Libo

繋辞上・夫易広矣大矣

宋 · 胡瑗 · 第39巻 / 51

作盤ガイド: 大衍筮法, 六爻納甲の立卦

夫《易》廣矣大矣。

《周易》の涵蓋する所の道理は、既に広博無辺にして、又宏大無極なり。

義曰:自此已下至「易簡之善配至徳」為一章,此十翼之中第六章,贊明大《易》之道至廣而至大也。夫《易》變化極於四達,是「廣」矣;窮於上天,是「大」矣。故下文云「廣大配天地」是也。

胡瑗按:ここより往下、「易簡之善配至徳」の一句に至るまで止まるは、合して一章と為し、十翼中の《繋辞上》の第六章で、以て《周易》の道の既に広博にして又宏大なるを讃美闡明す。《周易》の講ずる変化は、四方に向かって伸展して尽頭に至る。これを「広」と叫ぶ。上に向かって追究して蒼天に至る。これを「大」と叫ぶ。故に下文に「広大配天地」と言うは、まさにこの意である。

以言乎逺則不御。

遙遠の一面に就いて言えば、《周易》の道は推行し開けば阻当せらるる能わず。

義曰:逺者,四逺之外而不御止也。夫大《易》之道至廣而至大,極天地之淵蘊,盡人事之終始,推於天下則天下之事無不備,施之萬世則萬世之事皆可知,窮於四逺則四逺之處不能以御也。

所謂「遠」とは、四方極遠の外に推到しても、また何らそれを拦住し得るなし。《周易》の道は既に広博にして又宏大なり:それは天地の深蔵の奥藴を窮極し、人事の始末を窮尽す。それを天下に推行せば、天下の事は一件としてその涵蓋を受けざるなし。それを万世に施用せば、万世の事は皆それに由って推知し得。一直に四方の尽頭に推到すれば、あの極遠の処もまたそれを阻当し得ざるなり。

以言乎邇則靜而正。

切近の一面に就いて言えば、《周易》の道は沈静無声にして端正偏らず。

義曰:邇謂近也。夫邇近之地,目所可覩,耳所可聞,思慮之所可及之處也。故大《易》之道雖於邇近之間窮理盡性,耳目之所覩,思慮之所及,寂然不見其形,杳然不見其跡,雖邪僻之不能幹,至於幽,至於靜,黙然而得其正者,大《易》之道也。

「邇」とはすなわち近。所謂切近の処とは、眼睛の見得・耳朵の聴得・心思の想得到の範囲である。《周易》の道はたといこのような切近の範囲内に在りて物理を窮究し本性を尽顕するも、しかし耳目の見る所・心思の及ぶ所に就いて看れば、それは寂然無声にして形体を看えず、杳然として尋ね難く踪迹を看えず。縦に邪僻不正の东西あれどもそれを侵擾し得ざるなり。それは極幽の処に深蔵し、極静の処に安定し、黙然無言にして自然に正道に合す――これがすなわち《周易》の道である。

以言乎天地之間則備矣。

整個の天地の間に就いて言えば、《周易》の道は備わらざる所なし。

義曰:言大《易》之道至廣而至大:以言乎遐逺之間,則不可御止;以言乎邇近之處,則其道靜黙;以言乎天地變化之道,則無所不備矣。

これは《周易》の道の既に広博にして又宏大なるを言う:遙遠の一面より看れば、それは推行し開けば阻当する従なし。切近の一面より看れば、それは沈静無声にして存在す。天地間一切の変化の角度より看れば、それは一様として具備せざるなし。

夫乾其靜也専。

乾は静止の時に在りて、専一凝定にして散漫せず。

義曰:乾者,天之用也。夫乾之體至剛至健,一晝一夜凡行九十餘萬里,其剛健之徳也如此。夫然而生育之時,雖純陰用事而坤道承陽之氣以發生萬物,雖當純陰用事之時,而陽氣凝然靜黙,任其専一之道以生於物也。

「乾」とは上天の作用を指す。乾の本体は極めて剛强健動にして、一昼一夜に九十多万里を運行す。その剛健の徳性は便ちこの如し。しかし万物を化育する過程の中に在りて、時としてまさに純陰が令を当たる時有りては、坤道が陽気を承接して以て万物を発生す。たとい純陰が令を当たる時に処するも、陽気もなお依然として凝聚不動・沈静無声にして、それの専一不二の本性を保持し、これを以て万物を生養す。

其動也直。

乾は一旦発動すれば、便ち径直偏らず正大にして歪斜せず。

義曰:直謂正直也。言乾之用,雖未生萬物之時,其靜也専,及其陽氣下降於地以生萬物,其運轉則四時不忒,寒暑無差,剛而得正。

「直」とはすなわち正直。これは乾の作用を言う:まだ万物を生養せざる時に在りて、それは安靜にして専一である。陽気が大地に下降し万物を生養し始むるに及べば、その運転は四季を差錯せしめず寒暑を偏失せしめず、剛健にして而も中正を失わず。

是以大生焉。

まさにこのが故に、乾は初めて広大に万物を生成し得る。

義曰:言天地之道,以其専一至靜之徳運動而不失其正,是以能大生於萬物也。

これは天地の道が、専一にして極静の徳性に憑って発動運行し、又始終中正を失わざるが故に、初めて宏大に万物を生養し得るを言う。

夫坤其靜也翕。

坤は静止の時に在りて、収斂閉合して外に露せず。

義曰:翕者,斂也。夫坤之道凝然在下,承天陽之氣以生於萬物,當陽氣未降之時,則翕斂其氣,閉藏其用也。

「翕」とはすなわち収斂。坤道は凝定して下位に処り、上天の陽気を承接して以て万物を生養す。陽気がまだ下降せざる時に当たっては、それは便ち自己の気を収攏し起し、作用を封蔵して用いず。

其動也闢,是以廣生焉。

坤は一旦発動すれば、便ち開張舒展し、故に能く広被して万物を生育す。

義曰:夫坤之道凝然在下,翕斂其氣,閉藏其用而不動,及其陽氣下降之時,開闢其用,承陽之氣以生於物,是以其生育之道至廣而無限極也。

坤道は下に凝定し、先ずは自己の気を収斂し自己の功用を封蔵して発動せず。陽気の下降する時に及んで、それは初めて自己の功用を開張し、陽気を承接して以て万物を生養す。故にそれの化育する範囲は極めて広大にして、辺際の言うべきなし。

廣大配天地。

《周易》の広博宏大は、以て天地と相配し得べし。

義曰:此已下申明大《易》之道也。言大《易》之道至廣而至大,無所不包,無所不備,上可以配之於天,下可以周之於地,其道至深而至逺也。

ここより往下は、進んで《周易》の道を申説す。《周易》の道は既に広博にして又宏大にして、包み含まざるなく具備せざるなし。上に向かっては蒼天と相匹配し得、下に向かっては整個の大地に周遍し、その義理は極めて深邃・極めて悠遠である。

變通配四時。

《周易》の変化通達は、以て四季と相配し得べし。

義曰:夫《易》之道至幽至賾,惟變所適,生而不絶,周而復始,變通之道無所常定,亦可以配於四時。至如乾坤之道、生殺之理:春則生之,生之不已必夏長之,長之不已必秋成之,成之不已必冬乾之。是四時生殺皆有其時而變通,《易》有變通之理,所以配於四時也。

《周易》の道は極めて幽深・極めて繁賾にして、ただ変化に随って以て合宜の処に走向す。それは化生断えず周して復た始まり、その変通の法に固定不変の常規なし。故に四時と相配し得べし。乾坤の道・生長と粛殺の原理を就拿て言えば:春天は万物を萌生せしめ、萌生やまざれば夏天に至って必然にそれを生長せしめ、生長やまざれば秋天に至って必然にそれを結実せしめ、結実やまざれば冬天に至って必然にそれを干枯収蔵せしむ。見れば四季の生養と粛殺は各々その時序ありて又互相推移変通す。《周易》も同様に変通の理あり。故にそれを拿って四時と相配す。

陰陽之義配日月。

《周易》中の陰陽相対の義理は、以て日月と相配し得べし。

義曰:夫《易》之中有陰陽,猶乾坤之有日月。夫日者是至陽之精,照於晝而為明;月者是至陰之精,照於夜而為明。故大《易》之道,變通之理有剛有柔,有陰有陽,猶乾坤之有日月,運其寒暑以成晝夜。

《周易》の裏に陰と陽と有るは、便ち乾坤の間に太陽と月亮と有るが如し。太陽は至陽の気の凝り成る精華で、白昼を照耀して以て光明と為る。月亮は至陰の気の凝り成る精華で、黑夜を照耀して以て光明と為る。故に《周易》の道は、その変通の原理に剛あり柔あり・陰あり陽あり、まさに乾坤の間に日月両曜ありて、寒暑往来を推動して以て昼夜交替を形成するが如し。

易簡之善配至徳。

《周易》の平易簡約この一長処は、以て天地の最高の徳性と相配し得べし。

義曰:夫大《易》之道,包含萬象,至纎至悉,無所不載,然而其道簡易,不尚煩勞,可以配天地之至徳也。

《周易》の道は万象を包羅し、細致入微にして載せざる所なし。しかしその法則は却って平易簡約にして、繁瑣労費を崇尚せず。まさにこのが故に、初めて天地のあの自然而然・労せずして成る最高の徳性と相配し得べし。

繋辞上・子曰易其至矣乎

子曰:《易》其至矣乎!

孔子曰く:《周易》の講ずる道理は、大概すでに極致に到達せりや。

義曰:此已下至「成性存存,道義之門」為一章,此讚美《易》道至大至廣也。

胡瑗按:ここより往下、「成性存存、道義之門」の一句に至るまで止まるは、合して一章と為し、《周易》の道の既に宏大にして又広博なるを讃美す。

夫《易》,聖人所以崇徳而廣業也。

《周易》とは、聖人が以て自己の徳性を推崇提昇し自己の功業を拡大する憑藉である。

義曰:夫大《易》之道至廣而至極,上可以括天之髙明,下可以包地之博厚,聖人用之,可以增崇其至徳,廣大其功業也。

《周易》の道は既に広博にして又極致に達す:上に向かっては能く蒼天の高遠光明を囊括し、下に向かっては能く大地の深厚広博を包容す。聖人はそれを運用せば、便ち不断に自己の徳性の境界を抬高し、不断に自己の事功の規模を拡展し得。

知崇禮卑。

智慧は天の如く高遠なるべく、礼节は地の如く卑下なるべし。

義曰:夫萬物之理、萬事之原,不能出於聖人之知;然聖人之知必由禮而修飾之。故知崇則如天之高,至貴而人莫能及;故禮卑如地之下,至而人不能出。是至崇者不能及於知之髙,至卑者不能出於禮之用也。

万物の道理・万事の根源は、皆聖人の智慧の外に跳出す能わず。しかし聖人の智慧は、又必ず礼に靠って以て約束修飾を加えねばならず。故に智慧の高きは、便ち天の如く高く攀づべからず、尊貴にして企及し得る人なし。礼节の卑きは、便ち地の如く最下に処り、鋪展してその範囲を走出し得る人なし。これはすなわち言う:再び高きものも聖人の智慧より高からず、再び低きものも礼の作用を逃出で得ず。

崇效天,卑法地。

高き一面は天に取法し、卑き一面は地に取法す。

義曰:言聖人之知崇而上效於天,禮卑而下法於地。知以幽逺為上,則為崇;禮以卑退為本,故為卑也。

これは聖人の智慧は高遠にして上に向かって天に取法し、聖人の礼节は謙卑にして下に向かって地に取法するを言う。智慧は深幽悠遠を以て上乘と為す。故に「崇」と称す。礼节は謙卑退譲を以て根本と為す。故に「卑」と称す。

天地設位,而《易》行乎其中矣。

天は上に在り地は下に在り、位置は一旦確立せば、《周易》の道理は便ちこの上下の間に在りて運行不息す。

義曰:夫天以純陽之氣積於上,地以柔陰之氣積於下。天地初判,二位既設,則大《易》之位、萬物之情以行於天地之間矣。

天は純陽の気に由って上に積聚し、地は柔陰の気に由って下に積聚す。天地が剛く分判し開け、上下両個の位次が一経確立せば、《周易》の講ずる爻位の法則と万物の実情は、便ち天地の間に在りて運行し起る。

成性存存,道義之門。

本性を成就して万物の性を長存絶えざらしむれば、これがすなわち道義の由って出入する門戸である。

義曰:性者,天所稟之性也。存存者,不絶之貎也。夫人稟天地之善性,至明而不昏,至正而不邪,至公而不私。若能觀天之性而成就己之性,則可以生成於天下,以盡萬物之性,使萬物之性存存而不絶,而道義之門自此塗而出也。

「性」は上天が人に賦与する本性を指す。「存存」は接続不断・始終保存する樣子。人の禀受する所の天地の善性は、本来極めて清明にして昏昧ならず、極めて端正にして邪僻ならず、極めて公正にして偏私ならず。もし能く上天の賦する所の性を観察し、従って自己の本性を成就せば、便ち能く天下を生養し、万物各自の本性を窮尽し、万物の性を接続保存して断絶せざらしむ。道義の門戸も、便ちこの条の路上より敞開す。

若夫不能觀天之性以正己之性,則於邪佞而放僻之事從而至矣。如是,則不能成其道義之門,不能開通其物。故此大《易》之道凖擬於天地,至公至正,無私無曲,成其治性之道存存而不絶,成其道義之門,為人之所出入而取法也。

かえって言えば、もし能く上天の賦する所の性を観察して以て自己の本性を端正せざれば、さらば奸邪諂佞・放縦乖僻の事は便ち接踵而至する。こうなれば、道義の門戸は便ち建成し得ず、万物もまた開導貫通せられ得ざるなり。故に《周易》の道は天地を以て準則と為す:極公正・極端正にして、偏私なく曲折なし。それはあの套の本性を修治する方法を成就し、それを接続絶えざらしめ、便ち道義の門戸を建成し、人の出入取法に供す。

繋辞上・聖人有以見天下之賾

聖人有以見天下之賾,而擬諸其形容,象其物宜。

聖人は弁法有りて天下万物の幽深難明の実情を窺見し、ここに卦爻を以てそれらの形貌情状を比擬し、卦象を以て各自の宜しき所の分際を象徴す。

義曰:自此已下至「負且乗,致寇至,盜之招也」為一章。注以謂至「其臭如蘭」,則非也。上既言《易》道變化神理不測,此又明聖人見天下之賾,以成萬物之形象也。賾者,幽賾也,人之難見者也。

胡瑗按:ここより往下、「負且乘、致寇至、盗之招也」の一句に至るまで止まるは、合して一章と為す。旧注はこの一章を「其臭如蘭」に至るまでに断つるは、正しくない。上文はすでに《周易》の変化神妙・義理難測を講じたれば、此処は進んで聖人が如何に天下の幽微の実情を窺見し、従って万物の形貌卦象を造り出すかを説明す。所謂「賾」とは、すなわち幽深繁雑の処で、人の容易に看清し得ざるものである。

言聖人推測天下之幽賾,以擬度萬事之理,以凖擬萬物之形容,以象萬物之所宜,使皆各得其宜,各順其性。至如剛之理則擬乾之形容,柔之理則擬坤之形容,艮之性則言其止,震之性則言其動,陽物則言其剛,陰物則言其柔。若泰卦則言泰之形容,象其泰之物宜;若否卦則言否之形容,象其否之物宜。其六十四卦之中皆有所象矣。

これは聖人が天下の幽深難明の処を推究測度し、以て万事の道理を揣度し、以て万物の形貌を比擬し、以て万物各自適宜の分際を象徴し、それらを皆各々その所を得各々その性に順わしむるを言う。譬如剛強の一類に属する道理は、便ち乾の形貌を以て比擬し、柔順の一類に属する道理は、便ち坤の形貌を以て比擬す。艮の性質は静止なれば、便ちその止を講じ、震の性質は振動なれば、便ちその動を講ず。陽に属する事物は便ちその剛を講じ、陰に属する事物は便ちその柔を講ず。《泰》卦の如きは、便ち通泰の情状を描摹し、通泰の時の宜しき所の事を象徴す。《否》卦の如きは、便ち閉塞の情状を描摹し、閉塞の時の宜しき所の事を象徴す。六十四卦の当中、毎一卦皆各々象る所有り。

是故謂之象。

故にこの一套を把って「象」と叫ぶ。

義曰:此已上結成卦象之義也。夫言聖人因擬度萬物之形容,以象萬物之所宜,是故謂之象。象者,即文王所作彖辭,以明一卦之象也,則謂之象。然六十四卦之中皆謂之象,故前章云「卦者,言乎其象也」。是言聖人因推測天下之理,以明萬物之宜,故謂之象也。

以上は卦象の意義を收結す。説く所は聖人が万物の形貌を揣度し万物の宜しき所を象徴する做法に依るが故に、それを「象」と称す。此処の「象」は、文王の作った彖辞を指し、以て一卦整体の象を説明す。故に「象」と称す。而して六十四卦の毎一卦は皆象と称し得。故に前面の一章に「卦とは、一卦の象に就いて説を立てる」と言う。見ればこれは聖人が天下の理を推究するに憑って以て万物の宜しき所を闡明するを言う。故にこれを「象」と叫ぶ。

聖人有以見天下之動,而觀其會通,以行其典禮。

聖人は弁法有りて天下万事の変動を看清し、ここに其中の会合貫通の処を観察し、これに拠って常法と礼制を推行す。

義曰:動謂變動也,會,合也,通謂通變也。言聖人觀此諸卦爻之變動,明其吉凶得失之要,以觀天地萬物會合變通之事,其有合於理、通於道者,則為之常禮而行之;其有悖於理、違於道者,則舍而去之。是聖人明六十四卦動靜之理、變通之事,合其典禮者也。

「動」は変動を指し、「会」は会合、「通」は変通を指す。これは聖人が各卦各爻の変動を観察し、其中の吉凶得失の關鍵を弄清し、これに拠って天地万物の会合と変通の種種の情形を考察することを言う:およそ義理に合乎し正道に通ずるは、便ちそれを常行の礼法と定めて以て推行し、およそ義理に違背し正道に偏離するは、便ちそれを舎棄して用いず。これがすなわち聖人が六十四卦の動静の原理・変通の情形を明白にし、従ってそれを典章礼制と相合せしむるなり。

繋辭焉以斷其吉凶,是故謂之爻。

卦爻の下面に文辞を繋げて以て吉凶を判定す。故にこの一套を把って「爻」と叫ぶ。

義曰:夫六十四卦有剛有柔,有變有動,會合於典禮者則為吉,不會合於典禮者則為凶,然而其義幽微,常常之人不能明曉耳。是以聖人於諸卦諸爻之下各繋屬其文辭以解釋之:若陽居陰位則言其吉,若陰居陽位則言其凶;或近而相得則言其吉,或逺而不相比則言其凶;或居泰之時而行君子之事則吉,或居夬之時而行剛壯之道則凶。

六十四卦の中に剛爻あり柔爻あり、変あり動あり:能く典章礼制と相合するは便ち吉、相合し得ざるは便ち凶。しかしこの層の意思は幽深細微にして、尋常の人は看明白し得ざるなり。故に聖人は各卦各爻の下に、分かちて文辞を繋げて以てそれを解釈す:陽爻が陰位に居れば便ちそれを吉と言い、陰爻が陽位に居れば便ちそれを凶と言い、両爻が相隣して彼此投合すれば便ちそれを吉と言い、両爻が相遠にして比附する従なければ便ちそれを凶と言い、《泰》卦通泰の時に処りて君子の為すべき事を做せば便ち吉、《夬》卦決断の時に処りて一味に剛猛の道を用いれば便ち凶。

是皆觀天下之變動,合剛柔之常理,而繋屬其辭,以斷定其吉凶之效也,是故謂之爻。爻者,效也,效諸物之變動,明萬事之常理,得其正者為吉,失其位者為凶,是吉凶之效自爻之動靜而見也。故上章云「爻者,言乎變者也」。

これらは皆聖人が天下の変動を観察し、剛柔消長の常理に配合し、従って文辞を繋げ、以て吉凶の応験を断定したもの。故にこれを「爻」と称す。「爻」の意思はすなわち「効」、即ち仿効:事物の変動を仿効し、万事の常理を闡明し、その正位を得るは便ち吉、その位次を失うは便ち凶。見れば吉凶の応験は、まさに爻の動静の上より顕現し出る。故に前面の一章に「爻とは、変動に就いて説を立てる」と言う。

言天下之至賾而不可惡也。

《周易》は天下最も幽深繁雑の実情を道尽すれども、人をして厭悪の心を生ぜしめざるなり。

義曰:此覆說上文聖人見天下之賾也。夫小人之性為讒為諂,常有害君子之心。然君子之人凡所作事,使小人不得間而窺,不得伺而疑,故所行之事坦然而行,小人不能以惡忌也。

これは回頭して上文の「聖人見天下之賾」を申説す。小人の本性は讒言を進めるを好み諂媚を行うを好み、常に君子を加害する心思を存す。しかし君子の事を做すは、総じて小人をして窺探する縫隙を抓得ず、猜疑する破綻を找得ざらしむ。故に彼の行う所の事は坦坦蕩蕩に推行し、小人も便ち従って彼を憎恨忌恨するなし。

故大《易》之道,廣之如地,高之如天,君子小人之道無不備載於其間。然雖有黜小人之辭,然無心専在於小人,但人事得失皆備言之,故雖小人之心亦不能惡大《易》之道也。

同様に、《周易》の道は大地の如く広博にして蒼天の如く高遠にして、君子の道と小人の道と完備に其中に記載せざるなし。それは虽小人を斥退する辞句有るも、併せて存心に専門に小人を針對するに非ず、ただ人事の得失を一一説き尽くすのみ。故にたとい小人の心理なるも、もまた《周易》の道を憎悪するとは説き上がらざるなり。

言天下之至動而不可亂也。

《周易》は天下最も紛繁の変動を道尽すれども、攪乱せらるることなし。

義曰:此覆說上文聖人見天下之動也。夫天下之動,吉凶是非、奸邪情偽莫不錯雜於其間,既奸邪情偽錯雜於其間,則天下從而亂矣。今此大《易》之道亦無心於聖人,惟天地之通變、人事之終始有會合於典禮者則為吉,悖亂於常道者則為凶,其文皆散在諸爻之下,以明變動之理,雖小人之情偽亦不能錯雜而紛亂之。

これは回頭して上文の「聖人見天下之動」を申説す。天下の一切の変動の中に、吉と凶・是と非・奸邪と虚偽、交錯混雑せざるなし。既に奸邪虚偽が其間に混雑せば、天下も便ちこれに随って混乱す。しかし《周易》の道は併せて聖人の一方に偏向せず、それはただ:およそ天地の変通・人事の始末、およそ典章礼制に合するは便ち吉と断じ、およそ常道に違背するは便ち凶と断ず。これらの判断の文辞は分散して各爻の下に繋がれ、以て変動の道理を闡明す。故にたとい小人のあの虚偽の伎倆なるも、もまたそれを攪り乱す能わざるなり。

擬之而後言,議之而後動,擬議以成其變化。

先ず反復比擬斟酌して然る後に口を開き、先ず仔細議論権衡して然る後に行動す。こういう擬と議とに靠って、初めて事物の変化を成就し得。

義曰:「擬之而後言」者,此覆說上文「天下之至賾而不可惡」也;「議之而後動」者,此覆說上文「天下之至動而不可亂」也。言聖人觀天下之運動,明人事之得失,一言之出必深思逺慮然後行之。

「擬之而后言」とは、回頭して上文の講ずる所の「天下之至賾而不可悪」を申説す。「議之而后動」とは、回頭して上文の講ずる所の「天下之至動而不可乱」を申説す。意思は:聖人は天下の運行変動を観察し、人事の成敗得失を弄清し、およそ一言を出すに、必定深思遠慮の後に初めて実行に付す。

何哉?蓋言之有善有不善,若擬而出之,則其言必善;若不擬而出之,則其言或有不善。必須擬而出之,則言滿天下無口過,故云。夫人動靜之間亦須合於道,若議論而動之,則無悔吝矣;若不議論而動之,則悔吝有時而至焉;若議而動之,雖行滿天下,亦無怨惡也。

何を為すか。話に説き妥当なる有り、もまた説き不妥当なる有るが故である。比擬斟酌を経て然る後に口を出せば、話は必定妥当なり。比擬を経ずして脱口而出すれば、話は便ち不妥なり得。必ず斟酌の後に初めて説きて、こうして初めて言論が天下に伝遍しても口舌の失なからしめ得。故に経文は初めてこのように講ず。人もまた一動一静の間に必ず道に合せねばならず:先ず議論権衡を経て然る後に行動せば、便ち悔恨と遺憾あらざるなり。議論を経ずして贸然に行動せば、悔恨遺憾は遅早必ず上門して来る。もし能く議して後に動けば、たとい行迹が天下に遍及するも、怨恨を招来せざるなり。

若能言動之間,擬之而後為,議之而後行,則深思逺慮久而必精,則可以通天下之變化,為天下之法則者也。

もし言語と行動の間に於いて、皆能く先ず比擬斟酌して然る後に去做し、先ず議論権衡して然る後に去行せば、さらば深思遠慮は久しくなるに及んで必定精熟し、便ち天下の一切の変化を会通し得、天下人の共同に遵循する法則と成り得。

「鳴鶴在陰,其子和之;我有好爵,吾與爾靡之。」

《中孚》九二の爻辞に曰く:仙鶴が山北の幽暗の処に鳴く、その雛鶴は遠処に在りて声に随って応和す。我に一杯の好酒あり、願わくは汝と共同に分饗せん。

義曰:上既言擬議於善則善應之,擬議於惡則惡應之,是猶鳴鶴之在陰,其同類者必相應之也。夫「鳴鶴在陰」者,此《中孚》之卦九二之爻辭也。夫《中孚》之九二上應於九五,當《中孚》之時,二五以至誠相應,用心不私,然雖為六三六四以陰柔間廁於其間,進無所適,退無所遇,二五雖不得相,然至誠相待,終得其應,此《中孚》之時卦象之如此也,是猶鳴鶴之在幽陰之中而聲聞於外,其子從而和之也。

上文は既に言う、およそ事は比擬議論を経て善に趨れば、善の回応は便ち到来し、比擬議論して悪に趨れば、悪の回応も亦た到来す。これは好比仙鶴が幽暗の処に在りて鳴けば、同類は必然に声に応じて相和す。引く所の「鳴鶴在陰」は、《中孚》卦九二の爻辞である。《中孚》九二は上に向かって九五と相応じ、中孚の時に処り、二と五とは至誠を以て彼此感応し、用心は毫も私曲なし。虽六三・六四の両個の陰爻が中間に夾まりて阻隔し、九二をして進めば往くべき処なく退けば遇うべき人なく、二と五とは一時直接相接し得ざるも、しかし至誠相待に憑って、最終には依然として呼応を得る。これがすなわち中孚の時の卦象の顕示する情形で、まさに仙鶴が幽暗の中に在りて鳴きて声音は外面に伝わり、その雛鶴は便ち声に随って応和するが如し。

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