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第卅三巻・論大運

宋 · 廖中 · 第38巻 / 40

作盤ガイド: 暦注(黄暦), 万年暦

運行則一辰十歲,折除乃三日為年,精休旺以為妙,窮通變以為玄。王氏注云:夫運者,人生之傅舍,推命之說,先以三元、四柱、五行、生死格局,以定根基。然考竅運氣協而從之,以定平生之吉凶也。大運一辰十歲者,何也?蓋一月之終,晦朔周而有三十日,一日之內,晝夜周而有十二時,總十年之運氣,凡三日有三十六時,乃見三百六十日,為一歲之數,在一月之中,有三百六十時,折除節氣算計,三千六百日為一辰之十歲也。

経文にいう:行運は一つの地支が十年を管し、「折除」の法は三天をもって一年に折算する。五行の休囚旺相を精研してはじめて妙に入り、窮通変化を窮究してはじめて玄を得る。王氏の注の解釈:いわゆる運とは、人の一生が寄居する旅舎である。命を推す路数は、まず三元・四柱・五行と生死格局をもって根基を定め、それから運気がいかにこれと協調配合するかを考察し、これに拠って一生の吉凶を断定する。なにゆえ大運は一つの地支が十年を管するのか。一箇月は朔から晦まで一周三十日であり、一日の内は昼夜一周十二時辰である。十年の運気を合わせて算するに:三天はあわせて三十六時辰で、ちょうど三百六十天に対応し、すなわち一年の日数である。そして一箇月の中にはあわせて三百六十時辰あり、節気により折除して計算すれば、三千六百天で、ちょうど一つの地支の管する十年である。

人生以一百二十歲為周天,論折除之法,必用生者,實歷過日時,數其節氣,以合歲月之數,乃若陽男陰女,大運以生日後,未來節氣日時為數,順而行之。陰男陽女,大運以生日前過去節氣日時為數,逆而行之。

人の一生は一百二十歳をもって一つの周天とする。折除の法を講ずるには、必ず出生者が実際に経過した日と時を用い、それが節気までの距離を数え清め、再び歳月の数に折合する。陽年生まれの男子と陰年生まれの女子については、大運は生日から後へ数え、未来の節気の間の日時を取って数とし、順に排して下る。陰年生まれの男子と陽年生まれの女子については、大運は生日から前へ数え、過去の節気の間の日時を取って数とし、逆に排して上る。

譬如甲子陽男,十二月二十四日,巳時生,是月二十九日申時立春,陽男數未來之日,自二十四日巳時至二十五日巳時,方曰一日之實數,至二十九日申時止,得五日三時之節氣,實歷過六十三時,折除計六百三十日,乃是一歲奇九月之大運,起於丁丑,是越三歲九月之內,方是甲子十二月生行一歲奇九月之大運也。今人行運多用約法,以一歲奇八月起運,便以二歲九月過矣,殊不明折除實歷之數也。

例を挙げて言えば、甲子年生まれの陽男が、十二月二十四日巳時に出生し、この月の二十九日申時に立春する。陽男は未来の日を数える。二十四日巳時から二十五日巳時までで、はじめて実足の一天となる。二十九日申時まで数えて、あわせて五天零三時辰の節気距離を得、実際に六十三時辰を経過し、折除すれば六百三十天に合し、すなわち一歳零九箇月にしてはじめて運を起こす。第一步の大運は丁丑に起こる。このように算すれば、三歳零九箇月を過ぎて、はじめてこの甲子年十二月生まれの人の行く一歳零九箇月の大運となる。今の人が運を起こすには多く約略の法を用い、一歳零八箇月で運を起こすと言い、一挙に两歳九箇月を跨ぎ越す。実に折除実暦の算法を明白にしていないのである。

論行運至五行生旺之地,如木之得春,其敷榮華實可知矣。或行運至五行休敗之地,如木之逢秋,衰朽枯藁亦可見矣。人之四柱五行休旺、生死之理,在乎悟理窮幽,達微通變,以盡其妙。

行運が五行の生旺の地に走り着くことを論ずれば、樹木が春天に遇うがごとく、枝葉舒展し開花結果する景象は想見できる。もし行運が五行の休廃敗絶の地に走り着けば、樹木が秋天に遇うがごとく、衰朽枯槁の様子もまた歴歴として見える。人の四柱五行の休囚旺相・生死消長の道理は、すべて義理を領悟し幽微を窮究し、変化に通達することに在り、これによりその妙処を発揮し尽くすことができる。

其為氣也,將來者進,功成者退。瑩和尚注云:將來者進,迎之以臨官、帝旺。功成者退,背之以休廢、死囚。則福禍凶吉可見也。或曰:生逢休敗,早歲孤貧;老遇建旺之鄉,臨年偃蹇。瑩和尚注云:身須逐運,必假運而資身,勢須及時,亦假時而成勢。生逢旺歲,運須處於旺鄉,晚遇衰年,運恰宜於困地。(並珞錄子)

経文にいう:運もまた一股の気で、将に来たらんとする者は便ち前進し、功業すでに成った者は便ち退去する。瑩和尚の注の解釈:将来者進とは、臨官・帝旺のこれら方興の地に向かい迎えること。功成者退とは、休・廃・死・囚のこれら已尽の地を背き離れること。こうすれば、禍福吉凶は便ち見える。経文にまたいう:ある人が言うに、出生時に行運が便ち休敗に逢えば、早年は孤苦貧寒である。老いてはじめて建禄帝旺の郷に遇い、晩年に臨んでかえって困頓して行き難い。瑩和尚の注の解釈:身は運に随って転ずるを要し、必ず運を借りて自身を資養しなければならない。勢いは時を趁って起こるを要し、また時を借りて気勢を成就しなければならない。旺年に生まれれば、運はまさに旺郷に処すべきである。晩年に衰年に遇えば、運はかえって困地に落ちるを宜とし、はじめて相称する。以上はともに《珞琭子》に見える。

老幼慎勿坐強,壯實惟宜趨旺。生旺雖吉,而未必吉,衰滅雖凶,而未必凶,達此者始可論運。蓋人自生至老,必從微以至少壯,十歲二十歲方當少年之時,惟可行胞胎、養、生、沐浴、冠帶處,三十四十歲當陽強齒壯之時,乃可行旺處,五十六十歲當天癸枯竭,只可行衰限,反此者如老得少年脈,少年得老年脈,非所宜也。

経文にいう:年老いた時と年幼い時はともに小心を要し、過強の地に坐するに宜しからず。身体壮実の年に、はじめて旺気に趨向するに適す。注の解釈:生旺は吉と算定するといえども、必ずしも真に吉ではない。衰滅は凶と算定するといえども、必ずしも真に凶ではない——この一层を懂得する人こそ、行運を談論するに足る。人は出生から年老に至るまで、必ず微弱より漸々少壮に至るからである。十歳二十歳はまさに少年に当たり、ただ胞胎・養・長生・沐浴・冠帯のこれら数歩を行くに宜しい。三十四十歳は陽気強盛にして歯牙堅壮、はじめて帝旺の地を行くことができる。五十六十歳は精血枯竭し、ただ衰弱の限を行くべきのみ。もしこれに反すれば、老年人が少年の脈を診出し、少年人が老年の脈を診出するがごとく、いずれも合宜でない。

若值一生運背,三限驅馳,直饒晚入旺鄉,已非符葉。凡人初中之限,合行生旺,而不生旺,晚老之年,合行衰絕,而不衰絕,乃為運背,此等人三限最為驅馳連蹇也。(並壺中子)

経文にいう:もし一生運勢が相背するに逢えば、初・中・末の三限ともに奔波して停まらず、たとえ晩年に至って旺郷に走り入っても、すでに時機と相符合しない久しい。注の解釈:およそ人の初限・中限はもとより生旺を行くべきが、偏偏として生旺せず、晩年老境はもとより衰絶を行くべきが、偏偏として衰絶せず、これを「運背」という。この種の人は三限の中で最も奔波労碌し、接連して蹭蹬する。以上はともに《壺中子》に見える。

年雖逢於冠帶,尚有餘災。初入衰年,尤披尠福。王氏注云:年運或初離沐浴暴敗之地,而順行才至冠帶之上,未可便以為福。蓋尚有衰敗之餘災也。或自旺之地而行,初至衰鄉,亦不可便以為禍,蓋尤披旺鄉之尠福也。所以行運有前後五行之說,蓋由此耶。(珞錄子)

経文にいう:年運はたとえ冠帯に行き着いても、なお前の一歩の余災を帯びている。ようやく衰年に踏み入っても、なお上の一歩の残った少许の福気を披いている。王氏の注の解釈:年運がもし剛剛沐浴暴敗の地を離れ、順行してようやく冠帯の上に到ったなら、すぐに福と見なしてはならない。衰敗の余災がまだ散り尽くしていないからである。もし帝旺の地から行き来たり、剛剛衰郷に踏み入ったなら、すぐに禍と見なしてはならない。なお旺郷の遺留した一点の福気を披いているからである。ゆえに行運を論ずるに「前五行・後五行」の説法がある。道理はまさにここに出る。この説は《珞琭子》に見える。

將徹不徹,寧有久否之殃;欲交不交,尚有幾殘之福。運在衰絕處,將入吉慶之地者,必於臨離之時,更有重撓。運在吉慶之地,將入衰絕之處,必於初入時,更有重福也。(壺中子)

経文にいう:将に過ぎ去らんとして未だ過ぎ尽くさざる者、どうして長く閉塞の災殃があらん。将に交接せんとして未だ交わらざる者、なお幾分か残余の福気を留めている。注の解釈:運がまさに衰絶の処にあり、将に吉慶の地に進入せんとする人は、必ず衰絶を離れんとするその時間に、さらに一重の折磨を受ける。運がまさに吉慶の地にあり、将に衰絶の処に進入せんとする人は、必ず剛剛衰絶に踏み入ったときに、なお一重の福気を享くることができる。この説は《壺中子》に出る。

陰男陽女,時觀出入之年。陰女陽男更看元辰之歲。王氏注云:男,陽也。或稟五行之陰而生,則謂之陰男。女,陰也。或稟五行之陽而生,則謂之陽女。陰男陽女稟氣不順,故大運歷過去節,不順者,時觀出運入運之年而有吉凶之變。順者雖不以出入之年為應,亦不可與元辰之厄會。(珞錄子)

経文にいう:陰男と陽女は、時々出運・入運のあの二年を留意しなければならない。陰女と陽男は、さらに「元辰」の当値する年を見なければならない。王氏の注の解釈:男はもとより陽に属し、もし五行の陰気を禀受して生まれれば、これを陰男という。女はもとより陰に属し、もし五行の陽気を禀受して生まれれば、これを陽女という。陰男陽女は禀気が順ならず、ゆえに大運は逆に過去の節気を数える。すでに順ならざれば、時々換運出入のあの二年を留意しなければならず、その間は吉凶の変動が多い。順行の人については、出運入運の年をもって応験としないとはいえ、それを元辰の厄難と撞き合わせてもならない。この説は《珞琭子》に見える。

三命指掌云:凡陽男陽女,至交運時,主有災滯。陽男陰女,大小運行年之元辰,亦為厄會。元辰犯運,仲尼困陳蔡之飢。行年二運遇元辰,災禍併至。故譬夫子之厄陳蔡。(壺中子)

《三命指掌》にいう:およそ陽男と陽女は、大運を交換するときに至り、皆災厄滞碍あることを主る。陽男陰女が大運・小運と流年の上で元辰に碰到するも、同じく厄難聚会の時である。経文にいう:元辰が行運を冲犯するは、孔子が当年陳国・蔡国の間に困われて糧を絶たれたがごとし。注の解釈:流年と大小二運が一齐に元辰に遇えば、災禍は併せて到来する。ゆえに孔夫子が陳蔡に受困したことを取って比方とする。この説は《壺中子》に出る。

凡大運至本命宮,五行生旺,支干和祿馬、貴人、食神相生有益處,為吉泰之運。亦不能常為福,須候太歲行年,又看五行生旺,支干和合福神之地,方可發福。大運至吉鄉,卻遇逐年太歲小運到刑害之鄉,亦主細累浮災,但不為重害也。凡大運至本命宮,五行死絕,支干刊沖六害,一切凶殺者,為屯蹇,凶禍之運,遇逐年太歲又見刑沖,小運不和,死絕帶殺者,方可發禍,其小運與太歲到生旺、祿馬、貴人一切吉神者,其年卻主有小喜,遂快事。但歲神過宮,福如故也。

およそ大運が本命宮に走り着き、五行が生旺に処し、干支がまた禄馬・貴人・食神と相生して有益なれば、これが吉泰の運である。しかしそれもまた一直に福を為すことはできず、さらに太歳と流年の配合を待たねばならず、同じく五行が生旺するか、干支が福神と和合するかを見て、あの年こそ真に福を発することができる。大運は吉郷に到ったといえども、当年の太歳と小運が刑害の地に走り入るに碰上すれば、また瑣碎拖累と浮浅の災を主るが、ただ重害と算定しない。これに反して、およそ大運が本命宮に走り着いて五行が死絶し、干支がまた刑冲六害で種種の凶煞を聚めれば、これが屯難蹇滞の凶禍の運である。さらに当年の太歳も来たり刑冲し、小運不和で、死絶の中に煞を帯びれば、あの年こそ真に禍を発する。もし小運と太歳が生旺・禄馬・貴人のこれら吉神の上に走り着けば、あの年はかえって小喜慶あり、称心の事あり。ただ太歳が宮を過ぎた後は、もとの禍福はなお旧に照らすのみ。

凡大運到長生之地,主多有創建從新之事。凡大運到臨官地旺之地,主人盛旺快樂,發權進財,生子骨肉之慶,一運中亨通也。凡大運到衰病之鄉,一運中多退、破財、疾敗事。凡大運到死絕鄉,一運中,骨肉死喪,自身衰禍、鈍悶、百事蹇塞也。凡大運到五行敗鄉,主人落魄懶惰,酒色荒迷。大運到胎庫成形冠帶之鄉,一運中百事得中,安康平易也。

およそ大運が長生の地に走り着けば、多く新局を開創し、従頭より建立する事あり。臨官・帝旺の地に走り着けば、人は便ち興盛快楽し、権を掌り財を進め、丁を添え子を生じ、骨肉に慶あり、この十年は一路亨通する。衰・病の郷に走り着けば、この十年は多く退步・破財と疾病敗落の事あり。死・絶の郷に走り着けば、この十年は骨肉に喪亡あり、自身もまた衰病して禍に遭い、遅鈍煩悶して百事阻塞する。五行の沐浴敗地に走り着けば、人は落魄懶散し、酒色に沉迷する。胎・庫・成形と冠帯の郷に走り着けば、この十年は百事皆平平適中で、安康平順である。

凡推命之禍福,須先度量基地厚薄,然後定災福。運氣譬之船也,命譬之水,隨其水之廣狹深淺,發得船之力也。凡命有八分福神,行三四分惡運,都不覺其凶,福力厚故也。若五六分惡運,只浮災細累而已。至七分惡運,方有重災。凡五分福命,行三四分惡運,為凶甚切。若四五分惡運,則須死,蓋基地不牢固也。凡命中五行衰者,運宜盛。(寸珠尺璧云:凡衰處行運到旺處脫)

およそ命の中の禍福を推断するには、必ずまず根基の厚薄を掂量し、それから災福を定めなければならない。運気は譬えば船、命は譬えば水で、水面がどれほど寛く水位がどれほど深いかが、はじめてこの船がどれほど大きな力を使えるかを決定する。およそ命の中に八分の福神ある人は、三四分の悪運を行っても、根本的に凶を覚えず、福力が深厚であるからである。五六分の悪運に碰上しても、ただ浮浅の災厄と瑣碎の拖累に過ぎない。七分の悪運に至って、はじめて重災あり。もし五分の福気のみの命ならば、三四分の悪運を行けば凶は十分に切身となり、四五分の悪運に碰上すれば、死せざるを得ない。根基がもとより牢固でないからである。およそ命の中の五行が衰弱の者は、行運は盛地に走るに宜しい。《寸珠尺璧》にいう:およそ命衰の人が行運して旺処に到れば、はじめて解脱を得ることができる。

五行盛者,運宜衰,衰者復行衰運,是謂不及。五行不及,則遁塞沉滯。五行盛而復行盛運,是謂太過。過則【擊】作成敗也。凡大運行十二宮,曾歷過本命長生處者,謂之氣盛之運,雖歲運來沖剋者,為禍不重,蓋運氣強故也。如大運未經長生,而歲運刑沖剋破則便為災,蓋氣未備,運弱故也。凡大運曾過旺相,而逢死絕者,為災輕,蓋陰陽五行代謝之順道也。縱死於此,亦須令病而終。若方經長生,歷於敗地,其中有刑剋惡殺與命相符而見者,則五行之氣反戰,故為凶惡而終也。(並燭神經)

五行にもとより旺盛の者は、行運は衰地に走るべきである。もとより衰弱の者がかえって再び衰運を行くは、これを「不及」といい、五行不及なれば閉塞沈滞する。五行にもとより旺盛の者がかえって再び盛運を行くは、これを「太過」といい、太過なれば撞击冲突して成敗起伏を造成する。およそ大運が十二宮を行経するに、もしすでに本命の長生の処を走り過ぎれば、これを気盛の運といい、たとえ流年と運が来たり冲剋しても、禍を為すこと重ならず、運気そのものが強健であるからである。これに反して、大運がまだ長生を経過せず、歳運の刑冲剋破に遇えば、それは災と成る。気がまだ養足せず運がなお弱いからである。およそ大運がかつて旺相の地を走り過ぎて、随後して死絶に逢う者は、災禍は較輕である。これは陰陽五行の新陳代謝の正常な次序であるからである。たとえこの一歩に死すとも、患病して善終するに過ぎない。もし剛剛長生を経過して敗地に跌入し、その中にまた刑剋悪煞が命局と相応して顕現あれば、それは五行の気が反って交戦するもので、ゆえに凶悪にして終るを要す。以上はともに《燭神経》に見える。

凡命有氣象,常取生時干神為氣,如甲時己時則土氣也,乙庚金、丙辛水之類取之也。行運至氣象得地處吉,不得地處凶,庚辛、壬癸、乙庚、丙辛為金水象,運至申酉丑上得地。庚辛、戊己、甲己、乙庚為金土象,運至申酉辰上得地。庚辛、丙丁、乙庚、戊癸為金火象,運至巳午戌上得地。庚辛、甲乙、乙庚、丁壬為金木象,運至丑寅卯上得地。甲乙、壬癸、丁壬、丙辛為水木象,運至亥子辰上得地。

およそ命は皆その「気象」あり、通常は生時の天干の神を取って気とする。たとえば日干が甲で時干が己ならば、甲己合化して土となり、すなわち土気である。乙と庚は合化して金、丙と辛は合化して水、皆この方法に照らして取る。行運が気象の地を得る処に走り着けば吉、地を得ざる処に走り着けば凶。庚辛・壬癸が乙庚・丙辛の化気を併せ、金水の象を合成し、運が申・酉・丑の上に走り着けば地を得る。庚辛・戊己が甲己・乙庚の化気を併せ、金土の象を合成し、運が申・酉・辰の上に走り着けば地を得る。庚辛・丙丁が乙庚・戊癸の化気を併せ、金火の象を合成し、運が巳・午・戌の上に走り着けば地を得る。庚辛・甲乙が乙庚・丁壬の化気を併せ、金木の象を合成し、運が丑・寅・卯の上に走り着けば地を得る。甲乙・壬癸が丁壬・丙辛の化気を併せ、水木の象を合成し、運が亥・子・辰の上に走り着けば地を得る。

丙丁、甲乙、戊癸、丁壬為火木象,運至寅卯未上得地。戊己、壬癸、甲己、丙辛為水土象,運至辰上得地。戊己、丙丁、戊癸、甲己為火土象,運至戌上得地。戊己、甲乙、甲己、丁壬為土木象,運至未上得地。戊己、庚辛、乙庚、甲己為金土象,運至丑上得地。

丙丁・甲乙が戊癸・丁壬の化気を併せ、火木の象を合成し、運が寅・卯・未の上に走り着けば地を得る。戊己・壬癸が甲己・丙辛の化気を併せ、水土の象を合成し、運が辰の上に走り着けば地を得る。戊己・丙丁が戊癸・甲己の化気を併せ、火土の象を合成し、運が戌の上に走り着けば地を得る。戊己・甲乙が甲己・丁壬の化気を併せ、土木の象を合成し、運が未の上に走り着けば地を得る。戊己・庚辛が乙庚・甲己の化気を併せ、別に一種の金土の象を成し、運が丑の上に走り着けば地を得る。

看四柱干神得何象,如純金木水火土,亦為五象。若雜而不入象者,不發,發亦不久。如五純象,亦有太過之象,仍詳當生月令,得地不得地,然後看行運得地不得地,而言發跡,不可以遇祿、馬、貴人為得運,遇空亡、羊刃、劫亡為失運也。

四柱の天干がいずれの象を合成するかを見なければならない。もし清一色に金か、木か、水か、火か、土ならば、それもまた各々一象を成し、あわせて五種の純象である。もし駁雑にしていずれの象にも入れない者は、発起することができず、たとえ発しても長久ならず。五種の純象については、その中にも太過に失する者あり、なお出生月令が地を得るか得ざるかを詳審し、それから行運が地を得るか得ざるかを見て、これに拠って発迹を談ずる。決して一見して禄神・駅馬・貴人あればすなわち運を得たといい、一見して空亡・羊刃・劫煞亡神あればすなわち運を失ったというべからず。

凡大運以月上起運源,卻不可以年月參較災福,蓋有同年同月同日而時不同者,災福逈別故也。但以生時支干納音休旺及神殺斷之,無不駭也。又以月參初限,日參中限,時參末限,月則主源,不可沖破。凡行運且要源發處穩實,終耐患難,富貴可以安享,如發源在時,年空沖死敗之地,縱處富貴,終不穩實,易成易敗也。更以逐宮消息,最忌太歲小運沖擊,如根基有此,災福至本宮,其災福立應,在年內三合月,並太歲輦路月分之上。

およそ大運は月柱より運を起出する源頭であるが、ただ年・月のみをもって灾福を比較することはできない。同年同月同日に生まれて時辰の異なる人は、灾福の相差が極めて遠いからである。生時の干支納音の休か旺かを用い、さらに神煞を合わせて断ずれば、応験せずして驚くべきことなし。また月柱をもって初限を参断し、日柱をもって中限を参断し、時柱をもって末限を参断する。月柱は運の源頭で、殊に冲破されるべからず。およそ行運はまず発源の処が穏固扎实することを要し、こうすれば終に患難に経得起すことができ、富貴もまた安らかに享用できる。もし発源が時柱に落ち、しかも年柱がまた空亡・冲动し死敗の地に落ちれば、たとえ身は富貴に処すとも、終に穩ならず、成りやすくまた敗れやすい。さらに宮を逐って消息を推すに、最も忌むべきは太歳と小運が来たり冲击すること。根基の上にこの類の毛病あれば、災福が本宮に行き着くを待って、便ち応験す。応期は多く当年の三合の月、および太歳の経行するあの数箇の月份の上にある。

凡行運至夾貴、華蓋、貴人、六合上,及乘生旺氣者,皆主喜慶,仍須察當生根基,十分則應五分,生時五分則應十分,福與災同。凡行運至臨宮帝旺上,太歲持之,官員主薦章改秩之喜,官印食神亦然,馬旺貴人之地,必入參侍之列,蓋貴為君道,馬主遷動故也。凡子丑寅卯辰巳四柱陽多人,行運至午未申酉戌亥上乘陰氣而發。午未申酉戌亥多人,行子丑寅卯辰巳運發,名利乘陽氣而發也。二者陰陽均協,然陰人陽發者快。

およそ行運が夾貴・「華蓋」・貴人・六合の上に走り着き、また生旺の気に乗ずる者は、皆喜慶を主る。ただしなお出生時の根基を察看しなければならない。根基が十分足る者は、運が来てもただ五分に応ず。生時の根基が五分のみの者は、運が来れば十分に反応す。福はこのようであり、災もまたこのようである。およそ行運が臨官・帝旺の上に走り着き、太歳がまた扶持すれば、官を為す者は荐挙昇遷・官階改換の喜あることを主り、官星・印綬・食神を帯びるも同じ。駅馬旺盛と貴人の所在する地に走り着けば、必ず侍従近臣の列に進入す。貴は君王の道を象徴し、馬は遷転調動を主るからである。およそ四柱地支に子丑寅卯辰巳の類の陽支の多い人は、行運して午未申酉戌亥に到り、陰気に乗じて発す。午未申酉戌亥の多い人は、子丑寅卯辰巳の運を行き、名利は便ち陽気に乗じて発す。両者ともに陰陽の均衡協調を取るが、ただ陰に属する人は陽運に頼って発り起こるのが更に速い。

凡水命四柱有土,至火運本是財運,卻反為鬼者,以火生土,土克水,是財化為鬼,轉福成禍也。水命四柱有金,至土運是鬼運卻反為吉者,以土生金,金生水,是化鬼為助氣,反為福也。五行俱以此為例。

およそ水命にして四柱の中に土ある人は、火運に行き着けば、火はもとより水の剋する財であるが、かえって鬼煞に変ずる。これは火が土を生じに行き、土がまた回頭して水を剋するためで、財が鬼に化成したに等しく、福は便ち禍に転ずる。これに反して、水命にして四柱の中に金ある人は、土運に行き着けば、土はもとより水を剋する鬼運であるが、かえって吉に転ずる。これは土が金を生じに行き、金がまた転じ来たりて水を生ずるためで、鬼を助力の気に化成したに等しく、かえって福と成る。五行は皆この例に照らして推す。

凡水命人有寅午戌,或納音火,更行寅午戌運,皆為好運,五行準此推之。凡水命四柱,有金,有火,固是為福,若行水運,則分擘其福,即為不好之運,他準此。凡水命四柱,多土,卻行木運,然則有救,多主辛苦,歇滅,名曰損氣,謂之駁雜,他皆彷此。

およそ水命の人で四柱に寅午戌の火局あり、あるいは納音が火に属し、さらに寅午戌の運を行けば、皆好運と算定す。財がその地を得るからである。其余の五行はこれに照らして類推す。およそ水命で四柱の中にすでに金ありまた火あるは、もとより福であるが、もしさらに水運を行けば、この福分を分け去り、かえって不好の運と成る。其余はこれに照らして類推す。およそ水命で四柱の土の多い者が、かえって木運を行けば、木は土を剋することができるとはいえ、救ありというも、多くは辛苦労碌・時に興り時に滅することを主る。これを「損気」といい、すなわちいわゆる駁雑不純で、其余は皆この道理に彷倣う。

凡丁丑人行丁未運,名曰將凡入聖,以假為真,不以退神論。四柱有丁丑丁未者,不在此限。凡甲申人行丙寅運,名曰力停,相沖主破財爭競、屈伸不辨。丙戌人行辛卯運,主鈍滯,只宜武人。丙子人行壬寅運,壬入寅家,破其財,不好也。戊寅人行丁丑運,雖是退神,卻有濟化為福。庚辰人或庚辰月,行乙酉運,乙酉人或乙酉月行庚辰運,名曰鴛鴦刃,大好,須發跡。但重迭者,不佳。乙庚辰酉年月日時者,大凶。

およそ丁丑年生まれの人が丁未運を行くは、これを「将凡入聖」といい、仮のものを真に変えることができ、退神には論じない。四柱の中にもとより丁丑・丁未の両柱ある者は、この例に在らず。およそ甲申年生まれの人が丙寅運を行くは、これを「力停」といい、寅申相冲して、破財争訟・進退両難を主る。丙戌年生まれの人が辛卯運を行くは、遅鈍滞塞を主り、ただ武を習う人に宜しいのみ。丙子年生まれの人が壬寅運を行くは、壬水が寅木の家に闖入し、その財を破り、好からず。戊寅年生まれの人が丁丑運を行くは、退神に属するといえども、別に調済転化あって福と成る。庚辰年生まれの人あるいは庚辰月に生まれ、乙酉運を行き、乙酉年生まれの人あるいは乙酉月に生まれ、庚辰運を行くは、これを「鴛鴦刃」といい、大いに吉利で、必ず発迹す。ただし重複迭見すれば、かえって佳ならず。もし乙・庚・辰・酉が年・月・日・時の四柱の上に斉集すれば、則ち大凶である。

凡行運有逆行換甲入癸者,有順行換癸入甲者,名曰換甲運。古語云:傷寒換陽,行運換甲,換得過是人,換不過是鬼。老人大忌之,後生差慢。(並廣信集)

およそ行運に逆行して甲より癸に換入する者有り、順行して癸より甲に換入する者有り、皆これを「換甲運」という。古語にいう:傷寒病に害るには換陽のこの一関を過ぎるを要し、大運を行くには換甲のこの一関を過ぎるを要す。換え過ぐる者はなお人、換え過ぎざる者は便ち鬼と成る。老年人は最もそれを忌諱し、年軽人の受害は稍々軽し。以上はともに《広信集》に見える。

運到換甲為災運,皆以生年太歲納音推之,生金畏死火,生火畏死水,生水畏死土,生土畏死木,生木畏死金,經歷長生,謂之生實。在死墓謂之死假。如納音是木,木為身,運過癸亥長生處,交到甲子金,是換甲逢死鬼也。謂金死在子,墓在丑,故一金皆為死鬼也,其人必死。餘準此。若命合貴而未貴,合有厚祿而未受,幼年或少年經換甲者,可以過也。只多病患孝服。(三命提要)

運が換甲の処に走り着けば便ち災運と成り、皆生年太歳の納音をもって推す。活金は死火を怕れ、活火は死水を怕れ、活水は死土を怕れ、活土は死木を怕れ、活木は死金を怕る。およそ長生の地を経過した者を「生実」といい、死地墓地に停まる者を「死仮」という。たとえば本命の納音が木に属し、木をもって身とし、大運が癸亥という木の長生の処を経過して甲子に交換すれば、甲子の納音は金に属し、これが換甲して死鬼に遇うこと——金は子に死し丑に墓するゆえ、この一路の金は皆死鬼と算定し、この人は必ず死す。其余はこれに照らして類推す。もし命は貴なるべきがまだ顕貴せず、厚禄を享くべきがまだ禄を受けず、あるいは幼年・少年の時に換甲を経過すれば、それはなお熬り過ぐることができ、ただ病痛と孝服の事多きのみ。この説は《三命提要》に出る。

凡換甲者,謂六甲旬中,至換甲處,被納音所克,換甲無氣也。假令甲子金人,二月建丁卯,是金胎處生,男命順行,大運經巳為金長生,此人大運到酉戌即死,緣甲子至癸酉,是十干氣止處,換得甲午納音屬火,到酉為死,到戌為墓,所謂生金畏死火,此為換甲無氣也。

いわゆる換甲とは、六甲一旬の中において、換甲のあの一歩に行き着き、また納音に剋され、ここに換甲の処に毫も生気なし。例を挙げて言えば、甲子年生まれの人は納音が金に属し、二月の月建は丁卯で、まさに金の胎地にして生を受く。男命順行すれば、大運は巳位を経過し、あれは金の長生の地である。この人の大運が酉・戌に走り着けば便ち死を要す。甲子より数えて癸酉に至るは、まさに十干の気の終止する処で、続いて甲午に換入す。甲午の納音は火に属し、火は酉に到りて死、戌に到りて墓、まさに「活金は死火を怕る」のあの句に応え、これが換甲にして気なしである。

凡納音不經長生至換甲處,納音不在死墓,即不為換甲也。假令丁卯人,正月中氣日生,作五歲氣運算,正月建壬寅,男命逆行即平生不換甲也。緣逆行過去之月,謂五歲以前在壬寅,七十五歲大運方到甲午,納音已屬金,故不為換甲也。換甲所畏者,謂生金畏死火,生火畏死水,生水畏死土,生土畏死木,生木畏死金,生金生火,生火旺生水,生水旺生土,生土旺生木,生木旺生金。凡五行曾經歷長生處,即為之生,五行在死墓處,即謂之死。(三命鈐)

これに反して、もし納音がまだ長生を経過せずして換甲の処に走り着き、しかもこの一歩の納音もまた死地墓地に在らざれば、それは換甲と算定しない。例を挙げて言えば、丁卯年生まれの人が正月中気のあの日に生まれ、五歳起運により計算すれば、正月の月建は壬寅、男命逆行すれば、それは一生換甲に碰上しない。逆行は過去の月份に向かって数えるゆえ、五歳以前は壬寅に在り、一直に七十五歳に至るまで大運ははじめて甲午に走り着き、あの時の納音はすでに金に属するゆえ、換甲と算定しない。換甲の怕るる所は、すなわち活金は死火を怕れ、活火は死水を怕れ、活水は死土を怕れ、活土は死木を怕れ、活木は死金を怕る。しかして活金は火を生ずることができ、活火旺は水を生ずることができ、活水旺は土を生ずることができ、活土旺は木を生ずることができ、活木旺は金を生ずることができる。およそ五行がかつて長生の処を走り過ぎた者を「生」といい、死地墓地に停まる者を「死」という。この説は《三命鈐》に出る。

大運到換甲宮,看祿馬旺,三財有氣者,不必懷疑,若祿三才見死夾魁罡,或太歲正臨或對照或居刑害位上者,其人灼然殂矣。(金書命訣)

大運が換甲の宮に走り着けば、まず禄神と駅馬が旺なるか否か、三処の財星に気あるか否かを見る。もし皆気あれば、疑慮するに及ばず。倘若禄と禄・命・身の三才が死地に落ち、また「魁罡」に挟まれ、あるいは太歳がまさにその上に圧し、あるいは対宮より照し来たり、あるいは刑害の位に落ちれば、あの人は明らかに死せんとする。この説は《金書命訣》に出る。

凡行運有見空亡而發者,蓋水流溼、火就燥之道也。每見甲申、丁酉、壬辰、癸巳人於午未運上,大獲財。丙子人於丙申、丁酉運亦然。如癸巳人,行庚申運,乃望空運也。十有九發,大宜醫卜九流之人,白手起家,卻欲出時,忌見併死,是不得到實地也。金水火人同土木不佳。又云:行運在空亡中,欲出未出之時,忌見太歲(刑沖併害),九死一生,見惡殺亦然。火命尤緊。(廣信集)

行運にもまた空亡を見てかえって発達する者有り、これはすなわち水は湿処に流れ、火は乾処に焼く、各々その類に従うの道理である。常に甲申・丁酉・壬辰・癸巳のこれら数種の人が午運・未運の上で大いに銭財を獲るを見、丙子年生まれの人の丙申・丁酉運の上もまたこのごとし。またたとえば癸巳年生まれの人が庚申運を行く、あれを「望空運」といい、十個の中に九個は発を要し、殊に行医・占卜等の九流の人が白手起家するに宜しい。ただ将に空亡を走出せんとするとき、最も死気との重併を見るを忌み、それは実地に落ち着かない。金命・水命・火命の人と土命・木命の人は同論すれば佳ならず。書中にまたいう:行運まさに空亡の中に在り、将に出でんとして未だ出でざるの際、太歳の前に来たりて刑・冲・併・害するを見るを忌み、それは九死一生である。悪煞を見るもまた同じく、火命の人は殊に吃緊である。この説は《広信集》に出る。

運到空亡上者,蓋陽運先到陽空亡,陰運先到陰空亡,假如陽運順行到陽空亡上,逢祿馬貴神同位者,卻為亨運使也。不逢祿馬貴神者,為災運。在本祿上建庫,華蓋之位,有災有福。在四忌位上有災。若運上帶祿鬼,或下帶身鬼,決有喪服哭泣,或主責罰停替之災,或運上有二鬼,雖在貴位上,亦有喪服哭泣之災。

運が空亡の上に走り着くに、おおむね陽運は先に陽空亡に碰到し、陰運は先に陰空亡に碰到す。假如陽運順行して陽空亡の上に走り着き、また禄神・駅馬・貴神の同一位に逢えば、かえって亨通の運である。もし禄馬貴神に逢わざれば、それは災運である。空亡がもし本禄の上に落ち、あるいは建庫と華蓋の位に落ちれば、災ありまた福あり。もし四忌の位に落ちれば、災あり。倘若運の上頭に禄を剋する鬼を帯び、あるいは下頭に身を剋する鬼を帯びれば、必ず喪服哭泣の事あり、あるいは責罰を受け停職替換の災を主る。あるいは運の上に两重の鬼を聚めば、たとえ身は貴位に在るとも、照様に喪服哭泣の災あり。

若交到陰空亡,如祿與身漸向亨,則災輕。若在本祿貴位,又帶正官正印正天乙者,便為好運。若是在四忌上帶正官、正印、正天乙者,先凶而後吉。假如陰運逆行,先到陰空亡,逢祿馬貴神者,卻為好運,使不逢祿馬貴神,卻為災運。在於本祿貴位之上,則災輕。在四忌上則災重,若運上帶祿貴,下帶身鬼,決有喪服器泣或責罰停替之災。若上下有鬼,雖在貴位上,亦有喪服哭泣之災。

もし続いて陰空亡に交入し、しかして禄と身がまさに漸々亨通に転じ向かえば、あの災は便ち軽し。もし空亡が本禄と貴人の位に落ち、また正官・正印・正天乙を帯びれば、便ち好運と成る。もし四忌の上に落ちてしかも正官・正印・正天乙を帯びれば、則ち先に凶にして後に吉。これに反して、陰運逆行して先に陰空亡に碰到し、禄馬貴神に逢上すれば便ち好運、禄馬貴神に逢わざれば便ち災運。本禄貴位の上に落ちれば災は便ち軽し、四忌の上に落ちれば災は便ち重し。倘若運の上頭に禄と貴を帯び、下頭にかえって身を剋する鬼を帯びれば、必ず喪服哭泣あり、あるいは責罰を受け・停職替換の災あり。もし上下ともに鬼あれば、たとえ身は貴位に在るとも、照様に喪服哭泣の災あり。

若到陽空亡,祿與身漸向榮,則災輕。若在本祿貴位上,又帶正官、正印、正天乙者,即為好運,若在四忌上帶正官、正印、正天乙者,先吉而後凶。大抵運到陰陽二空亡,便值身祿、忌神或是克身祿或兩凶殺在運下,此人必死,又大凡空亡運祿馬運合上命合貴者,到此上當進職也。(三命提要)

もし続いて陽空亡に交到し、しかして禄と身がまさに漸々栄顕に転じ向かえば、災もまた軽し。もし本禄貴位の上に落ち、また正官・正印・正天乙を帯びれば、便ち好運。もし四忌の上に落ちてしかも正官・正印・正天乙を帯びれば、則ち先に吉にして後に凶。大体に言えば、運が陰陽两重の空亡に走り着き、恰好また身と禄の忌神に撞上し、あるいは身を剋し禄を剋する物あり、あるいは两重の凶煞が運の下に圧しあれば、この人は必ず死す。ただし大凡空亡の運・禄馬の運は、もしまさに本命と相合し、貴神と相合する人ならば、ここに走り着いてかえって昇官進職すべきである。この説は《三命提要》に出る。

凡甲申人行運至己亥上,多不好,官員多退閒,庶人失財,蓋是陰陽窮變之地。如小雪後眾鳥成群,以雜雌雄,小滿後【?】麂相溷,不識子母,此理不可不詳。凡行運至命後一辰,名破宅殺,主破財散失人口事。凡行運在生旺之地,怕見刑中有克戰,如此者或死。凡大運到祿馬死敗及財命死敗之地,被太歲刑沖併迭,功忌見天鬼、截路殺,定主哭聲。(並廣信集)

およそ甲申年生まれの人が行運して己亥に到るは、多くは好からず。官を為す者は常に罷黜閑置され、百姓は則ち破財を要す。あれは陰陽窮尽転変の地であるからである。小雪の後に群鳥は群を成し、雌雄混雑して辨え難きがごとく。小満の後に麂鹿あい混じり、母子をも認め出でざるがごとく——この一层の道理は詳察せざるべからず。およそ行運が本命の後一位に走り着くを「破宅殺」といい、破財と人口失散の事を主る。およそ行運は生旺の地に在るといえども、また刑の中に剋戦を挟むを怕れ、この種の情形に遇えば時に死する有り。およそ大運が禄馬の死敗の地および財と命の死敗の地に走り着き、また太歳に刑冲重併され、殊に天鬼と截路殺を見るを忌諱し、それは必ず哭声あるを要す。以上はともに《広信集》に見える。

時運逢馬,吉凶馬上,一吉呼而諸吉會,一凶馳而眾凶符。運到馬上,即看馬上吉凶,馬主動,必須細取三元四柱而論,不可獨以馬為吉,而不言凶也。趙氏新注,珞琭子云:運至祿馬為福,若帶刑剋亦能為災。

経文にいう:時と運が駅馬に遇えば、吉凶は便ち皆この匹の馬に係る。一つの吉神が一召喚すれば、衆吉は便ち聚まり会して来る。一つの凶煞が一奔馳すれば、衆凶もまた声に応えて相随う。注の解釈:運が駅馬の上に走り着けば、駅馬そのものの吉凶を見なければならない。馬は変動を主り、必ず細々と三元と四柱を参酌して論じ、ただ馬を吉として口を閉じて凶を談ぜざるべからず。趙氏は《珞琭子》新注の中にいう:運行して禄馬に到るは福と為す。もし刑剋を帯びれば、同じく災を成すことができる。

運行伏、返,災福各端。伏,守也,逢合則動。返,動也,逢合則靜。先分君子小人之主本,次看運中吉凶通變。趙氏新注,珞琭子云:運至伏吟、返吟為凶,或帶祿馬、食神、三財,亦能為福。

経文にいう:運が「伏吟」と「返吟」に行き着けば、災と福は各々その頭緒あり。注の解釈:伏は静守で、合に遇えば転じて動と為る。返は変動で、合に遇えばかえって静に転ず。まずこの人が君子か小人か、主と本が各々何の位に居るかを分け清め、再び運中の吉凶がいかに通変するかを見る。趙氏は《珞琭子》新注の中にいう:運行して伏吟・返吟に到るはもとより凶と為す。もし禄馬・食神と三処の財星を帯びれば、また転じて福と為ることができる。

【天官殺】

三元到中庸之地,見貴逢合,或只有貴而無合,或有合而無貴,四柱相生,凡得此限,君子將榮,庶人護安,百事吉。

禄・命・身の三元が皆不偏不倚の平和の地に行き着き、既に貴人を見また相合に逢う。あるいは貴人あるのみで相合なく、あるいは相合あるのみで貴人なく、しかして四柱の間がまた彼此相生する。およそこの一限に走り着けば、官を為す者は栄顕を得る将にあり、百姓もまた平安を保つことができ、百事皆吉。

【得勢限】

三元俱到旺相地,四柱相承貴。

禄・命・身の三元が一齐に旺相の地に行き着き、四柱がまた層層相承してあい犯さざれば、この一限は最も勢いを得、貴顕を主る。

【亀蔵限】

祿金入土乾下,命金入土支下,身金入土納音下者,則享暮年之優遊,不利君子,利小人。蓋子弱母勝也。

金をもって禄とする人は、金が土の天干の下に伏す。金をもって命とする人は、金が土の地支の下に伏す。金をもって身とする人は、金が土の納音の下に伏す——烏亀が殻の裏に縮み進み出でず蔵するがごとく、このような人は晩年の悠閑自得を享くることができる。この限は位に在る君子に利あらず、かえって平常小民に利あり。これは子気が衰弱にして母気が偏勝するの故である。

【波浪限】

金人到亥子歲運是也,木人在此大厄,飄泛如舟。

金命の人は流年と大運が亥・子の水地に走り着けば、すなわちこの一限である。木命の人はここにおいて更に大難で、一生漂泊して定まらず、小船が波浪の裏で顛簸するがごとし。

【風雨限】

運到三元衰絕處,氣運小運又為祿鬼,故吉凶來去,迅若風雨。

大運が禄・命・身の三元の衰絶の処に走り着き、しかして当年の気運と小運がまたまさに禄を剋する鬼煞なれば、ゆえに吉凶は来るのも去るのも速く、一陣の風雨のごとく急なり。

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