Libo

説一切有部倶舎論 巻第二十一

唐 · 世亲造,玄奘译 · 第31巻 / 38

論曰:經說通行總有四種:一苦遲通行、二苦速通行、三樂遲通行、四樂速通行。道依根本四靜慮生名樂通行,以攝受支止觀平等任運轉故。道依無色、未至、中間名苦通行,以不攝支止觀不等艱辛轉故。謂無色定觀減止增,未至、中間觀增止減。即此樂苦二通行中,鈍根名遲、利根名速。二行於境通達稽遲故名遲通,翻此名速。或遲鈍者所起通行名遲通行,速此相違。道亦名為菩提分法。此有幾種?名義云何?頌曰:

論に曰く:経に通行は総じて四種有りと説く。一は苦の遅通行、二は苦の速通行、三は楽の遅通行、四は楽の速通行。道の根本の四静慮に依って生ずるを名づけて楽通行。支の止観を摂受して平等に任運に転ずるを以て。道の無色・未至・中間に依るを名づけて苦通行。支を摂せず止観は等しからず艱辛に転ずるを以て。いわゆる無色定は観減・止増し、未至・中間は観増・止減す。すなわち此の楽・苦の二通行の中に、鈍根を名づけて遅、利根を名づけて速。二行は境に於いて通達して稽遅するがゆえに名づけて遅通。此を翻して名づけて速。或いは遅鈍なるの起す所の通行を名づけて遅通行。此に相違するを速。道もまた名づけて菩提分法。此れに幾種有るか。名義は如何。頌に曰く、

覺分三十七,謂四念住等,

覚分は三十七。いわゆる四念住等。

覺謂盡無生,順此故名分。

覚とは尽・无生。此に順ずるがゆえに分と名づく。

論曰:經說覺分有三十七,謂四念住、四正斷、四神足、五根、五力、七等覺支、八聖道支。盡、無生智說名為覺。隨覺者別立三菩提:一聲聞菩提、二獨覺菩提、三無上菩提。無明睡眠皆永斷故,及如實知已作已事不復作故,此二名覺。三十七法順趣菩提,是故皆名菩提分法。此三十七體各別耶?不爾。云何?頌曰:

論に曰く:経に覚分に三十七有りと説く。いわゆる四念住・四正断・四神足・五根・五力・七等覚支・八聖道支。尽・无生の智を説いて名づけて覚。覚の別に随って三菩提を立つ。一は声聞菩提、二は独覚菩提、三は無上菩提。無明の睡眠は皆永断するがゆえ、および如実に已に作し已に事りたるを知って復た作さざるがゆえに、此の二を名づけて覚。三十七法は菩提に順趣す。此のゆえに皆名づけて菩提分法。此の三十七は体各別か。そうにはあらず。如何。頌に曰く、

此實事唯十,謂慧勤定信,

此の実事はただ十。いわゆる慧・勤・定・信、

念喜捨輕安,及戒尋為體。

念・喜・捨・軽安、および戒・尋を体と為す。

論曰:此覺分名雖三十七,實事唯十,即慧勤等。謂四念住、慧根、慧力、擇法覺支、正見,以慧為體。四正斷、精進根、精進力、精進覺支、正精進,以勤為體。四神足、定根、定力、定覺支、正定,以定為體。信根、信力,以信為體。念根、念力、念覺支、正念,以念為體,喜覺支以喜為體,捨覺支以行捨為體,輕安覺支以輕安為體,正語、正業、正命以戒為體,正思惟以尋為體。如是覺分實事唯十,即是信等五根力上,更加喜、捨、輕安、戒、尋。毘婆沙師說有十一,身業語業不相雜故戒分為二,餘九同前。念住等三名無別屬,如何獨說為慧勤定?頌曰:

論に曰く:此の覚分の名は三十七有りと雖も、実事はただ十。すなわち慧・勤等。いわゆる四念住・慧根・慧力・択法覚支・正見は、慧を以て体と為す。四正断・精進根・精進力・精進覚支・正精進は、勤を以て体と為す。四神足・定根・定力・定覚支・正定は、定を以て体と為す。信根・信力は、信を以て体と為す。念根・念力・念覚支・正念は、念を以て体と為し、喜覚支は喜を以て体と為し、捨覚支は行捨を以て体と為し、軽安覚支は軽安を以て体と為し、正語・正業・正命は戒を以て体と為し、正思惟は尋を以て体と為す。此のようの覚分の実事はただ十。すなわち是れ信等の五根力の上に、更に喜・捨・軽安・戒・尋を加えたる。毘婆沙師は十一有りと説く。身業・語業は相雑せざるがゆえに戒は分かれて二と為し、其余の九は前と同じ。念住等の三名は別属無きに、如何にして独り説いて慧・勤・定と為すか。頌に曰く、

四念住正斷,神足隨增上,

四念住・正断、神足は増上に随って、

說為慧勤定,實諸加行善。

説いて慧・勤・定と為す。実には諸の加行の善。

論曰:四念住等三品善法,體實遍攝諸加行善,然隨同品增上善根,如次說為慧勤及定。何緣於慧立念住名?毘婆沙師作如是說:慧由念力持令住故。理實由慧令念住境,如實見者能明記故,如念住中已廣成立。何故說勤名為正斷?於正修習斷修位中,此勤力能斷懈怠故。或名正勝,於正持策身語意中此最勝故。何緣於定立神足名?諸靈妙德所依止故。有餘師說:神即是定,足謂欲等。彼應覺分事有十三,增欲心故。又違經說,如契經言:吾今為汝說神足等,神謂受用種種神境分一為多,乃至廣說。足謂欲等四三摩地,此中佛說定果名神,欲等所生等持名足。何緣信等先說為根,後名為力?由此五法依下上品分先後故,又依可屈伏不可屈伏故。信等何緣次第如是?謂於因果先起信心為果修因,次起精進,由精進故念住所緣,由念力持心便得定,心得定故能如實知,是故信等如是次第。當言何位何覺分增?頌曰:

論に曰く:四念住等の三品の善法は、体実は遍く諸の加行の善を摂す。しかし同品の増上の善根に随同して、次第のごとく説いて慧・勤および定と為す。何の縁にか慧に於いて念住の名を立つるか。毘婆沙師は此の説を作して曰く:慧は念の力に持せられて住せしめらるるがゆえに。理実は慧に由って念をして境に住せしむ。如実の見は能く明記するがゆえに。念住の中に於いて已に広く成立せしがごとし。何の故にか勤を説いて名づけて正断か。正しく断修の位を修習する中に於いて、此の勤力は能く懈怠を断ずるがゆえに。或いは名づけて正勝。正しく身・語・意を持策する中に此れ最勝なるがゆえに。何の縁にか定に於いて神足の名を立つるか。諸の霊妙の徳の依止する所なるがゆえに。其余の師有りて説く:神はすなわち是れ定、足とは欲等を謂う。彼は応に覚分の事は十三有るべし。欲心を増すがゆえに。また経の説に違す。契経に説くがごとく:吾は今汝の為に神足等を説かん。神とは種種の神の境を受用して一を分かちて多と為すを謂う、乃至広く説く。足とは欲等の四三摩地を謂う。此の中に仏は定果を説いて名づけて神。欲等の生ずる所の等持を名づけて足。何の縁にか信等は先に説いて根と為し、後に名づけて力と為すか。此の五法は下上品に依って先後に分かれるに由るがゆえに。また屈伏すべき・屈伏すべからざるに依るがゆえに。信等は何の縁にか次第此のようか。いわゆる因果に於いて先に信心を起して果の為に因を修し、次に精進を起し、精進に由って念は所縁に住し、念の力の持するに由って心は便ち定を得、心は定を得るに由って能く如実に知る。此のゆえに信等は此のようの次第。当に言うべし何の位に何の覚分の増すか。頌に曰く、

初業順決擇,及修見道位,

初業・順決択、および修・見道の位に於いて、

念住等七品,應知次第增。

念住等の七品は、応に知るべし次第に増す。

論曰:初業位中能審照了身等四境,慧用勝故說念住增。煖法位中能證異品殊勝功德,勤用勝故說正斷增。頂法位中能持勝善趣無退德,定用勝故說神足增。忍法位中必不退墮,善根堅固得增上義故說根增。第一位中非惑世法所能屈伏,得無屈義故說力增。修道位中近菩提位,助覺勝故說覺支增。見道位中速疾而轉,通行勝故說道支增。然契經中隨數增說先七後八,非修次第。八中正見是道亦道支,餘是道支而非道。七中擇法是覺亦覺支,餘是覺支而非覺。毘婆沙師所說如是。有餘於此不破契經所說次第立念住等,謂修行者將修行時,於多境中其心馳散,先修念住制伏其心,故契經言:此四念住能於境界繫縛其心,及正遣除耽嗜依念。是故念住說在最初。由此勢力勤遂增長,為成四事正策持心,是故正斷說為第二。由精進故無憂悔心,便有堪能修治勝定,是故神足說在第三。勝定為依,便令信等與出世法為增上緣,由此五根說為第四。根義既立,能正伏除所治現行牽生聖法,由此五力說為第五。於見道位建立覺支,如實覺知四聖諦故。通於二位建立道支,俱通直往涅槃城故。如契經說:於八道支修圓滿者,於四念住至七覺支亦修圓滿。又契經說:苾芻當知,宣如實言者,喻說四聖諦。令依本路速行出者,喻令修習八聖道支。故知八道支通依二位說。隨增位說次第既然,理實應言。此三十七幾通有漏、幾無漏耶?頌曰:

論に曰く:初業の位の中に能く審らかに身等の四境を照了す。慧の用の勝れるがゆえに説いて念住増。煖法の位の中に能く異品の殊勝の功徳を証す。勤の用の勝れるがゆえに説いて正断増。頂法の位の中に能く勝善を持して退無き徳に趣く。定の用の勝れるがゆえに説いて神足増。忍法の位の中に必ず退堕せず。善根は堅固にして増上の義を得るがゆえに説いて根増。第一の位の中に惑・世の法の屈伏する能くする所に非ず。屈なきの義を得るがゆえに説いて力増。修道の位の中は菩提の位に近し。覚を助くる勝れるがゆえに説いて覚支増。見道の位の中は速疾にして転ず。通行の勝れるがゆえに説いて道支増。しかし契経の中に数の増に随って先に七・後に八を説くは、修の次第に非ず。八の中に正見は是れ道にしてもまた道支。其余は是れ道支にして道に非ず。七の中に択法は是れ覚にしてもまた覚支。其余は是れ覚支にして覚に非ず。毘婆沙師の説く所は此のよう。其余有りて此に於いて契経の説く所の次第を破らずして念住等を立つ。いわゆる修行の者の将に修行せんとする時、多くの境の中に於いて其心は馳散す。先に念住を修して其心を制伏す。ゆえに契経に説く:此の四念住は能く境界に於いて其心を繋縛し、および正しく耽嗜を遣除して念に依らしむ。此のゆえに念住を説いて最初に在り。此の勢力に由って勤は遂いに増長す。為に四事を成ずるに正しく心を策持す。此のゆえに正断を説いて第二と為す。精進に由って憂悔の心無ければ、便ち堪能有りて勝定を修治す。此のゆえに神足を説いて第三に在り。勝定を依と為して、便ち信等をして出世の法と増上の縁と為らしむ。此に由って五根を説いて第四と為す。根の義はすでに立てば、能く正しく治する所の現行を伏除して聖法を牽生す。此に由って五力を説いて第五と為す。見道の位に於いて覚支を建立す。如実に四聖諦を覚知するがゆえに。二位に通じて道支を建立す。俱に通じて直に涅槃城に往くがゆえに。契経に説くがごとく:八道支に於いて修の円満なるは、四念住より七覚支に至るもまた修は円満なり。また契経に説く:苾芻当知れ、如実の言を宣ぶるは、四聖諦に喩えり。本路に依って速やかに出づるをしては、八聖道支を修習せしむるに喩えり。ゆえに八道支は二位に通じて依って説くを知る。増位に随って次第を説くはすでに然り。理実は応に説くべし。此の三十七は幾つか有漏に通じ、幾つか無漏か。頌に曰く、

七覺八道支,一向是無漏;

七覚・八道支は、一向に是れ無漏。

三四五根力,皆通於二種。

三・四・五根力は、皆二種に通ず。

論曰:此中七覺、八聖道支唯是無漏,唯於修道見道位中方建立故。世間亦有正見等法,而彼不得聖道支名。所餘皆通有漏、無漏。此三十七何地有幾?頌曰:

論に曰く:此の中の七覚・八聖道支はただ是れ無漏。ただ修道・見道の位の中に於いて方に建立するがゆえに。世間にもまた正見等の法有りて、而も彼は聖道支の名を得ず。其余は皆有漏・無漏に通ず。此の三十七は何の地に於いて幾つ有るか。頌に曰く、

初靜慮一切,未至除喜根,

初静慮は一切。未至は喜根を除く。

二靜慮除尋,三四中除二。

二静慮は尋を除き、三・四・中は二を除く。

前三無色地,除戒前二種,

前の三無色地は、戒・前の二種を除く。

於欲界有頂,除覺及道支。

欲界・有頂に於いては、覚および道支を除く。

論曰:初靜慮中具三十七,於未至地除喜覺支,近分地中勵力轉故、於下地法猶疑慮故。第二靜慮除正思惟,彼靜慮中已無尋故。由此二地各三十六。第三第四靜慮中間,雙除喜尋各三十五。前三無色除戒三支併除喜尋各三十二。欲界有頂除覺道支各二十二,無無漏故,覺分轉時必得證淨。此有幾種?依何位得?實體是何法?有漏無漏耶?頌曰:

論に曰く:初静慮の中は三十七を具え、未至地に於いては喜覚支を除く。近分地の中は励力して転ずるがゆえ、下地の法に於いて猶お疑虑するがゆえに。第二静慮は正思惟を除く。彼の静慮の中は已に尋無きがゆえに。此に由って二地は各々三十六。第三・第四・静慮・中間は、喜・尋を双除して各々三十五。前の三無色は戒の三支を除き并びに喜・尋を除いて各々三十二。欲界・有頂は覚・道支を除いて各々二十二。無漏無きがゆえに。覚分の転ずる時は必ず証浄を得。此れに幾種有るか。何の位に依ってか得るか。実体は是れ何の法か。有漏・無漏か。頌に曰く、

證淨有四種,謂佛法僧戒,

証浄に四種有り。いわゆる仏・法・僧・戒。

見三得法戒,見道兼佛僧,

三を見て法・戒を得、道を見て兼ねて仏・僧。

法謂三諦全,菩薩獨覺道,

法とは三諦の全、菩薩・独覚の道。

信戒二為體,四皆唯無漏。

信・戒の二を以て体と為し、四は皆ただ無漏。

論曰:經說證淨總有四種:一於佛證淨、二於法證淨、三於僧證淨、四聖戒證淨。且見道位見三諦時,一一唯得法戒證淨。見道諦位兼得佛僧,謂於爾時兼於成佛諸無學法,成聲聞僧學無學法亦得證淨。兼言為顯見道諦時亦得於法及戒證淨。然所信法略有二種,一別、二總。總通四諦,別唯三諦全。菩薩獨覺道,故見四諦時皆得法證淨。聖所愛戒與現觀俱,故一切時無不亦得。由所信別故名有四,應知實事唯有二種,謂於佛等三種證淨以信為體,聖戒證淨以戒為體,故唯有二。如是四種唯是無漏,以有漏法非證淨故。為依何義立證淨名?如實覺知四聖諦理故名為證。所信三寶及妙屍羅皆名為淨,離不信垢破戒垢故。由證得淨立證淨名。如出觀時現起次第,故說觀內次第如是。如何出時現起次第?謂出觀位先信世尊是正等覺,次於正法毘奈耶中信是善說,後信聖位是妙行者。正信三寶猶如良醫及如良藥、看病者故。由心淨故發淨屍羅,是故屍羅說為第四。要具淨信此乃現前,如遇三緣病方除故。或此四種,猶如導師、道路商侶及所乘乘。經言:學位成就八支,無學位中具成就十。何緣不說有學位中有正解脫及有正智?正脫正智其體是何?頌曰:

論に曰く:経に証浄は総じて四種有りと説く。一は仏に於いて証浄、二は法に於いて証浄、三は僧に於いて証浄、四は聖戒の証浄。且つ見道の位に於いて三諦を見る時は、一一にただ法・戒の証浄を得。道諦を見る位は兼ねて仏・僧を得。いわゆる爾の時に於いて兼ねて仏を成ずる諸の無学法に於いて、声聞僧を成ずる学・無学の法にもまた証浄を得。兼の言は為に道諦を見る時にもまた法および戒の証浄を得るを顕さんとす。然而信ずる所の法は略して二種有り。一は別、二は総。総は四諦に通じ、別はただ三諦の全・菩薩・独覚の道。ゆえに四諦を見る時は皆法の証浄を得。聖の愛する所の戒は現観と俱にせば、ゆえに一切の時に無くしてもまた得。信ずる所の別あるに由って名は四有りと為す。応に知るべし実事はただ二種有るのみ。いわゆる仏等の三種の証浄に於いては信を以て体と為し、聖戒の証浄は戒を以て体と為す。ゆえにただ二有るのみ。此のようの四種はただ是れ無漏。有漏の法は証浄に非ざるがゆえに。何の義に依ってか証浄の名を立つるか。如実に四聖諦の理を覚知するがゆえに名づけて証。信ずる所の三宝および妙の尸羅は皆名づけて浄。不信の垢・破戒の垢を離るるがゆえに。証に由って浄を得て証浄の名を立つ。観を出づる時の現起の次第のごとく、ゆえに観の内の次第を説いて此のようと為す。如何なるか出づる時の現起の次第か。いわゆる観を出づる位に先ず世尊は是れ正等覚と信じ、次に正法毘奈耶の中に於いて是れ善説と信じ、後に聖位は是れ妙行なると信ず。正信の三宝は猶お良医および良薬・看病のごときがゆえに。心浄なるに由って浄尸羅を発す。此のゆえに尸羅を説いて第四と為す。要ずるに浄信を具えて此乃ち現前す。三縁に遇って病方に除かるるがごときがゆえに。或いは此の四種は、猶お導師・道路・商侶および乗ずる所の乗のごとし。経に説く:学の位は八支を成就し、無学の位の中は具に十を成就す。何の縁にか有学の位の中に正解脱および正智有るを説かざるか。正脱・正智の其の体は是れ何ぞ。頌に曰く、

學有餘縛故,無正脫智支,

学に其余の縛有るがゆえに、正脱・智の支無し。

解脫為無為,謂勝解惑滅。

解脱は無為と為る。いわゆる勝解・惑の滅。

有為無學支,即二解脫蘊,

有為は無学の支。すなわち二解脱の蘊。

正智如覺說,謂盡無生智。

正智は覚の説くがごとく、いわゆる尽・无生の智。

論曰:有學位中尚有餘縛未解脫故無解脫支。非離少縛可名脫者,非無解脫體可立解脫智。無學已脫諸煩惱縛,復能起二瞭解脫智,由二顯了可立二支。有學不然,故唯成八。解脫體有二,謂有為、無為。有為解脫謂無學勝解,無為解脫謂一切惑滅。有為解脫名無學支,以立支名依有為故。支攝解脫復有二種,即餘經言心、慧解脫。應知此二即解脫蘊。若爾,不應契經中說:云何解脫清淨最勝?謂心從貪離染解脫,及從瞋痴離染解脫。於解脫蘊未滿為滿、已滿為攝修欲勤等,故解脫蘊非唯勝解。若爾,是何?有餘師說:由真智力遣貪瞋痴,即心離垢名解脫蘊。如是已說正解脫體。正智體者如前覺說,謂即前說盡、無生智。心於何世正得解脫而言無學心解脫耶?頌曰:

論に曰く:有学の位の中はなお其余の縛の未だ解脱せざる有るがゆえに解脱の支無し。少しきの縛を離れて脱と名づくべきに非ず。解脱の体無しに解脱智を立つべきに非ず。無学は已に諸の煩悩の縛を脱し、復た能く二の明了の解脱智を起す。二に由って顕了にして二支を立つべし。有学は此のようにはあらず。ゆえにただ八を成ず。解脱の体に二有り。いわゆる有為・無為。有為の解脱とは無学の勝解を謂う。無為の解脱とは一切の惑の滅を謂う。有為の解脱を名づけて無学の支。支の名を立つるは有為に依るを以て。支の摂する解脱は復た二種有り。すなわち其余の経の説く心・慧の解脱。応に知るべし此の二はすなわち解脱蘊。もしそうならば、応に契経の中の説くに該当せず:何をか解脱の清浄の最勝とするか。いわゆる心は貪より離染して解脱し、および瞋癡より離染して解脱す。解脱蘊に於いて未満を満と為さんが為に、已満を摂と為さんが為に欲・勤等を修す。ゆえに解脱蘊はただ勝解のみに非ず。もしそうならば、是れ何ぞ。其余の師有りて説く:真智の力に由って貪・瞋・癡を遣し、即ち心の垢を離るるを名づけて解脱蘊。此のようの已に正解脱の体を説けり。正智の体は前の覚の説くがごとし。いわゆる即ち前の説ける尽・无生の智。心は何の世に於いて正しく解脱を得て而も無学の心解脱と説くか。頌に曰く、

無學心生時,正從障解脫。

無学の心の生ずる時、正しく障より解脱す。

論曰:如本論說,初無學心未來生時從障解脫。何謂為障?謂煩惱得。由彼能遮此心生故。金剛喻定正滅位中彼得正斷,初無學心於正生位正得解脫。金剛喻定已滅位中彼得已斷,初無學心於已生位名已解脫。未生無學及世俗心,當於爾時亦名解脫。然今且說決定生者,以於爾時行身世故。諸世俗心從何解脫?亦即從彼遮心生障。未解脫位此豈不生?雖有已生,不似今者。彼何所似?與惑得俱。此後若生,無俱惑得。道於何位令生障斷?頌曰:

論に曰く:本論の説くがごとく、初の無学心は未来に生ずる時に障より解脱す。何谓をか障と為すか。いわゆる煩悩の得。彼は能く此の心の生ずるを遮るに由るがゆえに。金剛喩定の正滅の位の中に彼の得は正しく断たる。初の無学心は正生の位に於いて正しく解脱を得。金剛喩定の已滅の位の中に彼の得は已に断えり。初の無学心は已生の位に於いて名づけて已解脱。未だ生ぜざる無学および世俗の心は、当に爾の時にもまた名づけて解脱。しかし今は且つ決定して生ずるを説く。爾の時に於いて行く世なるを以て。諸の世俗心は何よりか解脱するか。もまた即ち彼の心の生ずるを遮る障より。未解脱の位に此れ豈に生に生ぜざらんや。已に生ずる有りと雖も、今のに似ず。彼は何に似たるか。惑の得と俱なり。此の後にもし生ぜば、俱なる惑の得無し。道は何の位に於いて生ずる障をして断せしむるか。頌に曰く、

道唯正滅位,能令彼障斷。

道はただ正滅の位に、能く彼の障を断ぜしむ。

論曰:正滅位言顯居現在。正生言顯未來世故。道能斷障唯正滅時,餘位定無斷障用故。非如解脫通未生者,以生未生離障同故。經說三界謂斷、離、滅,以何為體?差別云何?頌曰:

論に曰く:正滅の位の言は現在に居るを顕す。正生の言は未来世なるを顕すがゆえに。道の能く障を断ずるはただ正滅の時。其余の位は定めて障を断ずるの用無きがゆえに。解脱のごときに非ず未だ生ぜざるに通じるは、生ずる・未だ生ぜざるは障を離るること同じきを以て。経に三界を説くいわゆる断・離・滅は、何を以て体と為すか。差別は如何。頌に曰く、

無為說三界,離界唯離貪,

無為は三界を説く。離界はただ貪を離れ、

斷界斷餘結,滅界滅彼事。

断界は其余の結を断じ、滅界は彼の事を滅す。

論曰:斷等三界,即分前說無為解脫以為自體。言離界者,謂但離貪。言斷界者,謂斷餘結。言滅界者,謂滅所餘貪等隨眠所隨增事故。經說三界即無為解脫。若事能厭必能離耶?不爾。云何?頌曰:

論に曰く:断等の三界は、すなわち分けて前の説ける無為解脱を以て自体と為す。離界と言うは、いわゆる但だ貪を離る。断界と言うは、いわゆる其余の結を断ず。滅界と言うは、いわゆる其余の貪等の随眠の随増する所の事を滅するがゆえに。経の説く三界はすなわち無為解脱。もし事は能く厭うは必ず能く離るるか。そうにはあらず。如何。頌に曰く、

厭緣苦集慧,離緣四能斷,

厭は苦・集に縁ずる慧。離は四に縁じて能く断ず。

相對互廣陿,故應成四句。

相対して互いに広狭。ゆえに応に四句を成すべし。

論曰:唯緣苦集所起忍智說名為厭,餘則不然。四諦境中所起忍智,能斷惑者皆得離名,廣狹有殊故成四句。有厭非離,謂緣苦集不令惑斷所有忍智,緣厭境故、非離染故。有離非厭,謂緣滅道能令惑斷所有忍智,緣欣境故、能離染故。有厭亦離,謂緣苦集能令惑斷所有忍智。有非厭離,謂緣滅道不令惑斷所有忍智。應知此中先離欲染後見諦者,所有法忍及諸智中加行解脫勝進道攝不令惑斷,惑已斷故、非斷治故。

論に曰く:ただ苦・集に縁じて起す所の忍智を説いて名づけて厭。其余は則ち此のようにはあらず。四諦の境の中に起す所の忍智は、能く惑を断ずるは皆離の名を得。広狭に殊有るがゆえに四句を成す。厭有りて離に非ず。いわゆる苦・集に縁じて惑をして断断ぜざらしめる所有の忍智。厭の境に縁ずるがゆえ、離染に非ざるがゆえに。離有りて厭に非ず。いわゆる滅・道に縁じて能く惑をして断ぜしめる所有の忍智。欣の境に縁ずるがゆえ、能く染を離るるがゆえに。厭有りてもまた離。いわゆる苦・集に縁じて能く惑をして断ぜしめる所有の忍智。厭にも非ず離にも非ざる有り。いわゆる滅・道に縁じて惑をして断ぜざらしめる所有の忍智。応に知るべし此の中は先に欲染を離れて後に諦を見る。所有の法忍および諸の智の中の加行・解脱・勝進の道の摂は惑をして断ぜざらしむ。惑は已に断ぜるがゆえ、断治に非ざるがゆえに。

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