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国音拘向の謬を論ず(一)

明 · 徐善继、徐善述 · 第43巻 / 56

作盤ガイド: 玄空飛星の作盤, 暦注(黄暦)

國音之法,則朱子曰:“國音之說,自謂無用之談。”又曰:“庸妄之偏說,以五音盡類群姓。而謂冢宅向背,各有所宜,乃不經之甚者,先儒以力辨之。”夫朱子所謂“先儒力辨”者,疑取呂氏之序《宅經》也。其言曰:“近世巫覡,妄分五姓。如張王為商,武庾為羽,似取諧韻。至於以柳為宮,以趙為角,又復不類。或同出一姓,分屬宮商,或複姓數字,莫辨徵羽。此則事不稽古,義理乖僻者也。

国音の法について言えば、朱熹は言う。国音という説は、自分では用無き空談と思い込んでいる、と。また言う。これは庸人妄人の偏見で、宮商角徵羽の五音をもってあらゆる姓氏を帰類させ、さらに墳墓と住宅の朝向背向に各々宜しき所があると言うのは、実に荒誕極まりなく、前代の儒者がすでに極力辨明した。朱熹の言う「先儒力辨」は、おそらく呂氏が《宅経》のために作った序を指すのであろう。序に言う。近世の巫覡は勝手に姓を五類に分け、たとえば張・王を商音に帰し、武・庾を羽音に帰するのは、諧音に拠って取ったらしい。しかるに柳を宮音に帰し趙を角音に帰するのは、また類を成さない。本は同じ一姓なのに、分かれて宮音と商音に帰する者もあり、複姓は数字あるので、それが徵か羽かを全く分かち得ない。これは古法を考稽せず義理も乖僻なやり方である。

今以往躅證之,如曾相公宣,字子布諡文肅。祖地在建昌南豐縣,乾山,寅甲向水去。俗師以為曾氏火音,水破長生。又如黃君謨,遇異人指穴在嶽州平江縣,其向七乙三辰,水歸五丁,又交坤申。俗師亦謂水破商音,谷將主退財。二家富貴綿遠。蘇氏曰:“五姓從來不可憑,因官因地賜為稱。商音黃氏嘗為用,水破坤申愈顯榮。”此其昭昭明證也。廖金精云:“惟有姓音不可憑,謬妄最分明。聲同音異尤無理,鍾宮與終徵。陽屬宮音揚屬商,覆姓更難詳。亦有變姓與賜姓,過房何所定?三十八將最為先,縱合亦徒然。”此達理之論矣。

今、前人の旧跡をもって印証する。たとえば宰相の曽布——原書の自注:曽布は字を子布といい、諡を文肅という——その家の祖墳は建昌府南豊県にあり、乾山に坐して、水は寅甲の方から流れ去る。庸俗な術士は曽姓を火音に属すると見なし、これは水が長生を破ると言う。また黄君謨が異人に遇い、彼のために指した穴は岳州平江県にあり、向首は乙七分・辰三分の間にあり、水は五丁の位に帰し、また坤申に交わる。庸俗な術士もまたこれを水が商音を破ると言い、必ず財を退くと断定した。ところがこの二家はともに富貴が綿々として久遠であった。蘇氏は言う。五姓の説は昔から拠るべからず、姓氏はもともと官職・封地・賜姓によって名を得た。商音の黄家はかつてこのような地を用い、水が坤申を破ったがかえってますます顕栄した。これが明明白白の証拠である。廖金精は言う。ただ姓音のみが信憑できず、その荒誕は最も顕著である。同じ読みなのに異なる音属に派分され、特に道理がない。「鍾」姓は宮音と算え、「終」姓は徵音と算え、「陽」姓は宮音に属し、「揚」姓は商音に属する。複姓はさらに分辨しにくい。さらに姓を改めた者・姓を賜わった者・過継された者もあり、何に拠って定めるのか。いわゆる「三十八将」を最前列に置いても、たとえ凑合できても徒労である。これこそ事理に通達した議論である。

断験小数の謬を論ず

蔡西山先生曰:“世之君子,尋常以地理為鄙事而莫之問。一旦有不得已,則茫然不知所謂,而托之野師巫俗。野師巫俗者,類皆憸邪小輩,能以詭譎小數,多為之巧,密探往事,兼以他術兩為之說,幸中未來。君子既不知本源,以為禍福之權或出其手,委心而聽命焉。使之立宅則生者不得安其居,使之作冢則死者不得安其葬。

蔡元定先生は言う。世の君子は平素、地理を鄙陋な事として顧みず、一たび已むを得ぬ丧葬の大事に遇えば、茫然として措く所を知らず、郷野の術士と巫俗の人に托付するしかない。これらの郷野の術士と巫俗の人は、大半が奸邪の小輩で、詭譎の小伎俩を用い、多方に巧みを逞しゅうする。暗に人の家の往事を打探し、さらに別の術数を兼用して両頭から言い立て、僥幸として将来の事を言い当てる。君子は根本源流を知らないので、禍福の権柄が或いは真に彼らの手にあるのかと思い、一心に聴従して摆布される。彼らに宅を立てさせれば活人は住まい安らかならず、彼らに墳を造らせれば死者は葬られて安んぜざるなり。

《俯察》云:“今之術士,善斷墳者必謬於葬,以斷墳下穴則穴必敗,以下穴斷墳則斷不驗。如浮沙斷、覆墳經、入門斷、透山光、隔山照、望宅斷、搜鬼經、都天斷、望龍斷、隔江斷,與夫鬼靈經、烚屋羅睺、開皇夾竹之類,皆可以一時所見談禍福,而於龍穴初無與焉。予少時嘗見有能地理克應者,雖奇驗如神,而心竊疑其妄,然亦未能窮其所以然之故,因百計求之。及得其術,始信其詭偽可鄙。江湖上謂之撥推行術。

《俯察》という書は言う。今の術士は、旧墳を断ずるのに長けた者は必ず新地を葬ることができない。墳を断ずる一套をもって穴を下せば、穴は必ず敗れる。穴を下す一套をもって墳を断ずれば、断も霊験しない。浮沙断・覆墳経・入門断・透山光・隔山照・望宅断・搜鬼経・都天断・望竜断・隔江断、および鬼霊経・烚屋羅睺・開皇夾竹の類は、皆ただ一時の目見に拠って禍福を談ずるに過ぎず、竜穴そのものとは毫も相干らない。私は若い頃、地理の克応を断じ得る者を見たことがある。奇験が神のようであったが、心の中では密かにその荒誕を疑い、ただその所以然を言い出せなかったので、千方百計を尽くしてこの術を求めた。学び得てから初めて、その詭詐虚偽・実に鄙すべきことを信じた。江湖ではこれを「撥推行術」と呼ぶ。

每觀售術之際,舉止態度,深有可笑者。望之則有矜誇之色,問之則為孔竅之辭,或縱恣而大言,或禁秘而不答,是皆不過以禍福馳騁,聳動視聽而已。或用之驗舊扦新,立宅改路,開門放水,則必以左道為區處,言某日當進財納慶,某年當受祿添丁。其言似若可信,故世之貪富貴、泥禍福者,爭趨慕而信用之。雖聰明之士,亦不免為其所愚弄。智者觀之,則其謬妄有不可掩焉者,益信西山所謂憸邪詭譎為不誣也。鄭氏曰:“山川美惡,吉凶感召,固然也。而區區專以禍福言者,則涉於術數,非理也。”故凡地理之學,但當以理為主,其應驗與否,一聽其自然。若於理外遷就,以取日前克應,是猶詭遇獲禽,君子不為也。茲故特詳其弊,俾世之習斯術者,不可不慎。而人子之求宅兆者,知斷驗小數之無補,而不為其所惑,必從事乎龍穴根本,明理之良師雲。

彼らが術法を兜售する時の挙止神態を見るたびに、実に可笑しい。遠く見れば矜夸の神色で、一問すれば機鋒隠語ばかりを言う。ある時は放肆に大言連篇を吐き、ある時はまた神秘を装って答えようとしない。これらはただ禍福をもって口舌を馳騁し、人の視聴を聳動するだけである。もし彼らに旧墳を験させ、新地を扞させ、あるいは宅を立て・路を改め・門を開き・水を放たせれば、彼らは必ず旁門左道をもって処置し、某日は財を進め吉を納るべし、某年は禄を受け丁を添うべしと言う。これらの言は聴けば信じられそうなので、世の富貴を貪り禍福に拘泥する人々は争って趨附して信用し、聡明の士でさえ彼らに愚弄されるのを免れない。智慧ある者が一見すれば、その中の荒謬は掩いきれず、蔡元定が彼らを奸邪詭譎と言ったのが誣枉でないことをいよいよ信じる。鄭氏は言う。山川の美悪は吉凶を感召し得る。これは本当の実情である。しかし斤々として較較とし、専ら禍福をもって事を言うなら、それは術数に落ち、理に合わない。ゆえに凡そ地理の学は、ただ理を主とすべく、霊験するか否かは一概に自然に聴く。もし理の外で迁就附会し、眼前の克応を博取せんとするなら、それはちょうど車を駆って不正の方式で獲物を追うようなもので、君子は肯んじて為さない。ここにことさらその弊病を詳しく講じたのは、世のこの術を学ぶ者が謹まざるを得ないようにし、また人の子として墓地を求める者に、断験の類の小伎俩に実益がないことを知らせ、それに惑わされず、必ず竜穴という根本から着手して、明理の良師を求めるためである。

克応・讖兆の謬を論ず

克應讖兆,大抵皆術家假此神術而已。君子不察,亦往往有入其術者。甚矣,邪說之易惑也!按克應有二,其一謂穴中幾尺下有某物某形某色,如所謂龍肝、鳳髓、猩血、蟹膏、象牙、龍骨、虎珀、硃砂、絲紅、綠翠之類。《玉髓經》取龍形有火焰石,鳳形有紅黃石,虎形有虎威石,獅形有球子石,象形金星石,及將軍大座有劍,美女梳妝有鏡之類。

いわゆる「克応」と「讖兆」は、大方は術士がこれを借りて己の腕前を神がかりに言い立てるだけのものである。君子が考察を加えないと、往々にして彼らの罠に落ちる。邪説とはこれほど人を惑わしやすいものか。克応には二類ある。第一類は、穴の中を数尺掘り下げるとある物・ある形状・ある色が出るという説で、たとえばいわゆる龍肝・鳳髓・猩血・蟹膏・象牙・龍骨・琥珀・朱砂・絲紅・緑翠の類である。《玉髓經》は、龍の形の地下には火焔石、鳳の形には紅黃石、虎の形には虎威石、獅の形には球子石、象の形には金星石、および「將軍大座」形の地下には劍、「美女梳妝」形の地下には鏡などがあると説いている。

崔菊坡謂世俗驟見其說,必致驚駭而反成執泥,然不可謂無此理。若執為常法,則又不然,此亦固有見。予謂開井得紅黃光澤堅實之土,或脆嫩細膩之石,及似石非石、似土非土,《葬書》所謂“裁金切玉,五土四備”之說,理或然也。而必取某形當得某物證應,豈不誕哉!烏可執以為法?又有蝦、蟹、龜、魚、蛇、蟲活物,取為生氣神異等說,皆不足信。固嘗聞之,亦嘗見之,大抵舉不足為地之輕重,縱有亦不可洩露,洩露則龍力減,反為不吉,又安可取之為應哉!

崔菊坡は、世俗の人がこれらの説を聞き初めれば必ず驚き駭き、かえって死に物狂いで固執するようになるが、しかし全く理がないとも言えず、もしこれを常法として固守すれば間違いだと考えた。この言も確かに見識がある。私が思うに、金井を掘るとき紅黃で光沢あり堅固な土、あるいは脆く細やかな石、および石のようで石でなく土のようで土でない物を得たなら、それは《葬書》のいう「裁金切玉、五土四備」の意で、理の上ではおそらくそうであろう。しかし、ある形の地には必ずある物が掘り出されて證応とならねばならないと言うなら、なんと荒唐無稽か。どうしてこれを法則にできようか。また蝦・蟹・龜・魚・蛇・蟲などの生き物が掘り出されたのを、生気が顯靈した神異の兆とする説もあるが、これらはみな信ずるに足らない。この種のことは私も確かに聞き、確かに見たが、大体はどれもその地の価値を増減するに足らない。たとえあっても、漏らしてはならず、漏らせば龍の力が減損してかえって不吉となる。それをどうして応験とできようか。

其次又有日時克應之說,專取下建時讖兆凖驗,固嘗博訪考求。有以奇門取者,有以斗罡取者,有以氣候孤虛取者,有以方位論卦取者。或曰某方有某色物來,或曰某方有某色雲起,或有響聲至,或有貴人臨。最其神者,曰馬騎人或有人負木馬過應、魚上樹或有以木魚或乾魚掛樹之類,固亦頗凖。第於龍穴美惡無與,地之吉凶何干?徒以此眩弄愚輩之信聽而已,則亦何足尚哉!

第二類は日時克応の説で、専ら動土し下葬するその時刻に讖兆を取って検証する。これも私はかつて広く訪ね求め考究した。奇门で取る者もあれば、斗罡で取る者もあり、節氣孤虚で取る者もあり、方位論卦で取る者もある。ある者は某方からある色の物が来ると言い、ある者は某方にある色の雲が立ち昇ると言い、ある者は響き聞こえる音があると言い、ある者は貴人が臨むと言う。中でも最も神妙なのは「馬騎人」――木馬を担いで通る者があれば應とする――あるいは「魚上樹」――木魚や乾魚を樹に掛ける類――で、これらもかなり応驗するという。しかしそれらは龍穴の善し悪しと少しも関係なく、地の吉凶と何の関わりがあろうか。ただこれを借りて愚人を眩惑し、信任を買うだけで、どうして推奨に値しようか。

通書の諸神煞の謬を論ず

夫選擇星曆通於天文,本理學也。古之明於星曆者,自鳳鳥氏、鬼臾蓲與車區、羲和、叔仲諸人,皆弼輔重臣。及春秋、秦、漢以後,亦皆老師夙儒,如王翊、赤松之流,懷才抱德者。迨宋,若邵堯夫、蔡季通,又皆崇儒,其所言論純正無疵。近世以來,流為異術,詭譔神煞之名,務於驚駭,名曰《通書》,蔓延海內,家喻戶曉。雖有臺曆頒行,莫之能正。君子倉卒用之,亦莫能辨。間有知其妄者,不敢獨異,亦各隨俗。是故愈久而愈失其眞,流毒千載,何有止極?茲敢陳其最妄誕者數條,以為明理君子拔茹藥病之張本,俟知崇正學者更詳考之。

擇日と星曆の学は天文に通じ、もともと理を説く一門の学問であった。古代に星曆に精通した人は、鳳鳥氏・鬼臾区・車区から羲和・叔仲ら諸人に至るまで、みな朝廷を輔弼する重臣であった。春秋・秦・漢以降も、みな宿儒・名師で、王翊・赤松子のような才と徳を懐いた人々であった。宋代に至っては、邵雍・蔡元定のごときもまた儒学を尊崇し、その言論は純正で瑕がなかった。近世以来この学問は異術に流れ、神煞の名目を空想的に捏造し、ひたすら人を聳動させることを求め、《通書》と名づけられて海内に蔓延し、家々に知られ戸戸に通じた。朝廷に欽天監が頒行する曆書があっても、とうとう是正できなかった。君子が慌ただしくこれを用いても真偽を見分けられず、時折その荒謬を知る者があっても、独り標新立異を敢えてせず、俗に随って行う。だから時が経つほど真を失い、流毒は千年、どこに果てがあろうか。ここに敢えてその最も荒誕な数条を陳べ述べ、理を明らかにする君子が病根を抜き対症して藥を下す張本とし、正学を崇ぶ人のさらに詳しく考訂するのを待つ。

一、《通書》神煞皆起於郭氏《元經》。楊公云“景純雖說無年月”,則知《元經》亦非郭氏書。《通書》諸神煞又多出於《元經》之外,各家杜譔,巧立異名,使人畏恐。如雲李廣箭,則廣漢武時人。丘公煞,丘公唐人。楊公忌,楊公南唐時。是唐漢之前無其煞與?他如所謂閻王催尸之煞、催尸上馬之煞、血光打足、披頭跌蹼之煞、風波自起之殺,類皆誑世。又有以定位為拾害,以開位為拾財、極富之類,又皆愚弄世人。至於有口鶚快、秋天日、長壽不老之類,是皆巧立異名之尤者。然名愈巧而術愈陋矣。

第一条、《通書》の神煞はみな郭璞の《元經》に起こると言われている。楊筠松は、郭景純には著述はあったが年月を説かなかった、ゆえに《元經》も郭璞の書ではないと言った。《通書》の多くの神煞はまた《元經》の外に多く、各家が杜撰し巧みに名目を立てて人を嚇すためのものである。たとえば「李廣箭」と名づけるが、李廣は漢武帝の時の人である。「丘公煞」と名づけるが、丘延翰は唐の人である。「楊公忌」と名づけるが、楊筠松は南唐の時の人である。唐・漢以前にはこれらの煞がなかったのか。その他、いわゆる閻王催尸煞・催尸上馬煞・血光打足・披頭跌蹼煞・風波自起煞の類は、みな世を欺く言である。また「定」の位を拾害と呼び、「開」の位を拾財・極富と呼ぶ類も、みな世人を愚弄するものである。「有口鶚快」「秋天日」「長壽不老」といった名目に至っては、巧みな異名の極致である。名目が巧みになるほど、術法はいよいよ鄙陋である。

按甘世彥云:“近世《通書》更易,不可盡信,觀其論雌雄、殮鬼殃殺等說,或出某方殺人,或出某方殺畜,或又某日回喪家再復殺人殺畜。此因一人死後而殺數人。數人死後,輾轉殺人之多,不幾於絕滅乎?其不足信也明矣。又觀所著啟攢五音祖墓,乃道神煞,謂正月犯辛煞八人,六月犯癸煞七人,九月犯庚煞七人。如此惑世誣民,見聞之際,莫不驚駭。屢試無凖,不足畏信,適足為明聖者所鄙雲。

甘世彦の言によれば、近世の《通書》は改められ改められて全く信ずべからず。それが雌雄・殮鬼・殃煞の類を説くのを見よ。殃氣はある方から出て人を殺し、あるいはある方から出て牲畜を殺し、また某日に回煞して再び喪家に至り人を殺し畜を殺すと言う。こうなれば、一人が死ぬだけで何人も殺されることになり、その数人が死んでまた輾転と更多人を殺すのでは、人を殺し絶やすに近いではないか。信ずるに足らないのは極めて明白である。さらにそれが載せる開墳啓攅・五音祖墓の一節を見れば、説くところはみな神煞で、正月に辛煞を犯せば八人が死に、六月に癸煞を犯せば七人が死に、九月に庚煞を犯せば七人が死ぬと言う。このように世を惑わし民を誣いれば、人は聞くや否や驚駭しない者はない。しかし屢々試してみて中らず、畏れ信ずるに値せず、まさに明達な聖智の人に鄙棄されるにふさわしい。

二、論年轉諸神煞。考之《通書》,百有二十之多。以歲干起者曰山家困龍、巡山大耗、山家官符、天禁朱雀、坐山官符、穿山羅睺、值山血刃、金血刃、升玄燥火、羊刃殺、都天、太歲、朱雀殺;以歲支起者:坐山羅睺、山家血刃、山家刀砧、皇天灸退、支神退方、千斤血刃、白虎殺、陰中太歲、馬前六害、翎毛禁、向旁殺、的殺、鬼道、兵道、死道、血道、地道、火道、天太歲、地太歲、病符、死符、將軍、士皇、伏兵狼藉、游年五鬼、暴敗、大禍、鐵掃帚、天潑、刀士、游魂、黃旙、豹尾、喪門、弔客、大禁、歲刑、歲壓、牛皇七殺、蠶官、蠶室、蠶命、皇帝入座、帝車、帝輅、帝軸、帝舍、飛廉、怨殺、仇殺、禁殺、哭殺、碎金三殺、年禁殺、宅長殺、宅母殺、長男殺、中男殺、小口殺、媍人殺、天命殺、暗刀殺、淨欄殺、天官符、地官符、田土官符、畜官符、通天大殺、皇天大殺、九良星殺等。

第二条、年ごとに推し転じる諸神煞を論ず。《通書》に載るものを査すれば、一百二十種に達する。太歳の天干により起算するものに、山家困龍・巡山大耗・山家官符・天禁朱雀・坐山官符・穿山羅睺・值山血刃・金血刃・升玄燥火・羊刃殺・都天・太歳・朱雀殺がある。太歳の地支により起算するものに、坐山羅睺・山家血刃・山家刀砧・皇天灸退・支神退方・千斤血刃・白虎殺・陰中太歳・馬前六害・翎毛禁・向旁殺・的殺、および鬼道・兵道・死道・血道・地道・火道、さらに天太歳・地太歳・病符・死符・將軍・士皇・伏兵狼藉・遊年五鬼・暴敗・大禍・鐵掃帚・天潑・刀士・遊魂・黃幡・豹尾・喪門・弔客・大禁・歳刑・歳壓・牛皇七殺・蠶官・蠶室・蠶命・皇帝入座・帝車・帝輅・帝軸・帝舍・飛廉・怨殺・仇殺・禁殺・哭殺・碎金三殺・年禁殺・宅長殺・宅母殺・長男殺・中男殺・小口殺・婦人殺・天命殺・暗刀殺・淨欄殺・天官符・地官符・田土官符・畜官符・通天大殺・皇天大殺・九良星殺などなどがある。

或以長生、沐浴取,或以建、破、危、成取,或以三合四正取,或以對宮取,或逆或順,或以五虎元遁取,或以五鼠元遁取。其間吉凶不一,如臨官,金精以為旺氣,《通書》乃謂官符;沐浴,六壬以為生運,金精又為敗氣。成位既為陰中官符、飛廉大殺、白虎、鬼火之凶,又為天喜、生氣、進祿之吉。大概如此,誠何足深泥哉!

これらの神煞の起法は、あるものは長生・沐浴により取り、あるものは建・破・危・成により取り、あるものは三合・四正により取り、あるものは對宮により取り、あるものは逆行しあるものは順行し、あるものは五虎遁により取り、あるものは五鼠遁により取る。その間の吉凶の説も一致しない。たとえば「臨官」は、廖金精は旺氣とするが《通書》は官符と言う。「沐浴」は、六壬は生運とするが廖金精はまた敗氣と言う。「成」の位は、陰中官符・飛廉大殺・白虎・鬼火という凶煞に算入されながら、また天喜・生氣・進祿という吉神にも算入される。大抵みなこの類で、まことに深信し拘泥するに値しない。

三、論月日諸神殺。夫月日之神殺,《通書》最繁。稽之曜仙《肘後經》所載,諸家神殺、六十花甲、周於一歲十二月之日辰,未有一日全無凶殺。若必欲拘之,卒無可用之日。曜仙不得已,乃折之曰:“神殺如天地之風雲,無日不有。但或在東方,或在西方,智者察其所在而避之耳。”又云:“擇其吉多者用之,如先儒論宋仁宗之朝,未嘗無小人,而不足以勝善類之氣。”斯二論誠為確當之言。如李衛公云“明人不論,闇者拘之。”此使貪使愚,兵家之術,又一說耳。

第三条、月ごと日ごとの諸神煞を論ず。月日の神煞は《通書》に最も煩瑣に記されている。曜仙《肘後經》の載せるところを査すれば、各家の神煞が六十甲子に配され、一年十二ヶ月の每日に遍く分布し、全く凶煞のない日は一日もない。もし必ずことごとく避けようとすれば、遂に用いられる日は一日もなくなる。曜仙は止むを得ず、折衷して言った。神煞は天地間の風雲のようなもので、ない日はない。ただ時に東にあり時に西にある。智ある者はそれがどこにあるかを察明して避ければよい、と。また言うには、吉神の多い日を選んで用いるのは、前代の儒者が宋仁宗の一朝を評して、小人がないではなかったが、ただ君子の正氣を壓するに足らなかったと言うのに似ている。この二段の議論はまことに確当な言である。李靖の言う「明らかな人はこれを計らず、糊涂な人のみこれに拘る」に至っては、あれは貪る者を駆り愚かな者を駆る兵家の權術で、また別の説である。

四、論山家諸神殺首稱墓龍變運為最凶。唐一行所謂“不得克山家運氣”,為大忌。《通書》以為墓龍變運,不可輕犯半字。注云:“年克山家殺宅長,月克山家宅母亡。日克山家殺新媍,時克山家小口當。”峩山謂見屢有犯之而不驗者。

第四条、山家の諸神煞を論ずれば、その中でまず「墓龍變運」を最凶と推す。唐代の僧一行が言うところの「坐山の運氣を克してはならない」は大忌と見なされた。《通書》は墓龍變運は半字も軽々しく犯してはならないとする。その注文は言う、年が山家を克すれば宅長を傷り、月が山家を克すれば宅母が死に、日が山家を克すれば新しい嫁を傷り、時が山家を克すれば小児に應ず、と。峨山は言う、彼は屢々これを犯しても應験しない人を見たことがある、と。

太和周東樓氏云:“墓運之說,如水土山墓在辰,若歲遇甲己,墓在戊辰,納音屬木,忌金納音年月日時之類。然如水生在申,旺於子。今獨不思墓運既不可克,而生運旺運乃可克乎?既有墓運,又何得無生旺運乎?夫旺焉而克,或謂如子平推命法,身旺要煞,勿使旺盛無依,猶可言也。若乃生運則如始達之泉,於此乎克,豈不潰散元氣,尚何抵於終窮而有墓哉?逆而推之,則胎養一運且未有生之日;順而推之,則官帶、臨官二運亦未及旺之時。木生未旺,又何使之先受克乎?

太和の周東樓は言う。いわゆる墓運とは、たとえば水・土二種の山は墓庫が辰にあり、もしその年が甲か己に逢えば辰は戊辰となり、納音は木に屬するから、金の納音の年月日時を忌む類である、と。しかし水は申に長生し子に帝旺する。今どうしてひとえに考えないのか。墓運が克されるべからずなら、生運・旺運は克されてよいのか。墓運がある以上、どうして生運旺運がないことがあろうか。旺の時は克されてよいと言うなら、あるいは子平推命の法を援用できるかもしれない。身の旺なる者は七煞の制を要し、旺盛にして倚る所なきに至らしめない、という言はまだ通ずる。生運に至っては、ちょうど湧き出たばかりの泉水のごときもので、ここに克を加えれば、元氣を沖散してしまい、どうして最後まで行き著いて歸すべき墓庫があろうか。逆に推せば、胎・養の二運はまだ出生の日に至っていない。順に推せば、冠帶・臨官の二運もまだ旺の時に至っていない。木は生まれ出たばかりでまだ旺んではいないのに、なぜまず克を受けさせるのか。

其論如此,意謂墓運不足信。然其言似正,實則本然。蓋墓運之說,出自商氏《歸藏》氣候孤虛之易。以《歸藏》為義,故止論墓運。且墓者,歸止之所,居而不移,是其根本之地,可長可久,非若旺、官,只能眩耀於一時。且安有長旺常官之理?惟墓地五行,至此始具眞性,《易》所謂“原始要終”,其此謂也。但歲克墓凶之說,固為傷山之元氣。然亦必以天符為主。若其年月山家得天符之旺,歲音雖傷,何能為害?苟天符弗旺,墓雖克歲,安能為福?此其肯綮耳。

彼の議論はこのようで、墓運の説は信ずるに足らないという意である。しかし彼の言は正大に見えるが、実は事に本来の來歴がある。墓運の説は商の《歸藏易》の氣候孤虚の一套に出る。すでに《歸藏》を義理の根拠とするから、墓運のみを論ずる。何况「墓」は歸宿し止息する所で、安く居りて遷らず、根本の所在であり、長くも久しくもできる。帝旺・臨官のように一時しか顯耀できないのとは違う。世に長く旺えて衰えず、長く官位に居る道理があろうか。墓地に至ってのみ、五行はその真性を具備する。《周易》のいう「原始要終」とはまさにこのことである。ただし歳運が墓を克すのを凶とする説は、固より坐山の元氣を傷るものだが、また必ず「天符」を主としなければならない。もしその年その月に坐山が天符の旺を得れば、太歳の納音に傷る所があっても、どんな危害をなし得ようか。もし天符が旺でなければ、墓が太歳を克しても、どうして福を齋らし得ようか。これこそその中の關鍵である。

五、《通書》所載行年身運,其例不一。有以卦論行年所值吉凶者,有以三元白紫之例以論行年吉凶者,有所謂羅星、太陽運法者,有所謂通天竅、陰陽二命行年之法者,又有六壬小運行年值公曹、神后、登明、傳送、勝光為吉者,又有老君三元白法,以行年得紫白為吉者。又有五殺年月,又有瓊林血海,又有退神年運及金樓正運、豬頭身運、透天六壬、大運小運、走馬六壬、中運帝星、身運天元、身運集正、三元永定、三元盤古、三元破軍、三元女柳、三元總聖、三元老子、三元九星、大運九星、小運、通天竅白、與夫利田身運,種種不同,彼吉此凶,多相矛盾。

第五条、《通書》に載る行年身運は、起例もまた各々同じからず。卦を用いて行年の值る吉凶を論ずる者あり、三元紫白の起例を用いて行年の吉凶を論ずる者あり、いわゆる羅星・太陽運法なる者あり、いわゆる通天竅・陰陽二命行年の法なる者あり。また六壬小運をもって行年が功曹・神后・登明・傳送・勝光に值るを吉とする者あり、また老君三元白法をもって行年が紫白を得るを吉とする者あり。このほか五殺年月あり、瓊林血海あり、退神年運あり、および金樓正運・猪頭身運・透天六壬・大運小運・走馬六壬・中運帝星・身運天元・身運集正・三元永定・三元盤古・三元破軍・三元女柳・三元總聖・三元老子・三元九星・大運九星・小運・通天竅白、さらに利田身運、種種同じからず。この家は吉と言いあの家は凶と言い、多くは自相矛盾する。

細考其說,皆非有據。楊公所謂“天機妙訣值千金,不論行年與納音。但看山頭並命位,五行生旺好追尋。”是則選擇之法,當以本命而論祿馬貴人,山頭而取五行生旺,此正理也。何況此等本根之身運哉。矧楊公既不用,則其不足信也明矣。特述以告明者。

これらの説を仔細に考究すれば、みな根拠がない。楊筠松は言う、天機の妙訣は千金に值し、行年と納音を論ずるに及ばず。ただ坐山と本命の位を看て、五行の生旺の上より追尋せよ、と。見るに擇日の法は、本人の生年命屬に按じて祿・馬・貴人を論じ、坐山に按じて五行の生旺を取るべきで、これこそ正理である。何况この類のいわゆる根本の身運の説においてをや。况且楊公はすでにこれを用いなかったのだから、それが信ずるに足らないのは極めて明白である。ここに特に述べて明らかな人に告げる。

六、通書《地理大全》所載亡人豬頭身運等一十八條,大原家寳亦謂其浩瀚無據。其可通用者,僅有郭氏《靈轄經》所載論金木水火土五行生數,取亡運歸四墓,及四大魂星入墓之說,頗可從俗。其它如所謂亡人執印入墓,以亡命後五辰為魂,前五辰為印,要印遇長生,魂遇墓絕為吉。又有所謂四大年頭,如亡人寅申巳亥生,則取寅申巳亥年月日時安葬為吉。

第六条、《通書・地理大全》に載る亡人猪頭身運など十八条は、太原《家寶》一書もその浩繁にして根拠なきを言う。その中で通用できるのは、郭璞《靈轄經》に載る金木水火土の五行の生數に按じて亡者の運を取り四墓に歸せしめる説と、四大魂星入墓の二つの説のみで、なお俗に随って采用に堪える。その他、たとえばいわゆる「亡人執印入墓」は、亡者の生年の後の第五辰を「魂」とし、前の第五辰を「印」とし、印が長生に遇い魂が墓絶に遇って初めて吉とする。またいわゆる「四大年頭」は、たとえば亡者が寅・申・巳・亥年に生まれたれば、寅・申・巳・亥の年月日時を取って安葬するを吉とする。

又有所謂九宮魂入墓,又有所謂鬼谷子十干亡運,胡先生《指吉六輪經》、白鶴仙人《枕中記》及有《青龍枕記》、《龍子經》、《地甲宿經》等訣,皆以入墓為言。其間有以一十起於寅者,有以一歲起於寅者,有一十起於亥者,有一十起於坎者,有以一十起於離者,有逢墓而起一十者,有逢長生而起甲子者,推詳吉凶,互有得失。觀楊公所謂亡人命運,有多般不合也。如閒蘇氏所云“課取山頭生氣旺,坐宮入局合星辰,亡人別有推詳處,不用行年泥六輪”之句,其輕重得失見矣。

その他またいわゆる「九宮魂入墓」があり、いわゆる鬼谷子十干亡運があり、および胡先生《指吉六輪經》、白鶴仙人《枕中記》、さらに《青龍枕記》《龍子經》《地甲宿經》などの口訣は、みな「入墓」をもって論を立てる。その中に寅上より十歳を起こす者あり、寅上より一歳を起こす者あり、亥上より十歳を起こす者あり、坎位より十歳を起こす者あり、離位より十歳を起こす者あり、墓に逢って初めて十歳を起こす者あり、長生に逢えばすなわち甲子を起こす者あり。吉凶を推求するに、各々得失あり。見るに楊公の言う亡人の命運には、彼此合致しない所が少なくない。蘇氏が閑居の時言ったところの、擇課は坐山の生氣旺なるを取り、坐宮入局して星辰に合し、亡人には別に推詳する所があり、行年に按じて六輪に拘泥するを要しない、という言の中に、孰れが輕く孰れが重く、孰れが得で孰れが失かが見える。

七、《發微》通書有安山命之法,其例云:“歲歲皆從子起正,逆行數至月辰停。就將其時月上起,順行尋卯安命眞。”其說如此,謂人生八字安命法,以卯定之,彼亦以時尋卯定山之命宮。愚謂山川自洪蒙判而天地分,兩儀形而山川定。山川之干支萬派,氣相流通。葬者察地中之生氣以旺死骨。枯骸得氣,遺體受蔭,此正理也。而乃謂山可以命理八字法論之,而為之安命則陋矣。設使以葬日為亡人再生之命,而年月為造命之術,亦不當安命于山也。

第七条、《發微》の類の通書に「安山命」の法があり、その起例は言う、年ごとにみな子位より正月を起こし、逆行して本月の地支に數え至って止まり、その位に即いて本時を起こし、順行して卯位を尋ねて安命するが真なり、と。その説はこのようで、人生の八字に命宮を安ずる法を搬り來て、卯位をもって定め、また時辰をもって卯を尋ね、もって坐山の命宮を定める。私が思うに、山川は鴻蒙が闢き天地が分判し、兩儀が成形して後に山川が定まった。山川の干支は千支萬派で、氣脈は彼此流通する。下葬する人は地中の生氣を察取して枯骨を滋養し、枯骨が氣を得て後代の子孫が廕を受ける、これこそ正理である。それを山は命理八字の法をもって論じ得ると言い、それに命宮を安ずとは、浅陋である。たとえ下葬の日を亡人の再生の命とし、年月を造命の術としても、山に命宮を安ずべきではない。

八、通書有所謂周堂者,不知其始自誰何?行世已久,泥之愈深。如行嫁周堂,通書所言行嫁白虎,有睡死床堂、灶廚、路門之例,以為擇廚灶日用之。又曰值死乃白虎死,其日吉。值睡乃白虎睡,其日吉。俗則見其日死,遂謂凶不可犯。值睡亦不曰白虎睡,而於新人亦忌於睡,遂舉家坐以達旦。若此者何其惑之甚與!何其愚之甚與!

第八条、通書にいわゆる「周堂」があり、最初に誰が創立したか知らないが、流行すること久しく、人々の拘泥はますます深い。たとえば嫁娶周堂は、通書に説く嫁娶白虎に、睡・死・牀・堂・竈・廚・路・門という一排例があり、安竈の日を擇ぶのに用いる。それはまた言う、「死」に值る日は白虎が死する日で、その日は吉。「睡」に值る日は白虎が睡る日で、その日も吉、と。しかし俗人はその日に「死」の字があるのを見れば、凶で犯すべからずと言い、「睡」の字に遇えば、また白虎が睡るとは言わず、かえって新人までも睡ることを忌み、こうして全家が坐して夜明けまで熬える。こうあっては、なんとこのように糊涂であろうか。なんとこのように愚昧であろうか。

行之已久,略無議者。謂周堂之說有凖不可犯與?則吾深求其理,而竟無其起例;謂不足信與?世俗信之至周且篤。噫!天下事莫不有理,其於理有未窮,則其知有不盡,無怪乎世俗之惑滋甚也。蓋常俗不知察究其理,而儒者又不暇窮其術,拘於習俗,泥於常見,拘於忌諱,故耳。予謂陰陽之理,皆本於五行,其所以為禍福者,亦莫不以秉其生旺者為吉,而當其衰敗者為凶,遇其相生者為福,值其相剋者為禍,無餘論矣。

この一套は流行すること久しく、異議を提出する人はほとんどいない。周堂の説に準があり觸犯すべからずと言うか。私がその理を深く窮究しても、その起例を見出せない。信ずるに足らないと言うか。世俗は却って周全かつ篤實に信じている。ああ、天下の事に理を含まぬはなく、理が窮究し盡くされなければ、認識に盡くせざる所がある。世俗の迷惑がますます深いのも無理はない。これは尋常の百姓がその理を考察することを知らず、讀書人もこの術を窮究する暇がなく、こうして習俗に拘り常見に泥み忌諱に囿るだけである。私が思うに、陰陽の理はみな五行に本づき、その禍福を定め得る所以は、他ならず、生旺の氣を秉受するを吉とし、衰敗の地に處るを凶とし、相生に遇うを福とし、相克に遭うを禍とする。これ以外に別の説はない。

而通書之設周堂者,既無五行之起例,則無生旺衰敗之可推,無相生相剋之可據,徒執定局,而乃拘於大月小月某日某日吉,某日某日凶,年年不異,月月相同,不幾於膠柱而鼓瑟、刻舟而求劍乎?既無通變之機,又無的然吉凶之驗,則其所謂周堂雲者,禍福無憑,不足準信,削去不惑於君子亦宜矣!世人蹉過吉期,多因拘泥於此。豎造入宅,葬埋上官等日,皆有周堂之例,舉一隅,他可類推,又何足深辨哉!

しかし通書が設ける周堂は、五行の起例がない以上、その生旺衰敗を推す由なく、その相生相克に據る由もなく、ただ一つの固定した圖局を死守し、大月小月の何日が吉で何日が凶かに拘泥し、年年同じく月月相同じい。これは琴の柱を膠着させて琴を彈き、舟に刻して記をなして劍を求めるに近いではないか。通權達變の機竅がなく、また確鑿たる吉凶の驗證もないならば、いわゆる周堂は禍福に憑る所なく、取信に足らず、これを删去して君子に迷惑を受けさせないのも、また當然である。世人が吉期を錯過するのは、多くはこれに拘泥するがゆえである。このほか豎屋・上梁・入宅・葬埋・上任などの日にも、みな周堂の排例がある。一を挙げて三に反すれば、その余は類推できる。どうして深く辨析するを要しよう。

九、通書之最謬者,莫如三十六用。其說倡自祝文夫所譔《袖龍經》,詭立修方應驗,以為修報催官之方,則能使閒居者不日起復;修報黃甲利方之方,則能使白衣者起舉登科;修報火星青龍,則能使在官者轉官加祿;修作極富星月財方,則能使貧者驟獲橫財;修定位魁罡,能舍財獲窖;使鬼運錢來,則修鬼道之位;欲因妻得財,則修三女之方;欲因妻獲官者,則用三臺五庫;欲因軍得寶者,則用魁罡福星;倲兵道將軍,可以因軍得官;修順逆血刃,可以六畜大旺。修蠶命可旺蠶絲,修空亡則除冷退,救人長病修報天醫,救人喪禍修作白虎。謂脩金匱可旺人丁,謂修天瘟可除瘟疫。又有所謂袪鼠盜、解官訟、長壽年等事例,皆以修方為驗,其陋如此。

第九条、通書の中で最も荒謬なのは「三十六用」に過ぎない。この説は祝文夫の撰す《袖龍經》に倡導され、修方すれば應験するという説を憑空に立てた。すなわち、催官の方を修すれば、賦閑在家の人は日を置かず起復する。黃甲利方を修すれば、平民の子弟は應擧して登科する。火星青龍方を修すれば、在職の官員は升遷し祿を加える。極富星と月財方を修すれば、窮人は驟かに橫財を得る。定位魁罡を修すれば、錢財を舍出して窖藏を掘り當てる。鬼に替えて銭を運ばせたければ、鬼道の位を修す。妻子により財を得たければ、三女の方を修す。妻子により官を得たければ、三台五庫を用いる。從軍により寶を得たければ、魁罡福星を用いる。兵道將軍の方を動かせば、從軍により官を得られる。順逆血刃を修すれば、六畜が興旺する。蠶命を修すれば蠶絲が旺となる。空亡を修すれば冷退を除く。人の久病を救うには天醫方を修す。人の喪禍を救うには白虎方を修す。金匱を修せば人丁が旺となり、天瘟を修せば瘟疫を除くと言う。このほかいわゆる鼠を駆り盗みを防ぎ、官司を化解し、壽數を增添するなどの條目があり、みな修方に凭って應験するという。鄙陋もここに至る。

愚謂安葬墳墓,其地龍眞穴的,融結不偽,眞知其為富地,而用諸富星以助其富,眞知其為貴地,而用諸貴星以催其貴,理或然也。而龍穴不眞,徒狥年月,則亦無益。況修方而可以致富貴,可以使鬼運錢財,可以獲古窖金銀,可以救病,可以添壽哉!此理之所必無者。

私が思うに、墳墓を安葬するには、地の龍真・穴的・融結が假ならざるという前提においてのみ、確かにそれが富地であると知れば、諸々の富星を用いてその富を助長し、確かにそれが貴地であると知れば、諸々の貴星を用いてその貴を催發する。道理の上ではあるいは通ずる。しかし若し龍穴自体が真でなければ、ただ一へえに年月に遷就しても、益はない。何况一つの方位を修すれば富貴を招き、鬼に替えて錢財を運送させ、古人の窖藏の金銀を掘り當て、病を治し、壽を添え得ると言うにおいてをや。これは理の上に絶對にあり得ない。

茍如其言,則求名之士不必朝讀暮誦,講求書史,是但修其催官之方,則自能取青紫如拾芥;求利之士,不必曉行夜算,坐賈行商,但修其極富之星,則自獲寶窖;病者不必求醫,修天醫而可愈;訟者不必訴官,修天赦而可解矣。天下豈有是理也哉?惑世誣民,適取一笑耳。以上通書諸說之謬,有一人之言而自相矛盾如竅馬之類,有數家之書而各相牴牾如丙丁為獨火又謂三奇者,不能悉具,姑撮其要如此。泰和周氏所著《陰陽定論》,亦頗詳明,崇正學者,自當言下有悟雲。

假如彼の言うがまことにそのようであるなら、功名を求める者は早晚の誦讀・經史の講習を要せず、ただ催官の方を一修すれば、自ずから草芥を拾うがごとく高官顯位を取得できる。財利を求める者も、早起きして路を趕り深夜に賬を算し、坐賈し行商するを要せず、ただ極富の星を一修すれば、自ずから寶窖を掘り當てられる。病人は醫を求めるを要せず、天醫方を修せば痊癒できる。官司する者は上告するを要せず、天赦方を修せば了結できる。天下にどうしてこの理があろうか。世人を惑亂し百姓を誣衊するは、ただ徒らに人の一笑を惹くのみである。以上に挙げた通書諸説の荒謬は、あるものは同一人の言が前後に自ら矛盾するもので、「竅馬」の類のごとく、あるものは幾家の書が彼此抵觸するもので、丙丁がすでに「獨火」に算されまた「三奇」に算される類のごとし。これらは一一に列挙し盡くせないので、姑く要點を摘出して上のごとくした。泰和周氏の著わす《陰陽定論》もまた頗る詳明に講じている。正学を崇ぶ人は自ずから一讀して領悟する所があろう。

堪輿の宗旨

天自太極肇分,兩儀既判,立天之道曰陰與陽,立地之道曰柔與剛,統言之曰氣。有氣則有象,有象則有數。天列星辰,地列川嶽。圖出於河,書出於洛,象數備具,變化乃行,吉凶由生,道其昭昭矣。乎世當洪荒,光嶽氣完,神聖迭生。人皇相厥山川,分為九區,兄弟九人各居一方,則相地之法其來遠矣。伏羲仰觀天文,俯察地理,以畫八卦,方位由定。黃帝置六相,以太常察地理,命大撓作甲子,造指南車,於霧中辨方,以滅蚩尤,則羅經之稱神器,信不誣也。

天は太極が初めて分かれてより、兩儀すでに判開し、天道を立ててこれを陰と陽と曰い、地道を立ててこれを柔と剛と曰い、統べて言えば皆「氣」と曰う。氣あれば象あり、象あれば數あり。天には星辰が列し、地には山川が列す。河圖は黄河に出で、洛書は洛水に出で、象と數と俱に齊い、變化乃ち行われ、吉凶これより生ず。その理すでに甚だ明らかなり。上古洪荒の世、山川光岳の元氣は完足し、神聖の人は繼いで世に出た。人皇は山川を相看し、天下を分けて九區とし、兄弟九人が各々一方に居った。見るに相地の法の由來久遠なり。伏羲は首を擡げて天文を觀、首を俯れて地理を察し、因りて八卦を畫し、方位これにより定まる。黄帝は六相を設け、太常に地理の察看を掌らしめ、大橈に甲子を創制せしめ、また指南車を造り、大霧の中で方向を辨明して蚩尤を滅ぼした。見るに羅盤を「神器」と稱するは、誠に虚言ではない。

鯀汨五行,帝乃震怒,錫禹洪範九疇。乃莫公劉興豳,陟則在巘,復降於原。既景乃岡,相其陰陽,民繁且宣。文王造周,更置卦位,是謂後天,而以入用。周公卜洛,相宅瀍澗之間,為周匹休。至於衛文,營室楚丘,樹臬揆日,景山與京,此誰為哉?蓋當時列國,皆有史官,如梓慎、甘公、唐昧、尹皐之流,皆以明於陰陽,主司宅兆而任之官。時入戰國,則皆懵然。

鯀が五行を亂すと、上天は震怒し、後に《洪範》九疇を大禹に賜った。此の後、公劉は豳の地で業を興し、山巘に登り、また平原に下り、日影をもって山岡を測定し、その向陽背陰を相看し、こうして百姓は繁衍し安舒した。文王は周朝を創建し、卦位を重新に排定した。これが後天八卦で、実用に投入された。周公は洛邑に卜居し、瀍水・澗水の間で宅址を相看し、周室の國運と美を同じくした。衛文公が楚丘で宮室を營建し、標竿を立てて日影を測り、景山に登り京丘を望んだことは、また誰が為したか。もともと當時の列國にはみな史官が設けられ、梓慎・甘公・唐昧・尹皋の類は、みな陰陽に精通することをもって受命して宅第と墓地の事を掌った。戰國に至り、これらの人はみな懵然として知らなくなった。

雖有鬼谷,不染世塵;青鳥、白鶴、赤松、黃石,皆避世之隱君子,抱道巖穴,憫惻斯世,演著《青囊》《青囊》乃黃石正經,赤松增傳,希夷補註。圯橋孺子,夜半授書。赤符應運,《赤霆》乃著。高隴原卑,前瞻後顧。相其主客,觀其祖宗,制穴尺寸,定法五行。八卦九變,九星九宮。八方噓吸,以占其風。穴前折水,折東屈西。妙斡造化,出入干支,天下之能事畢矣。功成名遂,鴻飛冥冥,托以辟穀,自卜壽塋在徐州房山。甫及八代,是生道陵,擇居龍虎,稱號天師。五十傳世,盛至於今。身後之謀,乃能如是,此又百代殊絕之傑也。

當時鬼谷子はあったが、塵世に染まらず、青鳥子・白鶴仙人・赤松子・黃石公は、みな世を避ける隱士君子で、道を抱いて岩穴の中に隱居し、世人を憐み、因りて推演して《青囊經》を著した。原書の自注に曰く、《青囊》は黃石公の正經で、赤松子が增補して傳を作り、陳摶が補注した。當年圯橋の上の少年張良は、夜半に黃石公の書を受け、赤色の符命が運に應じて生じ、《赤霆經》はここに成った。書には高隴と低原を講じ、前に瞻り後に顧み、主山と客山を相看し、祖宗の山を觀察し、穴の尺寸を制定し、五行の法を確立し、八卦九變・九星九宮を講じ、八方の氣息の吐納を講じて風向を占測し、穴前の折水を講じ、あるいは東に折れあるいは西に屈す。それは巧妙に造化を斡旋し、干支の間に出入し、天下の能事は皆この中に盡くされた。張良は功名を成し遂げた後、鴻鴈の高く飛び冥冥として去るがごとく、辟穀して仙を修ると托辭し、自ら壽塋を徐州房山に占った。わずか八代を經るや、張道陵を生み、龍虎山を選定して居し、天師と號し、五十代を傳え、今日に至るまで興盛している。彼の身後の謀がよくこの地步に至り得たとは、これまた百代に得がたい傑出した人物である。

金華石室,緘藏玄秘。漢尚識緯,義理乖僻。惟京房善易,以卦配六甲,休咎有徵。迨至東晉,間生景純,發為《葬書》,曰“葬乘生氣”,曰“山有四勢,氣從八方”,曰“土圭測其方位,玉尺度其遠邇”。皆妙參造化,默奪神功。惜被兩儒刪訂迷眞。淳風《小卷》,詞約精義。而陶公捉脈之《賦》,似専言乎形局。及其結語,則云“更能配合天星,萬古通行無此妙。”卜氏《雪心》之文,似不論於天星。及其警策,則云“八卦五行,必須參究”;又云“排八方之八卦,審四勢之四維”。此又皆徹上徹下之論,非深造者莫識也。

金華の石室の中には、玄妙の秘旨が封藏されている。漢代は讖緯を尚び、義理はかえって乖僻となった。ただ京房のみ《易》に精しく、卦をもって六甲に配し、吉凶皆徵驗があった。東晉に至り、間世して郭璞が生まれ、《葬書》を成し、「葬する者は生氣に乘る」と曰い、「山には四勢あり、氣は八方より從る」と曰い、「土圭を用いてその方位を測り、玉尺を用いてその遠近を量る」と曰い、皆巧妙に造化を參悟し、暗中に神功を奪った。惜しむべきは後に二儒者の删訂に遭い、真旨を迷失せしめたことである。李淳風の《小卷》は、文辭は簡約にして義理は精深である。陶侃の《捉脈賦》は、專ら形局を講ずるに見えるが、結語に至りて曰く、若し更に天星に配合し得ば、萬古通行これより妙なるはなし、と。卜應天の《雪心賦》は、天星を論ぜざるに見えるが、警策の處に至りて曰く、八卦五行は必ず參究すべし、と。また曰く、八方の八卦を排布し、四勢の四維を審察せよ、と。これらは皆上下を貫通する議論で、造詣の深き者でなければ認め出せない。

聞喜丘公,術本神授。扦立動星,占者以聞。爵以亞父,乃進圖經三卷十章,眞理氣之心印,天機之秘訣也。唐高宗能以金函玉櫃藏其書,而不知翼世即有黃巢之亂,瓊林府庫,皆眞能守禪。一行能撰銅函偽經,以混其眞。而不知其間乃有曾、楊之賢,金函秘書,悉為所得。曾、楊皆奔江南,求已為節制李司空所辟,因鑑丘公之轍,刊石作記,本圖免禍。而不知野歌閒編,聞風雜出,流弊無窮。

聞喜縣の丘延翰は、術法はもと神人の授ける所であった。彼が墳穴を扦定して星象を移動せしめたを、天象を占する者が朝廷に上奏した。朝廷は彼を亞父に封じ、彼は乃ち圖經三卷十章を進獻した。それはまさに理氣の學の心印、天機の秘訣であった。唐高宗はよく金函玉櫃をもってこの書を收藏したが、後世にすなわち黃巢の亂があり、瓊林の府庫の物も保ち難いことを知らなかった。僧一行は銅函の僞經を撰して真本を混淆するに用いたが、その時正に曾文辿・楊筠松のような賢者があり、金函中の秘書は悉く彼らに得られてしまうことを知らなかった。曾・楊の二人は皆江南に奔り、楊筠松は節度使の李司空に徵辟された。彼は丘延翰の前車の轍に鑑み、石に刻して記を作したが、本意は禍を避けんと欲したのに、鄕野の歌訣と随手に編んだ冊子とが、風に随って傳出し混雜して出て、流弊は窮まりないことを知らなかった。

惟楊公傳於文辿,而龍穴沙水之《心鏡》始作。文辿傳於希夷,而青囊經傳之註解始詳。賴布衣本楊公之儔匹,故《催官》、《旅寓》之論皆協天星。廖金精乃張守之選拔,故陽符陰契之說,皆出景鸞。子微一代偉人,而《玉髓經》専於形象,不得與廖、賴分抗。牧堂道學崇儒,而《發微論》未嘗顯闢天心。及乎朱晦庵、蔡西山,雖酷好風水,而教外別傳,恐亦未究。故其不用某山向之說,遂起後人藉口無窮之弊。不知西山嘗有分金之注,而文公《山陵議狀》,乃專辨於國音。

ただ楊筠松が學を曾文辿に傳え、龍穴砂水を講ずる《心鏡》が成った。曾文辿はまた陳摶に傳え、《青囊經》の傳と注解が詳備となった。賴布衣はもと楊公と名を齊らしする人物で、故に彼の《催官篇》《旅寓》の諸論は皆天星に合する。廖金精は張守に選拔された者で、故に《陽符》《陰契》の説は皆呉景鸞の一脈に出る。張子微は一代の偉人だが、《玉髓經》は專ら形象を講じ、廖・賴の兩家と分庭抗禮することができない。蔡牧堂は道學儒術を尊崇したが、《發微論》はかつて公に天心の説を辟駁しなかった。朱熹・蔡元定に至っては、風水を極めて愛したが、教外別傳の秘旨に對しては、恐らく窮究しなかった。故に彼らは某山某向の説を用いず、後人に無窮の借口を留めた。まさに知らざる、蔡元定はかつて分金の注解を作り、朱熹の《山陵議狀》は、專ら國音の説を辨駁したものであることを。

迨夫傳伯通《堪輿要約》,鄒仲容《答汪伯彥書》,皆推明理氣,承吳、廖之旨緒。劉太保《平砂玉尺》,誠意伯釋之而愈明。他如李玄緒之《三易三元編》、司馬大士之《光明大照圖》、陳彥繹之《業珠》、厲伯韶之《分金斷訣》、達僧記司馬頭陀之問答,潛齋述《素書寶鏡》之註疏,董德彰著《四神秘訣》、《天卦青囊》、《金斗算法》、《雪心賦解》等書,雖學有淺深,詞有純駁,然皆能發揮陰陽,推明理氣,而羽翼經旨,不可訾也。夫何謝子期者,定釋四書,執其偏見,闢廢天星。篁墩程公不察,首敘雄文,一倡群和,流毒海宇,深可憫惻。

傳伯通の《堪輿要約》、鄒仲容の《答汪伯彥書》に至っては、皆理氣を闡明し、呉景鸞・廖金精の旨趣の脈絡を承接した。劉太保の《平砂玉尺》は、誠意伯劉基の解を經ていよいよ明白となった。このほか李玄緒の《三易三元編》、司馬大士の《光明大照圖》、陳彥繹の《業珠》、厲伯韶の《分金斷訣》、達僧の記す司馬頭陀の問答、潛齋の述べる《素書寶鏡》の注疏、董德彰の著わす《四神秘訣》《天卦青囊》《金斗算法》《雪心賦解》などの書は、學問に深淺あり文辭に純雜あるものの、しかし皆陰陽を發揮し理氣を闡明し、經典の旨を輔翼するもので、詆毀すべからず。不意に謝子期が四書に定解を作り、偏見を執守して天星の説を辟斥廢棄し、篁墩程敏政は考察を加えず、率先して氣勢雄壯なる序を作った。一人が倡導すれば衆人が附和し、流毒は海内に及び、深く痛惜すべきである。

因嘗慨夫此理之在天地,本無顯晦。但自秦漢以來,每數百年始得一人,上明天道,下察民故,依經循法,為天下建邦立家,能使衰者振,僕者植,淹塞者達,響應神速,如呼谷中。然皆不數十年,其人亡則其術泯,書亦散逸不復見。民無所適從,大事皆委之時師,往往有遺憾焉。豈禍福予奪之柄,默有攸司?即不然,何哲人之生不數,雖縉紳君子,尚不知有堪輿之正學,況其下乎?

この故に我常に感慨する。この理は天地の間に存し、もともと顯と隱の謂いなし。ただ秦漢以來、數百年ごとに一人出て、上は天道を明らかにし、下は民情を體察し、經典に依り法度に循い、天下のために邦を建て家を立て、衰敗するを振興せしめ、倒れたるを扶起せしめ、淤塞するを通暢せしめ得る。その應験は神速で、山谷に一聲喊べば即座に囘響があるがごとし。しかし皆數十年を過ぎず、この人死せば、その術は湮沒し、書も散失して再び現れず。百姓は從う所なく、喪葬の大事は皆當時の術士に托付され、往々にして遺憾を留めた。禍福予奪の權柄は、暗中に別に主ありと言うべきか。たとえそうでなくとも、なぜ哲人の出世はこのように稀少で、士大夫君子すらまだ堪輿の正學あるを知らず、何况地位の更に低き者においてをや。

不侫兄弟初嘗深闢天星,久而罔驗,乃覺偏一之非。嘉靖戊申春,與剛陽子祝君尚用、丹臺子廷輔,及笪景明氏同參玄學,獲遇至人靈陽趙仙翁,因而質之,覺以出世間法。言下有悟,復偕君遷、葉兄博搜吾興諸仙遣文,徵其課驗名地,則皆脗合。於是始知教外別傳,豁然了悟。迄今三十餘年,頗亦眞切。形勢方位,天星巒頭,誠為體用不可偏廢。

我ら兄弟は當初かつて力を盡くして天星の説を辟斥したが、用いること久しくして屢々驗ならず、ようやく一邊に偏執するの非を覺えた。嘉靖戊申年の春、我らは剛陽子祝尚用・丹臺子祝廷輔および笪景明と共に玄學を參究し、至人靈陽趙仙翁に遇うことを得て、便ち彼に請教した。彼は出世間の法門をもって我らを點醒した。聞きて當下に領悟する所有り、また君遷・葉兄とともに本鄕各位の前輩名師が留めた文字を廣く搜求し、彼らの擇んだ課・點じた名地を考察したところ、結果は皆吻合した。ここに於て教外別傳の理を明白とし、豁然として徹悟した。今に至る三十餘年、體會もまた頗る眞切である。形勢と方位、天星と巒頭とは、實に體と用の關係で、どちらか一邊も偏廢すべからず。

方位之有東南西北,猶一歲之有春夏秋冬;山家之有二十四向,猶一歲之有二十四氣。六十龍應六十甲子也,七十二龍應七十二候也,三百六十五度即朞之三百六旬有六日也。一歲之中,一月之內,一日之間,既有時日支干孤虛旺相之不同,則二十四向、七十二龍、百二十分金、三百六十五纏度之間,豈無吉凶悔吝寓期間而顧不知審耶?但其理極繁細,極縝密,非粗淺所易知,鹵莽所可測。況雜以諸家星卦之穢陋於其間,是以君子厭其謬妄耳。然太極圖書,理氣之源;八卦五行,陰陽之祖,自有不可誣者。特述宗旨,俾知所察雲。

方位に東南西北あるは、一年に春夏秋冬あるがごとし。坐山に二十四向あるは、一年に二十四節氣あるがごとし。六十龍は六十甲子に應じ、七十二龍は七十二候に應じ、三百六十五度は一周年の三百六十六日なり。一年の中・一月の内・一天の間、すでに時辰・日期・干支・孤虚・旺相の不同あれば、然れば二十四向・七十二龍・一百二十分金・三百六十五纏度の間に、吉凶悔吝の其中に寓するなきや、かえって審察せざるが。ただこの理は極めて繁細・極めて縝密で、淺陋の人の容易に懂し得ず、粗率の人の測り得る所にあらず。何况その中にまた各家星卦の蕪穢鄙陋を混雜するをや。故に君子はその荒謬を厭惡する。しかし《太極圖》と河圖洛書は理氣の本源、八卦五行は陰陽の祖宗で、自ら抹殺すべからざる所有り。ここに特に宗旨を敘述し、人をしてどこより察考すべきかを知らしめんとす。

三昧論(引あり)

地學之關鍵有三:曰巒頭、天星之說也,正針、縫針之辨也,諸家五行之用也。三者喋喋,迄無定論。蓋術家陰相付受,以為秘傳,逈然與世間常法懸絕。茍非歷涉試驗,灼見眞知,何敢驟信?不侫兄弟囊因先人大事,輟舉子業,苦心究此。初嘗執以世間法曰:巒頭形勢,理也;天星方位,其謬也。子午正針,理也;壬子丙午縫針,其妄也。正五行,理也;洪範、八卦諸家五行,誕也。久而用之罔驗,疑莫適從。

地學の關鍵には三處あり。一は巒頭と天星の説、二は正針と縫針の辨、三は各家五行の取用。この三處は爭論止まず、今に至るまで定論なし。術家が私に口耳をもって相授し、秘傳と爲して、世間通行の常法と迥然として懸隔するが故である。若し親身に經歷し反復試驗して、眞眞切切に見るにあらざれば、誰か敢えて輕々しく信ぜん。我ら兄弟は當年先人の喪葬大事のために科擧の學業を中止し、苦心してこの學問を研究した。初めは世間通行の説を執守し、巒頭形勢こそ理で天星方位は謬誤、子午正針こそ理で壬子丙午の縫針は妄説、正五行こそ理で洪範・八卦など各家五行は皆荒誕と思った。しかし用いること久しくして屢々驗ならず、心に疑惑し、從う所を知らなかった。

幸方外懶雲趙師覺之曰:“子不聞出世間法有顛倒五行之說乎?”於是復取吳、廖、傅、董諸書精詳之,徧徵其所下課驗名墓,果與世間法不合,始大省悟。夫形家也、正針也、正五行也,其言誠直捷正大,豈知其似是實非,足以惑人哉!善乎吳草廬先生云:“世間萬事俱要順,惟丹法與葬法要逆。”此所以與世間法不同耳。語曰“三折肱醫乃良”。不侫兄弟經涉磨挫,顛毛種種矣。管窺有得,各為論敘,名之曰三昧,以闡教外別傳之意,請正於仁孝君子云。萬曆壬午正月,德興天門山人徐善述書於楚雲杜李氏燕山草堂。

幸いに方外の懶雲趙師が我らを點醒して曰く、汝は出世間法に「顛倒五行」の説あるを聞かずや、と。ここに於て我らは重新に呉景鸞・廖金精・傅伯通・董德彰各家の書を取りて精細に研讀し、彼らの擇んだ課・點じた名墓を遍く訪ねて驗證したところ、果たして世間通行の法と合わず、これに初めて大徹大悟した。もとより形勢のみを講じ、正針のみを用い、正五行のみを取るは、これらの言は確かに直截簡當・堂堂正正に見えるが、誰が想到せんや、それらは是に似て是に非らず、足りて人を迷惑するを。呉澄先生の説く善し、世間の萬事は皆順を要す、ただ丹法と葬法のみ逆を要す、と。これ正にそれが世間法と同じからざる所である。俗に諺していう、腕三回折れて人良醫となる、と。我ら兄弟は磨折を歷經し、頭髮も花白となったが、一孔の見を凭って心得る所有り、各々論說を寫成し、名を《三昧》と取り、もって教外別傳の意旨を闡發し、仁孝の君子に指正を請う。萬曆壬午年正月、德興天門山人徐善述、楚雲杜氏の燕山草堂に書す。

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