重刊『人子須知』資孝地理心学統宗 巻一下之二
江右山人徐善繼述 同著。此篇專論幹龍枝龍。夫龍之枝幹,形勢不一,茍無眞見,則登山汗漫,貿貿莫分。且辨龍枝幹,乃地理第一關鍵。此而不知,則大本已失。如宮牆外望,不得其門,何由升堂以入其室乎?故首論枝幹,蓋亦開關啟鍵意也。
本巻は江右(今の江西)の山人徐善継・徐善述の兄弟二人が共同に撰述する。この一篇は専ら「干龍」と「枝龍」を論ず。山龍に干あり枝あり、形態気勢は千差万別。もし真正の眼力なければ、一山に上れば便ち一片茫然、糊裏糊塗として何れが干何れが枝を分辯し得ず。而して龍の枝干を辮別するは、正に地理の学の第一道の関口である。この一関を過ぐる能わざれば、根本は已に失われたり。譬えば宮牆の外に立ちて张望し、大門を見付けず、又怎んぞ厅堂に登り内室に入ることを得んや。だから本書は枝干の辨を最前に放ちて講ず。用意もすなわち読者に替わりて鎖を開き門を啓かんがためなり。
枝干の総論
夫乾龍枝龍者,乃龍之有大有小,猶木之有幹有枝也。蓋幹為木之身,而枝柯所附以立。枝為木之衍,而條葉所自以蕃。論龍大小,取象莫辨於此。但枝幹之中,又各有大小之別。故有大幹龍、小幹龍,大枝龍、小枝龍。所謂幹中有幹,幹中有枝;枝中有幹,枝中有枝是也。吳國師有云:“枝幹明而嫡庶分,嫡庶分而力量見。”故論龍不可不辨枝幹,論枝幹又不可不辨大小,以審其力量之輕重也。
いわゆる「干龍」「枝龍」は、山龍に大あり小あるを指す。樹木に主干あり旁枝あるが如し。主干は樹の躯体で、一切の枝条は皆その身に依附して才かに立つるを得る。旁枝は主干の延伸で、条葉はすなわちここより生発繁茂す。龍の大小を判別するは、この取象より清楚なるはなし。ただし干と枝の内部はまた各々自ずから大小に分かる。だから「大干龍」「小干龍」あり、また「大枝龍」「小枝龍」あり。これはすなわち常に言う干の中にさらに干あり、干の中にまた枝あり、枝の中にさらに干あり、枝の中にまた枝あり。国師呉景鸞はかつて言った。枝と干を分け清楚せば、嫡出と庶出の名分はすなわち定まる。嫡庶の名分が一たび定まれば、各支の龍脈の力量の大小もすなわち顕出す。だから龍を論ずるは先ず枝干を辨ぜざるべからず、枝干を辨じてさらに大小を再辨ぜざるべからず。こうしてこそその力量の軽重を称量し出すを得る。
然審辨之法,以水源為定。故大幹龍則以大江大河夾送,小幹龍則以大溪大澗夾送,枝龍則以小溪小澗夾送,小枝龍則惟田源溝洫夾送而已。楊公云“水源亦自有長短,長作軍州短作縣”是也。故觀水源長短而枝幹之大小見矣。然此亦惟舉其大綱言之。至於節目之詳,即其行度形勢,亦自有別。具見下文。
辮別の辦法は、龍脈を夾送する水源の大小を以て準と為すを要す。大干龍の両側は大江大河の護送、小干龍の両側は大谿大澗の護送、枝龍の両側はただ小谿小澗の護送のみ、小枝龍はさらにただ田間の源頭水と溝渠田洫の相夾のみ。楊筠松は言う。水源は本身また長あり短あり、水源の長きは軍州一級の都会を結出し得、水源の短きはただ一个の県治を結ぶに足るのみ。講ずるは正にこの道理。だからただ水源の長短を看れば、枝干の大小はすなわち一目了然。ただしこれはただ大綱に就いて言う。至りて更に細なる条目、すなわち龍脈の行走の節奏と形勢上の分別は、各々講究あり。皆後文に詳見す。
干龍を論ず
夫乾龍有二,前所云大干小幹是也。所謂大幹龍者,即幹中之幹者也。其祖皆出名山,跨州連郡,延袤幾千百里,乃正氣所聚,鍾靈孕秀,頴異殊常,敻然高廣,而每有雲霧發現。《經》云“先尋霧氣識正龍”,又云“尋龍望氣先尋脈,雲霧多生在龍脊。春夏之交與二分,夜望雲霓生處覓”是也。蓋幹龍之祖極高大,故每有雲霧生其巔。此察識幹龍祖宗之大法也。
干龍は両種に分かる。すなわち前面に説いた大干と小干。いわゆる「大干龍」は、干の中の干である。その祖山は皆天下の名山より出で、数州を横跨し数郡を連接し、綿延して上千百里。天地の正気の聚結する処、鍾霊毓秀にして尋常に異なり、遠く望去れば高広遼濶、山頂には時常雲霧の涌現あり。『撼龍経』は言う「先ず霧気を尋ねて正龍を識れ」、また言う龍を尋ね気を望むは先ず脈を尋ねよ、雲霧は多半龍脊の上に生ず、春夏の交および春分・秋分の前後、夜に雲霞の昇起する処に向かいて尋覓せよ、講ずるは正にこの法門。干龍の祖山は高大なること出奇、山間の水汽は高峰に截住せられ、だから峰頂に常に雲霧の生成あり。雲霧の出没の処を観察するは、正に干龍の祖宗を辮認する最も緊要の大法である。
知其祖,又當於離祖分行,審其出身。聳拔雄偉,氣勢宏大,規模尊重,如王者駕出而百職咸隨,如大將赴敵而三軍聽命,巍峨卓異,豈若枝龍之出身,惟以細嫩活動,逶迤磊落為美哉!及其出身以來,則多牽連而行,不起星峰,惟兩旁枝腳、護衛、關峽等山,則星峰聳拔。俗眼不識幹龍形體,惟以星峰秀麗為愛,縱有所得,不過枝葉小穴而已。豈知正幹龍稟氣渾厚,不起正體星辰。
祖山を認出した後、さらに龍脈が祖山を離れ分道而往く処に於いてその「出身」を審察するを要す。大干龍の出身は高聳雄偉にして、気勢は宏大、規模は荘重。帝王の出行して百官は全数随行するが如く、また大将の戦場に奔赴して三軍は聴命するが如し。巍峨挺拔にして衆と異なり、何ぞ枝龍の出身の、ただ細嫩・活霊・逶迤磊落を以て美と為すに似んや。大干龍は出身した後、多半是れ一路牽連して行き、本身は並びに「星峰」を聳起せず。却って両旁の枝脚・護衛・関峡のこれら附従の山は、星峰高く聳起す。俗人の眼光は干龍の体貌を認めず、一味に星峰の秀麗を喜愛す。たとえ収穫あるも、不过是れ枝葉上の小穴のみ。彼らは豈に知らん、正干龍の禀受する気は渾厚朴実にして、本身は「正体星辰」を起さざることを。
《經》云:“尋龍何處使人疑,尋得星辰卻是枝。枝葉亂來無正穴,眞龍到處又疑非。只緣不識兩邊護,卻愛飛峰到腳隨。飛峰斜落是龍腳,腳上生峰一邊卓。眞龍平處無星峰,兩邊生峰至難捉。”又云:“疑龍何處最難疑,尋得星峰卻是枝。關峽從行並護托,矗矗旗槍左右隨。乾上星峰全不作,星峰龍法盡虛辭。”
『撼龍経』は言う。龍を尋ぬるに最も人をして疑わしむるは何ぞ。往々にして一座の漂亮の星峰を見付け、結果あれはただ枝龍なり。枝葉は紛乱に伸び来たり、その中に正穴なし。真龍は跟前に走り至り、却って人に疑われて是れに非ず。これは皆龍身の両旁の護従を認識せずして、却って偏にあの一路龍脚に跟い起伏する飛峰を喜愛するを以てなり。知るべし、斜々に落下する飛峰は本是れ龍の脚、脚上に生出する峰はただ一辺に偏して独り挺立す。真龍の平緩の処は並びに星峰を起さず、両辺は却って峰巒の叢生し、最も捉摸しがたし。又言う。疑龍の最も辨じがたき処は何れの処に在るか。亦た星峰を見付けてそれが枝龍に属するを発見するなり。関峡は龍に随いて同行し、護托の山は両側に夾侍し、矗立して旗の如く槍の如く、左右に追随す。真正の干龍の身上は根本に星峰を作さず。若し一味に星峰を以て龍法に套せば、あの説法は全く落空す。
又云:“凡有好山隨幹去,枝龍盡處有旗槍。旗槍也是星峰作,圓凈尖方高更卓。就中尋穴穴即無,幹去未休枝早落。”又云:“問君州縣大幹龍,似浪橫江那有峰?起峰皆是兩邊腳,去為小穴為村落。”又云:“兩邊起峰為護從,正龍低平最貴重。”又云“幹龍身上不生峰,有峰皆是枝葉送”是也。故凡幹龍,不可以星體拘之。
『撼龍経』はまた言う。凡そ好山は皆干龍に跟い一路に走去り、枝龍の尽頭は往々旗槍の如き峰巒を竪る。これらの旗槍もまた星峰の化する所、或いは圓潤潔浄、或いは尖鋭方正、且つ格外高聳卓立す。しかしあそこに至りて穴を尋ぬれば、穴は却ってなし。干龍はなお走完せず、枝葉は已に先んじて落下結束したるを以てなり。又言う。請う、あの州治県治を結出する大干龍は、形状は波浪の如く江面上に横鋪し、何れの処に高峰あらんや。凡そ峰を起すは皆両旁の枝脚、それらは伸出してただ小穴を結び村落を成すのみ。又言う。両旁に峰を起すは護従の山、正龍は却って低平、あれが才かに最も貴重なり。又言う、干龍の身上は峰を生ぜず、凡そ峰あるは皆枝葉の護送するなり。だから凡そ干龍に遇えば、絶対に星辰の体格を以て死に套すべからず。
惟是崇山大壟,如白浪湧波,層巒疊嶂,牽連而行,或百餘里,或七八十里,或二三十里只一斷。而斷處必是驛路通衢,人跡絡繹不絕之處。古人以人跡往來多寡驗峽之大小,以峽之大小定龍之大小,誠為有理。蓋幹龍脊脈,多為疆域界限,故其過峽斷處,必是省郡通衢。
干龍の形貌は、ただ崇山大嶺の連綿として断えず、白浪の翻涌するが如く、層巒叠嶂は一路牽連して行く。或いは走ること一百余里、或いは走ること七八十里、或いは走ること二三十里にして才かに一次断落す。而して断落の処は必定驿道の要衝、人の来たり往くは絡繹として絶えず。古人は往来の人跡の多寡を凭りて「過峡」の大小を検験し、再び峡の大小より龍の大小を判定す。確かに道理あり。干龍の脊脈は多半すなわち州郡の疆域の分界線なるを以て、だからその過峡断落の処は、必ず省城郡城の間の通衢大道なり。
然其斷亦有一伏或十餘里,或數十里平坦,了不知其去,而蹤跡詭異。或穿田渡坂,而有藕斷絲連;或石樑渡水,而為崩洪過脈;或拋蹤閃跡,而有馬跡蛛絲;或撒落平田,而藏形隱跡。前去忽起高山,又復牽連而行。行而又斷,斷而復起,延蔓廣袤,橫亙連綿,極其長遠,或千餘里,或數百里。
ただしその断落もまた別の一種の情形あり。一たび伏し下ればすなわち十幾里・幾十里の平坦の地面、人をして全く脈の何処へ往くを看出せしめず、行蹤は十分に詭秘なり。あるは田疇を穿ち坡坂を越え、ただ「藕断糸連」の如き微脈を留下す。あるは水中の石梁に凭りて河を渡り、「崩洪」の過脈と為る。あるは忽ち東し忽ち西して蹤跡を拋閃し、ただ「馬跡蛛糸」様の痕印を見るのみ。あるは干脆として平田の中に撒落し、形蹟を完全に蔵起す。さらに前に往けばまた忽然として高山を聳起し、重新に牽連して行く。行きてまた断え、断えてまた起こり、蔓延広遠、横亙連綿、極めて漫長、あるは走ること一千余里、あるは走ること几百里。
《經》云:“尋龍千里非迢遞,其次五百三百里。”子微云:“大龍千里費推尋,一二百里作郡邑。”廖氏云“幹龍住處分遠近,千里為大郡。二三百里可為州,過此即封侯。百里只堪為縣治,下此為鎮市”是也”。故幹龍之行度,極其長遠,愈長遠則力量愈大。其分去之龍,亦隨其正幹之大小而有差別。
『撼龍経』は言う。龍を尋ぬるに走ること上千里もまた遠と算えず、次一等もまた五百里・三百里あり。張子微は言う。大龍は動けば千里、甚だ推求を費やす。一二百里のは郡邑を結出し得。廖金精は言う、干龍の止歇する処は遠近を分かつを要し、行程千里のは大郡を結ぶ可く、二三百里のは州治を結ぶ可く、この数を超過すればすなわち封侯の家を出し得、ただ百里のは僅かに県治を作るに足り、さらに短きはただ鎮市のみ。これを見れば干龍の行程は極めて長遠、走ること愈遠ければ力量は愈々大なり。その中途に分出した支龍も、また正干本身の大小に随いて等第の差別あり。
如正幹龍去作京師,則其龍身分去小幹為省城,而省城龍身分去為郡邑,郡邑龍身分去為鄉村市井之類。《龍髓經》云“大龍行度自非常,離祖生來手腳長。橫亙鋪舒千百里,至微三百里中藏。一彎一觜皆開廣,終日循行尚未央。細葉猶為府州縣,巨枝畿甸植君王”是也。
比方すれば正干龍が最終に京師を結成すれば、然らばその龍身より分出した小干は便ち省城を結び、省城のこの龍身よりさらに分出したは郡邑を結び、郡邑の龍身より再び分出したはすなわち鄕村市井を結ぶ。層層に遞降す。『龍髄経』は言う。大龍の行度は本就に非凡、祖山を離れてより、手脚枝脚はすなわち伸ばすこと甚だ長し。横鋪して去ること上千百里、最も済まざるも三百里の規模を蔵る。それの毎一弯・毎一処の山嘴は開張寛濶、走ること一整天にしてなお走完せず。細小の枝葉すら府州県治を結出し得、粗大の枝干は便ち京畿一帯に於いて帝王を扶植す。正にこの意である。
且其從山及枝腳橈棹,皆有融結。爰是幹龍,氣勢雄大,佈置精巧,故隨從之龍,與本身透漏,皆能有穴。子微云“手腳橈棹皆有穴,此是大龍多餘氣”是也。然此等大龍,亦有行至將結穴處無手足橈棹,撒落平陽,單行獨出。而一屈一曲,動數十里,隔州隔水之山,遠來迎接,在數十里外,自相照應。
しかも大干龍の随従の山および「枝脚」「橈棹」も、また各々自ずから結作あり。正に干龍の気勢は雄大・布置は精巧なるを以て、だからそれに跟随する従龍は、本身より漏泄し出る余気を連れて、処処皆穴を結ぶを得。張子微は言う、手脚・橈棹の上は皆穴あり、これは大龍の多余の気の化する所、講ずるはまさにこの種の情形。ただしこの類の大龍も、また走りて将に穴を結ばんとする時に反って手足・橈棹を見ざるあり。それは平陽の地に撒落し、孤身単行独出し、一屈一曲は動けば幾十里、隔州隔水の遠山に靠りて前に来たりて迎接し、幾十里の外に於いて彼此相照応す。
《龍髓經》云:“不知大龍百十里,臨到作穴如蛇虺。單單灣環數十程,無手無腳如流水。若論纏護隔溪港,一望遮來數十里。若拘纏托與橈棹,不知此龍何者是。”故幹龍入首,必是外山隔水為迎為送,為纏為托。子微云:“小地結果論迎送,大地迎送隔江水。”楊公云:“大凡幹龍行盡處,外山隔水來相顧。”
『龍髄経』は言う。人々は知らず、大龍の走ること上百里、結穴に臨みて形状は竟に一条の蛇虺の如くなるを。孤零零として弯環すること幾十程、手无く脚无く流水の一般なり。若し纏護を講ぜば、あれは谿港を隔てたる山、一眼望去れば遮攔して出づること幾十里。若し硬く近身に纏托と橈棹を尋ぬんと要せば、すなわちこの龍の究竟に何処に在るを認出せず。だから干龍の「入首」は、必定外囲の水を隔てたる山に靠りて以て迎・送・纏・托を充当す。張子微は言う。小地の結作は才かに近処に於いて迎送を論じ、大地の迎送は江水を隔つ。楊筠松は言う。凡そ干龍の走りて尽頭の処に至るは、皆外山の水を隔てて相互に照顧するを由とす。
《發揮》云“譬之大貴人將至,不是自己帶來護衛,乃是千百里外係指揮。部屬之人,翕然聚集,刻日限時,罔敢不至”是也。《雪心賦》云:“求吾所大欲,無非逆水之龍。”此特枝龍而已。幹龍兩水夾送,安有逆水?惟是將及入首,翻身逆水,數十里或數里數節結穴為妙。所謂“順勢翻成逆勢”是也。
『発揮』は比方して言う。譬えば一位の大貴人の将に来たらんとするに、護衛は並びに彼自身の帯び来たるに非ず、而るに千百里の外の彼に節制せらるる下屬、一たび調遣を聞けば便ち紛々として聚集し、日期時辰を限定し、敢えて至らざるなし。干龍の迎送護従は正にこの如し。卜応天の『雪心賦』は言う。我が最も求めんと欲するを論ずれば、無非是れ逆水の龍なり。但しあれはただ枝龍に就いて言うのである。干龍は本来両側の水に由りて一路夾送せられ、豈に逆水あらんや。ただ将に「入首」せんとする時に翻身回頭して水に逆らいて走り、或いは幾十里、或いは幾里、幾節を経て結穴するを、才かに上妙と算う。これがすなわちいわゆる「順勢を翻して逆勢を成す」である。
其結穴際,必然山水大會,或山大曲,水大轉,而水口交固,明堂平廣,左右周迴,內局團聚,外陽寬暢,水朝山拱。有此形勢,即可尋穴。《經》云:“凡山大曲,水大轉,必有王侯居此間。”又云“到此先看水口山,水口交牙內局寬。便就寬容平處覓,左右周迴無空閒。斷然有穴在此處,更看朝水與朝山”是也。
干龍の結穴する時は、必然として群山衆水の大会聚なり。或いは山勢の大幅に弯曲し、或いは水流の大幅に回転し、而して「水口」の両辺は交鎖して緊固、「明堂」は平坦寛広、左右は環抱周回し、内局は団聚して散ぜず、外面の陽明の地は開闊舒暢、水は来たり朝拱し山は来たり環衛す。この種の形勢あれば、すなわちその中に穴を尋ぬるべし。『撼龍経』は言う。凡そ山の大弯・水の大転の処は、必定王侯の家ありてその間に安居す。又言う。ここに到りて先ず水口の山を看よ、水口は交牙して相鎖し内局は寛平、すなわち寛平の処に於いて找え、左右の環抱に空缺なく、然らば此処に必定穴あり、さらに一歩進みて来朝の水と来朝の山を看よ。
然幹龍正脈,將及結穴,必然連斷幾斷,脫卸殺氣,方有融結。不然,則撒落平洋結聚為佳。皆須依近大河耳。雖是依近大河,卻不暴頭露面,必居擁從之中。《龍髓經》所謂“萬卒影從成禁衛,千官環列是朝廷。”諺語云“好地如閨中美女”是也。
但し干龍の正脈は将に結穴せんとする時、必定接続して断落すること好几次、粗頑の殺気を層層に脱卸し乾浄にして、才かに真正の結作あるを得。若しこの如くならざれば、すなわち平洋の地に撒落して凝聚し穴を成すを以て好しと為し、しかも皆大河に靠近するを要す。大河に靠近すとはいえ、却って張揚して頭面を暴露すべからず、必定衆山の擁従する当中に蔵れん。『龍髄経』の言う「万卒は影従して禁衛を成し、千官の環列は是れ朝廷」、民諺の言う「好地は閨中の美女の如し」、講ずるは皆この道理である。
亦有翻身朝祖而結穴者,《經》云“請君看水交纏處,水外有山來會聚。翻身顧母顧祖宗,此是回龍轉身處。宛轉回龍似掛鉤,未作穴時先作朝。朝山皆是宗與祖,不拘千里遠迢迢”是也。亦有不迴轉而直受結穴者。《經》云“也有幹龍來兩水,更不回身直為地。只是兩護必不同,定有纏關交結秘”是也。亦有橫落入首,借鬼安穴者。《經》云“幹龍若是有鬼山,橫轉一邊寛處安”是也。
干龍にもまた翻身して来たり祖山に朝して結穴するあり。『撼龍経』は言う。請う看よ、あの水流の交纏する処、水外にさらに山ありて来たり会聚す。龍は身を翻して去りて母山を回顧し祖宗を回顧す。これがすなわち「回龍転身」の所在。宛転の回龍の形状は一只の挂鈎の如く、未だ穴を作さず、先ず朝山を備え好む。これらの朝山は原本すなわちそれの祖宗、相隔たること千里の遠も妨げず。もまた回転せず、直接に来脈を承受して結穴するあり。『撼龍経』は言う。亦た干龍ありて両水の間に夾まり、並びに回身せず、徑直に地を結ぶ。ただ両旁の護従は必定衆と異なり、一定に纏護関鎖交結の奥秘を蔵す。さらに横向に落脈入首し、「鬼山」を借りて穴を安んずるあり。『撼龍経』は言う。干龍若し鬼山を帯ぶれば、すなわち横転して一辺の寛敞の処に至りて穴を安んず。
雖是數等結穴不同,要之,皆必以兩河交劍處為盡。而其正受之穴,又不可以大窮盡處求索。《經》云:“君如尋得幹龍窮,二水相交穴受風。風吹水刦卻非穴,君如到處是疑龍。”又云:“大地皆從腰裡落,迴轉餘枝作城廓。”范越鳳云“大貴大富之地,必不在大窮盡處。大窮盡處多是風吹水刦”是也。
以上の幾種の結穴の方式は同じからずといえども、帰結すれば、皆必定両条の河の交匯して双剣の相接するが如き処を以て龍の止尽と為す。しかし真正の正受の穴場は、また大尽頭に至りて找すべからず。『撼龍経』は言う。汝若し干龍の窮尽の処を尋ね至らば、両水相交・穴場は風を受け、風に吹かれ水に劫せられ、然らばそれは穴に非ず。このように找し下れば、到る処皆可疑の龍と成る。又言う。大地は皆龍腰の上より落下する所、回転の余枝は則ち囲りて城廓を成す。范越鳳は言う、大富大貴の地は必定大尽頭に在らず、大尽頭は多半是れ風吹水劫の処。説くは皆同じ一つの事である。
故幹龍氣勢雄盛,結穴之外,必有餘氣之山,或去數十里,或去數里,皆暗拱,為正穴用神,或作下手,或作托樂,或反繞於身為關峽,或奔走於水口為門戶之類。其間又各有小穴,隨其力量,皆有發越,然莫得與正結比耳。
干龍は気勢雄盛にして、正穴の外に必定また余気の化する山あり。或いは遠く幾十里に在り、或いはただ几里を隔つるのみ、皆暗中に環拱し、正穴の「用神」を充当す。或いは下手砂を作りて水を収め、或いは背後の托山・楽山を作し、或いは反転して来たりて龍身の旁に繞りて関峡を形成し、或いは水口に奔りて門戸を充当す。これらの余気山の中にまた各々小穴を蔵し、各自の力量の大小に按じて、皆福を発するを得。ただ正穴の結作と相提並論すべからざるのみ。
但此等幹龍正結之穴,天珍地秘,多是丑拙隱怪,或在高山而結仰高天巧,或落平地而結藏龜沒泥,或為騎龍,或為石巧,奇蹤異跡,隱晦殊常。或有沙水飛走,或有殺氣錯雜,或有曜星奔竄,或有氈褥鋪展,或有元辰直長,故多有不利初代,及公位不均,離鄉遠去等事。
ただしこの類の干龍の正結の穴は、天地の珍藏する秘物で、多半は樣子丑拙・位置は隠僻古怪なり。或いは高山の上に結び、「仰高」「天巧」の類の穴を成す。或いは平地に落ち、「蔵亀」「没泥」の類の穴を成す。或いは龍脊の上に騎りて「騎龍穴」を作り、或いは石の奇に凭りて「石巧穴」を作る。蹤跡奇特、隠晦異常なり。それらは或いは砂水は外に飛去り、或いは未浄の殺気を雑え、或いは「曜星」は四竄し、或いは穴前に大片の毡褥を鋪出し、或いは穴前の「元辰水」は直長にして去る。だから常に不利第一代・諸房の福分不均・子孫の離郷远去のこの類の情形を出現す。
惟龍眞而不可舍,穴的而不可移,乃是造化無全功,亦須扦葬,不必以小嫌而去大地。但此又當詳審精察,切勿被圖大所惑。蓋庸師多以龍眞穴拙之說籍口,亂下有龍無穴凶惡假地,悞人最甚。
但ただ龍が確かに真龍なれば捨棄すべからず、穴が確かに的穴なれば挪移すべからず。これは造化が本来就に十全あり難きを以て、旧に応に下葬安墳すべく、一点の小毛病の為に大地を放過するを必とせず。ただここにまた必ず反復審察を要し、千万「大地を貪図する」の念に迷住せらるるなかれ。庸俗の地師は往々「龍真穴拙」のこの言を借口と為し、胡乱にあの龍あれども穴なき凶悪不堪の假地に葬り、人を誤ること最も深きを以てなり。
大抵幹龍眞穴,雖是隱怪,卻是穎異,如玉蘊山輝,珠藏淵媚,自然秀氣迸露,門戶迥別。或龜蛇交結,或獅象盤旋,或日月捍門,或劍戟羅列,或羅星重疊,或旗鼓把截。或華表聳於雲霄,北辰鎮居地戶;或樓臺鼓角列於羅城,金箱玉印塞於水口;或石筍游魚之忽見,平湖秀水之汪洋;或禽星獸星蹲居於水口,天關地軸佈置於局內。自有許多貴秀證佐,異於尋常。識者見之,則知其中融結不凡。
大体言えば、干龍の真穴は隠晦古怪なりといえども、却って自ずから人に過ぎる処あり。譬えば山中に美玉を藴むれば、整座の山は便ち光輝あり。深淵の裏に明珠を蔵すれば、一潭の水は便ち格外嫵媚なり。秀気は自然に迸発流露し、門戸の格局は別処と迥然として同じからず。その周囲は或いは亀形砂と蛇形砂の交結あり、或いは獅象の二山の盤旋守護あり、或いは日月の両山の門口を把守し、或いは剣戟の如き峰巒の羅列し、或いは「羅星」の重重叠叠、或いは旗鼓の山の横截把関す。或いは「華表」は高聳して雲に入り、「北辰」は水流出口を鎮守す。或いは楼台鼓角の類の山峰は羅城の上に排列し、金箱玉印の砂は水口に堵塞す。或いは忽然として石筍・游魚形の石砂を冒出し、眼前は平湖秀水の一片汪洋。或いは飛禽走獣形の山は水口に蹲り、「天関」「地軸」の両山は局内に分布す。凡そこの種種は、皆不同尋常の貴秀の憑証。行家は一見すれば、便ちここの裏面の結作の非同一般なるを知る。
但此等正幹大龍,其所結作,力量極大,或為畿甸,或結禁穴,或結省城藩鎮,或為名賢墓宅。雖有遺穴,天珍地秘,鬼神呵護,以俟有德,不可強求,不可妄指,況非時師所能尋曉。楊公云:“圖大不得且思次。”是故又當加意於小幹龍焉。
ただこの種の正干大龍の結作の力量は極めて大、或いは京畿の地と為り、或いは皇家の禁穴を結び、或いは省城・藩鎮の所在を結び、或いは名臣大賢の墳墓宅第と為る。たとえなお占用せられざる穴を留むるも、また天珍地秘にして、鬼神の呵護あり、専ら徳ある人を待つ。強求すべからず、また胡乱に指転すべからず。況んや本来就に一般の術士の尋訪し明白にする能わざる所ならずや。楊筠松は言う。「大を図ること得ざれば且く次を思え。」だから地を求める人はさらに心思を小干龍の上に多用すべし。
夫小幹龍者,即幹中之枝也。亦自大幹龍分來。分龍之際,必有大星辰、崇山高壟為祖宗。張子微云“分龍定起大星辰”是也。自此離祖而行,辭樓下殿,迢遞奔走,亦與夫大幹龍氣勢相類,特長短不同。大幹龍極長,動踰千里,或數百里。小幹龍只二三百里,或百餘里。又其次者,或七八十里。
いわゆる「小干龍」は、すなわち干の中の枝で、同じく大干龍の上より分かれ出づる。分龍の処は、必定一座の大星辰・崇山高嶺ありてその祖宗山を充当す。張子微は言う「分龍は定めて大星辰を起こす」、講ずるは正にこの一点。小干龍は祖山より出発し、「楼を辞し殿を下り」、一路遠く奔走し、気勢もまた大干龍と相類す。ただ長短の同じからざるあり。大干龍は極長、動けば千里を超過し、或いは几百里。小干龍はただ二三百里、或いは一百余里。再次一等のは、ただ七八十里。
而其龍身行度,大略皆與大幹龍無異。所分枝腳,亦多結鄉村市井。其水源有長短不同,大聚小聚亦別。《經》云“水源亦自有長短,長作軍州短作縣。枝枝節節是鄉村,乾上時時斷復斷。分枝擘脈散亂去,幹中有枝枝有幹”是也。其龍稟氣亦自渾厚,亦不可以星體拘之。
小干龍の龍身の行走の方式は、大体大干龍と分別なし。それの分出する枝脚も、また多半郷村市井を結成す。ただ水源に長短あり、山水の会聚の規模もまた大聚小聚の別あり。『撼龍経』は言う。水源は本に長短あり、長きは軍州を結び、短きは県治を結ぶ。枝枝節節の結出するは郷村、干龍の身上は則ち不断に断えてまた断つ。分枝劈脈して散乱して去り、干の中に枝あり、枝の中にまた干あり。これは正に小干龍を説く。それの禀受する気もまた渾厚なる、同じく星辰の体格を以て死に套すべからず。
必多延蔓廣袤,橫亙牽連,行五六十里,或二三十里,其次者或十餘里始一斷。而斷處亦是大關峽、大道路。而枝葉之山甚蕃衍,擁從護應峽場。此處龍氣甚旺,枝葉間必有融結小穴。《口訣》云“峽前峽後去尋地”是也。
それは多半もまた蔓延広遠、横亙牽連し、走ること五六十里、或いは二三十里、次一等は走ること十幾里にして才かに一次断落す。断落の処は同じく大関峡・大道路。両旁の枝葉の山は十分に繁茂し、簇擁して過峡の場地を護衛す。この一帯は龍気極旺、枝葉の間に必定結成の小穴あり。地理の『口訣』は言う「峡前峡後に地を尋ねよ」、指すはすなわちここである。
其龍行盡處,必以水大會為止,兩河交劍處為盡。《經》云“百里各有小幹龍,兩水生來尋曲岸。曲岸隨水抱龍頭,抱處好尋氣無散”是也。亦是兩水夾送,不可必其逆水。惟是結作之際,翻身曲轉,逆勢作穴,故有曲岸之水抱其龍頭耳。
小干龍は走りて尽頭に至り、必ず衆水の大会を以て止まりと為し、両条の河の交匯して双剣の相接するが如き処を以て終点と為す。『撼龍経』は言う。百里の内に各々小干龍あり、両水の間に於いて弯曲の河岸を找すべし。曲岸は水勢に順いて龍頭を抱住し、環抱の処は正に穴を尋ぬべし。あそこは気は散ぜず。これもまた両水夾送の格局、一定してそれの逆水を求めるべからず。ただ結作するに到りて、龍は翻身して弯転し、水勢に逆らいて穴を作す。だからこそ弯曲の河岸の龍頭を抱住するという景象あり。
其穴亦不在大窮盡處,亦多隱怪。將及結作之間,亦必連有脫卸,閃跌度峽,或連起峰巒,開帳穿心,而其手腳橈棹亦皆融有小穴。迎送護托之山亦是隔水相衛,遠來聚會。水口之山亦有數十里之遠。而門戶亦須穎異,有華表、北辰、游魚、石曜、龜蛇、獅象等沙。
小干龍の穴もまた大尽頭に在らず、形貌は同じく多半隠晦古怪。将に結作せんとする時も、また必定接続脱卸し、忽閃忽跌して峡を過ぎ、或いは接続して峰巒を聳起し、帳を開きて帳心より穿出す。その手脚・橈棹の上もまた各々小穴を結ぶ。迎送護托の山は同じく水を隔てて相衛し、遠処より趕え来たりて会聚す。水口の山もまた遠く幾十里の外に在り。門戸の砂もまた必ず出衆を要し、「華表」「北辰」および游魚・石曜・亀蛇・獅象の類の砂形あるを要す。
入局之際,亦必山水大會,朝案特達,左右周迴明堂舒暢,內局緊固,外陽寬闊,羅城秀列,禽曜出現,多結郡邑市鎮、衝要繁劇衙門,及王侯極貴基址。若結為陰地,則主分茅胙土、出將入相、皇親國戚、文武全材、忠臣烈士、清修賢儒、神童狀元,及鉅萬之富。子孫蕃衍,世代榮顯,滿門朱紫,與國同休,身後英靈,血食百世。
穴局に進入する時も、また必定山水の大会有り、朝山案山は格外突出、左右は環抱周回し、明堂は舒展開暢、内局は緊密堅固、外面の陽明の地は寛濶、羅城は秀麗羅列、禽星曜星は顕現す。この種の地は多半郡邑市鎮・要衝繁忙の官署衙門、および王侯極貴の家の基業を結成す。若し結作して陰宅の墳地と為らば、すなわち分封受土・出将入相し、皇親国戚・文武兼備の才・忠臣烈士・清修賢儒・神童状元、および万貫の巨富を出すを主す。子孫は繁衍し、世代顕栄し、満門は皆朱衣紫綬の高官、国家と共に太平を享受す。身後の英霊は散ぜず、百世の香火祭祀を享受す。
又有一等幹龍,稟氣凶惡而不清,本身帶殺而可畏。雖經脫卸,不改粗頑;雖見變剝,愈見雄悍。卻亦開帳穿心,分牙布爪,諸般貴格備具,亦有融結,但大福大禍,每每相半,或貴如淮陰而卒夷其族,或富如季倫而不善其後。
別にまた一種の干龍あり。禀する所の気は凶悪にして不清純、龍身は本来就に殺気を帯び、人をして畏れ生ぜしむ。それは脱卸を経過すといえども、粗頑の本色は改めず。剥換変化を見るといえども、却って愈々雄悍を顕す。しかしそれもまた照样に開帳穿心・分牙布爪し、各種の貴格は一応倶斉、確かにまた地を結ぶ能う。ただこの種の地は大福と大禍は往々各々半を占む。或いは貴く淮陰侯韓信の如く、最後は却って全族を誅滅せられ。或いは富みて石崇(字は季倫)の如く、善終を得ず。
其最凶者,或如王莽之纂位,或如趙高之擅權,或為割據偏方之偽主,或為草冦大盜之頭目。雖皆有富貴權爵、烜赫威名,一時榮耀而不得其正,不令其終,反得罪於天地間,遺臭無窮,君子不取也。此幹龍之不美者,尋幹龍者又須識此。
その中の最も凶なるは、或いは王莽の如く帝位を篡奪し、或いは趙高の如く朝権を專擅し、或いは一方に割拠する僭偽の主と為り、或いは草寇大盗の首領と為る。これらの人は皆富貴権位・顕赫の声威あり、一時の風光なりといえども、来路は正しからず、また善終を得ず、却って天地之間に罪を獲、無窮の臭名を留下す。これは君子の取る所に非ず。これがすなわち干龍の裏の好からざる一類、干龍を尋ぬる人もまた必ず認出し得るを要す。
上幹龍雖有大幹龍小幹龍之不同,然其體勢亦多相似,但以水源夾送之長短而驗其大小。故除中國三大正幹外,其幹龍之大者猶至千餘里,次者數百里,又其次者或百餘里,或七八十里,皆以山之發祖,水之大會,原其起止也。
以上に言う所の干龍は、大干龍・小干龍の分別ありといえども、体貌気勢は多半相似す。ただ夾送する水源の長短を凭りてその大小を検験するのみ。だから全国の三条の大正干を除去するの外、干龍の中の大はなお長さ一千余里に達し得、次一等は几百里、再次一等は或いは一百余里、或いは七八十里。判断の辦法は、皆山の発祖の処と水の大会の処を以て、その起点と終点を推原す。
然大龍則論大祖宗,小龍則論小祖宗。《玉髄經》云“祖宗勢大子亦大”是也。大龍論大纏護,小龍論小纏護。故曰“大龍迎送隔江水”,曰“外州外縣山為伴”。又曰“護纏亦自有大小,大小隨龍長短來。龍長纏護亦長遠,龍短纏山亦近挨”是也。
ただし大龍は大祖宗山を看るを要し、小龍はただ小祖宗山を看る。『玉髄経』は言う「祖宗の勢大なれば子も亦た大なり」、すなわちこの道理である。大龍は大纏護を論ずるを要し、小龍はただ小纏護を論ず。だから「大龍の迎送は江水を隔つ」という説法あり、また「外州外県の山を伴と為す」という説法あり。又言う。纏護の山は本身また大小あり、大小は龍身の長短に随いて定まる。龍長ければ、纏護もまたこれに随いて長遠。龍短ければ、纏護の山もすなわち身旁に貼近す。
大龍論大水源,小龍論小水源。故曰“水源亦自有長短,長作軍州短作縣”。如中國三大幹龍,則論長江、黃河、鴨綠江之水以為夾送也。大龍論大關攔,小龍論小關攔。故曰“大龍關攔數十里”。又曰“大地必有大關攔”。其規模愈大,則堂局愈闊。堂局愈闊,則關攔愈遠。如冀州關攔,乃在碣石;長安關攔,乃在荊山;洛邑關攔,乃在泰華之類是也。舉此為論,其它大小,皆可以類而推矣。
大龍は大水源を論ずるを要し、小龍はただ小水源を論ず。だから言う、水源もまた長短あり、長きは軍州を結び短きは県治を結ぶ。全国の三大干龍の如きは、すなわち長江・黄河・鴨緑江のような大水を拿りて以て夾送を充当す。大龍は大「関攔」を論ずるを要し、小龍はただ小関攔を論ず。だから言う「大龍の関攔は数十里」、また言う「大地は必ず大関攔あり」。格局規模は愈大なれば、堂局は愈々開濶。堂局愈々開濶なれば、関攔の山は愈々遠処に在り。譬えば冀州の関攔は遠く碣石山にあり、長安の関攔は遠く荊山にあり、洛邑の関攔は遠く泰山・華山にあり、皆この類に属す。これらの几個の例子を挙出して説明を作せば、その余の各種の大小の情形は、皆この類に照らして推す可し。
故凡幹龍入局之際,山水大聚,或結為垣,或結為局,大者為京畿,為禁穴,為聖賢之地;次者為省城、藩鎮,為郡邑市井,為王侯極貴之穴。所謂陽基則立郡建都,陰地則分茅胙土,惟幹龍為然,枝龍之地,斷然無此力量也。
だから凡そ干龍の結作の局に進入する時は、山水は大規模に聚会し、或いは囲りて天上の垣局の如き格局を成し、或いは結びて一方の堂局を成す。大は京畿の地・皇家の禁穴・聖賢の葬る処と為る。次一等は省城・藩鎮と為り、或いは郡邑市井、或いは王侯極貴の家の穴場と為る。いわゆる陽宅の基地は能く郡を設け都を建て、陰宅の墳地は能く土を封じ爵を授く。ただ干龍のみが才かに弁じ得る所。枝龍の結ぶ地は、絶対にこのような力量なし。
然其行度之間,穿落傳變,出帳入帳,亦不計其重。辭樓下殿、聚講疊雲、屯蜂聚蟻、尊極帝座、生龍紫微、天弧、天角、龍車、鳳輦、鼓角、樓臺、負扆、御屏、霞帔、雲錦、鶴駕、鑾輿、華蓋、寶蓋、冠蓋、芙蓉、罣罳、金花、飛蛾、三臺、九腦、冕旒、玉尺、千絲墜、萬石倉、金橋、仙橋、展誥、展帳、玉枕、玉屏、玉幾、頓笏、連璧、御階、幞頭、席帽、金鐘、玉磬、寶幢、降節、龍樓、寶殿、帝釋、堆甲、疊帳、穿珠、走馬、飛絲、捲簾、玉陛、飛帛、舒練、拋梭、佩珂、蘆花、蘆鞭、樓船出峽、紅船出海、閣門傳宣、推車進寶、天駟出廄、仙鶴垂喙、玉蟬脫殼、群仙出洞、群羊出棧、群雁穿云,諸般貴格,靡所不有。
干龍が一路行走する間は、「穿」「落」「伝」「変」の四種の変化は交替して出現し、一重の帳を出でてまた一重の帳に進み、重数は多くして数え清めがたし。それの具える形象貴格は、辞楼下殿・聚講叠雲・屯蜂聚蟻・尊極帝座・生龍紫微あり、天弧・天角・龍車・鳳輦・鼓角・楼台あり、負扆・御屏・霞帔・雲錦・鶴駕・鑾輿あり、華蓋・宝蓋・冠蓋・芙蓉・罥罳・金花・飛蛾あり、三台・九脳・冕旒・玉尺・千糸墜・万石倉あり、金橋・仙橋・展誥・展帳あり、玉枕・玉屏・玉几・頓笏・連璧・御階あり、幞頭・席帽・金鐘・玉磬・宝幢・降節あり、龍楼・宝殿・帝釈・堆甲・叠帳あり、穿珠・走馬・飛糸・巻簾・玉陛・飛帛・舒練・拋梭・佩珂・芦花・芦鞭あり、および楼船出峡・紅船出海・閣門伝宣・推車進宝・天駟出厩・仙鶴垂喙・玉蝉脱殻・群仙出洞・群羊出桟・群雁穿雲等々。これらの名目繁多の貴格は、大干龍の身上には有る所なきなし。
剝變骨節,過峽脫卸,穿田度坂,橫亙擺折,樓閣逶迤,珠絲馬跡,藕斷絲連,偷藏脈絡,奇蹤異跡,崩洪怪石,天漢天潢、左侍右衛、養蔭靈泉,諸般巧妙,無所不備。而其橈棹枝腳,虎踞龍翔,鸞飛鳳舞,頓旗列鼓、垂簾掛幙、文官武庫、天以太乙、列屏列幙、帶印帶劍、垂珠垂纓、排倉排庫、侍人從馬、金童玉女、旌節旗旄,諸般擁從,無所不具。分牙布爪,脫骨換胎,自尊而卑,自粗變細,千形萬狀,難於畢舉。
その「剥換」の骨節・峡を過ぎて脱卸し・田疇を穿越し・坡坂を翻るに至っては、横亙擺折して行き、楼閣の如く逶迤延伸し、珠糸馬跡・藕断糸連の痕跡を留下し、脈絡を偷偷として蔵起し、行蹤奇特。また崩洪の怪石・天漢天潢の如き水景・左侍右衛の護山・滋養蔭庇の霊泉あり。種種の巧妙の処もまた一応倶斉。その橈棹枝脚は、則ち虎の踞し龍の騰り、鸞の飛び鳳の舞うが如し。頓旗列鼓・垂簾挂幕あり、文官武庫・天乙太乙あり、列屏列幕・帯印帯剣・垂珠垂纓・排倉排庫あり、侍人従馬・金童玉女・旌節旗旄あり。各式の擁従の砂は、備わらざるなし。それは分牙布爪し、脱骨換胎し、尊貴より漸く卑小に降り、粗大より漸く細嫩に変ず。形状は千変万化、一々に挙げ尽しがたし。
蓋其行度之遠,故能備具諸格之奇;氣勢之宏,故能發現英華之妙;垣局之廣,故可受乎眾山眾水獻奇列秀之繁華;纏送護從之多,故能盡乎重岡疊帳、揷戟列屏、交結門戶、開鎖羅城之完美。
これはその行程の遥遠なるを以て、才かに各種の奇特の格局を倶備斉全すること能く。気勢の宏大なるを以て、才かに内藴の精華を完全に顕発し出すこと能く。垣局の寛広なるを以て、才かに衆山衆水の前に来たりて奇を献じ秀を列ぬる一派の繁華を容得下すこと能く。纏送護従の山の衆多なるを以て、才かに重岡叠帳・戟を插し屏を列び・門戸の交結・羅城の開鎖のこのごとき完美の排場を窮尽すること能く。
《葬書》所謂“貴若千乘,富如萬金”,又云“若懷萬寶而宴息,若具萬膳而潔齊”。卜氏所謂“三千粉黛,八百煙花”;子微所謂“萬卒影從成衛禁,千官擁護是朝廷”;范越鳳所謂“若相公之升堂,若大將之登營”,此皆幹龍結作之規模耳。故其力量宏大,發福悠久,不可限量。
郭璞の『葬書』の言う「貴は千乗の若く、富は万金の如し」、また言う万件の珍宝を懐抱して安然と休憩するが如く、万種の膳食を備えて斎戒潔身するが如し。卜応天の言う「三千の粉黛、八百の烟花」。張子微の言う「万卒影従して衛禁を成し、千官擁護して是れ朝廷」。范越鳳の言う宰相の厅堂に登り大将の軍営に入るが如し。これらの講ずるは皆干龍の結作する時の排場規模。だから干龍の力量は宏大、福を発すること長久、限量すべからず。
《經》云:“凡言大地多大話,下士聞之心已怕,中士聞之心信疑,上士聞之心欲為。何不觀之富貴家,子孫累世享榮華。蓋緣祖龍勢力大,食祿襲爵名世家。小地雖然亦小發,未及三世即歇滅。到此方知小易衰,大地富貴世不絕。”此幹龍之所以為貴也。
『撼龍経』は言う。凡そ大地を談論するは、説くは多く大話。見識低き人は一聴すればすなわち害怕し、中等の人は半信半疑し、上等の人は聴けば便ち心動かして為さんと欲す。何ぞあの富貴人家を看ざる。子孫は几代も皆栄華を享受す。これは皆祖龍の勢力の大なるを以て、だから世代禄を食み爵を襲ぎ、名門望族と為る。小地は小発一陣し得るといえども、往々三代に至らずして衰歇断絶す。ここに到りて初めて明白す。小地は衰敗し易く、大地の富貴は却って世代断絶せず。これがすなわち干龍の貴ぶべき所以の故である。
