣故ある空亡は、人に認められるのを怕れて、因りてさらに深く隠れる。緣故なき空亡は、終に歸って來る日がある。
合起合住,若非容隱即相留;靜爻逢合則合起,動爻逢合則合住。若日辰動爻合起主象,必有窩藏容隱在家者,卒難尋覓;如被合住,則有人相留在家,不致放竄也。要知相留容隱之人,以合爻定之。如子孫為僧道,官鬼為巡捕類。合爻與世沖剋,決不來報。
用神が合起されるか合住されれば、人に窩藏されているか、あるいは人が彼を留めて住ませているのである。靜爻が合に逢うのを「合起」といい、動爻が合に逢うのを「合住」という。日辰や動爻が主象を合起すれば、必ず人が家裏に彼を窩藏・隱匿しており、一時になかなか見つからない。合住されれば、それは人が彼を家中に留めて住ませており、彼をさらに流窜させない。彼を留め彼を藏するのは何人かを知るには、その合爻をもって定める。たとえば子孫は僧道・官鬼は巡捕の類である。その合爻が世爻と冲剋すれば、決して信を報じに來ない。
沖動沖開,不是使令當敗露。靜爻逢沖為沖動,動爻逢沖為沖開。用爻遇動爻日辰沖動,家中必有人使令逃亡者。如父是尊長,財是妻妾類。若被沖開,有人喝破,去後必當敗露。沖爻是兄,或化兄,必被索詐財物。更帶刑爻,或加蛇虎,仍被鞭撻。動空化空,終必釋放。
用神が冲动されるか冲開されれば、家の人が彼に行くよう指嗾したか、あるいは行蹤が敗露する。靜爻が冲に逢うのを「冲动」といい、動爻が冲に逢うのを「冲開」という。用神が動爻・日辰に冲动されれば、家中に必ず人がいて彼に逃げるよう指嗾した。冲爻が父母なら尊長であり、妻財なら妻妾の類である。冲開されれば、それは人に喝破されたのであり、逃走の後必ず敗露する。冲爻が兄弟であるか兄弟を化出すれば、必ず人に錢財を敲詐される。さらに刑爻を帯びるか「螣蛇」「白虎」を加えれば、なお一頓の鞭打ちを食らう。それが動して空に落ち空亡に化入れば、最終には必ず釋放される。
動爻刑剋,有人阻彼登程;日建生扶,有伴糾他同去。用爻遇動爻,日辰相剋,必被他人責打;逢沖,被人喝破;遇克,被人捉住。有扶有並,有人同去;有生有合,有人糾他同去。以上刑剋等爻,與世有情,必來報我;與世無緣,雖阻何益?若在五爻,宜路上候之。
動爻が來て用神を刑剋すれば、人が彼を路に上がるのを攔阻する。日建が來て用神を生扶すれば、同伴が彼を邀えて一緒に走る。用神が動爻や日辰の相剋に遇えば、必ず他人に責打される。冲に逢うのは人に喝破されること、剋に遇うのは人に捉えられることである。扶があり併があれば、同行する人がいる。生があり合があれば、彼を邀約して一緒に走る人がいる。以上の刑剋の爻が世爻と情があれば、必ず來て我に信を報じる。世爻と縁がなければ、それは攔阻しても我に何の用があろうか。これらの爻が第五爻の上に落ちれば、路の上で彼を守候すべきである。
間爻作合,原中必定知情;間爻為原保人,無保以鄰里斷之。如與用爻相合,必知其情;更與世爻沖剋,必是此人誘去。空合或化空亡,始雖知情,今卻不知其去也。世應相沖,路上須當撞見。世應俱動相沖,途中必然撞見,用爻與世動沖,亦然。世爻動克用爻,或世旺應衰,必然擒拿;應旺世衰,或用爻克世,雖能遇見,不能捕之。
間爻が用神と作合すれば、原保の人はきっと知情である。間爻は原保の人を表し、保人がなければ鄰里に照らして断ずる。それが用神と相合すれば、必ず内情を知っている。さらに世爻と冲剋すれば、それは必ずこの人が彼を誘い去ったのである。空合であるか空亡に化入れば、それは當初は知情でも、今は彼がどこへ往ったかを知らない。「世応相冲、路上須當撞見」とは、世応の両爻がともに發動して相冲すれば、途中で必ず撞見するということである。用神と世爻が發動相冲するのも同じである。世爻が發動して用神を剋しに行くか、世が旺で応が衰なら、必ず人を擒えることができる。応が旺で世が衰なら、あるいは用神が反って世を剋しに來れば、遇うことはできても彼を捉えられない。
無沖無破,居六位則一去不回;有克有生,在五爻則半途仍走。用爻不受刑沖剋害,又不生合世爻,而世爻不克應者,是逃者不思歸,尋者不得見,乃一去不回之象。若動爻日辰剋制用爻,是可擒之象。若遇變出之爻,反生合用爻者,主捕後仍被逃走。在五爻,途中斷;在內卦,到家斷;持世爻,則捕歸而復逃也。
用神が冲なく破なく第六爻に居れば、それは一去囘らない。剋もあり生もあって第五爻に落ちれば、それは半路の上でまた走った。用神が刑・冲・剋・害を受けず、また世爻を生合せず、世爻も応爻を剋さなければ、これは逃げた人が歸りたくない・尋ねる人も見られないので、一往して返らない象に属する。動爻・日辰が用神を克制できれば、それは擒獲できる象である。ただし變出の爻が反って用神を生合すれば、捉えた後も依然として彼に逃脫されることを主る。この情形が第五爻に落ちれば、半路の上で走ったと断じ、内卦に落ちれば家に到ってから走ったと断じ、用神が世を持するのは、捉え還した後にまた逃げたのである。
主象化出主象,歸亦難留;卦有用爻,不宜再化出來,謂化去,必難捕獲;若被世爻動爻日辰剋制,庶可尋覓。但捉歸之後,亦不久留。本宮化入本宮,去應不遠。本宮仍化本宮卦,其人逃在本處地方,必不遠出別境;若用爻在他宮動,而又化入他宮者,遠去他方,不在本鄉也。
主象がまた一重の主象を化出せば、人は捉え還しても留められない。卦中にすでに用神があれば、さらにもう一つを化出すのは宜しくない。それを「化去」といい、必ず捕獲し難い。世爻・動爻・日辰に克制されれば、まだ辛うじて見つかるが、捉え還した後も久しくはいられない。「本宮化入本宮、去応不遠」とは、本宮卦が依然として本宮卦に變ずれば、その人は本地に逃げて、必ず遠く別境に出ないということである。用神が他宮で發動してまた他宮に變入れば、それは遠く他方へ走って、本郷にいないのである。
歸魂卦用仍生合,不捕而自回;游魂卦應又交重,能潛而會遁。凡遇歸魂卦,其人有還鄉意。若世應比和生合,或主象生合世爻者,必自歸,尋之亦易見。惟遇游魂卦,其人必無存心,決不思歸。更若應爻發動,必能東遷西徙,隱諱實跡。能潛會遁,尋之必難見面。若得世爻旺動克應,日辰動爻制伏主象,庶可尋獲,亦不費力。
歸魂卦の裏で用神がまた世爻を生合しに來れば、捉えに行かなくても彼は自ら歸る。游魂卦の裏で応爻がまた「交」「重」發動すれば、彼は藏れ遁れることに善い。およそ歸魂卦に遇えば、その人に郷に歸る意がある。世応が比和生合するか、主象が世爻を生合すれば、必ず自ら歸って來て、尋ねに行っても容易に見える。唯獨游魂卦に遇えば、その人には全く歸心がなく、決して還ることを思わない。応爻がさらに發動すれば、彼は必ず東に遷り西に徙して真実の行蹤を隱匿し、能く藏れ能く遁れて、尋ねても必ず見ることが難しい。ただし世爻が旺相發動して応爻を剋しに行き、また日辰・動爻が主象を制伏することを得れば、むしろなお尋獲でき、しかもあまり費力しない。
世克應爻,任爾潛身終見獲;應傷世位,縱然對面不相逢。世克應,是我制住他,去不甚遠,尋之易見;應克世,是他得志,去有自由之象,尋之難見。父母空亡,杳無音信;父母必有信,動空化空,皆是虛信;旺相空亡,半真半假;休囚空亡,杳無音信。父化父,或兩父動,必有兩處人來報信。若遇日辰合住,必被人阻,不能來報。用爻化父,或卦無用爻,而遇父母化出,當出招子候緝,然後有信。
世爻が応爻を剋し留めれば、彼がどんなに身を藏しても終に抓獲される。応爻が反って世位を傷つければ、たとえ當面して過ぎても認められない。世が応を剋すのは、我が彼を制したのであり、彼は遠くまで走れず、尋ねれば容易に見える。応が世を剋すのは、彼が勢を得て去就が自由であり、尋ねても見難い。「父母空亡、杳無音信」とは、父母爻が空に落ちれば、少しの消息もないということである。父母爻はもともと音信を主り、それが動して空に落ち空亡に化入るのは、みな虚偽の信である。旺相で空亡に落ちるのは、半真半假である。休囚でまた空亡に落ちるのは、それこそ真に杳として音信がない。父が父を化し、あるいは二つの父爻がともに發動すれば、必ず二處の人が信を報じに來る。父爻が日辰に合住されれば、それは信を送る者が人に攔められて來られない。用神が父母を化出すか、卦中に用神がなくて父母から化出せば、招帖と賞格を張り出して緝訪を待つべきで、然る後に初めて信がある。
子孫發動,當有維持。子孫臨身世,則好去好回,自然順利。如在旁爻動,或繫日辰生合世爻,必有維持調護之人。縱有逆事,不能為害。眾殺傷身,切恐反遭刑辱;動變月日,刑沖剋害世爻者,眾殺傷身也,須防反遭刑辱;得世爻空避,庶可脫免其禍。
子孫爻が發動すれば、自然に人が間から維護する。子孫が身爻・世爻に臨めば、それは行くも順い歸るも順いで、一切が自然に順利である。それが旁爻で發動するか、日辰がそれを帯びて世爻を生合しに來れば、必ず人が維護し調停する。たとえ順ならぬ事に遇うても、人を害することはない。「衆殺傷身」とは、衆多の凶煞が世爻を傷つけるので、おそらく反って刑辱に遭うということである。動爻・變爻・月建・日辰が一齊に世爻を刑・冲・剋・害すれば、それを衆煞傷身といい、人を尋ねて成らず反って刑辱を受けるのを防がねばならない。この時世爻が落空して躲避を得てこそ、禍を免れる望みがある。
動兄持世,必然廣費資財。兄弟持世,費財可尋。旺相發動,必然廣費資財;若加玄武乘旺動克,須防有人劫騙。世化兄,自家失脫;世臨無故自空,亦有遺亡之患。父動變官,必得公人捕捉;卦中父化官,官化父,或官父俱動,必須興詞,告官差捕,然後可獲也。
兄弟爻が發動して世を持せば、必ず大いに錢財を破る。兄弟が世を持すのは、錢を費やしてこそ尋ね還せる。それが旺相發動すれば、必然として資財を大費する。さらに「玄武」を加えて旺に乘じ發動して剋しに來れば、なお人が機に乘じて劫騙するのを防がねばならない。世爻が兄弟を化出すのは、自家に失落がある。世爻が故なく自ら空亡に落ちるのも、遺失の患がある。「父動變官、必得公人捕捉」とは、父爻が發動して官鬼を變出することである。卦中で父が官を化し官が父を化すか、官・父の両爻がともに發動すれば、必ず狀を遞して官に告げ、人を差して緝捕させて、然る後に初めて捉えられる。
世投入墓,須防窩主拘留。凡遇凶卦,而世入墓者,必有反被拘留之辱;卦吉而遇此象,則尋見之後,身有災病。世應比和不空,必潛於此;凡卜逃人在此處否,須得世應生合比和,用爻出現不空,必在此處。若用爻或空或伏,或被日辰動爻刑剋,其人決不敢往。兄弟獨發,亦不在此處。若用爻變出之爻,與應爻作合,或與日辰相合,必曾潛住於此,則轉移他處矣。世應空亡獨發,徒費乎心。逃亡世空,去尋不成;應空,尋亦不見。世應俱空,必主空回,決無尋處。兄弟獨發,虛詐不實,亦不見也。但能索隱探幽,何慮深潛遠遁?
世爻が自ら墓の中に投じれば、反って窩主に扣留されるのを防がねばならない。およそ凶卦に遇い世爻が墓に入れば、必ず反って拘留される羞辱がある。卦がもとより吉でこの象が現れれば、それは人を見つけた後に自身に災害・病が生ずることである。「世応比和不空、必潜于此」が講ずるのは、ある處に人を藏しているか否かを占うことである。およそ逃げた人がこの處にいるか否かを卜るには、世応が生合比和し、用神がまた現れて空に落ちなければ、必ずここにいる。用神が空であるか伏するか、あるいは日辰・動爻に刑剋されれば、その人は決してここへ往く勇氣がない。ただ兄弟の一爻のみが獨發しても、人はこの處にいない。用神が變出した爻が応爻と作合するか、日辰と相合すれば、それは彼がかつてここに藏れていたが、今已に別處に轉じたのである。「世応空亡獨發、徒費乎心」とは、心力を空費することである。逃亡して世爻が空に落ちれば、尋ねに行っても成らない。応爻が空に落ちれば、尋ねても見えない。世応がともに空に落ちれば、必ず空手で歸り、もともと尋ねるべき處がない。ただ兄弟のみが獨發すれば、それは虚詐不實であり、また人に見えない。要するに能く沈を鉤き隱を索め幽を探り微を發すれば、彼が深く藏れ遠く逃げるのを何を愁えようか。
