Libo

巒頭と天星

明 · 徐善继、徐善述 · 第44巻 / 56

作盤ガイド: 玄空飛星の作盤, 暦注(黄暦)

夫地理之傳,一而已矣。何學者之偏執也!學賴氏者主天星,而以形勢為粗跡,往往龍勢未審,輙挾羅經,累步逐節,以為方位辨。不知天星之方位,祇為穴間乘氣消納之矩,而來龍行度,何若是之拘乎?拘則動須掣肘,而彼活潑逶迤之龍脈,又安足取乎?讀斷龍詩者,又或以方位為渺茫,曰“下地不須憑卦例,登山不用帶羅經”,劉氏豈欺我哉!以故乘氣乖舛,而福祉翻成禍基。此皆一偏之見,非通學也。

地理の学の伝承はもともと一つの系統しかないのに、学ぶ人はなぜ各々一偏に執するのか。頼布衣の一派を学ぶ者は天星を主張し、形勢を粗迹と見なして、往々にして龍勢さえ審かにしないまま羅盤を取り上げ、一歩一歩節ごとに丈量して方位を辨えているつもりでいる。彼らは、天星の方位は穴場の上で乘氣消納するための一つの尺にすぎないことを知らない。來龍の行度をどうしてこのように拘泥できようか。一たび拘泥すれば、動けば手を掣かれ足を絆され、あの活潑に蜿蜓する龍脈をどうして捉えられよう。一方、《斷龍詩》を読む人の中にはまた、方位を渺茫として憑るべきものなしと見なし、下地するに卦例に憑る必要はなく、登山するに羅盤を携える必要もないと言い、さらに劉氏がどうして我を欺こうかなどと言う。このため乘氣は乖錯し、本来来るべき福がかえって禍の根基となる。これらは皆一辺に偏する見識であって、通達した学問ではない。

夫形勢誠粗跡矣,而不先其跡,則脈絡何由而驗?方位雖渺茫矣,而陰陽五行,爐冶天地,其說豈妄誕而不經?況乎尺寸之內,移易之間,有吉有凶,有休有咎,可恁作一死局爾耶?故學者必知吾道之中,而後可與言形勢;亦必知吾道之和,而後可與言方位。蓋不偏不倚固為中,亦須正行不泥,旁行不流,乃能妙於中。如望勢尋龍,既欲其中矣,而又欲尋方位以為中,不將執之為子莫之中耶?

形勢は固より粗迹であるが、しかしまずこれらの痕跡から入らなければ、脈絡を何をもって検証しよう。方位は渺茫としているが、陰陽五行は天地を鎔鑄するものであり、この説がどうして荒誕不經であろうか。まして尺寸の間、わずかに移動する際にも吉あり凶あり、福あり咎ありなのを、どうして一つの固定的な定局とすることができよう。だから学ぶ者は、必ず先ず我らのこの道における「中」を悟り、その後であればこそ彼と形勢を語ることができる。また必ずその中の「和」を悟り、その後であればこそ彼と方位を語ることができる。いわゆる不偏不倚は固より中であるが、さらに正しく行って拘泥せず、傍らに行って流蕩しないことが要されてこそ、「中」を巧妙に用いることができる。たとえば山勢を望んで龍を尋ねるに、中を求める必要がありながら、また方位の上に別に一つの中を求めるなら、それはあの子莫のように中間を死守する「執中」となってしまわないか。

迨其靈光發越之處,可以斟酌其意向,斡旋其氣機,而又不直遂,不嬌揉,隨勢觀理,而無少差謬。若卜氏所謂“正穴眞形,自然默合”者,則中節之和也。中和本一理,而謂形勢方位有不相須者乎?是中也者,地理之大本;和也者,地理之妙用。吾未聞體用而可析之為二者也。予兄弟早年周遊四方,歷覽古格,見賴氏主天星,而所為未嘗失形勝;劉氏黜羅經,而所為未嘗遺方向。各從其體用之妙,而洞悉其默合之機,故一以形勢得方位,一以方位定形勢,非若俗學之各一其藩籬也。不侫故發之,俾毋為偏見所惑雲。

靈光発越の処が顕現するに至れば、その意向を斟酌しその氣機を斡旋すればよい。一味に直衝して下ることなく、また矯揉造作することなく、形勢に随って道理を見れば、半點の差錯もない。卜應天の言う「正穴真形、自然に默合」は、それが恰もよく適合する「和」である。中と和とはもともと一つの道理であり、どうして形勢と方位が互いに相関しないと言えよう。「中」は地理の大本であり、「和」は地理の妙用である。體と用とが割裂して両断となるとは、私は聞いたことがない。我ら兄弟は早年に四方を周游し、古人の残した格局を遍く観覧し、頼布衣が天星を主張したが彼の手がけたことはかつて形勝を失わず、劉氏は羅盤を排斥したが彼の手がけたこともかつて方向を欠いたことがない。彼らは各々體用の妙に随い、両者が暗合する機竅を透徹に把握した。だから一人は形勢の中から方位を導き、一人は方位を用いて形勢を定め、俗学のように各々一重の藩籬を築くのとは違う。私はこれによってこの道理を掲げ出し、人をして偏見に惑わされないようにしようとしたのである。

正針と縫針

地理之用,莫切於羅經。公劉遷豳面相陰陽,周公營洛而測景,衛文徙楚丘而揆日,此其矩矣。故《詩》曰“揆之以日”,又曰“既景乃岡”。其法以春分之日,立八尺之臬,以測其日出之景,表而正乎東;秋分之日,立八尺之臬,以測其日入之景,表而正乎西。至於南北,折量中平,架以十字之繩,准以方矩之尺,則東西南北四正適均。言天地大中至正之位者,莫是過矣。

地理の実用において、羅盤より切要なものはない。公劉が豳の地に遷ったときに向陽・背陰を相看し、周公が洛邑を営建したときに日影を測量し、衛文公が楚丘に遷ったときに日影をもって方位を定めた、これが羅盤の法度の淵源である。だから《詩經》は「これを日をもって揆す」と言い、また「景既にして乃ち岡」と言う。その法は、春分の日に八尺の高さの表杆を立て、日出の時の影を測り、これに拠って正東を定め、秋分の日に八尺の高さの表杆を立て、日入の時の影を測り、これに拠って正西を定める。南北に至っては、折衷して平分の処を量り取り、十字形の縄を架し、方矩の尺を用いて校准すれば、東西南北の四つの正位は均斉して差がない。天地間の大中至正の方位を言うに、これより正確なものはない。

然此須歷四時而後定。聖人以為不便夫民用,於是制土圭以代之,即今之羅經也。宜乎後之言羅經者,準之臬可也。奈何針所指,較於臬而偏丙,不相符合。是聖人又變而通之,立內外二盤,以針所指當子午之正,因名之曰正針;臬所測當壬子丙午兩縫之間,因名之曰縫針。此所以有內盤、外盤、正針、縫針之不同耳。後世不知聖人制作之原,擬議於測,而又有金盤、銅盤,三七、二八,以至天盤、地盤之說,紛然雜出而莫之適從矣。

しかしこの法は、必ず春秋四時を経て定まる。聖人はこれでは百姓が使うのに不便だと考え、ここに土圭を制作してこれに代えた。それが今日の羅盤である。理の上で言えば、後の世の人が羅盤を論ずるには、表杆の測る所を拠り所とすべきである。ところがどうしようもなく、磁針の指す所は表杆に比べて丙の方に偏し、両者が合わない。そこで聖人はまた変通して処理し、内外の二つの盤を立てた。磁針の指す所を子午の正位とし、故に「正針」と言い、表杆の測る所を壬子と丙午の二つの縫の間に定め、故に「縫針」と言う。これが内盤・外盤・正針・縫針の異なる所以の縁由である。後世の人は聖人制作の本原を知らず、憑空に推測して議論し、そこにまた金盤・銅盤、三七・二八、さらには天盤・地盤などの説が紛紛として雑出し、人をして従うべき所を失わしめた。

要之,針法之多門,寔由正、縫之弗辨也。今夫主正針者,以正為正,而曰“何有壬子丙午之偏?”主縫針者但知縫針之可用,而卒不能屈夫正針之說。此二家之所以爭勝也。至為調停之說者,曰用正針以格來龍,用縫針以扦坐向,用三七、二八以消納砂水。其詩曰:“先將子午定來岡,次把中針來較量。更加三七與二八,莫與時師競短長。”此曲誑四針之巧而已,針何異用於是耶!

要するに、針法が多くの門派に分かれた所以は、実に正針と縫針とが辨明されなかったためである。正針を主張する人は、「正」を以て正とし、壬子丙午に偏する道理などあろうかと言い、縫針を主張する人は、ただ縫針が使えることを知るのみで、とうとう正針一派の説を駁倒できない。これが両家が優劣を争う縁故である。丸く収めようとする人に至っては、正針を用いて來龍を格量し、縫針を用いて坐向を扦定し、三七・二八を用いて砂水を消納すると言い、さらに詩を作って言うには、まず子午を用いて來岡を定め、次に中針を取って較量し、三七と二八を加えれば、術士と長短を争うに及ばない、と。これは曲がりくねって四種の針法を以て巧妙を誇示するにすぎない。針の用法に、本当にこれほど多くの違いがあろうか。

外此復有所謂測天用正針,測地用縫針;格龍穴以內盤,定砂水以外盤之說。不知地附於天,而所測不能以有異。龍穴砂水俱一理,而方位何以有內外之殊?此皆牽強,而非至當不易之論也。茍非究極其理,經涉之久,磨礪之多,而徒得於驟聞之頃,豈能以遽信縫針之為是哉!蓋天之氣與地之氣常略參差,故南北之位,陰陽之會,不能恰然齊一。是以針之所指,與臬之所測,亦有異也。

このほか、またいわゆる天を測るには正針を用い、地を測るには縫針を用い、龍穴を格量するには内盤を用い、砂水を判定するには外盤を用いるという説がある。彼らは、地は天に附着するものであって、測定の結果が二つあってはならないことを知らない。龍・穴・砂・水はもともと同一の道理であり、方位にどうして内盤・外盤の別があろうか。これらは皆牽強附會であって、最も妥当で動かせない定論ではない。もし道理を極め尽くし、経歴すること久しく、磨礪すること多くせずして、ただ聞き初めのうちに明白を得ようとすれば、どうして直ちに縫針が正しいと信じられよう。もともと天の氣と地の氣とは常に少しの参差があり、だから南北の方位・陰陽交會の処は、ちょうど完全一致することができない。この故に磁針の指す所と表杆の測る所にもまた差異が生じるのである。

天地之氣,陽生於子中,極子午。自子至丙,東南司陽。陰始於午中,極於子中。自午至壬,西北司陰。浮針所指,即陰陽大分界。偏於壬丙者,針之泊於氣耳。臬測以景,針以氣,故不能符。人但拘夫正針之正為正也,而不知以臬較之則偏也,非正也;人但泥夫縫針之縫為偏也,而不知由臬準之則正也,非偏也。蓋步太虛之廣,推七政之纏次,皆準於臬。以天而測天,至當不易之論也。針泊於氣,乃偏壬丙,哲人通其變,以便民用,故立縫針,合乎臬測,則得天地大中至正之位矣。

天地の氣において、陽は子の正中に生じ、午位に至って極まる。子から丙に至るこの一段は、東南方が陽を主る。陰は午の正中に始まり、子の正中に至って極まる。午から壬に至るこの一段は、西北方が陰を主る。浮針の指す所は、まさに陰陽の大分界である。それが壬・丙に偏するのは、針が「氣」の上に停泊するためである。表杆が測るのは日影であり、磁針が依るのは地氣である。だから両者は合わない。人はただ正針の「正」が正しいと拘執して、表杆で一たび比べればそれは実は偏しており正しくないことを知らず、人はただ縫針の「縫」が偏だと固執して、表杆で校准すればそれは実は正しく偏っていないことを知らない。太虚の広袤を丈量し、日月五星の運行の次序を推算するに、皆表杆を拠り所とするのは、これは天をもって天を測るのであって、最も妥当で動かせない。磁針は氣の上に停泊するが故に、わずかに壬丙に偏する。哲人はその中の変化を通達し、百姓が使うのに便ならんとして、縫針を立てて表杆の測る所に合わせ、こうして天地の大中至正の方位を得たのである。

後世不察,嘵嘵致辯,名家若廖金精者,求其理而不得,但曰:“針,金也,畏南方正位之火,故不敢正指於午,而偏於丙。”斯言也,於理未當,何足以屈服乎諸家?後之人又從而議之曰:“丙亦火也,針胡為而獨指之哉?”蓋廖氏惟知縫針之可用,而亦莫知其所以然之理也。夫天地之氣不能恰然齊。天之氣在於子午之中,地之氣在壬子丙午之中。是以候氣者冬至日於壬子之中置黃鐘焉,夏至日於丙午之中置林鐘焉,足可征矣。矧羅經古制,原於地支十二位,而加入八干四維,為二十四位,適壬子丙午之半為中也。

後世の人は考察を加えず、喋喋として争い弁ずる。廖金精のような名家も、その道理を求めて得られず、やむを得ず言うには、針は金に属し、南方正位の火を畏れるから、敢えて午位を正指せずして丙に偏する、と。この言は理に通じない。どうして各家を心服せしめられよう。後の人はそこでまた反駁して言う、丙もまた火である、針はなぜひとえにそれを指すのか、と。見れば、廖氏はただ縫針が使えることを知るのみで、またその然る所以の道理を明白にしていない。天地の氣はもともとちょうど整斉することはできない。天の氣は子午の正中にあり、地の氣は壬子・丙午の正中にある。だから候氣する者は冬至の日に黃鐘の律管を壬子の正中に置き、夏至の日に林鐘の律管を丙午の正中に置く。これがすなわち証となるに足る。まして羅盤の古制はもともと十二支のみあり、後に八干と四維を加えて二十四位となり、ちょうど壬子・丙午の中分の処を以て中としたのである。

堪輿家動推董公。予去董公世未遠,又幸同其鄉,嘗得所貽之羅經而玩焉。其分於金則本《叢珠素書》。中剖戊子,以為陰陽混雜之界。而右列甲子、丙子於壬,以從大雪之陰局;左列庚子、壬子於子,以從冬至之陽局。非邵子“冬至子之半”與?其分金則本於陳希夷,以甲子配頤而鄰壬之中,以丙子配中孚而正子之始,非即“頤初大雪末,而卦氣起中孚”之說與?其分星土,則以虛、危之間,正針之中,而周天列宿各止其舍,又不與“考中星,齊七政”者符契與?然此董氏之制,蓋沿襲於廖氏者矣。廖氏之說,詳見於《洩天機》,可考也。由是觀之,即上古而言,臬之所測,合焉而不差。自後世而論,廖、董諸人用之而有驗。且今時之制算曆者又宗之,非無征而不信,予何為而獨不然哉!噫!冰不足疑也,而夏蟲疑之。吾故願學者之毋為夏蟲焉可也。

堪輿家は動すれば董德彰を推尊する。私は董公の時代から遠からず、また幸いに彼と同郷で、かつて彼の残した羅盤を得て把玩した。その分金は《叢珠素書》に本づく。中間に戊子を剖き開き、以て陰陽混雜の分界とし、右に甲子・丙子を壬位に排し、以て大雪の陰局に合し、左に庚子・壬子を子位に排し、以て冬至の陽局に合す。これは邵雍の言う「冬至は子の半」に正に当たらないか。その分金はまた陳摶に本づく。甲子を頤卦に配して壬の正中に近づけ、丙子を中孚卦に配してちょうど子の始めに当たる。これはすなわち「頤卦の初爻は大雪の末にあり、卦氣は中孚より起こる」という説ではないか。その星土を分かつのは、虚宿・危宿の間を以て正針の正中とし、而して周天の列宿は各々その舍に帰する。これはまたどうして「中星を考定し、七政を斉正する」に符合しないことがあろうか。ただし董氏のこの制度は、おそらく廖金精を沿襲したものである。廖氏の説は詳しく《泄天機》に見え、查考すべきである。これに由って見るに、上古に就いて言えば、表杆の測る所は合して差えず、後世に就いて論ずれば、廖・董の諸人は用いて皆検証があり、しかも当今暦算を制定する者もまたそれを宗と奉ずる。これは憑拠なしで信ずべからざるものではない。私はなぜひとえにこれに反対しよう。ああ、氷はもともと疑うべきものがないのに、夏の虫はあえてそれを疑う。だから私は学者に望む、あの夏虫とならないように、と。

諸家の五行

地理竅妙,無出五行。五行之變不可勝窮。而要之,或以氣言,或以質言,其概也。故山川之形,有曲者、直者、銳者、圓者、方者,具五行之質。而楊氏曰九星。廖氏又曰“九星析之而九九異形”,皆此五質之變也。宋儒有言:“質雖以氣而成,然其體一定不易。氣雖形乎質之內,而其用則循環不窮。”今必混而一之,則天地間不過輪一定局,而無變化錯綜之妙。斯造化亦小矣。

地理の竅妙は、五行を超出するものはない。五行の変化は数え尽くせないが、結局のところ、あるものは「氣」の上から論じ、あるものは「質」の上から論ずるに外ならず、これがその大概である。だから山川の形状には、弯曲なるもの、笔直なるもの、尖鋭なるもの、渾円なるもの、方正なるものがあり、正しく五行の「質」を具備している。楊筠松はこれを九星と呼び、廖金精はまた九星をさらに細分すれば九九八十一種の異なる形状があると言う。これらは皆この五種の質の変化である。宋代の儒者が言った。質は氣によって凝成されるが、その形体は一旦定まれば変わらない。氣は質の内部に顕現するが、その作用は循環して窮まらない。今もし氣と質を一談に混じれば、天地の間にはただ一つの固定した局面が回転するだけが残り、変化錯綜の妙がなく、造化もまた渺小に見えてしまう。

是故至人識其妙而洩造化之機。又有二說焉:曰正五行以定其方,曰八卦五行以司其局,曰洪範五行以窮其山音。此景鸞吳公表於宋仁之朝者,誠地學之標準矣。然三說中惟洪範最玄,而管虢之注近於牽強,世有斥之為《滅蠻經》,而更論山音於五行者,此俗學之杜撰也。

だから至人はその中の妙処を見抜き、造化の機竅を漏らした。また別に幾つかの説がある。正五行を用いて方位を判定し、八卦五行を用いて格局を主管し、洪範五行を用いて坐山の音属を窮究する。これは呉景鸞が宋仁宗の朝に上表して進呈したもので、確かに地学の標準である。しかしこの三説の中では、洪範五行のみが最も玄奥であり、管輅・虢氏の注解は牽強に近く、世にこれを《滅蠻經》と斥ける者がある。別に一套を立てて五行の外において山音を論ずるものは、俗学の杜撰である。

夫俗學無傳,則此三說已錯亂矣,而況乎甲子之五行又有三,曰天干五行、地支五行,與納音五行是也。其相沿於甲子之五行又有四:曰三合五行、支藏五行、化氣五行與變運五行是也。其反覆於卦氣,比附於形局,而通極於天文者,五行又有五:曰河圖五行,渾天五行,雙山五行,玄空五行,與宿度五行是也。其餘支分節引,葢無論數十,而用者又欲取其生,忌其克,則議論孰從而定哉!

俗学はすでに真伝を失い、この三種の説はすでに取り乱されている。まして甲子上から生出する五行にまた三種があり、天干五行・地支五行・納音五行である。甲子に沿って推衍し出す五行にまた四種があり、三合五行・支蔵五行・化氣五行・變運五行である。反復して卦氣を推演し形局に比附し、さらに上は天文に通ずる五行にもまた五種があり、河圖五行・渾天五行・雙山五行・玄空五行・宿度五行である。その余に枝節から分衍して出るものは、おそらく数十種にとどまらない。しかも用いる者は皆相生を取り相克を忌もうと欲する。そうなれば衆説紛紜として、何を憑って判定しようか。

予竊謂諸說雖苛煩,而必以三說為綱領。其見於甲子及相沿甲子者,皆洪範之通衢。其為河圖,為雙山,為玄空者,皆八卦之蹊徑。而其為渾天,為宿度者,則又正氣之開拓也。惟綱領正而諸說皆可兼舉矣。然概而論之,五行不生則不壯,不克則不威,比其旋相為濟通,諸氣與質而不可相無者也。故金得火而益精,水得火而既濟,土得木而疏通,水逢土而不蕩,木緣金而成器,非相剋之明驗與?奚必生之而後可也?矧子本水鄉,而火寔生焉;午本火地,而水且寓焉。造化之生生又有如此其妙者,吾安得而泥之?第主賓內外之辨,與本末輕重之差,則在吾酌量之而已矣。故曰神而明之,存乎其人。

私は窃かに思う。各家の説は煩瑣であるが、必ずあの三説を以て綱領とすべきである。およそ甲子に出で甲子に沿って推衍するものは、皆洪範五行の大路である。およそ河圖・雙山・玄空に属するものは、皆八卦五行の小径である。およそ渾天・宿度に属するものは、正五行の氣の開拓である。綱領さえ正しく据えれば、各家の説は皆兼収して併用できる。もし概括して言えば、五行は相生しなければ壯盛にならず、相克しなければ威厳がない。それらは交代で互いに接済し貫通し、氣と質とは互いに欠くべからず。だから金は火に遇ってこそ精純となり、水は火に遇ってこそ既濟となり、土は木に遇ってこそ疏通し、水は土に遇ってこそ氾濫せず、木は金を経てこそ器物となる。これは相克の明証ではないか。どうして必ず相生でなければならないとすることがあろう。まして子はもともと水の方位でありながら、火は正しく子に生じる。午はもともと火の地界でありながら、水もその中に寄寓する。造化の生生して已まざる妙処は、ついにこの境地に至る。私はどうして一つの説を死に執して固守できよう。ただ主と賓・内と外の分辨、および本と末・軽と重の差等は、ただ我自己が斟酌するのみである。だから言う、よく神妙に会得し運用するのは、全く人に在り、と。

三昧論の跋

通天地人曰儒。叔世罕通儒,而又何能堪輿也?自餘所睹記,名家不少矣。大要拾前人糟粕。即下一形勢,沾沾自命。此家戶所有耳,何以稱焉?晚而得徐君《三昧論》,犁然有當於心三者。理微眇而用最繁細,好奇者鑿之,淺中者泥之,各以口舌爭,至不可究詰。而世儒遂擯為外道矣。徐君二難:於書無所不窺,足跡半天下。蓋晩年甫有定論。夫拘牽悠謬者,談何容易耶!君所著有《人子須知》,傳誦四遠。嘗語余曰:“假我數年,當不止此。”有味哉其言之!楚雲杜利瓦伊楨書。

天・地・人の三者を貫通し得る者こそ「儒」と称するに足る。衰乱の末世には通儒が少ない。どうして堪輿に通じられよう。私が見聞し記すところでは、名家は少なくないが、大抵は前人の糟粕を拾い、適当に一か所の形勢を説いては、すぐさま得意になって名家を自称するだけである。この種の腕はどの家にもあり、何を憑って名家と称するのか。私は晚年に徐君の《三昧論》を得て、読んで条理分明であった。この三つの題目は皆私の心に言い当てた。この三つの道理は精微で、運用が極めて繁細である。好奇の人はこれを穿鑿し、見識の浅い人はこれに拘泥し、各々口舌を競わせ、争いが追究し尽くせなくなる。世の儒者はこうしてこれを外道として排撃する。徐君兄弟は二人とも得難い。書を読んで窺わぬことなく、足跡は半天下に及び、晚年に至ってこそ定論を得た。あの拘泥して牽強、荒謬不経の人々には、なんと容易なことか。徐君は《人子須知》一書を著し、四方に伝誦されている。彼はかつて私に言った。もう数年の時間を貸してくれれば、成就はこれに止まらないだろう、と。この言葉は実に味わい深い。楚雲 杜維楨 書。

重刊人子須知資孝地理心學統宗 卷七上之二

江右山人徐善繼述 同著。此以下凡六卷,專論方位理氣之說,蓋用卦之妙也。丹法非卦無以明火候之周天,葬法非卦無以測生氣之淑慝。二者取用乎卦,其致一也。

江西山人徐善繼・徐善述の兄弟二人の合著である。この卷から下りて合計六卷、専ら「方位」「理氣」の一路の学説を論ずる。その精微の処は全て「卦を用いる」ことに在る。煉丹の法は卦象を離れれば、火候が一周天中における進退を説明できない。下葬の法は卦象を離れれば、「生氣」の清純と駁雑を測知できない。この二門の学問が取用するのは皆卦であり、歸趣は完全に一致する。

夫自河出圖,洛出書,聖人則之而畫卦,通神明之德,類萬物之情,廣大悉備,妙用無窮。堪輿家推原理氣,烏可廢此?但其條緒多端,名目不一,既有陰陽之辨,又有天星之配;既統卦氣之屬,又有五行之別。

黄河に龍馬が図を負って出て、洛水に神龜が書を負って出て以来、聖人はそれらに依拠して八卦を画き、これによって神明の德性を貫通し、萬物の情状を比擬し、包羅は広大にして妙用は窮まりない。堪輿家が「理氣」の本原を推究するにあたり、どうしてこの一套を抛ち捨てて用いないことができよう。ただその頭緒は極めて多く、名目は一様でない。すなわち「陰」と「陽」を分辨し、また天上の星宿に配合し、すなわち「卦氣」の類を統攝し、また別に「五行」の区別がある。

至於分野禽奇,貴人祿馬,子父財官等說,雖門例甚繁,要之,皆一用卦而巳矣。奈何作偽亂眞,裝卦輪星,出於羲畫文演之外,而失古聖辨方正位、體國經野之旨。

星宿の「分野」、「禽星」「奇门」、「貴人」「祿馬」、および「子孫」「父母」「妻財」「官鬼」などの説に至っては、門類・條例は繁多であるが、結局のところ全て「卦を用いる」という一事に尽きる。惜しいことに、後世に偽を作り真を乱す者が、勝手に卦爻を装配し星曜を輪転させ、伏羲の画卦・文王の演卦の範囲の外へ走り出て、かえって古聖人が方位を辨别し都邑と田野を規劃した本旨を失ってしまった。

茲特輯《陰陽旨原》一卷,著太極、河圖、洛書,證以丘、吳二公之心印,以見五行、八卦、天心、地脈之源委。復輯《陰陽妙用》五卷,質之廖、賴諸君之遺文,以詳龍、穴、砂、水、方位吉凶之宜忌,俾知陰陽本原,而不淪一隅,不惑他岐雲。

それゆえここに特に《陰陽旨原》一巻を編成する。まず「太極」「河圖」「洛書」を列出し、次いで唐代の国師丘延翰・宋代の国師呉景鸞の両家の心伝をもって印証し、もって「五行」「八卦」「天心」「地脈」の來龍去脈を顯明にする。この後また《陰陽妙用》五巻を編成し、廖金精・頼布衣ら諸家が残した文字を取って核対し、詳細に龍・穴・砂・水および方位吉凶の取るべきと避けるべきを講明し、読者をして陰陽の本原を明白にし、一隅に偏執することなく、また旁門歧路に惑わされないようにする。

陰陽旨原 総七巻

太極図説

圖一 圖二 圖三 圖四 圖五。一圖:此無極而太極也。所以動而陽,靜而陰之本體也。非有以離乎陰陽,即陰陽而指其本體,不雜乎陰陽而為言耳。二圖:此太極之動而陽,靜而陰也。中太極者,其本體也。陽動者,陽之動也,太極之用所以行;陰靜者,陰之靜也,大極之體所以立也。陰中之陽者,陽動之根也。陽中之陰者,陰靜之根也。

底本のここには図一から図五までの五幅の図題のみが存し、図形はすでに失われた。今図題をそのまま写し、あわせてその断語を釈する。第一図:これは「無極而太極」、すなわち動して陽を生じ静して陰を生ずるあの本体である。それは陰陽を離れて別に一物があるのではなく、ただ陰陽の中においてその本体を指し示すにすぎない。ただ措辞するときに陰陽と混雑しないようにするだけである。第二図:これは太極が一動して陽を生じ一静して陰を生ずる様子である。図中央の太極は、その本体である。陽動は陽の発動で、太極の「用」がここから運行する。陰静は陰の収斂で、太極の「體」がここから確立する(「大極」はすなわち「太極」、底本は「大」と作る)。陰の中に含まれる陽は、陽動の根である。陽の中に含まれる陰は、陰静の根である。

三圖:此陽變陰合而生水、火、木、金、土也。陽變者,陽之變也;陰合者,陰之合也。○水陰盛,故居右;○火陽盛,故左;○木陽穉,故次火;○金陰穉,故次水;土沖氣,故居中。而水火之交繫乎上,陰根陽,陽根陰也。水而木,木而火,火而土,土而金,金而復水,如環無端。五氣分,四時行也。

第三図:これは陽が一変、陰が一合して水・火・木・金・土を生出する図である。いわゆる「陽変」は陽の変動であり、いわゆる「陰合」は陰の凝合である。図中には円をもって五者の位置を標してある。水は陰に属し陰氣が盛んで、だから右辺に列する。火は陽に属し陽氣が盛んで、だから左辺に列する。木は陽の幼稚なもの、だから火の次に配する。金は陰の幼稚なもの、だから水の次に配する。土は沖和の氣、だから中央に居る。水と火が交接する線は上方に引かれ、陰が陽を根とし、陽が陰を根とすることを示す。水から木が生じ、木から火が生じ、火から土が生じ、土から金が生じ、金からまた水に戻る。円環のように始まりも終わりもない。五行の氣が一たび分かれれば、春夏秋冬の四時が運行し始める。

太極、動靜、五行一陰陽,五殊二實無餘欠也。陰陽一太極,精粗本末無彼此也。太極本無極,上天之載無聲臭也。五行之生各一其性,氣殊質異,各一其極,無假借也。動靜陰陽,此無極二五所以妙合而無間也。幹男坤女,以氣化者言,各一其性。男女一太極也,萬物化生以形化者言,各一其性,而萬物一太極也。

太極・動静・五行は、言い尽くせばただ一陰一陽である。五行は各々同じではなく、陰陽には実に二つの端があるが、合わせれば一厘も多くなく一厘も少なくない。陰陽は総じてなお一つの太極であり、精と粗・本と末の間には互いの境界がない。太極はもともとすなわち無極であり、ちょうど《詩経・大雅》の言う、上天の運化は声もなく臭もない、というごとしである。五行は各々生成する時に各々一つの性質を具え、氣が同じでなく質もまた同じでない。各々自己の極致を成就し、誰も誰を借り用いない。動静と陰陽とは、まさに無極・陰陽二氣・五行のこの幾層が奇妙に契合して些かも縫隙がない所以の処である。乾を男と為し坤を女と為すのは、氣の化生に就いて言えば各々その性があるが、男女が合わさればなお一つの太極である。萬物の化生は、形体の伝衍に就いて言えば、また各々その性があるが、萬物が合わさればなお一つの太極である。

唐國師亞父丘公延翰云:“《易》曰:‘易有太極,是生兩儀。兩儀生四象,四象生八卦,八卦定吉凶。’夫太極未分之先,天地人物未有也。沖漠朕兆,惟一氣耳。一氣既分,輕清為天,重濁為地。輕清之精上而列日月星宿,濁氣之精下疑山河草木,一陰一陽,兩儀奠位,天地生成。

唐代の国師で世に亜父と称される丘延翰が言う。《周易・繫辭》は言う、「易に太極あり、太極は両儀を生じ、両儀は四象を生じ、四象は八卦を生じ、八卦は以て吉凶を判定する」。太極がまだ分判しない前は、天・地・人・物は皆存在せず、一片の沖和で空漠として毫も朕兆がなく、ただ渾然たる一氣のみである。この一氣が分かれた後、軽く清いものは上昇して天となり、重く濁るものは沈降して地となる。軽清の氣の精華は上にあり、日・月および二十八宿に列する。濁氣の精は下にあり、凝結して山河草木となる(底本は「疑」を「凝」とする)。一陰一陽、両儀が各々その位に就き、天地はこれによって生成する。

人稟理氣,混然中處,陽變陰合,五氣以生。五氣流行,八卦象位。八卦既定,四方始正,而變化無窮焉。地法本乎理氣之妙,以推山川之生成。原始返終,以知死生之說,以定吉凶之機,其理微矣。”

人は理と氣を禀受し、渾然として天地の中間に処する。陽が一変・陰が一合して、五行の氣がこれに随って生出する。五氣が流行してひらけ、八卦の象と位が確定する。八卦が既に定まれば、東南西北の四正の方こそ正しく据えられたと算する。これによって変化は窮まりない。地理の法は「理氣」の精妙に本づき、もって山川が如何に生成するかを推求する。事物の開端に従ってその終結に遡り、これによって生死の道理を明白にし吉凶の關鍵を判定する。この中の義理は実に精微である。

宋國師吳公景鸞仲祥曰:“太極者,理氣之原也。太極陰陽,初無啚象名字,特藉此以明此理氣耳。太極決分,天地奠位。天體圓,圓者徑一而圍三,故數奇,因名曰陽;地體方,方者經一而圍四,故數偶,因命曰陰。陽變陰合,而有太陽、太陰、少陽、少陰之象。而金生水,木生火也。

宋代の国師呉景鸞(字は仲祥)が言う。太極は「理氣」の本原である。太極と陰陽には、もともとどんな図形や名号もない。ただこれらの図と名を借りて理氣を説明するだけである。太極が一たび分判すれば、天地は各々その位に就く。天の形体は円であり、円形は直径が一ならば周長は約三で、得るのは奇数である。だからそれを陽と称する。地の形体は方であり、方形は辺長が一ならば周長は四で、得るのは偶数である。だからそれを陰と称する。陽が変じ陰が合すれば、ここに太陽・太陰・少陽・少陰の四象がある。この四象からさらに推せば、すなわち金生水・木生火の順序がある。

水數六,居坎而生幹,金數九,居兌而生坤。火數七,居離而生巽。木數八,居震而生艮。於是震東,離南,兌西,坎北,巽東南,艮東北,坤西南,乾西北,八卦始有定位,而變化無窮焉。地法因之,故大撓氏為羅經,相其陰陽,為返本還原之道。立棺槨葬埋之說,使氣感應,鬼福及人,明生成之意無間斷也。”

水の成数は六、坎位に居って乾を生出する。金の成数は九、兌位に居って坤を生出する。火の成数は七、離位に居って巽を生出する。木の成数は八、震位に居って艮を生出する。こうして震は東に、離は南に、兌は西に、坎は北に、巽は東南に、艮は東北に、坤は西南に、乾は西北にあり、八卦はこれで固定的な方位を有し、変化もまた窮尽しない。地理の法はこの道理に依拠する。だから上古の大撓氏は羅経を制作し、これを用いて一地の陰陽を相度し、以て返本還元の門径とし、また棺槨葬埋の制度を建立し、死者の乘る氣をして生者と感応し得るようにした。すなわち郭璞《葬書》の言う「鬼福が人に及ぶ」は、以て天地生成の意が従来間断しないことを顯明にするのである。

河図図説

此伏羲時河中龍馬負圖之數也。《易》曰:“天一地二,天三地四,天五地六,天七地八,天九地十。天數五,地數五,五位相得而各有合。天數二十有五,地數三十,凡天地之數五十有五,所以成變化,而行鬼神也。

これは伏羲の時代に黄河中の龍馬が背負って出てきたあの図の上の数である。《周易・繫辭》は言う。「天は一となし、地は二となし、天は三となし、地は四となし、天は五となし、地は六となし、天は七となし、地は八となし、天は九となし、地は十となる。天に属する奇数は五つあり、地に属する偶数は五つあり、この五組の数は二つずつ相配して各々会合する。天数は合計二十五、地数は合計三十、天地の数は合わせて五十五。天地間の一切の変化の生成、鬼神のごとき不測の運行は、皆これらの数から推し出される」(引用はここまで。底本は引号を閉じていない。原様のままに写す)。

丘公曰:“此伏羲時河中龍馬負圖之數也,伏羲因之以畫八卦。其數始於一而終於十,以五生數統五成數。天一與地六合於北而生水,地二與天七合於南而生火,天三與地八合於東而生木,地四與天九合於西而生金,天五與地十合於中而生土。分配陰陽,節排五氣,體此道耳。”

丘延翰が言う。これがすなわち伏羲の時代に黄河の龍馬が図を負った数で、伏羲はこれに依拠して八卦を画き出した。これらの数は一から始まり十をもって止まり、一から五までのこの五つの「生数」を用いて、六から十までのこの五つの「成数」を統轄する。天一と地六は北方に会合して水を生じ、地二と天七は南方に会合して火を生じ、天三と地八は東方に会合して木を生じ、地四と天九は西方に会合して金を生じ、天五と地十は中央に会合して土を生じる。陰陽を分かち配し五氣を順に配列するのは、皆この一層の道理を體察するだけである。堪輿家が羅盤の上に五行の方位を安排するに、用いるのはまさにこの生成の数である。

吳公曰:按河圖者,卦象之始也。數生乎全,故首一而終十,以生成自然之妙,明陰陽五氣之流行,運四時循環之機,成寒暑發藏之跡。其數一六共宗,三八同道,二七為朋,四九作友,五十共宅。奇耦之配合,而後五行之位定矣。

呉景鸞が言う。河図は卦象の起点であると案ずる。それが取るのは完足の数であり、だから一から始まって十をもって結ばれる。生数と成数が自然に相配する妙を用いて、陰陽五氣が如何に流行するかを説明し、以て四時循環の機括を運転し、以て寒来暑往・発生収蔵の迹象を成就する。その配数は、一と六は同居して北方にありて一宗となし、三と八は同居して東方にありて一道となし、二と七は同居して南方にありて朋となし、四と九は同居して西方にありて友となし、五と十は同居して中央にありて一宅となる。奇数と偶数がこのように二つずつ配合して、五行の方位がこれで確定する。

一三五七九所謂天數二十有五也,二四六八十所謂地數三十也。以生成之次言之,則始下次上,次左次右,以復於中,又始乎下也。以運行之次言之,則始東次南,次中,次西,次北,左旋一周而又始於東也。其生之內者,則陽居於左,而陰居於右。其成之在外者,則陰居下左,而陽居上右也。

一・三・五・七・九を相い加えれば、すなわちいわゆる天数二十五。二・四・六・八・十を相い加えれば、すなわちいわゆる地数三十。生と成の次序に拠って言えば、まず下方(北方の一・六)、次に上方(南方の二・七)、次に左方(東方の三・八)、次に右方(西方の四・九)、また中央に回って(五・十)、そしてまた下方から改めて始まる。運行の次序に拠って言えば、まず東、次に南、次に中、次に西、次に北、左に旋回して一周した後また東方から始まる。内に居る一層は「生数」で、陽数は左辺に排し、陰数は右辺に排する。外に居る一層は「成数」で、陰数は下方と左方に排し、陽数は上方と右方に排する。

一者陽也,陽生於子而成於巳。二者陰也,陰生於午而成於亥。故東南主生,西北主成。四時之氣,流行運用法乎此也。地法羅經,以十二支八干四維配於二十四路,推之以五氣之生成,用以消息陰陽,測度造化,其用亦大矣。《葬書》所謂‘乘生氣’者,其斯之謂與!”

一は陽であり、陽は子位から萌し生じ巳位に至って長成する。二は陰であり、陰は午位から萌し生じ亥位に至って長成する。だから東南の一帯は「生」を主り、西北の一帯は「成」を主る。四時の氣の流行・運用が取法するのはまさにこれである。地理家の用いる羅経は、十二地支・八天干と乾坤艮巽の四維を配して二十四路となし、さらに五氣の生と成をもって推算し、これによって陰陽を消長し造化を測度する。その用处は実に甚だ大きい。郭璞《葬書》の言う「生氣に乘る」が説くのは、おそらくこの事であろう。龍脈と坐向の乘る所は、まさにこの一生成の氣である。

洛書図説

此夏禹時洛中神龜負書之文也。《易》曰:“洛出書,聖人則之。”其數戴九履一,左三右七,二四為肩,六八為足。

これは夏禹の時代に洛水中の神龜が背に負って出てきたあの文である。《周易・繫辭》は言う、「洛水は書を出し、聖人はこれに取法した」。その数は九宮の形に配列される。頭上に九を戴き、脚下に一を踏み、左辺は三、右辺は七、二と四は左右両肩に分かち居り、六と八は左右両足に分かち居り、五は中央に居る。

丘公云:“按《易》曰:‘洛出書,聖人則之。’《書》曰:‘天乃錫禹洪範九疇,彝倫攸敘。’在昔夏后氏遇神龜載書出洛,其數始於一而終於九,夏禹因之平定水土,分別九川。箕子因之以作九疇。蓋以先天八卦相為表裡。地法因之,以明九宮八卦、門戶內外。故南朱雀,北玄武,東青龍,西白虎,四正之方始定。是以聖人南面而立,嚮明而治,法乎此也。”

丘延翰が言う。《周易・繫辭》は「洛水は書を出し、聖人はこれに取法した」と講じ、《尚書・洪範》は「上天はここに大禹に九類の大法を賜り、人倫の常道はこれによりて次序を得た」と講ずる。当年夏后氏の大禹は神龜が書を載せて洛水より出でるのに遇い、その上の数は一から始まり九をもって止まった。大禹はこれに依拠して水土を平治し九条の大川を分辨し、箕子はこれに依拠して九疇を推演した。この一組の数は「先天八卦」と互いに表裏となる。地理の法はこれを沿い用い、もって「九宮」「八卦」および門戸の内外向背を闡明する。だから南方を朱雀と為し、北方を玄武と為し、東方を青龍と為し、西方を白虎と為して、四正の方がこれで確定した。聖人が南面して坐し明に向かって天下を治めたのも、取法したのはまさにこれである。

吳公云:“洛書者,方位之始也。其數主乎變,故始一而終九,所以定四正四隅之方。以一、九、三、七陽數居四正之宮,而以二、四、六、八陰數居四隅之位。以其次而言之,其陽數則首東,次南,次西,次北也。其陰數則首西,次南,次東,次北也。合而言之,則首北,次西南,次東,次東南,次中,次西北,次西,次東北,而至於南也。

呉景鸞が言う。洛書は方位の学の起点である。その数は「変」を主とし、だから一から始まり九をもって止まり、もって四正と四隅の計八方を確定する。一・九・三・七の四つの陽数を四正の宮に安じ、二・四・六・八の四つの陰数を四隅の位に安ずる。分かれて各々の次第に言えば、陽数は先ず東、次に南、次に西、次に北。陰数は先ず西、次に南、次に東、次に北で、指すのは西南・東南・西北・東北の四隅であり、ここではその大略を挙げて言うのである。合わせて一から九の順序に言えば、先ず北、次に西南、次に東、次に東南、次に中、次に西北、次に西、次に東北、最後に南に至る。

其運行則水克火,火克金,金克木,左旋一周而土復水也。此法立九宮之說,以一、六、八配白,二配黑,三配碧,四配綠,五配黃,七配赤,九配紫者,蓋法乎此。聖人因之南面而立,嚮明而治。自古帝王大都,其方位妙用,莫不合乎此者,蓋取乎四勢之正氣,數乃全也。”

その運行は水が火を克し、火が金を克し、金が木を克し、左に旋回して一周し、最後に土からまた水に帰る。後世の立てた「九宮」の説は、一・六・八に白色を配し、二に黑色を配し、三に碧色を配し、四に緑色を配し、五に黄色を配し、七に赤色を配し、九に紫色を配する。すなわちこれに取法するのである。聖人はこれに依拠して南面して坐し明に向かって治めた。古より帝王が大都城を営建するや、その方位の妙用は洛書に合わないことがなかった。東西南北の四勢の正氣を収め取ってこそ、九宮の数が周全と算されるからである。都邑がかくのごとく、陰宅の立向定位も同じくこれを準繩とする。

太極變卦 河圖變卦 洛書變卦。此太極、河圖、洛書皆可畫卦之理也。蔡季通曰:“天地之理一而已。時有古今先後不同,而其理不容有二。故伏羲但據河圖作易,不必預見洛書,而逆與之合。大禹但據洛書作範,亦不必追考河圖,而暗與之符。所以然者,此理之外無復他理故也。”邵子曰:“未畫卦前先有易。”旨哉言乎!

底本のここにはもと「太極変卦」「河図変卦」「洛書変卦」の三幅の図があった。図形はすでに失われ、図題のみ残る。今そのまま写す。三図の言う所は、太極・河図・洛書は皆卦を画くに拠るべき道理を含んでいる、ということである。宋代の蔡元定(字は季通)が言う。天地間の理はただ一つである。時間上に古今先後の違いがあっても、この理は二様になることを許さない。だから伏羲はただ河図に依拠して《易》を作り、予め洛書を見たわけではなかったが、その作は洛書と暗に符合した。大禹はただ洛書に依拠して《洪範》を作り、振り返って河図を考察したわけでもなかったが、その作は河図と暗に符し合った。このようである所以は、この理の外に別の理がないからである。邵雍はまた言う。まだ卦を画かない前に、先に《易》の道理が在ったのだ、と。この言は実に深切である。

卦序

《繋辭傳》曰:“有太極,是生兩儀,兩儀生四象,四象生八卦。”邵子曰:一分為二、二分為四、四分為八也。《說卦傳》曰:“易逆數也。”邵子曰:幹一、兌二、離三、震四、巽五、坎六、艮七、坤八,自幹至坤皆得未生之卦,若逆推四時。”

《周易・繫辭傳》は言う。太極あり、太極は両儀を生じ、両儀は四象を生じ、四象は八卦を生ず。邵雍は釈して言う。これはすなわち一が分かれて二となり、二が分かれて四となり、四が分かれて八となることである。《說卦傳》はまた言う。《易》は逆さに数えるのである。邵雍は釈して言う。乾を一とし、兌を二とし、離を三とし、震を四とし、巽を五とし、坎を六とし、艮を七とし、坤を八とする。乾から坤に向かって数えると、数え当たるのは皆いまだ生成していない卦であり、ちょうど四時の次序を逆さに推算するがごとしである。これが「先天卦序」の配列法である。

幹天也,故稱乎父。 坤地也,故稱乎母。 震一索而得男,故謂之長男;巽一索而得女,故謂之長女;坎再索而得男,故謂之中男;離再索而得女,故謂之中女;艮三索而得男,故為之少男;兌三索而得女,故謂之少女。邵子曰:“八卦之象,不易者四,反易者二,以六卦變而成八也。重卦之象,不易八,反易二十八,以三十六變而成六十四也。”又曰:“幹遇巽時觀月窟,地遇雷處見天根。天根、月窟閒來往,三十六宮都生春。”

乾は天だから父と称し、坤は地だから母と称する。震は乾坤が初めて交感して得た男だから長男と言い、巽は初めて交感して得た女だから長女と言い、坎は第二番の交感で得た男だから中男と言い、離は第二番の交感で得た女だから中女と言い、艮は第三番の交感で得た男だから少男と言い、兌は第三番の交感で得た女だから少女と言う。邵雍が言う。八卦の卦象は、倒転してもなお本卦のままのものが四つあり(乾・坤・坎・離)、倒転して別の卦に変わるものが二対ある(震と艮、巽と兌)。だからただ六卦を相変させれば八卦がそろう。六十四重卦の卦象は、倒転してもなお本卦のままのものが八つあり、倒転して他卦に変わるものが二十八対ある。だからただ三十六変すれば六十四卦がそろう。彼はまた詩に言う。乾卦が巽卦に遇う時に「月窟」を見、坤地が震雷に遇う処に「天根」を見る。天根と月窟の間を從容として往来すれば、三十六宮にどこもみな春意が満ちる、と。

卦書

古者庖羲氏之王天下也,仰則觀象於天,俯則觀法於地,觀鳥獸之文,與地之宜,近取諸身,遠取諸物,於是始作八卦,以通神明之德,以類萬物之情。太極者(如右圖),象數未形而其理已具之稱,形器已具,而其理無朕之目。在河圖、洛書,皆虛中之象也。周子曰:“無極而太極。”邵子曰“道為太極”,又曰“心為太極”,此之謂也。

上古の庖羲氏(伏羲)が天下を統治していたとき、首を擡げて天上の星象を観察し、首を俯れて地上の法則を観察し、また鳥獣の紋理と各地の物宜を観察し、近くは人の身体に象を取り、遠くは萬物に象を取り、ここに初めて八卦を創作した。もって神明の德性を貫通し、もって萬物の情状を比擬するためである。いわゆる「太極」(右図に配する)は、象と数がまだ成形しないのにその理がすでに完備している時の称呼であり、また形体器物がすでに具備しているのにその理が痕跡を見せない時の名目でもある。河図と洛書において、太極は皆中央の虚空な一点として表われる。周敦頤《太極圖說》の講ずる「無極而太極」、邵雍の講ずる「道はすなわち太極」、また講ずる「心はすなわち太極」は、言う所はまさにこのことである。

(左圖)太極之判,始生一奇一偶而為一畫者二,是為兩儀。其數則陽一而陰二。在河圖、洛書則奇偶是也。周子所謂“太極動而生陽。動極而靜,靜而生陰。靜極復動,一動一靜,互為其根。分陰分陽,兩儀立焉。”邵子所謂一分為二者,皆謂此也。

(左図に配する)太極が一たび分判すれば、まず一奇一偶の二つの単画が生じ、これが「両儀」である。その数は陽が一、陰が二であり、河図と洛書においては、奇数と偶数として表われる。周敦頤の言う「太極は一動して陽を生じ、動き極まればすなわち静となり、静して陰を生ず。静極まればまた動き、一動一静が互いに根本を為す。陰を分かち陽を分かち、両儀がここに立つ」、および邵雍の言う「一が分かれて二となる」は、言う所は皆このことである。画卦の第一歩は、まさにこの一奇一偶の二画である。

兩儀之上,各生一奇一偶而為二畫者四,是謂四象。其位則太陽一、少陰二、少陽三、太陰四。其數則太陽九、少陰八、少陽七、太陰六。以河圖言之,則六者一而得於五者也,七者二而得於五者也,八者三而得於五者也,九者四而得於五者也。以洛書言之,則九者十分一之餘,八者十分二之餘,七者十分三之餘,六者十分四之餘。周子謂水、火、木、金,邵子謂二分為四者,皆此也。

両儀の上に、各々さらに一奇一偶を生じて、二画の卦が四つとなる。これを「四象」と言う。その位次は太陽第一・少陰第二・少陽第三・太陰第四。その数は太陽九・少陰八・少陽七・太陰六。河図をもって講ずれば、六は生数一に中央の五を加えて得られ、七は二に五を加えて得られ、八は三に五を加えて得られ、九は四に五を加えて得られる。洛書をもって講ずれば、九は十が一を減じて残り、八は十が二を減じて残り、七は十が三を減じて残り、六は十が四を減じて残る。周敦頤の言う水・火・木・金の四者、邵雍の言う「二が分かれて四となる」は、指す所は皆四象である。画卦がこの層に至って、陰陽老少の区別が初めて顕現する。

四象之上,各生一奇一偶而為三畫者八,於是三才畧備,而有八卦之名矣。其位則幹一、兌二、離三、震四、巽五、坎六、艮七、坤八。在河圖則幹、坤、離、坎居四寔,兌、震、巽、艮分居四虛。在洛書則幹、坤、坎、離分居四方,兌、震、巽、艮分居四隅。《周禮》所謂“上易經卦皆八”,《大傳》所謂“八卦成列”,邵子所謂“四分為八”者,皆指此而言也。

四象の上に、各々さらに一奇一偶を生じて、三画の卦が八つとなる。ここに至って天・地・人の「三才」がほぼ備わり、ここに八卦の名目がある。その位次は乾一・兌二・離三・震四・巽五・坎六・艮七・坤八。河図の上では、乾・坤・離・坎が四つの「実」位を占め、兌・震・巽・艮が四つの「虚」位に分居する。洛書の上では、乾・坤・坎・離が東西南北の四正に分居し、兌・震・巽・艮が四隅に分居する。《周禮・春官》の言う「三易の経卦は皆八」、《繫辭大傳》の言う「八卦は行列を成す」、邵雍の言う「四が分かれて八となる」は、指す所は皆この層である。先天八卦の次序と方位は、ここに至って定まった。

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