Libo

枝龍を論ず

明 · 徐善继、徐善述 · 第7巻 / 56

作盤ガイド: 玄空飛星の作盤, 暦注(黄暦)

楊筠松《龍經》千言萬語,皆歸重於幹龍,蓋舉其力量之大而言之耳。然山脈分枝分派,幹龍最少,枝龍極多。故論地只可以眞偽辨,不可以大小拘。《經》云“大地難得小易求”,烏可謂枝龍地小而忽之?況幹龍大地,有鬼神所司,苟無陰德,未可睥睨。而枝龍之地,在在有之,易於求索。故枝龍尤當究竟。

楊筠松の『撼龍経』は千言万語、重点は皆干龍の上に落つ。あれは干龍の力量の最大なるに就いて言うのである。然而るに山脈は分枝分派し、干龍は極めて少なく枝龍は極めて多し。だから一块の地を評判するはただ真假を以て分辮するのみ、大小を以て限死すべからず。『撼龍経』は言う「大地は難得小は求め易し」、怎んぞ枝龍の結ぶ地の小なるを因とし軽視するを得んや。況んや干龍の大地は自ずから鬼神の掌管あり、人は若し陰徳を積み下さざれば、覬覦するの資格すらなし。而して枝龍の地は処処皆あり、尋訪し易し。だから枝龍はさらに応に研究して到底すべし。

然枝龍亦有大枝小枝,不可不辯。夫所謂大枝龍者,即枝中之幹也。觀之,亦先其祖山。但幹龍則論大祖大宗,枝龍則論小祖小宗。故雖大枝龍,祖山亦不是遠高山巒,只小幹龍駐蹕處即龍祖矣。於此審其離祖分派,以原其始。要此處起有星辰,合五星正體中一星,或水或木,或漲天水、焰天火,或御屏土之類。

ただし枝龍もまた大枝・小枝に分かる、加えて辮別せざるべからず。いわゆる「大枝龍」は、すなわち枝の中の干。それを看るも同じく先ず祖山を看るを要す。ただ干龍の論ずるは大祖大宗、枝龍の論ずるは小祖小宗。だからたとえ大枝龍なるも、その祖山は遠処の高大の山巒に非ず、ただ小干龍の駐歇停頓するあの山があれば、すなわちその龍祖と算う。すなわちここに於いてその祖を離れ派を分かつの情形を審察し、以てその起点を推原す。ここに星辰の聳起するを要し、金木水火土の五星正体の中の某一星に合し、或いは水星、或いは木星、或いは「漲天水」「焔天火」、或いは「御屏土」の一類の格局を要す。

葢其發脈,中落為上。自離祖以後,又連起有星辰,謂之應龍,亦曰應星。有此應星合格,落脈更是中出,即謂之出身好,前去必結美地。自出身後,迢遞行度,看其穿落傳變等格何如,若眞是結地之龍,自然合格。

それの発脈の方式は、星辰の正中より落下するを以て最も好しと為す。祖山を離開した後、また接続して星辰を聳起す。これを「応龍」と呼び、また「応星」とも呼ぶ。合格の応星あれば、落脈はまた正中より出づれば、すなわち「出身好」と呼ぶ。前に往き走れば必定美地を結出す。出身以后は一路遠行し、すなわちその「穿」「落」「伝」「変」等の格局の如何を看るを要す。もし真に能く地を結ぶ龍なれば、自然に処処合格す。

或起或伏,有剝有變,或大頓小跌,或左棲右閃,或橫開闊帳而穿心中出,或之玄屈曲而擺折流行,或如生蛇之出洞,或如琢木之飛空,斷而復續,伏而再起,兩邊枝腳隨身擁護,不令風吹,或反借幹龍作遮護幛托。及其過峽之際,或穿田度脈,拋蹤閃跡,藕斷絲連。

それは或いは起こり或いは伏し、剥換あり変化あり、或いは大頓小跌の起落、或いは忽左忽右の栖閃、或いは横に一道の寛濶の帳幕を開きて帳心の正中より穿出し、或いは「之」の字「玄」の字の如く屈曲擺折して流走す。あるは活蛇の洞を出づるが如く、あるは啄木鳥の凌空して飛掠するが如し。断えてまた続き、伏し下りてまた起こる。両旁の枝脚は身に随いて擁護し、風に吹かるるを許さず。時には干脆として干龍を借りて以て遮蔽護衛の帳托を充当す。峡を過ぐるに到りては、或いは田地を穿りて脈を度し過ぎ、蹤跡を拋閃し、藕断糸連す。

脫卸之後,復起星辰,磊磊落落,或飛蛾降勢,或華蓋中抽,其本身枝腳擺列均勻,或帶倉庫,或帶旗鼓,或帶印笏,或帶劍戟,或成天乙、太乙,或成文官武將,左侍右衛,前呼後擁。

脱卸乾浄の後、また重新に星辰を聳起し、磊落分明。或いは「飛蛾」の下降の勢を作し、或いは「華蓋」の正中より脈を抽出す。それ本身の枝脚は排列均勻、或いは倉庫形の砂を帯び、或いは旗鼓形の砂を帯び、或いは印笏を帯び、或いは剣戟を帯び、或いは「天乙」「太乙」の二星を成し、或いは文官武将の形を成す。左右侍衛し、前呼後擁す。

及將結作之際,又起高大星辰,以為少祖。自此山下,或二三節,或四五節即作穴場,而穴後一節之山,或束氣結咽,或細嫩委曲,或閃斷為峽,頓起穴星,融結天然之穴,乃為最貴。其兩邊纏送護托之山,欲其重疊擁從,或住於穴後,或侍立左右。而朝迎之山,則應聳穴前。下手之山,則逆水數重,抱轉有力,乃為眞結。

将に結作せんとするに到りて、また一座の高大星辰を聳起して「少祖山」を充当す。この山より往下し、或いは二三節、或いは四五節、すなわち穴場を作出す。而して穴後に緊隣する一節の山は、或いは気脈を収束して咽喉を結成し、或いは細嫩曲折し、或いは忽閃断落して過峡と為り、随即に穴星を頓起し、天然の穴を凝結し出す。これが才かに最も貴重なり。それ両旁の纏送護托の山は、重重叠叠に簇擁随従するを要し、或いは穴後に停り、或いは左右に侍立す。朝迎の山は則ち応に穴前に聳立すべし。下手一側の山は則ち水勢に逆らいて層層に抱転し、収攔有力を要す。こうしてこそ真結作と算う。

《經》云“枝龍身上亦可截,半是虛花半是開。若是虛花無朝應,若是結實護纏回。護纏尚要觀疊數,一疊回來龍身顧,莫便將為眞寔觀,恐是護龍葉交互。三重五重抱回來,此就枝龍身上做”是也。

『撼龍経』は言う。枝龍の身上もまた以て穴場を截取し得、ただ一半は虚花にして結ばず、一半は真の開結作。若し虚花に属せば、すなわち朝山の呼応なし。若し真結なれば、護纏の山は便ち回環して内に向かう。護纏を看るにさらにそれに几重あるを数えるを要す。ただ一重回抱して龍身を顧るのみのは、すぐさま真と為すなかれ、恐らくあれはただ龍を護る枝葉の彼此交錯するのみ。三重五重ありて抱転して回り来たるを要し、才かに是れ枝龍の身上に做出した真結なり。

枝龍結穴多在盡處,則要天然明白為上,多是得水處結穴,故曰“未看山,先看水,有山無水休尋地”。多是下手之山有力,故曰“看地有何難?先觀下手山”。又曰“有地無地,先看下臂”是也。

枝龍の結穴は多く龍尽の処に在り、形勢天然・穴情明白を以て上と為す。しかも多半は水を得る処に於いて穴を結ぶ。だから「未だ山を看ず、先ず水を看よ、山ありて水なければ地を尋ぬるを休めよ」という説法あり。この類の穴もまた多半下手一側の山の有力に靠る。だから又言う「地を看るに何の難かあらん。先ず下手山を観よ」、また言う「地あるや无きや、先ず下臂を看よ」、講ずるは皆同じ一つの要領。

龍之貴者,則有貴應。或印浮水面,或龜蛇交結,或車馬聯駢,或樓臺鎮塞,或羅星關鎖,或旗鼓羅列,或日月對峙,或華表高聳。若此雖云枝龍,結作不及幹龍悠久,然有此規模,亦非中下地也。若安揷得法,主翰苑尙書侍從,方面文武之職,及富冠鄉邑,一時榮盛,朱紫滿門。

凡そ貴龍は、必ず貴気の応験の砂あり。或いは水面に印形の石を浮出し、或いは亀形砂と蛇形砂の交結し、或いは車馬形の山の連綴して行を成し、或いは楼台の山の要口を鎮塞し、或いは「羅星」の水口を関鎖し、或いは旗鼓の砂の両旁に羅列し、或いは日月の両山の対峙し、或いは「華表」の高く聳起す。これらあれば、ただ枝龍のみとはいえ、結作の福沢は干龍の如く長久ならずとも、こうある規模あれば、また中下等の地と算えず。若し向を立て葬を下すに法を得れば、翰林院・尚書省の侍従近臣を出し、一方を鎮守する文武大員、および一郷一県に富甲なる、一時興盛し、満門は皆朱衣紫綬なるを主す。

其次又有小枝龍,即枝中之枝者也。其大龍行去尙遠,而於行龍身上,或大龍峽邊,分落一枝,自起星辰,峰巒磊落,遠者三五里,近者十數節。子微云:“卻有枝龍但數節,不作穿心人易識。譬如丞參簿尉衙,豈似正衙門戶密。三節四節交節分,分得英華為子孫。”

再次一等のは「小枝龍」、すなわち枝の中の枝。この時大龍はなおさらに前に往きて甚だ遠し、却って行龍の身上、或いは大龍の過峡の旁に於いて一枝を分落し出し、自ずから星辰を聳起し、峰巒は磊落分明。遠きは走ること三五里、近きはただ十幾節。張子微は言う。亦た一種の枝龍ありてただ几節を走るのみ、並びに穿心出脈を作さず、人々は識別し易し。譬えば県丞・参軍・主簿・県尉の衙署、豈に正堂大衙の如く門戸の森厳ならんや。三節四節は交替して分かれ開け、分かち得た精華は便ち化して子孫の福分と為る。

須要成星體,合龍格,有起伏,有夾送,而龍虎、應案、堂氣、水城、下關、門戶皆合法度,穴情十分明白,始為眞結,亦主富貴。若此者雖是枝中之枝,來龍甚短,富貴不大,然發越極快,所謂寅葬卯發者,惟此為然矣。蓋此等龍氣結作力量輕,故多在龍大盡處成穴,必得水,必近堂,或臨田蘸水之穴,故財祿易發。惟是龍短而無大力量,雖富貴亦不久遠矣。

小枝龍は必ず自ずから星体を成し龍格に合し、起あり伏あり、夾あり送あり、しかも青龍白虎・朝応案山・堂中の気・水城の環抱・下関の収攔・水口の門戸は样样法度に合し、穴情は十分に清楚にして、才かに真結作と算え、また能く富貴を主す。この一類は枝の中の枝なるといえども、来龍は甚だ短く、富貴は大と算えざれども、発するや極めて速し。いわゆる「寅時に下葬せば卯時にすなわち発す」、ただこの種の地のみが才かに弁じ得る所。この類の龍気の結作の力量は軽きを以て、だから多く龍の大尽頭の処に於いて穴を成し、必定水を得るを要し、必定明堂に靠近するを要し、或いは田に臨み水に浸る穴。ここにおいて銭財禄位は発動し易し。ただ龍身は短促にして大力量なく、たとえ富貴なるも長久能わず。

又其次,有小枝中之尤小者,謂之旁枝。或五六節,或三四節,結為小小形穴。若星辰秀美,穴情明白,明堂平正,下手有力,四山團聚,水口關攔,亦能發福,但不長久,亦無大富貴耳。

さらに往下して、また小枝の中の格外細小の一種あり、「旁枝」と呼ぶ。それは或いは五六節、或いは三四節、すなわち甚だ小なる一个の形穴を結出す。ただ星辰秀美・穴情清楚・明堂平正・下手一側の砂有力・四面の山団聚して散ぜず・水口に山の関攔あれば、同じく能く福を発す。ただ福沢は長久ならず、また大富大貴を出さざるのみ。

《發揮》云:“小小形穴,或得三四節,或得五六節,不拘穿心,不限腳手,出節便做形穴,仍有朝對關纏。若此者亦可安葬,貴可一二人,富可數十年,隨其力量,皆能有驗。但不廣大久遠。”蓋出於大龍分漏秀氣,可以刦效取應,而不可憑恃,以為子孫綿遠計。然隨材取用,亦不可以其龍短力輕而棄之也。

『発揮』は言う。小小の形穴は、或いはただ三四節を得、或いは五六節を得、穿心出脈するや否やを講究せず、また枝脚の多少を限定せず、節を出でれば便ち形穴を作成す。ただなお朝山対案・関鎖纏護あればよい。このような地もまた安葬し得。貴は一两人を出し得、富は幾十年を維持し得。各々その力量の大小に随い、皆応験あり。ただ広大長久ならざるのみ。これはそれが大龍の分漏し出る一点の秀気より出づるを以て、借り来りて一時の効験を求取する可く、倚りて長久の計と為すべからず、子孫の綿延絶えざるを指望すべからず。ただし材に按じて取用すれば、またその龍の短く力の薄きを以て一概に棄置すべからず。

上枝龍雖有大枝、小枝、旁枝之不同,然要之,均稟於造化而有融結者,則亦不可棄也。惟要星峰秀麗,穴情明白。其穴多在龍氣盡處。其大枝亦有龍氣旺盛者,不在盡處。而結穴之外,有餘氣之山,轉為用神,此其力量差勝。

以上の枝龍は大枝・小枝・旁枝の分別ありといえども、根底に帰すれば、皆同じく天地造化を禀受して結作する所あり。だから皆軽易に捨棄すべからず。ただその星峰の秀麗・穴情の明白なるを求めればよい。この類の穴は多半龍気の止尽の処に在り。その中の大枝龍にもまた龍気の特別旺盛なるあり。穴はすなわち尽頭に在らず、而して結穴の外に別に余気の山ありて転じ来たりて「用神」を充当す。此一種の力量は略々一籌を勝るを要す。

大抵枝龍之地,必要星辰聳拔,起伏分明,屈曲盤桓,逶迤走弄,枝腳橈棹均勻,護從纏托齊整,穴場藏聚,證佐分明,前有朝迎,後有蓋送,左右周密,明堂平正,水城彎抱,四獸有情,下砂有力,水口交鎖,羅城稠疊,乃為吉也。如或龍無起伏,星峰不秀,穴道模糊,下手無力,堂氣不聚,朝案無情,水口寬曠,則無融結,不必顧矣。

大体上、枝龍の地は必ず星辰の高聳挺拔・起伏分明・屈曲盤旋し、逶迤婉転に行走し、枝脚橈棹は左右均勻、護従纏托は斉整周備、穴場は風を蔵し気を聚め、各種の佐証は清楚、前面に朝山の迎接あり、後面に蓋山の護送あり、左右の環衛は周密、明堂は平正、水城は弯環して穴を抱き、青龍白虎朱雀玄武の四獣は皆情ありて内に向かい、下手砂は収攔有力、水口の両山は交鎖し、羅城は重叠稠密にして、才かに吉地と算う。倘若龍身に起伏なく、星峰は秀ならず、穴位は模糊、下手は力なく、堂中の気は聚まらず、朝山案山は情なく、水口は空曠にして鎖せざれば、則ち結作なし。さらに看るに及ばず。

已上所論幹龍枝龍詳矣。卻又有等美地,只數節即結形穴,既非幹龍,又非枝比,謂之隨龍穴。依近省郡城市,即大干結作,山水大聚處結穴,龍氣大旺,寸寸是玉,只要穴眞,又不必拘。雖來龍或只數節,亦結大地,以其與大幹龍共祖同宗,朝應固已貴秀,局面亦自繁華。猶之近帝貴人,故曰隨龍穴,不可以長短論也。但要結穴處自立門戶為眞矣。如福建楊太師祖地,近城里許,乃隨龍穴格也,圖下。

以上の干龍・枝龍に関する討論は已に甚だ詳尽なり。しかしなお一類の美地あり、ただ几節を走ればすなわち形穴を結出し、既に干龍に属せず、また枝龍を以て比ぶ能わず、「随龍穴」と称す。それは省城郡城の近旁に依傍し、正に大干龍の結作・山水の大会聚する処である。あの一帯は龍気極旺、寸寸皆美玉と言う可し。ただ穴が真なれば、すなわち来龍の長短に拘泥するを必とせず。来龍は或いはただ几節のみといえども、照样に大地を結ぶ能う。それが大干龍と同祖同宗、朝応の砂は本来就に貴重秀麗、格局場面もまた自然に繁華なるを以てなり。これは譬えば帝王に親近する貴人の如し。だから「随龍穴」と呼び、来龍の長短を以て衡量する能わず。ただ結穴の処が自ずから別に門戸を立つるを求めれば、あれはすなわち真なり。譬えば福建の楊太師の祖墳は、城を離るること不過一里余、すなわち随龍穴の格局。図は下文に見ゆ。

楊氏又有白狸窩祖地,尤美。但此地葬後數年,文敏即發解,連第登宰輔,發越似乎太速。彼地三百年後始有應驗,又似太遲。此造化之妙,不可謂無此理也。白狸窩地見水法卷。

楊家は別にまた一処の白狸窩の祖地あり、格局はさらに美なり。しかしこの一処の地は葬後几年ならずして、楊文敏公は便ち郷試に中挙し、続いて連捷して第に登り、一直線に宰輔に至るまで做し、発するや似たりて太く速し。而して白狸窩のあの一処は却って三百年後に至りて才かに応験を見るを要し、また似たりて太く遅し。これは正に造化の微妙の処、此のような道理なしとは言えず。白狸窩のあの地は『水法』の巻に見ゆ。

右地在建寧府城東里許白鶴山,繫府龍分脈,數節結隨龍穴。入首頓起御屏土星。中垂正脈,鋪展而下。左有白鶴寺,右有東嶽廟,穴結山麓,臨田蘸水,前吐氈唇。帖身白虎橫抱過穴,成玉帶文星,逆收溪水,以關內氣有力。內堂緊小,外洋寬暢,前朝拱揖,得水藏風,眞催官之地。

右図のこの地は建寧府城の東一里余の白鶴山にあり、府城の主龍の分かれ出る支脈で、几節を走りて随龍穴を結成す。入首の処は頓然として「御屏」形の土星を聳起し、正中に正脈を垂下し、鋪展して落下す。左辺に白鶴寺あり、右辺に東岳廟あり、穴は山脚に結び、田に臨み水に浸る。穴前は一片の毡唇を吐出す。貼身の白虎砂は横抱して穴前を過ぎ、「玉帯」様の文星を形成し、方向に逆らいて谿水を収納し、内気を関攔するや甚だ力量あり。内堂は緊凑小巧、外面の洋面は寛濶舒暢、前方の朝山は拱手して揖を作し、既に水を得また風を蔵す。真に一処の官を催し爵を進むるの好地なり。

葬時文敏公年十三歲,不數年即發解進士,登宰輔三十三歲入內閣。子曰恭尙賓少卿。孫士倧、士偉,俱進士。曾孫旦進士吏部尙書、易進士副憲、亙南京戶部郎中,曰昉、曰昂,俱知縣。玄孫曰邁、宗、崇、疑、成、名、棐進士諸公,皆登科甲,躋膴仕封蔭奏名,登仕版者又數十人,福祉未艾。

下葬の時楊文敏公は才かに十三歳、幾年を過ぎずしてすなわち郷試の解元、進士を考中し、後来官は宰輔に至り、三十三歳にして内閣に入る。彼の兒子は名を恭とし、官は尚宝少卿に至る。孫輩の士倧・士偉は皆進士に中たる。曾孫の一輩:旦は進士、官は吏部尚書、易は進士、官は副都御史、亘は官は南京戸部郎中、昉・昂は皆かつて知県を做す。玄孫の一輩の邁・宗・崇・疑・成・名・棐の諸位の進士も、また皆科甲に登り、美官に躋身し、封蔭を受け奏名に列する、仕籍に進入するまた幾十人あり、福沢は今に至るまで未だ衰歇せず。

近郡に依る甫の随龍穴の諸名地の図は下に具す

右地在蘭谿縣東二里,地名瑞壟。其龍自金華峰作祖而來,五星聚講,復辭樓下殿,開帳磊落。正龍過峽去結縣治。其左枝分落後,復開金水帳。中抽出一脈,逶迤成垂頭紫氣貴格。《經》曰“垂頭紫氣號文星, 天下盡馳名。”面前大小雙峰,成天馬之格。斷曰:“大馬趕小馬,富貴傳天下。”葬後出唐漁石公唐龍,登進士,官至吏部尙書。其子小漁公汝楫,登嘉靖庚戌狀元。至今富貴未艾。

右図のこの地は蘭谿県の東二里にあり、地名は瑞壟。その龍は金華峰を以て祖山と為して来たり、五星はここに於いて聚会講議し、随後に楼を辞し殿を下り、帳を開き磊落として行く。正龍は峡を過ぎた後に去りて県治を結成す。それ左辺に分出する一枝は落下した後、また一重の金水形の帳幕を開出し、帳中より一条の脈を抽出し、逶迤婉転にして、「垂頭紫気」の貴格と為る。『撼龍経』は言う。垂頭紫気は名を文星と呼び、人をして天下に驰名せしむる能う。穴前に一大一小の两座の峰あり、「天馬」の格を成す。断語は言う。大馬は小馬を追趕し、富貴は天下に伝遍す。葬後は唐漁石公唐龍を出し、進士を考中し、官は吏部尚書に至る。彼の兒子の小漁公唐汝楫は、嘉靖庚戌年の状元に中たる。今日に至るまでこの一家の富貴はなお未だ衰歇せず。

其盡結者,為趙探花公志皋祖地,與狀元地共帳。入首大飛蛾頓起太陽金星,開鉗結穴。兩股直硬,元辰流長,虎沙順水尖竄,不利初代。將及百年,乃出貴先。是探花之祖,精堪輿學,自擇此地。至今人才富貴鼎盛。二妻各卜一地,一富一貴。

この条の龍の最尽頭に結成するは、探花の趙志皋公の祖墳で、前面の状元のあの地と同じく一帳より出づ。入首の処は大「飛蛾」の勢を作り、頓起して太陽金星、鉗口を開出して結穴す。ただ鉗口の両股は直硬、穴前の元辰水は流るること太く長く、白虎砂は水勢に順い尖尖として竄出す。ここにおいて第一代に利あらず。将近一百年の後、才かに先ず顕貴を出す。この位の探花の祖輩は堪舆の学に精通し、自らこの地を選定したるなり。到如今この一家は人才輩出・富貴鼎盛す。彼の两位の夫人は各々一块の地を占め、一処は富を主り、一処は貴を主る。

傳奇 探花公之祖官縣佐,精堪輿學,愛蘭谿山水秀麗,自衢遷蘭。二妻各卜一地,一貴一富。貴者乃飛鳯沖霄形,課云:“一木沖天勢挺然,文章四海有名傳。雖然衣紫腰金貴,畢竟家無二頃田。”其富者乃仰天湖形,課云:“分明一穴仰天湖,倉庫重重又秀孤。粟陳貫朽房房有,若要求官半個無。”今二房子孫貴者少富,富者少貴,果皆如其言。

附記此の事の伝聞:探花公の祖輩はかつて県丞の類の佐貳官を做り、堪舆に精通し、蘭谿の山水の秀麗を喜愛し、便ち衢州より蘭谿に遷れり。彼は两位の夫人の為に各々一块の地を占め、一処は貴を主り、一処は富を主る。貴を主るあの块は「飛鳳冲霄」形、断語は言う。一株の木星は天を冲いて起ち、気勢挺拔、文章名声は四海に伝遍す。紫袍を穿ち金帯を係え、顕貴に位する能うといえども、家裏は終に二頃の田産なし。富を主るあの块は「仰天湖」形、断語は言う。分明に一処の仰天湖の穴、倉庫形の砂は重重叠叠、秀麗にして孤高。陳粮は堆積し、銭を串る繩は皆朽爛し、房房皆銭財あり。ただし官職を求めんと想えば、半个もなし。いま両房の子孫、貴なるあの房は富少なり、富なるあの房は貴少なし。果たして全く彼の言に応えたり。

右地在杭州府,土名江頭九曜。但其龍乃自九曜逆生一脈,穿田過峽,頓起玉屏。屏中一脈,委迤清巧,復作金土結穴。穴星兩臂橫展,中開一坪。坪中立穴太闊,似乎散漫。且右臂牽拽遠去十餘里,以作江頭街陽基。此則橫龍落脈,一節而已。俗眼觀之,莫識其妙。爰是龍氣大旺,寸寸是玉處。

右図のこの地は杭州府にあり、土名は江頭九曜。その龍は九曜山より方向に逆らいて一条の脈を生出し、田地を穿りて峡を過ぎ、頓然として「玉屏」形の山を聳起す。屏山の正中に一脉を垂下し、曲折清巧、再び金星に土星を帯びたる穴を結成す。穴星の両臂は横に展開して去り、中間に一片の平坪を開出す。坪中に於いて穴を立てば、地方は顕わに太く寛濶、気は散じて聚まらざるが如し。しかも右臂は一直線に牽引して去ること十幾里、江頭街の陽宅地基と為れり。ここは実に横龍の落脈、ただ一節あるのみ。俗人の眼光の看去はその妙処を認出せず。原因はすなわち此処の龍気の極旺なるに在り、寸寸皆美玉と言う可し。

葬後生江公玭,登進士,官大參。子文昭公瀾,官南京禮部尙書。孫曉會魁,官工部侍郎,贈尙書;暉,會魁,翰林修撰。曾孫曰圻,登鄉魁進士,官提學副憲。玄孫曰鐸,登進士,現任北部正郎,福祉方隆。

葬後は江玭公を生み、進士を考中し、官は参政に至る。彼の兒子文昭公江瀾は、官は南京礼部尚書に至る。孫輩の江暁は会試の魁首、官は工部侍郎、死後は尚書を追贈さる。江暉もまた会試の魁首、翰林院修撰を任ず。曾孫の江圻は郷試の第一に中り并びに進士に登り、官は提学副都御史。玄孫の江鐸は進士に中り、現に北京の某部郎中を任じ、福沢は正に盛んなり。

右地在承天府東北。其龍發於大洪山,旺氣融結為府龍大干。又分注到此,入首橫列大帳,帳中抽出嫩條。廖氏謂之垂頭紫氣,清秀穎異。大凡木星,不下當頭。此地左右兩穴,虛中,正合倚杖葬法。張子微謂之天鼻穴。左右龍虎回抱,內外明堂環聚。近有玉帶砂關收內氣,遠有三臺峰獻秀,外洋北湖寬暢,漢水盤旋,四勢和平,三陽具足,龍旺穴奇,藏風得水,眞美地也。曾氏曾祖指揮公始葬其地,繼葬其祖知縣東莊公。今陽白公父子進士,通顯嗣續之蕃,詳見彭澤祖地第二十冊內。

右図のこの地は承天府の東北にあり。その龍は大洪山に発源し、旺気は凝結して府城主龍の大干と為る。また一支を分かれ出してここに灌注し、入首の処は一道の大帳を横列し、帳中より一条の嫩脈を抽出す。廖金精はこの種の格局を「垂頭紫気」と呼び、清秀出衆なり。凡そ木星形の山は、一般に正しく頭に当たりて下葬せず。この地は左右各々一穴あり、中間は虚して用いず、正に「倚杖」の一類の葬法に合す。張子微はこれを「天鼻穴」と称す。左右の青龍白虎は回環して抱護し、内外の明堂は層層囲聚す。近処に「玉帯砂」ありて内気を関収し、遠処に三台峰ありて秀色を献出す。外面の洋面上の北湖は開濶舒暢、漢水は盤旋環繞し、四方の形勢は和緩平正。内陽・中陽・外陽の三陽は斉備し、龍は旺にして穴は奇、既に風を蔵めまた水を得。真に一処の美地なり。曽家の曽祖指揮公は最も先ずここに葬り、随後また彼の祖父の知県東荘公を葬れり。いま陽白公父子は皆進士に中り、顕達にして子嗣繁盛。詳細は彭沢の祖地の第二十冊の中に見ゆ。

右地在休寧治北一里,地名尼姑庵。其龍與縣龍共祖,不悉述。分龍後開帳出脈,細嫩奇巧,為蘆鞭,連起兩節太陰文星,清秀均勻,展翅垂腳,俗呼雄牛趕雌牛形。正脈棲閃轉身,逆水結穴。穴下鋪坦餘氈,蘸水臨田,穴後抱托有力,前朝大小雙峰秀異。但明堂水過穴返去無情,水口不交為疵耳。葬後出襄毅公信,登進士,官至兵部尙書。子篁墩公敏政,登榜眼,官至禮部右侍郎、翰林學士,贈禮部尙書。

右図のこの地は休寧県治の北一里にあり、地名は尼姑庵。その龍は県城の主龍と同一の祖山、ここは細説せず。分龍の後、帳を開き脈を出し、細嫩奇巧、形は「芦鞭」の如く、接続して両節の太陰形の文星を聳起し、清秀にして均勻、両側は翅を展け脚を垂る。俗称「雄牛が雌牛を追趕する」形。正脈は忽栖忽閃に身を転じ来たり、水勢に逆らいて結穴す。穴下は平坦の余毡を鋪出し、水に浸り田に臨む。穴後に山の抱托有力あり、前面の朝山は一大一小の两座の秀峰。ただ明堂の水は穴前を流れ過ぎて便ち折返して去り、无情を顕し、水口の両辺は交鎖せず。これはそれの缺陷。葬後は襄毅公程信を出し、進士に中り、官は兵部尚書に至る。彼の兒子篁墩公程敏政は榜眼に中り、官は礼部右侍郎・翰林学士に至り、礼部尚書を追贈さる。

按:是地乘縣龍旺氣,格甚精俊。但繫戌乾轉坤申作穴,於天星非久永之兆。篁墩不察,襄毅之葬又卜南山乙辰,竟以受害。公言談地理四書,極詆天星,既以自誤,又以誤人,惜哉!

我が按ずるに、この地は県城主龍の旺気を承乗し、格局は甚だ精美挺拔なり。ただ来龍は戌位より坤に転じ・申位に於いて穴を作し、「天星」の角度より看れば長久の象に非ず。程篁墩は察覚せず、父襄毅公の為に別に葬地を択ぶにまた南山の乙辰の方位を選び、結果は却ってその害を受けたり。彼はかつて地理を談論する四種の書を撰述し、極力天星の説を詆毀し、既に自己を誤り、また他人を誤れり。実に惜しむべし。

左地在錢唐萬松嶺聖國寺後。其龍與杭州府龍共祖。此即數里之外,分出一脈,出身御屏高聳。屏下連珠數節,走馬到頭,起仰高太陽開口做穴。吐唇平坦,二十餘丈,地復峻陡。陡下卻是寺宇。登穴從左手一傍入,到穴中不見寺宇並陡峻處,但見四面遠峰矗矗,錢塘江水洋洋。對岸金馬門,門中貴人秀立。海門三山渺如拳。四神八將、三陽六秀皆相拱照。葬後出南宇公儀,登進士,入翰林,官至內閣大學士。今富貴未艾。

左図のこの地は銭塘万松嶺の聖国寺の後面にあり。その龍は杭州府城主龍と同祖、ただ几里の外に別に一脉を分出し、出身の処「御屏」は高聳す。屏下は連珠の如く接続して几節、「走馬」の勢を作りて頭に至り、「仰高」の太陽金星を聳起し、口を開きて結穴す。穴前の吐出した唇毡は平坦、二十余丈あり。さらに前に往けば地勢は陡然として下落し、陡坡の下面は便ち寺院。上穴は左手一側より繞り入るを要し、穴中に到れば既に寺院を見えず、また陡峻を看出せず、ただ四面の遠峰の矗立・銭塘江水の浩浩瀚瀚を見るのみ。対岸に「金馬門」あり、門中の貴人峰は秀麗挺立、海門外の三座の山は遠くして拳头の大小の如し。四神八将・三陽六秀は皆環拱照応す。葬後は南宇公儀を出し、進士に中り、翰林に入り、官は内閣大学士に至る。今に至るまでこの一家の富貴は未だ衰歇せず。

重刊『人子須知』資孝地理心学統宗 巻一下之三

江右山人徐善繼述 同著。此一卷專論龍分支、壟。蓋高山平地,形勢不同,故支、壟之說不可不辯。故《葬經》云:“支、壟之辯,眩目惑心,毫釐之差,禍福千里。”是故尤當致辯於支、壟焉。

本巻は江右山人徐善継・徐善述の兄弟が共同に撰述する。この一巻は専ら龍の「支」と「壟」の両類を論ず。高山と平地は形勢同じからず。だから支・壟の説は加えて辮別せざるべからず。郭璞の『葬経』は言う。支と壟の辮別は最も眼花し心を迷わし易く、毫厘を差せば、禍福はすなわち千里を相隔つ。ここにおいて支・壟に対して尤も応に功夫を下し分辮すべし。

支壟を総論す

夫支者,平地之龍也;壟者,高山之龍也。其融結為地,力量輕重,大小貴賤,不以支壟而分優劣,但其形體有山峰平地之不同,故察識其情性之術亦各有異耳。蓋壟龍有星峰形勢,脈絡分明,易於尋索。支龍千里平夷,一望無際,難於追求。

いわゆる「支」は、平地の龍。いわゆる「壟」は、高山の龍。それらの結成する地の、力量の軽重・格局の大小貴賤は、並びに支なり壟なりを以て高下を分出せず。ただ形体上に山峰と平地の差別あるを以て、だから観察辮識するそれらの性情の方法も各々相同じからず。壟龍は星峰の形勢あり、脈絡分明、尋訪し易し。支龍は則ち千里平坦、一望辺無く、追尋し難し。

然壟龍則以磊落起伏、逶迤奔走為美,軟弱、瘦削、醜惡、崚嶒為凶。支龍則以相牽相連、隱隱隆隆、界水明白、脊脈分曉為妙;高低不明,來勢斷截,分水模糊為假。大凡壟欲峙於地上,支欲伏於地中;壟最忌於風吹,支尤嫌於水劫;壟結穴于山麓,支結穴於巔頂。《葬經》云:“卜支如首,卜壟如足。”又云“支葬其巔,壟葬其麓。”此支、壟龍穴不同之大法也。

壟龍は磊落起伏・逶迤奔走を以て美と為し、軟弱・痩削・醜悪・痩骨嶙峋を以て凶と為す。支龍は則ち彼此牽連断えず・隠隠約約些微の隆起あり・両側の界水分明・脊脈は看清楚なるを以て妙と為す。若し高低は看出せず・来势は中断・分水模糊なれば、あれはすなわち假なり。大体言えば、壟は地面の上に屹立するを要し、支は地面の中に潜伏するを要す。壟は最も風に吹かるるを怕れ、支は最も水に劫せらるるを忌む。壟は山脚に於いて穴を結び、支は微凸の頂上に於いて穴を結ぶ。『葬経』は言う。支穴を占するは頭部を看るが如く、壟穴を占するは脚部を看るが如し。又言う支はその頂上に葬るを要し、壟はその山麓に葬るを要す。これがすなわち支龍・壟龍の穴法不同の大原則である。

其間變態不一,咫尺頓殊。眞支眞壟固所易辯,柰何有似支之壟,似壟之支,或支來而壟止,壟來而支止;或壟變為支而復為壟,支變為壟而復為支。亦有以支為壇垜而行壟於上,以壟為壇垜而行支於上者。又有壟內而支外,支內而龍外者。

その間は変化多端、相隔たること不過咫尺、情形は便ち完全不同。真正の支・真正の壟は固然に分辮し易し。奈んづるにまた支に似たる壟・壟に似たる支あり。或いは支の形態を以て来たりて却って壟の形態を以て止歇し、或いは壟を以て来たり支を以て止まる。或いは壟は支に変じて後また壟に変じ返り、支は壟に変じて後また支に変じ返る。もまた支を以て台基と為して壟をその上に行走せしめ、壟を以て台基と為して支をその上に行走せしむるあり。さらに裏面は壟・外面は支、裏面は支・外面は壟のあり。

復有強支弱壟、急支緩壟、高支平壟、隆支隱壟、石支土壟、老枝嫩壟、偏支偏壟、半支半壟,及夫非支非壟,不可辯者。故郭氏云“支、壟之辯,眩目惑心”,自非明師耳提面命,莫能別也。學者先須察此,此而有得,尋龍之能事思過半矣。

此の外さらに強支と弱壟・急支と緩壟・高支と平壟・隆起の支と隠伏の壟・石質の支と土質の壟・老支と嫩壟・偏支と偏壟・半支半壟あり、乃至既に支に似ずまた壟に似ず・根本に分辮する由なきに至る。だから郭璞は言う「支・壟の辯は、目を眩まし心を惑わす」、若し高明の老師の当面指点なければ、実に辮じ清楚しがたし。地理を学ぶ人は首まずここに於いて工夫を下すべし。この一層を弄明白せば、龍を尋ぬるの本事は已に大半を掌握したり。

壟龍を論ず

夫壟者,山也。山壟之龍,祖宗欲其高大,來勢欲其雄偉,星峰欲其秀麗,剝換欲其相生,過峽欲其周密,枝腳欲其蕃衍,蓋送欲其重疊,行度欲其活變,護從欲其稠密,穴場欲其藏聚,四勢欲其和平。此皆山壟尋地之要訣耳。然壟龍勢險而有也,故於險中求平,所謂高山之窩是也。葬當避殺乘生,《經》曰“壟葬其麓”,為正法也。

いわゆる「壟」は、すなわち山である。山壟の龍は、祖宗山の高大・来势の雄偉・星峰の秀麗・「剥換」の時の五行相生・峡を過ぐる処の護衛周密・枝脚の繁茂・蓋山送山の重叠・行走の姿態の霊活多変・護従の山の稠密・穴場の能く風を蔵め気を聚むる・四面の形勢の和緩平正を要す。これらは皆山壟地帯に於いて地を尋ぬるの要訣。ただし壟龍は形勢険峻、だから険の中に平緩の処を求めるを要す。すなわちいわゆる高山上の窩穴。下葬の時は応に殺気を避け生気を承乗すべし。『葬経』は言う「壟はその麓に葬る」、これは正法である。

卻又有等以壟為體,而得支之情性者,則大山垂脈,落下平地,變為支體。此陰中含陽之義也,時師往往粘葬山麓,而以前拖平地為裀褥。殊不知龍勢未住,微有龜脊,隱隱隆隆,穴落平地,法當枕球而葬。然陰者為強,固宜避球湊簷。柰何性慢?以此要揷上,急其緩性。劉氏所謂“壟緩則入簷而湊球”是也。苟以壟法扦之,則敗絕立應。此高壟之至難體認者,不可不察也。

但し別に一種の壟を以て体と為すも、却って支の性情を帯ぶるあり。大山は脈を垂下して来たり、平地に落ちれば、すなわち変じて支の形体と為る。これは「陰中に陽を含む」の道理に属す。当今の地師は往々山脚に貼りて下葬し、前面に拖出する一片の平地を以て坐褥と為す。彼らは知らず、此処の龍勢は未だ止まらず、地面はなお微微に一線の亀背の如き脊あり、隠隠隆隆、穴は実に平地上に落ち、法に按じて応に「球」(脈気の結頂する処)に枕して下葬すべし。陰性は強に属し、本该球を避けて「檐」に靠近すべきも、しかしこの種の脈は性子偏に慢く、だから上に挿すこと一点を要し、以てそれの遅緩の性情を催急す。劉氏の言う「壟緩なれば則ち檐に入りて球に湊る」、すなわちこの意。假如旧に一般の壟法に照らして点穴下葬せば、敗絶は立刻に応験せん。これは高壟地帯の最も体認し難き処、細察せざるべからず。

支龍を論ず

夫支龍者,平地之龍也。平地之龍,其祖宗父母、剝變過峽,與夫枝腳橈棹、纏托護從,大段與壟龍無異。吳公《口訣》有云“臥倒星辰豎起看”,故亦有開帳穿心,亦有華蓋、三臺、御屏、玉枕等格,但龍行地中,皆平面,倒地多闊大,難於檢點,惟以相牽相連步其龍脈。

いわゆる「支龍」は、すなわち平地の龍。平地の龍の祖宗父母・剥換変化と峡を過ぐる・および枝脚橈棹・纏托護従は、大体壟龍と分別なし。呉景鸞の『口訣』は言う「卧倒の星辰は竪起して看よ」。だから平地にもまた開帳穿心の格局あり、また「華蓋」「三台」「御屏」「玉枕」のこれらの形格あり。ただ龍は地中に行走し、一切は皆平面、地上に倒卧して格外寛濶を顕し、甚だ逐項査点し難く、ただ彼此牽連相接の痕跡に循い、一歩歩龍脈に跟いて走るのみ。

高一寸為山,低一寸為水,察其隱隱隆隆之脊,或直或曲,動輒數十里,或數里,始有水分八字之峽,或有石骨微露蹤跡,或有銀錠束氣之脈。若前面遇水界截,則審隨龍之水,及諸水聚處為明堂,以求穴向。

平地の上は、高出すること一寸すなわち山と算え、低下すること一寸すなわち水と算う。あの隠隠隆隆の微脊を察看するを要し、或いは直或いは曲、往々走ること幾十里、或いは几里にして、才かに一処の両側の分水する「八」の字の如き峡を出現す。或いは石骨の微微に痕跡を露出するあり、或いは中間の収細して銀錠形の如く気脈を束住する処あり。若し前方に水の横截界断に遇えば、すなわち龍に随いて行く水、および衆水の会聚する処を審察し、あそこを以て明堂と為し、拠りて穴位と坐向を求定す。

其結穴處自然氣聚,或平中有突,或開鉗口,或吐唇氈,或微有靨,如雞窠,如旋螺之狀,必有龜脊牛背、草蛇灰線之脈,入首束聚結穴。而此處須要高低分明,有水纏繞,或水溶注,或水朝入,方為的實。又須審其來歷,有珠絲馬跡、貼地梅花、落地金錢等格,決是美地。扦得穴眞,葬得如法,富貴悠久。

支龍の結穴する処は、生気は自然に聚集す。或いは平地の当中に微微に凸起し、或いは鉗口を開出し、或いは唇毡を吐出し、或いは略々一个の凹靨あり、形状は鶏窩の如く、旋転の螺殻の如し。ここに到れば必定亀背牛背の如き微脊あり、草蛇灰線の如き隠脈あり、入首の処は収束凝聚して結穴す。此処はさらに必ず高低分明・水の環繞あり、或いは水の停蓄あり、或いは水の朝入ありて、才かに真切と算う。さらにその来歴を審察するを要す。若し「珠糸馬跡」「貼地梅花」「落地金銭」のこの類の格局あれば、あれは一定の美地。点穴の点得準く、安葬の法度に合せば、富貴は便ち長久能う。

若來歷不明,切勿妄下,平地無氣,易於絕滅。所謂來歷不明者,乃來脈龍勢一坦平陽,無脊可據,高低不分,全無界水,無過峽,無石骨證脈,無銀錠束氣,無龜背分水,無草蛇灰線、藕斷絲連之脈入穴;或已經斷而不相牽連,散漫無氣,必無融結。

若し来歴不清楚なれば、千万随り便に下葬するなかれ。平地上に生気なく、最も易く絶嗣滅門を招致す。いわゆる来歴不明は、来脈龍勢の一片平坦、凭拠すべき微脊なく、高低は分け出さず、完全に界水なく、過峡なく、脈絡を印証すべき石骨なく、銀錠形の束気の処なく、亀背式の分水なく、また草蛇灰線・藕断糸連の脈絡の穴場に進入するなくして、或いは脈は已に断えて前後相牽連せず、散漫気なし。然らば必定結作なし。

其父母兄弟之脈各自分飛,平地之上,雖或忽起墩埠,孤單無應,必作他龍之用神;或是龍腳所帶之秀氣,為印,為笏,為金箱、環佩之類,或是水口羅星、游魚等砂。故廖氏云“走珠墩阜在平地,三個五個是。”若孤單一突,又無分水度脈來歷,未可便作平中之突而有融結。

この種の地方は、父母・兄弟の各脈は各自飛散し、平地上にたとえ忽然として一个の土墩を凸起するも、孤零零として呼応なく、あれは必定別条の龍の「用神」。或いは龍脚の帯出する一点の秀気、化して印・化して笏・化して金箱環佩の一類の砂形を成し、或いは水口の処の「羅星」「游魚」等の砂。だから廖金精は言う。平地上の走珠墩阜は、総是れ三個五個成群にして出現す。若しただ孤零零一个の凸起のみ、また分水と度脈の来歴なく、すなわち貿然として平中の突と為してそれに結作ありと認定すべからず。

卜氏云:“星散孤村,秀氣全無半點”;又云:“滾浪浮花,隨風落葉,皆是無蒂無根,未必有形有氣。”此皆平支龍尋地之要訣耳。然支龍平坦夷曠,故於散中求聚,所謂平地之突是也。蓋當揭高就脈。《經》曰“支葬其巔”,為正法也。

卜応天は言う。孤零零一个の村落の如く星散分布する土阜は、半点の秀気もなし。又言う。翻滚浪頭上の浮花・風に随いて飄落する樹葉は、皆無蒂無根の物、未必真に形あり気ある。これらは皆平地の支龍の地を尋ぬるの要訣。支龍は一片の平坦空曠、だから散漫の中に凝聚を求めるを要す。すなわちいわゆる平地上の凸突。点穴の時は応に位置を略々抬高して去りてあの微脈に就くべし。『葬経』は言う「支はその巔に葬る」、これは正法である。

卻又有等以支為體,而得壟之情性者,則直如擲槍,急如繃線,術中謂之倒火硬木,此陽中含陰之義,法當避殺粘簷,架折而葬。劉氏所謂“直急則避球而湊簷”是也。但陽者為弱,本合湊入,柰何性急?以此要縮下,緩其急性。苟以支法扦之,則凶禍立應。此平支之至難體認者,不可不知也。

別に一種の支を以て体と為すも、却って壟の性情を帯ぶるあり。脈は直きこと擲出する長槍の如く、急なること繃緊の弦線の如く、術家はこれを「倒火」「硬木」と呼ぶ。これは「陽中に陰を含む」の道理に属し、法に按じて応に殺気を避けて「檐」に貼近し、架折の方式を以て下葬すべし。劉氏の言う「直急なれば則ち球を避けて檐に湊る」、すなわちこの意。陽性は弱に属し、本来応に裏に湊近して脈気に就くべきも、無奈この種の脈は性子太く急なり。だから下に縮むこと一点を要し、以てそれの急促の性情を緩和す。假如一般の支法に照らして点穴下葬せば、凶禍は立刻に応験す。これは平地の支龍の最も体認し難き処、知らざるべからず。

已上所論支、壟,大法如此。但壟之星峰易辯,支之脈絡難明,前輩謂支龍難於壟龍,尤當細察。茲故特集諸家平支之說附下,庶互有發明雲。《葬書》云:山貴平夷,土貴有支。支之所起,氣隨而止;支之所終,氣隨而鍾。觀支之法,隱隱隆隆,微妙玄通,吉在其中。又云:地有吉氣,土隨而起。支有止氣,水隨而比。勢順形動,回復終始。法葬其中,永吉無凶。

以上支と壟を討論するは、大要この如し。ただ壟の星峰は分辮し易く、支の脈絡は看清楚し難し。前輩は皆支龍は壟龍よりさらに難しと言い、尤も応に細看すべし。だからここに特に各家の平地の支龍を論ずる説法を下面に彙集し、好くそれらをして彼此発明せしむ。『葬書』は言う。山は平緩を以て貴と為し、土は支脈あるを以て貴と為す。支脈の起つ処、気は便ちこれに随いて停駐す。支脈の尽くる処、気は便ちこれに随いて凝聚す。支脈を観察するの方法は、あの隠隠隆隆の微起を看る。その中は微妙玄通、吉利はすなわち裏面に蔵る。又言う。地裏に吉気あれば、土は便ちこれに随いて隆起す。支の中に止住の気あれば、水は便ちこれに随いて相依す。形勢は順暢、形体は霊動、往復回環、始あり終あり。法に依りてその中に葬れば、永遠に吉利にして凶なし。

楊筠松《龍經》云:坪中還有水流坡,高水一寸即是阿。只為時師眼力淺,到彼茫然無柰何。便云無處尋蹤跡,直到有山方始識。如此之人豈可言,有穴在坪先自失。只來山下覓龍虎,又要乳頭始雲吉。不知山窮落平處,穴在坪中貴無敵。痴師誤了幾多人,又道藏埋畏卑溼。不知穴在水中者,如此難憑怕泉瀝。蓋緣水漲在中間,水退即同乾地力。且如兩淮平似掌,也有軍州落窠瀝,也有英雄在彼中。豈無墳墓與宮室,只將水注與水流,兩水夾來是龍脊。

楊筠松の『撼龍経』は言う。平坪の中もまたなお水流の坡度あり、水面より高出すること一寸すなわち山岡と算う。只当今の地師の眼力太く浅きを因とし、あそこに到れば一片茫然、無可奈何、便ちここは蹤跡を尋ぬべき処なしと言い、非ずして山を見れば認め得ずとす。このような人はなお何の地理を談ずるや。平坪の中に明明として穴あるを、彼は先ず自ら錯過せり。彼らはただ山脚下に到りて青龍白虎を找すのみ、さらに非ずして乳突形あらば才かに吉と言うを肯んず。殊に知らず、山は窮尽に走り平地に落入る処、穴はすなわち坪中に在り、貴く当たるべからず。糊塗の地師は多少の人を誤りしか、また言う低処に埋むるは潮湿を怕ると。彼らは穴もまた水中に在るありを懂せず。この種の地は看れば凭り難きに似て、怕るるは泉水の浸漬なり。其実不过是れ漲水の時は当中に淹れ、水一たび退けば乾地と同様に有力なり。譬えば両淮一帯の平坦なること手掌の如く、また照样に軍州の低窪窩処に落つるあり、また照样に英雄のあそこに出づるあり、怎んぞ墳墓宮室なからんや。あそこはただ水の停蓄と流動を以て準則と為し、両水夾送して来たる処はすなわち龍脊なり。

又云:莫道山高方有龍,卻來平地失其蹤。平洋龍從高處發,高起星峰低落穴。高山既認星峰起,平地兩傍觀水勢。兩水夾來是眞龍,枝葉周圍抱處是。莫令山返枝葉散,山若返兮水散漫。外山百里作羅城,此是平洋龍局段。星峰頓伏落平去,外山隔水來相護。平洋仰面似雞窠,隱隱微微立高埠。便從立埠覓回窠,或有勾鉗或如螺。勾鉗是案螺是穴,水揖明堂氣聚多。

『撼龍経』はまた言う。ただ高山のみ龍ありと為すを以て勿れ、一たび平地に到れば蹤跡を尋ね見ざるなり。平洋の龍もまた高処より脈を発するなり。高処は星峰を聳起し、低処は穴場を落下す。高山に在りては星峰の起伏を認るを靠り、平地に到ればすなわち両旁の水勢を看るを要す。両水夾送して来たるは便ち真龍、枝葉四周環抱の処は便ち結作。山をして背転せしめ枝葉をして散開せしむるなかれ。山は一旦背転すれば、水はすなわち散漫収らず。外囲の山は百里の外に於いて囲りて羅城を成す。これがすなわち平洋龍の局面格段。星峰は頓落伏下し、平地に進入した後は、水を隔てたる外山の前来護衛に靠るを要す。平洋の地は仰面して看去れば个の鶏窩の如く、隠隠微微として一処の高阜を立つ。すなわちこの高阜より去りて回環の窩形を找すべし。或いは勾鉗状、或いは螺殻の如し。勾鉗は是れ案、螺形は是れ穴。水は明堂に向かいて揖を作し朝拱し、生気はすなわち聚まること多し。

四傍水勢如城裹,水繞山回聚一窩。霜降水涸尋不見,春夏水高龍皆現。此是平洋捉龍法,過處如絲或如線。高水一寸即為山,低土一寸水回還。水纏便是山纏樣,纏得眞龍如仰掌。窩心掌裡如乳頭,端然有穴明天象。水繞山纏在平坡,遠有山岡近有河。只愛水環抱身體,不愛水返去尋地。水抱方有山來抱,水不抱兮山不到。莫道高山龍易識,行到平洋失蹤跡。藕斷絲連正好尋,退卸愈多愈有力。

四面の水勢は城墙の如く囲裹し、水は山を繞り回り、聚まりて一個の窩を成す。霜降以后水は干涸して却って尋出せず、春夏の水位高漲の時は龍脈は倒って皆顕現す。これがすなわち平洋の龍を捉るの方法、脈絡の経過する処は細きこと糸の如く線の如し。水面より高出すること一寸すなわち山と算え、地面より低くなること一寸すれば水はすなわち回環す。水の纏繞する様子はすなわち山の纏繞する様子に等し、纏りて真龍をして一只の仰ぐ手掌の如くせしむ。掌心の窩の裏に如し一点の乳頭の如き凸起あれば、端端正正としてすなわち穴、上は天象に応ず。水繞山纏は平坡の上に在り、遠処に山岡あり、近処に河流あり。ただ水の龍身を環抱するを喜び、水の反背して去るを喜ばず。あのようになればすなわちさらに地を找すに及ばず。水は抱住してこそ、才かに山の来たり抱するあり。水抱せざれば、山もまた来たらず。高山の龍は認め易しと為すを以て勿れ、一たび平洋に走り至れば蹤跡を丢するなり。この時正に応に藕断糸連の痕跡の裏より去りて尋ぬべし。脈気の退卸する愈々多きほど、力量は却って愈々大なり。

又云:大梁形勢亦無山,到此尋龍何處是?識得星峰是等閒,平地尋龍最是難。若無河流與淮水,渺渺茫茫不見山。河流沖決山斷絕,又無石骨又無脈。君若到彼說星峰,一句不容三寸舌。又云:十里半程無岡嶺,平洋沙漬煙塵迷。到此君須看水勢,水勢莫問江與溪。只要兩源相夾出,交鎖外結重重圍。又云:凡到平洋莫認蹤,只看水繞是眞龍。又云:高山大壟峰多秀,不似平原一錐卓。又云:也曾見穴在平洋,四畔周圍無高岡。

『撼龍経』はまた言う。大梁(開封)一帯の地勢もまた山なし、あそこに到れば何れに往きて龍を尋ぬるや。星峰を認るは本事と算えず、平地に於いて龍を尋ぬる才かに最も難し。あそこに若し黄河と淮水なければ、渺渺茫茫として一座の山を望見せず。河水は冲決し、山形は断絶し、既に石骨なく、また脈を看出せず。汝若しあそこに至りて星峰を講ぜば、三寸の舌は一句も説き出す能わず。又言う。走ること十里半程も皆岡嶺なく、平洋上は沙塵煙霧迷蒙の一片。ここに到れば汝は只須水勢を看よ、水勢は必ずしも江か谿かを分かつを要せず、ただ両条の源流ありて相夾して出で、外に於いて交鎖して重重の局面を囲成すればよい。又言う。凡そ平洋に到れば去りて山の蹤跡を認るなかれ、ただ水の環繞する処を看ればすなわち真龍。又言う。高山大壟の峰巒は多く秀なり、平原上のただ孤零零一个の錐形の土堆に似ず。又言う。もまたかつて穴の平洋に結ぶを見たり、四周囲は一座の高岡も皆なし。

又云:上智尋龍觀氣脈,指望高山散蹤跡。相連相接下鄉村,失跡遺蹤細尋覓。氣逢水界有住期,如緝悠悠細消息。平洋大地無影形,如灰拋線要君識。相粘相牽尋斷絕,盡是平洋眞口訣。過時如雁列深云,藏時猶似泥中鱉。平洋相併盞中酥,落在坪中誰辯別?

『撼龍経』はまた言う。上等の智慧の人は龍を尋ぬるに気脈を看る。一味に高山を指望すれば、却って蹤跡を把え失す。脈は相連相接して一路下りて郷村に至り、痕跡は時に断え時に続く。細心に尋覓するを要す。気は水の横界に遇えば停駐の期あり、線を捻りて追緝するが如く慢慢と消息を体察せよ。平洋の大地上は龍脈に形影なく、灰の上に一条の線を抛出するが如く、你自己に凭りて認るを要す。相粘相牽の中に於いてあの断えてまた続く処を尋ぬる。これが才かに平洋の真口訣。脈の経過する時は大雁の深雲の裏に排列するが如く、隠蔵する時はまた泥中の甲魚の如し。平洋の脈はまた盞の中に凝る酥油の如く、坪中に落つ。誰か分辮し出さんや。

楊公《畫筴圖》云:平地之脈,如草中之蛇,灰中之線。只看水分水聚之中,便是眞氣融結去處。又曰:臨田觀穴,不問大小八字,只看上面形勢,分曉下面證佐。或唇或口,便為眞氣正穴。又曰:平坡之脈如掌窩,水聚交而不流,鎖斷眞氣,便是關門立穴之處。仰看上面脈,必有翅翼,如燈影穿壁,輕薄而不動,自有高卑。

楊筠松の『画筴図』は言う。平地の脈は草叢の中の蛇・灰堆の上の線の如し。ただ水の分かれまた聚合する処を看れば、あそこはすなわち真気の凝結する処。又言う。田辺に於いて穴を看るは、分水八字の大小を計較するを必とせず、ただ上方の形勢を看、下方の佐証を辮認し清楚せよ。唇形或いは口形を見れば、すなわち真気の所在する正穴。又言う。平坡上の脈は手掌の中の窩の如く、水はあそこに聚まり交会して流走せず、真気を鎖断す。あれは便ち門を関し穴を立つる処。頭を抬げて上面の脈を看れば、必定翅翼の如き両片を帯び、灯影の墙壁に投ずるが如く、軽薄にして移動せず。自然に高低を分け出す。

又曰:高山落落平田,若有火嘴,要看尖盡處;若開鉗口,謂闇火開紅。此是火放灰中,似見火紅。如尖嘴不開鉗口,謂之死火帶殺,不可葬。又曰:龍到平洋臨田結穴者,上有來,下無出腳,但見田塍面前兜轉,似帶,似娥眉拱護,此上是穴。

又言う。高山は平田に落ち、若し火星の尖嘴を出現せば、あの尖の尽頭の処を看るを要す。若し尖頭は鉗口を開出せば、「暗火開紅」と呼ぶ。譬えば火の灰の裏に埋るるが如く、隠隠として一点の紅光を透出す。假如ただ尖嘴のみにして鉗口を開かざれば、すなわち「死火帯殺」と呼び、下葬すべからず。又言う。龍は平洋に走り至り田に臨みて結穴するは、上方に来脈あり、下方は却ってさらに脚を伸出せず。ただ田埂の穴前に於いて兜転して来たるを見、一条の帯の如く、一弯の蛾眉の如く拱衛護持す。これの上はすなわち穴。

又曰:龍落平坡,日久年深,人開成田地,要看兩邊形勢,田墈一層低一層,如急浪下灘。細尋前面水勢迴環,兩田如月角兜轉,始是眞龍作結之處,謂之浪花裡滾月。又曰:高山行龍,勢落平地,無蹤無跡無龍虎,形如鋪氈展席,散如碧玉之紋、浪花滾月、雪裡飄梅,如灰中之拽線,如草裡之尋蛇,詳加目力,細辯陰陽。切要諸水聚堂,朝對尊嚴,球簷下合分明,氣脈自然融結,沙水來去得位,門戶重重關閉,坐下賓主有情;又要明堂如鍋底,四圍不傾瀉,水口不通舟,可謂吉地矣。

又言う。龍は平坡上に落ち、年深日久にして人に開墾せられて田と為れば、すなわち両辺の形勢を看るを要す。田坎は一層低きこと一層に似て、急浪の灘に冲下するが好し。さらに細看せよ、前方の水勢の如何に回環するか、両片の田は月牙の両角の如く兜抱して転じ来たる。あれは才かに真龍の結作する処、「浪花裏に月を滾がす」と呼ぶ。又言う。高山の行龍は、気勢は平地に落ち、蹤なく跡なく、また青龍白虎もなし。形状は毡を鋪開し席を展開するが如く、散開すること碧玉上の文理の如く、浪花の月を滾がすが如く、雪裏に飄落する梅花の如く、灰の上に一条の線を拖出するが如く、草叢の裏に蛇を找るが如し。仔細に目力を用いて看るを要し、細辮せよ陰陽。最も緊要なるは衆水の明堂に聚まり、朝山対案は荘厳、「球」と「檐」は上下相合分明、気脈は自然に凝結し、砂と水の来去は各々その位を得、門戸は重重関鎖し、坐山と賓主は彼此有情あらんことを。さらに明堂は鍋底の如く凹聚し、四周は傾瀉して水を走らず、水口は窄くして船を通さざるを要す。これを以て吉地と称す可し。

陶公《捉脈賦》云:支阜平夷,如灰拽線,悠悠而縮瓜藏形,隱隱而無頭無面。豈知遇水為眞,乘風則散。又曰:大地平洋迴環,四顧得水藏風,時人罕遇。又曰:雞鳴犬吠,鬧市煙村,隆隆隱隱,孰探其原?若乃斷而復續,去而復留,奇形異相,千金難求。折藕貫珠,眞機茫漠。臨穴坦然,誠難攔摸。障空補缺,天造地設,留與至人,先賢難說。

陶侃の『捉脈賦』は言う。平地上の支阜は低平、灰の上に一条の線を拖出するが如く、悠悠緩緩として形体を縮め面目を蔵起し、隠隠約約として頭を看出せず面を看出せず。人々は豈に知らん、この種の脈は水に遇い界せらるるは才かに真なり、一旦風に当たれば便ち散ず。又言う。平洋上の大地は回環囲抱し、四面は既に水を得また風を蔵す。如今の人は遇い得ること少なし。又言う。鶏鳴狗吠の処・鬧市炊烟の郷、地脈は隆隆隠隠、誰かその来源を探究せん。あの断えてまた接し去りてまた留まり形状奇異なるに至っては、さらに千金求め難し。脈は折断の藕・串起の珠の如く、真机は茫昧にして測り難し。穴前に到れば一片平坦、実に摸捉する由なし。空缺を遮擋し不足を填補するを要す。これらは皆天造地設、徳の至高の人に留め遺す。前代の賢者もまた言伝し難し。

張子微云:中原平地及湖鄉,行龍入地至難詳。尋得龍來無穴下,茫茫闊遠何相當?此名天平只看水,水繞回環是穴中。若還舍水去尋穴,望望皆平無定蹤。龍如逢水穴方止,無水攔斷去不窮。諸公記此水龍訣,不與岡山一例同。

張子微は言う。中原の平地と湖沢の郷は、龍脈は地下に潜入し、最も看分明し難し。龍を找着すれども穴の下すべきなし、四望茫茫開濶、何れの処か合適の地なる。此の種の地形は「天平」と呼び、ただ水を看ればよい。水の環繞回抱する処、穴はすなわちその中に在り。若し水を撇いて去りて穴を尋ぬれば、放眼一片の平坦、永遠に定処を找出せず。龍は水に遇えば、穴は才かに停住す。水の攔截なければ、龍は便ち一直に走り下りて尽頭なし。諸位はこの套の水龍口訣を記住せよ。それは岡山地帯の看法と一概に論ずべからず。

劉氏云:中原,百里千里皆為平地,雖有高形可尋龍脈,無穴可下。蓋龍之隆隆隱伏,間有得見處。然到作穴,又無定蹤,只看水之曲折如何。水若環繞,攔截穴頭,固為易見。不然,水亦在前或在後,彎曲之處相當,即可定穴法。如無水處,雖有穴,亦必非龍脈盡處,不為端的。若以山鄉之法取之,則失之矣。

劉氏は言う。中原一帯は、百里千里皆平地、偶有りて高起の形状ありて以て龍脈を尋ぬるに据る可きも、往々下すべき穴を找得せず。龍脈は隆隆隠伏し、その間にもまた看見し得る処あり。しかし一たび穴を作す処に到れば、また一定の蹤跡に循るべきなし。ただ水の曲折の如何を看るのみ。水若し環繞して来たりて穴頭を攔まば、あれは自然に看出し易し。若しこの如くならざれば、水は或いは穴前に在り、或いは穴後に在り、ただ弯曲得当の処に在れば、また以て穴を定むるに据る可し。完全に水なき処に至っては、たとえ看て穴あるが如くとも、一定に龍脈の止尽の処に非ず、真切と算えず。倘若山区の方法を拿りて套用せば、則ち錯なり。

廖氏《洩天機》云:更有平洋局又別,傾廩為君說。星辰原出在高崗,撒脈下平洋。高岡聚講與過峽,行龍皆一法。撒落平洋始不同,切莫失眞蹤。地有高低即山水,節目同一體。遠山近水兩旁纏,脈似藕絲連。倒身龍格隱復現,脈上行時見。隱隱隆隆正好尋,尋得值千金。又曰:平地龍神觀水勢,認取原無異。

廖金精の『泄天机』は言う。さらに平洋の一種の局面ありてまた自ずから同じからず。我は倉廩を傾倒し出し毫も保留なく講じて汝に聴かせん。星辰は本来高岡の上に出で、脈を撒放し下して平洋に落とす。高岡の上に於いて衆山の聚会講議および峡を過ぐるの做法、行龍の法則は皆一様なり。ただ撒落して平洋した後のみ同じからず。切に真蹤跡を丢すなかれ。平地上ただ高低あれば、すなわち山水あるに等し、各種の節目は山区と本は一体。遠処の山・近処の水は両旁に於いて纏護し、脈は細きこと藕糸の相连の如し。龍脈の倒卧の格局は忽隠忽現、ただ脈の上に行走する時のみ看得见。隠隠隆隆の処は正好去りて尋ぬべし、尋ね着けば便ち千金に値す。又言う。平地上に於いて龍神を看るはすなわち水勢を看る。認取の道理は山区と原本差別なし。

范越鳳《洞林秘訣》云:平原曠野,茫然數百里之遠,視水所歸,則知來山。左右兩阜拱接分明,可以藏車隱馬。有盤曲之水,朝向之流,乃第一地也。高山平原本無二說,要以形勢為本。觀其來歷綿遠,氣象環合,高山無懸崖崩破之害,平原無斷壟橫塹之絕,乃葉吉卜。故陰陽家貴於心得意解,不可執一。又曰:相平地之法,四顧審其土脈,觀其流泉,得水為上也。

范越鳳の『洞林秘訣』は言う。平原曠野は茫茫として几百里の遠、ただ水の最後の帰向する所を看れば、すなわち来山の何処に在るかを知る。左右の両処の土阜は拱抱啣接して分明、以て車馬を遮蔵するに足り、また盤旋曲折の水・穴場に朝向する流水あれば、あれはすなわち第一等の好地。高山と平原は本来両套の説法なく、皆形勢を以て根本と為すを要す。それの来歴の綿遠・気象の環合を看、高山には懸崖崩塌の禍害なく、平原には断壟横溝の隔絶なし。これ才かに吉卜に合す。だから陰陽家は心領神会を貴び、一端に死執すべからず。又言う。平地を相するの方法は、四面環顧してその土脈を審察し、その泉流を観察し、水を得るを以て上と為す。

吳公《指南》云:古人謂大地落平洋,蓋以其祖宗發脈而來,中間剝變過度處多,氣脈既全,便無力亦水深土厚,此平洋所以為大地。然而平洋龍法,非俗眼所能尋識,多是高山大壟,忽然撒下平坦,人但見山勢已盡,而不知水分八字,界過護從,送出正龍,一脈如絲如線,在此處藏蹤閃跡,直拋過前面去,卻微微突起三五七個平低山阜出來,或土洲之類,牽連而行。

呉景鸞の『指南』は言う。古人の大地は平洋に落つと講ずるは、それが祖宗山より脈を発して来たり、中間の剥換変化・過渡する処は甚だ多く、気脈は已に完足するを以てなり。たとえ看れば力なきに似るも、また水深土厚なり。これがすなわち平洋の能く大地を結ぶ所以の故。然而るに平洋の龍法は俗人の眼力の尋認し得る所に非ず。それは多半是れ高山大壟の忽然として撒落して一片の平坦と為る。人々はただ山勢の已に走完せるを見て、知らず水は両旁に於いて八字に分かれ、界断して過ぎ去りてまた護送随行し、正龍を送り出す。あの一脉は細きこと糸線の如く、すなわちここに於いて蹤跡を蔵起し忽閃して過ぎ、一直線に前方へ抛り去り、随後また微微として三五七個のまた平また低の土阜を凸起し、或いは水中の沙洲の一類の形状の如く、牽連して前に往く。

又復跌斷,卻去前面,或作突中窩,或作窟中突,宛然成一天然之穴。其做穴處,四神八將,自然應副,堂局水城,自然回抱。乍看似無好處,細玩卻有妙理。故平洋地所以難尋而又難識也。

随後また跌落断開し、再走りて前面に至り、或いは凸突の当中の窩を作成し、或いは凹窟の当中の突を作成し、俨然として一個の天然の穴を形成す。それの穴を作す処は、四神八将は自然に配合斉備し、明堂格局と水城は自然に回環抱護す。一見すれば何の好処もなきが如く、細味すれば却って自ずから妙理あり。だから平洋の地は才かに尋ね難くまた認め難し。

《明山寶鑑》云:平洋大地,認水為龍。水勢若回,龍亦隨住。一丈之山,勝彼千丈;一尺之山,勝彼千尺。《尋龍歌》云:平洋大地無龍虎,杳杳渺渺尋何處?東西只把水為龍,下後出三公。《入式歌》云:茫茫四畔無龍虎,君欲尋龍向何處?地師只把水為龍,交流便是龍歸路。

『明山宝鑑』は言う。平洋の大地は水を以て龍と為して認るを要す。水勢一旦回環すれば、龍もまたすなわちこれに随いて停住す。平洋上の一丈高の土山は、山区の一千丈の山に勝る。一尺高の土阜は、山区の一千尺の山に勝る。『尋龍歌』は言う。平洋の大地は青龍白虎なく、杳杳渺渺として何処に往きて尋ぬるや。東西南北ただ水を以て龍と為せ、葬り下せば三公を出す可し。『入式歌』は言う。四面茫茫として青龍白虎なく、汝は龍を尋ねんとすれば何処に往くべき。地師はただ水を以て龍と為し、両水交流の処はすなわち龍の帰去の路。

卜則巍云:窮源千仞,不如平地一堆。又曰:水星多出平地,妙處難言。又曰:或隱顯於茫茫迥野。又曰:平中得一突為奇。又曰:彷彿高低,依稀繞抱。又曰:地卑處切忌泉流。又曰:平地起培塿,一東一西。又曰:平洋地當斟酌,不宜掘地及泉。又曰:平沙落雁偏宜水,泊岸浮簰不畏風。又曰:勢如波湧,何須卓立之峰?脈若帶連,何必高昂之阜。

卜応天は言う。千仞高の窮山源頭に跑り至るは、平地上の一个の土堆に如かず。又言う。水星形の地は多く平地に出ず、その中の妙処は言伝し難し。又言う。脈は時に茫茫遠野の間に隠現す。又言う。平地の裏に一処の凸突を得ればすなわち奇特と算う。又言う。高低は仿佛として辨じ可く、環抱は依稀として見る可し。又言う。地勢低窪の処は最も泉水の浸流を忌む。又言う。平地上に起る小土丘は、往々一個は東に在り一個は西に在り。又言う。平洋の地の下葬は斟酌を要し、泉水の出づる深度に挖り至るを宜しとせず。又言う。「平沙落雁」形は偏に水あるを適宜とし、「泊岸浮簰」形は風を怕れず。又言う。気勢は波浪の涌動するが如く、何必ずしも卓立の高峰あるを要せんや。脈若し帯の如く相连すれば、また何必ずしも高昂の土阜あるを要せんや。

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