Libo

龍の奴従を論ず

明 · 徐善继、徐善述 · 第13巻 / 56

作盤ガイド: 玄空飛星の作盤, 暦注(黄暦)

奴從者,即眞龍之纏送護托、侍衛朝迎等山也。既有眞龍融結,自有諸山擁從,如雲從龍,風從虎,眾星拱極,自然之應也。但所處之地不同,其名亦因之不一。在後曰送,曰托,曰樂。在前曰朝,曰案,曰應,曰對。遠抱過前曰纏,奔走相揖曰迎,列於左右曰侍衛、夾輔。

いわゆる「奴従」は、すなわち真龍の身辺に纏繞・送行・護衛・托靠・侍立・朝迎するあの些の山。既に真龍ありて凝結して穴を成せば、自然に衆山ありて簇擁随従す。恰も雲の龍に跟い・風の虎に跟い・衆星の北極を囲繞するが如く、是れ自然而然の呼応。ただそれらの処する位置は同じからず、名称もまたそれに随いて同じからず。穴後に在るは「送」と呼び・「托」と呼び・「楽」と呼ぶ。穴前に在るは「朝」と呼び・「案」と呼び・「応」と呼び・「対」と呼ぶ。遠処より穴前に環抱するは「纏」と呼ぶ。奔走过来りて揖を作すは「迎」と呼ぶ。左右に排列するは「侍衛」「夾輔」と呼ぶ。

廖氏云:“迎龍先在穴前揖,送龍穴後立。纏龍纏過龍虎前,托龍居後邊。”楊公云:“送龍之山短在後,托山不抱左右手。纏龍纏過龍虎前,三重五重福延綿。”《洩天機》云:“當面推來名曰朝,不怕遠迢迢。送是隨龍來百里,見穴卻停止。迎是隨龍先出來,見穴卻回頭。或隨朝迎來聚集,遠望低頭揖。衛是護龍左右隨,不令曲風吹。侍在穴前分兩邊,端拱默無言。”

廖金精は言う。迎龍は先ず穴前に於いて拱手し、送龍は穴後に立つ。纏龍は龍虎の二砂の前に纏繞し、托龍は後辺に居す。楊筠松は言う。龍を送るの山は短く、後面に留む。托山は左右の両臂を抱かず。纏龍は龍虎の前に纏り過ぎ、三重五重を纏上すれば、福気はすなわち綿延不絶。『泄天機』は言う。当面に推涌して来たるは「朝」と呼び、それの天辺に遠きを怕れず。「送」は是れ龍に随いて上百里を走り、穴を見れば便ち停住す。「迎」は是れ龍に随いて先ず走り出で、穴を見れば便ち頭を回して来たる。或るものは朝山迎山に随いて一処に聚まり、遠く望去れば頭を低めて揖を作す。「衛」は是れ護龍して左右に相随し、斜風をして吹き入らしめず。「侍」は是れ穴前の両辺に分列し、端正拱手・黙然として語らず。

又曰:“遠迎近侍不可缺,只喜皆羅列。”又曰:“夾衛輔從兩邊生,後送更前迎。”是皆狀諸從山之形容。而眞龍正穴吉地,必有此等從龍以輔相擁從,亦造化自然融會,非勉強所能致也。郭景純曰:“氣以龍會,獨山不葬。”《寶鑑》云“眞龍之行,群山朝揖,有隨有從,有迎有送,有關有護”是也。

又言う。遠処の迎・近処の侍は皆缺くべからず、最も喜ぶはそれらの一の一斉に羅列する。又言う。夾衛輔従は両辺より生出し、後面に送あり・前面に迎あり。これらは皆随従の山の形態を描摹するに在り。真龍正穴の吉地は、必定このような従龍ありて来たりて輔佐擁護す。これもまた造化自然の融会、是れ勉强して安排して得来るに非ず。郭璞は言う。生気は龍脈に因りて聚會す。孤单一座の山は下葬すべからず。『宝鑑』は言う。真龍の行走する時、群山は拱手して来たりて朝し、随あり従あり、迎あり送あり、関攔あり護衛あり。説くは皆これ。

然從龍之山不曰從砂,而曰從龍,必其亦有星峰磊落,奔走棲閃,逶迤活弄,頓跌起伏,橈棹擺佈,亦能眩惑人目。昧者多誤以從龍認作正龍。不知從龍既為正龍所用,則其本體不尊,縱別立門戶,為隨帶旁受之穴,其力量終不及正龍專受之大且尊也。《經》云:“朝迎護從亦有穴,形穴雖成有優劣。”又云:“朝迎護從豈無穴,輕重多與貴龍別。”

随従の山は「従砂」と呼ばずして「従龍」と呼ぶ。正にそれもまた磊落の星峰あり、もまた奔走栖閃・綿延游動・頓跌起伏し・両旁に向かい橈棹を擺開する能く、同じく人の眼睛を迷惑する能うを以て。糊塗の人は多半是れ従龍を錯認して正龍と為す。彼らは懂せず。従龍は既に正龍に用いらるれば、本身はすなわち尊貴ならず。縱然別に門戸を立てて、随帯の「旁受」の穴を結成するも、力量は終に正正龍の専受の穴の如く大而尊には及ばず。『龍経』は言う。朝迎護従の山の上にもまた穴あり。穴形は結成するといえども、却って優劣の分あり。又言う。朝迎護従は怎んぞ穴なからんや。ただ軽重は多半是れ貴龍と別あるのみ。

又有一等奴砂,乃從山之至賤者,旁落偏出,粗頑無星體,委靡不頓跌,醜陋斜側,臃腫孤露,水割風吹;或嵯峨巉巖,高昂雄惡;或破碎懶散,全無枝腳。種種凶形,如奴隸武夫,供給賤役,無所取裁,決不可尋穴也。圖見上右。

さらに一類の「奴砂」あり、是れ随従の山の裏の最も下賤。旁边より偏落して出で、粗頑にして星体を成さず、委靡にして頓跌なく、醜陋歪斜・臃腫孤露、水に割られ風に吹かる。或るものは嵯峨険峻・高昂雄悪、或るものは破碎懶散・完全に枝脚なし。種種の凶形は、好比は奴隷武夫のただ役使に供する、何の取裁す可きもなし。絶対にその上に於いて穴を尋ぬる能わず。原書の此処に図は上方右側に見ゆと注明すも、今図形は存せず、僅かにこの語を照録す。

龍の余気を論ず

凡幹龍大地,龍長氣盛,結穴已完,山勢難止,必有餘氣之山,或去數里,或去數十里。其去又多融結小穴,隨其力量,皆有發越。切不可認大盡處為正結,以正結穴為腰落。誤認則正受旁受無分,力量大小不辨,反以大地為小穴不取,而以小穴為大地矣。

凡そ干龍の結成する大地は、龍身は長く・気勢は盛なり。穴を結び完成した後も山勢はなお停住し難く、必定一段の「余気」の山あり、或いは几里を伸出し、或いは幾十里を伸出す。この段の余気は前に往きて、また多半是れ些小の穴を結出す。各々その力量の大小に随いて皆能く発福す。千万不可最尽頭の処を把りて正結と当て、却って正結の穴を把りて腰間落脈と看作すべからず。一旦錯認せば、正受と旁受はすなわち分け清めず、力量大小もまた辮明せず、却って大地を把りて小穴と当てて棄置し、小穴を把りて大地と当てて争取せん。

世人不識大地,多被餘氣山所混。彼無眞見,必於盡處結穴,方為龍盡氣鍾。不知大地結作,不在大窮盡處,多在四山擁從之中,結了必有餘氣之山。《經》云:“君如尋得幹龍窮,二水相交穴受風。風吹水劫卻非穴,君尋到處是疑龍。”張子微云:“龍將盡時難更去,分付從茲是餘氣。或為枝葉或餘波,要識此般總無氣。”

世人は大地を認識せず、多半是れ余気の山に攪乱せらる。彼らは真見識なく、一定要ず尽頭の処に於いて穴を結びて、才かに龍は頭に到り気は鍾聚と算う。彼らは大地の結作は並びに最尽頭の処に在らず、多是れ四面の山峦の擁護の中に在るを懂せず。結成の後に必定さらに余気の山あり。『龍経』は言う。汝若し干龍の尽頭・両水の相交する処に尋ね到れば、穴は風を受けん。風に吹かれ水に劫せられるの処はすなわち穴に非ず。汝があそこに找到するはただ一条の疑龍に遇上せるのみ。張子微は言う。龍は将に尽きんとする時はさらに前に往き難し。一句を交代す。ここより起つるはすなわち余気。それは或いは枝葉と化作し、或いは余波と化作す。此の類は総じて生気なきを認清するを要す。

故凡尋龍,須識大小受穴不同。小龍鬚盡處求穴,大龍則不然。蓋緣龍長力大,到結穴處氣甚旺盛,一齊收斂不盡,故此去猶長爾。然扦得眞穴,其去山雖遠,而氣脈皆收轉穴內受用,謂之牽前扯後,故力量大。

だから龍を尋ぬるは必ず大龍小龍の穴を受くるの方式の同じからざるを懂得するを要す。小龍は要ず尽頭の処に於いて穴を求む。大龍はすなわち此の如くあらず。龍は長く力は大なるを以て、穴を結ぶの処に到りて気はなお甚だ旺盛、一時に収斂し尽さず。だから前に往きて伸び出去る一段はなお甚だ長し。然而るにただ真穴を点中せば、あの伸び出去りし山は遠きといえども、気脈は却って皆収転して回りて穴内に受け用いらる。これを「牽前扯後」と呼ぶ。だから力量は才かに大なり。

卻又不可誤認停驛龍歇穴作幹龍正結。停驛龍歇之穴,乃是斬關腰結之地,大龍前去,自有正穴。《經》所謂“譬如人行適千里,豈無解鞍並頓宿?頓宿之所雖未住,亦有從行並部曲。”然此亦是大龍旺盛處透漏餘氣,小有結作而已。

不过もまた「停駅」「龍歇」の穴を誤認して干龍の正結と為す能わず。停駅龍歇の穴は「斬関腰結」の地に属す。大龍は継続して前に往き走り、自らその正穴あり。『龍経』の言う所。好比は人の一千里の路を走らんと要するに、途中に於いて怎んぞ鞍を解きて歇宿せざらんや。歇宿の処は終点に非ざるといえども、あそこもまた随行の人馬と部暑あり。不过此の種の処もまたただ大龍の気旺の処より泄露して出づる一点の余気、略有の小結作のみ。

幹龍正受之穴,乃是融結已畢,而有餘剩之氣,延袤而去,自不與停驛龍歇同也。楊公所謂“眞龍勢踴難頓住,結穴定了氣遠去”是也。然其去也,或回為下手,或轉為托樂,或反遶身為纏護,或奔走水口為門戶,或聳於前為案,或發於左右為曜,或拖於後為鬼,或鋪於前為氈。

干龍の「正受」の穴は、是れ凝結已に完畢した後にさらに一股の気を剩余し、綿延伸展して出去るなり。これは停駅龍歇と自然に同じからず。楊筠松の言う所の「真龍の気勢は踴躍、驟に停住し難し。穴は結び定まりて、気はさらに遠く走り去るを要す」、講ずるはすなわちこれ。不过それは走り出去りし以后、或いは回転して来たりて下手の一臂を充当し、或いは身を転じて穴後の托山楽山を充当し、或いは反遶して来たりて穴身を護住して纏護を充当し、或いは水口に奔りて門戸を充当し、或いは穴前に於いて聳起して案山を充当し、或いは左右より生出して「曜星」を充当し、或いは穴後に拖りて「鬼」を充当し、或いは穴前に鋪きて「毡」を充当す。

要皆為我用神,雖去不足畏,非分散龍氣,為鬼刦之比。楊公云:“大地皆從腰裡落,迴轉餘枝作城郭。”吳公云:“餘氣不去數十里,決然不是王候地。”故大龍氣盛者,方結此穴,小龍無之。又須詳審精察,不可以過龍虛偽之處而誤下也。

総じてこれらは皆我の用い得る「用神」と成れり。走り出去りしといえどもまた怕るるを必とせず。あの種の龍気を分散するの「鬼」「劫」とは是れ一回事に非ず。楊筠松は言う。大地は多半是れ龍身の腰間より落下し、回転の余枝はすなわち外圍の城郭と成る。呉公は言う。余気若し幾十里を伸出せざれば、決然として王侯の地に非ず。だからただ大龍の気盛なるのみこの種の穴を結ぶ。小龍には此の種の情形なし。不过さらに必ず細審精察し、ただ路過の假結の処を誤認して穴と作して下葬すべからず。

張紫瓊云:“不必山窮水盡方可作穴,大盡處多應休囚死絕,或風吹水割,反不受穴。眞龍正穴盤泊之處,分牙布爪,結穴外有三五里或十數里山勢未盡,皆是餘氣。眞穴必居囊肚之間,氣脈平正,明堂隱約,如封君甲第、大官行衙,必有堂階門郎,必有引從護衛。”

張紫瓊は言う。必ずしも山窮水尽に到りて才かに穴を作すを要せず。最尽頭の処は多半是れ休囚死絶の地に応ずべし、或いは風に吹かれ水に割られて、却って穴を受くる能わず。真龍正穴の盤踞停泊する処は、牙爪の如き支脈を分出す。結穴の外にさらに三五里或いは十幾里の山勢の走り未完せるあり。あれは皆是れ余気。真穴は必定口袋の肚子の如く包裹せられし当中に居り、気脈は平正、明堂は隠約見る可し。好比は封を受けし貴人の宅第・大官の官衙、一定に堂階門房あり、一定に路を引く随従と護衛あり。

趙綠督云:“尋龍鬚大盡為好。太窮盡則風吹水割,又反無力。須結穴了有餘氣方為大地。切莫錯認大窮盡處穴。一則脈窮氣散,二則護漸包穴不過,三則風吹水割,四則局面明堂寬廣不聚,五則受氣不盛,後托無力,決非大地。從有地亦不過一點露華垂於草尾而已。”

趙縁督は言う。龍を尋ぬるは要ず大処の尽頭に走り至りて才かに好し。しかし走るや太く尽きれば、すなわち風吹水割し、却って無力。必ず穴を結びし後にさらに余気ありて、才かに大地と算う。切不可最尽頭の処に於いて錯認して穴と為すべからず。一来すれば脈已に窮み気已に散ず。二来すれば護衛の山は漸々として穴を包み住がたし。三来すれば風吹水割。四来すれば局面明堂は過度に寛広にして気を聚めず。五来すれば気を受くるや盛ならず・後面の托山は無力。決して大地に非ず。縦然あそこに地あるも、不过是れ一滴の露水の草尖に挂かるが如し。

范越鳳云:“大富大貴之地,必不在大窮盡處。大窮盡處多是風吹水刦。眞龍盤泊,必分牙布爪,結穴之外,有三五里或十數里餘氣,並皆暗助。如人之巨室,其寢息之處,必在堂奧之中矣。”

范越鳳は言う。大富大貴の地は、必定最尽頭の処に在らず。最尽頭の処は多半是れ風吹水劫の所。真龍の盤踞停泊する時、一定に牙爪の如き支脈を分出す。結穴の外にさらに三五里或いは十幾里の余気あり、皆暗中に於いて幫襯す。これは人家の大宅院に譬うれば、主人の安寝する処は一定に堂屋の深処に在り。

右餘氣之說,本是怪穴。此等名墓,處處有之。如婺源朱夫子祖地、莆田林婆墓、樂平洪忠宣公、馬碧梧丞相、吾邑張忠定公諸祖地,皆其格也,圖附下。右地在婺源縣二十七都,地名官坑嶺,乃朱夫子四世祖妣墓也。予兄弟曩在朱氏觀文公家譜,雲四世祖名惟甫,配程氏,行恭二,名荳蔻,葬二十七都丹陽鄉環石裡,地名官坑半嶺,金斗形樑上穴。庚申山,正坎作丙向,嘉佑四年己亥八月吳景鸞下。

以上の余気に関する説法は、本来講ずる是れいわゆる「怪穴」。此一類の名墓は到る処皆あり。譬えば婺源の朱熹の祖地・莆田の林婆墓・楽平の洪忠宣公・馬碧梧丞相および本県の張忠定公の几処の祖地、皆この格に属す。図は下面に附す。図中に記する所の地は婺源県二十七都にあり、地名は官坑嶺、是れ朱熹の四世祖母の墓。我ら兄弟は従前に朱氏の観文公の家譜の上に見て曰く。四世祖の名は惟甫、配偶は程氏、排行は恭二、名は荳蔻、二十七都の丹陽郷環石里に葬る、地名は官坑半嶺、形は「金斗形」、穴は梁の上に在り。庚申の山に坐し、正坎方に於いて丙向を立つ。嘉祐四年己亥八月に呉景鸞に由りて点定せらる。

課云:“金斗穴居梁,朝案信鴉崗。溪山環九曲,道學世流芳。”未下之前有記云:“官坑龍勢異,穴高眾山聚。坎離交媾精,筆峰天外起。富不及陶朱,貴不過五府。當出一賢人,聰明如孔子。”

当時の課記は説く。金斗形の穴は梁の上に居り、朝山案山は正しく信鴉崗に対す。谿水と山峦は環出して九道の彎曲。道学の名は世代流芳せん。下葬の前に別に一段の記語ありて説く。官坑のこの条の龍は気勢特異、穴位は高く居りて衆山は攅聚す。坎離の二気は交媾して精を成し、筆架の如き山峰は天外より聳起す。富を論ずれば陶朱公に比べ及ばず、貴を論ずれば五府の職を超過せず。しかし応に一位の賢人を出すべし、聡明なること孔子の如し。

按:此地正幹,迢迢甚遠,不能悉述。比入首,橫列雲錦帳。帳之巔微起雙峰。峰下各出微脈,隱隱隆隆,數節走馬娥眉大星,貼在帳身。微茫合氣,細察則有,粗看則無,非俗眼所能檢點。入首束氣結咽,復頓起土星開窩之格,形體甚秀。窩間又有微乳,穴粘乳頭。坐下平坦,藏風聚氣,穴情完固可愛。

徐氏按ず。此地の走るは是れ正干龍、来路は迢迢として甚だ遠し、一一に叙述する能わず。将に入首せんとする時、横列して一道の「雲錦帳」を出し、帳頂は微微として两座の山峰を起し、峰下は各自細微の脈を伸出し、隠隠隆隆。接続して几節の「走馬娥眉」の如き大星、帳身の上に貼す。この股の脈気は細微なること几んど見えず、細察して才かにあり・粗看すればすなわちなし。是れ俗人の眼力の検点し得る所に非ず。入首の処は気脈は収束し・咽喉を結成し、また頓起して一座の土星を開きて窩形の格局を出す。形体は十分に清秀。窩中にさらに一点の微微の「乳」あり、穴はすなわち乳頭の上に粘す。穴下の坐処は平坦、風を蔵得住・気を聚得住、穴情は完固可爱。

兩旁拱衛羅列,莫知為萬仞山巔。元辰水雖當前傾跌三十餘步,得本身一掬近案橫攔,緊巧有力,不見水去,且迂迴曲折,亦不為害。但主離鄉而已。故文公遷居建陽,乃其驗也。近有鵝子峰作案,已自秀異。而外陽又有特異奇峰,遠在天表,聳入雲漢。登穴視之,勢如熖動,清奇可愛。

両旁の山は拱衛羅列し、あそこに立って根本に自己が万仞の高き山頂の上に在るを覚察して出さず。穴前の「元辰水」は前に向かい傾瀉すること三十多歩なるも、好し本身に一段の近案ありて手掌の一掬の如く横攔し、緊湊巧妙にして力あり、水流の去るを望見せず。水はまた迂回曲折して、もまた害を為さず。只不过子孫の郷を離るるを主すのみ。だから朱熹は後来建陽に遷居せしは、正にこの一点の応験。近処に鵞子峰ありて案山を作し、已に秀異に夠う。外面の明堂にまた特別奇異の山峰あり、遠く天辺に在り、高聳して雲に入る。穴場に登りて望去れば、あの気勢は火焰の跳動するが如く、清奇可爱。

且水星帳北,火星朝南,東木西金夾照,土星結穴居中,謂之五星守垣,眞至貴之地也。然以俗眼觀之,龍身奔去三十餘里始盡,而此間以橫落微茫數節之脈結穴,高在山巔,無明堂,而水又流去甚遠,孰識為此等大地?雖然,我文公朱夫子乃間氣所鍾,固非一穴之地所能孕育。然以課記考之,其符應若是,孰謂於地理盡無與哉!

再び格局を看る。水星は帳の北面にあり、火星は南面に於いて来たりて朝し、東辺の木星と西辺の金星は左右に夾照し、土星は穴を結びて正中に居す。これを「五星守垣」と呼ぶ。確かに極貴の地。しかし俗人の眼裏には、この条の龍身はさらに三十多里を奔出して才かに尽頭に到り、而して此処は却って横落して下りし几節の細微の脈を用いて穴を結び、高く山巔に踞り、明堂なく、水はまた流れ去ること甚だ遠し。誰か認出し得ん、これが是れこのような一塊の大地なるを。話は此の如しといえども、我らの文公朱夫子は乃是れ天地の間の隔世に一出の秀気の鍾する所、本是れ一処の穴地の孕育し得る所に非ず。然而るに当年の課記を拿りて対照すれば、応験は竟に此の如く絲絲入扣。誰か能く地理のこれに対して全く干係なしと説かんや。

傳疑:樂平洪士良同師吳景鸞至官坑嶺下。士良偶渴,探泉飲之。走謂師曰:“此泉甚異,當有至貴之地。”國師亦往,索泉嘗之曰:“是泉有翰墨香,豈但貴也,當產大賢!”因至山巔觀之,果見其穴。呀曰:“秀鍾於此,以報朱氏。”

以下の一段は伝聞の存疑に属す。楽平の人洪士良は彼の老師呉景鸞に随い官坑嶺の下に走り至り、士良は偶然口の渇き、泉水を找到して飲み、跑り去りて老師に対して曰く。この泉水は甚だ特別、附近に応に極貴の地あるべし。国師呉景鸞もまた走り過ぎ去り、泉水を要して一口を嘗めて、説く。この泉水の裏に翰墨の香気あり。豈に貴のみならん、応に大賢を出すべし。ここに於いて山巔に登りて察看すれば、果たしてあの穴を找到し、驚歎して曰く。山川の秀気はここに鍾聚す。是れ朱氏の一家に報答せんと欲するなり。

然其地自山下至穴所約七里許,而送龍兩水,右出石檢土名,前水直流五店土名,穴高水遠,不利初代。窀穸畢,用巨石壓而封之。後果以不利慾遷焉,竟得石壓而止。又云:初,獻地者謂有天子氣象,未決。往邀其師,繫一僧來觀,曰:“當出夫子”。吳公晚年落髮學禪,故傳為僧耳。按《吳公傳》有“髠髮自縱”是也。

不过この塊の地は山下より穴場に至るまで約七里あり、龍を送るの两条の水は、右辺の一条は地を名づけて石検と曰うの処に流出し、前面の一条は直流して地を名づけて五店と曰うの処に到る。穴は高くして水は遠し。頭の几代に利せず。下葬を完畢した後、巨石を用いて圧住して封好す。後来果たして不利を因として遷葬せんと欲するも、終に巨石の圧する有るを因として罷めたり。もまた一説あり。起初に地を献ずる人は此地に天子の気象ありと称し、主意を拿り定めず、すなわち彼の老師を請いに去る。請い来たるは是れ一位の僧人、看て後に説く。此地は応に夫子を出すべし。これは是れ呉景鸞の晩年に髪を剃り禅を学ぶを以て、だから伝説の裏に於いて僧人と成れり。『呉公伝』の裏に「髪を剃り去り・自ら放達を求む」の話あるを查すれば、以て証と為す可し。

右地在福建興化府城內,土名烏石山。其龍與府龍共祖,來歷甚遠。至紫帽山,連生紫微、紫霄,名曰三紫。磅礴綿亙數百里,盤旋融會,氣勢雄偉,千形萬狀,不可殫述。將入局,開帳重重,巍峨嵡嵷。復大斷過峽,分為兩枝。其右出者結府治及莆田縣都閫、衛所、儒學各衙門;其左出者,自分脈後復穿田,連過數峽,頓伏棲閃,逶迤活弄,莫可測度。

下一幅の図に記する所の地は福建の興化府城の内にあり、地名は烏石山。この条の龍は府城の龍と同一の祖、来歴は甚だ遠し。紫帽山に到り、接続して紫微・紫霄の両峰を生出し、合して「三紫」と称す。気勢は磅礴、綿亙数百里、盤旋融會、雄偉壯濶、千形万状、説いて尽す能わず。将に局に入らんとする時、重重に帳を開き、巍峨崇峻。続いて大幅に跌断して峡を過ぎ、分かれて両枝と為る。右に往きて出づる一枝は府衙および莆田県の都司・衛所・儒学の各处の衙門を結成す。左に往きて出づる一枝は、脈を分かちし後また田野を穿り過ぎ、接続して幾個の山峡を経過し、頓伏栖閃・綿延游動し、変化は測り難し。

入首,起走馬三臺仙帶貴格,卓起巨石,如奇葩,如靈芝。穴結石下,僅尋丈之土,為騎龍穴。穴前不數丈,復起巨石,昂然朝拱,取作觀音坐蓮形,以其群石遶穴也。穴下龍脈撒落平陽,去結方、林、黃、陳諸族陽基。正近穴前,為演武場。右水遶左,以接海潮。壼公山端嚴朝拱,以為正案。

入首の処、「走馬三台」「仙帯」のこのような貴格を起し、また卓然として巨石を立て、奇花の如く、霊芝の如し。穴は石の下に結び、ただ丈把見方の土のみあり、「騎龍穴」に属す。穴前は不过几丈、また一塊の巨石を起し、昂然として朝拱す。ここにおいて名を取りて「観音坐蓮」の形と為す。それの群石の穴場を環繞するの意を取る。穴下の龍脈は平原に撒落し、前に往きて方・林・黄・陳の几姓の族人の陽宅基址を結成す。穴前に緊挨するは演武場。右辺の水は左辺に遶りて、海潮を接ぎに去る。壺公山は端厳斉整に朝拱して来たり、正案を作す。

但左邊一曠百里,直抵大海,莫有下關,龍勢不止。右砂攛過明堂,兼以巨石磷磷,無龍無虎,孰信以為大地?唐時,林母賣餈粿。有藍縷生日逐食粿。母與之不吝。歲久,生謂母曰:“吾受母惠,無以報。吾將去矣。烏石山有大地,母可圖為壽藏,異曰富貴無窮。”林母從其言,果葬之,今稱為餈婆墓,福建各林之祖。世謂“無林不開榜”,此地之鐘秀也。自唐宋迨今,科甲之多,海內莫與倫焉。

ただ左辺は空曠百里、一直に大海に通じ、下手の関攔なく、龍勢は似て未だ止住せざるの如し。右辺の砂はまた明堂を竄り過ぎ、加うるに巨石は嶙峋、既に青龍なくまた白虎なし。誰か肯んじてこれを信ぜん、是れ一塊の大地ならんと。唐朝の時、林家の老母親は餈粑を売るを以て生を為し、一個の衣衫襤褸の書生ありて天天来たりて餈粑を討ち喫す。老母親は彼に給うや従りて吝惜せず。日子は久しきを久し、書生は彼女に対して曰く。我は您の恩恵を受け、以て報いる無し。我は将に去らんとす。烏石山の上に一塊の大地あり。您は以て寿蔵の所を謀り来る可し。日后富貴は無窮ならん。林母は彼の話に依り、果たしてあそこに葬る。如今は餈婆墓と称す。是れ福建の各支の林姓の祖墳。世人は説く「林を姓するなければすなわち榜を開き出す能わず」、正にこの塊の地の鍾秀の致す所。唐宋より直到今天に至るまで、林氏の科挙登第の多きは、海内に比する能うるなし。

右穴在樂平,地名巖前,宋忠宣公洪皓曾祖妣地也,乃公曾祖士良所下。士良嘗師吳景鸞,深得其旨。扦此地,具圖作課,用硃筆於出使馬處拖之記云:“後世吾子孫有出使外國,久不遠鄉者,可以拖處鑿斷即返。”後果忠宣公使金,久未歸家。檢此圖,如其語斷之,公遂得返。迄今鑿處跡存。忠宣公三子:文惠公適官樞密使,文安公遵官同知樞密,文敏公邁官端明學士,世稱三洪雲。

下一幅の図に記する穴は楽平に在り、地名は岩前、是れ宋代の忠宣公洪皓の曾祖母の墓地、洪公の曾祖洪士良の点たる所に由る。士良はかつて呉景鸞に師従し、深くその中の要旨を得たり。彼は此地を点定した後、図を画きて課を作し、朱筆を用いて図上のあの匹の出使を象徴する「馬」の形の砂の処に於いて一筆を拖り、記して曰く。後世の我が子孫若し外国に出使し久留して帰らざるあらば、以て拖筆の処を鑿断すべし。人はすなわち回り来たらん。後来忠宣公は果たして金国に出使し、甚だ久しく家に帰る能わず。家人はこの幅の図を查検し、彼の話に照らしてあの処を鑿断し、洪公はここに於いて返回するを得たり。到今天に到るも鑿り過ぎし痕跡はなお在り。忠宣公に三個の児子あり。文恵公洪适は官は枢密使に至り、文安公洪遵は官は同知枢密院事に至り、文敏公洪邁は官は端明殿学士に至る。世人は之を「三洪」と称す。

按:是地來龍極旺,入局為三臺飛蛾,中抽一脈,穿田過峽即結穴。穴甚清巧可愛。穴下鋪平坦,前為幹墠,復自左起微埠,頓二小峰為案,拖腳順水,為馬頭帶劍,主使外國耳。但穴前逼迫,既無龍虎,又無明堂。其穴後之山又連起四峰,成星體,而去甚遠。雖重重衛穴,然以俗觀,則鬼刦太重,烏知此餘氣適足以證力量之大耶!

徐氏按ず。此の塊の地は来龍極めて旺。局に入る時は「三台飛蛾」の形を成し、正中より一条の脈を抽出し、田野を穿り・山峡を過ぎてすなわち穴を結ぶ。穴形は十分に清巧可爱、穴下は鋪展平坦、前面は一片の乾净の平場。また左辺より一座の小土埠を起し、頓く两個の小峰を出して案を作し、拖出の脚は水に順いて去り、形は「馬頭帯剣」の如し。だから子孫の外国に出使するを主す。ただ穴前は逼窄、既に龍虎の二砂なく、も明堂なし。穴後の山はまた接続して四座の峰を起し、皆星体を成し、しかも伸出すること甚だ遠し。これらの山は重重に穴を護衛するといえども、可なりしも俗人の看ては、「鬼」「劫」は未免太く重し。彼らは何れぞ知らん、此の一段の余気は恰恰として以て此地の力量の大なるを証明す足るを。

且拖去之曜,當時已知為離鄉砂矣,乃不鑿天於葬之日,而顧俟其出使久不回也,使鑿之。鑿之而果回也,是何料事於豫如目前也哉!地理自有符驗處,要之,哲師之有眞傳,有定衡,有灼見,俱不可少也。藉令鑿於未有忠宣以前,則曜氣被傷,安知果能得忠宣者起而應之?又不然而即鑿於出使之初,吾恐出使者又禍且不測矣。噫!各各不爽,此所以稱哲師哉!

再説あの拖出去りし「曜星」は、当時就已に看出して是れ離郷の砂と為せり。洪士良は却って下葬の当天に於いて鑿断せず、偏偏として子孫の出使して久久帰らざる時に到るを待って才かに人を叫びて去りて鑿がしめたり。一たび鑿れば果たしてすなわち回り来たれり。此の種の預先に事を料るや竟に眼前を看るが如し。何等の準確なるや。地理は自ら応験の処あり。総じて、明師は必ず真伝あり・定准あり・透徹の見識ありを要し、三者は一を欠く可からず。假使忠宣公のなお未だ出生せざる以前に於いて鑿断せば、曜気は傷を受け、怎様に保証してなお能く忠宣公の此の如き人ありて起ちて此地に応ぜんや。再び然らざれば、若し彼の剛に出使せし時に於いてすなわち鑿せば、我は出使の人の却って不測の禍に遭わんを怕る。ああ。毎一歩皆分毫を差えず。これ才かに明師と称すに配す。

右丞相馬廷鸞祖地,在樂平縣,地名雀兒龍。廖金精課云:“先師黃老善尋龍,五福源頭兩發蹤。山東地名來祖四十里,丙午丁未山為龍。迢迢宛轉乾亥骨,乾亥五里穴其中。丑癸二山為出面,出面是穴為仙宮。坐癸向丁來正案,案前聳出貴人峰。

下一幅の図に記するは是れ丞相馬廷鸞の祖地、楽平県に在り、地名は雀児龍。廖金精の作る所の課記は説く。先師黄老先生は善く龍を尋ぬ、五福の源頭は両処より蹤跡を発出す。山東のあの処の地名の来祖は四十里遠し、丙午丁未の方位の上の山は是れこの条の龍。迢迢曲折、走る是れ乾亥方の骨脈、乾亥方の五里の内に穴はすなわちその中に在り。丑癸の两座の山は是れ出面の処、出面の地方に穴を結び、便ち仙宮と成る。癸に坐して丁に向かい、正案は迎面して来たり、案前に一座の貴人峰を聳起す。

貴人卓入青雲裡,日月捍門山更隆。秀山在案頭邊出,排衙列陣山重重。男女子孫分位次,一十二座貪狼峰。庚寅生人遇年月,甲科當出狀元公。午未生年為最妙,高薦及第榮祖宗。子午命,庚寅官。”龍圖廷鸞命壬午,至丁未及第,登臺鼎位,果符金精之課。惜乎水短居絕位,富夭貧強貴不終。

課記は続いて説く。貴人峰は高聳して青雲に插入し、日月の両山は水口を守りてさらに崇隆を顕す。秀麗の山は案頭の一側より生出し、官府の排衙列陣の如く重重叠叠。男女子孫の位次は山峰に由りて分定し、共に十二座の貪狼峰あり。庚寅年生の人は若し応期の年月に逢上せば、科甲の中は応に状元を出すべし。午年未年生のは最も妙、高く中りて第に及び・祖宗を栄耀せん。子午の命は、庚寅に官を得ん。龍図閣学士馬廷鸞は是れ壬午年生、丁未年に到りて進士を考中し、官は宰輔の位に登り、果たして廖金精の課記に応ぜり。可惜水流は太く短くまた絶位に落つるを以て、だから富は長久せず・貧の時は却って強く、貴もまた善終する能わず。

按:是地以廉貞作祖,迢遞數十里,入局開帳頓跌,大小一十二峰,龍勢旺處,轉身結顧祖之穴,極其藏聚。穴垂乳頭,前吐氈褥,下臂抱裹,四勢擁從有情,近案圓平,遠朝秀異,雖穴在窮源,局甚逼窄,而山皆光彩不麄。

徐氏按ず。此の塊の地は「廉貞」火星を以て祖山を作し、迢迢として数十里して来たれり。局に入る時は帳を開き頓跌し、大小共に十二座の峰。龍勢の最も旺の処に於いて身を転じて祖山を回顧して穴を結び、収蔵聚気すること極処に到れり。穴上は乳頭形を垂れ、穴前は毡褥を吐出し、下手の一臂は環抱包裹し、四面の山勢は擁護有情。近処の案山は圓平、遠処の朝山は秀異。穴は水の窮尽の源に落ち・局面は甚だ逼窄なるといえども、但しあの些の山は皆光潤有彩・並びに粗悪ならず。

且水出口處,兩岸卓立石墩,水從中流,謂之日月捍門,至貴之證也。餘氣山去數里,又結方御史祖地,正見氣盛不已也。但坐後仰瓦,又無樂山,橫龍結穴,形勢不止,又扦粘穴,非明師其孰能之?相傳黃師所下,惜失其名。廖金精撰課稱曰“先師”,蓋亦深服之矣。

再者水流の出口する処は、両岸は卓然として石墩に立ち、水は当中より流れ過ぐ。これを「日月捍門」と呼ぶ。是れ極貴の証佐。余気の山は几里を伸出し、また方御史の祖地を結成す。正に此地の気盛にして止まざるを見る可し。ただ穴後の地形は仰瓦の如く凹陷し、また楽山なし。横龍の結穴に属し、形勢は並びに未だ真に停住せず。さらに点ずるは「粘穴」。是れ明師に非ざれば誰か能く到做せん。相伝えて一位の黄師の点たる所と為すも、可惜姓名は失伝。廖金精の課記を写す時に彼を「先師」と称す。見る可し、もまた是れ十分に佩服するなり。

右倒騎龍穴,地在吾邑新營水南五里,土名烏石源,遊蜂戲蝶形。宋參知政事忠定公燾祖地,繫國師吳景鸞下。課曰:“前有三峰,後有七星,水分八字,官顯無涯。”後出一宰執、二候、進士五十餘人,登仕藉者百餘人。子孫甚蕃,稱十院張氏。今富貴未艾。

下一幅の図は是れ一処の「倒騎龍」穴、地は本県の新営水南五里に在り、地名は烏石源、形は「游蜂戯蝶」の如し。是れ宋代の参知政事忠定公張燾の祖地、国師呉景鸞の点たる所に由る。課記は説く。前面に三峰あり、後面に七星あり、水流は分かれて八字を作し、官位は顕達無辺。後来此の一家は一位の宰執・两位の封侯・五十多位の進士を出し、仕籍に登るは一百多人あり。子孫は極めて繁盛、人は「十院張氏」と称す。如今富貴は仍お未だ衰歇せず。

按:是地龍自高嶺天池峰卸下霞帔,垂絲落脈,為岡埠,在平坡間磊磊落落,如蜂屯蟻聚者,相望數里。過峽重重,而枝葉甚蕃衍,護從極周密。比入局,卻又如拋梭,如撒珠,之玄走弄,棲閃萬狀,不可捉摸。殆未易以形容其美也。有龍如此,安得不結極美之穴?

徐氏按ず。此の塊の地の龍は高嶺天池峰より霞帔の如き山勢を卸下し、糸を垂るが如く脈を落し、一片の岡埠と化成し、平坡の間に磊落散布し、蜂屯蟻聚の如く綿連数里。峡を過ぐること一重また一重、枝葉は極めて繁茂、護従は極めて周密。将に局に入らんとする時、また拋出せる梭子・撒開せる珠子の如く、「之」の字「玄」の字を作すが如く游走し、左栖右閃・姿態万千、人をして捉摸せしめ定まらず、简直にその美を形容し難し。このような龍あれば、怎んぞ極美の穴を結出せざらんや。

故其穴結後,又有許多餘氣去為陽基,為陰地,適見正穴之力量極大耳。但餘氣山雖去,為橫帳列於穴後,枝枝葉葉,包裹穴之左右,併為水口兩邊龜蛇等砂。卻登穴不見有山,立於墳頭,回視背後及左右,一望皆為青天,似於空曠。而結穴處最低平,又非高壟俯視群卑之比。遠著腳力,仔細檢點,始知群山皆顧定穴場,未敢離也。

だからそれの穴を結びし后、さらに許多の余気ありて伸び出去り、或るものは陽宅基址と成り、或るものは陰宅墳地と成る。恰好に正穴の力量極大を顕出す。これらの余気の山は走り出去りしといえども、却って横に帳幕を成して穴後に排し、枝枝葉葉は穴の左右を包裹し、さらに水口両辺の亀砂蛇砂を兼作す。しかし穴場に登れば却って山を見ず。墳頭に立ちて背後と左右を回望すれば、一眼に望去皆是れ青天、似て甚だ空曠の如し。而して結穴の処はまた最も低平、並びに高壟の上の如く群山を俯視するに似ず。要走り遠く一些に細細として検点して、才かに群山は皆この処の穴場を回顧守定し、誰も敢て離開せざるを知らん。

且近案既不端尊,遠朝又不秀異,又無龍虎,又無明堂,又不見水。面前簇簇多山,似於逼窄。而穴後反空,無一可入俗眼,誰信為此等大地?予兄弟初嘗裹糧擔簦往觀數次,莫測其奧,駁難推求,竟亦無憑。後獲穴法眞傳,始知其妙,妙在穴也。故此等怪穴,茍非有天然之美,即過龍矣。《葬書》五凶,此其一也。趙緣督翁云“十個騎龍九個假”,正恐人不識有穴無穴而誤下過龍耳。故哲師全在識穴。

しかも近案は既に端正尊貴ならず、遠朝はまた清秀奇異ならず、既に龍虎の二砂なく、また明堂なく、も水を見ず。面前は山峰簇簇、似て逼窄の如く、穴後は却って空曠。一処として能く俗人の眼に入るなし。誰か肯んじてこれを信ぜん、是れこのような一塊の大地ならんと。我ら兄弟は当初かつて乾糧を帯び・行装を挑いて去看すること好几次せり。其中の奥妙を猜透せず、反復辯難推求するも、終に憑拠なかりき。後来点穴の法の真伝を得て、才かにその妙は何処に在るを明白す。妙はすなわちあの個の穴の上に妙あり。だから此一類の怪穴は、若し是れ天然の美を具備せざれば、すなわちただ過龍のみ。『葬書』の列する所の五種の凶地、これは便ちその中の一种。趙縁督老先生の説く「十個の騎龍は九個は假」、正に是れ人の穴あり穴なきを分け清めず、誤りて過龍を把りて穴と当てて葬り下すを怕るるなり。だから明師の本事は全く穴を識るに在り。

以上諸圖,皆是結穴之後,有餘氣之山奔去數十里。其去者因皆為我用神,而卻又有結作,但力量為輕耳。如文公祖地結穴後,去數十里結方憲副祖地仙人抱龍形,及黃氏祖地海口董氏虎形。林婆墓結後,又去作諸貴族陽基。

以上の此の几幅の図は、皆是れ穴を結びし后にさらに余気の山ありて幾十里を奔出するの例子。走り出去りしこれらの山は既に皆我の用い得る「用神」と成り、同時にそれらは自己もまた能く地を結ぶ。ただ力量は較軽なるのみ。譬えば朱熹の祖地は穴を結びし后、前に往きて幾十里に方憲副の祖地「仙人抱龍」形・および黄氏の祖地・海口董氏の虎形地を結成す。林婆墓は結成の后、余気はまた前に往きて几家の顕貴族人の陽宅基址と成れり。

張忠定公祖地結後,又去作桃枝源金鵝抱卵形,出尚書張公憲。馬丞相祖地結後,又去作月形方氏祖地,出御史公幹。凡此之類,務須詳辨,不可以正結之穴誤認為停驛,為斬關腰結小康之地,而以大盡處餘氣所結小穴,反認為正結大地也。

張忠定公の祖地は結成の后、余気は又去りて桃枝源の「金鵞抱卵」形を結成し、尚書張憲を出せり。馬丞相の祖地は結成の后、余気は又去りて月形の方氏祖地を結成し、御史方干を出せり。此一類の情形は務めて仔細に分辮し、正結の穴を誤認して「停駅」と作し・斬関腰結の小康の地と当てる可からず。反対にまた最尽頭の処の余気の結ぶ小穴を、誤認して正結の大地と作す可からず。

重刊『人子須知』資孝地理心学統宗 巻二下之二

江右山人徐善繼述 同著。此卷專論龍有山壟、平岡、平地之不同,初落、中落、末落之不一;又有生死、強弱、順逆、進退、福病、刦殺之殊,出脈受穴,入首結局之異,皆龍家之肯綮也。

本巻は同じく江右山人徐善継・徐善述の兄弟が共同に撰述する。この一巻は専ら龍に山壟・平岡・平地の三種の形勢の不同あり・初落・中落・末落の三種の落局の分別ありを討論す。又生と死・強と弱・順と逆・進と退・福と病・劫と殺等の格の差異、および脈を出で・穴を受け・入首・結局の上の種種の不同あり。これらは皆龍を論ずる一家の最も関鍵の骨節の所在。

龍の分かれて三勢を為すを論ず

《經》曰:“五氣行乎地中,發而生乎萬物。其行也,因地之勢;其聚也,因勢之止。是故氣囿於形。”而形分三勢焉,曰山壟之勢,曰平岡之勢,曰平地之勢也。何謂山壟之勢?其龍踴躍奔騰,起伏頓跌,磊落低昂,《葬書》所謂“若伏若連,其原自天。若水之波,若馬之馳。”又曰:“勢如萬馬,自天而下。”吳公譬之“群羊之出棧”者是也。李淳風名為起伏脈。

『葬経』は言う。五行の気は地中に於いて運行し、発出すればすなわち万物を生成す。それの運行するは地の形勢に依り、それの聚集するは形勢の止歇に依る。だから気は形に限定せらる。而して形は三種の勢に分かつ。一は是れ山壟の勢、二は是れ平岡の勢、三は是れ平地の勢。何をか山壟の勢と謂う。此の種の龍は踴躍奔騰・起伏頓跌、山峰は磊落にして忽低忽高。すなわち『葬書』の言う所。伏するに似てまた連なるに似て、源頭は天際より来自す。水面の波浪の如く、奔馳の馬群の如し。又言う。気勢は万馬の天より下るが如し。呉公はそれを把りて「羊群の欄を出づ」に比作す。説くはすなわち此の種。李淳風はそれに名を取りて「起伏脈」と呼ぶ。

何謂平岡之勢?其龍逶迤奔走,屈曲擺折,之東走西,活動宛轉,《葬書》所謂“宛委自復,迴環重複。”又曰“逶走東西,或為南北。”吳公譬之“生蛇之出洞”者是也。李淳風名為“仙帶脈”。

何をか平岡の勢と謂う。此の種の龍は綿延奔走・屈曲擺折、忽東忽西・霊活宛転。すなわち『葬書』の言う所。曲折回旋にして自ら相往復し、環繞重叠す。又言う。蜿蜒として時に東西・時に南北。呉公はそれを把りて「活蛇の洞を出づ」に比作す。説くはすなわち此の種。李淳風はそれに名を取りて「仙帯脈」と呼ぶ。

何謂平支之勢?其龍坦夷曠闊,相牽相連,珠絲馬跡,藕斷絲牽。平中一突,鋪氈展席,《葬書》所謂“隱隱隆隆,微妙玄通,吉在其中。”又曰:“地有吉氣,土隨而起;支有止氣,水隨而比。”吳公譬之“草蛇灰線”者是也。李淳風名為“平受脈龍”。

何をか平支の勢と謂う。此の種の龍は平坦開濶、前後は相牽連し、痕跡は串珠の如く細かく・馬蹄印の如く微かに、好像は藕は断えるといえども糸はなお連なるが如し。平地の当中に微微として一たび突き、一張の毡を鋪き・一領の席を展ぐるが如し。すなわち『葬書』の言う所。隠隠約約・若有若無、微妙にして玄通、吉気はすなわちその中に在り。又言う。地裏に吉気あれば、土はすなわちそれに随いて隆起す。支脈に止気あれば、水はすなわちそれに随いて相依す。呉公はそれを把りて「草中の蛇・灰上の線」に比作す。説くはすなわち此の種。李淳風はそれに名を取りて「平受脈龍」と呼ぶ。

雖變態不一,若難以定法拘。然大都不外此三勢耳。三勢不同,其融結力量輕重大小,本無二致。然所謂山谷多起伏格,平岡多仙帶格,平陽多平受格,亦只舉大概言之。要之,三格之龍皆起於高山大壟,而分落平岡平地,故雖山谷亦有落平岡平地而結穴者。平地中亦有墩埠忽然連起而結穴者,此則又為奇特。

龍の変化は多端なるといえども、好像は固定の法則を以て去りて框定し難し。可なりしも大体上は此の三種の勢を出でず。三勢は同じからざるといえども、それらの凝結して穴を成すの力量軽重大小は、本来並びに高下の別なし。説くに山谷は多是れ起伏格・平岡は多是れ仙帯格・平陽は多是れ平受格に至っては、あれもまた不过是れ大概を挙ぐるのみ。総じて、此の三格の龍は皆高山大壟に発源し、然る後に平岡平地に分落す。だからたとえ山谷の裏に在るも、もまた平岡平地に落ちて才かに穴を結ぶあり。平地の中もまた忽然として几座の土墩を連起して穴を結ぶあり。あればすなわちさらに奇特を為す。

蓋山谷以起伏為常,而落平田則脫卸得清;平田以平受為常,而起墩埠則氣聚得旺。《經》曰:“高山大嶺多尖峰,不似平原一錐卓。”《賦》曰:“窮源千仞,不如平地一堆。”是言平地以墩埠為貴也。《經》曰:“山來壟右尖如削,盡起貪狼更高卓。此地如何不出文,只為峰多反成濁。”又曰:“或從高山落平地,或從大山落低小。不知山窮落坪處,穴在坪中貴無敵。”是言山谷以落坪為貴也。

山谷の裏は起伏を以て常態と為し、一旦平田に落ちれば、すなわち脱卸するや乾净を顕す。平田の裏は平受を以て常態と為し、一旦土墩を起せば、すなわち聚気特別に旺を顕す。『龍経』は言う。高山大嶺の上は尖峰甚だ多し、却って平原の上の孤零零として卓立せる一個の錐形の土堆に如かず。『賦』の裏は説く。窮源の処は山高千仞、平地の上の一個の土堆に如かず。これは説く、平地は墩埠を以て貴と為す。『龍経』又言う。山は壟右より来たり、尖きこと削り過ぐるが如し。尽頭の処は貪狼星を起してさらに高聳す。此の如き地は何を因として文人を出さざる。只因峰は太く多くして却って混濁せり。又言う。或るものは高山より平地に落ち、或るものは大山より低小の形に落成す。山の尽きて坪に落つるの処、穴は坪中に在りて貴きこと無敵なるを知らず。これは説く、山谷は落坪を以て貴と為す。

然起伏格雖星峰磊落,而平岡平地亦有星辰。惟是倒地平面,未易檢點。吳公《口訣》云:“眠倒星辰豎起看,卻與高峰同一樣。高峰萬仞受風吹,不是平波龍氣旺。”是故三勢之龍,各自有妙,未可以星峰高下論優劣也。如以天下大形勢論之,隴、蜀、兩廣多山,冀、周、齊、魯多平洋,吳越多岡埠,而人才在在有之。可見高山平地之融結,其稟有造化則一也。

起伏格は固然に星峰磊落なるも、可なりしも平岡平地の上もまた一様に星辰あり。ただそれらは是れ躺倒の平面、容易に検点し難きのみ。呉公の『口訣』は言う。躺倒の星辰を把りて竪起して看れば、其の実は高峰と一模一様。高峰万仞は却って風吹を受くるを要し、却って平緩起伏の処の龍気の来るや旺に如かず。だから三種の勢の龍は各々その妙処あり。星峰の高低を拿りて来たりて優劣を論ずる能わず。若し天下の大形勢を以て看れば、隴右・蜀地・両広は山多く、冀州・周地・斉魯は平洋多く、呉越の一帯は岡埠多し。而して各地は皆人才を出す。見る可し、高山と平地の凝結は、造化を禀受する此の一点は是れ一様。

左起伏格:一起一伏,大頓小跌,斷而復起,起而又斷。或高或下,有低有昂。卜氏云:“一起一伏斷了斷,到頭定有奇蹤。”宜星峰磊落,山勢奔騰,千峰聳秀,萬嶺巍峨,為得其本體。左仙帶格:屈曲擺折,逶迤活動,如生蛇,如飄練,如之玄,如飄帶。卜氏云“脈若帶連,何必高昂之阜”是也。宜活動擺折,屈曲悠揚,為得其本體。左平受格:脈落平洋,一望無際,相牽相連,微有體勢,高一寸為山,低一寸為水。卜氏云“勢如浪湧,何須卓立之峰”是也。要平中有突,為得其體。

原書の此処に三格の図を配すも、今図形は存せず、ただ図題と説明を照録す。左辺は是れ「起伏格」。一起一伏、大処は頓・小処は跌、断えてまた起ち・起ちてまた断つ、忽高忽低・俯あり仰あり。卜応天は言う。一起一伏・断えてまた断えば、頭に到りて必定奇特の蹤跡あり。此の一格は星峰磊落・山勢奔騰・千峰聳秀・万嶺巍峨に宜しく、才かにその本体を得ると算う。左辺は是れ「仙帯格」。屈曲擺折・綿延霊動、活蛇の如く、飄動の白練の如く、「之」の字「玄」の字の如く、飄起の衣帯の如し。卜応天の言う「脈若し帯子の如く相連なれば、何必に高昂の土阜を要せん」、正にこの意。此の一格は霊活擺折・屈曲舒揚に宜しく、才かにその本体を得ると算う。左辺は是れ「平受格」。脈は平洋に落ち、一望するに際なし、前後は相牽連し、ただ微微の体勢あり。高きこと一寸あればすなわち山と算え、低きこと一寸下ればすなわち水と算う。卜応天の言う「気勢は浪涌の如く、何の卓立の山峰を須いん」、正にこの意。此の一格は平中に突起あるを要して、才かにその本体を得ると算う。

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