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論風水無全美

明 · 徐善继、徐善述 · 第42巻 / 56

作盤ガイド: 玄空飛星の作盤, 暦注(黄暦)

好地無全美。蔡氏云:“欠缺不齊,天地之奇。”圖謂以此,實福善禍淫之機,不使世人易識,大抵亦造化無全功,聖人無全能。故天傾西北,地不滿東南,佛家所謂缺陷世界,如孔孟之不得其位,顏回不壽,由、賜少貧。世無全福之人,又安得有全美之地?或龍眞而穴拙,或龍穴美而砂水有虧,或公位之不均,或先凶而後吉。徧觀名墓,蔑有十全,此所謂物之不齊,物之情也。若欲全美,則世無可葬之地矣。善夫廖公之言曰:“成格龍神最難遇,檢點須從恕。按圖索驥要求純,誤盡世間人。”

好地没有十全十美的。蔡元定説。欠缺不斉、正是天地的奇処。図讖之説也以此為据、此の実在是上天賜福給善人・降禍給淫悪之人的機関、不譲世人軽易識破。大体上説、造化没有完全之功、聖人也没有完全之能。所以天向西北傾斜、地在東南方不満、仏家称此の個世界為「缺陷世界」。就像孔子孟子得不到応有的位子、顔回不長寿、子路・子貢年少时貧窮。世上既没有福気斉全的人、又哪里会有十全十美的地。有的龍真而穴拙、有的龍穴俱美而砂水有虧、有的各房公位分得不均、有的先凶而後吉。遍看歴代名墓、没有一処十全、此の正是所謂万物本来就参差不断、此の是事物的常情。若一定要求全美、那世上就没有可葬之地了。廖公説得好。真正成格的龍神最難遇上、検点时須存寛恕之心。一味按図索驥非要求純、反誤尽了世上的人。

論土色不必拘

廖氏《洩天機》有辨土色之說曰:“《錦囊經》謂‘土欲細而堅,潤而不澤不澤謂不溼也,截肪切玉,備具五色。’又曰‘幹如穴粟,溼如刲肉,水泉沙礫,皆為凶宅。’又曰‘陰陽沖和,五土四備四原本作兼,言四者,黑不與也。’注云:‘得勢與形,而土色不佳,亦不貴也。’今按:九州島土壤不同,而燥溼亦異,難以概拘。多見形勢不吉,而土色具備,用之者禍不旋日;形勢若吉,而土色不備,用之者常臻富貴。此土色之不必拘也。

廖金精《泄天機》有一段辨土色的話説。《錦嚢経》説土要細密而堅実、潤沢而不湿——原書自注。「不沢」是説不潮湿——像切開的脂肪・剖開的美玉、五色斉備。又説干得像穴中的粟粒・湿得像割開的生肉、以及有水泉・沙礫的、都是凶宅。又説陰陽沖和、五种土色具備其四——原書自注。「四」原本写作「兼」、説四色、是因為黒色不算在内。注文説。得了形勢、而土色不佳、也算不上貴。如今按。九州各地土壤不同、干湿也各異、難以一概拘泥。常見形勢不吉而土色様様斉備的、用了它禍事不出几天就来。形勢若吉而土色不斉備的、用了它常能富貴。此の就是土色不必拘泥的道理。

水泉砂礫,龍眞穴正,自然無之,有則非吉地矣。”按:金精是論,確為至當。九州島土壤不同,如孔林天下至美之地,無以加矣,乃是黑土,稱曰黑墳,此其證也孔氏自周迄今六十四代,世襲公爵,及令陶阜。但人子厝親,必求土色之美,此心乃安耳。

至于水泉与沙礫、只要龍真穴正、自然就不会有。有了它們、那就不是吉地。按。廖金精此の番議論、確実極為妥当。九州各地土壤不同、譬如孔林是天下最美的地、再没有比它更好的了、可那里却是黒土、称作「黒墳」、此の就是証明——原書自注。孔氏一族自周代至今伝了六十四代、世襲公爵、還兼領陶阜之地。不過為人子的安葬父母、総要求得土色美好、心裡才安穏罷了。

論葬必擇良期

《葬書》云“歲時之乖為二凶”。卜氏云“山川有小節之疵,不減眞龍之厚福;年月有一端之失,反為吉地之深殃。”又云:“龍吉穴吉砂水吉,何以多災?年凶月凶日時凶,犯之罔覺。”又云:“作當依法,須求年月日之良。”楊公云:“好地如巨舟,良年如利楫。”陳圖南曰:“龍眞穴正,又須葬善時宜。”諸公所論如此,可見吉地又須良期而葬之,斯盡善矣。

郭璞《葬書》説。年月時日的乖違是第二种凶。卜応天説。山川有些小節上的瑕疵、並不减損真龍的厚福。年月上有一処失誤、反而成為吉地的大禍。又説。龍吉・穴吉・砂水都吉、為什麼還多災。因為年凶・月凶・日時凶、犯了却不自覚。又説。造葬応当依法、必須求得好年・好月・好日。楊筠松説。好地像一条大船、好年份像一支好船桨。陳摶説。龍真穴正、還須選個好時辰下葬。諸位先賢都此の様講、可見有了吉地、還須選好日期去安葬、才算尽善。

誠以葬必擇期,如耕者之必當陽春發生之際,而始播百穀焉,則獲穰穰盈倉之效矣。苟於收藏肅殺之時而施栽施植,吾知其凋謝可立待也。辛力徒勞,竟何益哉!是以人子既卜吉地,又卜良期以窀穸之,不使少有後日之悔可也。雖然,龍穴其本,年月為未耳。使地非吉兆,無生氣之可乘,年月盡天下之選無益也。仙翁曰:“鼎內若無眞種子,猶將水火煮空鐺。”此徒狥年月之謂矣。

下葬必須擇期、就像種田的人必定要在陽春発生的時節才播下百穀、此の才能収到満倉的効果。假如在粛殺収蔵的時節去栽種、我知道枯萎凋謝是立刻就能等到的。辛苦白費、究竟有什麼益処。所以為人子的既已卜得吉地、還要卜個好日期来安葬、使日后不留下一点悔恨才好。雖然如此、龍穴是根本、年月不過是末節。假如地本非吉兆、没有生気可乗、即使把天下的好年月都挑遍也没有用。仙翁説。鼎裡若没有真种子、那就等于用水火去煮一口空鍋。此の説的就是只一味遷就年月的人。

論風水不可妄加築鑿

卜氏云:“土有餘,當闢則闢;山不足,當培則培。”郭氏云:“目力之巧,工力之具,趨全避缺,增高益下。”蔡牧堂曰:“山川之融結在天,而山水之裁成在人。”固皆指地之有不足者,培之闢之,損高益卑,使適於中,盡其當然,不害其為自然者也。但萬金之璧,必玉人而可琢;千金之裘,豈拙匠所能裁?多見毀瓦畫墁,非徒無益,而又壞之,此不可不慎也。況又有務為觀美者,或廣築牆垣,深開月池,高起牌坊,及為崇臺望柱,砌路建亭等事,莫知禁忌。往往有以此盡其孝敬之心,而反自取禍敗者,是又深可憫也。

卜応天説。土有多余的、該開挖就開挖。山有不足的、該培土就培土。郭璞説。凭眼力的精巧・工力的完備、趨向完全・避開缺陷、把高的加高・低的填厚。蔡元定説。山川的融結在于天、而山水的裁剪成就在于人。此の些話本来都是指地有不足之処、可以培・可以辟、削高補低、使它帰于适中、尽人事之当然、而不妨害它仍是自然。但価値万金的玉璧、必須玉工才能雕琢。価値千金的皮裘、哪里是拙劣的工匠所能裁剪。常見有人把好好的瓦砸了・把墻面乱塗一気、不但没有益処、反而把地弄壊、此の不能不謹慎。何况還有専務好看的人、或者大築囲墻、或者深挖月池、或者高竪牌坊、以及建高台・立望柱・舗路・造亭等等、全不知道禁忌。往往有人想借此の尽孝敬之心、反而自取禍敗、此の就更加可憫了。

誠以陰陽二宅,居葬已久,切忌妄有築鑿。朱子曰:“祖墓之側,數興土功,亦能挻穴。一或誤傷龍脈,發洩地氣,立招凶禍。廖氏云:“來龍最忌妄穿鑿,旺氣必消鑠。”又云:“後龍過脈忌穿鑿,居民必蕭索。”又云:“開池穿井多有忌,消詳莫輕易。”又云:“塋前切忌妄增高,災禍必難逃。”又云:“明堂裡面要潔淨,有物皆為病。時人不識妄安排,於內起亭臺。栽花砌路供遊賞,禍生如反掌。”凡此皆所以丁寕告誡,欲人知所慎也。茲故特述以告,明者當自謹耳。

陰宅与陽宅住久葬久之后、最忌胡乱興工開鑿。朱熹説。祖墳旁辺屡屡動土、也会牽動穴場。一旦誤傷龍脈、泄漏地気、立刻招来凶禍。廖金精説。来龍最忌胡乱穿鑿、旺気必被消損。又説。後龍的過脈忌穿鑿、居民必定蕭条。又説。開池鑿井多有忌諱、要仔細斟酌、不可軽挙妄動。又説。墳前切忌随意増高、災禍必定難逃。又説。明堂裡面要浄潔、堆放東西都是病。当今的人不懂、胡乱安排、在裡面建起亭台、栽花舗路供人游賞、招禍易如反掌。此の些話都是再三叮嚀告誡、要人知道謹慎。所以此の裡特意述説出来相告、明白事理的人自当謹慎。

論風水有夙縁

得地自有緣法定數,不可強求。觀衛靈公沙邱之銘,滕公古壙之記,韋齋寂歷之詩,季通鄉謔之讖,可見自有天緣也。但人子送終,不敢不自盡其心,抑安有坐待之理哉!求而得之,即所謂緣也。惟不可強耳。衛靈公薨,卜葬故墓,不吉。卜於沙邱而吉。掘之,得石槨,銘曰:“不馮其子,靈公奪而埋之。”

能得着好地自有縁分与定数、不可強求。看衛霊公沙丘石椁上的銘文・滕公古墓中的石刻・朱韋斎「寂歴」一句詩的応験・蔡季通被郷人戯謔而成的讖語、可見其中確有天縁。不過為人子的送葬親人、不敢不尽自己的心、哪里有坐着干等的道理。去求而得着了、那就是所謂縁。只是不可強求罷了。以下是四則故事。衛霊公去世、占卜葬在旧墓地、不吉。改卜沙丘則吉。挖掘时得到一具石椁、上面刻着銘文説。不靠他的子孫、霊公要奪了此の塊地把自己埋在此の裡。

漢夏侯嬰,以功封滕公。及死將葬,未及墓,引車馬跪地不前。掘之,得石室,銘曰:“佳城鬱鬱,三千年見白日。吁嗟!滕公居此室!”因以葬焉。宋韋齋先生詩有“杯酒閒談寂厯中”之句。及文公改葬韋齋,屢遷不吉,最後得崇安之寂厯山。

漢代的夏侯嬰、因軍功封為滕公。他死后将要下葬、霊車還没到墓地、拉車的馬就跪在地上不肯前行。就地挖掘、得到一間石室、上面刻着銘文説。佳城幽深、三千年后才見天日。可嘆啊、滕公要住进此の間石室。於是就把他葬在那里。宋代朱韋斎先生的詩中有「杯酒閑談寂歴中」一句。後来他的児子朱熹為父親改葬、几次遷移都不吉利、最後得到崇安県的寂歴山、才与当年詩句相応。

蔡西山嘗同友人劉文簡二人閒步四顧。鄉人善謔者嘲之曰:“蔡季通,蔡季通,出門指西又指東,山中既有王侯地,何不歸家葬祖宗!”季通愀然曰:“山中具有王侯地,爭奈不在我山中。”文簡憫之曰:“使我山有地,即可以奉。”季通謝曰:“君山誠有美地!”劉果以山與之。葬後,季通以孫貴,贈太傅。子文正公沈,以子貴,贈太師,進崇安伯。孫文肅公杭拜相,果符王侯之職。

蔡元定曾与友人劉文簡両人閑歩四処観望。郷裡一個愛開玩笑的人嘲諷他説。蔡季通啊蔡季通、出門一会指西一会指東、山裡既然有王侯之地、為什麼不回家去葬祖宗。蔡季通神色黯然地説。山裡確実有王侯之地、無奈不在我家的山上。劉文簡憐惜他、説。假如我的山上有此の様的地、就可以奉送給你。季通道謝説。您的山上確実有美地。劉文簡果然把那座山給了他。安葬之后、蔡季通因孫子顕貴、被追贈太傅。児子蔡沈謚文正、因児子顕貴、被追贈太師、進封崇安伯。孫子蔡杭謚文粛、官至宰相、果然応了王侯之位。

鄱陽餘方伯佑曰:“地理之驗,無如蔡氏者。牧堂父子壽地得地,賢貴迭出,海內莫之與倫,孰謂好地不獲見乎?彼不得者,貪大求全。不知大地有神所司,且多怪異,欠缺不齊。以貪高圖大之心求全責備,安可得乎?明地學者,當知深省雲。”

鄱陽的方伯余佑説。地理的応験、没有比得上蔡家的。蔡牧堂父子生前所営的寿地都得着了好地、賢能顕貴之人接連而出、海内没有能与之相比的、誰説好地就見不着呢。那些得不着的人、是因為貪大求全。他們不知道大地自有神明掌管、而且大地多有怪異之形、往往欠缺不斉。抱着貪高図大的心去求全責備、怎麼可能得到。明白地学的人、応当深深反省此の一点。

重刊人子須知資孝地理心学統宗巻七之上

江右山人徐善繼述 同著。此一冊辨證諸家星卦之非理者,以祛世俗之惑。夫自公劉興豳,“既景乃岡”;衛文遷楚,“景山與京”;周公營洛,“揆之以日”,而陰陽之旨實肇厥端。惟數聖引而不發,叔世之下,莫窺涯涘。哲人若楊、曾、吳、廖、賴、董輩,又不世出,管天蠡海之徒,遂家置爐錘,人挾機軸,偽詞誕說,縱橫競起。而星卦各出多門,不勝謬戾。無怪乎吾儒擯為外道而不屑究之耳。

本巻由江右山人徐善繼・徐善述兄弟同撰。此の一冊是辨証各家星卦学説中不合理的部分、用来祛除世俗的迷惑。自従公劉在豳地興業、用日影測定山岡。衛文公遷都楚丘、登景山・望京丘。周公営建洛邑、用日影校正方位——陰陽之学的宗旨実在従此の裡開端。只是此の几位聖人引而不発、没有把話説尽、到了衰乱的後世、人們就摸不着它的辺際了。像楊筠松・曾文辿・呉景鸞・廖金精・頼布衣・董徳彰此の様的哲人、又不是每代都有。於是那些以管窺天・以蠡測海之徒、家家自設炉錘、人人自握機軸、偽造的説辞・荒誕的議論、縦横競起。星卦之説各出多門、謬誤乖戻多得説不完。難怪我們読書人把它斥為外道而不屑去研究。

茲輯陰陽旨原,首以星卦、國音、宗廟等說之亂眞眩正者,逐款摭諸名家理論而辨明之,並以斷驗邪術諸弊,及通書神煞,詳述其謬。復著宗旨一篇並三昧論,俾人子開卷即知陰陽正源,而不為旁蹊曲徑所眩誤雲。

現在輯成此の巻《陰陽旨原》、首先把星卦・国音・宗廟此の几种以假乱真・眩惑正道的説法列出、逐条摘取各位名家的議論来加以辨明。同時把断験之類邪術的种种弊病、以及通書上的各种神煞、也詳細陳述它們的荒謬。此の後再写《堪輿宗旨》一篇和《三昧論》、好譲為人子的一翻開書就知道陰陽之学的正源、不被旁門小路所眩惑誤導。

九星の謬を論ず(一)

九星雲者,貪狼、巨門、祿存、文曲、廉貞、武曲、破軍、左輔、右弼是也。立名之謬,則牧堂蔡氏曰:“名出於《北斗經》咒文。”按《星經》,北斗之名,一曰天樞,二曰璇,三曰機,四曰權,五曰衡,六曰闓陽,七曰瑤光,八曰輔,九曰弼。無貪狼、巨門之說也。其法以貪為上吉,武、巨次之,輔、弼又次之,祿、文、廉、破皆凶。立法之謬,蔡氏按《漢書》曰:“貪狼,以貪如狼虎為凶。廉貞,以廉而貞潔為吉。無貪狼為吉,廉貞為凶之說也。”

いわゆる九星とは、貪狼・巨門・禄存・文曲・廉貞・武曲・破軍・左輔・右弼である。まず命名の誤りを挙げる。蔡元定は言う。これらの名は《北斗経》の呪文に出るというのである。《星経》を調べると、北斗諸星の名は、一を天枢、二を璇、三を機、四を権、五を衡、六を闓陽、七を瑶光、八を輔、九を弼といい、貪狼・巨門といった言い方はそもそも存在しない。次に立法の誤りを挙げる。九星の法は貪狼を最吉とし、武曲・巨門がこれに次ぎ、左輔・右弼がさらに次ぎ、禄存・文曲・廉貞・破軍はすべて凶とする。蔡元定は《漢書》に拠って言う。「貪狼」は貪婪で狼虎のようだから凶とされ、「廉貞」は廉潔で貞正だから吉とされたのであり、貪狼が吉・廉貞が凶という説はなかったのである。

其為五行,以貪為一木,巨為一土,祿為二土,文為一水,廉為獨火,武為一金,破為二金,輔為二木,弼為九土。五行之謬,蔡氏按《星經》曰:“一星主天,二星主地,三星主火,四星主水,五星主土,六星主水,七星主金。”無貪狼為木,巨門為土之說也。至於以貪狼為生氣,巨門為天醫,祿存絶體,文曲為游魂,廉貞為五鬼,武曲為福德,破軍為絶命,輔弼為本宮。蔡氏曰:“謂生氣、天醫、福德為三吉,絶體、游魂、五鬼、絶命、本宮為五凶,皆非郭氏本說也。”

次に五行に配する誤りを挙げる。九星の法は、貪狼を一木、巨門を一土、禄存を二土、文曲を一水、廉貞を独火、武曲を一金、破軍を二金、左輔を二木、右弼を九土に配する。蔡元定は《星経》に拠って言う。第一の星は天を主り、第二の星は地を主り、第三の星は火を主り、第四の星は水を主り、第五の星は土を主り、第六の星は水を主り、第七の星は金を主るのであり、貪狼が木に属し巨門が土に属するという説はない。さらに貪狼を「生気」、巨門を「天医」、禄存を「絶体」、文曲を「遊魂」、廉貞を「五鬼」、武曲を「福徳」、破軍を「絶命」、輔弼を「本宮」と見なす件について、蔡元定は言う。生気・天医・福徳を三吉と称し、絶体・遊魂・五鬼・絶命・本宮を五凶と称するのは、いずれも郭璞本来の説ではない。

他如以貪為太常六合,巨為朱雀,祿存為貴人,文為小吉,廉為勾陳螣蛇,武為太陰青龍,破為白虎。又有一家以貪為木星,巨為天財,祿為孤曜,文為掃蕩,廉為燥火,武為金水,破為天罡,輔為太陽,弼為太陰;又有一家以貪為生龍,巨為福龍,祿為病龍,又為狂龍,廉為死龍,武為旺龍,破為敗龍,輔弼為絶龍;又有一家以貪為小吉傳送,巨為大吉,祿為太乙勝光,又為從魁河魁,廉為功曹太沖,武為登明神后,破為天罡;又有一家以貪為樂褥,巨為緑褥,祿為白霧,文為黃霧,廉為黃旗,武為繡褥,文破為黑池,輔弼為河番;又有一家以貪為生龍,巨為太陽,祿為大禍,文為暗曜,廉為螣蛇,武為太常,破為朱雀,輔弼為仗兵。凡此皆執偏見而各立門戶,互相爭競,有不勝其舛錯也。

このほかにも種々の配当がある。ある家は貪狼を太常・六合に、巨門を朱雀に、禄存を貴人に、文曲を小吉に、廉貞を勾陳・螣蛇に、武曲を太陰・青竜に、破軍を白虎に配する。またある家は貪狼を木星に、巨門を天財に、禄存を孤曜に、文曲を掃蕩に、廉貞を燥火に、武曲を金水に、破軍を天罡に、左輔を太陽に、右弼を太陰に配する。またある家は貪狼を生竜に、巨門を福竜に、禄存を病竜(狂竜ともいう)に、廉貞を死竜に、武曲を旺竜に、破軍を敗竜に、輔弼を絶竜に配する。またある家は貪狼を小吉・伝送に、巨門を大吉に、禄存を太乙・勝光(また従魁・河魁とも作る)に、廉貞を功曹・太衝に、武曲を登明・神后に、破軍を天罡に配する。またある家は貪狼を楽褥に、巨門を緑褥に、禄存を白霧に、文曲を黄霧に、廉貞を黄旗に、武曲を繍褥に、文曲・破軍を黒池に、輔弼を河番に配する。またある家は貪狼を生竜に、巨門を太陽に、禄存を大禍に、文曲を暗曜に、廉貞を螣蛇に、武曲を太常に、破軍を朱雀に、輔弼を仗兵に配する。これらはみな各々偏見を執り、各々門戸を立てて互いに優劣を争い、錯乱して数え切れないほどである。

其在天星,以貪為天蓬,巨為天芮,祿為天衡,文為天輔,廉為天禽,武為天心,破為天柱,輔為天任,弼為天英。其在卦例,以貪為一坎,巨為二坤,祿為三震,文為四巽,廉為五中,武為六幹,破為七兌,輔為八艮,弼為九離。其在五色,以貪為一白,巨為二黑,祿為三碧,文為四祿,廉為五黃,武為六白,破為七赤,輔為八白,弼為九紫。所謂三白者,初無他憑據,無乃以幹、坎、艮坐後天之壯方云耳。白為吉,紫次之,餘色皆凶。

天星の系統では、貪狼を天蓬に、巨門を天芮に、禄存を天衡に、文曲を天輔に、廉貞を天禽に、武曲を天心に、破軍を天柱に、左輔を天任に、右弼を天英に配する。卦例の系統では、貪狼を一坎に、巨門を二坤に、禄存を三震に、文曲を四巽に、廉貞を五中に、武曲を六乾に、破軍を七兌に、左輔を八艮に、右弼を九離に配する。五色の系統では、貪狼を一白に、巨門を二黒に、禄存を三碧に、文曲を四緑に、廉貞を五黄に、武曲を六白に、破軍を七赤に、左輔を八白に、右弼を九紫に配する。いわゆる「三白」は、初めは何の根拠もなく、おそらく乾・坎・艮が後天の旺方に位置するからであろう。この系統は白を吉とし、紫をこれに次ぎ、残りの色はすべて凶とする。

夫以碧、緑、黃、赤凶者,謂其屬廉、祿、文、破也。紫白取貪、武、輔、弼以為吉,碧、綠、黃、赤因祿、文、廉、破以為凶,猶其術也。何二黑既屬巨門,已為吉星,二黑乃為凶色?星吉色凶,自相水火。又況九星既以文曲為凶,奇門又以天輔為吉;九星既以貪狼為吉,遁甲又以天蓬為凶。是何吉凶之顛倒難憑若是乎?又按翻卦配星,以貪配生氣,廉配五鬼,庶幾同矣。乃又有有移之於山水,以本山起破軍,順行三匝,周二十四位。又有移之於主山,起破軍,逆行九匝,而周七二骨節之說。則今之貪非復向之生氣,安得猶謂之吉?今之廉非復向之五鬼,安得猶謂之凶?

碧・緑・黄・赤を凶と定めるのは、それらが廉貞・禄存・文曲・破軍に分属するからである。紫白が貪狼・武曲・左輔・右弼を吉とする以上、碧緑黄赤が禄存・文曲・廉貞・破軍によって凶とされるのも、まだ一応の筋は通っている。しかし二黒が巨門に属して既に吉星であるのに、なぜ二黒は凶色なのか。星は吉で色が凶とは、水火のように自ら矛盾する。まして九星では文曲を凶とするのに奇門では天輔を吉とし、九星では貪狼を吉とするのに遁甲では天蓬を凶とする。吉凶がどうしてこれほど無根拠に転倒錯乱したのか。さらに翻卦配星を見れば、貪狼を生気に、廉貞を五鬼に配するのはまだ大体一致している。ところがまたこれを山水に移して、本山から破軍を起こし順に三圏を巡らせて二十四位に周遍させる者もあれば、主山に移して破軍を起こし逆行に九圏を巡らせて七十二骨節に周遍させる者もある。このように一巡させれば、今の貪狼はもはや元の生気ではないのに、どうしてなお吉と呼べようか。今の廉貞はもはや元の五鬼ではないのに、どうしてなお凶と呼べようか。

其消水法為例亦多。大率申、子、辰、寅、午、戌、壬、癸、艮、甲、乙、巽、丁、坤、庚、辛、等一十六向,皆要水倒左邊。殊不知在左邊如三匝九匝之說,則必吉凶相參,未嘗不置貪、巨於祿、文之先。巳、酉、丑、亥、卯、未、丙、幹八方又要求倒右邊,殊不知其右邊如山水骨節之例,則亦吉凶遷居,未必不排輔、弼於武、破之後。何得便以切近之一字遽分左右之善惡乎?無怪乎蔡氏之黜之曰:“九星之五行所屬不足據,而吉凶無凖。”斯言也,誠萬世不易之定論也。

その消水の法も、起例が非常に多い。おおよそ申・子・辰・寅・午・戌・壬・癸・艮・甲・乙・巽・丁・坤・庚・辛の十六の向きは、いずれも水が左から倒れて来ることを要求する。ところが三圏九圏の説に従って左に排せば、必ず吉凶が入り混じり、貪狼・巨門を禄存・文曲の前に置かないとも限らないことを知らないのである。巳・酉・丑・亥・卯・未・丙・乾の八方はまた水が右から倒れて来ることを要求するが、山水骨節の起例に従って右に排せば吉凶も同じく位置を移し、左輔・右弼を武曲・破軍の後ろに置かないとも限らないことを知らない。どうしてただ密接した一字だけを拠り所にして、左右の善悪を断定的に分けられようか。蔡元定がこれを斥けて「九星の属する五行は拠るに足らず、吉凶にも準則がない」と言ったのも当然である。この言葉はまさに万世不変の定論である。

卦例の謬を論ず

諸家裝卦之例,其說甚繁。姑舉近世最宗尙者,如所謂《玉錀匙》云。其法取山坐某方,得某卦,以後天論穴,坐某方,得本卦之某爻,可變某卦,穴與某水之去合其律,去水與某水之來應本卦,與變卦之子母以為循環變化之妙。又法以山峙之方為貞卦,水去之方為悔卦,合成六畫之卦。以水之納付取干支為卦,之某爻某辭,即斷其吉凶。

各家が卦を装う起例の説は非常に繁多である。ここでは近世に最も推尊崇されている一説、いわゆる《玉鍵匙》を挙げよう。その法は、坐山がどの方にあるかを取ってどの卦を得るかとし、後天卦をもって穴を論じ、坐がどの方にあるかで本卦のどの爻を得てどの卦に変じ得るかとし、穴がどの去水と律吕を合わせ、去水がまたどの来水と本卦に応合するかを見て、さらに本卦と変卦の間の母子の関係をもって循環変化の妙用とする。もう一つの法は、山が峙立する方位を「貞卦」と定め、水が流れ去る方位を「悔卦」と定め、両者を合わせて一つの六画の卦をなし、さらに水の納する干支に拠って卦を取り、どの爻でどの爻辞に係るかを見て、これによって吉凶を断定する。

至於廿四位陽穴放陰水,陰穴放陽水,在十二支者,取左旋隔八之律呂;在八干者,取五位相得而各自合之說,使之以陰攝陰也。卦之子母,母喜其來,但不喜其去。如干喜甲來,坤忌乙去。震、巽、庚、辛、艮、丙、兌、丁、坎、癸、離、壬皆仿此。卦之三合,愛其入而不愛其出。如震愛亥、未,坎不出申、辰,兌於己丑,離於寅戌,亦仿北。

二十四方位の上では、陽穴は陰水を放ち、陰穴は陽水を放つという。十二地支の上では左旋隔八相生の律吕の法を取り、八天干の上では「五位相得して各々合有り」の説を取り、陰気をもって陰気を収摂させる。卦の母子関係を説くとき、母卦は子が来るのを喜ぶが子が去るのを喜ばない。たとえば乾は甲水の来るのを喜び、坤は乙水の去るのを忌む。震と巽、庚と辛、艮と丙、兌と丁、坎と癸、離と壬は、いずれもこれに準じて類推する。卦の三合関係を説くときは、流れ入るのを喜んで流れ出るのを喜ばない。たとえば震卦は亥・未を愛し、坎卦は水が申・辰に出ることを許さず、兌卦の巳丑に対する関係、離卦の寅戌に対する関係もこれに準じて類推する。

卦之子母,不可相破。如取天地定位,則幹、甲不可放水出坤、乙。取雷風相薄,則震、庚不可放水出幹、甲。而他卦之子母亦猶此也。先後天不可相破。如坎山不放坤水,坤山不放坎水,艮於震,震於離,巽於兌,離於幹,坤於巽,兌於坎,幹於艮,皆仿此。又於先天圓圖之對待,以橫圖乾一兌二之數,而合以為九。如干與坤相對,則以幹之一而合坤之八,使成九數是也。又於後天圓圖之對待,以洛書坎一坤二之數而合以為十。如干與巽相對,則以幹之六而合巽之四,使成十數是也。於是坐向放水,如干放巽,艮方坤,以為用中五之數,共成十有五數。

卦の母子は互いに破壊してはならない。たとえば「天地定位」を取れば、乾・甲の山は坤・乙に水を放ってはならず、「雷風相薄」を取れば、震・庚の山は乾・甲に水を放ってはならない。ほかの各卦の母子関係もこれに準じて類推する。先天と後天も互いに破壊してはならない。たとえば坎山は坤水を放たず、坤山は坎水を放たない。艮の震に対する関係、震の離に対する関係、巽の兌に対する関係、離の乾に対する関係、坤の巽に対する関係、兌の坎に対する関係、乾の艮に対する関係も、すべてこれに準じて類推する。また先天円図の対待では、横図の乾一・兌二の数目を用いて加え合わせて九をなす。たとえば乾と坤が相対すれば、乾の一に坤の八を加えて九の数に湊す。また後天円図の対待では、洛書の坎一・坤二の数目を用いて加え合わせて十をなす。たとえば乾と巽が相対すれば、乾の六に巽の四を加えて十の数に湊す。そこで坐向の放水に際しては、乾山が巽水を放ち、艮山が坤水を放つのは、中五の数を用いて合わせて十五をなすと見なすのである。

殊不知大易之作,所以定天地之吉凶者,必待揲蓍而後得。其在風水日期之間,朱子所謂“古人之成法也,烏能如彼之牽合哉!”廖氏曰:“卦為宗者誤人多,無龍無穴事如何?任爾裝成天上卦,等閒家計落傾波。”劉氏曰:“下地不裝諸卦例,登山不用使羅經。”正謂此也。其它卦例名目尤多,如所謂天卦、地卦、五鬼、壺中、橫天、紫微、魁星、斗杓、玉函、挨星、紅鸞,及單于梅花三卷,火星飛宮吊替之類,大抵與宗廟九星相伯仲,彼吉此凶,不相繁穢,於理無憑,禍福不驗,流毒天下,感世誣民,初學之士,罔知眞偽,一入其門,牢不可破。惟執其例,曰某來山合某卦某星,下某向,宜某水來,某水去。某星某卦淺若干,深若干。此其迷謬,非謂誤人,且以自誤,可慨哉!

ところが《周易》の制作は、天地の吉凶を判定するのに必ず揲蓍して卦を演じて初めて得られるものである。風水と日選びの間での运用については、朱熹が「古人の成法である」と言ったのであり、どうして彼らのように牽強附会できようか。廖金精は言う。卦を宗とする者は人を誤ることが最も多い。竜も穴もなくてどうするのか。満天の卦を装いなしても、家業はやはり徒らに水の中に傾覆する。劉氏は言う。地に下りるのにあの卦例を装う必要はなく、山に登るのに羅盤を携える必要もない、と。まさにこの意味を言うのである。そのほか卦例の名目はさらに多く、たとえば天卦・地卦・五鬼・壺中・横天・紫微・魁星・斗杓・玉函・挨星・紅鸞、および単于梅花三巻・火星飛宮吊替の類は、おおむね宗廟・九星の説と互角で、この家は吉と言いあの家は凶と言い、互いに雑乱して理に根拠がなく、禍福の応験も霊験がない。天下に毒を流し、世を惑わし民を誣いている。初学の者は真偽を知らず、一たびこの門に入れば二度と抜け出せない。彼らはただ起例を死守して、ある来山がある卦ある星に合すればある向きを下し、ある水が来てある水が去るのを宜とし、ある星ある卦では浅くすべき度合い・深くすべき度合いを定めて言う。この種の迷妄で荒誕な説は、人を誤るだけでなく自らも誤り、実に嘆くべきである。

楊氏曰:“定卦番來是夢中,只觀來歷有無蹤。仍將兩手鉗龍脈,莫把三星亂指空。”又云:“天寛地寛眼亦寛,眞龍泊處是根源。不論五音諸卦例,但求主好對賓賢。”又曰:“隔山裝卦泥星辰,下了誤人貧。”曾氏云:“但登財祿君須下,莫用山頭卦。”又曰:“四平八國與天心,世代時師何處尋。不識天心並十道,慢將卦例吐懐襟。”廖氏曰:“巧目神機參造化,透徹玄微貴無價。古傳龍法及砂圖,誰見神仙專論卦?假如龍法不眞奇,豈得偏將卦例推?但要眞龍並正穴,陰陽二路自相居。”卜氏曰:“水若屈曲有情,不合星辰亦吉。山如破碎欹斜,縱合卦例何為?”又云:“既明倒杖之法,方知卦例之非。”斯皆鄙且詭異者之良劑也。

楊筠松は言う。卦を定め卦を翻すのは夢を見るようなもので、ただ来竜の来歴に踪跡があるかどうかを見るべきである。やはり両手で竜脈を鉗み、三星をもって虚しく空を指さないことだ。また言う。天が広く地が広いなら眼界も広くあるべく、真竜が停泊する所こそ根源である。五音や諸々の卦例を論ずる必要はなく、ただ主山が良く、向かいの賓山が賢いことを求めればよい。また言う。山を隔てて卦を装い星辰に拘泥するのは、葬っても人を誤って貧窮させるだけである。曽文辿は言う。財も禄もある地に登ったなら、そのまま葬ればよく、山頭卦を用いるな。また言う。四平八国と天心は、歴代の術士がどこへ行って尋ねようか。天心と十道を識らずに、軽々しく卦例を吐き出すものだ。廖金精は言う。巧みな目と神機をもって造化を参悟し、玄微を透彻させることこそ無价の貴である。古人が竜法と砂図を伝えたが、神仙が専門に卦を論じたのを誰が見たか。もし竜法そのものが真でなく奇でなければ、どうしてわざわざ卦例をもって推し量るのか。真竜と正穴さえあれば、陰陽両路は自ずから各々その位に安んじる。卜応天は言う。水が屈曲して情があれば、星辰に合わなくても吉である。山が破碎欹斜していれば、たとえ卦例に合っても何の用があるか。また言う。倒杖の法を明らかにして初めて、卦例の誤りを知る。これらの言葉は皆、あの鄙陋で詭異な説を治す良薬である。

三合竜の謬を論ず

俗師有傳三合龍法之術,以五行三合取法。必先於水口之外尋其歸於江者果何絶地。絶地雲者,寅申巳亥也然後泝流而上,以入其鄉,卻求風水為長生、帝旺、墓庫之向。或山雲貴而不富,向雲富貴兩全,然又並須逆兼於維,謂之陰陽得配。否則,女旺於男,弟盛於兄。如落江之水遇艮寅字,則為金絶,而陰陽二宅作巽、乙、庚、酉、癸、丑之向為吉,山次之,巳、丙、酉、辛、丑、艮者又次之。所以然者,金絶於寅,故宜流去。金生於巳,旺於酉,庫於丑,所謂巳酉丑會成金局,故宜向也。木絶申而亥、卯、局,水絶巳而申、子、辰局,火絶亥而寅、午、戌局皆然。

庸俗な術士が伝えた一種の「三合竜法」があり、五行の三合に従って法を取る。それは必ずまず水口の外で、水が大江に帰する時に一体どの「絶地」に落ちるかを探す——いわゆる絶地とは寅・申・巳・亥の四位である——それから水に沿って逆流して上り、その郷に入り、さらに風水に従って長生・帝旺・墓庫の方位を求めて向きを立てる。坐山は貴を司って富を司らないと言う者もあり、立向は富貴両全できると言う者もある。しかしなお必ず兼向を逆にして乾坤艮巽の四維に当て、「陰陽得配」と称し、さもなければ女が男より強く弟が兄より盛んになるという。たとえば江に落ちる水が艮・寅の二字に遇えば、それは金の絶位であるから、陰宅陽宅は巽・乙・庚・酉・癸・丑の向きを立てるのを吉とし、これらの山に坐するのはこれに次ぎ、巳・丙・酉・辛・丑・艮はまたこれに次ぐ。こうする所以は、金が寅に絶するから寅位から流れ去るのを宜とし、金は巳に生じ酉に旺して丑に庫するから、いわゆる巳酉丑が会して金局を成すので、これらの方位に朝向して向きを立てるのを宜とするのである。木は申に絶して亥卯未をもって局を成し、水は巳に絶して申子辰をもって局を成し、火は亥に絶して寅午戌をもって局を成す。道理は皆同じである。

又自謂推演郭氏所謂“源於生氣”,“朝於大旺”,“流於囚謝”之法。殊不知水必順流而下於江,初非寅、申、巳、亥可向。向亦自有天然朝案之情,非生、旺、墓、庫之方可泥,豈郭氏之本旨哉!胡乃又有神其術以誑人者,謂長生墓旺之定局,可預推地之某位山高,某位低陷,某位有路,某位有塘,神廟居某位,流水出某方。其例云:長長帝旺俱高聳,沐浴之方定有塘。若逢冠帶多為路,臨官壇廟屬其方。病胎衰養皆低陷,死墓絶鄉水去長。試入鄉村墓宅按驗之,亦間有中。然於龍穴眞偽何補?適足愚弄俗輩耳。明理君子豈取重哉!

彼らはまた、郭璞の言う「生気に源し」「大旺に朝し」「囚謝に流る」の法を推演していると自称する。ところが水は必ず順流して下り大江に匯するもので、本来寅・申・巳・亥の何字かに拘定できる朝向ではない。立向には自ずから天然の朝山案山の情意があり、また生・旺・墓・庫の何方位かに拘泥できるものでもない。どうして郭璞の本意であろうか。どうしてまたこの術を神そのもののように言い立てて人を誑かす者があるのか。長生・沐浴・墓・旺の定局に拠れば、この地のどの位の山が高くどの位が低陥し、どの位に路がありどの位に塘があり、神廟がどの位にあり、流水がどの方から出て行くかを予め推し出せるというのである。彼らの起例は言う。長生と帝旺の位は皆高く聳え、沐浴の方は必ず池塘がある。冠帯の位に逢えば大半は道路であり、臨官の方は壇廟に属する。病・胎・衰・養の四位は皆低陥し、死・墓・絶の郷は水が流れ去ること長遠である、と。試しに郷村に入って墳墓宅第に照らし合わせてみれば、たまに言い当てることもある。しかしこれが竜穴の真偽を判別するのに何の助けがあろうか。俗人を愚かにするに足るだけで、理を明らかにする君子がどうしてこれを重んじようか。

四竜分卦の謬を論ず

四龍分卦之術,出於《天玉經》。大要不過分四方四龍正神零神,前兼後兼而已。其四方江東八卦曰寅、甲、卯、乙、辰、巽、巳、丙,江西八卦曰申、庚、酉、辛、戌、幹、亥、壬。南曰午、丁、未、坤,北曰子、癸、丑、艮是也。四龍者,寅、辰、丙、乙。一龍加子、幹,二龍申、午、坤,三龍加卯、艮,四龍加酉、巽。又為三才六建焉。正神者十二支,零神者八干四維也。前兼山者,如子、丑、癸、艮是也。後兼山者,如壬、子、癸、丑是也。

「四竜分卦」という術は《天玉経》に出る。大意は四方を分け、四竜を分け、正神零神を分け、前兼後兼を分けることに過ぎない。いわゆる四方とは、江東八卦は寅・甲・卯・乙・辰・巽・巳・丙、江西八卦は申・庚・酉・辛・戌・乾・亥・壬、南方は午・丁・未・坤、北方は子・癸・丑・艮である。いわゆる四竜は、寅・辰・丙・乙を綱とし、一竜はさらに子・乾を加え、二竜は申・午・坤を加え、三竜は卯・艮を加え、四竜は酉・巽を加える。これからさらに「三才六建」を衍出する。いわゆる正神とは十二地支を指し、いわゆる零神とは八天干と四維を指す。いわゆる前兼の山とは子・丑・癸・艮のごとく、いわゆる後兼の山とは壬・子・癸・丑のごとしである。

夫四方之分,不過曰“山向流水一路行,富貴有聲名。龍行卦外無官職,不用勞心力。”葢欲子、癸、丑、艮之山,仍以子、癸、丑、艮之水;午、丁、未、坤之水,必於午、丁、未、坤之山。謂之南卦關地北關天,江東、江西各不出其八卦之外也。四龍之分,當以一龍為長男,二龍為次男,三龍為三男,四龍為四男。一龍金,二龍木,三龍水,四龍火。

四方の分け方は、要するにこう言うのである。坐山・朝向と流水がすべて同じ路にあるなら富貴で名声があり、竜が本卦の外に行けば官職がなく、もはや心を労し力を費やす必要はない。つまり子・癸・丑・艮の山はなお子・癸・丑・艮の水に配し、午・丁・未・坤の水は必ず午・丁・未・坤の山に配するというのである。これを南卦が地を管し北卦が天を管すると言い、江東と江西は各々自分の八つの卦位の外に出ない。四竜の分け方は、一竜を長男とし、二竜を次男とし、三竜を三男とし、四竜を四男とする。一竜は金に属し、二竜は木に属し、三竜は水に属し、四竜は火に属する。

其三才六建者,不過曰“三陽六秀二神當,主人入廟堂。子寅辰逢干丙乙,一龍眞奇特。”葢欲子山寅山辰山各見干丙乙之水也。他三龍而九才十八建者,並仿此。正零二神,不過欲正神為山,零神為水。山過峽合正神為吉,取以定向,向則以零,故曰無龍不作向,水不問來去,合零神則吉。其曰:“山上龍神不下水,水裡龍神不上山”;“若遇正山正向裝,撥水入零堂”,其大意也。前後二兼,不過欲雙山雙水,單山單水。其曰“前兼止下前兼水,後兼仍取後兼裝”,其止歸也。

いわゆる三才六建とは、要するにこう言うのである。三陽と六秀の二神が位に当たれば、主人は朝堂に入ることができる。子・寅・辰の三山が乾・丙・乙の三水に遇えば、この一竜は実に奇特である。つまり子山・寅山・辰山は各々乾・丙・乙の水を見なければならない。残りの三竜のいわゆる九才十八建は、皆これに準じて類推する。正神と零神の二説は、要するに正神は山上に落ち、零神は水上に落ちるべしというのである。山の過峡が正神に合すれば吉とし、これに拠って向きを定めるが、向きには零神を用いる。だから竜がなければ向きを作らず、水は来去を問わず、ただ零神に合すれば吉だという。彼らは「山上の竜神は水に下らず、水裏の竜神は山に上らず」と言い、また「正山正向の装に遇えば、水を零堂に撥入せよ」と言うのは、この大意を講じるのである。前兼後兼の二説は、要するに双山は双水に配し単山は単水に配すべしというのであり、彼らが「前兼はただ前兼の水を下し、後兼はなお後兼の装を取る」と言うのは、その帰結を講じるのである。

今按四龍,不過以幹、坤、艮、巽、丙、壬、庚、甲、乙、辛、丁、癸、子、午、卯、酉、寅、申、巳、亥、辰、戌、丑、未,各四析之,因其次序,類屬而成四龍。其取義粗淺甚矣。且四方不知東西何以皆多,南北何以皆少?巳、丙何以屬東而不為南?亥、壬何以屬西而不為北?況欲山水各不出卦,乃通篇之要說,則如子、午、寅、申四山,則右邊無幾,不知右邊復有何字可以放水。又如巳、亥、丑、未四山,左邊亦惟一字而已,不幸水從左來,尙可以放水使入于于懐乎?何其不思之甚哉!由此言之,則其所謂“亥山若見水流東,代代出三公”者,眞誣矣。

今按ずるに四竜の説は、要するに乾・坤・艮・巽・丙・壬・庚・甲・乙・辛・丁・癸・子・午・卯・酉・寅・申・巳・亥・辰・戌・丑・未の二十四位を、四つずつ一区分けにして順に帰類して四竜を成しただけである。取義は実にあまりに粗浅である。まして四方の划分において、東・西の両方が何の故か皆多く占め、南・北の両方が何の故か皆少なく占めるのかを知らない。巳・丙はなぜ東に属して南に属さないのか。亥・壬はなぜ西に属して北に属さないのか。さらに山と水を各々本卦から出さないことを全篇の要旨とするなら、たとえば子・午・寅・申の四山では、右辺に残る字が幾つもなく、右辺にまだどの字で水を放てるか分からない。また巳・亥・丑・未の四山では、左辺にも一字しか残らず、万一水が左辺から偏って来たら、水を自分の懐に放つわけにもいくまい。なんと考えなしなことか。これより言えば、彼らのいう「亥山に水の東に流れるを見れば、代代三公を出す」というのは、実に妄言である。

其於五行,一龍何以愛金,金何以不於申、酉、庚、辛愛乎?二龍何以愛木,木何以不於甲、乙、寅、卯愛乎?三龍四龍之於水火,與其所謂本身屬土者,皆無義可推。且其支神與水火土亦不相關,而相反也。其曰“金位一龍家富貴,百子千孫位。二龍行來到木鄉,外保置田莊”等說,可謂誕矣。其三才六建之說,不知午與申、戌何以不納東來之水,酉與亥、未何以不納南來之朝乎?此三陽六秀所以為於一龍言之,而二三四龍之九才十八建者,卒亦不必究竟也。其曰“六建分明號六龍,名姓達天聰”者,可謂妄矣。

さらにその五行への配当を言えば、一竜はなぜ偏に金を愛するのか。金はなぜ申・酉・庚・辛の上で愛されないのか。二竜はなぜ偏に木を愛するのか。木はなぜ甲・乙・寅・卯の上で愛されないのか。三竜・四竜が水に配され火に配され、またいわゆる本身は土に属するという説も、推し求めるべき道理が見出せない。しかもその用いる地支は水・火・土とも毫も相干らず、甚だしきは相反する。「金位一竜の家は富貴にして百子千孫の位、二竜行きて木郷に到れば外に田荘を置く」といった類の言は、荒誕と言うべきである。その三才六建の説は、午と申・戌がなぜ東から来る水を収納できないのか、酉と亥・未がなぜ南から来る朝水を収納できないのかを知らない。これより見れば三陽六秀はただ一竜について講じたものに過ぎず、二竜・三竜・四竜の九才十八建については、結局深く究めるに及ばない。「六建分明にして六竜と号し、名姓は天聴に達す」と言うのは、妄語と言うべきである。

既以丑、卯山放子、辰水為兄克弟,子、辰山放丑、卯水為弟克兄,午山放子水為父克子,子山放午水為子克父,則四龍之分,申、戌不宜在前,丑、卯不宜在後。地支既隔一位於維,不宜遠近之不濟也。如廖公“艮山丁向水流癸,丁上尖峰對”之記,則正神零神之說自廢。知卜公“既有生成之龍,必有生成之穴”,不拘作單向雙朝之賦,則兼後兼前之說亦荒。此則其尤下者也。葢與宗廟等術相頡頏,明理君子,必不若是其拘且惑也。

丑・卯の山に子・辰の水を放つのを兄が弟を克すとし、子・辰の山に丑・卯の水を放つのを弟が兄を克すとし、午山に子水を放つのを父が子を克すとし、子山に午水を放つのを子が父を克すとする以上、四竜の划分に従えば申・戌は前に排すべきでなく、丑・卯も後ろに排すべきでないはずである。地支が四維と一位隔たっている以上、遠近不相称の毛病もあってはならないはずである。さらに廖公が記した「艮山丁向、水は癸に流れ、丁上に尖峰が対す」という一例を見れば、正神零神の説は自ずから廃れる。また卜応天の《雪心賦》が講じる「生成の竜あれば必ず生成の穴あり」は、単向か双朝かに拘泥しないのであり、兼前兼後の説もまた荒廃する。これは実に諸術の中でさらに等而下之のものである。宗廟の類の術と上下を争わないほどであり、事理を明らかにする君子は、必ずこのように拘執してその惑いを受けることはない。

星卦諸偽書の謬を論ず

《易》曰:“仰以觀於天文,俯以察於地理。”葢天文易知,故曰觀;地理難明,故曰察。且不徒曰地,而必曰理,明其理者,輙以仙稱,此豈庸俗之所易知易能者乎?故地理,理學也。古之明於此者,自周召而下,若漢之留侯、唐之亞父丘公、大理卿曾公、晉參軍郭公、宋處士陳圖南,及牧堂父子,國朝之劉誠意伯諸公,皆崇儒碩輔,及懐才抱德之隱君子。本自正學中來,故能窮天人之理,探造化之源。

《周易・繋辞》は言う。仰いで天文を観、俯して地理を察す。天文は知りやすいので「観」の字を用い、地理は明らかにしにくいので「察」の字を用いる。しかもただ「地」と言わず必ず「地理」と言う。この理を明らかにできる者は往々にして神仙と称されるのであり、どうして庸俗の輩の知りやすく為しやすいものであろうか。ゆえに地理は理を講じる学問である。古にこの学問に精通した者は、周公・召公以下、漢の留侯張良、唐の亜父丘延翰、大理卿曽文辿、晋の参軍郭璞、宋の処士陳摶、および蔡牧堂父子、本朝の誠意伯劉基諸氏であり、皆儒学を尊崇する重臣か、才徳を懐く隠逸の君子であった。彼らはもともと正学から出てきたので、天人の理を窮究し造化の本源を探ることができたのである。

近世儒者,視為末務,而不暇究。傳其術者,類多庸俗,邪正是非,懵莫之辨,惟拘所授而已。得楊氏之書者為楊,得曾氏之書者為曾。至於其書之眞偽純駁,悉無所知。訛謬相傳,而淫巫瞽史徧天下,紫以奪朱,牢不可破。魏仙翁所謂“先入之言為主,正道無由聞耳。”夫天下事有眞則有偽,有正斯有邪。使星卦果於陰陽理無所效靈,則升墟望楚者不必樹臬以揆日,而卜洛造周者,又何必藉土圭測景以相其陰陽乎?

近世の読書人はこれを末流の小事と見なし、研究する暇がない。この術を伝習する者は、大半が庸俗の輩で、邪正と是非を懵然として弁別せず、ただ師の授けたままを死守する。楊筠松の書を得れば自ら楊派と称し、曽文辿の書を得れば自ら曽派と称し、その書が真か偽か、純か雑かは全く知らない。誤りをもって誤りを伝え、そこで濫竽充数の巫師や盲目の史官が天下に遍く満ち、紫が朱の正色を奪い、牢として破れなくなった。これが魏伯陽のいう先入の言が主位を占めれば正道は聞く由もない、ということである。天下の事は真あれば偽あり、正あれば邪あり。もし星卦の説が陰陽の理に対して全く霊験がないなら、衛文公が墟に登って楚を望んだ時、標竿を立てて日影を測る必要はなかっただろうし、周公が洛邑に卜居して周室を営建した時、どうして土圭をもって日影を測りその陰陽を相看する必要があっただろうか。

《雪心賦》既云卦例之非矣,又何謂“布八方之八卦,審四勢之四維?”又曰“山分八卦”,又曰“八卦五行,必須參究。”凡此非故自相矛盾,要必有說耳。楊筠松之徒曾文迪,堪輿家宗丘也。文迪以《青囊經》授之陳摶。摶復釋注詳明,稱《天機書》以授吳克誠,傳之景鸞以及廖瑀、傳伯通諸人各有著述,發明青囊。時則有若賴文俊者其學亦出文迪,見《賴布衣本傳》,又著為《催官》之篇,與廖氏諸書若合符節,故世稱廖賴,兒童走卒皆知其為地理名家。今考其術,悉皆天星方位之說也。而顧以星卦為謬,何哉?

《雪心賦》は卦例が正しくないと言う以上、なぜまた八方の八卦を布列し四勢の四維を審察せよと言うのか。また山を八卦に分かつと言い、八卦五行は必ず参究せねばならぬと言う。これは彼が自ら矛盾するのではなく、その中に必ず別の説があるのである。楊筠松の弟子曽文辿は堪舆家の宗師である。曽文辿は《青囊経》を陳摶に伝え、陳摶はまた詳明な注解を作って《天機書》と称して呉克誠に伝え、さらに呉景鸞および廖瑀・傅伯通らに伝わり、各々著述をもって《青囊》を闡発した。当時また頼文俊がいた——原書の自注:彼の学問も曽文辿に出る、《頼布衣本伝》を見よ——また《催官篇》を著し、廖氏の諸書と符契のごとく合致するので、世人は併せて「廖頼」と称し、児童や走卒までも彼らが地理の名家であることを知っている。今その術を考察すれば、悉く天星方位の説である。ではなぜまた星卦が謬誤であると言うのか。

蓋陰陽家正學眞旨,術者靳秘不傳。好事者遂杜撰偽書,以至諸家星卦之文紛然競出而雜乎其間,亂眞眩正,不勝繁穢。宜乎君子之厭其鄙陋,而一切擯斥之耳。夫眾惡必察,理貴窮源,學者須以伏羲之河圖、堯之曆象、大禹之洛書、箕子之洪範、文王之後天、周公之土圭、召公之相宅、孔子之天地數,以至周子之太極圖,邵子之《皇極經世》、朱子之《風水議狀》、蔡氏父子之《發微旨要》、曆法律呂諸書,玩索其間,而各究其所以為陰陽之說,俾胸中有見,不為後世邪術所惑,然後取陰陽家之鳴世者,如陳摶所注之《青囊經》、張子房之《赤霆經》、郭景純之《葬經》、陶士衡之《捉脈賦》、卜氏之《雪心賦》、廖金精之《洩天機》、賴布衣之《催官篇》等書,一一有以辨其眞偽,分其純駁,而復征之以仙蹟名墓,則陰陽眞旨,自灼然不待辨而明矣。

もともと陰陽家の正学の真旨を、術士たちは惜しんで秘密として伝えようとせず、好事の徒がついに偽書を杜撰した。それで各家星卦の文字が紛々として湧き出てその間に混雑し、偽をもって真を乱り正道を眩惑し、煩雑蕪穢極まりない。君子がその鄙陋を悪み一概に摈斥するのも無理はない。しかし衆人の悪む所も必ず自ら考察せねばならず、道理を講ずるには本源を窮究するのを貴ぶ。学者は必ず伏羲の河図・堯の歴象・大禹の洛書・箕子の《洪範》・文王の後天卦・周公の土圭・召公の相宅・孔子の講じた天地之数、および周敦頤の《太極図》・邵雍の《皇極経世》・朱熹の《山陵議状》・蔡氏父子の《発微論》と《葬書旨要》、および歴法・律吕の諸書を取り、その中で反復して玩味し探索し、各々それがなぜこのように陰陽を講じるかを明らかにして、胸中に見識を具え、後世の邪術に惑わされないようにせねばならない。それから陰陽家の世に著われた書、たとえば陳摶が注した《青囊経》、張良の《赤霆経》、郭璞の《葬書》、陶侃の《捉脈賦》、卜応天の《雪心賦》、廖金精の《泄天機》、頼布衣の《催官篇》などを取り、一々その真偽を辨明しその純雑を分かち、さらに前代の名師が点じた名墓をもって験証すれば、それならば陰陽の真旨は自ずから明白であり、弁論を待たずして明らかになるのである。

鄭氏鑑曰:“地理之學,莫不為偽書所誤。作偽者多假先賢名字,托眞以信偽,此風水選擇渭然凡下,列於術數。殊不知精妙一出河洛、太極圖諸書之推驗,果可以術數目之也耶?”曾葛溪曰:“紫陽朱子,崇正學,黜異端,而獨於葬宅一事,以為古人不傳,宜從俗擇。然則地理者,豈非吾儒分內事乎?第其書之亂眞眩正,非得眞旨者,未易辨之。”我緣督翁曰:“得訣歸來好看書。”有味哉其言之也!

鄭鑑は言う。地理という学問は、偽書に誤られないものはない。偽を造る者は大半が先賢の名を假藉し、真の名を借りて偽説に信を取らせる。これが風水と選択の学を卑下なものに見せ、術数の一流に帰類させるのである。ところがその精妙な所は悉く河図洛書・《太極図》の諸書の推験から出ているのであり、どうして本当に「術数」の二字をもって見なせようか。曽葛渓は言う。朱熹は正学を尊崇し異端を排斥したが、ただ葬地と住宅の一事においてのみ、古人の成法は伝わっていないので習俗に依って選択すべきだと考えた。それならば地理はまさに我ら儒者の分内の事ではないか。ただあの書々が偽をもって真を乱り正道を眩惑するので、真旨を得た者でなければ分辨しにくい。我らが縁督真人は言う。口訣を得て帰ってから初めて書を読むのがよい。この言葉は実に味わい深い!

宗廟水法の謬を論ず

卜氏云:“宗廟之水法誤人,五行之山運有凖。”此論確也。何則?蓋宗廟即洪範五行,以甲寅辰巽戌坎辛申為水,艮震巳為木,離壬丙乙為火,兌丁干亥為金,丑癸坤庚未為土,乃顛倒五行之法。按吳國師仲祥進呈表,謂用之以審山音、推變運而已。故曰“五行之山運有凖”也。術家誤用以論水法則謬矣。

卜応天は言う。宗廟一派の水法は人を誤るが、五行をもって山運を推すのは准りがある。この言葉は確切である。なぜか。宗廟五行とは洪範五行であり、それは甲・寅・辰・巽・戌・坎・辛・申を水とし、艮・震・巳を木とし、離・壬・丙・乙を火とし、兌・丁・乾・亥を金とし、丑・癸・坤・庚・未を土とする、常規を転倒した一套の五行である。国師呉景鸞が朝廷に進呈した奏表によると、この五行はただ坐山の音属を審辨し変運を推算するためのものに過ぎない。だから卜応天は「五行の山運には准りがある」と言ったのである。術士たちが誤ってこれを取って水法を論じるのは、荒誕と言うべきである。

且其謬立九星相配之法,以五行之墓庫起,一位為破軍,次四位為祿存,次四為貪狼,次四為文曲,次四為武曲,次一為左輔,次一為巨門,次一為右弼,而最後之四為廉貞。並順左而旋,凡水之來,遇狼、巨、武、輔、弼之五者則為吉,而收水亦以之;遇祿、文、廉、破之四者則為凶,而放水亦以之。如甲山屬水,水墓在辰,辰即為破軍;巽巳丙午即祿存,丁未坤申即貪狼,庚酉辛戌即文曲,乾亥壬子即武曲,癸即左輔,丑即巨門,艮即右弼,寅甲卯乙即廉貞。

しかもそれは誤って一套の九星相配の法を立てている。本五行の墓庫の位から起算し、第一位を破軍とし、次の四位を禄存とし、さらに四位を貪狼とし、さらに四位を文曲とし、さらに四位を武曲とし、さらに一位を左輔とし、さらに一位を巨門とし、さらに一位を右輔とし、最後の四位を廉貞とし、皆左に順して回転して排してゆく。およそ水が流れ来るとき、貪狼・巨門・武曲・左輔・右弼の五星に遇えば吉とし、水を収めるのもこれに拠る。禄存・文曲・廉貞・破軍の四星に遇えば凶とし、水を放つのもこれに拠る。たとえば甲山は水に属し、水の墓庫は辰にあり、辰位はすなわち破軍である。巽・巳・丙・午はすなわち禄存、丁・未・坤・申はすなわち貪狼、庚・酉・辛・戌はすなわち文曲、乾・亥・壬・子はすなわち武曲、癸は左輔、丑は巨門、艮は右輔、寅・甲・卯・乙はすなわち廉貞である。

而其安排九星,亦且變亂。蓋其序本貪狼、祿、文、廉、武、破、輔、弼。今乃亂之,而乃破、祿、貪、文、武、左巨、右廉,其間多寡乃復不倫,抑又何據耶?蔡西山曰:“野俗之書,專論坐向水路之星辰。其星辰又取於北斗之九星,更無義理。”曾葛溪曰:“驗之仙蹟,亦多不合。大抵立言著述循理,而非狥人。彼升玄者,古稱術仙也。乃曰‘合八卦,依八卦下;合破卦,依破卦下;合陰陽,依陰陽下;合宗廟,依宗廟下。要須通變,不可執泥。’是何言哉!誠如其說,則風水者不過聽其遭遇,本無依據耳。是亦安用卦例為哉!”此其不足信也明矣。

しかもその九星を排列する次序も乱れている。九星本来の次序は貪狼・禄存・文曲・廉貞・武曲・破軍・左輔・右弼であるのに、今は破軍・禄存・貪狼・文曲・武曲・左輔・巨門・右輔・廉貞と打ち乱し、その間の每星が占める位数も多寡斉しくない。これにまた何の根拠があろうか。蔡元定は言う。郷野の粗俗な書は、専ら坐向と水路の上の星辰を講じ、しかもこれらの星辰は北斗九星から取られているので、さらに義理の言うべき所がない。曽葛渓は言う。前代の名師が点じた地をもって験証しても、大半は合わない。およそ言を立て書を著すには道理に遵循すべきであって、人情に迁就するものではない。あの升玄と号する者は、古に術中の神仙と称されたが、彼は言う。八卦に合すれば八卦に依って葬り、破卦に合すれば破卦に依って葬り、陰陽に合すれば陰陽に依って葬り、宗廟に合すれば宗廟に依って葬る。要するに権変に通じ、拘泥してはならない、と。これは何という言か。真に彼の言う通りなら、風水は単なる運任せで本来何の根拠もなく、それなら何のために卦例を用いるのか。宗廟水法が信ずるに足らないのは、明白である。

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