Libo

損 兌下艮上

宋 · 胡瑗 · 第23巻 / 51

作盤ガイド: 大衍筮法, 六爻納甲の立卦

損:有孚,元吉,無咎,可貞,利有攸往。曷之用?二簋可用享。

《損》卦は下卦を兊(兌)と為し・上卦を艮と為し、講ずる所は在下者を減損して在上者を增益するなり。卦辞にいう。民を取るに誠信有れば、大いなる吉祥、過咎有ることなからん、長久に守持すべく、前往して事を弁ずるに利有り。何を以て祭祀するか。二簋の薄食も亦足りて奉献すべきなり。「元吉」の「元」は大、即ち大吉なり。「簋」は黍稷を盛るの礼器、「二簋」は祭品の極めて倹薄なるを形容す。

義曰:此損卦謂損下以益上,損民益君之象也。然上之損下不可太過,必須合於中正,則民皆勤身竭力,樂輸於上。有孚者,言上之取於民必當以信立之,限極取之有時,用之以制,取信於民,其民皆信奉於上,則獲元大之吉而無咎悔矣。

《損》卦の講ずる所は在下のを減損して在上のを增益する、亦すなわち民に取りて君に奉ずるの象徴なり。但し在上者が下に向かって征取するは太過すべからず、必ず中正の分寸に合乎して、百姓は乃ち勤労して力を尽くし、上に向かって納を楽しむべきなり。いわゆる「有孚」は、君上は百姓に向かって征取するに、一定に誠信を用いて制度を確立せねばならず。額度を限定し・時に按じて徴収し・用度に節有りて、民に信を取せば、百姓は皆信服して君上を擁戴し、即ち大吉を獲得して悔咎を留めざらん。

苟或暴政橫賦,臨之不以道,取之不以信,使其民仰不能以事父母,俯不能以畜妻子,凶年樂歲殫財竭力,奉國不暇,如此則怨結於下,災見於上,而其咎悔可知矣。故古之什一,為萬世中正常行之法,所謂長久貞正而大吉無咎者也。既有其孚,又守以正,則所往無不利矣。

もし暴政を施行し・横に賦税を徴し、百姓を治理するに正道に依らず、財物を征取するに信用を講ぜざれば、百姓をして上は父母を奉養する能わず・下は妻児を養活する能わざらしめ、荒年ならんと豊年ならんとを問わず皆家財を耗尽し・気力を竭尽せしめ、官府を供奉するも尚かつ及ばざらん。ならば怨恨は即ち下面に於いて鬱結し、災異は即ち上面に於いて顕現し、其中の咎害悔恨は想知すべきなり。だから古代の十分に一を抽つるの税法は、万世通行の中正常法、まさに卦辞の言う所の長久に守持すべく・大吉にして過咎なきの道理なり。すでに誠信有りて、また能く正を守れば、ならば何を為すも不利有ることなからん。

曷之用,二簋可用享者,此言在上之人既能示民以信,取民有制,使上足其用,下不匱財,如此則復將何所為?故雖二簋至約之物,亦可用之以享於鬼神也。《左傳》曰「苟有明信,澗溪沼沚之毛,蘋蘩薀藻之菜,筐筥錡釜之器,潢汙行潦之水,可薦於鬼神,可羞於王公」是也。言損道既以至誠至信而行,雖用二簋,可以享於鬼神,不待其豐備也。

「曷之用。二簋可用享」と言うは、在上者はすでに能く誠信を以て人に示し・征取に制度有りて、朝廷の用度をして充足せしめ・百姓の財力をして匱せざらしむれば、ならばなお再び何を為すを要せんや。だからたとい只だ二簋のごとき極めて倹薄の祭品を用いるも、同じく能く鬼神に奉献すべきなり。《左伝・隠公三年》に言う。只だ明白の誠信有らば、山澗溪沼の裏の野草、苹・蘩・薀藻の一類の水菜、筐・筥・錡・釜の一類の粗器、路辺の積水溝の裏の水、皆鬼神に荐献すべく、皆王公に進献すべきなり。これ即ち減損の道はすでに至誠至信を以て推行せば、たとい只だ二簋の薄を用いるも亦鬼神を享祀し得、並びに祭品の豊盛斉備を要せざるを言うなり。

彖曰:損,損下益上,其道上行。損而有孚,元吉,無咎,可貞,利有攸往。曷之用?二簋可用享。二簋應有時,損剛益柔有時,損益盈虛,與時偕行。

《彖伝》の解釈にいう。《損》は下面を減損して上面を增益す、この路は上に向かって通行す。減損して能く誠信を守れば、即ち大吉・過咎なし・長久に守持すべく・前往に利有り。何を以て祭祀するか。二簋の薄食は足りて奉献すべきなり。但し二簋の薄は自ら其の適用の時有り、剛爻を減損して柔爻を增益するも亦自ら其の時機有り。減損と増益・盈満と空虚は、皆時勢に随って一同に推移すべきなり。

義曰:艮上而止,兊下而說。夫損民益君,必上有節止,絶無名之求,則下皆樂輸,以說順之道而上行也,故曰損下益上,其道上行也。損而有孚元吉無咎可貞利有攸往者,言貢賦之入皆有常制,不失其信則可也;苟什一之外不以孚信,動有妄求,是過損於下而取怨於民也。故必有孚信之道,獲元大之吉,免其悔吝,然後可以常行,利有所往也。

上卦艮の卦徳は止、下卦兊の卦徳は悦なり。民を取りて君に奉ずるに、必ず上面に節制有りて停止し、一切の名目なきの索求を杜絶して、下面は乃ち納を楽しみ、和悦順従の態度を以て上に向かって輸送せん、だから「損下益上、其道上行」と言うなり。「損而有孚、元吉、无咎、可貞、利有攸往」と言うは、賦税の徴収は皆固定の制度有りて、民に信を失せざれば即ち可なりと講ずるなり。もし十分に一を抽つるの外に於いて誠信を講ぜず、動輙妄に索求を加えば、則ちそれは過分に下民を損害して怨恨を招致するなり。だから必ず誠信の道を秉持して、乃ち大吉を獲得し・悔吝を免除し、後に乃ちこの套の弁法は長久に推行すべく・何を為すも利有るべきなり。

曷之用二簋可用享,二簋應有時者,言至約之物不可以常行,可儉則儉,可豐則豐,所應皆有時也。亦如損民應上,雖不可過,然亦必視歲之豐凶而輕重之,則自然國用以羨而民力不困也。損剛益柔有時者,此謂損初九九二之剛,益六四六五之柔,亦有其時,不可以常行,可以損則損,可以益則益也。

「曷之用。二簋可用享。二簋応有時」と言うは、極めて倹薄の祭品は常法と当作する能わず、倹省すべき時は即ち倹省し、豊厚すべき時は即ち豊厚にし、各々其の適用の時有るを講ずるなり。これも亦民を取りて上に奉ずるに猶ほし。過分すべからずと雖も、但し同じく年成の豊歉を見て徴収の軽重を決定せねばならず、これで国家の用度は自然に余有りて、而も民力は亦困竭するに至らざるなり。「損剛益柔有時」と言うは、指す所は初九・九二の陽剛を減損して去りて六四・六五の陰柔を增益す、これも亦同じく其の時機有りて、一概に長行する能わず。減損すべき時は即ち減損し、増益すべき時は即ち増益す。

損益盈虛與時偕行者,言不可長損於彼而益於此,盈於此而虛於彼,凡損益盈虛之道皆與時而行也。故《孟子》曰「治地莫善於助,莫不善於貢。貢者,校數歳之中以為常」,此之謂也。

「損益盈虚、与時偕行」と言うは、永遠にあの一辺を損り・この一辺を益して、この辺をして総に盈満ならしめ・あの辺をして総に空虚ならしむべからざるを講ずるなり。凡そ減損・増益・充盈・虧虚の道理は、皆時勢の変化に随って推行すべきなり。だから《孟子・滕文公上》に言う。田賦を治理するの弁法は、助法より好きなし・貢法より糟きなし。いわゆる貢法は、若干年の收成の平均数を比較して固定の税額と為定す(豊年は多く取らず・荒年も亦照收す、故に為害は最も甚し)。講ずる所はまさにこの意思なり。

象曰:山下有澤,損。君子以懲忿窒欲。

《大象伝》にいう。山下に沢有り、沢水は山根を浸蝕し、下を損りて上を益す、これ即ち《損》卦の取象なり。君子は此に取法し、自らの忿怒を懲戒し・自らの私欲を堵塞す。「懲」は警戒、「窒」は堵住なり。

義曰:按《左傳》曰「川竭則山崩」,是言山澤之氣相通,故得以生於萬物也。今澤在山下,是損澤益山、損下益上之象也。君子觀此之象,可損之事在於忿欲:有忿則懲戒之,有欲則窒塞之,可損之善莫善於此。何則?自非聖人,不能無忿爭之心、嗜慾之事,自君子而下則時有之,固宜損之也。

《左伝・僖公十五年》に「河川は枯竭すれば、山は即ち崩塌せん」と言う、見るべし山と沢の気脈は相通ずれば、それによって能く万物を化育す。今、沢は山下に在り、まさに沢を損りて山を益し・下面を減損して上面を增益するの象徴なり。君子はこの一卦象を観察し、人の身上に於いて最も減損すべきは忿怒と嗜欲に如かざるなしと以為す。忿怒有れば即ち懲戒を加え、嗜欲有れば即ち堵塞を加え、減損すべきの事情の裏に於いてこれより値して手を下すべきなし。何を以てか。聖人にあらざるを除いては、誰も忿争の心・嗜欲の事を免るる能わず。君子より往下して、人人は時時に皆有り、本来即ち減損すべきなり。

初九:已事遄往,無咎,酌損之。象曰:已事遄往,上合志也。

初九の爻辞にいう。手頭の事を弁了せば即ち赶紧に前往して上に奉ず、過咎有ることなからん、但し斟酌して減損すべし。《小象伝》の解釈。事を弁了して赶快に前往するは、上位者の心意と相合するがゆえなり。「遄」は迅速、「酌」は分寸を斟酌するなり。

義曰:初九居一卦之下,處損之初,民之象也。夫民之為職,固當給衣食以奉養其上者也。事,謂耕穫之事也,言耕穫之事既已,則速往以奉於上,乃得免其咎也。酌損之者,言上之損下、下之奉上,必皆斟酌其宜,使合中道。故民之於私,上有父母之養,下有妻子之畜,而又有州閭鄉黨冠昏喪祭之用,不可盡竭其所有以輸於上,自取不足之患,必斟酌其宜,合於中道則可也。象曰已事遄往上合志也者,夫上之志所須在於民,民之志在奉其上,今初九能己自已之事,遄速斟酌而往奉之,則是合上之志矣。

初九は全卦の最下に処し、まさに減損の初めに当たり、在下の百姓を象徴す。百姓の本分は、本より衣食を供給して在上者を奉養するなり。「事」は耕種収穫の事を指す。庄稼は収め了れば、即ち赶紧に送りて上に奉げば、これで乃ち過咎を免るべきなり。「酌損之」と言うは、上面は下に向かって減損し・下面は上に向かって奉献す、皆必ず斟酌して合宜にして、それを中道に合乎せしむるを講ずるなり。百姓の自家に亦開銷有り。上は父母を奉養し・下は妻児を撫育し、なお州・閭・郷・党のこれらの隣里編制の間に於いて往来するの冠礼・婚礼・丧事・祭祀の用度有り(周制は二十五家を閭と為し・五百家を党と為す、皆聚居して互助するの単位)、家産を全数掏空して官府に繳げ、自らに匱乏の患を招来すべからず。必ず斟酌して宜を得・中道に合乎して乃ち可なり。《小象伝》の「上合志也」は、上面の指望する所は百姓に在り、百姓の心願は上面を奉養するに在るを講ずるなり。今、初九は能く先ず自家の事を了結し、再び迅速にして分寸有りて前去して上に奉げば、これ即ち上位者の心意と相合せるなり。

九二:利貞,征凶,弗損益之。象曰:九二利貞,中以為志也。

九二の爻辞にいう。正を守るに宜しく、前往すれば則ち凶険有り、再び自らを減損して去りて上面を增益せず。《小象伝》の解釈。九二が正を守るに宜しきは、それは中道を以て自らの志向と当作するがゆえなり。「征」は前行なり。

義曰:夫損下益上,必須斟酌其宜,使合於中正者也。夫什一者,天下之中正也,過之則桀,殺之則貊,皆不得其中也。初已損之以益其上,至二復損,則損之太過,利在乎守正而已。征凶者,言若損之不已,復往而奉於上,則凶之道也。弗損益之者,言不可更損己以奉於上,當反求上之所益則可也。象曰九二利貞中以為志也者,言損上益下、損下益上皆不可過,宜必以大中之道而行,今初已損而奉於上,至二則不可更有所損,是以中道為志也。

下面を減損して上面を增益するに、必ず斟酌して当を得て、それを中正に合乎せしめねばならず。十分に一を抽つるは天下の中正の法。それを超過すれば即ち夏桀のごとき暴斂と為り、それを減少すればまた北方の貊人のごとき寡取と為り、両頭は皆中を失せり。初九はすでに自らを減損して上に奉げり、九二に到りて再び減損すれば、即ち損ること太過なり、だから利有るは只だ正を守るに在り。「征凶」と言うは、若し一味に減損して止まらず、また前去して上に奉献せば、則ちそれは凶を招くの道なりと講ずるなり。「弗損益之」と言うは、応に再び自らを減損して去りて上に奉ぐべからず、返って応に上面の下面に対するの增益を求取して乃ち対なりと講ずるなり。《小象伝》の「中以為志也」は、上面を減損して下面を增益すると雖も・下面を減損して上面を增益すると雖も、皆過分する能わず、必ず大中の道に依りて行わねばならずと講ずるなり。初九はすでに減損して上に奉げたれば、九二に到りては即ち応に再び減損する所有るべからず、これ即ち中道を志向と立作するなり。

六三:三人行,則損一人;一人行,則得其友。象曰:一人行,三則疑也。

六三の爻辞にいう。三箇の人は同行すれば、即ち一人を減去すべし。一箇の人は独行すれば、返って伴侶を得べし。《小象伝》の解釈。一人独行して乃ち好し、三人同去すれば即ち猜疑を招致せん。此処に講ずる所は相応は専一を貴ぶなり。

義曰:夫天地君臣夫婦之道,若専一相應,則其志純,其道固也。今六三之陰上應於上九之陽,若己與六四六五二爻同往而應之,則反損上九之一人;若己獨往而應之,自得其友矣。故《繫辭》云「天下百慮而一致,殊塗而同歸」,是言凡事在於一致,則其道純而無駁也。象曰一人行三則疑也者,言六三獨往應上九,則其志和同而無所間矣;若三人往之,則上九必有疑惑之志,慮其有害於己也。

天地・君臣・夫婦の間の道理は、若し能く専一に相応ずれば、心志は即ち純粋にして、関係は即ち牢固なり。六三この一陰爻は上に向かって上九の陽と相応ず。若しそれが六四・六五の両爻を拉きて一同に前往して応を求めば、返って上九この一箇の人を損掉せしめん。若しそれが独自に前往して相応ずれば、自然に伴侶を得たるなり。だから《繋辞下伝》に「天下の思慮は紛紜にして一致に帰し、道路は不同なれども終点は相同なり」と言う、凡そ事は専一を貴び、専一なれば則ち其の道は純粋にして駁雑ならずを講ずるなり。この一爻は表面は減損を講ずれども、実は相応は一対一を貴ぶを講ずるなり。多ければ則ち相疑い、少なければ則ち相得るなり。《小象伝》の「三則疑也」は、六三は独自に前往して上九と相応ずれば、心志は和同して毫も隔閡なしと講ずるなり。若し三爻は一斉に涌き去れば、上九は必然に心に疑慮を生じ、彼らが自らに対して不利ならんを擔心せん。

六四:損其疾,使遄有喜,無咎。象曰:損其疾,亦可喜也。

六四の爻辞にいう。自身の毛病を除去せば、動作は迅速にして喜慶有り、過咎有ることなからん。《小象伝》の解釈。能く毛病を除去するは、本身即ち可喜の事なり。「疾」は此処ではすでに人身の病を指し、亦国家と百姓の身上の禍害を指すなり。

義曰:遄,速也。夫為人上者,不可過取天下之財以困斯民。今六四一爻當大臣之位,切近於至尊,故當盡忠於國,不可復往損於民,但民有疾則去之,有患則損之,如此所以為天下之利而副人臣之職也。使遄有喜者,六四既為大臣,其責甚重,若有一小人在位,為國家之害、良民之蠧,則當損去之而務在於速,不可使之滋蔓,如此則有喜恱之事而獲無咎矣。象曰損其疾亦可喜也者,言為人臣之職,若能秉忠直而損國家之疾,除民物之害而使之獲安,是可喜之事也。

「遄」は即ち快なり。上に在る者を為るに、過度に天下の財物を捜刮して百姓を困窘せしむべからず。六四この一爻は大臣の位に処し、至尊の君位に緊く挨る、それによって応に国に忠を尽くし、応に再び去りて百姓を損害すべからず。只だ百姓に病痛有るの時に彼らの為に除去し、禍患有るの時に彼らの為に減損するのみ。このように為すは乃ち天下の利、亦乃ち臣子の職分と称すべきなり。「使遄有喜」と言うは、六四はすでに身は大臣を為れば、責任は極めて重し。一旦小人の官位を窃踞する者有れば、国家の害・良民の蠹と為れば、即ち応に彼を除掉すべく、而且に迅速を貴び、彼をして蔓延して坐大せしむべからず。これで便ち可喜の事有りて過咎を免るべきなり。《小象伝》の「亦可喜也」は、人臣たるの職分は、若し能く忠直を秉持して去りて国家の病害を除去し・百姓を残害するの禍根を掃清して彼らをして安寧を得せしめば、これ自然に欣喜すべきの事なりと講ずるなり。

六五:或益之十朋之龜,弗克違,元吉。象曰:六五元吉,自上佑也。

六五の爻辞にいう。人の価値十朋の宝亀を送り来たりて相助する有り、推辞する能わず、大いなる吉祥なり。《小象伝》の解釈。六五の大吉なる所以は、上天の佑助を得るがゆえなり。「朋」は古代の貨貝の計数単位、「十朋之亀」は極めて貴重の大宝亀を指し、此処では天下の賢才と智謀を比喻す。

義曰:龜者,決疑之物,以喻人之才智也。朋,黨也;十朋,眾也。夫損下之道不可過苦,惟在位聖賢之人不以為常,但其用之有制耳。今六五以柔順居艮止之中而位至尊,下又應九二剛明之臣,已能虛心而接納之,又弗損於下,是故天下賢明才智之人皆盡其謀慮,竭其志策,來益於己也。

亀甲は以て疑难を決断するの物、此処では以て人の才智を比喻す。「朋」は朋類党与を指し、「十朋」は其の众多を言うなり。下面を減損するの弁法は太く苛刻なるべからず、唯だ位に在るの聖賢のみが重斂を常法と為さず、用度は自ら節制有るなり。六五は柔順の質を以て艮体の中位に居りて至尊の位に処し、下面にまた九二この位の剛健明察の臣子と相応ず。それはすでに能く虚心に容納し、又去りて下民を捜刮せざれば、だから天下の賢明にして才智有るの人は皆自らの謀慮を尽献し・自らの方略を竭尽し、前来して彼に增益せん。

弗克違元吉者,夫好賢而不能用,則與不好同;用之不能從,則亦與不用同。故好賢者必用其才,而又聽其言,此其任人之道也。今六五能虛己以接納賢者而信任之,又且不違其言,不逆其諫,使天下才智之人得盡其善、竭其能而奉於上,是以獲元大盡善盡美之吉也。象曰六五元吉自上佑也者,六五以柔居尊,任用賢知之臣,聽其謀,從其諫,故得眾賢之歸而得元大之吉,自上而下無不佑之也。

「弗克違、元吉」と言うは、賢才を喜好するも任用する能わざれば、喜好せざると両様なきがごとし。任用するも聴従するを肯んぜざれば、亦用いざると両様なきがごとし。だから真に賢を好むの人は、一定にすでに其の才を用い・また其の言を聴き、これ乃ち人を用うるの道なり。六五は能く己を虚にして賢者を容納して信任を加え、また彼らの言論に違逆せず・彼らの諫諍を拒絶せず、天下の才智有るの人をして皆其の善を尽くし・其の能を竭して奉献して上に於かしむれば、それによって尽善尽美の大吉を獲得す。《小象伝》の「自上佑也」は、六五は柔順を以て尊位に居り、賢明智慧の臣子を任用し、彼らの謀画を采納し・彼らの規諫を聴従すれば、だから衆賢は心を帰して大吉を得、上より下に至るまで彼を佑助せざるなきを講ずるなり。

上九:弗損益之,無咎,貞吉,利有攸往,得臣無家。象曰:弗損益之,大得志也。

上九の爻辞にいう。再び下面を減損せず、返って下面を增益す、過咎なし、正を守りて吉祥、前往に利有り、得る所の臣民は多く彼此の家門を分かたざるに至る。《小象伝》の解釈。損せずして益するは、心志の大いに施行せらるるなり。「得臣无家」は天下の帰心・遠近は一家のごとしを形容す。

義曰:大凡居上者不可常損下以益己。今上九居損之極,在艮之終,更無損下之道,是以施仁義之術,生成天下,以益天下之民,如此則得其無咎,以貞獲吉,既獲其吉,則所往何不利哉。得臣無家者,夫蚩蚩之民愚無所知,若在上者益之以道,則歡心而歸之。今上九既不損而反益之,則天下之民皆臣服而歸之,逺近無有疎間,天下為一家,故曰無家。象曰弗損益之大得志也者,言上九居上體之極而反益於下,則是天下之民無不臣服,而已之志大得行於天下也。

大凡上位に在るの人は、長期に下面を減損して来たりて自らを增益すべからず。上九は《損》卦の極点・艮体の末端に処し、すでに再び下に向かって減損するの道理なし、於是乎仁義の術を施行し、天下を養育し、以て天下の百姓を增益す。これで便ち過咎なし、正を守りて吉を得。すでに吉を得れば、ならば何処に往くも不利有ることなからん。「得臣无家」と言うは、渾朴無知の百姓は本来懵懂無識にして、在上者が若し正道を以て彼らを增益せば、彼らは即ち歓欣して帰附せんがゆえなり。上九はすでに再び減損せずして返って百姓を增益せば、天下の人は便ち皆臣服して心を帰し、遠近の間に隔閡疏離なく、普天の下は一家のごとく、だから「无家」と言うなり。《小象伝》の「大得志也」は、上九は上体の頂端に処して却って下に向かって恵を施せば、於是乎天下の百姓は臣服せざるなく、彼自身の志向も亦天下に於いて大いに施行し開けりと講ずるなり。

益 震下巽上

益:利有攸往,利涉大川。

《益》卦は下卦を震と為し・上卦を巽と為し、「益」は在上者を減損して在下者を增益するなり。卦辞にいう。前往して事を弁ずるに利有り、大江大河を渡越するも亦利有り。上位者は肯んじて下に恵を施せば、人心は帰附し、縦に険阻有るも亦闖き過ぐる能くす。

義曰:按《序卦》云「損而不己必益」,故受之以《益》。蓋言凡物之理,盛極必衰,損久必益。益者,損上以益下,損君以益民,明聖人之志在於民也。然損下益上則謂之損者,蓋既損民之財,又損君之徳也;損上益下則謂之益者,蓋既益民之財,而又益君之徳也。

《序卦伝》に言う。減損して止まざれば必然に転じて増益と為る、だから《損》の後に《益》を接ぐ。これは事物の常理を講ずるなり。興盛は極点に到れば必然に転じて衰え、減損は久しければ必然に転じて益す。「益」の含義は上面を減損して下面を增益し・君主を減損して百姓を增益す、見るべし聖人の用心は百姓の身上に放たるるを。何を以て下面を減損して上面を增益すれば即ち「損」と呼ぶか。あのように為せばすでに百姓の銭財を損耗し・亦君主の徳行を損傷するがゆえなり。何を以て上面を減損して下面を增益すれば返って「益」と呼ぶか。あのように為せばすでに百姓の銭財を增益し・亦君主の徳行を增益するがゆえなり。

然上之益下,非謂耕而食之,蠶而衣之。以天下之廣,生靈之眾,苟家至戶到,人人給之,則雖至愚固知不可也,故博施濟眾,堯舜其猶病諸。蓋居人上者,為之求賢,或為農官,或興水利,勸其力穡,使遊手之民敦本而棄末;又為之擇守令,宣行教化,興利除害,以益其民。是皆因其所利而利之,因其可益而益之,故非損於上,乃能益於下也。

但し在上者の百姓を增益するは、並びに君主が親ら田を耕して人に吃を供し・蚕を養いて人に穿を供すると説くにあらざるなり。天下はこのように広大・生民はこのように众多にして、若し挨家挨戸に去りて接済を発放せんと要せば、即ち再び愚鈍の人なるも亦弁じ到る能わざるを知る、だから《論語・雍也》に広く恩惠を施し衆人を周済するは、堯舜をも難しと感ずと言うなり。真正の弁法は、上位に居る者は百姓のために賢才を延攬し、あるいは農を掌るの官職を設立し、あるいは水利を興修し、彼らを鼓勧して耕作に努力せしめ、手を游き身を閑かすの人をして本業に回帰して末技を舎掉せしむ。また彼らのために好き郡守県令を挑選し、教化を宣揚推行し、利有るの事を興弁し・害有るの弊を革除し、これらを用いて百姓を增益す。これらは皆百姓の本有の利処に順ってそれを成全し・増益すべきの地方に順ってそれを增益する、だから並びに真に上面の何をも損耗せざるに、却って能く実実在在に下面を增益す。

利有攸往者,夫上之益下,是損有餘而補不足,故得天下之心,既得天下之歡心,則何往而不利哉。然《損》則云有孚元吉無咎可貞,然後曰利有攸往,此則直云利有攸往者,蓋損之時是損於民,必使天下信之,然後有元大之吉而無咎,以為長久貞正之道,故始得利有攸往;此則損上益下,得天下之歡心,無所往而不利也。利涉大川者,夫君能以仁義之道益於下,下受其賜,則捐軀而報於上,効命以助其君,雖有大險大難,皆可以濟涉之也。

「利有攸往」と言うは、在上者は在下者を增益するは、多余のを減去して不够のを補足するに等しく、それによって天下の人心を贏得すがゆえなり。すでに天下の人の歓心を得れば、ならば何処に去るか順利ならざる有らんや。値して注意すべきは、《損》卦は先ず「有孚、元吉、无咎、可貞」と説いて、後に乃ち「利有攸往」と説く、此処は却って直接に「利有攸往」と説く。これは《損》卦の時は百姓に向かって征取するなれば、必ず先ず天下の人をして信服せしめて、乃ち大吉无咎を談じ・長久の正を守るの道と算し、後に乃ち前往して有為すべきがゆえなり。而も《益》卦は上面を減損して下面を增益し、本より天下の歓心を得、だから往かんとして利ならざるなきなり。「利渉大川」と言うは、君主は能く仁義の道を以て下に恵を施せば、下面の人は恩賜を受け、即ち生を舎げて以て在上者に報効し・命を拚して去りて自らの君主を幇助せん。これで縦に天大の険阻艱難有るも、皆能く渡越して過去す。

彖曰:益,損上益下,民說無疆;自上下下,其道大光。利有攸往,中正有慶;利涉大川,木道乃行。益動而巽,日進無疆;天施地生,其益無方。凡益之道,與時偕行。

《彖伝》の解釈にいう。《益》は上面を減損して下面を增益す、百姓は喜悅して辺際なからん。恩沢は上より下へ下民に施及す、この路は広大にして光明なり。「利有攸往」は、君臣は皆中に居りて正を守りて福慶有るがゆえなり。「利渉大川」は、巽は木を為し・舟楫を制すべく、船を行うの道は此に由りて通行を得べきがゆえなり。《益》卦は下震は動を為し・上巽は順を為し、動いて能く順なれば、徳業は日に進みて止境なからん。天は陽気を施降し・地は万物を生成す、この種の增益は四方に普及して限隔する所なからん。凡そ益を施すの道は、皆時勢に随って一同に推移すべきなり。

義曰:損上益下者,此謂損九五而益六二也。夫陽本實而有餘,陰為虛而不足,今以九五之有餘益六二之不足,使民各安其業,皆被其澤,如此則得天下之歡心,民從之無有疆畔也。自上下下其道大光者,夫損下而益上則損上之徳,今上能自損以益其下,利益之事自上而流佈於下,故其道廣大而光明也。

「損上益下」は、指す所は九五を減損して六二を增益す。陽爻は本は充実にして余有り、陰爻は則ち虛虧にして足らざるなり。今、九五の多く出たるを拿りて六二の足らざるを補い、百姓をして各々本業に安んじ・人人恩沢を蒙受せしめば、これで便ち天下の人の歓心を贏得し、百姓の帰附し起るに辺界と言うべきなからん。「自上下下、其道大光」は、下面を減損して上面を增益すれば、返って上位者の徳行を損傷せんと言うなり。今、上位者は能く自我に減損して来たりて下民を增益せば、利益の事は上面より下面に流布す、だからこの路は乃ち広大にして光明なり。

利有攸往中正有慶者,夫九五以陽位乎上,中正之君也;六二以陰居下,中正之臣也。君臣之間皆以中正之道下益於民,以此故獲福慶之事也。利涉大川木道乃行者,上巽為木,下震為動,故以木為舟楫,動則能涉大川也。猶人能盡仁義行於上,動而為民之益,民既受其益,則莫不盡其心思輔於上,故雖大險大難無不濟矣。

「利有攸往、中正有慶」は、九五は陽爻を以て上卦中位に居り、中正の君主なり。六二は陰爻を以て下卦中位に居り、中正の臣子なり。君臣の双方は皆中正の道を以て下に向かって民に恵を施せば、それによって福慶を獲得すと言うなり。「利渉大川、木道乃行」は、上卦巽は木を象徴し、下卦震は動を象徴し、木は舟楫を制成し、一動すれば便ち能く大河を渡ると言うなり。これ譬えば在上者が能く仁義の道を尽くして、一たび挙動有るは皆百姓のために利を謀るがごとし。百姓はすでに其の益を受ければ、心を尽くし力を尽くして在上者を輔佐せざるなく、だから縦に天大の険阻艱難有るも亦渡り過ぐる能わざるなきなり。

益動而巽日進無疆者,此以二體言之。夫行益之道,居上者能動而上順天意,下順民心,則徳之進而無有疆極也。天施地生其益無方者,夫天損一元之氣以益於地,為萬物之始;地承天之氣以生成萬物之形。其利益之道,至公而不私,至正而不邪,至廣至大而無有方極,亦若聖賢以仁義利益天下之民而無有偏黨私邪,其道廣大而無有窮己也。

「益動而巽、日進无疆」は、上下両体に就きて講ずるなり。益を施すの道を推行して、在上者は一たび挙動有れば、上は能く天意に順応し・下は能く民心に順応すれば、ならば徳業の進展は止境なからん。「天施地生、其益无方」は、天は自らの一元の気を減損して地に施降し、万物の開端と為る。地は天の気を承受して、万物の形体を化育し出す。この種の益を施すの道は、極めて公正にして毫も偏私なく・極めて端正にして毫も邪曲なく・極めて広大にして方所の限隔なからん。まさに聖賢が仁義を以て天下の百姓に恵を施すがごとく、袒党附に偏るなく・私心邪念なからん、この路は広大にして窮尽なからん。

凡益之道與時偕行者,夫行益之道不可以常行,可損則損,可益則益。何則?天以一氣降於地以施生萬物,若常使益之,則萬物滿而過亢也,是必有事而損之;君子以仁義寛愛而恤於下,若常益之,則在下者亦生驕亢而不知自損。是故先聖於此戒之,言凡為益之道,必與時而偕行也。

「凡益之道、与時偕行」は、益を施すの道は一味に長行して変らざる能わず、減損すべき時は即ち減損し・増益すべき時は即ち増益すべきを講ずるなり。何を以てか。天は一元の気を地上に降して万物を化生せしむるに、若し一味に停まらずして增益して下去せば、万物は即ち盈満して亢盛に過ぎん、あの時は必ず作為有りて以て減損を加えねばならず。君子は仁義寛厚を以て下民を愛護体恤するに、若し一味に停まらずして增益せば、在下者も亦骄慢亢傲を滋生して自ら節制するを知らざらん。だから先聖は此処に於いて告誡を加えて、凡そ益を施すの道は、一定に時勢に随って一同に推移すべきを言うなり。

象曰:風雷,益。君子以見善則遷,有過則改。

《大象伝》にいう。上に風有り・下に雷有り、風雷は相激して声勢は互いに増す、これ即ち《益》卦の取象なり。君子は此に取法し、善行を見れば即ち迁移して去りて仿效し、自ら過錯有るを発見すれば即ち立刻に改正す。

義曰:夫風得雷則威益彰,雷得風則聲益逺,是相益之象也。君子法此益象,見人有善則遷而從之,知己有過則改而正之。夫日遷一小善,積而不已,則大善著矣;曰改一小過,改而不倦,則大過除矣。蓋益之大莫過於遷善改過也,故孔子曰「聞義不能徙,不善不能改,是吾憂也」。

風は雷を借りて、威勢は更に顕赫なり。雷は風を借りて、声音は更に遠く伝わる。これまさに彼此に增益するの象徴なり。君子はこの取象に效法し、別人に善行有るを見れば即ち靠りて去りて仿效し、自ら過失有るを知れば即ち改正して来たる。毎日一箇の小さなる善事に迁就し、日積月累して停歇せざれば、大なる善徳は即ち顕著なり。毎日一箇の小さなる過失を改掉し、改めて倦まざれば、大なる過錯は即ち消除せん。だから言うに、最大の増益は向善して過を改むるに如かざるなしと。孔子は《論語・述而》の裏に「為すべきの道義の事を聞きて亦随いて之を為す能わず、不善有りて亦改正する能わざれば、即ち我が憂うる所なり」と言う、まさに此の意なり。

初九:利用為大作,元吉,無咎。象曰:元吉無咎,下不厚事也。

初九の爻辞にいう。大なる作為有るに宜しく、唯だ大吉のみ過咎なき能くするなり。《小象伝》の解釈。必ず大吉を要して乃ち過咎なきは、下位に居るの人は本より重大の事を承当すべからざるがゆえなり。「大作」は大事を興挙するを指し、「厚事」は重大の事任なり。

義曰:初九以剛陽之力,震動之始,是志於有為而欲興益於天下者也。然興益之道,必須居位得勢而後行之有餘。今初九雖有剛明興益之心,而位卑勢寡,非可致之地,又況當益道之初,有謀始之責,至難至重,故須所為大吉,然後免咎,故曰利用為大作,元吉無咎也。象曰元吉無咎下不厚事也者,夫大有所為以益天下,必須履貴勢、操重權,乃能當之;至於位卑勢寡之人,則不可僭有所興。今初九實以剛陽之才利於大作,然初本卑下,不當厚事,故須萬舉萬全,至於大吉,然後無咎也。

初九は陽剛の力を以て震体の発動の起点に処し、志有りて作為し・天下の為に利を興かんと欲するの人なり。しかし利益の事を興挙せんと欲するに、必ず身は其の位に居り・手は其の勢を握りて、為し起れば乃ち游刃有余なり。初九は剛健明察・天下に於いて利を興すの心願有ると雖も、却って位分は卑微・勢力は単薄、能く大事を弁成するの地位にあらず。ましてまた正に益を施すの道の開端に当たりて、開局を謀画するの責任を肩負し、極めて艱難にして重大なり。だから彼は必ず事情を尽善大吉の地步に弁じ到りて、乃ち過咎を免除し得べし、故に爻辞は「利用為大作、元吉、无咎」と言うなり。《小象伝》の「下不厚事也」は、大いに作為有りて天下を增益せんと欲すれば、必ず身は尊貴の勢に踞り・重大の権を執掌して乃ち承当し起り得べしと講ずるなり。位卑く勢弱きの人に至っては、即ち応に分を越えて去りて大事を興挙すべからず。初九は確実に陽剛の才有り・一番の大作為に適合すと雖も、但し彼は本は最下位に在りて、重任を承当すべからず、だから必ず毎一歩に皆万无一失にして大吉に為し到りて、後に乃ち過咎なきなり。

六二:或益之十朋之龜,弗克違,永貞吉。王用享于帝,吉。象曰:或益之,自外來也。

六二の爻辞にいう。人の価値十朋の宝亀を送り来たりて相助する有り、推辞する能わず、長久に正を守れば即ち吉祥なり。君王はこのようの誠心を用いて上帝を祭享するも、亦吉祥なり。《小象伝》の解釈。いわゆる人の相助する有るは、指す所は助力が外面より来たるなり。此処の宝亀は仍として天下の賢智の人の献上するの謀略を比喻す。

義曰:六二以柔順之徳履得中正,居受益之地,上應於九五剛明之君,而已能盡人臣之節以事之,無有偏黨奸邪之行,無蔽塞賢者之心,是以天下明智之人各欲獻其謀慮而來益於已,故曰或益之。十朋之龜弗克違者,夫以天下之人樂告以善道,而已又能以中庸和柔之徳聽信之,弗有違戾也。

六二は柔順の品德を以て立身してすでに中にして且つ正、まさに增益を承受するの位置上に処し、上に向かって九五この位の剛健明察の君主と相応じ、自らまた能く人臣の節操を尽くして去りて彼に事奉し、袒して党を結ぶ・奸邪不正の行為なく、亦賢者の言を進むるを蒙蔽阻塞するの用心なし。それによって天下の明智の士は皆自らの謀慮を献上して前来して彼に增益せんと願う、だから「或益之」と言うなり。「十朋之亀、弗克違」と言うは、天下の人は皆好き弁法を彼に告げんと楽しみ、而も彼はまた能く中庸和順の徳性を以て聴信采納し、違逆抗拒を加えざるがゆえなり。

永貞吉者,按《損》之六五言十朋之龜弗克違元吉者,蓋《損》之六五居得其正,為損之主,是以天下賢智歸之而獲元大之吉。今六二在於下卦,居人臣之位,受天下賢智之歸,其勢至重,一失其正,必侵君之權,其為禍不細矣,故當永守正道,盡人臣之節,率其眾賢皆盡忠竭力以事其君,則得其吉也。王用享于帝吉者,王者能任賢受益而弗違,又能永正,以此之道享于帝而得吉,況其為臣能盡忠竭力以事其君,則其吉可知矣。象曰或益之自外來也者,六二居中得正,又能盡人臣之忠義以事其君,故賢智之人皆自外來而益之也。

「永貞吉」と言うは、《損》卦の六五と対看すべきなり。《損》卦の六五も亦「十朋之亀、弗克違」と講ずるも、却って直接に「元吉」と言う、あれは《損》卦の六五は尊位に居りて其の正を得、全卦の主なれば、だから天下の賢智の士は彼に帰附して大吉を獲得せるがゆえなり。今、《益》卦の六二は身は下卦に在り、処する所は人臣の位にして、却って天下の賢智の士の帰附を承受す、声勢は極めて重し。一旦正道を失せば、必然に君主の権柄を侵奪し、招来するの禍患は即ち不小ならん。だから彼は応に長久に正道を守住し・人臣の節操を尽くし、衆賢を率領して一斉に忠を尽くし力を竭して去りて君主に事奉して、これで乃ち吉を得べきなり。「王用享于帝、吉」と言うは、君王は能く賢才を任用し・增益を接受して違拗せず、また能く長久に正を守りて、このようの誠心を以て上帝を祭享して吉を得るを講ずるなり。まして身は臣子を為る者が能く忠を尽くし力を竭して君主に事奉すれば、あの吉祥は更に説くに及ばざるなり。《小象伝》の「自外来也」は、六二は中に居りて正を守り、また能く人臣の忠義を尽くして君主に事奉せば、だから賢智の人は皆外面より赶来して彼に增益すを講ずるなり���

六三:益之用凶事,無咎。有孚中行,告公用圭。象曰:益用凶事,固有之也。

六三の爻辞にいう。增益の挙を災を救い難を恤うるの上に用いれば、過咎有ることなからん。心に誠信を存し・行事は中道に合し、玉圭を執りて去りて王公に禀告す。《小象伝》の解釈。增益を凶荒の事に用いるは、六三が本来即ち有るべきの心腸なり。「圭」は玉製の信符、「凶事」は災荒疾疫の一類の禍難を指す。

義曰:凡君子之人,不在其位不謀其政;若居其位,當其任,則可以有為於時。今此六三以陰居陽,位非其正而過於中道,欲施益於下,非所當也。然所益之事若民之凶荒疾苦、札瘥患難,則已不顧一身,奮然往而益之,則可以得其無咎也。有孚中行者,言六三雖益以凶事,然亦當以由中之信,合於中道而行,然後可也。

君子の常規はあの位子上に在らざれば即ちあの份の政事を謀画せず。若し身は其の位に居り・其の任を担当せば、乃ち当時に於いて作為有るべきなり。六三は陰爻が陽位に居りて、位置は本は端正ならず、また中道を超過し、本来はそれに輪りて去りて下に恵を施すに及ばざるなり。しかし増益せんと欲する所が若し百姓の遭遇するの凶年荒歉・疾病困苦・瘟疫夭亡の此の類の患難なれば、ならば応に自身の安危を顧みず、奮然として前往して救助して、此のようて乃ち過咎を免るべきなり。「有孚中行」と言うは、六三はたとい災を救うの事を借りて来たりて增益を行うも、亦仍として心の底より発するの誠信を憑り・中道に合乎するの分寸に依りて為して、後に乃ち行き通るを得べきを講ずるなり。

告公用圭者,圭,符瑞也,所以執而為信。言六三既以由中之信而行,執其符瑞以告於公,而明其所益之事。若漢武之時,河內失火,凡爇千餘家,帝遣汲黯往視之,黯曰此不足為患;時河內之民值歲凶疾苦計萬數,黯遂矯命發廩以救之,民由是活。及歸朝,乃請矯制之罪,帝遂賢而釋之,是乃非其位、越其職以濟凶荒之事。象曰益用凶事固有之也者,言六三雖居非其位,然其救民安國之心固有之也。

「告公用圭」と言う。「圭」は玉製の符信瑞節、手裏に執りて以て憑証と為す。これは六三がすでに内心の誠信を憑りに行事せば、即ち手に符信を執りて去りて王公に禀告し、自らの施益せんと欲するの事由を説明するを講ずるなり。漢武帝の時に河内郡が火を失し、一千余家を焼燬し、武帝は汲黯を派して前去して查看せしめたるがごとし。汲黯は回奏してこの場の火災は憂慮するに値せずと言い、而も当時河内の百姓はまさに荒年を遭い、飢病困苦の者は万を以て計れば、於是乎彼は詔命を假托して官倉を打開して賑済し、百姓は此に因りて活けり。朝に回りて後、彼は主動に自らの詔令を假伝せるの罪を治せんを請求す、武帝は返って彼を賢能と以為して彼を赦免せり。これまさに身は其の位に在らず・本職を越出して去りて凶荒を救助するの例子なり。《小象伝》の「固有之也」は、六三は居る所の位は正ならずと雖も、民を救い国を安んずるのあの份の心腸は却ってそれの本来即ち有る所なりと講ずるなり。

六四:中行,告公從,利用為依遷國。象曰:告公從,以益志也。

六四の爻辞にいう。行事は中道に合し、王公に禀告すれば便ち准許されて依从せられ、応にこの種の信任を憑借して去りて国都を迁移するがごときの大事を弁ずべし。《小象伝》の解釈。王公に禀告して准許を獲るは、それは一心に天下を增益するを以て志と為すがゆえなり。「依」は依从・憑借なり。

義曰:六四以陰居陰,履得其正,上近於五,下應於初,在益之時,是能盡心竭力,上以益於君,下以益於民,告其所以為益之道也。夫既能上益於君,下益於民,以此告於公,則無有不從也。利用為依遷國者,夫天下之大莫大於遷國,今以六四居得正位,行得大任,能致君澤民,故雖遷國之大,皆依從而利用之,則其小者從可知也。象曰告公從以益志也者,言六四能恢有為之道以益天下,使君尊民富,各得其所,是非以一身一家為念,所志者惟益於上下而已。

六四は陰爻が陰位に居りて、立身は端正、上面は九五に緊く挨り、下面は初九と相応ず。まさに益を施すの時に当たりて、能く心を尽くし力を竭し、上は君主のために益を謀り・下は百姓のために益を謀り、併せて自らの主張する所の益を施すの弁法を上に禀告す。すでに確実に上は君に益し・下は民に益すを為し到れば、これらを拿りて去りて王公に禀告すれば、采納せられざるなきなり。「利用為依遷国」と言うは、天下の大事は国都を迁移するより大なるなければなり。六四はすでに正位に居りて・また大任を担いて、能く君徳を輔成し・沢は百姓に被れば、だから国を遷するがごときの大事をも皆依从采用を得、あれらの較小の事は更に説くに及ばざるなり。《小象伝》の「以益志也」は、六四は能く有為の道を拡充し開きて天下を增益し、君主をして尊顕せしめ・百姓をして富足せしめ、人人各々其の所を得せしむるを講ずるなり。彼の心裏に想う所は並びに自ら一身一家にあらず、立つる所の志向は只だ上下に於いて皆增益を得るに在るなり。

九五:有孚惠心,勿問,元吉。有孚惠我徳。象曰:有孚惠心,勿問之矣;惠我徳,大得志也。

九五の爻辞にいう。誠信にして恵を施すの心を懐き、占問するに及ばずして即ち大吉を知る。百姓も亦誠信を以て我が恩徳を感念せん。《小象伝》の解釈。すでに誠信にして恵を施すの心有れば、即ち再び問うに及ばず。百姓が我が恩徳を感念するは、心志の大いに実現せらるるなり。「恵心」は心の底より発するの民を恵むの意を指す。

義曰:九五以剛明果斷之徳處至尊之位,下應六二賢明之臣,是能以由中之信興利於民也。惠心者,夫天下之廣,生靈之眾,聖人在上,非可以家撫而戶養之也,蓋所惠者惠於心而已。天下民之溫飽,非待王者耕而食之、織而衣之也,但勸之教之,通商惠工而已,如此則是王者惠心之謂也,《論語》所謂「因民所利而利之,惠而不費」者是也。

九五は剛健明察・果断に事を決するの品德を以て至尊の位に居り、下に向かって六二この位の賢明の臣と相応じ、能く心の底より発するの誠信を憑りに百姓のために利を興す。いわゆる「恵心」は、天下はこのように広闊・生民はこのように众多にして、聖人は上に在りて、挨家に撫恤し・逐戸に供養するは可能にあらざればなり。彼の施す所の恩惠は、落実の処は只だ一片の民を恵むの心に在るのみなり。天下の百姓の温飽は、並びに君王が親ら耕種して来たりて喂養し・親ら紡織して来たりて穿衣するに靠らず、只だ彼らを勧勉し・彼らを教導し、商旅を疏通し・工匠を便利せば足るなり。これ即ちいわゆる君王の民を恵むの心なり。《論語・堯曰》の言う所の「百姓の能く利を得るの地方に順って去りて彼らを成全し、民に恵を施して自らは耗費するに及ばず」とは、講ずる所はまさにこのなり。

勿問元吉者,言九五既以仁義之心惠及於天下,則不待問而自獲元大之吉也。有孚惠我徳者,夫民無常懐,仁則懐之,故《書》曰「撫我則後,虐我則讎」,今九五能以由中之信接於眾,故天下之民亦惠信九五之徳也。象曰惠我徳大得志也者,言九五能興益之道以利於民,則其志大有所得也。

「勿問、元吉」と言うは、九五はすでに仁義の心を以て恩惠を天下に推及せば、ならば即ち再び去りて占問するに及ばず、自然に大吉を獲得すと講ずるなり。「有孚恵我徳」と言うは、百姓の帰心は並びに常主なし、誰か仁政を施せば彼らは即ち誰に帰向すがゆえなり。だから《尚書・泰誓》に「我らを安撫するは即ち君主、我らを虐待するは即ち仇敵なり」と言う。今、九五は能く心の底より発するの誠信を以て衆人に対待せば、天下の百姓も亦即ち誠心を以て九五の恩徳を感念して信服す。《小象伝》の「大得志也」は、九五は能く益を施すの道を推行して来たりて百姓のために福を造れば、彼の志向は便ち大いに実現せりと講ずるなり。

上九:莫益之,或擊之,立心勿恆,凶。象曰:莫益之,偏辭也;或擊之,自外來也。

上九の爻辞にいう。人の来たりて彼を增益するなく、返って人の来たりて彼を攻撃する有り。心を立つるに恒常なく、凶険なり。《小象伝》の解釈。人の彼を增益するなしと言うは、彼の話は全て自らの一頭に偏向するがゆえなり。人の彼を攻撃する有りと言うは、禍患は外面より門に找うて来たるがゆえなり。

義曰:上九居卦之上,處益之極,不通時變,不度人情,是其求益於人無厭者也,故莫有益之者;求益於己,侵剝於下,故或有擊之者。立心勿恆凶者,無厭之求以速禍患,是立心無常之人,凶之道也。象曰莫益之偏辭也者,言上九求益於己,非有以益於人,是偏辭以求益也。或擊之自外來也者,六二上九皆言自外來也。六二居中守正,其益在君民,故明智之人皆自外來而益之;上九居益之極,求益於己,不知其益人,立心勿恆,故人或自外來而擊之也。

上九は全卦の最上・益を施すの道の尽頭に処し、すでに時勢の変化を通暁せず、亦人情の向背を体察せず、一味に別人に向かって好処を索取して永遠に満足せず、だから人の肯んじて来たりて彼を增益するなし。彼は只だ自らのために利を求めて顧み、下に向かって侵奪剥削す、だから返って人の来たりて彼を攻撃する有るなり。「立心勿恒、凶」と言うは、貪求は厭くことなく只だ禍患の頭に臨むを加速するのみ、この種の心を立つるに定准なきの人は、走る所はまさに凶を招くの路なりと講ずるなり。《小象伝》の「偏辞也」は、上九は只だ自らのために益を求むるを知りて、従来何をも拿りて去りて別人を增益せざりしを講ずるなり、彼の説法は全て自らの一頭に偏向するの求取の辞なり。「或撃之、自外来也」と言うは、六二を拿りて対照すべきなり。この両爻は皆「自外来」と説到す。六二は中に居りて正を守り、增益する所は君主と百姓なれば、だから明智の士は皆外面より赶来して彼に增益す。上九は益を施すの極点に処して、只だ自らの益を得るを求めて、去りて別人を增益するを懂得せず、心を立つるにまた反復無常なれば、だから外面に便ち人の赶来して彼を攻撃する有るなり。

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