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閃龍入首

明 · 徐善继、徐善述 · 第15巻 / 56

作盤ガイド: 玄空飛星の作盤, 暦注(黄暦)

閃龍入首者,龍脈棲側躲閃結穴也。山勢直去,而脈側偷閃於側以結穴。若泥於直步龍神,撞脈取穴,則誤矣。吳公云“只泥穿心直串去,不識眞龍轉身處。眞龍閃巧轉身多,豈惟直串為可據。俗師不識玄微訣,只向直穿尋正穴。尋到山窮脈盡時,不論有穴並無穴。惟以撞脈頂來龍,下了誤人貧與絕”是也。蓋頂龍求穴,固是正理。但眞龍奇巧處,有閃脈而融結者,如蔡西山祖地其格也。

いわゆる「閃龍入首」は、是れ龍脈は側りて栖閃し・正路を躲開して穴を結ぶ。山勢は一直に前に往き去るも、脈は却って側旁より偷偷として閃出して穴を結ぶ。若し龍身に順いて直く走り・来脈に対して穴を取るに拘泥せば、すなわち錯えり。呉公は言う。ただ心を穿りて直串して過ぐるに拘泥するを知りて、真龍の身を轉ずるの処を認得せず。真龍の閃巧して身を轉ずる時は多し。何れぞただ直串の一種のみ以て憑拠と為す可けんや。庸師は此の条の玄微の口訣を懂せず、ただ直穿の方向に朝して正穴を找し、一直に山窮脈尽に找到するまで、もあそこに到底穴ありや穴なきやを管せず、一味に来脈を頂いて脈に撞きて下葬す。葬り下せば便ち人を貧窮断絶に誤る。龍脈を頂いて穴を求むるは固然是れ正理なれども、可なりしも真龍の奇巧の処は、もまた一脉を閃出して凝結するあり。蔡西山の祖地はすなわち此の一格。

右地在建陽麻沙,土名母雞嶺。過峽,其龍頓跌三十一峰,入首起木星展翅,中出蘆鞭正貫。盡處雖有明堂、龍虎、秀峰可觀,而眞氣不到,不結穴。其脈閃過右邊,成文星,落平田結穴。右山橫一字文星為案,外聳秀峰為應。左山列屏赦文,橫截水口。但堂氣傾斜故發福遲,大星奔攛故西山遭貶道州,不入俗眼。

此の図に記する所の地は建陽の麻沙に在り、地名は母鶏嶺。峡を過ぎし後、この条の龍は三十一座の山峰を頓跌して出づ。入首の処は一座の木星の「展翅」の形を起し、中間より「芦鞭」を抽出して筆直に貫下す。尽頭の処に走り到れば、明堂・龍虎・秀峰は皆甚だ可観なるも、可なりしも真気は並びに到らず。だから穴を結ばず。それの脈は右辺に閃き去りて、文星と成り、平田に落ちて穴を結ぶ。右辺の山は横に一字の文星を成して案を作し、外面は秀峰を聳起して呼応を作す。左辺の山は屏風と「赦文」の形に排し、水口を横截す。ただ堂気は傾斜、だから発福は較遅し。大星は外に向かい奔竄す。だから蔡西山は後来道州に貶せられしなり。此の種の地は是れ俗人の眼に入る能わざるなり。

其先課云:“螺螄吐肉穴居肉,九世九賢出。”果九代出牧堂先生發以曾孫杭貴贈少保、西山文節公元定以孫貴贈太傳、九峰先生沈以子杭貴贈太師,國朝進崇安伯,諡文正及節齋淵、復齊沉、丞相文肅公杭,與覺軒模、素軒格、靜軒權,世稱九賢,果應其課云。

当初の課記は説く。形は「螺螄が肉を吐く」の如く、穴はすなわち吐出せる肉の上に落つ。九代は九位の賢人を出すを要す。後来果たして九代の中にこれらの人物を出せり。牧堂先生蔡発は、曾孫蔡杭の顕貴に因りて少保を追贈せらる。西山文節公蔡元定は、孫輩の顕貴に因りて太傅を追贈せらる。九峰先生蔡沈は、児子蔡杭の顕貴に因りて太師を追贈せられ、本朝はまた崇安伯を進封し・文正を諡す。此の外さらに節斎蔡淵・復斎蔡沉・丞相文粛公蔡杭、および覚軒蔡模・素軒蔡格・静軒蔡権あり。世人は之を「九賢」と称す。果たしてあの一段の課記に応ぜり。

右地在吾邑,地名暖川香潭嶺,去縣東南八十里,俗呼群雁度關形。其龍來勢甚遠,南溪、暖溪兩水夾送約百餘里。將至入局,翻身大轉,逆奔而上,頓起貪狼峰一十餘座,凌雲高秀,逈然奇異。至將盡未盡之際,閃落一脈結穴,不見大局。左右曜氣飛揚。對面觀之,儼若龍虎不包。顧及登穴,則拱衛有情。少祖山下,發出一山,拜伏於前,以為近案。內局團聚,外陽暗拱,水繞青龍而纏玄武,門戶交固。後樂龍樓寶殿,勢貼青霄,眞美地也。

此の図に記する所の地は本県に在り、地名は暖川香潭嶺、県城の東南八十里を離れ、俗には「群雁度関」の形と称す。この条の龍は来勢甚だ遠く、南谿・暖谿の两条の水は夾みて送行すること約一百多里。将に局に入らんとする時、それは身を翻して大幅に転折し、水勢に逆いて奔涌して上り、十幾座の貪狼峰を頓起し、高聳して雲に入り・清秀奇异。将に尽きんとして未だ尽きざるの際に到りて、一条の脈を閃落して穴を結び、穴の上より見れば整个の大局を見ず。左右の「曜気」は飛揚し、対面より望み過過ぎれば、儼然として龍虎の二砂は包み住がたきが如し。可なりしも穴場に登るを待って、才かに拱衛有情を見ん。少祖山の下は別に一座の山を発出し、穴前に拜伏して近案を作す。内局は団聚し、外面の明堂は暗中に於いて拱抱し、水は青龍を遶りて玄武を纏住し、門戸は交鎖牢固。穴後の楽山は龍楼宝殿の如く、気勢は直に青天に貼す。真に是れ一塊の美地。

左臂龍勢盡處,後串來龍。前局寬廣,秀峰重疊。人皆貪其砂秀、堂寬、龍盡,葬者皆不吉。殊不知眞龍多閃拋,而不在於直串之山勢;好局多緊夾,而不在於寬大之明堂;好砂只拜伏,而不在於奇峰之重疊。此造化隱妙之秘也。祝氏葬後三紀,南山公眉壽發解嘉靖甲子,彭島維敬、虛堂世祿諸君,兄弟叔侄聯登科第,人才疊出,福祉方隆。

左臂の龍勢の走り尽くるの処は、後面にさらに来龍を串連す。あそこは前面の局面は寛広、秀峰は重叠。人は皆それの砂秀・堂寛・龍はまた頭に到るを貪る。あそこに葬るは却って皆不吉。彼らは懂せず。真龍は多半是れ閃出して・正路を拋開す。並びに直串して過ぐるの山勢の上に在らず。好局は多半是れ緊緊として夾護する。並びに寛大の明堂の上に在らず。好砂はただ肯んじて拜伏せばよし。並びに奇峰の重叠の上に在らず。これは是れ造化隠微奥妙の秘密。祝家は葬り下し三十六年の後、南山公祝眉寿は嘉靖甲子年に於いて解元を考中す。彭島祝維敬・虚堂祝世禄の几位は、兄弟叔侄は接続して科挙登第し、人才輩出、福沢は正に盛んなり。

按:此閃龍入首之說,前輩已嘗論之,茲故特收名地三格為式,庶可因類以推,曲盡微妙。但此等之穴,實多隱怪。識者取決於龍穴,昧者徒惑於砂水。故貪大堂局,愛秀峰,為地理之所當順;而直串來龍取穴,亦或有誤,不可執一也。

徐氏按ず。閃龍入首の此一説は、前輩は已に論じ過ぎたれども、ここに特地に三処の名地を収進して様式と作し、好んで人をしてこれに由りて類推せしめ、その中の微妙を講透せんとす。ただ此一類の穴は実在は多半是れ隠蔽古怪。識見ある人は龍と穴に凭りて決断す。糊塗の人はただ砂水に迷惑せらる。だから大の堂局を貪図し・秀麗の山峰を偏愛するは、地理上は原是れ人の常情。可なりしも一味に直串の来龍に順いて去りて穴を取れば、或る時は却って錯えらん。一端に死守する能わず。

龍の穴に入る十二脈を論ず

龍之結穴,必於入首之際,過脈結咽,束氣入穴。其脈則有十二格,皆於穴後審之。所謂十二格者,曰正、曰偏、曰大、曰小、曰短、曰長、曰高、曰低、曰曲、曰直、曰斷、曰續。廖氏云“欲作穴時看出脈,原有十二格。正偏大小與短長,高低要審詳。更有曲直並斷續,吉凶皆在目”是也。

龍は穴を結ばんと要すれば、必定入首の時に於いて脈を過ぎ・咽喉を結成し、気を収束して穴中に送進す。此の一段の脈は共に十二種の格局あり、皆穴後に於いて察看するを要す。いわゆる十二格は、すなわち正・偏・大・小・短・長・高・低・曲・直・断・続。廖金精は言う。穴を作さんと要する時は先ず脈を出づるを看よ。本来すなわち十二格あり。正と偏・大と小および短と長、高と低は皆審詳するを要す。再加うるに曲と直・断と続、吉凶はすなわち皆眼前に擺る。説くは正にこれ。

正即中也。要星辰端正,脈從中出,而兩畔山之形勢均勻,故曰正脈。此格極吉,即中出脈。或從左,或從右,偏於一畔,而山之形勢不均,故曰偏。此格力減。龍大脈宜大。大曰蠻脈,即潤脈也。宜有草蛇灰線之脈居其中。龍大脈小者曰巧脈。此格最貴。

以下に十二格の図題と説明を照録す。「正」はすなわち是れ中。要ず星峰は端正、脈は中間より出で、両側の山の形勢は均勻。だから正脈と呼ぶ。此の一格は極吉、すなわち前面の説く中出脈。「偏」は是れ脈は或いは左より・或いは右より一側に偏し、山の形勢は両辺均からず。だから偏と呼ぶ。此の一格の力量はすなわち減ず。龍の大なるは、脈もまた大なるに宜し。大脈はまた「蛮脈」と呼び、すなわち寛濶の脈。最も好しは中間にさらに一線ありて草中の蛇・灰上の線の如き細脈ある。龍大にして脈小なるは「巧脈」と呼ぶ。此の一格は最も貴。

短則氣脈易行,要束脈嫩細者,短而大則不吉。長則氣脈難過,必中間有泡引氣則吉。又宜活動。若硬直則為死,不吉。大抵長脈易受風吹,且力弱氣緩,不能融結。高脈易成貫頂,且星辰頭面淺薄,惟串珠一格有之,亦當於三四節外,看有過峽出氣者方可取。低從腳下過脈,要分水明白,則非斷截。如水不分八字,即是斷截,不吉。

脈の短きは、気は容易に通行す。但し収束するや嫩にして細なるを要す。又短くまた粗大なればすなわち不吉。脈の長きは、気は過ぎ難し。必ず中間に小土泡ありて気を引き過ぎ来るを待って才かに吉、しかも要ず霊活。若し僵硬筆直なればすなわち死脈と成り、不吉。大体上長脈は容易に風吹を受け、加うるに力は弱く気は緩し、凝結する能わず。脈の高きは容易に「貫頂」を造成し、しかも星峰の頭面は浅薄を顕す。ただ「串珠」の一格のみ此の種の情形あり。たとい串珠なるも、も三四節以外に峡を過ぎ気を出づるあるや否やを看るを要して、才かに以て取る可し。脈の低きは山脚の下より過ぐ。要ず両旁の水を分かつの分かつや明白にして、才かに截断せられざると算えず。若し水は八字形を分成せざれば、あればすなわち脈は截断せられしなり。不吉。

屈曲活動,最為貴脈。然大而曲者,亦尋常矣。直脈不吉。若短而直,亦不為害。長者忌直,謂之死脈。高山跌斷謂之斷。雖斷,不宜如刀斬之齊,恐是鑿斷則凶。要如耦斷絲連,脈自相牽為吉。續脈者,既斷而復續。須要氣脈連接,極吉。上脈形十二格,本於廖氏《洩天機》。其正偏二格,實統諸格而皆有之。即前中出、左出、右出三格也。但彼以後龍行度出落而言,此專以受穴一節而言,尤為緊要,故復詳之。

脈の屈曲して霊活なるは、最も是れ貴脈。不过また粗大また彎曲なるは、もすなわち平常。直脈は不吉。若し又短くまた直なれば、倒にも害を為さず。長脈は最も筆直を忌み、あれは死脈と呼ぶ。高山の間に脈は跌落中断するを「断」と呼ぶ。断えるといえども、却って断口の斉整なること刀に斬り過ぐるが如きに宜しからず。あれは恐らく人工の鑿断、すなわち凶なり。要ず藕断糸連・脈気の自ら相牽引するが如くして才かに吉と算う。「続脈」は是れ断えし以后また接上する。必ず気脈は連接し得住るを要す。極吉。以上の十二種の脈形は、本是れ廖金精の『泄天機』より出づ。その中の正・偏の両格は其の実は其余の各格を統摂し・処在せざるなし。すなわち前面に講じたる中出・左出・右出の三格。ただ前面は是れ後龍の一路行走出落に就いて言い、ここは専ら穴を受くるあの一節に就いて言う。尤も緊要。だから再び詳説一遍す。

龍の穴を結びて局を成す五局を論ず

龍之結穴成局,有五格,皆以水為準。一曰朝水局,乃水自當面洋朝也;二曰橫水局,乃水城橫繞,不拘左右來去也。三曰據水局,乃穴前諸水融聚為湖也;四曰去水局,乃水自穴前流去也;五曰無水局亦曰幹龍也,乃穴前全不見水也。雖有五局結穴不同,龍眞穴的,皆主富貴。惟去水局不利初年也。

龍の穴を結びて局を成すは、五種の格式あり、皆水を以て准と為す。第一は「朝水局」と呼ぶ。是れ水は正面より浩蕩として朝来。第二は「横水局」と呼ぶ。是れ水城は横向に環繞し、左より来たるか右より来たるか・何れの辺に往き去るかを論ぜず。第三は「据水局」と呼ぶ。是れ穴前の衆水は匯聚して湖を成す。第四は「去水局」と呼ぶ。是れ水は穴前より流走去る。第五は「無水局」と呼ぶ、また干龍局とも呼ぶ。是れ穴前は完全に水を見ず。此の五局は穴を結ぶの方式は同じからざるといえども、但し龍真穴准なれば、皆富貴を主す。ただ去水局は頭の几年に利あらざるのみ。

朝水局はまた名づけて逆水局

朝水之局,多是翻身逆勢結穴,以受當面洋朝之水。要穴星高大,有餘氣,或有低砂橫攔,不使水沖割為吉。又須水流之玄屈曲,或平田洋朝為善。若急流沖射,又反為凶。惟天穴及仰高穴,則不怕遠水特朝。若穴場卑弱,星辰低小,山不稱水則凶,不可一概為逆局而吉也。

「朝水局」は多半是れ身を翻して水勢に逆いて穴を結び、用いて当面の浩蕩として朝来の水を承受す。要ず穴星は高大・余気あり、或いは低矮小の砂ありて横向に攔護し、水をして直冲割脚せしめずして、才かに吉と算う。さらに水流は「之」の字「玄」の字を作すが如く屈曲し、或いは平田の上より浩蕩として来たるを要して才かに好し。若し是れ急流の直冲斜射なれば、却って凶を為す。ただ「天穴」と「仰高穴」は遠水の特地に来たりて朝するを怕れず。假如穴場は低窪軟弱・星峰は低小、山は水に配不上せば、あればすなわち凶なり。一概に逆水の局はすなわち吉と認為する可からず。

此穴又多結於水口之間,或下關山短縮,亦不為害。但要穴場藏聚,水來纏繞,穴不受風為眞。廖氏云:“翻身逆勢去當朝,不怕八風搖。”乃言其龍勢,非言其穴也。卜氏云“莫把水為定格,但求穴裡藏風”則善矣。大抵地理之法,得水為上。翻身逆當朝水之局,陰陽交會而有融結,故為貴也。

此の類の穴はまた多く水口の一帯に結び、たとい下手関攔の山は短縮するも、もまた害を為さず。ただ穴場は収蔵聚気し・水は来たりて纏繞し・穴は風を受けざれば、すなわち是れ真。廖金精は言う。身を翻して勢に逆いて去りて朝水を承当し、八方の風の揺撼するを怕れず。あれは是れ龍勢に就いて言う。是れ穴に就いて言うに非ず。卜応天の説く「水を把りて定死の格式と当てる勿れ、ただ穴裏の能く風を蔵するを求めよ」、この話はすなわちさらに妥当。大体上地理の法は水を得るを以て上と為す。身を翻して勢に逆いて朝水を承受するの局は、陰陽はここに於いて交會して而して凝結あり。だから可貴。

横水局

橫水局者,龍之結穴,或水自左來流右去,或水自右來流左去。要水勢彎環,抱穴如繞帶為美。又要下關山逆土攔水有力,及水纏玄武,水口緊密為吉。此局極平穩。

いわゆる「横水局」は、是れ龍の穴を結ぶの処、水は或いは左辺より来たりて右辺に向かい流れ去り、或いは右辺より来たりて左辺に向かい流れ去る。緊要なるは是れ水勢の彎環、穴場を抱住して一条の身を繞る帯子の如くして才かに美と算う。さらに下手関攔の山は水勢に逆いて・水を攔する力あり、しかも水は要ず穴後の「玄武」を繞過し、水口は収むるや緊密。此の如くして才かに吉。此の一局は最も平穏を為す。

据水局

據水局者,龍之結穴,前臨大湖,或深潭,或大池塘。此局極吉。蓋地以得水為上,而水以凝靜為佳。今穴居深水,則無沖割穿射之患,而有得水之宜也,何吉如之?龍穴眞,此局主大貴大富,綿遠榮盛。

いわゆる「据水局」は、是れ龍の穴を結ぶの処、前面は大湖に臨み、或いは深潭、或いは大池塘。此の一局は極吉。地は水を得るを以て上と為し、而して水はまた凝聚安静を以て佳と為すを以て。如今穴は一片の深水に臨み、既に冲射・割脚・穿心の禍患なく、また水を得るの好処を占尽せり。さらにこれより吉なる何ぞや。ただ龍真穴准なれば、此の一局は大富大貴・綿長久遠・栄盛して衰えずを主す。

順水局は亦名づけて去水局

去水局者,必要來龍長遠,力量宏大,四勢周密,水口交固。吳公云:“水雖去而山交回則善。”楊公云:“也有幹龍來兩水,更不回身直為地。只是兩護必不同,定有纏關交結秘。”若水去而山不交回,穴場見水蕩然而去,此等局勢,決無融結,不必著眼矣。大抵順局地,縱有融結,亦不發財,主初年退敗。縱龍穴吉,有貴,亦須賣盡田廬始出官,或離鄉始貴。如或龍穴稍有不吉,則立主退敗滅絕無救,此局多凶,不可輕取。

いわゆる「去水局」は、必ず来龍は長遠・力量は宏大・四面の山勢は周密・水口に山ありて交鎖牢固するを要す。呉公は言う。水は流去るといえども、ただ山は交鎖回抱せば好し。楊筠松は言う。もまた干龍ありて两条の水の間に夾まりて来たり、一直に身を回さずしてすなわちあそこに於いて地を成す。ただそれの両旁の護山は必定衆と同じからず、一定に纏護関攔交結の隠秘の処あり。若し水は流去るも山は交鎖回抱せず、穴場の上に立ちて水の荡荡然として一去りて返らざるを看れば、此の種の局勢は決然として凝結なし。留意するを必とせず。大体上順水の局は縱然地を結ぶも、もまた発財せず。頭の几年の破敗を主す。たとい龍真穴吉・能く貴を出すも、も先ず田産房屋を売尽して才かに上官を做り得、或いは郷を離れし后に才かに貴を顕す。倘若龍穴は稍やかに不吉なれば、立刻にすなわち敗落絶嗣・挽救す可きなしを主す。此の一局は多凶、軽易に取用す可からず。

無水局は亦名づけて旱龍局

無水局者,穴結幹坡,山勢盤聚而不見明堂之水也。凡幹龍穴,多是左右山橫攔,遮卻明堂,穴不見水,或穴高在半山,無水可見。俗人不識,必謂有山無水。不知山谷以藏風為貴。只要穴場藏聚,乘得生氣,發達極快,何必拘其有水無水?但此等地,多先貴後富,或多清貴不富。若謂有砂無水不登科則非也。然亦有穴不見水而鉅富者,要龍神帶有倉庫耳。董德彰云:“有人無財,須尋倉庫之龍;有財無人,莫下孤寒之穴。”確論也。

いわゆる「無水局」は、是れ穴は乾燥の山坡上に結び、山山勢は盤繞聚合して而して明堂裏の水を見ず。凡そ干龍の穴は、多半是れ左右に山ありて横向に攔擋し、明堂を遮住し、穴の上に立ちて水を見ず。或いは穴は高く半山腰に在りて、本来すなわち見る可き水なし。俗人は懂せず、一定にこれを説いて山あり水なしと為す。彼らは山谷の地は能く風を蔵するを以て貴と為すを知らず。ただ穴場は収蔵聚気し・生気に乗じ得住れば、発達極めて快し。何必に水あり水なしに死摳せんや。ただ此一類の地は多半是れ先ず貴して後に富し、或いは清貴にして富ならず。若し砂あり水なければすなわち登科する能わずと説かば、あればすなわち錯えり。もまた穴の上に於いて水を見ずして却って巨富を成すあり。あればすなわち龍身は帯びて倉砂庫砂あるや否やを看るを要す。董徳彰は言う。人丁ありて銭財なければ、すなわち倉庫を帯ぶる龍を找しに去るを要す。銭財ありて人丁なければ、すなわち孤寒の穴を葬る勿れ。これは是れ切実の議論。

龍の結局して三聚に分かるを論ず

龍之結局有三聚:曰大聚、中聚、小聚。廖氏云:“帝都山水必大聚,中聚為城市。墳宅宜居小聚中,消息奪神功。”誠以百里來龍,則有百里規模;千里來龍,則千里氣象。故帝都、省郡,其龍長,其局廣,宜矣。墳宅之龍,即長者亦安可比省郡城市?故多是小聚處。山水翕集,四勢團近有情。而眞穴必居包裹擁從之中,所謂藏風聚氣者也。

龍の結成する局面は三種の聚合あり。大聚・中聚・小聚。廖金精は言う。帝王の都城の山水は必定是れ大聚、中聚は城市と成る。墳墓と住宅は応に小聚の中に安ずべし。此の層の消息を斟酌する能ければ、すなわち造化の功を奪得す。確かに、百里の来龍あればすなわち百里の規模あり、千里の来龍あればすなわち千里の気象あり。だから帝都与省會郡城は、龍は長く局は広し。本是れ応然。墳宅の依る所の龍は、たとい長と算うるも、また怎んぞ省郡城市に比得上せんや。だから多く小聚の処に在り。山水は聚合し、四面の形勢は団抱するや近くして情あり。真穴は必定層層の包裹擁護の中に居す。これがすなわちいわゆる蔵風聚気。

不侫兄弟多見名地,內局聚固,外洋寬暢;或穴中舉無所見,遠秀羅列,皆外面暗拱。如王者深居九重,而聲教施及蠻貊。故曰“不貴其見而貴其不見。”昧者不知,徒貪廣闊堂局,羅列遠秀。猶之吾輩論學,眩於紛華外誘,而不知格、致、誠、正之用力於內也。蓋緊夾則風藏氣聚,寬曠則風蕩氣微。不察龍力大小、三聚之別,徒欲收數百里山川歸諸眼界,必為花假所誤矣。

我ら兄弟は許多の名地を看過せり。皆是れ内局は聚むるや緊固、外面の明堂は寛濶舒暢。或るものは穴中に立ちて何をも望見せず、遠処のあの些の秀麗山峰は外に羅列し、皆ただ外圍に於いて暗暗に拱抱す。これは帝王の深く九重の宮禁の中に居りて、而して声威教化は却って蛮荒の地に遠播するに象る。だから説く。可貴なるは看見し得るに非ず、而して是れ看見し得ざる。糊塗の人は懂せず、一味に寛広の堂局・羅列の遠秀を貪図す。正に我らの学問を做る人の外面の繁華に引誘迷惑せられて、而して格物・致知・誠意・正心の功夫は要ず内裏に於いて用うるを知らざるが如し。緊緊に夾護せば則ち風は蔵れて気は聚まり、寛曠遮なければ則ち風は蕩れて気は微なるを知るを要す。若し龍力の大小・三聚の分別を察せずして、ただ几百里の山川を皆眼界の裏に収進せんと欲せば、必定虚花假穴に誤られんを要す。

其有依近省郡山水大聚處結穴者,謂之借局。如近臣侍從至尊,雖沽榮寵,而九重之森嚴,千官之擁護,與夫百辟來朝,萬邦納貢,於已何有?然接天顏之咫尺,依日月之光輝,宗廟之美得而瞻,百官之富得而與,比之三家村中守財主人,逈然不侔矣。此借局之地,雖小亦大,猶有取焉耳。又必結穴處自有門戶乃可,不然,亦虛花而已矣。

別に一種あり、是れ省城郡城のこれらの山水大聚の処に靠近して結ぶ穴、之を「借局」と呼ぶ。これは近臣の天子の左右に侍奉するに譬うれば、栄寵を沾るといえども、可なりしも九重宮禁の森厳・千官の擁護、および百官の来朝・万邦の進貢は、彼の自己とまた多少の相干あらん。然而るに彼は畢竟能く咫尺の間に於いて天顔を見・日月の如き光輝を沐浴し、宗廟の壯美は彼の看得到る所・百官の富盛は彼の参与得上る所。小村子の裏に於いて一点の家私を守る土財主に比ぶれば、あればすなわち大いに同じからず。だから借局の地は小なるもまた大と算う。仍お取る可きの処あり。不过必ず穴を結ぶの処は自己に門戸あらんを要す。否然ればもまた不过是れ一処の虚花假穴のみ。

大聚局

大聚為都會,數千萬里山水大會。次者為省城,亦不下二三千里大會。其局以寬廣愈大愈美。

「大聚」は都會を結成す。是れ数千万里の山水の大會合。次一等は省城を結成し、もまた二三千里の山水の會合を下らず。此一類の局面は寛広を以て貴と為し、愈々大なれば愈々美し。

中聚局

中聚為大郡,千里山水大會。其次為州邑,五七百里,或二三百里大會。又其次者,或百里,或七八十里大會。其局以寬廣適中為美。

「中聚」は大郡を結成す。是れ千里の山水の大會合。次一等は州邑を結成し、五七百里或いは二三百里の山水の會合を為す。再次一等は、或いは百里、或いは七八十里の山水の會合。此一類の局面は寛広适中を以て美と為し、太く大なるも太く小なるも皆合适せず。

小聚局

小聚為鄉村陽宅,及富貴陰地。大者百里,或六七十里山水會集。次者三四十里,或一二十里。又次者十數里,或五七里山水團聚。其局以緊固為佳。陰地愈固愈好。

「小聚」は郷村の陽宅および富貴人家の陰宅墳地を結成す。大なるは百里或いは六七十里の山水の會集、次一等の三四十里或いは一二十里、再次一等の十幾里或いは五七里の山水団聚。此一類の局面は緊密牢固を以て佳と為し、陰宅の地はさらに愈々緊固なれば愈々好し。

上三聚之局,雖各有大小不同,而都會則愈大愈好,省郡須寬廣適中,陰陽二宅以固密為上也。其大中二聚,結穴處以收斂為眞。或平中有突,或高處開窩,必有小界水、小明堂,或貼近之砂左右交固,或低伏之案以關內氣,然後外面卻有寬闊之羅城,廣大之局勢,斯為美矣。

以上の三聚の局面は各々大小同じからざるあるといえども、但し都會は愈々大なれば愈々好く、省城郡城は寛広适中するを要し、陰宅陽宅の両種の住処は則ち緊固周密を以て上と為す。大聚・中聚の両種の局に至っては、それらの穴を結ぶの処は仍お収斂を以て真と為すを要す。或いは平地の当中に微微として突起し、或いは高処に於いて一個の窩を開出す。必定小の界水・小の明堂あり、或いは貼近の砂ありて左右に於いて交鎖牢固し、或いは低伏の案山ありて内気を関住す。然る後に外面はさらに寛濶の羅城・広大の局勢ありて、これ才かに美と算う。

重刊『人子須知』資孝地理心学統宗 巻三之上

江右山人徐善繼述 同著。此冊専論五星。按:五星雲者,金曰太白,木曰歲星,水曰辰星,火曰熒惑,土曰鎮星。茲五者,即五行也。在天成象,在地成形,精繫於天,形著於地。盈天地間萬物萬事,莫不本此,地理之妙豈外此乎?《經》曰:“天分星宿,地列山川。”良有以也。

本冊は同じく江右山人徐善継・徐善述の兄弟が共同に撰述する。この一冊は専ら五星を論ず。徐氏按ず。いわゆる五星は、金は太白と呼び、木は歳星と呼び、水は辰星と呼び、火は熒惑と呼び、土は鎮星と呼ぶ。此の五者はすなわち是れ五行。天上に於いて凝りて星象を成し、地上に於いて凝りて山形を成す。精気は天に繋り、形体は地に着く。天地の間に充満する万事万物、以て根本と為さざるはなし。地理の奥妙はまた怎んぞ五行の外を出でんや。『経』は言う「天上には星宿を分布し、地上には山川を排列す」、この話は確かに道理あり。

五星の総論

夫五星即五行也。按邵子曰:“太極分而為陰陽,陰陽播而為五行。五行散殊而萬物。”故五行精繫於天,為五星;形效於地,為五材;氣統於歲,為五辰。在人則為五臓,在物則為五色、五音、五味,施於行則為五常。是以人君乘五運,置五宮,分五禮,設五形,萬方以治,民用咸若。

五星はすなわち是れ五行。邵雍は言う。太極は分かれ開きて陰陽を成し、陰陽は散布して五行を成し、五行は散じて万殊と為りて万物を生出す。だから五行の精気は天上に繋るは、すなわち是れ五星。形体は地に效法すは、すなわち是れ金木水火土の五種の材質。気は歳時に統摂せらるは、すなわち是れ五辰。人身の上に在るは是れ五臓、事物の上に在るは是れ五色・五音・五味、品行に落実せしむればすなわち是れ仁義礼智信の五常。ここにおいて君主は五運に順いて政を施し、五宮を設置し、五礼を分定し、五種の刑罰を制定す。天下四方はこれに由りて治を得、百姓ももまた各々その所を得たり。

然後以五事察其得失,以觀雨、暘、燠、寒、風,與動植、災禍、祥青之變。雖萬物紛紜,乾坤廣大,各從其類,則莫不由乎五行也。是以五行之變,而吉凶不可勝占;五材之變,而形氣不可勝用;五辰之變,而逆順不可勝計。人受天地之中,得其秀氣以生,視聽食息,未有離於五行者也。地法因之,而以山形分別五星,以驗吉凶,最為攸當。故《貫珠圖》有“五星為陰陽骨髄”之說,卜氏有“詳審五星變化”之言,皆確論也。鄱陽餘氏佑注《發徵論》,乃謂五星似是而非,彼蓋未之審矣。

然る後に貌・言・視・聴・思の此の「五事」を用いて以て政を為すの得失を考察し、用いて雨・晴・暖・寒・風の時序、および動物植物・災禍と祥瑞の変化を観察す。万物は紛紜繁雑なるといえども、天地は広大無辺なるといえども、各自類に依りて相従い、而して五行を出でざるなし。だから五行は一たび変ずれば、吉凶はすなわち占いても占い勝がたし。五材は一たび変ずれば、形と気はすなわち用いても用い勝がたし。五辰は一たび変ずれば、順と逆はすなわち算えても算え勝がたし。人は天地中和の気を禀受し・その秀気を得て生ず。視・聴・飲食・呼吸は一样として五行を離開し得るなし。地理の法はすなわちこの道理に依りて、山形を用いて来たりて五星を分辨し、拠りて吉凶を験証す。最も恰当。だから『貫珠図』に「五星は是れ陰陽の骨髓」の説あり、卜応天に「要ず五星の変化を詳審せん」の語あり。皆是れ確切の議論。鄱陽の余佑が『発微論』に注して、竟に説く、五星の説は似是而非。あれは是れ彼の考察して明白ならざるなり。

五星の形を論ず

夫五星形體,古人以木之條達而取象於直,火之炎熖而取象於鋭,土之厚重而取象於方,金之周堅而取象於圓,水之流動而取象於曲。故凡山形之曲動者為水星,光圓者為金星,方正者為土星,尖鋭者為火星,直聳者為木星。此亦自然之理,而非牽強也。

五星の形体は、古人は是れ此のように取象せり。木は条達舒展す。だから「直」を取りて象と為す。火は炎上して焰あり。だから「鋭」を取りて象と為す。土は厚重。だから「方」を取りて象と為す。金は周密堅固。だから「圓」を取りて象と為す。水は流動。だから「曲」を取りて象と為す。ここにおいて凡そ山形の彎曲流動するは水星に属し、光潤圓渾のは金星に属し、方正のは土星に属し、尖鋭のは火星に属し、直くして聳立するは木星に属す。これもまた是れ自然の理、並びに牽強附會に非ず。

但五星形又有不純者,謂之變格。故後人又立九星之名焉。其寔九星不能外是五星耳。或曰:五星為正,九星為變,今只取五星,不取九星,是用其正不用其變。曰:非也。五星之變,不可勝形,九星烏足以盡其變?惟守約該博,則五星寔有以統之矣,奚取夫九星之異名哉!

不过五星の形体もまた純粹ならざるあり。あれを「変格」と呼ぶ。だから後人はまた別に九星の名目を立てたり。其の実は九星は終に此の五星の範囲を出づる能わず。人ありて問う。五星は是れ正、九星は是れ変。如今ただ五星を取りて九星を取らざれば、豈に是れただその正を用いてその変を用いざらんや。回答は曰く。否。五星の変化は説いても説き尽さず。九星は怎んぞその変化を窮尽する能わんや。ただ簡約を守住して而して又広博を包羅する能ければ、五星は其の実已に一切を統摂するに足る。何必にさらに九星のあの些の同じからざる名目を取らんや。

金星圖 木星圖 水星圖 火星圖 土星圖。金星圓。上為金星立眠二格 木星直。上為木星立眠二格 水星曲。上為水星立眠二格 火星鋭。上為火星立眠二格 土星方。上為土星立眠二格。上五星之形,姑圖立眠二格正體為式。其各星又有兼形未純者,皆為變體,不悉圖。

原書の此処に五星の図を配すも、今ただ図題と図注を存し、図形は見る可からず。照録して下に如し。金星図・木星図・水星図・火星図・土星図。金星は圓形を取り、上面に画く所は是れ金星の直立と横卧の両種の格式。木星は直形を取り、上面に画く所は是れ木星の直立と横卧の両種の格式。水星は曲形を取り、上面に画く所は是れ水星の直立と横卧の両種の格式。火星は鋭形を取り、上面に画く所は是れ火星の直立と横卧の両種の格式。土星は方形を取り、上面に画く所は是れ土星の直立と横卧の両種の格式。以上の五星の形は、姑く直立・横卧の両種の正体を画出して様式を作す。各星にさらに別星の形を兼帯して純粹ならざるに至っては、皆変体に属す。すなわち一一に図を作さず。

五星の名を論ず

金曰太白,木曰歲星,水曰辰星,火曰熒惑,土曰鎮星,此固五星之名也。而地理家以山形論星名,必寓以吉凶之辨,前輩於此頗相抵捂。如廖金精以金星為文星、木為將星,張子微以金為武星、木為文星,楊筠松以土為尊星,而子微、金精又以土為財星,若此之類,是皆以一星而拘之矣。

金は太白と呼び、木は歳星と呼び、水は辰星と呼び、火は熒惑と呼び、土は鎮星と呼ぶ。これは本是れ天文上の五星の名称。而して地理家は山形を以て星名を論ずれば、必定さらに名称の裏に於いて吉凶の分辨を寄寓するを要す。前輩は此の一点の上に於いて却って頗る抵触あり。譬えば廖金精は金星を把りて文星と呼び・木星を将星と呼ぶも、張子微は却って金星を把りて武星と呼び・木星を文星と呼ぶ。楊筠松は土星を把りて尊星と呼び、而して張子微・廖金精はまた土星を把りて財星と呼ぶ。此の一類の説法の如きは、皆是れ一顆の星を把りて死んでもまで一個の用途の上に限定する。

愚竊謂五星之變化無窮,即一星之用亦可為武、為文、為富、為貴、為吉凶,第觀其發現何如耳。苟以一星拘之,理難包括,莫盡其蘊。今以清、濁、凶分為三格以例其名,庶幾各極其妙,而諸家之說相為貫通,不致矛盾雲。

私の私下に認むるは、五星の変化は窮尽なし。たとい同一顆の星なるも、それの作用はも武を主る可く・文を主る可く・富を主る可く・貴を主る可く・吉を主る可くも凶を主る可し。ただそれの顕現して出づるの形態の如何を看るのみ。若し一顆の星を一個の名目の上に限死せば、道理はすなわち包み全からず、もまたその蘊涵を発揮し尽さず。だから現在「清」「濁」「凶」に按じて三格に分かって以てそれらの各自に名を定む。此のようにして毎一格は皆各々その妙を尽す能く、而して各家の説法もまた彼此貫通し得て、至らずして自相矛盾せざるなり。

五星分清、濁、凶三格:凡星辰秀麗光彩者為清,凡星辰肥厚端重者為濁,凡星辰丑惡帶殺者為凶。補義或問:卜氏有金清土濁火燥水柔之說。今謂五星各有清、濁、凶三格,而又不詳燥柔之論,何也?答曰:彼以情性論,而不及夫形象;此以形象論,而兼推其情性。若專論情性,則其說固當。然必使形象而察其情性,則其言未為盡善。蓋地理家因形察氣,不可舍形象而専情性。若以形言,則金之肥大粗飽者不可謂清,土之骨立方正者不可謂濁,火之秀麗者不可純謂之燥,水之特達者不可純謂之柔,故必兼形象情性而始盡其妙,此五星所以必各分清、濁、凶三格也。

五星は各々清・濁・凶の三格に分かる。凡そ星峰の秀麗にして光彩あるは清に属し、凡そ星峰の肥厚にして端重のは濁に属し、凡そ星峰の醜悪にして煞を帯ぶるは凶に属す。以下は是れ補充して申説す。人ありて問う。卜応天に「金は清を主り・土は濁を主り・火は燥を主り・水は柔を主る」の説法あるも、如今は講じて五星は各々清濁凶の三格あり、却ってまた燥と柔を細説せず。是れ何を為すか。回答は曰く。卜氏は是れ情性に就いて立論し、未だ形象に顧及せず。ここは是れ形象に就いて立論し、同時に兼ねてその情性を推す。若し単に情性を論ぜば、彼のあの一説は本来錯えらず。可なりしも形象に靠りて去りて情性を察知せんとすれば、彼の話はすなわち周全たらず。地理家は是れ形に因りて気を察す。形象を撇開して専ら情性を講ずる能わず。若し形の上より言えば、金星の肥大粗飽なるはすなわち清と呼ぶ能わず、土星の骨骼は聳立して方正なるはすなわち濁と呼ぶ能わず、火星の秀麗なるは一概に燥と呼ぶ能わず、水星の特出顕達なるは一概に柔と呼ぶ能わず。だから必ず形象と情性を兼顧して、才かに能くその精妙を尽さん。これがすなわち五星の各々清・濁・凶の三格に分かるの緑故を以てなり。

金星

清者曰官星,主文章顯達,忠正貞烈。濁者曰武星,主威名烜赫,秉殺氣之權。凶者屬厲星,主殺戮、軍賊、殘傷、夭札、絕滅。釋義金,西方之星也,於時為秋。然金明而貴,鏗鍧有聲,且為世珍重,百鍊不變,輝煌貫日,鋒利堅剛。猶世之貴人,剛直忠正,不屈不撓。故其星之清者為官星,官貴之象也。其主為文章清秀,功名顯達,剛正忠貞節烈之應。若其濁而不秀,如天文金星有變異,則主兵革。金倍明,芒角赤,主用兵。故其星之濁者為武星,威武之象也。其所主為元戎殺伐,威名烜赫之應。然金氣粛而凋萬類,故秋殺斂藏。如古者,兵刑之用必以秋,以金主殺伐。故其星之凶者為厲星,慘暴之象也。其所主為軍賊、大盜、誅夷、慘酷、絕滅之應。

金星の清に属するは「官星」と呼び、文章の顕達・人と為りて忠正貞烈を主す。濁に属するは「武星」と呼び、威名顕赫・生殺の権を掌握するを主す。凶に属するは「厲星」と呼び、殺戮・兵禍盗賊・傷残・夭亡・絶嗣を主す。以下は義を取るを解釈す。金は是れ西方の星、四時に配するは秋。金は光明にして貴重、敲き起せば鏗鏘として声あり、世人の珍重する所と為り、百錬して変質せず、輝光は以て日を貫く可く、鋒利にして堅剛。好比は世上の貴人の剛直忠正・不屈不撓。だから金星の清なる者は官星。是れ官貴の象。文章の清秀・功名の顕達および剛正忠貞節烈の応験を主す。若しそれは渾濁して清秀ならざれば、天文上の金星が変異を出現するに象るが如くすなわち兵革の事を主す。金星は加倍して明亮・芒角は紅を発せば、すなわち兵を用うるを主す。だから金星の濁なる者は武星。是れ威武の象。兵を統べ殺伐し・威名顕赫の応験を主す。然而るに金気は粛殺、能く万物を凋零せしむ。だから秋天は収斂粛殺を主す。古人は兵を用い刑を行うは必定秋天に在り。すなわち就中は金の殺伐を主るに因る。だから金星の凶なる者は厲星。是れ惨暴の象。兵匪大盗・誅戮惨酷・家族滅絶の応験を主す。

木星

清者曰文星,主文章科名,聲譽貴顯。濁者曰才星,主勳業、才能、技藝。凶者曰刑星,主刑傷克害,及遭刑犯法,夭札殘病。釋義木,東方之星也,於時為春。春主發生。方春之時,萬卉秀發,奇葩豔萼,獻異爭奇,此木之文也。故其星之清者為文星,文華之象也。其主為文章清秀,科名顯達之應。

木星の清に属するは「文星」と呼び、文章と科第功名・声誉貴顕を主す。濁に属するは「才星」と呼び、勲業・才能与技芸を主す。凶に属するは「刑星」と呼び、刑傷克害、および刑に遭い法を犯し・夭亡残病を主す。以下は義を取るを解釈す。木は是れ東方の星、四時に配するは春、春天は生発を主す。正当の春天は、百草は秀を争い、奇花艶萼は争い奇を献じ艶を鬥す。これがすなわち木の文采。だから木星の清なる者は文星。是れ文華の象。文章の清秀・科第の顕達の応験を主す。

然木之體,長茂條暢,鳴風撼雨,淅瀝有聲,伐之則丁丁,僕之轟轟,故又主聲譽遠著,名姓播揚。至於為器用車座,文理可觀,憑藉適意。以為大廈,則棟樑椽角,莫不具備,故其星之濁者為才星,才用之象也。其主為榮貴勳業,多才多藝之應。

再び説いて木の本体は、長じて茂盛条暢し、風に吹かれ雨に打たれる時は淅瀝として響き作す。之を砍伐すれば則ち丁丁として声あり、之を推倒すれば則ち轟然として響き作す。だからまた声誉の遠播・名姓の伝揚を主す。器具車座を做成するに至っては、木紋は可観、凭靠使用は皆意に称う。用いて大屋を建造すれば、棟梁椽角は样样具備す。だから木星の濁なる者は才星。是れ才能実用の象。栄顕貴盛の勲業および多才多芸の応験を主す。

然其凶者,或為枯槁摧折,或秀而不實,朽壞倒撲,又能壞物。以為枷紐桎梏之屬,乃為刑具。故其星之凶者為刑星,刑傷之象也。其所主為刑傷克害、夭折殘疾、官訟牢獄、孤寡困頓之應。

木の凶の一面に至っては。或いは枯槁摧折し、或いは花を開き秀やかに美なるも却って果を結ばず、朽壊傾倒し、反ってまた能く別のものを損壊す。枷鎖鐐銬の一類を做成せば、便ち刑具と成る。だから木星の凶なる者は刑星。是れ刑傷の象。刑罰傷害・親人を克害し・夭折残疾・官司牢獄および孤寡困頓の応験を主す。

水星

清者曰秀星,主聰明、文章、智巧、明潔、度量及女貴。濁者曰柔星,主昏頑、委靡、懦弱不振、疾苦不壽及諂諛阿邪。凶者曰蕩星,主淫慾、邪蕩、奸詐、貧窮、長病、夭折、客亡、流移、水溺。

水星の清に属するは「秀星」と呼び、聡明・文章・智巧・心地明潔・度量寛宏、および女子の貴を得るを主す。濁に属するは「柔星」と呼び、昏昧頑鈍・委靡不振・懦弱無為・疾病痛苦にして長寿ならず、および諂媚阿諛・邪僻に依附するを主す。凶に属するは「蕩星」と呼び、淫欲・邪蕩・奸詐・貧窮・久病・夭折・他郷に客死・流離迁徙および溺水の禍を主す。

釋義水乃北方之星也,於時為冬。其精光之懸象於天者,常隨乎太陽而行。故其應於人事之吉,亦為近帝之貴。以其行於地者言之,則風行而紋生,且清澈可鑑,變動不拘,可方可圓。推而行之,可以運舟,可以灌溉,光瑩照耀,精粗不遺。故其星之清者為秀星,性行明潔,度量汪洋之應。

以下は義を取るを解釈す。水は是れ北方の星、四時に配するは冬。それの天上に懸るの精光は、常常として太陽に随いて運行す。だから人事の吉処に応ずるも、もまた是れ帝王の貴気に接近す。それの地上に於いて流行するに就いて言えば。風は一たび吹けば便ち波紋を生じ、清澈にして以て人影を照見す可く、変動して拘らず、方る可く圓る可し。それを推動せば、以て船を行う可く、以て灌溉す可し。それの光瑩照耀するは、精粗の物を論ぜず皆能く映照して遺すなし。だから水星の清なる者は秀星。性情品行の明潔・度量の汪洋浩大の応験を主す。

然水本內明而外暗,體柔性順,故其星之濁者為柔星,卑弱之象也。其所主為昏愚、卑陋、柔弱、委靡、諂諛、阿邪之應。然水暴漲而滔天漫野,蕩析民居,無有救遏。而溝渠之間,穢汙混濁,此皆不美。故其星之凶者曰蕩星,流蕩之象也。其所主為兇狠殘暴、流蕩忘返、酒色傾家、淫濫不潔、離鄉客死之應。

然而るに水は本来内裏は明澈にして外表は晦暗、体質は柔和・性情は順従。だから水星の濁なる者は柔星。是れ卑下軟弱の象。昏愚・卑陋・柔弱・委靡・諂諛・邪僻に依附するの応験を主す。再び説いて水は一旦暴漲せば、天を滔り野に漫り、民居を冲毀して而して阻擋するに従なし。溝渠の間はまた穢汚混濁。これらは皆好からず。だから水星の凶なる者は蕩星と呼ぶ。是れ流蕩の象。凶狠残bao・流蕩して外に在りて家に返るを知らず・酒色に沉溺して家産を傾蕩し・淫濫不潔および郷を離れ客死するの応験を主す。

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