『黄金策』第二十六・失脱(盗賊・捕盗・捉賊を附す)
民苦飢寒,每有穿窬之輩;物忘檢束,亦多遺失之虞。要識其中之得失,須詳卦上之妻財。財爻為所失之物,一卦之主。自空化空,皆當置而勿問;日旺月旺,縱未散而可尋。財爻無故自空,或動化空,皆尋不見,固當置而勿問。若財爻得月令有氣,或在日下生旺之地者,其物未散,必然可尋。旺相空亡,可得一半。
百姓が饑寒に苦しめば、常に牆を穿ち窓を翻える竊賊がある。物を置いて檢點し收束しなければ、遺失の虞も免れない。失い物が取り戻せるか否かを知るには、必ず卦上の妻財爻を細看せねばならない。財爻は失した物を表し、この一卦の主象だからである。「自空化空」とは、財爻が自ら空亡に落ちるか空亡に變入れば、それは丟開して再び問うに及ばないということである。「日旺月旺」とは、それが日辰・月建の旺を得て、物はまだ散失しておらず、なお尋ね還せるということである。財爻が故なく自ら空亡に落ちるか、發動して空亡に化入れば、みな見つからず、もとよりこれを置いて問わずべきである。財爻が月令を得て氣があるか、日辰の下の生旺の地に處れば、物件はまだ散らず、必ず尋ね還せる。それが旺相でありながら空亡に落ちれば、半分しか取り戻せない。
內卦本宮,搜索家庭可見;他宮外卦,追求鄰里能知。財在內卦,又屬本宮,其物未出家庭,尋之必見。財在外卦,又屬他宮,物已出外,尋之便見難矣。在間爻,鄰里人家可尋。若財雖在內,不在本宮,其物在屋之外,不在屋之內。財雖在外,卻屬本宮,其物在宅之內,不在宅之外。更宜通變。
財爻が内卦にあってまた本宮に属すれば、自家の屋裏を搜せば見つかる。他宮にあってまた外卦に属すれば、鄰里に追問して初めて聞き及ぶ。財が内卦にありまた本宮に属すれば、物は家門を出ておらず、尋ねれば必ず見える。財が外卦にありまた他宮に属すれば、物はすでに門を出ており、尋ねるのは難しい。財が間爻に落ちれば、鄰里の人家に尋ねに行ける。財が内卦にあっても本宮に属さなければ、その物は屋外にあって屋内にない。財が外卦にあっても本宮に属すれば、その物は宅内にあって宅外にない。これらはなお靈活に變通せねばならない。
五路四門,六乃棟樑閣上,財在六爻,繫本宮,物在屋上。屬金:在壁頭上;加螣蛇,在瓦楞下。屬木:在樑上;加勾陳,在斗拱上;日辰作合,在閣板上。屬水:在屋漏處;加玄武,在坑屋上。屬火:在天窗邊,或在廚灶屋上。屬土:在燕窩中。
第五爻は道路を主り、第四爻は門戸を主り、第六爻は屋梁・樓閣の上である。財爻が第六爻にあって本宮に属すれば、物は屋上にある。金に属すれば牆頭の上にあり、「螣蛇」を加えれば瓦楞の下にある。木に属すれば梁の上にあり、「勾陳」を加えれば斗拱の上にあり、日辰と作合すれば閣樓の板上にある。水に属すれば屋漏れ・滲水の處にあり、「玄武」を加えれば坑廁の屋上にある。火に属すれば天窓の辺か、あるいは廚房・竈屋の上にある。土に属すれば燕の巣の裏にある。
六爻繫外宮,物在遠方。屬土:在牆邊。屬木:在籬邊。財臨五爻,物在路邊,動則去遠。繫本宮,在家中巷裡,或人常走動處。財臨四爻,物在門前。繫他宮,則在牆門外也。初井二灶,三為閨閫房中。
第六爻が外宮に属すれば、その物は遠方にある。土に属すれば牆の辺、木に属すれば籬の辺である。財が第五爻に臨めば、物は路の辺にあり、發動すれば遠くへ去ったのである。本宮に属すれば、自家の巷の中か、人の常に往來する處である。財が第四爻に臨めば、物は門の前にある。他宮に属すれば、牆門の外である。「初井二竈、三為閨閫房中」とは、初爻は水井を主り、二爻は竈頭を主り、三爻は內室の房中を主るということである。
財臨三爻,繫本宮,物在房內。屬金:鐵器中;屬木:在床邊,有合在箱籠廚櫃中;屬水:在榪子下;屬火:在香火堂中,或火爐內,燈架邊;屬土:房中酥泥內。外宮則以屋外事斷。如金為街砌類。
財が第三爻に臨んで本宮に属すれば、物は房內にある。金に属すれば鐵器の中、木に属すれば牀の辺、合を帯びれば箱籠・櫥櫃の中である。水に属すれば牀頭の横木の下、火に属すれば香火堂の中か、火爐の內・燈架の辺である。土に属すれば房中の酥土泥の裏である。外宮に属すれば、屋外の情形に照らして断ずる。たとえば金爻なら街道・煉瓦砌りの類と断ずる。
財臨二爻,物在廚灶邊。屬金:碗盞缸甏中;屬木:五穀木器內;屬水:盛汲漿水器中;屬火:煙樓灶肚內;屬土:灰堂泥土中。財臨初爻,物必蓋地。屬金:在磚石堆內;屬水:在井中,父母作合,在陰溝內;屬木:在地臺下;屬火:灰堆中,或灶基下;屬土:埋藏土中。生旺方埋,墓絕埋久,胎養方欲起意埋藏,未曾下手。
財が第二爻に臨めば、物は廚房・竈の辺にある。金に属すれば碗盞・缸壇の中、木に属すれば五穀か木器の裏、水に属すれば水や漿を盛る器皿の中、火に属すれば煙囪・竈膛の內、土に属すれば灰堂・泥土の中である。財が初爻に臨めば、物は必ず地下に蓋れている。金に属すれば磚石の堆內、水に属すれば井の中、父母と作合すれば陰溝の裏、木に属すれば地臺の下、火に属すれば灰の堆の中か竈基の底下、土に属すれば土裏に埋められている。生旺の爻は埋めてから間もなく、墓絶の爻は埋めて久しく、胎養の爻は埋藏の念を動かしたばかりでまだ下手していない。
水失於池,木乃柴薪之內;土埋在地;金為磚石之間。財臨水爻:生旺,物在池沼中;墓絕,物在溝渠內;逢沖,長流中;合住,是汲盛死水中。財臨木爻:生旺,竹木林中;死絕,柴薪內;又陽木竹條內,陰木草叢中;繫本宮,則竹木器中,五穀囤內。
水に属すれば池塘に失い、木に属すれば柴薪の內にあり、土に属すれば地下に埋まり、金に属すれば磚石の間にある。財爻が水爻に臨むのは、生旺なら物は池沼の中、墓絶なら溝渠の內、冲に逢えば長流の活水の中、合住されれば汲み盛ってある死水の器中である。財爻が木爻に臨むのは、生旺なら竹木の林中、死絶なら柴薪の堆內、陽木なら竹條の內、陰木なら草叢の中、本宮に属すれば竹木の器具の中か五穀の囤裏である。
財臨金爻:內卦旺相,在銅鐵錫器中;休囚,缸甏瓶罐內;外卦旺相,磚石內;休囚,瓦礫中。財臨火爻:必近香火,或在灶邊。財臨土爻:丑臨金庫,必銅鐵器中,或蕭牆內,磚壁腳跟;辰為水庫,在陽溝內,溪畔埋藏;不然,亦是窳下所在;未為木庫,必埋蔬果園中,或埋田野草中,或米麥囤底;戌為火庫,必埋灶底,或埋灰內,或埋高泥墩上。此斷義理不能盡述,當各以類推之。
財爻が金爻に臨むのは、内卦にあって旺相なら銅・鐵・錫器の中、休囚なら缸壇・瓶罐の內である。外卦にあって旺相なら磚石の裏、休囚なら瓦礫の中である。財爻が火爻に臨むのは、必ず香火に近いか竈の辺である。財爻が土爻に臨むのは、四庫に照らして分辨する。丑は金庫で、必ず銅鐵器の中か、照壁の內・磚牆の脚下にある。辰は水庫で、陽溝の內・溪畔に埋まっており、さもなければ低窪の處である。未は木庫で、必ず蔬果園の中に埋まっているか、田野の草間に埋まっているか、米麥の囤底にある。戌は火庫で、必ず竈底に埋まっているか、灰の內に埋まっているか、高い土墩の上に埋まっている。ここの義理は一々に言い尽くせない。各自類に照らして推求すればよい。
動入墓中,財深藏而不現;大抵妻財所臨之爻,或在其中,或在其傍,未可必也。惟財爻入墓化墓,或伏墓下,必在器物中,不可以邊旁近側言。要知何物內,以前五爻四庫推之。靜臨世上,物尚在而何妨。凡占失脫,財爻不宜動,動則更變難尋。若得安靜,持世生世合世,其物皆主未散,必易尋。生旺不空尤妙。衰絕受制,亦不濟事。
財爻が發動して墓の中に入れば、物件は深く蔵れて露れない。大抵を言えば、妻財の臨むその一爻に、物はその中にあるかその傍にあるかで、一口に決めてはかかれない。唯獨財爻が墓に入るか墓を化するか墓爻の下に伏すれば、その物は必ず器物の內にあり、傍の近側とは言えない。何に装っているかを知るには、前に講じた五爻の方位と四墓庫をもって推す。「靜臨世上」とは、財爻が安靜で世爻の上に臨めば、物はなお在って妨げないということである。およそ失物を占い、財爻は發動するのが宜しくない。一たび動けば變來變去して見つけ難い。安靜を得てまた世を持し・世を生じ・世を合すれば、みな物が散失していないことを主り、必ず見つけ易い。生旺で空でなければなおよい。それが衰絶して制を受ければ、それもまた濟わない。
鬼墓爻臨,必在墳邊墓側;財臨鬼墓,其物必在神廟中。無氣則在墳墓內。如係本宮內卦,則在柩傍,或在坐席上。更加螣蛇,恐在神圖佛像之前;在三爻,香火堂中。日辰合住,定然器掩遮藏。財爻發動,遇日辰合住,必然有物遮掩。合而又沖,半露半遮。要知何物掩蓋,以合爻定之。如火爻父母作合,為衣服掩蓋類。旁爻動來作合者,亦然。
財爻が鬼墓に臨めば、物は必ず墳の辺・墓の側にある。財が鬼墓に臨めば、その物件は必ず神廟の中にある。無氣なら墳墓の裏にある。本宮の内卦に属すれば、靈柩の傍か坐席の上にある。さらに「螣蛇」を加えれば、おそらく神像・佛像の前にある。第三爻に落ちれば、香火堂の中である。「日辰合住」とは、財爻が日辰に合住されれば、物は必ず器物に遮蓋されているということである。財爻が發動して日辰の合住に遇えば、必然として物がそれを蓋っている。合でありまた冲なら、半露半遮である。何が蓋っているかを知るには、その合爻をもって定める。たとえば火爻の父母が作合しに來れば、衣服が蓋っている類である。旁爻が發動して前に來て作合するのも同じである。
子爻福變妻財,須探鼠穴;酉地財連福德,當檢雞棲。凡占失脫,財化福,福化財,其物必在禽獸巢窟中。如值子爻,是鼠銜去;更在初爻,在地穴中;寅是貓銜去;丑在牛欄內;午在馬廄中;未在羊牢;酉在雞棲;亥在豬圈類也。有合則在內,無合則在傍。
子爻の上で子孫が妻財を變出せば、鼠の洞を掏って探すべし。酉位の上で財爻が福徳に連なれば、鶏の巣を檢査すべし。およそ失物を占い、財が子孫を化し子孫が財を化すれば、その物は必ず禽獸の巢穴の窩にある。たとえば子爻に値すれば、鼠が銜って行ったのであり、さらに初爻にあれば地洞の中にある。寅爻なら猫が咥って行った。丑爻なら牛欄の內。午爻なら馬廄の中。未爻なら羊圈の裏。酉爻なら鶏の巣。亥爻なら猪圈である。その余も類推する。合を帯びるのは窩の裏面にあり、合を帯びないのは窩の傍邊にある。
鬼在空中,世動則自家所失;卦無官,或落空,而世爻動者,自家遺失,非人偷。要知何故失落,以世臨六神定之。如臨青龍,酒醉失,或因喜事失;臨白虎,因病失,或因喪事,或因跌而失;臨勾陳,因起造失,因耕種失;臨螣蛇,與應沖剋,爭扭失;與應生合,嬉戲失;臨朱雀,口舌爭競失;臨玄武,或因竊盜失也。
官鬼が空に落ちて世爻がまた發動すれば、それは自家が丟失したのである。卦中に官鬼がないか官鬼が空に落ち、世爻が發動すれば、それは自己が遺失したのであって人に偸まれたのではない。なんの緣故で失落したかを知るには、世爻が臨む六神を見る。「青竜」に臨めば、醉飽して丟したか、喜事を辦じて丟したのである。「白虎」に臨めば、病に因って丟したか、喪事を辦じたか、跌跤に因って丟したのである。「勾陳」に臨めば、家を蓋うことや耕種に因って丟したのである。「螣蛇」に臨んで応爻と冲剋すれば、争奪・拉扯する時に丟し、応爻と生合すれば、嬉戲・玩鬧する時に丟したのである。「朱雀」に臨めば、口舌の争吵の時に丟したのである。「玄武」に臨めば、それは人に竊盜されて失したのである。
財伏應下,世合則假貸於人。官鬼或空或伏,或死絕不動,而財臨應上,或伏應下,其物非人偷,乃自借於人也。要知何人假借,以應臨六親定之。如臨子,為僧道巫醫,或卑幼小兒借去類。世應沖剋,則勿斷。若官空伏,而財化官爻,是自遺失,被人拾去。
財爻が応爻の下に伏して、世爻がまた相合しに來れば、それは人に貸したのである。官鬼が空に落ちるか伏蔵するか死絶して發動せず、財爻が応爻の上に臨むか応爻の下に伏すれば、その物は人に偸り去られたのではなく、自分で人に貸したのである。何人に貸したかを知るには、応爻が臨む六親を見る。たとえば子孫に臨めば、僧道・巫醫か卑幼の小兒が借りて行った類である。世応の間が冲剋すれば、このようには断じない。もし官鬼が空伏して財爻が官鬼を化出せば、それは自己が遺失して後に人が拾い去ったのである。
若伏子孫,當在僧房道院;如伏父母,必遺書笈衣箱。財不上卦,須尋伏在何處。若伏子爻下,物在寺院中;休囚在六畜門內,胎養小兒誤失。如伏父下,物在正屋中,或在尊長處;無合,衣服書卷中;有合,書箱衣箱等內。若伏兄下,本宮姊妹兄弟處,他宮相識朋友處;如三四爻在門戶邊;外卦則在牆籬下。若伏財下,物在婦人處;或在妻妾家;或在五穀內;或在廚灶內。若伏鬼下,物在職役人家;或在廳堂內;或在病人處。土鬼在墳墓廟堂中。
財爻が子孫の下に伏していれば、物は僧房・道院にあるべきである。父母の下に伏していれば、必ず書箱・衣箱の裏に遺落している。財爻が卦に上がらなければ、それがどこに伏しているかを尋ねねばならない。子孫爻の下に伏していれば、物は寺院の中にあり、休囚なら六畜の欄圈の內、胎養に落ちるのは小児に誤って取られて失落したのである。父母爻の下に伏していれば、物は正屋の中か尊長の處にある。合を帯びないのは衣服・書卷の裏、合を帯びるのは書箱・衣箱などの物の內である。兄弟爻の下に伏していれば、本宮に属するのは姊妹・兄弟の處、他宮に属するのは相識・朋友の處である。三・四爻にあれば門戸の辺、外卦にあれば牆根・籬の下である。妻財爻の下に伏していれば、物は婦人の處か、妻妾の家か、五穀の內か、廚房・竈間にある。官鬼爻の下に伏していれば、物は職役ある人家か、廳堂の內か、病人の處にある。土鬼なら墳墓・廟堂の中である。
在內則家中失脫,在外則他處遺亡。財在內卦,失於家中;財在外卦,失在他處。在初爻井邊失,二爻灶邊失,三爻房內失,四爻門前失,五爻途中失,六爻遠方失。又如初爻財動化子,或子動來作合,其物必先失在井邊,後被小兒拾去。餘仿此推。
財爻が内卦にあれば、家中で失落したのである。外卦にあれば、別處で遺失したのである。財が内卦にあれば家の中で失い、財が外卦にあれば他處で失った。初爻に落ちれば井の辺で丟し、二爻は竈の辺で丟し、三爻は房內で丟し、四爻は門の前で丟し、五爻は路の上で丟し、六爻は遠方で丟した。またたとえば初爻の財が發動して子孫を化出するか、子孫が發動して前に來て作合すれば、その物は必ず先に井の辺で丟れ、後に小児が拾い去ったのである。その余もこれに照らして類推する。
財伏逢沖,必是人移物動;財伏卦中,遇動爻日辰暗沖者,若鬼爻衰靜,其物被人移動他處,非人偷也。要知移動之人,以沖爻定之。沖爻逢空,或化空亡者,移物之人,必不在家。
財爻が伏蔵して冲に遇えば、必ず人が物を挪動したのである。財爻が卦中に伏していて、動爻や日辰が暗中にそれを冲するのに遇い、この時官鬼が衰弱安靜なら、その物は人が別處に挪して行ったのであり、偸まれたのではない。挪動したのは何人かを知るには、その冲爻をもって定める。冲爻が空に逢うか空亡に化入れば、物を挪した人は必ず家にいない。
鬼興出現,定為賊竊人偷。凡占失脫,鬼不上卦,或落空,或衰絕不動,皆不是人偷。游魂卦多是忘記。若鬼爻變動,方是人偷。或雖安靜,若乘旺相,或被日辰沖並,或被動爻合起,亦是人偷。
官鬼が興旺して卦上に現れれば、それは賊に偸まれたと断ずる。およそ失物を占い、官鬼が卦に上がらないか、空に落ちるか、衰絶して發動しないのは、いずれも人の偸みではない。游魂卦に遇えばたいてい自分がどこに置いたか忘れたのである。ただ官鬼が發動變化してこそ人の偸みである。あるいはそれが安靜でも、まさに旺相に乘じているか、日辰に冲・併されるか、動爻に合起されれば、それも人の偸みである。
陰女陽男,內卦則家人可決;生壯墓老,他宮則外賊無疑。鬼爻屬陽男子偷,屬陰女人偷。陰化陽,女偷與男;陽化陰,男偷寄女處。生旺,壯年人偷;墓絕,老人偷;胎養,小兒偷;帶刑害,有病人偷。本宮內卦,家中人偷;他宮內卦,宅上借居人偷;或家中異姓人偷。本宮外卦,親戚人偷,與世沖剋,雖親不和。他宮外卦,外人為賊。在間爻,鄰里賊;在六爻,遠方賊;持世,貼身賊。
官鬼が陰に属すれば女賊、陽に属すれば男賊であり、内卦に落ちれば家裏の人と斷定できる。生旺は壮年、墓に入れば老人、他宮に落ちれば疑いなく外賊である。官鬼が陽に属するのは男子が偸み、陰に属するのは女人が偸むことである。陰が陽を化するのは女が偸んで男に与え、陽が陰を化するのは男が偸んで女人の處に寄放したのである。生旺は壮年の人が偸み、墓絶は老人が偸み、胎養は小児が偸み、刑害を帯びるのは病ある人が偸んだのである。本宮の内卦は家中の人が偸み、他宮の内卦は宅に借住する人か家中の異姓人が偸んだのである。本宮の外卦は親戚が偸み、世爻と冲剋すれば、それは親しくても和睦しない者である。他宮の外卦は外人が賊をなし、間爻に落ちれば鄰里の賊、第六爻に落ちれば遠方の賊、世を持するのは貼身の人が賊をなすのである。
乾宮鬼帶螣蛇,西北方瘦長男子;巽象官加白虎,東南上肥胖陰人。八卦定賊之方隅,六神定賊之形狀。如男在乾宮,西北方人;在巽宮,東南方人。帶螣蛇,身長面瘦;帶白虎,身胖面白。旺相肥大,休囚瘦小。餘見身命章。陰陽以爻象論,勿以卦宮推。
乾宮の官鬼が「螣蛇」を帯びれば、賊は西北方から來た痩せて長い男子である。巽卦の官鬼に「白虎」を加えれば、賊は東南方から來た肥胖の婦人である。これは八卦をもって賊の方位を定め、六神をもって賊の形貌を定めるのである。たとえば男賊が乾宮にあれば西北方の人、巽宮にあれば東南方の人である。「螣蛇」を帯びるのは身が長く面が痩せ、「白虎」を帯びるのは身が胖え面が白い。旺相なら肥大、休囚なら痩小である。その余は身命の章を参看せよ。男女は爻の陰陽をもって論ずべきで、卦宮をもって推してはならない。
與世刑沖,乃是冤仇相聚;與福交變,必然僧道同謀。鬼爻與世刑沖,其賊素與我有仇隙者;與世生合,乃是兼親帶故之人。鬼化子,子化鬼,必有僧道雜在其中;子孫帶合,是還俗僧道。
官鬼が世爻と刑冲すれば、それは冤家・仇人が一處に聚ったのである。官鬼と子孫が交互に變化すれば、必ず僧道の流が同謀している。官鬼が世爻と刑冲するのは、この賊が素より我と仇隙があることである。官鬼が世爻と生合すれば、それは親を沾わせ故を帯びた熟人である。官鬼が子孫を化し子孫が官鬼を化すのは、その中に必ず僧人・道士が夾雜している。子孫が合を帯びれば、それは還俗した僧道である。
鬼化父,父化鬼,是老年人,或手藝人;不然,則是祖父相承為賊者;父臨胎養,乃是書童。鬼化財,財化鬼,是婦人,或人家奴婢。鬼化兄,兄化鬼,在內是兄弟姨妹,在外是鄰里相識。鬼化鬼,公門走動人,或曾被人告發;更加玄武,賊名已著,專以竊盜為計。若被父母三刑六害,必經刺字。
官鬼が父母を化し父母が官鬼を化すれば、賊は老年の人か、あるいは手藝人である。さもなければ祖輩・父輩が相承して盗をなす世家である。父爻が胎・養の地に臨めば、それは一個の書童である。官鬼が妻財を化し妻財が官鬼を化すれば、賊は婦人か、あるいは人家の奴婢である。官鬼が兄弟を化し兄弟が官鬼を化すれば、内卦では兄弟姊妹、外卦では鄰里の熟人である。官鬼が官鬼を化すれば、賊は常に衙門に走り回る人か、あるいはかつて人に首告されたことがある者である。さらに「玄武」を加えれば、それは賊名がすでに遠く揚がり、專ら偷盗をもって生と為す慣犯である。もし彼が父母爻と三刑六害に制されれば、それは必ず面上にすでに字を刺されている。
鬼遇生扶,慣得中間滋味;鬼爻無氣,又臨死絕,而生扶合助者,其賊必為飢寒所迫,故至此也。若遇動爻日辰扶起者,乃是此賊慣得其中滋味者。帶月建,是強盜;加太歲,是世襲不良。動爻日辰無氣作合,必有人牽腳來偷。
官鬼が生扶に遇えば、この賊は偷盗の甜頭を嘗め慣らした者である。官鬼がもともと無氣でまた死絶の地に臨むのに、爻があってそれを生扶・合助すれば、この賊は必ず饑寒に逼迫されて初めてこの歩に至ったのである。動爻・日辰に遇ってそれを扶起されれば、それはこの賊がすでに久しくその中の滋味を嘗め慣らしたのである。官鬼が月建を帯びるのは強盗、太歳を加えるのは世代非を為し歹を作す家である。動爻・日辰が無氣でも作合しに來れば、必ず人が內應をなし道を引いて偸ませたのである。
官興上下,須防裡外勾連。六爻上下有兩重官者,必非一人偷盜。兩爻俱動,是外勾裡連,二賊同謀。內動外靜,是家人偷與外人去;外動內靜,乃家中有人知情,非同偷也。木克六爻,窬牆而入;金傷三位,穿壁而來。
上下にともに官鬼が興れば、内外が串通するのを防がねばならない。六爻の上下に各々一重の官鬼があれば、偷盗するのは必ず一人に止まらない。両爻がともに發動すれば、外が裏に勾結した二つの賊の同謀である。内卦が動して外卦が靜なら、家裏の人が物を偸んで外人に渡して帯び去らせた。外卦が動して内卦が靜なら、家中の人が知情だが併せて下手しなかったのである。「木剋六爻、窬牆而入。金傷三位、穿壁而來」の二句は、五行の相剋に照らして賊がどこから入ったかを判断することを講ずるのである。
木鬼克土,踰牆掘洞;金鬼克木,割壁鑽籬;火鬼克金,劈環開鎖;水鬼克火,灌水滅燈;土鬼克水,涉溪跳澗;木火交化,明燈執杖。更宜通變。要知何處進入,以鬼克處定之。如木鬼克六爻,踰垣而入;克初爻,是後門掘洞而進也。
木鬼が土を剋すれば、牆を翻え洞を掘って入った。金鬼が木を剋すれば、板壁を割破し籬を鑚開した。火鬼が金を剋すれば、門環を劈斷し門鎖を撬げ開けた。水鬼が火を剋すれば、水を灌いで燈火を澆滅した。土鬼が水を剋すれば、溪を渉り澗を跳んで來た。木火が交互に變化するのは、明燈を提げ棍棒を持って來たのである。これらはなお靈活に變通せねばならない。賊がどこから入ったかを知るには、官鬼が剋したその一爻をもって定める。たとえば木鬼が第六爻を剋すれば、牆を越えて入った。初爻を剋すれば、後門から洞を掘って入ったのである。
世去沖官,失主必曾驚覺;世沖鬼爻,家主知覺;應沖鬼爻,宅母知覺;旁爻沖鬼,家人知覺。要知因何而覺,以鬼爻臨五行斷之。如木為門戶聲,金為銅鐵響,土為蹼跌,火為明亮,水為水聲。又如戌為犬吠,酉為雞叫類。宜分六爻斷之。
世爻が官鬼を冲しに行けば、失主は當時必ず驚醒して察覺する。世爻が鬼爻を冲すれば家主が察覺し、応爻が鬼爻を冲すれば主婦が察覺し、旁爻が鬼爻を冲すれば家裏の別の人が察覺する。なにに因って察覺したかを知るには、官鬼が臨む五行に照らして断ずる。木に属すれば門戸が響き動く聲、金に属すれば銅鐵が碰撞する響き、土に属すれば人が跌倒し摔くこと、火に属すれば亮光を見たこと、水に属すれば水聲を聞いたことである。またたとえば戌爻は狗の吠え、酉爻は鶏の鳴く類である。なお六爻の位置を分かちて断ずべきである。
日來克鬼,賊心亦自驚疑。鬼被動爻日辰刑剋,偷時賊必驚疑。如日辰動爻屬金,必觸缸甏響,而畏家主知覺。金空乃是人聲,胎養小兒啼,墓庫老人嗽,未敢下手。屬木,是畏門戶牢閉,或聞開門而驚也。屬水,必有登廁小解飲水類,因而撞見。屬火,必見燈火而復退,或火光下穴窺見影響形跡。屬土,乃牆壁堅固,地道險阻,其賊疑懼也。若戍土刑剋,必被犬傷。
日辰が前に來て官鬼を克制すれば、賊もまた自心の裏に驚疑する。官鬼が動爻・日辰に刑剋されれば、竊み行う時この賊は必ず心が慌て疑懼する。たとえば日辰・動爻が金に属すれば、それは缸壇を碰響させて家主に聞かれるのを怕れたのであり、金爻が空に落ちれば人聲であり、胎養に落ちれば小児の啼哭、墓庫に落ちれば老人の咳嗽で、彼をして下手する勇氣を失わせる。木に属すれば、門戸の關まるの牢なのを怕れるか、門を開く聲を聞いて驚いたのである。水に属すれば、必ず人が夜に起きて小解し水を飲む類で、因りて撞上したのである。火に属すれば、必ず燈火を見て退き還ったか、あるいは火光の下で洞口から人影の動靜を窺い見たのである。土に属すれば、それは牆壁が堅固・地道が險阻で、賊が因りて疑懼して前に進まないのである。戌土が刑剋しに來れば、彼は必ず狗に咬傷されたのである。
子動丑宮,問牧童必知消息;福興酉地,見酒客可探情由。子動,其人有人撞見,詢之可知消息。如在子爻,可問科頭男子,或捕魚人。在丑爻,可問牧童,或築牆人。在寅爻,是木客木匠,或擔竹木器人。在卯爻,問織蓆賣屨人,或挑柴砟草人。在辰爻,問開池鑿井人,或傍河鋤地人。在巳爻,問穿紅女子,或弄蛇乞丐人。
子孫爻が發動して丑宮に落ちれば、牛を放つ子供に問えば必ず消息を知る。福徳が酉位に興れば、酒を飲む客に逢えば情由を探れる。子孫が一たび發動すれば、あの賊に人が撞見したことがあると説明するので、尋ね問えば消息を得られる。たとえば子孫が子爻にあれば、頭巾を着けない男子か魚を打つ人に問うべし。丑爻にあれば、牧童か牆を築く人に問うべし。寅爻にあれば、木材を販る客商・木匠か、担いで竹木の器具を運ぶ人である。卯爻にあれば、蓆を織り鞋を賣る人か、柴を挑み草を砍る人に問うべし。辰爻にあれば、池を開き井を鑿る人か、河に傍いて地を鋤る人に問うべし。巳爻にあれば、紅衣を穿つ女子か、蛇を弄ぶ乞食に問うべし。
在午爻,問燒窯、乘馬人,或討火提燈人。在未爻,問挑灰耕種人,或牧羊人。在申爻,問銅鐵匠,或弄猴人。在酉爻,問針工酒客,或抱雞人。在戌爻,問挑泥鋤地者,或牽狗人。在亥爻,或擔水踏車人,或洗衣沐浴人。
子孫が午爻にあれば、窯を燒く人・馬に骑る人か、火を讨い燈を提げる人に問うべし。未爻にあれば、灰を挑み耕種する人か、羊を放つ人に問うべし。申爻にあれば、銅鐵匠か、猴を弄ぶ人に問うべし。酉爻にあれば、針線をなす工匠・酒を飲む客か、鶏を抱く人に問うべし。戌爻にあれば、泥を挑み地を鋤る人か、狗を牽く人に問うべし。亥爻にあれば、水を挑み水車を踏む人か、衣を洗い沐浴する人に問うべし。これらの人はたいていかつて近くで賊の蹤跡を見たことがあり、彼らに尋ねれば綫索がある。
兄動劫財,若卜起贓無覓處;卜起贓,占尋物,皆怕兄動。或傷世,或世帶日辰,或鬼化兄,或財化兄,皆主財物已散,卒難尋覓。蓋兄能劫財,故也。官興克世,如占捕盜反傷身。凡占捕盜,要世旺鬼衰,世動鬼靜,則易於捕獲。若鬼爻乘旺動,來刑剋世爻,須防反被其害。得世空避之,或子動解救,庶幾可免傷害。
兄弟爻が發動して財物を劫奪しに來れば、贓物を追繳するのを占っても尋ねる處がない。贓を起すを占い、物を尋ねるを占い、いずれも兄弟の發動を怕れる。それが世爻を傷つけても、世爻が日辰の兄弟を帯びても、官鬼が兄弟を化しても、財爻が兄弟を化しても、みな財物がすでに散じて一時に尋ね還し難いことを主る。兄弟は本能的に財を劫するからである。「官興剋世」とは、官鬼が興旺して世爻を剋しに來れば、盗を捕えるを占って反って自身を傷つけるということである。およそ盗を捕えるを占い、世爻が旺で官鬼が衰、世爻が動して官鬼が靜であってこそ、擒获し易い。官鬼が旺に乘じ發動して前に來て世爻を刑剋すれば、反って彼に害されるのを防がねばならない。この時世爻が落空して躲避を得るか、子孫が發動して解救しに來れば、辛うじて傷害を免れられる。
世值子孫,任彼強梁何足慮;子為捕賊人。當權旺動,或臨世,或帶月建日辰,則鬼有制,賊必可獲;縱是兇惡強盜,不足畏也。若鬼旺福衰,鬼動福靜,則不能幹事也。鬼臨墓庫,縱能巡捕亦難擒。鬼爻入墓,或臨卦墓,或與鬼墓俱動,或化入墓,或伏墓下,皆主其賊深藏不出,卒難巡捕。得動爻日辰沖破墓爻,庶幾可獲。
世爻の上に子孫が値すれば、彼がどんなに強横でも憂うるに足らない。子孫は賊を捕える人を表す。それが權を當たり旺相で發動するか、世爻に臨むか、月建・日辰を帯びれば、官鬼はすなわち制伏を受け、賊は必ず捉えられる。たとえ凶惡の強盗でも畏れるに足らない。官鬼が旺で子孫が衰なら、あるいは官鬼が動して子孫が靜なら、事を成せない。「鬼臨墓庫」とは、官鬼が墓庫に落ちれば、たとえ巡捕を出動させても擒拿し難いということである。官鬼が墓に入るか、卦墓に臨むか、鬼墓とともに發動するか、墓の中に化入るか、墓爻の下に伏すれば、みなこの賊が深く蔵れて出ないことを主り、一時に緝捕し難い。動爻や日辰が墓爻を冲破することを得てこそ、辛うじて擒获できる。
日合賊爻,必有窩藏之主;鬼為賊爻。捕盜遇合,賊必有人窩藏在家,不能得見。合臨於世應月日,是地主窩藏;在旁爻,則隱在其家莊上;不然,亦非地方有名之家也。要知窩主,以合爻定之。如財合,是富家,或婦人窩主之類。
日辰が賊爻と相合すれば、必ず彼を窩藏する主人がいる。官鬼はすなわち賊爻であり、盗を捕える時合に遇えば、その賊は必ず人が家に窩藏しており、面が見えない。合爻が世・応あるいは月建・日辰に臨めば、それは地方に身分ある人家が窩藏している。旁爻にあれば、その人の家の莊子に蔵れている。さもなければ、本地に名望ある人家でもない。窩主が誰かを知るには、合爻をもって定める。たとえば財爻が合しに來れば、それは富戶か、あるいは婦人が窩主をなす類である。
動沖鬼殺,還逢指示之人。鬼遇動爻日辰沖剋,必有人指示其賊隱處。要知何人指示,以克沖爻定之。如丑為牽牛人,亥為洗衣人,木在水上動,是舟人類。鬼若旺動,不受沖剋,雖知其賊,不能捕獲。
動爻が鬼煞を冲剋すれば、さらに綫索を指點する人に遇う。官鬼が動爻や日辰の冲剋に遇えば、必ず人がこの賊の蔵身の處を指出する。指點するのは何人かを知るには、その冲剋の爻をもって定める。たとえば丑爻は牛を牽く人、亥爻は衣を洗う人、木爻が水の上で發動すれば、それは船家の類である。もし官鬼が旺相發動して冲剋を受けなければ、賊が誰かを知っても彼を捕えられない。
卦若無官,理當論伏;財如發動,墓處推詳。捕盜無官,賊必隱藏蹤跡,難以尋獲。須看伏在何爻,便知賊在何處。如伏財下,在妻家類。若卦中無鬼,動爻有化出者,即以變爻論之,不須看伏。如子化出,在寺觀中類。若卜起贓,見財爻發動,看其墓在何處,便知藏在何方。如財爻屬金,旁邊丑爻又動,金墓在丑,丑寅為艮,艮居東北,便斷在東北方。
卦中に官鬼がなければ、理當伏神を見るべきである。財爻が發動すれば、墓庫のある所から細かく推詳する。盗を捕える時卦中に官鬼がなければ、その賊は必ず蹤跡を隱藏して尋獲し難い。それがどの爻の下に伏しているかを見れば、賊がどこにいるか分かる。たとえば財爻の下に伏していれば彼の妻家にいる類である。卦中に鬼がないのに動爻の中に官鬼を化出するものがあれば、直ちに變爻をもって論じ、伏神を再び見るに及ばない。たとえば子孫が化出したのは、寺觀の中にいる類である。贓物を追繳するを占い、財爻の發動を見れば、その墓がどこにあるかを見て、贓物がどの方に蔵れているかを知る。たとえば財爻が金に属し、傍の丑爻がまた發動すれば、金の墓は丑にあり、丑・寅はともに艮卦に属し、艮の位は東北にあるから、贓物は東北方にあると断ずる。
伏若克飛,終被他人隱匿;飛如克伏,還為我輩擒拿。此伏只論鬼爻,此飛只論世爻。伏克飛,子孫雖動亦難尋獲;飛克伏,子孫雖靜亦可擒拿。或曰:飛神只論伏上之爻,亦通理。
伏神が飛神を剋すれば、贓物は終に別人に蔵匿される。飛神が伏神を剋すれば、その賊はなお我らに擒えられる。ここに言う伏神はただ官鬼を指し、飛神はただ世爻を指す。伏が飛を剋せば、子孫はたとえ發動しても尋獲し難い。飛が伏を剋せば、子孫はたとえ安靜でも擒拿できる。ある人の言に、飛神はただ伏神の上に壓るその一爻を指すともいい、この話もまた講じ通る。
若伏空爻,借賃屋居非護賊;鬼伏空爻下,是借賃其家屋住,非為窩藏。不然,其賊雖或潛住他家,亦不與之容隱,後終敗露。旺空是不知情,空動是不在家也。如藏世下,提防竊盜要留心。
官鬼が空爻の下に伏していれば、その家はただ房子を彼に租賃しただけで、窩藏・包庇したのではない。官鬼が空爻の下に伏すれば、賊がその家の屋子を賃借りして住んだのであり、窩藏には算えない。さもなければ、その賊は暫く别人家に蔵れていても、その家は彼のために隱瞞してくれず、後日終に敗露する。空爻が旺相なのは主人が知情でないこと、空爻が發動するのは主人が家にいないことである。「如蔵世下、提防竊盗要留心」の一句は、官鬼が世爻の下に伏する時は、盗を防ぐに格別の留心を要するということである。
凡占防盜,最要鬼爻無氣不動,或落空,或日辰沖散,或動爻合住,或子孫剋制,或世空亡,皆為吉兆。若鬼爻無制,動克世爻,鬼爻生旺日,當受其害。若卦無鬼,卻伏在世下,目下雖無事,至鬼爻生旺日,或沖動月日,宜防之,故要留心。伏又空亡,始無憂慮。
およそ盗を防ぐを占い、最も要するのは官鬼が無氣で發動しないか、空亡に落ちるか、日辰に冲散されるか、動爻に合住されるか、子孫に克制されるか、世爻が空に落ちるかで、これらはみな吉兆である。官鬼に制伏する人がなく、また發動して世爻を剋しに來れば、官鬼が生旺する日に至ってその害を受ける。もし卦中にもともと官鬼がないのに、それが世爻の下に伏していれば、眼下は無事でも、官鬼が生旺する日か冲动される月日を待てば提防すべきだから、留心を要するというのである。この伏神が同時にまた空亡に落ちれば、それこそ真に憂慮がない。
倘失舟車衣服,不宜妻位交重;或亡走獸飛禽,切忌父爻發動。失脫,不可專以財為用爻。若失舟車衣服,文書券契,則以父母為用爻。財動便難尋。若失飛禽走獸,及六畜之類,則以子孫為用爻。父動亦不見矣。更宜通變為妙。卦爻仔細搜求,盜賊難逃捉獲。
もし失ったのが船・車・衣服なら、妻財爻の「交」「重」發動は宜しくない。走失したのが飛禽・走獸なら、父母爻の發動を切に忌む。失脱を占うには一概に財爻を用神とすることができない。失ったのが船・車・衣服・文書・契券なら、父母爻をもって用神とし、この時財爻が一たび動けば尋ね還し難い。失ったのが飛禽・走獣および六畜の類なら、子孫爻をもって用神とし、この時父母爻が一たび動けばまた見つからない。要するにさらに靈活に變通するを妙とする。卦中の六爻を仔細に搜求し一遍すれば、盗賊も捉拿を逃れ難い。
卜筮全書卷之十三・黄金策六
『黄金策』第二十七・出行
人非富貴,焉能坐享榮華;苟為利名,寧免奔馳道路。然或千里之迢遙,夫豈一朝之跋涉。途中休咎,哪個能知。就裡災祥,神靈有準。父為行李,帶刑則破損不中;妻作盤纏,生旺則豐盈足用。
人がもし生まれながらの富貴でなければ、どうして家に坐して榮華を享受できようか。一たび名利のために奔走すれば、またどうして道路上に奔波するを免れられようか。況んや路途はあるいは千里の遠さがあり、それも一朝一夕に跋涉し尽くせるものではない。途中の吉凶を、誰が豫め知り得ようか。その中の災殃と祥瑞は、神靈のみが准信を持つ。「父為行李」とは、父母爻が行李を表し、刑煞を帯びれば破損して合用に堪えないということである。「妻作盤纏」とは、妻財爻が盤纏を表し、生旺なら充裕して足りるということである。
出行以父爻為行李。旺相多,休囚少,空亡無。旺空,雖有而不多;帶刑害,及被傷克,破損舊物。父化兄,與人同睡;兄化父,與人合用。若就他人借行李,不宜財爻持世,及動,必難假借,帶合終可得之。妻財為財物本錢類。旺相充滿,休囚微少,空亡無有。卦若無財,兄弟化出,必是合本,或是借來,非己之物。世如衰弱,那堪水宿風餐;世為出行人。生旺有氣則吉。若休囚死絕,克則易倒,傷則易損。所以,不堪勞碌奔波,不耐風霜早晚。
出行では父爻をもって行李を表す。旺相なら行裝が多く、休囚なら少なく、空亡に落ちればない。旺で空に落ちるのは、あっても多くない。刑・害を帯びるか傷剋されるのは、破損した舊物である。父爻が兄弟を化するのは、人と同床して睡ること。兄弟が父爻を化するのは、人と一套の行裝を合用することである。もし人に行李を借りようと謀れば、財爻が世を持するか發動するのは宜しくない。そうすれば必ず借り難い。ただし合を帯びるのは終に借り得る。妻財は財物・本錢の類を表す。旺相なら充足し、休囚なら微薄、空亡に落ちればない。卦中にもともと財がないのに兄弟から化出せば、それは必ず合伙の本錢か、あるいは借りて來たもので、自己の物ではない。「世如衰弱、那堪水宿風餐」とは、世爻が衰弱なら旅途の風霜に堪えられないということである。世爻は出行の人を表し、生旺で氣があって初めて吉である。休囚死絶すれば、一たび剋されれば倒れ、一たび傷つけられれば損なわれる。ゆえに勞碌・奔波に經えられず、早晚の風霜にも耐えられない。
『黄金策』第二十七・出行(續)
應若空亡,難望謀成事就。應爻為所往之地。在震宮,城郭市鎮,熱鬧之地。坤宮,四野冷落所在。在艮宮,山上。坎宮,水鄉。餘仿此。最怕空亡,主地頭寂寞,謀事難成,必不得意而回。間爻安靜,往來一路平安;間爻為往來經歷所在,動則途中必阻隔遲滯。若得安靜不空,則一路平安,往來無阻。
応爻が「空亡」に落ちれば、地頭に到って事を謀り成すことを望むな。応爻はこの行が往こうとするその處を表す。応爻が「震」宮にあれば、往く處は城郭・市鎮の類の賑やかな所。「坤」宮にあれば、四野が冷落し空曠な所。「艮」宮にあれば、山の上。「坎」宮にあれば、水郷である。その余の各宮もこれに依って類推する。最も恐れるのは応爻の空亡で、それは目的地が冷清寂寞し、謀る事が成り難く、この行が必ず心にかなわず返ることを示す。世爻と応爻の間の兩爻を「間爻」という。間爻が安靜不動なら、往來の一路はみな平安である。「間爻」は往返の途中に經歷する地段を表し、それが一たび發動すれば、路の上に必ず阻隔・耽擱がある。安靜でまた空亡に落ちなければ、一路平安で來去无阻である。
太歲克沖,行止終年撓括。太歲出現,發動沖剋世爻,其人出外終年不利。更加鬼殺,白虎凶神,尤非吉兆。若為求官謀職而往,最宜此爻生合世身,必有成就之兆。世傷應位,不拘遠近總宜行;應克世爻,無問公私皆不利。世克應,是我制他,所向通達。更得間爻不動,鬼殺不興,去無阻節。克世,是我不得專志,所向梗塞。更遇動爻日辰,刑沖剋害,必不順利。
「太歳」が世爻を冲剋しに來れば、この一年は門外に出ても牽掣・糾纏を受ける。卦中に太歳の爻が現れ、また發動して世爻を冲剋しに來れば、この人は外出して一年の頭から終まで順利でない。太歳がさらに「官鬼」の凶殺・「白虎」などの凶神を帯びれば、さらに吉兆ではない。ただし官を求め職を謀るために外出するなら、反って最も太歳のこの一爻が世爻と卦身を生扶し合住するのを喜び、それは必ず功名成就の兆がある。世爻が応爻を剋傷すれば、路程の遠近を問わず起行に適する。応爻が反って世爻を剋せば、公事・私事を問わず利がない。世爻が応爻を剋すのは、我が相手方を制服するのであり、往く所は暢通して阻まない。さらに間爻が動かず「官鬼」の凶殺が發動しなければ、この往きは毫も阻礙・關節がない。応爻が世爻を剋すのは、我が自主・專行できず、向う所處處に梗塞する。さらに動爻や日辰が刑・冲・剋・害しに來るに遇えば、それは一定に順利でない。
八純亂動,在處皆凶;八純乃六沖之卦,內外爻不相和合。凡百謀望,皆主難成。且又六爻亂動,何吉之有?不拘所向,皆非宜也。遠行尤忌。兩間齊空,獨行則吉。間爻不宜空亡,主道路梗塞,行程必不快利。如金水空亡,水路不通;火土空亡,旱路不通;兩間俱空,多是半途而返。然間爻又是伴侶,若一身獨行,不挈伴侶,是為應象,反主吉兆。只慮世克應位耳。
「八純卦」を占得して六爻がまた亂動すれば、どこへ行ってもみな凶である。八純卦とは八宮の首卦で、「六冲」の卦に属し、内卦の三爻と外卦の三爻が彼此相冲して和合しないから、凡百の謀求はみな成り難いことを主る。況んや六爻がまた亂々と發動すれば、どこに吉利があろうか。どの方向へ往こうが合宜でなく、遠行はことに忌むべきである。兩つの間爻が同時に空に落ちれば、獨り身で路に上がるのが反って吉利である。間爻はもとより空亡を宜しくせず、空なら道路の梗塞を主り、行程は必ず快捷で順利でない。たとえば空亡の間爻が金・水に属すれば水路が通じず、火・土に属すれば旱路が通じない。兩つの間爻がともに空なら、たいてい半途で折返す。ただし間爻は同時に同行の伴侶をも表すから、もし只身獨行で伴侶を帯びなければ、応爻をもって准として見るべきで、間爻が空なのは反って吉兆となる。この時ただ世爻が応爻を剋しているか否かを顧慮すればよい。
世動訂期,變鬼則自投羅網;官臨畏縮,化福則終脫樊籠。世爻不動,行期末定,動則期已訂矣。世應俱動,宜速行;旁爻動,宜緩行。若世動變出鬼爻,去後必遭禍患。或鬼持世,乃是逡巡畏縮之象,欲行不行,必懷疑貳。休囚則難起身,生旺多是去不成,發動恐無伴而不去。更臨應爻,到彼不利。鬼化子孫,雖有災患不足患。
世爻が發動すれば、行期がすでに定まったことを説明する。世爻が「官鬼」を變出せば、この往きは自ら羅網に投ずるがごときである。世爻が動かなければ、出行の日期はまだ定まっていない。一たび動けば、日期はすでに訂まった。世爻と応爻がともに動けば、趕緊に身を動かすが宜しい。ただ旁爻のみが動けば、從容に緩行するが宜しい。もし世爻が發動して鬼爻を變出せば、往って後必ず禍患に遭遇する。あるいは「官鬼」が直ちに世を持すれば、それは遲疑・徘徊・畏縮して前に進まぬ象で、行きたくても行けず、心裏に必ず兩可の疑慮を懐く。鬼爻が休囚なら起きることが難しく、鬼爻が生旺ならたいてい往けず、鬼爻が發動すればおそらく同伴が見つからず往かない。鬼爻がさらに応爻の上に臨めば、たとえ往ってあそこに到っても利がない。鬼爻が「子孫」を變出すに至っては、災患があっても患と為すに足らない。
靜遇日沖,必為他人而去;動逢間合,又因同伴而留。世爻安靜,遇日辰動爻暗沖者,是別人來浼他,非為自己謀也。日辰並起合起,皆然。要知何人央他,以沖並爻定之。如父母為長上類。若世爻發動,遇動爻日辰合住者,是將行而有事羈絆,未能起程。要知何事絆住,以合爻定之。如鬼爻為官府中事類。又如勾陳動來合住,為田土事類。在間爻,多因同伴而阻。
世爻がもとより安靜なのに、日辰に暗中で冲动されれば、その行は必ず他人のために走るのである。世爻が發動したのに間爻に合住されれば、同伴の緣故で留められたのである。世爻が安靜で、日辰や動爻が暗中に相冲するのに遇えば、他人が來て彼に央求して行かせたのであり、自己のために事を謀るのではないと説明する。日辰が世爻と相併して帶起するか、相合して帶起するのも、道理は同じである。誰が來て彼に託したかを知るには、あの來て冲し來て併す爻がなんの六親かを見る。たとえば「父母」爻なら、すなわち尊長の類の人である。もし世爻がすでに發動したのに、動爻や日辰がそれを合住するのに遇えば、將に身を動かさんとして事の牽絆があり、起程できなかったのである。なんの事が絆したかを知るには、あの來て合した爻を見る。たとえば「官鬼」爻なら、官府・衙門の中の事。またたとえば「勾陳」が發動して合住しに來れば、田地・屋土の類の事である。間爻が合しに來れば、たいてい同伴に因って阻まれたのである。
世若逢空,最利九流出往;世空去不成,強去終不得意而回。若本身占卜,最忌世空,雖經出行,陷本他鄉,徒勞奔走。若九流藝術,及公門勾當人占,反為吉利之兆;主空手拿財,鬧處得財。然亦不得積聚,逢沖則妙。土如遇福,偏宜陸地行程。卦中火土爻動,是陸行;水木爻動,是水行。若火土臨財福,則宜陸地;鬼殺臨水土,不宜舟行。土火化空,須防跌蹼;水土化空,須防沉溺。更宜通變。
世爻が「空亡」に落ちれば、九流の術業の人が出門するのに反って最も有利である。世爻が空なら、一般には往くことを成さない。強いて往けば、終に意を得ずして歸る。本人が自ら占卜するなら、最も忌むのは世爻の空亡で、たとえ真に出門しても、他郷で本錢を賠折し、空しく奔走する一場となる。ただし九流・藝術の士、および官府の裏で差事を辦ずる人が占うなら、世が空なのは反って吉利の兆で、両手を空しくして財を取り、鬧熱の處で財を得ることを主る。ただこのような財も積聚できず、冲開に逢えばなお妙である。世爻が土に属してまた「子孫」の福神に遇えば、それは偏に陸路を行くのに宜しい。卦中の「火」「土」の爻が發動すれば旱路を行き、「水」「木」の爻が發動すれば水路を行く。火土の爻が「妻財」「子孫」に臨めば、陸地を行くのが宜しく、「官鬼」の凶殺が水土の爻に臨めば、船に乘るのが宜しくない。土爻・火爻が空亡に變入れば、跌跤・摔傷を防がねばならない。水爻・土爻が空亡に變入れば、落水・沉溺を防がねばならない。これらはみな靈活に變通して見るべきである。
鬼地墓鄉,豈堪踐履;財方父向,恰可登臨。鬼地者,世屬金,南方是也。墓鄉者,世屬火,西北方是也。他仿此。若往此方,必有災咎。若求財利,要行財方。如世屬土,北方是也。求官見貴,要行父向。如世屬水,西方是也。餘亦仿此。凡鬼殺所臨之地,宜避之;財福所臨之地,宜往之。
「官鬼」のある方位と「墓庫」のある方位には、どうして踏み入れられようか。「妻財」のある方位と「父母」のある方位は、ちょうど往くべきである。いわゆる「鬼地」とは、世爻を剋するその方位を指す。たとえば世爻が金に属せば、火は金を剋し、火は南方にあるから、南方がすなわち鬼地である。いわゆる「墓鄕」とは、世爻が墓に入るその方位を指す。たとえば世爻が火に属せば、火の墓は戌にあり、戌は西北にあるから、西北がすなわち墓鄕である。その余の五行もこれに依って類推する。もしこの二つの方向へ往けば、必ず災禍がある。もし財利を求め取るなら、「妻財」の方位を行かねばならない。たとえば世爻が土に属せば、土の剋する所は水であり、水は北方にあるから、北方がすなわち財方である。もし官を求め貴に謁するなら、「父母」の方位を行かねばならない。たとえば世爻が水に属せば、水を生ずる者は金であり、金は西方にあるから、西方がすなわち父向である。その余もこれに照らして推す。要するにおよそ「官鬼」の凶殺の臨む方位はみな回避すべきであり、「妻財」「子孫」の臨む方位はみな前往すべきである。
官挈玄爻刑剋,盜賊驚憂;凡占出行,最怕鬼爻出現,休囚安靜則吉。猶不可動,動則必有禍患。如臨青龍,酒色中惹禍;臨朱雀,言語中招非;臨螣蛇,多驚恐;臨白虎,多疾病;臨玄武,主失脫。勾陳臨水動,途中必多風雨。以上持世克世最忌,旺相亦忌;休囚受制,不傷世身,終無大禍。不過伴侶有災耳。世空不受克,亦主伴侶有災。
「官鬼」が「玄武」を帶びて世爻を刑剋しに來れば、路の上に盗賊の驚がある。およそ出行を占い、最も恐れるのは鬼爻が卦中に現れることである。たとえ現れても、休囚でまた安靜なら、まだ吉利と算えられる。ただしなお發動してはならず、一たび動けば必ず禍患がある。鬼爻の臨む六神が同じでなければ、禍事も同じでない。「青竜」に臨めば酒色の上に禍を惹き、「朱雀」に臨めば言語の上に是非を招き、「螣蛇」に臨めば虚驚・恐懼が多く、「白虎」に臨めば疾病が多く、「玄武」に臨めば失盗して物を丟うことを主る。「勾陳」が水爻に臨んで發動すれば、途中に必ず風雨が多い。以上の諸般の情形で、最も忌むのは鬼爻が世を持するか世を剋することで、鬼爻が旺相なのも忌む。鬼爻が休囚でまた制伏を受け、世爻と卦身を傷つけられなければ、終に大禍はなく、ただ同行の伴侶に災があるだけである。世爻が空で剋を受けなければ、また同伴に災があることを主る。
兄乘虎殺交重,風波險阻。兄加白虎動,或鬼在木爻動,或木化鬼來刑沖,或鬼在巽宮動克,皆有風波險阻。在三四爻,出門便見;在間爻,途中遇;在五爻,一路不安;在上爻,或應上,直至地頭見也。旁爻動,不傷世身,只是險阻。乘旺沖剋,須防沒溺。鬼化兄,兄化鬼,不惟途中風浪驚憂,且有盜賊。
「兄弟」爻が「白虎」の凶殺を帶びて發動すれば、路の上で風波・險阻に遇う。兄弟爻が白虎を加臨して發動するか、「官鬼」が木爻の上で發動するか、木爻が鬼爻を變出して刑冲するか、鬼爻が「巽」宮で發動して剋しに來れば、みな風波・險阻があることを主る。それが第幾爻にあるかを見れば、どこで遇うかが分かる。三爻・四爻なら門を出ればすぐ碰上し、間爻なら途中で遇い、五爻なら一路安寧を得ず、上爻や応爻の上なら、目的地に一直到って初めて碰上する。ただ旁爻の發動のみなら、世爻・卦身を傷つけず、ただの險阻に過ぎない。それが旺に乘じて冲剋しに來れば、沈船・落水を提防せねばならない。鬼爻が兄弟を變じ兄弟が鬼爻を變ずるに至っては、ただ途中の風浪・驚恐のみならず、また盗賊に遇う。
妻來克世,莫貪無義之財;財合變官,勿戀有情之婦。妻財動來刑剋世爻,因財致禍,勿貪可也。若世與財爻相合,而財爻變出鬼來刑剋者,因色招殃。勿戀可也。父遭風雨之淋漓,舟行尤忌;父為辛勤勞苦之神。動則跋涉程途,不能安利。刑剋世爻,必遭風雨阻節而然。父為舟,克世,行船又不順利;更加白虎木爻,或化官,必有風波之險。得子動來解救,庶可化凶為吉。
「妻財」爻が世爻を剋しに來れば、來路の正しくない錢財を貪ってはならない。財爻が世爻と相合するのに「官鬼」を變出せば、多情の婦人を戀してはならない。妻財爻が發動して世爻を刑剋しに來るのは、財に因って禍を招くのであり、貪らなければ事はない。世爻と財爻がもとより相合するのに財爻が鬼爻を變出して世爻を刑剋しに來れば、それは色に因って殃を招くのであり、戀し留まらなければ事はない。「父母」爻は風雨に淋漓する苦しみを受けることを主り、船に坐って出行するには殊にそれを忌諱する。父母は辛勤・勞苦の神で、一たび發動すれば長途の跋涉を意味し、安逸・順利を得られない。それが世爻を刑剋すれば、必ず風雨に遭遇して阻隔・擱擔される緣故である。父母爻はまた船を表し、父母が世を剋せば、船を行くのが順利でない。さらに「白虎」に臨むか木爻に属するか、鬼爻を變出すれば、必ず風波の險がある。「子孫」爻が發動して前に來て解救することを得れば、なお凶を化して吉と為せる。
福遇和同之伴侶,謁貴反凶。子孫持世,吉無不利,主吉去善轉。發動,必逢好侶。在三四爻,出門便逢;在五爻,途中遇;在六爻,地頭得好人扶持。若為謁貴出行,則不宜子動,謂之傷主,反為不利之兆。艮宮鬼坐寅爻,虎狼仔細;官在震宮及艮宮,遇寅爻動,主有虎狼之患。若無氣有制伏,或不傷世,或世在避空者,終不傷命,但有虛驚耳。
「子孫」の福神は和睦して相與える良い伴侶に遇えることを主るが、唯獨貴人に謁見しに行くには反って凶である。子孫が世を持せば、吉利で順わぬことなく、この往きが吉利で事が善く始まり善く終ることを主る。子孫が發動すれば、きっと良い同伴に碰上る。三爻・四爻なら門を出ればすぐ遇い、五爻なら途中で遇い、六爻なら地頭に到って良い人の扶持がある。ただし貴人に謁見するための出行なら、子孫の發動は宜しくない。それを「傷主」といい、子孫は官鬼を剋し、官鬼はまさに貴人だから、反って不利の兆となる。「艮」宮の鬼爻が「寅」爻の上に坐すれば、虎狼に小心せよ。官鬼が「震」宮か「艮」宮にあって、また寅爻の發動に遇えば、虎狼の患を主る。鬼爻が無氣でまた制伏を受けるか、世爻を傷つけられないか、世爻がちょうど落空して躲けおおせれば、終に性命を傷つけず、ただ一場の虚驚に過ぎない。
震卦兄逢蛇殺,光棍宜防。兄主劫財。若加螣蛇動,必有光棍劫拐財物。在震宮,其光棍在市鎮上;在坤宮,鄉里中人;應臨,地頭主人;五爻,途中被騙。化出官,則是盜賊。無氣,須防剪綹。鬼動間中,不諧同伴;官在間爻動,伴侶不和,或伴中有病。兄空不受剋制,則主自己有災難,非伴中有事也。兄興世上,多費盤纏。兄爻持世,必費資財。臨蛇雀,恐有呼廬虛費;青龍玄武,酒色費財。餘則盤纏多費耳。若為財利出行,最不吉。休囚不動,猶可;乘旺發動,則且空費盤纏,徒勞奔走,必無所得。
「震」卦の裏で「兄弟」爻が「螣蛇」の凶殺に遇えば、無頼の光棍を提防せよ。兄弟爻は錢財の劫奪を主り、さらに「螣蛇」を加えて發動すれば、必ず光棍が來て財物を劫奪・拐騙する。兄弟爻が「震」宮にあれば、この光棍は市鎮の上にいる。「坤」宮にあれば、郷里の中の人。応爻に臨めば、目的地の主人。五爻にあれば、途中で騙される。兄弟爻が「官鬼」を變出せば、それは真の盗賊である。無氣なら、扒竊・割包されるのを防がねばならない。「官鬼」が間爻で發動すれば、同伴と處り合えない。官鬼が間爻の上で發動すれば、同伴の間が和睦せず、あるいは伴中に人が病む。兄弟爻が空でまた克制を受けなければ、それは自己に災難があるのであって、伴中に事が出るのではない。兄弟爻が世爻の上で發動すれば、路費は多く花する。兄弟が世を持せば、必ず錢財を破費する。「螣蛇」「朱雀」に臨めば、おそらく賭博の類の白花費がある。「青竜」「玄武」に臨めば、酒色の上に財を費やす。その余の情形は、ただ盤纏を多花するに過ぎない。財利のために出行するなら、兄弟が世を持するのは最も不吉利である。それが休囚して動かなければまだよい。一たび旺に乘じて發動すれば、盤纏を空費するうえ空しく一趟を走り、必ず一つの得る所もない。
一卦如無鬼殺,方得如心;官鬼凶神,出行不宜見之。在初爻,腳必痛;二爻,身有災;三爻,伴侶病;四爻,去後家有官事相擾;五爻,道路梗塞;六爻,地頭謀望不利。六爻無鬼,方為大吉之兆也。六爻不見福神,焉能稱意。子為福德,又為解神。若不上卦,或落空亡,則鬼殺專權;凡有災禍,必無救援。故《海底眼》云:卦無子孫不喜悅。
一卦の中に「官鬼」の凶殺がなければ、初めて心にかない意のままである。官鬼は凶神であり、出行を占うにそれを見るのは宜しくない。それが初爻にあれば脚上に必ず疼痛があり、二爻にあれば身上に災があり、三爻にあれば同伴が病み、四爻にあれば出門して後家裏に官司が來て擾し、五爻にあれば道路が梗塞し、六爻にあれば目的地に到って謀る所が利ならない。六爻の中にみな鬼爻がなくて初めて大吉の兆とする。六爻の中に「子孫」の福神を見なければ、またどうして意にかなおうか。子孫は福徳の神であり、また厄を解く神である。それが卦に上がらないか、空亡に落ちれば、「官鬼」の凶殺が權柄を獨攬し、およそ災禍があっても救援がない。ゆえに『海底眼』に言う。卦中に子孫がなければ喜悅の言うべきなしと。
主人動遇空亡,半途而返;隔手來占,須看何人出行。如僧道子侄,則看福是主人。餘仿此。主人空動,行至半途,仍復回來。動化退神,亦然。動化空,則主去後不利。退神者:卯化寅,酉化申類。財氣旺臨月建,滿載而回。出行,若得財爻旺相,生合持世,不臨空亡,不受刑剋,異日必有生意。更加月建,定主滿載歸家。但能趨吉避凶,何慮登高涉險!
出行の人を表すその一爻が發動してまた「空亡」に逢えば、この行は半路に折返す。隔手して別人のために占うなら、まずなんの人が出行するかを見ねばならない。たとえば出行するのが僧道や子姪なら、「子孫」爻をもって主人とする。その余の身分もこれに依って類推する。主人爻が空でまた動すれば、半路まで行って依然として帰って來る。動して「退神」を變出しても、情形は同じである。動して空亡に變入れば、往って後利がないことを主る。いわゆる退神とは、「卯」が「寅」に變じ「酉」が「申」に變ずるの類の退き返る變化である。「妻財」爻が旺相でまた「月建」に臨めば、この行は滿載して歸る。出行を占う時、財爻が旺相で、また來て世爻を生扶し合住し、空亡に落ちず、刑剋を受けなければ、後日必ず賣買を成し得る。さらに「月建」に臨めば、それはきっと滿載して歸る。ただ吉に趨り凶を避けられさえすれば、またどうして高きに登り險を渉るを憂えようか。
