Libo

晋 坤下離上

宋 · 胡瑗 · 第20巻 / 51

作盤ガイド: 大衍筮法, 六爻納甲の立卦

晉:康侯用錫馬蕃庶,晝日三接。

《晋》卦。安国の侯は大量の車馬を賜与せられ、一日の内に三度君主の接見を受く。「晋」は上進・晋陞の意なり。

義曰:按《序卦》云:物不可以終壯,故受之以晉。晉者,進也。蓋言物之壯而不已,則必至於見挫,必以柔順之道上進也。然此卦坤在離下,猶日出地上,以順而進,至於大明,故曰晉也。康,美也。錫馬,言賞賜之重也,《曲禮》所謂三賜不及車馬是也。蕃,盛也;庶,眾也。

胡瑗が解説します。《序卦伝》に言う。事物は永遠に強壮して下去する能わず、だから《大壮》卦の後に接ぐるは《晋》卦なり。「晋」は即ち前進・上昇なり。これは事物が一味に強壮して止まるを知らざれば、必ず挫折を遭うべし、だから応に改めて柔順の道を用いて上に進取すべきを言うなり。この一卦は坤は離の下面に在り、譬えば太陽が地面より昇起して、柔順を凭りに上進し、大放光明に至る、だから《晋》と呼ぶなり。「康」は美好なり。「錫馬」は賞賜の厚重なるを指す――《礼記・曲礼》の言う所の「三賜不及車馬」、見るべし馬を賜うは極めて重き恩典なり。「蕃」は盛、「庶」は多なり。

言此卦以三陰上進而至於明顯,如賢人君子以柔順之道上進於君,致之祿位而行道於天下,有康美之徳著之於君。既有康美之徳,君則厚加寵錫,故其馬蕃盛而眾多,以至晝日之間三接見之,以諮天下之事也。是凡人臣之進,必有道義之實、功業之美,然後登於朝廷之上,則道可行,身可顯。如不才不徳、無功無業、妄求寵幸者,不有人禍,必有天殃,故君子不可以不慎也。

この一卦は三箇の陰爻が上に向かって進取して終に世に顕明するは、譬えば賢人君子が柔順の道を凭りに君主に上進し、俸禄官位を取得して道を天下に推行し、美好の徳行を君主の面前に顕現するがごとし。すでにこのように美好の徳行有れば、君主は自然に厚く恩寵賞賜を加う、だから彼に賜うの馬匹は众多にして、甚だしきは一日の内に三次召見し、彼に向かって天下の大事を咨詢するなり。見るべし、凡そ臣子を為る者の上進を求むるは、必ず道義の実質・功業の美績を有し、後に乃ち朝廷に登る、これで道は乃ち行き通り身は乃ち顕出すなり。それらの才無くまた徳無く・功無くまた業無くして妄に寵幸を邀取せんとする人に至っては、人禍を遭わざるも、必ず天殃有らん、だから君子は謹慎せざるべからざるなり。

彖曰:晉,進也。明出地上,順而麗乎大明,柔進而上行,是以康侯用錫馬蕃庶,晝日三接也。

《彖伝》にいう。晋は、即ち前進なり。光明は地面より昇起す。下卦坤は柔順にして、上卦離この大光明に依附す。柔爻は上進して上に向かって行走す、だから安国の侯は众多の車馬を賜与せられ・一日の内に三度接見を受くと言うなり。

義曰:此卦名晉者,是大賢君子以功以徳上進於君也。明出地上者,此以二體言之也。坤下,地也;離上,明也。若明出於地,則升進而臨照天下,萬民皆瞻仰,如賢人君子出於微賤,升進而立於朝廷之上,致君澤民,使天下皆仰觀之也。順而麗乎大明者,言日之出於地,順麗乎天,故其明所以久也,猶賢者以柔順之道而進輔於大明之君,故其道可以行也。

胡瑗が解説します。この一卦の《晋》と称する所以は、大賢君子が功業と徳行を凭りに君主に上進するがゆえなり。「明出地上」は上下の両箇の卦体に就きて言う。下卦坤は地、上卦離は光明なり。光明は地面より昇起すれば、即ち上に向かって昇騰して天下を照臨し、万民は皆仰ぎて観看す。これまさに賢人君子が微賤より起ち、一歩一歩上昇して朝廷に立ち、君主を輔佐し百姓に沢を施し、天下の人をして皆彼を仰望せしむるがごとし。「順而麗乎大明」は、太陽が地面より昇起したる後に勢に順って天に依附し、だからその光明は乃ち持久し得べしと言うなり。これ即ち譬えば賢者が柔順の道を用いて進んで光明偉大の君主を輔佐し、それによって彼の道は乃ち行き通るを得べきがごとし。

柔進而上行者,夫君子之在上,必須有至明之徳,以旌別賢不肖而黜陟之也。苟上不明,使賢不肖混淆,則賢者必退避不樂於仕矣。是必君有至明之徳,使賢者持人臣之節、柔順之道附於君,而其道上行也。既能以賢明之徳出於下,柔之道行於上,故可以受寵優之厚,故曰是以康侯用錫馬蕃庶,賞之重也;晝日之間凡三接之,待之厚也。

「柔進而上行」と言う。上位に居る君主は必ず極めて明察の徳性を有し、乃ち賢と不肖を分辨し出す能く、貶黜あるいは提拔を加え得べきなり。仮に上に在る者が明ならず、賢者と不肖者を混雑して分別し難くせば、賢者は必ず退避して出仕するを願わざらん。だから必ず君主が極めて明察の徳性を具備し、賢者をして能く人臣の名節を守り・柔順の道を以て君主に依附せしめ、彼の道は乃ち上に向かって通行し得べきなり。賢者はすでに能く賢明の徳性を以て下より顕露し出ずる能くし、柔順の道はまた上に於いて施行を得れば、それによって優厚の恩寵を承受すべきなり。だから「康侯用錫馬蕃庶」と言うは、賞賜の重きを講ずるなり。一日の内に三次彼を接見するは、待遇の厚きを講ずるなり。

象曰:明出地上,晉。君子以自昭明徳。

《大象伝》にいう。光明は地面より昇起す、これ即ち《晋》卦の象なり。君子はこれに取法し、自ら去りて自身の光明の徳性を彰顯す。

義曰:言賢人君子法此之象,是以進修其徳,博學、審問、明辨、篤行,然后位朝廷之上,使仁義施於天下,功業垂於後世,以自昭顯其至明之徳也。

胡瑗が解説します。これは賢人君子がこの一卦象に取法し、それによって不断に自らの徳行を進修す――《中庸》の講ずるがごときあのように広博に学び・詳細に問い・清楚に辨え・切実に行い――後に乃ち朝廷の上に立身し、仁義を天下に施行せしめ、功業を後代に流伝せしめ、従而自らあの份の極めて光明の徳性を彰顯すると言うなり。

初六:晉如摧如,貞吉。罔孚,裕無咎。象曰:晉如摧如,獨行正也;裕無咎,未受命也。

初六の爻辞にいう。上進せんと欲するも壓抑せられ、正を守れば則ち吉なり。なお信任を得るに至らざれば、能く寛裕として自ら処れば過咎なきなり。《小象伝》にいう。上進せんと欲するも壓抑せらる、唯だ正道を走るを堅持す。寛裕として自ら処りて過咎なきは、未だ君命を接受せざるがゆえなり。

義曰:摧,抑也。初六處晉之始,有心乎晉者也,然居下卦之下,處眾陰之末,猶君子道未得行、志未得伸,於始進之時必見摧抑者也,故曰晉如摧如也。貞吉者,言君子既進而有所摧抑,固不可躁求妄動以覬君上之信,固當守之以正,則可以獲吉也。孟子曰:鄉為身死而不受,今為宮室之美而為之;鄉為身死而不受,今為妻妾之奉而為之;鄉為身死而不受,今為所識窮乏者得我而為之,是亦不可以已乎?此之謂失其本心。蓋戒其不可徇情而苟幸,言進退當以其道也。

胡瑗が解説します。「摧」は壓抑なり。初六は《晋》卦の起頭に処し、進を求むる心有るの人なり。しかしそれは下卦の最下・衆陰爻の末尾に居り、まさに君子の道はなお行き通らず・志向はなお伸展し開かず、剛く起步して進を求むるの時に必ず壓抑を遭うべし、だから「晋如摧如」と言うなり。爻辞の「貞吉」は、君子すでに進を求むるも壓抑を受くれば、絶対に急躁妄動して僥倖に君主の信任を博取し去るべからず、本当に正を以て之を守り、これで乃ち吉を獲得すべきを言うなり。《孟子》に言う。昔日は寧ろ死するも肯んじて接受せざりし物を、今は華美の房屋のために之を接受す。昔日は寧ろ死するも肯んじて接受せざりしを、今は妻妾の侍奉のために之を接受す。昔日は寧ろ死するも肯んじて接受せざりしを、今は相識の窮人をして己に感激せしめんがために之を接受す――これ豈に停まるべからざるか。これを自らの本心を喪失せりと呼ぶなり。胡瑗がこの段の話を引用するは、まさに人を告誡して私情に曲従して僥倖を求むべからず、進退は皆正道に依循すべきを言うなり。

罔孚裕無咎者,夫初六處於最下,位卑言輕,上未信於其君,下未澤於其民,事未施於當世,道未行於天下。苟如是,固不可隕穫己志,而當綽綽然寛裕樂道,不自諮嗟怨憤,而不失其本心,如此則乃可免其悔咎也。象曰晉如摧如,獨行正也者,夫君子於求進之初,其位卑言輕而有所摧抑,然不自為損,以道自處,蓋其所守獨在於正也。裕無咎,未受命也者,言處於卑下而自寛裕者,是未受君之命也。

「罔孚、裕无咎」と言う。初六は最下位に処し、地位は卑微・説話に分量なく、上に対してはなお君主の信任を得るに至らず、下に対してはなお恩沢の百姓に及ぶことなく、事功はなお当世に施行せられず、道はなお天下に通行せられず。処境このようであれば、本より単気沮喪して自ら其の志を毀るべからず、而も応に寛々綽々として其の道に安んじ其中に楽しみ、自ら怨み自ら艾せず・憤懣不平せず、従而自らの本心を失掉せざるべし。能くこのようであれば、乃ち悔恨と過咎を免去すべきなり。《小象伝》の「晋如摧如、独行正也」は、君子は進を求むるの初めに於いて、位は卑く言は軽くして壓抑を受くるも、却ってこれによって自ら作践せず、仍として正道を以て自ら処る、彼の持守する所は唯だ一箇の「正」の字のみなればなりと言うなり。「裕无咎、未受命也」と言うは、卑下の位に処して能く自ら寛裕を求むるは、まさに彼が未だ君主の任命を接受せず・未だ官守の責なきがゆえなり。

六二:晉如愁如,貞吉。受茲介福于其王母。象曰:受茲介福,以中正也。

六二の爻辞にいう。上進せんと欲するも憂愁に満ち、正を守れば則ち吉なり。將に王母よりこの大福を領受せんとす。《小象伝》にいう。能くこの大福を領受するは、それは中に居りてまた位に当たればなり。

義曰:夫晉之為言,以之一身是進用其道,以之一時是進用其君。愁,憂也。六二以陰居陰,履得其正,然處內卦之中,未見君之所信,道未能行,是以進而有憂愁也。然君子之心不以一身一家為累,動其心必以君民為志,雖進焉未見信於君而有憂,然亦不可隕穫躁動,常以正道而行,則得其吉也。

胡瑗が解説します。いわゆる「晋」は、自身に落として言えば自らの道を推行し出すなり、時世に落として言えば自らの君主の上進を輔助するなり。「愁」は即ち憂なり。六二は陰爻を以て陰位に居り、処する所の位置は正当なり。しかしそれは内卦の中に処して、なお君主の信任を得るに至らず、道もまた施行し開かれず、だから上進の中に在りと雖も憂愁を懐くなり。但し君子の心思は一身一家に牽累せられず、凡そ彼の心思に触動する所は、必ず君主と百姓を以て念と為す。進身の後に未だ君に信を取らずして憂有ると雖も、亦これによって単気して妄動すべからず、只だ常に正道に依りて行えば、即ち吉を得べきなり。

受茲介福于其王母者,王母,內之貴者也。夫六二處中居內,以位言之,至卑之象;以時言之,至暗之象。處是時則當懐道畜義,居仁守正,以自寛裕;居是位則當隨事制宜,臨機應變,使無不通濟,則必受其逺大之福,通於王母至深至密之地。蓋由至誠而行,自暗而受其介福,若鳴鶴在陰,其子和之是也。象曰受茲介福,以中正也者,六二雖未見君之信任,蓋以中正之道而行,雖天地鬼神無不佑之,以至闇然而受其介福也。

「受茲介福于其王母」と言う。「王母」は内宮中の最も尊貴の人を指すなり。六二は内卦の中位に処し、位次に就きて言えば、最も卑下の象なり。時勢に就きて言えば、最も幽暗の象なり。このようの時勢に処すれば、即ち応に道を懐抱し義を蓄養し、仁に安んじて其の正を守り、寛々綽々として自ら処るべし。このようの位次に居れば、即ち応に事に随って合宜の弁法を拿捏し機に臨みて応変し、処処皆行き通らしむべし、これで必ずあの份の深遠重大の福沢を得、一直に王母の居る所のあの最も深く最も密なるの処に通ずべきなり。これは至誠を凭りに行えば、幽暗の中に在りと雖も亦能く大福を承受するがゆえにして、まさに《繋辞伝》の言う所の「鳴鶴在陰、其子和之」――鶴は隠蔽の処に在りて鳴けば、同類は自然に応和す――のごとし。《小象伝》の「受茲介福、以中正也」は、六二はなお君主の信任を得る能わざると雖も、但し中正の道に依りて行うがゆえに、天地鬼神をして佑助せざるなきに至らしめ、それによって声息を動かさざるの間に就きてこの份の大福を承受せりと言うなり。

六三:眾允,悔亡。象曰:眾允之志,上行也。

六三の爻辞にいう。衆人の信任を得、悔恨は消失す。《小象伝》にいう。衆人の信任する所のあの份の心志は、上に向かって行進せんと欲するなり。

義曰:允,信也。夫六三以陰居陽,過於六二,不中不正之位,其本有悔也。然而居下卦之上,為眾陰之長,三陰同心上進而為其先,是道義可以行於時,事業可以致其用,故眾陰同心見信而上行,其悔可以亡也。象曰眾允之志,上行也者,言居晉之時,眾陰皆欲上行而已處其先,是為眾所信、同志而進也。

胡瑗が解説します。「允」は信任なり。六三は陰爻を以て陽位に居り、六二の中位を越過し、中ならずまた正ならざるの位置上に処し、本來は悔有るなり。しかしそれは下卦の最上に居り、衆陰爻の領頭者と成り、三箇の陰爻は同心して上に向かって進取してそれに由って帯頭せらる、見るべしその道義は能く当時に行われ事業は能く用上に派せられ、だから衆陰は同心にそれを信任して一同に上行し、それの悔恨は即ち消失すべきなり。《小象伝》の「衆允之志、上行也」は、上進の時に処して、衆陰爻は皆上に向かって走らんと欲し、而自らは最前頭に立つ、それによって大家に信任せられ志同じく道合じて一同に前進すを言うなり。

九四:晉如鼫鼠,貞厲。象曰:鼫鼠貞厲,位不當也。

九四の爻辞にいう。上進のさまは一隻の碩鼠に似て、たとい正を守るも危険なり。《小象伝》にいう。碩鼠のごとくして危険有るは、居る所の位が当ならざるがゆえなり。

義曰:鼫鼠者,田中食稻粱、貪殘剝刻之物也。當晉之時,眾君子以柔順之道上進於君,九四以陽居陰,不正而進者也。既以不正而進,上又切近於君,是當尊大之位,附上罔下,刻剝天下之民,蠱壊天下之事,如鼫鼠然,無益於民,但傷殘於物,故天下賤之,如鼫鼠然也。以此而往,則必讒諂佞媚,苟取於君上,是於正道危厲也。

胡瑗が解説します。「鼫鼠」は田裏に於いて稲谷を偷吃する大老鼠、貪婪残害・盤剥啃噬するの物なり。上進の時に処して、众多の君子は皆柔順の道を用いて君主に進身す、九四は却って陽爻を以て陰位に居り、正当ならざる方式を以て進を求むるなり。すでに正当ならざる方式を以て進を求め、位置はまた緊く君主に挨れば、即ち尊大の位を占うるに等しく、上に対しては依附討好し・下に対しては欺瞞蒙蔽し、天下の百姓を盤剥し・天下の政事を敗壞す、まさに碩鼠のごとし。百姓に対して毫も益処なく、只だ万物を損害するを会するのみ、だから天下の人は彼を鄙視し、彼を碩鼠と看作す。このようにして走下去せば、必ず讒を進め媚を献じて苟且に君上に取悦するに倚らん、これ正道の上に於いて見れば即ち危険なり。

六五:悔亡,失得勿恤,往吉,無不利。象曰:失得勿恤,往有慶也。

六五の爻辞にいう。悔恨は消失し、得失は皆憂慮するに及ばず、前往すれば則ち吉、不利なきことなし。《小象伝》にいう。得失は憂慮するに及ばず、前往すれば喜慶有らん。

義曰:六五履不得正,有悔者也。然處至尊之位,居離明之中,能擴大明之道,旌別眾賢而信任之,眾賢者類進而輔己,故其悔所以亡也。失得勿恤,往吉無不利者,夫以天下之廣、萬幾之細,其間未必不無一失。今六五既能旌任賢者,賢者皆進而輔之,故其政教無有不舉。若萬物之中苟有失得,亦不必憂恤之也。夫既是失得皆不須憂恤,則是所往無有不吉不利者也。象曰失得勿恤,往有慶也者,言六五所以失得勿恤者,蓋由其能任賢者,使賢人進輔於己,故其教化舉行,仁義興作,以此而往,故不惟止獲其吉,而又且有美慶之事也。

胡瑗が解説します。六五の処する所の位は当ならず、本は悔有るなり。しかしそれは身は至尊の位に居り、また上卦離の中位に処し、能く光明の道を拡充し開き、众多の賢者を表彰分辨して信任を加え、衆賢は於是乎接連して進用して自らを輔佐す、だからその悔恨は乃ち消失すなり。「失得勿恤、往吉、无不利」と言う。天下このように広大・政務このように繁細にして、其の間は一點の差失を出さざるを免れ難し。今、六五すでに能く賢者を表彰任用すれば、賢者は皆進用して彼を輔佐し、政令教化は便ち弁成せざるなきなり。ならば万事の中にたとい偶有りて得失有るも、亦それに就きて憂慮するに及ばず。すでに得失皆憂慮するに及ばざれば、則ち何処に至るも不吉不利なきなり。《小象伝》の「失得勿恤、往有慶也」は、六五の能く得失を心上に放ざらざる所以は、全く彼が能く賢者を任用し・賢人をして進んで自らを輔佐せしむるに在り、それによって教化は推行を得・仁義は興起を得、このようにして走下去せば、但だ吉祥を獲得するのみならず、而且にまた慶賀すべきの美事有らんと言うなり。

上九:晉其角,維用伐邑,厲吉,無咎,貞吝。象曰:維用伐邑,道未光也。

上九の爻辞にいう。上進は獣角の頂端に到り、只だ以て自らの封邑を討伐するに用いるべし。危険を経歴して後に吉を得、過咎なし、但したとい正を守るも羞を免れ難し。《小象伝》にいう。只だ以て封邑を討伐するに用いるは、それの道がなお光るに足らざるを説明す。

義曰:角者,最極之象也。夫上九處進之極,過明之中,已在角而猶進,故曰進其角。惟用伐邑者,在角猶進,過亢不已,不能端拱無為,物皆不服,必須攻伐其邑,然後服之,故曰惟用伐邑也。厲吉無咎貞吝者,兵者凶器,伐而服其物,是由危乃得吉,則無咎,以此雖正,亦已賤矣。象曰惟用伐邑,道未光也者,用伐乃服,雖得之,其道未光也。

胡瑗が解説します。「角」は最も高く最も末の象なり。上九は上進の極点に処し、また上卦離の中位を越過し、すでに角上に到ったるもなお前に向かって進まんとす、だから角上に進んだと言うなり。「惟用伐邑」と言う。すでに角上に在りてなお再び進まんと欲するは、亢盛に過ぎて停まるを肯んぜず、能く端拱無為に安守する能わず、衆人は皆服せず、好む好まざるにかかわらず去りて自らの封邑を攻打し、後に乃ち彼らをして順服せしむ、だから只だ以て封邑を討伐するに用いると言うなり。「厲吉、无咎、貞吝」と言う。兵器は凶険の物、討伐に倚りて乃ち人をして順服せしむ、これは先ず危険を歴て後に吉を得、それによって過咎なしと算すべし。但しこの種の弁法を用いるは、たとい正に合するとも、すでに卑下の一層に落ちたり。《小象伝》の「惟用伐邑、道未光也」は、討伐を動用して乃ち人をして順服せしむべしと言うに至っては、目的は達到したりと雖も、彼の道は終に光るに足らざるなり。

明夷 離下坤上

明夷:利艱貞。

《明夷》卦。艱難の中に正道を守持するに利し。「明夷」の「夷」は損傷、光明の損傷を受くるを指す。

義曰:按《序卦》云:晉必有所傷,故受之以明夷。夷者,傷也。晉卦是明出地上而升於天,明照於天下,然晉極必衰,故明反入於地中,是明有所傷也。以人事言之,則猶君子之始進於朝廷之上,佐君澤民,立功立事於天下,然至於荒耄之年,精力倦怠,是宜以功成事立而退,全身致政,求其安息,則其明終始無有所傷也。

胡瑗が解説します。《序卦伝》に言う。上進は尽頭に到れば必ず損傷する所有り、だから《晋》卦の後に接ぐるは《明夷》卦なり。「夷」は即ち損傷なり。《晋》卦は光明が地面より昇起して・天に上昇し・天下を照耀する。しかし上進の極点に到れば必ず転じて衰える、だから光明は返って地中に落入す、これ即ち光明が損傷を受けたるなり。人事を拿って言えば、譬えば君子が当初は朝廷に進身し、君主を輔佐し百姓に沢を施し、天下に於いて功業を建立したるがごとし。但し昏老の年に到れば、精力は疲怠し、即ち応に功成事立に乗じて引退し、己身を保全し政務を交還し、安息を求得し、これで彼の一生の光明は始終損傷を受けずに終るなり。

若功成年耄,復進而不已,則必有所傷也。惟聖人為能終始一徳,如周公佐周是也。凡下於聖人者,至於耄年,宜知退其身而不可終於求進也,此聖人所以著萬世君臣之戒也。利艱貞者,夫明夷之世,則是君子之明已有所傷,而小人在上便巧得志。君子處此之時,固當艱難守正,不使小人之能窺測,則可以免其患害也。

もし功業はすでに成り年歳はすでに老いたるも、なお一味に前に向かって進みて停まるを肯んぜざれば、必ず損傷を受くべし。唯だ聖人のみ能く自始至終同一種の徳行を保持し、周公の周室を輔佐せしが即ち此のごとし。凡そ境界が聖人の下に在るの人は、老邁の年に到れば、即ち身を抽きて退くを懂得すべく、一直に進を求めて到底すべからず――これまさに聖人が万世の君臣のために立下せる鑑戒なり。卦辞の「利艱貞」。光明受傷の時世に処して、君子の明智はすでに損を受け、而も小人は上に在り、投機取巧して勢を得。君子はこの種の時に身を処すれば、本当に艱難の中に正道を守持し、小人をして自らの底細を窺探し出さしめざれば、これで乃ち禍患傷害を免除すべきなり。

彖曰:明入地中,明夷。內文明而外柔順,以蒙大難,文王以之。利艱貞,晦其明也。內難而能正其志,箕子以之。

《彖伝》にいう。光明は地中に落入す、これ即ち《明夷》なり。内裏は文釆光明にして外表は柔順、それによって能く大難を承受す、周文王はまさにこのように為せるなり。「利艱貞」と言うは、自らの光明を隠藏せんと欲するなり。身は至親の間の患難に処してなお能く自らの心志を端正す、箕子はまさにこのように為せるなり。

義曰:明入地中,明夷者,此釋明夷之義也。內文明而外柔順者,此以二體言之。下卦是內,離為文明;上卦是外,坤為柔順。君子之人,能內守文明之道,外修柔順之徳,當明夷之世,蒙冒大難而不為小人所賊害,若古之人有行之者,文王是也。

胡瑗が解説します。「明入地中、明夷」は、これは卦名の含義を解釈す。「内文明而外柔順」は、上下の両箇の卦体に就きて言う。下卦を内と為して、離の卦徳は文釆光明なり。上卦を外と為して、坤の卦徳は柔順なり。君子は能く内に於いて文明の道を守住し、外に於いて柔順の徳を修養し、光明受傷の時世に処して、大難を承受すと雖も亦小人に残害せられざるなり。古人の中に真にこの一點を為し到ったるは、即ち周文王なり。

文王當紂之亂世,眾小人在紂之左右前後,讒諛佞幸,皆欲害於君子;而文王居為西伯,三分天下有其二,終能外執柔順之徳,內晦文明之道,雖小人眾多,終不能窺見其所為,故免其禍患也。《表記》曰:文王有君民之大徳,有事君之小心。故雖蒙大難而終無所傷也。

文王は商紂の乱世に生れ、众多の小人は紂王の身辺に環繞し、讒を進め媚を献じ・巧言を以て寵を取り、箇箇皆君子を加害せんと欲す。文王は身は西伯を為り、天下の三分はすでに其の二を得たるも、始終として外に於いて柔順の徳を持守し・内に於いて文明の道を隠藏する能くし。小人は多しと雖も、終に彼が何を為すかを窺探し出す能わず、だから禍患を躱過せり。《礼記・表記》に言う。文王はすでに百姓を統御するの大徳を有し、また君主に事奉するの小心謹慎を有せり。だから彼は身に大難を遭うと雖も、最終に並びに傷害を受けざりき。

利艱貞,晦其明也。內難而能正其志,箕子以之。言內難者,親之至也。夫明夷之世,闇主在上,人臣有處夫至親之地而終不見害者,若箕子是也。箕子之於紂,以位言之,父師也;以親言之,庶兄也。以庶兄之親而居父師之位,是處至親之地,所謂內難者也。然左右前後讒佞諂媚,皆欲害之,而箕子獨能蒙冒之以正其志,蓋由內能全晦其明,不使有所暴之於外,而小人不能窺見也。

「利艱貞、晦其明也。内難而能正其志、箕子以之」。いわゆる「内難」は、身は至親の間の患難に処するを指すなり。光明受傷の時世に於いて、昏君は上に在り、臣子を為る者は君主と最も親近の地位に処して始終として害を遭わざりしは、箕子は即ちこのようの一位なり。箕子は紂王に対して、官位に就きて言えば父師、親屬に就きて言えば庶兄なり。庶兄の至親の身份を以て父師の職を担任す、まさに身は至親の地に処し、即ちいわゆる「内難」なり。しかし紂王の身辺の讒佞諂媚の徒は、箇箇皆彼を害せんと欲すれども、箕子は却って独り能く承受して下りて自らの心志を端正す、これは彼が内に於いて能く明智を完全に收藏して、それを外に顕露せしめざれば、それによって小人は窺見する由なきがゆえなり。

象曰:明入地中,明夷。君子以蒞眾,用晦而明。

《大象伝》にいう。光明は地中に落入す、これ即ち《明夷》卦の象なり。君子はこれに取法して衆人を治理す。表面上は鋒芒を収斂し、内裏は却って明察して秋毫に及ぶなり。

義曰:君子法此之象而臨蒞於眾,則當內晦其明,外示以柔也。何則?蓋君子性無不明,事無不通,好善而嫉惡,苟不慎密而宣之於外,則小人見已之明,詐善而罔於己,己何由而知之?如是則為小人之所窺測,而必罹小人之害也。是以君子務全其道,黙運其明,則物不能蔽欺;外示柔,則不傷其苛察。如此始可蒞眾也。

胡瑗が解説します。君子はこの一卦象に取法して去りて衆人を治理せば、即ち応に内に於いて自らの明察を収斂し、外に於いて柔和を顕出すべし。何を以てか。君子の天性は明白ならざるなく・事情は通暁せざるなく、善を喜愛し惡を憎悪す。若し謹慎収斂せざれば、返ってこの一切を外に張揚す、小人はなたの明察を看清し去れば、即ち好人に偽装してなたを欺瞞し来らん、なたはまた何処より察覚し出づべきや。これ一たび然れば即ち小人に底細を摸清せられ、必ず小人の加害を遭受せん。だから君子は務めて自らの道を保全し、暗中に於いて自らの明察を運用すれば、外物は即ち彼を蒙蔽欺騙する能わず。外表は柔和を顕出せば、即ち過分の苛察を以て人を傷つくるに至らず。これを為し到れば、乃ち去りて衆人を治理すべきなり。

初九:明夷于飛,垂其翼。君子于行,三日不食,有攸往,主人有言。象曰:君子于行,義不食也。

初九の爻辞にいう。光明受傷の時は鳥の高く飛ぶがごとく、収斂して翅膀を下垂す。君子は路上に奔走し、三日は食に顧みる暇なし。往くところ有れば、彼を收留する主人はなお閑話を説かん。《小象伝》にいう。君子は路上に奔走す、道義に按ずれば彼は食に顧みる暇なきなり。

義曰:明夷于飛,垂其翼者,言明夷之時,小人得志,皆欲殘害君子。初九處卦之下,猶患難之始也,然明夷之主在於上,初最逺之。君子有剛明之徳,能韜光晦跡,不為小人之窺見,若鳥之髙飛而又垂斂其翼,是超然不可得而見之也。

胡瑗が解説します。「明夷于飛、垂其翼」と言うは、光明受傷の時に於いて、小人は紛紛として志を得、皆君子を残害せんと欲すを指すなり。初九は全卦の最下に処し、まさに患難は剛く起頭せり。而もこの一卦の光明を傷害するの主爻は最上の上六に在り、初九はそれを離るること最も遠し。君子は剛健明達の徳性を具備し、能く光芒を収斂し蹤跡を隠匿し、小人をして窺見せしめず、鳥の高く飛び起きてまた翅膀を収攏し下垂するがごとく、超然として遠く去り、人をして再び見る能わざらしむるなり。

君子于行,三日不食者,言君子能先幾知變,以小人得志,慮其加害於己,欲超然逺遁,心急於行,故至三日之間不遑暇食也。有攸往,主人有言者,言當明夷之時,愚民盲俗,不悉君子之心,見君子遯去之速,以至三日不食而有所往者,雖至親之人為己之主,亦皆有猜貳之心、誹謗之言也。象曰君子于行,義不食也者,言君子不苟遯去,必見小人之害,故行而不食者,於義有所不可也。

「君子于行、三日不食」と言うは、君子は能く事情の剛く苗头を露するの時に就きて変故を察覚し得るを言うなり。眼看して小人は志を得れば、彼らの己を加害せんを擔心し、超然として遠々しく逃開せんと欲し、心裏は路上を急ぎ、だから一連三日も飯を食うの空を騰出する能わず。「有攸往、主人有言」と言うは、光明受傷の時に於いては、愚昧の百姓・盲従の世俗は君子の心思を了解せず、君子の逃ぐることこのように快く・三日飯を食わずして路を赶きて去るを見れば、たとい彼を收留するの至親の主人なるも、亦皆心に猜疑を生じ・些かの誹謗の話を説き出さん。《小象伝》の「君子于行、義不食也」は、君子は若し早めに避走せざれば、必ず小人の毒手に遭わん、だから彼は一路奔走して食に顧みる能わず。若し安坐して食を進めば、道義の上においては説き去るべからざるなり。

六二:明夷,夷于左股,用拯馬壯,吉。象曰:六二之吉,順以則也。

六二の爻辞にいう。光明受傷の時、傷は左腿に在り。一匹の壮馬に倚りて自らを救助して身を脱し、吉を得る。《小象伝》にいう。六二の吉なる所以は、それはすでに柔順にしてまた行事に法度有るがゆえなり。

義曰:夫人之股肱,右者為便,左者為輕。六二履得中道,至於有位,漸近明夷之主,故必小有所傷,但傷左股至輕之處也。用拯馬壯吉者,言君子既於明夷之時小有所傷,若不速務遁去,則必見害愈深,故當決然拯其壯馬而行,外順小人而使不能見其所為,然後可以獲吉也。象曰六二之吉,順以則也者,六二以陰處陰,至順者也,而又處中行正,是動有法則者也。既順而又有法則,故小人終不能害之,以至得吉。故文王見囚於羑里,終能脫禍解難以全其身也。

胡瑗が解説します。人の四肢は、右辺は使うに方便、左辺は相対的に次要なり。六二は中道を践行してまた其の位有り、漸次上面のあの位の傷明の主に靠近す、だから必ず小さく損傷を受くべし、但し傷は只だ左腿この最も要ならざるの地方のみなり。「用拯馬壮、吉」と言うは、君子は光明受傷の時に於いてすでに略々損傷を受けたれば、若し赶紧に設法して身を脱せざれば、必ず害せられること更に深からん、だから応に当機立断し、あの匹の壮馬を借りて赶紧に走り、表面上は小人に順え、彼らをして自らの真実の作為を看出せしめず、後に乃ち吉を得べきを言うなり。《小象伝》の「六二之吉、順以則也」。六二は陰爻を以て陰位に居り、最も柔順なり。同時にまた中に居りて行事は正を得、見るべしそれの挙動は法度有るなり。すでに柔順にしてまた法度有れば、だから小人は終にそれを害する能わず、それによって吉を得るなり。当年文王は羑里に囚禁せられ、最後に能く禍を脱し難を解き自身を保全せしは、まさにこの道理なり。

九三:明夷于南狩,得其大首,不可疾貞。象曰:南狩之志,乃大得也。

九三の爻辞にいう。光明受傷の時に南方に向かって出猟征討し、元凶首惡を擒獲せり。但し急ぎ過ぎて強行に匡正すべからず。《小象伝》にいう。南征の心志は、大いに実現し得たりと算すべきなり。

義曰:南者,至明之地;狩者,獵之名;大首者,元惡也。九三居離之極,有至明之性;以陽居陽,有至剛之徳。夫以剛明大正之徳,居明夷之時,闇主在上,殘虐生靈,塗炭天下,不忍坐視,故不得已往而征之,以蘇民於水火,救民於溝壑,故如獵狩之事,但取其害於民者誅之耳。孟子曰:誅其君而吊其民,若時雨降,民大恱。又曰:武王伐殷,謂其民曰:無畏,寜爾也,非敵百姓也。若崩厥角稽首。征之為言,正也,是但誅其首惡而已。

胡瑗が解説します。「南」は最も光明の方位、「狩」は打猟の名目、「大首」は元凶首惡を指すなり。九三は下卦離の頂端に処し、極めて明察の秉性を具有す。また陽爻を以て陽位に居り、極めて剛健の徳性を具有す。剛明中正の徳性を凭りに、光明受傷の時世に処して、昏君は上に在りて生靈を残害し・天下の人をして水深火熱に陥らしめ、実に坐視するに忍びず、それによって已むを得ず去りて征討し、百姓を水火の中より救活し・溝壑の中より拯出せん。だからこれは打猟のごとし。只だそれらの百姓を残害する者を除掉するのみなり。《孟子》に言う。彼らの暴君を誅除して彼らの百姓を撫慰すれば、及時雨の落下するがごとく、百姓は大いに歓悦す。又言う。武王は殷商を討伐し、殷地の百姓に対して言うに、害怕する勿れ、我は来たりてなたらを安定するなり、並びに百姓と敵を為すにあらずと。百姓は於是乎山の崩るるがごとく地に叩頭す。「征」この字の意思は即ち「正」なり、見るべし只だ首惡を誅除するのみなり。

不可疾貞者,夫聖賢之所以往伐首惡者,將以正天下之民也。其惡既除,其民始蘇,固不可加之暴猛峻之嚴刑以益苦之也。何則?夫民之被害既已久矣,染惡亦已深矣,故非亟而可拯也。必須化之以漸,撫之以慈,與之解其倒懸,然後以漸而正之可也。故孟子曰:簞食壺漿以迎王師,此無他,避水火也;如水益深,如火益熱,亦運而已矣。是正天下於虐暴之後,不可亟欲成俗也。象曰南狩之志,乃大得也者,言聖賢之人以至明之道往伐其元惡者,所以救民而正天下。今既獲之,則已之志大有所得也。

「不可疾貞」と言う。聖賢の去りて首惡を討伐する所以は、天下の百姓を端正せんがためなり。首惡はすでに除掉せられ、百姓は剛く気を緩め得たれば、即ち絶対に再び凶猛厳酷の刑罰を施加して彼らの苦楚を加重すべからず。何を以てか。百姓の害を受くることすでに久しく、沾染の惡習も亦すでに深し、それによって一下子に拯救し来る能くするにあらざればなり。必ず一點一點に彼らを教化し、慈愛を以て彼らを撫恤し、彼らのために倒懸の苦を解き、後に再び逐歩に正道に引上せば乃ち可なり。だから《孟子》に言う。百姓は竹筐を以て飯を盛り・壺を以て湯を盛りて王師を迎接す、別の縁故なし、只だ水火の苦を逃開せんと想うのみなり。若し新しく来たるの水は更に深く・火は更に熱くせば、ならば彼らも亦不過是れ転じて別処に投ずるのみなり。見るべし、暴虐の後に於いて天下を匡正するに、急ぎて一下子に良好の風俗を造成すべからざるなり。《小象伝》の「南狩之志、乃大得也」は、聖賢は最も光明の道を用いて元凶を討伐し、為す所は百姓を拯救し・天下を端正するに在り、今すでに首惡を擒獲せれば、自らの心志は便ち大いに実現せりと言うなり。

六四:入于左腹,獲明夷之心,于出門庭。象曰:入于左腹,獲心意也。

六四の爻辞にいう。左辺の腹心の地に钻入り、あの位の傷明の主の心思を摸透し、なおそれを門庭の外に張揚す。《小象伝》にいう。左腹に钻入るは、君主の心意を摸到せるなり。

義曰:凡手足以右為便,心腹之間以左為順。六四以陰居陰,履得其位,上近明夷之主,是小人而得志者也。夫以小人得志,又附於昬闇之主,以甘言美色、柔邪佞媚,從君之情,迎君之慾,納之於惡,依違曲順,入于左腹之間,復得明夷之主之心也。左腹言能順於心也。

胡瑗が解説します。手足に就きて言えば右辺を以て便利と為し、心腹の間に就きて言えば則ち左辺を以て順適と為す。六四は陰爻を以て陰位に居り、処する所の位は正当、上に向かってまたあの位の傷明の主に貼近す、まさに小人得志の寫照なり。小人は一旦志を得れば、また昏暗の君主の身辺に依附して、甜言蜜語・和悦の臉色を用いて、柔媚邪佞に君主の性情に迎合し・君主の欲望に逢迎し、彼を惡の一路に推向せん。一味に含糊順従し・曲意奉承して、これに就きて君主の腹心の間に钻入り、進んでこの位の傷明の主の心思を摸透せり。いわゆる「左腹」は、説く所はまさに彼が能く君主の心意に順うなり。

于出門庭者,言小人之輔闇主,內既迎逢其惡,外又不能慎密固蔽之。君未有一過,則揚之為大過;君未有纖惡,則宣之為大惡,以至騰播天下,罪形萬世,皆小人之所致也,若崇侯、飛廉、惡來之類是也。門庭者,言宣露於外也。

「于出門庭」と言うは、小人は昏君を輔佐し、内に対してはすでに一味に彼の惡に逢迎し、外に対してはまた謹慎に守密し彼のために掩護遮蓋する能わざるを言うなり。君主は本より何の過失もなきを、彼は偏に張揚して大過失と為す。君主は本より一絲の惡行もなきを、彼は偏に宣揚して大惡行と為す。以て天下に傳遍し・罪名は万世に坐実するに至る、これ皆小人が一手に造成せるなり、崇侯虎・飛廉・惡来のあの一類の人は便ち此のごとし。いわゆる「門庭」は、この一切を外に張揚泄露せしめたるを言うなり。

六五:箕子之明夷,利貞。象曰:箕子之貞,明不可息也。

六五の爻辞にいう。箕子のごとく光明受傷の時に処すれば、正道を守持するに利し。《小象伝》にいう。箕子の正を守るは、彼の内心の光明をして熄滅せざらしむるなり。

義曰:明夷之主在於上六,則左右前後皆小人矣。惟六五以柔順之道處得其中,非小人之謂也,推象意以求之,則箕子之道矣,故聖人特以箕子明此爻也。何則?箕子當紂之時,尊為父師,親為庶兄,是至近至親之位也。然紂之左右前後皆小人,而箕子之道不得行,是明有所傷也。然當是時,箕子能自晦其明,自蒙其徳,雖在紂之近密而終無所害,以至佯狂為奴以全其身,是所利者惟能自晦而居正也。象曰箕子之貞,明不可息也者,以箕子切近於紂而終不為其所害者,蓋由能以正道自守,故其明不可得息也。

胡瑗が解説します。この一卦の光明を傷害するの主爻は上六、ならばその前後左右に環繞する者は皆小人なり。唯だ六五は柔順の道を以て上卦の中位に処し、小人の一類に属せず。卦象の用意を推尋して求索すれば、まさに箕子の処世の道に合し、だから聖人は特に箕子を用いてこの一爻を説明す。何を以てか。箕子は紂王の世に於いて、爵位を論ずれば父師、親屬を論ずれば庶兄、最も親近の地位上に処せり。しかし紂王の身辺の前後左右は皆小人、箕子の主張は行き通らず、これ即ち光明が損傷を受けたるなり。しかしあのようの時に於いて、箕子は能く自ら明智を隠藏し・自ら徳行を遮掩し、身は紂王の最も貼近の圏子裏に処すと雖も、終に害を受けず、甚だしきは瘋を装いて奴隷と為りて自身を保全せり。見るべし、彼の得る所の好処は、全く能く自我に韜晦してまた正道を守住するに在るなり。《小象伝》の「箕子之貞、明不可息也」は、箕子は緊く紂王に挨るも終に彼に害せられず、まさに能く正道を以て自守すれば、だから彼の内心の光明は始終として熄滅せざるなり。

上六:不明晦。初登于天,後入于地。象曰:初登于天,照四國也;後入于地,失則也。

上六の爻辞にいう。但だ明ならざるのみならず、返って昏暗なり。初めは天上に昇り、後に地下に落入す。《小象伝》にいう。初めは天上に昇るは、本は四方の国を照耀すべきなり。後に地下に落入するは、君たるの法度を喪失せるなり。

義曰:不明晦者,言上六處群陰之上,居一卦之極,明夷之主也。不能以明徳臨照天下,而左右前後信任小人,自致陰闇柔弱,不有其明,故云不明晦也。初登于天者,夫天尊且髙,人君之位也。此上六以繼世而立於人君之位,為天下之主,故云初登于天也。後入于地者,夫既居人君之位,為天下之所瞻仰,則當大明以臨照天下,今反昬闇暝昧,放恣殘賊而不用其明,是入於地也。象曰後入于地,失則也者,言上六失為君之法則,不能明照天下,而終於昬闇,貽祖宗之羞也。

胡瑗が解説します。「不明晦」と言うは、上六は衆陰爻の上・全卦の最高処に処し、まさにこの一卦の光明を傷害するの主爻を指すなり。それは能く光明の徳性を以て天下を照臨せず、返って身辺の前後に於いて一味に小人を信任し、自らは暗陰柔弱と為りて応有の明察を失去せり、だから明ならずして昏暗なりと言うなり。「初登于天」と言う。天はすでに尊貴にしてまた高遠、君主の位を象徴す。上六は世系を継承して君位に登り・天下の主と為れるなり、だから初めは天上に昇ると言うなり。「後入于地」と言う。すでに身は君位に居り・天下の人に仰望せられれば、即ち応に大光明を以て天下を照臨すべし。今は返って昏聵糊塗にして・残虐を放縦して其の明を用いず、これ即ち地下に落入するに等しきなり。《小象伝》の「後入于地、失則也」は、上六は君たるの法度を喪失し、能く光明を以て天下を照耀せず、最終に昏暗に陥り、祖宗のために羞辱を留下せるを言うなり。

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