序卦・下経
有天地然後有萬物,有萬物然後有男女,有男女然後有夫婦,有夫婦然後有父子,有父子然後有君臣,有君臣然後有上下,有上下然後禮義有所錯。義曰:自此以下凡三十四卦,咸恆首明夫婦之道,人倫之本,故為下經之首也。有天地然後有萬物者,此廣明夫婦之道必自陰陽為本始也。夫天地交錯而生萬物,而有男女;男女既成,則有夫婦;夫婦既正,則有父子;父子既立,則有君臣;君臣既正,則有上下;既有上下,則禮義之道有所注錯。此正天下、治邦國、人倫之大本也。
《序卦》に曰く:天地あって後に万物あり、万物あって後に男女あり、男女あって後に夫婦あり、夫婦あって後に父子あり、父子あって後に君臣あり、君臣あって後に上下あり、上下あって後に礼義の措く所有り。胡瑗の解釈:ここより下、凡そ三十四卦を下経とする。冒頭の《咸》《恒》二卦が説くのは夫婦の道であり、それは人倫の根本であるから、下経の首に据える。天地あって後に万物ありというのは、まさに夫婦の道が必ず陰陽を本源とすることを明かすのである。天地の二気が交感して万物を化生し、これによって男女がある。男女が既に成れば夫婦を結ぶ。夫婦の倫が既に正しければ父子がある。父子の倫が既に立てば君臣がある。君臣の分が既に正しければ尊卑・上下がある。上下の次第があれば、礼義の道に安置する所がある。これが天下を正し、邦国を治め、人倫を繋ぐ根本である。
夫婦之道不可以不久也,故受之以恆,恆者久也。物不可以久居其所,故受之以遯,遯者退也。義曰:夫咸者,感也。艮體在下,兌體在上,艮為少男,兌為少女,以少男下於少女,以成夫婦之道,以成咸感之象,此萬世不易之法也。然而咸道貴速,故以二少而言之。夫婦之道不可不久,以須常久然後可以成室家之道也,故以恆卦次於咸也。物既常久,必至退遯,故以遯卦次於恆也。
《序卦》に曰く:夫婦の道は久しくあらざるべからず。ゆえに《恒》卦をもって受ける。恒とは久である。物はその所に久しく居るべからず。ゆえに《遯》卦をもって受ける。遯とは退くである。胡瑗の解釈:咸とは感応である。《咸》卦は艮が下にあり兑が上にある。艮は少男、兑は少女であり、少男が自ら少女の下に屈して、これによって夫婦の道を成し、両情相感の象を構成する。これは万世不易の理である。而るに感応は速やかで真摯なるを貴ぶ。ゆえに特に少男・少女を取って説を立てる。少年男女の相感は最も純摯で切迫するからである。夫婦の道は久しくあらざるべからず、必ず持久し得て、それから家室の道が成立する。だから《恒》を《咸》の次に置く。物が既に一つの状態を長く保てば、勢い退避に転ずる。だから《遯》を《恒》の次に置く。
物不可以終遯,故受之以大壯。義曰:物不可以終遯而退處之,必須用剛壯之道以出其所處也,不動則不能出,故以大壯次於遯也。物不可以終壯,故受之以晉,晉者進也。義曰:物既大壯,動而出乎遯,必須進之,故以晉卦次於大壯也。
《序卦》に曰く:物は終りまで遯るべからず。ゆえに《大壮》をもって受ける。胡瑗の解釈:人は永遠に退避・隠処しているわけにはいかず、総じて剛健・強盛の法をもってその処する困難から出なければならない。奮起して動かなければ出られない。だから《大壮》を《遯》の次に置く。《序卦》にまた曰く:物は終りまで壮なべからず。ゆえに《晋》卦をもって受ける。晋とは進である。胡瑗の解釈:既に剛壮となり、奮起して退避の境地を脱したなら、続いて前進して取らねばならない。だから《晋》を《大壮》の次に置く。
進必有所傷,故受之以明夷。義曰:物不可以久進,進之不已,必為人之所不與;人既不與,必有所傷,故以明夷卦次於晉也。夷者傷也,傷於外者必反其家,故受之以家人。義曰:傷於外者必反於家,故以家人之卦次於明夷也。家道窮必乖,故受之以睽。義曰:夫治家之道必須嚴正然後無咎,苟失嚴正,則其道必乖,故以睽卦次於家人也。
《序卦》に曰く:進めば必ず傷つく所有り。ゆえに《明夷》をもって受ける。胡瑗の解釈:物は長く進み止まないことはできない。進取して歇まることを知らなければ、必ず衆人に容れられない。衆人が既に相助けなければ、自身は損傷を受ける。だから《明夷》を《晋》の次に置く。《序卦》に曰く:夷とは傷である。外で傷を受けた者は必ずその家に返る。ゆえに《家人》をもって受ける。胡瑗の解釈:外で傷つけば家に退き返る。だから《家人》を《明夷》の次に置く。《序卦》にまた曰く:家道が窮すれば必ず乖れる。ゆえに《睽》卦をもって受ける。胡瑗の解釈:家を治める道は厳しく端正でなければならず、それでこそ咎がない。ひとたび厳正を失えば、家中の道は必ず乖戾して心が離れる。だから《睽》を《家人》の次に置く。
睽者乖也,乖必有難,故受之以蹇。義曰:物既乖離,必成蹇難之事,故以蹇卦次於睽也。蹇者難也,物不可以終難,故受之以解,解者緩也。緩必有所失,故受之以損。損而不已必益,故受之以益。益而不已必決,故受之以夬。義曰:物不可以久難,必須解而散之,故以解卦次於蹇也。解人之難,必有所損,故以損卦次於解也。損之不已,必須益之,故以益卦次於損也。益之不已,必須決去之,故以夬卦次於益也。
《序卦》に曰く:睽とは乖である。乖れれば必ず難が生ずる。ゆえに《蹇》卦をもって受ける。胡瑗の解釈:人情が既に乖離すれば、必ず艱難・険阻の事を醸成する。だから《蹇》を《睽》の次に置く。《序卦》に曰く:蹇とは難である。物は終りまで難なるべからず。ゆえに《解》卦をもって受ける。解とは緩である。緩やかになれば必ず失う所有り。ゆえに《損》卦をもって受ける。損して止まなければ必ず益す。ゆえに《益》卦をもって受ける。益して止まなければ必ず決する。ゆえに《夬》卦をもって受ける。胡瑗の解釈:物は長く艱難の中に困っていることはできず、必ず纾解・疏散を図らなければならない。だから《解》を《蹇》の次に置く。人の患難を纾解すれば、己は必ず耗損する所有る。だから《損》を《解》の次に置く。ひたすら減損してはいけない。転じて補益しなければならない。だから《益》を《損》の次に置く。ひたすら增益してもいけない。積み満ちれば決して去らなければならない。だから《夬》を《益》の次に置く。
夬者決也,決必有所遇,故受之以姤。義曰:剛決之道必須以正,既以正而決之,則君子有所喜遇也,故以姤卦次於夬也。姤者遇也,物相遇而後聚,故受之以萃,萃者聚也。聚而上者謂之升,故受之以升。升而不已必困,故受之以困。困乎上者必反下,故受之以井。井道不可不革,故受之以革。義曰:君子既有所遇,則萬物莫不萃聚之,故以萃卦次於姤也。既萃之上,必須升進,故以升卦次於萃也。升而不已,其道必困,故以困卦次於升也。升之既久,必反於下,故以井卦次於困也。井道既得其所,不可不革治之,故以革卦次於井也。
《序卦》に曰く:夬とは決である。決して去れば必ず遇合する所有り。ゆえに《姤》卦をもって受ける。胡瑗の解釈:剛をもって邪悪を決去するには、正道に依らなければならない。既に正を守って決すれば、君子は自ずと喜ぶべき遇合を得る。だから《姤》を《夬》の次に置く。《序卦》に曰く:姤とは遇である。物は相遇いて後に聚まる。ゆえに《萃》卦をもって受ける。萃とは聚である。聚まって上るを升と謂う。ゆえに《升》卦をもって受ける。升りて止まなければ必ず困む。ゆえに《困》卦をもって受ける。上に困む者は必ず下に反る。ゆえに《井》卦をもって受ける。井の道は革めざるべからず。ゆえに《革》卦をもって受ける。胡瑗の解釈:君子が既に遇合する所有れば、万物は彼の身辺に聚まらないものはない。だから《萃》を《姤》の次に置く。聚集が既に成れば、進んで上に升進しなければならない。だから《升》を《萃》の次に置く。上って止まることを知らなければ、その路数は必ず困窮に至る。だから《困》を《升》の次に置く。上ること既に久しければ、終に下に落ち返り、水が落ちて井に汲まれるがごとし。だから《井》を《困》の次に置く。井が既に所を得て置き停えられても、日が経てば淤積して、改めて疏浚・改造せざるを得ない。だから《革》を《井》の次に置く。
革物者莫若鼎,故受之以鼎。義曰:革之必得其道,有鼎新之義焉,故以鼎卦次於革也。主器者莫若長子,故受之以震,震者動也。物不可以終動,止之,故受之以艮,艮者止也。物不可以終止,故受之以漸,漸者進也。進必有所歸,故受之以歸妹。得其所歸者必大,故受之以豐,豐者大也。窮大者必失其居,故受之以旅。旅而無所容,故受之以巽。
《序卦》に曰く:物を革めるに鼎の如くはない。ゆえに《鼎》卦をもって受ける。胡瑗の解釈:変革がその道を得れば、自ずと故を革め新を取る意がある。鼎はまさに烹煮して新たに成す器である。だから《鼎》を《革》の次に置く。《序卦》に曰く:器を主るに長子の如くはない。ゆえに《震》卦をもって受ける。震とは動である。物は終りまで動くべからず、これを止める。ゆえに《艮》卦をもって受ける。艮とは止である。物は終りまで止まるべからず。ゆえに《漸》卦をもって受ける。漸とは進である。進めば必ず帰する所有り。ゆえに《帰妹》をもって受ける。帰する所を得る者は必ず大いなり。ゆえに《豊》卦をもって受ける。豊とは大である。大に窮まる者は必ずその居を失う。ゆえに《旅》卦をもって受ける。旅して容れる所なければ、《巽》卦をもって受ける。
義曰:物既鼎新,凡所主者莫非長子,故以震卦次於鼎也。物不可以終動,動必有所止,故以艮卦次於震也。止物必有所漸,故以漸卦次於艮也。漸必有所歸,故以歸妹次於漸也。物既歸之,可以致天下於豐大,故以豐卦次於歸妹也。時既豐大,或有所過失而為旅,故以旅卦次於豐也。既居為旅,不可以剛強,必須巽順,故以巽卦次於旅也。
胡瑗の解釈:事物が既に故を革め鼎を新たにしたなら、宗廟の祭器を承け家國の大事を主る者は長子以外にない。震はまさに長男の卦である。だから《震》を《鼎》の次に置く。物はいつまでも動蕩していられず、動きが一定の時に至れば止まらねばならない。だから《艮》を《震》の次に置く。物を止めるにも循序漸進を要し、驟かに止めてはならない。だから《漸》を《艮》の次に置く。漸進には総じて帰宿があり、女子が漸々行って終に夫家に帰するがごとし。だから《帰妹》を《漸》の次に置く。衆物が既に帰附すれば、天下を豊大に致すことができる。だから《豊》を《帰妹》の次に置く。豊盛の時、人はしばしば過失によって外に流落して羈旅となる。だから《旅》を《豊》の次に置く。既に羈旅に処すれば、剛を逞しくできず、必ず謙遜・順従しなければならない。だから《巽》を《旅》の次に置く。
巽者入也,入而後說之,故受之以兌,兌者說也。說而後散之,故受之以渙。義曰:人既巽順,物亦和說,故以兌卦次於巽也。說之既久,不可偏繫,必須散之,故以渙卦次於兌也。渙者離也。義曰:物既渙散,必致於乖離也。物不可以終離,故受之以節。義曰:物不可以終離,必須有止節之道也,故以節卦次於渙也。
《序卦》に曰く:巽とは入である。入って後にこれを説(よろこ)ばしめる。ゆえに《兌》卦をもって受ける。兌とは説である。説ばせて後にこれを散ず。ゆえに《涣》卦をもって受ける。胡瑗の解釈:人が既に巽順なれば、外物もまた彼と和悦して処する。だから《兌》を《巽》の次に置く。欣悦の日が久しければ、人心を偏して一処に係恋させてはならず、必ずこれを疏散しなければならない。だから《涣》を《兌》の次に置く。《序卦》にまた曰く:涣とは離である。胡瑗の解釈:事物が既に涣散すれば、必ず乖離に至る。《序卦》に曰く:物は終りまで離るべからず。ゆえに《節》卦をもって受ける。胡瑗の解釈:離散に止境なしとしてはならず、必ず節制・約束の道をもって収束しなければならない。だから《節》を《涣》の次に置く。
節而信之,故受之以中孚。義曰:為節之道,必須由中之信以符合之,故以中孚次於節也。有其信者必行之,故受之以小過。義曰:孚信之道,或失其正,或過越其事,必須小有所過,故以小過之卦次於中孚也。
《序卦》に曰く:節してこれを信ぜしめる。ゆえに《中孚》をもって受ける。胡瑗の解釈:節制の道を行うには、必ず内心の誠信をもってこれに符合しなければならない。さもなくば外の約束に過ぎない。だから《中孚》を《節》の次に置く。「中孚」とは内心の誠信が信符のごとく合することである。《序卦》にまた曰く:信ある者は必ずこれを行う。ゆえに《小過》をもって受ける。胡瑗の解釈:誠信の道の施行には、或いは正当を離れ、或いは分を越えることがあって、略々過越を免れない。だから《小過》を《中孚》の次に置く。
有過物者必濟,故受之以既濟。義曰:事既過越,凡矯過者必附人而行之,既附人而行之,則有所濟,故以既濟之卦次於小過也。物不可窮也,故受之以未濟終焉。義曰:物既得所濟,或居安不能慮危,故以未濟之卦次於既濟也。
《序卦》に曰く:物に過ぐる者は必ず済る。ゆえに《既済》をもって受ける。胡瑗の解釈:事が既に略々過越したなら、凡そ過を矯める者は総じて衆人の力に依ってこれを推行しなければならない。衆に依って行い得れば、事は済るを得る。だから《既済》を《小過》の次に置く。《序卦》にまた曰く:物は窮まるべからず。ゆえに《未済》をもって終りとする。胡瑗の解釈:事は成し遂げられても、人は常に安に居って危を慮らず、成功のうちに未成の機が伏在する。だから《未済》を《既済》の次に置く。
然觀六十四卦,始於乾坤,終於未濟者,以其乾坤是生成之宗,故為六十四卦之首也。必以未濟而終之者,以其常人之性多失成事,或居安不能慮危,居存不能思亡,以至自取其咎,故以未濟而終之也,此聖人垂教之深也。
さて六十四卦を通覧するに、《乾》《坤》に始まり《未済》に終わる。《乾》《坤》をもって端緒とするのは、乾坤が万物を生養する総根源であり、理の当然として六十四卦の首に列するからである。必ず《未済》をもって収めるのは、尋常の人の性情が事が成り終わった後に懈怠に失するものが多く、安らかな時に危険を思い及ばず、存続する時に覆亡を考えず、終に自ら禍患を招くからである。ゆえにいまだ完成していない一卦をもって結びとし、人事に終りがなく戒惧が少しも懈ってはならないことを人々に諭す。聖人が教えを立てた用意の深さは、まさにここにある。
雑卦
義曰:夫《周易》所以言雜卦者,葢孔子取其六十四卦之中人所常行之事,交相錯雜以陳其義也。以其事無常定,物無常體,可以施則施之,可以止則止之,故揉雜諸卦之義以為行事之本,故謂之雜卦也。此十翼之中第十翼也。
胡瑗の解説:『周易』が別に《雑卦》の一篇を立てたのは、孔子が六十四卦のうちから人が日常繰り返し遇う情事を取り出し、それらを二つずつ交錯・混雑させて並べ、この並べ方を借りて各卦の義理を敷き陳したからである。人事に一成不変の定局はなく、物象に固定の形体もない。推行すべき時は推行し、停止すべき時は停止する。孔子はこうして衆卦の意義を揉み合わせ錯雑に一処に置き、身を立て事を行う根本とした。この篇もまた《雑卦》と名を得た。それは孔子が経を解した「十翼」のうち第十に次ぐ、最も末の一篇である。
乾剛坤柔,比樂師憂。義曰:夫乾用剛健,必以柔順而資之,故曰乾剛坤柔。夫親比之道貴於和順,和順則人心樂,樂得其道則正,樂失其道則憂,必致於行師動眾也。臨觀之義,或與或求。義曰:夫防民之道貴於中正,既中且正,則可以風化於天下;既可以風化於天下,則為下之所相與,或為下之來求也。
《雑卦》に曰く:乾は剛を主とし、坤は柔を主とする。比は和楽、師は憂労である。胡瑗の解釈:乾卦が施すのは剛健であるが、必ず柔順に依って補助・滋養しなければならない。ゆえに乾剛坤柔という。「比」は親附・輔佐の道であり、上下の和順を貴ぶ。和順なれば人心は歓楽する。この歓楽が正道に合ってこそ正しいのであって、ひとたび正道を失えば憂患に転じ、終に師を興し衆を動かす戦事を招く。これが師卦の憂である。又曰く:臨卦と観卦の意義は、一つは施与、一つは求取にある。胡瑗の解釈:民を防ぎ治める道は中正を貴ぶ。中にして正ならば、教化をもって天下に風行させることができる。教化が既に天下に風行すれば、下に在る者は自ずと親附して相与し、或いは転じて上に向かって請求する所がある。
屯見而不失其居。義曰:夫屯難之世,是君子經綸之時,必須利建侯以安天下,使天下之人皆安其居,不失其所,此則是君子治屯之事也。蒙雜而著。義曰:夫蒙昧之人未知所著,必求賢者以發明之。然而既得賢者以發明之,則無所錯雜而自然著見也。
《雑卦》に曰く:屯卦は既に外に顕れたれど、その安居の所を失わず。胡瑗の解釈:屯は艱難・初創の世であり、まさに君子が経営・治理し、綱紀を整うべき時である。必ず卦辞の言う如く「利建侯」(侯を建てるに利あり)、賢能を封建して天下を安んじ、天下の人をして皆その居に安んじ依る所を失わせないようにする。これが君子が屯を治める事である。又曰く:蒙卦は錯雑に見えても、終に顕明し得る。胡瑗の解釈:蒙昧の人は自ら何を明らかにすべきかを知らず、必ず賢明の師を求めて啓発・開導を得なければならない。既に賢者の啓発を得れば、心中はもはや紛雑・錯乱せず、道理は自ずと彰顕する。
震,起也;艮,止也;損益,盛衰之始也。義曰:震,東北之卦,能起生萬物也。艮有止靜之徳,故為止。損益之道與時偕行,可損則損之,可益則益之,故曰盛衰之始也。大畜,時也。義曰:夫物既無妄,天下之人所共信,故為大畜之時也。然大畜其道必須以正,然後畜其物也,是因其時而畜之也。無妄,災也。義曰:夫無妄之時,天下之所共信,人心之所樂與,若以不信之人廁於其間,則自取其災也。
《雑卦》に曰く:震は起動、艮は静止である。損卦と益卦は盛衰転換の端緒である。胡瑗の解釈:震は東北の方位に居り、万物を鼓動・生発させることができる。ゆえに起という。艮は静止・安定の徳性を具える。ゆえに止という。損と益の道は時勢に偕行し、減損すべき時は減損し、增益すべき時は增益する。この一減一増がまさに盛より衰へ、衰より盛へ転ずる起点である。又曰く:大畜卦が説くのは時機である。胡瑗の解釈:万物が既に真実不虚に帰し、天下の人に共に信頼されてこそ、大畜卦の言う畜養・積聚の時となる。ただし大畜の道は必ず正を守らなければならず、それからこそ万物を畜養できる。これが時に順応して畜聚するということである。又曰く:无妄卦が説くのは災禍である。胡瑗の解釈:无妄の時に処しては、天下の人は互いに誠信をもって相待ち、人心も親しく相与することを楽しむ。この時、もし信義を講じない人がその間に雑じれば、その災禍は彼自身が招いたものである。
萃聚而升不來也。義曰:夫萃聚之時,天下之所和洽也,故能聚。聚之不已,其道必上進可也;若進不由其道則凶,進得其道不還可也。謙輕而豫怠也。義曰:夫謙恭之道不自尊大,是謙輕也;然而為逸豫之道,又自怠也。噬嗑,食也;賁,無色也。義曰:夫雷電相合,如口頤之中齧去其剛梗之物也,故言食也。夫山火之賁貴其文飾,但合於中而已,不在煩多之色,是無所定也。
《雑卦》に曰く:萃卦は聚合、升卦は上進して回返せざるである。胡瑗の解釈:萃卦が処するのは天下が和洽・融洽の時であり、だから人物が聚まることができる。聚合して止まなければ、その勢いは必ず上に升進する。これは可行である。ただし上進が正道に由らなければ凶があり、正道に循って進み一往直前して回頭しなければ、初めて妥当之と言える。又曰く:謙卦は自ら軽んじ、豫卦は怠惰である。胡瑗の解釈:謙恭の道は自ら尊大せざるに在る。これが「謙軽」である。安逸・享楽の道に至っては、これを行い過度なれば自ら懈怠に陥る。又曰く:噬嗑は咀嚼して食すること、賁卦は重彩を施さざるである。胡瑗の解釈:噬嗑卦は雷電が交合し、口腔の上下顎がその中の堅く梗塞する物を咬み断つに似る。ゆえに食という。山下に火ある賁卦は文采・修飾を重んずるが、ただ中道に合するに止めるを求め、色彩の繁多・富麗には在らない。ゆえに固定の色なしという。
兌見而巽伏也。義曰:夫為兌說之道,必貴其顯見,顯見於外,合於正則吉也。夫巽順之道貴其卑伏,若不能卑伏,則非為行巽之道也。隨,無故也;蠱則飭也。義曰:夫隨時之義不在於有故,可行則行之,可止則止之,故云無故也。夫蠱敗之事必須整飭之,然後事有濟也。
《雑卦》に曰く:兌卦は外に顕れ、巽卦は下に伏す。胡瑗の解釈:兌卦の和悦の道を施すには、最も喜悦を顕わにすることを貴ぶ。外に顕れてまた正道に合してこそ、吉を得られる。巽卦は柔順を説き、謙卑に俯伏することを貴ぶ。謙卑に俯伏し得なければ、巽卦の道を行うとは言えない。又曰く:随卦は固執する所なく、蠱卦は整治を要する。胡瑗の解釈:時に随って動く意義は、旧例・成規に拘泥せざるに在る。行うべければ行い、止まるべければ止まる。ゆえに「无故」という。蠱卦の対応する敗壊の事に至っては、必ず整頓・修治しなければならず、そうしてこそ事は成し遂げられる。
剝,爛也;復,反也;晉,晝也;明夷,誅也。義曰:夫五陰一陽,小人剝君子之象也,眾陰消萬物之義也,故云爛。夫五陰在上,一陽在下,是陽氣反覆之時也。夫晉者,日出地上為陽,陽為晝,故曰晝也。夫明入地中,明有所傷,必有誅傷之事。井通而困相遇也。義曰:夫井以濟人為徳,故曰通也。夫物既久困,必須所遇有賢徳之人以出之也。咸,速也。義曰:夫夫婦之道貴於得正,兌為少女,艮為少男,以少男下於少女,是貴速也,故有咸之象也。
《雑卦》に曰く:剥卦は剥落・腐爛、復卦は陽気の回返、晋卦は白昼、明夷卦は誅傷を被るである。胡瑗の解釈:剥卦は五陰が下に歩々進逼して一陽が上に孤悬し、小人が君子を剥蝕する卦象であり、また衆陰が万物を消磨する義である。ゆえに爛という。復卦は五陰が上に居り一陽が下に生ず。まさに陽気が再び回返する時節である。晋卦は火地晋で、太陽が地面より升り出て陽に属し、陽は白昼を主る。ゆえに昼という。明夷卦は地火明夷で、光明が地中に沈み、光明が既に損を受ければ、必ず誅戮・傷害の事がある。又曰く:井卦は暢通、困卦は相遇うである。胡瑗の解釈:水井は衆人を潤済するを徳とする。ゆえに通という。人がひとたび久しく困頓すれば、必ず賢徳の人に遇って自らを抜擢してもらわなければならない。又曰く:咸卦が説くのは迅速である。胡瑗の解釈:夫妻の道は各々その正を得るを貴ぶ。咸卦は上が兌で少女、下が艮で少男であり、少男が自ら少女の下に降りて合を求める。感応の来るが速い。ゆえに速を貴ぶという。これが咸卦の交感の卦象である。
恆,久也;渙,離也;節,止也;解,緩也;蹇,難也;睽,外也。義曰:夫婦之道貴於長久,故曰久也。渙散之久,物必乖離也。物不可以久離,必須節止之。解緩者,言天下蹇難解而緩散之。蹇者,山上有水,故曰難也。睽者,乖也,物既乖離,必居於外也。家人,內也;否泰,反其類也;大壯則止,遯則退也。義曰:夫家人之道必處於內也。夫天氣下降,地氣上騰,泰之象也;天氣在上,地氣在下,否之象也,是否泰二卦反其類也。雷在天上,大壯之道,物不可終壯,則必止遯之乃可也。
《雑卦》に曰く:恒卦は長久、涣卦は離散、節卦は節制、解卦は舒緩、蹇卦は艱難、睽卦は外離である。胡瑗の解釈:夫妻が相処する道は長く続き得るを貴ぶ。ゆえに恒卦は久を説く。涣散の局面が長く続けば、人と物は必ず彼此乖違・離析する。事物を長く離析させてはならず、必ず節卦の節制をもって約束し停止させなければならない。解緩と言うのは、天下の蹇難が化解を得て、緊張の局面がこれに随って舒緩・消散することである。蹇卦は水が山上に積み、行路が艱険で通じ難い。ゆえに難という。睽は乖違の意であり、人物が既に乖違・離析すれば、自ずと各々外に居る。又曰く:家人卦は内を主とし、否卦と泰卦は性質が相反し、大壮は停止を知るべく、遯卦は退避すべきである。胡瑗の解釈:家を治める道は必ず内部に立足しなければならない。天の陽気が下に降り地の陰気が上に騰り、二気が交感する。これが泰卦の象である。天気が上に浮び地気が下に沈み、両者相交わらない。これが否卦の象である。否泰二卦がまさに反って一類となることが見える。大壮卦は雷が天上に震動し、声勢が極めて盛んである。しかし物はいつまでも壮盛ではいられず、壮が極に至れば止まるべく、転じて遯卦の如く退避・隠蔵してこそ可なるのである。
大有,眾也;同人,親也;革,去故也;鼎,取新也;小過,過也;中孚,信也。義曰:夫火在天上,明有所矚,故可大有天下之眾也。與人同者必親也。革,去其故舊者也。鼎有自新之義也。小過者,人情小有過差也。中孚者,有孚信及於天下也。豐,多故也;親寡,旅也。義曰:豐言盛大,髙者懼危,滿者懼溢,故多憂也。親者寡少,故曰旅也。離上而坎下也。義曰:離為日,故宜在上也;坎為水,故宜在下也。
《雑卦》に曰く:大有卦は衆多、同人卦は親近、革卦は故を去り、鼎卦は新を取り、小過卦は稍々過失あり、中孚卦は誠信である。胡瑗の解釈:大有卦は火が天上にあって、光明が普く照らして見えないものなし。ゆえに天下の衆を有することができる。人と心を同じくする者は、彼此必ず親しい。革卦が説くのは陳旧・積弊を革除することであり、鼎卦は烹煮して新たに成り自ら新しくする意を含む。小過が言うのは人情上に僅かに偏差・過誤があること、中孚が言うのは内心の誠信が天下に及び得ることである。又曰く:豊卦は憂患多し、親しい者が稀少なのが旅卦である。胡瑗の解釈:豊は盛大を言うが、高きに立つ者は傾危を懼れ、満ちる者は溢出を懼れる。ゆえに盛大のうちにかえって憂慮が多い。旅人は外にあって親故が稀少である。ゆえに旅という。又曰く:離卦は上にあり、坎卦は下にある。胡瑗の解釈:離は太陽を象徴し、太陽は理の当然として高く上に懸かる。坎は水を象徴し、水は理の当然として低く下に流れる。
小畜,寡也。義曰:小畜者,言風行天上,不能徧及於物,故曰寡也。履,不處也。義曰:履以謙為本,隨人而行,故不可定處也。需,不進也。義曰:需者,養也,但待其時而養焉,故曰不進也。訟,不親也;大過,顛也。義曰:天水相違,訟之道也,故曰不親。不親者,不相親洽也。大過者,上下相陵,本末顛錯,故曰顛也。
《雑卦》に曰く:小畜卦が畜聚するのは少ない。胡瑗の解釈:小畜は風が天上に行くのであり、風は吹き動かせども万物に遍く及ぶことができない。ゆえに畜聚が稀少であるという。又曰く:履卦は一処に留まらない。胡瑗の解釈:履卦は謙退を本とし、人に随って行く。ゆえに定まって某処に留まることができない。又曰く:需卦は前進しない。胡瑗の解釈:需は涵養を待つ意であり、ただ時機の熟するを待って自らを蓄養する。ゆえに進まないという。又曰く:訟卦は相親しまず、大過卦は顛倒である。胡瑗の解釈:訟卦は天が上にあり水が下にあり、天は升り水は降る。両者は相背く。まさに争訟の道である。ゆえに不親という。不親とは彼此が親しく洽れ合うことができないことである。大過卦は陽剛が過盛で、上下が互相に陵轢し、本末・軽重が錯乱して倒置される。ゆえに顛という。
姤,遇也,柔遇剛也;漸,女歸待男行也。義曰:姤者,遇也,天下遇之時,柔遇剛也。漸者,進也,男女之行必以漸而進之,然後成其夫婦之道也。頤,養正也。義曰:山下有雷,為頤之象,故曰養也,養其正則吉。既濟,定也。義曰:言水火相濟,君臣相得,是天下大治、物性大定之時也。
《雑卦》に曰く:姤卦は相遇、柔が来て剛に遇うである。漸卦は女子の嫁ぎを説き、男方が礼に依って迎えに来るを待って初めて身を動かす。胡瑗の解釈:姤とは遇合であり、天下の人が相遇う時、まさに一陰の柔が上りて五陽の剛に遇う。漸は漸進の意であり、男女の交際は必ず次序に循って一歩一歩推進し、それから夫婦の道を成就し得る。又曰く:頤卦はその正道を養うである。胡瑗の解釈:頤卦は山下に雷あり、頤養の卦象である。ゆえに養という。養う所が正道であれば、吉を得ることができる。又曰く:既済卦は安定である。胡瑗の解釈:既済は水火が相互に済助し、君臣が彼此相得する。まさに天下が大いに治まり、万物が各々その性に安んずる時である。
歸妹,女之終也。義曰:夫女者有適人之義,若従男得其道以成夫婦,此則是女之終者也。未濟,男之窮也。義曰:夫男子之道多失於怠事,故居安不能慮危,以成其未濟,是自取窮之道也。夬,決也,剛決柔也,君子道長,小人道憂也。義曰:夫五陽一陰,是五剛而決一柔也,五君子而決一小人也,故君子之道得以長,小人之道所以憂也。此十翼之中,惟《文言》繫在乾坤之卦內,更不必詳解之。
《雑卦》に曰く:帰妹卦は女子の帰宿である。胡瑗の解釈:女子は生まれて嫁ぎ人に従う名分がある。もし男方に従い、正当の礼法に循って夫婦を結べば、これが女子の一生の帰結する所である。又曰く:未済卦は男子の困窮である。胡瑗の解釈:男子が世に処する毛病は、多く懈怠して事を誤るに出る。安逸に身を置けば予め危難を慮ることができず、遂に事が有始无終で済を成さない地に落ちる。これは自ら招いた困窮の道である。又曰く:夬卦は決断、剛が柔を決去し、君子の道は日増しに生長し、小人の道は憂懼に陥る。胡瑗の解釈:夬卦は五陽が下にあり一陰が上に居る。これは五爻の剛陽が共に一爻の柔陰を決し、すなわち五人の君子が力を合わせて一人の小人を裁決する。ゆえに君子の道は増長を得、小人の道はこれによって憂懼する。「十翼」のうちに至っては、ただ《文言》の一篇のみが乾・坤の二卦の内に附系する。前に既に講じたので、ここでは再び詳しく解説する必要がない。
