繋辞上・易有大極是生両儀
是故易有大極,是生兩儀。
故に《周易》の裏に一個の「太極」有り、すなわち天地未だ分かれざる前の渾然一体の本原。太極に由って「両儀」を生出す。すなわち天と地。
義曰:此以下至「自天佑之,吉無不利」為一章。易有太極者,言大易之道始於太極。太極者,是天地未判、混元未分之時,故曰太極。言太極既分,陰陽之氣輕而清者為天,重而濁者為地,是大極既分,遂生為天地,謂之兩儀。
胡瑗解説:ここより起りて、下文の「自天佑之、吉无不利」に至るまで止まり、合して一章と為す。所謂易有太極とは、《周易》の道は太極に起始するを言う。太極とは、天地が還って未だ分判せず元気が還って渾然として未だ散ぜざるあの階段を指す。故にそれを太極と称す。太極は一旦分かれ開けば、陰陽二気はこれに随って立つ:軽く清きは上昇して天と成り、重く濁れるは下沉して地と成る。太極は既に分判せば、便ち天と地とを生出し、これら両樣を便ち両儀と叫ぶ。
兩儀生四象。
天地この両儀は、再生じて「四象」を出す。胡瑗は下文に於いて木・金・水・火の四者を以てそれを解釈す。
義曰:言天地之道、陰陽之氣自然而然生成四象。四象者,即木金水火是也。故上文謂天一下配地六生水,地二上配天七生火,如此之類,是天地陰陽自然相配,生成金木水火之象。然此止言四象而不言土者,蓋天地既判,生為五行,然二氣既分,則自然生而為木金氷火,則地之道本於土而成,但言四象,則土從可知矣。
胡瑗解説:天地の運行・陰陽二気の往来は、自然而然に四象を生成す。此処の説く四象とは、すなわち木・金・水・火。故に上文に天数一は下に在りて地数六と相配して以て水を生じ、地数二は上に在りて天数七と相配して以て火を生ずと説く、こういう類は皆天地陰陽の自然相配して、金木水火の象を生成す。此処にただ四象を講じて土を提げざるに至っては、天地は既に分判せば、生ずる所は本は五行なるに因る。しかし二気は一分かれれば、自然に先ず木金水火を生出し、而して地道は元々便ち土に靠って初めて成立す。故にただ四象を説き、土は自然に便ち其中に包含せらる。
四象生八卦。
四象は再生じて八卦を出す。
義曰:言水火木金互相生成而成八卦。至如水生於坎,火生於離,金生於兌,木生於巽,土生於艮,如此之類,是四象五行之所生也。是故伏羲因此五行所生,畫為八卦也。
胡瑗解説:水火木金は彼此生成して、ここに八卦を結成す。譬如水は《坎》に帰属し、火は《離》に帰属し、金は《兌》に帰属し、木は《巽》に帰属し、土は《艮》に帰属す。こういう類は皆四象五行の生出した所である。故に伏犠は便ち五行の生ずる所に依って、八卦を画き成したり。
八卦定吉凶。
八卦は以て吉凶を判定するに用い。
義曰:言伏羲既畫八卦之後,又繋屬其爻辭於諸爻之下,明吉凶之變。凡事之得者為吉,事之失者為凶,言於得失之間以成吉凶之事,使人退省其身,日修其徳,趨其吉而悖其惡,從其善而去其凶也。
胡瑗解説:伏犠が八卦を画き成した後に、又在各爻の下に爻辞を繋げ、吉凶の変化を講明した。およそ事情を做し対れば便ち吉と算し、做し錯えば便ち凶と算す。便ちこの得失の間に於いて吉凶を定め出して、好く人をして退回して自身を省察せしめ、天天に徳行を修養し、吉利に趨向して邪悪を背棄し、善に跟従して凶険を離れしめんとす。
吉凶生大業。
吉凶の判別は、人間の大功業を生出す。
義曰:夫吉凶之兆也,皆在於六十四卦爻位之中,得其正者為吉,失其位者為凶。聖人又繋屬其辭以明吉凶之驗,使人知自修省。人既知自修省,則能保守其分位,以成其大業,故大業之成必自吉凶而生矣。
胡瑗解説:吉凶の徴兆は皆六十四卦の爻位の中に在り:居位して正を得るは便ち吉、居位して當を失うは便ち凶。聖人は又文辞を繋げて以て吉凶の応験を講明し、人をして自我省察を懂得せしむ。人は既に自我省察を懂得せば、便ち能く自己の名分と地位とを守住し得、従って一番の大事業を成就す。故に大業の成就は、必定に吉凶を辨明するより来る。
是故法象莫大乎天地。
故に效法に供し得べき形象は、天地より大なるはなし。
義曰:法象則謂吉凶之理、得失之跡也。夫天地之大、萬物之理,皆由二體互相推蕩而生也。至於髙者有其分,下者有其理,善者福之,惡者禍之,此常理也。聖人仰觀俯察為之法象,善者賞之,惡者罰之,然其功其理皆本始於天地,故云莫大乎天地。
胡瑗解説:此処の説く法象とは、吉凶の道理・得失の痕跡を指す。天地はこのよう広大にして万物はこのよう條理有るは、全是天地この両個の本体が互相推蕩して生出したるに靠る。上に在るは自ら上に在る名分有り、下に在るは自ら下に在る道理有り、善を行うは福を得、悪を作るは禍を招くは、これは恒常の理なり。聖人は頭を抬げて天を観察し頭を低めて地を察看し、これに拠って效法し得べき形象を立下る:善を行うは便ち彼を賞し、悪を作るは便ち彼を罰す。この一番の功用と道理は、根子は皆天地に在り。故に天地より大なるなしと言う。
變通莫大乎四時。
変化通達の表現は、四季より顕著なるはなし。
義曰:言天地之道、陰陽之氣、變通之道、生成之功,春秋冬夏生而不已,是以成之,成之不已又殺之,殺之不已又生之。是其天地之氣生殺之功,千變萬化,皆由四時之氣推蕩而成也。
胡瑗解説:天地の運行・陰陽の気化・変通の道理・生成の功効は、春夏秋冬の裏に在りて生生して已まず:先ず万物を成就し起して、成就やまず又粛殺を加え、粛殺やまず又重新に生養す。天地の気この一套の生有り殺有るの功用は、千変万化して、全是四時の気の推移激蕩に凭って成る。
縣象著明莫大乎日月。
天上に高懸し光明显著の物象は、太陽と月亮より大なるはなし。
義曰:言天地之道布懸其法象,星辰其於著明、運行不息、無所不照者,莫大乎日月也。
胡瑗解説:天地は種種の效法し得べき形象を上に高懸し、星辰は固然として亦た明亮なるも、しかし光照顕著・運行不停・照らさざる処なしを論ずれば、便ち日月より大なるはなし。
崇髙莫大乎富貴。
地位の尊崇隆高は、富貴より甚なるはなし。
義曰:上既言天地之道、陰陽之理、變通之事、日月之明,此後言以富貴而繼屬之者何也?蓋聖人非以恃其崇髙,極侈其位,誇恃其富貴。是故天地之道但能生成萬物,不能生成天下之人,是故君子有大才大徳,凡居崇髙極盛之位,代天理物,能以仁義敎化生成天下之人。若無富貴之位,則其功不能以及於天下也。是故其所以重富貴者,非重其位也,蓋重其行道於天下。故下繋曰聖人之大寳曰位,是言聖賢所保重者曰位,惟在行道而已,故以富貴次於天地日月之後也。
胡瑗解説:上文は既に天地の道・陰陽の理・変通の事・日月の明を講じ過ぎたれば、接下して却って富貴を拿って後面に接続するは、これは何の縁故なるや。併せて聖人が地位の崇高に仗恃し極力に自己の位子を鋪張し自己の富貴を誇耀するに非ず。縁故は在りて曰く:天地の道はただ能く万物を生成するのみ、しかし天下の人を教養する能わず。故に大才大徳の君子有りて、一旦崇高極盛の位子に居れば、上天に代わって万物を治理し、便ち能く仁義教化を以て天下の人を生養す。倘若富貴の位子なからば、彼の功業は便ち天下に及ばざるなり。故に富貴を看重する所以は、併せてあの位子本身を看重するに非ず、それに借りて以て正道を天下に推行するを看重するなり。故に《繋辞下》に「聖人之大寶曰位」と説くは、まさに聖賢の珍視する所のあの位子は、価値はただ能く道を行うに在るのみと言う。もまたまさにこのが故に、初めて富貴を天地・日月の後に排して講ず。
備物致用,立成器以為天下利,莫大乎聖人。
各種の物資を備辦しそれらの用途を発揮し、器械を創立して做り成して以て天下に造福するは、この方面に於いて聖人の貢獻より大なるはなし。
義曰:備物致用者,備天下之物,致天下之用也。立成器者,則謂建立成就天下之器用,以便於天下也。凡能便利天下者,無出於聖人也。聖人則無所不通,故能成天下之利也。至如包羲氏結繩為網罟,以佃以漁;神農斵木為耜,揉木為耒,耒耨之利以敎天下;又如木為剡木為矢,矢之利以威天下;又如黃帝刳木為舟,剡木為楫,舟楫之利以濟不通;又如宮室取大壯,掘地為臼,斷木為杵,臼杵之利萬民以濟。如此之類,皆是備物致天下之用,立器為天下之利也。
胡瑗解説:所謂備物致用とは、すなわち天下の物資を備辦し天下の用途を発揮す。所謂立成器とは、すなわち天下の用い得べき器械を建立して做り成して、好く天下の人をして便ならしめんとす。およそ天下に便利を帯来し得るは、聖人を超過するはなし。聖人は通ぜざる所なく、故に能く天下の利益を成就す。譬如伏犠は繩子を把って結して網罟と為し、以て猟し魚を捕うに用い、神農は木を砍削して耜を做り木を揉み曲げて耒を做り、耕耘の利を以て天下を教導す。又如木を削って箭矢を做り成し、弓矢の利に靠って天下を威懾す。又如黃帝は木を挖き空めて船を做り木を削って桨を做り、舟楫の利に靠って原先到り得ざる所を溝通す。又如宮室を建造して《大壯》卦に取法し、地を挖って臼と成し木を断って杵と為し、米を舂く利に靠って万民を救済す。こういう類は皆物資を備辦して以て天下の用に供し、器械を創制して以て天下に利す。
故唐元次山曰:吾人之苦兮山幽幽,網罟設兮山不幽;吾人之苦兮水深深,網罟設兮水不深。是言聖人凡所創立其器,雖山川滄海之深逺,而聖人所作其器,無逺無近,無幽無深,皆得其利。故水之深而網罟不深,山之幽而網罟不幽,其功如是之廣,而人用之皆得其利也,非聖人孰能如此哉。
胡瑗は接いて引証す:唐代の元結は曾て言ったり、百姓の苦処は山の太く幽深なるに在り、しかし網罟は一张設せば、山も便ち幽深と算えざるなり。百姓の苦処は水の太く深遠なるに在り、しかし網罟は一张設せば、水も便ち深しと算えざるなり。これは聖人が每一件の器物を創制する毎に、縦に山川滄海の如き幽深遼遠の地方に面對するも、彼の造る所の器物も遠近を分けず幽深を論ぜず、処処皆能く便利を取得するを言う。故に水は虽深しとも、網罟有れば便ちその深を覚えず。山は虽幽なれども、網罟有れば便ちその幽を覚えず。功用がこの地步に広大なれば、人人それを用いて皆能く利を得。もし聖人に非ざれば、誰かこのようを做し到り得んや。
探賾索隱,鉤深致逺,以定天下之吉凶,成天下之亹亹者,莫大乎蓍龜。
繁雑を探究し隠微を捜求し、深处を鉤取し出し遠处を招引し来りて、それに憑って天下の吉凶を断定し天下人を促成して勤勉不懈ならしむるは、この方面に於いて蓍草と亀甲より管用なるはなし。
義曰:探謂探尋,賾謂幽隱難見之處。言至幽至逺、至隱至近之處,鉤深極逺之事,天地幽隱之處,過去未來之吉凶,惟是聖人以卜筮之占皆得以知之也。若事得於道者為吉,失於理者為凶,以其吉凶之事告示於人,使人趨善從吉,去惡避凶,雖愚者昧者皆勉勉而知勸。夫如是定天下之吉凶、成天下之亹亹者,皆由蓍龜之占筮也。
胡瑗解説:「探」とはすなわち探尋、「賾」とは幽深隠微・看見し難き地方を指す。これは言う:最も幽暗最も遥遠・最も隠蔽も亦た最も切近の所在、あの鉤取深处・窮極遠方せざれば初めて弄明白し得べからざる事、天地間の隠蔵して露せざる処、および過去と将来の吉凶は、ただ聖人が卜筮占問に憑って、初めて全て能く知暁し得。事情が正道に合乎するは便ち吉、事理に違背するは便ち凶。この吉凶を把って明白に世人に吿げて、人をして善に趨向し吉に跟従し、悪を丢開し凶を躲開せしめば、たとい愚昧の人なるも亦た皆能く勉力して向上し勧勉を受け得。こういう様に天下の吉凶を断定し天下人を促成して勤勉して倦まざらしむるは、靠る所は全是蓍草と亀甲の占筮である。
是故天生神物,聖人則之。
故に上天は蓍草・亀甲こういう類の神霊の物を生出せば、聖人は便ちそれらを取って以て法則と為す。
義曰:神物者,則謂神靈之物,蓍龜是也。灼龜以為卜,揲蓍以為筮。言天之所生者蓍龜之靈,知人之休咎,明人之得失,是故聖人取之為法則,考人之行事也。
胡瑗解説:所謂神物とは、神霊の物を指す。すなわち蓍草と亀甲。亀甲を燒灼して裂紋を看るを卜と叫び、手で蓍草を分数して爻数を求むるを筮と叫ぶ。これは上天の生ずる所の蓍亀は自ら霊性有りて、能く人の吉凶禍福を知り、能く人の得失を照見すを言う。故に聖人は取り来りて以て法則と當て、それを以て人の所作所為を考察す。
天地變化,聖人效之。
天地は不断に変化し、聖人は便ちそれを仿効す。
義曰:言天地之道、陰陽之氣、生殺之理,春生夏長,四時代謝,千變萬化,聖人效法之:當賞則賞之,當刑則刑之;事之久者必改其弊,器之泥者必革其新,是聖人法效天地之變化也。若據疏說以為賞以春夏、刑以秋冬,則非也。
胡瑗解説:天地の運行・陰陽の気化・生殺の道理、春生夏長・四季更替、千変万化すれば、聖人は一一に仿効を加える:賞すべきは便ち賞し、罰すべきは便ち罰す。一件の制度は推行久しくして弊病を生出せば、必定に更改を加える。一樣の器物は用い滞塞不便なれば、必定に革新を加える。これがすなわち聖人が天地の変化を効法するなり。旧疏がそれを賞賜は応に春夏に放ち刑罰は応に秋冬に放つべしと講じたるに至っては、さらば便ち説き錯えたり。
天垂象,見吉凶,聖人象之。
上天は物象を垂示し、其中より吉凶を顕出せば、聖人は便ち象を取りてそれを効法す。
義曰:言天之垂象以示人之吉凶,若陰陽之慘舒、日星之災變、風雨之不節、霜雪之不時,如此之類,皆是天垂象以示於人。聖人必當象之,或祥之來則象其吉,災之來則應以凶,或修其徳而平其政也。
胡瑗解説:上天は物象を垂示して、以て人に吉凶を吿ぐ。譬如陰陽の気は或いは惨烈或いは舒和し、日月星辰に災異変故出現し、風雨は節令に合せず、霜雪は時候に按らず。こういう類は皆上天が象を垂れて人に看す。聖人は必定にそれに取法せねばならず:祥瑞が来れば便ちそれを把って吉の徴兆と為し、災異が来れば便ち凶を以て対応し、或いは自身を反省し徳行を修養して、政事を整治して平順ならしむ。
河出圖,洛出書,聖人則之。
黃河に龍図出現し、洛水に亀書出現す。これは便ち「河図洛書」この両樣の祥瑞、聖人はそれらを取って以て法則と為す。
義曰:按此河圗是天之大瑞也。若聖人在上,至徳動於天地,天下之人和洽,則和氣充塞於天地之間,則河出圗、洛出書,以為瑞應之驗也。是故聖人所以法則之者,蓋法其時而行事,故曰聖人則之也。
胡瑗解説:河図は上天の降下する大祥瑞である。もし聖人位に在れば、極高の徳行は天地を感動し、天下人は和睦融洽して、さらば祥和の気は便ち天地の間に充満して、ここに黃河に龍図出現し洛水に亀書出現して、祥瑞応験の憑拠と為す。聖人のそれを取って法則と為す所以は、こういう太平の時世に取法して以て行事するなり。故に「聖人則之」と言う。
然按諸儒之說,以謂河圗洛書出見於世,伏羲因得之而畫成八卦,感上天之美應者也。且上古洪荒之世,典章法度未立,伏羲以聖人之才徳居位,是以經綸天地,畫成八卦,以為萬世之法則。若河圗洛書未出見之時,伏羲亦當畫為八卦以為後世之法。且河圖洛書是天之大瑞,若果河圖洛書已有八卦,則八卦不當言伏羲所畫也。又按洛書賜禹,是亦八卦更有聖人所畫矣。
胡瑗は随に辨正す:歴來の諸家の説法は、河図洛書が世に出現し、伏犠がそれらを得て初めて八卦を画き成したり、上天の美好の回応に感応したりと認為す。しかし上古洪荒の世に、典章法度は皆還って未だ建立せざりき。伏犠は聖人の才徳に憑って君位に居り、因って天地を経緯し八卦を画き成し、立てて以て万世の法則と為したり。たとい河図洛書が出現せざりしも、伏犠は照樣に八卦を画出して後世に留めたらん。いわんや河図洛書は上天の大祥瑞にして、倘若図書の上に原本就已に八卦有らば、さらば八卦は応に伏犠の画いたと説くべからざるなり。更に説けば洛書は上天が大禹に賜いたもの、もしあの上にも亦た已に八卦有らば、豈に別に聖人が八卦を画き過ぎたりと成らんや。
且按下繋曰:古者包羲氏之王天下,仰則觀象於天,俯則觀法於地,觀鳥獸之文,近取諸身,逺取諸物,於是始作八卦,以通神明之德,以類萬物之情。此八卦自是伏羲觀天地、取諸物而畫成八卦也,又豈得謂伏羲感河圖洛書而畫八卦哉?若果河圖洛書已有,則孔子不當言伏羲仰觀俯察而成八卦也。
胡瑗は再び経を引いて証と為す:《繋辞下》に説く、古時に包羲氏は天下を統治し、頭を抬げて天上の物象を観察し、頭を低めて地上の法則を観察し、鳥獣の身上の紋理を観察し、近処には自己の身体に取法し、遠処には万物に取法して、ここに初めて八卦を創作し、以て神明の徳性を貫通し、以て万物の情状を帰類したりと。見れば八卦は本來便ち伏犠が天地を観察し万物に象を取って画き成したもの、怎で能く伏犠が河図洛書に感応して初めて八卦を画出したと説かんや。倘若図書の上に真に已に八卦有らば、孔子は応に伏犠が仰觀俯察して初めて八卦を作成したと説くべからざるなり。
又如孔子曰:鳳鳥不至,河不出圖,吾已矣夫。是孔子因其鳳鳥而為書也。又曰:龜龍在郊藪,河出圖,洛出書。是亦因龜麟而至矣。此蓋孔子言麟鳳者,天之瑞物難見者也。若聖人在上,錫五福於人,庶政行於國,和氣充塞於天地,則河圖洛書□麟龍鳳出,為瑞應之驗,是以聖人法則其時以行其事也,故云聖人則之。今鄭康成以春秋緯云河圖有九篇、洛書有二篇,孔安國以為河圖為八卦、洛書有九疇,皆失之矣。
胡瑗は又旁証を擧ぐ:孔子は説き過ぎたり、鳳鳥は飛来せず、黃河は図を出さず、我のこの一生は大概すでに了えたならんと。これは孔子が鳳鳥を河図に連れて一緒に説いたもの。彼は又説く、亀龍は郊野水沢に出現し、黃河は図を出し洛水は書を出す、これも亦た亀と麟とを連れて一併に説いたもの。見れば孔子の説く所の麟・鳳は、皆上天の祥瑞の物で、本來便ち見るを得難し。もし聖人位に在りて、五福を把って百姓に賜い、各項の政事を國中に推行して當を得れば、祥和の気は天地に充満して、さらば河図・洛書と麟・龍・鳳とは便ち皆出現して、祥瑞応験の憑拠と為さん。聖人はまさにこういう時世に取法して以て行事す。故に「聖人則之」と言う。いま鄭康成は《春秋緯》に依拠して河図に九篇有り洛書に二篇有りと説き、孔安國は河図は便ち八卦・洛書は便ち《洪範》九疇と認為するに至っては、これらの説法は皆講じ錯えたり。
易有四象,所以示也。
《周易》は四種の象を具備す。以て人に向かって義理を顕示するに用いるなり。
義曰:按此四象有二說。一說以謂天地自然相配,水火金木以為之象,所以示也。又一說:吉凶者失得之象也,悔吝者憂虞之象也,變化者進退之象也,剛柔者晝夜之象也。是言大易之道有此四象,所以示人之吉凶。疏荘氏謂六十四卦之中有實象、有假象、有義象、有用象,則非也。又何氏以為天生神物聖人則之、天地變化聖人效之、天垂象見吉凶聖人象之、河出圗洛出書聖人則之,亦非也。
胡瑗解説:此処の四象に両種の講法有り。一種の説法は天地が自然相配して、水・火・金・木を把って四象と為し、それらを以て人に向かって顕示すと認為す。另一種の説法は:吉と凶とは、得失の象なり。悔と吝とは、憂慮の象なり。変と化とは、進退の象なり。剛と柔とは、昼夜の象なり。これは《周易》の道はこの四種の象を具備して、以て吉凶を把って人に指示するを言う。旧疏の引く所の莊氏に至っては、六十四卦の中に実象・假象・義象・用象の四類有りと認為するは、あれは正しくない。何氏は上文の「天生神物、聖人則之」「天地変化、聖人效之」「天垂象、見吉凶、聖人象之」「河出図、洛出書、聖人則之」この四句を把って四象と當てるは、同様に正しくない。
繋辭焉,所以告也。
卦爻の下に文辞を繋げるは、以て世人に吿知するに用いるなり。
義曰:上既言天生神物聖人則之,天地變化聖人效之,天垂象見吉凶聖人象之,河出圗洛出書聖人則之,易有四象所以示人之吉凶。此言又繋屬其辭,明其得失,所以貢告於人,使人知憂患之慮也。
胡瑗解説:上文はすでに上天が神物を生出して聖人が法を取り・天地が変化を発生して聖人が仿効し・上天が象を垂れて吉凶を顕出して聖人が象を取り・黃河が図を出し洛水が書を出して聖人が則を取り、および《易》に四象有りて以て吉凶を把って人に顕示することを講じ過ぎたり。この一句が説くは、聖人は又卦爻の下に文辞を繋げ、得失の在所を講明して、以て世人に吿知し、人をして憂患に対して一分の警惕を存せしむるを懂得せしむ。
定之以吉凶,所以斷也。
再び吉凶を以てそれを断定するは、人の為に疑難を決断せんがためなり。
義曰:言既繋屬其辭以明得失,又定其吉凶之驗,以斷天下之疑惑,使人知其象,趨其吉而背其凶也。
胡瑗解説:既に文辞を繋げて以て得失を講明し、又吉凶の応験を定下して、以て天下人の疑惑を決断し、人をして卦象を看清して、吉利に趨向して凶険に背離せしむ。
易曰:自天佑之,吉無不利。
《周易》に曰く:上天のあの処より保佑を得て、吉利にして順遂せざるなし。
義曰:此大有上九之爻辭也。言易有四象所以示也,繋辭焉所以告也,又定之以吉凶所以斷也,言天下之人既知其吉凶之驗、禍福之理,又引此大有上九之爻辭以證之。言大有上九居大有之世,天下富盛,諸爻皆乗於剛,已獨下乗於陰六五,有厥孚交如之吉,已獨乗之,是以得自天佑之吉無不利也,此大有之時如此也。
胡瑗解説:これは《大有》卦上九の爻辞である。上文は《易》に四象有りて以て顕示し、文辞を繋げて以て吿知し、又吉凶を以て定めて以て決断するを説く。天下人は既に吉凶の応験・禍福の道理を明白せば、ここに又《大有》上九の爻辞を引いて以て印証す。《大有》上九は大有富盛の時世に処り、天下は豊足して、その余の各爻は皆剛爻の上に凌駕し、唯だそれのみが下に向かって陰柔の六五に凌乗す。六五は誠信相交の吉慶有りて、唯だ上九のみがそれと相接す。故に能く上天の保佑を得、吉利にして順遂せざる所なし。《大有》この時世の情形は便ち此の如し。
子曰:佑者,助也。天之所助者,順也;人之所助者,信也。履信思乎順,人以尚賢也,是以自天佑之,吉無不利也。
孔子曰く:佑とは、すなわち幇助。上天の幇助する所は、天道に順応する人。衆人の幇助する所は、誠信を講ずる人。誠信を踐行して念々として天道に順応するを忘れざれば、人々はこれに因って賢徳を推重す。故に能く上天の保佑を得、吉利にして順遂せざるなし。
義曰:此孔子解釋之辭也。言大有上九所以得自天佑之者,蓋由己以陽承於六五柔順之君。天之所以佑之者,助其順也;人之所以助之者,信也。言六五居中有信於天下,而上九承之,是履其信也。既已履信,則天下之人亦助以信也。既履其順,又履其信,則是崇尚賢徳矣。夫既為崇尚賢徳之人,則上天之所佑助,鬼神之所協吉,天下之人皆所信助,夫如是何所不利哉。
胡瑗解説:これは孔子が爻辞を解釈する話である。《大有》上九の能く上天の保佑を得る所以は、それが陽剛の身を以て六五この位の柔順の君に承奉するに因る。上天のそれを保佑する所以は、それの天道に順応するを幇助するなり。衆人のそれを幇助する所以は、それに誠信有るに因る。六五は中位に居りて天下に信を取り、上九はそれと相接すれば、これがすなわち誠信を踐行す。既に誠信を踐行せば、天下人も便ち誠信を拿って彼を幇助す。既に順道を踐行し、又誠信を踐行すれば、あれは便ち賢徳を崇尚す。既に賢徳を崇尚する人なれば、上天は便ち彼を保佑し、鬼神は便ち彼に吉慶を給い、天下人は皆信任して彼を幇助す。この様の如くなれば、還って何の順遂せざる有らんや。
