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繋辞上・夫易広矣大矣

宋 · 胡瑗 · 第41巻 / 51

作盤ガイド: 大衍筮法, 六爻納甲の立卦

義曰:此又言人之愛惡相攻、逺近相取、盛衰相變、情偽相易、釁隙相乗而成寇盜之事,故孔子因言《易》中知寇盜之事乎,故發而問之曰「作《易》者其知盜乎」。

此処に又人間の愛と悪とが互相攻撃し、遠と近とが互相取予し、盛と衰とが互相転変し、真情と虚偽とが互相替換し、嫌隙は人に虚に乗じ入れられて、ここに盗寇の事を醸成するを講ず。故に孔子はこれに借りて《周易》の裏にはすでに寇盗の産生する道理を懂得すと言い、便ち発問して曰く:「《周易》を撰作した人は、大概盗賊が如何に招来せらるるかを懂得せりや。」

《易》曰:「負且乗,致寇至。」

《周易・解》卦六三の爻辞に曰く:本当に东西を背負すべき人が却って大車に坐上して、強盗を招得して前に至らしむ。

義曰:此《解》卦六三之辭也。夫解難之時,承蹇難之後,君子有才有位者則可以釋天下之難。六三之爻以陰柔之質居於陽位,以位言之則不中也,以身言之則不正也。夫以陰柔不中不正之小人而居君子之位,行其諂佞之行,荼毒良民,不可以久居其位,必為盜之所奪,人之所不與焉,故曰「負且乗,致寇至」。

これは《解》卦六三の爻辞である。危難を解除する時に処り、《蹇》卦艱険の後に緊接すれば、君子はもし既に才干有りて又名位有れば、便ち天下のために患難を解開し得。而して六三この一爻は陰柔の資質を以て陽位に居る:爻位を論ずればそれは中に居らず、自身を論ずればそれは正に当たらず。このような陰柔にして又中ならず正ならざる小人を以て君子の位を占拠し、諂媚奸佞の事を行い、善良の百姓を荼毒すれば、能く長久に位置を保住し得べからず。必定に強盗に奪い去られ、もまた衆人の擁護を得ざるなり。故に「負且乘、致寇至」と言う。

「負也者,小人之事也;乗也者,君子之器也。小人而乗君子之器,盜思奪之矣。」

「东西を背負するは、小人の干る差事である。車馬に乘坐するは、君子の使用する器具である。小人が却って君子の車に坐上すれば、強盗は便ち搶奪の念頭を動かす。」

義曰:負者,是負擔之小人;乗者,君子所乗之車也。夫人臣之位,佐君澤民,須賢者居之,則天下之人受其賜,而太平之功可致矣。夫君子之器必君子居之,若以負擔之小人而乗君子之器,不惟天下之所厭棄,抑亦為寇盜之所爭奪也。

「負」とは肩に挑め背に扛ぐ下等人を指す。「乗」とは君子の乗る所の車子を指す。臣子の職位は君主を輔佐し百姓に惠を施すにあり、必ず賢者に来て担任せしめてこそ、天下人は初めてその恩沢を受け得、太平の功業は初めて達成し得べし。君子の用うる器物は、必ず君子に来て使用せしめねばならず。もし一個の肩挑背扛の小人をして君子の車に坐上せしめば、あれはただ天下人のために厭棄せらるるのみならず、もまた必然に盗寇の争奪を招来す。

「上慢下暴,盜思伐之矣。」

「上位に居る人が驕慢に下を待し施政暴虐なれば、強盗は便ち彼を討伐する念頭を動かす。」

義曰:夫小人居君子之位,驕慢在下之人,暴虐為政,不唯盜之所奪,抑亦為盜之侵伐矣。然則居人臣之位,處百官之上,必當任賢使能以居其位。今小人居君子之位,此蓋在上之人不能選賢任能,遂使小人乗時得勢而至於髙位,非小人之然也,蓋在上者選之不精也。

小人が君子の位を占拠し、下面の人に対して驕横傲慢し、施政は残暴狠毒なれば、さらばただ強盗に位置を奪い去らるるのみならず、還って強盗の攻伐を招来す。既にこの如しなれば、およそ臣子の位に居り百官の上に位するは、便ち必ず賢能の士を任用して以てその職に充任せしめねばならず。いま小人は竟に君子の位を占拠す。これは実際上は上位に在る者が能く賢を選び能を任ぜざるにして、初めて小人をして機に乗じて勢を得せしめて高位に攀爬上らしめた。併せて小人が自己にこの本事有るに非ず、上面の挑選が精審ならざるが故である。

「慢藏誨盜。」

「財物を収蔵するに馬虎随便なれば、盗賊を教唆するに等し。」

義曰:夫爵祿之位、寳器之物,必當慎而藏之。苟不能自寶藏之,常守不謹,則是教誨竊盜之人以取之,是自己之招也,非盜賊之然也。

爵位俸禄この類の名分、珍宝器物この類の財貨は、皆必ず謹慎に収蔵守護せねばならず。倘若それらを宝贝と為して好く蔵せず、平日の看守また不厳密なれば、あれは便ち窃賊に来て拿るを教唆するに等し。これは自己の招来したもので、併せて盗賊の一方の過錯に非ず。

「冶容誨滛。」

「容貌を打扮するに妖冶なれば、淫邪を教唆するに等し。」

義曰:冶者,天冶也。夫強暴之男不能侵人之正女,今女子不能內守閨門之行,反自妖冶其容,妝麗其色,使外人之窺覩而生不軌滛欲之心,是敎誨滛者使侵於己也。此蓋非外物之然,蓋己身之不正所招也。

「冶」とはすなわち妖艶粧飾。強横凶暴の男子は、本来正を守る女子を侵犯し得ざるなり。いま女子は能く家中に在りて閨門のあるべき操行を守住せず、かえって容貌を打扮して妖艶と為し、姿色を修飾して艶麗と為し、外人をして看見して以て越軌の淫邪の念頭を生出せしむれば、これは便ち淫邪の人に来て自己を侵犯するを教唆するに等し。これは併せて外物の造成したに非ず、自身の不端正の招来したものである。

至如小人在位,不能慎守其身,貪殘荼毒,恃其崇髙,耽其驕慢,以至為寇之所奪,亦由已之所招也,故復引《易》「負且乗」雲。

同様に、小人が高位を竊拠し、能く自身を謹慎守住せず、貪婪残暴にして生民を荼毒し、自己の地位崇高に倚仗し、驕横傲慢に沉溺して、以て寇盗に一切を奪い去らるるに至るも、これも亦た自己の招来したものである。故に孔子は再び一度《周易》の「負且乘」あの句の話を引いて以て收束す。

《易》曰:「負且乗,致寇至。」盜之招也。

《周易》に曰く:「本当に东西を背負すべき人が却って大車に坐上して、強盗を招得して前に至らしむ。」これがまさに自己が盗賊を招来したものである。

義曰:言小人乗君子之位,必為盜之所奪者,蓋由己身不正而然也。然則上文首尾皆稱「《易》曰負且乗」者,蓋欲人慎重其事,故再言之。

これは小人が君子の位置を竊拠すれば、必定強盗に奪い去らるるを言う。原因は便ち自身の不端正に在る。こういう一段の首尾両処に皆「《易》曰負且乘」を称引するに至っては、人々をしてこの件の事に対して格外慎重ならしめんがための要するに因り、故に特意に一遍重複した。

〇義曰:按此一章有脫落之處,亦有倒錯之文。何以知之?按下文云「子曰:知變化之道,其知神之所為乎」,下文又不言變化之道;又一章言「天一地二,天三地四,天五地六,天七地八,天九地十」,下文又不言天地之事;「大衍之數五十有五」而經文止言四十有九。以此推之,則此文倒錯而脫漏矣。

胡瑗按:この一章を考察するに、脱落する所あり、もまた次序顛倒の文字あり。何を憑って知るや。下文に曰く「孔子曰く、変化の道を知る者は、大概すなわち神の為す所を知るならんや」、しかし続いて接しては併せて変化の道を講ぜず。別に一処ありて「天一地二、天三地四、天五地六、天七地八、天九地十」を講じ、続いて接しても亦た天地の数の事を講ぜず。而して大衍の数は本応に五十五なるべきに、経文はただ四十九に講じるのみ。これに由って推断すれば、この段の文字は必定に顛倒錯置と脱漏と有るなり。

今當先言「子曰:知變化之道者,其知神之所為乎」,次言「天一地二,天三地四,天五地六,天七地八,天九地十」,又次言「天數五,地數五,五位相得而各有合。天數二十有五,地數三十,凡天地之數五十有五,此所以成變化而行鬼神也。乾之策二百一十有六,坤之策百四十有四,凡三百有六十,當期之日。二篇之策萬有一千五百二十,當萬物之數也」。

我が見る所に依れば、正しい次序は當にこの如くなるべし:先ず「孔子曰く、変化の道を知る者は、大概すなわち神の為す所を知るならんや」と説き、続いて「天数一、地数二、天数三、地数四、天数五、地数六、天数七、地数八、天数九、地数十」と接し、再び続いて「天数有五個あり、地数有五個あり、五個の位次は両々相配して各々匹合有り。天数は合計二十五、地数は合計三十、天地の数は總共五十五、まさにこれに憑って変化を成就し鬼神の妙を運行す。乾卦六爻の蓍策は共に二百一十六、坤卦六爻の蓍策は共に一百四十四、合して三百六十、まさに一年の天数に相当す。上下両篇の蓍策は合計一万一千五百二十、まさに万物の数に相当す」と接す。

次言「大衍之數五十有五,其用四十有九。分而為二以象兩,掛一以象三,揲之以四以象四時,歸竒於扐以象閏,五歳再閏,故再扐而後掛。是故四營而成《易》,十有八變而成卦,八卦而小成,引而伸之,觸類而長之,天下之能事畢矣。顯道神徳行,是故可與酬酢,可與佑神矣」。

然る後に初めて「大衍の数は五十五、実際に動用するは四十九根。それを両把に分けて以て天地両儀を象徴し、其中より一根を抽き出して掛け起して以て三才を象徴し、每四根に一数して以て四時を象徴し、数余る零頭を指間に夾えて以て閏月を象徴す。五年の中に両次の閏有り。故に両次余りを帰した後に再び掛ぐ。故に四道の程序が一次の演変を完成し、十八次の変化が一卦を完成す。八卦を画き成せば便ち小成。再びそれを引申推衍し、類に随って増長せば、天下の一切の事理は便ち包羅して遺すなし。それは道理を彰显し徳行を神妙にす。故に既に人と応答酬対し得、もまた神明の作用を輔助し得」と説く。

繋辞上・子曰知変化之道者其知神之所為乎

〇子曰:「知變化之道者,其知神之所為乎?」

孔子曰く:変化の道を懂得する人は、大概すなわち「神」の作為を懂得せんか。此処の「神」は鬼神に非ず、陰陽変化のあの自然而然・測度する従なき力量を指す。

義曰:此言大《易》之道知變化之理,知神所為也。夫天地生成之道,變化萬品,春生夏長,秋殺冬藏,自然而然,莫知其變化神用之理,故大《易》之道知其變化之理,其知神之所為乎。

これは《周易》の道が能く変化の原理を通曉し、因って「神」の作為を通曉するを言う。天地の化生成就の法則は、万千の品類を変化し出す:春天に萌生し、夏天に生長し、秋天に粛殺し、冬天に収蔵す。一切は自然而然にして、其中の変化と神妙作用の道理を説き清める人なし。故に言う、能く《周易》の変化の理を通曉する人は、便ち「神」の作為を懂得したりと。

天一地二,天三地四,天五地六,天七地八,天九地十。

一は天数、二は地数、三は天数、四は地数、五は天数、六は地数、七は天数、八は地数、九は天数、十は地数。奇数は天に属し、偶数は地に属し、十個の数は正好両列に分かつ。

義曰:此言天地生成之數也。夫天以一生水,生數一;地以二生火,生數二;天以三生木,生數三;地以四生金,生數四;天以五生土,生數五。此是天地之生數也。如是則陰無匹,陽無耦,故地以六成水,故成數六;天以七成火,故成數七;地以八成木,成數八;天以九成金,成數九;地以十成土,成數十。陰陽有匹而物乃成,故謂之成數也。

此処に講ずるは天地の化生成物の数目である。天は一を以て水を生出す。故に水の生数は一。地は二を以て火を生出す。故に火の生数は二。天は三を以て木を生出す。生数は三。地は四を以て金を生出す。生数は四。天は五を以て土を生出す。生数は五。この五個はすなわち天地の「生数」。しかしただ生数のみ有れば、陰に配偶なく陽にも匹対なし。故に又地が六を以て水を成就する有り。水の成数は便ち六。天が七を以て火を成就す。成数は七。地が八を以て木を成就す。成数は八。天が九を以て金を成就す。成数は九。地が十を以て土を成就す。成数は十。陰と陽と各々配偶有りて、物は初めて真に成形す。故にこの五個を「成数」と叫ぶ。

然數之所起,本起於陰陽。陰陽徃來見於日道:十一月冬至日南極,陽來而陰徃,冬水位也,以一陽生為水數;五月夏至日北極,陰進而陽退,夏火位也,當以一陰生為火數,陰不名竒,數必以耦,故以二陰生為火數也。

これらの数の来源に至っては、本は陰陽に出ず。陰陽の往来は、太陽の運行の軌道の上に表現す:十一月の冬至に、太陽は南行して極点に到り、陽気は始めて回り来りて陰気は退去し、冬天は五行の中に水に属す。この時一陽初生す。故に水の数は一。五月の夏至に、太陽は北行して極点に到り、陰気は始めて進み入りて陽気は退去し、夏天は五行の中に火に属し、本当に一陰の初生を以て火の数と為すべきも、しかし陰は奇数を以て命名せず、その数は必定に偶を取る。故に二を取って以て火の数と為す。

自冬至以及夏至當為陽來,正月為春,木位也,三陽已生,故為木數;夏至以及冬至當為陰進,八月為秋,秋金位也,四陰已生,故四為金數;三月,春之季,季土位也,五陽以生,故五為土數。此其生數之由也,故五行始於水而終於土者,此也。

冬至より夏至に至るこの半年は陽気の漸来なり:正月は春に属し、五行の中に木に属す。この時すでに三陽を生出す。故に三は木の数。夏至より冬至に至るこの半年は陰気の漸進なり:八月は秋に属し、五行の中に金に属す。この時すでに四陰を生出す。故に四は金の数。三月は春季の末月で、四季の末は皆土に帰す。この時すでに五陽を生出す。故に五は土の数。これがすなわち五種の生数の由来で、まさに五行の何を為すか水より始まり土に至って終わる所以の故である。

然則天是純陽,故為竒而稱九;地是純陰,故為偶而稱十。是竒偶之數以分陰陽之象,故陽數竒者,一三五七九是也;陰數偶者,二四六八十是也。故天地竒偶之大數,總而言之五十有五,陽數竒故其數二十有五,陰數偶故其數三十。

天は純陽。故に奇数を用い、最も大なる奇数は九。地は純陰。故に偶数を用い、最も大なる偶数は十。奇と偶とこの両類の数は、正好以て陰陽両種の物象を分別す:陽に属する奇数は一・三・五・七・九、陰に属する偶数は二・四・六・八・十。故に天地奇偶両類の数目を合せて共に五十五:陽数は奇、合計二十五、陰数は偶、合計三十。

是以天一加天三是四,四又加其天五是九,九又加其天七是十六,十六又加其天九是二十五數也。地數自二者,自二加其地四是六,六又加其地六是十二,十二又加其地八是二十,二十又加其地十是地數三十也。

具体的の推算はこの如し:天数は一より起り、一加三して四を得、四加五して九を得、九加七して十六を得、十六加九して二十五を得、これがすなわち天数の総和。地数は二より起り、二加四して六を得、六加六して十二を得、十二加八して二十を得、二十加十して三十を得、これがすなわち地数の総和。

是以天地之數五十有五,以成變化之道,以盡生成之數,所以成天下之務。故天之數合而成二十有五,地之數合而三十。自天一至五是天之五數,自地二至十是地之五數也,故言天數五,地數五。

故に天地の数は總共五十五、それを以て変化の道を成就し、それを以て化生成物の数を窮尽し、従って天下の一切の事務を辦成す。天数を相加すれば二十五を得、地数を相加すれば三十を得。天一・天三・天五・天七・天九この一列より看れば、天に五個の数有り。地二・地四・地六・地八・地十この一列より看れば、地も亦た五個の数有り――故に経文に「天数五、地数五」と説く。

天數五,地數五,五位相得而各有合。

天数に五個有り、地数に五個有り、五個の位次は両々相配し、各々皆匹合有り。

義曰:自天一合於地之六為水,自地二合於天之七為火,自天三合於地之八為木,自地四合於天之九為金,自天五合於地之十為土,是五位相得而各有合者也。

天一は地六と相配して、合して水を成す。地二は天七と相配して、合して火を成す。天三は地八と相配して、合して木を成す。地四は天九と相配して、合して金を成す。天五は地十と相配して、合して土を成す。これがすなわち五個の位次は両々相配し各々匹合有りの意思。

天數二十有五。

天数の総和は二十五。

義曰:言天之數竒,自一三五七九合為二十五也。

これは天に属するは皆奇数なりと言う。一・三・五・七・九を加え起せば、共に二十五を得。

地數三十。

地数の総和は三十。

義曰:言地數偶,自二四六八十合而為三十也。

これは地に属するは皆偶数なりと言う。二・四・六・八・十を加え起せば、共に三十を得。

凡天地之數五十有五,此所以成變化而行鬼神也。

天地の数を合せて共に五十五、まさにこれに憑って万物の変化を成就し、鬼神の如く幽微なる作用を運行す。

義曰:此已下聖人因其揲蓍以考天地幽賾之事,明其天地萬物之理,故以蓍草之數占之,以明陰陽之用也。言天地之數自二十五至三十,總而合之則有五十五數,以成陰陽竒耦之數,成其變化之道、萬品之數,而行乎鬼神之幽賾者也。

ここより往下は、聖人が蓍草を数うる弁法に憑って天地間の幽深難明の事を考察し、天地万物の道理を闡明するを言う。故に蓍草の数を以て占問し、以て陰陽の作用を顕明す。天地の数は、天を二十五と為し地を三十と為し、両者を合計せば便ち五十五。これに憑って陰陽奇偶の数を構成し、変化の道と万物品類の数を成就し、従って鬼神のあの如く幽深莫测の境地に運行す。

乾之策二百一十有六。

乾卦六爻の含む所の蓍策総数は二百一十六。

義曰:夫乾坤二卦,陰陽之象。陽爻竒,故一爻有三十六策;陰爻偶,故一爻有二十四策。自乾坤而下凡三百八十四爻,陰陽之數相半,故陽爻一百九十二,陰爻亦一百九十二,總而言之有三百八十四爻。故乾為老陽,一爻有三十六策,二爻是七十二策,三爻是一百單八策,四爻是一百四十四策,五爻是一百八十策,六爻是二百一十有六策也。

乾坤両卦は陰陽の代表である。陽爻は奇に属し、一爻は三十六根の蓍策を含む。陰爻は偶に属し、一爻は二十四根の蓍策を含む。乾坤両卦より往下せば、六十四卦は共に三百八十四爻有り、陰陽は各々一半を占め、故に陽爻は一百九十二、陰爻も亦た一百九十二、合せて三百八十四爻。乾卦六爻は純に老陽なり:一爻は三十六策、両爻は七十二策、三爻は一百八策、四爻は一百四十四策、五爻は一百八十策、六爻は便ち二百一十六策。

坤之策百四十有四。

坤卦六爻の含む所の蓍策総数は一百四十四。

義曰:夫坤爻偶,故一爻有二十四策,二爻有四十八策,三爻有七十二策,四爻有九十六策,五爻有一百二十策,六爻有一百四十四策。是乾坤之十二爻竒偶之策總而言之有三百六十,是故聖人因其乾坤竒偶之數,成為一歳凡三百六十日也。

坤卦六爻は皆陰爻にして偶に属す。故に每爻は二十四策を含む:両爻は四十八策、三爻は七十二策、四爻は九十六策、五爻は一百二十策、六爻を合せれば便ち一百四十四策。このよう、乾坤両卦十二爻の奇偶の策を相加せば、總共正好三百六十。故に聖人は便ち乾坤の奇偶の数に依拠して、一年を三百六十日と定めた。

凡三百有六十,當期之日。

乾坤両卦の蓍策は合計三百六十、まさに一整年の天数に相当す。

義曰:夫乾坤之策凡三百有六十,聖人因之以成為一歳,一歳之內凡三百有六十日。然天之有三百六十五度四分度之一,故月行速,一月一周天;日行遲,一歳一周天。若以全數言之,則一歳三百六十日餘其六度。

乾坤の蓍策は合計三百六十、聖人はこれに拠って一年を定め出し、一年の内に共に三百六十日。しかし周天は実に三百六十五又四分の一度有り:月亮は走ること速く、一個月に天を一周し、太陽は走ること慢く、一年に初めて天を一周す。もし整数を取って言えば、一年三百六十日の外に、還って六度を多出す。

又一歳有六小月,三年之中餘三十六日,故為一閏。一閏之中又餘六日,又於五年之中積其二十四日,合前六日成三十日,又為一閏,是五歳再閏也。此言「期之日」,為一歳之期也。

また一年の中に六個の小月有り、每月各々一日を少し、三年下来すれば便ち三十六日を多出す。故に一個の閏月を設けるを要す。この閏月を設け過ぎた後に還って六日を余下す。再び第五年に到れば、又二十四日を累積し出し、先前のあの六日と合して三十日と成す。ここに又一個の閏月を設く――これがすなわち五年の中に両次閏するを要す。経文の説く所の「期之日」とは、一整年の周期を指す。

二篇之策,萬有一千五百二十,當萬物之數也。

《周易》上下両篇の含む所の蓍策総数は一万一千五百二十、まさに万物の数に相当す。

義曰:二篇者,言乾坤上下之二篇也。夫伏羲畫八卦已後,文王重為六十四,以其《易》道廣大,卦義淵深,乾坤能始生萬物,故以乾坤為上經之首,以坎離而終之,故為上篇之終;自咸恆明人事之大,故為下篇之首,以既濟未濟而終之,故為下篇之終。

「二篇」は乾坤を以て領き起る上経と下経との両篇を指す。伏犠が八卦を画き出した後に、文王はそれを重畳して以て六十四卦と為した。《周易》の道の広大・卦義の深邃に因り、而して乾坤は能く万物を生育し始む。故に乾・坤両卦を以て上経の開端と為し、坎・離両卦を以て上経の結尾と為す。下経は則ち《咸》《恒》より講じ起す。夫婦の道は人事の大端なるに因り、故に下経の開端と為し、而して《既濟》《未濟》両卦を以て下経の結尾と為す。

凡此上下二篇有三百八十四爻,陰陽之數各半,故乾之爻一百九十二,坤之爻亦一百九十二。凡陽爻三十六策,十爻是三百六十策,一百爻是三千六百策,二百爻是七千二百策,卻於二百爻中退八爻,三八二十四,除卻二百四十策,又六八四十八,又除四十八策,是乾之爻一百九十二爻,都總策數是六千九百一十二策。

上下両篇は共に三百八十四爻有り、陰陽は各々一半を占め、故に陽爻は一百九十二、陰爻も亦た一百九十二。陽爻は每爻三十六策:十爻は便ち三百六十策、一百爻は便ち三千六百策、二百爻は便ち七千二百策。しかし実際にはただ一百九十二爻のみ、二百爻の裏より八爻を減去せねばならず――三八は二十四、先ず二百四十策を減去し、又六八は四十八、再び四十八策を減去す。このよう、一百九十二個の陽爻の策数は総計六千九百一十二。

陰爻亦一百九十二爻,毎一爻策數是二十四策,十爻是二百四十策,一百爻是二千四百策,二百爻是四千八百,卻於二百爻內除了八爻,二八一十六,是一百六十策,又四八三十二,又除三十二策,內有一百九十二爻,都總策數是四千六百八策也。

陰爻も亦た一百九十二個、每爻は二十四策:十爻は二百四十策、一百爻は二千四百策、二百爻は四千八百策。同様に二百爻の裏より八爻を減去せねばならず――二八は十六、先ず一百六十策を減去し、又四八は三十二、再び三十二策を減去す。このよう、一百九十二個の陰爻の策数は総計四千六百八。

以乾之六千九百一十二策,合坤之四千六百八策,都合為一萬一千五百二十策,以象萬物之數矣。然則陰陽奇耦之數,其中有萬、有千、有百、有十,故可以極天下之務,成天下之事,夫萬物之數無所不備矣。

陽爻の一方の六千九百一十二策と、陰爻の一方の四千六百八策とを相加せば、共に一万一千五百二十策を得、以て万物の数を象徴す。見れば陰陽奇偶の策数の中に、万位・千位・百位・十位は一応俱全なり。故に能く天下の事務を窮尽し天下の事情を辦成し、万物の数は其中に於いて備えざる所なし。

然此皆是老陰老陽之數也,而乾坤之間亦有少陰少陽之數也。故少陽之數七,四七二十八,是少陽之數也;少陰之數八,故四八三十二,是少陰之數也。

ただし以上の算うる所は皆老陰老陽の策数で、而して乾坤の間には還って少陰少陽の策数有り。少陽の数は七、四乗七して二十八を得。故に少陽の一爻は二十八策。少陰の数は八、四乗八して三十二を得。故に少陰の一爻は三十二策。

自二十八至十爻二百八十,一百爻是二千八百,二百爻是五千六百策,又於二百爻內除八爻,二八一十六,一百六十,又八八六十四,是六十四策,除了二百二十四策,內有五千三百七十六。

少陽の每爻二十八策を以て計算すれば:十爻は二百八十策、一百爻は二千八百策、二百爻は五千六百策。再び二百爻の中より八爻を減去す――二八は十六にして一百六十策を得、八八は六十四にして六十四策を得、共に二百二十四策を減去す。剩下の一百九十二個の少陽爻は、策数は五千三百七十六。

少陰之數三百二十。爻三百二十,一百爻三千二百,二百爻六千四百,卻於二百爻內除了八爻,三八二十四,二百四十,又二八一十六,一十六策,內有六千一百四十四。

再び少陰を算えば:每爻は三十二策、十爻は合計三百二十策、一百爻は三千二百策、二百爻は六千四百策。同様に二百爻の中より八爻を減去す――三八は二十四にして二百四十策を得、二八は十六にして十六策を得、共に二百五十六策を減去す。剩下の一百九十二個の少陰爻は、策数は六千一百四十四。

共計少陰少陽之數一萬一千五百二十,當萬物之數,是少陰少陽與老陰老陽其數皆一也。此不言少陰少陽,止言老陰老陽者,蓋《易》以變為占,言其變則神其用,舉其大則明其小。

少陰の六千一百四十四に少陽の五千三百七十六を加上せば、合計同様に一万一千五百二十、もまたまさに万物の数に相当す。見れば少陰少陽と老陰老陽とは、総策数は完全一致す。経文の提げず少陰少陽してただ老陰老陽を講ずる所以は、《周易》は変爻を以て断占するに因る:変爻を講じて、初めてそれの作用の神妙を顕し出し得。其中の大なる一頭を擧出せば、小なる一頭は自然に便ち明白す。

蓋老陰老陽、少陰少陽,其數皆一,亦有萬一千五百二十,當萬物之數,故但言老陰老陽,而少陰少陽從可知矣。然必曰老陽、老陰、少陽、少陰者,蓋陽以老為尊,陰以少為貴。

老陰老陽と少陰少陽とは、総数は既に一様なれば、同様に一万一千五百二十、同様に万物の数に相当す。故に経文はただ老陰老陽を講じ、少陰少陽は此の類に依って推せば便ち知り得。なぜ必ず老陽・老陰・少陽・少陰これらの名目を分け出すかに至っては、陽のこの一辺に在りては老を以て尊と為し、陰のこの一辺に在りては少を以て貴と為すに因る。

大衍之數五十,其用四十有九。

大規模に天地の数を推演するに憑藉する蓍草は五十根、実際に動用するは四十九根。

義曰:按此大衍之數當有五十有五,何以明之?按上文言「天一地二,天三地四,天五地六,天七地八,天九地十」,是天數二十有五,地數三十,總而五十有五也。今經文但言五十者,蓋簡編脫漏矣。

胡瑗按:此処の大衍の数は當に五十五なるべし。何を憑ってこのように説くや。上文は既に「天一地二、天三地四、天五地六、天七地八、天九地十」を講じ、天数は合計二十五、地数は合計三十、總共五十五。いま経文はただ五十を説くは、応に竹簡編冊の脱漏の致す所有るべし。

然則天地生成之道始於太極,是故聖人因其天地生成之道自然之理,積其成數,總而五十有五,以明天地之大法。今註疏之說但言其用五十,殊不知天地生成之數,上言「天一地二,天三地四,天五地六,天七地八,天九地十」之數,上文既言五十有五之數,豈得止言五十哉?此註疏之非也。

天地の化生成物の道は、「太極」に起始す。すなわち天地未だ分かれざる前のあの渾然一体の本原である。故に聖人は天地化生の自然而然の道理に依りて、各個の成数を累積し起して、合して五十五と為し、以て天地の根本法法則を顕明す。当今の注疏の説法はただ五十を用いるを講ずるのみ、天地化生の数を明白せず:上文は既に「天一地二」より「天九地十」に至るまで列出有して、すでに総数は五十五なるを説明したれば、怎で能くただ五十を説くのみや。これは注疏の錯誤である。

歴代以來言之者甚眾:京房則五十者,謂十日、十二辰、二十八宿也,凡五十,其一不用者,天之生氣將欲以虛來實,故用四十九焉;馬季長云,《易》有太極,是北辰也,太極生兩儀,兩儀生日月,日月生四時,四時生五行,五行生十二月,十二月生二十四氣,北辰居位不動,其餘四十九轉運而用也。

歴代にこの一句を解説する人は甚だ多し。京房は認めて曰く、五十とは十天干・十二地支・二十八宿を指し、合せて正好五十。其中に一根を留めて用いざるは、上天の生気は虚位に靠って以て実有を招引するを要するに因る。故にただ四十九を用う。馬融(字は季長)は則ち曰く:《周易》に「太極」有り、太極とはすなわち北極星。太極は両儀を生出し、両儀は日月を生出し、日月は四季を生出し、四季は五行を生出し、五行は十二月を生出し、十二月は二十四節気を生出す。北極星は位に居りて動かず、その余の四十九根は初めて周転運用す。

荀爽則曰,卦各有六爻,六八四十八,加乾坤二用,凡有五十,乾初九「潛龍勿用」,故用四十九也;鄭康成則曰,天地之數五十有五之數,五十有五者,其六以象六畫之數,故減之,用四十九;王弼則曰,演天地之數,所頼者五十,其一不用者,以其虛無非所用也;子夏則曰,其一不用者,太極也,無可名之,謂之太極。

荀爽は曰く:八卦は各々六爻有り、六八は四十八、再び乾卦の「用九」・坤卦の「用六」両条を加上せば、共に五十。而して乾卦初九に「潜龍勿用」と説く。故に実際にはただ四十九を用う。鄭玄(字は康成)は曰く:天地の数は五十五、其中に六根を留出して以て一卦六画を象徴す。故に六を減去して、ただ四十九を用う。王弼は曰く:天地の数を推演するに、憑藉する所は五十、一根を留めて用いざるは、それは虚無を代表して、本より使用の列に在らざるに因る。《子夏易傳》は則ち曰く:あの一根の用いざるはすなわち「太極」、それは命名する従なきに因り、好しなく太極と叫ぶ。

此皆殊無所據,獨鄭康成、姚信、董過三人皆言天地之數五十有五,然而又不知四十九之用。今註疏之說但言聖人推測天地之數止用五十,非數而數以之通,不用而用以之成,又言虛一以象虛無之氣,此皆近於荘老空空之說,以惑後世。

これらの説法は皆確鑿の依拠を缺乏す。ただ鄭玄・姚信・董遇の三家のみ皆天地の数は五十五なりと主張するも、しかし彼らは又実際に用うるは四十九なる所以を説き清め得ざるなり。当今の注疏の説法は、ただ聖人が天地の数を推測してただ五十を取るを講じ、還って「それ本身は数に非ざるも、却ってそれに憑って数を通行せしむ。それ本身は動用せざるも、却ってそれに憑って功用を完成せしむ」と説き、又一根を虚置して以て虚無の気を象徴すと説く――これらは皆莊子・老子のあの套の空虚の談に近く、ただ後世を迷惑するのみ。

今止取五十有五之數,以其上文既言天數二十五、地數三十,是天地生成之數自然之理,萬有一千五百二十陰陽竒耦之數,天下人事之理、萬事之情、萬品之物,無不總此生成自然之數。

いま我はただ五十五この数を取る。上文は既に天数二十五・地数三十を説明したれば、これは天地の化生成物の自然而然の道理なるに因る。而して一万一千五百二十この陰陽奇偶の策数も、もまた天下の人事の規律・万事の情状・万物の品類を涵盖し、一樣としてこの套の自然生成の数の裏に總括せざるなし。

然而其所頼者四十有九,何則?夫天數二十五,地數三十,是老陰老陽之數也。以數言之,陰數多於陽數,而陰者是臣之象也,陽者是君之象也。今地數三十,陰之盛於陽,臣之盛於君,子盛於父,卑盛於尊,此至逆之象也。

然らば実際に憑藉する所は何を為すか四十九なるや。天数二十五・地数三十は、これは老陰老陽の数目である。単に数字に就いて看れば、陰数は陽数に多き。而して陰は臣下を象徴し、陽は君主を象徴す。いま地数は三十、陰は却って陽に勝過すれば、臣が君を圧過し子が父を圧過し卑が尊を圧過するに等し。これは極めて悖逆の象である。

是故聖人因其天地生成之數自然之理,酌其老陰老陽之數,以其陰不可過於陽,臣不可盛於君,故於地數三十之中去其六策,又合於坤之一策二十四,遂以地數以卑為尊,故去其六數,止以二十四合於天數二十五,共為四十九數,取其陰下於陽、臣下於君、子下於父、卑下於尊,此是至順之道也,故其用四十有九,然後可以神其用矣。

故に聖人は天地化生の数の自然の道理に依拠して、老陰老陽の数目を斟酌す:既に陰は陽を超過すべからず、臣は君を圧過すべからざれば、便ち地数三十の裏に於いて六を減去して、それを正好坤卦一爻の二十四策に合せしむ。ここに地数は便ち謙卑自處を以て尊貴と為す。あの六を減去した後に、ただ二十四を用いて天数二十五と相合し、共に四十九と成す。こう取る所は陰は陽の下に居り臣は君の下に居り子は父の下に居り卑は尊の下に居るの義で、極めて和順の道理である。故に実際には四十九根を動用して、然る後に初めて蓍占の作用を神妙ならしめ得。

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