Libo

第八巻

宋 · 廖中 · 第9巻 / 40

作盤ガイド: 暦注(黄暦), 万年暦

論五行二

夫五行之性,各致其用,水者其性智,火者其性禮,木者其性仁,金者其性義,逮夫土則信而已,重厚寬博,無所不容。以之水,則水附之而行,以之木,則木託之而生。金不得土,則無自出,火不得土,則無自歸,必損實以為通,致虛以為明也。

五行は各々性情あり、また各々其の用処あり――水の性情は智、火の性情は礼、木の性情は仁、金の性情は義。土に至っては、則ちただ一個の信字のみで、それは厚重寛博にして容れざる所なし。土あって、水は初めてそれに附着して流行し得る。土あって、木は初めてそれに依託して生長し得る。金にもし土なければ、産出する由なし。火にもし土なければ、帰蔵する処なし。だから土は総じて自己の実を損去して他人の通暢を成全し、自己の虚を譲出して他人の光明を成全するを要す。

五行之用,多則太過,少則不及,其氣其數,有餘不足,皆能致凶,抑揚歸中,然後為福,功成者貴於退藏也,將來者貴於榮振也。功成者謂五行稟旺氣者也,旺而能止息,是謂退藏,將來者五行在冠帶胎養之地,其氣虧而未盈,故欲子母相生,以益其氣,則有榮進振發之道也。

五行を用いるに、多ければ則ち太過、少なければ則ち不及。気と論ずるも数と論ずるも、余餘あるいは不足は皆凶咎を招来し得る。一抑一揚して中和に帰するを要して、初めて福を成し得べし。すでに功成せるは退身収蔵を貴び、未だ到来せざるは栄発振起を貴ぶ。いわゆる功成とは、五行が旺気を禀受するを指す。旺して極に至りて能く止まりて歇息するを、退蔵という。いわゆる将来とは、五行が冠帯・胎・養のこれらの位置上に処し、気がなお亏欠して満盈せざるを指す。だから子母相生のその気を增益し来るを希望し、こうすれば初めて栄進振発の路子あり。

如水非其時則涓箇(衰則為梗介,死絕則枯藁,故為梗介)金旺太過則動作凶,炎炎者貴乎熄,不息則有自焚之災,滔滔者貴乎止,不止則有自溺之患,夫火行南陸而化熱,盛則災,烈而害物,至酉亥則陰能翕之,然後溫燠。水行北陸而化寒,盛則嚴冷而殺物,至卯巳則陽能闢之,然後能滋生萬物。

例えば水が令に当たらざれば、則ち涓々の細流に残るのみ(衰の時は阻梗を成し、死絶の時は乾枯して槁木のごとく、だから梗介と称す)。金が旺して太過すれば、一挙一動に皆凶を帯ぶ。火焰熊熊たるは能く熄むるを貴び、熄まざれば自焚の災あり。水勢滔滔たるは能く止まるを貴び、止まざれば自溺の患あり。火が南方に行きて熱に化すは、太盛なれば災を成し、猛烈し起れば万物を傷害するを要し、酉・亥の地に到りて陰気の収斂し来るあって、初めて温暖宜人に転ず。水が北方に行きて寒に化すは、太盛なれば厳冷にして万物を殺傷し、卯・巳の地に到りて陽気の開発し来るあって、初めて万物を滋生し得る。

此言水火止熄則和也,陰不得陽則沉陷而不興,陽不得陰則燥進而不復。夫五行之性,大概以胎、生、旺、庫為四貴,死、絕、病、敗為四忌,餘為四平,然有生而不生,旺而不旺者,此為凶乃先吉也,有死而不死,絕而不絕者,此為吉乃先凶也。

これは水と火が能く止息して初めて調和と算えるを説く――陰が陽を得ざれば、沈陥し下りて振作し起る能わず。陽が陰を得ざれば、一味に燥進して回頭を知らず。五行の性情は大体上に胎・生・旺・庫を以て四種の貴位と為し、死・絶・病・敗を以て四種の忌位と為し、残りの四位は不吉不凶にして、平位と算る。ただしその中にもまた看るに長生に似て卻って生と作さず、看るに帝旺に似て卻って旺と作さざる者有り。この種は先吉にして後凶。また看るに死に似て卻って真に死せず、看るに絶に似て卻って真に絶せざる者有り。この種は先凶にして後吉。

如水見戊申土,此生而不生也,水見庚子土,此旺而不旺也,遇此多成而反敗,因喜而反憂,如水見癸卯金,此死而不死也,水見辛巳金,此絕而不絕也,五行氣盡,而得父母之德以生益之,則其氣復生矣。遇之者危中有福,窮而通,屈而伸也。

例を挙げれば、水が戊申土に見えるは、申はもとより水の長生なり、卻って土の来りて克制するに因りて生じ起る能わず。これは生じて生ぜずである。水が庚子土に見えるは、子はもとより水の帝旺なり、卻って土に圧住せられて旺する能わず。これは旺して旺せずである。この両種に遇上すれば、往々にして先に成りて後に敗れ、本来の歓喜がかえって憂愁に転ず。また水が癸卯金に見えるがごときは、卯はもとより水の死地なり、卻って金のそれを生ずるあり、だから死して死せず。水が辛巳金に見えるは、巳はもとより水の絶地なり、同じく金の相生あり、だから絶して絶せず。五行の気はすでに尽きると雖も、卻って父母のあの一行の徳恵を得て生養增益し来らば、気は重新して活き返る。この種の配合に遇上する人は、危険の中にかえって福気あり、窮途も通じ得、屈曲も伸び得べし。

生旺太過,則福中藏禍,死絕太過,則福無可託。若夫死絕逢子,殃變能逃。火土最先,金水尤後,火絕得土,曰睿膚作聖。火以土為子,火絕於亥,而見丁亥是也,又得土則藏性於土者思而致道者也,此絕火為清明覆性之火,見丁亥有氣之土,是謂精思,而所感皆通睿則作聖矣。

生旺が頭を過ぎれば、福裏に禍を蔵す。死絶が頭を過ぎれば、福は寄托する処なし。死絶の地にもし自己の生ずる所の子の一行に遇上し得れば、災殃は躲開し得べし。ここ頭に火と土は応ずること最も速く、金と水は応ずること最も遅し。火が絶地に土を得るを、「睿思作聖」といい、語は《尚書・洪範》の「思は睿と曰く、睿は聖を作す」から出る。火は土を以て子と為し、火は亥に絶し、丁亥に見えれば便是である。土を得れば、火の性情は土裏に蔵し入る。あれは思索に善くして道を悟り得る人である。この種の絶地の火は、すなわち清明にして性を復する火で、丁亥のごとき気あるの土に遇上すれば、すなわち精思と作る。思う所感ずる所は通達せざるなく、睿智極に至れば便ち聖に近づく。

土絕得金而不忌曰壽。土絕在巳,得辛巳金是也,金者赤土也,是土之成器者,但生於土而別於土也,傳氣而成金,雖死而不亡也。金絕,得水精,復繼體。金絕於寅,得甲寅水是也,金有氣也,氣絕於寅水者精也,水至寅卯為精嗇之地,然精嗇則全,精全則神應氣化,而形復於本矣。

土が絶地に金を得るはかえって忌まず、これを寿と作る。土は巳に絶し、辛巳金に見えれば便是である。金は赤色の土に譬え、土が器を成したる後の様子で、土より生じ出すと雖もまた土と別あり。土が気を金に伝えて金を成すから、土は死すと雖も併せて消亡せず。金が絶地に水の精華を得れば、重新して自己の形体を接続し得べし。金は寅に絶し、甲寅水に見えれば便是である。金はもとより気あるなり、気は寅に絶す。しかも水は精で、水が寅・卯に行き到るはまさに精気の収斂節省する所で、精が能く収斂すれば保全を得、精が一たび保全せらるれば、神は便ちこれに応じて気もこれに随って変化し、形体もまた本原に回復する。

水絕,得木魂,復天遊。水絕於巳,得己巳木是也,水者精也,絕則精喪,精喪則神離氣散而形消,可謂凶矣,然木主魂,能從神而往來者謂之魂,得性歸真,隨體離形,同於大道者也。

水が絶地に木の魂を得れば、便ち重新して天地の間に遨遊し得べし。水は巳に絶し、己巳木に見えれば便是である。水は精で、精絶はすなわち精気の喪失である。精が一たび喪失せらるれば、神は則ち離散し気は則ち消散し、形体もまたこれに随って消亡す。これはもとより凶象である。しかるに木は魂を主り、能く神に跟い随って往来出入するを魂という。それを得れば便ち本性に返帰し、形体の消解に随いて形体の限る所を受けず、大道と合して一を為す。

木絕得火,火出木燼,灰飛煙滅,故獨為凶,蛇馬無膽於焉是證。木絕於申,得丙申火是也,蓋木滋火水土之性,假合而生,脈絕而枯藁,則還水也,灼之而為火,則還火也,腐之而為土,則還土也,亡形失性,故獨為凶,蛇馬者位在巳午,木歷巳午而死,木者於臟屬肝,於腑屬膽,故蛇馬無膽,證木死為凶也。(燭神經)

ただ木が絶地に火を得るは行えず――火が一たび冒出すれば木は灰烬に焼成され、灰飛煙滅す。だから単にこの一種のみ凶と為す。「蛇馬無胆」の説法はまさにその証拠である。木は申に絶し、丙申火に見えれば便是である。木はもとより火・水・土の数種の性質に頼りて假合して生ぜられたるなり。脈気が一たび絶して乾枯すれば、則ち水に還原す。火を以て一たび焼けば、則ち火に還原す。それを腐爛して泥と為さしめば、則ち土に還原す。形体沒して本性もまた失わる。だから単にこの一種のみ凶と為す。蛇と馬とは巳・午の両位を指し、木が巳午を経過すれば則ち死去するを要す。木は五臟に肝に属し、六腑に胆に属するから、蛇馬無胆という。正に以て木死は凶を証明すべし。この説は《燭神経》から出る。

五行之中,唯土者萬物之母也,水火金木,因之以入,命中得水火木金全,而唯乏土字則夭,蓋五行無土主之,則生復不定,在金命人言之,其夭尤速,為金是土之子,故金既無土,從何而生,故云無救無療。(壺中子)

五行の中にただ土のみ万物の母で、水・火・金・木は皆それに頼りて初めて安頓し下るべし。命裏に水火木金の四行斉備して、ただ土を欠くのみなれば、短寿を主る。五行に土の主を為すなくんば、生機は則ち反复不定なればである。もし金命人の身上に在らば、夭折すること殊に速し。金はもとより土の生ずる所の児子で、すでに土なければ、それはまた何処より生じ出るや。だからこの種の命は救なく医なしという。この説は《壺中子》から出る。

五行生、旺、死、絕分引貴賤例。凡生旺固好,然為死絕加臨之,則為駁雜多難,小薄之命,凡死絕固不好,然為生旺加臨之,卻反為純粹,此即為福祿之命。(林開五命)

下面は五行の生・旺・死・絶に拠りて貴賤を分判する例である――生旺は固より好事であるが、死絶の気に加臨せられ来れば、駁雑多難・格局単薄の命を成す。死絶は固より好からざるが、生旺の気に加臨せられ来れば、かえって純粹を顯し、これは福あり禄あるの命である。この条は《林開五命》から出る。

功奪造化格

年月日胎,俱在死絕無氣之鄉,而得一時在自生或自旺之地者是也。假令年月日胎俱無氣,而得癸酉或戊午丙子庚子辛卯,皆納音自旺之位也。火辛巳丙寅己亥甲申戊申,皆納音自生之地也。仍需只於生旺處為本命,若大小二運以年太歲,只以生時較量災福,蓋不生不旺,則不能成人故也。若夫論命運之順逆,方取本命屬陽與屬陰,餘皆不取本命,而唯以生時生旺之處論之。

「功奪造化格」とは――年・月・日・胎の四柱が皆死絶無気の地に落ち、ただ生時のみが自生あるいは自旺の地に坐することをいう。例を挙げれば、年月日胎が全て無気にして、時上に癸酉を得るか、あるいは戊午・丙子・庚子・辛卯は、これらは皆「納音」自旺の位置である。また辛巳・丙寅・己亥・甲申・戊申のごときは、これらは皆納音自生の位置である。この一格に遇えば、則ち改めて生旺のあの一処を以て本命と作るを要す。大運小運は依然として年上の太歳より起ると雖も、災福を推算するはただ生時を看るのみ。生ぜず旺せざれば、人は器を成す能わざればである。命運の順行逆行を論ずるに至っては、初めて回頭して本命の陰陽を取りて以て定む。残りの各項は皆本命を用いず、ただ生時の居する所の生旺の処を以て論ず。

功侔造化格

本命納音生居無氣之地,卻得救助,而往來復旺於本位是也。假令辛酉人得癸卯,或癸卯人得辛酉,蓋辛酉之木,困於金鄉,卻得癸卯,則金復旺於酉,而木復旺於卯,往來互換,故為吉會,此類人,先有多難,後享安樂之福,又云:辛酉失位之木,唯對以癸卯,則剛柔相濟,得之者,是文明俊敏之士,決取巍科。(玉霄寶鑑)

「功侔造化格」とは――本命「納音」は無気の地に生ずると雖も、卻って救助を得、彼此往来して各々本位上に重新して旺し起ることをいう。例を挙げれば、辛酉の人が癸卯を得るか、あるいは癸卯の人が辛酉を得るがごとし。辛酉の納音は木に属し、金郷に困す。一旦癸卯を得れば、金は則ち酉上に復旺し木は則ち卯上に復旺し、両下に往来互換す。だから吉利の会合である。この一類の人は先に許多の磨難を経歴するを要し、後に初めて安楽の福を享く。またいう――辛酉は失位の木で、ただ癸卯を配して初めて剛柔相済する。それを得る人は文采煥発・才思敏捷の士で、一定能く高第を考取する。この説は《玉霄宝鑑》から出る。

内陽外陰格

如年時納音屬金水,日月屬木火者也。(五行要論)

「内陽外陰格」とは――年柱と時柱の「納音」が金・水に属し、日柱と月柱の納音が木・火に属することをいう。外面の両頭は陰、裏面の両柱は陽である。この条は《五行要論》から出る。

納音気数

納音者天地之氣數也,驛馬學堂居長生之位,才能官職在旺相之鄉,文章富貴處印庫之地,如逢衰敗則減三分之一,更遇死絕,則去十分之半,切忌空亡沖剋,不宜刑害,吞食,故同源相成順數為上,雜數次之,則天地氣全,基本強壯,同類相傷(如丁未刑丁丑是也),則支神氣散,理無復合,管輅云:五行互旺,雖沖氣完,五行相剋,雖合氣散。(閣東叟書)

「納音」とはすなわち天地の間の気数である。「駅馬」と「学堂」は長生の位に落ちるを要し、才幹と官職は旺相の郷に落ちるを要し、文章と富貴は印庫の地に落ちるを要す。もし衰敗に碰上せば、福分は三分の一を減去するを要す。さらに死絶に遇上すれば、一半を去るを要す。最も「空亡」と冲剋を忌み、また刑・害と吞食を宜とせず。だから同一源頭にして彼此成全し、順次に相数するを上と為し、雑乱に相数するは次一等である。順数すれば則ち天地の気は完足し、根基は強壮である。もし同類にしてかえって相傷するは、例えば丁未が去りて丁丑を刑するがごとき、地支の気は則ち渙散するを要し、道理上に再び合い攏まる能わず。管輅がいう――五行が彼此皆旺せば、たとい相冲すとも、気は依然として完好である。五行が彼此相克すれば、たとい相合すとも、気は散ずるを要す。この説は《閣東叟書》から出る。

萬物負陰而抱陽,沖氣以為和,過與不及,則為乖道,故高者抑之使平,下者舉之使崇,或益其不及,損其太過,所以貴在折歸於中道,使無有餘不足之累,即貴人驛馬之微意也。行運亦如之,悟其微意,則於命之說,思過其半矣。(五行要論)過與不及,猶物顛倒;氣數中庸,應期而發。五行喜剛柔得中,三命忌盛衰太過。(鬼谷遺文)

《老子》に万物は陰を負いて陽を懐き、冲和の気に頼りて調和するを説く。太過と不及は皆正道に背離する。だから高きは圧し下げてそれを平らかにせしめ、低きは抬し起してそれを高らかにせしめるを要す。不足はこれに増益を加え、太過はこれに減損を加う。貴ぶべき処はまさに折中して中道に帰するに在りて、命局をして余餘あるいは不足の拖累なからしむ。これはまさに「貴人」「駅馬」のこれらの神煞の暗含する意思である。行運もまた同じ一個の道理で、能くこの層の微意を領悟すれば、命理の説に対してもまた一大半を懂りたり。この条は《五行要論》から出る。《鬼谷遺文》もまたいう――太過と不及は、器物の翻倒錯位するがごとし。気数が中庸を守れば、時に到れば自ずから発越す。五行は剛柔が中を得るを喜び、三命は最も盛衰の太過を忌む。

旺中に禄なければ愚かにして併せて浪蕩す

凡旺中無祿貴者,乃愚極多狂浪無成,更克本命,又帶刑殺,主狂愚無圖轉,如丙寅得戊午時日也,旺中須愛祿,如丁卯人見戊午,是旺中有祿,丙寅見戊午,無祿有殺,多淫浪愚賤以狂,極則衰故也,做事弄巧成拙或帶疾,蓋戊午自刑自刃也。(沉芝源髓)

およそ旺地に身を処して禄なく貴人なき者は、愚昧極に至り、多くは狂放浪蕩にして一事も成さず。もしさらに本命に剋し到り、また刑と殺を帯びれば、この人は狂愚にして転圜する由なきを主る。例えば丙寅日に戊午時を得る便是。旺中は総じて禄あるを要して初めて好し。丁卯の人が戊午に見えれば、すなわち旺中に禄あり。丙寅が戊午に見えれば、則ち禄なくして殺あり。多くは淫蕩浪游・愚賤にして狂に近し。旺して極に至れば則ち衰に転ずるを要するが故である。この種の人は事を為すに往々にして巧を弄して拙を成すか、あるいは身上に病を帯ぶ。戊午本身がすでに自刑しまた自ら羊刃を帯ぶればである。この説は《沈芝源髄》から出る。

三命太弱

土人寅卯辰,水人寅卯辰,水土同取,火人酉戌亥,緣申上亦有火力,故取,酉戌亥木人,午未申皆太弱,金命不然,若在巳午未轉上。(天元變化書)

「三命太弱」とは、本命の気が最も衰弱の一片の方位上に落つるをいう――土命の人は寅・卯・辰に在り、水命の人もまた寅・卯・辰に在り、水と土は同じく一様の位置を取る。火命の人は酉・戌・亥に在り。申位上になお几分の火力を留むるが故に、ただ酉戌亥より算え起す。木命の人は午・未・申に在り。これらは皆太弱と算る。ただ金命のみこのごとく論ぜず。それは巳・午・未の一帯に落ちて初めて算と為すを要す。この条は《天元変化書》から出る。

五行忌見

木火秀而重富,只不可見金,金年有災。水木秀而清高,只不可見卯巳,卯巳年亦災。丙辛為水,在亥子月中,其水成象,月中要見丙辛旺,富也。(神白經)

木と火と相配すれば秀気にして多く富を主るが、ただ金に見るべからず。金年に行き到れば災あり。水と木と相配すれば秀気にして清高なるも、ただ卯・巳に見るべからず。卯年巳年に行き到ればまた災あり。丙と辛と相合して水に化するは、もし亥・子の月中に生まれれば、この水は便ち象を結成す。月令の中にさらに丙辛の当旺に見えれば、則ち富を主る。この条は《神白経》から出る。

引起自死自絶格

假令癸丑年木,乙丑月金,壬午日木,辛丑時土,壬午木自死,引起生年癸丑木自絕,於申自生自旺亦同推之。(林開五命)五行無氣,為人鎮日多憂。(隱迷賦)

例を挙げれば、癸丑年の「納音」は木に属し、乙丑月は金に属し、壬午日は木に属し、辛丑時は土に属す。壬午の木は本身が死地に坐し、また牽引して生年癸丑の木をして同じく絶に帰せしむ。これを引起自死自絶という。もし自生・自旺ならば、申位上にもまたこの法に倣って類推す。この条は《林開五命》から出る。《隠迷賦》にいう――五行に気なきの人は、整天愁眉展かず・憂思断えず。

五行相生相克

金生水,水生木,木生火,火生土,土生金。金克木,木克土,土克水,水克火,火克金。

五行相生はこのような一条の次序に拠りて循環す――金は熔化して水を生じ出し、水は滋潤して木を生じ出し、木は燃焼して火を生じ出し、火は焚尽して土に化し、土は凝聚してまた金を生ず。周流して息まず。五行相克は則ち別に一環を成す――金は樹木を砍伐し得、木は泥土を疏松し得、土は流水を阻擋し得、水は火焰を撲滅し得、火は金鉄を熔化し得る。同じく首尾相銜えて、循環して已まず。

五行相生相克要法

五行相剋最為不好,如是福聚之地克他處,卻從好斷之。如其他來克福聚之地,即大不好,五行相生最為佳,然以禍相生則為凶,以福相生則為吉。凡相生相剋,遇五行交錯,方可論之,如六合、三合、刑害、沖破之類,皆為五行之交錯也。(林開五命)

五行相克は本来最も好からず。ただもし福気聚集のあの一処が去りて別処を剋するは、かえって好きに拠りて断ずるを要す。反って別処が来りて福気聚集の処を剋すれば、あれは大大不妙である。五行相生は本来最も好し。ただ災禍を拿りて相生すれば凶を成し、福気を拿りて相生して初めて吉と為す。およそ相生相克を講ずるは、皆五行に交錯有るを待ちて初めて論断し得べし。六合・三合・刑害・冲破のこの一類のごときは、すなわち皆五行の交錯である。この条は《林開五命》から出る。

大率五行尚其變,而不尚其常,貴其隱而不貴其顯,死絕有救則為還魂,生旺有克者氣散。若夫彼我之相生,順則益本,逆則奪氣,彼此之相剋,順則勢強,逆則有傷。設如木火相生,順推之而相生,則益氣而榮盛,若命屬木,而火來投之,則逆而奪氣矣,如木之相剋,本命屬金而見木,則有強盛之勢,如命屬木而金來克之,則為傷殘之咎也。(燭神經)生旺破壞而福淺,死絕有救而貴顯。(廣錄)

大体上に言えば、五行が看重するは変にして常に非ず、隠にして顕に非ず――死絶の処にもし救あれば、便ち「還魂」である。生旺の処にもし剋せられれば、気はかえって渙散す。彼此相生するに至っては、順って来れば則ち本身を增益し、倒れて来れば則ち気を奪去せられる。彼此相克するは、順って来れば則ち勢力強盛し、倒れて来れば則ち傷を受く。譬えば木火相生し、順に推し過ぎ去れば木の火を生ずるで、本気は便ち増益して栄盛す。もし本命が木に属し、かえって火のそれに投じ来るは、則ち逆生して泄気せらるるなり。また相克するがごときは、本命が金に属して木に見えれば、木は我の剋する所で、便ち強盛の勢いを顕出す。もし本命が木に属して金が来りて我を剋すれば、則ち傷残の禍咎である。この説は《燭神経》から出る。《広録》は則ちいう――生旺して卻って破壊に遭う人は福気浅く、死絶して救助ある人はかえって貴顕す。

父子相類格

火年火月,木日木時,支干納音相類者皆是。(三命纂局)

「父子相類格」とは、年と月とが同じく火に属し、日と時とが同じく木に属するこの一類をいう。およそ上下両柱の干支と「納音」が同一行に属するは皆算と為す。この条は《三命纂局》から出る。

助気

如水命人四柱有金土之類是也,主平生穩當享清閒之福。(廣信錄)

「助気」とは、本命の外に別に相幇の気あるをいう。例えば水命の人の四柱裏に金あり土ある類――金は能く水を生じ、土は能く水を約束す。一生穏当にして清閑の福を享くるを主る。この条は《広信録》から出る。

還魂格

五行自死自絕,而有救者是也,遞相還者最貴,有福神次之,無福神獨自還魂者為下。(林開五命)

「還魂格」とは、五行が本已に自死自絶するも、卻って救助の神ありてそれを復活せしむるをいう。彼此逓相救還するは最も貴し。福神の来りて救うあるは次一等。福神なくしてただ自己の還魂に頼るは最も下。この条は《林開五命》から出る。

又還魂格

火人乙亥,土人丁巳,金人壬寅,木人庚申,水人癸巳。(若人見之,晚發財祿也。)(神白經)

もう一種の還魂格の配法は――火命の人は乙亥に見え、土命の人は丁巳に見え、金命の人は壬寅に見え、木命の人は庚申に見え、水命の人は癸巳に見る。人がもし命中に遇上せば、晩年に財禄を発起するを主る。この条は《神白経》から出る。

相生相得事如何,仍須祿馬位包羅,六合天乙來相照,身居兩府定無蹉。(鬼谷要訣)

歌訶にいう――五行がすでに相生しまた相得るは、究竟どうか。さらに禄と「駅馬」の命位を包罗周全するを要す。もしさらに六合と「天乙貴人」の来りて照臨するあれば、身は両府の位に居りて万の一の失なし。この条は《鬼谷要訣》から出る。

絶処逢生は福の媒

如辛巳金絕在寅,而見戊寅土,最貴,以戊干神陽土,壓辛之陰金,金絕在寅,見戊寅納音土,亦生辛巳納音金,六辛貴在寅,五行絕處逢生是父母,故為福,他準此。

例えば辛巳の「納音」は金に属し、金は寅に絶す。もし戊寅土に見えれば便ち最も貴し――一来に戊は陽土の干神にして、辛のこの陰金を圧し得住し得。二来に金は寅に絶すと雖も、戊寅の納音は土で、土はまた辛巳の納音金を生じ得。三来に六つの辛日の「天乙貴人」は正に寅の上に在り。五行が絶処に我を生ずる一行に遇えば、父母に遇うに等しく、だから福である。残りの情形は皆この道理に拠りて推す。

納音支蔭応に微富

如丁卯火犯亥卯未,三合全,雖有癸亥水克,亦主富,上下皆得木氣生,如王韋明相公,己未年,乙亥月,丙寅日,辛卯時,雖亥卯未木局生,納音火,奈氣傷己土,久後惡死,如甲乙人逢申子辰,為甲乙木體遇申子辰皆水也。(沉芝源髓)

例えば丁卯の「納音」は火に属して命は亥卯未を犯す。三合木局斉全し、たとい癸亥の水の来りて剋するあるも、依然として富を主る。上下ともに木気の火を生ずるを得ればである。また王韋明相公の命のごとき――己未年・乙亥月・丙寅日・辛卯時。亥卯未の木局が火を生じ納音もまた火に属すと雖も、奈何にも木気が己土を傷つけ、日子久しきに終に好死を得ず。また甲・乙日の人が申子辰に逢上するがごときは、あれは甲乙木の本体が一片の水に遇上するなり。この条は《沈芝源髄》から出る。

身土遇火生而漸利,命水得金乃優長,金多須火或從革以成命,木重得金揉曲直而任使。水流不止,須土以攘之,火盛無依,惟水以濟之。身命喜於生旺福,干不嫌剋制,假如火至盛旺,左右無木,須得水制,方成既濟,火輕則不然。(鬼谷遺文)

身が土に属する人は火の生じ来るに遇えば、漸漸利を得るべし。命が水に属する人は金を得れば、運勢は則ち悠長である。金多きは火の煅錬し来るを要すか、あるいは「従革」の性に順って以て命局を成就す。木重きは金の来りて修剪するを得て、曲直の材を揉製して可用の器と為す。水が流れて停まざるは、土の来りて阻擋するを要す。火盛んにして依託する所なければ、ただ水のみ能く調剤す。身と命は皆生旺の福地に処するを喜び、天干上は克制あるを怕れず。譬えば火がすでに極旺して、左右にまた木の依るべきなければ、水の来りてそれを制するに非ざれば、「既済」の象を成さず。火がもし本来軽ければ、則ちこのように弁ずべからず。この条は《鬼谷遺文》から出る。

肝江李秦伯曰:五行用得其宜,雖相剋而為福,五行用失其宜,雖相生而為災。如水遇土而止,土遇木而秀,木遇金而成器,金遇火而熔鑄,火遇水而滅形,水生木,木通則水竭,木生火,火旺則木焚,火生土,土旺而火痊,土生金,金貴則土賤,金生水,水旺則金沉,是也。

肝江人李秦伯がいう――五行の用いる所が恰当なれば、相克すと雖も能く福を成す。五行の用いる所が不当なれば、相生すと雖もまた災を招くべし。相克して福を成す例――水が土に遇えば則ち約束せられ、土が木に遇えば則ち秀発を顯し、木が金に遇えば則ち雕琢して器を成し、金が火に遇えば則ち熔鋳して形を成し、火が水に遇えば則ち熄滅して形跡す。相生して災を招く例――水は木を生じ、木が通暢すれば水はかえって枯竭す。木は火を生じ、火が旺すれば木は焼き尽くさる。火は土を生じ、土が旺すれば火は熄む。土は金を生じ、金が貴重なれば土は低賤す。金は水を生じ、水が旺すれば金は沈没す。

又如金克木,金氣和則成器,否則伐木。木克土,木氣和則成林麓,否則茅次。土克水,土氣和則水流,否則成淵塞。水克火,水氣和則既濟,否則各滅形質。火克金,火氣和則熔鑄,否則損模也。

また金が木を剋するがごときは、金気が平和なれば則ち木を雕成して器物と為し、さもなければ不過ただ樹を砍倒するのみ。木が土を剋するは、木気が平和なれば則ち林木山麓に長成し、さもなければただ一片の茅草を生ずるのみ。土が水を剋するは、土気が平和なれば則ち水流を疏導し、さもなければ淤積して深渊を成して堵塞す。水が火を剋するは、水気が平和なれば則ち「既済」の功を成し、さもなければ両下裏に皆形質を毀す。火が金を剋するは、火気が平和なれば則ち熔鋳して器を成し、さもなければ器を鋳る模子すらも損壊す。

分清濁等差

清者是因濁而清也,五行有所制伏之謂也,假令水病見土則濁,卻非土堤防則不能止息,既止息,則清之有漸也,不可太過不及。濁者五行無制伏也,如金多無火,水多無土,火多無水,木多無金,土多無木也,故五行有反極之說。

いわゆる清とは、濁あるに因りて初めて清を顕出し、五行が彼此に制伏あるを指す。譬えば水病の命が土に見えるは本来濁と算えるが、しかし土の来りて堤防を築くなければ、水は止められず。すでに止住せられれば、清もまた一歩一歩来る。ただ太過あるいは不及すべからず。いわゆる濁とは、五行にそれを制伏する物なきがごとく、例えば金多くして火なく、水多くして土なく、火多くして水なく、木多くして金なく、土多くして木なし。正にこの故に、五行に初めて物極まれば則ち反るの説法あり。

如趙士鵬中大命丁卯年火,丁未月水,乙酉日水,甲申日水,鬼氣生旺而極也,水極生木,木生火,故極則變,變則通也,又如程禹尚書,丁卯年火,辛亥月金,庚戍日金,庚辰時金,是金極變丙水為火官,寅戍為魁星矣。

例えば中大夫趙士鵬の命――丁卯年の「納音」は火に属し、丁未月は水に属し、乙酉日は水に属し、甲申の一柱もまた水に属す。身を剋する鬼気は生旺して極に至る。しかし水極まれば則ち木を生じ、木はまた火を生ず。だから極まれば則ち変を生じ、変すれば則ち通達す。また尚書程禹の命のごとき――丁卯年は火に属し、辛亥月は金に属し、庚戍日は金に属し、庚辰時は金に属す。これは金極まりて変するで、丙は水に化してかえって火の官星を成し、寅と戍はまた合して魁星を成す。

又李莊顯謨丙寅年火,庚寅月木,丁未日水,壬寅時金,無剋制富貴而壽,蓋四柱下生上而粹為實也,又如李迨侍郎,乙丑年金,己丑月火,癸巳日水,丁巳時土,雖作二十年從官,而不在君側,無妻無子,蓋四柱下克上也,壽亦短於莊,如此制伏,千變萬化,不能窮盡,略舉四命以較之。(廣信集)

また顕謨閣学士李荘の命のごとき――丙寅年の「納音」は火に属し、庚寅月は木に属し、丁未日は水に属し、壬寅時は金に属す。命中に克制する所なく、富貴にしてまた長寿なり。四柱は下面の一柱が上面の一柱を生じ、純粹にして結実せばである。また侍郎李迨の命のごとき――乙丑年は金に属し、己丑月は火に属し、癸巳日は水に属し、丁巳時は土に属す。二十年の侍従の官を為したと雖も、卻って始終君王の身辺に在らず、妻なく子なし。四柱は下面の一柱が上面の一柱を剋し、寿数もまた李荘に比べて短けばである。このような制伏関係は千変万化して、説き尽くし道い尽くし得ず。ここにただ四個の命例を挙げて以て比較を作す。この条は《広信集》から出る。

火不畏水,藉之然後以濟物,木須賴金,制之然後以成器。五行之內,火雖畏水,火不得水,則又不能濟物,木雖畏金,木不得金,則又不能成器,火人得水者,在格曰未濟,言其終得相濟也,木人得金者在格曰斷輪,言其終得用也,火少而水多者,火之勢不及於水,乃畏其水也,金寡而木眾者,金之勢不及於木,乃困於木也。

火は併せて真に水を怕れず。水を借りて初めて物を済すの功を成就し得べし。木は必ず金に依頼して、金に裁制せらるる後に初めて器を成し得べし。五行の内に、火は水を怕ると雖も、しかし水なくんば、それは物を済する由なし。木は金を怕ると雖も、しかし金なくんば、それは器を成す能わず。火命の人が水を得るは、格上に「未済」といい、終竟能く彼此相済するをいう。木命の人が金を得るは、格上に「断輪」といい、終竟能く用場に派するをいう。もし火少なくして水多ければ、火の勢力は水に抵当せず、あれは真に水を怕るを要す。もし金少なくして木多ければ、金の勢力は木に抵当せず、あれは反って木に困せらるるを要す。

金火全,名鑄印,犯丑字,即為損模,木金等,曰斷輪,向秋生,而為傷斧。金亦兩得,火亦兩得,在格謂之鑄印,怨惡見丑字,蓋鑄印必藉土為模,辰戍丑未皆土也,丑為破壞之字,得之者乃鑄印損模,模既損,則火散金消,反致殃矣。木亦兩得,金亦兩得,在格謂之斷輪,偏惡秋生,蓋秋為肅殺之時,乃斷輪傷斧,斧既傷,則木弱金闕,反致矣。(壺中子)

金と火と皆斉備するを「鋳印」という。ただもし丑字を犯上せば、「損模」を成す。木と金と分量相当なるを「断輪」という。ただもし秋に生まれれば、「傷斧」を成す。注解にいう――金もまた両分を得、火もまた両分を得れば、格上に便ち鋳印と称す。最も恨むは丑字に見ること。鋳印は必ず土を借りて模を作るを要するが故に、辰戍丑未は皆土に属すと雖も、丑は卻って破壊の字で、それを得れば便ち鋳印して卻って模子を毀す。模子が一たび壊れれば、火は則ち散じ金は則ち消え、かえって禍殃を招来す。同じく、木もまた両分を得、金もまた両分を得れば、格上に便ち断輪と称す。偏に最も恨むは秋に生まるること。秋は粛殺の時で、断輪は便ち傷斧に変る。斧頭が一たび傷つけば、木はすでに弱く金はまた缺け、かえって禍を招く。この説は《壺中子》から出る。

【水為相濟則精神具足,金木互用則仁柔義剛】水者精也,火者神也,二物相濟,故精神明靈而具足,金剛則木柔,二物互用,則仁柔義剛,而兩相得矣。(燭神經)

水と火と相済すれば、人の精神は則ち完足す。金と木と互用すれば、人は則ち仁の柔和と義の剛強を兼備す。もともと水は精に属し、火は神に属し、この両様は彼此調剤す。だから精神は明澈霊敏にして缺欠する所なし。金は剛にして木は柔、この両様は交互に用を為す。便ち仁中に柔を帯び義中に剛を帯びて、両下裏に各々其の宜を得。この説は《燭神経》から出る。

【論其眷屬,憂其死絕】瑩和尚注云:生我者為父母,我生者為子孫,克我者為官鬼,我克者為妻財,比和者為兄弟,處在危亡之地,憂居休囚死絕之鄉。三命鈐云:生我者為祿,我生者為庫,我克者為財,克我者為鬼,如金以土為祿,水為庫,木為財,火為鬼,餘彷此。

《珞琭子》に「其の眷属を論じ、其の死絶を憂うべし」と説く。瑩和尚が注解していう――我を生ずる一行は父母、我の生ずる一行は子孫、我を剋する一行は官鬼、我の剋する一行は妻財、我と同類なるは兄弟である。憂慮する所は、まさにこれらの六親が危亡の地に落ち休囚死絶の郷に処するにある。《三命鈐》は則ちいう――我を生ずる一行は禄、我の生ずる一行は庫、我の剋する一行は財、我を剋する一行は鬼である。例えば金は土を以て禄と為し水を以て庫と為し木を以て財と為し火を以て鬼と為す。残りの各行は皆これに倣って類推す。

【值病憂病,逢生得生,旺相崢嶸,休囚絕滅】瑩和尚注云:值病憂病,以休囚絕滅而言;逢生得生,以旺相崢嶸為義。值病憂病者,五行病中逢鬼也,如木值辛巳金,火值甲申水,土遇庚寅木,金逢乙亥火,如此之類,休囚絕滅。逢生得生者,五行生處逢生也,如木臨癸亥水,火得庚寅木,水值壬申金,金逢丁巳土,如此之類,旺相崢嶸或逢之歲運,或值之鎡基,更看始終,隨宜消息。

「病に値れば病を憂い、生に逢えば生を得、旺相は崢嶸、休囚は絶滅」のこの四句、瑩和尚が注解していう――病に値れば病を憂うは、休囚絶滅に就いて言う。生に逢えば生を得るは、旺相崢嶸に就いて言う。いわゆる病に値れば病を憂うとは、五行が病地に走り到りてまた鬼殺に碰上するをいう。例えば木が辛巳金に遇い、火が甲申水に遇い、土が庚寅木に遇い、金が乙亥火に遇う、この一類は皆休囚絶滅を主る。いわゆる生に逢えば生を得るとは、五行が長生の処に在りてまた我を生ずる神に遇上するをいう。例えば木が癸亥水に臨み、火が庚寅木を得、水が壬申金に遇い、金が丁巳土に遇う、この一類は皆旺相崢嶸を主る。流年大運上に碰うを論ずるも、本命根基上に碰うを論ずるも、皆さらに始終首尾如何を看て、宜に随って斟酌するを要す。

【父病推其子祿妻災課以夫年】瑩和尚注云:五行相生為父子,陰陽相制為夫妻,假令無病,無疑畏火,急求水以救之,蓋金生水為子,水尅火故也。又如金災者,恐值火也,且看火之休旺如何?蓋尅我者為夫,此乃救解二法,最為詳要。王氏注云:如丙寅火人見戊申土,火雖病而為戊申之父,父雖病而戊申土長生,父承子祿之蔭,雖病而不致死也,或丁卯火見甲午金,為妻金至午敗,可謂妻災矣,以丁卯火旺在午又逢祿,金火相傳,陰陽相合而生造化,所謂妻隨夫貴也。

「父病すれば則ち其の子禄を推し、妻災あれば夫年を以て課す」のこの両句、瑩和尚が注解していう――五行相生の関係を父子と算え、陰陽相制の関係を夫妻と算る。仮に本身に病ありて毫も疑なく最も火を怕れれば、則ち急いで水を求めて救いに来らしむるを要す。金は水を生じ、水は金の児子で、しかも水はまた能く火を剋す。また金が災に遭うがごときは、多くは火に碰上するなり。則ちまずこの火の休か旺かを看る。我を剋する一行を夫と算る。これは則ち救と解の両種の弁法で、最も緊要である。王廷光が注解していう――譬えば丙寅の火命の人が戊申土に見えるは、火は申位に在りて病と為すと雖も、卻って戊申の父である。父は病むと雖も、戊申土は卻って正に長生に当たり、父は児子禄位の蔭庇を承受す。だから病むと雖も死に至らず。また丁卯火が甲午金に見えるがごときは、妻位の金は午上に到りて敗地で、妻の災に遭うと算え得べし。ただ丁卯の火は午上に正旺してまた禄に逢い、金と火と相伝え、陰陽相合して造化を生出す。これはすなわちいわゆる妻は夫に随いて貴し。

【金木未能成器,聽哀樂以難名,似木盛而花繁,狀密雲而不雨】瑩和尚注云:金不能成器,惟火以陶鎔,木未能成功,假金而凋金。王氏注云:謂哀樂者,蓋木主春,其性仁,春則萬物發生,可謂樂也。金主秋,其性義,秋則萬物肅殺,可謂哀也,木無金,金無火,未能成器,為哀為樂,難以名狀。似木盛而花繁,密雲而不雨,是謂有虛聲,而無實跡焉。

「金木いまだ器を成す能わず、哀楽を聴くに名づけ難く、木盛んにして花繁きに似て、密雲の雨ならざるを状る」のこの数句、瑩和尚が注解していう――金が器を成す能わざれば、ただ火の来りて陶熔するに頼るのみ。木が材を成す能わざれば、金を借りて修剪するを要す。王廷光が注解していう――いわゆる哀楽とは、木が春を主り、その性を仁と為すが故で、春は万物発生して、楽と言うべし。金が秋を主り、その性を義と為すが故で、秋は万物粛殺して、哀と言うべし。木に金の来りて裁制するなく、金に火の来りて鍛錬するなければ、皆器を成す能わず。究竟哀と算えるか楽と算えるか、実に名状し難し。樹の長じて茂り花の開きて繁くして卻って果を結ばざるがごとく、また濃雲密布して卻って雨降らざるがごとく、徒らに虚名あって実跡なし。

與生地之相逢,宜退身而避位。瑩和尚注云:本命長生中逢旺鬼是也,如金逢乙巳火,土遇庚申木,火見甲寅水,木逢辛亥金,得於四柱或臨大命者,宜退身而避位。王氏注云:如戊申得壬申,戊申土生壬申金,金至申而臨官,父傳子道也,子強則父衰,父已成功,自當告退,蓋生者不生,物不兩立,是知五行他生而我休,子代父位也。(珞琭子)

《珞琭子》にいう――自己の長生の地と相逢う時、かえって退身避位すべし。瑩和尚が注解していう――これは本命の長生の中に当旺の鬼殺に碰上するを指す。例えば金が乙巳火に逢い、土が庚申木に遇い、火が甲寅水に見え、木が辛亥金に逢う。この数種がもし四柱上に出現するか、あるいは本命に臨到すれば、皆退身避位に宜し。王廷光が注解していう――譬えば戊申が壬申に遇上すれば、戊申の土は壬申の金を生じ、金は申上に到りて正に臨官に当たる。これは父親が道統を児子に伝授するなり。児子が強まれば父親は則ち衰えるを要し、父親はすでに功成せば、自然に告老して退下すべし。能く生ずる一方が一旦生じ畢れば便ち再び生ぜざるが故に、両物は同時に並立する能わず。以て見るべし、五行の中に他方が生を得れば我方は即ち休するは、まさに児子が父親の位置を接替するなり。この条は《珞琭子》から出る。

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