指掌を以て穴を定む
陶公《捉脈賦》云:“豈知掌穴爰分於左右,兩指則虎口為貴,中尊則倒處為奇。小指乃為富穴,無名枉費心機。”卜應天《雪心賦》云:“左掌右臂,緩急若氷炭之殊;食指無名,咫尺有云泥之異。”
陶公『捉脈賦』に曰く、焉んぞ知らん掌上の穴は仍ほ左右手に分かるるを。兩指の間は「虎口」を以て貴とし、居中にして尊きは指端の倒垂する處を以て奇とす。小指の那一處は富穴、無名指の那一處は則ち心機を白く費やす。卜應天『雪心賦』に曰く、左手の掌と右手の臂、緩急は冰と炭の如き懸殊あり。食指と無名指、咫尺を相隔つも雲泥の別あり。
楊公云:“仰掌要在掌中裡,左右挨排恐非是。”又云:“也曾見穴如側掌,卻與仰掌無兩樣。”又云:“有臂盤桓只象人,無臂手中分。第一點塩指根貴,大指根為最。”是皆以指掌定穴者也。洪悟齋復推演十二字杖訣,亦以指掌申明之,無非欲人易知其妙,如指諸掌耳。今以諸圖開示於後。
楊筠松曰く、仰掌形の穴は掌心の裏に點ずるを要し、左右挨り排ねるは恐らく皆對ならず。又曰く、亦嘗て形の側掌の如き穴を見たり、其實仰掌と幷び無きに兩樣ならず。又曰く、臂の盤繞し環抱するは即ち人形に按じて取り、臂無きは即ち「手」の中に就いて分かつ。第一に貴きは食指根、大拇指根は最上なり。これらの講る所は皆指掌を以て穴を定むるなり。洪悟齋は又十二字の倒杖口訣を推衍し出で、亦指掌を取りて申說す。無非れ人に其中の妙處を明白し易からしめ、自己の手掌を指して看るが如く清楚ならんと欲するのみ。今各幅の圖を後面に列示す。
凡不起兩臂,只作小坡鉗者,宜下虎口穴。頂得來脈者,不可太低,犯軟肉穴者,主絕。看龍勢從大指邊來,則下大貴穴,從點塩指邊來,則下大富穴。皆須有應樂方眞。
凡そ兩臂を起さず、只だ小坡・小鉗を作り成すは、宜しく「虎口穴」を點すべし。若し穴頂が來脈を承接して得住せば、即ち太だ低く點ずる可からず。「軟肉穴」を犯せば、絕嗣を主す。龍勢を看るに若し大拇指の那一邊より來れば、即ち「大貴穴」を點じ、食指の那一邊より來れば、即ち「大富穴」を點ず。兩者皆必ず照應の樂山有らば、纔に眞穴と算す。
右圖為仙宮,共七穴,四穴吉,三穴凶。《圓機歌》云“七個建星三個凶,左右仙宮一樣同”是也。球穴在大指、點塩指中,似虎口穴也,吉。大富穴在大指第一節,吉穴也。紅旗穴在第二指一節,吉穴也。曲池穴在第二指二節,吉穴也。絕穴在大指表頭,主絕,凶。掃蕩穴上無頂而下散,凶穴也。燥火穴上亦無頂而下尖,凶穴也。
右の圖に畫くは「仙宮」、共に七つの穴、四吉三凶なり。『圓機歌』に曰く「七つの建星の裏に三つの凶あり、左右兩隻の仙宮道理一樣」、正に此れを指す。穴を逐ひて分說す。球穴は大拇指と食指の間に在り、虎口穴に類似し、吉。大富穴は大拇指の第一節に在り、是れ吉穴。紅旗穴は第二指の第一節に在り、是れ吉穴。曲池穴は第二指の第二節に在り、亦是れ吉穴。絕穴は大拇指の指端表面に在り、絕嗣を主し、凶。掃蕩穴は上面に頂無くして下面渙散す、是れ凶穴。燥火穴は上面も亦頂無くして下面尖削す、同じく是れ凶穴。
大富穴要起頂端正,否則近絕穴易差,宜詳審焉。《詩》曰:“大富水迎先到山,東西宜有水迴環。更須節氣無欹側,切忌長流戶不關。”曲池穴要起頂,有後樂,小明堂平正水聚。怕元辰直。若元辰不聚而無關攔者,不可下。《詩》曰“餘氣迢迢到曲池,偏宜後樂障風吹。更防箭射元辰水,左右交流不可虧。
圖說續いて云く、大富穴は頂を起して端正なるを要す。否らざれば絕穴に挨近し、點し差へ易し、當に仔細に審辨すべし。詩に曰く、大富穴は水の先到の山に迎ふる有るを要し、東西兩邊は水の回環するに宜し。還た節節に氣脈偏斜せざるを須とし、切に忌むは水の長流して門戶關せざること。曲池穴は頂を起すを要し、背後に樂山あり、小明堂平正にして水聚攢し、最も怕るるは元辰水の直去なり。若し元辰水聚まらず又關攔無ければ、即ち點ず可からず。詩に曰く、餘氣迢迢一路曲池に到るも、偏に後樂の風吹を擋ぐを要す。更に隄防するは元辰水の箭の如く直射せんことを。左右交流の水一處も缺く可からず。
球穴在大指、點食指之間,似虎口穴也,最吉。《詩》曰“球中平穴貴周圓,水要灣環到面前。若也交流前直去,也須凶惡退牛田。”上無頂而下尖利者,謂之燥火穴,大凶,誤下主瘟火。
球穴は大拇指と食指の間に在り、虎口穴に類似し、最も吉。詩に曰く、球中の平穴は四周圓滿を貴び、水は彎環して面前に流るるを要す。若し是れ交流の後向前直去ならば、亦一樣に凶惡なり、田產・牛畜を退くを要す。上面に頂無くして下面尖利なるは、「燥火穴」と曰ふ、大凶なり。誤り點せば瘟疫と火災を主す。
上有頂而下凸散者,謂之掃蕩穴,誤下,主絕滅。上有頂而下圓者,謂之紅旗穴,大吉,主富貴。《詩》曰“紅旗燥蕩卻相憐,下穴猶宜著眼眞。更要天心明凸起,若還欹側總非神。
上面に頂有りて下面凸出し渙散するは、「掃蕩穴」と曰ふ、誤り點せば絕滅を主す。上面に頂有りて下面圓滿なるは、「紅旗穴」と曰ふ、大吉、富貴を主す。詩に曰く、紅旗と燥火・掃蕩の三者は形狀相憐れ相近し、混淆し易し。穴を下す時更に著實に看眞するを要す。還た天心の處に明白に凸起するを須とす。若し是れ歪斜傾側ならば、總じて歸ずる所眞にあらず。
燥火穴、掃蕩穴、紅旗穴,三者一體而分三格,吉凶天淵。燥、蕩欹側斜倒,而無端正體格,紅旗起頂吐唇,端正尊重,迥不同耳。
燥火穴・掃蕩穴・紅旗穴、三者は同一體より出でて三格に分かるも、吉凶卻て天淵の別あり。燥火と掃蕩は歪斜傾倒し、端正の體格無し。紅旗は則ち頂を起し脣を吐き、端正尊重す。兩者迥然として同じからず。
掌心之訣,乃是凹窠正中處立穴。亦有弦厚處,接得來脈者可點穴。則要兩邊應樂,及四山明堂合法。故云小指乃為富穴,大指根為貴穴。在山勢龍脈如何耳。
掌心の一訣は、凹窩の正中の處に穴を立つるなり。亦弦邊厚實にして來脈を接し得住する地に穴を點ずる有り。則ち兩邊に應樂の山有るを要し、四面の山と明堂も亦法度に合す。所以に曰く、小指の那一處は富穴、大拇指根の那一處は貴穴と。究竟何れの一處を取るかは、全く山勢・龍脈の如何を看るに在り。
卜公云:“尊指無名,咫尺有云泥之異。”正謂中指倒處,是掌心穴。其它指倒處,皆偏而不正,不可立穴。楊公所謂“仰掌要在掌心裡,左右挨排恐非是。”斯言懇到,殆無餘蘊矣。凡仙人獻掌形,必須如此究竟,則穴不悞也。
卜應天曰く、中指と無名指、咫尺を相隔つも雲泥の別あり。此れ正に中指の指端倒垂の處即ち掌心穴なるを說く。其他各指の指端倒垂の處は、皆偏して正ならず、穴を立つ可からず。楊筠松の所說「仰掌形の穴は掌心の裏に點ずるを要し、左右挨り排ねるは恐らく皆對ならず」、此の話は懇切到位に說き得たり、幾ほど剩義無し。凡そ「仙人獻掌」形は、必ず此の如く推究して底に到らば、穴纔に點し錯らざらん。
左仙宮。右仙宮。財山左抱右宮扦,氣脈行來在左邊。正折明堂之字水,長房葬後富連天。財山右抱左宮扦,或在當頭或在肩。明堂端正砂環繞,小房富貴百餘年。
此の兩幅の圖の圖題と題詩は如下、底本は文字のみ存し、圖形は已に佚す。左仙宮・右仙宮。財山が左邊より抱き來れば、即ち右宮に點す。氣脈は左邊より行り來るを以てなり。明堂裏の水は正に「之」の字形に折れ、長房は葬後富貴天に連ならん。財山が右邊より抱き來れば、即ち左宮に點し、あるいは當頭に點し、あるいは肩上に點す。明堂端正にして砂環繞して護れば、小房の富貴一百餘年に延ぶ可し。
夫仙宮穴,乃撲手第一義,為諸穴之祖。彭子宜山人云:“千穴萬穴,只有兩穴。兩穴之中,只有一穴。”蓋分而言之則為左右仙宮,總而言之只一仙宮穴。而千萬穴皆從此變出矣。
仙宮穴は「撲手」一訣の中の第一要義、各種穴法の祖と為す。彭子宜山人曰く、千穴萬穴、其實只だ兩個の穴のみ。兩個の穴の中、又只だ一個の穴のみ。分かちて說けば即ち左仙宮・右仙宮、合はせて說けば不過一個の仙宮穴のみ。千萬種の穴は皆它より變化して出づるなり。
左咬蝨。右咬蝨。凡單提穴、紐會穴、仙人咬蝨穴、弓腳穴,皆仙宮之變格。此一穴名仙人咬蝨穴,亦謂之紐會穴。左側掌。右側掌。側掌之穴,其中堂山水不聚,星體側於一邊,或借樂,或不必借樂,但看前朝與水城登對明白,下手有力為正。詩曰:一邊山水聚相迎,仙人側掌大分明。後來左右有長短,須要前朝案有情。
以下幾幅の圖の圖題と圖說、底本は文字のみ存し、圖形は已に佚す。左咬虱・右咬虱。凡そ單提穴・紐會穴・仙人咬虱穴・弓脚穴は、皆仙宮穴の變格に屬す。此の一穴の名は「仙人咬虱穴」と曰ひ、亦「紐會穴」と曰ふ。左側掌・右側掌。側掌の穴は、中明堂一帶の山水幷びに聚攢せず、星體は一邊に偏側し、あるいは樂山を借るを要し、あるいは借らざるを必ずしもせず。只だ前朝と水城の登對分明なるか否か、下手一邊の力有るか否かを看る。力有るのみ纔に正と算す。詩に曰く、一邊の山水聚攢して相迎へ、仙人側掌の形大いに分明なり。後面左右兩邊に長有り短有り、總じて前朝の案山の情有るを要す。
補義大凡穴前,未有元辰不去之理。只要有沙腳交結,左右攔截,使元辰水屈曲之玄則吉。立穴緊要,先須審此。若穴前有橫沙兜攔元辰,則結穴眞。緣督《瑣訣》云:“十個單提九個眞,十個仙宮九個貴”《賦》云:“外聳千重,不若眠弓一案。”皆謂穴前有橫沙攔收元辰,使氣脈融聚,或穴下有平田囊注之水,皆能關聚生氣。卜氏云“穴前忌見深坑”,又曰“穴下切忌漏槽”。皆謂其不能收固元辰矣。
補充申說。大凡穴前、元辰水の往外に流れずんばあらざるの道理無し。只だ砂脚の交結し左右攔截し、元辰水をして屈曲して「之」「玄」の形を成さしむる有れば、即ち吉なり。穴を立つる最も緊要なるは、先ず此の一點を審するなり。若し穴前に橫砂有りて兜み攔み元辰水を留めば、所結の穴即ち眞なり。趙緣督『瑣訣』に曰く、十個の單提穴は九個は眞、十個の仙宮穴は九個は貴なり。『雪心賦』に曰く、外に聳立する千重の山、一重の眠弓形の案山に抵れず。これらは皆穴前に橫砂有りて元辰水を攔收し、氣脈を融聚せしむるを說く。あるいは穴下に平田に囊袋の如く匯注する水有るも、亦能く關し住め聚めて生氣を止む。卜應天の說く「穴前は深坑を見るを忌む」、又曰く「穴下は切に漏槽を忌む」、講る所は皆此の兩者の元辰水を收め住めざるなり。
今人動言“入山尋水口”,殊不知水口是城門,眾家所共。先須要自家房屋緊固。如人住室,財寶俱在房奧之中,先須要中門緊密,再要一門、二門、大門,然後才要城門。故單提、仙宮之穴,皆切近於穴有關攔,如房奧之有中門緊密,而能藏珍寶也。
如今の人は動もすれば「山に入れば先ず水口を尋ねよ」と說くも、殊に知らず水口は一城の城門、衆家の共有なり。先ず自家の房屋の關する嚴緊なるを得ざれば可ならず。人の住宅に居るが如く、錢財・珍寶は皆内室の中に放り置き、先ず中門の關する密實なるを得、再び一門・二門・大門有るを要し、然る後纔に城門に輪到す。所以に單提穴・仙宮穴は皆穴場に貼近する地に關攔有りて、内室の外面に一道の緊密なる中門有るが如く、纔に珍寶を藏め住むるを得るなり。
遠く諸物に取るを以て穴を定む
自晉以前專論星,自唐以來專論形。然論星則胸中有主,論形使眾人皆知。雙湖謝氏云:“喝形本欲教初學,而初學懵於五星、頂脈、龍虎、分合之理,決不能因形知穴。明於風水者,則自能知穴,又不待求之物象之粗。”誠確論矣。但形象之法,亦有偶合者,不可盡廢,惟不可盡拘耳。
晉代以前は專ら星體を講じ、唐代以來は專ら形象を講ず。然れども星體を講ずれば、胸中自ら主見あり。形象を講ずれば、衆人皆能く聽懂す。雙湖謝氏曰く、喝形は本來初學の人を教ふるが為なり。然れども初學者は五星・頂脈・龍虎・分合の道理に未だ蒙昧にして清らかならず、決して形象に憑りて穴を認め出づる能はず。眞に風水を明白する人は、本來能く穴を認め、又粗淺の物象の上に求むるを用ゐず。此の話は確かに中肯なり。不過形象の法も亦偶然吻合の時有り、全く廢す可からず、只だ一味拘泥す可からざるのみ。
張子微一代偉人,所著《玉髓經》何其該博。只因論地專泥於形以點穴,遂不得與曾、楊、吳、廖分庭抗禮也。蓋形乃山之表,雖云形眞則穴眞,然虎與獅皃相似,雁與鳳皇何殊?苟泥於形,豈無認蚓為蛇、指鹿為馬者乎?是故山川則可以理會,不可以形拘,斯定論也。但可因穴喝形,不可因形泥穴。若逐形畫象,是又膠柱鼓瑟也,故特擯斥,不贅及之矣。
張子微は一代の偉人、所著の『玉髓經』何等か博洽なる。只だ地を論ずるに一味形象に拘泥して穴を點ずるを以て、能く曾文辿・楊筠松・吳景鸞・廖金精の幾位と分庭抗禮するを得ず。形象は不過山の外表、雖說形眞なれば則ち穴眞なりと、然れども老虎と獅子は模樣相似、大雁と鳳凰は又甚の分別かあらん。倘若形象を死摳せば、豈に蚯蚓を認めて蛇と作し、鹿を指して馬と曰はん人あらんや。所以に山川は道理を以て領會す可く、形象を以て框殺す可からず、此れ是れ定論なり。只だ穴に因りて形を喝する可く、形に因りて穴を拘殺す可からず。若し形象に照らし一々描畫せば、那は又膠柱鼓瑟と成らん。故に特に此の一路を摒棄し、再び贅述せず。
流星を以て穴を定む
楊公云:“我觀星辰在龍上,預定前頭穴形象。為鉗為乳或為坡,或險或夷或為掌。歷觀形穴無不然,大小隨形無兩樣。此是流星定穴法,不肯向人謾空誑。”愚按:此是龍之與穴,有自然應合之理。故《經》又云:“今人裁穴只論向,更不觀星後龍上。觀星裁穴始為眞,不論星辰是虛誑。”又云:“穴隨星降作鉗乳,形神大小隨龍宗。”
楊筠松曰く、我れ龍身の星辰を看れば、即ち豫め斷じて前頭の穴の形象を知る。是れ鉗か是れ乳か還た是れ坡か、是れ險か是れ平か還た是れ掌形か。歷來看過の形と穴と此の如くならざる無く、大小は形體に隨て定まり、幷びに兩樣無し。此れ即ち「流星定穴」の法、我れ空話を把りて人を騙さず。我が按ずるに、此れは龍と穴の間に自然應合の道理有るを說く。所以に『經』又曰く、今人穴位を裁定するに只だ朝向を論じ、再び背後の龍身に到りて星辰を看ず。星を觀て而る後穴を裁すのみ纔に眞と算し、星辰を論ぜざるは皆虚妄なり。又曰く、穴は星に隨て降り下り、鉗形・乳形を作り成す。形神の大小は、皆龍の宗祖に隨て定まる。
所謂望龍知穴,見穴識龍,本相符合,非有神異。亦猶審出脈、過峽而知前去結穴之法,其理一也。大旨要在觀詧龍身星體,方知前面結穴之的。但眞龍千變萬化,態度不常,寧可步龍審穴,而不在望龍定穴之巧也。為地師者,不可逞異以行怪。而求地之家,尤不可輕信以自惑。茲特揭其名以辨之,而不復贅其詳矣。
所謂龍を望めば即ち穴を知り、穴を見れば即ち龍を認むるは、本是れ彼此相符し、幷びに神異無し。亦出脈・過峽を審看すれば能く前面結穴の方法を推知するが如く、道理は一樣なり。大旨は龍身の星體を觀察して、纔に前面結穴の準處を知るに在り。但し眞龍は千變萬化、姿態常無し。寧ろ一步步龍脈を踏みて穴を審し、望龍定穴の巧妙を逞しうせざるを宜とす。地師を作るは奇を炫ひ異を立つ可からず。地を求むる人家は、尤其も輕信して自ら迷惑に陷る可からず。此處特に此の名目を標出し辨明を加ふ、再び詳述せず。
八卦を以て穴を定む
觀物翁曰:“察來山之形勢,水神之曲直。若龍虎有情,賓主相應,件件合法,然後察脈點穴。點穴既定,然後定向。方向既定,然後證之以天星法度即八卦方位之訣也。按《洩天機》云:“四象既定,當分八卦。先於穴星分水脊上下盤針,定脈從何方來。次於暈心標下下盤針,定脈從何方去。又於明堂中下盤針,定水從何方來,何方去。
觀物翁曰く、先ず來山の形勢・水神の曲直を察看し、若し青龍・白虎情有り、賓山・主山相應し、樣樣法度に合せば、然る後再び脈を察し穴を點ず。穴既に點定し、然る後向を定む。方向既に定まり、然る後天星の法度を把りて印證せしむ。此れ即ち八卦方位の口訣なり。按、『泄天機』に曰く、四象既に定下せば、即ち八卦を分かつべし。先ず穴星分水の脊の上に羅盤の針を放下し、脈の何れの方位より來るかを測定す。其次圓暈中心の標杆の下に羅盤針を放下し、脈の何れの方位に往くかを測定す。再び明堂の中間に羅盤針を放下し、水の何れの方位より來り何れの方位に往くかを測定す。
如陽脈得陽向,陽水來,陽水去;陰脈得陰向,陰水來,陰水去,謂之陰陽純粹,大吉。若陽脈見陰水來去,或扦陰向;陰脈見陽水來去,或扦陽向,謂之陰陽駁雜,大凶。向吉水凶,先吉後凶;向凶水吉,先凶後吉。此八卦定穴綱領也。
如果陽脈が陽向に配し、來水・去水も皆陽に屬し、陰脈が陰向に配し、來水・去水も皆陰に屬すれば、此れを「陰陽純粹」と曰ふ、大吉なり。若し陽脈に卻て陰水の來去に遇ひ、あるいは陰向を立つるか、陰脈に卻て陽水の來去に遇ひ、あるいは陽向を立つるは、此れを「陰陽駁雜」と曰ふ、大凶なり。向吉にして水凶なるは、先吉後凶。向凶にして水吉なるは、先凶後吉。此れ即ち八卦定穴の綱領なり。
按:向與水如不合,而形勢、龍穴、沙水、堂氣自吉,則穴內用控制之法,所謂“卦向穴中作”也。大抵向水駁雜者,雖是禍福相雜,然不害富貴。轉凶為吉,全在葬法合矩耳。八卦統干支,所屬方位、陰陽見坤冊。
按。假如向と水と配せず、而して形勢・龍穴・砂水・明堂の氣本身皆吉ならば、即ち穴內に「控制」の法を用ゐて調停せしむ。即ち所謂「卦向は穴中に作る」なり。大體上向と水と駁雜するは、雖然禍福夾雜すれども、富貴を妨げず。能く凶を轉じて吉と為すや否やは、全く葬法の規矩に合するや否やを看る。八卦は天干・地支を統轄し、它らの屬する方位と陰陽は、本書の坤冊に見ゆ。
重刊人子須知資孝地理心學統宗卷四之下
江右山人徐善繼述 同著。此冊續論穴忌。夫五患、五要、五不塟、六戒、十不相、三十六怕等訣,及三十六絶、十般無脈等凶,皆穴之所忌,不可不詧者。採而輯之,俾知所慎雲。
江右山人徐善繼撰述、其の弟徐善述と共同編著す。此の一冊は接ぎて穴の忌諱を講ず。所謂五患・五要・五不葬・六戒・十不相・三十六怕の口訣、及び三十六絕・十般無脈等の凶忌は、皆穴場の當に忌避すべく、細察せざる可からざるなり。因りて采集し彙編して此處に在り、人に謹慎すべき處を知らしめんと好す。
程子曰:“擇地先須避五患。須使他日不為道路,不為城郭,不為溝池,也不為貴勢所奪,不為耕犁所及。”又曰:五患者,溝渠、道路、避村落、遠井窯。
程頤曰く、墓地を選ぶに先ず「五患」を避くるを要し、必ず它の日後道路と變ぜず、城郭と變ぜず、溝渠・池塘と變ぜず、權勢有る人に奪ひ去られず、耕犂に翻されざるを保證すべし。又曰く、五患は即ち溝渠・道路、村落を避け、水井と磚瓦窯を遠ざくるなり。
按程子《語錄》云:“卜其宅兆者,卜其地之美惡也,非陰陽家所謂禍福者也。地之美者,則神靈出,子孫盛。若培壅其根而枝葉茂,理固然也。地之惡者則反是。”然則曷謂地之美者?土色之光潤,草木之茂盛,乃其驗也。父祖子孫同氣,彼安則此安,彼危則此危,亦其理也。若不以奉先為計,而專以利後為慮,尤非孝子安厝之用心也。惟五患者,不得不謹。
按。程頤『語錄』に曰く、所謂「其の宅兆を卜す」は、此の地の美惡を卜す、幷びに陰陽家の講ずる那の禍福の套にあらず。地美なれば、神靈即ち安んじて子孫興盛す。樹根に土を培ひ壅き肥やすが如く、枝葉自ら茂盛す、道理本來此の如し。地惡なれば、情形即ち相反す。然らば怎樣にして纔に地美と算すか。土色光潤・草木茂盛、即ち其の驗證なり。父祖と子孫とは同一氣脈、彼の邊安ければ即ち此の邊安し、彼の邊危ければ即ち此の邊危し、此れ亦常理なり。若し先人を奉養するを心上に放らず、專門に怎樣にして後代に利有らんを盤算せば、那は尤其も孝子の親を安葬する用心にあらず。只だ此の五患は、謹慎せざるを得ざるなり。
朱子曰:“凡擇地,必先論其主勢之強弱,風氣之聚散,水土之淺深,穴道之偏正,力量全否。”又曰:“其或擇之不精,地之不吉,則必有水泉、螻蟻、地風之屬以賊其內,使其形神不安。而子孫亦有死亡絕滅之憂,甚可畏也。
朱熹曰く、凡そ地を選ぶに、必先ず其の主山氣勢の強弱・風と氣の聚散・水土の深淺・穴道の偏正、及び力量の完全なるか否かを論ず。又曰く、如果選ぶ精からず、地又吉ならざれば、然らば必ず泉水・螻蟻・地風の類の物有りて裏面に害を為し、亡者の形神を安からざらしむ。而して子孫も亦死亡・絕滅の憂有り、甚だ可怕なり。
其或雖得吉地,而葬之不厚,藏之不深,則兵戈亂離之際,無不遭罹發掘暴露之變,此又其所慮大者也。”又曰:“穿鑿已多之處,地氣已洩,雖有吉地,亦無全力。而祖瑩之側,數興土工,以致驚動,亦能挻災。”
又曰く、假如雖吉地を得たりとも、下葬厚實ならず、埋藏の深さ足らざれば、然らば一旦兵戈・喪亂に遇はば、發掘・屍骨暴露の變に遭遇せざる無し。此れ又是れ更に憂へるに值する大事なり。又曰く、已に人に穿鑿せられて甚だ多き地は、地氣早く就きて泄れたり。縱然是れ吉地なるも、亦完全の力量無し。而して祖墳の旁邊に屢次土を動かし施工し、以致りて地氣を驚動せば、同じく能く災禍を招來す。
丘文壯公曰:“風水之說,雖不可信,若夫乘生氣以安祖考之遺體,蓋有合於伊川本根枝葉之論,先儒往往取之。文公先生與蔡季通預卜藏穴,門人裹糗行紼,六日始至,蓋亦慎擇也。朱子論擇地,謂必先論其主勢之強弱,得風氣之聚散,水土之淺深,穴道之偏正,力量之全否,然後可以較其地之美惡。後之擇葬地者,誠本朱子是說,而叅以伊川光潤、茂盛之驗,及五患之防可也。”
丘文壯公曰く、風水の說は雖然盡く信ず可からざれども、生氣を乘りて祖先の遺體を安頓せんを說くは、此れ卻て程頤の「根本と枝葉」の議論と相合す。前代儒者往往採納す。朱文公先生と蔡季通とは豫め墓穴を卜定し、門人は乾糧を帶び引紼を執り、六日を走りて纔に到れり。他も亦是れ慎重挑選なるを見るべし。朱子の選地を論ずるに、必先ず主山氣勢の強弱・風と氣の聚散・水土の深淺・穴道の偏正・力量の完全なるか否かを論じ、然る後纔に能く此の地の美惡を比較すと曰ふ。後人の葬地を選ぶに、果眞に朱子此の番の話を以て根本と為し、再び程頤の所說の土色光潤・草木茂盛の驗證、及び五患に對する防範を參照せば、亦而已まる。
郭景純《葬書》云山之不可葬者五:“氣以生和,而童山不可葬也。”洪氏理曰:“不生草木,謂之無衣,曰童。程子以土色光潤,草木茂盛為地之美者。”
郭璞『葬書』に曰く、山に五種の葬る可からざる有り。第一、氣は生機に靠りて調和するを要す。故に寸草も生ぜざる「童山」は葬る可からず。洪氏の解釋に曰く、草木を長ぜざるは、衣服無きに等し、即ち「童」と曰ふ。程頤は正に土色光潤・草木茂盛を把りて地美の標準と作るなり。
“氣因形來,斷山不可葬也。”洪氏曰:“若崩陷鑿斷,氣脈不續者,不可葬也。”《秘要》曰:“一息不來身是殼。”正此謂也。卻亦與自然脫斷者不同。山行有斷,脈不斷則吉耳。
第二、氣は形體に隨て而來す。故に斷裂の山は葬る可からず。洪氏曰く、如果崩塌・陷落・鑿斷せられ、氣脈接がざれば、即ち葬る可からず。『祕要』に曰く、一口氣接不上來れば、此の身子即ち一具の空殼と成る。正に此の意思なり。不過此れは山の自然脫斷の情形と又同じからず。山の形體雖斷處有れども、只だ脈斷えざれば、仍ほ是れ吉なり。
“氣因土行,而石山不可葬也。”洪氏曰:“溫潤顏色鮮明者,吉也。”又有奇異地,隱於石間而有土穴者,又有鑿開頑石,下有土穴者,又皆吉地,不以此拘。惟焦壇、麻黑、青板,錐鑿不入,頑硬之石,不可葬也。
第三、氣は土に順て而行す。故に純石の山は葬る可からず。洪氏曰く、石頭溫潤にして顏色鮮明なるは、是れ吉なり。另外又奇異の地有り、穴は石頭の間に隱れて實に土穴為る。亦頑石を鑿開き、底下は土穴為る有り。これらは皆吉地と算し、此の一條の拘束を受けず。只だ那種燒焦たる壇・麻黑色・青石板の如く、錐子鑿りて入らざる頑硬の石のみ、纔に葬る可からず。
“氣以勢止,而過山不可葬也。”洪氏曰:“氣因勢而止,穴因形而結。若其勢竟去不住,曰過龍。兩邊插橈棹,似龍虎,昧者誤下。又有腰結及斬關穴不同者。”楊公云:“好地多從腰裡落,迴轉餘枝作城廓。”非過也。何以辨之?曰有穴。
第四、氣は山勢に隨て止住す。故に「過山」は葬る可からず。洪氏曰く、氣は勢に因りて止み、穴は形に因りて結ぶ。若し山勢一路奔り去りて停住するを肯ぜざれば、即ち「過龍」と曰ふ。它の兩邊に橈棹の枝を插出し、看るに龍虎に似たり、昏昧の人便ち誤りて那裏に葬る。不過另有「腰結」と「斬關穴」、情形此れと同じからず。楊筠松曰く、好地は多く山腰の裏より落下し、回轉の餘枝城郭を作り成す。那は則ち「過」と算せず。怎麼分辨すか。答へて曰く、它の穴有るや無きやを看る。
“氣以龍會,而獨山不可葬也。”支龍行度,兄弟同宗,雌雄並出。及其止也,城郭完密,眾山會集,方成形穴。今則單山孤露無情,故不可葬。
第五、氣は衆龍の聚會に靠るを要す。故に孤單一座の山は葬る可からず。支龍の行走する時、兄弟同宗・雌雄幷出の如し。它の止住するに到りて、城郭完密・衆山會聚し、纔に形と穴を結成す。眼下若し只だ單山孤零零として暴露し、毫も情意無ければ、故に葬る可からず。
卻有等支龍,不生手足,一起一伏,金木行度,一路平陽,兩邊以水為衛送,為養蔭。及其止也,雌雄交會,大江或朝或橫,外陽遠案,在乎縹緲之間。縱有陰砂,僅高數寸而已。此又不可以孤露而棄之。何也?蓋得水為上,藏風次之,所以貴也。
不過另有一種の支龍、兩旁に手足・枝脚を生ぜず、一起一伏、金星・木星の形態に按じて行走し、一路平陽の地を走り、兩邊水に靠りて護送され水に靠りて滋養さる。它の止住するに到りて、雌雄交會し、大江あるいは朝來しあるいは橫過し、外明堂の遠案は縹緲の間に隱約として見ゆ。縱有りて內側の陰砂も、亦不過高出幾寸のみ。此の一種は則ち它の孤露を以て丟棄す可からず。為甚麼か。水を得るは第一等、風を藏むる纔に第二等を以てなり。故に它照樣貴重なり。
又穴有五要,葬有六凶。葬其所會,乘其所來,審其所廢,擇其所相,避其所害。陰陽交錯為一凶,歲時之乖為二凶,力小圖大為三凶,憑福恃勢為四凶,替上逼下為五凶,變應怪見為六凶。
另外、穴に五個の要點有り、葬に六種の凶忌有り。五要是れ、氣の會聚する處に葬り、氣の來る方向に乘り、何れが廢棄無氣なるかを審察し、彼此相輔相成するを選擇し、妨害を造成するを避開す。六凶是れ、陰陽交錯するを第一凶と為し、年月日時相違するを第二凶と為し、力量小にして圖謀大なるを第三凶と為し、福分と權勢に仗りて蠻幹するを第四凶と為し、尊長を代替し卑下を逼壓するを第五凶と為し、反常怪異の徵應出現するを第六凶と為す。
又穴有三吉:天光下臨,地德上載,藏神合朔,神迎鬼避一吉也洪氏曰:“天有一星,地有一穴。天星地形,上下相應。”張燕公曰:神謂人之神魂。合朔謂歲月日時也。謂藏神合夫吉朔也。神迎鬼避,亦年月得吉之義。
另外穴に還た三吉有り。第一吉是れ、天光自ら上より照臨し、地德自ら下より承載し、神を藏め朔に合し、吉神來迎へ凶鬼退避す。洪氏の解釋に曰く、天上に一顆の星有れば、地上に一個の穴有り。天星と地形上下相應す。張燕公曰く、此處の「神」は人の神魂を指し、「合朔」は年月日時を指す。意思は亡者の神魂を安頓するに吉利の時日に合上するを要す。「神迎へ鬼避く」も、亦是れ年月の吉利を擇び得る意思なり。
陰陽沖和,五士四備,二吉也孤陽不生,獨陰不成。二五感合,乃能沖和。乃剛柔相濟之處,是為吉穴。《中庸》曰:“致中和,天地位焉,萬物育焉。”其斯之謂與?五土四備,黑不與。紅黃為上也。
第二吉是れ、陰陽沖和、五色の土其の四を具備す。解說是れ、孤陽は生ず能はず、獨陰は成る能はず。陰陽二氣と五行と相感じ相合し、纔に能く沖和す。此れ正に剛柔相濟の處、即ち吉穴なり。『中庸』に曰く、中和を致せば、天地便ち各その位を安んじ、萬物便ち生養を得るに及ぶ。說く所大概即ち此れか。所謂五土其の四を備ふるは、黑土は算入せず、紅色・黃色の土を以て上等と為すを說く。
目力之巧,工力之具,趍全避缺,增高益下,三吉也目力巧而能趍全避缺,工力具則能增高益下,是故裁成輔相在人。大凡作用之法,隨宜料理,千變萬化,本無定式,全在心目靈巧而相度之。蔡牧堂所謂“善者盡其當然,而不害其為自然;不善者泥乎自然,而卒不知其所當然。”道不虛行,存乎人耳。
第三吉是れ、眼力精巧・人工齊備、完整に趨向し殘缺を避開し、該當增高するは增高し該當墊低するは墊低す。解說是れ、眼力巧なるのみ纔に能く全に趨き缺を避く。人工備はるのみ纔に能く高を增し下を益す。故に裁剪成就・輔助調理、全く人為に在り。大凡施工の辦法、皆宜に隨て料理し、千變萬化、本來固定格式無し。全く心思と眼力の靈巧なるに靠りて相度するを頼る。蔡牧堂の所說「高明の人は人事上該當做るを做り盡くすも、卻て妨げず它仍ほ自然なり。不高明の人は自然を死守し、最終に人事上何を做るべきかを懂得せず」、正に此の意なり。道は空に憑りて自行せず、全く人の實踐を看るのみ。
楊公三不葬:一曰有龍無穴不葬,二曰有穴無人不葬無德之人,三曰有人無時不葬年月未利。厲伯韶四不下:無穴不下,無德不下,無福不下,無期不下。
楊筠松に「三不葬」有り。第一、龍脈有りて眞穴無きは葬らず。第二、穴有りて合適の人無きは葬らず。指す所是れ無德の人。第三、人有りて合適の時無きは葬らず。指す所是れ年月不利。厲伯韶に「四不下」有り。穴無ければ下葬せず、德無ければ下葬せず、福無ければ下葬せず、吉期に到らざれば下葬せず。
陳希夷先生四要:要龍眞,要穴正,要葬善,要時宜。按:希夷先生為種仿扦一地葬母,在豹林谷。既定穴,時未利,約以期。至期,先生未至,種遂葬。窀穸畢,先生至,嘆曰:“此地當出數代宰執,惜葬法未善,但出數將而已。”果復出种世衡、种諤等數人,為將有聲。見朱子所著《宋代名臣言行錄種仿傳》。此見葬法矩度,不可有失。而扦穴之妙,誠難矣哉!
陳摶希夷先生に「四要」有り。要す龍眞、要す穴正、要す葬り得て法を得、要す時日相宜。按。希夷先生嘗て種放の為に豹林谷に一塊の地を點じて母を葬らしめたり。穴既に定下し、時辰還た利ならず、便ち一個の日期を約定す。那の日に到りて先生趕き到らず、種放即ち自行して下葬せり。墓穴封じ完れば、先生纔に到り、歎じて曰く、此の地本來數代の宰相・執政を出すべきも、可惜葬法做好せず、只だ能く幾員の武將を出すのみ。後來果然種世衡・種諤等の好幾個を出で、將領を為りて甚だ聲名有り。此の事は朱熹所著の『宋代名臣言行錄・種放傳』に見ゆ。此れに由りて見るに葬法の規矩尺度は閃失有る能はざる、而して點穴の妙は、實在に難きなり。
廖金精六戒:第一莫下去水地,立見敗家計;第二休尋劍脊龍,殺師在其中;第三最忌凹風穴,決定人丁絕;第四尤嫌無案山,衣食必艱難;第五生怕明堂跌,決是破家業;第六偏憎龍虎飛,人口主分離。
廖金精に「六戒」有り。第一、水の流走する地に葬る勿れ、立刻就きて家業敗落を見ん。第二、劍脊の一樣の龍を找す勿れ、殺師の禍即ち裏頭に在り。第三、最も忌む凹風に吹著せらるる穴、一定人丁斷絕す。第四、尤其も嫌ふ案山無き、衣食必定艱難す。第五、最も怕る明堂の往下に跌落する、一定家業を破掉す。第六、特別討厭する龍虎砂の向外に飛走する、家中人口分離せんと要す。
